はやりの病気

2013年6月15日 土曜日

第41回 薄毛・抜け毛は治せるか(前編) 2007/1/20

よく言われるように、若い世代の間で薄毛・抜け毛で悩む人は増えてきています。薄毛・抜け毛は男性特有の悩みか、というとそうでもなく、最近は若い女性のなかでも毛髪の悩みを持っている人が少なくありません。

 薄毛・抜け毛はいわゆる重病ではないと考えられています。なぜなら、薄毛・抜け毛は死に至る病ではないからです。ところが、医師として患者さんをみていると、私には薄毛・抜け毛がときに”重病”にみえることがあります。

 患者さんのなかには、薄毛・抜け毛で深刻に悩み、外出ができなくなる人がいます。若い方なら登校拒否をする患者さんもいます。髪を気にするあまり異性との交流を絶ちガール(ボーイ)フレンドをつくることを諦める人や、髪が原因で仕事に就けないという人もなかにはいます。すでに結婚している人でも、例えば友達の結婚式や同窓会への出席をためらうという人は少なくないようです。また、これはある”かつら”の会社に勤める友人に聞いた話ですが、髪を気にするあまり自ら命を絶つ人もいるそうです。

 たしかに、薄毛・抜け毛という病(必ずしも”病”という表現は適切ではありませんが)は、ときに治療がむつかしいことがあります。いろんな治療法がありますが、いろんな治療法があるということは裏を返せばそれだけ決定的な治療方法がないということの裏返しなのかもしれません。

 しかし、決して諦めることはありません。ここ10年ほどで薄毛・抜け毛に対するアプローチの方法は随分と進化しています。ここでは、そういった医学的な新しい治療法をご紹介したいと思うのですが、その前に薄毛・抜け毛の原因について考えたいと思います。

 私は、薄毛・抜け毛の原因を主に4つに分けて考えています。

 ひとつめは薬の副作用です。脱毛が副作用の薬と言えば抗がん剤が有名ですが、他にも、鎮痛剤、抗リウマチ薬、胃薬、高脂血症の薬などでも起こることがあります。ビタミンAの過剰摂取で起こることもあります。また、薬ではありませんが、放射線治療の副作用で脱毛が起こることもよく知られています。したがって、抜け毛が気になる人はまず今飲んでいる薬の副作用を確認する必要があります。

 ふたつめは、感染症によるものです。真菌症が頻度としては最も多いでしょうが、他にも梅毒、ハンセン病などでも脱毛をきたすことがあります。

 3つめは別の病気が原因になっている場合です。甲状腺の機能低下や副腎の病気、膠原病など内科的な疾患もありますし、脂漏性皮膚炎、アトピー性皮膚炎、尋常性乾癬、といった皮膚科的な疾患のために脱毛が起こっている場合もあります。

 そして、4つめがこれら以外の原因によるものです。男性の場合、頻度として最も多いのが、男性ホルモンが関与しているいわゆる男性型脱毛症(AGA)と呼ばれるものです。これは遺伝的な要因もある程度関係していると考えられています。男性型脱毛症はときに若い人にも起こります。この場合、薄毛・抜け毛の悩みから神経的な負担(精神的ストレス)がかかり、脱毛をさらに悪化させることがよくあります。また、ストレスだけでも脱毛がおこることがあります。

 さて、治療としては、薬によるものは薬の中止や変更を検討すればいいですし、感染症や内科的・皮膚科的な病気が原因の場合はそれに対する治療をおこなえば劇的に治癒していくことが多いと言えます。

 治療に時間がかかり、かつ頻度の高いものが男性型脱毛症です。しかし、いくつかの新薬の登場などで男性型脱毛症も次第に克服されつつあります。
 
 新薬には、まず外用剤のミノキシジルが挙げられます。これはもともと降圧薬として開発されたものですが、治験の段階で髪が増える作用のあることが分かりました。そこで製薬会社は育毛剤としての開発に切り替えて外用薬をつくることに成功しました。日本では大正製薬から「リアップ」として薬局で買える薬として販売されるようになりました。

 しかし、「リアップ」はミノキシジルが1%と濃度が薄いからなのか、すべての人に効果があるわけではありません。なかには、個人輸入で濃度の高い(2%、5%など)ミノキシジルを購入している人もいるようですが、それほど効果が得られない場合もあります。個人輸入でミノキシジルの内服薬を海外から購入している人もいるようですが、これは大変危険なことです。血圧が下がりすぎることも心配ですし、海外の製品を個人輸入で購入するのはまがい物をつかまされるのはまだいい方で、なかには危険な成分の入っているものもあります。

 ミノキシジルを試したけどよくならなかった、という患者さんの頭皮をよく観察すると、頭皮がカサカサになっていることがあります。これは、ときにミノキシジルを含む外用薬の基剤として使われているアルコールなどの成分による反応ではないかと思われます。脱毛で悩む人は、もともと頭皮がカサカサで軽い炎症をおこしていることが多いのですが、そのような皮膚にアルコールのような刺激性の強い物質を塗布すれば、余計に炎症がきつくなってしまうというわけです。

 次に現在最も注目されているプロペシア(フィナステリド)について考えてみましょう。

 プロペシアはもともと前立腺肥大症の薬として開発されました。実際、プロペシアはフィナステリド1mg(0.2mgもある)が含有されていますが、5mgのものは前立腺肥大症の薬として使われています。なぜか日本では市場に登場していませんが、欧米やアジア諸国では5mgのフィナステリドが前立腺肥大症の治療薬としてごく普通に処方されています。

 よく言われるように男性型脱毛症の原因は男性ホルモンだと考えられています。男性ホルモンはテストステロンが有名ですが、脱毛をきたすのはテストステロンが代謝されたジヒドロテストステロンというホルモンです。この代謝(テストステロンがジヒドロテストステロンに変化すること)には5αリダクターゼという名前の酵素が必要です。プロペシアはこの酵素の働きを弱めることによって、結果としてジヒドロテストステロンの生成量を少なくします。

 男性ホルモンの生成量が少なくなる、などと聞くと副作用が心配になりますが、実際はそれほど心配しなくてもいいようです。前立腺に影響を与えるわけですから、まず考えられるのは、精子が減少したり動きが弱くなったりすることです。しかし、製薬会社(メルク社)の実験では、プロペシアが精子に異常をきたすことはなかったそうです。

 次に考えられる副作用はED(いわゆる勃起不全)です。しかし、プロペシア販売後の調査ではEDをおこした人は予想に反してかなり少なく、仮におこしたとしてもプロペシアの内服を中止すれば簡単に治癒しています。あるいは、ED改善薬と併用するという方法も場合によっては使えるかもしれません。

つづく

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第40回 狂犬病 2006/12/21

 私はGINA(ジーナ)の仕事の関係で、11月6日から23日までタイ国に出張していたのですが、帰国したその日から何人もの人に「犬に噛まれなかったか」、と聞かれました。フィリピンに旅行した日本人男性が立て続けに狂犬病を発症し死亡したとのニュースが話題になっているとのことでした。

 私は、タイ滞在中、できるだけBangkok Postなど英字新聞を読むようにしていましたが(日本語の新聞は入手困難で、タイ語の新聞は今の私にはむつかしすぎるので・・・)、日本人がフィリピンで狂犬病に罹患した、などというニュースは目にすることがありませんでした。

 Bangkok Postには、日本の情報もかなり掲載されていますが、それでも狂犬病のニュースが取り上げられていなかったということは、おそらく、タイを含むアジア諸国では狂犬病は珍しくないことが原因ではないかと思われます。

 日本では、1970年にネパールで犬に噛まれ帰国した男性が発症したのを最後に狂犬病の報告はありませんでした。36年ぶりの発症ということもあり、フィリピンで罹患した男性ふたりのニュースが大きく取り上げられたのでしょう。

 しかしながら、狂犬病のない国というのはむしろ例外的で、大きな国でみれば日本以外ではイギリスくらいだそうです。今回注目をあびたフィリピンでは、毎年200人から300人の発症例が報告されています。タイでは、毎年20人から30人程度が報告されています。世界全体では毎年55,000人が命を落としていますが、そのうち31,000人はアジアです。

 狂犬病が恐ろしい最大の理由は、発症するとほとんど助かることがないということです。これまでに、死亡を免れたのは世界で4例しかないという報告もあります。

 「狂犬病」という名前が示すように、病原体(狂犬病ウイルス)をもった犬に噛まれると発症しますが、このウイルスを保有しているのは犬だけではなく、すべての哺乳類が持っていると言われています。犬以外で比較的報告が多いのがクマ、スカンク、キツネ、コウモリなどです。しかし、アジア諸国ではほとんどが犬で、犬が最も注意しなければならない動物であることには変わりありません。ヒトからヒトへの感染は報告例がありません(これは、ヒトはヒトを噛まないからでしょう・・・)。

 潜伏期間は1から3ヶ月程度と言われています。この間は発症していないわけですから、たとえ狂犬病ウイルスを保有している犬に噛まれたとしても、早急に治療をおこなえば助かる可能性があります。通常、感染症を予防するにはワクチンを事前に接種しておくことが必要ですが、狂犬病の場合は例外的に、ウイルスが体内に入ってからでもワクチンの効果が期待できます。

 いったん、発症すると発熱や食欲不振が生じ、そのうち興奮や不安などの神経症状が出現します。狂犬病の特徴は、極度に水や風を怖がることだと言われています。そのため、狂犬病は別名「恐水病」と呼ばれることもあります。(といっても、私自身は狂犬病の患者さんを見たことがないのですが・・・) そして、最後には呼吸不全を来たし死に至ります。

 いったん発症するとほぼ確実に死亡する・・・。このように聞くと、とても恐ろしいイメージになりますが、幸いなことに狂犬病には非常に優れたワクチンがあります。海外に行くことがないという人であれば、慌ててワクチンを打つ必要はありませんが、海外旅行によく行く人、特にアジア諸国に旅行に行く機会が多い人はあらかじめワクチンを接種しておくことが必要でしょう。

 狂犬病のワクチンは、4週間後に2回目を、さらに6ヶ月から12ヶ月の期間をあけて3回目の接種をすることが必要です。したがって、海外旅行に行かれる人は遅くとも7ヶ月前には1回目のワクチンを接種しなければならないということになります。

 しかし、実際には7ヶ月前のワクチン対策では遅すぎると考えるべきでしょう。なぜなら、予防接種が必要な病原体は、何も狂犬病ウイルスだけではないからです。一般的に、アジア諸国には、狂犬病以外にもたくさんの感染症があります。

 少し例をあげると、破傷風、A型肝炎、コレラ、腸チフス、日本脳炎、などです。地域によっては黄熱やペストも必要になるかもしれません。日本脳炎や破傷風は子供の頃に予防接種をしたから大丈夫! そのように考える人もいるでしょう。しかし、ワクチンの効果は一生続くものではありません。

 また、ほとんどの人はB型肝炎のワクチンも必要でしょう。B型肝炎は血液感染以外に性感染もありうるからです。以前、海外転勤者の診察をしている産業医に話を聞いたことがあるのですが、その医師によれば、「国内では安易に性交渉をおこなわない人でも海外に行けば態度が変わることが多い。だから、男女ともすべての海外転勤者を説得して、コンドームの持参とB型肝炎のワクチンを強く推奨している」、そうです。実際、一部の先進国では(例えばオーストラリアがそうです)、高校生全員にB型肝炎のワクチンを義務づけています。B型肝炎は性交渉で容易に感染し、低くない確率で急性肝炎をきたし、その何パーセントかは劇症肝炎に移行します。こうなればかなりの確率で死に至ります。

 そして、ワクチン対策で重要なことは、ひとつのワクチンを接種してから別のワクチンを接種するまでには充分な期間をあけなければならないということです。ときどき、「全部のワクチンを(同時に)打ってください」と言って病院を受診する患者さんがおられますが、これは原則としてできないのです。ただし、例えばA型肝炎とB型肝炎は同時接種をしてもかまいませんし、渡航先によって必要なワクチンが変わってくるでしょうから、まずはかかりつけ医に相談することが必要です。

 狂犬病の話に戻りましょう。狂犬病対策で重要なのは、まずは国内でワクチンを接種しておくこと、そして、現地で犬に噛まれたら躊躇せずに現地の病院に行くことです。どこの国でも医師であれば英語は話せますから、英語を母国語としない国でも心配することはありません。もし、あなたが英語に自信がないなら、あらかじめ日本のかかりつけ医に英語の紹介状を書いてもらっておけば安心だと思います。

 現地の病院では通常、その日にワクチンを接種してくれるはずです。そしてその後、3日後、7日後、14日後、30日後、90日後にもワクチン接種をすることが標準的な治療法ということになっています。(ただしケースによってワクチン接種の回数と間隔は変わることがありますから、現地の医師の指示にしたがうようにしましょう)

 最後にタイの話をしておきましょう。タイ国内での狂犬病発症報告をみると、北部や東北部(イサーン)といった比較的貧しい地域よりも、むしろバンコクを含む中央部と南部に集中しています。ということは、旅行者の多い中央部や南部は安心ではなく、むしろ危険な地域なのです。

 タイに行かれたことのある人ならお分かりでしょうが、タイの犬というのは道端にだらしなく寝ころんでおり、”怠け者”という印象があります。しかし、夜になると豹変することが珍しくありません。安易に犬に近づけば危険なのです。原因動物は犬が最多ですが、猿や猫などの報告もあります。

 安い値段で気軽に海外旅行に行ける時代になりましたが、旅行のリスクには、盗難やテロだけでなく感染症があるということをお忘れなく・・・

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第39回 首が痛い~頚椎症(私の体験)~ 2006/11/21

以前このコーナーで、私が冬を苦手とするのは自分が「冬季うつ病」にかかっているかもしれないから、という話をしましたが、もうひとつ冬が苦手な原因があります。それは、私のある持病が寒くなると悪化するというものです。

 その持病とは「頚椎症」です。「頚椎症」というのは広い概念であり、原因も症状も様々なのですが、大まかにまとめると、「頚椎(首の骨)やその周囲の組織が原因で首、肩、腕、手などに痛みやしびれが出現する疾患」のことを言います。(このため症状からみたときの病名は「頚肩腕症候群」となることもあります)

 私がこの疾患に悩まされるようになったのは、2002年の7月、医師になってわずか2ヶ月しかたっていない頃です。

 病院での仕事を終え自転車で自宅近くの食堂に行ったその帰りでした。違法駐車していた車の右側を通り過ぎようとしたところ、突然開いた運転席のドアが私に激突し、その瞬間から私の記憶はなくなりました。

 救急車が到着し救急隊の人に声をかけられて私の意識は戻りました。そのときは状況がよく分かっていませんでしたが、救急車の車内で自分が今どのような状態にあるのかが分かるようになりました。肩や後頭部を強く打っていて出血もありましたが、痛みはそれほど強くなく、救急病院で撮影したレントゲンやCTでも骨折や頭蓋内出血はなく安心しました。

 ところがです。翌日の昼過ぎあたりから突然首が痛くなり、その後、右腕にも痛みは波及し右手のしびれも出現してきました。事故直後のものとは異なるなんとも言えない鈍い頭痛がとれなくなり、吐き気まで伴うようになったのです。

 そのときは医師になってまだ2ヶ月でしたから、こんなことで仕事を休みたくありません。なんとか無理して仕事を続けるつもりでいたのですが、これではまともに働けず周囲に迷惑をかけてしまうと考え、事故の翌々日の昼前に上司に相談しました。

 ただちに大学病院の整形外科外来を受診し精密検査を受けました。頚椎のレントゲンにははっきりとした異常はありませんでしたが、MRIを撮影すると、椎間板に軽度の変形と炎症がありました。おそらく事故が契機となり椎間板に変化が起こり、その結果神経根が圧迫され、痛みやしびれといった神経症状が出現しているのだろうとのことでした。

 結局私は入院することになり退院したのはその27日後でした。しかし、退院後も症状はとれず、病院で働きながら空き時間をみて首の牽引を継続することにしました。ところが、ある日いつものように牽引をしている最中に突然頭痛と吐き気が起こり嘔吐しました。そして、この日を最後に牽引ができなくなりました。

 その後も仕事を続けながら定期的に通院し、いろんな薬を試したり、レーザー治療を試みたりもしたが、痛みは少しましになったかと思えば再び悪化するといった状態が続いていました。ただ、我慢できないような激痛ではなく、しびれはありましたが握力は徐々に回復していましたので、仕事が続けられないことはありませんでした。ときおり頭痛に悩まされましたが鎮痛薬を内服することでなんとかしのいでいました。

 研修医の間は医師には休みはほとんどありませんが、それでもなんとか時間を見つけて私は様々な治療を試しました。西洋医学では限界があると考えた私は、いわゆる民間療法と呼ばれるものも試しました。少々値段が高くてもこの痛みがとれればそれだけの価値はあると考え、自費診療の指圧や整体に通ったこともあります。

 しかし一年以上かけて様々な治療を試しましたが、これといって有効な治療方法は見つかりませんでした。ただ、症状の悪化には一定の傾向があることが分かるようになってきました。よく言われるように、天気の悪い日の前日に痛みが悪化するのです。しかし私の場合、もっと顕著なのは、寒くなると症状が悪化するということでした。ですから寒くなってくると、予防的に鎮痛剤を内服することによって症状を和らげるようにしました。

 そうこうしているうちに、これまでになかったある程度有効な治療法が見つかりました。事故から2年が経とうとしているときのことです。その時研修を受けていたクリニックがプラセンタエキスの注射を扱っていました。プラセンタエキスが頚椎症に効果があるという科学的なデータ(evidence)はありませんが、私のような症状にも効くことがあると言われていたので、試しに何度か注射してみました。すると、劇的というわけではありませんが、ちょうど暑くなりだす季節ということも重なってなのか、痛みはかなり改善しました。実際、それからは少なくとも寒い冬の日以外は鎮痛剤をほとんど飲んでいません。

 プラセンタエキスの注射を初めて数ヶ月してから、私はスポーツジムでの運動を再開しました。学生の頃は週に2~3回ジムに通っていましたが、医師になってからは時間がほとんどとれず断念していました。しかし、医師を続けながらでも、週に一度くらいはなんとか時間を見つけられないことはありません。この事故のためにジムは断念していたのですが、事故から2年半が経過してようやく運動を再開することができました。

 実は私はジムでの運動がひとつの目標でした。入院中に、ある医師が(その医師はとても高い地位の方です)、当時研修医の身分であった私を気遣ってくださり、忙しい中何度もベッドサイドに来てくださいました。その医師は、事故が原因ではありませんが私と同様の症状になったことがあり、一時は手術まで考えられたそうです。しかし、手術は受けずに痛みが軽減するのを待ち、運動を開始することによって症状が大きく改善したそうです。この医師は整形外科医ではありませんし、私にくださったアドバイスは医師としてのものではなく、いわばひとりの元患者としてのものです。しかし、私には大変強い印象となり、事故から運動を復活させるまでの2年半の間、この医師の言葉を忘れることはありませんでした。

 現在の私の症状は、しびれは残っていますが、握力はほぼ元の状態に戻っています。右腕にあった表現しがたい焼けるような感覚(これを「灼熱感」と言います)もなくなり、痛みについては真冬の寒い日を除けばほぼ消失しています。頭痛もほぼなくなりました。

 さて、頚椎症についてまとめましょう。頚椎症はクビに原因のある様々な症状のことを言い、症状の程度も様々です。「神経根」といって脊髄から出た直後の神経の固まりのような部分だけが圧迫されれば、私が経験したような痛み、しびれ、灼熱感などが中心ですが、さらに変形が高度になり、脊髄そのものが障害を受けると、字が書けない、ボタンがかけられない、といった症状が出ることもあります。下肢にも障害が出現し、つっぱって歩きにくくなることもあります。さらにひどくなると膀胱直腸障害といって、排尿ができない、大便ができない、などの症状に悩まされることもあります。

 原因は、私のような外傷性よりも、むしろ加齢によるものが多いと言えます。ですから外傷がなければ10代や20代で出現することはまずありません。40代以降の疾患と考えていいと思います。

 治療は、症状が強く脊髄そのものが障害を受けている場合は手術が選択されることが多いのですが、私が体験したような程度であれば手術になることはあまりありません。しかし、決定的な治療法があるわけではなく、安静、鎮痛剤、レーザー治療(痛みの部位にソフトレーザーを照射する)、牽引など様々な方法から自分にあったものを時間をかけて見つけていくことになります。

 私には効果のあったと思われるプラセンタエキスは科学的な確証がありませんから、初めからすすめられるものではありません。運動については、周囲の筋肉を鍛えることによって頚椎にかかる負担が少なくなりますから理論的に効果があると思われます。

 私の症状はここまでよくなったのですからこれ以上の希望を持つのは贅沢かもしれませんが、次のような想いが頭をよぎることがあります。

 もしも冬が来なければ私はどれだけ幸せなのでしょう・・・

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第38回 本当に恐ろしい拒食症 2006/10/19

先月、マドリードのファッションショーで極端に痩せている女性が出場禁止にされたというニュースが世界中で話題となりました。

 2006年9月18日のロイター通信によりますと、「痩せているモデルは出場禁止」という突然の通達を受けて、出場させる予定だったモデルを総入れ替えした有名なデザイナーもいたそうです。

 このファッションショーはマドリードの地方行政が主催しており、BMIを基準に出場資格を規制しました。BMIとは日本も含めて世界で最も使われている体格を表す指標で、「体重(キロ)÷身長(メートル)の2乗」で計算します。例えば、身長が2メートル、体重が88キロなら、88÷2×2=22となります。一般的には22~23が標準とされていますが、若い女性の多くは22を太っていると考えているように思われます。マドリードのファッションショーではBMIが18以上であることが出場の条件となりました。

 このような動きはスペインだけではなく、すでにイギリスとミラノでも規制の導入を検討しているようです。

 このような規制が多くの地域で導入されれば、出場できなくなるモデルが続出し、ファッション業界は大きな改革を強いられることになるとみるファッション関係者は少なくありません。
 
 痩せすぎたモデルを出場禁止にするのは、ファッションショーが若い女性に与える影響が小さくないからです。実際、モデル(特にスーパーモデル)に憧れて無理なダイエットに励む若い女性は日本にも大勢います。そして、最近では拒食症となる女性の低年齢化が進んでいることが問題となっています。

 2006年9月19日の共同通信によりますと、2005年に小児科を受診した拒食症の子供は944人もいて、過去に衰弱や自殺で26人が死亡していることが全国294の病院に対する調査でわかったそうです。また、低身長や脳の萎縮などの後遺症の恐れのある初潮前の女児は過去に386人が確認されているそうです。

 私は初潮前の拒食症の女児を診察した経験がありませんが、普通の内科外来を受診される患者さんのなかに拒食症の方がときどきおられます。もっとも、本人は拒食症という自覚がなく、よくあるのが「身体がむくむ」「眠れない」「うつ状態である」といった訴えです。身体がむくめば本人の身体イメージが変わりますし、不眠やうつは生活に支障をきたしますから自分の意思で受診をします。もちろんこのような訴えで受診されるすべての患者さんが拒食症というわけではありません。全身の診察や血液検査をおこなって初めて拒食症を疑うことになります。拒食症が疑われればそれを患者さんに話すことになりますが、これを理解してもらうのに苦労することは少なくありません。もしも本人に拒食症という自覚があり、それを治したいという意思があるなら、精神科を受診してもらうのですが、そう簡単にはことが進みません。

 「嘔吐が続く」という訴えで内科外来を受診される方もいます。この場合は子供が繰り返し吐いている姿を親が見つけて病院に連れてくるというケースが多いと言えます。

 拒食症が恐ろしいのは「死に至る病」だからです。もちろん拒食症になった人すべてが死亡するわけではありませんが、死亡率は5%から15%と言われています。これだけを見ると早期に発見された悪性腫瘍などよりも遥かに高い数字です。死因は心不全や自殺が多いのですが、違法薬物に手を出す者も少なくなく薬物中毒による死亡もあります。少し年輩の方なら、カーペンターズのカレン・カーペンターが拒食症から心不全をきたし死亡したことをご存知かと思います。

 拒食症は本人に自覚がないだけでなく、よほど進行しない限り他人からもなかなか分かりません。一般的に、拒食症の患者さんというのは、明朗活発で責任感が強く、成績優秀で親の言うことをよく聞く努力家、いわゆる優等生タイプであることが多いのです。しかし、実は影で下剤や利尿剤を乱用していたり、ときには抑うつ状態になったり、ひどい場合は違法薬物や自殺企図をおこなうこともあります。

 一般的には他人から分かりにくい拒食症ですが、ある程度進行していれば医療機関で診断をつけることができます。身体を診察すれば、むくみがあることが多いですし、脈拍数は少なく、体温も低いのが特徴です。全員ではありませんが産毛が濃くなっている人もいます。血液検査をすればカリウムの値が下がっていることが少なくありません。ここまでくれば問診で生理がないことを確認して拒食症を積極的に疑います。過食症が伴っている場合は、吐きだこや虫歯などが見つかることもあります。

 重症化すればホルモン値が異常を示すようになります。また脳のCTやMRIを撮影すると脳が萎縮していることもあります。

 このように拒食症とは大変恐ろしい病気なのです。イギリスでは若い女性の1%が拒食症を患っていると言われています。日本では0.1~0.2%との報告があります。

 拒食症の原因はもちろん過度のダイエットですが、それ以前に「ヤセ」に対する強い憧れが問題です。現代社会で美しいとされている女優やモデルが痩せすぎていることが拒食症の若い女性を大量生産しているという指摘は間違っていないと思われます。

 治療はもちろん適切な食事を摂ることですが、それ以前に「自分は病気を患っている」という自覚が必要です。これが非常にむつかしくて、精神科医による専門的なカウンセリングが必要になることが多いのです。

 拒食症は、進行すると消化管が機能しなくなるからなのか、食べる気があっても身体が食事を受け付けなくなることもあります。また、萎縮した脳が与える影響も無視できません。それに、無理なダイエットで痩せた身体は決して美しいものではありません。ハリウッド女優やスーパーモデルのなかでも適度な筋肉と健康的なボディラインを有している女性が最も美しいのではないでしょうか。
 
 患者さんの多くは若い女性ですから、カレン・カーペンターと言ってもほとんどの人は知りません。そこで、拒食症からコカイン中毒をきたしリハビリ生活を過ごしたと言われているイギリスのスーパーモデル、ケイト・モスを私はよく引き合いに出すのですが、10代の女性のなかにはケイト・モスを知らない人もいます。

 これからは、マドリードのニュースを患者さんに話そうと考えています。冒頭で紹介した有名デザイナーは次のように述べています。

 「一日ですべてのモデルを入れ替えなくてはならなかった。18人もだよ。この出場禁止の通達のおかげでいろんな問題がおこった。けど、この業界は若い女性に対する影響が大きい。健康なスタイルをアピールするのは悪いことではない。だから僕はこの通達に反対するようなことはしないよ」

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2013年6月15日 土曜日

第37回(2006年9月) あなたの周りにも?!-アスペルガー症候群-

 「アスペルガー症候群」という病気の名前を聞いたことがあるでしょうか。

 私がこの病名を初めて聞いたのは、医学部の四回生の精神科の授業中でした。アスペルガー症候群とは、オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーによって命名された精神疾患で、おおまかに言えば「知的障害のない自閉症」です。

 自閉症の場合は、言語発達が遅れていることが多く、人とのかかわりをもとうとしないこともあり、また「自閉症」という言葉の印象もあって、「ひとりで閉じこもっている」ようなイメージがもたれることがあります。けれども、このイメージは必ずしも正しくなく、自閉症だからといって、部屋にこもって他人とのコミュニケーションを絶っているわけではありません。

 もしも、自閉症ではあるものの、言語発達の遅れも知的障害もない、あるいはIQが高い場合はどうなるでしょうか。

 こうなると、一般の人からは「おかしなやつ」と思われることはあるでしょうが、それがきちんと病名のある病気だと考える人はそれほど多くないでしょう。「アスペルガー症候群」はこういった人たちに対する疾患名です。

 私が、医学部の学生で臨床実習を受けていたとき、ある精神科医が「○○大学医学部△△教室の教授はアスペルガー症候群との噂がある」、と言っていたのを覚えています。この医師がどの程度真剣にこの話をしたのかは分かりませんが、アスペルガー症候群の病態をイメージするときに、医学部の大学教授はひとつのモデルになるのかもしれません。つまり、「優秀な頭脳を持ちすぐれた研究業績を残しているが、対人関係は苦手で他人の気持ちに共感できない」、というイメージです(念のために言っておくと、このイメージは医学部教授のひとつのステレオタイプのものであって、必ずしもこのような教授ばかりというわけではありません)。

 もうひとつ、私が医学部の学生の頃の話を・・・。

 それは私が医学部の四回生のとき。教室に忘れ物を取りに帰ると、ひとりの男子医学生がなぜか教室に残っていました。私は彼の顔と名前は知っていましたが、友達と話している姿は見たことがなく、私自身も話したことがありませんでした。同じ医学を志す者として、交流を持つのは悪いことではありません。私はせっかくの機会だからと思い、彼に何か話をしようと考えていました。

 話しかけたのは彼の方でした。普通、話したことのない相手と初めて話をする場合、「おつかれさまです」、といった挨拶から入るとか、「自分は○○をしに教室に来たんだけどあなたは?」、といったような差しさわりのない会話から入るのが普通でしょう。

 ところが、彼の話し出したことは、最近彼が気に入っているというアニメのキャラクターの話でした。私がアニメに興味があるのならともかく、私はそのアニメを知らないと言っているのに、彼はそのキャラクターの特徴や声優についてまで自分の知識をどんどんぶつけてきて私はうなずく以外に何もできませんでした。

 しかし、途中で話をさえぎるのも申し訳ないので、私は彼の話をえんえん数十分も聞くはめになりました。そして彼は最後に言いました。「この話の続きがあるから電話番号を教えてくれ」、と。

 このとき、私は習ったばかりのアスペルガー症候群のことが頭に浮かびました。

 ここでアスペルガー症候群の特徴をまとめてみましょう。

 全体のおよそ75%が男性です。知能は正常、あるいは健常人よりも高いIQを有していることもあります。ところがコミュニケーション能力は欠落しており、他人の気持ちを理解することができません。例えば飼い猫が死んで悲しんでいる人をみて、泣いているという身体的行為があることは理解できても、それがなぜ悲しいのかが分からないといった感じです。

 また、場の空気を読む、あるいは行間を読む、といったような人間らしい配慮ができません。しかし、話すこと自体は嫌いではなく、自分の興味のあることなら聞く人間がそれを不快に感じていても延々と話し続けます。私の体験ではそれがアニメでしたが、よくあるのがコンピュータ、天文学、恐竜などです。

 要するに、なにかひとつのことに固執する傾向が強いのです。ただ、これがアニメなら世間からはそれほど注目されることはないでしょうが、対象が数学や物理学、天文学といった分野なら、世界的な発見につながる可能性もあります。

 だとするならば、アスペルガー症候群は狭い意味での「健常人」には入らないかもしれませんが、考え方によっては「病気の扱いをされるべきでない友達のいない健常人」とも言えるでしょう。

 最近、ウェブサイト上で、アスペルガー症候群の症状について興味深い記述を見つけました。アスペルガー症候群の人とメール交換をした場合、彼らは特定の話題に固執し続け、少しでも返事が遅くなると、「どうして返事をくれないの?」「僕のことが嫌いになったの?」、というような内容のメールを送ってくるそうです。これだけで、アスペルガー症候群と診断することはできませんが、「なるほど、あり得るな」、と思いました。

 今年(2006年)の6月、兵庫県の芦屋大学で国内初の「アスペルガー研究所」が設立されました。この設立に対する反響は予想以上に大きく、全国から問い合わせが殺到しているそうです。具体的には、「自分が人間関係につまづくのはアスペルガーだからか」「仕事人間だった夫が定年退職後、家にいるようになって変な人だと分かった。アスペルガーか」といった相談が寄せられるそうです(日経新聞2006年9月8日夕刊)。

 アスペルガー症候群という診断名が仮についたとしても、現在の医学では、特効薬のようなものはありません。気持ちを静めたり、パニックを防いだりするような薬を状況によって内服するのが現在の治療方法です。

 私個人の考えを言えば、あまりこの「アスペルガー症候群」という病名にこだわる必要はないと思います。診断がつくことにより不安が和らぐことはあるかもしれませんが、他人との交流を絶って社会に役立つ研究をしているような人にまで病気のレッテルを貼ることは避けなければならないからです。

 もしも、自分が対人関係に苦手意識をもっており、アスペルガー症候群かどうか専門的に診断してほしい、と考えている人がいれば、専門家を受診すればいいでしょうが、そうでない場合は、それほど悩む必要はないのではないかと私は思います。上に紹介した医学部の学生の場合でも、私は彼が現在何をしているのかは知りませんが、少なくとも医学部受験をパスして進級するくらいの頭脳は持ち合わせているのですから、患者さんに接する仕事がむつかしかったとしても、何か彼に向いた仕事があるはずです。

 まったくの健常人であっても、長い人生のなかで、ときには抗うつ薬や抗不安薬、またはイラつきを抑えるような薬が必要になることもあります。ひとりで思い悩んで自己判断でアスペルガー症候群などと決め付けずに、まずはかかりつけ医に相談してみてはどうでしょう。あるいは、自分の家族や友達が怪しいと思った場合でも、あまり病人扱いせずに悩みを聞いてあげることから始め、本人が希望すればかかりつけ医を一緒に受診してみればどうでしょうか。

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2013年6月15日 土曜日

第36回 夏のかゆみにご用心 2006/08/20

昨年4月には「みずむし」について、昨年8月には「日焼け(日光皮膚炎)によるかゆみ」についてお話しましたが(それぞれ「はやりの病気」第5回「水虫」、及び第15回「日焼け-日光皮膚炎-」)、夏に、「このかゆみをなんとかしてください」、と言って、病院を受診する患者さんは、これら以外にもたくさんの原因をもっています。実際、春先から夏にかけては、皮膚の悩みで受診する患者さんが一気に増えます。そして、台風のシーズンが終わって涼しくなりだすと、少しずつ減ってきます。

 今回は、夏に生じるかゆみの代表疾患についてみていきましょう。

 まず、金属アレルギーによるかゆみがあります。これを「金属による接触皮膚炎」と呼びます。

 アレルギーを起こしやすい主な金属は、ニッケル、クロム、コバルト、水銀です。ニッケルはメッキとして使われる金属の代表で、合金製のアクセサリーなどにも多く使用されています。具体的には、ネックレス、指輪、ピアス、イヤリング、腕時計などが多いと言えますが、なかには眼鏡のフレームでアレルギーを起こす人もいます。

 また、ベルトの金属の部分や、ジーンズのボタンにもニッケルが使われていることが多く、「へそのあたりが赤くなってかゆい」、と言って受診する人も少なくありません。なぜ、同じファッションをしていても、冬は大丈夫で夏にだけかゆくなるのかというと、夏には汗をかくからです。汗の影響で、金属がイオン化して溶け出し、体内のたんぱく質と結合することによって体が反応するアレルゲンとなるのです。このトラブルは、Tシャツをジーンズのなかにいれて着るとほぼ確実に再発を防げるのですが、患者さんの多くは、「そんなカッコ悪いファッションはできない」と言います。

 クロムは、なめし革に使われていることがあり、そのためベルトや、あるいは腕時計のベルトでも接触皮膚炎を起こし、かゆみが生じることがあります。

 原因がニッケルであれ、クロムであれ、あるいは他の金属であれ、そのかゆみや赤みを治すのは簡単です。中くらいの強さのステロイドを数日間外用すれば、ほとんどのケースで治癒します。ただ、先にも述べたように、金属の装着をやめなければ再発するのは時間の問題です。

 アレルギーを起こしにくい金属というのもあります。その代表が、金、プラチナ、チタンです。これらは、いずれも高価なものばかりですが、装飾品をすべてこういった金属にすれば、かゆみが解消できることが多いというわけです。(ただし、実際の貴金属は金やプラチナの純正ではなく合金になっていますから、完全に安心というわけではありません。)

 ピアスやイヤリングの場合は、チタン製にするというのもひとつの方法です。金属アレルギーがあるかもしれないと思う人は、耳に穴を開ける段階から、チタン製のものを使用するのがいいでしょう。(ただし値段はちょっと高いです。)

 次に、衣類による接触皮膚炎をみていきましょう。夏になると、襟元や袖口がかゆい、と言って受診する人が大勢います。襟元の場合はネックレスをしていなければ、袖口の場合は腕時計をしていなければ、そしてナイロン製の制服を着用していれば、おそらくそれは、衣類による接触皮膚炎です。

 これらも、数日間のステロイド外用で簡単に治るのですが、ネックレスや指輪と異なり、接触皮膚炎の再発を防ぐために制服をやめるというわけにはいかないでしょう。では、どうすればいいかというと、汗をこまめにふきとる、とか、制服の下にTシャツを着るとかいった工夫をしてみるのがいいでしょう。ただし、Tシャツでも袖口に使われているナイロン糸に反応する場合もあるので注意が必要です。

 女性の場合は、ストッキングが原因になることもよくあります。私は、一度ある患者さんに、(冗談で)「ストッキングをやめて綿のパッチをはいてみたら・・・」、と言ったことがあるのですが、「そんなことできるわけがない」、と一蹴されてしまいました。では、どうすればいいかというと、これもお金がかかりますが、シルク製のストッキングを使用するのもひとつの方法です。ただ、その場合でも、ウエットティッシュや濡れタオルなどで、汗をこまめにふきとる、という努力は必要でしょう。

 脇や股、女性の場合は胸の間や下の部分が赤くなりかゆくなることがあります。これは皮膚と皮膚が触れあい、さらに汗がその部分にたまることが原因でおこるかゆみで、これを「間擦疹」と呼びます。また、こういった部分にはいわゆるあせも(汗疹)が起こることもあります。

 これらもいったん赤みやかゆみが生じれば、短期間の外用薬で治したあと、再発防止に努めなければなりません。こういったことで悩んでおられる患者さんのなかには、熱い風呂に好んで入っていたり、あるいはナイロンタオルでごしごしとかゆみのある部分をこすっていたりする患者さんがおられます。これらは、いずれも逆にかゆみを助長することになっています。熱い風呂も、ナイロンタオルも皮膚にある必要な油分が失われることになり、皮膚を乾燥させてしまうことになるのです。汗が出てかゆいのだから乾燥させた方がいいのではないか、と考えている人もいますが、それは誤りで、ある程度の油分があった方が余分な汗を防ぐことができます。ちょうど、乾燥肌にアルコールの入った化粧水を使うと、そのときは気持ちがいいような気がするが、かえって乾燥を悪化させるのと似ています。夏のお風呂は、ぬるめのお湯に使って、綿のタオルでやさしく洗うのがポイントです。

 さて、夏のかゆみでもうひとつ忘れてはならないのが、感染症です。みずむし以外にも、夏には、ケムシ、ダニ、ハチ、蚊、などかゆみをもたらすやっかいな虫がたくさんいます。たかが、蚊と考えている人もいるでしょうが、蚊でも患者さんによっては大きく腫れ上がる人がいます。特に子供ではそれが顕著です。

 ケムシのかゆみは、ときに全身に広がり強烈なかゆみをきたします。ケムシになんか触っていないのに・・・、と言う患者さんもいますが、ケムシのいる木の下を歩いただけで衣服のすきまからケムシの毛が入り込み全身が真っ赤に腫れ上がることもあります。

 ダニも非常にやっかいで、特に日本ではヒゼンダニによる「疥癬(かいせん)」に罹患する人が少なくありません。ヒゼンダニは人間の皮膚の中に寄生し卵を産み付けます。卵からかえったばかりのダニは主に夜中にごそごそと活動を開始しだすため、疥癬のかゆみは特に夜間に強くなります。疥癬は、普通先進国ではあまり見られない疾患で、外国人の医師に、日本では疥癬が多い、という話をすると驚かれます。寝たきりの人や免疫不全の人に感染しやすい、というのは事実ですが、実際には、誰でも感染しますし、家族全員が感染したという症例も珍しくありません。
 私の経験した症例に、まずその家のおじいさんが感染し、ついで嫁と孫が感染し、さらにその孫のガールフレンドにまで感染したというものがあります。疥癬は、以前は、性感染症のひとつ、と言われていたのです。

 夏のかゆみの原因は様々ですが、多くの場合、短期間の治療と再発予防をおこなえば、それ以上悩むことはなくなります。気になる人は早めの受診を・・・。

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2013年6月15日 土曜日

第35回 ラテックスアレルギー 2006/07/19

 私は以前、アレルギー科指導医の先生のもとで、1年ほど研修を受けていたことがあり、私自身も日本アレルギー学会に入会していることもあって、外来でアレルギーの患者さんを診察させてもらうことが少なくありません。

 日頃もっともよく接するアレルギー疾患のトップ3は、気管支喘息、花粉症、アトピー性皮膚炎ですが、これら以外にも、ハウスダスト、ペット、金属、化粧品などによるアレルギー疾患にもよく遭遇します。食べ物によるものも少なくなく、去年から今年にかけて、マンゴーによるアレルギーで口の周りが腫れた、という患者さんを何人か診ました。

 そんなアレルギー疾患のなかで、最近着実に増加しているな、と私が感じているのが、ラテックスアレルギーです。ラテックスアレルギーとは、天然ゴムに含まれる蛋白が原因となって引き起こされるアレルギーで、軽症のものから重症のものまであり、最重症の症例では死亡例もあります。

 どんな患者さんに多いかと言うと、おそらく職業別で言えば、医療従事者がナンバー1だと思われます。というのは、医療従事者は手術の際などにラテックス製のグローブ(手袋)を使用するからです。最初は軽いかゆみや発赤だけしか症状がなかったとしても、何度も使用しているうちに次第に症状がひどくなってくることが多いようです。

 このため、ラテックスアレルギーのある医療従事者用のグローブも用意されており、(価格は高いようですが)こういったグローブを使用することによりアレルギーの症状を防いでいます。

 医療従事者以外の職業で多いのは、工場で勤務する人です。一般的に、工場でも衛生上の観点からゴム手袋を義務付けているところが多く、そのため、それまでは一切の症状がなかったのに、工場勤務を始めてから手が腫れだした、という人がいます。

 ラテックスアレルギーは、たとえそのような体質であったとしても、医療従事者や工場勤務者のように日頃からゴム製品に接触するような環境にいなければ、発症することはありません。一般的に、アレルギー疾患というのは、その原因となる物質(これを「アレルゲン」と呼びます)に接触しなければ症状が出現することはないのです。

 しかしながら、日常生活からゴム製品を一掃することはなかなか容易ではありません。そもそも、ラッテクスアレルギーの患者さんが増えてきているのは、衛生に関する意識が向上したことにより、結果としてグローブなどのゴム製品を使用する機会が増えているからです。良質のラテックス製品を使用することによって感染症を防ぐことができるわけですから、ゴム製品の使用をやめることによって感染症に罹患したのでは意味がありません。

 感染症を防ぐ目的で使用されているラテックス製品の代表のひとつが、コンドームです。病院や工場で勤務していない人でも、状況によってはコンドームを使わないわけにはいかないでしょう。

 ところが、このコンドームが悲劇を起こすこともあります。実際に、性行為の最中にラテックスアレルギーの症状が出現し、そのまま死亡した男性の症例が報告されています。

 「こんな報告を聞くと、コンドームなんて怖くて使えない!」

 そんなふうに思われる方もおられるでしょう。たしかに、「コンドームを使うことで死亡することもある」、などと言われれば使用に躊躇してしまいます。

 しかし、一般的には先にも述べたように、何度もゴム製品を使用している間に、症状の程度が重症化してくるのが普通です。コンドーム以外にも、日常生活品のなかでゴム製品はあるでしょうから、コンドームにアレルギーのある人は、それまでにも何らかの症状が発症していた可能性が強いと言えます。軽度のかゆみや発赤が出た時点で病院を受診していれば、このような悲劇は防げた可能性が強いのです。

 それまでゴム製品を触っても何もなかった人が、いきなり性行為の最中に死亡、なんていうことは可能性としてはそれほど高くないわけです。

 一般的にラテックスにアレルギーのある人は、1,000人にひとりくらいだと言われています。しかし、アトピー性皮膚炎のある人の3-4%にラテックスアレルギーがあるとの報告もあり、アトピー性皮膚炎と診断されたことのある人はより注意が必要です。また、なぜか理由は分かりませんが(私が知らないだけかもしれませんが)、二分脊椎という病気のある人は、そのほとんどがラテックスアレルギーだと言われています。

 もしも、あなたがラテックスアレルギーの疑いがあるなら、早めに病院を受診することをお勧めします。病院に行けば、本当にアレルギーがあるのかどうかが正確に分かり、今後の生活に注意することによって悲劇を防ぐことができるからです。
 
 また、ラテックスアレルギーがあるかもしれない人は、ラテックスアレルギーを診てもらう以外の理由で病院を受診した際にも、必ず医師にそのことを伝えるべきだと私は考えています。

 なぜなら、病院でおこなわれる処置や手術というのは、医療従事者は通常、ラテックス製のグローブを用いておこないますから、医療従事者の手が患者さんに触れることによって、患者さんにアレルギーの症状が出現することがあるからです。

 では、具体的にラテックスアレルギーでは、どのような症状が出現するのかみていきましょう。

 皮膚症状としては、痒疹(かゆくなる)、紅斑(赤くなる)、じんましん(かゆみのある皮膚の盛り上がり)などがあります。これらは軽症であれば、ゴムが触れた部分のみ(グローブなら手のみ)に現れますが、重症化するとこういった皮膚症状が全身に出現します。

 鼻炎や結膜炎を起こすこともあります。ゴム製品の手袋やコンドームを使用すれば、目がかゆくなる、あるいは鼻水がでる、という人は疑うべきだと思われます。

 さらにひどくなると、息苦しくなったり、喘息のような症状が出現したりすることもあります。これらが重症化すると、血圧が大きく下がり(これを「ショック」と呼びます)、最悪の場合は命を失うこともあります。

 これらのうち、少しでも気になる症状があれば、できるだけ早く病院を受診するのが賢明です。

 また、コンドームについては、現在市場に出回っているほとんどのものがラテックス製です。アレルギーのある人でも使える製品というのもメーカーによっては存在するようですが、自分の判断でラテックスアレルギーと診断してそういう製品を使用するよりも、一度医師と相談した上で対策を考えていく方がいいでしょう。

 なぜなら、ラテックスアレルギーの人のためにつくられたコンドームのなかには、単にアレルギーを引き起こす成分を少なくしただけのものもあり、(これで充分なことも多いのですが)ほんの少しのラテックスでも反応する人にとっては、危険性はほとんど変わらないからです。

 ラテックスアレルギーの怖いところは、多くの人々が、自身がアレルギーであることを知らず、なおかつ、ときに重症化をきたすことがあるということです。

 少しでも気になることがある人は早めの受診を・・・・。

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2013年6月15日 土曜日

第34回(2006年6月) そろそろ本格的な禁煙を!~後編~

 前回は、喫煙者がタバコをやめられない様子を比喩的にひとつの物語としてお話しました。タバコを吸わない人はこの物語を大げさだと感じられるでしょうが、喫煙者の苦しみというのは相当なものなのです。

 実は、この物語の主人公である「僕」は私自身のことです。もちろん、私もタバコの有害性を認識しており、タバコが原因で病気になった人を多くみていますし、禁煙を指導する立場にあるわけですから、すぐにでも禁煙したいと思っています。

 しかし、これまで何十回と禁煙を試みましたが一度も成功していません。今回こそは!と思っても、前回の物語のようにだいたい60日前後で挫折して夜中にコンビニに駆け込んでしまうのです。

 タバコがやめられないのはニコチンに対する依存症です。だから、科学的に考えれば、ニコチンが身体に残存している期間を過ぎれば禁煙はたやすくなるはずです。禁煙を開始してからだいたい3週間前後で身体からニコチンが完全に除去されるため「3週間を過ぎればタバコがなくても苦痛でなくなる」と言われることがあります。

 けれども、実際に禁煙に成功した人に話を聞いてみても、多くの人が、「やめて何年たってもタバコをいらないと思うことはない。すぐにでも前のような喫煙者に戻れる」と言います。単純な科学的な理屈だけでは片付かないところに禁煙のむつかしさがあります。

 物語で述べたように「理性」だけでは禁煙はできません。タバコを切らせた状態が長く続くと「理性」で物事を考えられなくなってしまいます。そのために非合理的な行動に出てしまうのです。物語で述べた、ガラスを割ったり、おしいれをひっくりかえしてタバコのかけらを探したりするエピソードも、実際の私の体験です。これら以外にも、例えば、紙を燃やして煙を鼻に入れてみたり、煙が出ている銭湯の煙突をみると無性に登りたくなる衝動に駆られたりすることもあります。

 さらに「罪悪感」に苦しめられることにもなります。物語で述べたように、「何も悪くない恋人を自分の都合で一方的に捨てた」ような感覚にとらわれるのです。

 ちょうど恋人と別れるときに、その恋人のいいところばかりが思い出されるのと同様、タバコをやめるときにも数々の思い出が頭をよぎります。前回の物語で比喩的に述べた「雑誌に登場」というのはタバコの広告のことです。現在のように広告が規制される前は、雑誌はもちろんテレビコマーシャルも放映されていました。そしてその広告が、青い海や青い空、あるいは都会の夜景などをモチーフにしており、タバコを吸ったときにきれいな景色や夜景を眺めているときと同じような感覚になるよう脳に刷り込まれてしまっているのです。

 ですから、タバコの利点は、たった1本でまるでリゾート地に来ているかのようにリラックスできることです。もっとも、本当にリラックスできているわけではないという医学的な研究もあり、非喫煙者の人にとってみれば、リラックスどころか苦痛以外の何ものでもないでしょう。しかしながら、リラックスできているかどうかというのは主観的なものであり、いったん依存症になってしまうと容易にリラックス効果の得られる(と本人が思い込んでいる)タバコが手放せなくなってしまうのです。

 タバコを吸えない苦痛は寝ているときにもやってきます。というより、この苦痛は睡眠を妨げます。物語では、「彼女」に手を伸ばしても触れることができない夢をみる、としていますが、私が実際によく見る夢は、タバコを吸っているシーンです。久しぶりに手にしたタバコを思いっきり吸うのですが味がしません。そのため何度も大きな呼吸を繰り返すことになるのですが、これがどうやら夢の中だけでなく実際にも寝ながら大きな呼吸をしているようなのです。そして、空気を吸いすぎて(医学的には過換気になって)苦しくなって目が覚める、というわけです。

 私の場合、この睡眠障害は禁煙を開始してから一ヶ月が過ぎた頃にやってきます。禁煙開始直後から寝つきが悪くなるのですが、なかなか寝付けないところにこの夢で目覚めることになり、本当に辛いのです。睡眠不足から日中にストレスがたまることになり、さらに身体はそのストレスを解消するためにタバコをほしがります。まさに悪循環なのです。

 さて、ではそんなタバコを完全に断ち切るにはどうすればいいのでしょうか。

 まずは、禁煙する!という確固とした決意をすることが必要です。そのためには、自分がなぜタバコをやめたいのかを明確にする必要があります。ファッション感覚で禁煙を試みても挫折するのは時間の問題です。絶対に禁煙しなければならない理由をいつも意識できなければまず成功しないでしょう。

 しかしながら、決意だけでは不十分であることもあります。いくらタバコの有害性を理解していても、ニコチンの禁断症状が出現した際にはいかなる理論も理性も役に立ちません。理論的にものごとを考えられなくなり、ついには非合理的な行動に出てしまうのです。
 
 禁煙治療薬の有効性は広く認められており、これらに頼るのもひとつの方法です。ただし、絶対に禁煙する!という強い決意があることが前提です。

 最も安価で簡単に入手できる禁煙治療薬はニコチンガムです。これは処方箋なしで薬局で買うことができます。しかし、私はニコチンガムで禁煙に成功したという人をほとんど見たことがありません。この理由は、ニコチンを摂取できるのは日中のガムを噛んでいる時間だけであり、そのためニコチンの吸収量が一定しないからではないかと思われます。

 ニコチンの貼付シートがあります。これは医師の処方箋が必要な薬剤で、入手するには必ず医師の診察が必要です。身体に貼付するシートに含まれるニコチンの量を徐々に減らしていくことによってニコチンを断ち切るという方法です。少しずつ一定量のニコチンが緩徐に体内に吸収されていきますから、ニコチンガムと異なり、安定したニコチン摂取が可能となり、ニコチンを徐々に断ち切るには適していると言えるでしょう。

 これまで、禁煙に対する医療というのは保険外、つまり自費診療だけでしたが、2006年4月より保険適用となりました。厚生労働省がニコチン依存症は立派な「病気」であることを認めたというわけです。

 ただ、保険適用といっても、診察代はたしかに保険適用となりますが、肝心のニコチンシート(貼付薬)は薬価が設定されておらずこの分は依然自費のままです。これでは一通りの治療が終わるまでに数万円は必要となりますし、事実上の混合診療とも考えられます。

 そこで、厚生労働省は早急にニコチンシートの薬価を決めることにしました。おそらく、このエッセイがウェブサイトに公開される頃には薬価が決められ保険適用となっているのではないかと思われます。
 
 禁煙治療薬は経口薬(飲み薬)もあります。すでに欧米では、bupropin(商品名はZyban)という薬品が発売されており、それなりの効果が認められています。この薬は、インターネットによる通販などを利用すれば誰でも入手可能のようですが、医師の指導なしで服薬するのは非常に危険だと思われます。

 最近新たな経口禁煙治療薬が開発され話題を呼んでいます。Varenicline(注)という名前のその薬剤は、先発のbupropinの2倍近くの効果があることが、研究グループの対照試験で明らかになりました。欧米では近日中に発売になる見込みだそうです。

 これらの経口禁煙治療薬は、日本でも近いうちに市場に登場する可能性があり現在注目されています。
 
 私自身としても、貼付シートを使うべきか、経口薬を使うべきなのか、現在迷っているところです。もちろんその前に、禁煙する!という確固とした決意を確認する必要がありますが。

 素敵な「彼女」と別れることを本当に後悔しないのか、「彼女」との思い出を本当に断ち切れるのか、そして「彼女」に対する罪悪感を本当に克服できるのか・・・。

 これらの問題を乗り越えない限りは、シートか経口薬かを考えることに意味はないでしょう。

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注:Vareniclineはその後日本でもファイザー社から「チャンピックス」という商品名で発売されました。

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2013年6月15日 土曜日

第33回(2006年6月) そろそろ本格的な禁煙を!~中編~

 時計の針が午前二時を指した。

 これで僕が彼女と別れてからちょうど六十日が経過したことになる。

 ベッドに入ってもう一時間以上もたつというのに、今日もまったく眠れそうにない。

 もう一週間以上もほとんど眠れない日々が続いている。明け方にうとうととすることがあっても、いつも同じ夢で起こされる。彼女と再会し、彼女に手を伸ばそうとするのだけれど、すぐそこにいるはずの彼女に触れることはできない・・・、そんな夢だ。

 なぜ、彼女と別れることを選んだんだろう。最近考えるのはこのことばかりだ。以前から別れなければならないと思っていて、別れを決意するまでに何か月も考えたのだ。考えて考えて考え抜いた結果、僕は別れを決意した。

 けれども、本当に別れなければならなかったのだろうか、と今になって思う。たしかに僕の周囲の人間は、僕と彼女が付き合っていることに反対した。「あんなやつと付き合っていて損をするのはお前だ」、皆が皆、同じことを言っていた。

 だけど、いったい彼女の何がいけないというのだろう。実際、彼女ほどクールなやつはいないんだ。少なくとも僕にとっては。クールなだけじゃない。ときには優しくて、ときには暖かくて、ときには僕を癒してくれる、そんな彼女だったんだ。

 それに、彼女は何も悪いことをしていない。悪いのはいつも僕の方だ。

 一度僕の勝手な理由で彼女と別れたとき、僕は一週間で彼女の元に戻ったんだけど、そんな身勝手な僕に対して、彼女は怒るどころか、不満のひとつも言わずに僕を受け止めてくれたんだ。

 僕は一度浮気をしたことがある。いつも同じ彼女だと、その彼女が一番だということが分かっていても、たまには他にも試してみたくなる。男の性(さが)ってやつかもしれない。だけど、そんなだらしのない僕を彼女は許してくれた。そして彼女の元に戻ったとき、彼女はいつも以上に僕に安らぎを与えてくれたんだ。そのとき僕は浮気を後悔したと同時に決意もした。もう二度と彼女を離さないって。

 彼女ほど素敵なやつはいない、と僕は思う。今ではすっかり見なくなったけど、以前はよく雑誌なんかにも登場していたんだ。それも二ページまるまる彼女が載っていたこともあったんだ。それくらいクールな彼女なんだ。あの当時は彼女が最高にクールだってこと、誰もが認めてたはずだ。

 僕と彼女の出会いはとても素敵だったんだ。真夏の沖縄のビーチ、今でもあのときのことをよく覚えている。遅れて沖縄にやってきた僕の友達が彼女を連れてきてたんだ。初めて彼女をみたときのあの胸のときめきは、今でも忘れられない。

 とにかく僕は彼女に一目ぼれだった。出会った瞬間から彼女に夢中になったんだ。

 それ以来、どこに行くにも彼女と一緒だった。男友達と飲みにいくときも、僕は必ず彼女を連れて行った。旅行にいくときも、実家に帰るときも彼女と一緒だったし、仕事で出張に行くときも、こっそり彼女を連れて行ったりもしていたんだ。

 また分からなくなってきた。どうして僕は彼女と別れることを決意したんだろう。いったい僕は彼女の何が気に入らないと言うんだ。

 今回僕が別れを決意したときも、彼女は何も言わず、僕の気持ちを分かってくれた。十年間以上も一緒にいて、僕が突然別れを切り出し、彼女の元から去って行ったとき、彼女は何も言わずにそんな僕を許してくれた。少しは彼女にすがってほしい、という気持ちもなかったわけではないけれど、僕がどんなわがままを言っても分かってくれる、それが彼女なんだ。
 
 時計の針が午前三時を指した。

 彼女に会いにいこうか・・・。ちょうど昨日もこの時間に同じことを考えた。昨日は、彼女が恋しくてたまらなくなり、服を着替えて外に出たんだ。車に乗り込みエンジンをかけ、無我夢中で車を飛ばした。けれど、最後の最後で僕は理性を取り戻した。ダメだ・・・、彼女との別れは何度も考えて出した結論のはずだ。

 何度も何度も考えて出した結論なんだ。だから、彼女と別れた直後はとても辛かったけど、何度も考えたことを思い出してその辛さに耐えたんだ。

 けれども、三日がたち、一週間が経過し、ちょうど一か月を超えた頃から、再び僕の決心が揺らぎだした。まるで僕の理性が人間の根源にある魂に飲み込まれていくようだった。頭のなかで何度も彼女と別れた理由を反芻するんだけど、そんなものはすぐに感情の波にさらわれていくんだ。

 理性がなくなり、まともに物事を考えられなくなると、僕は自分でも不可解な行動を取るようになってきた。十日ほど前には家のモノに当り散らして窓ガラスを二枚も割ってしまった。彼女の香りがきっとまだこの部屋に残っているはずだと思って、おしいれをひっくりかえしたり、キッチンの下に潜りこんだりもした。もうひとりの自分が、バカなことはやめておけ、って言うんだけど、頭の中が彼女のことでいっぱいになると、そんな理性的な忠告には耳を傾けられなくなるんだ。

 時計の針は午前三時四十五分。もう一週間以上もほとんど寝ていないというのに、今夜も眠れそうにない。

 僕は知っている。彼女と再会さえすれば、ほんのわずかな時間だけでも彼女と会えれば、僕の身体はリズムを取り戻し元気になれるんだ。
 
 もしも彼女が昔みたいに、僕の枕元にいてくれればどんなに幸せだろう・・・

 僕はこれから彼女なしで生きていけるんだろうか・・・

 彼女のいない人生なんて僕にとってどれだけの意味があるというのだろうか・・・

 ふと気がつけば僕は車を飛ばしていた。

 昨日は着替えて飛び出したけれど、今日は着替えすらしていない。寝巻き姿のまま、髪もボサボサのままだ。六十日ぶりに彼女と会うというのにこんな格好だなんて、僕はほんとに勝手な男だ。それに時刻は午前四時だ。おそらく世界中で、もっとも寝ている人の割合が多い時間だろう。そんな時間に、小汚い格好で何の連絡もなしに、一方的な理由で、それも六十日ぶりに会いにいくなんて、よく考えるとこれほど非常識な行動もないだろう。

 けど、僕は知っている。こんな僕でも彼女は受け入れてくれるってことを。まるで何事もなかったかのように、また前みたいに僕に安らぎを与えてくれる。それが彼女なんだ。
 
 六十日ぶりに再会した彼女は以前とまったく変わっていなかった。クールな香り、麗しいボディライン、そしてまろやかな肌触り、あの頃となにひとつ変わっていない。

 やっぱり僕には彼女が必要なんだ!

 今度こそ離さない・・・。こんな身勝手な僕を許しておくれ・・・。

 僕は何度も彼女に謝った。

 そして、ゆっくりと彼女に口づけた。

 彼女の香りが僕の鼻腔を支配した。

 ああ、この香りだ! この香りを僕は六十日間求め続けていたんだ。初めて出会った沖縄のビーチが頭をよぎり、これまでに彼女と過ごしてきた日々が次々と頭のなかを駆け巡った。

 ごめんよ、本当にごめん、もう二度と離さないからね・・・

 僕は彼女に何度も何度も同じ言葉を繰り返した。

 そして、ゆっくりと「彼女」に火をつけた。

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第34回(2006年6月) そろそろ本格的な禁煙を!~後編~

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2013年6月15日 土曜日

第32回(2006年5月) そろそろ本格的な禁煙を!~前編~

 生活習慣病の二大大敵は「肥満」と「喫煙」です。この他にも、野菜果物の低摂取、飲酒、性交渉でのパピローマウイルス感染など、たくさんありますが、「肥満」と「喫煙」ほど、確固とした地位を築いている大敵はいないでしょう。

 前回は、「肥満」や「喫煙」を棚に上げて、どれだけ積極的に身体にいいものを食べようが、サプリメントを摂取しようがほとんど意味がない、という話をしました。今回お話するのは、「喫煙」についてです。

 まずは、タバコがリスク因子となる疾患をみていきましょう。

 悪性腫瘍(がん)の多くは生活習慣病であると言えます。そして、全世界のがんによる死亡の21%が喫煙に関係しているというデータがあります(Lancet誌2005年11月19日号)。

 タバコが原因のがんと言えば、肺がん(一部タバコが原因でない肺がんもあります)が有名ですが、他にも、胃がん、食道がん、咽頭がん、喉頭がん、口腔がん、舌がん、膀胱がんなどがあります。

 がん以外で、タバコが関係している疾患も非常に多く、肺気腫、喘息、慢性気管支炎、心筋梗塞、狭心症、脳梗塞などが有名ですが、他にも動脈硬化を促進させたり、傷の回復を遅らせたり、手足の冷えを助長したり、と悪いことばかりです。先日、厚生労働省研究班がおこなった4万人を対象にした調査によりますと、喫煙者の心筋梗塞は非喫煙者に対して約3倍も高いことが分かったそうです。

 私が医学部の学生の頃は、いくつかの病気に対してはタバコが有用ではないか、といった説もありました。具体的には、パーキンソン病、クローン病、潰瘍性大腸炎などで、これらの予防、もしくは治療にタバコが薦められるのではないか、という議論があったのです。

 しかしながら、最近はこういった議論はほとんど聞かれなくなり、現在タバコの有用性を訴える医師や研究者はほとんどいないのではないかと思われます。

 世界保健機構(WHO)は、世界を率先するかたちで、2005年12月「喫煙者を雇用しない」という方針を発表しました。

 医学界だけではなく、社会的にもここ数年で禁煙へのムーブメントが一気に広がっています。レストランやファストフード店のなかには、全面禁煙の店もでてきましたし、喫煙が可能でも狭いスペースに喫煙コーナーを設ける店舗が増えてきています。

 海外ではその傾向がいっそう顕著です。

 2003年7月にはニューヨークで禁煙法が施行されました。これにより、レストランやバーなども全面禁煙となり、喫煙できるのは市役所から許可をもらった一部のシガーバーだけとなりました。

 ヨーロッパでは、アイルランドが2004年に禁煙法を施行し、これに追随するかたちで他の欧州諸国が喫煙に対する法律を整備しだしました。

 英国では、2005年1月に北アイルランドが、2006年3月にはスコットランドが全面的な禁煙法を施行し、バーやクラブを含めて喫煙できる公の場がなくなりました。この流れは加速度的に広まり、ついに2007年の夏には、ロンドンを含むイングランドが全面禁煙になることが決定しました。ウェールズにおいても2008年中には、全面禁煙になるであろうと言われています。

 また、オーストラリアでも2007年中には全面禁煙になる見込みだそうです。

 アジアではどうでしようか。

 中国は、都市部と地方では、同じ国と思えないほどの経済格差があり、また生活様式も異なります。今やどこからみても先進国としか思えない上海では、禁煙レストランが急増しているそうです。

 私が商社に勤めていた頃、仕事で中国人と食事を供にすると、よくタバコを勧められました。それが好意を示す行為であるという話を聞いたことがありますが、今ではそのような慣習も減ってきているそうです。

 中国と同様に、タイも都心部と地方では驚くほどの経済格差があります。地方はさておき、都心では高級レストランだけでなく100円以下で食事ができるような食堂でも全面禁煙の店が増えてきています。また、ロビーを禁煙にしたホテルが急増しています。

 このように、禁煙ブームは世界的な広がりを見せており、喫煙者には非常に住みにくい世の中になってきました。

 ここまで禁煙ブームが加速すると、喫煙者からは「本当にバーやクラブまで禁煙にする必要があるのか。喫煙者が他人に迷惑をかけているという、なにか科学的なデータでもあるのか」という声が上がりそうです。

 しかし、喫煙者にとっては残念なことに、そういうデータが最近登場し始めました。

 まずは、アイルランドの調査です。

 禁煙法施行前と施行1年後の2回にわたり、アイルランド国内40ヵ所以上のパブの空気調査と、そこで働く81人の男性労働者を対象に肺機能の調査とインタビューがおこなわれました。その結果、1年間で呼吸器に影響を及ぼす大気中の浮遊微粒子が大幅に減少したことが判明し、パブやレストランの労働環境も改善され、息切れ、せきなどの、呼吸器系の症状や、涙目になるなどの刺激を感じるといった症状が、全体で30%から40%減少したそうです。この調査では、「禁煙法によってパブの従業員を間接喫煙の被害から守ることに成功した」と結論づけています。

 心臓病に関するデータもあります。

 米国コロラド州プエブロ市では、全面的な喫煙禁止条例の施行後に急性心筋梗塞の患者が30%近くも減少したことが分かったそうです。

 こういったデータがでてくるようになると、禁煙法は今後もますます普及していくことが予想されます。日本では、まだそのような動きがありませんが、「禁煙法」が国会で議論される日はそう遠いことではないかもしれません。
 
 さて、いくら法律が制定されても、病気になりやすいというデータを示されても、愛煙家にとって禁煙の苦しみが軽減されるわけではありません。タバコを吸わない人が、喫煙者に対して「禁煙しなさい」と言ってもほとんど説得力がないのは、喫煙者にしてみれば「この苦しみの分からないあんたになんでそんなに偉そうなこと言われやなあかんねん!」という気持ちがあるからです。

 愛煙家が禁煙に成功するのは、愛煙家自身が固い決意をもって禁煙に取り組んだときだけです。どれだけすぐれた禁煙治療薬を使おうが、本人に固い意思がない限りは絶対に成功しないと考えるべきでしょう。

 しかし、例外的に他人の説得が有効なことがあります。

 それは、まだタバコを吸ったことのない人に対するアドバイスです。いったん愛煙家になってしまえば、並大抵の努力では禁煙に成功しませんが、まだ吸ったことのない人、あるいは吸い始めて間もない人に対してはアドバイスが非常に有効です。

 タバコを吸い始める年齢というのは、だいたい10代後半から20代前半だと思われます。10代前半という人もいますが、そういう人でも依存症になるのは10代後半あたりからであることが多いと言えるでしょう。この年代であれば、まだタバコに対する知識をきちんと持っていないことが多く、吸い出すきっかけは、「友達が吸っているから」とか「なんとなく気持ちよさそうだから」とか「カッコいいような気がする」とか、そういう理由が多いわけです。これくらいの動機なら、「病気になりやすい」、「老けやすい」、「肌が汚くなる」、「口が臭くなる」、など、タバコの否定的な側面をしっかりと教えてあげれば、「初めから吸わない」ということが期待できます。つまり、「理性」で説得することが可能です。 

 最も効果的な禁煙対策は「初めから吸わない」ことなのです。

 ところが、吸い出してから数年がたち、いったんタバコの魅力にとりつかれてしまえば、どんな「理性」をもってきても、愛煙者にしてみれば単なる「正論の振りかざし」にしか聞こえなくなってしまうのです。

 「感情には、理性にはまったく知られぬ感情の理屈がある」というのはパスカルの言葉ですが、愛煙者に対しては「理性」は通用しないのです。これが、発展途上国だけでなく、先進国の、しかも高学歴者や知識人のなかにも愛煙家が多い理由なのではないかと私は考えています。

 続く

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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