はやりの病気

2014年9月22日 月曜日

第133回 デングよりチクングニアにご用心 2014/9/22

 今月(2014年9月)に日本で最も注目された感染症といえばデング熱でしょう。8月27日に国内での感染が1945年以来69年ぶりに報告され、その後感染の報告が相次ぎました。厚生労働省の発表によりますと、9月19日時点で感染者は141名に上り、大半は代々木公園を中心とした東京の公園に近づいた人ですが、なかには、最近東京を訪れたことがなく、海外への渡航歴もない千葉県の男性が感染していたという報告もあります。

 2014年8月は連日エボラ出血熱の報道が相次いでいたわけですが、それが東京でデング熱の報告があったとたんに、各マスコミは手のひらをかえしたようにエボラ出血熱にはほとんど触れなくなり、連日デング熱一辺倒となりました。(エボラ出血熱は9月中旬の時点で終息に向かっておらず今回の流行による感染者は6千人にせまる勢いで、すでに2,700人以上が死亡しています)

 デング熱を媒介する蚊はネッタイシマカとヒトスジシマカの2種が知られており、ネッタイシマカの方が感染を広げやすいと言われています。日本にはネッタイシマカは存在せず、それほど感染が広がらないと言われているヒトスジシマカのみが生息しているだけであり、さらにそのヒトスジシマカも気温が下がれば生息できませんから、今後急速に感染者の報告がなくなることが予想されます。マスコミは次々に旬の話題を探しますから、おそらく10月になれば紙面から「デング熱」という文字が消え去ることでしょう。

 来年(2015年)以降はどうかというと、ヒトスジシマカが再び出現しだす5月頃からデング熱の新たな報告が出始めるかもしれません。国内在住の日本人の感染が起こるとすれば、おそらく今回と同じように海外から渡航した感染者を日本の蚊が刺すことから始まるものと思われます。(『医療ニュース』「デング熱騒ぎで報道されない2つの重要なこと」(2014年9月5日)で述べたように、流行地域から来日した外国人のなかに感染者がいた可能性を私は考えています)

 デング熱は現在台湾や香港でも問題になっています。地球温暖化と共にデング熱の流行地域も少しずつ北上しているわけで、地理的に考えると、日本で流行するならまずは沖縄が考えられます。台湾の最北部である基隆市と与那国島は100km程度しか離れておらず、天気のいい日は与那国島から台湾が、また台湾から与那国島が見えることもあるそうです。(台湾のどこから与那国が見えるのかは分りません。私は一度台湾の基隆市を訪れたときに港まで行ってみたのですが曇っていたこともありまったく見えませんでした)

 ただ、私は台湾や香港から沖縄へデング熱が波及するのには少し時間がかかるのではないかと考えています。東南アジアから中国大陸は陸続きですし、中国大陸と台湾は目と鼻の先で、数多くのフェリーが運行しています。しかし、台湾と沖縄は、かつては人の行き来が相当盛んであったのにもかかわらず、現在は文化的に遮断されているとまでは言えないでしょうが、かつての交流が嘘のように社会的距離が遠のいています(注1)。

 台湾や香港、あるいは中国南部とのフェリーの行き来がほとんどない沖縄にデング熱が流行するのにはしばらく時間がかかると思われます。しかし、今年(2014年)に東京で流行したのと同じ理由で沖縄に感染者が出る可能性はありますし、沖縄で最も注意が必要な点は、ネッタイシマカが生息しうる気候であるということです。

 現在ネッタイシマカの生息地域はじわじわと東南アジアから北に上ってきており、すでにベトナムとの国境付近の中国や台湾でも生息が確認されています。もしもネッタイシマカが沖縄に上陸すれば一気に蔓延する可能性があります。実際、現在は沖縄にネッタイシマカはいないとされていますが、過去には報告もあったのです。そして、先にも述べたようにデング熱はヒトスジシマカよりもネッタイシマカで流行しやすいのです。

 さて、前置きが長くなりましたが、今回はここからが本題です。デング熱に注意が必要であることには変わらないのですが、私は今後日本人が蚊が媒介する感染症で最も注意しなければならないのはデング熱ではなくチクングニア熱(注2)ではないかと考えています。

『医療ニュース』「米国国内で蚊からチクングニアに感染」(2014年8月18日)でお伝えしましたように、現在フロリダではカリブ海由来のチクングニアが問題になっています。ちょうど日本のデング熱流行と同じように、カリブ海から渡航した人を元々フロリダにいた蚊が刺して、次に米国人に刺してウイルスが感染、というケースが考えられているそうです。

『医療ニュース』でも少し触れましたが、現在カリブ海ではチクングニア熱が極めて早いスピードで蔓延しています。この感染症は従来この地域になかったものです。1~2年前から広がったのではないかと言われていますが、チクングニア熱のカリブ海沿岸での正式な報告はつい最近、2013年の12月です。その後瞬く間に感染者の報告が増え、これまでにカリブ海沿岸の約50万人が感染したと言われています。この増殖のスピードはデング熱の比ではありません。

 チクングニアと聞くと、今はアジア方面によく旅行に行く人はガイドブックなどでも目にするでしょうが、そのアジアでもこれだけ有名になったのはつい最近のことです。チクングニアはアジア発症ではなくアフリカ由来の感染症です。私が医学部の学生時代にはチクングニア熱などという疾患名はほとんど聞きませんでしたが(アフリカにはもっと重要な感染症が山ほどあります)、チクングニアというこの”奇妙な”名前はタンザニア語で「折り曲げる」という意味だそうです。感染すると、関節痛がひどいために身体を”折り曲げて”歩くようになるからこのように命名されたのだそうです。そして、世界初のチクングニアの報告は1953年のタンザニアです。

 ちなみにタイでは初めてのチクングニアの報告は1958年ですが流行にはいたっていません。1995年に小さな流行がありましたが翌年には終息したそうです。ところが2009年に南部地方を中心に流行が起きその後は現在も感染者が増加する一方です。カリブ海沿岸諸国と同様、やはり流行のスピードには注目すべきです。2009年前半に2万人以上の報告が寄せられましたが、このときの首都バンコクでの報告は10人未満です。

 チクングニア熱について、最近ではマスコミの記事が散見されるようになってきましたが、どうも「デング熱と同じようなもの」というニュアンスで伝えられているような感じがします。しかし、これは一見正しいようで正しくありませんのでここで解説しておきたいと思います。

 まず、デング熱と似ているのは、ネッタイシマカとヒトスジシマカが媒介すること(注3)、蚊に刺されて比較的短期間で発症すること、ワクチンも特効薬もないこと、重症化することは少ないこと、などです。

 ここからは異なる点をあげたいと思います。

 まずは多くはありませんが「重症化」についてです。デング熱で重症化することがあるとすればデング出血熱を発症する場合ですが、これは2回目以降の感染時に前回とは別のタイプのデング熱ウイルスが感染した場合とされています。一方、チクングニア熱は、1回目の感染でも(頻度は多くありませんが)呼吸不全、心不全、髄膜脳炎、劇症肝炎、腎不全などが起こることがあり、さらに死亡例の報告もあります。

 次いで母子感染のリスクがあります。デング熱が母親から胎児に母子感染する例はあってもわずかとされていますが、チクングニア熱は母親から胎児への感染率は約50%とされています。(タイの英字新聞『The Nation』2009年7月1日) ちなみに、ウィキペディアでチクングニア熱を調べると「妊婦に対して悪影響はない」と書かれていました・・・。

「慢性化」があるということも知っておくべきでしょう。デング熱は高熱で苦しめられることはありますが、ほとんどは1週間程度で回復します。一方、チクングニア熱は、大半は急性症状を乗り越えれば治癒しますが、なかには1年以上症状が続くこともあり、関節痛がひどくて日常生活がまともに過ごせないこともあります。(チクングニアの名前の由来を思い出してください)

 最後に、これは先にも述べたことですが、感染力の強さというか蔓延のスピードをもう一度考えてみてください。カリブ海沿岸では正式な報告の第1号から半年ほどの間に約50万人が感染しているのです。チクングニアがいったん日本で流行しだすと2014年のデング熱騒ぎの比ではないかもしれません。

 蚊取り線香、虫除けスプレーやクリーム(DEET)、肌が弱い人はシトロネラ(レモングラスに似た植物です)、などは来年の夏から必需品になるかもしれません。ちなみに、蚊取り線香は日本製が世界で最も優れていると言われています。最近はマンションが増えたこともあり蚊取り線香を使う家屋が減っているかもしれませんが、マンションでも高層階でなければ蚊は出ます。

「日本の夏、〇〇〇〇〇の夏」というのは昔よく聞いた蚊取り線香のメーカーのキャッチコピーですが、今一度日本の”文化”を思い出し、「夏になれば蚊取り線香」という日本人の習慣を取り戻すべきかもしれません。

注1:「表の日本史」には出てきませんが、戦後しばらくの間、八重山諸島は台湾との密貿易で驚くほどの好景気に沸いた時代がありました。これがエスカレートし、沖縄の米軍基地から盗まれた最新の兵器が台湾に流れていることが発覚し、それまで大目に見ていた日米政府が厳しく取り締まるようになったと言われており、八重山諸島の好景気はわずか数年で幕を閉じたそうです。

注2:チクングニア(chikungunya)の日本語表記は、媒体により「チクングニア」であったり「チクングニヤ」であったりしており、このウェブサイトでもこれまではどちらを使ったこともありました。厚生労働省のサイトでは「チクングニア」とされているために、当院でも今後は「チクングニア」に統一したいと思います。

注3;ヒトスジシマカもネッタイシマカも日中にも活動します。一方、マラリアを媒介するハマダラカは夜間に活動します。このためなのか、私は以前、タンザニア方面に長期渡航するという患者さんから「蚊の対策は夜だけでいいですよね。日中は短パンでも問題ありませんよね」と言われたことがありますがこれは完全に誤りです。この患者さんにデング熱やチクングニアを媒介する蚊は昼間に活動すること、チクングニアの名前の由来はタンザニア語であることを伝えると大変驚かれていました。

参考:
医療ニュース「デング熱騒ぎで報道されない2つの重要なこと」(2014年9月5日) 
医療ニュース「米国国内で蚊からチクングニアに感染」(2014年8月18日)
はやりの病気第126回(2014年2月)「デング熱は日本で流行するか」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2014年8月20日 水曜日

第132回(2014年8月) エボラ出血熱の謎

 私は2014年8月1日から変形性頚椎症の治療(手術)目的でしばらくの間入院していたのですが、入院期間中も医学系の情報のみならず一般の新聞などにも目を通していました。座ってパソコンをしたり本を読んだりすることはできませんでしたが、寝たまま両腕を垂直に持ち上げてiPADを眺めることはできたため、インターネットで入手できる情報ならほとんど何でも読むことができました。手術が終わった後も、私の左上肢は力が入らずに、少し重たい茶碗などは持つのに不自由していたのですが、iPADを読めることで随分とストレスの軽減になりました。

 医療系の情報は毎日複数のサイトをチェックしました。海外だけでなく日本のサイトでもエボラ出血熱に関する情報が連日取り上げられており、関心の高さを示していました。

 今回はそのエボラ出血熱に対して、マスコミが言わないことをここで取り上げたいと思います。まずはこの大変やっかいな感染症について簡単におさらいをしておきましょう。

 といってもエボラ出血熱の患者さんを私は診察したことがありません。過去にかかったことがあるという人にもお目にかかったことがありません。数年前、海外で知り合ったバックパッカーのオーストラリア人が「アフリカで過去に感染して治った」というようなことを言っていましたが、旅先で聞くこのような話は大半が眉唾もので、私はその話を信用していません。

 私がエボラ出血熱という言葉を初めて聞いたのは医学部3回生のウイルス学の授業です。そのときあることを疑問に感じたのですが、それを解決することはできませんでした。その後、2000年代に入ってからも流行が起こり、比較的短期間で終息する度に、私が初めに抱いたこの「疑問」は大きくなってきています。この「疑問」について述べる前に、重症化する感染症に関する教科書的なポイントをまとめておきたいと思います。

 まず「出血熱」という言葉を確認しましょう。出血熱とは一言でいえば「全身から出血が起こり短期間で死に至る病」です。原因はウイルスで、感染すると短期間の間に、高熱と倦怠感に苛まれ、血小板が低下し、全身から出血が起こり死んでしまう、というわけです。今のところワクチンも治療方法もありません。

 出血熱にはいくつかありますが、次の4つがその代表と考えて差し支えありません。その4つとは、エボラ出血熱、マールブルグ熱、ラッサ熱、クリミア・コンゴ出血熱です。エボラ出血熱は、一応コウモリが宿主であると言われていますが、コウモリからだけ感染するのではなく、ヒトからヒトへの感染も簡単に起こりますから、特定の生物に気を付ければいいというものではありません。マールブルグ熱はサル、ラッサ熱はマストミスという齧歯類(ネズミの仲間)、クリミア・コンゴ出血熱はダニが宿主とされていますが、これらもエボラ出血熱と同様、ヒトからヒトへの感染が容易に起こります。

 出血熱と聞くと、日本人に最も馴染みのあるのはデング出血熱だと思いますが(馴染みがあるといっても国内で発症した例はありませんが)、デング出血熱はヒトからヒトへの感染はなく蚊からの感染に限られますし、またデング熱に一度かかった人が別のタイプのデング熱ウイルスに感染した場合に稀に発症するという程度なので、同じ「出血熱」という名がついても、エボラ出血熱を代表とする4つの出血熱とは分けて考えるべきです。

 エボラ出血熱が初めて報告されたのは1976年アフリカのスーダンです。この感染者の出身地の近くにある川がエボラ川という名前であることから、エボラ出血熱と命名されたと言われています。この第1号感染者から近くにいた者へ感染し、ヒトからヒトに容易に感染することが判りました。しかし、そのときは大流行にはいたりませんでした。

 その後、忘れた頃に、というか、数年に一度小さな流行が起こります。不思議なことに、感染力が強くヒトからヒトに容易にうつり、また有効な治療薬もなく、そして(失礼ですが)さほど衛生状態が良好とは言えないアフリカ諸国なのにも関わらず、大きな流行にはつながらないのです。

 21世紀に入ってから、エボラ出血熱は2008年にコンゴ民主共和国で、2012年にはウガンダで流行しましたが、報告された患者数は数十人程度で(ただし約半数は死亡しています)、おそらく日本ではほとんど報道されなかったと思います。

 今回の流行は、2013年の年末頃からギニア、シエラレオネ、リベリアといった西アフリカ諸国で流行が始まり、2014年4月の時点で感染者は150人以上、死亡者も100人を超えました。この頃から日本のマスコミでも報道が開始されるようになりました。その後も勢いが止まらず、1976年以降何度も繰り返されていた小流行とは様相が異なります。

 WHO(世界保健機関)の報告(注1)によりますと、2014年8月13日までに感染者数(疑い例を含む)が2,127名、うち死亡者が1,145名で、死亡率は54%になります。西アフリカのギニア、シエラレオネ、リベリアでは「非常事態宣言」がすでに発令されており、さらに、これら3つの国で最も東のリベリアから1,000km以上も東に位置するナイジェリアでも感染者が報告され、同国大統領は非常事態宣言を発令しました。また、WHOは、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」であると公式に宣言するにいたりました。

 我々医療従事者にとってショックなのは、米国人の医療従事者が感染したということです。このため、米国途上国支援団体の平和部隊は西アフリカからのボランティアの撤退を決議し、CDC(米国疾病予防管理センター)はついに渡航自粛勧告をおこないました。WHOが緊急事態宣言をおこない、CDCは渡航自粛勧告をおこなったわけです。これは人類にとって極めて危機的な状態だと考えるべきです(注2)。

 さて、ここで疑問が出てこないでしょうか。西アフリカの医療機関での衛生状態がいかに劣悪だとしても、国境なき医師団を初め、世界中から医療ボランティアが集まっているのです。彼(女)らは、先進国の医療用具を持参してきていますし、何よりも感染予防の「知識」があるはずです。にもかかわらずアメリカ人の医療従事者は院内感染をおこしたのです。そして、エボラ出血熱はヒトからヒトへの体液などを通しての感染はあるものの空気感染は「ない」とされています。

 なぜ感染がこれだけ一気に広がり、医療者にも感染したのでしょうか。推測の域を出ませんが、私は「飛沫感染」により感染しているのではないかとみています。「空気感染」と「飛沫感染」は似ているようで異なります。わかりやすくいえば「空気感染」とはウイルスが”乾いた”空気にも含まれており、例えていえば「同じ教室にいるだけでおこりうる感染」です。代表的なものに麻疹(はしか)や水痘(みずぼうそう)があります。

 一方、飛沫感染というのは患者のくしゃみや咳に含まれている病原体が感染することをいいます。患者からエボラ出血熱に感染したアメリカ人の医療者は、患者に直接触れてはおらず、マスクやゴーグルはしていたと思いますが、咳やくしゃみから感染したのではないでしょうか。マスクをしているのに感染?と思う人もいるでしょうが、N95を代表とする微小な粒子をブロックできるマスクというのは、適切に顔面にフィットさせるのは意外にむつかしくきちんと装着できていないことが多いのです。

 さて、先に述べたエボラ出血熱に関する私の「疑問」について述べたいと思います。それは、これだけ感染力が強いのにもかかわらず過去に何度かおこった流行は、なぜ小規模に留まり大流行につながらなかったのか、ということです。感染力がこれだけ強く、治療薬はないのです。にもかかわらず、これまでの流行は数十人に感染し半数が死亡した後に、”自然に”終息したのはなぜなのでしょう。

 私のイメージで言えば、まるでウイルスに”意思”があり、「今回はこれくらいにしといたるわ」といった感じでウイルス側が暴れるのをやめているように思えるのです。もちろん、私はこのようなウイルスの”意思”を真剣に考えているわけではなく、一昔前のSF小説にあるような、誰かが(秘密の組織が)殺人ウイルスをばらまいている、といったことを考えているわけでもありません。

 今回の大流行を終焉させるための、そして今後再び流行させないための鍵は、ワクチンや薬の開発よりもむしろ、なぜこれまでは何度も繰り返してきた流行は治療法がないのにもかかわらず突然おさまったのか、を先に解明してくことではないかと私は考えています。

注1:WHOのこの報告は下記を参照ください。
http://www.afro.who.int/en/clusters-a-programmes/dpc/epidemic-a-pandemic-alert-and-response/outbreak-news/4256-ebola-virus-disease-west-africa-15-august-2014.html

注2:離れている国は渡航を自粛、さらに「禁止」するという方法があるかもしれません。日本のような島国では空港と港で厳重なチェックをすれば感染者の入国を未然に防げるでしょう。しかし陸続きの国ではそうはいきません。すべての道を封鎖すればいいではないか、と思う人もいるでしょうが、アフリカという土地は(私も聞いた話で直接見たわけではありませんが)、現地の人は必ずしもわかりやすい「道」を移動するわけではなく外国の人間からは考えられないような山や荒地を超えていくそうです。また、ナイジェリアですでに感染者が報告され非常事態宣言がおこなわれているということは、リベリアとナイジェリアの間にあるコートジボワール、ガーナ、トーゴ、ベナンでも正式な報告がないだけで感染者は存在すると考えるべきでしょう。もしも今後アフリカ北部にまで広がるようなことがあれば世界中に広がる可能性もなくはないと私は考えています。

参考:
厚生労働省のエボラ出血熱に関するページ
http://www.forth.go.jp/useful/infectious/name/name48.html

厚生労働省検疫所FORTHのエボラ出血熱に関するページ
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/ebola_qa.html

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2014年7月22日 火曜日

第131回(2014年7月) 認知症について最近わかってきたこと

   認知症は多くの人にとって他人事ではないでしょう。なにしろ80歳以上の4分の1がアルツハイマーに罹患することが分かっているわけです。そして認知症はアルツハイマーだけではありません。脳血管性のものや他のものも含めると80歳で何らかの認知症に罹患している割合は50%を超えるとも言われているのです。

 80歳になれば2人に1人は認知症、などと聞けばよほど楽天的な人でも心配になるに違いありません。また、認知症は自分が罹患することを避けたいのはもちろんですが、家族が認知症を患っても大変です。実際、働き盛りの20代、30代の人たちが、親の介護のために仕事を辞めなければならない、ということはそう珍しくありません。

 例えば私が最近知った事例では、20代後半のある非正規社員の男性が仕事を辞めて母親の介護に専念することになりました。60代前半という若さで認知症を患った母親には家族の介護が必要であり、現在50代後半の父親の収入の方が高いという理由で、収入の低いこの若い男性が仕事を辞めることになったというのです。

 両親が認知症になっても大変ですし、配偶者がそうなった場合もかなり大変です。もちろん自分自身が認知症を患うこともなんとしても避けたいものです。しかし、80歳になると半数以上が認知症などと聞くと、絶望的な気分になってきます・・・。

 治療法があれば救われますが、現在4種の薬があるとはいえ、すべての症例に有効というわけではなく、そもそも使用開始するタイミングが遅ければ効果は期待できません。また高いエビデンスのある(科学的確証のある)予防法も現時点ではあるとは言えません。

 ではどうすればいいのでしょうか。今回は認知症に関する最近の見解をまとめてみたいと思います。

 まず、認知症を整理しましょう。認知症を分類すると、①アルツハイマー、②脳血管性、③その他、の3つになります。頻度としては①が最多で②がその次で③は少数です。今回は③については述べません。

 ②の血管性は脳梗塞や脳出血が原因である場合が多く、これらを予防していくのが効果的です。つまり、基本的には生活習慣病を予防することが結果として認知症の予防にもなるというわけです。現在喫煙していたり肥満があったりしている人の中で「病気になって早死にしてもかまわない」と考えている人がいるとすれば、「では早死にするのではなく認知症になってもいいのか」ということを考え直すべきです。

 問題は①のアルツハイマー型認知症です。認知症のなかで最多で、この傾向は年々顕著になってきています。そして、アルツハイマーは現在のところ、早期発見する方法が確立されていませんし、劇的に効く薬があるとは言えないのです。また、予防法も確立しているとはいえません。とはいえ、最近は少しずつ検査法、予防法についても研究が増えてきているので今回はそういったことを紹介したいと思います。

 まず、アルツハイマーを早期に知る方法として、実用化が現実になるかもしれない検査法について発表がおこなわれました。BBCによると、英国オックスフォード大学の研究チームがアルツハイマーの早期発見が可能な血液検査の方法を開発したそうです。研究チームは千人以上を対象にした研究で、1年以内にアルツハイマー病を発症するかどうかを87%の確率で推測できたそうです(注1)。

 87%の確率で推測できる、というのはものすごく画期的な検査です。現在使われているアルツハイマーの薬はどれも早期で使用しなければあまり意味がありません。しかし、適切なタイミングで使用すれば発症を大きく遅らせることも可能です。ということは、例えば60歳になれば国民全員がこの血液検査を受けるようにして、アルツハイマーになることが予想される人に対して薬を予防的に使用するということが可能になります。(しかし、これを実際に実行するとなると莫大な費用がかかります・・・)

 この検査が実用化されることになったとしても当分先になると思いますが、既存の検査でもある程度認知症のなりやすさを知ることができる、とする研究もあり、これは日本のものです。2014年7月14日の読売新聞(オンライン版)によりますと、東京都健康長寿医療センター研究所が、「健診の赤血球数、HDLコレステロール(善玉コレステロール)、アルブミンの3つが低いと認知機能の低下が2~3倍起きやすい」という研究結果をまとめたそうです。新聞記事からは、これら3つの項目がどの程度低ければどの程度認知症のリスクになるのか詳細が分からないのですが、同誌によれば、近いうちに医学誌に掲載される予定とのことなのでそちらを待ちたいと思います。

 ここからは予防についての研究を紹介していきたいと思います。まずは、やってはいけないこと、をみていきましょう。

 ひとつめはタバコです。私の知る限り、喫煙がアルツハイマーのリスクになるとした大規模研究はないのですが、「喫煙で認知症のリスクが2倍になる」という研究が日本で最近発表されました。2014年6月14日に開催された日本老年医学学会で発表されたそうです。研究者は、1988年に健康診断を受けた65歳以上で認知症がない712人(当時の平均年齢72歳)を対象とし、15年間追跡調査をおこない、202人が認知症と診断されたそうです。喫煙者と非喫煙者にわけて解析すると喫煙者のリスクが2倍になったそうです。ただし、これは認知症全体であり、アルツハイマーだけではありません。血管性の認知症は動脈硬化が誘因となりますから、喫煙者に認知症が多いのは当たり前といえば当たり前です。可能なら、認知症全体ではなく、アルツハイマーと喫煙の関係を解析してもらいたいものです。

 次は、ベンゾジアゼピン系薬剤です。医学誌『British Medical Journal』2012年9月27日号(オンライン版)にフランスの研究者による論文(注2)が掲載されています。平均年齢78.2歳の男女1,063人を15年間追跡調査した研究により、ベンゾジアゼピン系薬剤を使用しているとおよそ50%認知症のリスクが上昇することがわかったそうです。ベンゾジアゼピン系薬剤というのは、多くの睡眠薬や抗不安薬(日本では「安定剤」という名目で処方されることが多い)を差します。しかし、この論文が少し残念なのは先ほどの日本の研究と同様、アルツハイマー単独のリスクが検討されていないことです。

 アルツハイマーのリスクを上昇させるという研究に殺虫剤があります。医学誌『JAMA neurology』2014年3月1日号(オンライン版)に米国人の研究が掲載されています(注3)。殺虫剤に使われるジクロロジフェニルトリクロロエタン(DDT)という物質があるのですが、これが体内に取り込まれるとジクロロジフェニルジクロロエチレン(DDE)という物質に代謝されます。そしてアルツハイマーの患者ではこの物質の濃度が上昇していることが分かったそうです。さらに、特定の遺伝子「APOEε4アレル」を保有する例でDDEの濃度上昇がより強くみられることが分かったそうです。この研究はアルツハイマーの症例が86例で、対照(コントロール)が79例と、対象とされた症例は比較的少数ではありますが、クリアカットに結論が導かれていますから、今後重要視されていくと思われます。あらかじめ「APOEε4アレル」という特定の遺伝子を持っているかどうかを調べて、もしも持っていれば都心の高層マンションなど殺虫剤を使わなくても生活できるところに引っ越しするという選択ができるからです。

 他人を信用しないひねくれ者(cynical distrust)は認知症になりやすい・・・。このような研究もあります。医学誌『Neurology』2014年5月28日号(オンライン版)にフィンランド人の研究が掲載されています(注4)。1997年に65~79歳(平均71.3歳)の合計1,146人を対象として、cynical distrust(注5)の強弱と認知症との関係が調べられています。その結果、cynical distrustの傾向が強い人はそうでない人に比べて認知症のリスクが3倍になることが分かったそうです。しかし死亡率には影響がなかったようです。
 
 ここからは、アルツハイマーを含む認知症の予防になるかもしれない、という研究を紹介していきたいと思いますが、まずは残念な研究から・・・。
 
 EPA(エイコサペンタエン酸 )やDHA(ドコサヘキサエン酸)といったω3系不飽和脂肪酸が認知症を予防するのではないか、ということが以前から期待されていたのですが、残念なことに予防効果はなかったという研究が発表されました。医学誌『Neurology』2013年9月25日号(オンライン版)に掲載された論文(注6)によりますと、米国の女性を対象とした大規模研究WHISCA(Women’s Health Initiative Study of Cognitive Aging)に登録されている2,157人の血液中のDHA及びEPA濃度を測定し認知機能との関係を調べています。その結果、これらω3不飽和脂肪酸の濃度と認知症には相関関係がなかったそうです。

 ここからは期待のもてる研究の紹介です。

 緑茶を毎日飲む人は、まったく飲まない人に比べて認知症のリスクが大きく減少する・・・。これは金沢大学の研究者らによる研究で、医学誌『PLoS One』2014年5月14日(オンライン版)(注7)に掲載されています。研究では、緑茶をまったく飲まないグループを基準とすると、毎日緑茶を飲むグループのオッズ比が0.26(起こりやすさが0.26倍)だったそうです。コーヒーや紅茶では認知症を予防するという結果は認められなかったそうです。オッズ比が0.26というのはにわかには信じがたいような数字ですが、これが事実なら今後世界中で緑茶ブームが起こるでしょう。

 次いでもうひとつ日本の研究を。日本の有名な疫学研究に久山町研究というものがあります。これは、福岡市に隣接した糟屋郡久山町(人口約8,400人)の住民を対象に脳卒中、心血管疾患などの疫学調査を1961年から行っている研究なのですが、この研究で、牛乳・乳製品を多く摂るほど認知症リスクが低下する、という結果がでたそうです。医学誌『Journal of the American Geriatrics Society』2014年6月10日号(オンライン版)に掲載されています(注8)。

 この結果が意外なのは、世界的には乳製品というのは高脂肪であることから敬遠される傾向にあり、認知症の予防も含めて健康食として何かと取り上げられることの多い地中海料理では牛乳や乳製品はあまり使われないからです。従来高脂肪食をあまり摂らない日本人には当てはまる研究、言い換えると、伝統的な日本食を摂っている人では乳製品が認知症の予防になるということかもしれません。

 因果関係が証明されているわけではありませんが、認知症の予防としては地中海料理が有効であろうというのが世界的な流れです。医学誌『Epidemiology』2013年7月号(オンライン版)には、英国の研究者による研究が報告されています(注9)。解析の結果、地中海料理を摂取する人ほど、脳機能が良好で、精神機能の低下が起こりにくく、アルツハイマーのリスクも低いことが示唆されたそうです。

 他にも認知症に関連する細かい研究はいろいろとあるのですが挙げていけばきりがありません。今回紹介したもの以外では、やはり運動が有効とする研究が目立ちます。アルツハイマーを含めた認知症を完全に予防する方法はありませんが、禁煙、規則正しい生活、適度な運動、栄養のある食事、素直な性格、勤勉(語学の勉強が有用という研究が複数あります。下記医療ニュースも参照ください)などを心がけるというのが現時点での現実的な予防法ではないでしょうか。

注1:このニュースは日本のマスコミではほとんど報じられていないようですが、BBCでは大きくとりあげています。2014年7月8日付けの記事のタイトルは「Alzheimer’s research in ‘major step’ towards blood test」です。詳しくは下記URLを参照ください。
http://www.bbc.com/news/health-28205680

注2:この論文のタイトルは「Benzodiazepine use and risk of dementia: prospective population based study」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.bmj.com/content/345/bmj.e6231.abstract?sid=d1661398-c316-4fcf-8aa8-33e2d43bf2ad

注3:この論文のタイトルは「Elevated Serum Pesticide Levels and Risk for Alzheimer Disease」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://archneur.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=1816015&resultClick=3

注4:この論文のタイトルは「Late-life cynical distrust, risk of incident dementia, and mortality in a population-based cohort」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.neurology.org/content/82/24/2205.short?sid=6891352b-980a-4a67-ac58-70841f6dcc11

注5:cynical distrustは、さしあたり、「いつも皮肉を言い、他人を信用せず、バカにするようなひねくれ者」というイメージだと思います。この性格の程度を測定する「Cook-Medley Scale」という質問票があるのですが、日本ではあまり使われていないと思われます。少なくとも実際の臨床でこの質問票を用いている医療機関や医師を私は知りません。

注6:この論文のタイトルは「Omega-3 fatty acids and domain-specific cognitive aging」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.neurology.org/content/81/17/1484.short?sid=4a5f0dc4-7abc-46d5-b8ba-2f7f3d63a842

注7:この論文のタイトルは「Consumption of Green Tea, but Not Black Tea or Coffee, Is Associated with Reduced Risk of Cognitive Decline」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0096013

注8:この論文のタイトルは「Milk and Dairy Consumption and Risk of Dementia in an Elderly Japanese Population: The Hisayama Study」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/jgs.12887/abstract?deniedAccessCustomisedMessage=&userIsAuthenticated=false

注9:この論文のタイトルは「Mediterranean Diet, Cognitive Function, and Dementia: A Systematic Review」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://journals.lww.com/epidem/Abstract/2013/07000/Mediterranean_Diet,_Cognitive_Function,_and.1.aspx

参考:
はやりの病気第95回(2011年7月)「アルツハイマーにどのように向き合うべきか」
医療ニュース2014年6月30日「今からでも語学を勉強すれば老化の予防に」

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2014年6月20日 金曜日

第130回 渡航者は狂犬病のワクチンを 2014/6/20

  私が代表をつとめるNPO法人GINA(ジーナ)は、現在主にタイのエイズ施設やエイズ孤児の支援をおこなっていますが、タイのエイズに関する日本のいくつかの団体も支援しています。そのひとつの団体が発行する機関誌に興味深い体験談が載っていました。

 体験談を書いたのはある男子大学生で、タイ北部でのボランティアに志願し現地に行ったそうです。そしてイヌに咬まれて病院に行き、破傷風と狂犬病のワクチンを接種したそうです。この体験談からは緊迫感が伝わってこずに、むしろ自分の失敗談をおもしろく語っている、というような印象を受けたのですが、私はこれは問題だと感じています。

 後から、この団体の幹部クラスの人から、その後この大学生は何の問題もなく暮らしている、ということを聞き安心しましたが、そもそもワクチンを接種しないで現地に行っていること自体が問題です。

 たしかに狂犬病はイヌに咬まれてからでも速やかにワクチン接種をおこなえば助かる病気ではあります。しかし対応が遅れて発症すると(ほぼ)100%死に至ります。

 以前、たしか医療者(だったと思います)が書いた何かの雑誌に掲載されていた文章に「狂犬病を発症して助かった者は世界中で4人しかいない」というものがあり、私自身も何度か「世界で4人」という話を聞いたことがあるのですが、どうもこの情報は疑わしく、私は今ではこれは一種の都市伝説ではないかとみています。

 というのも、きちんとした論文で、狂犬病を発症して助かった症例というのを見たことがありませんし、「●●●(例えばプノンペンやバラナシといったバックパッカーが大勢たまっているところ)で知り合った日本人がすごいヤツで、アフリカで狂犬病を発症して1ヶ月意識がなかったけれど助かったらしい。狂犬病で助かったのは世界で4人しかいないそうだ」という話を、日本人のバックパッカーから何度か聞いたことがあるからです。もしもこの「アフリカで狂犬病を発症して助かった日本人」が同じ人物なら納得いきますが、その日本人の情報がときには東京出身であったり九州出身であったり、また年齢も様々で到底同じ人物とは思えないのです。それに医療者からならまだしも、バックパッカーたちから次々と「世界で4人・・・」と聞くと、正直に言うとこの情報を信用しにくいのです。というわけで、私はこの「世界で4人が助かった」という話も現在は都市伝説に過ぎないのではないかとみています。

 話を戻しましょう。狂犬病は絶対に発症させてはいけない感染症であり、最善の対策はワクチン接種です。ワクチン接種をしていない場合は、「咬まれたら直ちに医療機関を受診してそこでワクチン接種」ということになります。狂犬病(と破傷風)は例外的に病原体が感染してからでも間に合う可能性のあるワクチンなのです。ワクチンのことについては最後にもう一度確認するとして、まず発症するとどのような転帰をたどるかについて述べておきます。

 といっても私は狂犬病の患者さんをこれまでひとりも診察したことがありません。教科書には、水を怖がる、幻覚をみる、興奮・精神錯乱などの症状が生じ、最終的には昏睡し死に至る、となっています。日本で医療をしている限り、よほどのことがない限りは狂犬病の患者さんを診る機会はないだろう、と考えていたのですが、先日ある学会で貴重なビデオを見ることができました。

 これは1950年に当時の厚生省が作成したもので、当時4歳の男の子が狂犬病で入院して死に至るまでの経過がビデオカメラにおさめられています。今の時代であればプライバシーの観点からこのようなビデオが作られることはないでしょうし、仮にあったとしても表情をぼかすなどの措置がとられることになると思いますが、当時はそのような配慮はなされておらず表情もそのままうつっています。

 入院したばかりの頃は子どもらしい笑顔でベッドに座りとても愛くるしい顔をしています。それが日がたつにつれて落ち着きをなくしていきます。教科書には「水を怖がる」と書かれていますから、水から逃げるのかと思いきや、そうではなく、カップの水を求めます。水を飲まなければ生きられませんからそれは当然でしょう。しかし水を口に含むと興奮を抑えられない不可解な行動をとりだします。その後けいれんを繰り返し、最後には死に至ります(注1)。

 現在では狂犬病というと、外国の病気、というイメージが強いのかもしれませんが、このビデオがつくられたのは1950年ですし、その後の国内での発症もあります。ここで日本の狂犬病の歴史を振り返っておきましょう。

 日本に古来からあったのかどうかは不明です。18世紀前半には狂犬病と思われる感染症が広がったとする記録があるそうです。どれだけ正確に報告されているか、という問題はありますが、狂犬病のピークは1920年代のようで、1925年には年間2千件以上の報告があったそうです。1920年代後半から減少傾向となり、先に紹介したビデオがつくられた1950年には狂犬病予防法が施行され、飼い犬の登録と(飼い犬への)ワクチン接種が義務化され、さらに野犬の駆除が徹底化され、1956年以降国内感染の報告はありません。

 何かと批判されがちな日本の行政ですが、この成績は立派です。日本に住んでいると、日本という国は対応が遅くて、感染症でいえば、なぜ海外では標準のワクチンが日本では入手すらできないのか、ということが指摘されますし、私自身もしばしば感じることですが、この狂犬病の対策に関しては見事だと思います。もちろん厚生省だけでなく、地域の保健所や獣医師会、そして国民ひとりひとりの協力があってこそですが、それでもこれだけの業績をこれだけ短期間で達成した国というのはおそらく他にはないでしょう。ちなみに、現在でも狂犬病のない国(輸入例は除きます)は(人口数万人以下の島国などを除けば)日本とイギリスくらいではないかと思われます。

 話を戻してその後の狂犬病の歴史をみていくと、1970年にネパールを旅行中の日本人が現地でイヌに咬まれ帰国後に発症し死亡しています。その後はまったく報告がなかったのですが2006年に60代の日本人男性2名が立て続けにフィリピンでイヌに咬まれて狂犬病を発症しました。このときは少し話題になりましたが、その後マスコミなどで狂犬病が取り上げられることはほとんどありません。

 さて、狂犬病の対策ですが、これはワクチン以外にはありません。狂犬病は発症すれば(ほぼ)100%死亡しますが、ワクチンを接種しておけばこれまた(ほぼ)100%防げる感染症なのです。ワクチンは事前に接種しておくべきですが、イヌに咬まれてからでも間に合います。

 しかし、これを過信してはいけません。先に紹介した北タイでイヌに咬まれた男子大学生は現地の医療機関を速やかに受診できたことで事なきをえましたが、もしもこの大学生が少数民族への支援をおこなうために国境付近の山奥に訪れていた場合はどうなったでしょうか。もちろんそんなところに医療機関はありません。もしも、複数箇所咬まれており痛みが強くて移動しにくいような場合、山を越すのは容易ではありません。

 海外に支援に行こうという若い人たちを怖がらせるようなことはしたくはないのですが、必要最低限の対策はおこなわなければなりません(注2)。また、狂犬病は日本人の支援が必要なへき地にのみ存在するわけではありません。実際、タイでは北タイや東北地方(イサーン地方)よりもむしろバンコクを含む中心部や南部の方で発生が多いのです。

 先進国でも起こりうるのが狂犬病です。そして気をつけなければならないのはイヌだけではないということです。かつての日本を含むアジアではイヌからの発症が大半を占める、というだけで、実際にはコウモリやキツネ、ネコ、アライグマなどからも感染します。

 海外で何かトラブルがあったとき、大使館が助けてくれるわけではありません。自分の身は自分で守らなくてはなりません。狂犬病のワクチン接種をお忘れなく・・・(注3)
 

注1:このビデオはもちろん一般には公開されていません。しかしこの男の子の写真が載ったポスターが厚労省によってつくられています。「私たちは君を忘れない」というタイトルで下記のURLで閲覧することができます。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/pdf/poster02.pdf

注2:海外(特にタイ)にボランティアに行く場合の注意点はNPO法人GINAのサイトに掲載しているコラムが参考になるかと思います。興味のある方は下記を参照ください。
GINAと共に第92回(2014年2月号)「無防備なボランティアたち」

注3:ただし狂犬病ワクチンは慢性的に供給不足となっており、希望すれば誰でも接種できるわけではありません。太融寺町谷口医院では、接種の優先順位を考えて、留学やボランティア、海外駐在や出張に行かれる人(会社の産業医に接種してもらえない場合)を優先しています。短期の旅行やバックパッカーはお断りすることもあるのが現状です。(へき地を好んで訪れるバックパッカーはリスクが高いのは事実ですが・・・)

しかし行政も狂犬病ワクチンが慢性的に不足しているこの事態を手をこまねいてみているわけではありません。日本製ワクチンの製造が間に合わないなら、海外製品を輸入すれば済む話です。まだ本決まりではありませんが、現在ヨーロッパのある製薬会社が作成している狂犬病ワクチンの認可が申請されているようです。

参考:はやりの病気第40回「狂犬病」

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2014年5月20日 火曜日

第129回(2014年5月) さっさとダニをやっつけよう

 ダニにはいろんなタイプがあって、吸い込んで鼻水が出るものから刺されて死亡するものまであり、「ダニ」という言葉で思い浮かべる病気は人それぞれで、対策はダニの種類によってまったく異なる、ということを以前紹介しました。(詳しくは過去のコラム「ダニほど誤解だらけの生物はいない」を参照ください)

 今回は「ダニ」を徹底的にやっつけて予防していく方法を紹介したいのですが、今回ターゲットにしている「ダニ」はヤケヒョウヒダニやコナヒョウヒダニと命名されている「ヒョウヒダニ」です。さらに「ハウスダスト」もほぼ同じものと考えて差し支えありません。

 下記コラムでも述べましたが、ヒョウヒダニの糞や死骸がハウスダストの原因物質となります。またホコリの一部はハウスダストです。つまり、「ヒョウヒダニ(ヤケヒョウヒダニ、コナヒョウヒダニ)≒ハウスダスト≦ホコリ」と便宜上考えて問題はありません。言葉が増えるとややこしくなりますから、ここからは「ヒョウヒダニ」で統一したいと思います。(「ハウスダスト」とすべきかもしれませんが、厳密にはハウスダストには細菌や人間の皮膚も含まれますし、後に述べる「防ダニグッズ」は「防ハウスダストグッズ」とは呼びませんので、今回のコラムでは「ヒョウヒダニ」に統一します)

 まず押さえておきたいのは、ヒョウヒダニはどのような家にも必ず発生するものであり、完全に死滅させてそれを維持することは不可能、ということです。古い家屋に住み着いているネズミは駆除することが可能ですし、マンションのある程度の高層フロアであればゴキブリの発症をなくすことはできると思います。しかし、ヒョウヒダニは人が住んでいる環境であれば完全にゼロにすることはできません。

 しかし発症を抑えていくことは可能ですし、また、あなたやあなたの家族の持っている疾患や体質によっては徹底的に防いでいかなければなりません。どのような疾患や体質かというと、アレルギー疾患、具体的には、喘息(咳喘息含む)、アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎・結膜炎などです。

 ダニ(ヒョウヒダニ)の対策って本当に大切なの?と聞かれることがありますし、ダニ対策に躍起になり治療を怠れば本末転倒になりますが、ダニ対策は大変重要です。以前私がみたアトピーの患者さんで「ステロイドを一切使わずに高額な布団だけで治そうとして破産しかけた」という人がいました。ここは大切なところなので強調しておきたいのですが、ダニ対策だけでアレルギー疾患、特にアトピー性皮膚炎が治ることは(ほぼ)ありません。しかし、再発や病状の悪化を防ぐためにダニ対策は絶対に必要なのです。

 ちなみに、1歳時にヒョウヒダニに多くさらされると11歳時に喘息を発症しやすい、とする研究や、3歳までにネコやハウスダストにさらされると呼吸機能低下をきたしやすい、という研究があります。また、経験的にダニの量が多いと喘息が悪化するのは自明ですし、防ダニ枕カバーで喘息の吸入ステロイドの使用量が減少した、という報告もあります。

 ではここからは具体的な対策について述べていきたいと思います。

 まずは「部屋をきれいにする」ということで、当たり前じゃないの?と言われそうですが、「部屋はきれいにしています」と言う患者さんに詳しく話を聞いてみると、毎日のように掃除機をかけるという人もいれば、月に一度しか掃除機を使っていないのに「きれいです」と答える人もいます。「空気の入れ換えをしていますか」と聞くと、これまた「きれいです」と言う人でも毎日入れ替えをしている、という人から「気が向いたときにしかしていない」という人もいます。

 では、どれくらいの割合で掃除をし、窓を開けて空気の入れ換えをすればいいのか、という疑問がでてきますが、これはケースバイケースで「正解」はありません。お子さんがコントロール不良の気管支喘息があるような場合は、可能な限り毎日でも掃除をすべきでしょう。喘息があり、さらにネコを飼っているような場合はなおさらです。このようなケースでは、ネコは飼わないに超したことはありませんが、現在一緒に暮らしているネコと離ればなれになるのは無理、という人も多いでしょう。

 すべての人がまず検討すべきなのは「床はフローリングにする」ということです。わざわざ、フローリングの上にカーペットや絨毯を敷いている人がいますが、これではヒョウヒダニに「繁殖してください」と言っているようなものです。フローリングにしていてももちろんヒョウヒダニは発生しますから掃除は必要です。このときに注意したいのは、掃除のときにヒョウヒダニやヒョウヒダニの糞が空中に舞う、ということです。ですから、子どもが喘息やアトピーがある場合は、掃除は子どものいない時間帯におこない、あなたがアレルギー疾患を有している場合は、他の誰かに掃除を替わってもらうべきです。

 しかし、家族全員にアレルギーがある、という場合や、専業主婦でアレルギーを持っている人が毎回夫に掃除を替わってもらう、というのは無理な話でしょう。家政婦を雇ったり、プロの業者に毎回来てもらったり、というのも現実的ではないでしょう。

 そこで掃除の仕方を工夫していく必要があります。まずマスクは必携です。そして窓を開けて換気をよくしましょう。ただし、季節によっては花粉や黄砂が部屋に入ってこないかどうかに注意しなければなりません。換気をした結果が、布団を花粉まみれにした、ということになれば本末転倒です。したがって、花粉や黄砂、さらにPM2.5などを考慮すると、窓を開けるべきではない、ということになります。しかし、窓を閉め切って掃除をすると全身にハウスダストを大量にあびることになります。ですから、空気清浄機が必要ということになります。

 ここ数十年でアレルギー疾患が激増しているのは間違いなく、その原因はいろいろと指摘されています。スギ花粉が増えたことは間違いありませんし、いきすぎた清潔志向が原因と言われることもあります。また一部の学者は寄生虫感染がなくなったことを指摘しています。これらは私自身も正しいと考えていますが、もうひとつ指摘しておきたいのは家屋の形態が変わってしまった、ということです。

 昔の日本の典型的な家屋、つまり縁側があって動物が庭で飼われていた(勝手に住み着いていた)ような家屋であればアレルギーが発症しにくいのです。通気性にすぐれていますし、適度にクモなどのダニを食べてくれる生物がいます。ネコやイヌも室内で飼うと多量の抗原(アレルギーの元)にさらされることになりますが、外で飼っている分にはさほど問題になりません。アレルギーがあるから昔ながらの日本式家屋に引っ越すというのは現実的ではありませんが(日本式家屋は大量に増えた花粉には不向きかもしれません)、マンションと日本式家屋の構造的な違いを考えてみることには意味があるでしょう。

 話をヒョウヒダニに戻しましょう。フローリングにして、マメに掃除をして、換気をする(もしくは空気清浄機を用いる)、というところまで話をしました。次に見直すのはダニが潜んでいるものが室内にないか、ということです。よくあるのが布製のソファやぬいぐるみです。ぬいぐるみを捨てることはできないでしょうが、少なくとも寝室には置くべきではありません。もちろん衣服を積み上げて放置すればそこがダニの溜まり場になるのは時間の問題です。

 そして最もダニが生息しやすいのは布団と枕です。枕については、一番簡単なのは枕を使わずに毎日洗い立てのタオルを重ねて枕代わりにする、という方法です。それでは熟睡できないという人は防ダニ枕カバーを使用するのがいいでしょう。布団については一番おすすめなのは防ダニ布団を使うということです。値段が高すぎて・・・、という人は防ダニシーツを検討すればいいと思います(注1)。

 布団の手入れについては、防ダニシーツや防ダニ布団のメーカーに相談するのがいいと思いますが、ここでは一般論について述べておきます。まず、布団の丸洗いは大変有効です。このときに可能であれば60度以上の熱水を使いましょう。あるいは(お金はかかりますが)クリーニングに出すのも有効です。クリーニング屋に防ダニ対策も頼んでおくと、熱水での洗浄、もしくは熱風での乾燥をしてくれます。布団乾燥機を使うなら、布団の中に入れるタイプではなく、布団全体を包み込むタイプのものが有効です。50度で20分が基準と言われています。

 こうしてみてみると、ダニ対策というのはかなり大変です。時間もお金もかかります。「こんなことできるはずない!」と感じる人もいるかもしれません。そういう人におすすめなのは「転地療法」です。転地療法とは、アレルゲンが少ない地域、もっと簡単にいえば「環境のいいところ」に引っ越してしまうという”治療”です。例えば、喘息やアトピーに悩んでいる人の多くは、ハワイのコンドミニアムで3ヶ月も過ごせばかなりよくなるはずです。あるいはタイの東北地方(イサーン地方)やラオスに行っても多くの人は改善するでしょう。

 しかし、そのようなことを実際に実行できる人はほとんどいないでしょう。ということはある程度の時間とお金を費やしてダニ対策をするしか方法はないわけです。面倒くさい、と感じる人は、将来ハワイのコンドミニアムに居住することを夢にして、ハワイでくつろいでいる自分の将来の姿を空想しながら取り組んでみてはいかがでしょう・・・。

注1:念のために断っておくと、私はどこかの防ダニグッズメーカーから供与を受けているわけではありませんし、特定の会社を推薦しているわけでもありません。しかし、診察室で患者さんから質問を受けたときは、ヤマセイ株式会社を紹介することがあります。同社は私が所属している日本皮膚科学会、日本アレルギー学会の双方が賛助会員にもなっています。興味のある方は下記を参照ください。
http://www.drdanizerock.com/product/hq-futonset.html

 

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2014年4月21日 月曜日

第128回 混乱する高血圧の基準 2014/4/21

 2014年4月1日、日本高血圧学会は5年ぶりに高血圧のガイドラインを改定し「高血圧治療ガイドライン(GL)2014(JSH2014)」という名称で発表しました。改定のポイントはいくつかあるのですが、血圧を下げる努力目標である降圧目標の「若年・中年者高血圧」が130/85mmHgから140/90mmHgとされたことは注目に値するでしょう。

 今月になってから「血圧の基準、変わったんですよね」と言って受診される患者さんが増えています。

 最近はマスコミやインターネットから病気の情報を積極的に入手する人が増えてきておりこれは好ましいことであります。学会が発表するガイドラインというのは大変複雑であり簡単には理解しづらいのですが、それでも情報入手に努めるのは大変立派なことだと思います。

 しかし、です。「血圧の基準、変わったんですよね」と言う患者さんの何人かとはどうも話が噛み合いません。しばらく話すと分かるのですが、こういう患者さんは日本高血圧学会が発表したガイドラインの改定ではなく、日本人間ドック学会が発表した「健康人の基準」について話しているのです。

 2014年4月4日、日本人間ドック学会は、人間ドックを受診した約150万人を分析し、年齢差や男女差を踏まえた「健康な人」の検査値を発表しました。改めて2014年4月のマスコミの報道を調べてみると、一般紙では日本高血圧学会のガイドライン改定について触れている記事はわずかで、一方で日本人間ドック学会の発表を大きく報じていることが分かりました。

 マスコミはおもしろおかしい記事を書くのが使命なのでしょうから、意外な発表、もっといえば奇をてらったような発表を積極的に取り上げます。日本人間ドック学会の発表は特にうがった見方をしなくても、「これまで異常とされてきた血圧やコレステロールの数字、本当は問題ないんですよ。だからそこのあなたも必要のない薬を飲まされているかもしれませんよ」、と素直に読めば感じてしまいます。

 実際、先に紹介した例のように、診察室でこのことを話される患者さんもいるわけです。そして、この患者さんが「血圧の基準、変わったんですよね」の言葉の次に言いたいことは、「だから薬やめてもいいですよね」ということなのです。

 もちろん、これまで飲んでいた血圧の薬は必要だから飲んでいたわけで、その必要性が突然なくなるわけではありません。しかしこの説明には少々の苦労を要します。なにしろ、マスコミは「血圧の正常値が変わった」という誤解を与えるような表現をとりますから、患者さんの立場からすれば「じゃあ飲まなくていいんだ」と解釈してしまうのは無理もありません。

 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)のようなプライマリ・ケア(総合診療)のクリニックでさえ、このような質問が急増しているのですから、生活習慣病専門のクリニックなどは連日パニックになっているのではないでしょうか。ここでは述べませんが、日本人間ドック学会の発表は、血圧だけでなく中性脂肪やコレステロールの基準についても「健康な人」の基準値について言及しており、これが各学会の発表しているガイドラインと異なるために混乱を招いています。

 混乱が生じているのは医療機関だけではないようです。おそらく日本高血圧学会に対しても質問が相次いだのでしょう。2014年4月14日、日本高血圧学会は「人間ドック学会と健康保険組合連合会による小委員会の新しい「正常」の基準値に関する報道を受けて、高血圧学会から国民の皆様へのお願い」というタイトルの声明(注1)を発表しました。内容を簡単にまとめると、健康診断(人間ドック)での基準と介入が必要な心血管疾患のリスクとなる高血圧や正常血圧の基準は異なるために必要な人は医師の診察が必要、となりますが、これではわかりにくいでしょう。

 そこで私なりにまとめなおしてみたいと思います。人間ドック学会が発表したのは、自覚症状がなく過去に大きな病気をしたこともなく、高血圧が進行したときにおこる動脈硬化もない人、つまりまったく健康な人だけを集めて血圧のデータを集めてみると、「健康な人」の血圧の上限は147/94mmHgであった、ということです。しかし、実際にはここまで上がらなくてももっと低い血圧で動脈硬化をきたし、心筋梗塞や脳梗塞を起こす人がいるのも事実です。つまり、人間ドック学会に所属する医師が診ているのは健康な人が大半であり、高血圧学会に所属する医師が診ているのはすでに動脈硬化がある人が多いわけです。大雑把にいってしまえば、そもそも人間ドック学会と高血圧学会で比較する対象が異なっているというわけです。

 まだあります。そもそも人間ドックを受ける人というのは、お金持ちか、一流企業に勤めていて会社が全額(もしくは一部)を負担してくれるような恵まれた人に限られます。そのような人たちの多くは健康に関心があり、日頃から体重コントロールにつとめ、定期的な運動をおこないバランスの良い食生活をしていることが多いのです。きちんとしたデータはみたことがありませんが、人間ドックを受ける人と受けない人で喫煙率に大きな差があるのではないかと私はみています。つまり、人間ドックを受けるような健康に関心が高い人は、遺伝的な要因で少々血圧が高かったとしても、体重を維持し、禁煙、運動、バランスのいい食事摂取ができているために、動脈硬化や他の心血管のリスクが帳消しになっている可能性が強いというわけです。

 ではどう考えればいいのかというと、日頃から市民健診や会社の定期健診を受けて「まったく問題ない」と言われているような人であればあまり気にする必要はありませんが、すでに治療を受けている人や、定期的な経過観察が必要と医師から言われている人は、人間ドック学会の発表ではなく主治医の意見を聞くべき、というわけで、高血圧学会の発表に従うべきなのです。

 しかし、です。一般人の立場からみると、高血圧学会、というよりも日本の医療界全体に対する不信感のようなものがぬぐえないのではないでしょうか。ノバルティス社の「ディオバン問題」は大変物議を醸しましたが、これに続いて日本最大手の製薬会社である武田薬品も「ブロプレス」という血圧の薬で広告に虚偽があることが発覚しました(注2)。日本最大手の製薬会社が不正行為をしていたとなると、庶民からすると何を信じていいか分かりません。この広告が不正であることに気付いたのは京都大学のある医師ですが、大半の医師はメーカーの広告にだまされていたわけです。しかし、私は製薬会社を責めるつもりはありません。広告が誇大であることを見抜けずに処方をおこなっていた医師にも責任はあるからです。

 ノバルティス社のディオバンも武田薬品のブロプレスも「アンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬」(以下「ARB」)というグループに入ります。では、ARBが信頼できないものかと問われれば決してそういうわけではありません。高血圧の治療には必要な薬剤であり、谷口医院でも(これらとは異なる製品ですが)ARBを処方している患者さんは少なくありません。

 しかしARBを高血圧の第一選択薬にすることは谷口医院ではあまり多くはありません。カルシウム拮抗薬の方が効く印象があるからです。発表されたばかりの「高血圧治療ガイドライン(GL)2014(JSH2014)」によりますと、高血圧の第一選択薬は、ARB、ACE阻害薬、カルシウム拮抗薬、利尿薬の4つとなっています。このなかでACE阻害薬はARBと似たような薬でいい薬ですがやはり効きやすさではカルシウム拮抗薬に分があります。利尿薬は心不全の合併などがあると最初に使いたい薬で値段も安いのですが、薬疹がけっこうな割合で起こることもあり第一選択薬にすることは谷口医院では多くありません。

 このように書くと、私はカルシウム拮抗薬を手放しに信じているように思われるかもしれませんが決してそういうわけではありません。薬の使用には、肝臓や腎臓の機能が低下している場合や他の薬を飲んでいる場合には充分な注意が必要ですし、副作用についても軽視してはいけません。様々な要素を考慮してその人にあった薬を総合的に決めていく必要があります。ガイドラインというのはあくまでもガイドラインであって、それに盲目的に従うわけにはいかないのです。今回の改定ではβブロッカーと呼ばれる降圧剤は第一選択薬からはずれていますが、場合によってはβブロッカー中心で血圧を下げることもあります。

 高血圧を含む生活習慣病でコラムを書くと毎回同じような結論になってしまい面白みにかけますが、大切なのは「定期的な健診と生活習慣の改善」(注3)です。そして、健康のことならどんなことでも相談できる主治医を持つことです。最近血圧が上がり気味だという人は一度主治医に相談してみてください。

注1:この声明は下記のURLで読むことができます。
http://www.jpnsh.jp/files/cms/351_1.pdf

注2:詳細は下記メディカル・エッセイを参照ください。
メディカル・エッセイ第135回(2014年4月)「製薬会社のミッションとは」

注3:定期的な検診と生活習慣の改善については下記コラムを参照ください。コラムの中の「3つのENJOY、3つのSTOP、4つのデータに注意して」というところがポイントです。
メディカル・エッセイ第129回「危険な「座りっぱなし」」

参考:はやりの病気第120回(2013年8月)「高血圧を考え直す」

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2014年3月22日 土曜日

第127回(2014年3月) A型肝炎に要注意、可能ならワクチンを

 A型肝炎が2014年になり例年を超える勢いで急増しているようです。国立感染症研究所の報告によりますと、2014年第9週までの報告数は102例になり、例年の倍以上のスピードで推移しているそうです。2月21日までの報告を地域別にみてみると、宮城県、大阪府、埼玉県、東京都あたりでの報告が目立ちます。

 もう少し詳しくみてみると、2月21日までの報告では、年齢の中央値は46.5歳、年齢階級でみると50~69歳が41%で最多、次が20~39歳の32%です。性別では男性が59%、女性が41%です。感染した地域は7割が国内で3割が海外です。海外での感染は、カンボジア、タイ、パキスタン、フィリピン、インドネシア、エチオピア、韓国、モロッコなどとされています。

 感染経路については、2月21日までの報告のうち9割以上が経口感染で、そのうち約4割は生カキの摂取が原因と考えられています。残りの約1割は性感染ではないかとみられています(注1)。

 A型肝炎というのはA型肝炎ウイルスによって発症します。アルファベットがついた肝炎ウイルスにはA型からE型があります。B型とC型については、日本にも感染者が多数いること(どちらも100万人以上と推測されています)、慢性化し将来的に肝臓ガンや肝硬変のリスクがあることなどから広く周知されていると思います。D型は日本にはほとんど存在しないこととB型に感染している人にしか感染しないことから一般にはあまり知られていません。E型はブタやシカを生で食べない限りは国内では感染しませんし、海外での感染もA型ほどは多くないためにそれほど有名ではありません。

 一方、A型肝炎は2~3年前から一躍有名になりましたが、このきっかけはおそらく2011年の夏に発生したタイの大洪水でしょう。一般に洪水被害が起こると「水系感染」といって汚染された水からの感染症が流行することがあります。タイはもちろん水道水は飲めずに飲料水はペットボトルなどで飲みますが、料理に使う水をすべてペットボトルでまかなうわけにはいきません。不衛生な水で野菜を洗ったり、そのような水で洗った包丁を使ってフルーツをカットしたりしますから、野菜や果物にA型肝炎ウイルスが付着していた、ということが起こりうるのです。

 もっとも、日頃から感染症に対する注意をしている人であれば、アジア方面に渡航する前にワクチンを接種していました。A型肝炎はワクチンで防げる病気、つまりVPD(注2)なのです。ワクチンは2回もしくは3回接種でほぼ全員に抗体がつき、少なくとも数年間は有効であり、特にアジア方面の海外渡航には必須のワクチンです。そのため、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にも、アジア方面への旅行(短期旅行もバックパッカーなどの長期旅行も)、留学、ボランティア、海外駐在や出張などに行く人たちからの依頼が多く、希望があれば全員に接種していました。

 ところがタイの大洪水をきっかけにA型肝炎ウイルスのワクチンが一気に供給不足となり入手できなくなってしまったのです。これは、つまり、「大洪水が起こるまでは感染症に注意している人たちの需要量とワクチンメーカーの供給量がちょうど釣り合っていた。しかし大洪水をきっかけにタイに進出している日系企業が慌てて駐在員や出張する社員にワクチン接種をおこなったせいで一気に供給量が不足した」ということです。

 このサイトで何度も取り上げているように、日本人は感染症に関しては他国に比べると随分と遅れています。海外駐在員も同様で、さすがにB型肝炎ウイルスのワクチンを接種していない駐在員はほとんどいないと思いますが(ただし中小企業の駐在員や大企業でも現地採用の社員では接種していない人もいまだにけっこういます)、A型肝炎ウイルスのワクチンは接種率がさほど高くなかったのです。

 現在のワクチンの状況はどうかというと、谷口医院は旅行医学をおこなっているということもあり、ある程度は優先的にワクチンを回してもらっています。ただし以前のように希望者全員に接種できるほどは入手できません。そこで社会的に優先順位の高い人、具体的には、中小企業の駐在員・出張者(大企業の場合は社内で産業医に接種してもらうよう助言しています)、フリーのジャーナリストやカメラマン、ボランティア、留学などの目的の人に接種するようにしています。つまり、現時点では、バックパッカーも含めて単なる旅行目的の人には接種できないこともあります。また性感染症の予防目的という人や、カキを生で食べたいから接種したいという人にもお断りすることがあります。

 A型肝炎という病気やウイルスには馴染みがないという人が多いかもしれませんが、これは現在の日本が清潔になっていて感染の危険性が大きく減少しているからです。戦後間もない頃の不衛生な環境では感染者が珍しくありませんでした。日本は上水道は比較的早くから整備されており水道水がそのまま飲めるありがたい国ですが(水道水をそのまま飲める国というのはそれほど多くないのです)、糞尿を野菜栽培の肥料として使っていたこともありA型肝炎は稀な疾患ではなかったのです。

 実際、現在70代以上の人の採血をすると抗体ができている(つまり感染して治癒している)ということがけっこうあります。実はA型肝炎には不顕性感染(感染したことに気付かずに治っている)ことがあり、特に小児期では不顕性感染が8割以上と言われています。一方、成人の場合は不顕性感染が10~25%程度であろうと言われています。

 A型肝炎ウイルスに罹患し発症すると、発熱や倦怠感などに苦しめられます。初めから確定診断にいたることは少なく、風邪などと誤診されることが多いといえます。症状が継続するために採血をおこなうと肝機能が悪化しておりそこからA型肝炎が疑われて検査をおこない確定にいたる、という流れです。ただ、A型肝炎はB型肝炎やC型肝炎と同様、潜伏期間が長く(1ヶ月以上になることもあります)、問診から感染のエピソードを探りにくいことがあります。B型やC型であればタトゥーやボディピアス(これらは忘れないでしょう)や性交渉(これも忘れないのが普通でしょう)を思い出してもらうのにそれほど苦労しませんが、A型の場合は1ヶ月前に食べたものを思い出してもらうのは簡単ではありません。

 A型肝炎を発症すると通常は入院になります。倦怠感と発熱がしばらく続き日常生活が困難になるからです。入院してもたいした治療はないのですが点滴をつなぎっぱなしにして水分を補うことをします。重症化(劇症化)はB型肝炎などと比べると頻度は低いのですがないわけではありません。今年(2014年)の報告では劇症化はないようですが、劇症肝炎になると命を失うこともあります。

 ところでカキといえば、A型肝炎よりもむしろノロウイルスの方が有名です。ノロウイルスによる下痢症が昨年(2013年)末から急激に増えました。ノロウイルスは感染力が非常に強く、例えば、感染者が嘔吐した絨毯を拭いた後掃除機をかけてウイルスが空気中に散乱しそれを吸って感染、といったこともあります。またアルコールでは死滅せずに特別な対策が必要です。ここ数年間は毎年ノロウイルスが原因と思われる下痢が冬になると増えますが、生カキを食べて、というのはそれほど聞きませんでした。ところが、今シーズン(2013年11月頃から2014年3月にかけて)は、生カキを食べて、と答える人が私の印象で言えば異様に多いのです。

 そして、もう少し踏み込んで言えば、生カキを食べる人が増えた結果としてA型肝炎に罹患する人が増えているのではないか、という印象がぬぐえないのです。ちなみに、我々医療従事者は(全員とは言い切れないかもしれませんが)生カキは食べません。A型肝炎ウイルスのワクチンは接種していますが、ノロウイルスにはワクチンもなく防ぐ術がないからです。そして医療者がノロウイルスに感染したとなると、感染力の強さを考えると仕事は休まなければなりませんし、生カキを食べて下痢で休んだなどということは医療の世界では「恥」以外の何物でもありません。

 もちろん生カキというのは美味しいものですから(実は私も大好物で、引退後に思いっきり食べることを夢見ています)、一般の人は医療者ほど敏感になる必要はありません。ノロウイルス感染のリスクを抱えて食する、という考えがあってもいいと思います。それに小児や高齢者や免疫不全の状態でなければ、感染して数日間は下痢と嘔吐に苦しめられても水分摂取さえ持続できれば命にかかわる状態にはなりません。

 ただしA型肝炎はそういうわけにいきません。稀とはいえ劇症化もありますし、劇症化に至らなくても入院治療が必要になります。A型肝炎ワクチンは(値段は安くありませんが)副作用もほとんどなく極めて有効なワクチンです。海外渡航、生カキの摂取を考えている人は積極的に検討すべきでしょう。

注1:A型肝炎は不衛生な水や食べ物から感染することが多いのですが、性的接触を介して他人の肛門からの感染もあります。詳しくは下記コラムを参照ください。

NPO法人GINAウェブサイト
Dr.谷口のセイフティ・セックス講座(2010年4-5月)

注2:VPDについては下記コラムを参照ください。
第119回(2013年7月)「VPDを再考する」

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2014年2月21日 金曜日

第126回 デング熱は日本で流行するか 2014/2/21

 今回は以前私がタイ渡航中にある日本人男性から聞いた話から始めたいと思います。

 西岡直也氏(仮名)は30代半ばの男性です。20代の頃からタイが大好きで、タイでの生活を楽しむために働いていた会社を退職し、時給のいい夜間の工場勤務を数ヶ月間おこない、まとまったお金ができるとタイで数ヶ月過ごし、お金が尽きると日本に戻り再び夜間の工場勤務、という生活を続けていたそうです。

 景気のいい頃はこのような工場勤務の仕事がいくらでもあったのにリーマンショック以降はピタっとなくなった、と西岡氏は言います。仕事の内容にこだわらなければ日本でも仕事がないわけではなかったそうですが、氏の選択した方法は、タイで仕事を探す、というものでした。

 とはいえ、景気が悪いのはタイも同じです。大学を卒業しておらず、特に何ができるというわけでもなく、英語は片言、タイ語については普通の日本人観光客よりはできますし日本企業のタイ駐在者よりも日常用語は話せますが、とてもビジネスに応用できるレベルではありません。そんな西岡氏が選んだタイでの仕事とは日本語教師です。

 日本語教師と聞けばハードルが高そうですが、東南アジアで日本語を教えている日本人は日本語を教える教育を受けているとは限りません。というより、そのような教育を受けている教師の方が少なく、実際は日本人であれば学校のレベルにこだわらなければほとんど誰にでもできる仕事だと言われています。(たしか沢木耕太郎氏の名著『深夜特急』にも、レベルの低い日本人の日本語教師がタイで登場していたような記憶があります)

 ただし日本語教師の給料は驚くほど安いものです。西岡氏はバンコクでの仕事をあきらめ、タイ人の友達のつてを頼ってバンコク近郊のある県の日本語の塾での仕事をみつけました。給料は安いけれど(日本円で月給2万円程度)、家賃も安く(5千円未満)、なんとか生きていくことはできるそうです。

 しかし、タイでお金がなくてもやっていける自信があった西岡氏は、あることに対する知識を充分に持っていませんでした。それは「蚊対策」です。

 ある日の朝、身体がだるく風邪でもひいたかなと思った西岡氏は、いつものように塾には行ったものの昼過ぎからは立っているのも辛くなってきました。塾長に付き添われて現地の公立病院を受診した結果、診断は「デング熱」でした。数日間でよくなるだろうと言われましたが、水分摂取もままならないほど倦怠感が強いため西岡氏は入院することになりました。主治医の話だと当初は1~2日で退院できるだろうとのことだったそうです。

 ところが、西岡氏の様態は急激に悪化していきました。意識が朦朧とし何日間寝ていたのかも分からなかった、と氏は回想します。そのときはタイ語も(西岡氏のタイ語レベルでは病気の話はできません)英語もできない氏は医師の説明がよく分からなかったのですが、後から日本語のできるタイ人(医療関係者)から、それは「デング出血熱」であったことを教えてもらったそうです。血小板が生命を維持する数値を大きく下回っていたと聞かされたと言います。幸運にも西岡氏は何の後遺症もなく回復しましたが、デング出血熱がここまで進行すると助からないことも珍しくありません。

 タイでデング熱にかかる日本人は少なくありません。私自身も過去に何度か、タイでデング熱にかかったという日本人にタイでも日本でも会ったことがあります。しかし、西岡氏のようにデング出血熱に進行したという例は初めて聞きました。

 ここでデング熱についておさらいをしておきましょう。デング熱はデング熱ウイルスに感染することで発症します。感染経路は「蚊に刺されること」です。ネッタイシマカやヒトスジシマカという蚊の体内にデング熱ウイルスが潜んでいることがあり、これらの蚊がヒトを刺すときにそのウイルスがヒトの体内に侵入してくるのです。

 タイではとてもありふれた感染症で、以前タイの医師から聞いたことがあるのですが、私が「デング熱は大変恐ろしい感染症だと思う」と言うと、意外そうな顔をしたその医師は「タイでは全然珍しくないよ。子どもの多くはかかるものだよ」と言いました。その医師によれば、そんなに重症化するものでもなく、マラリアとは質が違うと話していました。

 私はこのタイ人医師の話を聞いて「なるほど」と感じました。東南アジアの渡航者に対し、我々医師は蚊の対策について説明をします。長袖・長ズボンを着用すること、虫除けスプレーやクリームを使用すること(日本製でなく現地で調達することをすすめています)、夜間は窓を開けないこと、もしくは蚊帳を張ることを説明し、蚊取り線香などの利用を勧めることもあります。

 しかしよく考えてみると、ここまでの対策をタイ人の子どもがやっているとは到底思えません。タイの地方に行けば、長ズボンどころか靴もはいておらず短パンに裸足で生活している子どもたちもいます。そんな子どもたちが蚊に刺されてデング熱ウイルスに感染しても何の不思議もありません。実際に大勢の子どもたちが感染していると思われます。しかし、このタイの医師によれば、子どもが感染してもあまり重症化はしないそうです。そういえばA型肝炎ウイルスも、水や食べ物からタイでは幼少時に感染することが多いのですが、幼少時の感染であればそれほど重症化せず、発症しても軽症ですみます。ちなみに、日本も戦後しばらくまでは現在のタイと同じような状況であり、現在70歳以上くらいの人のA型肝炎ウイルスの抗体を調べるとけっこうな確率で陽性になります。

 話をデング熱に戻しましょう。デング熱は子どもに感染しても軽症ですむことが多く、成人でも1回目の感染であれば、普通の風邪よりははるかにしんどいですが、必ずしも入院しなければならないわけではありません。怖いのは「デング出血熱」となった場合です。通常、初めてデング熱ウイルスに感染したときにデング出血熱になることはないとされています。デング熱ウイルスは4つのタイプに分類できるのですが、2回目に最初に感染したときと別のタイプのウイルスに感染したときにデング出血熱ウイルスを起こすことがあるとされています。

 西岡氏の場合、タイに長年住んでいることで、おそらく本人は気付いていなかったけれども(通常の)デング熱に一度罹患しており、そして後に別のタイプのウイルスに感染しデング出血熱を発症したのでしょう。西岡氏は後から振り返ると、そういえば数年前に微熱と原因不明の皮疹が数週間続いたことがあった、と言います。

 デング熱ウイルスは、ここ数年間、毎年のように東南アジアや太平洋地域のどこかではやっています。最近では東ティモールで流行があったことが報道されています。地球温暖化と共に発生地域が北半球では北上してきており、台湾でもここ数年は問題になっています。沖縄に上陸するのも時間の問題か・・・、と私は考えていたのですが、意外なことに、日本に旅行に来たドイツ人の女性が関東地方で罹患した可能性があるとの発表を厚生労働省が2014年1月におこないました(注1)。

 その後厚労省は追加の発表をおこなっておらず、ここから先はネット上の情報になりますが、どうもそのドイツ人女性は他国を経由して日本に入国出国したわけではなく、往路も復路もドイツ・日本の直行便を利用していたそうです。となると、日本での感染を疑わざるを得ず、滞在したとされている長野、山梨、東京のどこかで感染したことになります。そして、出所は不明ですがネット上の情報によれば、このドイツ人女性は「8月21日から24日の間に滞在していた山梨県笛吹市で蚊に刺された」と証言しているそうです。

 ただ、私自身はこのドイツ人女性の感染に疑問を持っています。数十年も日本で報告されていない感染症がごく短期間日本に滞在した外国人だけに感染、しかも地域の蚊の調査ではウイルスが検出されていない、という状況を考えると、本当に日本で感染したのかと疑いたくなります。例えば、ドイツから日本へ直行した飛行機が、その前のフライトではアジアを飛んでいてそこで機内に蚊が侵入した、という可能性はないでしょうか。とはいえ、私も自分が厚労省の役人なら、わずかでも可能性がある限りは、日本での感染が否定できないという発表をおこなうでしょう。

 当分の間、国内でも蚊に対する注意が必要でしょう。また、台湾、香港を含めたアジア方面に旅行に行く人にとって充分な蚊対策が必要なのは言うまでもありません。

注1:詳細は下記医療ニュースを参照ください。

医療ニュース2014年1月27日「デング熱は本当に日本で感染したのか」

参考:
はやりの病気第60回(2008年8月)「虫刺されにご用心」
医療ニュース2009年1月27日「マレーシアでデング熱が急増」
医療ニュース2008年7月24日「デング熱は蚊を駆除すると重症者が増加!?」
医療ニュース2008年4月3日「ブラジルでデング熱と黄熱が大流行」
医療ニュース2008年2月19日「タイでデング熱が急増」

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2014年1月21日 火曜日

第125回(2014年1月) 糖尿病治療の変遷

 糖尿病といえば、ここ数年間マスコミで話題になるのは「糖質制限食の是非」が多く、今も肯定派と否定派の意見が様々な誌面で取り上げられているようです。興味深いことに、医療者の中でも肯定派と否定派に分かれて論争がおこなわれることがあります。

 糖尿病については、実は薬についてもここ数年でドラスティックに内容が変わってきています。新しい薬が次々と登場し、従来の治療が塗り替えられているといっても過言ではありません。

 もちろん、糖尿病の治療の基本は、まず予防と早期発見につとめ、薬を使う前に食事療法、運動療法、禁煙などをしっかりとおこなうことです。それでも改善しないときに初めて薬を開始することになります。

 糖尿病治療の歴史を塗り替えることになった薬としてまず挙げなければならないのは「インクレチン関連薬」と呼ばれるものです。インクレチン関連薬には2種類あります。1つは「DPP4阻害薬」と呼ばれる飲み薬で、商品名でいえば、グラクティブ、ジャヌビア、エクア、ネシーナ、トラゼンタ、テネリア、スイニー、オングリザなどです。もうひとつは「GLP-1アナログ(GLP-1受容体作動薬)」と呼ばれる注射薬で、商品名ではビクトーザ、ビデュリオン、バイエッタ、リキスミアなどです。

 商品名は聞いたことがあったとしても「インクレチン」という名前には馴染みがないという人も少なくないのではないでしょうか。ここで簡単に説明しておきます。インクレチンというのは体内で分泌されるホルモンの1種で、インスリンの分泌を増やして、グルカゴンの分泌を減らす作用があります。またまたカタカナがでてきてややこしいと感じる人がいるかもしれませんが、じっくり考えればそれほどむつかしくはありません。インスリンもグルカゴンも血糖値に関わるホルモンで、インスリンは血糖値を下げて、グルカゴンは逆に血糖値を上げる、と考えてください。

 糖尿病の人は血糖値を下げたいのですから、インスリンの量を増やしてグルカゴンを減らせばいいわけです。ということは、糖尿病の人にとってインクレチンというのは大変ありがたいホルモンになります。さらにインクレチンがありがたいのは、血糖値が高いときにしか働かないという特徴があるからです。もしも血糖値が低いときに働けば血糖が下がりすぎて低血糖症状が出てしまいますが、インクレチンはその心配がないのです。

 そんな夢のようなインクレチンですが欠点もあります。ごく短時間しか働いてくれないのです。なんとかしてインクレチンにもっと働いてもらう方法はないか、あるいはインクレチンを外部から取り込む方法はないか、このようなことを世界中の研究者は随分長いこと考えて研究を重ね、ついに登場したのが「DPP4阻害薬」と「GLP-1アナログ」というわけです。

 DPP4というのは、インクレチンを分解する酵素のことで、この酵素の働きを弱める薬、つまりDPP4阻害薬が働けばインクレチンがそれだけ長い間作用することになります。GLP-1アナログというのは、インクレチンと構造が似たもので、インクレチンと同じように働いてくれて、インクレチンそのものではないためにDPP4に分解されにくくなっているのです。

 これらを考えるとインクレチン関連薬というのは、糖尿病の患者さんにとってまさに夢の薬のようにも思えてきます。では、欠点はないのでしょうか。「ない」と断言する医療者もいるかもしれませんが、私は手放しに「欠点がない」とは思っていません。後に述べるように、実は私は現時点ではインクレチン関連薬を積極的には処方していません。転居などで前にかかっていた病院から引き継ぐようなケースでは処方することもありますが、その場合でもインクレチン作動薬を中止できるように患者さんに生活指導をおこなうことが多いのです。

 私がインクレチン関連薬を積極的に推薦しない理由は2つあります。1つは値段が高いことです。DPP4阻害薬は種類にも使う量にもよりますが、1日あたり3割負担であったとしても50~60円くらいはします。(後に述べるメトホルミンであれば1日あたり6~25円程度です) 糖尿病という病は薬を飲めばいいというわけではありません。まずは食事療法・運動療法をおこなって、それでも改善しなければ薬を始めるということになっていますが、薬を飲み始めたからといって運動・食事療法をやめていいわけではありません。むしろ糖尿病が悪化しているわけですからこれまで以上に食事・運動療法をしっかりとやらなければならないのです。そして効果的に食事・運動療法をおこなおうと思えばある程度の費用がかかります。薬にお金をかけるのではなく、食事・運動に投資しよう、というのが私の基本的な考えです。

 もうひとつ私が積極的にインクレチン関連薬を処方していない理由は「未知の副作用」を考えてのことです。インクレチン作動薬の副作用についてはこれまで世界中で随分と調査がおこなわれており、現時点では特に大きな副作用はなく「安全性の高い薬剤」ということになってはいます。しかし今後もそれが続くかどうかは分かりません。歴史があり安い薬が他にあるのであれば必ずしもインクレチン関連薬を使う必要はないのです。

 糖尿病の新しい薬はインクレチン関連薬だけではありません。開発中のものが非常にたくさんあります。糖尿病の薬というのはいったん飲み出すとかなり長期になりますから製薬会社としては安定した収益につながるわけで、世界中の製薬会社がいろめきたって開発しているのかもしれません。

 そんななか、まもなく市場に登場するのが「SGLT2阻害薬」と呼ばれるものです。この薬の作用機序は大変シンプルで、糖尿病は血液中に糖が多いのだからその糖を尿と一緒に出してしまおう、というものです。つまりこの薬を飲めば血中の余分な糖が尿と一緒に排出されて血糖値が下がる、というわけです。日本では合計6種類のSGLT2阻害薬が申請されていたのですが、一番乗りはアステラス製薬の「スーグラ」という商品となりました。2014年1月17日に承認取得したようですからまもなく処方開始となるでしょう。

 ではSGLT2阻害薬が発売されるとすべての医師が処方を始めるかというとそういうわけではないと思います。少なくとも私は当分の間処方を見合わせるつもりです。理由はインクレチン関連薬と同様、価格が高いことが予想されるのと、副作用についてです。糖の混じった尿がでるようになるわけですから、すでに、膀胱炎を起こしやすくなるのではないか、ということが指摘されています。常に尿糖がでる状態であれば排尿時の不快感が生じる可能性がありますし、女性の場合カンジダ腟炎を起こしやすくなるでしょうし(男性でも包茎があればカンジダ性゙亀頭炎のリスクとなる可能性があります)、また浸透圧の関係で血圧が下がりすぎないか、という心配もあります。

 さて、ここからが今回のコラムの本題です。私はインクレチン関連薬を積極的に処方していませんし、SGLT2阻害薬も現時点では処方する予定はありません。にもかかわらず私自身もここ数年で最も処方内容を変えた疾患のひとつに糖尿病をあげます。これはマスコミなどにはあまり注目されていないようですが、私自身は「メトホルミンが高容量で使えるようになった」ということが糖尿病治療にとって大変重要なことであると考えています。

 メトホルミンというのは50年以上も前に誕生した薬なのですが、乳酸アシドーシスという副作用が起こりやすいという意見があり、随分と長い間、わずかな量しか使えなかったという歴史があります。ところが、実際には副作用が従来指摘されてきたように発生するわけではなく、また非常に高い効果が期待できることが次第に明らかにされ、海外では高容量の処方がスタンダードになってきていました。日本でもメトホルミンのなかで「メトグルコ」という商品は2010年に高容量が認められるようになりました。それまでは1日合計量が750mgまでだったのが、2,250mgまで認められるようになったのです。高容量でメトホルミンを内服しても副作用はあまり起こらず、低血糖もおこりません。したがって空腹に悩まされることもありません。その上、コストは安く(3割負担で1錠3円未満)、使用する量にもよりますが、1日あたり6円~25円程度ですから経済的にも使い勝手がいいのです。

 先にも述べましたが、糖尿病の基本治療は薬ではなく食事療法、運動療法、禁煙です。治療にお金をかけるなら薬ではなく、これら生活習慣の改善に投資しよう、それが私の基本的な考えです。

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2013年12月21日 土曜日

第124回(2013年12月) 睡眠薬の恐怖

  薬に対するイメージというのは人それぞれで、危険性をまるで顧みずに処方を強く希望する人がいる薬もあれば、使用することをすすめたいのだけれど頑なに使用を拒否する人がいる薬もあります。今回お話する「睡眠薬」は「危険性をまるで顧みずに処方を強く希望する人がいる薬」の代表です(ちなみに、他にはステロイドと抗菌薬でこの傾向があります)。

 日本では、少し年配の方であれば、睡眠薬と言えばサリドマイドを思い出す人が少なくないでしょう。サリドマイドを内服した妊婦さんから生まれた子どもたちの悲惨な姿の写真を目にすると「睡眠薬=恐怖の薬」という方程式が頭の中でできあがるのも無理もありません(サリドマイドは現在睡眠薬としては用いられていませんが、一部の難治性の疾患に奏功することからその後再び注目されるようになりました)。

 一方、現在の若い人たちのなかには、サリドマイドを知らず、また睡眠薬を友達からわけてもらって気軽に飲んでいる人や、インターネットで入手して使っている人もいるようで、もちろんこれらは違法行為なのですが、随分と睡眠薬に対する敷居が低くなっているような印象があります。そしてこの傾向は年を経るごとに加速しているような気がします。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)がオープンした7年前は、不眠の相談で受診する人は「睡眠薬はできるだけ使いたくない」という人が多かったのですが、最近は、薬の名前を指定して処方してほしい、というような人もいます。

 改めて言うまでもないことですが、睡眠薬というのはそんなに簡単に使うべきものではありません。谷口医院に不眠を訴えて受診された人に最初から睡眠薬を処方するのは、3人に1人もいません。

 現在医療機関で標準的に処方される睡眠薬はサリドマイドのような催奇形性のあるものはありませんが、原則として妊娠中は使うべきではありませんし、副作用については誰もが充分に理解しなければなりません。またアルコールとの併用は絶対にNGです。

 患者さんを必要以上に怖がらせることはしたくありませんが、最近起こった事件を取り上げて睡眠薬の注意点について改めて考えてみたいと思います。

 2012年9月2日、日曜日の正午過ぎ、東京都目黒区の高級住宅街の豪邸に住む会社社長(当時46歳)が3階の自室から1階の居間に降りると、変わり果てた当時5歳の息子の姿がありました。目と口をガムテープでふさがれ、ビニール紐で身体が縛り上げられ、さらに家庭用ゴミ袋を二重に被せられガムテープで密閉されていたのです。

 この無惨な殺人事件の犯人は、なんと実の母親(当時42歳)でした。これだけを聞くと、母親に化けた鬼畜が犯した断じて許すことのできない児童虐待か、と思いますが、事実はまったくそうではありませんでした。

 この事件を後に詳しく報道したジャーナリストの森哲志氏のレポート(注1)に、この母親の法廷での様子が描写されていますので少し引用したいと思います。

 開廷中、(母親の名前が書かれていますがここでは実名を伏せます)のすすり泣きが絶えない。細身の体に黒袖のカーディガンと白いブラウス。ブラウンのメガネをかけた顔立ちに、理知的な上品さ。細い右手のピンクのハンカチは濡れている。(中略)進学校を出て(中略)税理士資格を取得、玉の輿に乗り、3億円超の豪邸に住むセレブの面影が、長期留置を経ても漂う。(中略)イタリア製外車が置かれた豪邸。夫婦のいさかいもなく、上の男の子2人は野球少年。仲のよい家族と見られていた。

 つまり、この母親は残虐性を持ち合わせている反社会的な人間ではなく、我が子を殺すような動機はまったく見当たらないのです。では、何がこの女性を殺人に導いたのか。それが睡眠薬、しかも、日本で最も頻繁に処方されている睡眠薬のひとつである「マイスリー」だったのです。

 誤解を避けたいのでこの時点で解説しておくと、数多い睡眠薬のなかでマイスリーが特別危険な睡眠薬というわけではありません。マイスリーは作用時間が短く、翌日に眠気やだるさが残ったりしにくいために、危険どころか、日本でもっとも処方量の多い睡眠薬のひとつであり、睡眠薬を初めて使うという人にも比較的処方されやすい薬なのです。

 では、なぜそれほど危険性のないと考えられているマイスリーでこのような悲惨な事件が起こったのか。それはアルコールを同時に摂取していたからです。睡眠薬とアルコールの同時摂取、または睡眠薬内服後に眠れないからといってアルコールを摂ることは絶対にやってはいけないことです。この母親が睡眠薬とアルコールの併用の危険性をどれだけ認識していたのかは報道からは分かりませんが、きちんと理解していればこのような事件は起こらなかったはずです。

 では、アルコールさえ摂らなければ危険性は完全に回避できるのか、と言えばそういうわけでもありません。もうひとつ、最近の事件を紹介しましょう。

 2012年3月31日未明、兵庫県明石市内の総合病院の病室。夜勤の看護師が異様な光景を目撃しました。肺炎で入院していた72歳(当時)の男性が、女性の病室に忍び込み、87歳(当時)の女性に馬乗りになり、自らの下腹部を押し当てていたそうなのです。

 病院側は警察に通報し、この男性は準強姦未遂罪で起訴されました。しかしこの男性、犯行のことはまったく記憶になく、「夢の中で、縛られたおばあさんの縄をほどこうとした。何も覚えていない」と証言したそうです。

 2013年11月21日、神戸地裁はこの被告に無罪を言い渡しました(検察の求刑は懲役3年でした)。無罪とした理由について、地裁は「睡眠導入剤の副作用で心神喪失状態だった可能性」を認めたのです。つまり、この男性は事件を起こす7時間前に睡眠薬(この事件もマイスリーでした)を内服しており、この薬が心神喪失の原因となった可能性を認めた、というわけです。念のために付記しておくと、この男性はアルコールを摂取していたわけではありませんし、精神疾患を有していたわけでもありません。

 先にも述べたように数多い睡眠薬のなかでも、マイスリーは短時間しか作用せずに作用強度もさほど強くないために相対的にはそれほど危険なものではないのですが、なぜか睡眠薬に関連した事件はマイスリーが原因のものが目立ちます。2006年5月に、故ケネディ大統領の甥であるパトリック・ケネディ下院議員が議会敷地内で自動車事故を起こしたのもマイスリーが原因と報道されています。

 こういった事件はインパクトが強いために、睡眠薬を処方するときにすべての患者さんに事件の詳細を伝えているわけではありませんが、谷口医院では(というより以前から私は)、高齢者にはよほどのことがない限り睡眠薬の処方はしませんし、若い人に対しても注意点をしつこいくらいに話しています。しかし、それでも”副作用”が出現することがあります。例えば、翌朝台所に大量に食べ散らかした後があった(つまり暴食した記憶が一切ない)という患者さんがいましたし、谷口医院宛てに記憶のないまま赤ちゃん言葉のメールを送ってくる人もいました。ちなみにこの患者さんは社会的ステイタスの大変高い立場にいる人です。

 では、眠れないときはどうすればいいのか。私が不眠を訴えるすべての患者さんに話すのは、まずは「同じ時間に起きて同じ時間に寝る」ということです。海外出張が多く時差が睡眠を妨げている場合や、夜勤があって生活が乱れている場合でも、まずは薬なしで眠れる工夫をしてもらいます。そして薬が必要と判断すれば、マイスリーのような睡眠薬ではなく、メラトニン作動薬であるロゼレム(一般名は「ラメルテオン」)を使ってもらいます(注2)。

 それでも眠れないときは、一時的にマイスリーのような睡眠薬を処方することもありますが、危険性は充分に承知してもらった上での処方になります。睡眠薬は怖がりすぎるのもよくありませんが(睡眠薬を飲んだことで不安が昂じて眠れなくなれば本末転倒です)、安易に飲むのはもっと問題です。日本人が気軽に睡眠薬に頼りすぎていることは以前から指摘されており、先に紹介した森哲志氏のレポートによりますと、睡眠薬の世界市場125億円中、日本人は75億円を消費しているそうです。

 もしもあなたが睡眠薬の使用が常習化しているなら、危険性を改めて顧みて、「同じ時間に起きて同じ時間に寝る」ことの重要さをまずは見直してみてください。

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注1:このレポートは『新潮45』2013年12月号に「目黒碑文谷「愛児袋詰め殺人」の真相」というタイトルで掲載されています。

注2:下記コラム「新しい睡眠薬の登場」を参照ください。
(2016年1月付記:2015年12月以降は「ベルソムラ」(一般名:スボレキサント)という従来とは異なる機序で作用する薬が広く使われるようになっています)

参考:
はやりの病気第86回(2010年10月)「新しい睡眠薬の登場」
メディカルエッセイ第130回(2013年11月)「噛み合わない薬の論争」

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