はやりの病気

2017年2月23日 木曜日

第162回(2017年2月) 危険な性交痛~犬とキウイとラテックス~

 性交痛を訴えて太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を受診する女性の患者さんは少なくありません。谷口医院をかかりつけ医としている患者さんはもちろん、「どこに行っていいか分からないから(遠くから)来ました」とか、「今までいくつかの医療機関を受診したけれど診断がつかなくて…」という人もいます。なかには「婦人科に行くと皮膚科に行けと言われて、皮膚科に行くと婦人科に行けと言われた…」という気の毒な方もいます。谷口医院のような総合診療のクリニックには、「どこの科に行っていいかわからない」という患者さんが大勢受診されるのです。

 さて、女性の性交痛の原因は様々で、頻度の多いものから挙げていくと、「性行為による摩擦が原因の皮膚炎」「性行為で生じた微細な外傷」が最も多く、次いでカンジダ性外陰部炎が多数を占めます。カンジダは真菌感染ですから、顕微鏡の検査で簡単に診断がつくのですが、婦人科では顕微鏡の検査を実施しているところが少なく、皮膚科では外陰部の診察をしないところが多いようです。性交痛の原因が「心因性」ということも少なくなく、この場合は治療に時間がかかり、カウンセリングに近いことや、精神に作用するような薬を用いることもあります。

 今回紹介したい女性の性交痛は、頻度は多いとは言えないものの、重症化し、ときに命に関わるかもしれないもので、2つを紹介します。2つともアレルギー疾患です。

 ひとつはラテックスアレルギーです。周知のように、ほとんどのコンドームはラテックスでつくられています。ラテックスとは天然ゴムとほぼ同じものと考えればいいと思います。天然ゴムはゴムの木の樹液から精製します。ラテックスアレルギーがあると、コンドームが外陰部に触れたときに重症なアレルギー症状が起こることがあるのです。

 ここでよくある誤解について説明しておきます。ラテックスアレルギーを「かぶれ」と思っている人がいますがこれは誤りです。ラテックス製のグローブを使うと、1~2日後にアレルギー症状が出る人がいますが、ラテックスアレルギーはこのことを指しているわけではありません。1~2日後に出現するのは、ラテックス以外の化学物質(例えばチウラム)によるかぶれ(接触皮膚炎)であることがほとんどです。

 ラテックスアレルギーのアレルギーは接触皮膚炎のアレルギーとメカニズムが異なります。ここではそのメカニズムを詳細に説明することは避け、ポイントだけ述べていきます。ラテックスアレルギーは「即時型」であり、接触して比較的短時間(多くは数分から1時間以内)に症状が出現します。そして最重要ポイントは、「次第に重症化する」ということです。最初のうちは、ラテックスに触れた表皮や粘膜がかゆくなるだけですが、そのうち全身のじんましんや喘息症状が出現することもあり、最悪の場合は生命も脅かされることになります。

 ラテックスアレルギーがある人はラテックス製のコンドームを避ければいいんじゃないの?という問いに対しては、まったくその通りです。問題は、「あなたにラテックスアレルギーがないと言い切れるか?」ということです。ラテックスアレルギーは、エピソードからそれを疑い、そして検査をしないことには分かりません。エピソードだけで診断をつけることもありますが、まったく何の症状もないのに疑うことはできませんし、健康診断でも調べられるわけではありません。

 そしてラテックスアレルギーは「ある日突然発症」します。先述したようにいきなり最重症の症状が出るわけではありませんが、子供の頃にはなくて成人してから発症します。職業でみれば多いのは医療者などグローブを使う仕事をしている人です。「グローブなんて使わないから大丈夫、わたしはラテックスに触れない」と考えている人もいるでしょう。しかしどこかで触れている可能性もあります。指サックや風船もそうです。甲子園球場に行く度に口元がかゆくなる、というエピソードから診断がつくこともあります。

 そんなエピソードは一切ない、という人もまだ安心できません。キウイやアボカドなど野菜や果物を食べると口のなかに違和感が出る、という人はこれらのアレルギーがあるかもしれません。いくつかの野菜や果物は、表面のタンパク質の構造がラテックスと似ていることから、ラテックスに一度も触れたことがなくてもアレルギーを起こす可能性があるのです。これを「ラテックス・フルーツ症候群」と呼びます。

 ただ、私の印象でいえばコンドームを含むラテックスアレルギーはここ数年で減少しています。過去にも述べたように(注1)、天然ゴムからアレルゲンとなるタンパク質を取り除く技術が発達したからではないかと私は考えています。となると、高品質のコンドームでは大丈夫だけれど、普通の薬局にはおいていないような安物の場合は……、ということがあるかもしれません。

 ここからは性交痛が危険な状態になるかもしれないもうひとつのアレルギーを紹介したいと思います。それは「イヌアレルギー」です。なんで犬で性交痛?と意外に思う人もいるでしょうし、おそらく頻度はそれほど多くはないと思います。性交痛を訴える患者さんに対して原因がイヌアレルギーだと100%の確証を持って診断したことは私はありません。ですが、私が診た患者さんのなかにも疑い例はありますし、海外では重症例の報告もあります。

 なぜイヌにアレルギーがあると性交痛が起こるのか。それはイヌの精液に含まれるPSAと呼ばれるタンパク質がヒトのPSAと似ているからです。つまりイヌアレルギーがあると「(ヒトの)精液アレルギー」があるかもしれない、ということです。

 ここで疑問が出てきます。アレルギーというのはその物質に過剰に触れることによって発症します。ということは、精液アレルギーはイヌの精液に何度も触れたから発症するということになります。しかし、いくらなんでもイヌと性交を持つ人はいないわけで(いるかもしれませんが)、イヌの精液がヒトの皮膚や粘膜に付着することは考えられません。

 けれどもPSAは尿中にも含まれています。イヌにおしっこをかけられた、という体験はイヌを(特に室内で)飼っている多くの人が経験しているでしょう。また、それだけではありません。このアレルゲンは正確にいうとPSAに含まれる「can f 5」と呼ばれる物質です。そして「can f 5」はイヌのPSAからだけではなく、フケからも検出されたという報告があります(注2)。イヌを飼っている人ならほぼ全員がイヌのフケに触れているはずです。

 精液アレルギーというのはそれほど多い疾患ではありません。ドイツのネットメディア「Deutsche Welle(DW)」の報告(注3)によれば、1958年にオランダの医師によって報告されたこのアレルギーは、症例報告がこれまでに100例程度しかなく正確な統計がないそうです。しかし、1万人に1人くらいはいるのではないかと考えられているそうです。

 ラテックスアレルギーと精液アレルギー、共に重症化を懸念しなければなりませんが、どちらが厄介かというと精液アレルギーの方でしょう。ラテックスアレルギーはあったとしても、ラテックスに触れなければいいだけの話です。避妊にはポリウレタン製のコンドームを用いて、妊娠を希望するときはコンドームを用いなければいいのです。

 一方、精液アレルギーは妊娠希望時には対策が必要になります。おそらく抗ヒスタミン薬やステロイドの内服をしておけば重症化はしないことが予想されますが、薬の副作用のリスクや、すでに妊娠の可能性があるときには薬の胎児への影響も考えなければなりません。イヌアレルギーと性交痛、その両方が疑われるときは、かかりつけ医に相談すべきかもしれません。

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注1:はやりの病気第149回(2016年1月)「増加する手湿疹、ラテックスアレルギーは減少?」

注2:この論文は医学誌『International Archives of Allergy and Immunology』2012年5月30日号(オンライン版)に掲載されています。タイトルは「Involvement of Can f 5 in a Case of Human Seminal Plasma Allergy」で下記URLで概要を読むことができます。

http://beta.karger.com/Article/Abstract/336388

注3:レポートのタイトルは「Allergic to sperm – when sex becomes dangerous」です。下記URLを参照ください。

http://www.dw.com/en/allergic-to-sperm-when-sex-becomes-dangerous/a-19251475

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2017年1月21日 土曜日

第161回(2017年1月) 保湿剤の処方制限と効果的な使用法

 ステロイドでもタクロリムスでも、あるいは抗真菌薬でも抗菌薬でも外用薬(塗り薬)というのは、ただ単に処方してもほとんど意味はなく、しっかりと使い方を覚えてもらう必要があります。対して、内服薬(飲み薬)の場合は、いつ何錠飲まないといけないのか、途中でやめてもいいのか増やしてもいいのか、といったことはしっかりと理解してもらう必要がありますが、「飲む」という行為自体はいたって単純です。

 外用薬の場合はそうはいきません。身体のどの部位にどれくらいの量を塗るのか、タイミングはいつなのか、量の調節は自分の判断でしていいのか、といったことを理解しなければなりませんし、さらに複雑なことに、外用する量を日によって変えるべき、といった場合もあります。これらの説明にはある程度の時間がかかります。今回述べたいことの本質から外れますから多くは語りませんが、私は外用薬については(院外でなく)院内処方の方がいいと考えています。診察の内容を知らず実際に皮膚を診ていない処方箋薬局の薬剤師が説明をするのは事実上不可能だからです。

 今回述べたいのは「保湿剤」の効果的な使い方ですが、この話を始める前に、私が医師になってからずっと”理不尽”だと思っていた保湿剤処方にまつわる保険診療上の「ルール」について話をしたいと思います。

 保湿剤のいくつかは保険診療が可能です。医療機関を受診するとそれなりに待ち時間が発生しますから時間はかかりますが、保険で薬を処方してもらえるというのは費用面ではいいことです。しかし、です。処方量に「制限」があります。保湿剤は副作用がほとんどありませんから、比較的”気軽に”使っていいものです。そして、実際に保湿剤を効果的に使うことによってステロイドを減らすことも可能です。安全で効果がある保湿剤は充分な量を使うべきです。しかし、制限があるためにたくさん処方することができないのです。

 制限だけなら理解できなくはないのですが、問題はその制限が都道府県によって異なる、あるいは保険診療の審査員によって異なる、ということです。こういった事実は公表すべきでなく、一般の人たちには伏せておいた方がいいという意見がありますが、この理不尽さは私が医師になってからずっと感じていたことであり、私自身がどこからか批判されようがこのことは伝えるべきだと考えています。

 ヘパリン類似物質と呼ばれるすぐれた保湿剤があります。商品名でいえば「ヒルドイド」や「ビーソフテン」が該当します。これらは、例えばA県に住んでいたときは月に300グラムまでが認められていたのが、B県に引っ越して新たなクリニックを受診すると150グラムまでしか認められない、といったことが実際にあります。

 診察した結果、この症例は全身の乾燥が目立つために最低でも月に300グラムは必要と判断したとしても、150グラムしか認められなければそれに従うしかないのです。ときどき「保険診療で処方できる最大量を処方してください。それから不足分を自費で売ってください」という人がいますが、これは混合診療に該当するために禁じられています。どうしても200グラムは必要というときに、レセプト(診療報酬明細書)に「この患者さんにはどうしても必要ですから認めてください」といった記載をおこなえば、認めてくれることもありますが(それでも多くの量は認められません)、たいがいは容赦なく「認められません」と返答されます。(この場合、医療機関が損失を被り赤字になります)

 医療費を削減しなければならないのはよく分かります。ならばヘパリン類似物質を保険から外してすべて薬局で購入できるようにすればいいのではないでしょうか。しかし、この意見は医療者からも反対されます。保険から外し薬局で購入しなければならなくなると患者さんの費用負担が増えるからです。ですから、処方量の制限を設けるべきではないという意見にはほとんどの医師が賛同しますが、「保険適用から外すべき」という私の意見は大勢から反対されるのです。

 けれども、都道府県(あるいは審査員)により認められる量が違うというのはどう考えても筋が通りません。そして、私がヘパリン類似物質を保険診療から外すようにすべきだと考える理由は他にもあります。そもそもヘパリン類似物質というのは副作用がほとんどなく安全な薬であり、すでに薬局でも販売されています。ところが、薬局で販売されているものは「ヒルドイド」「ビーソフテン」といった”一流の”ヘパリン類似物質と使用感が異なるのです。(私自身もいくつか試したことがありますし、太融寺町谷口医院の患者さんに尋ねても同じことを言われます) おそらく有効成分(ヘパリン類似物質そのもの)の配合量、あるいは香料や保存剤の違いが原因ではないかと思われます。私には、なぜ「ヒルドイド」や「ビーソフテン」を販売している製薬会社がスイッチOTC(従来処方薬だったものが薬局で買えるようになった薬のこと)への申請をしないのかが不思議でなりません。

 そろそろ話を本題に持っていきます。ステロイドやタクロリムスに比べると保湿剤については医師はさほど熱心に説明しません。教科書にも保湿剤に関する詳しい記述はほとんどありませんし、私自身も皮膚科で研修を受けていたときに先輩医師から詳しい説明を聞いたことがありません。

 最近になり、少しずつ保湿剤の機序や効果が科学的に解明されるようになってきてはいます。そして、保湿剤を「エモリエント」と「モイスチャライザー」に分類するという考え方が少しずつ支持されるようになってきました。おおまかにいえば、エモリエントは皮膚の表面を覆い体内からの水分蒸発を防ぐ作用のある物質のこと、モイスチャライザーは皮膚の中に浸透し水分保持作用をもつ物質のことです。ですが、どの保湿剤がどちらに分類できるかをクリアカットに説明できるわけではありません。

 保湿剤と言われているものには、ヘパリン類似物質の他に、尿素軟膏、セラミド、ワセリン、オリーブオイル、ツバキ油、ヒアルロン酸、スクワランなどがあります。このなかで、尿素製剤やヘパリン類似物質はモイチャライザーに分類されることが多いのですが、エモリエントの作用(表面を覆う)もまったくないとは言えないと思います。セラミドは細胞間脂質ですから、モイスチャライザーに分類されそうなものですが、皮膚表面の保護作用もありエモリエントの効果もあると言えます。(「モイスチャライザー」という言葉は製品名にも使われることがあり、これが話をややこしくさせています)、

 保湿剤は1日に何回塗るべきかということにはまったくコンセンサスがありません。添付文書にも1日1~数回と書かれているものが多く、これではまったく説明になっていません。私自身は「シャワーをする度に」と説明しています。1日に何回くらいシャワーをすべきかはその人の皮膚の状態によりますが、典型的なアトピー性皮膚炎であれば最低3回はシャワーをしてもらっています。

 ステロイドやタクロリムスを併用する場合、保湿剤を先に塗るべきか後にすべきか、ということもよく分かっていません。先にステロイドやタクロリムスを塗った方がこれらがしっかりと浸透し高い効果が期待できそうですが、それを証明した研究はなく、むしろ「両者に差はない」とする報告があります。また、患者さんの心理としては、先に保湿剤を塗って、その上で痒みや赤みのある部位に薬を塗る方が分かりやすいのではないかと思います。

 結局のところ、現時点では、保湿剤については、副作用がほとんどないわけですから、各自が試行錯誤を繰り返すのが最も現実的ではないかと私は考えています。しかしまったく方向性を示せないわけではありません。少なくともヘパリン類似物質とセラミドはそれなりに高い保湿効果があるのは間違いありません。そしてこれら2種の保湿剤は作用機序が異なるために、併用することにより、少なくとも相加効果、さらに相乗効果が期待できるかもしれません。

 セラミド配合の保湿剤は多くの企業が製造しており薬局や化粧品売り場で購入することができます。ヘパリン類似物質は先に述べたように医療機関でしか入手できないものもありますが薬局で購入できるものもあります。「ヒルドイド」や「ビーソフテン」が当分の間、医療機関でしか入手できず、しかも処方制限があるのが現実なら、処方箋なしで購入できるこれらに匹敵する優れたヘパリン類似物質が登場することを願いたいものです。

 

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2016年12月24日 土曜日

第160回(2016年12月) choosing wiselyで考えるノロウイルス対策

 毎年冬になると集団感染を起こすノロウイルスが今年も猛威を振るっています。連日のようにマスコミでも報道され、「集団感染」「死亡」といった文字も目にします。また、感染力が極めて強い恐怖の感染症というイメージもあるようで、太融寺町谷口医院にも「ノロだったら大変だと思ったので受診しました」という患者さんは少なくありません。

 しかし、結論から言えば、健康な成人であればノロウイルスに感染したとしても水分摂取が可能なら「検査」も「治療」も必要ありません。むしろ、しんどい身体をひきずって医療機関を受診すれば、待合室でインフルエンザなど他の感染症に感染するリスクが増えます。つまり、医療機関を受診したばかりに、かえって健康から遠のいたという笑えない話も実際にあるのです。

 不要な医療をおこなわないというのは「choosing wisely」の基本コンセプトです。choosing wiselyについてはこのサイトで何度も紹介していますが、もう一度どのようなものか簡単に振り返っておきたいと思います。発端は、アメリカ内科学委員会(American Board of Internal Medicine)がいくつもの学会に働きかけ「不要な医療行為」を挙げてもらい、それをリストにしたものです。現在多くの国でこのキャンペーンが実施されています。

 そこで米国のchoosing wiselyのウェブサイトで「ノロウイルス」でキーワード検索をしてみました。結果は「検索数ゼロ」。実は、後で述べるようにこれは予想していたことです。では「胃腸炎」もしくは「腸炎」で検索をしてみると、1件だけヒットしました(注1)。その内容は、「小児の胃腸炎での補液はどうしても経口摂取できないときに限らなければならない」というものでした。

 以前も述べたことがありますが、日本には「点滴神話」というものがあり、何かあれば点滴、と考えている人が大勢います。しかし、医学的にみて点滴が必要なケースというのはそう多くはなく、例えば「疲れているとき」「熱があるとき」「風邪の症状があるとき」などでは水分摂取が可能なら点滴は不要です。

 では、胃腸炎を起こしているときはどうでしょうか。この場合も水分摂取が可能なら点滴は不要です。ただ、私の経験からいっても、小児の場合は、受診時には安定していても、しばらくすると突然嘔吐しだし、その後水分が摂れず点滴をせざるを得ないというケースがしばしばあります。

 ですから、小児(及び簡単に脱水になりやすいやせた老人)については点滴の”敷居”が低くなるのは事実です。ですが米国ではchoosing wiselyのサイトで、その小児に対しても点滴は慎むように勧告しているのです。わざわざ「小児において」という注釈がついているのは、成人であれば”当然”点滴は不要だからです。欧米では、成人に対しめったなことで点滴をおこないません。

 私はタイのエイズ施設でボランティアをしていた頃に、この考えを欧米の医師たちからさんざん思い知らされました。なにしろ、エイズ末期の自力で水分を摂れないような患者さんに対しても点滴はしてはいけない、と言うのです。これは日本の医療と随分異なります。最近はいわゆる「延命治療」に反対し、心臓マッサージや人工呼吸器の装着を拒否する患者さん、胃瘻を求めない患者さんが増えています。しかし、点滴まで拒否する患者さんやその家族というのはそう多くありません。一方、欧米ではこのようなケースでも点滴は原則としておこなわないのです。

 もちろん、欧米でもノロウイルスに感染した成人に対し、点滴を一切おこなわないということはないはずです。嘔吐が激しく水分がとれないときには一時的に点滴をおこなうことになるでしょう。しかし、choosing wiselyに成人の点滴の記載がないのは、おそらく医師も患者も「点滴は最小限にすべき」という考えが身についているためにわざわざ文章にして警告する必要がないからだと思います。

 choosing wiselyの日本版というのは現在作成中であり、現時点では充分なものではありません。であるならば、谷口医院の患者さんに合わせたものを自分でつくってしまえばいいというのが私の考えです。ノロウイルスを含む感染性胃腸炎で私が患者さんに言っているのは次のとおりです。

①軽症ならそもそも医療機関受診が不要。
②水分摂取が可能なら点滴は不要。
③ノロウイルスの迅速検査は入院を要するほどの重症でなければ不要。
④薬も特に使う必要はないが、整腸剤(プロバイオティクス)や吐き気止めは用いてもよい。
⑤高熱があれば解熱鎮痛剤はアセトアミノフェンを用いる。(ロキソニンやボルタレン、ブルフェン(イブプロフェン)といったNSAIDsは胃腸に負担がかかるから使うべきでない。市販のものでも同じ)
⑥下痢止めは原則として使わない(かえって治癒が遅れる)。
⑦最善の治療は水分を多量にとって便をたくさん出すこと。
⑧高熱、血便、激しい倦怠感、持続する嘔吐などがあれば、それがノロウイルスかどうかは別にして医療機関受診が必要。
⑨予防は、カキの生食を避け、手洗いをしっかりする。

 補足しておきます。③の「検査」を希望する人がいますが、これはそもそも成人の場合は保険適用がありません。保険で調べることができるのは「3歳未満か65歳以上。または悪性腫瘍は腎不全などの基礎疾患がある場合のみ」です。なぜこのようなケースで保険適用があるかというと、このような患者さんは重症化することがあるからです。ノロウイルスには特効薬がありませんから、検査で陽性であっても陰性であっても治療に変わりがないのです。しかも迅速キットの精度は低く、陰性(感染していない)と出ても、実際には感染していることもあります。こんな検査をおこなうためにわざわざ医療機関を受診することに意味はないのです(注2)。

 ノロウイルスの迅速検査をおこなう意味があるのは、重症化し入院する場合です。この場合確定診断をつける必要があります。ノロウイルスと思い込んでいて別の疾患であったということは避けなければなりませんから、陰性という結果がでても繰り返し検査をおこなうこともあります。もちろん、他の感染症の検査もおこないます。

 予防の補足をしておきます。⑨にあるようにカキの生食は可能な限り避けるべきです。ちなみに私は医学部の5回生のときに「医師は生ガキを食べてはいけない」と大学病院の先生に言われ、その教えをずっと守っています。ワクチンがなく、感染力が非常に強く、カキに高率に感染しているノロウイルスから身を守るのは、「カキを食べるなら加熱する」に限るのです。

 予防に関してもうひとつ補足をしておくと、手洗いには石ケンを使い、アルコールも補助的な使用を検討すべき、ということです。ノロウイルスは石ケンもアルコールも無効と言われることがありますが、これは必ずしも正しくありません。ノロウイルスはエンベロープ(注3)を持たないウイルスで石けんとの親和性はよくありませんが、まったく無効というわけではありません。アルコールは医療者のなかにも誤解している人がいますが補助的に用いるのは有効です(注4)。

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注1:下記を参照ください。

http://www.choosingwisely.org/clinician-lists/american-college-emergency-physicians-iv-fluids-for-mild-to-moderate-dehydration-in-children/

注2:ノロウイルスの迅速検査の「感度」はせいぜい50-70%程度であろうと言われています。これは実際に感染している100人に検査をして「感染している」という結果となるのが50-70人しかいないということです。その程度の検査なのです。一方で、精度の高い検査(PCR法)などもあります。この検査は医療機関ではおこなうことができません。保健所など公衆衛生に従事する機関がおこないます。高齢者の施設やホテルなどでの集団感染の調査に必要だからです。

注3:下記を参照ください。

毎日新聞「医療プレミア」
病気を知る実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-「手洗いの”常識”ウソ・ホント」

注4:下記を参照ください。

医療ニュース2016年4月25日「ノロウイルスの有効な予防法」

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2016年11月15日 火曜日

第159回(2016年11月) 喘息の治療を安くする方法

 喘息(ぜんそく)は1990年代半ばまでは「死に至る病」でした。気道が閉塞し呼吸ができなくなり、救急車到着が間に合わずそのまま命を落とす人も多かったのです。90年代半ばまでは毎年約6千人が喘息で死亡していました。90年代後半から死亡者は少しずつ減りだし、2000年代になってからは4千人を下回るようになり、2012年には2千人を切りました。もはや喘息は命に関わる疾患ではなく、我々医療者は「喘息死亡者ゼロ」を目標としています。

 では、なぜ喘息で死亡することがなくなったのでしょうか。死亡だけではありません。喘息で入院を要するケースも救急車を要請するケースも劇的に減っています。私が医師になった2002年の時点では、一晩救急外来で勤務をすると、数名は必ず喘息発作で救急搬送されていました。現在はそういう症例は激減しており、今も喘息を上手くコントロールできていないというケースは、薬を適切に使用していない場合がほとんどです。

 つまり、喘息がこれだけコントロールしやすくなったのは「いい薬」が登場したから、というわけです。今回はその「いい薬」について歴史的経緯を述べ、さらに「いい薬」の欠点の「費用が高くつく」ということに対して解決法を紹介したいと思います。

 しかし「いい薬」の話を始める前に喘息のメカニズムを復習しておきましょう。喘息で息苦しくなるのは「気道が細くなるから」です。ですから、従来は、その細くなった気導を広げるのが最適の治療と考えられていました。ところが、気管支拡張薬を使って気道を広げてもそれは一時的なものであり、またすぐに気道が細くなりますから、そのうちに薬が効かなくなってきて重症化するということがよくあったのです。

 ところが、喘息の本当のメカニズムは「気道が細くなるから」ではなく「気道に炎症が起こるから」であることがわかってきました。「炎症」というとむつかしいですが、「気道の粘膜が腫れる」と考えれば分かりやすいと思います。粘膜が腫れた結果として気道が細くなっていたのです。であるならば、単に気管支を拡張させる薬を使うよりも、元の原因の「炎症」を和らげる治療をすべき、ということが分かります。

 そして気道の炎症を和らげる薬が先述の「いい薬」で、正体は「吸入ステロイド」です。以前からステロイド内服が喘息に効果があるのは分かっていましたが、ステロイド内服を続けるわけにはいきません。副作用が強すぎるからです。吸入ステロイドなら全身に作用するわけではありませんから、ステロイド内服を使用したときのような副作用に悩まされることもないのです。

 その吸入ステロイドが普及しだしたのが1990年代半ばです。この頃より喘息での死亡者が減少しだしましたから吸入ステロイドは歴史的な薬といえます。しかしながら、医療者が予測したほどには吸入ステロイドは普及しませんでした。その最大の理由は「効果がすぐに実感できない」ということです。新しい薬と期待して使ってみても1週間程度はほとんど効果が感じられないのです。これでは患者さんは継続して使ってくれません。

 もちろん、これは医師の説明不足であり、こういった薬の特性を十分に理解してもらうのは医師の義務であります。しかし、結果として患者さんにうまく伝わらず、きちんと使ってもらえないことが多かったのです。その点、吸入型の気管支拡張薬は使えば直ちに効果を実感できますから、患者さんからすればこちらに頼りたくなるのも当然といえば当然でしょう。

 ここで吸入型の気管支拡張薬には2種類あることを確認しておきます。1つは短期作動型、つまり、さっと効いてさっと切れるタイプです。これはとても分かりやすく、苦しくなれば吸入すればいいだけですから患者さんからは重宝されます。しかし、この薬の欠点はいずれ効かなくなってくるということです。喘息で苦しいときにこの薬が効かなくなれば命に関わることもあります。現在では、この吸入型の短期作動の気管支拡張薬(ここからは「SABA」と呼びます)は、非常用のいわば「お守り」として患者さんに持ってもらっています。

 もうひとつの気管支拡張薬は長時間作用するタイプ(ここからは「LABA」と呼びます)で、これは症状がなくても毎日使用すべき薬で、これによりある程度は安定しますから、SABAの使用頻度がぐっと減ります。

 そこで、根本的な治療である吸入ステロイド(ここからは「ICS」と呼びます)とLABAの双方の処方がおこなわれるようになりました。しかし、この方法もなかなかうまくいきませんでした。なにしろ効果が実感できるのはLABAの方であり、吸入ステロイドは効いているのかどうかわからない、使っても使わなくても症状が変わらない、と患者さんは感じるのです。それだけではありません。吸入薬は安くありませんからそれを2つも使うとなると金銭的に大変です。

 ブレークスルーが起こったのは2007年でした。ICSとLABAが一緒になった「合剤」が登場したのです。合剤と聞くと、単に2つの薬を合わせただけ、と思われます。それはそうなのですが、これが画期的な薬となったのです。なにしろ、効果をすぐに実感でき、しかもICSのおかげで気道の炎症がおさまった状態が維持されるのです。ICS単独が登場したとき以上に、この合剤は歴史的な薬となりました。

 その後次々にICSとLABAの合剤が開発され、現在ではアドエア、シムビコート、フルティフォーム、レルベア(すべて商品名)の4種が発売されています。これら合剤の普及により、喘息による死亡・入院が大きく減少しているのです。

 しかし、欠点もあります。2つの薬を合わせただけなのに何でこんなに高いの?と思えるくらい高いのです。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の患者さんのなかには、あまりお金を持っていない人もいますから(失礼!)、費用は少しでも安く抑えたいと考えます。そしてこれは我々からみても同じです。患者さんが負担する費用をできるだけ安くするのも医師の仕事のひとつと私は考えています。

 そこで私は、数年前からコントロールのよくなった患者さんに対してある「治療案」を提唱しています。これが本コラムの主題である「喘息の治療を安くする方法」です。具体的な方法は、ICSとLABAの合剤をまず使い、症状がまったくなくなった状態になれば、ICS単独に切り替える、という方法です。炎症がなくなった状態が維持できていれば喘息が発症することはありませんから理にかなった方法です。もちろんこのようなことを考えるのは私だけではなく、少しずつ全国的に普及してきています。そしてこの方法を「ステップダウン」と呼ぶことが一般的になってきました。

 どれくらい安くなるかをみていきましょう。合剤を2ヶ月分処方したとなると診察代などを含めて3割負担で約4,800円もかかります。これをICS単独に切り替えたとすると約2,600円で済みます(いずれも当院で最もよく処方する薬を使った場合)。まだあります。これはすべての患者さんに適応できるわけではありませんが、いい状態が維持できていれば、ICS単独の吸入回数を減らすことも可能です。ICS単独は1日2回が基本ですが、安定していれば1日1回に減らすことも場合によっては可能です。(ただし医師の許可なく減らすのはよくありません)

 うまくいけば、さらにICSの吸入回数を2日に一度程度にできる場合もあります。ここまでくれば合剤で治療をしていたときに比べて費用はなんと10分の1以下で済むのです!

 このサイトで何度も繰り返しているように、私はほとんどの慢性疾患ではセルフメディケーションが重要であり、治療は医師に任せるべきではない、という考えを持っています。喘息については、まず環境の見直し(受動喫煙はないか、ペットを飼っているなら対策はきちんとできているか、ダニ対策は万全か、空気清浄機は?、加湿器は?、など)を徹底してもらい、次いで、薬の作用機序を理解してもらい、症状を自己評価してもらいながら、ゆっくりとICSのステップダウンをしていくのが最適かつ最強の喘息のセルフメディケーションだと考えています。

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2016年10月20日 木曜日

第158回(2016年10月) 「コムギ/グルテン過敏症」という病は存在するか

 コムギを避けている人がここ数年で急増しています。以前「医療ニュース」(注1)で述べたように、これは日本だけでなく米国でも同様の傾向にあります。興味深いのは、コムギが原因で生じるセリアック病の患者が増えているわけではなく、また、コムギ/グルテン除去を始めた人の多くがコムギアレルギーでない、ということです(尚、グルテンとはコムギやライ麦に含まれるタンパク質の一種です)。

 セリアック病は元々日本には少なく欧米に多い疾患です。上記「医療ニュース」で述べたように、米国ではセリアック病の有病率は2009年から2014年まででほとんど変わっていません。にもかかわらず、コムギ/グルテンフリー実践者率は同時期に3倍にも増えているのです。

 では、コムギアレルギーが増えているのかというと、全体では増えているかもしれませんが、コムギ除去を始めた人の多くがコムギアレルギーではありません。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)では、ここ数年、「コムギを避けると調子いいんです。これはコムギアレルギーに違いありませんから検査してください」と言って受診する人が少なくありません。

 問診から「コムギアレルギーではなく検査不要」と判断することも多々あります(開院以来主張し続けているように「検査は常に最小限」が谷口医院のポリシーです)。こういう人たちは、コムギを避けているといっても、完全除去しているわけではなく、以前に比べてコムギ摂取量を減らしているだけであり、これはアレルギーではありません。では、完全除去している人はどうかというと、そういう人たちも、よくなったという症状を聞くと、それはイライラ感であったり、頭痛であったり、疲労感であったりで、これらはアレルギーを示唆するものではありません。実際血液検査をしてもコムギ、グルテン、ω5グリアジン(注2)のいずれも特異的IgE抗体は陰性となります。

 最近は少し減りましたが依然根強い”誤解”は、IgG抗体が陽性となり、これを「遅延型食物アレルギー」と呼ぶという説です。過去にも述べたように(注3)、これは完全に否定されている説であり、日本アレルギー学会が表明しているように、「血清中のIgG抗体のレベルは単に食物の摂取量に比例しているだけ」、です。

 話を戻しましょう。セリアック病でなく(注4)、コムギアレルギーでもないのにも関わらず、コムギ/グルテンを除去すると、これまで悩まされていた症状から解放されて調子がいい、という人が現在大勢いるのです。

 おそらくこれまでは、多くの医師は、こういった変化は単に気持ちの問題、言うなればプラセボ効果ではないかと考えていました。私自身も、プラセボか、もしくは、パンやうどん、パスタをやめることによって急激な血糖値の上昇がなくなったことが原因かもしれない、と考えていて、きちんとした疾患ではないと思っていました。

 しかし、それをくつがえすことになるかもしれない論文が最近発表されました。医学誌『Gut』2016年7月25日号(オンライン版)に掲載され(注5)、この論文では、「セリアック病ともコムギアレルギーとも異なるメカニズムで発症するコムギ/グルテンが関与した疾患が存在する」と述べられています。病名をつけるなら「非セリアック病性非アレルギー性コムギ/グルテン過敏症」となりますが、これでは長いのでここからは便宜上「コムギ/グルテン過敏症」とします。
 
 この研究では、コムギ/グルテン過敏症が疑われる症例、セリアック病患者、健康対照者の分析がおこなわれています。コムギ/グルテン過敏症が疑われる患者では、セリアック病やコムギアレルギーではみられない急性かつ全身性の免疫系の反応、さらに細胞性の腸の損傷も認められたそうです。これらから、腸管内に存在する微生物や食物の成分が機能の低下した腸管粘膜のバリアを通過して血管内に侵入し、それらにより、様々な症状が誘発された可能性が示唆されると研究者は考えています。

 また、コムギ/グルテン過敏症の症例では、血中の「可溶性CD14(soluble CD14)」、「リポ多糖結合蛋白(lipopolysaccharide (LPS)-binding protein)」、「脂肪酸結合蛋白2 (FABP2)」などが上昇することが分かったそうです。もちろん、これらの値を調べただけでこの新しい疾患が確定診断できるわけではありませんが、診断にいたるヒントにはなる可能性はあります。今後の研究を待ちたいと思います。

 ここで谷口医院を受診している「コムギ/グルテン除去」をしている患者さんの例を少し紹介したいと思います(ただし、本人が特定されないように若干のアレンジを加えています)。

【症例1】30代女性

以前より疲労感が継続し、熟睡ができない。持病の片頭痛が増悪傾向に。職場でイライラすることが多く上司に暴言を吐いたことも・・・。そんなとき、ネットの情報で、有名人がコムギ除去をおこない調子がよくなったと聞いてコムギ/グルテン除去を開始した。その結果、開始後2週間ですべての症状が改善。1ヶ月に10錠ペースで服用していた片頭痛の薬(トリプタン製剤)の使用が激減した。

 この症例で注目すべきなのは、トリプタン製剤の使用量が激減したということです。疲労感や不眠というのは、計測できないものであり客観的な評価は困難ですが、トリプタン製剤の使用量は客観性があります。片頭痛というのは重症化すると薬局で売っているような鎮痛薬はほとんど効きません。どうしてもトリプタン製剤に頼らざるを得ないのです。これだけ急激に使用量が激減し、生活の変化はコムギ/グルテン除去だけですから、因果関係がある可能性は充分にあると思われます。少し穿った見方をすると、有名人がコムギ除去で健康になった→自分も同じことをして元気になった(有名人と同じ!)→プラセボ効果で眠れるようになった→片頭痛の頻度が減った(片頭痛は適切な睡眠で改善します)、と考えられなくもありません。しかし、これだけ劇的に改善した原因が単なるプラセボとは思えないのです。

【症例2】40代男性

軽度の糖尿病、軽度の高脂血症(高中性脂肪血症)、軽度の肥満、うつ病などで数年前より谷口医院に通院。やはりネットの情報で、有名人がコムギ制限をしていることを知り開始した。症例1の女性と同様、イライラ感、抑うつ感が大きく改善。また、体重が減少し、血液検査では血糖値、中性脂肪共に値が正常化。本人が言うには、最近薄くなり始めていた毛髪も改善してきたとのこと。

 この症例で、血糖値、中性脂肪の値が低下し、体重が減少したのは、コムギを除去したからではなく、おそらく糖質の摂取量が低下したからでしょう。意図したわけではないものの「糖質制限ダイエット」が結果として成功したというわけです。この症例も、穿った見方をすると、体重が減り、自信がついて、(毛髪が増えたかどうかは分かりませんが)、その結果気分が改善してイライラや抑うつ感が改善したのではないか、と考えたくなります。ただし、そうであったとしても、患者さんの採血データが改善し、精神状態がよくなり、仕事での自信もでてきたわけで、一方でコムギを除去したデメリットはほとんどありません。米は食べていますから糖質不足になりすぎることもありません。私はこの患者さんに対しては「コムギを制限して何もかも上手くいっているのですね。ならば続けてみればどうですか」と話しています。もっとも、よく聞くと、ソーセージやカレー、ギョウザなどは食べているようで、コムギを完全除去しているわけではなさそうです。

 コムギ/グルテン過敏症は実在する疾患なのか否か? 現段階ではおそらく「認めない」という医師の方が多いでしょう。しかし、谷口医院では、私の方から勧めることは通常はありませんが、すでにコムギ/グルテン除去を実施している人や、これからやってみたいという人には応援したいと考えています。もちろん、注意深い経過観察が必要ですが。

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注1:医療ニュース2016年9月29日「コムギ/グルテンフリー食実践者、日米ともに増加」

注2:コムギ依存性運動誘発性アナフィラキシーでは、コムギ、グルテンともにIgE抗体が陰性となり、ω5グリアジンのみが陽性となります。また、「茶のしずく石鹸」で有名になった、グルパール19Sによるアレルギーは、特殊な検査で確定させます。  

注3:医療ニュース2014年12月25日「「遅延型食物アレルギー」に騙されないで!」

注4:セリアック病の診断には小腸粘膜の生検が必要になります。ですから、生検をしていないならセリアック病を否定できないじゃないか、とうい意見があるかもしれません。しかし、セリアック病というのは下痢や腹痛などの消化器症状が生じるものであり、谷口医院で訴えの多い、イライラ、頭痛、疲労感などをきたすわけではありません。

注5:この論文のタイトルは「Intestinal cell damage and systemic immune activation in individuals reporting sensitivity to wheat in the absence of coeliac disease」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://gut.bmj.com/content/early/2016/07/21/gutjnl-2016-311964.abstract?sid=6a1deaeb-8cfb-4833-8643-0c9fc2b54324

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2016年9月22日 木曜日

第157回(2016年9月) 最近増えてる奇妙な食物アレルギー

 食物アレルギーというのは、メディアでよく取り上げられるからなのか、多くの質問や相談が寄せられます。最近は少し下火になったとはいえ、依然「遅延型食物アレルギー」についての質問も相変わらず多く、マスコミからの取材依頼もしばしばあります。過去にも述べたように「遅延型食物アレルギー」というものは否定されているものです。一部の情報で、特定の食物のIgG抗体が上昇するのが遅延型食物アレルギーとしているものがあるようですが、日本アレルギー学会のサイト(注1)に記載されているように「血清中のIgG抗体のレベルは単に食物の摂取量に比例しているだけ」です。

 しかし、食物アレルギーを患っている患者さんは年々増えており、しかも従来にはなかったような新しいタイプのものが増えているような印象があります。今回は、そのようなこれまではあまり注目されていなかった食物アレルギーを紹介していきます。

 まず1つめに取り上げたいのは「ビールアレルギー」です。以前は何の問題もなくビールが飲めていたのにもかかわらず、あるときから飲むとすぐに全身に蕁麻疹(じんましん)が出現し、それがだんだんひどくなってきた、というケースです。

 全例とは言いませんが、このビールアレルギーの患者さんの大半は、アトピー性皮膚炎か、もしくはアトピーがなくても手に湿疹がある(あった)人です。そして、かなりの人が過去に居酒屋やビアガーデンでアルバイトの経験があります。診察時に、「居酒屋でバイトしてたでしょ」と言うと、「なんで知ってるんですか?!」と驚かれることもしばしばあります。

 このメカニズムを解説しましょう。これはこのサイトで過去に何度か紹介している「食物アレルギーの機序についての二通りのアレルゲン曝露仮説」と呼ばれるものです。これでは何のことか分からないので、改めてかみ砕いて説明します。

 従来の考え方では、食物アレルギーは、元々遺伝的に決まっているか、あるいは食べているうちにアレルギーが成立するのではないかとされていました。それがそうではないことが分かってくるようになり、正しいと考えられるようになってきたメカニズムは「食物アレルギーの機序・・・仮説」でクリアカットに説明できます。これはまだ「仮説」の域を超えていないのですが、最近、正確であることを強く示唆する事象がいくつかでてきています。

 その代表が日本で生じた「茶のしずく石鹸」によるコムギアレルギーです。従来コムギを普通に食べていた人たちが、コムギを少し食べただけでアレルギー症状が出現し、ひどい場合は救急搬送される例が相次ぎました。コムギアレルギーがなぜ生じたのか。それは「茶のしずく石鹸」に含まれるコムギの成分が皮膚から身体に侵入することで、身体がそのコムギ成分をアレルゲン、つまり「敵」とみなすようになったからです。つまり、一部の食物は口から入るとアレルゲンにはならず(これを「免疫寛容」といいます)、皮膚から体内に侵入するとアレルギーが成立し(これを「感作」と呼びます)、いったんアレルギー(感作)が成立すると、その食物を普通に食べてもアレルギー症状が生じるのです(注2)。

 これまでは問題なく食べていたものであっても、その食べ物が皮膚から体内に侵入するとアレルギーになってしまう。これが「食物アレルギーの機序・・・仮説」の実態です(注3)。本当にこのようなことがあるのか・・・。この仮説が提唱されたときは懐疑的な声も少なくなかったものの、次第にこれを裏付ける事象が増えてきているのです。

 ビールアレルギーもそのひとつです。ビールアレルギーの大規模調査はみたことがありませんが、私の実感として、多くの人は過去に居酒屋やビアガーデンでアルバイトをしており、そこでビールがこぼれて炎症があった皮膚に付着した、という経験をもっています。そして、ビール酵母もしくは麦芽のIgE抗体を調べると陽性となります。他のほとんどの食物アレルギーと同じように、いったんビールアレルギーになってしまえば、対策としてはビールを避けるしかありません。アトピー性皮膚炎や手湿疹がある人は、アルバイトの選択を考え直した方がいいかもしれません。

 次に紹介したいのは、マカロンやカンパリなどの赤色の食べ物・飲み物です。この原因はこのサイトで過去にも紹介したことのあるコチニールが原因です(注4)。2012年5月、消費者庁は、「コチニール色素に関する注意喚起」というタイトルのニュース・リリースを公表しました(注5)。我々医師の実感としては、この発表の前からも、マカロンやカンパリのアレルギーはときどき経験していました。特に珍しいと言えるものでもないために、「マカロンやカンパリを避けましょうね」で済ませていましたが、私には以前から疑問に思っていたことがありました。それは、これらのアレルギーを持っているのは全員が女性、ということです。消費者庁のニュース・リリースには性差については触れられていません。しかし私はこれまで男性のこれらのアレルギー患者を診たことがありません。なぜなのでしょうか。マカロンを好んで食べるのは男性よりも女性でしょうし、バーでカンパリソーダを注文するのは女性が多いからか・・・。そのように考えたこともありましたが、答えは別にありそうです。これを解く「鍵」も「食物アレルギーの機序・・・仮説」にあります。

 なぜ、女性にだけコチニールアレルギーが起こるのか。それは女性が口紅を使うからです。(ですから口紅を用いる男性にも当然起こることになります) 一部の口紅には、赤色を出すためにコチニールが用いられているのです。もっとも、コチニール入りの口紅を使えば誰もがアレルギーを発症するわけではありません。おそらく、口紅があれていたり(口唇炎)、口角炎があったりして皮膚の微細な傷からコチニールが体内に侵入したのでしょう。それで「感作」されアレルギーが成立するというわけです。ですから、これから対策を立てるとすれば、コチニール入りの口紅を避けることと、いったんアレルギーが発症した場合は、マカロン、カンパリは避け、赤色の食べ物をみたときは原料を確認することです。

「食物アレルギーの機序・・・仮説」で説明できそうなアレルギーで、最近増えていると私が感じているのが「ココナッツアレルギー」です。ココナッツ入りの食べ物・飲み物を食べた直後に身体がかゆくなるというのが典型的な症状です。そして、大半の例に、ココナッツオイルでマッサージを受けた経験があります。ココナッツは美味しいですし健康にもいいものですから、食べられなくなることは避けたいものです。少なくとも、湿疹や傷があるときにはココナッツオイルを用いたマッサージは避けるべきだと思います。

 最後に紹介したいのが「納豆アレルギー」です。私自身はまだ患者さんを診たことがないのですが、学会などでは最近よく紹介されています。納豆アレルギーが興味深い点は2つあります。1つは、症状が出るのが遅く、納豆を食べてから半日から1日くらいたってから出る、という点です。通常、食物アレルギーは食べた直後から遅くとも1時間くらいして出ますから、納豆アレルギーは例外的な食物アレルギーと言えます。

 もうひとつ納豆アレルギーで興味深いのが、先に述べた、コムギ、ビール、コチニール、ココナッツなどとは異なり、納豆が皮膚から入ったことが原因ではない、ということです。では原因は何なのか。これを解くヒントは「納豆アレルギーの大半はサーファー」という事実です。では、なぜサーファーにアレルギーが起こるのか。この答えは「クラゲに刺されるから」です。つまりクラゲの持つネバネバとした成分(ポリガンマグルタミン酸と呼ばれています)が皮膚から体内に侵入し「感作」が成立し、そのネバネバ成分と構造が似ている納豆のネバネバ成分を食べるとアレルギー症状が出現するというわけです。

「食物アレルギーの機序・・・仮説」が「仮説」でなくきちんとした「原理」と認められるにはまだもう少し時間がかかるでしょう。また、どんな食べ物でもこの仮説が当てはまるわけではなく、例えば化粧品には、白ワイン、米、日本酒などが原料に使われているものもありますが、コムギやココナッツのようなアレルギーが生じたという報告は聞いたことがありません。

 しかしながら、この仮説で説明がつく、我々が気づいていないアレルギーもまだまだあるのではないかと私は思っています。例えば、ピーナッツアレルギーは、この機序で説明できるのでは?と思えてきます。口の周りが荒れている子供が行儀悪くピーナッツバターを食べるのは危険ですし、ピーナッツの破片がころがっているような床で赤ちゃんがハイハイをするのは避けるべきだと思います。一部のカニアレルギーは、カニを頬張ろうとしたときにカニの甲羅で口の周りが切れてそこからカニの身が入ったのでは・・・? 最近増えている果物アレルギーも、もしかすると行儀悪くかぶりついたときに果物エキスが口角炎から侵入したのでは・・・? 

 10年後のアレルギーの教科書が大きく改訂されているかもしれません。 

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注1:下記を参照ください。

http://www.jsaweb.jp/modules/important/index.php?page=article&storyid=51

注2:これをイラストで示したものが下記です。

http://www.stellamate-clinic.org/images_mt/child.pdf

注3:詳しくは下記を参照ください。
メディカルエッセイ第136回(2014年5月)「免疫学の新しい理論」

注4:下記を参照ください。
医療ニュース2012年5月28日「コチニールのアレルギーに注意!」

注5:下記で読めます。

http://www.fsc.go.jp/sonota/cochineal.pdf

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2016年8月22日 月曜日

第156回(2016年8月) 低カリウム血症の意外な理由

 医師国家試験の勉強をしているとき、私が苦手だった病態のひとつが「低カリウム血症」でした。カリウムが低いなら野菜や果物を摂ればいいではないか、という簡単な話ではもちろんなくて、試験では「なぜ低カリウムになっているか」を考えなければなりません。また、実際に医師になってからも、患者さんの低カリウムがみつかることはしばしばあり、この原因を突き止めなければなりませんし、場合によっては緊急入院してもらわなくてはならないこともあります。当たり前ですが、実際の臨床は試験とは違いますから誤診は許されません。

 なぜ私は試験で低カリウム血症が苦手だったのか。最大の理由は、低カリウム血症の原因となる疾患が山ほどあるからです。少し例を挙げると、腎血管性高血圧、原発性アルドステロン症、尿細管アシドーシス、クッシング症候群、褐色細胞腫、甲状腺機能亢進症、抗利尿ホルモン不適合分泌症候群、ファンコーニ症候群、バーター症候群、ギッテルマン症候群、リドル症候群、・・・・。慣れないうちは「低カリウム」と聞いただけで頭がクラクラしたものです。

 低カリウムの原因には薬剤性もあります。つまり、どの薬が低カリウムの原因になりうるか、とういことはあらかじめ知っておかねばならないのです。少し例をあげると、一部の利尿薬、インスリン、一部の降圧薬、テオフィリン(喘息で使う薬)、また漢方薬の主成分のひとつである甘草(かんぞう)でも起こります。

 限られた時間のなかで回答せねばならない試験で低カリウムがでてくると、やれやれ・・・、という気持ちにはなりますが緊張感はありません。怖いのは実際の診察室です。身体がだるい、力がはいらない、手がふるえる、身体がむくむ、体重が減っている、頭痛が止まらない、めまいがする・・・、こういった患者さんが受診すれば、低カリウム血症を一度は疑わねばなりません。

 そして、程度の差はあれ、実際に低カリウムになっていることは珍しくありません。では、国家試験の問題を解くような気持ちで、ひとつひとつの病気を吟味しなければならないのでしょうか。例えば、「ん? ギッテルマン症候群では血圧は上がるんだったっけ? リドル症候群はたしか遺伝性疾患だからこの年齢まで発見されないのはおかしいよな。遺伝は優性遺伝でよかったかな?もしかして劣性遺伝?」なんてことをゆっくりと考えているヒマはありません。診断は正確にしなければなりませんが、苦しんでいる患者さんが目の前にいるわけですから迅速さも大切なのです。

 実際に診察室で診る低カリウム血症は大半が「若い女性」です。「若い」というのはだいたい10代後半から50代前半くらいです。(50代は若くないという意見もあるかもしれませんが、医療の現場で50代は「若い」のです)

 私が医学部の学生で試験対策をしているときは低カリウム血症の鑑別、つまり低カリウムをおこしている元の疾患を探し出すことに苦労しました。今は、まったく別のことで苦労しています。多くの場合(すべてではありません)、若い女性の低カリウム血症の原因は、嘔吐・下痢・多尿のいずれかです。大切なカリウムが嘔吐物、便、尿と一緒に体外に出て行ってしまい、その結果低カリウム血症となるというからくりです。なぜ嘔吐・下痢・多尿が起こっているかについてもだいたい推測が可能で、ほとんどのケースでそれは当たっています。

 大変なのはここからです。まず、最も困るのが、私の「推測」が患者さんに否定されるときです。推測が本当に外れているなら否定されるのは当然ですが、私の「推測」はたいてい当たっています。では、なぜ彼女たちは私の「推測」を否定するのでしょうか。その理由は後で述べます。

 もうひとつ大変なのは、私の「推測」が当たっていることを認めてくれたとしても、その原因をなかなか取り除いてくれない、つまり私の言うことを聞いてくれないことがしばしばあるからです。この理由も後で述べます。

 では若い女性に嘔吐・下痢・多尿はなぜ起こるのでしょうか。もちろんお酒を飲みすぎれば嘔吐しますし、食中毒があれば下痢をしますし、コーヒーや緑茶など利尿効果の高いものを飲めば多尿は起こります。ただし、この程度では重症の低カリウム血症にはなりません。重症の放っておいてはいけない低カリウム血症になるのは、尋常でないほどに嘔吐・下痢・多尿が起こるときで、これらには何らかの”行動”があるはずです。

 ひとつひとつをみていきましょう。まず、「嘔吐」の原因は摂食障害(拒食症)です。摂食障害の場合、患者さんは吐いていること自体は比較的簡単に認めますが、それを病気だと認識していません。うつ病を併発し、いかにも病んでいる、という感じの女性もいますが、その逆に、快活で自己主張もはっきりしている優等生タイプも少なくないのです。実際に学校の成績がよい学生や、働く世代であれば若いのに役職がついているような人もいます。嘔吐を繰り返していることは認めてもそれが病気であるとは思っていませんから、治療をしましょうと言っても聞いてくれませんし、精神科受診を勧めても拒否されることが多いといえます。それに、精神科受診すればすべて解決するわけではなく、また精神科医からみても摂食障害は難治性疾患であり、実際、病院によっては「摂食障害は紹介しないでほしい」と言われることもあります。

「下痢」は下剤(便秘薬)を使っているからです。しかも大量に。このケースは、初めは便秘解消目的で下剤を使っているのですが、そのうちにたくさん食べても吸収される前に、下剤を使って便として出してしまえば太らないだろうと考えるようになるのです。この人たちにも病識はありません。むしろ、「吐くのは問題だけど便をするならOK」と考えていることも多々あります。

「多尿」は利尿薬の乱用です。利尿薬は薬局で買えませんからクリニックや病院を複数受診し入手しているか、あるいは最近はネットでも簡単に買えます。日本の医療機関で他人に処方されたものをその人から購入するのは違法ですが、個人輸入で海外製を購入するのは合法です。国内製品ならば医師の処方がないと使用できない薬品が、海外製品であればクリックひとつで購入できてしまうというのはどう考えてもおかしいと思うのですが、これが現実です。ある海外輸入のサイトをみてみると、「芸能人やモデルに人気の〇〇〇〇〇は、全身のむくみなどを取り除く利尿剤です」と書かれていました。

 むくみの原因は様々で、たしかに、定期的に利尿薬を使った方がいい場合もあります。しかし、その場合は、適切なタイミングで採血をおこない、カリウムが下がっていないかどうか、また他の副作用が出ていないかどうかをチェックします。カリウムが低下傾向にあれば、カリウムを下げないタイプの利尿薬に変更、または併用することもあります。自分の判断で利尿薬を内服するのは絶対にやめなければなりません。

 嘔吐・下痢・多尿にあてはまりませんが、ここ数年で多いのが、やはり海外製のやせ薬による低カリウム血症です。一番多いのは甲状腺ホルモンが含まれているケースで、これは人為的に甲状腺機能亢進症をつくりだしているわけですから、低カリウムが起こるのは当然です。ただ、この人たちが医療機関を訪れるのは低カリウムがあるからではなく、嘔気、めまい、頭痛、動悸などに耐えられなくなるからです。

 ここまでくればもうお分かりだと思います。若い女性の低カリウム血症の大半は「やせ願望」から起こっている異常行動が原因です。興味深いことに、私の経験で言えば、彼女らは実際にはそれほど太っていないどころか、すでにやせている女性も少なくありません。にもかかわらず、もっとやせたいと考えているのです。こういったやせかたが危険であることを説明すると、分かってもらえることもありますが、なかなか理解してもらえないこともよくあります。最も困るのが下剤や利尿薬を使っていることを認めてくれない場合です。患者さんが認めないのになぜ断定できるんだ、という声もあるでしょうが、例えば入院すればすぐに回復し、退院するとすぐに低カリウムになるという人は、「物証」はありませんが、まず間違いなく医療者に嘘をついて病院外で何かをしています。低カリウムはときに大変危険です。致死的な不整脈をおこしており、直ちに集中治療室(ICU)に入院せねばならないこともあります。

 医師国家試験の低カリウムは原因をつきとめるのが大変です。しかし、実際の医療現場で苦労するのは患者さんに理解してもらい行動を改めてもらうことです。私が医師国家試験の問題を作成するなら、低カリウムの原因を考えさせる問題はほどほどにしておき、どうすればいきすぎたダイエット信仰を考え直してもらえるかを問うてみたいと思います。

参考:
はやりの病気第38回(2006年10月)「本当に恐ろしい拒食症」

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2016年8月11日 木曜日

2016年8月 医学部の同窓会で驚いたことと気づいたこと

 先日、医学部卒業後初めての同窓会が開催されました。私は研修医を終えてから、複数の医療機関でさらなる研修を受け、タイのエイズ施設でボランティアをおこない、その後大学に籍を置いてからもいろんなところで勤務をし、かなり慌ただしく過ごしたために、結果としてほとんどの同級生とは卒業以来一度も顔を合わせていませんでした。もっとも、同窓会の開催が卒後初めてのことであり、私と同じように、同期と会うのは久しぶり、という同窓生も少なくはありませんでした。

 さて、その同窓会に出席して、私がとても驚いたことがあります。それは、「ほとんどの同級生がまったく変わっていない」ということです。これは「三つ子の魂百まで」という意味ではありません。もちろん、性格自体も変わっていないことは少し話せば分かるのですが、これは想像できたことです。私が驚いたのは、「外見」つまり「見た目」が変わっていない、ということです。

 私が医学部に入学したのは27歳時。現役で入学した人たちとは9歳離れていることになります。そんな彼(女)らも、今や一番若い人たちでも現在40歳直前です。さすがにこれだけ月日がたてば外見の変化は避けられないはずです。

 しかし、若い・・・のです。しかもほとんど例外なく。私は高校の同窓生にもときどき会いますし、大学(関西学院大学)時代の友達とも顔を合わせますが、何割かの男女は、若い頃の面影がまったく感じられないほど”激変”しています。ですから久しぶりに合うと、その変貌の大きさから、一瞥しただけでは同一人物だと認識できないことすらあります。

 私はその医学部の同窓会で、「みんなが変わっていないので驚いた」と何度も口にしたのですが、あまりこの話題にのってくれる人はいませんでした。おそらく、彼(女)らからすると、40歳前後に年をとったくらいでそんなに変わるわけないでしょ、という気持ちがあったのだと思います。つまり、彼(女)らからすれば、外見が大きく変貌した友達が周囲にいないことが予想されるというわけです。

 ところで、「若さ」は何で決まるのでしょうか。ひとつは「中年太り」という言葉があるように年と共に体重が増える人がいます。私が日々診ている患者さんのなかにも多く、20歳の頃から比べると10kg以上太ったという人もざらにいます。しかし、同窓会に来ていた医学部の同級生のなかで肥満はゼロでした。特に、女性は出産していても(なかにはすでに3人の子供のお母さんになっている人もいました)体重増加とは縁がないようで、大学生の頃と見た目がほとんど変わっていないのです。

 医学部の同級生は喫煙者もゼロです。私が高校や大学(関西学院大学)のときの友達と集まればだいたい3分の1くらいは今もタバコを吸っていますからこの違いは歴然です。医学部の同窓生もお酒は大半の人が飲みますが、見境なく飲むような人はいません。

 もうひとつ、私が同窓会で感じて、それが「若さ」の秘訣になっているのではないかと感じたことがあります。それは「明るくて真面目」ということです。仕事で辛いことがまったくない人などおらず、それなりのグチのような言葉は多少出ますが、それでも真面目に明るく向き合っているのです。仕事や上司のグチを延々と吐き続け、意識がなくなるほど泥酔する人を私は会社員時代に何度か見ましたが、医学部の同級生の間ではそういう人は皆無なのです。

 とても充実した同窓会に参加した私は後日、数か月前に読んだある新聞記事を思い出しました。それは「真面目な人ほど年収が高い」ということを示した研究です。さっそく調べてみると興味深いことがわかりました。

「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査2015」というタイトルの東京大学の研究(注1)で2016年4月25日に結果が公表されています。研究の対象者は29~49歳の5千人近くの男女です。アンケートで、①勤勉性、②まじめさ、③忍耐力を評価し、これらが年収と関係があるかどうかが調べられています。結果、①勤勉性が最も高いグループは最も低いグループに比べ65万円年収が高く、同様に、②まじめさ、③忍耐力ではそれぞれ73万円、75万円の差が認められたのです。

 ただし、私が言いたいのは、「医師は真面目だから年収が高い」、ということではありません。同窓会に参加して感じたのは、「真面目だから見た目が若い」ということです。これを主張するためには、別の研究結果を参照する必要があります。

 2010年に実施された「国民健康・栄養調査」では、年収と、体型、食生活、運動、喫煙などとの関係が示されています(注2)。この調査の結論を一言でいえば、「年収が高いほど健康的」となります。例えば、年収(世帯所得)が600万円以上の女性で肥満者は13.2%なのに対し、200万円未満の女性では25.6%と大きく上昇します。また、600万円以上の男性の野菜摂取量が293グラムなのに対し、200万円未満の男性では256グラムしかありません(注3)。

 厚労省が実施する「国民健康・栄養調査」の結果をみて、「年収が高くなければ健康になれないのか・・・。健康格差は年収で決まるのか・・。貧乏人は長生きできないってことなんだな・・・」と感じる人が多いでしょう。さらに、「昔に比べて所得格差が広がっているのは政府が悪いからで、政府のせいで低所得者の健康が危機にさらされている・・・」と思う人がいるかもしれません。

 私の考えは違います。「年収が高いから健康」なのではなく、「真面目だから規則正しい生活ができて健康を維持できる。そして真面目であれば高収入が期待できる。つまり真面目さが健康と高収入の双方につながり、そして身体のみならず精神的にも社会的にも安定が得られることで見た目が若くなる」、というものです。

 ここでもう一度医学部の同級生の話に戻ります。以前拙書にも書いたことがありますが、医学部の学生の大半は天才ではありません。そうではなくコツコツと真面目に努力を重ねるタイプです。大学の授業でも役立つことがあるから、と言って、高校時代の物理や数学のノートを持参する同級生に驚かされたことがあります。私は高校時代のノートなどもはやどこにもありません。というよりそもそもノートなど作った記憶がありません。しかし、医学部に入学してからは私も彼らに見習ってノートをきちんととるようにし、それは今も大切にとってあります。そうなのです。私は随分と年下の彼(女)たちの勉強に対する姿勢に影響を受け、私自身が真面目(と自分で言うのはこっぱずかしいですが・・・)になることができたのです。

 医学部に現役で合格する男女というのは、中学時代から、あるいはもっと前からコツコツと真面目に勉強しています。私が高校一年生の4月、たった3日で挫折してやめてしまった数学の「4ステップ」(教科書傍用問題集)も彼(女)らは、毎日続けていたのでしょう。彼(女)らは、少々のスランプが訪れたとしてもそれを乗り越える勤勉さと忍耐力を持っているのです。そしてその勤勉さや忍耐力が過酷な研修医生活を乗り越え、その後の激務もこなし、同時に家庭でも成功しているのです。

 私には元々真面目さ、勤勉さ、忍耐力のどれもが欠落しており、ただ「学問を学びたい」という”勢い”だけで医学部に入学しました。その後も「学びたい」という気持ちがさほどぶれなかったからこそその後の勉強ができたんだ、と思い込んでいましたが、今思えば、もしも彼(女)らに出会っていなければ、そのうち私の悪いクセがでて、勉強を放棄したかもしれません。

 真面目さ、勤勉さ、忍耐力は、ずいぶんと年下の同級生たちから学ばせてもらったのだ・・・。これが、私が同窓会に参加して彼(女)らの見た目の若さから気づいたことです。

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注1:この研究の詳細は下記URLを参照ください。

http://csrda.iss.u-tokyo.ac.jp/panel/PR/15PressRelease.pdf

注2:下記を参照ください。

医療ニュース2012年2月6日「年収低いほど肥満、野菜不足、運動不足」

注3:詳しくは下記を参照ください。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000020qbb-att/2r98520000021c30.pdf

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2016年7月22日 金曜日

第155回(2016年7月) 黄熱~世界一恐ろしい生物と予期せぬアウトブレイク~

 今年(2016年)最も注目されている感染症のひとつがジカウイルス(ジカ熱)です。2015年後半からブラジルを中心に流行が始まり、妊婦さんが感染すると小頭症の赤ちゃんが生まれてくることや、生涯にわたり神経症状に苦しめられることもあるギランバレー症候群のリスクが知られるようになりました。さらにその後、性感染がけっこうな頻度で生じることがわかり、厚生労働省も、流行地域から帰国後、症状の有無にかかわらず最低8週間は性感染のリスクがあると発表しています。

 オリンピックが間もなく開催されようとしているブラジルでジカウイルスが流行しているのはなんとも皮肉な話です。ジカウイルスは蚊に刺されることによって感染します。以前取り上げたように蚊とは「世界一恐ろしい生物」なのです(注1)。

 世界一恐ろしい生物である蚊は「単独」でヒトを殺せるわけではありません。口から他の病原体をヒトに「注入」し、体内に侵入した別の病原体がヒトを殺すわけです。この病原体で最も多くのヒトを殺しているのがマラリアです。マラリアは世界三大感染症のひとつです。(他のふたつは結核とHIVです)
 
 蚊が媒介するヒトを殺す感染症でマラリアの次に多いのはおそらく黄熱です。マラリアも含めて蚊が媒介する感染症というのは、アジア、アフリカ、南米などに多く、こういった地域の多くは公衆衛生学がそれほど発達しておらず、そのため正確な感染者数や死亡者数を知ることは困難です。それでもいくつかの発表をみてみると、死亡者最多はマラリアの50万人以上でこれはダントツの1位です。次いで多いのが黄熱で、WHOの発表では29,000~60,000人(注2)。日本脳炎(注3)とデング熱(注4)は共に2万数千人程度、チクングニア熱とウエストナイル熱が共に数百人程度、リフトバレー熱はほぼゼロ、小頭症やギランバレー症候群は恐怖ですがジカウイルスも死亡者についてはほぼゼロです。フィラリアという生涯に渡り苦しめられる感染症があり、これは蚊が媒介する感染症ではとてもやっかいなものですがフィラリア自体で死亡することはあまりありません。

 つまり、マラリアを除けば、蚊で死ぬかもしれない感染症では「黄熱」が最も多いということになります。マラリア対策にはWHOを始め多くの団体が支援を打ち出していることが知られていますが、実は黄熱への対策も今世紀に入ってから積極的におこなわれています。

「黄熱イニシアチブ(Yellow Fever Initiative)」と命名されたWHOのプロジェクトが2006年に立ち上がりました。これは、黄熱が最も問題となっている西アフリカのいくつかの国で合計1億人以上にワクチン接種をおこなうという計画です。黄熱には治療薬がありません。また蚊(ネッタイシマカ)を全滅させることは事実上不可能です。であるならば、大きく感染者を減らすにはワクチンが最適ということになります。実際、このプロジェクトが功を奏し、WHOの発表によれば2015年の西アフリカでの黄熱のアウトブレイクは「ゼロ」となったのです。「黄熱イニシアチブ」は成功した。この調子なら黄熱は完全に撲滅することも不可能ではない・・。おそらく多くの人はそう思ったのではないでしょうか。

 ところが、WHOがアウトブレイク「ゼロ」と発表した数か月後、事態は誰もが予期しなかった方向に向かいます。2015年12月頃からアフリカ南西部のアンゴラで黄熱感染者の報告が少しずつ増えだし、2016年3月までに335人が感染、うち159人が死亡したのです。これを受けて、WHOが正式に「アウトブレイク」を表明しました(注5)。アンゴラでの黄熱のアウトブレイクは1988年以来、28年ぶりです(注6)。1988年には感染者が37人、死亡者が14人でしたから、2016年の規模は10倍以上ということになります。

 アンゴラのアウトブレイクはさらに広がることになります。中国人の感染者が相次いで報告されたのです。2016年3月には6人、4月には4人のアンゴラから帰国した中国人が黄熱を発症しました。

 ここで黄熱とはどのような感染症なのかをまとめておきましょう。媒介する蚊はネッタイシマカで、アジア、アフリカ、中南米に多く生息しています。日本にも沖縄にはネッタイシマカがいますが、少なくとも記録が残っている太平洋戦争後では国内での黄熱発症者はいません。感染するのはアフリカと中南米だけで、アジアでは感染しないとされています。

 感染すると3-6日の潜伏期間を経た後、発熱、筋肉痛、頭痛、嘔吐などの症状が出現します。しかし、多くの人はまったく症状がでず感染に気付かずに治癒します。症状は3-4日程度で消失しますが、なかには第二期に入る場合もあります。第二期に入れば再び高熱が生じ、肝臓や腎臓が障害を受けます。肝臓が急激にやられるために黄疸が出現し、このため身体は黄色くなります。これがこの病気の名前「黄熱」の由来です。尿は黒くなり、腹痛・嘔吐に苦しみます。出血が口、鼻、目、胃などから生じ、ここまでくれば半数の人は7-10日後に死に至ります(注7)。

 いったん発症すると黄熱ウイルスに効く薬はありませんから、解熱鎮痛剤程度くらいしか使える薬はありません。しかし、黄熱には優れたワクチンがあり、WHOによればワクチン接種者の99%が30日以内に効果がでます(注8)。しかも比較的安全で安いワクチンですから、世界中でワクチンを一斉にうつことができれば黄熱はほぼ消失する可能性があります。

 ただし、アフリカや中南米に渡航しない人には必要ありませんし、アフリカ・中南米のすべての国と地域が高リスクとはいえないですし、そもそも安価とはいえ、ワクチンには限りがあります。そこでWHOは「黄熱イニシアチブ」でアウトブレイクを繰り返している西アフリカをターゲットにしたのです。しかし、西アフリカでは成功したものの、アンゴラで28年ぶりの予期せぬアウトブレイクが起こってしまったというわけです。

 黄熱ウイルスはヒト→ヒトへの感染はありませんが、ヒト→蚊→ヒトであれば感染します。ですから、黄熱が発生する国としては、黄熱ウイルスを持っているかもしれない外国人の入国を拒否したくなります。それで、いくつかの国では黄熱ワクチンを接種したことを証明するカード(これを「イエローカード」と呼びます)を持参することを義務づけています。

 ここで注意しなければならないのは、出国した国によって求められる場合があるということです。例えば、日本からロンドンやシンガポールを経由して南アフリカ共和国に入国する場合はイエローカードを求められません。しかし、ブラジルに滞在した後で同国に入る場合は求められるのです。そして、このような国はたくさんあります。つまり、無条件でイエローカードを求められる国と、どこの国から入国するかによって求められる国があるということです。しかも、このルールは頻繁に変わるために、アフリカ・中南米に渡航する人は最新の情報に注意しなければなりません(注9)。

 しかし、黄熱ワクチンは一度接種すれば生涯有効で、イエローカードは一度発行されれば生涯使えます。実は、つい最近まで、イエローカードの有効期間は10年間とされていたのですが、2016年7月11日から、これまでに発行されたものも含めて、生涯有効とされました。ですから、今は予定がなくても、将来中南米やアフリカに渡航することを考えている人はワクチン接種を検討するのがいいでしょう。(ただし、黄熱ワクチンを接種できる機関は限られています(注10))

 日本で流行する可能性は極めて低いと思われますが、中国でもそのように言われていたわけですから、やはり流行国を渡航する場合には注意が必要でしょう。

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注1:下記コラムを参照ください。

メディカルエッセイ第149回(2015年6月)「世界で最も恐ろしい生物とは?」

注2:WHOの該当ページ(下記URL)を参照ください。

http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs100/en/

注3:厚生労働省検疫所の該当ページ(下記URL)を参照ください。

http://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/2014/03181434.html

注4:エーザイの該当ページ(下記URL)を参照ください。

http://atm.eisai.co.jp/ntd/dengue.html

注5:アンゴラでのアウトブレイクについてはWHOの報道(下記URL)を参照ください。

http://www.who.int/features/2016/yellow-fever-angola/en/

注6:WHOの該当ページ(下記URL)を参照ください。

http://www.who.int/emergencies/yellow-fever/mediacentre/qa/en/

注7:このあたりの記述はWHOの該当ページに基づいています。

http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs100/en/

厚生労働省の黄熱のパージは下記URLを参照ください。

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000124615.html

注8:黄熱ワクチンを開発したのは、南アフリカ出身で米国の微生物学者マックス・タイラー(Max Theiler)で、1951年のノーベル医学生理学賞を受賞しています。ちなみに、野口英世はいち早く黄熱の対策に取り組んでいて、病原体を発見したと発表しましたが、後に誤りであることが分かりました。野口英世の時代には光学顕微鏡では観察できないウイルスの存在がまだはっきりとわかっていなかったのです。野口英世は黄熱で他界しています。

注9:いろんなサイトで、いろんな情報が公開されていますが、まず間違いなく確実にアップデイトされており最も正確なのはWHOの下記ページだと思われます。ただし、実際に渡航されるときにはその国の領事館に確認するのがいいでしょう。

http://www.who.int/ith/2015-ith-county-list.pdf?ua=1

注10:厚労省検疫所の下記ページを参照ください。

http://www.forth.go.jp/useful/yellowfever.html#list

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2016年6月20日 月曜日

第154回(2016年6月) 誰が薬剤耐性菌を生みだしたか

 薬剤耐性菌という言葉、誰もが聞いたことがあり、言葉の意味も、なぜ薬剤耐性菌が生じるかについてもほとんどの人が知っています。我々医療現場にいる者からすると、この薬剤耐性菌というものに対する恐怖は並大抵のものではないのですが、マスコミも一般の人たちも、そして(腹立たしいことに)行政も今ひとつその危機感を持っていないように思えてなりません。

 今回は、薬剤耐性菌の問題に対してきちんとした対策をとっていない人たち、主に行政を批判するコラムになります。批判の前に、現在の薬剤耐性菌についてまとめておきます。

 抗菌薬を多用しすぎると、遺伝子に変異をおこしその抗菌薬で死なない細菌だけが生き残るようになり、これを「薬剤耐性菌」と呼びます。薬剤耐性菌が出現すると、今度はその耐性菌を退治できる抗菌薬の開発がおこなわれることになります。するとその新しい薬に対して耐性を獲得した菌が出現し、再び新しい薬剤が・・・、とイタチごっこのような「細菌vs人類」の対決が繰り広げられているわけです。

 で、現在の”戦況”はどうかというと、人類に分が悪いというか、耐性菌の恐怖は次第に大きくなってきています。例えば、米国CDC(疾病管理局)は2014年に「CRITICAL – 2014 Year in Review」というタイトルの発表をおこない、そこで「新しい4つの感染症」を驚異として取り上げています(注1)。その4つのうち1つが薬剤耐性菌です。(あとの3つは、エボラ出血熱ウイルス、エンテロウイルスD68(注2)、MERSウイルスです)

 実際にアメリカでは薬剤耐性菌の被害が深刻で、最近よく取り上げられるのが通称CREと呼ばれるカルバペネム耐性菌(正確には「カルバペネム耐性腸内細菌科細菌」)です。カルバペネムという名の従来は「最後の切り札」として使われていた抗菌薬が効かない菌のことで、特定の菌種を指すのではなく、カルバペネムが効かない菌を総称して呼びます。

 カルバペネム耐性菌に対して唯一有効なコリスチン(注3)という薬があるのですが、細菌vs人類の歴史は細菌側に有利な展開となります。2015年11月、コルヒチンが効かない細菌が中国の養豚場で見つかったのです。そして2016年5月、米国でコリスチンが効かないカルバペネム耐性菌に罹患した患者がみつかりました。この患者は49歳の女性で、尿路感染症がなかなか治らず、やむを得ずコリスチンが使われたものの効かなかったと報じられています。(その後この女性がどのようにして治療されたのか、現在も感染症が治癒せず続いているのかどうかについては報道がなく不明)

 日本でもカルバペネム耐性菌は深刻な問題ですがそれ以外にもあります。ここ数年でよく取り上げられる薬剤耐性菌に「ESBL産生菌」と呼ばれる細菌(正確には「基質特異性拡張型β-ラクタマーゼ産生菌」)があります。2016年6月16日の日経新聞によりますと、これまでに少なくとも66人の子供(うち9人は生後3日以内)がこの細菌による敗血症を発症し、うち2人が死亡しているそうです。ESBL産生菌は現在のところ先に述べたカルバペネム系が有効とされていますが、すべての患者に使えるわけではありません。

 他には通称「KPC」と呼ばれる「カルバペネム耐性クレブシエラ」、ニューデリーで最初に発見されたことから命名されたNDM-1あたりが注目されています。NDM-1については過去のコラム(注4)で紹介したこともあります。

 2016年5月26~27日に開催された伊勢志摩サミットで、薬剤耐性菌に対して世界各国で協調して取り組んでいくことが首脳宣言に盛り込まれました。評価されるべきなのは「畜産業で成長促進のために抗菌剤を使用することを段階的に廃止する」(注5)という合意が得られたことです。先に述べたコリスチン耐性の報告があった中国でも発見されたのは養豚場で、つまり家畜のエサに大量に抗菌薬が入れられていることが原因です。家畜に対する抗菌薬の使用については米国もおそらく中国とそう変わらないはずです。あまりマスコミは取り上げませんが、オバマ大統領が米国での畜産業から抗菌薬を廃止することに同意したのは画期的なことです。

 伊勢志摩サミットで検討された薬剤耐性菌対策は、基本的には2015年の(ドイツの)エルマウサミットでの決定事項の流れを汲んだものです。ただエルマウサミットでは「抗生物質の適正使用を促進し」という表現にとどまっており具体性がありあません。そこで、日本政府は、伊勢志摩サミットの開催に先駆けて、2016年4月1日の閣議で「抗菌薬の使用量を2020年までに現状の3分の2に減らす」とする行動計画案を発表しました。マスコミの報道によれば、「医療機関向けに抗菌薬使用の指針などをつくる」としているそうです。

 それから約2ヶ月が経過しましたが、医療機関向けの政府のこのような指針の発表はありません。私は新聞報道でこの政府の発表を聞いたとき、「医療機関への指針の前にすることがあるだろう」と感じました。

 日本政府がまずすべきなのはアジア諸国に対する注意勧告です。タイやインドでは屋台で抗菌薬が売られている光景を目にすることがあります(本物かどうか疑わしいのもありますが・・・)。また、医師の処方箋がなくても薬局で抗菌薬が誰でも買える国は多数あります。例えばフィリピンの薬局では「ペニシリン1錠ください」と言えば、実際に1錠だけ買うこともできます。このような使用はもちろん「完全な誤り」であり、医師は抗菌薬を処方するときに量を適当に決めているわけではありません。ときには3日分、ときには7日分となるのは菌の種類と重症度、その患者さんの免疫能などを考えて総合的に判断しているからです。先に述べたNDM-1は、インドでは不適切な抗菌薬の使用が横行していることが原因で生まれたと言われています。日本政府がまずおこなうべきなのはアジア諸国への注意勧告に他なりません。

 次に自国に目を向けてみましょう。私が日ごろ感じている日本での抗菌薬に関する最大の問題は「個人輸入」です。薬物の個人輸入は麻薬や覚せい剤でない限りは合法だそうですが、私は抗菌薬を禁止にすべきと考えています。いくつかある薬剤の個人輸入代行のホームページをみてみると、多くの抗菌薬がごく簡単に買えることが分かります。しかも、よほどの重症例でない限り処方しないような貴重な抗菌薬までもがクリック1つで購入できるのです。

 例えば、ニューキノロン系の抗菌薬というのは重症例にしか処方すべきでないもので、そのニューキノロン系のなかでも極めて強力なグレースビットやアベロックスといった薬剤が必要な症例というのはごくわずかです。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の例でいえば、こういった強力なニューキノロンを処方するのは年に一度あるかないかです。それくらい重症例にしか使うべきでない抗菌薬がネット上で誰でも簡単に買えるのです。以前、谷口医院を初めて受診した患者さんから「ネットで買った抗菌薬が効かないんです」と言われたことがありました。このような言葉を聞くと絶望的な気持ちになります。私個人としては、「抗菌薬取締法」を制定し、抗菌薬は麻薬と同じように医師でないと処方できないようにするべきと考えています。

 医療機関で抗菌薬を処方しすぎている、という声があります。この声は正しいのでしょうか。医師は、必要な症例に必要な日数分しか抗菌薬を処方していません。そして、なぜ抗菌薬が必要なのかを可能な限り説明しています。例えば風邪症状で受診した場合、喀痰や咽頭スワブ(喉を綿棒でぬぐったもの)を用いて、グラム染色をおこない、細菌感染の像が顕微鏡で観察されたから抗菌薬が必要といった説明をするわけです(注6)。グラム染色で細菌感染が疑えなければ抗菌薬は処方しませんし、ときには一切の薬を処方しないことも谷口医院ではよくあります。

 ほとんどの医師は(グラム染色をおこなうかどうかは別にして)処方するときには患者さんに抗菌薬が必要な理由を話しているはずです。しかし、全員がかと問われるとそうでない可能性もあります。というのは、谷口医院を受診する人で、「前の病院では”とりあえず”抗生物質を飲むように言われた」と言う人がいるからです。抗菌薬は”とりあえず”飲むものではありません。喉が痛い、熱がある、といった理由だけで抗菌薬を飲んではいけません。飲むことによって余計に悪くなることだってあるのです(注7)。

 こういうケースでは、実際には前の病院の医師も”とりあえず”などという言葉を使わずきちんと説明していることも多いと思うのですが、なかには、このケースは前の医療機関で説明不足かもしれない・・、と私自身が感じることがあるのも事実です。

 しかしながら、抗菌薬の過剰使用の問題を世界全体でみたときに、日本の医師の過剰使用はあったとしてもごくわずかだと思います。まずはアジア諸国の無秩序で無法状態の抗菌薬の氾濫を食い止める政策をおこなうこと、次いで個人輸入での抗菌薬の購入を禁止することが重要です。最後に、個人レベルでおこなえる抗菌薬対策を挙げておきます。

・抗菌薬は必ず医師に処方してもらう(個人輸入はおこなわない!)

・処方された抗菌薬は大きな副作用が出ない限りは最後まで飲み切る。(ときどき、「自宅にあった抗菌薬を飲みました」、という人がいますが、抗菌薬が自宅にあること自体がおかしいのです)

・診察時に「抗菌薬が必要か」を尋ねるのはOK。「抗菌薬をください」はNG。(ときどき「お金を払うって言ってるでしょ!」と怒り出す人がいますが、抗菌薬の処方はそういう問題ではありません)

・抗菌薬を処方してもらうときは必要な理由を尋ねる。(抗菌薬を過剰に処方している医師が本当にいるなら、患者さんが毎回尋ねるようにすれば解決するでしょう)

注1:CDCのこの報告は下記URLを参照ください。

http://www.cdc.gov/media/dpk/2014/dpk-eoy.html

注2: エンテロウイルスD68の脅威については下記を参照ください。

はやりの病気第150回(2016年2月) エンテロウイルスの脅威

注3:カルバペネム耐性菌にも有効なコリスチンという抗菌薬は日本人が1950年代に開発しました。そんな優れた抗菌薬が、しかも日本人が開発したものがなぜこれまではそれほど使われていなかったかというと、副作用の頻度が高くまた重篤化することもあること、そして開発された当時はもっと安全で有効なものがあったことが理由です。尚、コリスチンの耐性菌は最近日本でも報告されました。

注4:はやりの病気第85回(2010年9月号)「NDM-1とアシネトバクター」

注5:外務省の下記ページを参照ください。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000160313.pdf

注6:これについては、毎日新聞ウェブサイト版「医療プレミア」にコラムを書いたことがあります。

実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-「その風邪、細菌性? それともウイルス性?」

注7:例えば、伝染性単核球症(キス病)に抗菌薬を使えば大変なことになります。詳しくは下記を参照ください。

実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-「抗菌薬が引き起こす危険な副作用と、「キス病」」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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