はやりの病気

第95回 アルツハイマーにどのように向き合うべきか 2011/7/20

「刑事コロンボ」で有名なアメリカの俳優ピーター・フォークが先月(2011年6月)に他界されたことが世界中で大きく報じられました。マスコミの報道をみていると、偉大な俳優を失ったことに対する寂しさやセンチメンタリズムが伝わってきますが、ほとんどのマスコミが、晩年にアルツハイマー病を発症していて自分が「コロンボ」であったこともわからなくなった、ということを強調しているように感じられました。

 アルツハイマー・・・。この病名を聞いたことがないという人はほとんどいないでしょうが、その理由は罹患者の多さよりも、病気に対する恐怖があまりにも大きいからではないでしょうか。

 1968年生まれの私の印象で言えば、アルツハイマーという名称が一躍有名になったのは有吉佐和子の小説『恍惚の人』が映画化され、世間の注目を浴びた頃からではないかと思われます。「恍惚の人」という言葉は私が子供の頃に何度も聞いた記憶があり、たしか流行語にもなっていたと思われます。しかし、wikipediaで調べてみると『恍惚の人』が公開されたのは1973年ですから、少なくとも私は(当時5歳ということになりますから)この映画を映画館で見ていることはなく、テレビで放送しているのを見たのかもしれませんが、特に記憶に残っている映画のシーンというのはありません。けれども、「恍惚の人」という言葉はしっかりと記憶にあり、「恍惚の人=アルツハイマー」という図式が私の頭の中でできあがってしまったのは事実です。

 アルツハイマーに対して多くの人が恐怖を感じるのは、自分で自分のことが分からなくなり、まともな意識があれば大変恥ずかしいと思われる行動や言動を繰り返し、周囲に散々迷惑をかけるからでしょう。実際、私は医師になってから、「お願いやからアルツになったら安楽死させてくれ」と何人もの友人から言われました(注1)。確かに、アルツハイマーが進行すると、暴力的になったり、徘徊して警察のお世話になったり、家中に糞便を撒き散らしたりすることもあります。こうなると、家族の苦労は想像を絶する程にまでなります。ある患者さんは、アルツハイマーが進行した姑の面倒を泣きながらみている自分の母親に同情し、「できることならばあちゃんを殺したい」と漏らしていたことがあります。

 しかし、アルツハイマーは程度も症状も様々で、この患者さんの祖母のように家族が疲労困憊(という生易しいものではありませんが)するケースもあれば、家族の顔やトイレの場所は分からないものの、一日中ベッドに座って四六時中ニコニコしているだけの人もいます。「恍惚」という言葉も、否定的な意味がある一方で、何かに心を奪われてうっとりとしているほのぼのとしたイメージもあるのではないでしょうか。

 さて、アルツハイマーを医学的な観点からみていきましょう。まず、どれくらいの人がかかっているかというと、現在の日本の認知症の患者数はおよそ230万人と言われており、アルツハイマーはその半数と考えられています。ということは約115万人ということになります。割合で言えば、115万人/1億2千万=約1%となります。65歳以上の10%、80歳以上の25%がアルツハイマーになるという統計があり、2050年には日本では65歳以上が40%となると言われていますから、今から40年もたてば、日本の全人口の4%がアルツハイマーを発症していることになります。(これはアルツハイマー型認知症のみで、他の認知症は含まれていないことに注意してください)

 世界全体でみると、アルツハイマー病の罹患者はおよそ2,400万人程度であろうと言われています。この数字を大きいとみるか小さいとみるかですが、世界の人口が約70億人ですから人口の0.4%が有病者ということになり、日本単独でみたときよりも有病率は低くなります。しかし、この数字は今後数十年で確実に増加、しかも極端に増加するのは間違いありません。

 そもそもアルツハイマーに罹患する人が増えるのは社会が高齢化するからであり、アジアやアフリカの平均寿命が50代の途上国であれば、アルツハイマーなどという疾患はほとんど問題になりません。一方、かつては発展途上国と呼ばれていた国も、ここ10~20年の発展がすさまじく、例えばタイや中国では、現在最も問題になっている疾患は糖尿病や高血圧、あるいは悪性腫瘍といった生活習慣病です。かつてのように結核やマラリア、エイズで若い命が失われ長生きできなかった国ではもはやありません。そしてこのような国々ではアルツハイマーの罹患者が確実に増えていきます。

 世界的に高齢化社会が進行すると、悪性腫瘍と同様、間違いなくアルツハイマーは世界規模で増加します。アルツハイマーは悪性腫瘍と異なり、罹患しても生命予後には大きな影響を与えませんから、社会全体でアルツハイマーと向き合っていかなければなりません。アルツハイマーは、21世紀後半の最も身近で最も深刻な疾患になるのではないかと私は考えています。

 いくら厄介な病気であったとしても治癒する病気であれば、さほど心配することはないかもしれません。実際、人類は、結核を克服し、マラリア対策に成功し、エイズにも優れた薬剤を開発しました。これらの疾患にはまだまだ取り組まなければならない課題がたくさんあるのは事実ですが、予防と治療をしっかりおこなえば恐れる病気ではすでになくなっています。

 ところがアルツハイマーは、最近になり新薬が次々と承認され、日本にも合計4つの薬(注2)が揃うことになりましたが、例えば、半年間薬を飲めば完治する結核のように治療ができるわけではありません。重症化することをいくらか遅くすることは期待できますが、何事もなかったかのように”完治”するわけではないのです。

 では、どのように予防すればいいのか、ということですが、結論から言えば、アルツハイマー予防に有効性がきちんと認められているものは現時点ではありません。たしかに、「20代で言語スキルが高いとなりにくい」、「地中海ダイエットがいい」、などといった研究があるのは事実です。なかには「携帯電話がアルツハイマーを予防する」といったものもあります(注3)。しかし、これらの研究は規模がそれほど大きくなく、必ずしも科学的に実証されているわけではないと考えるべきでしょう。

 医学誌『Archives of Neurology』2011年5月9日号(オンライン版)に掲載された論文(注4)によりますと、「アルツハイマーに有効な要因や、またリスクとなる要因について明らかなものは現時点ではない」とされています。この研究は、1984~2009年に先進国在住の50歳以上の男女を対象としたアルツハイマーに影響を与える因子を調べた合計18の研究を、2010年に米国立衛生研究所(NIH)が改めて総合的に検討したものをまとめています。

 アルツハイマーの予防効果があると言われている、イチョウ葉エキス(日本でもサプリメントで出回っています)、ビタミンB12、ビタミンE、ω3脂肪酸、βカロチン、果物・野菜の積極的な摂取、などでは有効性が認められなかったそうです。特にイチョウ葉エキスとビタミンEについては、かなりの確証をもって、有効性なし、という結果がでています。

 地中海式ダイエット、葉酸、少量から中量のアルコール摂取、認知活動、身体活動では、たしかにアルツハイマーのリスクを低減させる可能性はあるとされていますが、「充分にエビデンス(科学的確証)をもって」とまでは言えなかったそうです。

 アルツハイマーのリスクになる因子としては、糖尿病、高脂血症、喫煙ですが、これらも充分なエビデンスをもってして、断言することはできないそうです。

 じゃあアルツハイマーを防ぐにはどうすればいいの?、となりますが、常識的に健康的と考えられるライフスタイルが重要であることに変わりはありません。実際、この論文の執筆者であるMartha L. Daviglus博士は、「現在のエビデンスの質が”不充分”でも、運動や血圧コントロール、禁煙を実施し、肥満に注意し、適切な睡眠時間を維持するといった健康的ライフスタイルを守るべきである」、とコメントしています。

 私自身の考えもまったく同じです。少なくとも「認知症になったら安楽死させてくれ・・・」と知り合いの医師に頼むよりははるかに現実的な対策です。

注1:「安楽死」という言葉を使えば内容が柔らかく感じられますが、言いたいのは「認知症になったら殺してくれて」ということです。もしも認知症が原因で命が奪われることがあればこれは「安楽死」ではなく「殺人」です。このあたりをきちんと説明しようと思えば「安楽死」の定義から述べていく必要がありますが、今回はこれ以上の議論はしないでおきます。

注2:アルツハイマーの薬は、日本ではこれまで1999年に承認されたドネペジル塩酸塩(商品名はアリセプト)しかありませんでしたが、最近3種類の新しい薬が承認されました。1つは「メマンチン塩酸塩(商品名はメマリー)」で、アリセプトとは異なるメカニズムで作用するため、アリセプトとの2剤併用も可能となります。2つめは「ガランタミン臭化水素酸塩(商品名レミニール)」で、これはアリセプトと同じ作用機序で効きますが、アリセプトよりもマイルドなためにアリセプトの副作用が強い人には適しているかもしれません。3つめは、「リバスチグミン(商品名イクセロンとリバスタッチパッチ)」で、これは貼り薬です。

注3:「20代で言語スキルが高いとなりにくい」は、医学誌『Neurology』2009年7月8日号(オンライン版)に
「Clinically silent AD, neuronal hypertrophy, and linguistic skills in early life」というタイトルで掲載された論文で紹介されています。
http://www.neurology.org/content/73/9/665.abstract?sid=b605d701-93be-429f-93e4-6a5141e51080

「地中海ダイエットがいい」は、2009年に医学誌『JAMA』に掲載された「Adherence to a Mediterranean Diet, Cognitive Decline, and Risk of Dementia」という論文で紹介されています。
http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=184384

「携帯電話がアルツハイマーを予防する」は医学誌『Journal of Alzheimer’s Disease』の2010年1月号(オンライン版)に掲載されている「Electromagnetic Field Treatment Protects Against and Reverses Cognitive Impairment in Alzheimer’s Disease Mice」という論文で紹介されています。
http://www.j-alz.com/issues/19/vol19-1.html

尚、出所は省略しますが、これら以外にも「週に10km程度の歩行が予防になる」「勤勉が予防になる」「コーヒーで予防できる」などといった研究もあります。

注4:この論文のタイトルは、「Risk Factors and Preventive Interventions for Alzheimer Disease」です。

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