はやりの病気

第219回(2021年11月) 「発達障害」を”治す”方法

 本サイトで初めて発達障害を取り上げたのは太融寺町谷口医院をオープンする前、今から15年前の2006年です(はやりの病気2006年9月「あなたの周りにも?!-アスペルガー症候群-」)。その後、発達障害の”流行”は現在も続いていて止まる様子がありません。

 昭和時代なら単なる「個性」で片付けられていたような”症状”を、自身もしくは周囲が発達障害だと決めつけて受診に至るというケースも目立ちます。以前からそのような、例えば「空気が読めない人」は大勢いたわけで、「昔なら病気とは考えられていなかった。だから発達障害は増えているわけではない」という意見は根強くあります。

 他方、精神科医と製薬会社が発達障害を意図的に増やしているという指摘もあります。これは「薬で儲けたい製薬会社と受診者数を増やして稼ぎたい精神科医の利害が一致し、市民が犠牲になり患者にされている」という意見です。いささか陰謀論のきらいがある考えですが、この考えもまったくのデタラメではないと私は感じています(そう思わざるを得ない実例については後述します)。

 では、やはり統計上、薬の処方数が増え、受診者数が増えているだけであって、発達障害そのものは増えていないのでしょうか。現在の私の考えは「増えている」です。そう考える理由については後述することにして、まずは発達障害の基本をまとめておきましょう(実は、肝心の基本が誤解されていることが多いのです)。

 発達障害は先天的な疾患です。「大人の発達障害」という言葉があり、これは大人になっていきなり発症するかのような印象を受けます。たしかに成人してから発症する可能性もなくはないでしょうが、障害は生まれつきあったはずです。つまり脳を詳しく調べれば異常が見つかるはずです。具体的には、小脳が平均より小さかったり(だからバランス感覚が悪い)、脳の左右差が大きかったり(だから特定の領域に詳しくなる)するわけです。

 よく指摘されるように、この疾患は正常と異常の境界がはっきりしていません。病名の定義も変わってきており、最近はアスペルガー症候群という病名は用いられなくなり、代わりに「自閉スペクトラム症」という言葉がよく使われます。そして、発達障害のなかに自閉スペクトラム症、ADHD(注意欠陥性多動障害)、他に学習障害などがあるとする概念が普及してきています。ですが、実際には自閉スペクトラム症とADHDの区別がつきにくいこともしばしばあります。

 冒頭のコラムを書いた2006年頃からアスペルガー症候群は流行語のようになり、いわゆる「空気の読めない人」がアスペルガーのレッテルを貼られるようになってきました。また、抜群に暗記が得意だったり、特定の趣味に没頭したりするような人たちも「アスペ(ルガー)の傾向がある」と言われるようになりました。「他人の気持ちが理解できない」こともアスペルガーの特徴のひとつとされ、「私の気持ちをまったく理解してくれない夫はアスペルガーかも……」と考える妻の訴えも増えだし、この苦しみが「カサンドラ症候群」と呼ばれるようになりました。

 一方、ADHDは文字通り注意力に欠けていて落ち着きがない症状を指すわけですが、単に不注意が多いだけ、忘れ物を繰り返すだけでADHDではないかと考える人が増えてきました。また、アスペルガー症候群と同じように、何か特定のジャンルに極めて詳しいことや高い芸術のセンスがあることが取り上げられるようになり、いわゆる「オタク」と呼ばれる人たちからの「自分はアスペ(ルガー)でしょうか、それともADHDでしょうか」という相談が増えました。

 私は精神科医ではないために、このような疾患の診断を下すことは原則としておこないません。他覚的にそれらが疑われ、患者さんが希望するときには精神科医を紹介しますが、(特にアスペルガー症候群の場合)有効な治療法がないこともあり、積極的に精神科受診を促すようなことはしていません。

 それに、率直に言うと、精神科医の診断を疑うこともあります。そもそも発達障害というのは先述したように先天性の疾患であり、文字通り「発達」に障害があるわけです。つまり、幼少時に発達障害を連想させるエピソードがなければなりません。決して、10分程度でできるアンケートのような質問に答えるだけで診断がつくわけではないのです。

 にもかかわらず、「精神科では初診時に簡単な質問用紙に答えて10分で発達障害の診断がついて薬が処方されました」という患者さんもいるのです。しかも、診察室で会話する限り、私にはその患者さんが発達障害だとは到底思えず、薬は覚醒剤類似物質が処方されています。もしかすると、名医ならば初診患者に10分程度の質問用紙を書かせただけで診断がつけられるのかもしれませんが……。

 発達障害の診断をきちんとするには、脳に異常があることを示すべきだと以前から私は主張しているのですが、これはほとんど試みられていません。MRIを撮影すれば医療費が高くつくことが原因なのかもしれませんが、発達障害というのは「治らない病気」とされているわけですから(後述するように私は”治療”できると考えていますが)、病名告知はその患者さんの人生を大きく変えてしまうこともあるわけです。何十年もたってから「それは誤診でした」では済みません。発達障害には脳に器質的な異常所見があるはずで、仮にそれが見つからなければ発達障害でない可能性も出てくるわけです(否定できるわけではありませんが)。逆に、あきらかな脳の器質的な異常(先述したように左右差や脳の一部が小さいなど)があればそれだけで確定診断に近づきます。

 発達障害が増えていると私が考える理由のひとつは「父親の高齢化」です。これにはきちんとしたデータがあるのにも関わらず、なぜか世間には今一つ浸透していません。医学誌『Molecular Psychiatry』2011年12月号に掲載された論文「父親の年齢と自閉症のリスク:人口ベースの研究と疫学研究のメタアナリシスからの新しいエビデンス (Advancing paternal age and risk of autism: new evidence from a population-based study and a meta-analysis of epidemiological studies)」を紹介しましょう。この論文によれば、50歳以上の父親から生まれた子供が(発達障害を含む)自閉症(autism)を発症するリスクは、29歳以下の父親の2.2倍にもなります。

 発達障害が増えていると私が考えるもうひとつの理由は「”治療”されていない人が多い」というものです。ですから、これは正確には「増えている」わけではありません。冒頭で述べたように、昔なら「個性」で片付けられていた行動が発達障害と呼ばれるようになっているという指摘は正しいと思います。ですが、発達障害を患っている人が、昭和時代なら”治療”されて症状が出なくなっていたのが、現在では”治療を受けていない”ということがあるように思えるのです。

 先ほど発達障害は「治らない」と述べました。では私が言う”治療”とは何なのでしょうか。それは「対人関係を通しての”学習”により症状を再発させないこと」です。発達障害の中には知能が正常、あるいは正常よりも高い人が少なくありません。例えば18歳のときには場違いな発言をして空気を凍らせていたような人も、そういった失敗を繰り返し経験することで、「他人があのようなことを言ったときに、こういう返答をしてはいけない」とか「あれを言うならあのタイミングではよくない」といったことが学習できると思うのです。

 そして、そのような学習の機会を最も多く得ることができるのが「恋愛」です。これは完全に私見ですが、発達障害の人たちには美男美女が多くないでしょうか(注)。だからコミュニケーションが苦手で、無神経な発言で他人をイラつかせることがあったとしても恋愛にはむしろ有利なこともあるのです。そして恋愛を通して、つまりパートナーから”指導”を受け学習することで発達障害の症状の再発が防げると思うのです。

 ところが、昭和が終わる頃あたりから若者の人間関係が希薄になってきました。クラブ活動に参加したとしても昭和時代のように濃厚な人間関係が構築されず、恋愛に消極的な若者が増え、さらにインターネットやSNSの普及でコミュニケーションが対話から文字に変わりました。健全な人間関係を構築するには、言葉そのものではなく、話し方や空気の読み方、非言語(non-verbal)でのコミュニケーションが大切です。昭和時代であれば、部活で厳しい”洗礼”を受け、恋愛で失敗を繰り返し、就職すれば上司からの暴言は当たり前といった社会でもまれるうちに、人間関係が苦手な人も、そして発達障害を患っている人たちもそれなりの学習ができたと思うのです。

 私は「厳しい社会を復活させよ」と言っているわけではありません。ですが、文字でなく濃厚な対面の人間関係に自分を置き、そして深い恋愛にどっぷりと耽溺するような経験を通して学習することが、発達障害の”治療”になると思うのです。

 こんなことは研究のテーマになりませんし、学術的な論文は書けません。ですからこの私見は医学的な意味をもたないことは分かっています。ですが、私がこれまで多くの人(それは患者さんのみならずプライベートの友人知人も含めて)をみてきた結果、発達障害の”治療”としてたどりついた結論が「若者よ、濃厚な人間関係に己の身を投げ入れよ、そして恋愛に人生を賭けよ」なのです。

注:高齢の父親から生まれた子供に発達障害が多いという事実に注目してみましょう。高齢になってから若い女性に子供を産ませることができるのは、経済的にも肉体的にも、そしておそらく容姿にも恵まれた男性ではないでしょうか。よって発達障害を抱えながら生まれてくる子供も遺伝的に魅力のある容姿や雰囲気を持っていることが予想されるというわけです。もっとも、これは私の「仮説」というよりも「偏見」ですが……。

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