はやりの病気

第120回 高血圧を考え直す 2013/8/20

  京都府立医科大学や東京慈恵会医科大学でおこなわれた降圧剤に関する研究に不正があったことが明らかになり、現在国内外で大変な問題になっています。この血圧の薬は、商品名は「ディオバン」、一般名は「バルサルタン」といい、製造会社はスイスに本社がある「ノバルティスファーマ株式会社」です。

 血圧を下げる薬にはいくつかの種類があり、代表的なものを挙げると、①カルシウム拮抗薬、②ARB(アンジオテンシンII受容体拮抗薬)、③ACE阻害薬(アンジオテンシン変換酵素阻害薬)、④利尿薬、⑤β遮断薬(ベータ・ブロッカー)となります。(これ以外にもいくつかのタイプがありますが、これ以上は言及しないでおきます)

 ディオバンは上記②のARBのひとつで、日本で発売されたのは2000年11月です。発売翌年の2001年の売上は160億円に過ぎなかったものが、降圧剤の市場が拡大し、そのなかでも特にARBの普及が広がったことを受けて、同社は売上目標を上方修正していきます。2002年には「100Bプロジェクト」と命名された社内プロジェクトが発動されたそうです。100BのBはビリオン(10億)のB、つまり100Bプロジェクトとは10億の100倍で1,000億を目指すプロジェクトのことだそうです。そして、問題となった慈恵医大の論文が発表された2007年には1,276億円の売上を達成し、京都府立医大の論文が発表された2009年には1,400億円を超える売上を記録しています。

 ディオバンに関する研究や論文について、何が問題であったかというと、「ディオバンは単に血圧を下げるだけでなく、他のARBとは異なり、脳卒中や狭心症を減らせる」という結論が主張されていたからです。この結論に対して疑問視する専門家の声もありましたが、研究が大規模であったこと、メーカーが主導した研究ではない(と思われていた)こと、『ランセット』など一流の医学誌に論文が掲載されたことなどから、「ARBで一番いいのはディオバン」という雰囲気が国内でできていたのは事実でしょう。

 実際、私の記憶をたどってみても、2007年頃からディオバンを絶賛する専門家の座談会を取り上げた記事のようなものが医学誌で目立つようになっていました。医学の商業誌では、ディオバンの広告がやたらと目立ちました。一般の商品のCMと同じように、派手な広告や専門家が絶賛する記事を繰り返し目にするようになると、無意識的に「ARBならディオバン」という式が頭の中にできてしまうのかもしれません。

 では私は、というか、太融寺町谷口医院ではどうしていたかというと、実は、これまでにディオバンを処方したことは(前医からの引き継ぎ処方など特別な場合を除けば)一度もありません。この理由は、私は初めからディオバンが胡散臭いことを見抜いていた・・・、というわけでは残念ながらなくて、単に「値段が高いから」というものです。

 異論があることは認めますが、おおまかに言うと、ARBの効果は上記③ACE阻害薬と効果に大差はありません。副作用に注意しなければならないのと、容量の調節が少しむつかしいことを除けば、ARBを使わなくてもACE阻害薬でもほとんどのケースで充分に対処できるのです。そして、ACE阻害薬には随分前から値段の安い後発品(ジェネリック薬品)がありました。そこで太融寺町谷口医院ではオープンしてから(オープン当時は「すてらめいとクリニック」)しばらくは、ACE阻害薬の後発品を使用し、ARBは特別な場合を除いて処方していなかったのです。

 そして2012年6月、ついにARB初の後発品が登場することになりました。「ニューロタン」という商品名で知られていた一般名「ロサルタン」の後発品が発売開始となったのです。そこで、当院では新規に降圧薬を処方する場合や、これまでACE阻害薬の後発品を使用していた患者さんに対しても、この「ロサルタン」の後発品を使い始めることになったのです。

 さて、ここで高血圧の原点に戻ってみたいと思います。まず、特に自覚症状のない高血圧は本当に治療しなければならないのか、ということを考えてみたいと思います。

 高血圧も極端にひどくなれば、例えばだいたいの目安として収縮期(上の血圧)で180mmHgとか200mmHg以上になれば、頭痛や頭重感が生じることがあります。これは大変な苦痛ですから血圧を下げなければならないのは理解しやすいと思います。しかし、現在降圧薬を飲んでいる、もしくは飲まなければならないと医師から言われている患者さんの多くは何も自覚症状がないでしょう。ではなぜ血圧を下げなければならないのかと言うと、それは動脈硬化や脳卒中のリスクを下げるためです。動脈硬化は自覚症状のないまま進行し、ある日突然胸痛が発症(心筋梗塞)したり、ある日突然右半身が動かなくなったり呂律が回らなくなったり(脳梗塞)します。また、突然脳の血管が破綻すると(脳出血)、そのまま帰らぬ人となることもあります。こういったリスクを下げるために症状がなくても薬を飲んで血圧は下げなければならないというわけです。

 では、血圧はどこまで下げるべきなのでしょうか。多くの患者さんが、そして以前は私自身も感じていたことですが、高血圧の基準はどうして以前と異なるのか、という疑問を持つのではないかと思います。昔の高血圧の基準は、160/95mmg以上(上が160、下が95)でしたが、これが次第に引き下げられ、現在の日本のガイドライン(JSH2009)では130/85mmHg(若年者・中年者の場合)とされています。

 こんなにもどんどん下げられれば、高血圧です、と言われる人が当然のことながら増えていきます。すると、これまた当然のことながら降圧薬がよく処方されるようになるのです。となれば、特に穿った見方をしなくても、血圧の基準が厳しくなることによって製薬会社(及び医療機関)が得をするだけではないのか、という疑問が出てきます。

 しかし、答えを言えば、そういうわけでもありません。動脈硬化やその他高血圧が原因で発症する疾患を防ぐためには血圧をどれくらいに保つべきかというのは世界中で研究が行われていて、日本だけが逸脱したガイドラインをつくっているわけではないからです。欧米の一流誌はかなり査定が厳しく、きちんとした科学的な裏付けがなければ論文が掲載されることはありません。今回のディオバンのような不正が世界同時におこなわれるようなことは考えにくいですから、世界的に承認されているものは、もちろん絶対とは言えませんが、ある程度信用していいのではないかと思われます。

 それに、日本のガイドラインも適宜見直しが行われています。実は上に述べたJSH2009というガイドラインは現在改訂準備中で、来年(2014年)にはJSH2014というものが発表される予定なのですが、最近入手できた情報では、どうも高血圧の基準が緩和され140/90mmHgとなる可能性が強くなってきているようなのです。

 ただし、ガイドラインというのはあくまでもガイドラインに過ぎません。我々医師は、盲目的にガイドラインに従っているわけではありませんし、診察室で測定した血圧が基準値を超えていればそれで「高血圧」という病名をつけるわけではありませんし、すぐに薬を処方することもありません。

 よほどのことがない限り、まずは食事の見直し、運動などを開始してもらいます。喫煙者には禁煙をすすめます。食事・運動の見直しというのはもちろん簡単なものではありません。まず患者さんは、どのようなライフスタイルを送っているのか、仕事はどのようなものか、労働時間は?、通勤はどのように?、朝・昼・夜それぞれ何をどれだけ食べているか?、間食は?、お酒は?、休日は何をしているか?、過去のスポーツ歴は?、趣味は?、ストレスは?、睡眠は?、家族からの協力は得られるのか?、などの質問をして話を進めていきます。

 生活習慣の改善を試みてもどうしても下がらないときは薬を検討することになります。先に5つのタイプの降圧薬を紹介しましたが、これら以外の降圧薬を使うこともありますし、ときには漢方薬で血圧を下げることもあります。

 ときどき誤解している人がいますからここではっきりと述べておくと、我々医師は「薬を処方すること」ではなく「いかに薬を減らすことができるか」を考えています。高血圧の基準が厳しくなって製薬会社は嬉しいのかもしれませんが、医療機関はそういうわけではありません。薬には副作用もありますし、何よりもお金がかかります。特に高血圧のように長期間(あるいは一生)飲まなければならない薬はその費用負担が大変です。我々医師は、患者さんが負担する費用のことも(充分とは言えないかもしれませんが)考えています。

 そうは言っても薬を処方すれば医療機関が儲かるのでは?、と思う人もいるかもしれませんので説明しておくと、薬の利益というのは消費税を含めて考えれば実は粗利1%もありません。消費税が上がればほとんどの薬は処方すればするほど赤字になるのです。

 高血圧も含めて生活習慣病の治療についてまとめると、「(血圧や血糖値などの)数字に惑わされることなく、まずは生活習慣の改善をおこなう。薬は最終的な治療法であり、初めから薬を使うべきでないし、薬を飲んでいるから生活習慣を見直さなくていいというわけでもない」、と月並みな言葉になってしまいますが、それでもこれが最も大切なことには変わりないのです。

参考:医療ニュース
2010年1月27日「高血圧の半数の人が受診せず」
2009年12月16日「不規則な生活で血圧上昇」
2009年10月26日「喫煙+高血圧+高コレステロール=寿命10年短縮」
2009年5月1日「高血圧はメタボより危険!」

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