はやりの病気
第257回(2025年1月) 人生が辛いなら「スマホを持って旅に出よう」
「格差社会」という言葉が人口に膾炙し始めたのは2000年代前半あたりでしょうか。当時は「勝ち組/負け組」という分かりやすい表現もよく使われていました。しかし、「勝ち組/負け組」はあまりにも露骨な言い回しであり、品がなく、一過性の流行語のように消えていきました。他方「格差社会」という用語は、社会に根付き、一般人から学者まで幅広い人たちに使われています。
その格差社会は成人のみならず、若年者、さらに10代の若者にも広がっているような気がします。谷口医院の患者さんをみていても、いわゆるスクールカーストの上位にいそうなキャラクターの10代男女もいれば、その反対に中学や高校、あるいは大学で、対人関係が上手くいかず、親友どころか友達もできず、学校から足が遠のき、心を病んでいく人たちがいます。
そしてその傾向は全国的にみられるようです。まず、不登校の児童の増加ぶりは異常と呼べるほどです。2023年度の不登校の小中学生は34万人を超え、これは11年連続の増加です。東洋経済が作成した下記のグラフを見れば不登校児童が異常なほど急増していることに驚かされます。
https://toyokeizai.net/articles/-/853036?utm_campaign=ADict-edu&utm_source=adTKmail&utm_medium=email&utm_content=20250215
では、これだけ大勢の若者が病んでいるのは「失われた〇〇年」などという言葉がしばしば当てはめられる日本特有の現象なのでしょうか。そうではなく、若年者が心を病んでいるのは世界共通の現象です。米国の10代のうつ病の増加率は驚くべきもので、5人に1人がうつ病です。
https://www.statista.com/chart/33610/share-of-us-teenagers–12-17-y-o–who-have-experienced-a-major-depressive-episode/
もっとひどいのが英国で、10代のうつ病罹患者は年ごとに増え、2021年にはなんと4割を超えています。
https://www.statista.com/statistics/1199302/depression-among-young-people-in-the-united-kingdom/
国の将来を担う10代の4割がうつ病を患っている国家がまともであるはずがありません。日本では10代のうつ病の年次推移を調べたデータは見当たらず、米国や英国との直接比較はできないのですが、日本も深刻な状態にあるのはおそらく間違いありません。自民党の山田太郎議員が不安に関して調査した報告書には、「死んだ方がマシ」「早く死にたい」「死ぬしかない」「正直死にたい」「生きていても意味がない」「ただただ苦しい」「あと何十年も生きるのかと思うと不安」といった若者の言葉が並んでいます。
「21世紀には明るい未来が待っている」と前世紀に世界中の多くの人が考えていたはずなのに、これだけ大勢の若者が心を病んでいるのはなぜなのでしょう。テクノロジーは発達し、世の中は随分と便利になりました。科学技術だけではなく、医療も大きく発展しました。今やがんやHIVは命をなくす疾患ではありません。関節リウマチや潰瘍性大腸炎といったかつては生活が大きく制限された疾患も今では普通の生活ができるようになっています。薬でやせることができ、髪を増やすこともできるようになり、美容外科が日常となりました。人々は心身ともに若返り、元気になっているはずです……。
しかし実際には10代の若者の何割かが心を病んでいるのです。格差社会というからには「勝ち組」に入る幸運な若者もいるはずですが、そんな彼(女)らもいつ「負け組」に転落するかもしれないという恐怖に実は怯えているのではないでしょうか。
では科学も医療も発展したのにも関わらず、心が病んでいくのはなぜなのか。医療のなかでも精神医療だけが遅れているのでしょうか。それもあるでしょう。しかし最大の原因はやはり多くの識者が指摘しているように「SNSの普及」だと思います。そして、これは識者だけでなく、誰もが気付いているはずです。
もしも、世界からSNSが一掃され、SNSが存在しなかった頃の世界に戻れば、人は人間らしいつながりや絆を取り戻すことができると皆が分かっているのになぜそれができないか。それは、人はSNSの”魅惑”に取りつかれてしまっているからです。豪州では近日「16歳未満のSNSは禁止」というルールが施行されますが、すでにSNSに魅了されている若者はなんとかしてそのルールを破ろうとするに違いありません。それに16歳になれば解禁されるわけですから、仮にそれまで健全な精神を保てていたとしてもSNSの使用開始と同時に病んでいく男女が続出するでしょう。では、「20歳未満はSNS禁止」というルールを世界一斉に発令したとすればどうでしょう。その場合も、大人たちはSNSの使用をやめないわけですから、なんとかしてSNSに手を出そうとする若者が続出することになるでしょう。結局、人類がいったん知ってしまったSNSの”果実”から逃れることはできないのです。
ではなぜ人はそんなにもSNSに惑わされるのか。おそらくその答えは「SNSによりすぐに孤独から救われるから」でしょう。SNSを続けていればそのうち誰かがメッセージをくれます。人に飢えている人はそれに飛びつきます。SNSの世界ではやたら褒められて承認され、自己肯定感が生まれます。そうすると、人はこの”麻薬”を断ち切ることができなくなります。しかし、その”幸せ”は、本物の麻薬と同じように実は見せかけのものであることにそのうちに気付きます。それでも万が一くらいの確率では生涯の親友やパートナーができるかもしれないという希望が捨てられず、SNSの果てしない”夢”の前には屈するしかないわけです。
だから、悩める若者に対し「スマホを捨てよ、町へ出よう」と言ったところで絵に描いた餅に過ぎません。この言葉は「書を捨てよ、町へ出よう」と似ているようで、実は意味するところは正反対だからです。「書を捨てよ……」に説得力があるのは、「本を読んでいても本当に大切なことは分からない。人生の真の喜びは人との関係でしか生まれない」ということを我々は本能的に知っているからです。そして、街へ出たから直ちに素敵な出会いがあるわけではありませんが、少なくとも狭いアパートにこもって本を読んでいるよりははるかに期待できるわけです。他方、「スマホを捨てよ……」といっても説得力がないのは、街へ出てもいい出会いに遭遇する可能性はこの社会では限りなく低く、スマホの方がはるかに可能性が高いからです。
ではどうすればいいか。きれいな答えとはほど遠いのですが、私が診察室でときどき若者に言っているのは「スマホを持って旅に出よう」です。さすがに小中学生にこんなことを言うわけにはいきませんが、大学生やときには高校生にもこのような助言をすることがあります。「旅に出る」も「町に出る」も変わらないように感じられるかもしれませんが、旅の場合は、そしてそれが日常からかけ離れていればいるほど予期せぬハプニングやアクシデントが起こります。楽しいハプニングとは呼べないものの方が多いでしょうが、見知らぬ人と接することで、ほっこりしたり、あるいはエキサイティングな気持ちになったりすることもたまにはあるものです。どうせ人生なんて辛いことの方がずっと多いわけです。ならばSNSで完璧な自分を演じようとしてみたり、他人の不幸をかいまみてほくそえんだりするのではなく、自分が主体になって辛いことが大半の舞台に立ってそのときの”役”を演じる方がずっと意味があるのではないでしょうか……。
と、こんな感じのことをときどき診察室で若い患者さんに伝えたり、メール相談に応えたりしています。若くない人にも同じようなことを話しています……。
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