マンスリーレポート
2024年9月 「反ワクチン派」の考えを受けとめよう
新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)について私が記事やコラムを書くと、興味深いことに、ワクチン賛成派からもワクチン反対派(以下「反ワクチン派」)からも苦情やクレームがきて、一部の人たちからは「私の人格を否定するようなメッセージ」が届けられました。以前から薄々気付いていた、コロナを通してはっきりと分かった自分自身のことが2つあります。
1つは「私自身は他人からの悪口に極めて鈍感」なことです。医師によっては、自分が非難されたり否定されたりすることが耐えられないらしく、例えばX(旧ツイッター)で非難されると、すぐさまそれに対して攻撃的な言葉を使って”応酬”することがあります。私にはそういうことをする人たちの”神経”が理解できず、そんな”攻防”を冷めた目でみてしまいます。
なかには非難されたことに耐えられず、名誉棄損の訴訟を起こした医師が何人もいると聞きます。たいていは医師側が勝利するそうですが、お金よりも、そういう面倒くさいことにかける時間がもったいないのに……、と私は考えてしまいます。たしかに、SNSの書き込みで自殺にまでいたったケースがあるわけですから言葉が人間を傷つけることは理解できるのですが、ネット上の文字が人間の身体に変化して画面から飛び出して襲ってくるわけでもあるまいし(こんなホラー映画がかつてあったような……)、と私は考えてしまいます。
そもそも見ず知らずの人たちから非難されてなぜ自分が傷つく必要があるのでしょう。そういう人たちはもしかすると、世界のすべての人から承認されたい、とでも思っているのでしょうか。「承認欲求」の話はこのサイトで何度も述べましたからここでは繰り返しませんが、私の考えを再度紹介しておくと「承認されるのは数人の身内からだけでじゅうぶんであり、見ず知らずの人たちからは何を言われてもかまわない」となります。
念のために付記しておくと、これは「人格に対して」という意味です。例えば、あなたが芸人だったとして、その芸が誰からも認められなければ食べていけなくなります。しかし、万人から支持される芸人がいたとすればまず間違いなくその芸は面白くありません。また、芸人に限らず芸術家の場合、「人格は承認されずに作品は認められる」ということもよくあって、これでOKなのです。
例えば、私自身はピカソという人物を”尊敬”していますが、それは一人で15万点もの作品を残したことにあります(芸術性の高さはよく分かりませんがこれは私に芸術のセンスがないからです)。しかし、その尊敬は作品(の多さ)に対するものであり、だらしない女性遍歴については異なります(ロマンスやセックスへの執着の強さと作品に関連があるかもしれないという意味で興味はありますが)。
コロナワクチンに話を戻すと、公衆衛生学者や感染症専門医の立場からはワクチンを推奨するしかないわけで、少なくともオミクロン株登場までは、コロナワクチンが多数の命を救ったのは事実です(この点について、反ワクチン派から正統なコメントを聞いたことがありません)。だからそういう立場の人は「ワクチンは有効だ(だった)」と言えばいいわけです。
しかし、ワクチンというのは元々全員が賛成するものではありませんし、ワクチンの被害に遭う人もいるわけですから、万人から支持されないことは初めからわかっていたはずです。SNSで「ワクチンをうちましょう」と言えば、当然「ワクチンなんて誰がうつか!」というコメントが届くことも予想できたのです。そして、それがエスカレートして人格が攻撃されることも起こり得るのは自明です。ですから、たとえ「殺すぞ」などと強迫めいたメッセージが届いたとしても放っておけばいいのです。実際に殺しにくることなどあり得ないからです。
私の場合は初めから一貫して「コロナワクチンはうってもうたなくてもリスクがある」と言い続けて一度も主張を変えていません。これを最初に書いたコラムを公開したとき、多数の苦情がきました。編集者がタイトルを変更したほどです。このコラム、もともとは「コロナワクチン、うってもうたなくても『大きなリスク』」だったのですが、これなら炎上するだろうとのことで編集者に「新型コロナワクチン 打つも打たぬもリスク大きい」に替えられました。ところがこれでも炎上したために「新型コロナ ワクチン接種はよく考えて」という何の変哲も面白味もないタイトルに替えられてしまったのです。
つまるところ、ワクチンというもともとコントロバーシャルなものを取り上げて文章を書くのなら(それが140字であっても、医療プレミアのように長いコラムであっても)批判されるのは初めからわかっているわけで、それが過激な表現になることも予想できるのです。ホラー映画のように画面から何かが飛び出してくることはないわけですから、こんなことを気にするのは時間の無駄です。
もうひとつ、私が以前から気づいていたことでコロナを通して確信したことは、「反医学的な話を聞くことに抵抗がない」です。このことに対して「あれっ、自分はどこか違う……」と初めて気付いたのは、20年以上前の皮膚科での研修時代でした。ステロイドをやたら忌避する患者さんに対して、ほとんどの医師は「ああいう非科学的な人たちは来ないでほしい」などと言うわけですが、私にはこの感覚が理解できませんでした。むしろその逆に「そのような考えに至るまでにきっといろんなことがあったんだろう。この人のそんな人生を一緒に振り返ってみたい」と感じてしまうのです。
コロナワクチンが始まったとき「ワクチンにはマイクロチップが埋め込まれていてワクチンをうてば国家に監視されてしまう」というデマがありました。ほぼすべての医師がこのようなデマを一蹴したわけですが、私が感じたのは「それを信じている人と話をしたい!」でした。もっとも、あの頃にそんな時間を捻出する余裕はなかったわけですが。しかし、谷口医院にも何人かこの説を信じている患者さんが受診されました。できるだけ表情に出さないようにして冷静に話すように努めましたが、誤解を恐れずに言えば、私はそういう人たちとの会話が楽しいのです。もっとも診察室ではあまり踏み込んだ話はできませんが。
ちなみに、いまだに私が出会ったことがなくていつか巡り合えることを楽しみにしているのは「地球が平面だと信じている人」(英語では「flat earther」と呼びます)です。地球が平面だなんて馬鹿げていると思う人が多いでしょうが、実は国際学会「Flat Earth International Conference」も存在します。
では、なぜ私がそんな非科学的な説を信奉している人(=science denier)に関心があるかというと、そういう人たちは「過去に人生に挫折していたりそれなりの苦悩を経験していたりするから」です。ステロイドを毛嫌いする人たちは、まず間違いなく自分か知人がステロイドをうまくつかえずに余計にアトピーが悪化した、またはステロイドの副作用に苦しんだ経験があります。「そんな経験があるならステロイドを嫌いになるのは無理もない」と私には思えますが、大半の医師はそうは考えず「自分の言うことが聞けないならもう来るな!」という態度になります。
コロナワクチンの場合も同様です。そして、その”苦悩”はワクチンによるものとは限らずに、どんな背景でも起こり得ます。例えば、仕事や人間関係でうまくいかないことがあって人生に絶望しているときに「政府や専門家が推薦しているコロナワクチンは実は有害で、真実は別にある」と”理解”すれば、自分だけが正しいことを知っているという優越感、さらには高揚感が出てきます。そしてさらにこの感覚が生きがいにつながることさえあるのです。
そういう人たちに対して正論を唱えてもまったく効果がないばかりか逆効果になります。反ワクチン派の人に対して、ワクチンが有効だとするエビデンス(科学的証拠)を示せば示すほど、「”真実”が分かっていない気の毒な人」と思われるだけです。ならば、初めから正論を主張するのではなく、まずは目の前の患者さんがなぜそのような考えを持つにいたったのかを理解すべきです。「オレの言うことが聞けないならもう来るな!」という態度をとれば医師・患者の双方にとっていいことが何一つないのは明らかでしょう。
残念なことに、コロナワクチンが原因で、あるいはマスクや自己隔離などに対する考えを巡って友達や家族の間で対立が生まれてしまい関係を修復できなくなった人たちがいます。そのような経験がある人は、この次その相手に出会ったときに、どうかこのコラムを思い出してみてください。
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