マンスリーレポート
2017年6月16日 金曜日
2017年6月 「やりたい仕事」よりも重要なこと~前編~
「やりたいことを仕事にしなさい」とか「好きなことで稼ぎましょう」などと言われてもどこか空々しく感じてしまうのは私だけではないでしょう。そのようなセリフは成功者が言えることであって、一生懸命がんばったけど夢が叶わず挫折して、本意でない仕事に従事している人もたくさんいるからです。
ですから、こういったタイトルの本やブログを見つけたとしても実際に役に立つことはあまりない、というのが私の意見です。ひどい場合は成功者の「自慢話」を聞かされるだけです。
今回も前回に続いて「職探しの極意」について述べていきたいと思います。前回も指摘したように「受験」と「就職」はまったく異なります。受験は何といっても本人の努力がものをいいます。もちろん「運」も作用します。そもそも受験を許される家庭環境にいることが「幸運」ですし、たまたま知っている問題が出ることもあります。適当に選んだ選択肢が偶然当たることもあります。
ですが、受験は(難易度にもよりますが)努力なしでは絶対に合格することができません。それも他人よりもずっと努力をしなければなりません。そして、「努力できるかどうか」は、本当に大学でそれを勉強したいのか、その気持ちに比例する、というのが私の考えです。どうしてもその大学で勉強したいという気持ちが強ければ強いほど努力が苦にならずスランプから速やかに脱出できる、ということを拙書で述べました。私の場合、医学部の受験勉強をしていて調子が上がらなかったときは、医学部のキャンパスで勉強している自分の姿を想像したり、あるいは実際に志望校(大阪市立大学)まで出向いて、「このなかの研究室でいずれ働くことになるんだ…」という空想を楽しんだりしていました。こうすると再びやる気がみなぎってくるのです。
一方、就職はそうはいきません。ほとんど、とまではいいませんが、多くは「運」が左右するからです。就職したい会社の前に行って自分が働いているところを想像するようなことを繰り返せば、そのうち不審者として通報されるでしょうし、そもそも会社によっては縁故で大半が決まるところもあります。これがアンフェアだという意見もあるでしょうが、世の中とはそういうものです。賄賂が少ない日本はまだましな方です。また、多くの会社は認めないでしょうが、容姿の見栄えの良さや声の質といった個人の努力ではどうしようもない要因で採用が決まることは多々あります。
芸術やスポーツの分野では、求められる才能や能力も受験とは桁違いに厳しくなります。ある意味「勉強」で生きていく方がラクです。例えば、学年一ピアノが上手だったとして、さらに努力を重ねても将来ピアノだけで食べていける可能性は極めて低いのが現実です。学年一のストライカーがプロのサッカー選手になり、しかも選手時代に一生食べていけるだけ稼げるかというと、これも極めて困難でしょう。
その点「勉強」で勝負するなら、例えば小学生時代の算数の成績が上位3分の1くらいに入っていれば、その後の努力次第では、保護者の理解と支援は必要ですが、理系学部の大学院まで行くことも可能でしょう。そこまでいけばよほどの不景気でない限り、どこかの企業の研究職に就ける可能性は充分にあります。ただし、この会社しかイヤだ、というふうに考えると道はかなり険しくなりますから、どうしてもやりたいこと、を幅広く考えておかなければなりません。
さて、私が考える「職探しの極意」。「やりたい仕事」よりも重視しなければならないことがあるというのが今回の話です。それは、「今、目の前にある仕事が少しでも興味があるなら”卒業”できるまでがんばる」ということです。そしてこれは若ければ若いほど大切なことです。私自身のことを例にとって解説したいと思います。
私はひとつめの大学(関西学院大学)に入学して初めて、おもしろそうだな、と思って始めたのが旅行会社のアルバイトです。動機は極めて不純なもので「タダで沖縄に行きたい」というものです。ですが入ってみてすぐに「これは自分にはムリだ」と感じました。
当時の旅行業界というのは(すべてではありませんが)とても”いい加減”で、現地に着いたけど宿が取れていない、といったお客さんからのクレームは日常茶飯事でした。ここで私のような未熟者は怒っているお客さんの前であたふたするだけで、とてもその場をまとめることができません。しかし、仕事のできる先輩は怒り心頭のお客さんを上手にもてなし、笑いをとり、その後感謝の手紙をもらうのです。宿がなくても、旅館の宴会場に泊めたり、ひどい場合は場末のラブホテルに交渉に行ってそこに宿泊してもらうのです。常識的に考えてこんなことをされてお客さんは納得するはずがないのですが、当時の私の先輩たちはこれくらいのことを当たり前のようにやってのけていたのです。
このような先輩たちの「パワー」を目の当たりにすると、学校の勉強なんかしている場合じゃない、と思わずにはいられません。私はそのアルバイトを辞めるのではなく、こういった先輩たちのいわば「カバン持ち」をするようなつもりで、可能な限りプライベートの行動も共にさせてもらいました。
最初の頃は、そのような先輩たちと一緒にいればいるほど、自分は何もできない人間なんだ…、という劣等感を感じるだけでしたが、そのうちに単純に先輩の「マネ」をすればいいのかも、ということに気づきました。そこで先輩たちがいないところでは、話す中身のみならず、話し方や声の抑揚のつけ方なども真似るようにしてみました。そのうち、「こんなとき〇〇先輩ならこんなふうに言うに違いない。△△先輩ならひとつ”間”を入れてからこう言うかもしれない」などというように考えるようになったのです。
すると、百発百中とまではいきませんが、ある程度はその場で気の利いたことが言えるようになり、コミュニケーションの苦手意識がなくなってきたのです。これは「タダで沖縄に行きたい」と考えてアルバイトを始めた頃にはまったく予想もしていなかった私の「財産」となりました。相手が老若男女どのような人であったとしても、自分とはまったく異なる社会で生きている人であったとしても、初対面で苦手意識を持つことがなくなったのです。医師の多くは初めて接する患者さんと話すときに緊張するといいますが、私にはそれがほとんどないのはこの「財産」があるからです。
過去にも述べたように、大阪で深夜の救急外来をやっていると、泥酔者、暴力的な人、自殺未遂をした人などが次々とやって来ます。ときには「指をつめたから縫ってくれ」と言って受診する「そのスジの人」もいます。夜間の救急外来にやってくる人のいくらかは医療者に暴言を吐きますから、それが辛いと考える医師ももちろんいますが、私の場合、こういったことがほとんど苦痛になりません。これはちょっとマズイな…、と感じたときも旅行会社でのアルバイト時代を思い出し、「〇〇先輩ならどうするかな」というふうに考えます。
そのアルバイトを始めた頃は、百回生まれ変わっても先輩たちにはかなわないな…、と感じていて、それは変わっておらず、当時の先輩たちはいつまでも私の「永遠の先輩」であり、今も私など足元にも及びません。ですが、先輩たちから学ばせてもらった私の「財産」は、その後の人生で何度も私を救ってくれています。
もしも私がそのアルバイトをすぐにやめていれば、自分のコミュニケーション能力は低いままで、きっとまったく異なる人生を歩んでいたに違いありません。私が先輩たちから学んだことはいくら教科書を読んでもわからないことであり、「自分には向いてないから他にやりたいバイトを探そう」と諦めていれば身につかなかったことです。
しかし、その後の私の人生はこの「財産」でいいことばかり…、というわけではありません。関西学院大学を卒業し、満を持して入社したはずの会社で再び挫折を味わうことになります。
つづく。
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