マンスリーレポート
2024年2月10日 土曜日
2024年2月 「競争しない」という生き方~その3~
谷口医院は「精神科」を標榜していませんが、総合診療のクリニックということもあり、2007年1月の開院当初から精神症状を訴える患者さんも少なくありませんでした。開院当初は患者さんが拒否しない限りは、精神科クリニックに積極的に紹介していました。ところが、精神科を受診してもらっても必ずしも上手くいくわけではなく、それなりの患者さんが再び谷口医院に戻ってきます。これは「その精神科医がよくない」という意味ではなく、精神疾患とはそういうものだとそのうちに気付きました。
2010年代半ばからは「精神科で処方されている薬をやめたい」という訴えが少しずつ増えてきました。特に依存性のある薬を長期間内服している人たちはその悩みが深刻で、「どうしてもやめられない。そういう薬を出す精神科には行きたくない」と訴えます。
「その診断、合っているのかな?」と思わずにはいられないケースもあります。最近顕著なのが発達障害です。本来、発達障害は幼少時のエピソードを確認する必要もあり、簡単には診断できなかったはずなのですが、初診時に簡単な問診で確定診断を下され、いわゆる「精神刺激剤」が処方されているケースが少なくありません。しかも薬の説明がほとんどされておらず、「(従来の発達障害の薬と異なり)依存性はない」と言われたという患者さんがたくさんいます。しかし、アトモキセチン(ストラテラ)、グアンファシン(インチュニブ)などの精神刺激剤は、これらが登場する前によく使われていたメチルフェニデート(リタリン、コンサータ)、あるいは米国でよく処方されているリスデキサンフェタミンメシル(ビバンセ)のような覚醒剤類似物質とは異なるカテゴリーではありますが、決して副作用がない薬ではありません。そして、こういった処方に疑問を感じて谷口医院を受診する患者さんがいます。
こういった経緯もあって、数年前から(あくまでも患者さんが希望すれば、ですが)谷口医院で精神疾患の治療をおこなうことがあります。
まず気付いたのは、精神疾患の大部分は「環境に原因がある」という当たり前の事実です。以前、精神科でうつ病と言われたという男性が「僕はうつ病なんかじゃありません。安定した仕事と貯金があればすぐに回復します」と言っていました。そして後日、これが真実であることを身をもって証明していました。ある患者さんは失恋から立ち直り新しいパートナーができた瞬間に精神症状がすっかりなくなりました。その後、そのパートナーと入籍し今も元気にしています。
では、どのような人がなかなか改善しないか、というと、もちろん持って生まれた素因や自身では変えようのない環境なども原因になるのですが、最近よく感じるのは「競争によるプレッシャーから逃れられない人」は治りにくいんじゃないか、ということです。
というわけで、精神状態を改善させるために「競争から降りること」を提唱したいと思います。といっても、すでに過去に2回、「馬鹿らしい競争なんてさっさとやめて楽しく生きましょうよ」というコラム(「競争しない、という生き方」、「競争しない、という生き方~その2~」)を書いていますので、今回は視点を変えて、「競争することは人間らしくない」ことを歴史的に”証明”したいと思います。
歴史上、初めて人が人らしくなったのはおそらく集団で狩りをする狩猟生活をするようになった頃ではないかと私は考えています。一人一人がバラバラに行動していれば人どうしで殺し合いになることもあったでしょうし、獲物が効率よく獲得できません。仲間で力を合わせて狩猟生活を開始したことで人は集団生活の必要性と利便性を理解したはずです。
次の転機は農耕生活の始まりです。身体能力にさほど恵まれていなかった弥生人が頑強な肉体を有する縄文人になぜ勝利できたかについては諸説ありますが、「集団行動に長けていた」が最たる理由ではないか、つまり一致団結できる力を有する集団の方が最終的には強いのではないか、というのが私の見立てです。そして集団での力を向上させるには「協調性」が不可欠となります。
狩猟生活であれば、その集団が嫌になれば他のグループに移ることもできるでしょうが、農耕生活の場合は自身の土地を持っているわけですし、持っていない場合でも、他の村に入れてもらおうとしてもよその集団からやってきた者は不審者とみなされるでしょう。ならば多少嫌なことがあったとしても自身が生まれたその村で生きていくしかありません。
村の中には他人の言うことを聞かず、すぐに争いごとをおこす者もいたでしょう。そのような者たちは村八分にされ子孫を残すことができません。「革命家」が現れ、村の有志を引き連れて新しいコミュニティをつくるというケースもあったでしょうが、それは極めて稀だったと予想されます。また、誰にも頼らず一人きりで生きていくことはほとんど不可能だったわけです。ということは、よほどの人物でない限りはその村のルールに従い、ある程度は自身の欲求を抑えて仲間に合わせていく他はなく、そのようなことができる人間のみが子孫を残すことができたわけです。そして「我々はその末裔だ」ということが重要です。
つまり、我々現代人の大半は、歴史的に、そして遺伝的に「集団のなかでしか生きていくことができない」のです。そして、集団のなかでは弱肉強食ではなく、強い者が弱い者を守ろうとする文化が構築されたことが予想されます。なぜなら、誰もがいつ病気や怪我で身体が不自由になるかもしれない状況の中、「我々の社会では弱い者を助ける文化が根付いている」とメンバー全員が理解していれば、その村全体に安心感が広がるからです。村人の大半が頻繁に喧嘩している集団より、助け合いの精神にあふれている集団の方が存続しやすいのは当然です。このような集団ではひとりひとりの精神状態が良好であったに違いありません。
では、この歴史上の”事実”を現代社会にあてはめてみましょう。同僚との競争を強いられ、いつリストラに遭うかもしれないという環境は、例えていえば「村人の大半が頻繁に喧嘩している集団」、あるいは「誰もが革命家を目指さねばならない集団」のようです。これではストレスから逃れられないのは当然で、同僚を蹴落として勝ち続けることができる人はほんのわずかしかいない、まさに弱肉強食の社会です。しかも、(私の仮説が正しければ)人間は”遺伝的に”助け合いの精神を持っているはずで、他人を蹴落とす行為はその”自然”に逆らうことになるわけですから心が痛くなるのは当然です。
だからこんな競争社会からは降りてしまえばいいのです。例えば、私の知人に出世などにははなから興味がなく、職場のグチは言うものの家族や近しい友人との週末のキャンプやドライブを楽しみにしている男性がいます。また、パートナーはいないものの友達は男女共に多く、馴染みの客だけを対象に小さな飲食店を経営している女性がいます。彼(女)らは、金持ちではなく、世間がいうステイタスも高くありません。けれども、気の置けない身内に囲まれ楽しくやっています。いろんな愚痴を私には言いますが、どこか微笑ましいというか、話のネタとしてそのような不平不満を話すことを楽しんでいるようにすら見えます。診察室で患者さんから聞く苦しみとは異なるものです。
出世、高収入、高級車、高級品、名誉、ステイタスなど、このようなものに興味を持たず、友達やパートナーとお金をかけずに楽しく過ごす人生の方が魅力的だと思えてこないでしょうか。このことを私は谷口医院の患者さんやプライベートの友人・知人をみていて強く感じます。社会的なステイタスや収入が低くても、仕事のグチは言うものの、プライベートを楽しんでいる人の精神状態は軒並み良好です。他方、中年の男性で精神的に弱っているのは昔から優等生をやめられない大企業の人たちに多いのです。
中年の女性でいえば、メンタルが不安定なのはいつまでも他人との”比較”をやめない人たちです。特に高学歴の女性で専門職に就いている人たちは、世間では「男社会の不平等さに苦しんで……」というようなことが言われていて、「不平等」についてはその通りなのですが、精神状態にフォーカスして言えば、私はむしろ、女性どうしの「ライバル意識」が不幸を招いているような気がします。たとえば「同僚の〇〇さんはすごく恵まれているのに私はいつもひどい目に遭って……」というようなことを繰り返し訴える人がいます。このような人たちは他人との比較をやめるだけで随分と精神状態が改善すると思うのですが、これがなかなか困難です。
ちなみに私自身は、「医者はステイタスが高いでしょ」と言われることがありますが、実際にはそんなことはありません。年収は医師の平均よりも(たぶんずっと)少ないですし、今も大学に籍を置いていますが役職は「非常勤講師」のままですし、医師会や学会には入っていますが役職はありませんし、論文は読むのは好きですがほとんど書きませんから誰からも評価されません。つまり、医師のなかでは最低のランクです。農耕社会で言えば「小作人」くらいでしょうか。しかしそれを悔しいなどとは思ったことは一度もなく、競争社会に乗る気は一切ありません。競争社会から距離をとることで気楽な生活が楽しめているのですから。
出世、高収入、名誉などに初めから興味を持たなければそれなりに楽しくやっていけます。逆に、そのようなものにこだわって他人と競争しようとしても、人類は歴史のなかで集団内のメンバーとは争わない方が有利なように”進化”してきたわけですから、その進化に抗うのは賢明ではないのです。
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|2024年1月10日 水曜日
2024年1月 世界は終末に向かっている
「世界終末論」というのはノストラダムスの大予言に代表されるようなオカルト、あるいはかつてオウム真理教が予言していたような新興宗教の独自の教義であり、信頼できる科学的な根拠はありません。そういった終末論を求める(特に若い)人たちというのは、「現状が満たされておらず”一発逆転”で自分の時代が来ることに賭けている人たち」と、私は考えていました。
誰かの予言などそもそも信じられませんし、古文書を曲解したような理屈も信用できません。そもそも古文書に書かれていることが科学的に正確とは思えません。よって「世界が近々終焉することなどはあり得ず、淡々とした日常が続くのがこの世界であり、世界が変わるのを待つのではなく自分自身が変わらねばならない」と私は(特に若い)人たちに言うことがあります。
けれども、数年前から私の心のなかでずっと引っかかっていたことがあります。それは2018年のIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)の報告です。IPCCとは地球温暖化を研究する国際組織で、国土交通省は「気候変動に関する政府間パネル」と呼んでいます。IPCCは2007年にノーベル平和賞を受賞しました。受賞理由は「人為的に起こる地球温暖化の認知を高めた」です。
ノーベル平和賞というのは、生理学・医学賞や物理学賞などの自然科学系のノーベル賞に比べると、どうしても(狭義の)科学的信頼度が低いように思えますが、それでもエビデンスに裏付けされた報告をしています(そうでなければ困ります)。
2018年、IPCCは「早ければ2040年までに地球は(温暖化により)壊滅的な状態になる」との内容を報告しました。The New York Timesは「(IPCCの)報告書によると早ければ2040年にも危機が訪れるリスクがある(Major Climate Report Describes a Strong Risk of Crisis as Early as 2040)」とのタイトルでこの発表を報じました。
これ、かなりのビッグニュースではないでしょうか。もしも私が政治家や官僚なら、ことあるごとにIPCCのこの報告を取り上げ「地球を守りましょう!」と叫びます。SNSを駆使して「2040年まであと〇年!」とPRに努めます。地球が壊滅的になれば食料確保にも苦労し日々生き残ることが困難となります。「生きがいが……」とか「本当の自分は……」などと言っている場合ではありません。2040年といえば、残り16年しかありません。焦っているのは私だけなのでしょうか。IPCCの勧告がまるで顧みられていない現在の世界の状況は、人類が集団自決に向かっているかのように私には見えます。
もしも、例えば知識人、特に地学に詳しい学者から「いや、2018年のIPCCの発表には計算間違いがあって実際にはあと数千年は地球は問題なく暮らせる場所だ」と言ってもらえれば安心できるわけですが、私の知る限りそういう話はほとんどありません。
正確に言うと、安心できそうなことを主張した学者が(私の知る限り)1人いました。英国ノーサンブリア大学の天体物理学者で数学教授のヴァレンティーナ・ザルコバ(Valentina Zharkova)博士です。ザルコバ博士は地球温暖化どころか、「これから地球はミニ氷河期に入る」との自論を発表し、これをカナダのメディアがIPCCの報告と同じ2018年に取り上げました。尚、この主張を科学的に発表しているザルコバ博士の論文は難解すぎて私には読破できませんでした……。
この記事がそれなりに注目されたのは(といっても日本ではおそらく報道されていなと思いますが)、2018年のカナダでは前年より平均気温が低かったことが原因のひとつだと思われます。カナダ政府によると、2018年のカナダは2005年以降最も平均気温が低い年でした。おそらく「このまま毎年寒い冬を迎えるのか……」という大衆心理に応じるかたちでザルコバ博士の論文が紹介されたのでしょう。
ところが、その後の数字を追ってみると、翌年からカナダの気温は再び上昇傾向に転じています。私が知る限り、現在もザルコバ博士の主張を積極的に取り上げている世界のメディアはありません。
では、2018年のIPCCの報告以降、地球温暖化はどのような状態になっているのでしょう。2023年に生じた具体的な災害をみてみましょう。これについてはすでに「GINAと共に」の10月号「他人の不幸や未来はどうでもいいのか」の後半で、世界各地の温暖化の状況を数値を挙げて紹介しました。よってここでは繰り返しませんが、中東やアフリカ大陸では深刻な洪水が発生し、カナダでは史上最悪の山火事が起こったことは記憶に新しいと思います。
本稿執筆時、タイムリーなことに、通称「C3S」と呼ばれる「EUコペルニクス気候変動局(European Union’s Copernicus Climate Change Service)」が、「2023年の世界平均気温は、記録が残る1850年以降で最高、おそらく過去10万年で最高で、業革命前からの世界の平均気温上昇が1.48 ℃だった」と発表しました(発表は2023年1月9日)。2015年のパリ協定では「1.5℃未満を目指す」とされましたから、目標の上限ギリギリまで近づいたことになります。
1.48℃という数字を目の当たりにすると、2018年のIPCCの報告にある「2040年」が前倒しされるのではないかと思えてきます。では、パリ協定(及びその前の京都議定書)に従い、地球温暖化を防ぐにはどうすればいいのでしょうか。国連は「ゼロカーボン」の重要さを強調し新しい技術に期待していると言っていますが、この主張、なんだか虚しくないでしょうか。
その理由は、人類の愚かさを象徴するような紛争や戦争が世界で相次ぎ、さらに兵器を製造し輸送し消費することで多量の(二酸化炭素などの)「カーボン」を発生させているからです。呑気にゼロカーボンなどと言っている場合ではなく、優先順位を考えなければならないのは明らかです。ここで現在人類はどれくらい兵器製造に熱心なのかをみてみましょう。
世界各国の軍事支出の年間総額を算出しているストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、2022年の全世界の軍事費(兵器、人件費、その他諸費用)は合計2兆2000億ドル(300兆円以上)にもなります。The New York Timesによると、2022年の時点で世界の武器輸出量が最も多い国は米国で世界全体の45%です。
驚くべきことに、イスラエルは戦争相手のハマスが武器を購入することを「奨励(encourage)」しています。The New York Timesによると、ネタニヤフ首相はカタール政府に対しハマスに武器輸出の停止ではなく奨励しているというのです。私にはこの理由がよく分かりませんが、おそらく右派のネタニヤフ首相にとっては派手な戦争を起こした方が自分のプレゼンスが高まると考えているのではないでしょうか。
そして、我が国もすでに戦争に加担しています。日本政府は12月22日、防衛装備品の輸出ルールを定めた「防衛装備移転三原則」とその運用指針を変更しました。日本で製造されたパトリオットミサイルが直接ウクライナに運ばれることはありませんが、米国で備蓄されることになるようです。日本のメディアはこの件について事の重要さをさほど報じているようには思えませんが、例えばアルジャジーラ(カタールの英字新聞)は「致死性武器の輸出を認めない姿勢を長年取ってきた日本にとって大きな転換を示すものであり、攻撃能力の強化は、武力行使を自己に限定するという第二次世界大戦後の原則からの脱却」と緻密な言葉を使って深刻さを伝えています。
尚、日本のパトリオットミサイルは三菱重工グループが製造しており、フィナンシャル・タイムズによると、米国政府は過去数ヵ月間、日本(政府)に対し、同社のパトリオットミサイルの輸出を許可するよう迫っていました(ちなみに12月中旬頃より三菱重工の株価が急騰しています)。
「ゼロカーボン」の前に「ゼロ兵器・ゼロ戦争」にすべきなのは自明だと私は思いますが、どうも世界の権力者たちはそうは考えないようです。2040年まであと16年しかありません。このまま戦争が続けられるのなら「淡々とした日常」はもうすぐ終わり、世界終末論が現実化するかもしれません。
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|2023年12月10日 日曜日
2023年12月 そもそも自尊心とは何なのか、いらないのでは?
前回のマンスリーレポートでは、「日本人は他国の人たちと異なり、年をとればとるほど自尊心が上昇し、その代わり幸福度はどんどん低下する」ことを紹介しました。自尊心と幸福度に直接の因果関係があるとは言えないかもしれませんが、両方とも「主観」で決まることなので、あながち関連がないとは言えないのではないか、という私見を述べました。
こうなると「自尊心とは何か」が気になります。前回は自尊心が極端に高い人と低い人の特徴を挙げて、「自尊心が高ければ傲慢なナルシシストになってしまい、これが不幸せの原因である。だから謙虚さを身につけるべきだ」と結論付けました。
このように、私は「自尊心が高いこと=悪いこと」という前提に立ちましたが、文脈によっては「自尊心を高く持つべし」とするものもあります。というより、一般的には自尊心は高ければ高いほどよい、とされています。今回は、このよくわからない自尊心を掘り下げて考えてみましょう。
自尊心について最も深く学ぶのはおそらく心理学でしょう。ちなみに、臨床医学ではほとんど取り上げられず、精神医学の領域でも言葉くらいは出てくるでしょうが、自尊心についての精神医学者の研究というものを私はあまり見たことがありません。しかし、心理学では自尊心自体がテーマになり繰り返し研究されているはずです。
前回紹介した論文のタイトルにもある「ローゼンバーグ自尊心尺度」はそれなりに有名です。下記の10項目で点数をつけます。簡単にできますから未実施の人は一度試してみてください。
1. 私は、自分自身にだいたい満足している。
2. 時々、自分はまったくダメだと思うことがある。
3. 私には、けっこう長所があると感じている。
4. 私は、他の大半の人と同じくらいに物事がこなせる。
5. 私には誇れるものが大してないと感じる。
6. 時々、自分は役に立たないと強く感じることがある。
7. 自分は少なくとも他の人と同じくらい価値のある人間だと感じる。
8. 自分のことをもう少し尊敬できたらいいと思う。
9. よく、私は落ちこぼれだと思ってしまう。
10. 私は、自分のことを前向きに考えている。
上記項目1,3,4,7,10については「強くそう思う」=4点、「そう思う」=3点、「そう思わない」=2点、「強くそう思わない」=1点で点数化します。項目2, 5, 6, 8, 9は、「強くそう思う」=1点、「そう思う」=2点、「そう思わない」=3点、「強くそう思わない」=4点とします。
合計点数が20点以下であれば「自尊心が低い」、30点以上であれば「自尊心が高い」となり、日本人の平均は約25点だと言われています。ちなみに私の場合、ちょうど25点となり、「自分の自尊心は日本人の平均程度」というとてもつまらない結果となってしまいました……。
しかし、こんなもので本当に人間の自尊心が評価できるのでしょうか。はっきり言うと私は「できない」と思っています。さらに、前回引き合いにだした論文の筆者らには申し訳ないですが、この尺度が信頼できない以上、「日本人は年齢とともに自尊心が高くなる」とした結論の信ぴょう性も疑わしいと思っています。
なぜこのような質問では自尊心が正確に評価できないのか。例えば質問1の「自分自身にだいたい満足している」を考えてみましょう。これは自分自身の「何を」対象とするかで答えが大きく変わってきます。例えば「容姿」なら20代に比べて60代は「満足している」からはほど遠くなるはずです。ですが、「貯蓄」をメインに考えるなら、多くの人は容姿とは反対に20代のときよりも60代の方が満足しているわけです。
また、このような設問に「本当に正直に答えられるか」という問題もあります。そもそも人は自分自身のことをそれほどよく分かっていません。設問10のように「前向きに考えている」と言われても、「前向きなこともあるけど、慎重になって行動を控えることもあるし……」と考える人が多いのではないでしょうか。ちなみに私の場合、自分のことを「悲観主義者で前向きにはなれない」と常々考えているのですが、私をよく知る昔からの友達からは「お前ほどの楽観主義者はいない」と言われます。
というわけで、本来私は他人の悪口を言うのは好きでないのですが、ローゼンバーグさんがお考えになったこの尺度が有用とは到底思えません。
では正確に自尊心を評価する方法はないのでしょうか。日本心理学会のウェブサイトを調べてみると「顕在的自尊心と潜在的自尊心」というタイトルの記事がありました。この記事、ある意味でとても興味深いと言えます。
この記事によると、顕在的自尊心はローゼンバーグ自尊心尺度で測定することができて(ここまではOK)、国際比較ではなんと日本が最も低く、年代による変化は日本では下降傾向にあるというのです。この時点で、前回と紹介した論文とで結論が食い違っています。調査方法が異なりますが、2つの主張に整合性があるとは到底思えません。
潜在的自尊心は興味深い考えだと思いますが、紹介されている検査法がどれだけ正確なものなのかが疑問です。また、顕在的自尊心が高く潜在的自尊心が低い不安定的高自尊心者と、顕在的・潜在的自尊心の両方が高い安定的高自尊心者の分類についてはたしかにおもしろいと思いますが、果たしてそんなに単純に分類できるのか、という疑問が私には残ります。またこの記事の最後には「この論争については明確な結論が出ておらず、今後の研究が待たれるところです」という文章もあり、やはり共通のコンセンサスがあるわけではなさそうです。
結局、自尊心はどのように考えればいいのでしょうか。思い切って誤解を恐れずに私見を述べれば「自尊心なんてものを考えること自体がナンセンス」です。そもそも、日頃から「幸せになりたい」と考える人は大勢いるでしょうし、また考えるべきだと思いますが、「自尊心を高くもちたい」と考えている人がいるとは思えません。もしも、目の前に神様が現れて「幸せがほしいか」と問われれば、よほどのひねくれ者でない限り「ほしいです」と答えるでしょうが、「自尊心がほしいか」と言われて「どうしてもほしい」と答える人はどれだけいるでしょう。私なら「どっちでもいい」と答えます。「くれるならほしい」と答える人は多いでしょうが、「幸せと自尊心のどちらかを選べ」と問われれば誰もが「幸せ!」と即答するに違いありません。
過去のコラムで繰り返し述べたように(例えば「「承認されたい欲求」と「承認したくない欲求」」、「「承認欲求」から逃れる方法」)、私は「承認欲求なんて捨ててしまえばいい」と言い続けています。しかし、これは誰からも嫌われてもよいという意味ではなくて、「自身にとって大切な少数の身内から愛されていればそれでじゅうぶんであって誰からも愛されることに意味はない。身内以外からは嫌われても何の問題もない。大切なのは<変わらざる自身>を持つことだ」という意味です。
自尊心も同じようなものだと思います。つまり、「自尊心なんてどうでもよくて考えることにも意味はない。それよりもそんなことを考える暇があるなら自身にとって大切な少数の身内から認められるよう<変わらざる自身>を持つように努めればよい。もしも他人から『あいつには自尊心がない』などと咎められたとしてもそんな悪口は無視すればいい」と私は思います。
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|2023年11月12日 日曜日
2023年11月 幸せになりたければ自尊心を捨てればよい
半年ぶりに「幸せ」を取り上げます。今回注目するのは「年齢」です。一般に、人は何歳頃が最も幸せで、何歳頃が最も不幸なのでしょうか。若さが失われることで年をとればとるほど不幸になっていくのでしょうか。それとも、加齢と共に人生を達観できるようになり、その結果幸せが訪れるのでしょうか。
実は「年代と幸福感」については世界で繰り返し研究されています。そして、一致した見解があります。それは「幸福度と年齢の関係はU字型になる」です。おそらく最も有名な論文は、これまでに発表されているデータをまとめ直した研究(これを「メタアナリシス」と呼びます)で、2021年に科学誌「Journal of Population Economics」で発表された「幸福はどこでもU字型を示すか? 145か国の年齢と主観的健康状態(Is happiness U-shaped everywhere? Age and subjective well-being in 145 countries)」です。この論文によると、世界中のほとんどの地域で「幸せ曲線」はU字型を描きます。つまり、「若い頃は幸福で、次第にその程度が低下し、いったん底をついて、再び上昇する」のです。この論文によると、そのU字カーブの底、つまり「最も不幸せな年齢」は48.3歳です。ということは、48.3歳を過ぎれば人はどんどん幸せになるというわけです。本当でしょうか。
どれくらいの人がこれを信じることができるでしょう。この論文では日本のデータも加味されています。日本人の「U字カーブのどん底」は世界平均より少し高くて50歳だそうです。では、あなたの周囲の人たちは50歳が最も不幸で、40歳や60歳の人は50歳の人よりも幸せそうに見えるでしょうか。そして、50歳を超えた人は安心していいのでしょうか。
日本独自のデータもみてみましょう。第一生命経済研究所が、30歳から89歳の全国の男女800名を対象に幸福観に関する意識調査を実施し、2012年に発表しています。この報告によると日本人の年齢ごとの幸福度は男女で異なります。男性の場合、先の論文と同様、30代から40代にかけて落ち込み、その後どんどん上昇します。最も幸せなのは80代で、20代よりも上です。他方、女性の場合はまるで異なり、年齢ごとの変化はほとんどありません。60代で少し幸福度が上昇し、最低は80代ですが大きな差ではありません。ただし、この研究は対象がわずか800人ですから信頼性はさほど高いとは言えないでしょう。
内閣府によるかなりショッキングな調査があります。日本人の幸福度は年々低下することを示しているのです。グラフをみると明らかで、調査対象最年少の15歳をピークにして幸福度はどんどん低下していきます。興味深いことに、このグラフには米国人の幸福度が合わせて記されています。米国人の幸せはやはり40歳頃で底をうつU字型カーブです。
レポートには「諸外国の調査研究では、(幸福度は)U字カーブをたどるとされる。(中略)しかし、日本では高齢期に入っても他国(たとえばアメリカ)に比べると幸福度が上昇していかない」と、「日本人は例外的に年を取るほど不幸になる」と断言されているのです。内閣府からこれだけはっきりと言われると、日本人でいることを恨みたくなってこないでしょうか。
では、(第一生命経済研究所ではなく)内閣府の見解が正しいとすれば、なぜ日本人は(日本人だけが)年を重ねても幸せが訪れないのでしょうか。この疑問に対する答えになるかもしれない興味深い報告を紹介しましょう。
科学誌「Frontiers in Public Health」に2020年に掲載された興味深い論文があります。タイトルは「日本の生涯にわたる自尊心の発達の軌跡: 青年期から老年期までのローゼンバーグ自尊心尺度のスコアの年齢差(The Developmental Trajectory of Self-Esteem Across the Life Span in Japan: Age Differences in Scores on the Rosenberg Self-Esteem Scale From Adolescence to Old Age)」で、日本人による日本人を対象とした「自尊心(self-esteem)」に関する研究です。結論は「ヨーロッパ系アメリカ人では中年期以降自尊心が低下するのに対し、日本人の自尊心は青年期で低くなりその後成人期から老年期にかけて高くなり続ける」です。
論文に掲載されたグラフをみれば一目瞭然です。調査対象最年少の15歳での自尊心が最も低く、その後は男女とも一貫して上昇し続けています。はたして、これは事実を反映しているのでしょうか。そして、なぜ日本人の(日本人だけの)自尊心が年齢と共に上昇し続けるのでしょうか。この点は世界からも注目されているようで、英国紙The Guardianに2023年9月に掲載された記事もこの研究を紹介しています。記者は、日本人の自尊心が年齢と共に上昇する理由として「日本人は謙虚でバランスのとれた態度をとっているからではないか」と推測しています。
世界中の人々が読んでいる著名な新聞で「日本人は謙虚で……」と書かれると、我々は誇りに思っていいのかもしれませんが、ここでは「日本人は年をとればとるほど不幸になる」という内閣府の調査と合わせて考えてみましょう。もちろん直ちに自尊心と幸福度に直接の因果関係があるとは言えないわけですが、自尊心も幸福度も共に本人の主観、つまり「本人がどう思うか」で決まることを考えると、「日本人は加齢とともに次第に自尊心が高くなることが理由でどんどん不幸せになっていく」と言えないでしょうか。
では「自尊心」とはいったい何なのでしょうか。一言で言えば「自分に対する自信」となりますが、これは様々な意味に解釈できますから、ここでは「自尊心が低すぎる人・高すぎる人はどんな人たちか」を考えてみましょう。
自尊心が低すぎる人はアイデンティティが持てず自分に自信がない人で、「薬物などの依存症になりやすく、自殺未遂をしやすい」という傾向があります。
他方、自尊心が高すぎると、いわゆる自信過剰となり過度なナルシシズムに陥ります。そういえば、自分の非は一切認めず大声で若者に説教している高齢男性をしばしば見かけます……。これはThe Guardianの記者がほめてくれている「謙虚」とは正反対のものです。おそらくこの記者は日本人の自尊心の高さをステレオタイプの「武士(サムライ)」に当てはめているのではないでしょうか。寡黙でいつも他人を慮りときには自身を犠牲にするようなタイプです。
しかし当事者である我々がよく知っているように、実際の日本の高齢者はこのような「武士タイプ」ばかりではありません。年齢と共に自尊心が高くなるのが事実だとしても、それはいばりちらしているだけの「見苦しい自尊心」であることも多そうです。しかし、いずれにしても自尊心が上昇する代わりに幸せ度が低下するのであればまったく嬉しくありません。
ではその自尊心を捨ててしまえば幸せになれるのでしょうか。そして、世界の人たちはいったいどのようにして自尊心を上手に低下させているのでしょう。「年齢と共に自尊心を低下させることで幸せ度が増す」と考えるのは論理の飛躍かもしれませんが、あながちこの仮説も間違っているとは言えないのではないでしょうか。
では、自尊心を上手く低下させる方法を考えてみましょう。最も簡単なのは「謙虚になること」です。The Guardianの記者は「自尊心が高いから謙虚だ」と言っているわけですが、私はその逆だと思っています。「もう年をとったから何でも若者に任せて年寄りらしく目立たないように人生を楽しもう」と考えて自尊心を徐々に低下させるのです。そういえば、いつまでたっても権力にしがみつこうとする見苦しい高齢者が日本社会のいたるところにいるような気がします。
50代以降、幸せになりたければ自尊心を少しずつ下げることを意識してみましょう。「年をとり体力や認知力などが低下していることを自覚し、チャンスはどんどん若者に譲り、周囲の人たちに感謝しながら、自身はおとなしく目立たぬようにする」が50代以降の幸せになる秘訣ではないか、というのが現在の私の考えです。
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|2023年10月10日 火曜日
2023年10月 賢い薬の受け取り方
谷口医院は閉院予定のわずか25日前に奇跡的に現在の物件をある患者さんから紹介してもらい、閉院を回避できました。当初の予定では6月30日が最終日で、その発表を1月4日におこないました。発表時、閉院は「予定」ではなく「決定」であったために、発表と同時に「診療の縮小」を開始しました。
新患患者をできるだけ少なくし、谷口医院をかかりつけ医にしていた患者さんには別の医療機関を紹介し始めました。薬については、谷口医院は開業以来「院内処方」が中心でしたが、診療縮小に合わせ、仕入れを中止し、院外処方に変更しました。
ところが院外処方に替えたとたんに、患者さんが困るケースが続出し、つまり調剤薬局でのトラブルが相次ぎ、結局大部分を院内処方に戻さざるを得ませんでした。
なぜ、院外処方にするとうまくいかないのでしょうか。しかし現在、新しい谷口医院では原則として院外処方にしています。そして非常にうまくいっています。この違いはどこにあるのでしょうか。そして、どうすれば患者さん側からみて薬の受取がスムーズになるのでしょうか。今回は「賢い薬の受け取り方」を取り上げます。
まずは、なぜ谷口医院が長年院内処方にこだわってきたのかについて説明しておきます。2007年の開院時、近くに調剤薬局がまったくなかったというのも理由のひとつですが、最大の理由は「大切な患者さんの大切な薬の説明を会ったこともない薬剤師に任せられないから」です。これは、薬剤師が力不足だと言っているわけではありません。実際、薬の知識は医師よりも薬剤師の方が豊富です。
ではなぜ薬剤師に薬の説明を任せられないのか。それはその薬剤師が患者さんのことをほとんど何も知らず診察の様子も見ていないからです。薬の説明は単に添付文書(薬の説明書)に書いてあることを伝えればいいわけではありません。そんなことなら誰にでも(あるいは生成AIにでも)できます。
例えば、「その薬は少々の副作用が生じても飲み続けなければならないのか」「症状が改善すれば減らしてもいいのか」「自己判断で増やしてもいいのか」「どのようなときに増量すべきか」「飲み忘れたときにはどうすべきなのか」などについては、その患者さんの症状と重症度、さらには社会背景(夜勤などで生活が不規則、家族に病気を隠しているために自宅では飲みにくい、など)や心理状態やキャラクター(薬に抵抗がある、毎日飲むことに自信がない、物忘れが多い、など)も考慮しなければなりません。
塗り薬の場合はさらに困難になります。全身に症状が及ぶ場合、薬をどの部位にどの程度の量を1日に何回塗って、何日間で経過をみて改善していれば次にどの薬に切り替えればよいか、などといったことは診察に立ち会うか医師から直接話を聞いていなければ分かるはずがありません。
院内処方から院外処方に切り替えた1月上旬には「それでも薬剤師がなんとかしてくれるかな」と淡い期待をしたのですが、結局患者さんを不安にさせる事例が相次ぎ、院内処方に戻さざるを得なくなりました。
その患者さんのことをよく知らない者が、たとえどれだけ薬に関する知識が豊富な薬剤師であったとしても、その患者さんに対して適した説明をすることには初めから無理があるわけです。
そして、それ以前に医師として、顔も知らない薬剤師に薬の説明を任せることなど到底できません。薬剤師の免許を持っているというだけでその薬剤師がまともに薬の説明をできると信用することはできません。これは、薬剤師からみても「医師免許を持っているというだけでまともな医師とは確証できない」のと同じことです。
ですから、医療機関の医師(及び看護師)と近隣の薬局の薬剤師は、最低でも互いに名前と顔を知っていなければなりません。これって、常識的に考えて当然ではないでしょうか。患者さんに薬を使ってもらうというのは大変重要なことです。薬がきちんと使用できるかによってその患者さんの人生が変わってしまうと言っても過言ではありません。それだけ大切な薬の処方+調剤(説明)をするのであれば供給側(医師+薬剤師)はしっかりと連携できていなければならないのは当然です。
にもかかわらず、医療界というのは医師と薬剤師が互いの顔も名前も知らないということが往々にしてあるのです。
上述したように、2007年に旧・谷口医院がオープンした頃には近くに調剤薬局が1軒もありませんでした。しかし、そのうちにひとつふたつとできてきました。私としては、そして谷口医院としても、薬剤師が挨拶に来てくれるのかと期待して待っていました。しかし、待てど暮らせど薬局からは誰も来ません。そこで、谷口医院に出入りしている薬の卸業者に「我々の方から挨拶に行けばいいんですかね」と聞いてみたところ、「いえ、普通は薬局の方から挨拶に来ますよ」と言われ、そのまま待っていたのですが、ついに閉院までほとんんどの薬局は来ませんでした。
正確には1軒のみ、その薬局がオープンした頃にそこの社長がやって来たのですが、その薬局は営業時間も短く、電話で薬に関する問い合わせをしても「うちみたいな小さな薬局じゃなくて大きなところに聞けばどうですかぁ?」などと、あきらかにやる気がなさそうな態度で返答されるため、そんなところに大切な患者さんの薬の説明を任せられないと判断しました。
さて、新しい谷口医院では院内処方を継続することも考えたのですが、2つの理由から断念しました。1つはここ2~3年、薬の製造に問題が続出し供給が不安定な状態が続いているからです。このような状況では、製薬会社と卸業者は医療機関よりも薬局に納入することを優先します。谷口医院のようなグループの医療機関を持たない個人医院は最も不利になってしまいます。となると、薬を安心して処方するには薬局の力を借りるしかありません。
そしてもうひとつの院外処方に決めた理由は、新・谷口医院の入居するビルの1階に薬局がオープンすることが決まったからです。谷口医院はビルの2~5階を借り、1階には薬局が入居するのです。この条件であれば谷口医院と1階のその薬局が「協力」するのが賢明です。
そこで、新・谷口医院そして階下の薬局がオープンする前に、その薬局の薬剤師とミーティングを重ね、あるべき「医師・薬剤師関係」について議論を交わしました。そして互いに協力しあい、患者さんが安心できる体制をつくることで意見が一致しました。
具体的には、まず薬局にはプライバシーを確保した「個室」をつくってもらうことにしました。そもそも日本のほとんどの調剤薬局はプライバシーがなさすぎます。例えば、緊急避妊薬、抗がん剤、抗HIV薬などは処方されることを他の患者さんに知られたくありません。しかし、既存のほとんどの薬局では隣や後の患者さんに薬剤師との会話が聞こえてしまいます。「プライバシー確保」についてはすぐに取り組んでもらえることになりました。
薬剤師には私の診察を見学に来てもらうことにしました。診察時に私が薬について患者さんにどのような話をしているかを見てもらったのです。そして、診察終了時には何人かの患者さんについてディスカッションをおこないました。私が「薬はいつも最小限」を基本にし、患者さんの社会背景や心理状態も考慮して薬の説明をしていることを理解してもらいました。
医師が発行する院外処方せんは日本全国どこの薬局でも利用できます。しかし現在、谷口医院の患者さんのほとんどは階下の薬局で薬を受け取っています。その理由は、「すぐに飲まねばならない薬があるから」だけではありません。何かトラブルや疑問点が生じたときにも薬剤師と医師が協力してすぐに対応できるからです。診察室と薬局はPHSを使い、いわばホットラインを引き、何かあればすぐに連絡を取り合っています。さらにGoogle Chatを使って注意事項を速やかに連絡しています。副作用が出たり飲み忘れたりしたときには、谷口医院にでも薬局にでも電話やメールで問い合わせができる体制を敷いています。
そして実際、患者さんからは非常に好評です。医師と薬剤師が日頃から顔を合わせ、患者さんごとの注意点を話し合い、常にその患者さんにとって最善の薬の説明を考えているわけですから好評なのは当然といえば当然です。
けれども、谷口医院と階下の薬局は別に特別なことをやっているわけではありません。医師と薬剤師が互いに顔も名前も知らない状態で薬の処方・調剤をおこなうことがおかしいのは自明でしょう。
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|2023年8月13日 日曜日
2023年8月 開業医は心身が健康である限り引退してはいけない
前々回のコラムでは、医師という職業は患者さんの病の苦痛を引き受け続けなければならないことから”幸せ”にはなれない、という私見を述べました。
「職場のストレスがひどくて……」と訴える患者さんに対し、私は「オン・オフを上手く切り替えましょう」と助言することがあります。つまり、退社時刻になれば仕事のことはきれいさっぱり忘れてプライベートを楽しみましょう、とアドバイスしているのです。
ですが、患者さんが医師の場合(あるいは看護師など他の医療者の場合も)はこのようなことを言いません。私自身がオン・オフを切り替えることができないからです。前回のコラムで述べたように、患者さんの苦痛を忘れることはできません。さらに、あくまでも私見ですが「忘れるべきではない」と考えています。
たいていの医師は、医師という職業を辞めず、医師以外の職業に転職する医師はわずかしかいません。また、早期リタイヤする医師も少数で、80代の医師も何ら珍しくはありません。「もういい年齢だから余生をゆっくり楽しみたい」と言って引退しても、そのうち医療の現場に戻ってくる医師もいます。もちろん、いったん引退したけれども再び仕事を始めるという人は他の業界でも珍しくありませんし、谷口医院の患者さんのなかにも少なくありません。ですが、「職業を替えず、引退もしない職業」をランク付けするとすれば、医師が第1位となるのではないでしょうか。
では、なぜ医師は引退しないのでしょうか。私はこの「答え」を、偶然にも、太融寺町谷口医院を閉院しなければならなくなったことで理解できました。
一般に「人はなぜ働くか」の答えは「生活するため」、つまり「お金を稼ぐため」です。では「一生食べていけるだけのお金があれば引退するか」に対して人はどのように答えるでしょう。「引退する」と答える人もそれなりにいると思います。実際、先述したように引退しても仕事を再開する人がいる一方で、きれいさっぱり仕事はやめて趣味の世界に生きる人もいます。谷口医院の患者さんでいえば、仕事をやめると覇気がなくなる人が多いのですが、なかには「趣味が充実していて楽しくて仕方がない」という人も(少数ではありますが)います。
ですが、ほとんどの人にとって働く理由は「お金のためだけではない」のはあきらかです。上述したように医療者でなくても「いったん退職したけれど再び仕事を始めた」という人はかなりたくさんいますし、引退せずに「可能な限り働き続けたい」という人も少なくありません。谷口医院の患者さんにも大勢います。その理由は「社会とつながっていたい」というものが一番多い気がしますが、「自分がいないと現場が回らないから引退できない」という人もいます。
後者の理由、つまり「自分がいないと……」に対しては、「いずれ引退せねばならないときが来るのだからそれは理由にならないのでは?」という意見があります。むしろ、「引退のタイミングを逃すと”老害”が出てくる」が現実です。
老害はどこの世界にもあると思いますが、医師の世界でもしばしば見受けられます。医師の典型的な老害を感じるのは「学会」です。演者の発表の後の「質疑応答」の場面で手を挙げて、「意味不明の自説」を延々と話し続ける高齢医師がいるのです。座長(司会者)が「時間がおしているのでそろそろ……」と終わらせようとしてもそれでも話をやめない”老害まるだし”の医師もいます。
若い頃活躍していた医師に限って、自身が認知症であると認められず、周囲のスタッフを困らせ、患者さんに迷惑をかけたり、さらに呼ばれていない学会に出掛けたり、頼まれてもいないのに会議に出席しようとしたりすることもあるそうです。
「週刊現代」がある医師の”末路”を負った記事があります。この医師はかつて「天才外科医」の名前をほしいままにしていた、医療者であれば誰もが知っている名医です。記事のなかでは仮名(かめい)が使われていますが、その仮名を見れば医療者ならこの医師が誰なのか容易に推測できます。これだけの名医が認知症となり、そして……。この記事は我々医師にとって最後まで読むのに耐えられないほど辛いものです。
人はいずれ能力が衰えるのですから、あえて早期に引退するのは一種の”美学”だとも言えます。ならば私も早期引退を考えてもいいのではないか。そう思って、太融寺町谷口医院の閉院を決めた1月、タイでボランティアをしながら永住する道やその他引退後のプランを具体的に思案していました。
ところが、私が大好きな西日本のある町で開業する医師から「診療所を引き継いでもらえないか」と言われ、その選択を考えるようになり、その医師から「これまで診てきた患者を見捨てられなくて……」という言葉が私を打ちのめした、という話を前回しました。
閉院を表明した1月以降、私は日々患者さんに「新しいところを紹介しますので閉院を許してください」と言い続けていたわけですが、怒り出したり、泣き出したりする患者さんが後を絶たず、不動産関連の仕事をしている人たちからは「自分が移転先を探しますからなんとか続けてください」などと言われました。なかには不動産業界とは無縁なのに、休日に街を歩いて移転先候補の物件を探してきてくれた患者さんもいました。
そんな患者さんたちを見捨てることなど誰ができるでしょう。では、移転先が見つかったとして(そして幸運にも実際に見つかったわけですが)、私はいつまで医師を続けるべきなのか。この答えはあきらかです。「私の診察を希望する人がいなくなるまで」、そして「私が診療を続けられなくなるほど心身が破壊されるときが来るまで」です。
これが分かった瞬間に「もう一度移転先を探し、そして絶対に見つけなければならない」と決意しました。そして、「老後の楽しみ」とか「引退後の第二の人生」といったものとは自分には縁がないことを自覚し、「私の診察を希望する人がいるのなら、体力、知力、認知力が続く限り診療を続ける」という決心がつきました。
過去のコラム「『偏差値40からの医学部再受験』は間違いだった」でも取り上げたシェークスピアの『As You Like It』に登場するセリフをもう一度紹介したいと思います。
All the world’s a stage, and all the men and women merely players. They have their exits and their entrances.(すべての世界は舞台だ。すべての男と女は単に役者を演じているだけだ。我々には初めから出口(退場)と入口(登場)が与えられているのだ)
日本語訳は私によるもので、韻も踏めていないし下手くそな和訳であることは承知していますが、それでも自分の言葉で訳したかったのは、このセリフが「人生の真実」を示していると考えているからです。この世界は誰にとっても”舞台”、そして我々一人一人はその舞台で演じる”役者”なのです。私に与えられた”役”は「体力が続き認知機能が保たれている限り、そして求める人がいる限り診療を続ける」なのです。
それを理解させてくれたのが、谷口医院の「閉院宣言」に反対し、怒り、涙を流し、休日に移転先の物件を探しに行ってくれたような患者さんたちなのです。
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|2023年7月8日 土曜日
2023年7月 閉院25日前に起こった”奇跡”
2023年1月のマンスリーレポート「「閉院」を決めました」で、太融寺町谷口医院がとれる選択肢は「閉院」以外にないことを発表しました。閉院後に私自身が何をするかはまったく決まっておらず、医師以外の仕事も選択肢に入れようと考えていました。たまたま閉院を決意した直後の1月中旬に、医療系ポータルサイトのm3.comから「閉院後何をしますか」というインタビューを受け、そのときは、刑務所で働く医師(矯正医官)、海外の日本大使館で働く医師(医務官)、留学生の多い大学で働く医師(学校医)なども考えていると答えました。その当時、最も現実的だったプランはタイ滞在です。私が主催するNPO法人GINAはタイのエイズ患者の支援をおこなっています。タイの田舎を拠点にボランティアをしながらのんびりと余生を過ごすことを考えていたのです。
そのインタビューを受けたのと同じ頃、私が大好きな西日本のある町で開業しているある医師が、私が医師をやめようとしていることを知って、「自分の診療所を引き継いでくれないか」と連絡をくれました。私が大好きなその町で働けるとは夢のようです。早速、閉院後すぐにでも見学に行かせてほしいと返事をしました。しかし、その医師とメールのやり取りをしているなかで、突然わきばらにボディブローを受けたような痛みを覚えました……。
その医師は「自分が引退してからも患者さんを見捨てられないから、(私に)来てほしい」と言うのです。その医師は特に深い意味を込めてそう言ったわけではなく、後継者を探している理由をそのまま述べただけだと思います。しかし、私にとってはこの言葉が鈍い”痛み”となり、その痛みは徐々に身体の奥の方に広がっていきました。
その理由は明らかです。1月4日、閉院を公表した日から、日々の診察は「6月で閉院します。申し訳ありません」と患者さんに謝罪し続ける日々となっていました。「困ります」と怒り出す人もいれば、泣き出す人もいました。平静を装おうとするのだけれど涙があふれだす人もいました。そして、私は恥じました。このような患者さんたちを見捨てて、自分の好きな町に行こうと考えたことを。
そして私は、「移転先を1年4ヶ月探して見つからなかったけど、もう一度探すしかない」と考えるようになりました。
2月のマンスリーレポート「閉院でなく「移転」は可能か?」では、大阪市北区を離れて少し遠いところで物件を探すことにすると報告しました。しかし、北区で見つからなかったものがそう簡単に他の区で見つかるはずがありませんでした。
3月のマンスリーレポート「閉院でなく「移転」は可能か?~続編~」では、なかなかいい物件は出てこないものの、欠点を我慢すればできないわけではない物件が見つかってきたことを紹介しました。欠点とは、「かなり狭い」、「発熱外来ができない」、「薬局が近くになく、院内薬局をつくるスペースもない」、「水回りが不十分」、「トイレが小さすぎる」、「エレベータがない」などの悪条件です。この頃には、最悪の場合、ワンルームマンションを借りて、そこでオンライン診療だけをおこなうという選択肢も考えるようになっていました。
いつまでも理想を求めているだけでは何も産まれません。何かを妥協しなければ移転は実現しません。そこで何を犠牲にするかを考え始めました。「駅から遠い」は患者さんに理解してもらうしかありません。「狭い」も完全予約制にするなどして対処すればやっていけるかもしれません。「水回りがない」は診察できませんから、大幅な工事が必要になります。それを家主に認めてもらうよう交渉しなければなりません。
そういった妥協案を考えていた4月の中頃、当院を長年かかりつけ医にしているある不動産関係の社長さんが、「いいのが見つかりました」と言って物件を紹介してくれました。この物件はこれまで検討したなかで群を抜いて理想的です。というより、欠点がありません。太融寺町谷口医院からすぐ近く、駅からも徒歩1~2分、そして、ビルの1階をまるごと貸りることができます。ビル自体が新しく、バリアフリーで、充分な広さがありますから「発熱外来」も実施できます。
ところが、「やっと運が回ってきた!」と喜んだのも束の間、そのビルのオーナーが「谷口医院には貸さない」と言ってきたのです。なぜか。「(当院が)現在家主を訴えた裁判を起こしているから」だと言います。ある不動産関係者に聞いてみると「家主としてはそういうエピソードのある借主を嫌がる」そうです。ですが、いくつか見て回った物件の家主は「ボクシングジムを階上に入れられたなんてそんなに気の毒なことがあったのなら是非うちを借りてください」と言ってくれていました。同情してほしいとは思いませんが、当院が不当な理由で家主を訴えているわけではないことは理解してもらいたいものです。ですが、そんなことを言っても家主がNOと言うなら仕方がありません。
移転先探しは再び暗礁に乗り上げました。
ゴールデンウィークに入る直前、ある医療モールと契約できそうな状況になってきました。今年の秋ごろに新たにできる医療モールで、まだ入居するクリニックは決まっていないと言います。以前、入居希望した医療モールは、モール自体は歓迎してくれましたが、そのモールに入っている医療機関から反対されて話は流れました。今度の話は、入居先はまだどこも決まっていないわけですから谷口医院が一番乗りになり、他院から反対されることはありません。
この新築の医療モールに入居することをかなり真剣に考え始めた頃、ゴールデンウィークに突入しました。連休中、私はあらゆる伝手を頼って医療モールに関する情報収集に努めました。その結果分かったのは「医療モールにはトラブルが多い」ことでした。「患者の取り合い」のような事態になりやすいというのです。
谷口医院自体は開院当初の2007年から「他で診てもらえなかった人、ようこそ」というポリシーを通しています。昔も今も「診てもらえるところがあるならそちらにどうぞ」という方針です。他に受診できるところがあるならそちらに行かれればいいわけです。そもそも世間には「きちんと診てもらえるところがない」と嘆いている患者さんがものすごくたくさんいて、需要が供給よりも圧倒的に多いのです。「開業医は余っている」という声があるのは私も知っていますが、それは「開業医にとって都合のいい患者が少ない」を示しているに過ぎません。
私としては「患者をとった・とられた」などというややこしい話に巻き込まれたくありませんし、そういう話が直接耳に入らなかったとしても、そういうことを考える医師と同じ医療モールで診察をしたくありません。そんな医者がどれくらいいるのか知りませんが、当院は実際にそういう医者から入居を反対された経験があるわけですから今後も出てこないとは限りません。
しかし、連休も終わり6月末の閉院まで残りの時間がなくなっていく状況下で、依然この新しい医療モールが第一候補のままです。
そんなとき、長年当院をかかりつけにしている不動産会社を経営するある患者さん(上述の社長さんとはまた別の患者さん)が、魅力的な物件があるという話を持ってきてくれました。ビルのオーナーが変わったばかりで、薬局と診療所に同時に貸すことも検討しているとのこと。
私はこの話に飛びつきました。非常に幸運なことに当院の治療方針に共感してくれる薬局が1階に入ることになりました。谷口医院は2階から5階を使います。このビルを借りる契約が成立したのは2023年6月5日。閉院まで残りわずか25日の時点でした。
以上が新しい谷口医院が生まれるまでの軌跡です。
新しい谷口医院では8月14日から診察を再開します。
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|2023年6月11日 日曜日
2023年6月 医師は”幸せ”になれない
過去2回にわたり「幸せ」について論じてきました。太融寺町谷口医院は土壇場で新天地で新たな「谷口医院」に生まれ変わることが決まりましたが、太融寺町を離れるわけですから「太融寺町谷口医院」は6月30日をもって「閉院」となります。ということは、太融寺町谷口医院からお届けするマンスリーレポートは今回が「最終回」ということになります。その最終回は「幸せ」のとりあえずの完結編とします。その完結編では「医師は幸せか」を取り上げてみたいと思います。
過去のコラム「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」の結語として、私は次のように述べました。
「私にとって「幸せ」とは何か。いまのところ自分ではまったく分かっていないようです…」
他方、私が発行するメルマガで、次のように述べたことがあります。
「医師としての仕事が好きならばこれほど幸せな人生はない。なにしろ贅沢なものにお金を使おうという気にすらならないのだから……」
このコメントは「医師は儲かるか」という読者からの質問に私が答えたものです。医師は比較的高収入だが、お金を使うことよりも仕事に没頭できるので医師は幸せだ、としたのです。
では医師の仕事はそんなに幸せ、つまり楽しくて仕方がないのでしょうか。
結論から言えば「楽しくて仕方がない」などということはまったくありません。はっきり言うとその正反対です。この仕事はそれなりの”覚悟”がないと初めからやらない方がいいと断言できます。つまり、将来のビジョンを考えるときに安易に医学部を選択すべきでないのです。
医師になるということは、患者の苦しみを聞き続ける、ということに他なりません。その苦しみというのは、ときに家族や友達にも言えないことです。医師ならば理解してくれるだろう、と期待するからこそ患者は本音を語るのです。
その本音の苦しみを聞いた医師はそれを受け止めなければなりません。突然のがんの宣告、交通事故に巻き込まれ脊髄損傷、軽い気持ちで受診したのに難病を告知された、といったことが医療機関では日常茶飯事です。患者さんの側からみればその病気や怪我で人生が大きく変わってしまうわけです。なかにはその病気や怪我を受け止められない人もいます。
過重労働や仕事のストレスがある患者さんに対して、私は医師として「オン・オフを切り替えましょう」と助言することがあります。ですが、医師の仕事をしている限り、オン・オフの切り替えなどできません。患者さんの苦しみを忘れることはできないわけです。
医学部の学生の頃、先生たちから何度か「患者の立場になれ」と言われたことがあります。けれども、そんなこと言われなくたって、患者さんから話を聞けばその辛さや悲しみは自然に伝わってきます。
医師になってしばらくして私が自分自身に誓ったことは「患者さんを不幸だと思ったり憐れんだりしてはいけない」ということです。このような考えをもってしまうと、上から目線になってしまうからです。患者さんの多くは、病気を宣告されたときは動転したとしても、やがて現実を受け入れていきます。この姿には、私は患者さんに敬意を抱くことがしばしばあります。客観的には不幸にみえたとしても患者さんがそれを受け入れている以上、我々治療者がその境遇を憐れむのは失礼です。
一方、患者さんがその疾患と現実を受け入れられないこともしばしばあります。例えば、がんやHIVを告知されたとき、それが晴天の霹靂であったような場合なら、ほとんどの人はすぐには受け入れられません。「どうして自分(だけ)が……」という気持ちになるのです。このようなときも、我々医療者は患者を憐れんではいけません。私は医師と患者は”完全に”対等であるべきだとは思っていませんが、医師が患者を不幸だと思ったり、憐れんだりする資格はないのです。
しかしながら、患者が病気自体を受け入れたとしても苦しみや悲しみが消えるわけではありません。いえ、実際苦しいのです。悲しくて辛いのです。その苦しさは完全には理解できないのだとしても、医師は可能な限り理解すべきだと私は思っています。
四六時中考え続けるわけにはいきませんが、忘れることはできません。私は医師になってから患者さんの夢を見ない日はほとんどないと言っていいかもしれません。広範囲の熱傷、転落事故、関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、HIV感染、脊髄損傷、多発性硬化症、悪性リンパ腫、抗NMDA受容体抗体脳炎……、こうして目を閉じると、これらの患者さんの顔が次々と脳裏をよぎります。
階上ボクシングジムの振動のせいでいつ針刺し事故が起こるかもしれない状況となりました。この状態で診療をを続けるわけにはいかず「閉院」を決めました。もちろん、それまでにさんざん移転先を探したのですが、主に「コロナを診る医療機関はお断り」という理由で入居できるビルが見つかりませんでした。
ならば何もかも終わらせるしかない。そう考えて私はいったんは閉院を決め、そして海外に出る計画を立てました。様々な国が候補に挙がりましたが、最終的にはタイに居住する計画を立て始めました。タイの田舎に住んで、タイ全土のエイズ施設や障がい者の施設でボランティアをするつもりでいました。「閉院」を正式に発表したのが1月4日。以降しばらくは毎日患者さんに「すみません。閉院します」と頭を下げる日々でした。
ところが、「それは困ります」という声があまりにも多く、診察室で泣き出す人が後を絶ちませんでした。私からみれば「2年間移転先を探し続けたけどなかったんだから理解してください」という気持ちでしたが、「もう一度探してください」という声が多く、なかには休日に街を歩いて空き物件を探しに行ってくれた人もいました。不動産会社で働いている人や不動産業を営んでいる患者さんたちは、自社で扱っている物件を持ってきてくれました。
私が幸運だったのは、新型コロナウイルスの勢いが衰え、不動産業界がコロナを診る医療機関を門前払いしなくなってきたことでした。そして、最終的には、不動産会社の社長を務める患者さんが探してきてくれた物件で新しいクリニックをオープンできることが決まったのです。こんな私は幸せか不幸せか。当然”幸せ”です。
では医師は「幸せ」か。患者の苦しみや悲しみ、あるいは患者の家族やパートナーの苦しさも共有するのが医師です。24時間そういった苦しさを噛みしめているわけではないにせよ、その苦しみを完全に忘れることなどできるはずがありません。そして、その苦しみは患者を診れば診るほど積み重なっていくわけです。
医師になって確信したことがあります。生きるとは楽しいことよりも辛いことの方がはるかにたくさんあるということです。そして、人々が感じる楽しさではなく苦しさを共有していくのが医師の使命なのです。こんな宿命を背負っている医師という職業、あなたには幸せにうつりますか。それとも不幸せに見えるでしょうか……。
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|2023年5月7日 日曜日
2023年5月 「幸せ」がお金で決まらないとすれば何が重要なのか
前回のマンスリーレポート「「幸せはお金で買える」という衝撃の結末」では、従来言われていたように「ある程度の年収があればそれ以上の収入増加は幸せ増大につながらない」という説を覆し、「年収は高ければ高いほど幸せで、幸せ度が上がらない人には不幸な原因がある」という結果を導いた衝撃的な研究を紹介しました。
その研究は学術的には重要なのでしょうが、私はどうしてもその結論に納得できません。では「お金だけではない」とすれば、幸せは何で決まるのでしょうか。これまでこのサイトで取り上げてきた研究も踏まえて改めて考えてみましょう。
幸せについて本サイトで初めて触れたのは2006年8月、太融寺町谷口医院はまだ存在せず、私が大学病院で勤務していた頃でした。コラムのタイトルは「世界一幸せな国 」。2つの研究を紹介しました。
1つは、英国のNPO、NEF (The New Economic Foundation)が、世界178か国を対象とした「幸せ度数」のランキング、もうひとつはやはり英国のレスター大学が「生活満足度」を基にした「幸せの世界地図」で、こちらも対象は世界178か国です。結果は次のようになります。
NEFのランキング:1位バヌアツ、2位コロンビア、3位コスタリカ
レスター大学のランキング:1位デンマーク、2位スイス、3位オーストリア
尚、NEFのサイトを改めてみてみると、2006年から2020年のトータルランキングが掲載されていて、1位から3位は、コスタリカ、バヌアツ、コロンビアとされています。つまり、14年間が経過しても上位3国は変わらないことになります。
バヌアツ、コロンビア、コスタリカの一人あたりの実質GDP(GDP(PPP) per capita)は、Worldmeterによると、それぞれ3,215、14,503、17,110USドルです。ちなみに日本は42,067ドルです。そして、第1位はカタールで128,647ドルです。カタールは、すべての国民の平均年収が1500万円(4人家族なら世帯収入が6千万円)もあるのです。では、大金持ちのカタール人はなぜ幸せランキングの上位にこないのでしょうか。カタールはNEFのランキングではなんと152か国中152位、つまり最下位です。
前回のコラムで紹介したように、ノーベル経済学受賞者が「収入は多ければ多いほど幸せ」と言っているところに、私が「それはおかしい!」と言ったところで誰も耳を傾けないでしょう。ですが、NEFの幸せランキングが正しいとすれば、なぜ世界一の金持ち国家のランキングが世界一不幸とされているのでしょう。
他の「幸せランキング」も見てみましょう。国連が運営する非営利団体「Sustainable Development Solutions Network」が2023年3月20日、「世界幸せレポート(World Happiness Report 2023)」というものを発表しました。結果、幸せな国家第1位に選ばれたのはフィンランドで、これで6年連続第1位となります。
OECDの「Better Life Index」というものもあって、こちらでもフィンランドが第1位です。
谷口医院の患者さんにはなぜか「フィンランド好き」が少なくありません。特にアカデミックな環境にいる人、例えば大学院生、高校教師、医療者などからは絶大な人気があり、実際に長期留学で同国に赴く人も目立ちます。この国のどこに魅力があるのでしょうか。
フィンランドで有名なものといえば、誰もが思いつくのがオーロラ、サウナ、サンタクロースあたりでしょうか。食事はどうでしょう。私が谷口医院の患者さんらから聞いた話では、フィンランドの食事はそんなによくありません。トナカイの肉もそんなに美味しくないと聞きますし、もしも日本人の口に合うのなら巷にはフィンランド料理屋があってもよさそうですが見たことがありません。ある患者さんはフィンランド滞在中、ずっとチョコレートで栄養を摂っていたと言っていました。
「ヒュッゲ」とはデンマーク由来の言葉だそうですが、フィンランドを含む北欧ではお馴染みの習慣だと聞きます。日本語には訳しにくいものの「ほっこり」「ほのぼの」「しっぽり」「まったり」などが近いようです。おそらく、暖炉のある大きな部屋で家族のメンバーが集まってホットチョコレートでも飲みながらのんびり過ごすようなイメージだと思います。
ということは一人当たりのGDPが46,344USドル(日本より少し高いくらい)で、自然がきれいとはいえ長くて厳しい冬に耐えねばならず、食事がたいして美味しくない(失礼!)、けれど家族団らんのほっこりした時空間(ヒュッゲ)を楽しめるからフィンランドは世界一幸せな国と考えるべきなのでしょうか。もちろん世界第一位の結果となったのは、福祉制度や環境対策が適切に取られている、教育体制が充実している、医療機関にアクセスしやすい、などの理由があるからですが、ヒュッゲなしではフィンランドの幸福は語れないのではないでしょうか。
もうひとつ興味深いデータを紹介しましょう。英国の慈善団体CAF(Charities Aid Foundation)が「World Giving Index」という人助けや寄付のランキングを公表しています。
こちらの2021年のランキングをみると、第1位はインドネシアです。世界で最も他人にやさしい(困っている人がいれば助ける、寄付をするなど)国はインドネシアだというわけです。そして、このランキングで最も興味深いのは「最下位の国」です。調査対象国全114か国で最下位の国、つまり「他人に最も冷たい国」は我が国日本です。
作家の橘玲氏は著書『幸福の「資本」論――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』で興味深い提言をされています。幸せを決めるファクターは、「(手持ちの)お金」「(金を稼げる)能力」「友達や恋人」であるとし、これらをそれぞれ「金融資本」「人的資本」「社会資本」と呼んでいます。
この説が興味深いのは、例えば「金融資本+人的資本=ソロリッチ」(友達・恋人のいない医師など専門職に多い)、「人的資本+社会資本=リア充」(一流企業の若いビジネスパーソンなど)など8つのタイプに分類していることです。ちなみに、金融資本、人的資本、社会資本のすべてがすろった「超充」はめったにないそうです。
結局のところ、何に幸せを感じるのかは人それぞれであり、お金だけがあれば幸せという人も(たぶん)おらず、お金が無くても愛だけがあればいいというのもまた(たぶん)きれいごとであり、環境保全、社会福祉、助け合い、寄付、(ヒュッゲなど)家族とほっこりできる時間なども誰にとってもそれなりには必要であり、それらのバランスと程度によるというのが現実ではないでしょうか。
最後に私自身の「幸せの基準」を紹介しておきましょう。私が重視しているのは「将来のビジョンが描けるか」です。例えば、今宝くじで3千万円が当たったとしてもいつまでたってもまともな仕事ができる見通しが立たず友達もいないのなら幸せではありません。他方、まだ見習いの身だけれど今からあと3年かけて技術と知識を習得し誰にも負けない仕事をするというビジョンがあり、支えてくれる友人がいれば幸せです。身体にハンディキャップがあるけれど、作業所で安定した仕事があって信頼しあっているパートナーがいて、貧しいながらもときどき寄付をするような生活がこれからも続きそうなら幸せ度は高いと言えます。
ということは、今幸せ感の自覚がないのであれば、将来、例えば10年後はどんな生活をしていたいかを思い描き、それを実現するためには3年後は何をしていればいいか、1年後は、3か月後は、……、と考えるようにすれば「幸せへのステップ」が自ずと見えてくるはずです。
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|2023年4月10日 月曜日
2023年4月 「幸せはお金で買える」という衝撃の結末
2017年4月のマンスリーレポート「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」で、「年収が75,000ドル(約900万円)を超えると、それ以上収入が増えても幸福感は増えない」という説を紹介しました。
これは科学誌『PNAS』に2010年に掲載された、ノーベル経済学賞受賞者ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)の論文「高収入で人生の評価が改善しても感情的な幸福は改善しない(High income improves evaluation of life but not emotional well-being)」に書かれていることです。ノーベル経済学賞受賞者が「幸せはお金で買えない」と言ったわけですから、この説には説得力があります。
そのときのコラムで私は「タイの酔っ払いと日本のビジネスマン」の逸話を紹介し、金儲けにどれだけの意味があるのか、について問題提起をしました。
今から2年前の2021年4月のマンスリーレポート「幸せに必要なのはお金、それとも愛?」では、カーネマンの説を真っ向から否定した『PNAS』の論文を紹介しました。この論文の著者はマシュー・キリングスワース(Matthew A. Killingsworth)。論文のタイトルは「年収75,000ドルを超えたとしても幸せは収入に連れて上昇する (Experienced well-being rises with income, even above $75,000 per year)」。タイトルから分かるように、明らかにカーネマンの「75,000ドル限界説」に対抗しています。
この論文では、あまりにもクリアカットにカーネマン説を否定しているのが出来過ぎているように(私には)見えること、谷口医院の患者さんを観察して気付いたことは「幸せの最優先事項はお金ではなく仲の良いパートナーの有無だ」という私見を述べました。
カーネマンの「収入75,000ドル限界説」、キリングスワースの「幸せ収入限界なし説」のどちらが正しいのか。そのコラムを書いた2年前には、私はカーネマンを支持していました。2つのコラムで取り上げた、タイの酔っ払いの話、谷口医院の患者さんのエピソードなどから、「(貧乏はよくないとしても)収入の大きさで幸せかどうかが決まるわけではない」と確信しているからです。
ところが、です。カーネマン対キリングスワースのこの対決、最近、あっさりと決着がつきました。その結果は、キリングスワースに軍配が上がりました。つまり、「人はお金があればあるほど幸せになる」という結論になったのです。
その結論を導いた論文を掲載したのはやはり科学誌『PNAS』。2023年3月1日号に掲載された論文のタイトルは「収入と精神的幸福: 対立が解決(Income and emotional well-being: A conflict resolved)」です。
この論文の著者は、驚くべきことに、なんとカーネマンとキリングスワース。つまり敵対する二人が共同研究をして論文を発表したのです。論文のなかで、この研究は「adversarial collaboration(敵対的協力)」と呼ばれています。つまり、まったく正反対の意見を持つ二人が協力して同じ課題に取り組んだ研究ということです。
そして、その結果が「お金はあればあるほど幸せになり、(75,000ドルなどの)限界はない」とするものでした。つまり、カーネマンの完全なる敗北です。論文では敗北という言葉が使われているわけではありませんが、カーネマンは自分自身の説を取り下げて、キリングスワースが以前から主張している「幸せ収入限界なし説」を支持したわけです。
この研究を少し詳しく紹介しましょう。まず、研究の対象者は米国在住の18~65歳の就労者33,391人です。「幸福度」は、1日3回、数週間にわたり、スマートフォンによる報告で計測されました。「今、どんな気持ちですか?」という質問に対し、「非常に悪い」から「非常に良い」までの範囲で回答します。
その結果、論文のグラフBを見ればあきらかなように、年収と幸福度(Experienced Well-Being)はほぼ正比例の関係となりました(私にはちょっとできすぎた結果のようにみえます……)。このグラフが正しいなら、人(米国人)は年収75,000ドルどころか、少なくとも50万ドル(約6千万円)までは収入が多ければ多いほど幸せと感じる、ということになります。尚、50万ドル以上の年収の対象者は少なすぎて解析できなかったようです(そりゃそうでしょ)。
この研究ではもうひとつの特徴が示されています。それは、「対象者の約2割は年収10万ドルを超えるとそれ以上幸福度が上がらない」ということです。論文ではこの2割の人たちが「不幸な少数派(unhappy minority)」と呼ばれています。論文のFig.2が示しています。著者らによると、この2割の人たちは収入が増えても気分が改善しない否定的な「悲惨な経験」があるそうで、その経験とは、失恋、死別、うつ病など、とのことです……。
ノーベル賞受賞者らが執筆したこの論文、学術的な価値はあるのでしょうが、ちょっと強引ではないでしょうか。この論文が正しいとすれば、年収が増えても幸福度が上がらない人は、全員が「不幸な少数派」の烙印を押されることになります。例えば、「お金はほどほどには必要だけれど愛情の方が大切」とか「年収は平均を少し超えるくらいだけれどやりがいのある仕事をしているから幸せ」と考えている人たちの存在がないものとされています。
この論文の結論を一言でまとめれば「お金はあればあるほど幸せ。そうでないと考える人は皆、不幸な者たちで、失恋から立ち直れなかったりうつ病を患っていたりする」と言っているわけです。
提唱者であるカーネマン自らが否定したことになりますから「幸福は年収75,000ドル限界説」は、この論文が発表された2023年3月1日をもって消失したと考えなければなりません。
こここからは私見を述べます。75,000ドルが妥当かどうかは別にして、私自身はカーネマンとキリングスワースのこの研究の結論を肯定しません。そもそも、この結論、経済学の原理に反しないでしょうか。私は経済学にはまったく詳しくありませんが(関西学院大学時代、「経済学」の単位を落としたほどです……)、収入と満足度はいわゆる「diminishing marginal utility(限界効用逓減)」で説明すべきものではなかったでしょうか。これは、「最初の頃は満足度が上がる(効果があがる)けれど、そのうちにありがたみがなくなって最初ほどの満足度(効果)が得られなくなる」とする現象で、グラフでいえば、最初は急激な傾きで、そのうちにその傾きがなだらかになっていきます。
谷口医院を閉院せざるを得なくなり、私自身の今後の身の振り方は依然未定ですが、幸いなことに(と言っていいのかどうかわかりませんが)、いくつかの病院から「うちで働きませんか?」というオファーをいただきました。年収は谷口医院で働くよりもアップしそうなオファーです。一般に開業医は勤務医より高収入と思われていますが、私自身は谷口医院でそんなにもらっていませんでした。しかし、大切なのはお金ではないのです。
もちろん、例えば「やりがいのある年収200万円の仕事と、いやなこともある年収1千万円の仕事」なら後者をとるでしょう。ですが、ある程度の収入が得られるなら(例えば日本人の平均くらいの収入があるなら)、私ならやりたい仕事を選びます。
私が医師6年目(正確には5年目の終わり)という早い段階で開業したのは、勤務医ではできないことをやりたかったからです。大学で総合診療部の外来をしていた頃もやりがいがなかったわけではありませんでした。しかし、大学病院ですから、診断がついて解決すればそれで患者さんとの関係を終わりにしなければなりません。「困ったことがあればいつでも相談してください」ではなく、「次からは何かあれば近所の診療所を受診してください」と言わねばならなかったのです。ですが、その頃にはすでに「診てもらえるところがない」と悩んでいる患者さんの存在を私はたくさん知っていました。「いつでも誰でもどんなことでも受診できる診療所がないのなら自分でつくるしかない」と考えて開業に踏み切ったのです。
それを16年以上やってこられた自分は幸せだったと思います。閉院は避けられませんが、今診ている患者さんたちを見捨てることが私にはどうしてもできません……。
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