マンスリーレポート
2013年6月13日 木曜日
2009年7月号 人を待たせる苦痛
私は待つことが大嫌いで大の苦手です。
例えば、以前から楽しみにしていたレストランにようやく行ける時間をつくれたとします。そのレストランにせっかく足をのばしたのに、入口ではすでに行列ができている・・・。このような状況であれば、私は躊躇せずに別の店に行きます。
知人と待ち合わせをするときは、待つのは苦痛ですが待たせるのもイヤなので、こんなときはたいてい喫茶店を待ち合わせ場所として、早めに行って本を読んで待ち時間を有効に使います。ですから、私はよほどのことがない限り、待ち合わせ場所で他人を待たせることはありません。他人を待たせるのは、自分が待つことと同様かあるいはそれ以上に私にはとても気が重いことなのです。
ところが、現在の私は、毎日多くの人(患者さん)を長時間待たせています。多くの人の貴重な時間を無駄に費やさせているかもしれないと思うと気が滅入りそうになりますが、これが日本の医療機関の実情なのです。
太融寺町谷口医院は、午前診(午前10時から午後1時半)は予約制です。「予約制ということは待ち時間がないということですね」、これは患者さんからときどき聞かれる質問なのですが、こう聞かれると返答に困ってしまいます。
「予約があってもその時間に診察が開始できる保障はありません」というのが正直な答えなのです。
では、なぜ予約があっても遅れるのか・・・。今回はこのことを考えてみたいと思います。
まず、絶対に待ち時間がなく受診できる方法をお教えします。それは午前10時に予約を取り、なおかつ9時50分頃にクリニックに来ていただくという方法です。当院の10時の予約枠は2~3枠あります。通常2~3人の予約が入っていますから、あとの1~2人より先に来られれば確実に1番最初に診察をさせてもらうことができます。(正確に言うと、他の1~2人より早く来なければなりませんから、この方法でも10分程度はお待ちいただくことになりますが・・・)
太融寺町谷口医院では、10時から13時30分までの間に26人分の予約枠があります(6月中旬までは29枠設けていました。3枠減らした理由は後で述べます) ただし、初診の方が続いたり、再診でもあらかじめ診察に時間がかかることが分かっていたりする場合には、その前後の予約を入れないようにしますから、実際の予約枠は20人前後となります。
3時間半の診察時間(実際に診察が終わるまでの時間まで含めると4時間以上になりますが)でわずか20人の予約枠というのは、他のクリニックに比べると少なすぎるように思われますし、実際、「予約が入らなくて困る」というクレームもよくお聞きしますが、患者さんの話をお聞きして、必要な検査や投薬をおこない、それに対する説明をしていると、ひとりの患者さんにかかる時間はそれなりのものになります。それに、たいがいは自分がイメージしているようには進まないのです。
医師(私)からみた実際の診察現場のイメージをご紹介しましょう。
12時、Aさん(38歳男性)の診察が始まりました。Aさんは11時45分の予約でしたが診察がずれこんでいるため診察室にお呼びできたのは15分遅れの12時となってしまいました。Aさんは糖尿病と高血圧で3ヶ月前から通院しています。私のイメージでは生活指導を中心に5分程度で終了することになっています。ところが、Aさんは2週間前から咳が続いているといいます。問診をおこない、聴診をし、レントゲンを撮影することになりました。Aさんは、結核を心配していることが問診で分かりました。私は、現時点では結核を完全に否定できないけれども、可能性はそれほど高くないことを説明し、レントゲン撮影に同意してもらいました。ここまでで10分間経過し12時10分になりました。
次の患者さんはBさん(26歳女性)で初診です。Bさんも11時45分の予約ですから、すでに25分遅れてしまっています。Bさんは5日前からおりもの(帯下)が増えてイヤな臭いもすると言います。問診から、過去1ヶ月以内に複数の男性と性的接触があったことが分かりました。性活動の問診というのは大変時間がかかります。患者さんも話しにくいでしょうし、医師の方も患者さんの様子を伺いながら言葉を選んでいかなければなりません。ここまでで10分が経過しています。問診の途中でAさんのレントゲン撮影をしにいきましたので1分間の中断がありました。時計の針は12時20分です。
Bさんには内診が必要です。内診とは腟内や子宮の入口を診察する方法のことで内診台と呼ばれる女性用の診察台に上がってもらわなければなりません。これは看護師が介助をおこない、診察ができる状態になると私が看護師から呼ばれます。
内診の準備ができるまでに12時に予約のCさん(42歳男性)を診察することになりました。Cさんは足の裏のイボで通院しています。1~2週間に一度、液体窒素療法を受けています。私はCさんの液体窒素療法には4分程度かかるだろうと見込んでいました。ところが、Cさんは診察室に入ってくるなり、手の指にもイボができたからいっしょに治療してほしいと言います(それは当然でしょう)。さらに、昨日から喉が痛いので合わせてみてほしいと言います(これも当然です)。 ひととおりの診察が終わったところで、Cさんは言いました。「先生、うちの母親が寝たきりになってしまって、担当医から胃ろう(胃に穴をあけて通す管)をすすめられているのですが、先生の意見を聞かせてください」
このような質問を受けることはよくあります。「胃ろうにはメリット・デメリットがあって、患者さんの状態ごとに違ってきますからあなたのお母さんを診ていない僕には判断できません」くらいのことを話すのですが、それでもいろいろと聞いてこられることが多いのです。「僕に言えることは何もありません!」と冷たく突き放すわけにもいきませんから、理解してもらうにはそれなりに時間がかかります。
この時点で時計の針は12時35分です。Aさんのレントゲンができあがったので再びAさんに診察室に入ってもらいました。レントゲンからは結核や肺炎を示唆する所見がないことを説明し、一般的な咳止めと感冒薬を処方することになりました。発熱や咽頭の強い炎症があるわけではなく、アレルギー関与の咳の可能性もあり、現時点では抗生物質は投与すべきでない、と私は判断しましたが、Aさんは抗生物質を処方してほしいといって下がりません。私はなぜ今の状態で抗生物質を使うべきでないかをAさんに理解してもらうまで説明することになりました。この時点で時計の針は12時48分です。
電子カルテの画面に上がっている受付表をみると、12時15分の予約のDさんをもう30分以上も待たせていることに気づきました。しかし、今からすべきことはDさんの診察ではなく、Bさんの内診です。おそらくBさんの内診を終えて結果を説明するのに最低でも10分はかかるでしょう。ということはDさんをお呼びできるのは、45分遅れの13時ごろでしょうか・・・。
とまあ、こんな具合ですが、診察以外にも患者さんからの電話対応に時間をとられることもあります。当院では多くのケースで看護師に対応してもらっていますが、例えば、薬の副作用が出たかもしれないという場合は医師である私が電話にでることもあります。また、他の医療機関から患者さんの診察依頼などがあれば、医師と医師が話をする必要がありますから、こういった場合も電話に時間がとられます。
院内で検討した結果、もっとも患者さんをお待たせする時間が長くなっていた12時から13時の予約枠を3枠減らすことになりました。これを実施したのは先月末からですが、今のところまあまあ順調です。3枠減らしたことによって30分以上お待ちいただくことはほぼなくなりました。
別の問題があるとすれば、3枠減らしたことによりクリニックの収益がその分下がり、午前診だけでみればほとんど利益がなくなってしまったことです。その3枠分の患者さんが午後診に来られるかというと、午後診は予約制をとっていませんから、日によっては2時間以上の待ち時間になることもあり、毎回2時間待たされるならもう受診をやめよう、と考える人もでてくるでしょう。(ただし、最近は日によっては午後診でもほとんど待ち時間がないこともありますし、以前のようにいつ来ても2時間の待ちということはなくなってきました)
3枠減らしただけで利益の心配をしなければならない現在の医療システム(保険制度)に問題があるのかもしれませんが、そんなことは患者さんには関係のないことですから、我々としては少なくとも午前診については、待ち時間をなくす!、ということを優先したいと考えています。
待つのはもちろん苦痛ですが、待たせる方も本当にしんどいのです・・・。
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|2013年6月13日 木曜日
2009年6月号 医師の使命感
4月から近畿地方で急激に増えた新型インフルエンザの感染者も5月中旬以降は減少に転じ、一時は「マスクが手に入らない!」とまでなった緊急事態は落ち着いたように思われます。
しかし、5月の連休明けの頃から、感染の疑いのある人が後を絶たず、急遽つくられた各自治体の発熱センターはパニック状態になっていました。大阪でも府や市の発熱センターは機能麻痺に近いような段階にまで達し、そのため大阪府では一般の医療機関に対し、発熱外来を実施するよう呼びかけをおこないました。
この呼びかけに対し、一部のマスコミからは、当初「一般の医療機関では無理だろう」との声が出ていました。
なぜ一般の医療機関では発熱外来ができないか。これにはいくつかの理由が挙げられていました。
ひとつには、設備や体制の問題から、一般の患者さんと新型インフルエンザ疑いの患者さんをどうやって分けるのかという点があります。この問題に対処するためには、日曜日など休診の日にのみ発熱外来を設ける、表にテントなどを造設して一般の患者さんとは隔離する、一般の外来が終了した夜間のみに発熱外来をおこなう、などの方法が考えられました。
次に、発熱外来をおこない新型インフルエンザに感染している患者さんが見つかった場合、診察した医師や看護師はしばらく診療に携われなくなる(かもしれない)、あるいはその医療機関(診療所)はしばらくの間休診としなければならない(かもしれない)、という問題があります。
私の調べた範囲では、はっきりとは分かりませんでしたが、国内初の国内感染者が発覚した兵庫県の診療所は、数日間診療所を閉めるような措置がとられたとの報道もありました。
また、それ以前に、危険度のよく判っていない感染症を診るには、医療者にも感染するリスクがあり、いくら医師といえども自らを危険にさらして患者さんの診療に従事できる者がどれだけいるのか、という点を指摘する声もありました。
しかし、実際に大阪府や大阪市が一般の医療機関に発熱外来を要請したところ、5月末時点で560以上の医療機関が、「発熱外来に協力する」という意思表明をおこなったのです。
協力すると意思表明した医療機関が予想以上に多かったのか、マスコミはこれを報道し、行政の声を紹介しています。(例えば5月22日の読売新聞では、「府の担当者は、「(多くの医療機関が発熱外来に協力するとしていることを受けて)意識の高さの表れで、とてもありがたい。1日でも早く始められるようにしたい」と話している」、と報じています)
なぜ、これほど多くの医療機関が発熱外来協力の意思表示をしたか、というのを一言で言えば、医療機関や医療従事者の使命感にあると思われます。今回はその「医師の使命感」について論じてみたいと思いますが、まずは、発熱外来をおこなったときに、医師や医療機関はどれだけのリスクを被ることになるのか、もっと簡単に言えば、発熱外来をおこなうことによってどれだけ「損」をするのか、についてまとめてみたいと思います。
まず、物品のコストがかかります。マスクや検査キット、薬品を大量に仕入れなければなりませんし、場合によってはテントを造設するコストもかかります。マスクはともかく、検査キットや薬品は保険請求ができるではないか、とも思われますが、最近は保険証を持っていない患者さんも珍しくありません。保険証がないからといって、発熱しインフルエンザの疑いのある患者さんを追い返すわけにはいきませんから、保険証のない患者さん、あるいは保険証はもっていても自己負担の3割を払えない患者さんが来られれば医療機関の赤字となります。(もっとも、ある程度の検査キットや治療薬は当局から支給されますが)
コストの面でもっと問題になるのは、新型インフルエンザ陽性者がでたときに、クリニックをしばらく閉めなければならない(かもしれない)という問題です。例えば、日曜日に発熱外来をおこない陽性者がでれば、場合によっては月曜から数日間は閉めなければならない可能性があります。この場合、経営的にはかなりの損失になります。患者さんは来られませんし、かといってスタッフの人件費はかかります。それに、月曜日以降に予約を入れている患者さんに休診の連絡をしなければなりません。(ただし、この点については、政府が休業中の損失を補償することを6月9日に発表しました)
また、陽性者がでなかったとしても、発熱外来をおこなえば人件費がかかります。仮に、発熱外来を開いたけれども患者さんが数人しか来なかった、ということになれば、(社会全体としてはもちろん患者数は少ない方が望ましいのですが)発熱外来のために出勤したスタッフの人件費は赤字となります。
このように、一般の医療機関が発熱外来をおこなえば、たしかに経営的にはかなりのリスクが伴います。にもかかわらず多くの医療機関が協力することにしたのは、なんといっても使命感によるところが大きいのです。高熱を出して苦しんでいる患者さんが受診できる医療機関がないといった事態はなんとしても避けなければならない、という気持ちです。
もうひとつは、公的医療機関の発熱外来に携わっている医療従事者が寝食を犠牲にして働いていることが分かるからです。同じ医療従事者がそれほどがんばっているのに自分は・・・、という気持ちが使命感を駆り立てるのです。
別に医師という職業は尊いんだ、と言いたいわけではありませんが、この点は他の職業と少し違うかもしれない、と思うことはあります。実際、このことはほとんどの医師が感じています。
例えば、野笛涼という医師(この名前はペンネームだと思われます)は、著書『なぜ、かくも卑屈にならなければならないのか』のなかで、次のように述べています。
(前略)食うために医者をやっている奴はいない。みんな、医療を通して患者を救うことが目標となって仕事に就いている。だから、職場で相手に何かを頼む時に遠慮が要らない。夜だけど、休日だけど、あなたの奥さんの誕生日だけど、悪いね、という前提はいらない。
夜に、休日に、奥さんの誕生日のときに、仕事だからといって同僚を呼び出す職種に就いている人はどれだけいるでしょうか。(誕生日の奥さんはきっとお怒りになるでしょう・・・)
太融寺町谷口医院も、発熱外来に協力する意思表明をしています。まだ当局から依頼はありませんが、要請があればできる範囲で協力していくつもりです。(ただし、ホンネを言えば、「新型インフルエンザ、これ以上流行らないでね・・・」、という気持ちでいっぱいです・・・)
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|2013年6月13日 木曜日
2009年5月号 学会に参加できないという苦痛
医師の醍醐味のひとつは「勉強したことが直接役に立つ」ということです。私はこのことを日々実感しており、著書などを通して世間に訴えたこともあります。
別に医師が他の職業よりもすばらしいんだと言いたいわけではありませんが、この「勉強したことが直接役に立つ」ということは、医師をしていてよかった!と思える大きな理由のひとつです。
私は医学部入学前に、ある商社で4年間ほど会社員をしていました。そのときにも、もちろん勉強はしていました。英語の勉強はほぼ毎日おこないましたし(私は入社時には英語がまったくと言っていいほどできませんでしたから英語を勉強する・しないというのは当時の私にとっては死活問題だったのです)、会社が扱っている商品の勉強もおこなわなければなりませんでした。また、ときにはマーケティングやマクロ経済の勉強もおこなったことがあります。
しかしながら、会社員時代の私がおこなっていた勉強と医師になってから日々私がおこなっている勉強とはその本質がまったく異なるのです。
会社員時代にやっていた勉強というのは、その勉強をすれば明日の仕事に直接役立つ、というわけではなく、長期的にみたときに自己の成長ができている、といった感じのものです。英語がより正確により早く読み書き・話す聞くができるようになれば仕事の効率が上がるといった感じです。また扱っている商品の知識を増やしていくことは勉強と言えば勉強に含まれるのかもしれませんが、例えば大学で学ぶような類のものではありません。
それに対して、医学の勉強は学んだことが直接仕事にいきてきます。これは、新しい検査法や新しい治療法について学ぶことができるというようなものだけではありません。例えば、なかなか診断がつかなかった症例や標準的な治療でよくならなかった症例について他の医師の報告を見聞きすることも大変勉強になります。また、生理学や生化学の新しい発見などについて学ぶことは、直接日々の診察に役立つわけではありませんが、まさに「大学で学ぶような」勉強であり、大変興味深く取り組むことができます。
医師がおこなう勉強というのは、定期的に送られてくる学会誌や教科書的な書物が中心ですが、より刺激的で楽しいのは学会や研究会への参加です。
学会や研究会というのは、書物での勉強と異なり、医師や研究者が直接発表するのを聴くことができます。現在は「パワーポイント」という素晴らしい発表ツールがありますから、単に文字や写真だけでなく、必要に応じてビデオなども使うことができます。また、通常、演題の発表の後には質疑応答もおこなわれますから、わからないことがあればその場で質問することもできるのです。さらに、規模の小さな研究会のようなものであれば、その場がディスカッションの場となることもあります。
学会や研究会というのは、日本全国各地でほぼ毎日のようにおこなわれています。もっと言えば、世界中のあちこちで開催されています。ですから、お金と時間に余裕があればいくらでもこの楽しい勉強会に参加できるというわけです。
私は学会や研究会が大好きで、まだ金銭的余裕のない研修医の頃から1ヶ月に1~2度程度は、何とか時間をつくって参加するようにしていました。
ところがです。クリニックを始めてからは、時間が思うようには捻出できず、実際に学会や研究会に参加できるのは、大きい学会だけでいえばせいぜい年に1~2回程度、小さな研究会レベルのものまで含めても年に10回にも満たないのです。
先月(2009年4月)にも、早くから楽しみにしていた学会が2つあったのですが(ひとつは日本皮膚科学会、もうひとつは日本旅行医学会の学術大会です)、クリニックを閉めることができなかったためにどちらにも参加することができませんでした。
日本皮膚科学会は4月24日(金)から26日(日)の3日間福岡で開催されました。金曜日は無理だとしても、25日の土曜日と26日の日曜日だけでも参加することを当初は考えていたのですが、月末の土曜日(しかもゴールデンウィーク前!)にクリニックを閉めるわけにもいかず、診察終了後カルテを書き、他の諸業務を済ませれば日付が変わるくらいの時間になりますから、それから福岡に移動することは不可能です。日曜日の早朝に大阪を出たとしても、実際に参加できるセッションや講演会はごくわずかに限られてしまいます。結局、日本皮膚科学会への今年の参加は(実は去年もその前年も)断念せざるを得ませんでした。
日本旅行医学会は、2年前に私が入会した学会です。入会以降今年の4月で3回目の学術大会が開かれたのですが、こちらはいまだに一度も参加できていません。今年の学術大会は4月18日(土)、19日(日)の2日間に渡って東京で開催されました。直前まで参加することを検討していたのですが、最終的には断念せざるを得ませんでした。やはり、土曜日のクリニックを閉めることができないのです。土曜日は、近辺の医療機関のほとんどが休診となり、特に午後は、少し遠方からでも「空いているクリニックがなくてここまで来ました」と話される方が少なくないのです。
年のうち何度かは、どうしても出席しなければならない学会(例えば、自分が演題発表を要請されているような場合)が土曜日にあれば、クリニックを閉めて参加せざるを得ません。したがって、どうしても休診とせざるを得ない数日を除けば、できるだけ土曜日の診察をおこなわなければならなくなってきます。(近辺に土曜日(特に午後)に診察をおこなう医療機関が増えれば、もう少し休診を増やすことができるかもしれませんが当分は無理でしょう・・・)
先月は、ひとつだけ研究会に参加しました。この研究会は「大阪プライマリケア研究会」と言い、私が所属する医局である大阪市立大学医学部総合診療センターが主催しており、開催場所も大学内です。この研究会は木曜日に開催されますから、私としてはクリニックを閉める必要がなく参加しやすいのです。
参考までに、医師(特に開業医)のクリニックでの診療以外の仕事は木曜日にあることが多いという特徴があります。各種研修や講習、あるいは医師会の行事などは木曜日におこなわれることが多く、私がときどき出務している産業医としての労働者に対する面談も木曜日におこなわれます。
大阪プライマリケア研究会も木曜日、それも午後6時からの開催であり、学会・研究会のなかでは私にとってかなり参加しやすいものです。
今回は、私も発表の場を与えられました。タイトルは「プライマリケア医が遭遇する梅毒」というもので、最近全国的に増加している梅毒について太融寺町谷口医院での診察や治療について報告したものです。
今回のマンスリーレポートはほとんど私の”愚痴”になってしまいました。大変贅沢な悩みであるのは分かっているのですが、医師が学会や研究会をいかに大切に感じているかについてお話いたしました。
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|2013年6月13日 木曜日
2009年4月号 クリニックでの研修
現在の私は、医療法人太融寺町谷口医院の院長という立場で、いわゆる「開業医」ということになりますが、大学の医局(大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター)のメンバーでもあります。
その医局での私の立場(役割)は「非常勤講師」です。一般的に「講師」と言えば、教室で学生に対して講義をおこなう、というイメージがあると思いますが、現在の私は講義をおこなっているわけではなく、大学に行くのは研究会や他の医局行事などで1~2ヶ月に一度程度です。
では、「非常勤講師」として私が担っている仕事は何なのかというと、主に研修医の指導です。それも、大学や大学病院での指導ではなく、太融寺町谷口医院での指導というかたちになります。
では、太融寺町谷口医院でどのように研修医を指導しているかというと、主に私が診察しているところを研修医に見学してもらっています。余裕があれば、私に代わって診察してもらうことを検討してもいいのですが、クリニックの忙しい外来ではなかなかそのような時間がとれません。大学病院や大きな病院でなら、指導医の元で研修医が診察をおこなうという方式で研修できるのですが、スピードを求められるクリニックではそうはいかないのです。
太融寺町谷口医院では、昨年は民間病院の後期研修医を1人、1日受け入れただけでしたが、今年の1月から3月までは、大学病院の研修医が週に一度研修に来ていました。
その研修医にとって太融寺町谷口医院での研修がどれだけ役に立ったかは分かりませんが、私個人としてはクリニックでの研修というものは大変有意義であると感じています。
というのも、私自身が医師1年目の頃から5年目まで、クリニックでの研修や見学を積極的におこない、その効果を実感しているからです。
私は、1年目は大学病院で研修を受けていました。時期によっては土曜日に時間があくことがあったために、私は当時研修を受けていた皮膚科の教授にお願いして、地域に密着して皮膚科診療をされている開業医の先生を紹介してもらいました。そして、土曜日はできるだけこの開業医の先生のところに研修(見学)に行くようにしていました。
実際にクリニックに見学に行ってみて得たものは予想以上のものでした。まず大学病院とは異なり、患者さんの数が多いためたくさんの症例を経験できます。クリニック(診療所)というところは、大病院に比べて、医師と患者さんの距離が近いんだなぁ、というのをこのときに初めて感じました。
2年目は大学病院を離れ、別の総合病院で研修を受けることになりましたが、このときは土日も夜間もなく、その病院を離れることがほとんどできなくなりました。(私が入っていた寮は病院の敷地内にありました) そのため、1年目の大学病院時代のようにクリニックに見学に行くことはできなくなりました。(しかしこの1年間で大変多くのことを学ぶことができました)
3年目に入った私は、タイのエイズホスピスにボランティアに行くことになっていましたが、タイに行くまでにある程度の研修をしておく必要がありました。ところが私は研修医の2年間でHIV・エイズの患者さんを1人も診察したことがありませんでした。また、性感染症の患者さんも、皮膚科の研修で重症のヘルペスを数例と、産婦人科の研修でやはり重症の尖圭コンジローマを数例みたことがあるだけです。クラミジアに関しては、婦人科で数例みましたが、結果がでるまでに1週間もかかるような検査法をとっていたため(大病院では仕方がないですが・・・)、あまり現実的な診療とは言えません。(クラミジアなどのように一刻も早く治したい感染症は検査結果もすぐに判るようにすべきです)
そこで私は、やはり性感染症を中心に診ているクリニック(大阪市北区の大国診療所です)に研修に行かせてもらいました。3ヶ月間、ほぼ毎日研修をさせてもらいましたが、このときの体験は本当に貴重なものでした。HIVや梅毒は珍しくはありませんが、ありふれているわけでもありません。(研修医の2年間で私はHIVの患者さんをひとりも診察できなかったくらいですから・・・)
こういった疾患の患者さんは大病院にはあまり来ませんから、診療所での研修が大変有用なのです。HIVは大病院で治療することが多いのですが、感染が発見される多くのケースはクリニックです。梅毒は発見されるのも治療されるのも大病院ではなくクリニックであることがほとんどです。この3ヶ月間で私は何例ものHIVや梅毒といった感染症を経験することができました。研修はもちろん無給ですが、逆に授業料を払ってもいいくらいの経験ができたというわけです。
タイから帰国した私は、大学の総合診療センターに籍を置き、週に1~2回は大学での外来での研修を受け、それ以外はできる限りクリニックで研修をさせてもらうことにしました。内科、皮膚科、整形外科、アレルギー科などを中心に、複数の診療所で勉強させてもらいました。これらはすべて無給で、私は大学でも(外来を担当するようになってからも)無給の立場でしたから、生活はそれなりにしんどかったのですが、かなり多くのことを学ぶことができたと感じています。(生活費は、夜間や日曜日に救急病院などでアルバイトをしてしのいでいました)
振り返ってみると、私は病棟でみっちりと研修を受けたのは研修医の2年間のみで、それ以降は外来中心のトレーニングを積み、現在も(開業していますから)外来がほとんどです。(ときどき入院を前提で患者さんを病院に紹介してその病院に患者さんをみにいくことがありますがそれほど多いわけではありません)
病棟勤務も外来勤務も両方こなせて一人前の医者となるのかもしれませんが、私は医師3年目のときに外来中心の医療を選択したことになります。(タイのエイズホスピスでの勤務は”病棟”中心でしたが・・・)
そういうわけで、私はこれまで様々なクリニックで研修させてもらったことに大変感謝していますし、大病院では学ぶことのできないクリニックならではの研修の有用性について実感しています。ですから、まだまだ現在の日本では、病院ではなくクリニックでの研修に力を入れている若い医師は少ないですし、そういったシステムもあまり存在しないのですが、今後クリニックでの研修を希望する医師が増えてくれればいいな、と感じています。
医師にも生活はありますから、私がとったような無給で研修するという方法はあまり賢いやり方とは言えませんが、それでも研修医の2年間の間は、研修医の給与は確保された上で、地域のクリニックに見学に行けるようなシステムが少しずつできてきています。(上に述べた太融寺町谷口医院に3ヶ月来ていた研修医もそのような方式でした)
外来には外来の魅力があります。その反対に、病棟や大病院でしか体験できない魅力というものもあります。どちらの”魅力”を選択するかは各医師にゆだねられているわけですが、現在の教育・研修システムでは外来の魅力をあまり実感できないのではないかと思われます。
このウェブサイトを見てくれている若い研修医がおられるなら、今一度クリニックでの研修について考えてもらえれば嬉しいです。
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|2013年6月13日 木曜日
2009年3月号 長引く不況と医療費の自己負担
先月のマンスリーレポートで、太融寺町谷口医院の新患患者数が、女性は変わらないものの、男性は3割も減少しているという話をしました。
これは今年の1月のデータですが、興味深いことに、2月の集計を見てみてもまったく同じ傾向にあります。
2月に太融寺町谷口医院を初めて受診した人(過去に一度でも受診したことがあれば含めない)は、男性153人、女性130人です。昨年(2008年)が男性231人、女性131人ですから、女性はほとんど減っていない一方で、男性は33%の減少です。
ある患者さんから聞いた話ですが、製造業では不況のあおりを受けて週休3日となっているところが増えてきているそうです。土日に加え、金曜日も休みとなったというのです。ところが、この患者さんは、休みは増えてもお金がないためにどこにも行けないと言います。つい半年くらい前までは、仕事が多すぎて土日にも駆り出されることが多かったそうですから、景気悪化のスピードは相当なものなのでしょう。
別の患者さんの話をしましょう。この患者さんは女性で、いわゆる”夜の店”で働いています。お客さんが激減して店の売り上げは急減しており、歩合制で給料をもらっているこの患者さんは生活ができなくなったと言います。掛け持ちで昼間の仕事も考えているそうですが、面接にすらたどり着けないと言います。また、同業者が続々と店をたたんでおり、そのうちこの女性が勤務している店も「時間の問題かも・・・」だそうです。
昨年から、何度か「医療費が高すぎて受診できない人が増加している」という話や、「親が保険代を払っていないために子供が無保険となっている家庭が急増している」という話をトップページの『医療ニュース』で取り上げてきました。
最近、報道されたあるニュースは我々にとって大変ショッキングなものでした。このニュースを簡単に振り返ってみましょう。
全日本民主医療機関連合会(民医連)は3月3日、国民健康保険の保険料を滞納して保険証がない「無保険」になるなどして医療費が払えず、病気になっても受診が遅れて死亡した人が、2008年の1年間で31人に上ったことを発表しました。(報道は2009年3月4日の共同通信)
亡くなられた人を職業別にみると、無職が11人、非正規労働者が8人、年金受給の高齢者が7人、自営業が5人です。最高齢は89歳の男性、最年少は32歳の男性となっています。
「国民皆保険」が自慢だったはずの日本で、1年間に31人もの人が「健康保険がない」という理由で医療機関に受診できず亡くなられたというのです。
たしかに、保険代というのは安くありません。その人の収入にもよりますが、だいたい毎月1~5万円くらいは給料から天引きされていると思います。毎月の負担がこれだけ高額な上に、受診をするとその度に3割負担を求められます。
通常、月々の保険料は”天引き”されていますからあまり意識しませんが、よく考えてみると月に数万円の負担というのはかなりの高額であり、こう考えると保険料が支払えない人がでてくるのは当然のことなのかもしれません。
それならば医療機関での自己負担を安くしてほしい・・・
と、このように感じる人もいるでしょう。しかし、これはできないのです。
今年(2009年)の1月、札幌市内の医療機関で、患者の自己負担をゼロにする「無料診療」が相次いで発覚し、厚生労働省北海道厚生局は、健康保険法に違反するとしてこれら医療機関の「指導」をおこなうことになりました。
医療費というのはあらかじめ決まっているわけで、医療機関が独自に決められるわけではありません。医療機関での自己負担を安くできないのは、現実的には健康保険法という法律に違反するからですが、本質的には、もしも医療機関独自で自己負担料を決められるようになれば値下げ競争が起こる可能性があり、そうなればあまりにも安易な理由で医療機関を受診する人が増え、全体の医療費が増大し、その結果増税などで国民にツケが回ることが考えられるからです。
ただ、我々医療者側としては、できるだけ患者さんの自己負担額を減らしたいと考えています。ですから、薬で言えば、先発品でなく後発品(ジェネリック薬品)を積極的に処方していますし(ただし効果と副作用の点で問題のある可能性のある後発品は処方していません)、その時点では必要ないと思われる検査や点滴・薬などは患者さんに話をして、できる限りおこなわないようにしています。
けれども、この点で患者さんに理解してもらえないことがあり時々悩まされます。
例えば、先日受診した30代女性のある患者さんは、「疲れたから点滴をしてほしい」というのが目的でした。私は、現時点では点滴をおこなう必要がないことを説明し、水分を(口から)積極的に摂って休養をとるように助言しました。すると、その患者さんは「昨日の夜救急病院に行って同じことを言われ、結局点滴はしてもらえませんでした。どうして病院というのは患者の言うことを聞いてくれないのですか」、とやや憤慨した様子で私に詰め寄りました。
こういう点がなかなか理解してもらえなくて困ることがあります。我々としては患者さんに無駄な負担をさせたくないのです。それに、点滴をすれば針を刺しますから多少は痛い思いをさせることになります。もっと言えば、非常に稀ではありますが、点滴が原因で腕の神経に障害が残ることだってあるのです。
この患者さんは言わば”元気”な方で医療機関を受診する必要がないわけです。その一方で、保険がないからという理由で受診できず結果的に亡くなられた人もいるというのはなんと皮肉なことでしょう。
毎月の天引きの保険料が安くなることはないでしょうし、3割の自己負担が昔のように1割となるとは考えられません。ならば、適切なタイミングで医療機関を受診し、最小限の自己負担で健康を維持することを考えるようにすべきです。
会社員や自営業者の方をスポーツ選手にたとえると、我々医師とはチームドクターのようなものです。早く元気になってもらうために最適な医療を供給するのが我々の使命なのです。
不況でお金がないときも我々”チームドクター”は国民のために存在しています。倹約につとめるのは大切なことですが、気になる症状があれば放っておかないようにしましょう。
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|2013年6月13日 木曜日
2009年2月号 ”不況”を感じる2つの兆候
百年に一度の経済危機、上場企業倒産が戦後最悪を更新、派遣切り、ネットカフェ難民急増、・・・、など、マスコミの報道をみていると嫌でも不況というものを感じざるを得ません。
ただ、私自身は医療機関で勤務していますから、あまり不況というものを実感としては感じないのですが、それでも最近は、「これも不況の兆しかな・・・」と思うことがいくつかあります。
今日は、現在の私が”不況”を感じる2つの兆候についてお話したいと思います。
まずひとつは、医学部受験に関する相談メールが確実に増えているということです。私が処女作である『偏差値40からの医学部再受験』という本を上梓したのは2003年の1月でした。その頃は、本が出たばかり、ということもあったでしょうが、「景気が悪く仕事を探すのも困難、それならば医学部を目指そう」、と考える人が多かったのではないかと思われます。
実際、『偏差値40・・・』の出版された2003年1月の日経平均株価は月の終値で8,339.94円、その3ヶ月後の4月には7,607.88円まで下がります。ちょうど今年(2009年)の年明けからの動きとよく似ています。2003年は夏ごろから景気が少しずつ回復しだし、8月には日経平均株価は1万円を超え、その後も順調に上昇し、2007年6月には18,000円を突破します。しかし、その後サブプライムローンの破綻を契機に一気に世界経済が悪化し、再び株価は8千円を割るところまで落ちることになります。
興味深いことに、この景気の動向が私のところに寄せられる医学部受験の相談数の増減にだいたい一致しているのです。私の元に届けられる相談数は、『偏差値40・・・』を出版した後、月を経るごとに増加していましたが、出版後1年くらいで減っていきました。その後、『医学部6年間の真実』、『偏差値40からの医学部再受験・実践編』を出版した直後にはまた相談件数は増えましたが、それでも2003年ほどは多くなく、2007年ごろからは月に1~2件程度に減っていました。ところが、再び日経平均株価が1万円を割った昨年(2008年)10月ごろからじわじわと医学部受験の相談数が増えてきているのです。
医師という職業は昔に比べれば魅力的な職業ではなくなった、と言われることが増えてきています。過酷な労働条件、患者側の権利意識の向上によるクレームの急増、医療訴訟リスクの高まりなどから、以前に比べると「自分の子供を医師にしたくない」と考える医師も増えてきています。例えば、三重県医師会が県内にある110病院の勤務医を対象として2007年10月に行った調査では、1,108人のうち219人(19.8%)が「子どもに医師になってほしくない」と答えていて、「なってほしい」と答えた176人(15.9%)を上回っています。
しかしながら、労働時間や報酬はさておき(これらも重要ですが)、やはり仕事の”やりがい”ということを考えたときには、大変魅力的な職業であることには変わりありません。景気悪化はもちろん好ましいことではありませんが、将来の職業の選択肢のひとつに医師を考えてもらえれば、我々としては大変嬉しく思います。
さて、私が”不況”を感じるもうひとつの兆候は、太融寺町谷口医院を受診する患者さんの人数が減っているということです。先月(1月)の後半から突然患者数が減少しだしました。特に顕著なのが新患数の減少です。
実際にどれくらい減少しているのか調べてみると、新患(太融寺町谷口医院を初めて受診した人、過去に一度でも受診したことがあれば含めない)の患者数が、昨年(2008年)1月が、男性222人女性117人の合計339人なのに対して、今年(2009年)1月の新患数は、女性は116人とほとんど変わらないものの、男性が156人と66人の減少、3割も減少していることになります。
なぜ、女性は変わらずに男性のみ減少しているのでしょうか。近くに新しく医療機関ができたわけでもありませんし、インフルエンザや風邪の流行は昨年よりもむしろ今年の方が深刻であるように感じます。
では、なぜ新患の男性のみが減少しているのでしょう。ひとつには大阪市北区の会社や商店が不況で人員削減をしていたり、会社や店そのものが倒産したりしているのかもしれません。太融寺町谷口医院は、特に夕方以降の患者さんは大阪市北区(梅田)に勤める会社員の方が多数を占めます。大阪市北区はおそらく西日本最大のビジネス街であり繁華街でありますが、不景気で昼間の人口が減っているのかもしれません。その結果、仕事が終わってから医療機関を受診する患者数が減っている可能性があります。しかし、男性患者数のみ減少し、女性患者数が減っていないことはこれだけでは説明がつきません。
男性の新患が減少している理由として私が考えているのは「受診抑制」です。以前にもお伝えしましたが、ある調査では「医療費が高いから受診を控えた」と答えた人が4割以上にもなります。
実際の患者さんをみていても、例えば、「風邪をひいて家にあった薬を手当たり次第飲んだけど症状がよくならないんで・・・」とか「湿疹がでたから母親の使っている市販の塗り薬を塗ってみたんだけど余計に悪くなって・・・」とかいう患者さんが多く、結果的には(口には出しませんが)「もっと早く来てくれたらすぐに治ったのに・・・」と思われるケースが少なくないように思われます。そして、このように症状が悪くなるまで受診しないのは女性ではなく男性に多いのです。
医療費の高さが心配になるのは女性も同じはずです。太融寺町谷口医院の患者さんをみていると、女性で医療費を心配している人は、診察室で、「先生、あたし、今日は3千円しか持ってないからよろしく!」といった感じで自分の懐状況を話します。そして、興味深いことに、こういうことを話す男性患者さんはほとんどいません。
ということは、病気になって医療機関を受診しようかどうか悩んだときに、男性は「とりあえず身近な薬を試してみよう」と考えるのに対し、女性の場合は、「とりあえず医療機関を受診して手持ちのお金で治るかどうか医師に尋ねてみよう」と考えるのかもしれません。
もちろんこのようなことはたったひとつの医療機関の傾向だけで断言できるわけではありませんし、もしかすると「とりあえずの受診」を考えるのは大阪の女性の特徴なのかもしれません。
けれども、医師の立場からすれば、もしも医療費が高いから受診をためらっているなら、(例にあげた女性患者さんのように)とりあえず受診してもらう方がありがたいのです。受診が遅れたがために点滴に通ってもらうことになった、入院せざるをえなくなった、といったケースも珍しくありません。それに、例にあげた女性は「3千円しか・・・」と話していますが、高額な検査などしない限りは初診で3千円を超えることはそれほど多くありません。お金が無いなら無いなりの対処法というのも考えられます。
医療費の高さを心配しての受診抑制が、結果として思いもしない程の高額治療となる可能性があることは覚えておいた方がいいでしょう
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|2013年6月13日 木曜日
2009年1月号 ミッション・ステイトメントをつくってみませんか
年末年始はお休みをいただいていましたが、1月6日から太融寺町谷口医院は診療を再開しています。診療は1月6日から開始しましたが、スタッフの出勤は前日の5日からでした。
では5日に我々は何をしていたかというと、一番重要なことは「ミッション・ステイトメント」の改訂でした。
ミッション・ステイトメントという言葉は最近ではかなり認知されるようになってきましたが、改めてどのようなものかを定義付けるとすれば、「組織にとって最も核となる信条」で、組織を国に例えてみれば、”憲法”のようなものです。
我々太融寺町谷口医院のスタッフは、ミッション・ステイトメントを基本に日々業務をおこなっています。「こういう場合はどうすべきかな・・・」と日常の仕事で疑問に感じたときには、スタッフは院長(私)に直ちに指示を仰ぐのではなく、その疑問をミッション・ステイトメントに照らして考えるのです。
ミッション・ステイトメントの内容は院長からの押し付けであってはいけませんし、かたちだけのものであってはなりません。社訓や家訓とは似ていますが、これらは一般に伝統的な価値をもっており容易に変更できないのに対して、ミッション・ステイトメントはスタッフ全員の同意の下で見直し・再検討をおこなうことができます。
さて、1月5日におこなわれたミッション・ステイトメントの改訂作業は私にとって(そしておそらくスタッフ全員にとって)大変実りのある、そして大変楽しい時間となりました。
まずは、既存のミッション・ステイトメントを改めてじっくりと吟味し、クリニックの現状にそぐわない点はないか、不足している点はないかについて議論を巡らせました。そして、そういった観点からスタッフ全員が意見を出し、それぞれの意見を尊重しながら、さらに意見を重ね合わせて、全員が納得できるステイトメントを作成していきました。言葉のひとつひとつにこだわり、いったん完成してからも、これ以上付け加えることはないか慎重に検討し、そしてついに改訂版が完成しました。(改訂した新しいミッション・ステイトメントはすでにこのウェブサイトで公開しています)
ところで、私は個人のミッション・ステイトメントも持っています。ミッション・ステイトメントというものが日本で市民権を得だしたのは、おそらく『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー著)の翻訳版が出版された1996年頃だと思います。同書は、37ヶ国語に翻訳され、世界で1,500万部以上売れているベストセラーで、ビジネス誌の書評などでもよく紹介されています(例えば、2008年のプレジデント誌『どの本&著者が一番役立つか』という特集の第1位)。
私自身も、『7つの習慣』を何度か読んだ後、自分のミッション・ステイトメントをつくることを決意し、1997年に初めての自分自身のミッション・ステイトメントを作成しました。以後、十数回の改訂を繰り返して現在に至ります。最近では、この年末年始にタイのある静かなところでゆっくりと改訂作業をおこないました。
私自身のミッション・ステイトメントは公開しませんが(公開すべきようなものではないと思います)、個人のミッション・ステイトメントの有用性についてはすべての人に推薦したいと思っています。
なぜなら、私の経験で言えば、ミッション・ステイトメントを持つようになってから”精神的にぶれる”ということがほとんどなくなったからです。つまり、多くの場面において、以前なら不安な気持ちになったりイヤな気分を払拭できなかったりしたであろうことが、ミッション・ステイトメントを読み返すことにより「精神の安定」が維持できるのです。
なぜ、ミッション・ステイトメントにはこれほどの威力があるのでしょうか。
ミッションとは、日常的には「仕事上のひとつの任務」とか「いついつまでに仕上げなければならないひとつのプロジェクト」などの意味で使われることもありますが、「人が生涯をかけておこなうべき使命、あるいは天職」といったものがミッションという言葉の本質です。
つまり、自分が一生を通じて守るべきことがらや追求していくべきものがミッション・ステイトメントには述べられているわけです。ですから、日常生活でトラブルや困難に遭遇したときや、人生の分岐点で悩んだときなどには、ミッション・ステイトメントに立ち返るのが最も賢明なのです。
ただし、当たり前のことですが、それほどの威力をもつミッション・ステイトメントを作成するのは短時間では不可能です。何度も何度も練り直し、自分自身が100%信じることのできるものでなければなりません。私自身の感想を言えば、最初にミッション・ステイトメントをつくるときや改訂作業をおこなうときには、少なくとも丸一日静かな環境に自分自身を置いてみる必要があると思っています。
私の人生に分岐点があるとするならば、大学進学のために都会にでてきたときよりも、医学部受験を決意したときよりも、NPO法人GINAを設立したときよりも、クリニックを開院したときよりも、自分自身のミッション・ステイトメントを作成したときだと感じています。
私の場合、ミッション・ステイトメントの作成に初めて取り掛かったときはある種の苦しさもありました。できるだけ見たくない自分自身の本性についても思いを巡らせなければならなかったからです。それまでできるだけ触れたくなかった自分のイヤな部分にも向き合わなければなりません。しかし、そういった自分の見たくない部分をも見直し、乗り越えることによって、文字通り自分の”ミッション”が分かったような気がしたのです。
ここまでくれば、確固とした自分自身を実感できるようになります。そして、世の中の動きや日々の誘惑、心の迷いなどに悩まされない安定した自己を確立できるのではないかと私は思っています。
自分自身のミッション・ステイトメント、あなたも作成してみてはいかがでしょうか。
************
注:ミッション・ステイトメントは、『7つの習慣』を含めて、「ミッション・ステートメント」とされている場合が多いのですが、ここでは「ステイトメント」と表記しています。
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|2013年6月13日 木曜日
2008年12月号 駆け抜けた2008年
一年間ってこんなに早かったかな・・・
最近とみにそのようなことを感じます。2008年がスタートしたのがついこの前のような気がしてなりません。
今年のクリニックの新年会のとき、スタッフのひとりが「患者さんの数も増えるだろうし今年は忙しくなるね」と言っていたのを覚えているのですが、結果はこのスタッフの予言どおり、クリニックは多忙極まりないものになりました。
増えていく患者さんの人数に対応するため、スタッフを増やし、予約システムを何度も改良し、業務システムの見直し・改善を図ったため、昨年に比べると随分効率よく診察ができるようになったとは思いますが、毎日のようにイレギュラーが起こりますし、重症や緊急性を要する患者さんが来られることもありますから、なかなか思うようには業務が進行しないこともあります。(そのため患者さんの待ち時間が長くなってしまうこともあります。この場でお詫びいたします)
新しいスタッフの採用、業務の見直し、毎日診察終了後に深夜までおこなわなければならないカルテ記載、経理業務、労務業務、レセプト業務、・・・・、とこのような日常の業務に追われていると時間がたつのがあっという間です。そして、診察がない日には、日々たまっている業務の消化、学会発表の準備、クリニック以外での診療の準備、など、これまたやらなければならないことが山ほどあります。
目の前に現れる仕事を次々とこなしていくと、いつの間にか年の瀬だった・・・。そんな感じです。
これまでの人生を思い出してみても、ここまで忙しい一年間があったかな・・・、と感じます。たしかに、医学部を受験する前の一年間はプレッシャーの中で勉強を強いられていましたからそれなりのストレスはありましたし、医学部の6回生の頃は、実習と卒業試験と医師国家試験がありましたからやはり時間のやりくりが大変でした。けれども、今年の一年間のように、次から次へと責任ある仕事が目の前に立ちはだかり息つく暇もない、という感覚はこれまでにはありませんでした。
勤務医、特に研修医の頃は、病院に拘束される時間は今よりも長かったと思いますが(週に100時間以上は拘束されていました)、例えば、病棟の患者さんが安定しているときや、深夜の救急外来が落ち着いたときは、研修医室で比較的自由に勉強をすることができました。
忙しくてあっという間の一年間だったことは感覚としては事実なのですが、では、私がおこなった仕事はどれほど”かたち”になったのでしょうか。我々の仕事は、モノをつくるような仕事ではなく、治療をして病気を治したり、あるいは研究や発表をおこなったりすることです。
クリニックの診療は月にだいたい20日程度ですから、1日の平均患者数が70人として、月に1,400人、1年間では16,800人!となります。本当にこんなにも大勢の患者さんを診察したのかな、と信じられないような数字です。このうち新患の患者さんはカルテ上で4,102人(12月13日現在)で、今年新たに4千人以上の人と出会ったんだ・・・と思うと不思議な気持ちになります。
一般のクリニックでは1日に100人以上診るところも珍しくなく、多いところでは1日あたりの患者数が200人を超えるそうです。しかも医師は1人で、です。太融寺町谷口医院では、1日およそ9時間の診察となりますが、患者数が70人を超えると2時間以上待ってもらう人がでてきます。けれども、一人当たりの診察時間を減らすようなことはしたくないので(これでも昨年に比べると一人当たりの診察時間は確実に短くなっています)、来年からはもっとたくさんの患者さんを診察させていただきます、とは言えないのです。
クリニック以外での仕事を振り返ってみたいと思います。まず、他の病院や夜間救急外来の仕事は年明けから少しずつ減らしていき、9月以降はほとんどゼロとなりました。せっかく依頼をいただいてもクリニックの業務が多すぎて断らざるを得ないのです。
産業医の仕事は2~3ヶ月に一度程度、医師会経由の依頼で労働者の面接をおこなっています。産業医の仕事については将来的には増やしたいのですが、現時点では時間の確保がむつかしそうです。
それ以外の仕事としては、学会や研究会での発表(これは「仕事」になるとは思いますがお金をもらえるわけではありません。むしろ参加費が必要となるため「赤字」になります。医師の仕事というのはお金をもらうものばかりではないのです)が5回、講演が5回(うち1回は来週の予定)、論文執筆が1本(ただし現時点でほとんど未着手)です。
これ以外にはGINA(ジーナ)の仕事がありますが、今年は他のスタッフにまかせっきりで本格的な活動は私自身としてはほとんどできませんでした。予定していた日本エイズ学会での学会発表も、クリニックの行政手続き上の関係で急きょ参加できなくなったほどです。
私は2008年の自分のテーマを「バランス」としました。様々な仕事のバランスをとっていこう、そしてできればプライベートとのバランスもとろう、と考えたのです。プライベートが充実した、とはとても言えない1年間でしたが、仕事だけでみてみると、昨年末の行き詰っていた頃よりは少しはましかな、という気がします。今の自分にとって優先順位が低いと思われる仕事は、依頼をいただいてもお断りさせてもらいましたし、まずはクリニックの患者さんのことを優先的に考えて、できる範囲でその他の仕事に取り組みました。
自分の仕事のことを考えるときにいつも思うことがあります。これだけ多忙のなかで、それほどストレスを感じずに仕事をおこなうことができるのは、やはり私を支えてくれるスタッフの存在があるからです。今年新たに加わったスタッフも昔からいるスタッフも全員が、クリニックに来られる患者さんの立場にたって一生懸命に仕事をしてくれているから私が全力で走ることができるんだなぁ・・・、と思うのです。
日本漢字能力検定協会が発表した2008年を表す漢字は「変」だそうです。我々のクリニックではクリニックの名称が「変わり」、予約システムが「変わり」、スタッフの何人かが「変わり」ました。しかし、ミッションステイトメントにもある「患者さんの立場にたって・・」という我々の姿勢は「変わっていない」のです。
来年からも、スタッフと意識を共にして患者さんと接していきたいと思います。患者さんはもちろん大切ですが、別の意識のところでスタッフはもっと大切・・・。この私の気持ちも「変わることはありません」。
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|2013年6月13日 木曜日
2008年11月号 クリニックの名前が変わりました!
医師になってから、私の場合、毎年10月から12月は忙殺されます。学会発表や参加が重なりますし、なぜか私の場合、講演の依頼が年末に集中するのです。あまりに集中するために、今年はせっかくいただいた講演依頼をお断りさせてもらっている状態です。
学術的な活動や社会活動だけではありません。10月以降は風邪や腹痛の患者さんが急増するために、普段の診察も忙しくなるのです。
*********
10月は、大阪プライマリケア研究会という研究会で、「プライマリケア医が担うべきアレルギー疾患」というタイトルで、日頃診察しているアレルギー疾患についての発表をおこないました。
当院には、アレルギー疾患の患者さんが少なくありません。多い疾患は、花粉症、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、接触皮膚炎、アトピー性皮膚炎、気管支喘息、食物アレルギーなどです。なかでも、花粉症+アトピー性皮膚炎や、気管支喘息+アトピー性皮膚炎、といった、複数のアレルギー疾患を抱えた患者さんが多いのが特徴です。
こういった複数のアレルギー疾患を抱えた患者さんは、これまでは、耳鼻科+皮膚科とか、呼吸器内科+皮膚科、というように複数の医療機関を受診されており、当院にかかるようになってからは1箇所でよくなったというわけです。そもそも、例えば、花粉症とアトピー性皮膚炎の場合、これら2つの疾患の薬は重なるものが多いので、複数の医療機関にかかっていると薬の変更や増量が容易ではないのです。
今回の発表の趣旨は、「どこにでもあるアレルギー疾患を複数もっている人は少なくない。ならばそれらを総合的に診るプライマリケア医は重要な役割を担っている。ただし、症状が重症化したようなときは、直ちに専門医に紹介しなければならない」というものです。
***********
11月1日より、クリニックの名称が「すてらめいとクリニック」から「太融寺町谷口医院」に変更されました。
これは、2009年1月1日よりクリニックが医療法人になる予定なのですが、その前に名称変更をしておく必要があるからです。
クリニックの名前は自由に付けていいというわけではありません。医療機関という公益性を有した機関である以上は決められたルールを守らなければならないのです。「決められたルール」というのは、「原則として院長の名前を名称に入れなければならない」というものです。実は、「すてらめいとクリニック」という名称で、クリニックをオープンさせたときも当局からこのように言われていたのですが、そのときは、「すてらめいとビル」(クリニックの入っているビル)の名前を使うことで院長の名前の代わりになるのではないか、という理由をつけて認めてもらっていました。
しかし、個人事業主としてのクリニックではなく、医療法人としてのクリニックとなれば、社会的に公益性がより大きくなります。したがって、「原則として院長の名前を名称に入れなければならない」というルールは順守すべき、ということになるのです。
ただし、「谷口医院」とか「谷口クリニック」では全国的には同じ名称の医療機関がたくさんあります。インターネットで検索するときなど、これでは大変分かりにくいですから、当院の住所である「太融寺町」を前に付けたというわけです。
ところで、一般的にはあまり知られていないようですが、医療法人というのはほとんど公的機関そのもののようなものです。実際、クリニックの資産は(院長や理事長のものではなく)国のものになります。ですから、医療法人が何らかの理由で解散するときには、資産はすべて国が持っていくことになります。
一方で、医療法人で働く従業員(院長も含めて)は、公務員のように身分や給与が保障されているわけではありません。医療法人で働く者は、経営的にうまくいかなければ給与をもらうことができないのです。しかし、利益がでれば解散するときにそれらを従業員がもらうこともできないのです。要するに「身分の保障されない公務員」のような存在です。
では、なぜ、そんな”損”をするような医療法人化をするのかと言えば、個人事業主としてのクリニックのままでいると、なにかと「不安定」だからです。
例えば、もし院長の私が病気や怪我で診察を続けられなくなると、個人事業主のクリニックであれば、その時点で「解散」ということになります。医療法人であれば、院長の私が医療を続けられなかったとしても医療法人そのものは存続します。もちろん、その場合、早急に新しい医師を探さなければ、結局は「解散」ということになってしまうのですが、それでも形の上では、私がいなくても組織は存続するのです。
これは、患者さんにも安心してもらえるのではないかと思われます。「谷口恭が倒れれば終わり」、というかたちの個人事業の医療機関ではなく、「谷口恭が倒れてもクリニックは(少なくともかたちの上では)存続しています」、という医療法人の方が、患者さんは安心して長期で利用できると思うのです。
「不安定」な理由はほかにもあります。個人事業主のクリニックであれば、クリニックの経常利益がそのまま私の年収ということに会計上はなってしまいます。今までこの状態できたのですが、開業以来、私の可処分所得はいくらになっているのかが分からないのです。公私混同を避けるためには、個人用に大きな買い物をするわけにもいきませんし、かといって、今年に入ってからは他院での勤務を大幅に減らしていますから、クリニックでの利益から少しくらいはもらわないと生活ができません。
医療法人になると、院長の私も「給料」をもらうことができます。(ただし院長は「賞与(ボーナス)」を受け取ることはできません) 数字の上では(会計上は)、現在のように個人事業主としている方が私の(みかけの)年収は大きいのですが、医療法人にして給与をもらった方が、”安心して”お金をつかうことができるのです。
**********
年末はただでさえ忙しい上に、クリニックの名称変更、医療法人化といった複雑な手続きや事務作業が必要になり(当局を指定の日に訪問しなければならないために、学会発表を1つキャンセルせざるを得ませんでした・・・)、レセプトの電子化などで時間をとられるようになり、ちょうど去年の今頃がそうであったように、生活の余裕がほとんどなくなってしまいました。
今は、インフルエンザの流行が来ないことを祈るばかりです・・・
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|2013年6月13日 木曜日
2008年10月号 あなたも寄付をしませんか?
先月からすてらめいとクリニックの待合室に小さなテーブルを置いています。このテーブルには、ユニセフやUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のパンフレットが置かれており、診察の待ち時間に患者さんに見てもらっています。
これまでもNPO法人GINAの募金箱は受付に置いてあり、大勢の患者さんに貴重な寄附金をいただきました。この場でお礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。(いただいた寄附金は、タイのエイズ孤児やエイズ患者さんを直接支援している複数の団体に全額寄付しています)
先月から、クリニックの待合室に、GINAだけでなく他の団体のパンフレットを置いたのは、私個人が「少しでも多くの方に寄付に興味を持ってもらいたいから」です。
言うまでもないことですが、世界には我々日本人の常識からは考えられないような苦痛を感じている人(子供たち)がいます。例えば、きれいな水が手に入らない環境にいる人は世界で4億5千万人もいると言われています。世界で20億人以上の人々は、清潔な衛生状態になく、水を原因とする病気は8秒に1人のペースで幼児の命を奪い、途上国の死因の80%を占めます。(このような情報はユニセフやUNHCRのウェブサイトに詳しく掲載されています)
寄付するなんてカッコ悪くて・・・、とか、寄付なんていいカッコしてるみたいでイヤやわ・・・、とか感じている人もおられると思いますが、寄付をそんなに”敷居の高いもの”と思わずに、”気軽に”一度試してみればいかがでしょう。
今回は「私が寄付をすすめる理由」についてお話したいと思います。
まずひとつめは、寄付をすることによって「世界を知る」ことができます。寄付したくらいで広い世界の何が分かるんや!とお叱りの言葉を受けるかもしれませんが、少なくとも寄付をおこなう先の社会情勢や政治などに関心を持つことになります。現在ほとんどの慈善団体では、寄附金の用途を指定することができます。例えば、UNHCRなら、ミャンマー・サイクロン被害、イラク難民支援、グルジア・南オセチア紛争、・・・、などから自分の寄附金の用途を指定することができるのです。漠然と「UNHCRに寄付する」ならイメージが沸きませんが、「UNHCRを通してサイクロン被害にあったミャンマー人を支援する」なら、最近はめっきり報道されなくなったミャンマーの復興状態に興味を持つことになるでしょう。
「世界を知る」ことが大切なのは、世界を知ることで自分のことが分かるようになるからです。例えば、自分自身のことを「負け組」と読んで、被害者意識を持っている日本人がたくさんいますが、世界のある地域からみれば、清潔な水が飲めること自体が幸せなのです。「格差社会」「負け組」と嘆いている人たちのなかには、インターネットができる環境に住んでいたり、なかには車を持っている人さえいたりします。こういう人たちのどこが「負け組」なのでしょう・・・。以前にも述べましたが、私に言わせれば「日本国籍を有していることがすでに勝ち組」なのです。
「私が寄付をすすめる理由」の2つめは、税額控除が受けられるという点です。その年に支払った寄附金の合計額から5千円を引いた額が「寄附金控除額」として控除されるのです。ただし、税額控除が受けられるのは、認定NPO法人や自治体などに限られています。(したがって認定NPO法人であるUNHCRに寄付すれば税額控除が受けられますが、単なるNPO法人であるGINAに寄付されても控除は受けられません)
ところで、この税額控除については、本来の寄付の趣旨から逸脱しており寄付の崇高な精神を踏みにじるものではないかと言われることがあります。例えば、野口悠紀雄氏は著書『円安バブル崩壊』のなかで、次のように述べています。
(前略)自己犠牲があるからこそ、寄付は崇高な行為と見なされるのである。犠牲を伴 わぬ行為を「寄付」と呼ぶことにすれば、本来の寄付がこれまで獲得していた社会的な評価は希釈されてしまうだろう。
野口氏の指摘している点はたしかにその通りでこれには反論の余地はありません。しかしながら、寄付の解釈を全面的に見直し、(これまで崇高な精神をもって寄付をされていた人には申し訳ないのですが)寄付とは崇高なものではなく、人間がおこなう自然な行動のひとつとは考えられないでしょうか。
例えば、小銭ができたのでパチンコに行こうとするのと同じ感覚で、ミャンマーのサイクロン被害者に寄付するというのはどうでしょう。パチンコで浪費しても税額控除はされないけれど、寄付すれば控除されるというメリットもあります。税金が正当に使われているのかどうかはかなり怪しいと言わざるを得ませんが、UNHCRを通して寄付するのであれば目的ははっきりしていますし、どうせ手元に残らないお金なら、税金を払うよりもパチンコで使うよりも寄付をする方が個人に有益なのではないでしょうか。
さて、「私が寄付をすすめる理由」の3つめは、寄附金が役に立つから、というものです。しかしこれには反論があるでしょう。ミャンマーの被災者やイラク難民にUNHCRなどを通して寄付をしたところで、実際に正しく使われているのかどうか分からないではないか、という反論です。
たしかに、これはその通りで、適切に正しく使われていると信じるしかありません。(実際、こういった国際組織の職員のなかには不適切な行為をおこなっている者もいるのではないかとの「噂」もあります)
ならば、もっと身近なところに寄付してみるのはどうでしょう。例えば、すてらめいとクリニックのテーブルには、UNHCRやユニセフのパンフレットに並び、「大阪市ボランティ情報センター」のパンフレットも置いています。ここに寄付をすると、大阪の障害者支援や子育て支援を間接的にサポートすることができます。寄附金が適切に使われているかという疑問はここでも完全に払拭することはできませんが、活動の場が身近なだけに、その気になればその活動を見に行くこともできるわけです。「大阪市ボランティア活動振興基金」に寄付をしても、もちろん税額控除を受けることができます。
大阪市の他にも大阪府にも「ふるさと納税」の一環として、「福祉資金」というものがあります。ここに寄付をしても身近な人を間接的に助けることができるでしょうし、もちろん税額控除もあります。(大阪府のふるさと納税はウェブサイトが非常に分かりづらいのが難点です。トップページに「ふるさと納税」のバナーがないために一苦労します。ホーム→各室課でさがす→総務部→行政改革課→ふるさと納税、と飛ばなくてはなりません。このようにしないと辿り着けなくなっているウェブサイトは府民の立場に立ったものとは言いがたく行政の都合でつくられたウェブサイトだと言わざるを得ません。検索をかけると辿り着くことができますが、「大阪府はふるさと納税に積極的でないのかな」といらぬ心配をしてしまいます・・・)
さて、クリニックのこれら寄付関連のパンフレットを置いているテーブルの上にはひとつの額がかけられており、そこには次のような言葉があります。
奉仕とはこの地球上に住む特権を得るための家賃である
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