はやりの病気

2023年2月20日 月曜日

第234回(2023年2月) アルコール飲料は「百害あって一利なし」か

 「アルコールは大量に飲みすぎると身体を害するけれど、少量ならむしろ健康増進に役立つ」と昔から言われてきました。実際、それを示した研究もいくつかあります。

 しかし、ここ数年、「どうもそれは違うのではないか。飲酒は百薬の長どころか、百害あって一利なしではないか」という意見が増えてきています。そこで今回は比較的新しくて信ぴょう性が高いと思われるいくつかの研究を紹介し、いったい飲酒は身体に良いのか悪いのかを改めて考えてみたいと思います。

 まず、日本人を対象に「飲酒が身体によい」と結論付けられた代表的な研究を紹介しましょう。2004年に医学誌「British Journal of Cancer」に発表された「総がんリスクに対する飲酒の影響:日本における大規模集団研究(Impact of alcohol drinking on total cancer risk: data from a large-scale population-based cohort study in Japan)」です。

 この研究の結論は「男性では機会飲酒者(occasional drinkers)のがんの発生率が最も低い」とされています。論文をきちんと読むと、機会飲酒者のがんの発生リスクを1.00とすればまったく飲まない人のリスクは1.10。つまり、「まったく飲まない人はときどき飲む人に比べて発がんリスクが1割高い」となります。これだけを言われればちょっとくらいは飲んだ方が身体に良さそうです。ビール酒造組合のウェブサイトにもこの論文が紹介されています。

 では、もう少し詳しくこの論文をみてみましょう。機会飲酒者に対して定期的飲酒者(regular drinkers)のデータを紹介します。機会飲酒者のリスクをゼロとすると定期的飲酒者の週あたりのアルコールの量とがん発生率は次のようになっています。

               発がんリスク      缶ビール350mL換算
アルコール1~149g/週      1.18         10本/週
アルコール150~299g/週     1.17         10~21本/週
アルコール300~449g/週     1.43         21~32本/週
アルコール450g以上/週       1.61         32本以上

 これをみれば、ビールのロング缶(500mL)を1日1本程度飲めば、機会飲酒者に比べて18%発がんリスクが上昇することが分かります。ところで、ロング缶(または中瓶)1本と聞けば、なんとなく「少量」という気がしないでしょうか。ところが、この量でもリスクがこれだけ上昇しているのです。ということは「酒は百薬の長」が事実だったとしても、その「量」は「350mLの缶ビール1日1本以下」となるわけです。

 このように論文を読むと、上述したビール酒造組合のウェブサイトに書かれていることがひっかかります。このサイトは、「一日にビールに換算して、350mL缶で2、3本程度のお酒を飲む人が、最も心臓血管疾患のリスクが低い」と書いて、その次にこの日本人を対象としたがんのリスクの研究の論文を紹介しているのです。

 素直に読めば、ビール1日350mL缶2、3本が日本人のがんのリスクを下げるかのような印象をもってしまいます。余程注意深く読まなければ「缶ビール毎日3本くらいがちょうどいい」と錯覚してしまいます。同組合がわざと誤解させるようにウェブサイトを構成している、と感じるのは私だけではないでしょう。

 尚、日本人を対象としたこの研究では女性のデータはありません。また、「ビール(及び他のアルコール飲料)にどの程度のアルコール(g)が含まれているか」は厚労省のサイトが参考になります。

 冒頭で述べたように、最近アルコールは少量でも有害であるとする研究が増えています。2023年1月18日のNew York Timesは最近(2023年1月)に新たに発表されたカナダのガイドラインを取り上げています。

 このガイドラインの5ページは少々衝撃的です。イラストをみれば一目瞭然で「お酒はまったく飲まないのが一番いい」のです。缶ビール1本でも健康上有害だというのです。

 ではカナダ政府が気を衒ったことを言い始めただけで世界の潮流は依然「少量なら健康に良い」なのでしょうか。”残念ながら”そうではありません。2023年1月4日、WHO(世界保健機関)は「我々の健康にとって安全なレベルのアルコール消費はない(No level of alcohol consumption is safe for our health)」という声明を発表しました。上述のカナダのガイドラインもWHOのこの発表の影響を受けてのものだと推測されます。WHOの主張をまとめてみます。

・アルコールは少なくとも7種類のがんの原因となる。
注:WHOのこのサイトには7つの詳細を書いていませんが、これは口腔咽頭がん、喉頭がん、食道がん、肝臓がん、大腸がん、直腸がん、乳がんの7つで、2016年に医学誌「Addiction」に掲載された論文が示しています。

・欧州地域におけるすべてのアルコールに起因するがんの半分は「軽度」および「中等度」のアルコール消費が原因。具体的には、ワインなら週に750mLのボトル2本未満、缶ビールなら500mLを1日1本。

・そもそもアルコールは「グループ1」の発がん物質。グループ1にカテゴライズされている他の代表的な物質は、アスベスト、放射線、タバコ。

 なんとも衝撃的な発表です。他の論文もみてみましょう。医学誌「Nature Communications」2022年3月4日号に掲載された論文「英国人におけるアルコール消費量と灰白質および白質量との関連(Associations between alcohol consumption and gray and white matter volumes in the UK Biobank)」によると、「1日平均1~2単位のアルコールでも脳が委縮」します。これは英国のバイオバンクと呼ばれるデータベースに登録されている36,678人の健康な中高年を対象とした調査で、英国のアルコール1単位は(米国やカナダと異なり)8gですからまさにワイン1杯、もしくはビールコップ1杯程度です。

 アルコールが引き起こすのはがん、心疾患、脳委縮などだけではありません。科学誌「Science News」2022年11月4日の記事「米国のアルコールによる死亡率は、パンデミックの最初の年に急激に上昇した(The U.S.’s alcohol-induced death rate rose sharply in the pandemic’s first year)」に、分かりやすいグラフが掲載されています。米国では過去20年にわたりアルコールによる死亡者が増加しており、2019年から2020年にかけては人口100,000人あたり10.4人から13.1人へと26%も上昇しています。増加した最大の原因は新型コロナウイルスですが、問題はウイルスそのものではなくストレス下で飲酒に走る人があまりにも多いことです。

 アルコールが自殺者を増やすというデータもあります。医学誌「Journal of Addictive Diseases」2020年3月14日号に掲載された論文「アルコール使用と自殺のリスク:系統的レビューとメタ分析(Alcohol use and risk of suicide: a systematic review and Meta-analysis)」によると、アルコール摂取により自殺のリスクが全体で65%(男性56%、女性40%)上昇します。

 死亡だけではありません。日本人を対象とした研究ではアルコール消費が白内障のリスクを上昇させます。

 こうして新しい研究をたどってみると、どうやらアルコールは「百害あって一利なし」と考えるべきなのかもしれません。ただし、アルコールが健康に良いとする研究もないわけではありません。医学誌「Pain」2022年2月号に掲載された論文「片頭痛とアルコール、コーヒー、および喫煙の関係(Alcohol, coffee consumption, and smoking in relation to migraine: a bidirectional Mendelian randomization study)」によると、アルコール摂取で片頭痛のリスクが46%下がります。ただし、当院の経験でいえば、片頭痛の患者さんの何割かは飲酒で悪化しています。

 もうひとつアルコールが健康にいいとする研究を紹介しましょう。日本人を対象とした研究で医学誌「BMC Geriatrics」2022年2月28日号に掲載された論文「飲酒で高齢者の認知機能が上昇する(Alcohol drinking patterns have a positive association with cognitive function among older people: a cross-sectional study)」です。この研究によれば、「ワインの機会飲酒をしている75歳以上の日本人は認知機能が向上」します。驚くべき結果です。

 飲酒が健康に良いとするこのような研究もあるものの、WHOの発表やカナダのガイドラインなどを見る限り、アルコール摂取は従来考えられていたような「百薬の長」とはもはや呼べなさそうです。これからのアルコールとの付き合い方、見直した方がいいかもしれません。

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2023年1月20日 金曜日

第233回(2023年1月) 「湿度」を調節すれば風邪が防げる

 随所でお知らせしているように、太融寺町谷口医院は2023年6月30日をもって閉院せざるを得なくなりました。この「はやりの病気」は閉院後も継続する予定ですが、私の身の振り方によってはそれができなくなるかもしれません。よって、閉院までの間、大勢の方が関心を持つような内容にしたいと思います。

 このコラムの第1回のタイトルは「インフルエンザ」で、公開したのは谷口医院がオープンする2年前の2005年2月3日です。この頃の私は、大学病院の総合診療科の外来を担当しながら、他の診療所や病院にも研修(修行)に出て、夜間は当時の自宅の1階を改造してつくった「日本一小さな診療所」を運営していました。

 改めてその第1回の自分の文章を読んでいると、まあおおまかには現在と変わっていないのですが、現在の見解は下記のように変更しなければなりません。

・(2005年には)タミフルを絶賛している → タミフルは、健常者に対しては有症状期間を少し短くするだけであり、小児・高齢者などハイリスク者以外は使う必要がないことが分かっています

・(2005年には)リレンザ・イナビル・ゾフルーザの話がでてこない → 抗インフルエンザ薬のラインナップが増えています。また、現在は感染者に接してからの予防投与(これをPEPと呼びます)も推奨される場合があります

・(2005年には)手洗い・うがいを推奨している → これらは現在も変わりませんが、私としては現在は「谷口式鼻うがい」を推奨しています

・(2005年には)「換気」について触れられていない → 当時は換気についてさほど注目されていませんでしたが、現在は重要であることが分かっています

・(2005年には)「麻黄湯」(や葛根湯)の有用性について触れられていない → 当時の私はまだ有効性をそこまで確認できていませんでした。今は確信しています。

 新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)が猖獗を極めていたのは2020年の年明けから2021年の終わり頃までといっていいでしょう。当時はハイリスク者のみならず、40代、あるいは30代の健常者にも「死」のリスクがありました。現在は「死に至る病」とは言えなくなり、基礎疾患のない若者であれば特に恐れる必要がありません。

 コロナのおかげ(という表現は変ですが)で、「風邪の予防」に対する世間の感心が高まりました。コロナが始まった2020年の前半はやたら「接触感染」という言葉が飛び交いました。このため、オフィス内や飲食店内では手洗いだけでなく手指消毒、さらに机、テーブル、ドアノブなどが繰り替えし消毒されるようになりました。そして一部の企業や飲食店では今も続けられています。

 一方、接触感染を軽視する声もあります。「コロナの重要な感染ルートは飛沫感染と空気感染であり、触れる物には過敏になる必要がない」という意見です。しかし、これは極端な意見です。私の経験からいっても接触感染はコロナだけでなくインフルエンザでも少なくはありません。これは2005年の第1回のコラムには書きませんでした。当時の私はまだこのことに気付いていなかったからです。

 ですが、今は確信しています。コロナ、インフルエンザを含むほとんどの風邪の病原体は接触感染します。とはいえ、一部の企業や店舗のように執拗に消毒処置をする必要はありませんし、手荒れするほどアルコール消毒をするのはナンセンスです。手洗いは「水道水」が基本であり、アルコールは「水道が近くにない場合」のみ、つまり補助的な使用に留めるべきです。

 では過剰な消毒やアルコールの手指消毒をしないならどうやって接触感染を防げばいいのでしょう。それは「鼻を触らない」です。ただし、コロナが流行しだした頃にさかんに言われたように、「ちょっとでも顔を触るのはNG」はやり過ぎです。谷口医院の患者さんから話を聞いて分かるようになったのは「鼻をほじる」「鼻毛を抜く」などの行動をとる人がよく風邪を引くことです。よってこういった行動を慎めばそれだけで風邪をひくリスクは下げられるのです。

 今回は新たな風邪の予防法についての話をしましょう。それは「湿度の調節」です。

 昔からよくある疑問に「なぜ冬になると風邪をひくのか」というものがあります。「寒いから」と答える人が多いわけですが、ではなぜ寒さが発症因子になるのでしょうか。実はこれについては医学の教科書にきちんと書かれていません。そこで、私が「なぜ冬に風邪をひきやすいか」についてその理由を並べてみます。

#1 冬には日光を浴びる量が少なくなりビタミンDの生成が減少し、免疫能が低下する(可能性がある)

#2 冬は寒いために屋内にいる時間が長くなり、窓を閉め切るために換気が効率的におこなわれず、そのため他者からの飛沫感染、あるいは空気感染のリスクが上がる(これは間違いありません)

#3 空気が乾燥する(湿度が低下する)

 #3の湿度について。最近の研究で、病原体増殖の至適湿度というものがあることが分かってきました。メリーランド大学の公衆衛生学者Donald Milton氏によると、風邪のウイルスとして有名なライノウイルスは高い湿度を好むそうで、そのため米国では初秋に流行するようです。一方、インフルエンザウイルスやコロナウイルスは冬に流行しやすく、湿度が40%を下回った環境を好むようです。これらは科学系メディア「ScienceNews」に掲載されています。

 では、インフルエンザやコロナはなぜ乾燥した環境で感染しやすくなるのでしょうか。通常、ウイルスが人の呼気から放出されるとき、裸の状態で飛び出すわけではなく、唾液や鼻水などに包まれて体外に出ていきます。これら体液には、粘液や蛋白質などの成分が含まれていて、ウイルスを殺菌する効果もあります。湿度が高い状態であれば、体液が乾きにくく、時間をかけてウイルスを殺すことができます。体液は身体を離れてもウイルスをやっつけてくれているというわけです。その逆に、湿度が低ければウイルスを包んでいる体液がすぐに蒸発してしまい、殺菌効果が期待できずウイルスの感染力が維持されてしまうのです。この研究は査読前論文を集めたbioRxivという医学誌に掲載されています。

 上述のScience Newsの記事には興味深い顕微鏡の写真が掲載されています。湿度が低ければ(40%)、体液が乾燥しウイルスがむき出しとなっています。インフルエンザやコロナはこの状態のときに感染しやすいと考えられます。湿度が中等度(65%)であればウイルスが体液に包まれておりウイルスを不活化させると予想されます。しかし、興味深いことに湿度が高すぎれば(85%)、ウイルスは死滅しにくいようです。

 乾燥は「次に感染する人」の防御力にも影響を与えます。「乾燥した空気は気道の表面に存在する細胞死を引き起こす」ことを示した動物実験があります。気道粘膜の表面を守っている細胞が死んでしまえば、当然病原体は奥に侵入しやすくなりますから、「乾燥→気道粘膜の表面の細胞死滅→病原体が侵入し感染成立」となるのです。

 以上をまとめると、環境を病原体が感染しにくい湿度にすべきであり、それは乾きすぎても湿気が多すぎてもダメで、50~65%程度が望ましいということになります。自宅、特に寝室は空気清浄器(できればHEPAフィルター付き)と共に加湿器や除湿器を置いて対処するのがいいでしょう。もちろんその前に用意しなければならないのは湿度計です。

 では、自分の意図で調節できない職場やビルの中、あるいは地下街ではどうすればいいのでしょうか。マスクがお勧めです。マスクが感染予防に有効なことは明らかで、いくつもの信頼度の高い論文があります。マスクをしていても病原体が口腔内や鼻腔に入ってくるのは事実ですが、感染者が病原体を排出しにくくなります。コロナではなんと100%カットしてくれるという研究もあります。これだけでも(少なくともコロナには)マスクは「感染させない」という意味でかなり有用なわけですが、「感染しない」という意味でも非常にすぐれたツールです。気道の乾燥を防ぐことにより気道粘膜の表面のバリア機能を正常に保ってくれるからです。

 最後にもう一度まとめてみましょう。インフルエンザ、コロナを含めて有効な風邪の予防対策は、「鼻うがい」「手洗い」「鼻を触らない」「換気」「湿度の調節」「マスク」「麻黄湯」です。ちなみに、私が最後に風邪をひいたのは2012年の12月。それから鼻うがいを始め、その後一度も風邪をひいていません。インフルエンザにもコロナにも無縁です。

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2022年12月18日 日曜日

第232回(2022年12月) まもなく登場する市販のダイエット薬は効くのか

 2022年11月28日、たまたまネットニュースに目が留まり、その内容に驚きました。日本では未承認の肥満薬「オリルスタット」が処方薬でなく、市販薬として認可されたというのです。オルリスタットは、膵臓や消化管から分泌されるリパーゼを阻害して脂質の吸収を抑制し、体重を減少させる薬です。

 報道によると、販売を手掛けるのは大正製薬で、商品名は「アライ」。添付文書上の「効能・効果等」は「腹部が太めな方の内臓脂肪および腹囲の減少(生活習慣改善の取り組みを行っている場合に限る)」。「腹部が太めな方」の基準は、腹囲が男性85cm以上、女性90cm以上、とのことです。

 さて、このニュースを見て大勢の医療者が驚いたはずです。なぜならこのオリルスタットという抗肥満薬は、”歴史”のあるいわくつきの薬剤だからです。

 オリルスタットは大正製薬が開発した薬ではありません。開発を手掛けたのはスイスの製薬会社ロシュです。1990年代には少なくとも米国FDAからは承認を得て、医薬品(処方箋の必要な薬)として「ゼニカル(Xenical)」という名前で米国の医師により処方されていました。

 日本で導入の動きがあったのは2000年代前半で、製薬会社は中外製薬です。ロシュと協力関係にあった同社が日本での発売を目指して治験に取り組んだのです。ところが、2005年4月、中外製薬は開発のハードルの高さなどを理由に開発を中止することを発表しました。

 ところでオリルスタットを語るときにはもうひとつの薬の話もせねばなりません。その薬とは「セチリスタット」。名前が似ていることからも分かるようにオリルスタットと似たような薬です。リパーゼを阻害して脂質の吸収を抑制し、体重を減少させるメカニズムです。

 セチリスタットの開発を手掛けたのは英国のAlizyme Therapeutics社。2003年、武田薬品が日本における開発・販売の権利を取得しました。その後、2009年にオランダのノルジーン社がAlizyme Therapeutics社から製造・販売などすべての権利を獲得しました。

 つまり、2003年の時点では中外製薬と武田薬品が類似した抗肥満薬の国内導入にしのぎを削っていたわけです。そして、2005年に中外製薬は撤退することを決定し、武田薬品だけが国内販売を目指して動いていたのです。

 武田薬品の”努力”が実りました。2013年9月、厚生労働省の薬事・食品衛生審議会医薬品第一部会により、武田薬品のセチリスタットは「オブリーン錠120mg」という名称でついに承認されたのです。

 あとは「薬価収載」だけです。処方薬が実際に処方されるには、承認後の「薬価収載」を待たねばなりません。通常、承認から薬価収載までは「原則として60日以内、遅くとも90日以内」というルールがあります。よって、遅くとも2013年の年末には医療機関での処方が開始される予定でした。

 ところが、セチリスタットはなかなか薬価収載されません。実は食品衛生審議会で承認された後、薬価収載について協議する中央社会保険医療協議会(通称「中医協」)からセチリスタットの販売を疑問視する声が上がったのです。

 そして2018年7月13日、武田薬品はセチリスタットの販売を断念し、日本での開発・製造・販売権を導入元企業のノルジーン社に返却することを発表しました。武田薬品はそれまでにかなりの大金を費やしていたはずですが、薬価収載の見込みが立たないのならそれ以上引っ張ればさらにムダ金を使うことになります。また、興味深いことに、オリルスタットが世界の多くの国で処方・販売されているのに対し、セチリスタットに関してはそのような話をほとんど聞きません。もしかすると、現在もどこの国でも処方・販売されていないのかもしれません。

 ここで時計の針を2000年代前半に戻します。中外製薬がオリルスタット120mgの国内導入を断念する前年の2004年、国外では新たな動きがありました。英国の製薬会社グラクソスミスクライン(の子会社)が、ロシュからオリルスタット120mgを半分の60mgとした製品の販売権を取得しました。そして、2007年、米国FDAは「ゼニカル(Xenical)」の半量のオリルスタット60mgを薬局で販売することを認可したのです。その商品名が「アライ(Alli)」です。

 オリルスタットが再び日本で話題となりました。2009年1月、今度は(中外製薬ではなく)大正製薬が、グラクソスミスクライン(の子会社のグラクソグループリミテッド)と日本での開発・販売の契約を交わしたことを発表したのです。

 随分ややこしくなってきましたので、ここでこれまでの流れをまとめておきましょう。

〇オリルスタット120mg: ロシュが開発。米国では「ゼニカル(Xenical)」という名前ですでに90年代から処方されていた。日本では中外製薬が販売を試みたが、ハードルの高さから2005年に断念した。

〇セチリスタット: 英国の製薬会社が開発し、その後オランダのノルジーン社が製造・販売権を獲得したが、海外での処方・販売実績はほとんどない(と思われる)。日本では武田薬品が治験をおこない厚労省からは承認されたものの、最終段階の「薬価収載」がおこなわれず、結局、販売権をノルジーン社に返却した。

〇オリルスタット60mg: グラクソスミスクライン(の子会社)が、ロシュから半量の60mgの製品の販売権を取得。2007年より米国で「アライ(Alli)」の名前で、薬局で販売され始めた。日本では大正製薬が2009年1月にグラクソスミスクライン(の子会社)と日本での開発・販売の契約を交わした。そして、市販薬として日本の薬局に近日登場予定。

 このような複雑な”歴史”があり、大正製薬はグラクソ(の子会社)との契約から14年近く経過した2022年12月、ついにオリルスタット60mg(=「アライ」)の厚労省からの認可を得たのです。

 さて、今後アライはどの程度普及するでしょうか。報道によれば、薬局での購入までの道のりが少々険しそうです。まず、ネット上で購入することはできず、必ず薬剤師との対面が必要となります。さらに、服薬開始の1か月前から腹囲と体重を記録する必要があるそうです。

 これを面倒くさいと考える人はきっと少なくないでしょう。まあ、実際には適当に数字を書く人も大勢いるでしょうし、薬剤師もいちいちひとつひとつの数字をチェックしないでしょう。個人輸入や美容外科クリニックでやせ薬を買うことを考えればはるかに簡単に購入できます。

 文献上の報告や、個人輸入で入手したことがあるという患者さんからの情報によれば、それなりの頻度で下痢をするそうです。それは脂肪の吸収が妨げられることを意味しますから、人によっては体重減少が期待できるかもしれません。

 ですが、ダイエットの話で私が必ず言うように「その薬を一生続けるのですか」という問題が残ります。ダイエット薬は効果があったとしても、中止すればほとんどの人がリバウンドを起こします。また、極端な糖質制限や短期集中の運動も効果は出ますが、元の生活に戻せば元の木阿弥になるどころか、ダイエット終了後にはより太りやすい身体になります。

 本サイトで繰り返し述べているように、ダイエットをしたいのなら、どのような方法であっても「生涯続けられること」をすべきなのです。

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2022年11月24日 木曜日

第231回(2022年11月) 誤解だらけの慢性疲労症候群(ME/CFS)

 「慢性疲労症候群」という言葉を当院の患者さんから、あるいは未受診の人からのメール相談で聞く機会が増えています。

 谷口医院では開院した2007年から「慢性疲労症候群ではないでしょうか」といって受診する人が少なくありませんでした。当院は元々「他で診断がつかなかった人」を積極的に診ていましたから、どこの医療機関からも見放されたという人がかなり遠方からも受診されていました。

 今年(2022年)の年明けあたりから、慢性疲労症候群に関する問い合わせが急増しています。原因は新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)です。コロナに感染し、後遺症が残ったとき、それが目安として半年を超えると、あたかも従来の慢性疲労症候群そっくりになります。このことに私が気付いたのが2020年の後半、その後次第にそのように思われる患者さんを診る機会が増え、「長引いたコロナ後遺症は慢性疲労症候群そのもの」と確証したのは21年の終わり頃です。

 そして、これを文章にまとめて公開したのが、毎日新聞「医療プレミア」でのコラム「新型コロナ 後遺症の正体は「慢性疲労症候群」か」、日経メディカル「ポストコロナ症候群とME/CFSの共通性」です。本サイトの「はやりの病気」でも紹介しました。尚、慢性疲労症候群は、最近、筋痛性脳脊髄炎 / 慢性疲労症候群(Myalgic Encephalomyelitis/Chronic Fatigue Syndrome:ME/CFS)と呼ばれることが多くなってきため、ここからはME/CFSで統一します。

 「長引くコロナ後遺症がME/CFSではないか」と考えたのは、私の純粋な思いつきというわけではありません。なぜなら、以前からいくつかの感染症では、その感染症が治ってしばらくしてからも、倦怠感や抑うつ感が持続する事例が認められていたからです。それについては、上述の「はやりの病気」で紹介しましたから、ここでは繰り返しません。

 今回は「間違ったME/CFSの診断」について述べたいと思います。これは、「患者さんは自身をME/CFSだと思っているけれどそうではない」という事例のことで、このような患者さん(ほとんどは初診)が急増しています。

 まず、ME/CFSには「診断基準」というものがあるのですが、これを理解されている人がほとんどいません。どのような疾患であっても、きちんと診断をつけることは非常に大切で、診断基準をなおざりにするわけにはいきません。

 「厚生労働省(旧厚生省)慢性疲労症候群診断基準」というものがあり、ウェブサイトでも公開されています。残念ながら、後述するように、このページはちょっと見づらいので、ここで分かりやすく解説していきます。

 まず、ME/CFSであることを示すには2つの「大基準(大クライテリア)」を満たさなくてはなりません。以下の2つです。

A:生活が著しく損なわれるような強い疲労を主症状とし、少なくとも6ヶ月以上の期間持続ないし再発を繰り返す(50%以上の期間認められること)

B:病歴、身体所見。検査所見で表2に挙げられている疾患を除外する

 このページが分かりにくい理由の一つが「表2に挙げられている疾患」がどこにも書かれていないことです。ただ、これら「疾患」をひとつひとつ挙げることにはあまり意味がないので、ここは端折りたいと思います。

 Aを確認しましょう。症状を有する期間は「少なくとも6ヶ月」です。よって、例えば「コロナ感染後2ヶ月たっても倦怠感が続く」は基準を満たしません。もちろん、その倦怠感が6か月以上持続する可能性もあるわけですが、この時点では(後述するように)ME/CFSだと思い込むべきではありません。「50%の期間」というのは、「その6か月のうち、元気になる日や週があってもME/CFSの可能性はある。ただしトータルでみれば6か月のうち3か月以上は症状がなければならない」という意味です。

 Bをみてみましょう。「病歴」というのは、他の病気でないことを示さなければならない、という意味です。倦怠感と抑うつ症状をもたらす疾患は多数あります。甲状腺機能低下症、膠原病、アジソン病、悪性腫瘍、結核、HIV感染症などが相当します。尚、結核やHIV感染症は「感染後、倦怠感や抑うつ症状が続く」には合致しますが、これらは「感染中」であって、「治療後も症状が持続」とは異なりますからME/CFSには含めません。また、うつ病や統合失調症も除外する必要があります。

 ME/CFSを疑って受診した患者さんに「あなたの病状はME/CFSではありません」と伝えねばならない最大の理由は、上記Bのなかの「検査所見」です。診断基準は次の3つを満たしていなければなりません。これは自己評価ではなく、必ず医師が確認しなければなりません。しかも2回以上確認することが必要です。

#1 微熱
#2 非浸出性咽頭炎
#3 リンパ節の腫大(頚部、腋窩リンパ節)

 #1の「微熱」とは一般的には37.5度前後の熱を指しますが、患者さんのいくらかは36度台後半くらいでも「自分の平熱は低いんです。だからこれは微熱なんです!」と自身の主張を譲らない人がいます。私の場合、これは患者さんの考えを尊重するようにしています。

 #2の「非浸出性咽頭炎」は、喉が赤く腫れていれば該当します。「非滲出性」というのは咽頭(及び扁桃)に、白い苔みたいなものや膜がないことを意味します。「非浸出性咽頭炎」を他覚的に判定するのはときに困難で、見た目がまったく赤くなくても、患者さんが「痛いんです」と言われれば否定はできません。

 #3の「リンパ節の腫大」は客観的に評価することが可能です。それなりに経験のある医師が触診すれば分かります。もしも医師の触診では異常がなく、患者さんが「腫れています」と主張するときには、超音波検査をすれば簡単に証明することができます。超音波検査を実施して腫大していないことがはっきりしても、「そんなはずはありません。腫れているんです」という人がときどきいますが、超音波検査でも認めなければリンパ節腫大があるとは言えません。尚、診断基準にはリンパ節の部位として「頸部、腋下リンパ節」と書かれているだけで、これが両方腫れている必要があるのか、片方だけでいいのかは記載されていません。私の場合は、どちらかに腫脹が認められれば「腫大あり」と判断しています。

 長々と説明してきましたが、私が言いたいのは「リンパ節腫大が認められなければME/CFSではない」ということです。これが、世間にはほとんど知られておらず誤解がはびこっています。もっとも、そんな細かい診断基準が広く知れ渡っている方が不自然であり、一般の方が知らないのは当然です。ただ、自称「ME/CFS」の人たちが急増しているのは異様な事態です。「医師によるリンパ節の評価なくしてME/CFSの診断はできない」という点は非常に重要です。

 なぜならME/CFSの診断がつくのとつかないのでは生活上の注意点が大きく異なるからです。ME/CFSの診断がつけば(もしくは疑われれば)、規則正しい生活は重要ですが、散歩程度の運動もすべきでなくなります。他方、ME/CFSでなければ(あるいはない可能性が高ければ)むしろ、できる範囲で身体を動かしていくことが治療につながります。

 ちなみに、ME/CFSで身体を動かすと余計に倦怠感が強まることをpost-exertional malaise (PEM/運動後倦怠感)と言い、身体を動かして出現する倦怠感を「crash」「relapse」「collapse」などと呼びます。そして、SNSやネットで情報が飛び交っているからなのか、まだコロナに感染して1~2ヶ月程度しか経っていないのに「昨日はクラッシュが起こりました」などと主張する患者さんが最近目立っています。

 どのような病気でも正しい「診断」をつけることは極めて重要です。医師がいつも正しいわけではなく、自分自身で病名を推測するのは大切なことではありますが、診断基準に基づいた医師による客観的な評価は不可欠なものです。そして、正しい診断をつけることにより、結果として早く回復する可能性が高まるのです。

 ただ、ME/CFSの場合、効果的な治療法がほとんどないのが現状なのですが……。

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2022年10月13日 木曜日

第230回(2022年10月) ポストコロナワクチン症候群~2022年版~

 治験(臨床試験)の期間が充分でないことが分っていながら世界中で接種が開始された新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)のワクチンを受けた後で、「倦怠感(だるさ)が取れない」、「痛みが消えない」といった副作用が続くという訴えが少なくなく、「コロナワクチンは他のワクチンとは異なる」ことを確信し、このサイトではちょうど1年前の2021年10月に「ポストコロナワクチン症候群」というタイトルで紹介しました。

 その後多くの方から相談を受け、それは今も続いています。谷口医院の患者さんのみならず、私が主催するメルマガの読者や、私が連載するメディアの記事を読まれた人からも相談メールが届きます。

 コロナに感染して生じる「ポストコロナ症候群」(後遺症)の患者さんも少なくなく、訴えられる症状は多岐に渡ります。多くの患者さんを診ているうちに、一言でコロナ後遺症といっても実に様々で、中には本当にコロナに感染したのか疑わしい例もあります。よって、そういった事例もひっくるめて「症候群」と呼ぶのがふさわしく、それらを分類した上で治療を進めるべきだというのが私の考えです。

 今回は、感染後の後遺症ではなく、ワクチン接種後の後遺症(=ポストコロナワクチン症候群)について述べます。まずは私の「5分類」を紹介します。

短期軽症型:接種1週間程度で消失するすべての症状を含む。発熱、倦怠感、疼痛、リンパ節腫脹など。たとえ1週間寝込んだとしても回復すればこのタイプに含まれる。

短期重症型:接種1~2週間以内に入院を余儀なくされ、肢体不自由などの重篤な後遺症を残す。または死亡する

中期型:接種後1週間以上たっても症状が持続し、最長6か月まで続く。頭痛、動悸、倦怠感が比較的多い訴え。

長期型:接種後6か月以上持続。倦怠感、抑うつ症状、食思不振、体重減少などが主症状となる。ときにME/CFS(後述します)を発症したと考えられる。

持病再発型:しばらく落ち着いていた持病がワクチン接種を契機に再び発症。頻度が多いのが、ヘルペス(口唇ヘルペス、性器ヘルペス、あるいは他の部位のヘルペスも)、頭痛(特に片頭痛)、じんましん。帯状疱疹(及び帯状疱疹後神経痛)もこの分類に入れる

 ではそれぞれを解説していきましょう。

 まず「短期軽症型」はほぼ全員に起こります。どれだけしんどくても1週間たてば後遺症なく社会復帰できるのであればOKと考えるべきでしょう。後述するようにコロナワクチンの有効性が高いのは間違いないからです。

 「短期重症型」の原因はワクチンの成分によるアナフィラキシーショックと、心筋炎(または心膜炎)が重要です。よって、アレルギーのエピソードがある人は充分な注意が必要で(接種前にかかりつけ医に相談しましょう)、まったく健康体の人であっても接種後1週間は激しい運動を控えるべきです。

 ちなみに、私自身は3回目のワクチン接種を終えて3日後にジョギングをして激しい胸痛と動悸に襲われ、その動悸は1週間くらい続きました。今だから言えますが、当時(2022年1月)はちょっと怖かったです。心筋炎/心膜炎が起こるのは「若い男性」とされていたために、「まさか53歳のおっさんには関係ないだろう」と高を括っていたのが失敗でした。このときの睡眠の記録を見ると(Fitbitで管理しています)、眠れはしたものの心拍数は90BPM(日頃は50BPM程度)前後の状態が続いていました。しかし、1週間程度で完治しましたから「短期重症型」ではなく「短期軽症型」に入ります。その程度だったので、今では心筋炎/心膜炎ではなかったと考えています(と思うようにしています)。

 「中期型」はそれなりの長期間、社会生活を制限されますからかなり辛いワクチン後遺症と言えます。頭痛、嘔気、食欲不振、めまい、関節痛、筋肉痛など症状は多岐に渡ります。不眠、抑うつ感などの精神症状も出現します。

 「長期型」はその大半がME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)と見分けがつきません。ME/CFSとは、一言で言えば、「日常生活が制限されるような激しい倦怠感が6か月以上続く」慢性の疾患です。以前は単にCFS(慢性疲労症候群)と呼ばれていましたが、最近では国際的にME/CFSが一般的です。

 ME/CFSは、周囲の人たちから(ときには家族からも)理解されないことが多く、ひどい場合は「単に怠けているだけだろ」とか「精神的なものやから精神科に行け」などと言われて傷ついている人もいます。たしかに、単純疲労やうつ病の場合も倦怠感は伴いますが、これらの場合、散歩など軽度の運動で改善することが多いと言えます。他方、ME/CFSの場合は、軽度の散歩程度であっても、その翌日あたりから体を動かせなくなるほどの激しい倦怠感が数日続くこともあります。これを「運動後倦怠感(post-exertional malaise, PEM)」と呼びます。

 ME/CFSの話をしだすとかなり長くなりますのでいずれ改めて紹介したいと思います。ここでは、ポストコロナワクチン症候群の「長期型」はME/CFSそのものかもしれない、ということだけ押さえておきましょう(といっても、これらはすべて私の「私見」ですが)。

 「持病再発型」は上に述べた通りで、いつ治るかは人それぞれですが、谷口医院の経験で言えば長くても6か月以内にはおさまります。

 では、なぜこのような副作用が起こるのでしょうか。はっきりしたことは分かりませんが、反ワクチン主義者の人たちがよく言う「スパイク蛋白が悪さをしている」というのはひとつの答えかもしれません。

 コロナのmRNA型ワクチンが登場したとき、政府も学者も感染症専門医も「ワクチンで体内に入ったmRNAはすぐに分解され、スパイク蛋白が長期間体内に存在することはない」と言っていました。実際、厚労省のサイトには今もそう書かれています。

 ですが、最近はそうとも言えないことが分ってきています。ドイツの70代の男性がワクチン接種後に死亡し、大量のスパイク蛋白が脳と心臓から見つかったという事例が報告されています。また、ワクチン接種した妊娠中の女性11人のうち5人の母乳からワクチンのmRNAが検出されたという報告もあります。

 さて、ワクチンの副作用をこれだけ列記すると「そこまでして打たないといけないの?」という気持ちになる人も多いでしょう。その答えは「国民全体としては接種すべき」となります。国際的な研究では医学誌「The Lancet」に掲載された論文が有名で、この研究によればコロナワクチンのおかげで世界の1440万人が命を救われています。身近なところで言えば、大阪府が公表しているデータを見てもワクチンの有効性は明らかです。4回接種者と未接種者では重症化率、死亡率がまったく異なっているのがよく分かります。また、因果関係のはっきりとしている(と厚労省が言っている)重篤な副作用はごく僅かであるのも事実です。

 ただし、ワクチンが有効なのは「全体として」です。いくらそのように役人や偉い学者から言われたとしても、あなた自身やあなたにとって大切な人が重篤な副作用に苛まれるのならば接種したくないのは当然です。

 では、あなたやあなたの大切な人がワクチン接種を受けるべきかどうかはどのように決めればいいのでしょうか。答えは「かかりつけ医に相談する」です。谷口医院の場合、患者さんから相談されたとき「ではうちましょうか」となることも「今は控えておきましょうか」となる場合もあります。

 ちなみに私がメディアに記事を書くと、「ワクチン絶対肯定派」からも「ワクチン絶対反対派」からもクレームが来ます。「ワクチンに賛成なのか反対なのかはっきりしろ!」とお叱りの言葉をいただくこともあります。私の答えは「その人にとって受けるべきか否かは異なる。だからかかりつけ医が存在している」です。

 最後に最も大切なことを言っておきましょう。ポストコロナワクチン症候群はときに難治性となります。そのため「藁にもすがる思い」となり、高額な自費診療を受けさせられた被害者が続出しています(多いのは「グルタチオンの点滴を数千円で受けさせられた」、「イベルメクチンを高額で買わされた」、など)。時間がかかるのは事実ですが、あくまでも保険診療で治療をすべきだ、と私は言い続けています。

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2022年10月10日 月曜日

2022年10月 「我々はなぜ働くのか」、もうひとつの答え

 先日他界された稲盛和夫氏の著作に『働き方「なぜ働くのか」「いかに働くのか」』があります。個人的にはこの本も他の稲盛氏の著作と同様、できるだけ多くの人に勧めたいのですが、おそらく21世紀に生きる若者のなかには、こういう主張に馴染めない、あるいは反発する人も少なくないと思います。

 なにしろ、言葉だけを読めば「仕事は常に(ベストではなく)パーフェクトを目指せ」「一心不乱に寝食を惜しんで働け」「困難なことにも<できない>と言ってはいけない」などなど、昭和時代の「猛烈サラリーマン」を彷彿させるようなメッセージのオンパレードです。もしも長時間残業やパワハラの被害に遭っている人がこれを読めば、”猛烈に”反対するでしょう。

 そう思ってこの本のAmazonのレビューを見てみると、やはり私の予想通り、厳しいコメントが相次いでいました(もちろん絶賛するコメントも少なくありません)。たしかに(誰かが書いていたように)、自分の働く会社からこの本を渡されればぞっとするに違いありません。なにしろ、読み方によっては「他のすべてを犠牲にして死ぬまで働け」と言われているような気持ちになるでしょうから。

 私自身がこの本を初めて手にしたのは太融寺町谷口医院をオープンさせてからで、私の立場は「院長」ですから、経営者(というほどのものではありませんが)的な観点でも考えてしまいます。すると、この本は良書だけれど自分の立場で谷口医院の従業員に勧めるわけにはいかないなぁ、と感じたことを覚えています。

 しかしながら、それでもこの本のなかに出てくる「人間は自らの心を高めるために働く」という稲盛さんの言葉には説得力があります。特に医療機関では、「働く」ことが(職種によってある程度異なりますが)病気や怪我を患っている人や不安が強い人に対する直接的な「貢献」につながります。

 ちなみに、「ぐるなび」創設者の滝久雄氏は「自分を他者のために役立てたいという貢献心は<誰にもある本能>」と考え、「ホモコントリビューエンス研究所」を設立されています。「ホモコントリビューエンス」とは「貢献する人」という意味だそうです。

 さて、今回は私が考える「我々はなぜ働くのか」に対する私なりの「回答」を紹介したいと思います。それは「仲間をつくるため」です。「なんだ、当たり前のことじゃないか」と感じる人が多いでしょう。特に私と同世代以上であれば、多くの人が「そんなこと、言うまでもない」と思っているでしょうし、また仕事を通して「生涯の友」と呼べる友人を得たという人も大勢いるはずです。

 もちろん若い人のなかにも、「そんなの当然」と考えている人はいると思いますが、私と同世代以上のいわば「旧世代の人間」とはやはり異なると思います。旧世代の人間は、まだギリギリ「終身雇用」が当然の時代に生きていました。実際、私の1つ目の大学の同級生のなかには、入職以来30年以上同じ企業に勤務しているという人も少なくありません(ただし、その1回り上の世代に比べると、それほどの長期間勤務者は激減しているのは間違いありません)。

 いったん就職するとそこが「共同体」となり、共に働くのみならず、共に慰安旅行に参加し、会社が主催する社員とその家族が出場する運動会に参加し、半数以上が社内結婚をし、社員どうしは家族ぐるみの付き合いをするのです。それを「社畜」と非難する声がありますが、その一方、かけがえのない友情が築かれることが多いのも事実です。
 
 一方、会社が単に「お金を稼ぐ場」と考える人が多くなった21世紀の現代社会では、社員とその家族が参加する運動会の話はほとんど聞かなくなりました。慰安旅行でさえも、すでに新型コロナ流行前から激減していたと聞きます。社内恋愛は今でも(不倫も含めて)少なくないでしょうが、旧世代であれば大企業では半数以上が社内結婚だったのです。どこの企業だったか忘れましたが、私が就職活動をしている頃「〇〇社の社内結婚率は9割以上」と聞いたことがあります。

 「生涯の友は学生時代に見つけるべきで、就職後の友はしょせんライバルに過ぎない」と言う人がいます。実際にそういうこともあるのでしょうが、それでも仕事を一緒にがんばったという経験から深い友情が芽生えることもよくあります。

 太融寺町谷口医院では最近立て続けにスタッフが退職しました。退職の理由は「持病の悪化」「院内の人間関係」など様々ですが、突然辞めた職員もいたために仕事が回らなくなりました。少ない人数でまかなっている診療所でそのような複数のスタッフの突然の退職は困ります。求人を新たに出すことにしましたが、すぐにいい人が応募してくれる保証はありません。

 そこで、以前谷口医院で働いていた元スタッフに声をかけてみました。就職前に谷口医院にアルバイトに来てくれていた20代の頭脳明晰なMさんにダメ元で連絡をとってみると、偶然にも「新たな就職先が決まり、以前の会社は辞めたところ」だと言います。本当は充電期間に海外旅行をする予定だったそうなのですが、なんとそちらをキャンセルし谷口医院にアルバイトに来てくれたのです。しかも「谷口医院でのアルバイトは海外旅行よりも価値のある貴重な経験です」とまで言ってくれたのです。これほど嬉しいことがあるでしょうか。Mさんを友達と呼ぶのは変かもしれませんが、私にとってはかけがえのない恩人です。

 次に、過去に谷口医院に少しだけ働いていたAさん(名前のアルファベットがAではなく便宜上Aさんとします)が来てくれることになりました。Aさんは明るくて頼りがいのある女性なのですが、以前谷口医院に勤務していたときに、ある同僚からイジメとも呼べるような酷い対応を受けていたのです。私がそれをAさんから聞いたのは退職を決めた後でした。そのときには申し訳ない気持ちしかなかったのですが、こうして戻って来てくれることになりとても嬉しく思います。

 「女性の世界は難しい」とよく言われますが、それは谷口医院でも同様です。これまでも明らかなパワハラで辞めていった人が複数人います。そして、そういう人に限って被害に遭っていることを口にせず、最後まで笑顔を絶やさないのです。私にもっと早く言ってくれれば……、と思いますが、おそらく「告げ口」になると彼女らは考えたのでしょう。

 パワハラやイジメの加害者は、日頃から口調が強くよくしゃべるタイプもいれば、普段はほとんど何も話さない無口なタイプまで様々です。しかし共通点がひとつあります。それは加害者であることが発覚するとすぐに辞めていくことです。それならば、初めからそんなことしなければいいわけです。私にはこういう女性(だけではないかもしれませんが)の心理が理解できません。

 もうひとり、本稿執筆時点では未確定ですが、元スタッフのBさんも戻って来てくれるかもしれません。実はBさんも当時のあるスタッフからひどいパワハラの被害に遭っていたのです。Bさんのケースも、その被害報告を受けたのは退職を決意した後でした。

 ちなみに、谷口医院には過去にも、諸事情からいったん退職し、再び戻って来てくれたスタッフが何人かいます。元の職場に戻ったことがある人や退職した人を再び受け入れた経験がある人は少なくないと思いますが、いったん退職したスタッフが戻って来てくれるのは、迎え入れる側からすると格別の嬉しさがあります。昔話に花が咲き、別の職場で培った経験から一回り成長した姿を見ることができます。そして、何よりも「また一緒に患者さんに貢献しよう」という”絆”を確認することができるのです。

 稲盛さんはさほど触れられていなかったと思いますが、「なぜ働くのか」の答えのひとつは「仲間との絆を感じることができるから」だと私は信じています。

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2022年9月15日 木曜日

第229回(2022年9月) 疑問だらけの新型コロナの「新薬」

 2022年7月20日、厚生労働省の審議会で、コロナの特効薬となることが期待されていた塩野義製薬(以下「塩野義」)のゾコーバ(一般名:エンシトレルビルフマル酸)の緊急承認が見送られることが決まりました。

 ところが、9月2日、日本感染症学会日本化学療法学会(双方とも由緒ある大きな学会です)が、この決定を取り下げてゾコーバを緊急承認するよう求めた提言書「新型コロナウイルス感染症における喫緊の課題と解決策に関する提言」を厚労省に提出しました。

 さらに話は複雑になります。両学会の提言に対し、感染症専門医を含む複数の医療従事者がSNSなどに批判のコメントを載せたのです。つまり、「両学会の方針が間違っている=ゾコーバの承認を現時点で認めるべきではない」という意見が医師の間に多いのです。そんななか、埼玉医科大学総合医療センター総合診療内科教授の岡秀昭医師が、医師のポータルサイト「m3.com」に、両学会の提言がいかに不適切かについてまとめた記事を上梓しました。また、毎日新聞「医療プレミア」は岡医師に取材をし、記事をまとめています。尚、岡医師は日本感染症学会の評議員も務める感染症の大御所です。

 岡医師の主張をまとめると以下のようになります。

・両学会の提言は決して感染症の専門家のコンセンサスではない

・この提言について、9月4日、自身が学会に異議申し立ての報告をおこなった

・学会員や評議員から民主的に意見を聞かずに学会の名前を用いてこのような提言が密室で作成されて発表されることは大変残念な事態だ

・まずは学会ホームページにおける提言掲載を止め、理事長は学会員にしかるべき説明を行う必要がある

 両学会は岡医師らの批判に応じるかたちで「「新型コロナウイルス感染症における喫緊の課題と解決策に関する提言」に関する補足説明」というタイトルの「補足」を発表(感染症学会化学療法学会)しました。そこには、「(両学会は)ウエブ会議を8月中に2回行うとともにメールでの意見交換を行いました。意見をふまえて作成した提言案を、さらに両学会の役員(理事・監事)全員にお示ししてご意見を伺いました。頂いたご意見はさまざまでしたが、提言を出すことに対して反対意見はありませんでした」と、役員全員で議論したと書かれています。岡先生らの主張と食い違っています。

 では、ゾコーバは新型コロナに無効なのでしょうか。それとも少しくらいは有効なのでしょうか。

 薬の有効性について審議する医薬品医療機器総合機構(PMDA)は「ゾコーバによりウイルス量が減少する傾向が認められていることは否定しないが、申請効能・効果に対する有効性が推定できるものとは判断できず、当該試験の第3相パートの結果等を踏まえて改めて検討する必要がある」と報告しています。

 つまり、ウイルス量の減少は認めるが、承認するにはそれだけでは不十分で、薬として市場に出すには「有効性を実証できなければならない」と言っているわけです。普通、「薬」とは飲めば症状が改善することが期待できるものです。PMDAが言うように、「有効性がない」ものを承認するわけにはいきません。

 そこで、塩野義は”奇策”に出ました。データの取り方によっては「有効性がある」と主張したのです。

 ゾコーバは有効性の主要評価項目である12症状(倦怠感または疲労感、筋肉痛または体の痛み、頭痛、悪寒または発汗、熱っぽさまたは発熱、鼻水または鼻づまり、喉の痛み、咳、息切れ〈呼吸困難〉、吐き気、嘔吐、下痢)の合計スコアでは、プラセボと比較して有意差はありませんでした。

 そこで、塩野義は「オミクロン株に特徴的な5症状でなら有効だ」と主張しました。1)鼻水または鼻づまり、2)喉の痛み、3)咳、4)息切れ(呼吸困難)、5)熱っぽさまたは発熱、の5症状に限って解析し直すと、有意差がでた(有効性があった)と訴えたのです。さらに、症状改善までの時間も早くなると言います。

 一般に、科学者は「データのこねくり回し」を嫌がります。というのは、いろいろと条件を変えて何度も解析し直せば、そのうち研究者に有利な数字が出てくるからです。というわけで、塩野義が(都合のいいように)解析し直した主張は認められず、7月20日の審議会で承認が見送られたのです。

 この決定に対し、2つの学会は「塩野義の希望を聞いて承認すべきだ!」と厚労省に抗議し、それに対し岡医師らは「有効性が認められないものを承認するのはおかしい」と学会を批判したというわけです。

 これからの調査によってはゾコーバの有効性が認められる可能性は残っていますが、医学的な常識に照らし合わせて考えると、両学会の提言には私自身も大きな違和感があります。科学的な裏付けがない新薬が承認されるのはあまりにも危険です。

 もしも「現在コロナの薬がひとつもなくて感染してもなす術がなく死亡率が高い」という状態なのであれば、「少しでも命が救われる可能性があるのならダメ元で認可すべし」という考えが出てきます。実際、2020年の春はそのような状態でしたからいくつかの薬が「特例」というかたちで、保険診療でコロナに使うことができました。その代表が「イベルメクチン」です。今も通称「イベラー」と呼ばれる「イベルメクチン信者」が少なくなく、実は太融寺町谷口医院(以下、「谷口医院」)にも(ほぼ)毎日イベラーからの問合せがあります。しかし、いくつもの大規模調査でイベルメクチンのコロナへの有効性は否定されています。

 話をゾコーバに戻しましょう。コロナの薬がまったく存在しない時代ならともかく、現在はゾコーバの立ち位置と同じ、つまり「感染初期に使用して重症化を防ぐ内服薬」にはラゲブリオ(モルヌピラビル)とパキロビッドパック(ニルマトレルビル・リトナビル)があります。そして、これらの有効性及び安全性は(かなりの程度)確立されています。しかし、供給が不安定で、扱っている薬局が少なく、感染者が増えるとすぐに品切れを起こします。特に、パキロビッドパックの流通は不充分で必要な人に処方できていません。

 ならば、ゾコーバの承認を急ぐ前に有効性と安全性が保証されているこれら2つの安定供給にこそ厚労省は力を注ぐべきではないでしょうか。もっと言えば、そもそもこれら2つの薬があるなかでゾコーバの「存在価値」はどれほどあるのでしょう。ここでこれら3つの薬を比較したいと思います。

 医学誌「The LANCET Infectious Diseases」2022年8月24日号に掲載された論文「香港のオミクロンBA.2株の入院時に酸素補給を必要としない新型コロナの入院患者における感染初期のラゲブリオまたはパキロビッドパックの実際の有効性(後ろ向き研究)(Real-world effectiveness of early molnupiravir or nirmatrelvir-ritonavir in hospitalised patients with COVID-19 without supplemental oxygen requirement on admission during Hong Kong’s omicron BA.2 wave: a retrospective cohort study)」では、ラゲブリオとパキロビッドパックが比較されています。結論を言えば、どちらも有効なのですが、パキロビッドパックの方がより有効性が高いと言えます。死亡率でいえば、そのリスクをラゲブリオは52%、パキロビッドパックは66%下げます。重症化リスクは、ラゲブリオが40%、パキロビッドパックは43%下げます。

 双方とも安全性では今のところ大きな問題はありません。ならば、ゾコーバが登場するには少なくともこれら2つの薬と最低でも同等の成績を示さなくてはなりません。

 2022年2月7日、塩野義はゾコーバの臨床試験で「ウイルス力価の陽性患者割合をプラセボ群と比較して約60~80%減少」と報告しました。この数字だけでは他の2種との比較はできません。では「使いやすさ」はどうでしょう。

 実は、ゾコーバのウイルスを抑制する作用メカニズムはパキロビッドパックと同じようなものです。パキロビッドパックは1日2回の内服が必要なのに対し、ゾコーバは1回だけです。さらにパキロビッドパックは他の薬との飲み合わせが複雑なのに対し、ゾコーバはあまり他の薬との相互作用を考える必要がないとされています。また、パキロビッドパックは腎機能が低下している場合に使いにくいというデメリットがあり、ゾコーバにはそれがないとされています。これらの特徴はゾコーバに有利と言えます。

 では、現在入手できるデータからゾコーバとパキロビッドパックの「有効性」を比較してみましょう。薬を評価するときに使われる指標のひとつに「EC50」と呼ばれるものがあります。これは、「50%効果濃度(half maximal Effective Concentration)」とも呼ばれ、「薬の効果が最大になる半分のときの濃度」で、分かりやすく言えば「EC50が小さいほどその薬の効果は大きい」となります。そのEC50がパキロビッドパックは78nM(ナノメートル)という論文があります。一方、ゾコーバは370nMという報告があります。この数字だけを比べると、ゾコーバが不利です。

 私が聞いたところによると、パキロビッドパックの処方に消極的な医師がそれなりにいて、その理由は「腎機能をチェックしてられない。自分が飲んでいる薬を理解していない患者もいるから相互作用が考えられない」だそうです。「これだけ面倒くさい薬には手を出したくない」という声もあるとか……。

 谷口医院の場合はこういった問題はほとんどありません。そもそも谷口医院の発熱外来は「かかりつけ患者のみ」(この方式を大阪府では「Bグループ」と呼びます)としているため、受診者の腎機能や内服薬はあらかじめ分かっています。また、以前から(過去は外国人に対してだけでしたが現在は日本人にも)抗HIV薬を積極的に処方していますから、飲み合わせに悩むことも(ほとんど)ありません。実はパキロビッドパックの飲み合わせが難しいのは成分の1つの「リトナビル」が複雑だからで、リトナビルはHIVの定番の薬なのです。

 ただし、製品が流通されないのなら元も子もありません。パキロビッドパックは2022年2月1日に200万人分がファイザー社から日本政府に供給されることが決まったはずです。この200万人分はすでに必要な患者さんに処方されたのでしょうか。それとも、どこかの倉庫に眠ったままなのでしょうか。ゾコーバの承認よりも、パキロビッドパックの流通を安定させてほしい、というのが私の個人的希望です。

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2022年8月18日 木曜日

第228回(2022年8月) GLP-1ダイエットが危険な理由~その2~

 「はやりの病気」第223回「GLP-1ダイエットが危険な理由」では、その「危険な理由」として、肥満どころか、やせている女性、さらには拒食症を患っている女性にさえ、気軽にGLP-1受容体作動薬を処方(というよりは”販売”)している医療機関の存在を指摘しました。

 今回は、例えばBMIが30以上といったあきらかな肥満がある場合でも、やはりこのダイエットが危険である理由について述べたいと思います。

 現在GLP-1ダイエットの先陣を切っているのは、デンマークのノボ・ノルディスクファーマ社(以下、「ノボ社」)です。市場に最も早く登場したGLP-1ダイエット薬「サクセンダ(Saxenda)」もノボ社の薬品です。日本では一部のクリニックが自費診療でこの薬を”販売”(ここからは「販売」で通します)していますが、アイルランド、オランダ、スイスなどでは肥満に対して保険適用されています。

 しかし、現在ノボ社が最も注力しているのはサクセンダではなく、セマグルチド(Semaglutide)で、日本では糖尿病の薬(注射薬・内服薬の双方があります)として保険診療にて処方されています。日本での商品名は、注射薬は「オゼンピック」、内服薬は「リベルサス」です。

 ノボ社によると、サクセンダよりもセマグルチドの方がダイエット効果が高く、また、注射の場合、サクセンダは毎日注射しなければならないのに対し、セマグルチドは週に一度でOKです。週に一度でよくて効果がより高いわけですから、ノボ社としてはセマグルチドに力を注ぐのは当然です。また、サクセンダにはない内服薬(リベルサス)があるわけですから、この点も、今後セマグルチドを普及させやすい理由になるでしょう。実際、日本の美容クリニックなどではオゼンピックよりもリベルサスが積極的に宣伝されているようです。

 ただし、現在ノボ社の世界的な戦略は、日本とは異なり、内服(リベルサス)ではなく注射薬を販売促進しています。商品名はオゼンピックではなく、Wegovy(日本語にすると「ウェゴビー」でしょうか。

 すでに、Wegovy専用のウェブサイトが作成されています。そして、ノボ社はWegovyの売り上げ目標を2025年までに37億ドル(約4930億円)にすると公表しました。これまでの目標から2倍以上引き上げたことになります。

 この目標を到達すべく、ノボ社の社員は色めき立っています。英紙Financial Timesの取材に答えたノボ社のある社員は「このホルモン(GLP-1)の発見者はノーベル賞に値する!」と力説しています。Financial Timesのこの記事を読んでいると、この社員が取材に対し興奮している様子がありありと伝わってきます。この社員は「GLP-1は製薬業界のスイスアーミーナイフだ!」と形容し、GLP-1受容体作動薬が糖尿病、肥満のみならず、腎疾患、非アルコール性脂肪肝炎(NASH)、さらにはアルツハイマー病の治療にも使えることを主張しています。

 ノボ社のこの社員が言うように、GLP-1受容体作動薬が、腎疾患や非アルコール性脂肪肝炎の治療薬として有力視されているのは事実です。ですが、スイスアーミーナイフに例えているということは、GLP-1受容体作動薬をまるで「夢の万能薬」として捉えているような印象を受けます。

 GLP-1ダイエット薬が莫大な利益を期待できる以上、他社も黙っていません。Financial Timesの別の記事によれば、イーライリリー社が「Tirzepatide」(日本語では「チルゼパチド」でしょうか)を上市することが決まっています。なんと、この薬、同社のデータによると、使用者の3分の2が体重20%減少に成功したというのです。セグマチルドと直接比較した研究は見当たりませんが、この数字だけをみればセグマチルドよりもTirzepatideの方が効果が高い可能性があります。

 新型コロナウイルス関連で次々と”ヒット作”を送り出しているファイザー社も黙っていません。また、新型コロナのワクチンで脚光を浴びたアストラゼネカ社や、新型コロナの特効薬カシリビマブ/イムデビマブ(ロナプリーブ)を開発したリジェネロン社、さらには製薬界のスタートアップとして注目されているVersanis社やGelesis社もGLP-1ダイエット薬の販売を狙っています。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの複数の製薬会社が鎬を削っているのです。ここに日本の製薬会社が入っていないのは少し寂しい気がしないでもありません……。

 薬というのは、食品や化粧品と異なり、CMなどで直接消費者にアピールすることはできません。そこでノボ社がとった方法はクイーン・ラティファを起用したプロモーションビデオです。そのタイトルはIt’s bigger than me. タイトルにはおそらく「本当の私より脂肪がついているこの身体は病気なの。だから”治療”をおこなって病気をなおさなければ」というニュアンスが含まれているのでしょう。このビデオにはノボ・ノルディスクファーマ社という社名もセグマチルドという薬の一般名もWegovyという商品名も一切出てきません。まずは消費者(肥満者、というよりもやせたいと思っている人)に「肥満は治療可能な病気だ」ということを訴えたいのでしょう。

 GLP-1ダイエットの効果が高いのは事実だとして「欠点」を考えてみましょう。まず費用です。米国ではWegovyは1ヵ月あたり約1350ドル(約18万円)もします。これは自費の値段ですから保険であればずっと安くなるはずです。ところが、米国の高齢者向けの公的医療保険「メディケア」では保険適用が認められていません。一部の私的保険では認可されているようですが、上述のFinancial Timesによれば、申請すれば無条件で適用となるわけではないようです。

 日本では主流の内服のリベルサスはこの米国の費用から考えると驚くほど安く、月に15,000円ほどですから米国の10分の1以下となります。その程度なら痩せるための”必要経費”と考える人もいるでしょうが、経済的に続けられない人も少なくないでしょう。

 では、中止すると何が起こるか。当然体重の「リバウンド」が起こります。Financial Timesの取材によれば、ある経験者は、薬を止めると体重が7%増えました。また、薬を止めてから1週間も経たないうちにパニック発作に襲われた人もいます。

 リバウンドについて言えば、過去のコラム「はやりの病気」第214回(2021年6月)「やってはいけないダイエットとお勧めの食事療法」で紹介したように、ダイエットをやめたときのリバウンドは”必然”とさえ言えます。これから言えることは「ダイエットをするならば一生続けられる方法を選ばなければならない」ということです。

 では、「GLP-1ダイエットを死ぬまで続ける」という考えはどうでしょうか。その場合は、安全性、つまり副作用について慎重に考えなければなりません。ここで、過去の「ダイエット薬」が中止に追い込まれた歴史をみてみましょう。

・アンフェタミン(1930~60年代):覚醒剤ですから危険性は言うまでもありません。尚、日本でも保険適用のあるサノレックス(マジンドール)はアンフェタミン類似物質であり、添付文書にも「依存性について留意すること」と記載されています。覚醒剤(類似物質)ですから、当然「耐性」もでてきます。

・フェンフェン(1990年代):フェンフルラミンとフェンタミンを組み合わせたダイエット薬。米国では一大ムーブメントとなったが躁状態になるリスクと弁膜症のリスクで販売中止に

・リモナバント:2006年に欧州各国で承認されたが、抑うつ感や自殺企図などが高頻度で生じることが判り2008年に発売中止

・シブトラミン:日本ではエーザイにより2007年に医薬品製造販売承認が申請されたが、副作用が強く2009年9月26日に却下された

・甲状腺ホルモン:ネットで入手できる「いかがわしいやせ薬」に含まれていることがある

・ベルヴィーク:2020年に発がん性を理由に米国FDAが承認を取り下げた

 尚、動物実験とはいえ、ノボ社のセグマチルドにより甲状腺がんが発生しています。ちなみに、安全性と有効性が共に高いダイエット治療には、BMIが35以上などの条件を満たせば「肥満手術」があります。

 では、そこまで手術の適応を満たさない場合、効果的で安全なダイエットをするにはどうすればいいでしょうか。谷口医院で昔から推薦しているのは、総摂取カロリー制限(または糖質制限)+有酸素運動(+筋トレ)+食事前の水(または牛乳か豆乳)摂取です。反対に「絶対にすべきではないダイエット」として言い続けているのが、方法は何であれ「期間限定のダイエット」です。

参考:
はやりの病気:
第223回2022年3月「GLP-1ダイエットが危険な理由」
第214回(2021年6月)「やってはいけないダイエットとお勧めの食事療法」
メディカルエッセイ:
第94回(2010年11月)「水ダイエットは最善のダイエット法になるか」
医療ニュース:
2013年9月30日「デキサプリンを飲まないで!」
2009年10月26日「タイ産やせ薬で相次ぐ死」


投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2022年7月21日 木曜日

第227回(2022年7月) 「将来のビジョン」を描くことで精神症状を治す

 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)は「精神科」を標榜していませんが、「心(精神)の調子が悪く診てほしい」という依頼は2007年の開院時からあります。頼まれれば無条件で診察する、というわけではなく、できるだけ希望は聞くようにしますが、初めから精神科を紹介する場合もあります。

 しかし、いつの頃からか「精神科を受診したけれどうまくいかなくて……」という訴えが増え始め、現在ではそういう患者さんは谷口医院で診るようにしています。どのような患者さんが多いかというと、最も多いのが「精神科で処方される薬を使いたくない」あるいは「精神科で処方されている薬を止めたい」という希望をもっている人です。

 今回は、そういった人たちに谷口医院ではどのような治療をしているかを紹介したいと思います。尚、巷には「精神科医は一切不要」とする「精神科医不要論」があるようですが、私はそういった考えには与しません。ただ、精神科の薬を止めたいといって受診する患者さんのなかには、たしかに「はじめからこんな薬、要らなかったのでは?」と思わざるを得ないケースがあるのは事実です。

 元々私は谷口医院を開業する前から「薬(や検査)は最小限」と言い続けてきました。Choosing Wiselyという概念が登場したときに、すぐに飛びついたのも元々私が考えていたことと一致したからです。もっとも、こういう考えは私のオリジナルではなく、大学の総合診療の現場では以前から徹底されています。私が研修医の頃も、上司に自分が診た事例の報告をすると「その検査は本当に必要だったのか」「その薬はどうしても処方しなければならなかったのか」といったことを厳しく追及されました。

 さて、精神疾患について。開業当初よりも現在の方が、私の処方量(処方する薬の量/精神症状の訴え)は減っています。そうなったきっかけはいくつかありますが、ここでひとつ挙げるとすると、以前のコラムでも紹介した2012年9月に起こった「目黒区社長夫人マイスリー息子殺害事件」です。当時42歳の社長夫人がマイスリーを飲み、意識がないなかで5歳の我が息子を殺めました。目と口をガムテープでふさぎ、ビニール紐で身体を縛り上げ、さらには家庭用ゴミ袋を二重に被せてガムテープで密閉したのです。

 この社長夫人はマイスリー以外にもアルコールも飲んでいたと報道されていますが、アルコールなしでの高齢者によるレイプ事件も起こっています。2012年3月、明石市の総合病院で当時72歳の男性が深夜に女性部屋に忍び込み、当時87歳の女性に襲いかかったのです。

 これらの事件が報道されてから、私はマイスリーを処方している患者さん、及びこれから処方する患者さんのほぼ全員に事件の話をしています。すでにマイスリーを飲んだことのある患者さんのなかには、「夜中に友達に電話していたことを翌日の携帯を見て知った」とか「朝起きるとお菓子を食べ散らかしていたことが分ったけど記憶がない」といったエピソードを話す人もいます。そして、必ずしもアルコールは伴っていません。

 ベンゾジアゼピン系及びその類似薬品(マイスリーはこちらに入ります)は過去のコラム「本当に危険なベンゾジアゼピン依存症」などで述べましたから繰り返しませんが、ここでは「依存性の強い薬は安易に使うべきではなく、仮に使い始めたとしてもできるだけ早く離脱することを考えなければならない」という基本を確認しておきましょう。

 では、すぐに効いて患者満足度の高いベンゾジアゼピン系を使わないとすれば、不眠や不安、うつ状態にはどのような治療をおこなえばいいのでしょうか。比較的副作用が少なく、依存性がない薬もいくつかあるので、必要があればそういった薬剤の処方をすることもありますし、代替として漢方薬を処方することもあります。けれども、今回は「薬以外」の方法を紹介します。

 まずは「運動」が挙げられます。これは世界的に周知の事実で、例えば英国の国民保健サービス(NHS)も、米国のメイヨークリニックも、ハーバード大学も精神症状に対する運動を推奨しています。谷口医院の患者さんでも効果が出ていますし、診察室では「どのような運動を始めるか」について私が患者さんに助言しています。

 今回のコラムでは、その「運動」と共に私が一部の患者さんに勧めている「将来のビジョンを描く」について紹介しましょう。これは「将来のビジョンを明確に描くことにより、不安感や抑うつ感を解消する方法」です。この方法を思いついたのは、谷口医院をオープンする前にタイで出会った当時40歳のうつ病を患っている男性との会話がきっかけです。そして、その話は過去のコラム「お金に困らない生き方~4つの秘訣~(前編)」でもしました。ここではもう一度、その男性のセリフを紹介しましょう。

「一生食べていける大金をもらえるか、安定した仕事に就けるなら、僕のうつ病はすぐに治ります。世の中のうつ病の大半は単にお金がないことが原因なんですよ……」

 この男性の言葉に反論できる人はどれだけいるでしょう。もちろんお金があれば何もかも解決するわけではありませんし、この説は飛躍しすぎています。ですが、お金があれば「この先食べていけるか不安……」という悩みは解決しますし、将来病気を患って頼れる人がいなかったとしても、ある程度のお金があればたいていはなんとかなります。

 けれども、例えば「現在の仕事は辛くて続けられない」「仕事は続けたいけどあの上司の下ではこれ以上働けない」「履歴書をいくら送っても仕事にありつけない」といった場合はどうでしょう。仕事がない、あるいは失うかもしれない、といったときに抑うつ感や不安感がゼロでいられる人はそうはいないでしょう。こんなときに気分がすぐれないからといって向精神薬を内服して問題が解決するでしょうか。

 それならば、たとえ現状が苦しくても、不安感や抑うつ感や不眠に苦しめられながらでも将来のビジョンを思い描く方がずっと健全です。私がよく患者さんに問いかける言葉は、「5年後にはどんな生活をしていたいですか?」というものです。「同じ職場にいたいですか?」と聞くと、半数以上の人は「できるなら別のことをしていたいです」と言います。そこで、「それを実現するには1年後にはどのようなことができるようになっている必要があるでしょう」、さらに「では1年後そうなるためには今日からできることは何かありませんか?」と聞きます。ここまでくると、不安や抑うつ感を感じているヒマなどない、という考えに至る人もいます。

 高齢者の場合は「あなたはいくつまで生きる予定ですか?」と聞くこともあります。このような質問は、患者医師関係が構築できてからにすべきですが、ときには初診時に尋ねることもあります。次に「ではそれまでにやりたいことを全部やるようにしませんか」というふうに話をもっていきます。そもそも、高齢者に対してはよほどのことがない限り、向精神薬を使うべきではありません。もちろん、それ以外の薬も安易に使うべきではありません。健診の結果が少々基準から離れていても必ずしも薬が必要になるわけではないのです。すぐに「検査、検査」という人がいますが、谷口医院では「検査はいつも最小限」を徹底しています。ですから、特に高齢者の場合、初診時には診察代のみとなることも多々あります。

 この「将来のビジョンを描いて精神状態を健全に保つ」という方法、スランプに陥った精神状態を改善させるだけでなく、人生に元気と勇気を与えてくれます。現状に満足できていなくても、将来に明るいビジョンを持つことさえできればなんとかやっていけるものなのです。

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2022年6月12日 日曜日

第226回(2022年6月) アトピーの歴史は「モイゼルト」で塗り替えられるか

 「はやりの病気」でアトピー性皮膚炎(以下、単に「アトピー」)を取り上げる機会がここ数年で増えてきています。その理由はいずれも「画期的な新薬が登場した」からであり、今回もまた新たな新薬が登場したが故に再び取り上げることにしました。

 今回はその新しい薬「モイゼルト軟膏」の話をする前に、「アトピー性皮膚炎の治療の歴史」をまとめておきましょう。

1999年まで:ステロイドしかなかった時代
1999年:タクロリムス軟膏登場
(2007年:当院開院)
2008年:シクロスポリン登場
2018年:デュピクセント®(注射)登場
2020年:コレクチム®軟膏登場
2020年:オルミエント®登場
2021年:リンヴォック®登場
2021年:サイバインコ®登場
2022年:モイゼルト®軟膏登場

 まず、1999年までは効果のある薬はステロイド外用くらいしかありませんでした。そのため、「ステロイドを塗ればよくなるけれどもやめれば悪化する。そしてそのうちに取り返しのつかない副作用に悩まされる……」ということが多かったのです。

 私の見解を言えば、ステロイドによる最も多い副作用は「酒さ様皮膚炎」です。顔面の、特に鼻や鼻の周囲、頬部、口の周りに赤い炎症が起こり、これが治らないのです。酒さ様皮膚炎は比較的少ない量のステロイドでも起こり得ます。さらに進行すると、全身の皮膚が薄くなり、そんなに強い力を加えなくても皮膚に触れると皮がめくれるようになります。ここまでくるとどうしようもありません。

 1999年までは(それ以降も)ステロイド以外の治療としていろんなものが試みられましたが、私の印象で言えば、一部の漢方薬を除けば有効といえる薬はほぼありません。漢方薬も、効く人もいるけれど効かない人の方が多い、といった感じで、おおざっぱにいえば(患者さんには失礼な言い方ですが)1999年までのアトピーは「どうしようもない病気」だったのです。そういう背景もあり、多数の民間療法やアトピービジネスが蔓延しました。

 タクロリムス(先発の商品名は「プロトピック」)は画期的な製品でした。なにしろ「もうステロイドを使わなくてもアトピーを治すことができる」という噂が広がり、「夢の薬」という声もあったほどです。

 けれども、実際には当初期待されていたほどには普及しませんでした。この経緯については2011年のコラム「アトピー性皮膚炎を再考する」にも書きましたが、ここでもポイントだけを振り返っておくと、「タクロリムスを使えない」という人は「タクロリムスを始める地点にまだ立っていない」のです。

 強い炎症を取ることができるのはステロイドを置いて他にはありません。ですが、どれだけ重症であっても、ステロイドを1週間も外用すればまず間違いなく症状をゼロにできます。そして、この状態になって初めてタクロリムスの出番となります。その後は、タクロリムスを適切に使用すればステロイドはその後(頭皮以外は)不要となります。

 ではタクロリムスは塗るタイミングを誤らず、その後適切に塗っていれば、もう何も心配ないのかと言われれば、そういう人も多いのですが、そうでない人もいます。「感染症のリスク」があるからです。若い人の場合、タクロリムスでアトピーの再発を防げたとしても、ニキビ、ヘルペス、脂漏性皮膚炎といった病原体が関与する疾患が生じることがあります。

 特にニキビは厄介で、元々ニキビ肌ではないのに、タクロリムスを使用し始めたがために発症するようになり、そのためにニキビの予防薬を外用しなければならなくなったという人もいます。すると、皮膚症状がまったくないのに、アトピーの再発予防目的でタクロリムスを外用し、そのタクロリムスの副作用で生じ得るニキビを防ぐためにニキビの予防薬を塗らなければならなくなります。これはかなり面倒くさいことです。

 少し補足しておくと、ニキビ予防に保険診療で処方できるのはディフェリンゲルとベピオゲル(いずれも商品名)で、発売されたのはそれぞれ2008年10月、2015年4月です。これらが発売されるまでは有効なニキビの予防薬もなく、そのため谷口医院では、ディフェリンを海外から輸入して処方していました。尚、アゼライン酸(商品名AZAクリア)も優れたニキビの予防薬ですが、なぜか日本では化粧品扱いとなり保険適用はありません。

 アトピーには極めて有効だけれど、ニキビなどの感染症のリスクとなるというのはタクロリムスの欠点と言えます。そして、この問題をほぼ克服したのが2020年6月に発売となったコレクチム(商品名)です。コレクチムもJAK阻害薬と呼ばれる免疫抑制剤の一種であるため、ニキビなどの感染症の発症が懸念されていたのですが、発売前の調査では頻度は少なく、また発売後の市場調査でもそれほど多くありません。谷口医院の患者さんを診ていてもコレクチムがニキビで使えないというケースはほぼ皆無です。タクロリムスとコレクチムは作用メカニズムがまったく異なりますが、イメージでいえば「コレクチムはタクロリムスの欠点を克服した薬」です。

 そして、2022年6月1日、そのコレクチムに続く外用薬「モイゼルト軟膏」が発売となりました。この薬も作用メカニズムは、タクロリムスやコレクチムとはまったく異なります。3種のなかでは免疫抑制作用が最も弱く、副作用も最も少ないことが予想されます。ただ、実際にはコレクチムの患者満足度がかなり高いために、モイゼルト軟膏はそれほど広がらない可能性もあります。

 ですが、待望の新薬ですから谷口医院では発売された6月1日以降、コレクチムかタクロリムスを使用している(ほぼ)すべてのアトピーの患者さんに、モイゼルト軟膏を「お試し」というかたちで処方しています。本稿執筆時点(6月12日)でその後再診された患者さんは2人います。「コレクチムvsモイゼルト」の印象を尋ねると、コレクチム派が1人、モイゼルト派が1人と意見が別れています。

 ところで、アトピーの新薬という話になると、学会では過去のコラム「アトピー性皮膚炎の歴史が変わるか」「アトピー性皮膚炎の歴史を変える「コレクチム」」で紹介したような、高価な薬が取り上げられます。3割負担で年間50万円から100万円もするこういった薬、効果が高ければいいではないかという人もいるでしょうが、副作用のリスクが高すぎて安易には使えません。

 これら過去のコラムでも述べたように、いずれも免疫抑制作用が強すぎるのです。ここで、冒頭で述べた「歴史」に戻りましょう。実は2008年にシクロスポリンという極めて効果の高い内服薬がアトピーに使われるようになりました。しかし普及したとは言えません。その最大の理由は「副作用が強すぎて使えない」です。強力な免疫抑制作用があるために、感染症、さらには悪性腫瘍のリスクが上昇するのです。

 では、2018年に発売されたデュピクセント、2020~21年に使用できるようになった3種の内服薬はどの程度のリスクがあるのかというと、少なくとも添付文書上のリスクはシクロスポリンとほとんど同じです。「生ワクチンが接種できない」はすべてに共通しています。シクロスポリンの添付文書には、いったん治ったB型肝炎ウイルスの活性化、敗血症、悪性リンパ腫や他のがんのリスクなどが記載されていて、これらはオルミエント、リンヴォック、サイバインコのものにも同様の注意が書かれています。また、これら3種の内服薬の添付文書には結核のリスクについても言及されています。

 つまり、現在学会などで盛んに取り上げられ、各製薬会社が資金を投入してPR活動をしているデュピクセント、オルミエント、リンヴォック、サイバインコは、副作用のリスクが高すぎて普及しなかったシクロスポリンと、同等とまではいえませんが、同じようなリスクがあり、また費用は驚くほど高いのです。

 というわけで、今後のアトピー性皮膚炎の治療は「タクロリムス、コレクチム、モイゼルトの3種の外用薬を、効果、費用、副作用の3点に注意しながら各自それぞれの方法で使い分けていく」ということになるでしょう。

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