はやりの病気

2023年11月19日 日曜日

第243回(2023年11月) GLP-1受容体作動薬で依存症の治療ができるか

 2023年3月に、ダイエット(正確には「肥満症の治療」)目的として保険で処方できることが承認されたのにもかかわらず、長い間「薬価収載」されずに発売が延期になっていた「ウゴービ」(一般名はセマグルチド)が、11月22日についに薬価収載されることが決まりました。正確な発売日は未定ですが、おそらく12月には処方できると思われます。

 GLP-1ダイエットについては過去に何度か取り上げ危険性も指摘しましたが、基本的には使用者は増加の一途をたどると私はみています。最大のリスクは自殺念慮と自傷行為で、EMA(European Medicines Agency、欧州医薬品庁)の安全委員会が注意喚起を促しています。実際、谷口医院の患者さんのなかにも自殺や自傷までは進まなくても抑うつ状態になる人はいます。

 ただし、それらは重篤なものではなく「食べる楽しみを失って……」とか「パーティに行きたくなくなった。行っても飲み食いする気持ちになれなくて……」という感じで、食欲がなくなることに起因する軽度の抑うつ状態であるため、そういった副作用があることを事前に承知してもらい、なおかつかかりつけ医が見守りながら続けるのであれば、たいていはそう大きな問題ではないと思います。

 これまでGLP-1ダイエット(正確には「GLP-1受容体作動薬を用いたダイエット、以下は単に「GLP-1ダイエット」とします)をしている人をみてきた私が不思議に感じることが3つあります(尚、谷口医院ではダイエット目的でGLP-1受容体作動薬を処方したことは一度もありません。ダイエットしている人を診ているのは谷口医院では別のことでかかっているからです)。

#1 まったく、あるいはほとんど効果がない人がいる。おそらく全体の1割程度。

#2 食欲がなくなるだけでなく摂食障害が大きく改善する人がいる

#3 食のみならず、飲酒、さらに買い物やギャンブルなどへの衝動が抑制できるようになる人もいる

 #2については、最初の一人から聞いたときは「食欲がなくなるのだからあり得るだろう」と思ったのですが、よく考えてみると摂食障害というのはそんなに簡単に治る疾患ではありません。精神科医でさえも診察を嫌がることが少なくなく紹介しても断られて戻って来ることが多く、そのため、結局谷口医院で診ることになるのです。

 そもそも摂食障害というのは「満腹でも食べなければならないという思いが頭を支配する」と表現する人もいるほどで、他人より空腹感が強いから起こるわけでは決してありません。ですから、食欲が低下したからといって摂食障害までが良くなるとは思えないのです。しかし、実際に改善(しかも大きく改善)する人がいます。

 さらに#3です。食欲は低下したとしても、アルコールに対する欲求までが減るのはなぜなのでしょう。飲酒はまだ口にするものですから理解できるとしても、買い物やギャンブルへの衝動が低下するのはなぜなのでしょう。

 食欲低下、特に嗜好品に対する欲求がどれだけ変化するのかをみてみましょう。ニューヨークに本社を置くモルガン・スタンレーがGLP-1ダイエットを開始した300人を対象とした興味深い調査を実施しました。「Healthier categories see a boost in consumption by patients after starting on AOM(抗肥満薬の開始後、より健康的なカテゴリーの食品の消費が増加)」というタイトルのグラフに注目してみましょう。「健康に悪い」のが自明な飲食物の摂取量が大きく減っているのがわかります。

 例えば、GLP-1ダイエットを開始してスイーツ(Confections)の摂取量が減った人が72%。清涼飲料水(Carbonated / sugary drinks)は70%、スナック菓子(salty snacks)は67%、アルコールは66%もの人たちが消費量を減らしています。一方、その逆に野菜や果物の摂取量が増えた人が54%もいます。

 「Patients report the most significant changes to fast food and pizza restaurant trips(患者はファストフードやピザレストランへの利用に最も大きな変化があったと報告)」というタイトルのグラフもみてください。77%もの人が「ファストフード店の利用が減った」と回答しています。

 モルガン・スタンレーのアナリストPamela Kaufman氏は、「食品、飲料、レストラン業界では、不健康な食品、高脂肪食、甘いもの、塩辛いものに対する需要が低下するだろう」と述べています。同社は、GLP-1ダイエットが流行した結果、炭酸飲料、焼き菓子、塩味のスナックの総消費量は2035年までに最大3%減少するとみています。実際、すでにウォルマートはGLP-1ダイエットをしている人たちの食品購入の減少を実感していると発表しています。

 さらに驚く報告を紹介しましょう。医学誌「nature」はGLP-1ダイエットによりアルコール、ニコチン、さらにギャンブルへの欲求が低下する可能性について言及しています。

 具体的な論文をみてみましょう。まずはアルコールです。好んで飲酒をすることが知られているアフリカベルベットザルにGLP-1受容体作動薬を投与した研究があります。結果は、プラセボ投与群に比べてGLP-1作動薬を投与したグループのサルは、アルコール消費量が有意に減少していました。ラットを用いた別の研究でもGLP-1受容体作動薬がアルコール消費量を減少させることが分かりました。

 日本に比べて米国ではアルコール依存症に苦しむ人が多いのですが、その米国でアルコールよりも遥かに深刻なのが麻薬依存です。そして、なんとGLP-1受容体作動薬は麻薬(オキシコドン)の依存も減らすという研究があります。さらに、コカインへの渇望が減るとする研究もあります。

 米国紙「The Atlantic」の記事によると、GLP-1受容体作動薬はアルコール、ニコチン、オピオイドなどの薬物のみならず、買い物、爪を噛む、皮膚をむしるといった依存症、あるいは強迫行動を改善させることができると報告しています。これは私見ですが摂食障害の病態は「依存症+強迫障害」です。この記事が言うように、GLP-1受容体作動薬で依存症と強迫行動が改善するなら、摂食障害の治療に使える可能性があります。

 谷口医院では禁煙治療のみならず、(受け入れてくれる精神科の医療機関がないために)覚醒剤(メタンフェタミン)を代表とする薬物依存の患者さんも診ています。そして、治療の困難さを日々実感しています。一時は自助グループやグループセッションに積極的に紹介していたのですが、こういった試みもうまくいった試しがほとんどありません。もしもGLP-1受容体作動薬の投与で改善するのなら、少なくともその可能性があるなら試してみる価値はありそうです。

 ただし、肥満も糖尿病もない患者さんに保険診療でGLP-1受容体作動薬を処方することはできませんし、自費診療によるこういった薬の処方も谷口医院ではおこなっていません。覚醒剤依存症の人は例外なく肥満はありません(というより全員がやせています)から、そもそも現時点では処方が不可能です。もしも将来、依存症の治療に使うことができるようになったとしても、全員に効くわけではありません。これは上述の論文でも指摘されていて、効く人と効かない人がいるのです。上記#1で述べたGLP-1受容体作動薬を使ってもやせない人が一定数いることと関係があるのではないかと私は考えています。

 しかし、すべての事例に有効なわけではないにせよ、他に有効な治療法のない依存症に対してGLP-1受容体作動薬が効くかもしれないというのは夢のある話です。

参考:はやりの病気

第239回(2023年7月) 「GLP-1ダイエット」は早くも第3世代に突入?!
第228回(2022年8月) GLP-1ダイエットが危険な理由~その2
第223回(2022年3月) GLP-1ダイエットが危険な理由

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2023年10月15日 日曜日

第242回(2023年10月) 間違いだらけの男女の更年期障害のホルモン治療

 副作用のリスクをきちんと認識していなければ取り返しのつかないことになりかねないのが「更年期障害」のホルモン治療です。

 谷口医院では(旧・谷口医院の)開院時の2007年から女性の更年期障害のホルモン治療を実施しています。他方、男性の更年期障害については、テストステロンの処方については今もしておらず、希望者には薬局で、もしくは通販で外用薬を購入してもらっています(後述するように注射のリスクは相応にあるからです)。

 男女とも更年期障害のホルモン治療は、谷口医院で開始するよりもむしろ、他院での治療を引き継ぐ、あるいは他院で実施していた方法を変えるケースが多いという特徴があります。「引き継ぐ」はともかく、なぜ「方法を変える」必要があるのでしょうか。それは誤った使用をしている人が少なくないからです。

 女性の更年期障害のホルモン治療から始めましょう。女性が更年期障害に苦しんでいたとしても、必ずホルモン治療を実施しなければならないわけではありません。実際、谷口医院でも漢方薬のみで治療をしている人もそれなりにいます。

 しかし、谷口医院では年々ホルモン治療に移行する、あるいは漢方治療にホルモン剤を加える人が増えてきています。その最大の理由は更年期障害に使えるすぐれたホルモン剤の種類が増えたからですが、他院での処方を変更することも少なくないからです。例を挙げましょう。

 前医が間違っていると言うことはこの世界ではご法度なのですが、それでも例外的にそれを患者さんに言わねばならないことがあります。1つ目は、子宮があるのにも関わらず卵胞ホルモン(エストロゲン)のみ投与されていて黄体ホルモン(プロゲステロン)が処方されていないような事例です。女性に卵胞ホルモンのみを投与すれば、子宮内膜が増殖するリスクがあります。増殖するだけならいいかもしれませんが、これは子宮体がんのリスクです。そのリスクを下げるために黄体ホルモンを必ず併用しなければならないのですが、なぜかその説明すら聞いていない人がいるのです。

 さらに重要なのは、黄体ホルモンを併用していればそれで完全に安心できるわけではないことです。定期的に経腟超音波検査をして子宮内膜が増殖していないかどうかを確認せねばなりません。ところが、この検査を受けていないどころか、そんな話は聞いたことがない、という人がいるのです。そこで、そういう人たちには、経腟超音波検査のみを谷口医院でおこなって、ホルモン剤はこれまで通り近所の婦人科クリニックでの処方を続けてもらうわけですが、これはおかしい、というか滑稽ですらあります。総合診療科の谷口医院が経腟超音波検査を実施して、婦人科でホルモン剤の処方だけをする、というのはこれが「逆」ならまだ分かるのですが、おかしいのは自明です。そこで結局谷口医院ですべて実施することになるのです。

 上記2つに比べると頻度はぐっと減りますが、(過去の子宮筋腫などで)手術で子宮をとっているのにもかかわらず更年期障害のホルモン治療でプロゲステロンが併用されているケースも何例かありました。この場合、プロゲステロンにはまったく意味がありません。そもそもプロゲステロンは子宮体がんを防ぐために服用するわけですから、その子宮がないのであれば不要です。

 これと似たような「おかしな治療」がトランス女性(生物学的には男性で性自認は女性)へのホルモン治療で、なぜかプロゲステロンが併用されている事例です。トランス女性の場合、元々子宮はありませんからプロゲステロンにはまったく意味がありません。にもかかわらず双方のホルモンの注射をされているトランス女性がそれなりにいるのです。

 ちなみに、谷口医院では積極的なトランス女性へのホルモン治療は実施していませんが、外国人にだけは以前から治療しています。これは英語で対応してくれるトランスジェンダーへのホルモン治療を実施しているクリニックが(複数のメーリングリストも使ってさんざん探しましたが)ないからです。

 外国人の場合、母国での治療をそのまま引き継ぐことがほとんどです。興味深いことに、海外ではホルモン剤を注射で投与されていることはほとんどなくて、ほぼ全例が内服薬を使います。内服であれば副作用が生じたときに投与量を調節しやすいので(注射はうってしまえばなかなか排出されない)安全だと言えるのですが、なぜか日本ではほぼ全例が注射なのです。しかし、実際には「注射でなく飲み薬で治療を受けたい」というトランス女性も少なくありません。そこで、少し前から谷口医院では、そういう人には内服でのホルモン治療を開始しています。

 エストロゲンを用いた女性(トランス女性を含む)への治療の場合、他に注意しなければならないのは乳がんのリスク(トランス女性もリスクがあります)、血栓症のリスク、肝機能障害などで、これらも定期的なチェックが必要です。

 このように書くと、なんだかホルモン治療は面倒くさそうに思えてきますが、実際にはそんなことはありません。必要な検査はすべきですが、得られる恩恵がたくさんあって、かなりの女性が「一生やめたくない」と言います。そして、谷口医院ではそのつもりで治療を続けている淑女の方々も少なくありません。

 男性の注意点も述べておきましょう。男性の場合は、「谷口医院で更年期の治療をしている」、というよりは、狭義には「谷口医院で更年期の治療をやめてもらった」ケースが圧倒的多数です。上述したように、前医の悪口を言えないのが我々のルールなのですが、「リスクを知らされていない人たち」があまりにも多いのです。

 男性更年期のホルモン治療にはテストステロンの注射か外用薬を使います(海外では内服薬もありますが日本では入手困難です)。注意点はいくつもあるのですがここでは3つを紹介します。

 まず、男性のテストステロンの場合、女性とは異なり、いわゆる「ネガティブ・フィードバック」がかかります。つまり、外からテストステロンを投与することにより、内因性(endogenous)のテストステロンが体内でつくられにくくなる可能性があるのです。このジレンマを「諸刃の剣( double-edged sword)」と表現した論文もあります。

 例えば、高齢者で、血中テストステロンレベルが常に異常低値を示し、回復の見込みがないようなケースではテストステロン補充療法は有意義な治療です。ですが、40~50代、ときには30代の男性が前医で(じゅうぶんな説明もないまま)注射をうたれ、そして疑問を感じて谷口医院を受診、というケースが目立つのです。「テストステロン補充療法を続けることで、天然のテストステロンが生成されなくなるリスクがありますよ」という説明をすると(ほぼ)全員が「そんなリスクがあるのならやめます」と”即決”します。

 また、議論が分かれることもあるのですが、テストステロン補充療法には心疾患や前立腺がんのリスク上昇が指摘されています。多血症もそれなりの頻度で起こります。にもかかわらず(心疾患と多血症のリスクがあるのにもかかわらず)喫煙者がテストステロンを投与(しかも注射で)されていることがあります。これは極めて危険なのですが、きちんと説明を受けていない(あるいは説明はされていても理解されていない)ケースが非常に多いのです。

 谷口医院ではテストステロンの補充が必要と思われる患者さんには薬局で外用薬を購入するよう助言しています。そして、副作用のチェックは谷口医院で実施しています。しかし、その前に内因性テストステロンを上昇させる努力をすべきです。そしてこの「努力」を手伝うのが谷口医院の”治療”だと考えています。米国には「Tパーティ」と呼ばれるテストステロン補充療法に頼らずに内因性テストステロンを上げるための集いがあります。このような試みが日本にはないのは残念です。

 いかなるときも「薬はいつも最小限」が基本です。女性の更年期障害のホルモン治療は優れた治療法ですし、男性の場合も必要あれば薬を使うべきです。しかし、使用量は最小限とし、安全性にはじゅうぶんな注意が必要なのです。

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2023年9月21日 木曜日

第241回(2023年9月) 円形脱毛が”治癒”する時代に

 総合診療を実践している谷口医院では内科領域のみならず、婦人科、小児科、皮膚科、整形外科、精神科など多彩な症状や疾患を診ています。ひとりの患者さんが多数の疾患を持っていることが多く、さらに各症状につながりがある場合もあるからです。標準的な治療、もしくはガイドラインに沿った治療をすれば完治、あるいは症状が完全に消えなくても大きく抑えられる、という場合ももちろん多いのですが、何をやってもうまくいかない「難治性」の疾患もあります。

 そのひとつが「円形脱毛症」です。

 もっとも、脱毛自体がどのタイプのものも簡単ではなく一筋縄ではいきません。AGA(男性型脱毛症)の場合、すでに高齢で、デュタステリド/フィナステリドを10年以上使っているが効果が感じられない……、というような場合は効果が期待できる安全な治療はほとんどありません(もっとも、AGAが治さなければならない病気か、という議論があります)。

 さて円形脱毛症。あらゆる脱毛のなかで「治療薬がなくもどかしい……」と医師が最も強く感じるのが円形脱毛症です。なぜもどかしく感じるのか。なんとしても治したいのだけれど効いていることを実感できる薬がほとんどないからです。では、我々医師は他の脱毛症(例えばAGA)に比べてなぜ円形脱毛症を治さなければならないと強く考えるのか。「若い女性に多いから」です。

 私が大学病院の皮膚科で研修を受けていた頃、難治性の様々な疾患が集まって来るなか、私が最も「なんとかしたい!」と強く感じたのが円形脱毛症です。皮膚がんよりも皮膚に症状のでる白血病よりも他の難治性の皮膚疾患よりも円形脱毛症を治したい、と思ったのです。円形脱毛症が重症化すると、頭皮の半分以上、さらに進行すればほぼ全領域に脱毛が起こります。女子中学生に起こることも珍しくありません。まだアイデンティティが確立しておらず、ルックスを気にするこの年齢で髪のほとんどがなくなることがどれだけ辛いかが想像できるでしょうか。

 ではなぜ円形脱毛症はそんなにも治しにくいのでしょうか。それを知るには「なぜ円形脱毛が生じるのか」を考える必要があります。円形脱毛症を一言でいえば「自己免疫疾患」です。本来なら大切な仲間であるはずの毛母細胞を免疫系の細胞(リンパ球)が攻撃してしまうのが円形脱毛症の正体です。リンパ球は外から入ってくる病原体に立ち向かわなければならないのに、よりによって大切な大切な毛母細胞を”敵”と勘違いしているわけです。

 自己免疫疾患なのであればステロイドは効きそうです。実際、入院してもらってステロイドを大量に点滴すれば毛は生えてきます。しかし終了すればまたすぐに抜け始めます。では、ステロイドを点滴ではなく毎日内服すればどうか、と考えたくなります。この方法でもそれなりの量を内服すれば髪は生えます。しかしステロイドを長期で飲むわけにはいきません。副作用のリスクが大きすぎるからです。

 では、ステロイドの外用薬ならどうでしょう。こちらは副作用のリスクは各段に下がりますが、残念ながら重症例にはほとんど効きません。軽症例になら効きますが、軽症の円形脱毛の場合、何もしなくても自然に治ることが多いため(つまり、リンパ球が毛母細胞を敵と勘違いしていたことに気付いて攻撃をやめるため)、ステロイドで治ったのか、自然に治ったのかの区別がつかないこともあります。

 ステロイド以外の薬としては飲み薬のセファランチン、グリチロンなどがありますが、やはり効いているのか自然治癒だったのかが判断できないケースが多々あります。カルプロニウムというグリーンの塗り薬も保険診療で処方できるのですが、これで治った人を私は見たことがありません。この薬はAGA用の市販の外用薬にも入っていることが多いのですが、やはり効果が出たケースを私は一例も知りません。尚、慢性の皮膚疾患に対してときに絶大な効果を発揮する漢方薬も円形脱毛(を含むすべての脱毛症)にはまったく歯が立ちません。初めから使わない方がいいでしょう。

 基本的に自己免疫疾患というのは難治性であり、「ステロイドを使うしかないけれどステロイドの副作用で苦しむ」というトレードオフのジレンマがあります。ですが、2000年代初頭から少しずつ普及しはじめた(広義の)生物学的製剤のおかげで、いくつかの疾患は随分と治療しやすくなりました。

 突破口を切り拓いたのが関節リウマチに対して登場したレミケード(インフリキシマブ)です。これは間違いなく歴史に残る優れた薬で、この薬の登場とともにリウマチという疾患が変わったと言っても過言ではないでしょう。今やリウマチには10種類近くの注射型の生物学的製剤が使われるようになり、さらにJAK阻害薬と呼ばれる内服型の(広義の)生物学的製剤も登場し、すでにリウマチに対しては5種が処方されています。また、全身性エリトマトーデス、シェーグレン症候群、クローン病、潰瘍性大腸炎、強直性脊椎炎などの自己免疫疾患も生物学的製剤の登場のおかげで随分と治療しやすくなりました。さらに、広義の自己免疫性疾患ともいえるアトピー性皮膚炎や尋常性乾癬といった慢性の皮膚疾患にも生物学的製剤が使用できるようになってきました(参考:はやりの病気第226回「アトピーの歴史は「モイゼルト」で塗り替えられるか」)。

 この後の話の展開はもうお分かりでしょう。他の自己免疫疾患に有効な生物学的製剤はやはり自己免疫疾患である円形脱毛症にも効果があるのでは?と期待したくなります。そして、その期待に対する答えは「効果あり」なのです。

 リウマチ、アトピー、慢性副鼻腔炎などに使用できる生物学的製剤のデュピクセント(デュピルマブ)は円形脱毛症にも効果があるとする報告が増えています。残念ながら円形脱毛症に対しては保険適用がありませんが、アトピー性皮膚炎と合併している場合には使えることもあります。

 すでに円形脱毛症に対して保険適用のある薬も(2023年9月20日時点で)2つあります。ひとつは、アトピー、リウマチ、そして新型コロナウイルスにも使えるJAK阻害薬のオルミエント(バリシチニブ)、もうひとつはリットフーロ(リトレシチニブトシル酸塩)というJAK阻害薬です。

 さて、ここまで読まれて何か”違和感”を覚えないでしょうか。私はこれまでアトピーに対し、(JAK阻害薬を含む)生物学的製剤を「安易に使用すべきでない」と言い続けています。値段が高いこと(3割負担で年間50万から100万円くらいします)以外に「強力な免疫抑制がかかるから」がその理由です。生物学的製剤は、ステロイドのように骨密度が低下したり、血糖値が上昇したり、といった副作用は(ほぼ)ありません。ですが、免疫能が大きく低下しますから感染症に対してかなり脆弱になります。生ワクチンがうてないほどに低下するのです(生ワクチンに含まれる弱毒化した病原体にもやられてしまうわけです)。

 リウマチが重症化すると動けなくなりますし、IBD(クローン病/潰瘍性大腸炎)の場合は何も食べられなくなり日常生活ができなくなります。そんな状況から抜け出すために免疫抑制のリスクを抱えてでも生物学的製剤を使うという方針は理にかなっています。感染症に気を付けていれば日常生活を営めるのですから。他方、アトピー性皮膚炎や尋常性乾癬の場合、重症例の場合はもちろん使っていいわけですが、そこまで生活が制限されない状態であれば、JAK阻害薬の外用薬であるコレクチム(こちらは内服と異なり副作用は軽度)や、PDE阻害薬であるモイゼルト(こちらは免疫抑制がほぼゼロ)、あるいはタクロリムス外用でじゅうぶんにコントロールできるのです。

 他方、円形脱毛症がそれなりに重症化すれば外出することができなくなります。精神状態も悪化していきます。上述した3種の薬には免疫抑制のリスクがあり、新薬ですから長期的な安全性は保証されていません。ですがそういうリスクを抱えてでも使用すべきときがあるのです。

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2023年9月10日 日曜日

2023年9月 『福田村事件』から見えてくる人間の愚かな性(さが)

 2020年初頭から始まった新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)に関する騒動はほぼ終わったと言っていいと思いますが、「ワクチン論争」はいまだに続いています。

 私自身は「ワクチン肯定派」でも「反ワクチン派」でもなく、「ワクチンは『理解してから接種する』ものであり、接種すべきか否かは個々によって異なる。コロナワクチンの場合は安全性が担保されているとは言い難く、うつのはリスク、しかしうたないのもまた(一部の人には)リスクだ」と言い続けています。

 ちなみに、この考えをコロナワクチンが登場したばかりの頃に公表した毎日新聞「医療プレミア」のコラムは大炎上しました。内容は、「コロナワクチンは製薬会社から発表されている有効性は高いが、新しいワクチンだから接種するのはリスクとなる。しかし感染すれば(当時はまだ薬がそろっていなかったこともあり)重症化して命を奪われるかもしれないから接種しないのもリスクである」という内容で、編集部に提出した私が考えたタイトルは「コロナワクチン、うってもうたなくても『大きなリスク』」でした。

 それを公開するときに編集者が「新型コロナワクチン 打つも打たぬもリスク大きい」としました。ところがこれが大炎上し、その結果「新型コロナ ワクチン接種はよく考えて」というつまらない(と私は思います)タイトルに変更されてしまいました。

 最初のタイトル、そして内容は反ワクチン派、ワクチン肯定派双方の”怒り”を買いました。私がコロナワクチンに関するコラムを書くと、たいてはワクチン肯定派・否定派の双方から攻撃されるのですが、このときには、どちらかというと「肯定派」の人たちからの怒りが強く、私の人格を否定するような内容のものも少なくありませんでした。彼(女)らから、私は「反ワク」のレッテルを貼られたのです。しかし、興味深いことに、同じコラムを読んだ反ワクチン派の人たちは、私が肯定派だ、と言って怒りを表すのです。

 こんな論争、というかつまらない言いがかりは無視するしかありません。それに、私はこういう誹謗中傷に慣れている、というわけではありませんが、何を書かれてもほとんど負の感情を抱きません。なかには(特に医師には)SNSで罵られたり悪口を書かれたりすると、それで落ち込んで、極端な場合はそれを根に持って訴訟を起こすこともあるそうですが、私自身は「無視すれば済む話なのに……」と思ってしまいます。

 もっとも、SNSの誹謗中傷が原因で自殺した若い女性の話や、そのせいでタレントとしての仕事を失った人の話も聞いていますから、何を書きこんでもいいわけではないということは理解しているつもりです。しかし、私自身は「書きたければ書けば?」と思ってしまいます。きっと、私は(いい意味で)鈍感なのでしょう。ちなみに、私は面と向かって罵詈雑言を吐かれたとしてもあまり苦痛ではありません。まあ、実際にはそんな経験はほとんどないわけですが。

 話をコロナワクチンに戻しましょう。ワクチンは個々の状況を考えて決めるべきです。つまり、ワクチンが必要な人もいれば、うたない方がいい人もいるわけです。質問や相談があれば個別に考えて助言するのが医師の仕事であり、谷口医院の患者さんにはそうし続けています。一律に「ワクチン賛成」とか「反対」といった意見を述べることがおかしいのです。

 しかも、奇妙なことに、反ワクチンの人(医師も含めて)たちは、決まって「反マスク」と「イベルメクチン信奉」をセットにします。一人くらいは「ワクチンをうたない代わりにマスクで予防しよう」とか「ワクチンをうって、なおかつ感染すればイベルメクチンで対処しよう」と言う医師がいてもおかしくないと思うのですが、そういう医師は(一般市民も)みたことがありません。

 なお、マスクについては近くにハイリスク者がいなければ不要ですが、必要な時と場合もあります。それは常識的にもそうだと思うのですが、「反マスク」を強く主張する医師はそうではないという主張を譲りません。ちなみに、最近「英国王立学会」が、マスクが有効であることを示す報告をしています。

 なぜ、「反ワクチン+反マスク+イベルメクチン信奉」がセットになるのでしょう。その答えはきっと「人間とは集団闘争が好きな生き物だから」ではないかと私は考えています。つまり、自分の考え(「イデオロギー」と呼んでいいでしょう)に共感する仲間を求め、そして反対する連中を攻撃したいと考える生き物だと思うのです。実は、似たようなことを過去のコラムにも書いています。このコラムでは「リベラル」と「保守」はステレオタイプ化してしまっていて、リベラルなら「自衛隊海外派遣反対」と「福祉充実」がセットになってしまう、などの事例について述べました。

 最近、森達也監督の『福田村事件』を観て、やはりそうだろうと確信するようになりました。

 『福田村事件』は実際にあった事件を元につくられた映画です。1923年、香川県三豊郡の被差別部落出身の薬売りの集団が、千葉県福田村で朝鮮人と間違われて集団虐殺された事件です。 

 何年か前にこの事件について初めて聞いたときにまず私が感じたのは「(日本人を殺すのはダメで)朝鮮人なら殺してもいいのか」です。

 森監督は私の期待に応え、その部分を浮き彫りにしてくれていました。永山瑛太扮する薬売りのリーダーが……、と書きかけたところで気付きました。このように映画のストーリーを話すことを「ネタバレ」と言うことに。ただ、この映画はミステリーやサスペンスではなく実話に基づいた社会的な映画なので許されるでしょう(許せない人はこれ以上読まないでください)。

 話を戻すと、薬売りたちが「朝鮮人ではないか」という疑いをかけられ福田村の村民に囲まれ襲われそうになった状況のなか、一部の良識ある村民のおかげで「(朝鮮人ではなく)日本人ではないか」という空気が流れ始めました。つまり誤解が解けて助かるかもしれない雰囲気になったのです。しかしその直後、薬売りのリーダーは「朝鮮人なら殺してもいいのか!」と大声で何度も訴え村民の周りを歩き始めます。ここで、意外な女性にいきなり殺され、ここから見境のない残酷な殺戮シーンが始まります。

 この映画では「差別」が幾層にも絡んでいます。三豊郡(現・三豊市でしょうか)が被差別部落という設定(実話ですから実際もそうだったのでしょう)で、作品中には何度も「エタ」という言葉が飛び交い、彼(女)らが一斉に水平社宣言を暗唱するシーンもあります。

 また、別のシーンでは東京在住の社会運動家が警察官に斬首され、朝鮮人の女性が(おそらく)自警団に新聞記者の目の前で殺される場面もあります。さらに、韓国(当時の朝鮮)の京畿道で日本人が29人の朝鮮人を殺戮した提岩里教会事件に関与した元教師が(たぶん)主人公です。

 日本人vs朝鮮人、資本主義者vs社会主義者、一般市民vs被差別部落民、といった差別の構図を抉り出し、人間とは敵と味方をつくらずにはいられない愚かな存在だ、ということを森監督は訴えたかったのではないでしょうか。

 反ワクチン主義者(あるいはワクチン絶対主義者)がこの映画を観れば私が言いたいことに気付いてくれるでしょうか。

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2023年8月20日 日曜日

第240回(2023年8月) 「自然光」と「公園」が”抗うつ薬”になる

 旧・谷口医院(太融寺町谷口医院)では2021年1月より、何の予告も挨拶もなく突然入居した階上キックボクシングジムの振動に苦しめられてきました。突然の振動に小さな悲鳴を上げ、身体を震わせる患者さんを前にし、我々医療者はいつ針刺し事故を起こしてもおかしくない環境を強いられ、私自身が精神的に次第に病んでいきました。裁判自体は「振動」の測定データのある谷口医院が有利でしたが、「もうこれ以上事故を起こすリスクを背負えない」と判断し、また、さんざん探した移転先が見つからなかったためにやむを得ず「閉院」を決めそれを公表しました。

 ところが予想をはるかに超えた「閉院は困る」という声が届き、最終的には谷口医院に長年通院されている不動産会社の社長から現在の物件を紹介してもらい移転できることになった、という話は随所でしました。

 2年7か月ぶりに「振動のない部屋」で仕事をするのは思いのほか快適です。旧・谷口医院ではたとえしばらく静かだったとしても突然ハンマーを落とされたような激しい振動を起こされ、壁や天井が揺れるなかで恐怖に耐えねばならなかったわけですからやはりあの環境は異常でした。その異常な環境に2年7ヶ月も苦しめられ、そしてようやく解放されたのですから快適なのは当然です。

 それに、苦しくて恐怖感が消えなかったのは振動だけが原因ではありません。ジムの社長は一度会っただけでは顔を覚えられないような地味な風貌をしているのですが、話がまるで噛み合わず、対面時にはTシャツ、短パン、ビーチサンダルという恰好でやって来て「何か文句あんのか?」という態度。何を言ってもヘラヘラしているだけで、コミュニケーションが一切とれないのです。家主が何か対策をとってくれるのかと思いきや、振動で診察が続けられないことを伝えると「家賃を倍にする」と言われ、そんな無茶苦茶な欲求が認められないことを裁判で告げられると、今度は「谷口医院がビルを不法占拠している」と言いだして谷口医院を訴えてきたのです。

 このようなキックボクシングジムと家主から患者さんとスタッフを守らねばならないわけで、今から振り返れば「よく神経がもったな」と思わざるを得ません。おそらくあのまま続けていればいずれ私の精神が破綻したでしょう。この2年7ヶ月は間違いなく私のこれまでの人生の最悪期でした。その地獄のような生活から解放されたのですから、現在は天国にいるようなものです。

 しかし、8月14日から診察を開始し数日がたったとき、はたしてこんなにも気持ちがいいのはそれだけなのかと、ふと疑問が湧いてきました。なぜなら、「振動」から解放されたことで快適なのであれば、それはどこにいても同じように快適であるはずだからです。

 しかし、実際に快適で気分が安定するのは新しい谷口医院に出勤したとき、なのです。自宅よりも職場にいるときに快適なのは、私が「仕事人間」の証ということなのでしょうか。初めはそうかな、と考えていたのですが、そのうちに妙なことに気付きました。出勤の際、遠回りしたくなるのです。帰り道に寄り道をする人は大勢いるでしょう。ですが、朝の慌ただしい時間にわざわざ遠回りして出勤する人がいるでしょうか。

 もっとも、私の場合、朝の7時前後に出勤していますからかなり時間の余裕はあります。しかし、それにしても旧・谷口医院に用事もないのに遠回りして出勤したことなどただの一度もありません。

 では、なぜ私は新・谷口医院にはわざわざ遠回りして出勤するのか。おそらく公園の横を歩きたい、あるいは公園を横切りたいからです。ただし、私が遠回りしたくなるのは晴れた日だけです。ということは朝の光が心地いいということなのでしょう。

 新・谷口医院に到着し診察室に入ると、まず私は窓から外の景色を眺めます。特に特徴のある景色があるわけではなく、クリニックに面した道路の向こう側はマンションですから、他人の部屋の窓が見えるだけできれいな景色ではありません。しかし、窓は南側にありますから、季節にもよるのでしょうが、窓から差し込む光がなんとも言えない平和的な気分にさせてくれるのです。

 こうなると「理屈」が欲しくなるのが私のクセです。もともと私は冬に抑うつ感が生じて春に解消されます。自分は「冬季うつ病」ではないかと疑ったこともあり勤務医時代の2005年にコラムを書きました。そこで、自然光が人を幸せにすることを示した研究がないかどうかを調べてみました。最初に見つかったのが「毎日の太陽光はあなたを幸せにするか? 幸福と天気の主観的な尺度(Does Daily Sunshine Make You Happy? Subjective Measures of Well-Being and the Weather)」で、研究規模が比較的大きいですし、タイトルから期待できそうだと考えたのですが、結局「自然光と幸福感の関係ははっきりしない」が結論でした。

 もう少し調べると、一流誌「The LANCET」の2002年12月7日号に「脳内セロトニン代謝に対する太陽光と季節の影響(Effect of sunlight and season on serotonin turnover in the brain)」という論文が見つかりました。脳内でセロトニンが生成される速度は、日光にあたる時間に関係していて、明るさが増すと速度が急速に上がるそうです。「セロトニン=幸せホルモン」と単純化することに私は反対の立場ですが、とは言え私が晴れた日の朝に得ている幸せ感は朝の光で脳内に生成されたセロトニンのおかげかもしれません。

 もうひとつ興味深い論文が見つかりました。医学誌「Building and Environment」2022年9月号に掲載された「家屋内での露光による幸福: 居住空間における幸福の認知と悲しみに対する自然光の影響(Enlightening wellbeing in the home: The impact of natural light design on perceived happiness and sadness in residential spaces)」です。

 この研究が面白いのでちょっと詳しく紹介しましょう。研究に参加したのは750人。様々な部屋のシュミレーション画像を見てもらい幸せ感または寂寥感を評価してもらっています(シュミレーション画像の写真は論文に掲載されていますので是非見てみてください)。その結果、室内に差し込む自然光の量が多いほど、参加者はより強い幸福を感じることが分かったのです。そして、冬よりも夏の方がより強い幸福を感じるようです。窓の大きさも幸福感の因子になっているようで、壁に対する窓の割合が40%のときに最も幸せ感が強いそうです。参加者の年齢・性別も関与するようで、30歳未満の若者と女性はより強い影響を受けます。

 偶然にも、私がいつも仕事をしている診察室の窓は壁のだいたい40%を占めています。窓は南向きのため早朝から夕方まで光が入ってきます。ということは、計らずも私は最適の環境を手に入れたということになるのかもしれません。

 ところで私が寄り道をして通っている公園には晴れの日以外は行かないとはいえ「緑」という健康によさそうなものがあります。公園の横にあるマンションは家賃が高いと聞いたことがありますが、公園が健康に良いとする科学的なエビデンスはあるのでしょうか。

 ありました。医学誌「International Journal of Environmental Research and Public Health」2014年3月号に掲載された論文「近くの緑地訪問と精神的健康: ウィスコンシン州の健康調査からのエビデンス(Exposure to Neighborhood Green Space and Mental Health: Evidence from the Survey of the Health of Wisconsin)」です。この研究によれば、近隣の緑地のレベルが高いほど、うつ病、不安、ストレス症状のレベルが有意に低いことがわかりました。

 さらに興味深い研究が見つかりました。医学誌「People and Nature」2019年8月19日号に掲載された論文「都市の緑地を訪れた人は、Twitter上での感情が高まり、否定的な言葉が少なくなる(Visitors to urban greenspace have higher sentiment and lower negativity on Twitter)」です。人々が公園に訪問前、訪問中、訪問後にどのようなツイートをするかが調べられました。結果、公園訪問中のツイートは感情が(いい意味で)高ぶり、その後数時間はその感情が持続したことが分かったのです。

 どうやら現在の私が快適な日々を過ごすことができるのは、キックボクシングジムが巻き散らす振動から解放されたことだけでなく、公園が近くにあって自然光が差し込む部屋で仕事ができるという非常に恵まれた環境のおかげのようです。上述したように、我々にこの物件を紹介し「閉院」の危機から救ってくれたのは不動産会社を経営している谷口医院の患者さんです。本当にありがたい話です。

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2023年7月19日 水曜日

第239回(2023年7月) 「GLP-1ダイエット」は早くも第3世代に突入?!

 相変わらず質問・相談の絶えない「GLP-1ダイエット」(正確には「GLP-1受容体作動薬によるダイエット」となると思いますが、ここでは簡略化された「GLP-1ダイエット」で通します)。少し前までは、初の内服である「リベルサス」に関する質問が多かったのですが、最近はその先を行く”第2世代”、さらには”第3世代”とも呼べる新しい製品に関心が集まってきています。

 といっても第2世代の「マンジャロ」は、日本ではつい最近、(抗肥満薬ではなく)糖尿病の薬として発売されたばかりですし、第3世代の「Retatrutide」は、本稿執筆時点の2023年7月の時点で発売されている国は世界中のどこにもありません。我々医療者でも入手したばかりの情報を一般の人が仕入れて、さらに的確な質問をされることに驚かされます。今回はこれらの特徴をまとめて、今後日本で普及するかどうか、さらに問題点もまとめてみたいと思います。

 まずはGLP-1ダイエットの歴史を振り替えてみましょう。

2010年6月 注射薬(1日1回注射)のリラグルチド(商品名「ビクトーザ」)が糖尿病に対して保険処方開始。その頃より、美容系クリニックがダイエット目的にリラグルチド(商品名「サクセンダ」)を輸入し販売開始。徐々に売上を伸ばす

2020年6月 注射薬(週に1回注射)のセマグルチド(商品名「オゼンピック」)が糖尿病に対して保険処方開始。ほぼ同時に、美容系クリニックがダイエット目的として販売開始。1日1回注射のサクセンダに代わりシェアを伸ばす

2021年2月 セマグルチドの内服薬「リベルサス」が糖尿病に対して保険処方開始。ほぼ同時に、美容系クリニックがダイエット目的として販売開始。注射型のオゼンピックに代わりシェアを伸ばす

2023年3月 セマグルチドが「ウゴービ」という名称でダイエット目的で保険薬として承認される。しかし2023年7月20日時点で「薬価収載」されておらず、処方できない状態が続いている

2023年4月 第2世代のGLP-1ダイエット薬(週に1回注射)とも呼べるチルゼパチド(商品名「マンジャロ」)が糖尿病に対して保険診療開始。

2023年6月 米国イーライリリー社が第3世代のGLP-1ダイエット薬とも呼べる「Retatrutide」について、米国サンディエゴで開催された米国糖尿病協会(ADA)で報告した

 ここで、なぜGLP-1ダイエット薬を第2世代、第3世代と区別すべきかについて説明しておきます。実は、第2世代、第3世代という表現は正式なものではなく、私が勝手に命名しているにすぎません。しかし、患者さん(閉院・移転の関係で7月以降はメール対応のみ)に説明する上で、このような言い方をすると伝えやすいのです。

 第1世代のGLP-1ダイエット薬は、有効成分が「GLP-1受容体作動薬のみ」です。ビクトーザもサクセンダもオゼンピックもリベルサスもこれに該当します。

 第2世代は「GLP-1受容体作動薬+GIP受容体作動薬」です。「GIP」(Gastric inhibitory polypeptide)という言葉には聞き馴染みがないかもしれませんが、GLP-1受容体作動薬と同じように、血糖値を下げて肥満を解消する効果があると考えて差支えありません。

 第3世代は「GLP-1受容体作動薬+GIP受容体作動薬+グルカゴン受容体作動薬」です。上述したようにGIPという用語はほとんどの人にとって馴染みがない言葉だと思いますが、グルカゴンは高校の生物に出てきますから聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。生物を選択していた人なら「インスリンの反対の作用」と覚えていると思います。

 となると、疑問が出てきます。インスリンは血糖値を下げる働きがあるから、それが分泌されなくなったり効きが悪くなったりすれば治療としてインスリンを注射します。そしてこれが従来からおこなわれてきた糖尿病の治療法です。ならばインスリンと反対の方向のグルカゴンを作用させれば血糖値が上がってしまい、糖尿病を悪化させ、さらには肥満を増強しそうな感じがします。私自身も少し前まではそう思っていました。

 ですが、実態はどうもそうではなく、グルカゴンはかなり複雑な働きをするようなのです。細かいメカニズムは解明しきれていないようなのですが、臨床試験の結果として、グルカゴン受容体を作用させれば、糖尿病の治療、さらにはダイエットにもつながることが分かってきたのです。ただし、この薬は現時点では学会で有効性が報告された段階であり、商品として市場に登場、さらに日本市場に現れるのはまだまだ先の話です。処方が開始されるにしても先に糖尿病薬としてであり、ダイエット目的の処方は見通しすらついていません。

 ところで、谷口医院ではこれまでGLP-1ダイエットを希望する人に対して一切の処方をしていません。しかし「どうしても痩せたい」という人を止めることはできず、美容クリニックで(あるいは一般の内科系クリニックで)処方を受けている(というより購入している)人もいます。驚くべきことに、まったく肥満がないような若い女性にまで、しかも美容クリニックのみならず、一般の内科系クリニックやさらには糖尿病専門医までもがGL-1ダイエット薬を処方しているのが現状です。

 では、GLP-1ダイエットに危険性はないのかと言えば「おおいにある」が答えです。まず、肥満がない人はこのような薬を使うべきではありません(と言ってもダイエットに取りつかれた人は何としてでも入手するのですが)。

 次にある程度の肥満があった場合も副作用についてきちんと理解しておく必要があります。そもそもGLP-1ダイエットでやせるのは当たり前です。なぜなら食欲が激減するからです。実際、「食べる楽しみを失ったから(GLP-1ダイエットを)やめました」という人は後を絶ちません。

 「GLP-1ダイエットのせいで食欲がなくなったから注射を(内服を)中止します」、にはそれほど大きな問題はありません。ですが、「GLP-1ダイエットのせいで命を失(いそうにな)った」は絶対に避けなければなりません。そして、実際、そのような報告が増えています。

 EMA(European Medicines Agency、欧州医薬品庁)の安全委員会は、現在GLP-1受容体作動薬が原因の自殺念慮と自傷行為について検討しています。アイスランドではこれまでにGLP-1受容体作動薬が原因と思われる自殺念慮や自傷行為が約150件寄せられています。現時点では欧州の他国の状況や、EMAが今後どのような決定をするかについての情報はありませんが、注意深く経過をみていく必要があります。

 翻って現在の日本。過去にも述べたように(下記コラム参照)、日本医師会の今村副会長が「(肥満に対しGLP-1ダイエット薬を処方するのは)医の倫理に反する」とまで記者会見で述べたのにもかかわらず、全国の美容外科医、一部の内科医、さらには一部の糖尿病専門医は肥満者のみならず、肥満がない人(特に若い女性)に処方しています。谷口医院が知る限り、「処方医から自殺念慮や自傷行為のリスクがあると聞いた」と答えた人はゼロです。

 誤解のないように言っておくと、谷口医院はGLP-1ダイエットに反対しているわけではありません。むしろ、「ウゴービが保険適用になれば開始しましょうね」と話している患者さんも次第に増えてきています。

 ですが、肥満のない人に対する処方は(つまり保険適用外の処方は)谷口医院ではおこなう予定はありません。そのような人たちに対してはこれまで通りオーソドックスなダイエット方法を伝えていきます。これで、けっこうな人たちが理想体重にもっていって健康を維持できているのです。

参考:
はやりの病気第223回(2022年3月)「GLP-1ダイエットが危険な理由」
はやりの病気第228回(2022年8月)「GLP-1ダイエットが危険な理由~その2~」


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2023年6月22日 木曜日

第238回(2023年6月) コロナ後遺症予防にパキロビッドかゾコーバを

 新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)がすっかり軽症化し、重症化リスクのある人を除けば取るに足らない感染症に成り下がりました。国民のほとんどがあれほど渇望していたワクチンも、今や希望者は激減し、2021年の「ワクチンをうてる場所がなくて……」という悲痛な叫びがもはや幻のように感じられます。

 ではコロナはすでにインフルエンザと同じ程度の、あるいはインフルエンザよりも軽い風邪と考えていいのでしょうか。残念ながらそういうわけではありません。「後遺症」があるからです。

 ここでよくある誤解について述べておきます。風邪症状が生じてその後後遺症が残るのはコロナ特有の現象と考えている人がそうではありません。生活ができなくなるほどの後遺症が生じる感染症にQ熱、ライム病などがあります。たしかにこれらは稀な感染症ではありますが、インフルエンザやマイコプラズマといったよくある感染症でも後遺症が残ることはしばしばあります。これらに感染した後に咳が1ヵ月続いた、というケースはいくらでもありますし、「倦怠感(だるさ)が取れない」「頭痛をよく起こすようになった」という訴えもまあまああります。

 ただし、「半年以上に渡り味覚障害が続いている」といったケースは、私はコロナ以外では知りません。PEM(運動後倦怠感)という現象も、感染症ではなく慢性疲労症候群(ME/CFS)でならよくありますが、感染症後のPEMは、ほとんど私は経験したことがありません。なお、PEM/慢性疲労症候群については過去のコラム「誤解だらけの慢性疲労症候群(ME/CFS)」を参照ください。

 他にも、脱毛、性機能障害(コロナ感染後性欲がなくなる、あるいはED(勃起障害)が起こる)、突然動悸が始まるようになった、という後遺症はコロナ以外ではほとんど聞きません。ということは、他の感染症後の後遺症とは異なる、コロナ特有の後遺症があるということになります。

 すでに本サイトで公表しているように、当院では2023年5月末からコロナ後遺症の点数化を試みています。12の項目の合計点が12点以上あれば、「コロナ急性期後の後遺症(postacute sequelae of SARS-CoV-2 infection」、通称「PASC」の診断がつけられます。そして、PASCの診断がついた事例だけを正式な「コロナ後遺症」とすべきだ、とする意見が世界では増えてきています。

 診断基準を点数化するという試みは、我々医療者にとってはありがたいものです。診断が簡単になるからです。特にコロナ後遺症の場合は、診断書や傷病手当を書くべきか否か、という社会的問題が伴いますから、こういった書類を作成するときにはありがたいツールとなります。

 ですが、患者さん側からみたときは、症状が点数化されてもそれが治療につながるわけではなく、また自身では重症だと思っていたのに点数が11点しかなくて、そのせいで給付金がもらえなかった、という事態が生じるかもしれません。よって、診断基準の点数化は患者さんにとっては利点があるとは限りません。それに、これら12の診断基準はどれもが「(検査などで)確かめようがないもの」ですから、簡単に”嘘”を言うことができます。ですから、あらかじめこの基準を知っていれば医師の前で嘘をつくことによっていくらでも点数を上げることができるのです。

 このように診断基準の点数化は問題が多数あるのですが、患者側からみて最重要は「治してほしい」ということです。ところが、コロナ後遺症の治療は本当に難しいのです。もちろん、当院で治った人も多数いるのですが、そのなかの何割かは薬が効いたのか自然に治ったのかの区別がつきません。漢方薬もよく使いますが、他の疾患に比べて漢方薬のキレがよくないというか、やはり効果があるのか自然に治ったのかがよく分からないのです。

 「ワクチン」が治療になることはあります。実際、苦しい後遺症に苛まれていたけれど、ワクチンをうったとたんに(本当に”とたんに”)よくなる人もいるのです。しかし、その一方で、ワクチン接種で余計に悪くなる人もいるので、安易には勧められない方法です。英国のデータによると、ワクチン接種で後遺症が改善した人は56.7%に上りますが、18.7%の人たちは逆に悪化しています。

 日本の論文もあります。後遺症を抱える患者の20.3%はワクチン接種2週間から6か月後に症状の改善を認めたものの、54.4%はワクチン接種後も症状の変化がありませんでした。この結果から著者らは「ワクチンは症状の変化に関係がない」と結論づけています。

 どうやら「後遺症を発症すればコロナワクチンで治す」という方法には期待しない方がよさそうです。ただし、コロナワクチンは「後遺症のリスクを下げる」効果はありそうです。この日本の論文では、ワクチンを2回接種すると、未接種者に比べて後遺症発症リスクを36%、1回接種者に比べて40%下げることが分かりました。仏人を対象とした研究でもワクチン接種が後遺症のリスクを下げるという結果が出ています。医学誌「BMJ」2023年3月1日号の論文「コロナワクチン接種により重症及び後遺症が軽減されると研究で判明(Covid-19: Vaccination reduces severity and duration of long covid, study finds)」によると、ワクチン接種者は未接種者に比べて後遺症がすべて消失した人は2倍にもなります。

 こうしてみると「後遺症を防ぎたければワクチン接種」となります。ですが、感染後の後遺症ではなく、ワクチンの後遺症に悩まされている人が少なくないのもまた事実です。そして、冒頭で述べたように、現在コロナワクチンをうたないという選択をする人がどんどん増えてきています。

 しかし、後遺症にはいまや効果的な「予防薬」があります。パキロビッド、ゾコーバ、ラゲブリオといった抗コロナ薬です。本来、抗コロナ薬は感染が判った直後に内服することによって「重症化リスクを下げ」、「有症状期間を短くする」効果が期待できます。それらに加えて、後遺症のリスクを下げる効果も期待できるのです。

 私の実感としては、パキロビッドは確実に後遺症のリスクを下げてくれます。論文では26%下げるとされていて、この数字は小さいように思えますが、谷口医院の経験でいえば「パキロビッドを服用して後遺症の生じた事例はゼロ」です。

 ラゲブリオは重症化リスクを下げるかどうかは疑わしく、欧州では「ラゲブリオを使用すべきでない」と勧告されています。しかし、後遺症のリスクを軽減させるのは確実らしく、ある論文によると、ラゲブリオは感染後180日日後の絶対リスクを2.97%低下させます。2.97%という数字が小さすぎる気がしますが……。また、塩野義製薬によると、ゾコーバは後遺症のリスクを45%も低下させるそうです。ただし査読済の論文が発表されていませんからエビデンスがあるとは言えませんが。

 では、なぜ抗コロナ薬が後遺症にも有効なのでしょうか。一部の患者は「長期間ウイルスが体内に残っているから」という説が最近注目されています。発症してから230日後に、脳全体を含む複数の部位でウイルスのRNAが検出されたという報告があります。また、海外メディアによると、英国では患者の体内からウイルスが発症505日目に検出されたという報告もあります。

 通常、身体の隅々までウイルスの有無を検査することはできませんから(生きている状態で脳にウイルスがいるかどうかを調べることはできない)充分に調べられていないだけで、実際には後遺症で苦しんでいる人のいくらかはウイルスが残っているのかもしれません。現在のルールでは抗コロナ薬を使用するのは発症直後に限られていますが、後遺症で苦しんでいるケース(例えば前述の診断基準で12点以上のケース)では使用を認めるべきなのかもしれません。

 現時点で後遺症発症予防に対してできることはワクチンと発症直後の抗コロナ薬です。後遺症のリスクが高い人(谷口医院では「精神状態が脆弱な中年女性」が後遺症の最たるリスク)は積極的に考えた方がいいかもしれません。

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2023年5月22日 月曜日

第237回(2023年5月) 麻疹(はしか)とこれからの発熱外来

 麻疹(はしか)が流行しつつあります。麻疹そのものについての情報提供はこれまで、このサイトおよび他のサイトに私が書いたものもありますので(下記の毎日新聞「医療プレミア」の麻疹に関するコラムはすべて無料で読めます)、興味のある方にはそちらをご覧いただくとして、ここでは今後「麻疹かもしれない」と思ったときにどのように医療機関を受診すべきかについて述べていきたいと思います。

 まず、「麻疹の再感染及びワクチン接種後の感染」について話をしておきましょう。

 先日(2023年5月17日)、テレビ朝日の「ABEMA Prime」の出演依頼を受けて麻疹に対する話をしました。生放送ということで、どのような質問をされるのか不安があって、さらに、リハーサルなし、それどころか私自身が出演者と面識がないどころか、失礼ながら私がテレビを見ないこともあって、キャスターやパネリストがどのようなキャラクターの方々なのかもまるで分からない状態で番組がスタートしました。

 しかも、私の出演はオンラインですからスタジオの”空気”が読めません。生放送で場違いなことや、空気が読めない発言をすれば大変なことになります。番組の「台本」のようなものを開始直前に受け取ったのですが、それをすべて読み終わらないうちに番組が始まってしまいました(下記URLで1週間はオンデマンドで診られるそうです)。

 興味深いことに、そして非常に幸いなことに、キャスターの益若つばささんが冒頭で私にとってとてもありがたいコメントをしてくれました。益若さんは最近帯状疱疹に罹患されたそうです。そのときに「子供の頃に水痘(みずぼうそう)にかかったことがリスクと言われた。麻疹もそうなのかどうかが心配です」といったことを発言してくれたのです。しかも番組の途中で、再度その疑問を取り上げてくれました。

 これは多くの人が知りたいことであり、医師の立場からみれば「極めて良い質問」です。そして、この答えは「麻疹の再感染はない」です。益若さんが苦しまれた帯状疱疹はたしかに過去の水痘ウイルスの感染が原因です。ですが、麻疹の場合は感染して治癒すれば強力な「抗体」ができて二度と感染することはありません。

 その番組で私は「個人的な意見だが麻疹のパンデミックは起こらない」と述べました。その理由は2つあります。1つは2006年に麻疹ワクチンは2回接種が定期化されたために現在の18歳未満のひとたちはしっかりとした抗体があるから。そしてもう1つは現在55歳(あるいは60歳)以上の人たちの大半は感染しているために自然の抗体ができているからです。

 通常、パンデミックが起こって多数の犠牲者が起こる感染症は免疫能が不十分な小児と高齢者を襲います。ところが麻疹の場合は、この2つのグループが強固の免疫で守られていますからパンデミックの心配はないのです。

 では、ワクチンを2回接種した場合はどうでしょう。この場合はなかなか100%感染しないとは言えません。ワクチンを2回接種したのにも関わらず感染してしまう可能性はあります。ただし、ワクチンを2回接種していれば重症化することは(ほぼ)ありません。高熱が出ず、皮疹もごくわずかの軽症で済むのです。これを「修飾麻疹」と呼びます。
 
 本稿執筆時点で2023年4月から5月にかけて麻疹を発症した事例が4例報告されています。1例目はインドで感染した茨城県の30代男性、2例目と3例目は1例目の男性と同じ新幹線の車両に乗車していた30代女性と40代男性。そして4例目が神戸の事例で、1例目の男性が神戸に移動していたことからこの男性から感染したものとみられています。これら4例のうち神戸の事例については公表されていないので詳細が分かりませんが、他の3例についてはいずれもワクチン未接種(または接種歴不詳)とされています。

 茨城と東京の3例はいずれも入院しているようでおそらく軽症ではないのでしょう(4例目の神戸の事例は詳細不詳)。ということは、やはり麻疹対策での最重要事項はワクチンということになります。つまり、高齢者は既感染で、18歳未満は2回のワクチン接種で免疫を得ているわけですから「20~50代のワクチン追加接種」がパンデミックを回避するための最大のポイントになります。

 もしもあなたがワクチン未接種または1回接種のみだったとして、麻疹かもしれない発熱が出たときはどうすればいいでしょうか。麻疹は「皮疹」が有名ですが、これは後半に出ます。もう少し正確に言うと、麻疹の発熱は「二相性」といっていったんは解熱します。そのときに口の中に白い斑点(これを「コプリック斑」と呼びます)ができ、その直後に2回目の発熱が起こり、このときに全身に皮疹が出現します。

 1回目の発熱時ですでにかなりの倦怠感が伴います。この時点では麻疹よりは新型コロナ、またはインフルエンザが疑われることもあるでしょう。つまり、皮疹があろうがなかろうが、高熱と倦怠感があれば、医療機関の発熱外来を受診するしかないわけです。過去3年で私は何十回と繰り返して訴えてきたように「発熱外来」のあるかかりつけ医を見つけておくのがものすごく大切です。

 では、軽症の場合はどうでしょうか。これも何度もお伝えしているように「新型コロナであろうがインフルエンザであろうが、重症化リスクのない人の場合は医療機関受診はそもそも不要」です。何もしなくてもそのうち治るからです。もっともこれは受診してはいけないという意味ではありません。場合によってはオンライン診療も含めて受診を検討すべきでしょう。

 では軽症の麻疹を疑ったときにはどうすればいいのでしょうか。例えば、微熱と(特にかゆくない)皮疹が出た場合、我々はほぼ全例で麻疹を鑑別に加えます。そして、麻疹の疑いがあればどうするか。答えは「隔離」です。場合によっては軽症でも保健所と相談して入院先を探すこともありますし、入院できない場合は他人と接することのないよう自己隔離してもらいます。

 なぜ、麻疹に感染すると隔離されなければならないのか。もちろん他人への感染リスクを下げるためですが、それならばインフルエンザや新型コロナと同じと思われるかもしれません。ですが、違うのです。新型コロナやインフルエンザよりも麻疹の方が他人への感染リスクを下げることがずっと重要なのです。

 2016年にインドネシアで麻疹に感染した30代の日本人男性は現地で重症化し、意識をなくし人工呼吸器の装着を余儀なくされました。帰国後はリハビリを開始しましたが、後遺症が残ったと報告されています。風疹と異なり、麻疹は妊娠中の女性が感染しても母子感染はありませんが、赤ちゃんのみならず母体の命が危険に晒されます。つまり、ワクチン未接種(または1回接種のみ)の人たちがそれなりに多い現状に鑑みると、他人への感染は可能な限り避けなければならないのです。

 麻疹の潜伏期間は10~12日程度あります。この間にも他人に感染させる可能性があります。発症後も、軽症であれば行動を控えない人もいるでしょう。一般的に麻疹に感染すると発症から完全治癒まで2~3週間はかかります。こんなにも自己隔離することはできない、と考える人もいるでしょう。ですが、成人が麻疹に感染したときのリスクを甘くみてはいけません。実際、4月から5月に感染した人たちは入院しているわけです。

 日本には「はしかにでもかかったようなもの」という慣用句があり、これは一過性の発熱のみ、つまり「軽症」であることを示しているわけですが、成人に感染した場合のことを考えるとこの慣用句は必ずしも適切ではないのです。

参考:
マンスリーレポート
2016年9月 麻疹騒動から考える、かかりつけ医を持たないリスク
医療ニュース
2017年5月29日 ワクチン1回では不十分~後遺症も残る麻疹脳炎~
2016年8月31日 麻疹とマスギャザリング

「医療プレミア」
2022年12月19日 麻疹 「世界の全地域で差し迫った脅威」とWHOが訴えるわけ
2019年9月22日 人ごとでないフィリピン「ワクチン不信」と麻疹急増
2017年6月4日 本当に「大丈夫」?渡航前ワクチンの選び方
2016年4月3日 SSPE 恐ろしい「はしかのような」病から学ぶこと
2016年3月27日 麻疹感染者を増加させた「捏造論文」の罪

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2023年4月22日 土曜日

第236回(2023年4月) これからの性感染症対策~mpox, DoxyPEP, HIV~

 2023年3月下旬、肛門周囲にびらん(ただれたような状態)のある患者さんが受診し、診断はmpoxでした。この新しい(性)感染症は、感染性が桁違いに強く、この患者さんの場合は自らが疑ってくれていたので事なきを得ましたが、もしもそうでなかった場合は、(新型コロナウイルスの初期のように)谷口医院が「数週間の閉鎖」をしなければならなかったかもしれません。

 2021年より問い合わせが増えだした「DoxyPEP」。最近ますます希望者が増えています。しかし、この予防法は気軽におこなうべきではありません。

 依然感染者が減らないHIV。しかし、毎日飲む抗HIV薬は副作用がほとんどなくなり、しかも1日1錠が標準的な治療となってきています。さらに、2ヶ月に一度実施する注射薬も登場しました(当院ではまだ扱っていませんが)。しかし、治療が簡単になってきたとはいえ、生涯にわたり続けなければなりませんから感染はなんとしても防ぎたいものです。そして、それが可能なのが(PrEPと)PEPです。

 今回の「はやりの病気」は、最近の性感染症の注目すべき点を復習し、今後、感染を防ぐためにはどのようなことに気を付ければいいのか、感染したかもしれないときにはどうすればいいのかを述べていきたいと思います。

 まずはmpoxをみていきましょう。ややこしい名前について先にまとめておきましょう。この疾患は当初はmonkey pox(日本語はサル痘)でした。しかし、「サルに失礼」という声が世界中から寄せられたために、WHOはmpox(Mpoxではなくmpox)に変更しました。このとき、日本では「M痘」になると報道されたのですが、結局厚労省は「エムポックス」としたようです。ややこしいのでここではmpoxで通します。

 mpoxには現時点で特効薬がありません。治験中の薬はありますが、一般の医療機関で処方できるようになるのはまだ当分先の話です。となると、ワクチンに期待したいところですが、このワクチンが非常に複雑です。結論からいえばあまり有用ではありません。解説しましょう。

 mpoxのワクチンは生ワクチンと不活化ワクチンがあります。生ワクチンはmpoxではなく天然痘のワクチンです。これがmpoxにも効くのではないかと考えられているのです。しかし、仮に効いたとしても「禁忌(接種できないケース)」が多くて使い物になりません。そもそもmpoxの最大のリスク因子は「HIV陽性」です。しかし、生ワクチンはそのHIV陽性者に接種できないのです。これは抗HIV薬を服用していてウイルスが血中から検出されない場合でも、です。

 次に、生ワクチンはアトピー性皮膚炎を含む慢性湿疹を患っているか、または過去に患っていた場合も禁忌となります。しかし、(mpoxのように)皮膚から皮膚に感染する感染症は、アトピーなどの炎症があればうつりやすいのです。皮膚のバリア機能が損なわれ感染症に対して脆弱になるからです。

 ということは、生ワクチンは最大のリスク因子であるHIV陽性者に使えず、また、皮膚感染を起こしやすい湿疹のある(あった)人にも接種できないわけです。ハイリスク者に使えないワクチンではどうしようもありません。

 不活化ワクチンは有効で、実際、米国はハイリスク者に集中してワクチンを(無料で)接種したことで短期間でmpox対策に成功しました。このワクチン、本来は1瓶が1回用なのですが、なんと米国政府は1瓶を5分割して5人に接種したのです。従来の筋肉注射ではなく皮内注射で接種しました。このような接種方法は標準的でないことから、ワクチンの製造会社(デンマークのBavarian Nordic社)からは、一時は「米国との取引をやめる」と言われたものの米国は強引に押し通しました。このやり方には賛否両論があるでしょうが、結果として米国がmpox撲滅にほぼ成功したのは事実です。

 一方、日本は不活化ワクチンどころか、(あまり役立ちそうにない)生ワクチンでさえ供給不足です。例えば、すでに感染者の診察をして、今後も診察することになるであろう私でさえ、現在の規定ではワクチン接種を受けることができないのです。

 ワクチンが使えないなら他の予防が重要になります。そして、mpoxは感染力がものすごく強いのは間違いありません。感染者の報告では、ゲイの男性が性行為を通して、というケースが多いのは事実ですが、例えばパーティで皮膚と皮膚が触れただけで感染したストレートの男性や女性の報告もあります。米国では家庭内での小児への感染も報告されています。国立国際医療研究センターによると、複数の男性と性行為をもった30代女性や、初対面の女性と性行為をもった40代の男性らの感染も報告されています。つまり「ゲイに多いのは事実でもゲイの感染症ではない」のです。要するにHIVと同じです。

 ではどのように予防すればいいのでしょう。ECDC(欧州疾病予防管理センター)によると、ベッドリネンなどに付着したウイルスは、数カ月からなんと数年間にもわたって感染性を維持することがあります。ということはmpox陽性者に触れたものに触れば感染の可能性が出てくる、ということになります。

 皮膚にウイルスが触れただけではそう簡単には感染しないでしょうが、そこに傷や炎症があればリスクが出てきます。ということは、傷や炎症がある部分は露出しないようにして、かつ手洗いをマメにすればOKです。mpoxはアルコールで死滅しますが、アルコールを使い過ぎないようにして流水下での手洗いをメインにするようにしましょう。アルコール使用で手荒れが起こればそちらの方がリスクとなるからです。

 そして、言うまでもなく「初対面の人との性行為」はリスクとなります。ロマンスは突然生まれることも多いわけですが、mpox感染のリスクが背負えるかどうかは充分に考えなければなりません。

 次いでDoxyPEPの話をしましょう。この”治療法”の問合せをしてくるのは、ほとんどはゲイの西洋人なのですが、最近少しずつ日本人(やはりゲイ)からも増えてきています。ということは、日本人のストレートの男女からの問合せもそろそろ始まる頃だと思います。DoxyPEPとは、抗菌薬ドキシサイクリン(DOXY)200mg(100mg2錠)を性交後72時間以内に一度だけ内服する方法で、クラミジア、梅毒、淋菌を、それぞれ90%、80%、50%防ぐことができるとされています。ただ、医療ニュース「DoxyPEPを過信するべからず」で述べたように、耐性菌を生み出すリスクもありますから、この方法に頼ってリスクのある性行為を持つべきではありません。

 HIVについては谷口医院を開院した2007年に比べると治療のやりやすさには雲泥の差があります。当時から抗HIV薬はありましたが、副作用がつらくて、できるだけ内服開始を遅らせるのが目標でした。ところが、最近は1日1錠のみの内服で済み、内服を続けられないような副作用はほとんどありません。最近は(谷口医院では実施していませんが)2ヶ月に一度だけ注射すればOKの注射薬も登場しています。

 そして後発品を用いたPEPができるようになったことがかなり大きいと言えます。以前は先発品でしかできませんでしたからPEPを実施しようと思えば30万円近く必要でした。それが現在は後発品が使えますからその6分の1以下の費用でできるようになったのです。それでも依然安くはありませんが、「安心が買える」わけですから非常に有用な治療法です。

 性感染症の予防で最も大切なことは「誠実な相手と交際する」ですが、長い人生の間にちょっとリスクのある行為に及ぶこともあるかもしれません。以前なら、そういう状況を想定して、1)B型肝炎ワクチンの接種と抗体形成の確認、2)コンドームの使用、3)ワクチンでもコンドームでも防げない感染症の検査、の3つが重要でした。

 ところが現在はmpoxという厄介な感染症が加わりましたから、しばらくの間(少なくともmpoxがおさまるまでの間)、リスクをとることを避け、誠実なパートナーを見つけるのが最も優れた対策と言えるでしょう。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2023年3月19日 日曜日

第235回(2023年3月) 温泉好きの長引く咳はレジオネラ

 2023年2月24日、筑紫野市の「二日市温泉 大丸別荘」を訪れた人が体調不良を訴え医療機関を受診、レジオネラ症と診断されていたことが発表されました。原因はその旅館の浴槽から検出されたレジオネラ菌であることが判明しました。

 レジオネラというのは肺炎で有名なのですが、通常の肺炎と異なる点がいくつかあり、感染しても放っておいてもいいことがある一方で、「死に至る病」となることもあります。筑紫野市の温泉事件でいろんなことが報道されましたが、必ずしも正確に伝わっていないようなので、ここでまとめておきたいと思います。

 このような出来事はあってはならないことではありますが、そうは言ってもそんなに珍しいケースではなくひとつの典型的な発症パターンです。よって、自分自身や家族の感染を防ぐためにもこの事件を振り返っておきましょう。

・保健所による旅館の検査が2022年8月と11月に実施されて.いた。この旅館の浴槽からは基準値の3,700倍に相当する量のレジオネラ菌が検出されていた

・福岡県の条例では週に一度以上の湯の入れ替えが義務付けられているが、この旅館では少なくとも2019年以降、年に2回しか入れ替えをしていなかった

・旅館は「常に源泉からお湯を入れながら循環させる仕組みなので大丈夫だと思っていた」と釈明した

 なぜ保健所の検査でレジオネラ菌が検出されていたのにもかかわらず、旅館は処理をしなかったのでしょうか。旅館が保健所の指導を無視したか、保健所がしっかりとした指導をしていなかったかのどちらかでしょう。

 常識的には「この旅館からはレジオネラ菌が検出されました。この病原体はときに死に至る病を引き起こします。条例どおりの対処法で充分ですからきちんとしてください」と言われれば旅館はそれを守るのではないでしょうか。保健所の指導を無視するとは考えにくく、だから保健所がきちんと対処方法を伝えてなかった、つまり保健所の怠慢なのかな、と思われますが、実際のところは分かりませんからこれ以上の詮索はやめておきます。

 重要なのはそういった「不潔な温泉の見分け方」です。保健所がきちんと検査をしているか、とか、旅館は保健所の指示を守っているか、といったことは宿泊客には分かりません。ですが、「レジオネラ菌がいるかもしれない温泉や浴場」は推測することができます。

 床やタイルに「ぬめり」があれば要注意、と考えるのです。「ぬめり」の正体は微生物が作り出すぬめっとした(slimyな)膜のようなものです。キッチンのシンクの「ぬめり」が代表です。この「ぬめり」をバイオフィルムと呼びます。

 キッチンのシンクにできるバイオフィルムを作り出しているのは細菌なのですが、温泉や浴槽でバイオフィルムが存在していれば、細菌だけでなく「粘菌」と呼ばれる微生物が原因のことがあります。粘菌よりも「アメーバ」という言葉の方が有名かもしれません。そして、レジオネラ菌はこの粘菌(≒アメーバ)の体内に棲息します。

 レジオネラという細菌は「蒸し暑い環境」が大好きです。50度でも数時間生存することができ、20度以下では増殖できません。35度くらいが至適温度と言われています。よって、温泉や浴場はレジオネラ菌にとってうってつけの場所なのです。

 温泉や浴場というのは蒸気(エアロゾル)が蔓延しています。当然その蒸気のなかにはレジオネラを含む粘菌も浮遊しているわけです。これをヒトが吸い込んで、肺胞まで到達すると感染が成立します。そしてヒトの肺胞で増殖したレジオネラ菌は全身を巡ります。結果、下痢、嘔気・嘔吐、腹痛などの消化器症状、さらに頭痛や痙攣、重症化すれば意識症状などの神経症状も起こり得ます。このため、レジオネラ肺炎という言い方の方が人口に膾炙しているかもしれませんが、「レジオネラ病」と呼ぶ方が正確です。

 もちろん、レジオネラ菌を含む蒸気を吸い込んだとしても誰に対しても感染が成立するわけではなく、また感染が起こったとしても全員が発症するわけではありません。当然、無症状で治癒することもあるでしょうし、また軽症で終わることもよくあります。

 この「レジオネラ菌に感染して風邪症状が出たけれどすぐに治った」というケースを「ポンティアック病(Pontiac fever)」と呼びます。こちらは軽症ですから、そもそも発症しても全員が医療機関を受診するわけではありません。仮に受診したとしても治療は不要です。これはレジオネラ菌が検出されても、です。

 しかし、ポンティアック病の診断確定(=レジオネラ菌検出)には重要な意味があります。それは、その地域でこれから(あるいはすでに)レジオネラ病が発症する(している)可能性があるからです。つまり、ポンティアック病の診断がついてその人が旅館に宿泊していたとすれば、その旅館の宿泊客の健康調査をすることでレジオネラ病の早期発見ができる可能性があるのです。尚、レジオネラ菌の検査は尿検査でおこないます。精度は高く、喀痰のPCRよりも遥かに実用的です。

 ポンティアック病の名前の由来はミシガン州のポンティアックという地名(デトロイトの近く)で発見されたことによります。1968年のことでした。ちなみに、本稿を執筆するにあたり、ポンティアックの場所を確認するためにGoogle Mapに「Pontiac」と入力すると、米国だけでも10カ所くらい表示されました。ポンティアック病の発症の地はデトロイトの近くです。

 レジオネラ病で知っておきたい特徴はまだあります。通常、感染症の肺炎というのはヒトからヒトにうつりますが、レジオネラの場合、感染源は蒸気(エアロゾル)の吸入ですから、ヒトからヒトに感染することはありません。ですから、ときに死に至る病となる重要な感染症ではありますが、隔離は必要ありません。

 一般の人からみてレジオネラを予防するには「温泉や旅館に行くときはぬめり(slim)がないかに注意する」となりますが、では、温泉や旅館の側からみればどのような対策を立てればいいのでしょうか。

 温泉や浴槽でレジオネラが発症する、つまりバイオフィルムができるのは、通常の家庭用の浴槽と異なり、「循環式浴槽」だからです。この循環式浴槽が清潔にされていなければ、粘菌が増殖し、その粘菌の体内でレジオネラ菌が増殖するというわけです。そこに熱が加わり、その粘菌がエアロゾルとなって空気中を浮遊すると、それを吸い込んだ人がレジオネラ症を発症するのです。

 件の筑紫野の旅館は「循環式だからレジオネラ菌も流される。だから清潔」と考えていたようですが、バイオフィルムのせいで長時間浴槽に粘菌と一緒にこびりついているのです。ですから、循環式浴槽だからこそ清潔にすべきだ、と考えなければなりません。その対策については、厚労省がわかりやすいマニュアルを公開してくれています。その名もズバリ「循環式浴槽におけるレジオネラ症防止対策マニュアルについて」です。このマニュアルには「連日使用型循環式浴槽では、1週間に1回以上定期的に完全換水し、浴槽を消毒・清掃すること」と書かれています。

 最後に医療者からの視点で大切なことを書いておきましょう。レジオネラは通常の肺炎でよく使われるペニシリン系やセフェム系の抗菌薬が一切効きません。ということは、「診断をつける」ことがものすごく大切になります。尿検査で簡単に分かると述べましたが、肺炎の症状がある患者さん全員にレジオネラを調べるのは現実的ではありません。医師は肺炎症状を呈している患者さんを診て、真っ先にレジオネラを疑うわけではないのです。ですから、心当たりのある人は「温泉に行きました」と医師に伝えてください。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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