はやりの病気
2024年1月21日 日曜日
第245回(2024年1月) 「間食の誘惑」をどうやって断ち切るか
谷口医院では開院した2007年から継続して「メール相談」を承っていて、毎日数通から20通くらいの相談メールがコンスタントに届きます。新型コロナウイルス(以下「コロナ」)が流行し始めた2020年からは9割くらいがコロナの相談(後遺症、ワクチンの相談、ワクチン後遺症の相談も含む)で、多い日には同じような質問が100通以上も寄せられました。そういう経緯もあって無料メルマガを発行することにしました。メルマガでQ&Aを読んでもらえば大勢の人の参考になるに違いないと考えたのです。
ただ、メルマガを始めても質問の件数自体は減らず、むしろ遠方の人からの相談や質問が増えました。コロナが急速に終焉した(実際は終焉していませんがどんどん軽症化してきているのは事実です)現在、メール相談もコロナに関するものは激減しています。一方で、コロナ以外の質問が増え、昨年(2023年)の後半に寄せられた相談メールで最も多かったのが「GLP-1受容体作動薬」(以下、単に「GLP-1」)です。
GLP-1は本来糖尿病の薬ですが、相談メールを寄せる人たちの大半は糖尿病があるわけではなく「やせたい」と考える人たちです。そこで、今回はこれまでもこの連載で繰り返し紹介しているGLP-1について再度取り上げ、また薬以外の「やせる方法」についてまとめてみたいと思います。
まずGLP-1の現時点での「立ち位置」をみてみましょう。保険診療で処方できることになった「ウゴービ」(英語では「Wegovy」、一般名は「セマグルチド」、糖尿病で使う「オゼンピック」「リベルサス」と成分は同じ)はかなり期待されて登場したわけですが、それほど普及しないと私はみています。
その理由は2つあります。1つは処方できる医療機関が極めて限定されることです。管理栄養士を置かねばならない、常勤医師に日本糖尿病学会の専門医の資格が必要、などいくつかの条件が求められますからこれらの条件をすべてクリアできるところはそう多くありません。そしてもう1つの理由が「処方期間が最大68週(約1年4ヶ月)」と限定されていることです。GLP-1を使用して体重が減るのは、当然のことながら薬が効いているからです。そして、やはり当然のことながら薬を中止すれば痩せる効果がなくなります。
実際、谷口医院の患者さんで美容外科クリニックなどでGLP-1を購入していたダイエターの人たちは中止後に軒並みリバウンドしています。結局、費用を工面しながらGLP-1を続けるか、ダイエットを諦めるかのどちらかになり「GLP-1を中止したけど理想の体重を維持している」という人は残念ながらほとんどいません。つまり、GLP-1ダイエットでやせるのは(ほぼ)間違いありませんが、「薬を中止すれば元の木阿弥」となるのもまた事実なのです。
ではどうすればいいか。まず糖尿病がある人はGLP-1を保険診療で半永久的に処方してもらうのがいいでしょう。これは私見でもありますが、糖尿病のGLP-1処方の”敷居”は下げてもいいのではないかと考えています。といっても薬には容易に頼るべきではありませんから、当院では現在もGLP-1を含む糖尿病の薬をそれほど簡単には処方していません。
ですが、数年前に比べるとその敷居を低くしたのも事実です。当院が開院した2000年代にはまだ糖尿病のいい薬がなく、メトホルミンの処方は最大750mgまでしか認められていませんでした(現在は2,250mgまで可能)。それ以外にも糖尿病の薬は何種類かありましたが、副作用で「空腹感を自覚する」ことが多くて使いにくかったのです。2010年代の半ばから、まずDPP4阻害薬、次いでSGLT-2阻害薬を少しずつ処方し始めました。これらは内服しても空腹感を覚えず、また(いい意味で)当初の予想に反して副作用はほとんど起こらず、SGLT-2阻害薬はやせる効果があることもはっきりしてきました。
当院ではGLP-1の敷居はしばらく高くしていましたが、日本のガイドラインの改訂時に評価が上がったこともあり、昨年(2023年)の後半からは比較的早期に処方するようにしています。特に、体重を落とさなければならない人にはうってつけの薬なのは間違いありません。
メトホルミン(ビグアナイド)、SGLT-2阻害薬、GLP-1はいずれも、副作用が少なく、低血糖を起こしにくい(つまり空腹を感じにくい)優れた薬だと言えます。そして、いずれも痩身効果(やせる効果)があります。これら3種のなかで圧倒的に痩身効果が高いのはGLP-1です。その最大の理由は「食欲抑制効果が高いから」です。
GLP-1の食欲抑制効果には個人差がありますが、効きすぎる人は「食への楽しみがなくなって生きることが面白くなくなった」と言う人もいます。ここまで抑制されるのは問題ですが、当院の経験でいえば、このようなことを言う人はもともと肥満などないのに美容クリニックなどでGLP-1を購入していた人(ほとんどが女性)です。
さて、これら薬剤を使用する以外のやせる方法、そしてそもそも糖尿病がなくこのような薬が使えない人がやせるにはどうすればいいのでしょうか。それを述べる前に、以前にも紹介した「絶対にやってはいけないダイエット」を確認しておきましょう。それは2021年のコラム「やってはいけないダイエットとお勧めの食事療法」でも述べた「急激なダイエット」です。方法にかかわらず短期間に体重を落とすことは絶対にしてはいけません。「余計に太りやすい体質」になってしまうからです。そのコラムで紹介しましたからここでは繰り返しませんが「Biggest Loser」にまつわる話を聞けば誰もが納得できるはずです。
糖尿病があろうがなかろうが、太っていようがやせていようが、健康を維持したいのであれば「運動」は絶対不可欠です。しかし、運動をしてもやせないことはアフリカの未開民族ハドザ族を例にとってそのコラムですでに紹介しました。
となると「食事を制す」がどうしても必要になってきます。過去に何度か取り上げた「糖質制限」は効果があるのは間違いありませんが、その方法には様々な意見があります。また、日本糖尿病学会は今も手放しで糖質制限を支持しているわけではなく、2013年のコラム「糖質制限食の行方 その2」で取り上げた状況からほとんど変わっていません。
では「食事療法」の話をしましょう。本サイトですでに紹介したように、すぐにでも実践できる簡単な方法は「食事前に水(または牛乳や豆乳)を飲む」で、実際これだけでも減量できる人は少なくありません。また「パンを食べない」もかなり効果があります。世の中には「パン好き」が少なくなく、パンを米に替えることに抵抗がある人も多いのですが、ここはなんとか頑張ってほしいところです。尚、多くの人が誤解していることに「(発芽)玄米や五穀米にしなければ意味がない。白米ならパンと変わらない」があります。たしかに、白米よりも玄米などにする方が体重抑制効果はあるでしょうが、パンと白米でもまったく違います。パンは単にコムギでできているわけではなく、大量の砂糖と脂肪が使われています。実際、朝食をパンから白米に替えるだけで大きく体重が減る人は珍しくありません。
「パンを白米に替える」に比べるとハードルは上がりますが、「1日1食にする」はかなり効果があります。「16時間ダイエット(あるいはオートファジーダイエット)」でも効果が出る人がいますが、やはり「1日1食ダイエット」の方が減量効果が大きいのは間違いありません(参考「医療ニュース2023年12月14日時間制限ダイエットよりも1日1食ダイエットが有効」)。ただし、この方法はすでに糖尿病があったり、他の疾患を抱えていたりすれば危険が伴います。必ずかかりつけ医の許可をもらってください。
1日1食ダイエットを実施するときの最大の”敵”、そして、多くのダイエターにとっても最も強敵となるのが「間食の誘惑」です。「元々間食をしない」という人には理解しがたいでしょうが(そもそもそういう人は太っていません)、間食を完全にやめるのは思いの他困難です。大勢の患者さんを診てきた当院の経験でいえば、タバコをやめるよりもはるかに難しいと言えます。つまり、間食(お菓子、スイーツ、ファストフードなど)がやめられない人は立派な依存症だと考えられるのです。
タバコに限らず、アルコールでも大麻でもベンゾジアゼピンでも痛み止めでも、いったん依存症になってしまえばそこから脱却するのは極めて困難です。しかもタバコや大麻と異なり、お菓子は簡単に入手できてしまいますし、職場ではお土産などでもらいますから止めようとする意思が簡単に崩れ去ってしまいます。ではどうすればいいか。決定的な切り札はないのですが、当院では次のような助言をしています。
#1 GLP-1を使う(これは効果がありますが、糖尿病がなければ保険診療で処方できません)
#2 間食はナッツ類のみにする(高脂肪ですが低糖質のためさほど太りません)
#3 低糖質のお菓子を用意する(最近はクッキーなど甘いものだけでなくチップスタイプもあります)
#4 お土産でもらうお菓子は他人にあげる
#5 スポーツドリンクを避け、カフェでは甘いドリンクを注文しない
#6 できるだけ我慢する
#6の「できるだけ我慢する」は個人差が大きく、当院の経験でいえば努力してもあまり変わりません。この理由を示唆するのが有名な「マシュマロ実験」です。「机に置かれた1つのマシュマロを15分我慢できればもう1つもらえる」という実験で、これがクリアできる幼児は成人したときに社会的な成功をおさめている、とするものです。この実験から「自制心がIQなどより大切」とされてきましたが、その後の再現を試みた実験の結果などから現在では「我慢できるかどうかは遺伝または家庭環境で決まる」と考えられています。ということは、成人してからは「我慢できる能力を努力で向上させることは極めて困難」と言えそうです。
当院はハードな依存症、例えば覚醒剤やコデイン(咳止め)などの依存症も診ていますし(これらは精神科で断られることが多いのです)、アルコール、タバコ(ニコチン)などの分かりやすい依存症、さらに買い物依存、摂食障害、性依存症などの人たちも診ています。最近は「承認欲求依存症」の人たち(不安症やうつ病につながります)も少なくありません。大勢の依存症の人たちを診ていると「誰もがなんらかの依存症を持っている=人が人である限り依存症から逃れられない」と思えてきます。
間食をやめるには栄養学的・内分泌学的な視点よりもむしろ「人間の本質」から考えていくべきなのかもしれません。
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|2023年12月18日 月曜日
第244回(2023年12月) なぜ「骨」への関心は低いのか
それは私がまだ医学部の学生だった頃の話。臨床実習で整形外科の外来の見学をしていたとき、整形外科医が患者さんの腰のレントゲン写真をみながら「骨折していますね」と説明しているのを聞いて、驚きました。
骨折というのは、例えば交通事故やスポーツなどで何らかの強烈な物理的な力が骨に加わって折れる、というイメージしか当時の私にはなくて「いつの間にか骨折している」なんてことがあるのか、と不思議に思ったのです。
その後、この背骨(腰椎)がいつの間にかつぶれたように骨折している「腰椎圧迫骨折」がものすごい頻度で起こっていることを知りました。日本人の有病率の正確な数字は知りませんが、80代以上だと3割くらいは圧迫骨折があると思います。実際、腰が曲がっている老人はたいていレントゲンを撮影すれば圧迫骨折が見つかります。
その後私は総合診療医となり、多くの腰椎圧迫骨折を診るようになりました。まだ40代の圧迫骨折は診たことがありませんが、50代なら経験があります。そういえば、元アイドルの松本伊代さんは2021年、2022年と2回も腰椎圧迫骨折を起こしたことが報道されました。松本伊代さんは1965年生まれですから50代で2回も骨折したことになります。しかし、それにしても不思議です。松本伊代さんだけでなくやせていれば腰椎圧迫骨折のリスクがあるのは自明なのになぜ対策が取られていなかったのでしょうか。
もうひとつ、私にとって”不可解な”骨折があります。大腿骨頸部骨折と呼ばれる、股の付け根の骨折です。こちらは腰椎圧迫骨折と異なり「いつの間にか」ではありません。骨折すれば激痛が走り、歩けなくなりますから救急搬送されるのが一般的です。たいていは転んだり、しりもちをついたりしたときの衝撃で起こり、原因というかきっかけがはっきりしています。
では私にとって何が不可解なのか。その後の展開が悲惨だからです。悲惨とまで言えば患者さんには失礼でしょうが、その後寝たきりになる事例がものすごく多いのです。手術がうまくいったとしても日常生活には何らかの制限が課せられます。寝たきりになれば、認知症のリスクが急上昇します。実際このような高齢者は珍しくなく、私は研修医の頃にアルバイトで勤務していた高齢者の病院で不思議に思っていました。なぜ、転倒→大腿骨頸部骨折→寝たきり→認知症→幸せとはいえない末期、のパターンがこんなにも多いのか。
どちらも決して稀ではなくどこにでもある腰椎圧迫骨折と大腿骨頸部骨折の共通点、それは「どちらも多くの人がリスクがあるのが分かっていながらじゅうぶんな対策をとっていない」ことです。
年をとれば骨折するのは仕方がない、という意見があるかもしれません。しかし、骨折だけが無関心なのは不思議です。なぜなら、他の年齢とともに生じやすくなる疾患、例えば、がん、高血圧や糖尿病などの生活習慣病、認知症などは、多くの人たちが関心をもち、人によっては検査や予防に大金をつぎこんでいるからです。そして、多くの医師が危険性を主張し定期的な健康診断や早い受診を促します。
がんのリスクが簡単に分かると宣伝された線虫の尿検査(N-NOSE)は効果が疑わしい(というよりほとんど否定されている)のにも関わらず、谷口医院にはたくさんの問合せが寄せられます。がんに効くと謳われているいかがわしい健康商品の相談もよく聞きます。「認知症だけにはなりたくない」と必死で訴える患者さんもいます。しかし、これらに比べると骨に関心のある人はそう多くありません。
健康で長生きしたければ骨を丈夫に保つのは必須条件です。診察室でこういう話をすると「カルシウムを(ビタミンDを)摂っています」と言われることがしばしばあります。そして、「前のクリニックではビタミンDを処方されていました」と言われる人も少なくありません。しかし、こんなものは骨折の予防にはなりません。
もっとも、以前はたしかにカルシウムやビタミンDが骨折予防に有効とされていましたから患者さんがそう考えるのは無理もありません。ですが、少なくとも10年くらい前からはこれらの有用性が否定されていました。谷口医院の医療ニュース(2017年10月23日「骨折予防にビタミンDやカルシウムは無効」)でも紹介したことがあります。
こういう調査結果は繰り返し発表されていて、最近のエビデンスレベルの高い論文としては「The New England Journal of Medicine」2022年7月28日号に掲載された「中高年におけるビタミンDの補給と偶発的な骨折(Supplemental Vitamin D and Incident Fractures in Midlife and Older Adults)」があります。この研究は非常に分かりやすいのでここに紹介しておきましょう。
対象者は米国人の50歳以上の男性及び55歳以上の女性、合計25,871人(女性が50.6%)で、中央値5.3年の調査期間中に1,551人が合計1,991回骨折しています。ビタミンDを摂取したグループとしていないグループで比較すると、次のような結果が得られました。
・ビタミンD摂取グループ:12,927人中769人が骨折
・ビタミンDを摂取しないグループ:12,944人中782人が骨折
この数字をみればもはや説明はいらないでしょう。では骨折を防ぐにはどうすればいいのでしょうか。まず誰もがすぐにすべきなのは「骨塩量を計測する」です。たいていの内科または整形外科系のクリニックであれば簡単に調べることができます。谷口医院でも50歳以上の男女(特に女性)の場合は積極的に検討しています。ただ、骨粗しょう症を臨床的に疑ったときにしか保険適用されないので、男性の場合は特に60歳未満では保険適用にはなりにくいという問題はあります(その場合は自費になります)。まだ、50代前半なのに驚くほど骨が少ない人がいます。特に(松本伊代さんのように)やせている女性は要注意です。
それから、骨が脆くなるのは加齢や女性ホルモンの低下だけではありません。見逃してはいけないのが「薬剤性」です。ステロイド、抗リウマチ薬、タモキシフェン(乳がんの薬)などが有名ですが、頻度はそう多くないものの胃薬プロトンポンプ阻害薬(PPI)やSSRIと呼ばれる抗うつ薬、甲状腺ホルモン(チラーヂン)などが原因になることもあります。最近、問題になっているのはHIVの曝露前予防(PrEP)として使われる抗HIV薬です。HIVのPrEPは若い人が飲んでいるケースも目立ち、長期的にはそれなりに高いリスクがあると考えるべきです。
骨粗しょう症が見逃されていることを示すショッキングな日本の報告を紹介しておきます。「日本人の骨粗しょう症性の骨折による死亡者数は人口動態統計として公表されている数値の約19倍にも上る」というのです。医学誌「Journal of Orthopaedic Science」2023年11月18日号に掲載された論文「日本における骨粗しょう症性骨折による死亡者数:疫学調査(Deaths caused by osteoporotic fractures in Japan: An epidemiological study)」によると、2018年の人口動態統計上の骨粗しょうによる死亡者数は190例ですが、死亡診断書(死体検案書)のデータを解析すると3,437例が骨粗しょう症が原因だと判明したのです。
では骨を丈夫にするには、そして骨折を予防するにはどうすればいいか。答えは「ビタミンDを摂る」でも「シイタケなどのキノコを摂る」でもありません(ちなみに、松本伊代さんは主治医からこれらを摂るように言われていたとyoutubeで述べています)。
最も重要なのは「運動」です。それも単なるウォーキングのような軽度のものでなく負荷をかけたワークアウト(筋トレ)が重要になります。筋肉をしっかりつければ骨も丈夫になります。とにかくやせたい、と考える人が多いですが、体重があれば、それが筋肉でなく脂肪であったとしても骨は頑丈になります。とはいえ、身体全体を考えると脂肪はほどほどにして筋肉を増やさなければなりません。
骨折/骨粗鬆症の予防/治療には有効な薬もあります。もちろんカルシウムでもビタミンDでもありません。最近は効果の高い注射薬も出ていますが、より一般的なのは(そして谷口医院でもよく処方するのは)次の3種の内服薬です。
#1 女性ホルモン製剤(エストロゲン)
#2 SERM(選択的エストロゲン受容体モジュレーター)
#3 ビスフォスフォネート製剤
#1と#2は女性のみが適応となります。閉経後に急激に骨密度が低下するのはエストロゲン(女性ホルモン)が分泌されなくなるからで、当然それを補えばリスクが下がります。谷口医院ではまず#1を検討することが多いのですが、乳がんや子宮体がんなどのエピソードがある人には使えないためにその場合は#2を選択します。ただし、血栓(血の固まり)ができる病気や心筋梗塞、脳梗塞などの血管の病気のエピソードがあれば#1、#2とも使えません。
このように有効な治療があるのですが、残念ながら治療を始める前に骨折してしまう人が少なくありません。まずは骨に関心を持つこと、そして骨密度を測ることが重要です。
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|2023年11月19日 日曜日
第243回(2023年11月) GLP-1受容体作動薬で依存症の治療ができるか
2023年3月に、ダイエット(正確には「肥満症の治療」)目的として保険で処方できることが承認されたのにもかかわらず、長い間「薬価収載」されずに発売が延期になっていた「ウゴービ」(一般名はセマグルチド)が、11月22日についに薬価収載されることが決まりました。正確な発売日は未定ですが、おそらく12月には処方できると思われます。
GLP-1ダイエットについては過去に何度か取り上げ危険性も指摘しましたが、基本的には使用者は増加の一途をたどると私はみています。最大のリスクは自殺念慮と自傷行為で、EMA(European Medicines Agency、欧州医薬品庁)の安全委員会が注意喚起を促しています。実際、谷口医院の患者さんのなかにも自殺や自傷までは進まなくても抑うつ状態になる人はいます。
ただし、それらは重篤なものではなく「食べる楽しみを失って……」とか「パーティに行きたくなくなった。行っても飲み食いする気持ちになれなくて……」という感じで、食欲がなくなることに起因する軽度の抑うつ状態であるため、そういった副作用があることを事前に承知してもらい、なおかつかかりつけ医が見守りながら続けるのであれば、たいていはそう大きな問題ではないと思います。
これまでGLP-1ダイエット(正確には「GLP-1受容体作動薬を用いたダイエット、以下は単に「GLP-1ダイエット」とします)をしている人をみてきた私が不思議に感じることが3つあります(尚、谷口医院ではダイエット目的でGLP-1受容体作動薬を処方したことは一度もありません。ダイエットしている人を診ているのは谷口医院では別のことでかかっているからです)。
#1 まったく、あるいはほとんど効果がない人がいる。おそらく全体の1割程度。
#2 食欲がなくなるだけでなく摂食障害が大きく改善する人がいる
#3 食のみならず、飲酒、さらに買い物やギャンブルなどへの衝動が抑制できるようになる人もいる
#2については、最初の一人から聞いたときは「食欲がなくなるのだからあり得るだろう」と思ったのですが、よく考えてみると摂食障害というのはそんなに簡単に治る疾患ではありません。精神科医でさえも診察を嫌がることが少なくなく紹介しても断られて戻って来ることが多く、そのため、結局谷口医院で診ることになるのです。
そもそも摂食障害というのは「満腹でも食べなければならないという思いが頭を支配する」と表現する人もいるほどで、他人より空腹感が強いから起こるわけでは決してありません。ですから、食欲が低下したからといって摂食障害までが良くなるとは思えないのです。しかし、実際に改善(しかも大きく改善)する人がいます。
さらに#3です。食欲は低下したとしても、アルコールに対する欲求までが減るのはなぜなのでしょう。飲酒はまだ口にするものですから理解できるとしても、買い物やギャンブルへの衝動が低下するのはなぜなのでしょう。
食欲低下、特に嗜好品に対する欲求がどれだけ変化するのかをみてみましょう。ニューヨークに本社を置くモルガン・スタンレーがGLP-1ダイエットを開始した300人を対象とした興味深い調査を実施しました。「Healthier categories see a boost in consumption by patients after starting on AOM(抗肥満薬の開始後、より健康的なカテゴリーの食品の消費が増加)」というタイトルのグラフに注目してみましょう。「健康に悪い」のが自明な飲食物の摂取量が大きく減っているのがわかります。
例えば、GLP-1ダイエットを開始してスイーツ(Confections)の摂取量が減った人が72%。清涼飲料水(Carbonated / sugary drinks)は70%、スナック菓子(salty snacks)は67%、アルコールは66%もの人たちが消費量を減らしています。一方、その逆に野菜や果物の摂取量が増えた人が54%もいます。
「Patients report the most significant changes to fast food and pizza restaurant trips(患者はファストフードやピザレストランへの利用に最も大きな変化があったと報告)」というタイトルのグラフもみてください。77%もの人が「ファストフード店の利用が減った」と回答しています。
モルガン・スタンレーのアナリストPamela Kaufman氏は、「食品、飲料、レストラン業界では、不健康な食品、高脂肪食、甘いもの、塩辛いものに対する需要が低下するだろう」と述べています。同社は、GLP-1ダイエットが流行した結果、炭酸飲料、焼き菓子、塩味のスナックの総消費量は2035年までに最大3%減少するとみています。実際、すでにウォルマートはGLP-1ダイエットをしている人たちの食品購入の減少を実感していると発表しています。
さらに驚く報告を紹介しましょう。医学誌「nature」はGLP-1ダイエットによりアルコール、ニコチン、さらにギャンブルへの欲求が低下する可能性について言及しています。
具体的な論文をみてみましょう。まずはアルコールです。好んで飲酒をすることが知られているアフリカベルベットザルにGLP-1受容体作動薬を投与した研究があります。結果は、プラセボ投与群に比べてGLP-1作動薬を投与したグループのサルは、アルコール消費量が有意に減少していました。ラットを用いた別の研究でもGLP-1受容体作動薬がアルコール消費量を減少させることが分かりました。
日本に比べて米国ではアルコール依存症に苦しむ人が多いのですが、その米国でアルコールよりも遥かに深刻なのが麻薬依存です。そして、なんとGLP-1受容体作動薬は麻薬(オキシコドン)の依存も減らすという研究があります。さらに、コカインへの渇望が減るとする研究もあります。
米国紙「The Atlantic」の記事によると、GLP-1受容体作動薬はアルコール、ニコチン、オピオイドなどの薬物のみならず、買い物、爪を噛む、皮膚をむしるといった依存症、あるいは強迫行動を改善させることができると報告しています。これは私見ですが摂食障害の病態は「依存症+強迫障害」です。この記事が言うように、GLP-1受容体作動薬で依存症と強迫行動が改善するなら、摂食障害の治療に使える可能性があります。
谷口医院では禁煙治療のみならず、(受け入れてくれる精神科の医療機関がないために)覚醒剤(メタンフェタミン)を代表とする薬物依存の患者さんも診ています。そして、治療の困難さを日々実感しています。一時は自助グループやグループセッションに積極的に紹介していたのですが、こういった試みもうまくいった試しがほとんどありません。もしもGLP-1受容体作動薬の投与で改善するのなら、少なくともその可能性があるなら試してみる価値はありそうです。
ただし、肥満も糖尿病もない患者さんに保険診療でGLP-1受容体作動薬を処方することはできませんし、自費診療によるこういった薬の処方も谷口医院ではおこなっていません。覚醒剤依存症の人は例外なく肥満はありません(というより全員がやせています)から、そもそも現時点では処方が不可能です。もしも将来、依存症の治療に使うことができるようになったとしても、全員に効くわけではありません。これは上述の論文でも指摘されていて、効く人と効かない人がいるのです。上記#1で述べたGLP-1受容体作動薬を使ってもやせない人が一定数いることと関係があるのではないかと私は考えています。
しかし、すべての事例に有効なわけではないにせよ、他に有効な治療法のない依存症に対してGLP-1受容体作動薬が効くかもしれないというのは夢のある話です。
参考:はやりの病気
第239回(2023年7月) 「GLP-1ダイエット」は早くも第3世代に突入?!
第228回(2022年8月) GLP-1ダイエットが危険な理由~その2
第223回(2022年3月) GLP-1ダイエットが危険な理由
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|2023年10月15日 日曜日
第242回(2023年10月) 間違いだらけの男女の更年期障害のホルモン治療
副作用のリスクをきちんと認識していなければ取り返しのつかないことになりかねないのが「更年期障害」のホルモン治療です。
谷口医院では(旧・谷口医院の)開院時の2007年から女性の更年期障害のホルモン治療を実施しています。他方、男性の更年期障害については、テストステロンの処方については今もしておらず、希望者には薬局で、もしくは通販で外用薬を購入してもらっています(後述するように注射のリスクは相応にあるからです)。
男女とも更年期障害のホルモン治療は、谷口医院で開始するよりもむしろ、他院での治療を引き継ぐ、あるいは他院で実施していた方法を変えるケースが多いという特徴があります。「引き継ぐ」はともかく、なぜ「方法を変える」必要があるのでしょうか。それは誤った使用をしている人が少なくないからです。
女性の更年期障害のホルモン治療から始めましょう。女性が更年期障害に苦しんでいたとしても、必ずホルモン治療を実施しなければならないわけではありません。実際、谷口医院でも漢方薬のみで治療をしている人もそれなりにいます。
しかし、谷口医院では年々ホルモン治療に移行する、あるいは漢方治療にホルモン剤を加える人が増えてきています。その最大の理由は更年期障害に使えるすぐれたホルモン剤の種類が増えたからですが、他院での処方を変更することも少なくないからです。例を挙げましょう。
前医が間違っていると言うことはこの世界ではご法度なのですが、それでも例外的にそれを患者さんに言わねばならないことがあります。1つ目は、子宮があるのにも関わらず卵胞ホルモン(エストロゲン)のみ投与されていて黄体ホルモン(プロゲステロン)が処方されていないような事例です。女性に卵胞ホルモンのみを投与すれば、子宮内膜が増殖するリスクがあります。増殖するだけならいいかもしれませんが、これは子宮体がんのリスクです。そのリスクを下げるために黄体ホルモンを必ず併用しなければならないのですが、なぜかその説明すら聞いていない人がいるのです。
さらに重要なのは、黄体ホルモンを併用していればそれで完全に安心できるわけではないことです。定期的に経腟超音波検査をして子宮内膜が増殖していないかどうかを確認せねばなりません。ところが、この検査を受けていないどころか、そんな話は聞いたことがない、という人がいるのです。そこで、そういう人たちには、経腟超音波検査のみを谷口医院でおこなって、ホルモン剤はこれまで通り近所の婦人科クリニックでの処方を続けてもらうわけですが、これはおかしい、というか滑稽ですらあります。総合診療科の谷口医院が経腟超音波検査を実施して、婦人科でホルモン剤の処方だけをする、というのはこれが「逆」ならまだ分かるのですが、おかしいのは自明です。そこで結局谷口医院ですべて実施することになるのです。
上記2つに比べると頻度はぐっと減りますが、(過去の子宮筋腫などで)手術で子宮をとっているのにもかかわらず更年期障害のホルモン治療でプロゲステロンが併用されているケースも何例かありました。この場合、プロゲステロンにはまったく意味がありません。そもそもプロゲステロンは子宮体がんを防ぐために服用するわけですから、その子宮がないのであれば不要です。
これと似たような「おかしな治療」がトランス女性(生物学的には男性で性自認は女性)へのホルモン治療で、なぜかプロゲステロンが併用されている事例です。トランス女性の場合、元々子宮はありませんからプロゲステロンにはまったく意味がありません。にもかかわらず双方のホルモンの注射をされているトランス女性がそれなりにいるのです。
ちなみに、谷口医院では積極的なトランス女性へのホルモン治療は実施していませんが、外国人にだけは以前から治療しています。これは英語で対応してくれるトランスジェンダーへのホルモン治療を実施しているクリニックが(複数のメーリングリストも使ってさんざん探しましたが)ないからです。
外国人の場合、母国での治療をそのまま引き継ぐことがほとんどです。興味深いことに、海外ではホルモン剤を注射で投与されていることはほとんどなくて、ほぼ全例が内服薬を使います。内服であれば副作用が生じたときに投与量を調節しやすいので(注射はうってしまえばなかなか排出されない)安全だと言えるのですが、なぜか日本ではほぼ全例が注射なのです。しかし、実際には「注射でなく飲み薬で治療を受けたい」というトランス女性も少なくありません。そこで、少し前から谷口医院では、そういう人には内服でのホルモン治療を開始しています。
エストロゲンを用いた女性(トランス女性を含む)への治療の場合、他に注意しなければならないのは乳がんのリスク(トランス女性もリスクがあります)、血栓症のリスク、肝機能障害などで、これらも定期的なチェックが必要です。
このように書くと、なんだかホルモン治療は面倒くさそうに思えてきますが、実際にはそんなことはありません。必要な検査はすべきですが、得られる恩恵がたくさんあって、かなりの女性が「一生やめたくない」と言います。そして、谷口医院ではそのつもりで治療を続けている淑女の方々も少なくありません。
男性の注意点も述べておきましょう。男性の場合は、「谷口医院で更年期の治療をしている」、というよりは、狭義には「谷口医院で更年期の治療をやめてもらった」ケースが圧倒的多数です。上述したように、前医の悪口を言えないのが我々のルールなのですが、「リスクを知らされていない人たち」があまりにも多いのです。
男性更年期のホルモン治療にはテストステロンの注射か外用薬を使います(海外では内服薬もありますが日本では入手困難です)。注意点はいくつもあるのですがここでは3つを紹介します。
まず、男性のテストステロンの場合、女性とは異なり、いわゆる「ネガティブ・フィードバック」がかかります。つまり、外からテストステロンを投与することにより、内因性(endogenous)のテストステロンが体内でつくられにくくなる可能性があるのです。このジレンマを「諸刃の剣( double-edged sword)」と表現した論文もあります。
例えば、高齢者で、血中テストステロンレベルが常に異常低値を示し、回復の見込みがないようなケースではテストステロン補充療法は有意義な治療です。ですが、40~50代、ときには30代の男性が前医で(じゅうぶんな説明もないまま)注射をうたれ、そして疑問を感じて谷口医院を受診、というケースが目立つのです。「テストステロン補充療法を続けることで、天然のテストステロンが生成されなくなるリスクがありますよ」という説明をすると(ほぼ)全員が「そんなリスクがあるのならやめます」と”即決”します。
また、議論が分かれることもあるのですが、テストステロン補充療法には心疾患や前立腺がんのリスク上昇が指摘されています。多血症もそれなりの頻度で起こります。にもかかわらず(心疾患と多血症のリスクがあるのにもかかわらず)喫煙者がテストステロンを投与(しかも注射で)されていることがあります。これは極めて危険なのですが、きちんと説明を受けていない(あるいは説明はされていても理解されていない)ケースが非常に多いのです。
谷口医院ではテストステロンの補充が必要と思われる患者さんには薬局で外用薬を購入するよう助言しています。そして、副作用のチェックは谷口医院で実施しています。しかし、その前に内因性テストステロンを上昇させる努力をすべきです。そしてこの「努力」を手伝うのが谷口医院の”治療”だと考えています。米国には「Tパーティ」と呼ばれるテストステロン補充療法に頼らずに内因性テストステロンを上げるための集いがあります。このような試みが日本にはないのは残念です。
いかなるときも「薬はいつも最小限」が基本です。女性の更年期障害のホルモン治療は優れた治療法ですし、男性の場合も必要あれば薬を使うべきです。しかし、使用量は最小限とし、安全性にはじゅうぶんな注意が必要なのです。
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|2023年9月21日 木曜日
第241回(2023年9月) 円形脱毛が”治癒”する時代に
総合診療を実践している谷口医院では内科領域のみならず、婦人科、小児科、皮膚科、整形外科、精神科など多彩な症状や疾患を診ています。ひとりの患者さんが多数の疾患を持っていることが多く、さらに各症状につながりがある場合もあるからです。標準的な治療、もしくはガイドラインに沿った治療をすれば完治、あるいは症状が完全に消えなくても大きく抑えられる、という場合ももちろん多いのですが、何をやってもうまくいかない「難治性」の疾患もあります。
そのひとつが「円形脱毛症」です。
もっとも、脱毛自体がどのタイプのものも簡単ではなく一筋縄ではいきません。AGA(男性型脱毛症)の場合、すでに高齢で、デュタステリド/フィナステリドを10年以上使っているが効果が感じられない……、というような場合は効果が期待できる安全な治療はほとんどありません(もっとも、AGAが治さなければならない病気か、という議論があります)。
さて円形脱毛症。あらゆる脱毛のなかで「治療薬がなくもどかしい……」と医師が最も強く感じるのが円形脱毛症です。なぜもどかしく感じるのか。なんとしても治したいのだけれど効いていることを実感できる薬がほとんどないからです。では、我々医師は他の脱毛症(例えばAGA)に比べてなぜ円形脱毛症を治さなければならないと強く考えるのか。「若い女性に多いから」です。
私が大学病院の皮膚科で研修を受けていた頃、難治性の様々な疾患が集まって来るなか、私が最も「なんとかしたい!」と強く感じたのが円形脱毛症です。皮膚がんよりも皮膚に症状のでる白血病よりも他の難治性の皮膚疾患よりも円形脱毛症を治したい、と思ったのです。円形脱毛症が重症化すると、頭皮の半分以上、さらに進行すればほぼ全領域に脱毛が起こります。女子中学生に起こることも珍しくありません。まだアイデンティティが確立しておらず、ルックスを気にするこの年齢で髪のほとんどがなくなることがどれだけ辛いかが想像できるでしょうか。
ではなぜ円形脱毛症はそんなにも治しにくいのでしょうか。それを知るには「なぜ円形脱毛が生じるのか」を考える必要があります。円形脱毛症を一言でいえば「自己免疫疾患」です。本来なら大切な仲間であるはずの毛母細胞を免疫系の細胞(リンパ球)が攻撃してしまうのが円形脱毛症の正体です。リンパ球は外から入ってくる病原体に立ち向かわなければならないのに、よりによって大切な大切な毛母細胞を”敵”と勘違いしているわけです。
自己免疫疾患なのであればステロイドは効きそうです。実際、入院してもらってステロイドを大量に点滴すれば毛は生えてきます。しかし終了すればまたすぐに抜け始めます。では、ステロイドを点滴ではなく毎日内服すればどうか、と考えたくなります。この方法でもそれなりの量を内服すれば髪は生えます。しかしステロイドを長期で飲むわけにはいきません。副作用のリスクが大きすぎるからです。
では、ステロイドの外用薬ならどうでしょう。こちらは副作用のリスクは各段に下がりますが、残念ながら重症例にはほとんど効きません。軽症例になら効きますが、軽症の円形脱毛の場合、何もしなくても自然に治ることが多いため(つまり、リンパ球が毛母細胞を敵と勘違いしていたことに気付いて攻撃をやめるため)、ステロイドで治ったのか、自然に治ったのかの区別がつかないこともあります。
ステロイド以外の薬としては飲み薬のセファランチン、グリチロンなどがありますが、やはり効いているのか自然治癒だったのかが判断できないケースが多々あります。カルプロニウムというグリーンの塗り薬も保険診療で処方できるのですが、これで治った人を私は見たことがありません。この薬はAGA用の市販の外用薬にも入っていることが多いのですが、やはり効果が出たケースを私は一例も知りません。尚、慢性の皮膚疾患に対してときに絶大な効果を発揮する漢方薬も円形脱毛(を含むすべての脱毛症)にはまったく歯が立ちません。初めから使わない方がいいでしょう。
基本的に自己免疫疾患というのは難治性であり、「ステロイドを使うしかないけれどステロイドの副作用で苦しむ」というトレードオフのジレンマがあります。ですが、2000年代初頭から少しずつ普及しはじめた(広義の)生物学的製剤のおかげで、いくつかの疾患は随分と治療しやすくなりました。
突破口を切り拓いたのが関節リウマチに対して登場したレミケード(インフリキシマブ)です。これは間違いなく歴史に残る優れた薬で、この薬の登場とともにリウマチという疾患が変わったと言っても過言ではないでしょう。今やリウマチには10種類近くの注射型の生物学的製剤が使われるようになり、さらにJAK阻害薬と呼ばれる内服型の(広義の)生物学的製剤も登場し、すでにリウマチに対しては5種が処方されています。また、全身性エリトマトーデス、シェーグレン症候群、クローン病、潰瘍性大腸炎、強直性脊椎炎などの自己免疫疾患も生物学的製剤の登場のおかげで随分と治療しやすくなりました。さらに、広義の自己免疫性疾患ともいえるアトピー性皮膚炎や尋常性乾癬といった慢性の皮膚疾患にも生物学的製剤が使用できるようになってきました(参考:はやりの病気第226回「アトピーの歴史は「モイゼルト」で塗り替えられるか」)。
この後の話の展開はもうお分かりでしょう。他の自己免疫疾患に有効な生物学的製剤はやはり自己免疫疾患である円形脱毛症にも効果があるのでは?と期待したくなります。そして、その期待に対する答えは「効果あり」なのです。
リウマチ、アトピー、慢性副鼻腔炎などに使用できる生物学的製剤のデュピクセント(デュピルマブ)は円形脱毛症にも効果があるとする報告が増えています。残念ながら円形脱毛症に対しては保険適用がありませんが、アトピー性皮膚炎と合併している場合には使えることもあります。
すでに円形脱毛症に対して保険適用のある薬も(2023年9月20日時点で)2つあります。ひとつは、アトピー、リウマチ、そして新型コロナウイルスにも使えるJAK阻害薬のオルミエント(バリシチニブ)、もうひとつはリットフーロ(リトレシチニブトシル酸塩)というJAK阻害薬です。
さて、ここまで読まれて何か”違和感”を覚えないでしょうか。私はこれまでアトピーに対し、(JAK阻害薬を含む)生物学的製剤を「安易に使用すべきでない」と言い続けています。値段が高いこと(3割負担で年間50万から100万円くらいします)以外に「強力な免疫抑制がかかるから」がその理由です。生物学的製剤は、ステロイドのように骨密度が低下したり、血糖値が上昇したり、といった副作用は(ほぼ)ありません。ですが、免疫能が大きく低下しますから感染症に対してかなり脆弱になります。生ワクチンがうてないほどに低下するのです(生ワクチンに含まれる弱毒化した病原体にもやられてしまうわけです)。
リウマチが重症化すると動けなくなりますし、IBD(クローン病/潰瘍性大腸炎)の場合は何も食べられなくなり日常生活ができなくなります。そんな状況から抜け出すために免疫抑制のリスクを抱えてでも生物学的製剤を使うという方針は理にかなっています。感染症に気を付けていれば日常生活を営めるのですから。他方、アトピー性皮膚炎や尋常性乾癬の場合、重症例の場合はもちろん使っていいわけですが、そこまで生活が制限されない状態であれば、JAK阻害薬の外用薬であるコレクチム(こちらは内服と異なり副作用は軽度)や、PDE阻害薬であるモイゼルト(こちらは免疫抑制がほぼゼロ)、あるいはタクロリムス外用でじゅうぶんにコントロールできるのです。
他方、円形脱毛症がそれなりに重症化すれば外出することができなくなります。精神状態も悪化していきます。上述した3種の薬には免疫抑制のリスクがあり、新薬ですから長期的な安全性は保証されていません。ですがそういうリスクを抱えてでも使用すべきときがあるのです。
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|2023年9月10日 日曜日
2023年9月 『福田村事件』から見えてくる人間の愚かな性(さが)
2020年初頭から始まった新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)に関する騒動はほぼ終わったと言っていいと思いますが、「ワクチン論争」はいまだに続いています。
私自身は「ワクチン肯定派」でも「反ワクチン派」でもなく、「ワクチンは『理解してから接種する』ものであり、接種すべきか否かは個々によって異なる。コロナワクチンの場合は安全性が担保されているとは言い難く、うつのはリスク、しかしうたないのもまた(一部の人には)リスクだ」と言い続けています。
ちなみに、この考えをコロナワクチンが登場したばかりの頃に公表した毎日新聞「医療プレミア」のコラムは大炎上しました。内容は、「コロナワクチンは製薬会社から発表されている有効性は高いが、新しいワクチンだから接種するのはリスクとなる。しかし感染すれば(当時はまだ薬がそろっていなかったこともあり)重症化して命を奪われるかもしれないから接種しないのもリスクである」という内容で、編集部に提出した私が考えたタイトルは「コロナワクチン、うってもうたなくても『大きなリスク』」でした。
それを公開するときに編集者が「新型コロナワクチン 打つも打たぬもリスク大きい」としました。ところがこれが大炎上し、その結果「新型コロナ ワクチン接種はよく考えて」というつまらない(と私は思います)タイトルに変更されてしまいました。
最初のタイトル、そして内容は反ワクチン派、ワクチン肯定派双方の”怒り”を買いました。私がコロナワクチンに関するコラムを書くと、たいてはワクチン肯定派・否定派の双方から攻撃されるのですが、このときには、どちらかというと「肯定派」の人たちからの怒りが強く、私の人格を否定するような内容のものも少なくありませんでした。彼(女)らから、私は「反ワク」のレッテルを貼られたのです。しかし、興味深いことに、同じコラムを読んだ反ワクチン派の人たちは、私が肯定派だ、と言って怒りを表すのです。
こんな論争、というかつまらない言いがかりは無視するしかありません。それに、私はこういう誹謗中傷に慣れている、というわけではありませんが、何を書かれてもほとんど負の感情を抱きません。なかには(特に医師には)SNSで罵られたり悪口を書かれたりすると、それで落ち込んで、極端な場合はそれを根に持って訴訟を起こすこともあるそうですが、私自身は「無視すれば済む話なのに……」と思ってしまいます。
もっとも、SNSの誹謗中傷が原因で自殺した若い女性の話や、そのせいでタレントとしての仕事を失った人の話も聞いていますから、何を書きこんでもいいわけではないということは理解しているつもりです。しかし、私自身は「書きたければ書けば?」と思ってしまいます。きっと、私は(いい意味で)鈍感なのでしょう。ちなみに、私は面と向かって罵詈雑言を吐かれたとしてもあまり苦痛ではありません。まあ、実際にはそんな経験はほとんどないわけですが。
話をコロナワクチンに戻しましょう。ワクチンは個々の状況を考えて決めるべきです。つまり、ワクチンが必要な人もいれば、うたない方がいい人もいるわけです。質問や相談があれば個別に考えて助言するのが医師の仕事であり、谷口医院の患者さんにはそうし続けています。一律に「ワクチン賛成」とか「反対」といった意見を述べることがおかしいのです。
しかも、奇妙なことに、反ワクチンの人(医師も含めて)たちは、決まって「反マスク」と「イベルメクチン信奉」をセットにします。一人くらいは「ワクチンをうたない代わりにマスクで予防しよう」とか「ワクチンをうって、なおかつ感染すればイベルメクチンで対処しよう」と言う医師がいてもおかしくないと思うのですが、そういう医師は(一般市民も)みたことがありません。
なお、マスクについては近くにハイリスク者がいなければ不要ですが、必要な時と場合もあります。それは常識的にもそうだと思うのですが、「反マスク」を強く主張する医師はそうではないという主張を譲りません。ちなみに、最近「英国王立学会」が、マスクが有効であることを示す報告をしています。
なぜ、「反ワクチン+反マスク+イベルメクチン信奉」がセットになるのでしょう。その答えはきっと「人間とは集団闘争が好きな生き物だから」ではないかと私は考えています。つまり、自分の考え(「イデオロギー」と呼んでいいでしょう)に共感する仲間を求め、そして反対する連中を攻撃したいと考える生き物だと思うのです。実は、似たようなことを過去のコラムにも書いています。このコラムでは「リベラル」と「保守」はステレオタイプ化してしまっていて、リベラルなら「自衛隊海外派遣反対」と「福祉充実」がセットになってしまう、などの事例について述べました。
最近、森達也監督の『福田村事件』を観て、やはりそうだろうと確信するようになりました。
『福田村事件』は実際にあった事件を元につくられた映画です。1923年、香川県三豊郡の被差別部落出身の薬売りの集団が、千葉県福田村で朝鮮人と間違われて集団虐殺された事件です。
何年か前にこの事件について初めて聞いたときにまず私が感じたのは「(日本人を殺すのはダメで)朝鮮人なら殺してもいいのか」です。
森監督は私の期待に応え、その部分を浮き彫りにしてくれていました。永山瑛太扮する薬売りのリーダーが……、と書きかけたところで気付きました。このように映画のストーリーを話すことを「ネタバレ」と言うことに。ただ、この映画はミステリーやサスペンスではなく実話に基づいた社会的な映画なので許されるでしょう(許せない人はこれ以上読まないでください)。
話を戻すと、薬売りたちが「朝鮮人ではないか」という疑いをかけられ福田村の村民に囲まれ襲われそうになった状況のなか、一部の良識ある村民のおかげで「(朝鮮人ではなく)日本人ではないか」という空気が流れ始めました。つまり誤解が解けて助かるかもしれない雰囲気になったのです。しかしその直後、薬売りのリーダーは「朝鮮人なら殺してもいいのか!」と大声で何度も訴え村民の周りを歩き始めます。ここで、意外な女性にいきなり殺され、ここから見境のない残酷な殺戮シーンが始まります。
この映画では「差別」が幾層にも絡んでいます。三豊郡(現・三豊市でしょうか)が被差別部落という設定(実話ですから実際もそうだったのでしょう)で、作品中には何度も「エタ」という言葉が飛び交い、彼(女)らが一斉に水平社宣言を暗唱するシーンもあります。
また、別のシーンでは東京在住の社会運動家が警察官に斬首され、朝鮮人の女性が(おそらく)自警団に新聞記者の目の前で殺される場面もあります。さらに、韓国(当時の朝鮮)の京畿道で日本人が29人の朝鮮人を殺戮した提岩里教会事件に関与した元教師が(たぶん)主人公です。
日本人vs朝鮮人、資本主義者vs社会主義者、一般市民vs被差別部落民、といった差別の構図を抉り出し、人間とは敵と味方をつくらずにはいられない愚かな存在だ、ということを森監督は訴えたかったのではないでしょうか。
反ワクチン主義者(あるいはワクチン絶対主義者)がこの映画を観れば私が言いたいことに気付いてくれるでしょうか。
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|2023年8月20日 日曜日
第240回(2023年8月) 「自然光」と「公園」が”抗うつ薬”になる
旧・谷口医院(太融寺町谷口医院)では2021年1月より、何の予告も挨拶もなく突然入居した階上キックボクシングジムの振動に苦しめられてきました。突然の振動に小さな悲鳴を上げ、身体を震わせる患者さんを前にし、我々医療者はいつ針刺し事故を起こしてもおかしくない環境を強いられ、私自身が精神的に次第に病んでいきました。裁判自体は「振動」の測定データのある谷口医院が有利でしたが、「もうこれ以上事故を起こすリスクを背負えない」と判断し、また、さんざん探した移転先が見つからなかったためにやむを得ず「閉院」を決めそれを公表しました。
ところが予想をはるかに超えた「閉院は困る」という声が届き、最終的には谷口医院に長年通院されている不動産会社の社長から現在の物件を紹介してもらい移転できることになった、という話は随所でしました。
2年7か月ぶりに「振動のない部屋」で仕事をするのは思いのほか快適です。旧・谷口医院ではたとえしばらく静かだったとしても突然ハンマーを落とされたような激しい振動を起こされ、壁や天井が揺れるなかで恐怖に耐えねばならなかったわけですからやはりあの環境は異常でした。その異常な環境に2年7ヶ月も苦しめられ、そしてようやく解放されたのですから快適なのは当然です。
それに、苦しくて恐怖感が消えなかったのは振動だけが原因ではありません。ジムの社長は一度会っただけでは顔を覚えられないような地味な風貌をしているのですが、話がまるで噛み合わず、対面時にはTシャツ、短パン、ビーチサンダルという恰好でやって来て「何か文句あんのか?」という態度。何を言ってもヘラヘラしているだけで、コミュニケーションが一切とれないのです。家主が何か対策をとってくれるのかと思いきや、振動で診察が続けられないことを伝えると「家賃を倍にする」と言われ、そんな無茶苦茶な欲求が認められないことを裁判で告げられると、今度は「谷口医院がビルを不法占拠している」と言いだして谷口医院を訴えてきたのです。
このようなキックボクシングジムと家主から患者さんとスタッフを守らねばならないわけで、今から振り返れば「よく神経がもったな」と思わざるを得ません。おそらくあのまま続けていればいずれ私の精神が破綻したでしょう。この2年7ヶ月は間違いなく私のこれまでの人生の最悪期でした。その地獄のような生活から解放されたのですから、現在は天国にいるようなものです。
しかし、8月14日から診察を開始し数日がたったとき、はたしてこんなにも気持ちがいいのはそれだけなのかと、ふと疑問が湧いてきました。なぜなら、「振動」から解放されたことで快適なのであれば、それはどこにいても同じように快適であるはずだからです。
しかし、実際に快適で気分が安定するのは新しい谷口医院に出勤したとき、なのです。自宅よりも職場にいるときに快適なのは、私が「仕事人間」の証ということなのでしょうか。初めはそうかな、と考えていたのですが、そのうちに妙なことに気付きました。出勤の際、遠回りしたくなるのです。帰り道に寄り道をする人は大勢いるでしょう。ですが、朝の慌ただしい時間にわざわざ遠回りして出勤する人がいるでしょうか。
もっとも、私の場合、朝の7時前後に出勤していますからかなり時間の余裕はあります。しかし、それにしても旧・谷口医院に用事もないのに遠回りして出勤したことなどただの一度もありません。
では、なぜ私は新・谷口医院にはわざわざ遠回りして出勤するのか。おそらく公園の横を歩きたい、あるいは公園を横切りたいからです。ただし、私が遠回りしたくなるのは晴れた日だけです。ということは朝の光が心地いいということなのでしょう。
新・谷口医院に到着し診察室に入ると、まず私は窓から外の景色を眺めます。特に特徴のある景色があるわけではなく、クリニックに面した道路の向こう側はマンションですから、他人の部屋の窓が見えるだけできれいな景色ではありません。しかし、窓は南側にありますから、季節にもよるのでしょうが、窓から差し込む光がなんとも言えない平和的な気分にさせてくれるのです。
こうなると「理屈」が欲しくなるのが私のクセです。もともと私は冬に抑うつ感が生じて春に解消されます。自分は「冬季うつ病」ではないかと疑ったこともあり勤務医時代の2005年にコラムを書きました。そこで、自然光が人を幸せにすることを示した研究がないかどうかを調べてみました。最初に見つかったのが「毎日の太陽光はあなたを幸せにするか? 幸福と天気の主観的な尺度(Does Daily Sunshine Make You Happy? Subjective Measures of Well-Being and the Weather)」で、研究規模が比較的大きいですし、タイトルから期待できそうだと考えたのですが、結局「自然光と幸福感の関係ははっきりしない」が結論でした。
もう少し調べると、一流誌「The LANCET」の2002年12月7日号に「脳内セロトニン代謝に対する太陽光と季節の影響(Effect of sunlight and season on serotonin turnover in the brain)」という論文が見つかりました。脳内でセロトニンが生成される速度は、日光にあたる時間に関係していて、明るさが増すと速度が急速に上がるそうです。「セロトニン=幸せホルモン」と単純化することに私は反対の立場ですが、とは言え私が晴れた日の朝に得ている幸せ感は朝の光で脳内に生成されたセロトニンのおかげかもしれません。
もうひとつ興味深い論文が見つかりました。医学誌「Building and Environment」2022年9月号に掲載された「家屋内での露光による幸福: 居住空間における幸福の認知と悲しみに対する自然光の影響(Enlightening wellbeing in the home: The impact of natural light design on perceived happiness and sadness in residential spaces)」です。
この研究が面白いのでちょっと詳しく紹介しましょう。研究に参加したのは750人。様々な部屋のシュミレーション画像を見てもらい幸せ感または寂寥感を評価してもらっています(シュミレーション画像の写真は論文に掲載されていますので是非見てみてください)。その結果、室内に差し込む自然光の量が多いほど、参加者はより強い幸福を感じることが分かったのです。そして、冬よりも夏の方がより強い幸福を感じるようです。窓の大きさも幸福感の因子になっているようで、壁に対する窓の割合が40%のときに最も幸せ感が強いそうです。参加者の年齢・性別も関与するようで、30歳未満の若者と女性はより強い影響を受けます。
偶然にも、私がいつも仕事をしている診察室の窓は壁のだいたい40%を占めています。窓は南向きのため早朝から夕方まで光が入ってきます。ということは、計らずも私は最適の環境を手に入れたということになるのかもしれません。
ところで私が寄り道をして通っている公園には晴れの日以外は行かないとはいえ「緑」という健康によさそうなものがあります。公園の横にあるマンションは家賃が高いと聞いたことがありますが、公園が健康に良いとする科学的なエビデンスはあるのでしょうか。
ありました。医学誌「International Journal of Environmental Research and Public Health」2014年3月号に掲載された論文「近くの緑地訪問と精神的健康: ウィスコンシン州の健康調査からのエビデンス(Exposure to Neighborhood Green Space and Mental Health: Evidence from the Survey of the Health of Wisconsin)」です。この研究によれば、近隣の緑地のレベルが高いほど、うつ病、不安、ストレス症状のレベルが有意に低いことがわかりました。
さらに興味深い研究が見つかりました。医学誌「People and Nature」2019年8月19日号に掲載された論文「都市の緑地を訪れた人は、Twitter上での感情が高まり、否定的な言葉が少なくなる(Visitors to urban greenspace have higher sentiment and lower negativity on Twitter)」です。人々が公園に訪問前、訪問中、訪問後にどのようなツイートをするかが調べられました。結果、公園訪問中のツイートは感情が(いい意味で)高ぶり、その後数時間はその感情が持続したことが分かったのです。
どうやら現在の私が快適な日々を過ごすことができるのは、キックボクシングジムが巻き散らす振動から解放されたことだけでなく、公園が近くにあって自然光が差し込む部屋で仕事ができるという非常に恵まれた環境のおかげのようです。上述したように、我々にこの物件を紹介し「閉院」の危機から救ってくれたのは不動産会社を経営している谷口医院の患者さんです。本当にありがたい話です。
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|2023年7月19日 水曜日
第239回(2023年7月) 「GLP-1ダイエット」は早くも第3世代に突入?!
相変わらず質問・相談の絶えない「GLP-1ダイエット」(正確には「GLP-1受容体作動薬によるダイエット」となると思いますが、ここでは簡略化された「GLP-1ダイエット」で通します)。少し前までは、初の内服である「リベルサス」に関する質問が多かったのですが、最近はその先を行く”第2世代”、さらには”第3世代”とも呼べる新しい製品に関心が集まってきています。
といっても第2世代の「マンジャロ」は、日本ではつい最近、(抗肥満薬ではなく)糖尿病の薬として発売されたばかりですし、第3世代の「Retatrutide」は、本稿執筆時点の2023年7月の時点で発売されている国は世界中のどこにもありません。我々医療者でも入手したばかりの情報を一般の人が仕入れて、さらに的確な質問をされることに驚かされます。今回はこれらの特徴をまとめて、今後日本で普及するかどうか、さらに問題点もまとめてみたいと思います。
まずはGLP-1ダイエットの歴史を振り替えてみましょう。
2010年6月 注射薬(1日1回注射)のリラグルチド(商品名「ビクトーザ」)が糖尿病に対して保険処方開始。その頃より、美容系クリニックがダイエット目的にリラグルチド(商品名「サクセンダ」)を輸入し販売開始。徐々に売上を伸ばす
2020年6月 注射薬(週に1回注射)のセマグルチド(商品名「オゼンピック」)が糖尿病に対して保険処方開始。ほぼ同時に、美容系クリニックがダイエット目的として販売開始。1日1回注射のサクセンダに代わりシェアを伸ばす
2021年2月 セマグルチドの内服薬「リベルサス」が糖尿病に対して保険処方開始。ほぼ同時に、美容系クリニックがダイエット目的として販売開始。注射型のオゼンピックに代わりシェアを伸ばす
2023年3月 セマグルチドが「ウゴービ」という名称でダイエット目的で保険薬として承認される。しかし2023年7月20日時点で「薬価収載」されておらず、処方できない状態が続いている
2023年4月 第2世代のGLP-1ダイエット薬(週に1回注射)とも呼べるチルゼパチド(商品名「マンジャロ」)が糖尿病に対して保険診療開始。
2023年6月 米国イーライリリー社が第3世代のGLP-1ダイエット薬とも呼べる「Retatrutide」について、米国サンディエゴで開催された米国糖尿病協会(ADA)で報告した
ここで、なぜGLP-1ダイエット薬を第2世代、第3世代と区別すべきかについて説明しておきます。実は、第2世代、第3世代という表現は正式なものではなく、私が勝手に命名しているにすぎません。しかし、患者さん(閉院・移転の関係で7月以降はメール対応のみ)に説明する上で、このような言い方をすると伝えやすいのです。
第1世代のGLP-1ダイエット薬は、有効成分が「GLP-1受容体作動薬のみ」です。ビクトーザもサクセンダもオゼンピックもリベルサスもこれに該当します。
第2世代は「GLP-1受容体作動薬+GIP受容体作動薬」です。「GIP」(Gastric inhibitory polypeptide)という言葉には聞き馴染みがないかもしれませんが、GLP-1受容体作動薬と同じように、血糖値を下げて肥満を解消する効果があると考えて差支えありません。
第3世代は「GLP-1受容体作動薬+GIP受容体作動薬+グルカゴン受容体作動薬」です。上述したようにGIPという用語はほとんどの人にとって馴染みがない言葉だと思いますが、グルカゴンは高校の生物に出てきますから聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。生物を選択していた人なら「インスリンの反対の作用」と覚えていると思います。
となると、疑問が出てきます。インスリンは血糖値を下げる働きがあるから、それが分泌されなくなったり効きが悪くなったりすれば治療としてインスリンを注射します。そしてこれが従来からおこなわれてきた糖尿病の治療法です。ならばインスリンと反対の方向のグルカゴンを作用させれば血糖値が上がってしまい、糖尿病を悪化させ、さらには肥満を増強しそうな感じがします。私自身も少し前まではそう思っていました。
ですが、実態はどうもそうではなく、グルカゴンはかなり複雑な働きをするようなのです。細かいメカニズムは解明しきれていないようなのですが、臨床試験の結果として、グルカゴン受容体を作用させれば、糖尿病の治療、さらにはダイエットにもつながることが分かってきたのです。ただし、この薬は現時点では学会で有効性が報告された段階であり、商品として市場に登場、さらに日本市場に現れるのはまだまだ先の話です。処方が開始されるにしても先に糖尿病薬としてであり、ダイエット目的の処方は見通しすらついていません。
ところで、谷口医院ではこれまでGLP-1ダイエットを希望する人に対して一切の処方をしていません。しかし「どうしても痩せたい」という人を止めることはできず、美容クリニックで(あるいは一般の内科系クリニックで)処方を受けている(というより購入している)人もいます。驚くべきことに、まったく肥満がないような若い女性にまで、しかも美容クリニックのみならず、一般の内科系クリニックやさらには糖尿病専門医までもがGL-1ダイエット薬を処方しているのが現状です。
では、GLP-1ダイエットに危険性はないのかと言えば「おおいにある」が答えです。まず、肥満がない人はこのような薬を使うべきではありません(と言ってもダイエットに取りつかれた人は何としてでも入手するのですが)。
次にある程度の肥満があった場合も副作用についてきちんと理解しておく必要があります。そもそもGLP-1ダイエットでやせるのは当たり前です。なぜなら食欲が激減するからです。実際、「食べる楽しみを失ったから(GLP-1ダイエットを)やめました」という人は後を絶ちません。
「GLP-1ダイエットのせいで食欲がなくなったから注射を(内服を)中止します」、にはそれほど大きな問題はありません。ですが、「GLP-1ダイエットのせいで命を失(いそうにな)った」は絶対に避けなければなりません。そして、実際、そのような報告が増えています。
EMA(European Medicines Agency、欧州医薬品庁)の安全委員会は、現在GLP-1受容体作動薬が原因の自殺念慮と自傷行為について検討しています。アイスランドではこれまでにGLP-1受容体作動薬が原因と思われる自殺念慮や自傷行為が約150件寄せられています。現時点では欧州の他国の状況や、EMAが今後どのような決定をするかについての情報はありませんが、注意深く経過をみていく必要があります。
翻って現在の日本。過去にも述べたように(下記コラム参照)、日本医師会の今村副会長が「(肥満に対しGLP-1ダイエット薬を処方するのは)医の倫理に反する」とまで記者会見で述べたのにもかかわらず、全国の美容外科医、一部の内科医、さらには一部の糖尿病専門医は肥満者のみならず、肥満がない人(特に若い女性)に処方しています。谷口医院が知る限り、「処方医から自殺念慮や自傷行為のリスクがあると聞いた」と答えた人はゼロです。
誤解のないように言っておくと、谷口医院はGLP-1ダイエットに反対しているわけではありません。むしろ、「ウゴービが保険適用になれば開始しましょうね」と話している患者さんも次第に増えてきています。
ですが、肥満のない人に対する処方は(つまり保険適用外の処方は)谷口医院ではおこなう予定はありません。そのような人たちに対してはこれまで通りオーソドックスなダイエット方法を伝えていきます。これで、けっこうな人たちが理想体重にもっていって健康を維持できているのです。
参考:
はやりの病気第223回(2022年3月)「GLP-1ダイエットが危険な理由」
はやりの病気第228回(2022年8月)「GLP-1ダイエットが危険な理由~その2~」
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|2023年6月22日 木曜日
第238回(2023年6月) コロナ後遺症予防にパキロビッドかゾコーバを
新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)がすっかり軽症化し、重症化リスクのある人を除けば取るに足らない感染症に成り下がりました。国民のほとんどがあれほど渇望していたワクチンも、今や希望者は激減し、2021年の「ワクチンをうてる場所がなくて……」という悲痛な叫びがもはや幻のように感じられます。
ではコロナはすでにインフルエンザと同じ程度の、あるいはインフルエンザよりも軽い風邪と考えていいのでしょうか。残念ながらそういうわけではありません。「後遺症」があるからです。
ここでよくある誤解について述べておきます。風邪症状が生じてその後後遺症が残るのはコロナ特有の現象と考えている人がそうではありません。生活ができなくなるほどの後遺症が生じる感染症にQ熱、ライム病などがあります。たしかにこれらは稀な感染症ではありますが、インフルエンザやマイコプラズマといったよくある感染症でも後遺症が残ることはしばしばあります。これらに感染した後に咳が1ヵ月続いた、というケースはいくらでもありますし、「倦怠感(だるさ)が取れない」「頭痛をよく起こすようになった」という訴えもまあまああります。
ただし、「半年以上に渡り味覚障害が続いている」といったケースは、私はコロナ以外では知りません。PEM(運動後倦怠感)という現象も、感染症ではなく慢性疲労症候群(ME/CFS)でならよくありますが、感染症後のPEMは、ほとんど私は経験したことがありません。なお、PEM/慢性疲労症候群については過去のコラム「誤解だらけの慢性疲労症候群(ME/CFS)」を参照ください。
他にも、脱毛、性機能障害(コロナ感染後性欲がなくなる、あるいはED(勃起障害)が起こる)、突然動悸が始まるようになった、という後遺症はコロナ以外ではほとんど聞きません。ということは、他の感染症後の後遺症とは異なる、コロナ特有の後遺症があるということになります。
すでに本サイトで公表しているように、当院では2023年5月末からコロナ後遺症の点数化を試みています。12の項目の合計点が12点以上あれば、「コロナ急性期後の後遺症(postacute sequelae of SARS-CoV-2 infection」、通称「PASC」の診断がつけられます。そして、PASCの診断がついた事例だけを正式な「コロナ後遺症」とすべきだ、とする意見が世界では増えてきています。
診断基準を点数化するという試みは、我々医療者にとってはありがたいものです。診断が簡単になるからです。特にコロナ後遺症の場合は、診断書や傷病手当を書くべきか否か、という社会的問題が伴いますから、こういった書類を作成するときにはありがたいツールとなります。
ですが、患者さん側からみたときは、症状が点数化されてもそれが治療につながるわけではなく、また自身では重症だと思っていたのに点数が11点しかなくて、そのせいで給付金がもらえなかった、という事態が生じるかもしれません。よって、診断基準の点数化は患者さんにとっては利点があるとは限りません。それに、これら12の診断基準はどれもが「(検査などで)確かめようがないもの」ですから、簡単に”嘘”を言うことができます。ですから、あらかじめこの基準を知っていれば医師の前で嘘をつくことによっていくらでも点数を上げることができるのです。
このように診断基準の点数化は問題が多数あるのですが、患者側からみて最重要は「治してほしい」ということです。ところが、コロナ後遺症の治療は本当に難しいのです。もちろん、当院で治った人も多数いるのですが、そのなかの何割かは薬が効いたのか自然に治ったのかの区別がつきません。漢方薬もよく使いますが、他の疾患に比べて漢方薬のキレがよくないというか、やはり効果があるのか自然に治ったのかがよく分からないのです。
「ワクチン」が治療になることはあります。実際、苦しい後遺症に苛まれていたけれど、ワクチンをうったとたんに(本当に”とたんに”)よくなる人もいるのです。しかし、その一方で、ワクチン接種で余計に悪くなる人もいるので、安易には勧められない方法です。英国のデータによると、ワクチン接種で後遺症が改善した人は56.7%に上りますが、18.7%の人たちは逆に悪化しています。
日本の論文もあります。後遺症を抱える患者の20.3%はワクチン接種2週間から6か月後に症状の改善を認めたものの、54.4%はワクチン接種後も症状の変化がありませんでした。この結果から著者らは「ワクチンは症状の変化に関係がない」と結論づけています。
どうやら「後遺症を発症すればコロナワクチンで治す」という方法には期待しない方がよさそうです。ただし、コロナワクチンは「後遺症のリスクを下げる」効果はありそうです。この日本の論文では、ワクチンを2回接種すると、未接種者に比べて後遺症発症リスクを36%、1回接種者に比べて40%下げることが分かりました。仏人を対象とした研究でもワクチン接種が後遺症のリスクを下げるという結果が出ています。医学誌「BMJ」2023年3月1日号の論文「コロナワクチン接種により重症及び後遺症が軽減されると研究で判明(Covid-19: Vaccination reduces severity and duration of long covid, study finds)」によると、ワクチン接種者は未接種者に比べて後遺症がすべて消失した人は2倍にもなります。
こうしてみると「後遺症を防ぎたければワクチン接種」となります。ですが、感染後の後遺症ではなく、ワクチンの後遺症に悩まされている人が少なくないのもまた事実です。そして、冒頭で述べたように、現在コロナワクチンをうたないという選択をする人がどんどん増えてきています。
しかし、後遺症にはいまや効果的な「予防薬」があります。パキロビッド、ゾコーバ、ラゲブリオといった抗コロナ薬です。本来、抗コロナ薬は感染が判った直後に内服することによって「重症化リスクを下げ」、「有症状期間を短くする」効果が期待できます。それらに加えて、後遺症のリスクを下げる効果も期待できるのです。
私の実感としては、パキロビッドは確実に後遺症のリスクを下げてくれます。論文では26%下げるとされていて、この数字は小さいように思えますが、谷口医院の経験でいえば「パキロビッドを服用して後遺症の生じた事例はゼロ」です。
ラゲブリオは重症化リスクを下げるかどうかは疑わしく、欧州では「ラゲブリオを使用すべきでない」と勧告されています。しかし、後遺症のリスクを軽減させるのは確実らしく、ある論文によると、ラゲブリオは感染後180日日後の絶対リスクを2.97%低下させます。2.97%という数字が小さすぎる気がしますが……。また、塩野義製薬によると、ゾコーバは後遺症のリスクを45%も低下させるそうです。ただし査読済の論文が発表されていませんからエビデンスがあるとは言えませんが。
では、なぜ抗コロナ薬が後遺症にも有効なのでしょうか。一部の患者は「長期間ウイルスが体内に残っているから」という説が最近注目されています。発症してから230日後に、脳全体を含む複数の部位でウイルスのRNAが検出されたという報告があります。また、海外メディアによると、英国では患者の体内からウイルスが発症505日目に検出されたという報告もあります。
通常、身体の隅々までウイルスの有無を検査することはできませんから(生きている状態で脳にウイルスがいるかどうかを調べることはできない)充分に調べられていないだけで、実際には後遺症で苦しんでいる人のいくらかはウイルスが残っているのかもしれません。現在のルールでは抗コロナ薬を使用するのは発症直後に限られていますが、後遺症で苦しんでいるケース(例えば前述の診断基準で12点以上のケース)では使用を認めるべきなのかもしれません。
現時点で後遺症発症予防に対してできることはワクチンと発症直後の抗コロナ薬です。後遺症のリスクが高い人(谷口医院では「精神状態が脆弱な中年女性」が後遺症の最たるリスク)は積極的に考えた方がいいかもしれません。
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|2023年5月22日 月曜日
第237回(2023年5月) 麻疹(はしか)とこれからの発熱外来
麻疹(はしか)が流行しつつあります。麻疹そのものについての情報提供はこれまで、このサイトおよび他のサイトに私が書いたものもありますので(下記の毎日新聞「医療プレミア」の麻疹に関するコラムはすべて無料で読めます)、興味のある方にはそちらをご覧いただくとして、ここでは今後「麻疹かもしれない」と思ったときにどのように医療機関を受診すべきかについて述べていきたいと思います。
まず、「麻疹の再感染及びワクチン接種後の感染」について話をしておきましょう。
先日(2023年5月17日)、テレビ朝日の「ABEMA Prime」の出演依頼を受けて麻疹に対する話をしました。生放送ということで、どのような質問をされるのか不安があって、さらに、リハーサルなし、それどころか私自身が出演者と面識がないどころか、失礼ながら私がテレビを見ないこともあって、キャスターやパネリストがどのようなキャラクターの方々なのかもまるで分からない状態で番組がスタートしました。
しかも、私の出演はオンラインですからスタジオの”空気”が読めません。生放送で場違いなことや、空気が読めない発言をすれば大変なことになります。番組の「台本」のようなものを開始直前に受け取ったのですが、それをすべて読み終わらないうちに番組が始まってしまいました(下記URLで1週間はオンデマンドで診られるそうです)。
興味深いことに、そして非常に幸いなことに、キャスターの益若つばささんが冒頭で私にとってとてもありがたいコメントをしてくれました。益若さんは最近帯状疱疹に罹患されたそうです。そのときに「子供の頃に水痘(みずぼうそう)にかかったことがリスクと言われた。麻疹もそうなのかどうかが心配です」といったことを発言してくれたのです。しかも番組の途中で、再度その疑問を取り上げてくれました。
これは多くの人が知りたいことであり、医師の立場からみれば「極めて良い質問」です。そして、この答えは「麻疹の再感染はない」です。益若さんが苦しまれた帯状疱疹はたしかに過去の水痘ウイルスの感染が原因です。ですが、麻疹の場合は感染して治癒すれば強力な「抗体」ができて二度と感染することはありません。
その番組で私は「個人的な意見だが麻疹のパンデミックは起こらない」と述べました。その理由は2つあります。1つは2006年に麻疹ワクチンは2回接種が定期化されたために現在の18歳未満のひとたちはしっかりとした抗体があるから。そしてもう1つは現在55歳(あるいは60歳)以上の人たちの大半は感染しているために自然の抗体ができているからです。
通常、パンデミックが起こって多数の犠牲者が起こる感染症は免疫能が不十分な小児と高齢者を襲います。ところが麻疹の場合は、この2つのグループが強固の免疫で守られていますからパンデミックの心配はないのです。
では、ワクチンを2回接種した場合はどうでしょう。この場合はなかなか100%感染しないとは言えません。ワクチンを2回接種したのにも関わらず感染してしまう可能性はあります。ただし、ワクチンを2回接種していれば重症化することは(ほぼ)ありません。高熱が出ず、皮疹もごくわずかの軽症で済むのです。これを「修飾麻疹」と呼びます。
本稿執筆時点で2023年4月から5月にかけて麻疹を発症した事例が4例報告されています。1例目はインドで感染した茨城県の30代男性、2例目と3例目は1例目の男性と同じ新幹線の車両に乗車していた30代女性と40代男性。そして4例目が神戸の事例で、1例目の男性が神戸に移動していたことからこの男性から感染したものとみられています。これら4例のうち神戸の事例については公表されていないので詳細が分かりませんが、他の3例についてはいずれもワクチン未接種(または接種歴不詳)とされています。
茨城と東京の3例はいずれも入院しているようでおそらく軽症ではないのでしょう(4例目の神戸の事例は詳細不詳)。ということは、やはり麻疹対策での最重要事項はワクチンということになります。つまり、高齢者は既感染で、18歳未満は2回のワクチン接種で免疫を得ているわけですから「20~50代のワクチン追加接種」がパンデミックを回避するための最大のポイントになります。
もしもあなたがワクチン未接種または1回接種のみだったとして、麻疹かもしれない発熱が出たときはどうすればいいでしょうか。麻疹は「皮疹」が有名ですが、これは後半に出ます。もう少し正確に言うと、麻疹の発熱は「二相性」といっていったんは解熱します。そのときに口の中に白い斑点(これを「コプリック斑」と呼びます)ができ、その直後に2回目の発熱が起こり、このときに全身に皮疹が出現します。
1回目の発熱時ですでにかなりの倦怠感が伴います。この時点では麻疹よりは新型コロナ、またはインフルエンザが疑われることもあるでしょう。つまり、皮疹があろうがなかろうが、高熱と倦怠感があれば、医療機関の発熱外来を受診するしかないわけです。過去3年で私は何十回と繰り返して訴えてきたように「発熱外来」のあるかかりつけ医を見つけておくのがものすごく大切です。
では、軽症の場合はどうでしょうか。これも何度もお伝えしているように「新型コロナであろうがインフルエンザであろうが、重症化リスクのない人の場合は医療機関受診はそもそも不要」です。何もしなくてもそのうち治るからです。もっともこれは受診してはいけないという意味ではありません。場合によってはオンライン診療も含めて受診を検討すべきでしょう。
では軽症の麻疹を疑ったときにはどうすればいいのでしょうか。例えば、微熱と(特にかゆくない)皮疹が出た場合、我々はほぼ全例で麻疹を鑑別に加えます。そして、麻疹の疑いがあればどうするか。答えは「隔離」です。場合によっては軽症でも保健所と相談して入院先を探すこともありますし、入院できない場合は他人と接することのないよう自己隔離してもらいます。
なぜ、麻疹に感染すると隔離されなければならないのか。もちろん他人への感染リスクを下げるためですが、それならばインフルエンザや新型コロナと同じと思われるかもしれません。ですが、違うのです。新型コロナやインフルエンザよりも麻疹の方が他人への感染リスクを下げることがずっと重要なのです。
2016年にインドネシアで麻疹に感染した30代の日本人男性は現地で重症化し、意識をなくし人工呼吸器の装着を余儀なくされました。帰国後はリハビリを開始しましたが、後遺症が残ったと報告されています。風疹と異なり、麻疹は妊娠中の女性が感染しても母子感染はありませんが、赤ちゃんのみならず母体の命が危険に晒されます。つまり、ワクチン未接種(または1回接種のみ)の人たちがそれなりに多い現状に鑑みると、他人への感染は可能な限り避けなければならないのです。
麻疹の潜伏期間は10~12日程度あります。この間にも他人に感染させる可能性があります。発症後も、軽症であれば行動を控えない人もいるでしょう。一般的に麻疹に感染すると発症から完全治癒まで2~3週間はかかります。こんなにも自己隔離することはできない、と考える人もいるでしょう。ですが、成人が麻疹に感染したときのリスクを甘くみてはいけません。実際、4月から5月に感染した人たちは入院しているわけです。
日本には「はしかにでもかかったようなもの」という慣用句があり、これは一過性の発熱のみ、つまり「軽症」であることを示しているわけですが、成人に感染した場合のことを考えるとこの慣用句は必ずしも適切ではないのです。
参考:
マンスリーレポート
2016年9月 麻疹騒動から考える、かかりつけ医を持たないリスク
医療ニュース
2017年5月29日 ワクチン1回では不十分~後遺症も残る麻疹脳炎~
2016年8月31日 麻疹とマスギャザリング
「医療プレミア」
2022年12月19日 麻疹 「世界の全地域で差し迫った脅威」とWHOが訴えるわけ
2019年9月22日 人ごとでないフィリピン「ワクチン不信」と麻疹急増
2017年6月4日 本当に「大丈夫」?渡航前ワクチンの選び方
2016年4月3日 SSPE 恐ろしい「はしかのような」病から学ぶこと
2016年3月27日 麻疹感染者を増加させた「捏造論文」の罪
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