はやりの病気

2024年11月17日 日曜日

第255回(2024年11月) ビタミンDはサプリメントで摂取するしかない

 以前から「問題のビタミン」として本サイトで繰り返しているビタミンDについては相変わらず多数の質問が寄せられています。その後、いくつもの研究が発表され、複雑さが増しているのですが、結論をいえば「ほとんどの日本人はビタミンD不足で、サプリメントで摂取するしかない」となります。そして「不足すれば大変なことになる」も言えそうです。今回はそれについて述べますが、まずはこれまで本サイトで紹介してきたことをまとめてみましょう。

・ビタミンDの摂取基準が以前から大幅に引き上げられている。そのため、2001年の基準(男性2.9μg/日、女性3.0μg/日)ならクリアできても、新しい基準(男女とも8.5μg/日)で考えると大半の日本人が摂取できていない

・ビタミンDが不足すると、骨量低下、免疫能低下、アレルギー疾患のリスク向上など様々な弊害がある。がんのリスクを高めるとする意見もある

・ビタミンDをサプリメントで摂取しても健康上の利点がないとする研究がある

・しかし、食事から必要なビタミンDを補給するのはかなり難しい

・ビタミンDの血中濃度は30~50ng/mLが望ましい。20~30ng/mL未満は「不足」、20ng/mL未満は「欠乏症」とされている

 ビタミンDのサプリメントにうさん臭さが伴う理由のひとつは驚くほど高額で売られていることがあるからです。ある患者さんからの情報によると、コロナ後遺症で有名なそのクリニックでは「ビタミンD不足が原因だ」と言われ、月額8千円もの高価なサプリメントを(半ば強制的に)買わされたそうです。ビタミンDに月8千円とは……。ファンケル、小林製薬、大塚製薬などが扱うビタミンDのサプリメントはせいぜい月に300~400円程度です。

 大勢の日本人がビタミンDが不足しているのは事実です。医学誌「Osteoporosis International」に2013年に日本人を対象とした血中ビタミンD濃度を調査した研究が公開されました。日本人の男性の70~85%、女性では約90%がビタミンDの血中濃度が基準を下回っています。

 この研究はけっこう衝撃的で、谷口医院ではこの論文が発表されてから、職員健診の際に(職員全員が希望することもあり)全員のビタミンD濃度を実施しています。結果は、私自身も含めて(ビタミンDのサプリメントを飲んでいない限り)全員が毎回基準値に足りていません。約半数が20ng/mL以下、一番高いスタッフでも30ng/mLを超えていません。谷口医院では私自身も含め(ビタミンDのサプリメントを飲んでいない限り)全員が「欠乏症」または「不足」なのです。

 不思議なのは、これだけ大勢の日本人がビタミンDを適正に摂取できていないのにもかかわらず、厚労省なり地域の行政がサプリメントの摂取を勧めないことです。食事または日光からの摂取が困難なことを認め、治療薬として保険診療でビタミンDを処方できるようにすべきではないでしょうか。しかし行政は消極的です。

 厚労省のサイトには「ビタミンDは不足しがちな栄養素ですが、特にカプセル・錠剤形態のサプリメント類からの摂取については、過剰摂取に留意する必要があります」と記載されています。しかし、「留意する必要」と言われても何をすればいいのかまるで分かりません。例えば、厚労省がお墨付きを与えるサプリメントを紹介するとか、あるいは医薬品として処方できるようにすべきでしょう。

 では、なぜ行政はそのような対策に出ないのでしょうか。おそらくビタミンDについてはよく分かっていないところが多いからだと思います。過去に医療プレミアにビタミンDについてのコラムを書いたとき、複数の伝手を頼っていろんな役人に話を聞いてみたのですが、どうも厚労省としても、不明な点が多いために明確な基準をうちだせないようです。

 それは同省のサイトに掲載されている言葉からも読み取れます。ビタミンDの血中濃度の適正基準について、「一般に、30nmol/L(12ng/mL)を下回る血中濃度は骨や健康を保つには低すぎ、125nmol/L(50ng/mL)を超える血中濃度は恐らく高すぎます」という表現があります。

 「恐らく高すぎる」という言葉に自信のなさが表れています。これを執筆した役人も「もしかすると50ng/mLでも問題ないかもしれない。けれども、あまり高い数値を書いてしまうと健康被害が起こったときに責任問題になるかもしれない……」と考えたのではないでしょうか。

 しかし、高すぎるビタミンD血中濃度が危険なのは事実です。サプリメントマニアのなかには「自分はビタミンD濃度が高いから風邪をひかず、花粉症も治った。自分の場合は50ng/mLを超えるくらいが調子がいい」と言う人がいますがこれは危険です。最悪の場合、腎臓の機能が低下して元に戻らなくなるかもしれません。

 ではどうすればいいか。「定期的に測って血中濃度が適正化どうか確認する」が最善なのですが、この検査は保険適応にならず自費で受けるしかなく、費用はそれなりにします(谷口医院の場合1,800円)。しかし、食品(と日光)からでは不十分、サプリメントは摂取過多に注意、しかしそのサプリメントで充分な量が摂れているのかは不明、となんとももどかしいのがビタミンDなのです。

 しかし、ビタミンDは非常に重要な栄養素ですから、やはり自身が摂取できているかどうかは調べた方がいいでしょう。原則として谷口医院では自費検査を勧めていませんが、年に一度程度のビタミンDの検査は例外的に推奨しています。

 ではビタミンDを摂取して適正な血中濃度を保てばどんないいことがあるのでしょうか。この話がまた複雑です。まず、従来ビタミンDが有用と言われていた疾患についてはことごとく否定されています。例えばビタミンDをいくら摂取しても骨折や骨粗しょう症の予防にはなりません。

参考:
はやりの病気第244回(2023年12月)「なぜ「骨」への関心は低いのか」
医療ニュース2017年10月23日「骨折予防にビタミンDやカルシウムは無効」

 また、虚血性心疾患、脳血管障害、がんなどの予防にもほとんど寄与しません。

参考:医療ニュース2014年2月28日「ビタミンDのサプリメントに有益性なし」

 では、ビタミンDが不足していればどのような不都合があるのでしょうか。あるいはどのような症状があればビタミンD不足を疑えばいいのでしょうか。英紙「The Telegraph」から「ビタミンD不足で起こり得る7つの症状」を紹介しましょう。尚、この記事ではビタミンD不足を20ng/mL以下としています。
 
#1 疲労

疲労が慢性化している場合にビタミンD不足を疑います。興味深いことに、英国でもビタミンDの血中濃度を保険診療で測定することができるのは、慢性かつ広範囲の疼痛や骨疾患などの深刻な事態がある場合のみで、日本と同様のもどかしさがあるようです。

#2 風邪をひきやすい

すでにビタミンDが急性上気道炎(風邪)の予防になることを示した研究はいくつもあります。

また、エビデンスはありませんが、「ビタミンDでコロナ後遺症は治る」は”結果としては”正しいと思います。実際、谷口医院の患者さんにもそのような人はいます。しかし、一部の反ワクチン派が主張する「コロナ後遺症になればビタミンDは不足する」は正しいわけではありません。なぜなら、上述したように国民の8~9割が初めからビタミンD不足だからです。

#3 骨が痛い

ビタミンD不足が原因で骨粗しょう症や骨軟化症などを起こしている可能性があります。興味深いことに、上述したように「ビタミンDのサプリで骨粗しょう症は防げない」という研究がある一方で、若くして骨粗鬆症を発症する人はビタミンDが欠乏していることが多いのです。

#4 筋肉が痛い

慢性疼痛患者の71%にビタミンD不足(<20ng/mL) が認められたとする研究があります。谷口医院の患者さんのなかにも線維筋痛症や慢性疲労症候群が疑われていて、ビタミンDのサプリメントで治ったケースがあります。

#5 傷の治りが遅い

傷が治るには炎症を抑えなければなりません。ビタミンDは炎症を抑えてくれます。957 人の60歳以上のアイルランド人(日照時間が短いためビタミンDが不足しやすい)を対象とした調査では、ビタミンD血中濃度が10ng/mL以下であれば、炎症マーカーのCRP(C反応性蛋白)、IL-6(インターロイキン6)が上昇しやすいことがわかりました。

足に潰瘍を起こしている糖尿病患者にビタミンDを投与すると大きく改善した、という報告もあります。

#6 脱毛

48人の円形脱毛症の患者にビタミンDのクリームを外用すると、69.2%に効果があったとする報告があります。

びまん性脱毛(全体的に抜け毛が増えるタイプの脱毛)のある人はビタミンDが不足しており、その傾向は特に女性で顕著であることを示した報告があります。

#7 体重増加(糖尿病)

The Telegraphの記事ではビタミンD不足で体重増加が生じることを示したエビデンスが示されていませんが、糖尿病を予防するという研究は複数あります。

 これだけの研究を提示されるとビタミンDが重要であると認めざるを得ません。しかし、摂取し過ぎは不足以上に問題です。しかし検査に保険適用はない……。なんとももどかしいのがビタミンDです。

 

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2024年10月17日 木曜日

第254回(2024年10月) 認知症予防のまとめ

 前回のはやりの病気「『コレステロールは下げなくていい』なんて誰が言った?」に対して、質問や感想が大勢届いています。LDLコレステロール(以下、単に「コレステロール」)は多くの人たちに馴染みがあるキーワードのようで、「コレステロールが高いことが認知症の最大のリスクだなんてショックだ」という意見がある一方で、「コレステロールを下げるだけで認知症のリスクが減るならばありがたい」というポジティブな意見まで様々です。そこで今回は認知症のリスクについて再度まとめることを試み、前回に引き続きリスク軽減には何をすべきかについて興味深い研究を紹介したいと思います。

 まずリスクについて。前回のコラムでは「認知症のリスクのうち45%は生まれてから努力したり対策をとったりすることで軽減できる」と述べました。これは逆側からみると「55%はどうしようもない」ということでもあります。なんだ、努力でリスク軽減が図れるのは45%しかないのか……、と感じた人もいるようですが、ここは前向きに考えましょう。この「努力でなんとかなる」割合、2020年版では40%、2017年の論文ではわずか35%とされていたのです。つまり、ほんの7年ほど前までは「認知症になるかどうか3分の2は生まれたときから決まっている」と考えられていたところが、現在は「リスクの約半数は取り除ける」とされたわけですからこの違いはとても大きいと考えるべきです。

 しかしながら55%の”壁”は小さくありません。では55%を占める「変えられないリスク因子」とは何を指すのでしょうか。年齢(高齢であるほどリスクは上昇)、性別(生物学的性が女性であればリスクが高い)などもありますが、やはり最大の原因は「遺伝」、とりわけ本サイトでも何度も紹介しているApoE遺伝子が重要になります。ApoEにはε(イプシロンと読みます)2、ε3、ε4の3つがあり2つ一組で存在します。つまり、すべての人は、ε2・ε2、ε2・ε3、ε2・ε4、ε3・ε3、ε3・ε4、ε4・ε4の6つのうちのどれかを持っていて、この組み合わせは生涯変わりません。3種のεのうち、ε4がアルツハイマーのリスクとなります。

 ApoE遺伝子のε2,3,4は分子生物学的にどのような違いがあるのでしょうか。分子レベルでみれば遺伝子のアミノ酸の配置がわずかに違うだけです。科学誌「Science」2024年9月12日号の「遺伝子の重荷(The burden of a gene)」に掲載されたイラストを紹介しましょう。

 

 アミノ酸が並んでいる部位(コドン)の112番目がε2かε3ならシステイン(Cys)で、ε4はこの部分がアルギニン(Arg)に置き換わっています。もうひとつは158番目で、ε2ならシステインで、ε3と4はアルギニンです。たったこれだけの違いでその人の”運命”が大きく変わるのです。2007年に発表された認知症のリスクに関する論文によれば、ε3・ε3の人がアルツハイマーになるリスクを1とすると、ε3・ε4なら3.2倍、ε4・ε4のリスクはなんと11.6倍にもなります。上述の「Science」にも衝撃的なグラフが掲載されていますのでここに紹介しましょう。ε4を2つ持っていれば(ホモで所有していれば)75歳で8割が、80歳で9割以上が、85歳で95%以上がアルツハイマー病を発症するのです。ε3ε4の場合でも75歳で4割が、80歳で8割が発症します。

 

 遺伝子は変えられないわけですから、識者がメディアの取材に答えるときなどには必ず「遺伝的にリスクが高いからといって必ずしも発症するわけではない。ε4を2つ持っていても90歳を超えてしっかりしている高齢者もいる」といったコメントが採用されます。ですが、Scienceのこのグラフをみれば分かるようにε4が2つの人は90歳になればほとんど100%アルツハイマー病を発症しているわけですから、「しっかりしている高齢者」などは少なくとも数字の上では奇跡的な存在です。

 しかし、そうはいっても諦めるべきではありません。発症すれば仕方がありませんが、少しでも発症を遅らせる努力は必要でしょう。そのために役立つのが前回紹介したLANCETの論文であり、合計14個のリスク回避に務めるべきです。特に中年期以降の認知症のリスクのトップ3「コレステロール」「難聴」「社会的孤立」は最重要だと認識すべきです。若年期の「低教育」も5%を占めるハイリスクですから、もしもあなたが若年期に相当するなら今からでも勉強を始めるのがいいかもしれません。

 ではこれら14項目以外に気を付けるべきことはないのでしょうか。ここでは比較的新しい論文から認知症のリスク軽減に役立ちそうな情報を紹介しましょう。

 まずは手っ取り早い方法としてビタミンDの摂取を考えてみましょう。血中ビタミンD(25(OH)D)濃度が75nmol/L(=30ng/mL)未満の欠乏症になれば、欠乏症でない人に比べ認知症のリスクが2倍高いという研究があります。

 「ナッツを食べて認知症を防ごう!」とする研究もあります。対象は50,386人(平均年齢56.5歳、女性49.2%)の英国在住者で、平均7.1年の追跡調査の結果、ナッツをまったく食べない人と比べると、毎日ナッツを食べる人は、認知症発症リスクが12%低下したという結果が出ています。

 次は「歯」です。歯の数が19本以下になると認知症のリスクが上昇するという研究があります。20本以上の歯がある人と比較して、歯の数が10~19本の人は認知症のリスクが14%増加します。1~9本なら15%、0本の場合は13%の増加です。この結果が興味深いのは、「20本以上か19本以下か」という点が重要で、19本以下になってしまえば、0本でも19本でもリスクがほとんど変わっていないことです。つまり「認知症を防げたければ最低でも20本の歯を守れ」となるわけです。

 ビタミンDはサプリメントで、ナッツはアレルギーがなければ日々のおやつにすることで対策がとれそうです(ビタミンDの血中濃度の計測は自費診療になりますが)。また、歯についても早い段階で歯科医院を受診し、できるだけ「抜かない治療」を心がけることが大切です。この点は少し注意した方がいいかもしれません。どのようなときに抜歯するか、については歯科医院によって考え方が大きく異なるからです。谷口医院では、患者さんから相談されたときには「できるだけ抜かない治療」を実施してくれる歯科医院を推薦しています。

 ここからは認知症のリスクであることは分かっていても回避するのがときに困難な要素を紹介しましょう。研究はともに女性に限定されたもので、認知症のリスクはPTSDとストレスです。「PTSDが中年女性の認知機能を低下させるリスク因子である」ことを示した50~71歳の12,270人の女性を対象とした研究があります。参加者のなかでPTSDの症状があった女性は67%にのぼり、フラッシュバック、悪夢を見る、重度の不安に悩まされる、悲惨な出来事を繰り返し思い出す、気分が変調する、などの症状が多くあった女性は、まったく症状がなかった女性に比べて、認知機能の変化を示すスコアの変化率が著しく悪いことが分かりました。

 1968年に38歳~60歳だった1,415人の女性を35年間追跡調査して認知症のリスクを調べた研究では、中年期にストレスを繰り返し経験していた女性は、そうでない女性に比べて、認知症のリスクが65%高かったことが分かりました。特に強いストレスを経験していた女性は、認知症のリスクが2倍以上に上昇していました。

 PTSDもストレスも本人の努力ではどうにもならないケースが多いでしょうが、これらが認知症の大きなリスクになることは知っておくべきでしょう。

 「認知症を患わないようにする」だけが今後の人生の目標になってしまうのは行き過ぎですが、自身のリスクを把握した上で総合的な対策を立てることが大切です。ただし、ApoE遺伝子の検査については受ける前にじゅうぶんに検討を重ねてください。谷口医院ではこれから配偶者ができる可能性がある、あるいはこれから出産を考えている男女に対しては見合わせるように助言しています。他方、50代以降の男女で受ける人は年々増えています。

 

 

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2024年9月8日 日曜日

第253回(2024年9月) 「コレステロールは下げなくていい」なんて誰が言った?

 これほどインパクトがある論文もそうありません。そう思っているのは私だけなのか、世間ではあまり盛り上がっていないようですが、2024年7月31日に医学誌「THE LANCET」に公開された論文を読んで私自身は椅子から転げ落ちるくらいにビックリしました。論文のタイトルは「認知症の予防、介入、ケア:ランセット常設委員会2024年報告書(Dementia prevention, intervention, and care: 2024 report of the Lancet standing Commission)」で、要するに「認知症の後天的なリスクを分析した報告書」です。

 この論文、結論から言えば「LDLコレステロール(=悪玉コレステロール、以下単に「コレステロール」)が認知症の(予防できるもので)最大のリスクになる」となります。「予防できるもので」と前置きがついてちょっと歯切れが悪くなるのは、「予防できない認知症のリスク」もあるからです。すべてを合わせた最大のリスク因子は「年齢」でこれはどうしようもありません。また「性別(生物学的性)」も変えようがありません。認知症は(生物学的な)女性の方がリスクが高いことが分かっていて、たとえ性自認(sexual identity)を男性に変更したところでリスクが減るわけではありません。
 
 また、遺伝子、特にApoE遺伝子をどのようなタイプで持つかにより認知症のリスクは大きく異なり、過去のコラムで紹介したように、ApoE遺伝子がε3・ε3の人がアルツハイマー病になるリスクを1とすると、ε4・ε4の場合のリスクはなんと11.6倍にもなります。しかし、生まれてしまってからは自分の遺伝子を変えることはできません。

 では、認知症における自身の努力で下げられるリスクと自分自身ではどうしようもないリスクの割合はどれくらいなのでしょうか。上記論文によれば、自身の努力で下げられるリスクは45%です。これを多いと考えるか少ないと思うか、ですが、日々患者さんを診ている私の意見としては「こんなにも多いのか(=よかった!)」です。なぜなら、やはり認知症の患者さんは親や親せきに認知症が多いことを思い知らされることがよくあるからです。「認知症は遺伝的に決まっている」などという話には夢も希望もありませんから、誰も語りませんし、こういうことを発言すれば強烈なバッシングをくらいますし、メディアは「〇〇をして認知症を予防しましょう」という話を好みますから「認知症は遺伝で決まる」などと言う表現は医療者の間でさえも「言ってはいけないこと」と考えられているようです。

 しかし私は何事も「隠す」ことには反対ですから、若いうちから「もしも両親のどちらかが比較的早い段階で認知症になったのならばあなた自身も覚悟した方がいい。もしも両親が共に認知症ならそのリスクはさらに高くなると考えてください」と伝えています。ApoE遺伝子の測定は安易にすべきではありませんが(その理由は過去のコラムで述べた通りです)、それでも自分がどの程度のリスクがあるのかは血縁者をみれば推測できます。

 ところが上記の論文によると45%は努力でリスクを下げられると言います。これはとても夢のある話です。4年前の2020年、この論文の前のバージョンが公開されました。このときは自身の努力で下げられるリスクは40%とされていました。しかし今年は45%、もちろん今年の値の方が正確です。過去4年間で様々な研究が検討され検証され、その結果が5%のアップになったのです。

 では、自身の努力で下げられる認知症の最大のリスクとは何か。それがコレステロールなのです。2020年のバージョンにはコレステロールは入っていませんでした。当時はまだコレステロールが認知症の大きなリスクであることを確証するエビデンスが不充分だったのです。2020年の時点で最大のリスクとされたのは「難聴」でした。

 2020年当時、この発表が最も歓迎されたのは耳鼻科の世界でした。難聴はそれまでは高齢になれば仕方がないという風潮があり、耳鼻科専門医でさえもあまり真剣に取り合っていないとすら言えました。実際、谷口医院に「耳鼻科ではたいしたことがないと言われたんですけど……」と言って難聴を気にしている患者さんが受診することもありました(今でもあります)。そういう場合、難聴に詳しい耳鼻科専門医を紹介することになりますが、毎回耳鼻科医間の”温度差”に驚かされます。

 2024年バージョンでも難聴のリスクが軽減されたわけではありません。難聴はコレステロールと並んで第1位なのです。これらが7%のリスクとなるとされています。残りのリスクは下の図(上記論文に掲載されているもの)の通りなのですが、文字にもしておきます。

〇若年期:低教育 5%
〇中年期:難聴 7%
     高LDLコレステロール 7%
     うつ病 3%
     脳の外傷 3%
     運動不足 2%
     糖尿病 2%
     喫煙 2%
     高血圧 2%
     肥満 1%
     過剰飲酒 1%
〇老年期 社会的孤立 5%
     大気汚染 3%
     視覚症状 2%

 これまでコレステロールはどちらかというと「医者は薬を飲んで下げろというけれど、実際には下げなくてもいい」というのが世間の認識でした。実際、「前の医者からは飲めと言われたけど、本当に飲まないといけないんですか」という訴えで受診する患者さんは少なくありません。

 たしかに、わずかに高いだけの患者さんがコレステロールを下げる薬を飲まなければいけないかどうかは簡単には決められません。よく「いくらになれば飲めばいいですか?」と聞かれますが、この問いにも答えられません。なぜなら、その答えは「その人による」だからです。コレステロールは動脈硬化の最大のリスクではありますが、他にも年齢、既往歴、喫煙歴、運動の程度、血圧、血糖値、中性脂肪の値、家族歴などを総合的に勘案して検討しなければならないのです。

 コレステロールが認知症のリスクになるという話は、これまでは私自身も診察室であまり触れていませんでした。LANCETの今回の論文が発表される以前から、コレステロールが認知症のリスクになるとする研究や論文は多数あったのですが、やはりエビデンスレベルが高いとは言えず、日本の認知症のガイドラインには「高齢期における LDLコレステロールレベルと認知症発症に関しては一定の傾向を認めない」と書かれているくらいですから、わずかに基準値が高いという人に対して「認知症予防のために薬を飲みましょう」とはなかなか言い辛かったのです。

 ですが、私自身は8月から(つまり上記論文を読んだ直後から)コレステロールの値が高いほぼすべての患者さんにこの論文の話をして、結果そのほとんどの人が内服を開始しています(たいていはマイルドスタチンと呼ばれる伝統的な安くて安全な薬を始めます)。なぜか医師の間ではこのような話を聞かないのですが、まず間違いなく、今後コレステロールの治療のハードルが下がります。なぜって、誰も認知症にはなりたくないからです。

 今も世間には「コレステロールは本当は下げなくていい」という噂やデマがはびこっているようですが、もしもそんな人がいれば「認知症は怖くないの?」と聞いてみてください。もしも医療者から「下げなくてもいい」などと言われることがあれば「先生は7月のLANCET読んだのですか?」と聞いてみてください。

 

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2024年9月5日 木曜日

第252回(2024年8月) 乳がんの遺伝子検査を安易に受けるべきでない理由

 前回は、乳がんは病理学的に次の5つに分類することができ、予後の良さ(治りやすさ)は#1>#2>#3>#4>#5であると述べました。

#1 ルミナールA(+HER2陰性)の乳がん
#2 ルミナールB+HER2陰性の乳がん
#3 ルミナールB+HER2陽性の乳がん
#4 ホルモン受容体陰性でHER2陽性の乳がん
#5 トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体もHER2も陰性)

 今回は、乳がんの「遺伝性」についての話をしましょう。遺伝性か遺伝性でないかという視点は、上記の病理学的なものとはまた別の分類となります。#3のトリプルネガティブに遺伝性が多いのは事実ですが、ホルモン受容体陽性乳がん(ルミナールA,B)やHER2陽性乳がんにも遺伝性のものがあります。尚、米国の乳がんの関連サイトによると、遺伝性の乳がんは乳がん全体の5~10%を占めています。

 遺伝性乳がんのほとんどがBRCA1またはBRCA2という名の2つの遺伝子の変異に関連しています。同サイトからポイントをまとめてみます。

・BRCA1遺伝子に変異がある女性は70歳までに乳がんを発症するリスクが50~70%

・BRCA2遺伝子の場合は40~60%

・BRCA1またはBRCA2遺伝子の変異に関連する乳がんは、若い女性に発症する傾向があり、両側の乳房に発生しやすい

・BRCA1またはBRCA2遺伝子に変異を持つ女性は、乳がんのみならず、卵巣がん、結腸がん、膵臓がん、悪性黒色腫を発症するリスクも高い

・BRCA2遺伝子に変異を持つ男性は、80歳までに乳がんを発症するリスクが8%。これは男性全体に比べて約80倍のリスク増

・BRCA1遺伝子に変異を持つ男性は、前立腺がんになるリスクがわずかに高くなる。BRCA2 変異を持つ男性は、変異を持たない男性に比べて前立腺がんを発症する可能性が7倍高い。皮膚がんや消化管がんなどのリスクも、BRCA1またはBRCA2遺伝子に変異を持つ男性の方がわずかに高い

・小児および青年のBRCA2遺伝子の変異は、非ホジキンリンパ腫のリスクが高い可能性がある

 「乳がんは検診が重要なことは分かったけれど、遺伝性のタイプに注意すべきなら、遺伝子検査を先にすればいいんじゃないの?」という質問がときどきあります。これは「がんの早期発見だけ」を考えるのならまったくその通りです。

 遺伝性の乳がんのリスクがあるということは、同時に卵巣がんのリスクもあることを意味します(双方に生じるがんを「遺伝性乳がん卵巣がん(Hereditary Breast and Ovarian Cancer = HBOC)」と呼びます)。前回述べたように、乳がんには有効な検診(スクリーニング検査=マンモグラフィーか超音波検査)がありますが、卵巣がんには早期発見に適した検診がありません。

 有用な検診がないということは「早期発見は困難」であることを意味します。ならば、遺伝的に乳がんと卵巣がんに罹患しやすいのか否かを、あらかじめ遺伝子検査により知っておくことは有益だと考えられます。

 BRCA1またはBRCA2遺伝子の変異は常染色体優性遺伝(最近は「優性」ではなく「顕性」とされることもあります)です。つまり、父・母のいずれかに変異があれば50%の確率で子供に遺伝します。男子に遺伝した場合、乳がんを発症する可能性は女性に比べるとかなり低いのですが、その男性に娘がいればやはり乳がんや卵巣がんのリスクが高くなります。

 では、BRCA遺伝子に変異がある(=乳がん・卵巣がんのリスクが高い)人はどれくらいの割合で存在するのでしょうか。これについては、だいたい人口の0.1~0.2%程度とされています。人種で偏りがあり、一部のユダヤ人(アシュケナージ系ユダヤ人)では2~2.5%に変異があり、アイスランド人、スウェーデン人、ハンガリー人にも多いとされています。

 日本人は世界平均と同等、つまり0.1~0.2%程度であろうと言われていますが、家族歴がある場合(血縁者に乳がんや卵巣がんを発症した人がいる場合)は10~20%に達するとする報告もあります。ならば、血縁者に乳がん・卵巣がん患者がいる場合はもちろん、家族歴がない場合でも、将来のがんのリスクを知るために誰もが調べるべきではないか、という考えがでてきます。その考えは見方によっては正しいと思いますが、実際には日本ではほとんど普及していません。その理由のひとつは「高すぎる費用」にあります。少なく見積もってもこのような検査は20~30万円ほどします。

 しかし、将来のがんのリスクを知ることができるのならこの程度なら検査を受けたいと考える人もいるでしょう。さらに、もしも陽性ならがんを発症していなくても乳房と卵巣を先に取ってしまえばいいではないか、という考えがでてきます。そして、これを実践した人のなかでおそらく最も有名なのがアンジェリーナ・ジョリーです。未発症の臓器を切除したアンジェリーナ・ジョリーのこの行動には賛同する声が多い一方で、発症するかどうか分からない臓器を摘出することには医療倫理的な問題があるとする意見もあります。

 乳房を切除すれば乳房形成術が必要になり(不要とする考えもあるかもしれませんが)、これには保険適用がありません。卵巣を切除すれば女性ホルモンの分泌がなくなりますからホルモン補充療法をその後かなり長期間続けなければなりません(この費用も保険適用にならないとされています)。現時点では、20~30万円近くのお金を払って遺伝的リスクを調べるべきか否か、検査した結果BRCA遺伝子の変異がみつかればがんを発症していなくても臓器を切除すべきかどうかは個人の判断に委ねられています(ただし、日本でがん未発症の臓器摘出をしたという話は聞いたことがありません)。

 この遺伝子検査が保険で受けられることもあります(その場合6万円ちょっとだったはずです)。例えば、45歳以下の乳がん、60歳以下のトリプルネガティブ、2個以上の乳がん、近親者に乳がんか卵巣がんの患者がいる、男性の乳がん、などの場合は該当します。

 ただし、高額の費用を捻出できたとしても、あるいは保険適用があったとしても、この検査は安易に受けるべきではない、と当院では言い続けています。遺伝子の検査は必然的に血縁者に影響を与えます。例えば、あなたが(乳がんを発症していたとしてもしていなかったとしても)BRCA遺伝子に変異があったとしましょう。すると、その時点であなたの兄弟・姉妹も50%の確率で変異があることが決定してしまいます。

 例えば、あなたに妹がいたとして、妹がそれを知れば結婚や出産をためらうことはないでしょうか。あるいはあなたにすでに子供がいる場合、子供の人生に影響が及ばないでしょうか。弟がいた場合、その弟ががんを発症する確率はそう高くありませんが、その弟に娘がいた場合、娘の将来の発がんリスクが上昇します。この検査をするときはそこまで考える必要があります。実際、当院の患者さんのなかにも「妹に不安を与えたくないので検査をしない」という選択をした乳がんの患者さんもいます。

 治療の話にうつりましょう。ホルモン受容体陽性乳がん(ルミナールAまたはB)はホルモン剤が良く効きます。通常はホルモン剤で小さくしてから手術をおこないます。このタイプは他のタイプに比べて予後良好(治りやすい)とされています。HER2陽性乳がんの場合は、HER2タンパクを標的とする抗HER2薬を投与した上で手術をします。抗HER2療法が実施されるようになったのは21世紀になってからで、この治療法の登場により劇的に予後がよくなったと言えます。

 一方、トリプルネガティブの場合はホルモン剤や抗HER2薬は使われずに抗がん剤が使用されます。この場合、抗がん剤がよく効くこともあればあまり効かないこともあります。

 ここで話は(前回に引き続き)再び小林麻央さんに戻ります。まったくの私の推測ですが、小林麻央さんが「標準治療」を受けなかったのはトリプルネガティブであったからであり(つまりホルモン剤や抗HER薬が使えなかった)、抗がん剤の否定的なイメージから使用を躊躇したのではないでしょうか。実際、世間ではトリプルネガティブには「予後不良」というイメージがつきまとっているようで、当院の患者さんや相談メールを寄せてくる人からそのようなコメントを聞くことがしばしばあります。

 ですが、トリプルネガティブに対して抗がん剤を試す価値は充分にあります。発見が早期であればあるほど抗がん剤の効果が期待できます。抗がん剤の早期使用でがんを小さくすることができれば、トリプルネガティブであったとしても手術でがんを取りきることが期待できるのです。前回も述べたように、早期発見ができていれば(≒Ⅰ期の段階で発見できれば)、トリプルネガティブの5年生存率は9割とも言われています。

 乳がんも他のがんと同様、早期発見につとめることが重要であり、もし発見が遅れたとしてもその時点で最善の治療を検討すべきです。当院では(私は)がんに対する標準治療以外の治療(サプリメントや食事療法など)をすべて否定しているわけではありませんが、こと乳がんに関していえば、薬(ホルモン療法、抗HER2療法、抗がん剤)+手術(+放射線治療)を推奨します。もしも発見が遅れ「手遅れ」と言われた場合は、残りの人生をどのように過ごすべきなのかを患者さんと共に考えていくことになります。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2024年8月5日 月曜日

第251回(2024年7月) 乳がんに伴う2つの誤解

 谷口医院の17年半の歴史のなかで、最も多数見つかったがんは子宮頸がん、そして2番目に多いのが乳がんです。子宮頸がんが最多であるのは当然といえば当然で、当院は「婦人科」を標榜していませんが(=看板を出していませんが)、2007年の開院当初から、月経困難症、子宮内膜症、子宮筋腫、更年期障害、性感染症などの診療をしていますから、視診上(内診上の所見で)がんを疑えばその場で検査をしています。また、いわゆる「がん検診」(大阪市民なら400円)で発見されることもまあまああります。

 他方、当院では「乳がん検診」をしていません。その理由はマンモグラフィーという特殊なレントゲン設備がないからです。つまり実施しようと思ってもできないのです。ときどき超音波検査(エコー)で「乳がん検診をしてほしい」と依頼されますが、原則として症状のない人の超音波での検診もお断りしています。私の技術に自信がないからです。

 症状がある場合(つまりしこりがある場合)は、その部位の超音波検査を実施すればがんの疑いがあるか否かは診断できますが、これは通常の「診察」です。他方、検診というのは「無症状の(つまりしこりが触れない)ときの検査」になります。私がいくら丁寧に超音波検査を実施しても、毎日何人もの乳がん検診を超音波検査で実施している乳腺外科医や放射線技師にはかなわないのです。

 しかし、当院をかかりつけ医にしている女性に「乳がん検診を受けていますか」という質問はできるだけするようにしています。受けていない人には受けられる医療機関を紹介します。当然といえば当然ですが、これにより乳がんが見つかることがまあまああります。また、先述したように乳房にしこりを訴えて受診する患者さんには私自身が超音波検査を実施して乳がんが見つかることがあります。かくして、谷口医院で(+谷口医院が乳がん検診を促したことで)乳がんがみつかるケースは少なくないのです。

 当院の患者さんからの声を集めると、乳がんには2つの大きな誤解があります。

 ひとつは「乳がん検診は精度が低い」というものです。これは完全に誤解で、検診を受けたから早期発見できたという事例は枚挙に暇がありません。しかし「検診を受けていたのに診断がついたときには手遅れだった」という事例は少数でも目立つために、メディアに取り上げられることも多く、何かと話題になります。検診で見逃される例としては、「乳首の真下にがんができていてマンモグラフィーでも超音波でも分かりにくいとき」、「がんなのにしこりができなかったとき」、「乳房全体が腫脹してしこりとなっていないとき」などです。しかし、大半は乳房にしこりができるタイプですから、検診を受けない選択肢はありません。

 もうひとつの誤解は「乳がんは治りにくい」で、こちらも完全な誤解です。しかし、この誤解が蔓延っているために、乳がんが見つかったときに手術や化学療法を拒否して民間療法で治そうとする人がいます。「乳がんは治すことのできるがんですよ」という話をすると、決まって言われるのが「小林麻央さんが治療を拒否したのは現代医療では治せないからでしょ」というものです。

 私は(恥ずかしながら)小林麻央さんという人を知らなかったのですが(テレビを見ないので)、アナウンサーをされていたそうですから、医療に対してもある程度の知識はあったのではないでしょうか。また、人脈が広く医療者の知り合いもいたでしょうから、現代医療を拒否されたのには何か事情があったはずです(小林さんを知らない私が推測するのは失礼であることは承知していますが、世間の誤解を解くために意見を述べることを許していただきたいと考えています。小林さんの話は次回にも登場します)。

 乳がんには(病理学的に)3つのタイプがあります。最近はインターネット上で分かりやすいサイトがいくらでもあると思いますが、ここでもそれら3つのタイプを簡単にまとめてみたいと思います。タイプは病理学的な分類(顕微鏡でどのような細胞が存在しているかに基づいた分類)です。

・ホルモン受容体陽性乳がん(乳がん全体の約70%)
・HER2(「ハーツー」と呼ばれます)陽性乳がん(乳がん全体の15~20%)
・トリプルネガティブ乳がん(乳がん全体の15~20%)

 ここでややこしいのは、ホルモン受容体が陽性で、かつHER2も陽性の乳がんもあるからです。だから、単純な病理学的分類ではなく、合計が100%になるように分類すると次のようになります。

・ホルモン受容体陽性かつHER2陽性の乳がん
・ホルモン受容体陽性でHER2陰性の乳がん
・ホルモン受容体陰性でHER2陽性の乳がん
・トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体もHER2も陰性)

 しかし、まだ腑に落ちないところがあります。「トリプル」ネガティブと言っておきながら、1つめがホルモン受容体、2つめがHER2なら、3つめは?という疑問がでてくるからです。実は、ホルモン受容体には2つあって、1つはエストロゲン受容体(ER)、もうひとつはプロゲステロン受容体(PgR)です。つまり、「トリプル」は、ER、PgR、そしてHER2の3つ、トリプルネガティブとは、ER、PgR、HER2のすべてが陰性という意味です。

 ホルモン受容体陽性の乳がんは、ER、PgRが陽性か陰性かでルミナールAとルミナールBの2種類に分けられます(ルミナールは「ルミナル」と書かれている文献もあります)。基本的に、ルミナールAはER、PgRの双方が陽性、ルミナールBはERが陽性、PgRは陰性(ただしさらに複雑なことに例外もあります)です。尚、ERが陰性、PgRが陽性の乳がんはありません(そのはずです)。これらをまとめなおすと次の5つになります。

#1 ルミナールA+HER2陰性の乳がん
#2 ルミナールB+HER2陰性の乳がん
#3 ルミナールB+HER2陽性の乳がん
#4 ホルモン受容体陰性でHER2陽性の乳がん
#5 トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体もHER2も陰性)

 ここまできてもまだすっきりしない部分が残るのは、「ルミナールA+HER陽性は?」が気になるからです。分類学上はこのタイプもあってよさそうですが、実際には(少なくとも文献上は)ほとんどありません。よって、もしもあなた(やあなたの大切な人が)が乳がんを宣告されたときには、まずこれら5つのどのタイプかを確認すればいいのです。

 治りやすさ(=予後)は、おおまかにいえば、#1>#2>#3>#4>#5となります。割合としては、#1+#2で約7割、#5が約15%、#4が8%、#3が7%程度です。

 さて、乳がんは治りにくいかどうかの話に戻りましょう。長々と説明してきましたが、最も予後が悪いのはトリプルネガティブであるというのは(少なくとも統計上では)事実です。では、トリプルネガティブの予後がどれくらい悪いのかというと、厚労省の資料では、トリプルネガティブの5年無再発生存率はⅠ期で90%程度、Ⅱ期で85%程度、Ⅲ期で40%程度とされています。つまり、最も予後が悪いトリプルネガティブでさえ、早期発見ができていれば(≒Ⅰ期の段階で発見できれば)、5年生存率は9割と”予後良好”とも言えるのです。検診がどれだけ重要かがよく分かるでしょう。

 では、小林麻央さんをはじめ、定期的に乳がん検診を受け、早期発見ができたのにもかかわらず治療を拒否したり、あるいは治療がうまくいかなかったりするケースがあるのはなぜなのでしょうか。また、今回は乳がんの病理学的な分類についての話だけで「遺伝性」については触れていません。それらの話は次回おこないます。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2024年6月20日 木曜日

第250回(2024年6月) 電子タバコと加熱式タバコの違いと混乱、そして大麻

 (紙)タバコは健康に悪いから、あるいは人前で吸えないから加熱式(電子タバコ)にした、という人が大勢います。しかし、加熱式タバコに替えれば健康上のリスクが減るのかについては意見が分かれていて、また「加熱式」と「電子タバコ」の言葉の混乱はいっこうにおさまらず、各自の言っていることがバラバラで、ときに会話が成り立っていないことがあります。医療者の間でもコンセンサスがなくいろんな意見が錯綜しているのが現実です。今回は、これら新しいタバコの語句を整理し、法律を確認し、そして危険性についての見解をまとめてみたいと思います。

 まずは言葉の整理をしましょう。従来、タバコといえば紙タバコのことを指していました。しかし紙タバコという表現は昔は存在せず、強いて言うなら「紙巻きタバコ」と呼ばれていました。これは「葉巻(はまき)」や「キセル」「パイプ」に対して使うときの表現です。タバコの葉を細かく刻んで鼻腔に入れる嗅ぎタバコというものもあります。他に、アラブ人がよく吸っている水タバコ(シーシャ)があります。ここまでが「従来のタバコ」と言えるでしょう。これらを見渡すと、(アラブ人を除けば)ほとんどの愛煙家が吸うのが紙巻タバコでしたから、単に「タバコ」と言えば「紙巻タバコ」を指していたわけです。

 現在は紙巻タバコの「巻」がとれて、「紙タバコ」と呼ばれる機会が増えています。これは単に「タバコ」であれば、現在主流になりつつある加熱式タバコや電子タバコと区別ができませんし、「紙巻」では長くなりますから「巻」を略して、紙タバコと呼ばれるようになったのではないかと私は推測しています。

 「加熱式タバコ」の話をしましょう。加熱式タバコとは、紙タバコのようにタバコの葉に火をつけるのではなく、タバコの葉を加熱してエアロゾルを生成させ、そのエアロゾルを吸い込むことでニコチンを体内に吸収させます。JTが90年代後半から発売していた「エアーズ」は加熱式タバコに分類されます。同社は2013年に「プルーム」という製品を発売しましたが、さほど広がりませんでした。全国的に普及したのはフィリップモリス社が2014年に販売開始した「アイコス(iQOS)」です。

 アイコスが予想以上に売れたことを受けてなのか、JTは2016年に上記プルームの後継品である「プルーム・テック (Ploom TECH) 」を発売しました。その後、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)が「グロー(glo)」を上市しました。他にもいくつかの加熱式タバコが発売されていますが、ほとんどこの3種で市場は占有されています。2020年8月31日の日経新聞によると、日本国内での「タバコ全体における加熱式タバコの市場占有率」は26%まで上昇し(残りのほとんどが紙タバコ、次いで葉巻)、加熱式タバコの内訳はアイコス7割、グロー2割、プルーム・テック1割とされています。

 加熱式タバコに似たものに「電子タバコ」があります。電子タバコが加熱式タバコと異なるのはタバコの葉ではなくリキッドを使う点にあります。リキッドを蒸発させた水蒸気を吸引してニコチンを吸収します。ただし、ニコチンが含まれていないものもあり、これらは(日本では)法律上区別されます。尚、加熱式タバコと電子タバコは文脈によっては区別されずに双方が「電子タバコ」と呼ばれていることもあり、これが混乱を招いています。

 ここまでをまとめてタバコを分類すると次のようになります。

〇従来のタバコ: 紙巻タバコ=紙タバコ≒タバコ
           パイプ
             キセル
             葉巻
             嗅ぎタバコ
             水タバコ(シーシャ)

〇加熱式タバコ:アイコス、プルーム・テック、グロー

〇電子タバコ(ニコチンを含むもの): 米国製のKIWI Penなど

〇電子タバコ(ニコチンを含まないもの): 日本で発売されているKIWI Pen、Dr.VAPEなど

 上述したように、加熱式タバコと電子タバコは文脈によっては同じように扱われることがあるのですが、厳密に区別しなければならないときがあります。それは国によっては「どちらかが合法でもう一方が違法」だからです。例えば、中国では電子タバコは合法ですが加熱式タバコは禁止されています。米国も電子タバコは合法ですが加熱式タバコは事実上違法です。フィリップモリス社の本社は米国にあり、一時アイコスが発売されましたが現在は禁止されているのです。他方、電子タバコは合法です。

 一方、日本ではニコチンを含む電子タバコは違法で、加熱式は合法です。ややこしいのは同じ製品でも国によってニコチンが含まれていたりいなかったりするからです。「KIWI Pen」は米国ではニコチンを含む電子タバコですが、日本で発売されている「KIWI Pen」はニコチンフリーです。つまり、米国で買ったKIWI Penを米国で使用するのはOKで、日本に持って帰っても個人で使用するのはOKですが、たくさん購入してそれを知り合いに売るようなことをすれば違法になります。また、日本に帰国する前に米国からタイ(加熱式タバコ・電子タバコ双方が違法)を経由したとすれば、タイの空港に到着した時点で(法的には)違法です。米国からベトナムに移動しても合法ですが、そのまま陸路でカンボジア(タイと同様、双方違法)に入国すればこの時点で違法になります。

 加熱式タバコ・電子タバコの双方を違法とする国は珍しくありません。有名なのがインド、タイ、カンボジア、シンガポール、ブータン、ブラジル、メキシコ、オーストラリアあたりです。このなかで、オーストラリアはニコチンを含まない電子タバコは認められていますが、他の6か国はニコチンなしの電子タバコもNGです。

 興味深いのはタイでしょう。タイでは電子タバコ・加熱式タバコ共に違法で、逮捕されると10年の懲役または50万バーツの罰金が課せられます。しかし、タイに詳しい人ならよくご存知と思いますが、実際にはこれらはショップや屋台で販売されています。それどころか、周知のようにタイでは現在大麻も合法です。オフィス街に24時間営業の大麻ショップがあり、ショッピング街にはきれいな大麻カフェが多数オープンしています。カオサンロードに行けば、入居しているすべての店舗が大麻関連の店というビルもあります。しかし、この国にアイコスなどを持ち込めば逮捕されるリスクがあるのは事実です。

 ちなみに、電子タバコの国ごとの規制についてはwikipediaの地図が分かりやすく役に立ちそうです。ただし、この情報が最新という保証はありませんから、渡航時にはその都度その国に確認する必要があります。加熱式タバコの国ごとの規制についてもこのような便利な地図が欲しいところですが、私が調べた限りでは残念ながら見当たりませんでした。

 以上みてきたように、加熱式タバコ、電子タバコに対する考え方は国よってまったく異なり、合法化すべきかについての、あるいは有害性の認識についての世界的なコンセンサスがありません。米国は「電子タバコOK、加熱式NG」で、日本はその逆ですが、では日本人と米国人では民族的に危険性が異なるのかというとそんなはずがありません。さらに大麻を議論に加えると、国によってやっていることはバラバラです。タイ人の体質は「大麻はOKでアイコスは有害」、日本人はその逆で「アイコスならOKで大麻は危険」などと言えるはずがありません。
 
 つまり、「加熱式は…、大麻は…、紙タバコは…」などと偉そうに言っている医師がいたとしても、それはその人物の意見に過ぎず、世界的なコンセンサスがあるわけではないのです。特に日本では「加熱式も電子タバコも(紙タバコと同様に)論外だ」と主張する専門医が少なくなく、そういう医師たちは禁煙にニコチン代替療法のパッチを勧めるわけですが、英国にはこれを覆すデータがあります。

 886人の禁煙希望者を対象に実施した研究があります。医学誌「The New England Journal of Medicine」2019年1月30日号に掲載された論文「電子タバコとニコチン置換療法のランダム化比較試験(A Randomized Trial of E-Cigarettes versus Nicotine-Replacement Therapy)」です。一方のグループには電子タバコを使い、もう一方にはニコチン代替療法(パッチなど)を処方しました。結果、電子タバコのグループはニコチン代替療法のグループに比べて1年後の禁煙率が1.83倍で、これをもって「電子タバコは有用な禁煙ツール」と結論づけられています。

 しかし、この研究には違和感が残らないでしょうか。なぜならこの研究での「禁煙成功」の定義は「紙タバコを吸っていなければ電子タバコは吸っていてもOK」だからです。ニコチンを紙タバコからではなく、電子タバコから吸収するのはOKとされているわけで、それをはたして「禁煙に成功した」と呼んでいいのでしょうか。注目すべきは研究の妥当性ではなく、英国人の考えです。英国人は「紙タバコでなければ喫煙ではない」と考えているわけでこの点が興味深いと言えます。

 しかし、その英国も最近少し変わってきました。2024年3月、英国政府は、「使い捨て電子タバコの禁止と電子タバコ用リキッドへの新たな課税を含むタバコおよび電子タバコ法案」を導入しました。これは主に未成年に対する電子タバコの規制を強化することが目的と言われています。

 と、このように国によって政策はバラバラであり、大麻も入れると議論は非常にややこしくなるわけですが、大切なのは各自がどのようなことに価値を求め、どのようなリスクをどれだけ取るつもりなのかをはっきりさせることです。その上でかかりつけ医に相談するのがいいでしょう。といっても、たいていの医師は「紙タバコはもちろん、加熱式も、電子タバコもNG。大麻など論外」と言うわけですが。しかし、そのように言う医師が、たとえば「ニコチンを含まない電子タバコ」のリスクをどれだけ考えているかは疑問ですし、いくつかの疾患や症状に対する大麻の有効性及び危険性についてきちんと説明する医師は極めて少数なのが現状です。

参考: GINAと共に
第211回(2024年1月) 大麻に手を出してはいけない「3つ目の理由」
第210回(2023年12月) 大麻について現時点で分かっている科学的知見

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2024年5月16日 木曜日

第249回(2024年5月) 健康の最優先事項はパートナーを見つけること

 谷口医院を開院した2007年にはほとんど意識していなかったのですが、「仲のいいカップルは病気をしにくく、しても予後(その病気の行方)がいい」ことを2010年代の半ばくらいには確信するようになっていました。仲睦まじいパートナーがいる人はがんが見つかったとしてもその後の経過が比較的順調なことが多く、生活習慣病もみるみる改善していくのです。禁煙成功率も高く、精神症状が出現しても比較的早期に治ります。しかしこれは当然と言えば当然です。食事療法はパートナーの協力が必要ですし、精神症状がよくなるのは言うまでもないことでしょう。

 しかし、2000年代当時、「おひとりさま」という言葉が流行していて、これからは(特に女性は)ひとりで人生を楽しむ時代だ、のような風潮がありましたから、「パートナーを見つけましょう」という考えは時代遅れのように捉えられていました。ちなみに、「おひとりさま」というこの言葉、世間では上野千鶴子氏の代名詞のように言われていますが、発案したのは岩下久美子さんというジャーナリストです。岩下さんは「警視庁ストーカー問題対策研究会」委員も務めていたストーカー研究の第一人者で、不幸なことに2001年9月1日、プーケットの海でパートナーと遊泳中に高波にのまれて水死しました。ちなみにプーケットの9月から10月は観光客の溺死事故がよく起こります。

 2010年、本サイトで「おひとりさま」を否定的に取り上げたコラム「素敵な老後の過ごし方」を書きました。上野千鶴子氏を批判し、さらに「おひとりさまの老後の満足度は低い」研究を紹介しました。そもそも仲の良いパートナーがいれば生活の満足度が上がるのは当然です。本サイトでは「パートナーとベッドを共にすればぐっすり眠れて長生きできる」というタイトルで海外の論文を紹介し、また別のコラムでは「ハーバード成人発達研究」から「50歳でのパートナーとの関係が良好であれば80歳で健康」という結果について取り上げました。

 今回は、「パートナーがいれば幸せ」というよりも、「パートナーがおらず孤独であれば病気になりやすく短命に終わる。孤独であることはそれだけで病だ」を示した研究を紹介しましょう。

 米国には「我々の孤独と孤立の蔓延2023(Our Epidemic of Loneliness and Isolation2023 )」という興味深い報告書があります。驚くべきことに、同報告書によると、「孤独」「社会的孤立」は、早期死亡(早死に)のリスクをそれぞれ26%、29%増加させ、これらは1日15 本のタバコを吸うのと同程度のリスク増加となります。「社会的孤立」とは、客観的な社会的関係がほとんどなく、社会的交流がほとんどないことを指します。一方、「孤独」は主観的な内面の状態を意味します。

 報告書には何が死亡のリスクになるかが総合的に解析されたグラフも掲載され、第1位から第6位までが分かりやすく表示されています。第6位は「大気汚染」、第5位は「肥満」、第4位は「座りっぱなし」、第3位は「(大量)飲酒」、第2位は「1日15本以上の喫煙」です。そして堂々の第1位が「孤独(社会的つながりの欠如)」なのです。

 同報告書から具体的な疾患をみていくと孤独のリスクは次のようになります。

・孤独は心臓病のリスクを29%増加、脳卒中のリスクを32%増加させる

・孤独な心不全患者は入院のリスクが68%増加、救急外来受診のリスクが57%増加、一般外来受診のリスクが26%増加、再入院のリスクが55%増加する

・孤独な人に対する社会的サポートを充実させれば高血圧のリスクが36%低下する

・6つ以上の多様な社会的役割 (親、配偶者、友人、家族、同僚、グループのメンバーなど)があれば、一般的な風邪ウイルスによる風邪を発症するリスクが4倍低い

・慢性的な孤独と社会的孤立は、高齢者の認知症発症リスクを約50%増加させる

・孤独を感じている人は認知能力が20%早く低下する

・孤独を頻繁に感じる人は、孤独をほとんどまたはまったく感じない人々に比べて、うつ病を発症する確率が2倍以上

・トラウマなど人生での不利な経験がある人は、他人に打ち明けることで、うつ病を発症するリスクが最大15%低下する

・男性の自殺は一人暮らしなど客観的な孤立と強く関連している

・女性の場合、孤独感が自傷行為による入院と有意に関連している

 孤独が多くの疾患のリスクとなり死亡率を高めるのであれば政府が対策を立てるべきだという考えがでてきます。この問題にいち早く取り組んだ国はおそらく英国でしょう。きっかけをつくったのは2016年にテロリストの凶弾に倒れた労働党のジョー・コックス(Helen Joanne “Jo” Cox)議員でした。氏の意思を受け継いだ超党派の英国議会議員らが「ジョー・コックス委員会」を結成し、2018年に「孤独大臣(Minister for Loneliness)」が誕生しました。現在はスチュアート・アンドルー(Stuart Andrew)氏が4代目の孤独大臣を務めています(日本のWikipediaでは英国の孤独大臣が廃止されたと書かれていますが……)。

 英国の次に孤独大臣が誕生したのはおそらく日本です。それほど大きく報道されたようには思えませんでしたが、2021年2月12日に初代孤独大臣(孤独・孤立対策担当大臣)が就任し、現在は4代目の加藤鮎子議員が就任しています。

 では、世界中のどれくらいの人が孤独を感じているのでしょうか。米国のプライマリ・ケアの患者603人を対象とした最近の研究では65歳以上の53%が2020年4月から2021年9月までに孤独を経験したことが分かりました。英国の慈善団体「Campaign to End Loneliness」 によると、2022年には英国の成人の49.63% (2,599万人) が「孤独を(常に、しばしば、時々)感じている」と答えています。さらに、英国の人口の7.1% (383万人) が慢性的な孤独感に苛まれています。
 
 国際比較をみてみましょう。統計のサイト「statista」に、世界29か国の孤独を感じている人の割合が掲載されています。第1位はブラジルで50%の人が「しばしば、またはいつも、またはときどき(Often/Always/Some of the times)」孤独を感じています。2位はトルコで46%、3~5位は、インド(43%)、サウジアラビア(43%)、イタリア(41%)です。世界初の孤独大臣が誕生した英国は14位で34%、意外なことに日本は第28位(下から2番目)で16%です。ただし、この調査は2021年に調査会社Ipsosにより公表されたものであり、新型コロナウイルスの影響を受けているでしょうから現在の孤独感とは違いがあるかもしれません。また、聞き取りの方法によっても回答が変わってくる可能性があります。

 内閣官房孤独・孤立対策担当室が公表している日本のデータをみてみましょう。約12,000人を対象に2021年に実施された調査で、孤独が「常にある/時々ある/たまにある」と答えた人の割合は36.4%で、約11,000人を対象とした2022年の調査では40.3%と増加しています。新型コロナウイルスの脅威が去り、ロックダウンから解放されている現在では世界中の人々の孤独感が大きく変化しているはずです。しかし、日本は以前から「ひきこもり」で世界的に有名で、「Hikikomori」はすでに国際語です。2013年には、BBCが世界に向けて日本の実情を報道しています。BBCの当時の報道では日本人の引きこもりは約70万人としていますが、その後も増加し、内閣府が2022年11月に実施した調査では15歳から64歳までの年齢層の2%余りにあたる推計146万人に上ります。日本が引きこもり大国であり、かつ孤独を感じている人が多いのは間違いないでしょう。

 ということは、「日本人ほど早死にのリスクを抱えた民族はいない」と言えそうです。早死にのリスクを軽減させるためによく言われるのが「食事」「運動」「適正体重」「禁煙」「節酒」などですが、これらよりも重要な最優先事項は「孤独からの脱却」だと考えるべきでしょう。

 孤独から解放されるための人間関係にはいろいろとあるでしょうが、やはりパートナーに勝る存在はないでしょう。ということは、健康のために食事の内容や運動のメニューを考えたり、あるいは禁煙の計画を立てたりするよりも、孤独を感じている人はまずパートナーを探すことを最優先すべきです。これが、谷口医院で様々な患者さんを17年間診察してきた私が今感じていることです。

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2024年4月18日 木曜日

第248回(2024年4月) 危険なサプリメント

 私が「サプリメント推奨派の医者」と思われているのか、当院では開院の2007年以来、サプリメントの質問はコンスタントに寄せられています。興味深いことに、その逆に「先生(私のこと)はサプリメントに反対する医者かと思っていました……」と言われることもしばしばあります。私自身はサプリメントには”中立”のつもりで、患者さんによっては推奨することもあれば、危険な(海外製の)サプリメントを摂取している人や、すでに副作用が出ている患者さんに対し中止するよう助言することもあります。

 2007年の開院以来を振り返ると、サプリメントに関する質問も随分と変わってきました。当初多かったのは亜鉛、ビタミンC、プラセンタ、などで、2010年代中頃からはビタミンD、クロレラ、ウコンなどに関する相談が増えました。数年前からはNMNに関する問い合わせが急増しています。このようにサプリメントや健康食品には流行があります。

 サプリメントに関する大きな「誤解」をはっきりさせておきましょう。これは患者さんが誤解しているというよりも、「医師が間違ったことを言っている」と私は以前から言い続けています。初診の患者さんから「前の病院では、サプリメントは効果がないからサプリメントなのであって、効果があるなら薬になるはず。だからサプリメントは必要ないと言われた」と教えてもらうことがあります。また「どんなサプリメントを飲んでいるかまで言わなくていい」と言われたという患者さんもいます。

 これらは双方とも間違っています。まず、サプリメントに効果がないわけではありません。また使用しているサプリメントは申告してもらう必要があります。だから当院の問診票には、「健康食品・サプリメント等」という文字を入れて「使用している薬をすべて教えてください」と書いてあるのです。過去に何度か「〇〇で受診しただけでも必要なのですか」と聞かれることがあったので、問診票には「検査結果に影響を与えたり、飲み合わせの関係などで……」という文言を加えています。

 「サプリメントに効果がない」が誤っていることを示すには「紅麹」だけでじゅうぶんでしょう。小林製薬の紅麹のサプリメントの事件で有名になったように、紅麹に含まれるモナコリンKはコレステロールを下げる薬「ロバスタチン」(名前が似ている「ロスバスタチン」とは別の薬)と同じ成分です。ロバスタチンは日本では承認されていませんが、米国ではコレステロール降下薬として処方されています。当然、他の「スタチン製剤」と同様、ときに腎機能障害をはじめ副作用のリスクがあり重症化することもあります。妊娠中は絶対に内服してはいけないものです。

 「サプリメントの申告は不要」が間違っていることも紅麹だけでじゅうぶんでしょう。スタチンと同時に服用できない薬はいくつかあります。もしも、患者さんが紅麹を内服していることを知らずに医師がこういった薬を処方してしまえば取り返しのつかない事態になりかねません。

 もちろん注意を要するサプリメントは紅麹だけではありません。「知らないでは済まされない」注意点があるものがいくつもあります。ちなみに紅麹に関していえば、谷口医院ではこれまで数回相談されたことがあり、全例で「やめておいた方がいい。どうしても必要なら保険診療でスタチンを処方します」と伝えています。保険診療のスタチンであれば、製品の品質が保証され、定期的な採血などで効果と安全性が確認できます。わざわざ高いお金を払ってサプリメントを飲む意味はまったくないのです。

 では、日頃健康でかかりつけ医をもっていなくて、なんらかのサプリメントを始めたい場合はどうすればいいでしょうか。本来は薬局の店員や通販の担当者から助言を聞くべきだと思いますが、残念ながらそういったことはほとんどおこなわれていないようです。薬局やネットショップの販売店は利益が目的ですから、わざわざ販売額を減らすようなことに力を注がないのでしょう。「販売するなら安全配慮義務がある」と私は考えていますが、そんな正論を叫んでも虚しいだけです。よって自分の身は自分で守るしかなく、現実的な対処法を考えなければなりません。

 サプリメントの総合サイトで私が推薦しているのは国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所のサイトのなかにある「素材情報データベース」です。残念ながら薬学の知識がないとちょっとわかりにくいのですが、信頼性は極めて高いページです。例えば、紅麹についてはコレステロール低下に有用な研究が掲載されていると同時に「カビ毒が検出された報告がある」と危険性についても言及されています。

 リスクについては内閣府の「食品安全委員会」のサイトも推薦できます。検索キーワードに「紅麹」と入れれば、各国で紅麹が禁止されたり、注意勧告が発表されたりした情報がよく分かります。

 新たにサプリメントを開始するのであれば、最低でもこれくらいの調査はすべきなのです。といってもこんな面倒くさいことはやる気にならない人の方が多いでしょうし、上述したようにある程度薬学や生化学の知識がなければ難易度が高いかもしれません。しかし、ドラッグストアや通販のショップに相談してもまともな対応をしてもらえるとは思えません。

 ならばかかりつけ医に相談するしかありません。と、考えて谷口医院の患者さんたちは新しいサプリメントを始める前に私に相談されるのでしょう。

 もうひとつ例を挙げてみましょう。上述したように、過去数年で最も相談件数が多いのがNMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド=nicotinamide mononucleotide)です。たしかにNMNは動物実験やヒトを対象とした小規模実験では、運動能力向上などの好ましい結果が出ています。では「素材情報データベース」をみてみましょう。NMNを調べてみると、残念ながら有効性は「見当たらない」とされています。おそらく「エビデンスがあるとされる研究はない」という意味でしょう。

 小規模研究なら「健康状態が改善した」とするものもあるにはあるのですが(例えばこの論文)、とてもこれだけで推奨するわけにはいきません。また、他のサプリメントと同様、製品によって品質にばらつきがあるという問題もあり、実際それはメディアで報道されています。

 では医療機関で実施している点滴なら有効で安全なのかというと、まったくそうではありません。そもそも規制があるために入手が簡単ではないはずのNMNをどうやって入手しているのかがよく分かりません。医師免許を持っている医師にとってみれば、医療行為に関する裁量権はかなり大きく(ありていの言葉で言えば「やりたい放題」)、医師だからといって信頼できるわけではありません。NMNの点滴は安全性も有効性もまったくなんの保証もありません。日本抗加齢医学会は2024年3月1日、「自由診療特に再生医療に関する安全性の注意喚起について」というタイトルの声明文を発表し、医師に向けて「特にNMN点滴療法、幹細胞培養上清液及びエクソソームの静脈投与につきましては、医療水準として未確立の療法であり、その有効性・安全性について、エビデンスに基づく十分な検討をお願いいたします」と注意を促しました。

 では、なぜ一部の医師は有効性・安全性が確立していない医療行為に手を染めるのでしょうか。私は「結局はビジネスだから」という結論に達しました。私が医師になり、谷口医院を開業してからも「他の医師を悪く言わない」を心がけてきました。それが我々のルールであり、医師(のほとんど)は人格者だと信じていた(信じようとしていた)からです。しかし、医師の矜持を疑う出来事(つまり、「この医者、金儲けでこんなことやっているのか」と疑う事例)を繰り返し見聞きするようになり、コロナビジネスを手掛ける医師が少なくないことを知り、堕落した医師の存在を確信するようになりました。

 NMNに話を戻すと、有効性が認められた人を対象とした大規模調査はありません。点滴のNMNは安全性が担保されていません。それから私がNMNに対してそれほど積極的になれない理由は「NMNと同じような働きをするナイアシンは日本人は充分に摂取できているから」です。2019年の国民健康・栄養調査によると、日本人のナイアシンの平均摂取量は、男性33.3mg/日、女性28.0mg/日で、厚労省が推奨している量(男性:13~15mgNE/日、女性:10~12mgNE/日)を上回っています。ということは、日本人の平均的な食事で(NMNと同様の成分が)じゅうぶんに補えていることになります。

 では、平均的な日本人は必要な栄養素をすべて摂取できているのかというと、まったくそういうわけではなく、国民健康・栄養調査によると、摂取できているビタミンは、ナイアシンの他は、ビタミンE、ビタミンK、ビタミンB12、葉酸、パントテン酸だけで、ビタミンA、ビタミンD、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンCは不足しています。ミネラルをみてみると、カルシウム、マグネシウム、亜鉛が不足しています。食事で摂れないのならサプリメントでの摂取が選択肢となります。これらについてはこのサイト(やメルマガ)で追って紹介したいと思います。

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2024年3月21日 木曜日

第247回(2024年3月) 認知症のリスク、抗うつ薬で増加、飲酒で低下?

 認知症には信頼できる治療薬があるとは言えず、また決定的な予防法があるわけでもないことは本サイトで繰り返し述べています。治療薬について、日本のメディアではエーザイの「レカネマブ」を絶賛するような記事が目立ちますが、海外メディアは冷ややかなものが多いと言えます。ちなみに、海外メディアではレカネマブがいかに辛辣に酷評されているかについて私は「医療プレミア」で書いたことがあります。

2023年9月4日  「ここが問題! 認知症新薬「レカネマブ」」
2023年10月30日 「アルツハイマー病のリスク遺伝子検査は「気軽に受けてはいけない」」

 認知症は内服薬もさほど効果は期待できません。期待できないどころか、余計に悪化する場合も少なくないことを知っておくべきです。実際、例えばドネペジル(アリセプト)を使いだしてから性格が荒っぽくなって家族が手に負えなくなったという事例は枚挙に暇がありません。効果に乏しく副作用のリスクが大きいわけですからそのような薬を保険診療で処方してもいいのか、という問題も生じています。仏国では2018年に、ドネペジル、ガランタミン(レミニール)、リバスチグミン(イクセロンパッチ/リバスタッチパッチ)、メマンチン(メマリー)の4種類が保険適用外とされました。これら4種はうまく使えば症状緩和に期待できるのは事実ですが、決して認知症を治すことができるわけではありません。

 治療薬がないなら予防薬はどうでしょうか。昔から認知症の予防薬の開発は世界中で進められていますが、いまだに実現化にはほど遠い状態です。

 では薬でない予防方法はどうでしょうか。これまた、世界中でいろんな研究が続けられていて、「地中海食がいい」「運動が予防になる」などととする研究結果もあるにはありますが、決定的なものではありません。少なくとも「〇〇をしていれば安心」というものはありません。

 その逆に「〇〇はリスクになる」という研究は多数あり、肥満、喫煙、不健康な食事、運動不足、難聴、他人とのコミュニケーション不足、座りっぱなしなどがリスクとして確立されています。なかでも座りっぱなしは、「座りっぱなしの時間が長ければ運動しても認知症のリスクは上昇する」という研究があり、今すぐにでも対策をとらねばならない課題だといえます。

 忘れてはならない認知症のリスクとなる要因は「薬」です。「はやりの病気」第151回「認知症のリスクになると言われる3種の薬」では、ベンゾジアゼピン、抗コリン薬、胃薬のPPI(プロトンポンプ阻害薬)を紹介しました。これらには「認知症のリスクを上げない」とする研究もありますが、最近発表されている数々の研究から判断して「リスクはある」と考えるべきだと私は思います。

 他の「認知症のリスクを上げる薬」として、抗てんかん薬、抗パーキンソン薬、抗ヒスタミン薬、ステロイド、NSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)、循環器系治療薬(不整脈の薬や降圧薬)なども指摘されています。

 さて、随分前置きが長くなりましたが、今回は最近「認知症のリスクになる薬」として報告された薬、そして「アルコールが認知症の予防になるかもしれない」という俄かには信じがたい研究を紹介したいと思います。

 まずは最近報告された「認知症のリスクになる薬」の話をしましょう。その薬とは「SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)」です。SSRIとは2000年代以降、世界で最も使用されている抗うつ薬で「(重篤な)副作用はほとんどない」とされています。ベンゾジアゼピンのような依存性もなく、三環系抗うつ薬のような「眠気、ふらつき、倦怠感」もありません。当院でも2007年の開院以来、SSRIは最も多く処方している抗うつ薬です。2008年の「はやりの病気」で取り上げたこともあります(「SSRIは本当に効果がないのか」)。

 世界で最も有名なSSRIはおそらく「プロザック」です。上述のコラムにも書いたように90年代には「ハッピードラッグ」と呼ばれ、全米での使用者は1千万人を超えました。日本ではなぜか今も発売されていませんが、他のSSRIは(当院も含めて)多くの医療機関で処方されています。フルボキサミン(デプロメール、ルボックス)、パロキセチン(パキシル)、セルトラリン(ジェイゾロフト)、エスシタロプラム(レクサプロ)の4種が日本では使用されています。

 2008年のコラムでも書いたように、SSRIは万能ではありませんがよく効くことも多く、また副作用が少なく長期間使用しても依存性がないために使いやすい薬だと言えます。しかし最近、そのSSRIが認知症のリスクになるというショッキングな研究がスペインから発表されました。医学誌「Journal of Affective Disorders」2024年3月15日号に掲載されたその論文のタイトルは「抗うつ薬を使用した高齢者の認知症リスク:スペインにおける人口ベースのコホート分析(Risk of dementia among antidepressant elderly users: A population-based cohort analysis in Spain)」です。

 研究にはスペインの医療データベースが用いられました。1種類の抗うつ薬を90日以上内服している60歳以上の62,928人を分析した結果、三環系抗うつ薬を内服している人に対し、SSRIを内服している人は認知症のリスクが1.792倍上昇していることが分かったのです(喫煙の有無、生活習慣上のリスク、既存疾患などの他のリスク因子は取り除かれて分析されています)。尚、この研究では他の抗うつ薬も「その他の抗うつ薬」として分析されており、三環系抗うつ薬のグループに比べ認知症のリスクが1.958倍高くなっていました。

 では、うつ病には古典的な三環系抗うつ薬を使えばいいのかというと、上述したようにこの薬は「眠気、ふらつき、倦怠感」の副作用がそれなりの頻度で起こります。谷口医院では2000年代には(上述のコラムでも述べたように)SSRIをそれなりにたくさん処方していましたが、その後年々処方量を減らしています。患者さんからの要望も変化してきており、今では「他院で処方された抗うつ薬を減らしたい」という訴えが「抗うつ薬を処方してほしい」というリクエストをしのぐほどになっています。

 最後に「飲酒が認知症のリスクを下げる」という衝撃的な研究を紹介しましょう。韓国の研究で、論文は医学誌「JAMA」2023年2月6日に発表された「韓国の全国コホートにおけるアルコール消費量と認知症リスクの変化(Changes in Alcohol Consumption and Risk of Dementia in a Nationwide Cohort in South Korea)」です。

 研究の対象者は韓国在住の3,933,382人(平均年齢55.0歳、男性51.8%)で、飲酒量により4つのグループに分類されています。「まったく飲まない群」「少量(1日15グラム未満)飲酒する群」「中等量(1日15~29.9グラム)飲酒する群」「多量(1日30グラム以上)飲酒する群」の4つです。平均6.3年の追跡期間中に100,282人が認知症を発症しました。結果、「まったく飲まない群」に比べ、「少量飲酒する群」では21%、「中等量飲酒する群」では17%、認知症の発症リスクが低下していました。他方、「多量飲酒する群」ではリスクが8%上昇していました。

 飲酒者には嬉しい研究と捉えられますが、さらに喜ばしい分析結果も出ています。多量飲酒する人が中等量に減らした場合、減らさなかった人に比べて認知症発症リスクが8%低下するという結果が出たのです。

 ただし、少量、中等量、多量のアルコール量にはじゅうぶん注意が必要です。アルコールのグラム数は「摂取量(mL) × アルコール濃度(%)× 0.8」で算出します。例えば5%のビール500mLなら、500 x 5%(=0.05) x 0.8 = 20グラムとなります。この研究の「少量」がいかに少ない量かが分かるでしょう。

 もうひとつ、注意が必要です。韓国人と日本人の「飲みっぷりの差」です。韓国の繁華街に行ったことのある人なら、韓国人がいかに大量に飲酒するかに驚いた経験があるのではないでしょうか。なにしろ、20歳前後の若い女性のグループがチャミスルの空瓶を大量に並べているシーンが日常的にあります。つまり、韓国人のアルコール分解能力は日本人を大きく凌ぐと考えるべきです。その韓国人が多くない飲酒量(1日30グラム未満)なら認知症のリスクが下がるというのがこの研究の結論です。同じことが日本人にあてはまるとは考えない方がいいかもしれません。

 すべての日本人が直ちに完全禁酒する必要はないと思いますが、ほとんどの飲酒者は飲酒量を考え直すべきだとは言えるでしょう。前回のコラム「我々は飲酒を完全にやめるべきなのか」で述べたように、当院では最近ますますセリンクロの愛用者が増えています。

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2024年2月12日 月曜日

第246回(2024年2月) 我々は飲酒を完全にやめるべきなのか

 少し前まで「健康に良い」とされていたものが、ある日突然”悪者”になることがあります。典型的なのは薬やワクチンで、突然副作用がクローズアップされて使われなくなることがあります。コロナワクチンは依然公衆衛生学的には優れたものですが、個人レベルでみたときには取返しのつかない副作用が起こることがあり、それが知れ渡ると一気に”人気”がなくなりました。

 現在、アルコール飲料(以下、単に「アルコール」)が悪者に成り下がろうとしています。言葉の起源はよく分からず誰が言い出したのかはっきりしませんが、つい最近まで「酒は百薬の長」という言葉すら使われていました(今も未練がましく言う人がいます)。しかし、今の時代にこんなことを言えば「時代に取り残された人」というレッテルを貼られかねません。

 アルコールが優れているとする科学的なデータがある(あった)のは事実です。日本の研究で有名なのは2005年に医学誌「British Journal of Cancer」に発表された「がんになるリスクに対する飲酒の影響:日本における大規模集団研究のデータから(Impact of alcohol drinking on total cancer risk: data from a large-scale population-based cohort study in Japan)」です。結論は「男性では『時々飲む人』(occasional drinkers)のがんの発生率が最も低い」です。「時々飲む人」ががんになるリスクを1.00とすればまったく飲まない人のリスクは1.10。つまり、「まったく飲まない人はときどき飲む人に比べて発がんリスクが1割高い」のです。ビール酒造組合も参考文献としてこの論文を挙げています。

 酒好きでかつインテリの人はよくこういう研究を話題にするわけですが、実はこの論文、よく読めばさほどアルコールを絶賛していないことがわかります。まず、女性には飲酒でがんのリスクが下がるとは一切書かれていません。また「時々飲む」の定義は「毎日少量飲む」でも「休肝日をつくる」でもなく「定期的に飲まず宴会などで機会があれば少量飲む」という意味です。改めてよく読んでみると「時々飲む」人のがんのリスクを1.00とすれば、週に350mLの缶ビールを1~10本飲む人(つまり1日1~2本飲む人)のリスクは1.18と18%上昇しているのです。論文の「時々飲む」がどれだけ少量かを認識しなければなりません。

 現在世界的には「飲酒は一切しないのが理想」という考えがすでに主流となっています。そのような研究は2010年代に入ってから相次いでいたのですが、大きく舵が切られたのは2023年1月4日、世界保健機関(WHO)が発表した「我々の健康に安全なレベルのアルコール消費はない(No level of alcohol consumption is safe for our health)」という声明です。WHOがはっきりと「アルコールはわずかでも健康を害する」と主張したのです。

 このWHOの声明をいち早く取り入れて国の方針にしたのがカナダです。カナダは国のガイドラインにこの考えを取り込み、アルコールの有害性を国民に強調しました。大麻が完全合法のカナダが「アルコールはわずかでも危険だ」と発表していることは興味深いと言えるでしょう。

 「酒は百薬の長」などという言葉が、いかに時代錯誤かが分かるでしょう。我々は世界の見解を謙虚に受け止め、アルコールはわずかでも有害であることを認めなければなりません。

 では、アルコールが有害であることを認めるとして、長所はまったくないのでしょうか。そんなことはありません。リラックス効果があるのは間違いありませんし(ただし個人差が大きい)、アルコールのおかげで人間関係が構築できた、あるいは関係性がより強固になった、ということはいくらでもあるわけです。ということは、「有害性を自覚しながら各自が飲酒量をコントロールしていく」ことが重要となります。

 アルコールについて考えたとき「生涯飲酒をしない」と選択する人もこれからはどんどん増えるでしょう。特にまだ酒を口にしたことがない未成年の人たちのいくらかは生涯飲酒をすることはないのではないか、と私は予想しています。「送別会などどうしても参加しなければならない席で乾杯だけ付き合う」という選択肢も出てくるでしょう。

 他方、「飲酒をやめたいけれどやめられない」あるいは「減らしたいけれど飲み始めると理性が効かなくなる」という人はどうすればいいのでしょうか。その場合「断酒」または「節酒」を考えることになります。

 アルコール依存症の診断がついている人には以前は「断酒しか選択肢がない」と言われていました。実際、長期間やめていても1滴のアルコールが引き金となり再び依存症に……、というケースは実によくあります。ですから「依存症には断酒しかない」とされ、今でもその考えは根強くあります。

 しかし、その一方で依存症には断酒が最適だとしても断酒に踏み切れない人や、あるいは依存症とまでは呼べないけれどもう少し飲酒量を減らすべき人には「節酒」が推薦されるようになってきました。この理由はいくつかありますが「断酒しなくても、一定の割合の人は上手に節酒できるから」もそのひとつです。実は、これはあまり指摘されませんが、私が診てきた患者さんでも、アルコールのみならず、大麻はもちろん、覚醒剤でさえも上手に付き合っている人がいます。ただし(特に覚醒剤については)そのようなことを言うと「自分もそっち側だ」と都合よく解釈する人がほとんどですから「やめたくてもやめられなくなり人生が崩壊していくリスク」を私自身も強調するようにしています。実際、私の経験でいえば(少なくとも覚醒剤については)そのように崩壊していく人の方がずっと多いのです。

 アルコールに話を戻しましょう。最近、「断酒は古い。これからは節酒だ」と言われるようになった理由のひとつは、セリンクロ(一般名「ナルメフェン」)という薬が登場したことです。この薬は従来の抗酒薬と呼ばれるノックビン(ジスルフィラム)、シアナマイド(シアナミド)、あるいはレグテクト(アカンプロサート)のように「断酒」が内服の条件ではなく、飲酒することを前提としています。通常、飲酒する1~2時間前に1錠(または2錠)飲みます。すると、アルコールによる快楽が減少し、結果として飲み過ぎを防いでくれるのです。

 ということは、「飲酒量を減らしたい。だから家では飲まないようにしている。だけど、飲みにいくとついつい場の雰囲気に負けて飲んでしまうんだよなぁ。つがれた酒はあけなければならないと教えてくれたのは誰だっけ……」などという人には最適な薬です。なにしろ、飲酒しない日には飲む必要がなく、友人知人と飲酒をする日にのみ飲み会が始まる少し前に飲んでおけば効果が期待できるのですから。

 ところで、依存症はどの医師が診るのかというと、一応は精神科医ということになっています。しかし、当院では2007年の開院以来大勢の依存症の患者さんをいろんな精神科に紹介してきましたが、たいていは結局診てもらえずに帰されています。精神科を受診してもらっても門前払いされているケースが大半なのです。特に覚醒剤依存症についてはほとんど診てもらえた試しがありません。摂食障害ですらも(摂食障害も広義には依存症だと私は考えています)精神科クリニックから断られることがしばしばあります。

 そういう事情もあって、覚醒剤のみならず、咳止め/風邪薬、ベンゾジアゼピン(これはそもそも精神科で処方された薬が原因です)、大麻なども結局当院で診ることになるケースが以前からあり、次第に増えてきているのです。

 アルコールについては「節酒」を選択した場合、超音波検査で肝臓の状態をチェックし、血液検査の値や各種がんのリスクも考えながら、セリンクロを生活のなかに上手に取り入れてもらっています。


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