はやりの病気

第81回 慢性腎臓病と塩分制限 2010/5/19

 「慢性腎臓病」という病気の名前を聞いたことがあるでしょうか。

 「慢性」も「腎臓病」も別段真新しいネーミングではありませんから、なんとなく昔からあったように感じられますが、「慢性腎臓病」というこの病気の名前はそれほど古くからあったわけではありません。
 
 慢性腎臓病(Chronic Kidney Disease、略してCKDと呼ばれることも多い)は2002年に提唱された、新しい病気の概念です。

 この病気の定義は、専門的に言えば、3ヶ月以上続く尿蛋白など腎臓病を疑う異常所見、もしくは3ヶ月以上糸球体濾過量(GFR)が60ml/分(正常100ml/分)、のいずれかを満たす状態、となります。糸球体濾過量というのは、腎臓を構成する糸球体と呼ばれるフィルターの役割を担っている組織が1分間にどれくらいの血液を濾過し尿をつくれるかを示す数値なのですが、これを正確に計測するのはかなり大変です。そこで、実際には、血液検査でわかる腎臓の数値をみて推定式にあてはめることによって、およその糸球体濾過量を算出します。

 もう少し現実的な話をすると、例えば健康診断で蛋白尿がみつかり再検査でも蛋白尿が続いたので採血をしてみてその結果から慢性腎臓病という診断がついた、とか、何らかの理由で血液検査をおこなったところ、偶然に腎臓の数値が悪くなっていることが発覚して、そこから慢性腎臓病の診断を受けた、などということが多いと言えます。ここで言う「腎臓の数値」とは通常クレアチニン(Cre)を指します。

 慢性腎臓病になるとどのような症状がでるのかというと、初期であれば、まったくといっていいほど無症状です。ある程度進行したところで初めて、尿の量が多い(特に夜間に何度もトイレに行く)とか、身体がむくむ、といった症状が出現します。

 この状態がさらに進行すると慢性腎臓病は重症化し、こうなると病名も「慢性腎不全」もしくは「尿毒症」となり、倦怠感、息切れなども出現します。ここまで来れば有効な治療法は人工透析か腎臓移植ということになってしまいます。

 慢性腎臓病という病気は2002年に提唱された、と上に述べましたが、実は米国では随分前から、この概念が重要視されていました。それは、腎不全にまでは至らないけれども腎臓の機能が少し低下した状態(要するに慢性腎臓病の状態)になると、将来的に心血管障害(心筋梗塞や脳梗塞など)を起こすリスクが高くなることが分かっていたからです。

 ところで、どのような人が慢性腎臓病になるのでしょうか。圧倒的に多いのが生活習慣の不摂生が原因となっている場合です。実際、メタボリック症候群(もしくは予備軍)の人が慢性腎臓病を合併しているケースは非常に多いと言えます。太融寺町谷口医院の患者さんをみてみても、慢性腎臓病と診断がついているのは、40代から60代くらいのメタボ体型の男女が目立ちます。(しかし痩せている人でも慢性腎臓病は珍しくはありません)

 ですから、運動療法と食餌療法をしっかりとおこなえば慢性腎臓病のリスクは随分と減らすことができるのですが、そのなかでも最も重要なのは「塩分の制限」です。しかし、塩分の制限というのは決して簡単ではありません。

 そもそも塩というのは大昔には大変貴重なものであり、人間の身体は少ない量の塩分摂取で生きることができるようにつくられています。もしも大量の塩分を摂らないと生存できないような身体であれば子孫を残せなかったというわけです。しかし、その逆に、大量の塩分を摂取したときには不要な分は排出する、などといった都合のいい対処をおこなうことはできないのです。

 よく言われるように、国際的にみて日本人の塩分摂取量はトップレベルです。2008年の厚生労働省の調査では、成人男性の1日の塩分摂取量は平均11.9グラム、女性で10.1グラムとなっています。昭和時代には15グラム以上、東北地方に限って言えば20グラムを超えていたという報告もありますから、最近は随分と改善してきていますが、現在でも適正摂取量からはほど遠いと言われています。

 慢性腎臓病の概念を早くから重要視していた米国では、塩分の制限が盛んに議論されるようになり、今年(2010年)3月には、ニューヨークで、「塩を使って料理をすると店主に罰金 1,000ドル(約 90,000円)を科せる」という法案が提出されました。(報道は2010年3月12日のTelegraph、下記注参照)

 さすがにこの法案は議会を通過しなかったそうですが、もしもこの法律が日本で成立したとすると生き残れるレストランは1つでもあるのでしょうか・・・。これほどまでに現在のアメリカでは塩に対する風当たりが強くなっているのです。

 塩分制限の世界的な流れを受けてなのか、2010年4月に改定された厚生労働省の「日本人の食事摂取基準」では、塩分の適正摂取量が男性9グラム未満、女性7.5グラム未満に改められています。(5年前の旧基準では男性10グラム未満、女性8グラム未満でした)

 塩分の適正摂取量には様々な議論がありますが、例えば、日本高血圧学会が推奨する1日の適正な塩分摂取量はわずか6グラムです。6グラムという基準をすべての日本人が守らなければならないかというと異論は多いでしょうが、慢性腎臓病という診断がつけられれば6グラム以下にすべきというのは、ほとんどの医療者が賛同するところです。(慢性腎臓病のガイドラインにもそう書かれています)

 では、食塩6グラムとは実際にはどの程度なのでしょうか。

 味噌汁、鍋焼きうどん、五目そば、これら3つの1杯ずつの塩分はどれくらいでしょう。正解は、順に、2グラム、7.4グラム、8グラムです。つまり、慢性腎臓病になるとうどんの1杯も食べられないということになってしまうのです。

 もっとも、汁を一切飲まなければ少しくらいは食べてもいいということにはなるでしょうが、塩分摂取量を適正に保とうすれば、寿司や刺身を食べるときも醤油はほとんど使えないでしょうし、健康にいいと言われている青魚でも、塩サバや塩サンマなんてものも食べられなくなってしまうわけです。

 では、いったい何を食べればいいのでしょうか。アボリジニ人やアフリカの一部の民族は塩分をほとんど摂らないそうですが、日本で長年生活している人がそういった民族料理で生きていくのは不可能でしょう。

 Telegraphの報道によりますと、ニューヨークのマイケル・ブルームバーグ市長は、「すでに公共区域での喫煙は禁止した。レストランでは、メニューにカロリー量の記載を義務付けている。塩の制限は高血圧の人たちを救えるのだ」とコメントしています。

 健康のため、病気の予防、などと言われればまったく反論できなくなるのですが、「もしも自分自身が塩分を6グラム以内にせよと言われたら到底不可能だろう・・・」、そんなことを感じながら、私は日々患者さんに塩分制限の話をしています。これではとうてい説得力がありません・・・。

 私は一応禁煙には成功したつもりですが、もしも塩分を6グラムにするよう強制されればやっていけるかどうか自信がありません。禁煙にもかなりの努力を要しましたが、塩分制限は禁煙よりもキツイことになるでしょう。

 「健康のため」というプロパガンダは、人々からタバコを奪い、高カロリー食を奪い、ついに塩分の制限まで強制するようになってきました。次のターゲットはおそらくアルコールになるでしょう。我々は、人生を楽しむためではなく、「健康のため」に生きているのでしょうか・・・、と皮肉のひとつも言いたくなります・・・。

注1:本文で紹介したTelegraphの記事のタイトルは
「NY restaurants face total salt ban if politician gets his way」で下記のURLで読むことができます。
http://www.telegraph.co.uk/foodanddrink/foodanddrinknews/

注2:どのような料理にどれだけ塩が含まれているかについては、厚生労働省が作成している下記のウェブサイトが参考になります。

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/seikatu/himan/

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