はやりの病気
2018年10月22日 月曜日
第182回(2018年10月) 糖質制限食の行方 その3
久しぶりに糖質制限の話をしたいと思います。「糖質制限食の行方 その1」「 糖質制限食の行方 その2」を公開したのがそれぞれ2012年7月、2013年2月ですから、マンスリーのコラムというかたちでは5年8か月ぶりということになります。
その後世界中でいろんな議論がおこなわれ、今も糖質制限は医学界で最も物議をかもしているトピックスのひとつです。医師のなかにも賛成派、反対派がいて、ときに激しい論争となることもあります。以前、私はある学会で賛成派と反対派の非常に激しい応戦を見て辟易としたことがあります。
さて、5年8か月の流れをざっと(私見を入れながら)振り返ってみたいと思います。
まず、日本糖尿病学会の見解としては、実は「その2」を公開した2013年2月からほとんど変わっていません。「その2」では、2013年1月に開催された第16回日本病態栄養学会年次学術集会で日本糖尿病学会が「糖質制限を勧めない。今後の検討課題とする」というようなコメントをしたことを紹介しました。
実際、2013年3月に同学会は「炭水化物を極端に制限して減量を図ることは、効果そのものや、長期的な食事療法としての遵守性や安全性などを担保するエビデンスが不足しており、現段階では勧められない」と発表しました。つまり、「糖質制限を推奨しない」ことを明言したのです。その後、同学会の会員のなかにも糖質制限を患者に勧めるという医師が増えてきていますが、学会全体としては依然従来の方針を変えていません。
一方、推奨派の医師たちは日本を含め世界中の研究で糖質制限の有効性は証明されてきていると主張します。最もよく引き合いに出される研究のひとつに「DIRECT試験(Dietary Intervention Randomized Controlled Trial)」というものがあります。この研究は一流の医学誌「New England Journal of Medicine」に2008年掲載された非常に有名なものなので簡単に振り返っておきましょう。
・研究の対象者:肥満か糖尿病のある合計322人。正確には「40~65歳でBMI27kg/m2以上」または「2型糖尿病または冠動脈疾患を有する」に当てはまる男女。
・研究期間:2005年7月~2007年6月の2年間
・方法:対象者を「低脂肪食」「低炭水化物食」「地中海食」のいずれかに無作為に割り付けてそれらの食事を摂ってもらう
・結果
#1 体重変化
低脂肪食群:-2.9kg (男性:-3.4kg、女性:-0.1 kg)
低炭水化物食群:-4.7kg (男性:-4.9kg、女性:-2.4kg)
地中海食群:-4.4kg (男性:-4.0kg、女性:-6.2kg)
#2 中性脂肪(TG)
低脂肪食群:-2.8mg/dL
低炭水化物食群:-23.7mg/dL
地中海食群:-21.8mg/dL
#3 空腹時血糖及びHbA1C:全群で低下。群の間に有意差なし。
糖質制限推奨派の多くの医師は、この研究を引き合いに出して糖質制限の有効性を主張します。体重も中性脂肪も明らかな有意差を持って、低炭水化物(と地中海食)が低脂肪食よりも有効だからです。
最近発表された糖質制限を危険とする研究を紹介します。2018年8月16日、著名な医学誌「The Lancet Public Health」に掲載された論文です。実は、糖質制限の危険性を指摘する研究は過去に何度も発表されているのですが(先述の「糖質制限食の行方 その1」「 糖質制限食の行方 その2」参照)、この論文は大規模であることに加え、結果がクリアカットに糖質制限を否定するものであったことから、(おそらく日本も含めて)世界中の医療系メディアが報道し話題となりました。この研究を簡単にまとめてみましょう。
・研究の対象者:15,428人(45~64歳の米国人の男女)
・研究期間:約25年間。その間に6,283人が死亡
結果は、興味深いことに、炭水化物の摂取量と平均余命の間に「U字形の関連性」を認めました。つまり、炭水化物(≒糖質)摂取量が少ない人(炭水化物からの摂取カロリーが全体の40%未満)と、多い人(炭水化物から70%以上)は、中程度の摂取の人(50~55%)の人と比較して、死亡リスクが高かったのです。
これまでの糖質制限を否定する研究でも大規模のものはありましたが、この研究が注目されているのは、これほどまでにはっきりと糖質制限の危険性を示したものはおそらく他にはないからです。
ただし、この研究をそのまま受け止めるには少し問題があります。たしかに、先に述べた糖質制限を肯定する2008年の研究は対象者が”わずか”322人で、この糖質制限をはっきりと否定した研究の対象者は15,428人と約50倍もの差があります。ですが、統計学を勉強したことがある人には自明だと思いますが、前者の研究は「前向き研究」で後者は「後向き研究」です。つまり、統計学的な信ぴょう性は前者の研究の方が遥かに高いのです。
どういうことかと言えば、後者の、つまり糖質制限を否定する研究では、対象者がそれまでに食べてきたものを思い出して記録します。そこにはいくらかの「恣意性」が介入してしまいます。研究者にもいくらかの恣意が入っている可能性を否定できないでしょうし、例えば対象者が糖質制限否定派だったとしたら「自分は健康で長生きしているから糖質を適度に摂取しているに違いない」と思い込んでいる可能性があります。この可能性が過去に食べたものを思い出すのに影響するのです。
それから、この研究の「欠点」を挙げるとすれば、糖質の分類がおこなわれていないことです。例えば、ケーキ、ドーナツ、ポテトチップス、ラーメン、ハンバーガーとフレンチフライ、などは誰が見ても健康に良くない糖質ですが、リンゴやオレンジなどのフルーツ、あるいはヤマイモやニンジンはどうでしょう。やはり、これらはきちんと分類して検討すべきです。
一方、糖質制限賛成派がよく言う「糖質以外なら何を食べてもいい」という考えも危険です。私がきちんと調べたわけではありませんが、糖質制限賛成派で自らも糖質制限で大きく減量に成功したジャーナリストの桐山秀樹が心筋梗塞で亡くなったのは、糖質制限のおかげで血糖値は正常だったものの、LDLコレステロールが高値だったという噂があります。LDLは心筋梗塞の最大のリスク要因のひとつです。
実は、糖質制限を開始し体重と血糖値は改善したもののLDLがかえって上昇したという人は太融寺町谷口医院の患者さんにも少なくありません。LDLは薬で下げればいい、と簡単に考えている人もいますが、やはり食事のバランスは大切です。糖質制限を含め、食事療法を実践する場合、日々の血圧測定や定期的な血液検査なども不可欠となります。監督する者がいない状況での糖質制限はやはり危険と考えるべきでしょう。
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