マンスリーレポート

2013年6月13日 木曜日

2010年5月号 ドラッカーはどこまで社会に浸透するか

ピーター・ドラッカーが大変なブームになっています。

 ドラッカーが書いた古い書物が売れており、ドラッカーの解説本も次々と出版されているようです。『週間ダイヤモンド』は4月17日号で、丸々1冊をドラッカーの特集としました。

 このように”バブル”とも言えるドラッカーのムーブメントが巻き起こったのは、おそらく昨年(2009年)末に発刊となった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』がきっかけだと思われます。

 この本は、発売から半年足らずですでに51万部を突破しており、驚異的なベストセラーとなっています。しかし、私はこの本のことを初めて知ったとき、「こんな本、きっと売れないだろう・・・」と感じていました。

 そもそも、高校の野球部のマネージャーがドラッカーの書物を手にすることが不自然ですし、たとえ手に取ったとしても、難解なドラッカーを読みこなすことなど考えられません。しかも、ストーリーは、ドラッカーを読んだマネージャーが野球部を甲子園に連れて行く、というではないですか・・・。こんな現実離れした物語にいったい誰が興味を示すのだろう、私はそのように感じました。さらに、表紙の絵が子供向きというか、最近はこういうのが流行りなのかもしれませんが、あまり手に取る気のしないものだったので(もっともこれは好みの問題ですが・・・)、まあ、ともかくこの本はミーハーな人たちが読むようなもので、私には縁がないだろうと思っていました。

 ところがところが、私の予想に反して、『もし高校野球の・・・』(以下『もしドラ』)は驚異的なスピードで売上を伸ばしています。多くの週刊誌やビジネス雑誌が『もしドラ』を取り上げるようになり、インターネットでも話題となり、ついにドラッカーの難解な本までもが書店に平積みされるようになりました。

 しかし、決して易しくはないピーター・ドラッカーはどこまで社会に受け入れられているのでしょうか。

 私が初めてピーター・ドラッカーの著作を読んだのは、まだ社会学部の学生だった頃、1980年代でした。ドラッカーは今では「経営学者」という肩書きがつくことが多いですが、当時は「社会学者」、あるいは「未来学者」と言われることの方が多かったように記憶しています。

 私にとって最もインパクトがあったのは、(どの本に書かれていたかは覚えていませんが)、「知識労働」という言葉で、従来の大量生産の時代は終わり、知識集約型の産業が中心となる、という説明がなされていました。実際その後の約20年間でドラッカーの予言(?)どおりの社会になっていると言えるかもしれません。

 このようなことを書くと、私自身がさんざんドラッカーを読みこなしているように聞こえてしまいますが、私個人の経験を言えば、ドラッカーは大変読みにくく難解で、著書のタイトルには興味をひかれるのですが、内容は理解できるところがあまり多くないものでした。「ドラッカーの本はきっと何度も読み返して初めて有用なんだ」と考えて、いずれ繰り返し読むことを誓うのですが、結局どの本も1~2度読んだだけ、ひどいときは3分の1くらい読んでそのままほったらかしにしているものもあります。

 ですから、『もしドラ』のように、高校生がドラッカーを読みこなし、それを応用し弱小野球部を甲子園に連れて行くなどと言われても、「そんなことあり得ない!」と考えてしまうのです。

 しかしながら、ドラッカーの書物は難解なことには変わりないのですが、気合いを入れて1行1行読んでいけば、まったく読めないこともないと言えます。例えば、ヘーゲルやマルクス、あるいはマックス・ウエーバーやミシェル・フーコーといった古典的な哲学者・社会学者の書物は、1ページを読むのに1時間かかり、3ページ目で挫折・・・、ということが多いのですが(この手の書物の読解ができないことで私は「能力の限界」を感じています)、ドラッカーの場合は、1行1行は集中して読めば理解できなくもないのです。また、抽象的な言葉の後には例となるエピソードが紹介されていることも多く、このあたりは読者に親切なように感じます。さらに、日本語訳が大変丁寧で工夫されているのもドラッカーの日本語版の特徴といえるでしょう。

 さてさて、『もしドラ』なんて売れるはずがないし自分は興味が持てない、と私は考えていたわけですが、インターネットや各雑誌での書評を読むと、軒並み評判がいいことが気になりだしました。驚異的な売上を記録し、各界の評論家がそろって高得点をつけているのです。先月末、東京で開催されるある研究会に参加することになっていた私は、ついに『もしドラ』を購入し、新幹線のなかで読み始めました。

 感想は・・・、正直言って驚きました。物語の出だしの部分は、「描写の表現が少し物足りないなぁ」とか「高校生が本屋でドラッカーを勧められることなんてないだろう」とか感じながら読んでいたのですが、途中から物語に引き込まれ一気に最後まで読んでしまいました。

 読み始める前は「あり得ない」と感じていたストーリーも面白く読めましたし、随所でドラッカーの名言が引き合いに出されているところが大変興味深いと感じました。難解なドラッカーの理論が、上手く引き出され分かりやすく紹介されているのです。

 私が最も印象に残ったのは、野球部にとって「顧客」とは誰か、というテーマに主人公の女子高生が思いを巡らせるところです。「顧客」は、最終的には野球部以外の生徒や地域社会にも及び、さらに野球部のメンバー自身も含まれる、という結論に到達します。

 野球部の各部員だけでなく、複数のマネージャー、監督、他のクラブ活動の部員、地域社会などが見事に協力し合い、最後は見事に目標を達成し、全員が(そして読者も!)感動します。個人そして組織のそれぞれが長所を上手くいかし、他の個人や組織と協調し新たなものを生み出していきます。いくつかのシーンは身体がゾクゾクする程の読み応えがあります。

 もし高校野球の女子マネージャーだけでなく、世界の人々全員がドラッカーの「マネジメント」を読んだら・・・。きっと誰もが幸せな世界が待っていることでしょう。当初の思惑とは異なり、すっかり『もしドラ』に夢中になってしまった私は、改めてドラッカーの書物を手にとってみました。ほこりがかぶったドラッカーの作品を何冊かとりだし、以前中途半端なところで読むのを止めていた『非営利組織の経営』をまずは再読することにしました。

 どうやらミーハーなのは私だったようです・・・。

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2013年6月13日 木曜日

2010年4月号 もしもあのとき目が覚めなかったら…

最近の新聞報道をみていると、景気が回復し各国とも株価が上昇・・・、のような記事が目立つようになってきていますが、実感として景気が回復したと思える人はそう多くはないのではないでしょうか。

 太融寺町谷口医院を受診する患者さんのなかにも、「仕事が見つからなくて保険証がない状態が続いています・・・」という人がいますし、自営業をしている人などは、「仕事が激減して従業員に給料が払えるかどうかが心配で・・・」、という人もいます。この人は2年前には、「仕事が多すぎてまったく休めない」と愚痴をこぼしていましたから景気というのは怖いものです。

 患者さんだけではありません。私の友人や知人のなかにも、優秀な能力をもっているのに仕事を得ることができない人たちがいます。「選ばなければ仕事などいくらでもある」という意見もありますが、若いうちやあるいはリタイア後ならまだしも、私と同年代の40代前半くらいになると「仕事なら何でも・・・」というわけにはいかないのです。完璧な理想の仕事などあるはずがないにしても、それでもある程度の将来性ややりがいのようなものがなければ残りの人生の見通しが立たないのです。

 最近私がよく見る夢があります。実際に体験した過去のあるシーンなのですが、繰り返し繰り返し夢にでてくるのです。このシーンは拙書で紹介していますので少し引用してみたいと思います。

 (前略)おかしいなと思いながらも、間違っているはずがないので、たまたま自分に有利な問題が集まったのかなと思って少し眠ることにしました。しかし、勉強の神様が寝ている私に訴えかけたのでしょうか、もう一度だけ見直さなければならないような気がして、試験終了10分前に目を覚ましました。
 そして最後の見直しを始めた瞬間、背筋が凍りつくような感覚に襲われたのです。
 なんと、私は経済学部や法学部など文科系受験者用の問題を解いていたのです。(エール出版社『偏差値40からの医学部再受験』より)

 医学部受験の数学の試験のとき、わずか20分程度で全問を解いた私は他にすることもないので眠ることにしました。そして試験終了直前で目覚め、私が解いていたのは、医学部受験用の問題ではなく、文科系の問題だったことに気づいたのです。大阪市立大学は総合大学のため、入試用の数学の問題が全学部で1冊になっていたのです。

 試験終了直前に目覚めて必死で残りの問題を解き始める・・・、いつも夢にでてくるのはこのシーンです。

 もしも1996年2月のあの日あの時、試験終了のチャイムが鳴るまで私が目覚めていなかったとしたら、間違いなく不合格となっており、今頃はまったく別の人生を歩んでいたに違いありません。

 医学部入学をあきらめ他の仕事についているのでしょうか。それともアルバイトをしながら何か勉強をしているのでしょうか。あるいは、アルバイトすらもなく、ネットカフェ難民やホームレスになっているかもしれません・・・。

 試験中にケアレスミスに気づくかどうかでその後の人生が大きく変わってしまうのです。ケアレスミスをしないのも実力のうち・・・、と言われるかもしれませんが、私は自分自身がこのような経験をしていることもあって、「実力」という一言では片付けられないように感じています。

 もしかすると、あの日あの時、私と同じように文科系の問題を解いてしまい、試験終了まで気づかなかった受験生があの教室にいたかもしれません。あるいは、私がしたのとはまた別のケアレスミスが原因で、実力があったのにもかかわらず不幸にも不合格となった受験生もいたことでしょう。

 試験とは、ほんのささいなミスで結果が大きく異なり、場合によってはその後の人生がまったく別のものになってしまうものであり、私には「真の実力を測るもの」というよりもむしろ「運だめし」のように思えます。

 幸なことに現在の私は、労働時間こそ長いものの、それ以外は恵まれた生活をしていると言っていいでしょう。16年落ちの国産中古で購入価格が45万円、とはいえ一応自家用車を持っていますし、数千円もする専門書はなかなか手が出ませんが、1冊千円以下の文庫本や新書は躊躇せずに購入しています。あの日あの時、もしも目覚めていなかったらこのような生活は夢のまた夢だったかもしれないのです。

 最近、作家の渡辺淳一さんが週刊誌のなかで興味深いコラムを書かれていました。「東大合格者記事に?」というタイトルで、東大合格者の出身高校とそのランキング、さらに合格者のインタビューまで載せている週刊誌に苦言を呈しておられます。少し引用してみましょう。

 とにかく、この種の記事は多くの人に差別感を与えるだけである。
 まず、大学にすすんでいない人は、大きな不快感を覚えるに違いない。さらに、「大学を出ていない俺は駄目だ、東大を出た奴には勝てない」と自己否定をしかねない。
(中略。そして、東大に行った者が)そのまま官僚などになったら、それこそプライドのみ高い、世間知らずの人間になるだけだろう。(週刊新潮2010年4月8日号より)

 まったくその通りだと思います。
 
 医学部も含めて一般に難関と言われている試験に合格するためにはもちろん「実力」が必要です。しかし、それだけでは合格できません。まず周囲の理解が必要です(両親が大学受験に反対していればまず無理です)。次に、ある程度のお金が必要です(国公立ならそれほどいりませんが家が借金まみれであればむつかしいでしょう)。さらに受験までに何らかの「縁」があったはずです(例えば私の場合、元々社会学部の大学院を目指していましたが、いくつかの社会学関連の書物をきっかけに生命科学に興味が芽生え、そこから医学部を考えるようになり、当時お世話になっていた社会学部の教授に理解をいただきました)。そして、ケアレスミスをしない、あるいはミスをしたとしてもすぐに(目が覚めて!)気づく「運」が必要なのです。
 
 「実力」以外に、「周囲の理解」「お金」「縁」「運」、この5つがそろって初めて試験に合格できるわけです。このように考えることができれば、東大に合格した受験生も「プライドのみ高い、世間知らずの人間」にはなりにくいのではないでしょうか。

 しかし世の中の現実は、偏差値が高い生徒には東大や医学部など難関大学を目指すようなプレッシャーが与えられ、合格者は週刊誌に名前が載せられ、その週刊誌を学校の先生や親が見せびらかす・・・。こうなれば若い合格者は”勘違い”してしまって、優秀な人間には絶対に必要であるはずの謙虚さを忘れてしまうのも無理もないのかもしれません。

 今になり、あの日あの時のシーンが頻繁に夢に出てくるようになった私は、勉強の神様から「謙虚さを忘れるなよ!」というメッセージを与えられているのかもしれません・・・。

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2013年6月13日 木曜日

2010年3月号 大阪プライマリケア研究会の「世話人」として

私は現在、医療法人太融寺町谷口医院の院長であると同時に、大阪市立大学医学部附属病院総合診療センターの非常勤講師という立場でもあります。その大学医学部附属病院総合診療センターが中心となって運営している研究会に「大阪プライマリケア研究会」というものがあります。

 同研究会の代表は、総合診療センター教授の廣橋一裕教授がつとめられているのですが、2月中旬、教授から私に、同研究会の世話人になるように、とのご連絡をいただきました。同研究会に対して私が貢献できることなど微々たるものではあるが、できる限りのことをさせていただこう・・・。そのように考えた私は、この「世話人」という役職を引き受けることにしました。

 「世話人」といってももちろん私だけではありません。私などよりはるかに立派な先生方が名を連ねており、私は一番下っ端の立場であります。当分の間、先輩の先生方のお手伝いをさせていただくのが私の使命だと考えています。

 さて、プライマリケアについてはこのサイトでも何度も紹介していますが、最近の医学界におけるプライマリケア医の動向をここでまとめておきたいと思います。

 まず、プライマリケア関連の大きな学会が4月1日に誕生します。この学会は「日本プライマリケア連合学会」といいます。「連合」という名前が付いているのは、既存の3つの学会が言わば”合併”することになるからです。既存の3つの学会とは、日本プライマリケア学会、日本家庭医療学会、日本総合診療医学会です。

 これら3つの学会は、少しずつ”違い”はあるものの、総じて言えばプライマリケア医の知識と技術を向上させることを目的としています。医学界全体でみると、3つの学会はいずれも小さな学会ではありませんが巨大というわけでもありません。ならば、合併した方が会員にとっては有益なことが多いと思われます。例えば、学術大会を大きくすることによって発表のレベルが高くなったり、海外から著明な講師を招待しやすくなったり、といった利点が考えられます。

 私個人としては3つの学会が合併することには賛成です。これまでは3つそれぞれの学会に入っていて、どの学会の学術大会に参加すべきか悩まされていましたが(3つとも参加できるような時間的余裕はありません)、これからは連合学会の年に一度の学術大会に参加できるようにスケジュールを調節したいと考えています。(実際は、クリニックの都合で参加できなくなる可能性もありますが・・・)

 私と同様、多くのプライマリケア医が3つの合併に賛成の立場かというとそういうわけでもありません。一部にはこの合併に対して反対する意見もあります。

 2月5日から6日にかけて、「日本病院総合診療医学会」の第1回総会が福岡市で開催されました。この学会は、日本総合診療医学会が日本プライマリケア連合学会に合流することに反対した大学総合診療部の責任者が中心となって設立したものです。

 なぜ「日本病院総合診療医学会」を設立した医師たちは「連合学会」に賛同しなかったのかというと、おそらく連合学会が開業医や地域で働く「家庭医」の育成を主たる目的としているのに対し、日本病院総合診療医学会はあくまでも大学病院など大きな病院での総合診療を目指しているからではないかと思われます。

 以前、このサイトの「メディカルエッセイ」(下記注参照)で、大学病院の総合診療科が縮小方向にあるというお話をしましたが、この傾向は現在も続いています。大学病院の総合診療科には、患者さんがそれほど多く集まらないのです。(この理由については下記「メディカルエッセイ」を参照ください) 一方、中小の民間病院や診療所・クリニックには総合診療のできる医師(プライマリケア医)が必要です。これは、大学病院のような高次病院は専門医療を担う場所であって、小さな医療機関は幅広く多くの症状・疾患に対応できなければならないからです。

 しかしながら、大学病院の総合診療科のメリットもあります。このメリットは患者さんからみたときよりも、総合診療(プライマリケア)を学ぶ医師の側からみたときのものが大きいと言えます。大学病院だからできる検査や治療もありますし、大学病院でおこなうカンファレンスだからこそ幅広い学術的な観点から議論ができる、というようなこともあります。

 私がクリニックを開業する前は、大学の総合診療科で週に1回(毎週水曜日)外来を担当し、それ以外の日は、週に1~2回ほど大学の総合診療科の他の先輩医師の外来を見学させてもらっていました。そして、それ以外の日には、大学には行かずに、他の診療所や病院に出向いて研修を受けたり、見学をさせてもらったりしていました。このような勉強の仕方をとると、クリニックから大学病院まで様々な医療現場を体験することができ、そして多くの科の勉強をおこなうことができます。

 私の場合、例えば、月曜日は産婦人科の見学、火曜日は地域の診療所で小児科・内科の外来担当、水曜日に大学病院総合診療科の外来担当、木曜日は中小病院で皮膚科の外来、金曜日は整形外科クリニックで研修、土日は中規模病院の救急外来・・・、と、このような感じでクリニックから大学病院まで、そして各科の勉強をおこなっていました。見学や研修というのは基本的には無給ですから、経済的にはかなり大変ですし、自由時間はほとんどありませんが、結果として私はこのような体験をして本当によかったと思っています。

 さて、「大阪プライマリケア研究会」に話を戻したいと思います。私はこの研究会に世話人として、これから若い医師たちにプライマリケアの醍醐味を伝えていきたいと考えています。そして、勉強・研修の仕方としては、地域のクリニックで学ぶことのできる家庭医療に力を入れたプライマリケアと、大学病院など高次医療機関で学ぶことのできるプライマリケアの両方を勉強してもらいたいと考えています。

 大阪プライマリケア研究会は、大阪市立大学医学部附属病院が中心になっているわけですから、大学病院の総合診療を学ぶことができます。また、同研究会には地域の開業医の先生方や市中病院で活躍されている先生方も参加されており、家庭医療に重きを置いたプライマリケアの勉強もおこなうことができます。

 同研究会は、今年から年に3回開催される予定です。研究会を充実させていくためには、まず多くの医師、特に若い医師の参加が不可欠です。そして、数多くの優れた発表の場としなければなりません。
 
 6月に次回の研究会が開催されるので、そのときに何か発表できるように私も準備を開始するつもりです。まだ白紙の状態ですが、太融寺町谷口医院に特色のある内容にできればと考えています。太融寺町谷口医院は大阪市北区の繁華街という都心に位置しており、プライマリケアを実践していますから、働き盛りの若い患者さんが多く、症状や疾患も、例えば住宅街や農村地区のものとは大きく異なります。都心のプライマリケアとして特徴的な内容を発表することを考えています。

 そして、研究会を充実させるには多くの若い医師の参加が必要です。これを読まれている関西地区の医師の方がおられましたら参加を検討いただければと思います。

注:プライマリケアは「プライマリ・ケア」と表記されることも多いのですが、ここではすべて「プライマリケア」で統一しています。

参考:
メディカルエッセイ第76回(2009年5月号)「大学病院の総合診療科の危機その1」
メディカルエッセイ第77回(2009年6月号)「大学病院の総合診療科の危機その2」

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2013年6月13日 木曜日

2010年2月号 強いられる勉強と本来の勉強

1月はセンター試験が実施されることもあって、私の元には年末あたりから受験の相談のメールが多数寄せられています。

 以前にも述べましたが、不景気になると「資格をとりたい」と考える人が増えるからなのか、社会の「勉強熱」が上昇してくるように感じています。ちょうど1年前のこのコラム(マンスリーレポート2009年2月号「”不況”を感じる2つの兆候」)で、2008年10月頃から、じわじわと医学部受験の相談数が増えてきていることをお話しましたが、その傾向は今も続いています。

 最近送られてくるメールの特徴としては、医学部受験以外の勉強をしている方からの相談が増えています。例えば、税理士や会計士といった資格をとるための勉強をしているという人、公務員試験や教員試験を考えているという人、子供の高校(あるいは中学)受験について相談にのってほしいという人、あるいは社会人枠の大学院を考えているといった人まで、勉強の目的は様々です。

 おそらく、「勉強の仕方」というのは、それが医学部であっても中学受験であっても、あるいは教員試験であっても、その本質は何ら変わることがないと考える人が増えてきたから、相談メールを私に寄せる人が増えてきたのではないかと私は考えています。

 拙書などでも述べましたが、効果的に勉強をし「合格」という目的を達成するためにはいくつかの”秘訣”があります。

 最も大切な”秘訣”は、なぜ自分がその勉強をするのか、医学部受験の勉強ならなぜ医師になりたいのか、その目的や動機をはっきりさせることです。「なんとなく医学部に行きたい」と「将来○○をするためにどうしても医学部に行くんだ!」というのでは、動機の強さが全然違ってきます。

 もちろん医学部受験(他の資格試験もそうでしょうが)は、決して簡単なものではなく、並大抵ならぬ努力が必要です。勉強に費やす時間もそれなりに必要になりますし、勉強のために犠牲にしなければならないものも少なくありません。それだけの苦労をしてでも、本当に医学部に行きたいのかどうか、ということは勉強を開始する前に何度も自問すべきです。

 「勉強とは本来楽しいもの」ということを私はこれまで何度も述べていますが、それは「本来の勉強」であって、受験を目的とした勉強は楽しさだけでは乗り切れません。当然受験勉強にはそれ相応のストレスがかかりますし、スランプという厄介なものもほとんど誰にでも(それも何度も!)やってきます。

 ですから、受験勉強の期間、上手に自分をコントロールするには効果的なストレス対策をおこなう必要があります。私は、この点については、拙書『偏差値40からの医学部再受験』で「光と闇」という理論を用いて紹介しています。ポイントを簡単に紹介すると次のようになります。

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 受験生の勉強は<生産的>であり、会社員の仕事や農民の作物生産に相当する。仕事ばかりしていると人間はいずれ破綻するため何らかの<闇>の行動が必要となる。例えば、農民は収穫後”祝祭”という行為を通してそれまで一生懸命つくってきた貴重な農産物や酒を一気に消費(浪費、あるいは”蕩尽”とも言える)することによってバランスをとっている。会社員であれば、典型例で言えば「のむ・うつ・かう」といった<闇>の行動を適度にとることによって、ストレスのかかる日常の仕事との間にバランスをとっている。受験生も同じように、勉強という生産行為で蓄積されたストレスをうまく発散(蕩尽)させなければ長期的な「勉強ロード」を乗り切れない。

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 要するに、勉強そのものがストレスを蓄積させるような受験勉強を上手に乗り切るには、確実にやってくる苦痛やストレスをコントロールする必要があり、それには「のむ・うつ・かう」に相当するような、短時間で一気にリフレッシュできるような<闇>の時空間が必要ですよ、ということを主張したかったわけです。

 さて、受験勉強がこのようにいくらかの苦痛を伴うものに対し、勉強そのものは本来楽しいものであるはずです。勉強することにより、新たな知識が増えて物の考え方が深くなりまた広がるわけですから、勉強しないのはもったいないことです。

 ところで、勉強という言葉が私は好きではありません。「勉を強いる」と言われているわけで「やりたくないことを強制される」というイメージにつながるからです。本来の勉強は、別の言い方、例えば「知の探検」とでも呼ぶ方がずっと的を得ているように私は考えていますが、こんなことを提唱しても誰も賛同してくれないでしょうから、やはり「勉強」としておきます。

 私に勉強に関するメールをくれる人(以前からの知人も含めて)のなかで、この本来の勉強をされている人が最近少しずつ増えてきています。「(学生時代は嫌いだった)日本史を本格的に勉強しだした」「京都や奈良の寺や神社の探索を本格的におこなっている」「世界の遺跡を訪問する計画をたてている」「(仕事のためでなく)中国語の勉強を開始した」、などです。

 このようなメールをくれる人は、私と同世代の40代前半の男女に多いような印象があります。おそらく、彼(女)らも、学生時代は勉強がそれほど好きでなくて、社会人となり様々な経験を経て、本来の勉強の楽しさに気づいたのではないでしょうか。

 勉強する方法は、昔に比べれば随分と選択肢が広がりました。私が最初に大学に行っていた頃(1987~1991年)は、必要な本を探すのに図書館で半日を費やし、英語の教材も充実していませんでしたし、あっても高価なものばかりでした。現在はインターネットが普及したおかげで、昔なら入手しにくかった発行部数の少ない書物でもすぐに手に入りますし、洋書も比較的簡単に、そして(昔に比べれば)安く買えます。本を買わなくても、インターネットで入手できる情報は格段に増えています。医学誌でも最近は、要約だけでなく論文そのものが読めるようになってきています。英字新聞はどこの国のものでもほとんど無料でいくらでも読むことができます。歴史や地理などはDVDを使って勉強するのも効果的です。

 誰にも強制されず自分の好奇心の向くままにおこなう勉強の面白さに気づくと、人生の楽しさが何倍にもなります。私の場合、たまの休日に日頃の疲れを癒す目的で興味ある分野の本を読み、老後の楽しみとして本格的な語学の勉強を考えています。そしてこういった楽しさを得るために必要なコストはごくわずかなのです。

 本来の勉強とは、低コストで楽しめる<闇>にもなるというわけです。

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2013年6月13日 木曜日

2010年1月号 「仲間」と過ごす時間

2009年の年末から2010年の年始にかけて、私は国内のある地方都市でゆっくりと過ごしました。

 新型インフルエンザの勢いは少しましになったとはいえ、多くの医師が年末年始もどこかの医療機関で寝食をできないほど忙しくしているなかで、私だけが(「だけ」というわけでもないでしょうが)、仕事もせずにのんびり過ごすことには抵抗がなかったわけではありませんが、日頃は自分自身の時間がほとんどとれませんから、たまにはいいだろう、と自分のなかで言い訳をした上で今回の休暇を決めました。

 思えば、医師になってから3年前までは、年末年始はどこかの病院で働いており(そのため3年前には楽しみにしていた高校の同窓会にも参加できませんでした)、昨年と一昨年はNPO法人GINA(ジーナ)の関連でタイに出張に行っていましたから、まったく仕事をせずにのんびりできたのは随分と久しぶりでした。

 去年(2009年1月)のマンスリーレポートにも書きましたが、私は年末年始に自分自身のミッション・ステイトメントを見直し、新しい一年間の目標を立てるということを10年以上前から続けています。

 今回ミッション・ステイトメントを改訂するにあたり、私が昨年までと比べて最も重要視したことは、「仲間との時間を大切にする」というものです。

 思い起こせば、いつの頃からか私は<付き合いの悪いヤツ>になっていたと思います。いえ、もう少し正確に言うと、「思い起こせば」、というよりは、「これまでもうすうす気づいていたが気づかないようにしていた」という方が正しいでしょう。

 いつから私は<付き合いの悪いヤツ>になってしまったのでしょうか。

 高校を卒業して、私は関西学院大学の学生となり4年後に卒業しました。その後は一般企業に就職して4年間過ごしました。この間は、決して付き合いの悪いヤツではなかったと思います。友達や先輩から誘われればよほどのことがない限り断りませんでしたし、むしろパーティや飲み会などは私自身が主催することが多かったと言えます。夜中に電話がかかってきても当たり前のようにでかけていました。会社に入ってからも、他部署の人や他の会社の人ともよく食事や飲み会にでかけていました。12月にはほぼ毎日が忘年会のような年もありました。

 それが、会社を退職し医学部受験の勉強を本格的に開始しだした頃から大きく変わりました。夜中に電話がかかってきても・・・、どころか、この頃の私はまず電話に出ませんでした。受験勉強が終わり、医学部に入学してからも、私は生活の中心を「勉強」に置いていましたから友達からの誘いは断ることの方が多くなっていました。医学部の6回生の頃には医師国家試験の勉強が始まり、さすがに電話に出ないというところまではいきませんでしたが、かなり付き合いは悪かったと思います。

 医師になってからは、休日がほとんどありませんでしたし、時間ができたとしても病棟に受け持ちの患者さんをみにいったり、救急外来に自主的に行ったりしていましたから、プライベートの時間はほぼありませんでした。最初の2~3年の間は、まだ医師としては駆け出しなんだからプライベートの時間など持つべきでない、とまで考えていました。

 クリニックを開業してからも、診察時間以外は事務仕事をしているか、他の医療機関に働きに行っているか、あるいはGINAの関連の仕事に追われることもあり、やはりプライベートな時間はほとんど持てませんでした。

 2009年を振り返ると、2007年、2008年に比べると、診療に費やす時間が少し減ったように感じています。2007年の後半から2009年の頭くらいまでは、毎日のように診察が終わるのが夜の10時を回り、それからカルテの記載や画像や採血データ、症例写真の整理などをおこなうと日付が変わっているのが普通でした。ところが、2009年の1月後半あたりから、患者数が減りだし、早ければ午後8時過ぎに、遅くても午後9時を少し回る程度で診察が終了できるようになったのです。

 これは、2008年秋に始まった世界的な不況と無関係ではないでしょう。「仕事がなくなり保険証がなかったので受診できなかったんです」と答える患者さんが少なくありませんし、いつの間にか来られなくなった患者さんのなかには、いまだに保険証がない人もおられるに違いありません。これまで通り来られている患者さんからも、「薬も検査もできるだけ減らしてください」と言われることがときどきありますが、このようなことを以前は経験したことがありませんでした。

 不況、そして医療費の支払に不安を感じている患者さんがいることは大いに問題で、早急に改善されなければならないことですが、その結果として、医療機関を受診する人が減り我々医療従事者は少し時間が取れるようになってきました。

 そんななか、昨年(2009年)の中ごろあたりから、偶然にも昔の友達からの連絡が頻繁に入るようになってきて会う機会が増えだしました。例えば、昔からの友人(というか後輩)に桂三若(かつらさんじゃく)という落語家がいるのですが、私はこれまで彼の舞台をほとんど見にいったことがありませんでした。たいがいは仕事と重なるからです。
 
 11月のある日、桂三若からメールで舞台の案内を聞いていた私は劇場まで足を運び、独演会を観賞しました。15年ほど前に舞台を見たときと比べてものすごく上手くなっていることに私は感動しました。彼とは再びメールのやりとりをしています。近いうちにはプライベートで飲みにいこうと考えています。

 また、12月には高校のミニ同窓会が開催されました。卒業20年後の大きな同窓会には参加できませんでしたし、小さな集まりにもこれまでは仕事を理由に不参加ばかりだったのですが、今回は参加することができました。高校卒業以来、22年ぶりに再会した同級生もいて、大変有意義な時間を過ごすことができました。

 また、他にも昔の友達からメールが届くことがあり、いつの間にか私のメールソフトの受信箱にはプライベートなメールが増えだしてきました。そして、初めて気づいたのですが、私のメールソフトには、プライベートなメールを保存するフォルダーがありませんでした。私は、頻繁にやりとりする人からのメールはカテゴリー別のフォルダーに入れて整理しています。例えば、よく使うフォルダーには「医師(からのメール)」「GINA関連」「プライマリケア関連」「患者さん(からのメール)」「トラベル」「ショッピング」、などがあります。どこにも当てはまらないメールはそのまま「受信箱」に入れたままにしています。

 昨年秋ごろから増えてきたプライベートな知人からのメールは、これまで「受信箱」に入れたままにしていたところを、新たに「プライベート」というフォルダーを作ってここに入れるようにしています。

 さて、私は今年、「仲間との時間を大切にする」というテーマ(ミッション)を大切にするつもりです。「プライベート」と命名されたフォルダーの中身が増えるだけでなく、実際に顔を見合わせて積もり積もった話をしたいと考えています。

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2013年6月13日 木曜日

2009年12月号 スポーツ医という仕事

太融寺町谷口医院にときどき来られる40代男性の患者さん(仮に「Mさん」としておきます)がおられます。

 Mさんは最初、「健康診断で中性脂肪が高いと言われた」と言って受診されました。健康診断の結果を見せてもらうと、中性脂肪が高いといってもたいしたことはありません。この程度なら薬を飲む必要がなく、食事と運動、特に中性脂肪は効果的な運動で大きく改善する可能性があることを伝えて、薬の処方はおこないませんでした。

 その3ヵ月後、Mさんは肩が凝ると言って受診されました。最近は頭痛や頭重感も自覚することがあると言います。しびれや腕の症状はなくレントゲン撮影までは必要なさそうです。私は、またもや薬を処方することなく、運動、特に肩や背中の筋力を鍛えるような運動をおこなうよう指導しました。

 その半年後、今度は「眠れない」と言って、Mさんは受診されました。Mさんは私に睡眠薬を処方してもらうつもりで受診されたようですが、眠れない→睡眠薬、と単純に話をすすめるわけにはいきません。よく話を聞いてみると、2か月前に勤務先で部署が移動となり、新しい環境に馴染めず上司ともソリが合わないと言います。さらに問診を重ねるとうつ状態になっていることが分かりました。

 しかし、うつ→抗うつ薬、と単純に考えるわけにもいきません。よく聞くと、週末におこなっている趣味のサークル活動(詳しくは聞いていませんが何やら同人誌の発行までおこなっているようです)はこれまで通り楽しくおこなっているようです。このようなケースでは、薬の力を借りなくても状況を客観的に見直すことによってうつ状態や不眠症状がとれていくケースが少なくありません。そして、生活のなかに運動を取り入れることをすすめました。運動は、それほど重症でない気分の落ち込みやうつ状態に有効なことが多いのです。

 Mさんは別々の訴えで私の元を3回受診されましたが、私は薬の処方は一度もおこなわず、3回とも「運動」をするように助言しました。

 このように、私は薬を処方する代りに(あるいは薬の処方と同時に)運動をすすめることが多いのですが、これは私に限ったことではなく、おそらく多くの医師が同じような助言をおこなっているのではないかと思われます。

 しかしながら、私は運動を助言してそれで満足しているわけではありません。というより、実は運動の助言をおこなうときにはいつも不安を感じています。それは、いくら運動の重要性を患者さんに訴えたところで、必ずしも運動をおこなってくれるとは限らないからです。

 むしろ、「先生に言われて運動をするようになってこんなに元気になりました!」と言われたことはこれまで数えるくらいしかなく、ほとんどの患者さんは運動に取り組まれたとしても長続きしていません。私が運動の有用性を話して勧めると少しは始められるのですが、そのうち「忙しくて時間がなくて・・・」といった理由で断念してしまう患者さんが大半ですし、なかには「大切なのは分かるのですが・・・」と言って一度も運動されない方もいます。

 運動ができなかったり継続できなかったりするのは、何も患者さんだけの責任ではありません。やはり、結果として効果的な助言をできなかった私にも責任があると考えるべきでしょう。なんとか患者さんに運動をしてもらえる方法はないものか・・・。悩んだ挙句に私がだした結論は、「スポーツ医」の資格をとる、というものです。スポーツ医という資格をとったからといって患者さんに運動してもらえるわけはありませんが、まずは私自身がスポーツ医学を勉強する必要があると考えたのです。

 「日本医師会認定スポーツ医」という資格があります。一般的に「スポーツ医」と言えば、スポーツをする人々の健康管理や、スポーツ傷害に対する予防、治療等の臨床活動を行う医師のことと考えられると思いますが、スポーツ医は何もプロのスポーツ選手を専属で診る医師だけではありません。一般の患者さんに運動の指導をおこなう医師もまたスポーツ医なのです。

 というわけで、私は10月と11月の合計4日間、東京に「日本医師会認定スポーツ医」の講習を受けに行ってきました。この資格は講習を受けるだけで取得できるもので、テストや面接もありません。ラクと言えばラクな資格なのですが、一方ではこの資格があれば何か特別なことができるわけでもありません。一応資格はもらえますが、講習を受ける目的は資格取得よりもむしろ講習の内容そのものにあります。

 循環器内科、内分泌内科、整形外科、脳外科などの分野で特に運動療法やスポーツ障害を診ている専門家の講習が聞けますし、なかにはプロのアスリートを専属にみている医師の講習もあります。教科書を読むだけではなかなか分からないことも、直接講義を聞けば知ることができますから、なかなか価値のある講習なのです。

 さて、私は合計4日間の講習を終え、現在は使用したテキストとノートを中心に復習をしているところです。これからもスポーツ医という資格を維持していくためには、ときどき講習を受ける必要があるのですが、講習はそう度々あるわけではありませんから(あっても参加する時間が確保できません)、日頃は自分自身で勉強していくしかありません。

 さて、私が勉強している間も、健康のためにスポーツや運動に取り組んでいる患者さんもおられるでしょうし、これからどのように効果的な運動を始めようかと悩んでいる人もおられるでしょう。私がおこなう医師としての勉強とは少し趣が異なるかもしれませんが、患者さんの方も健康のための運動に対する情報を集め勉強なさっていることでしょう。

 運動の仕方にもいろいろあって、その人によって適切な運動の内容は違ってきます。例えば、ウォーキング中心が適切で激しい運動はすべきでない人、筋トレ中心の運動がいい人、余裕があればフルマラソンに出場してもいい人など、その人の年齢、スポーツ歴、病気の種類・重症度、日頃の活動の度合い、などによって適切な運動の種類や時間、負荷のかけ方などが変わってきます。

 当分の間、私は運動が必要と思われる患者さんを診察するときは、患者さんと一緒にどのような運動が適していて、そして実際にできるかどうかを検討してみたいと考えています。運動は続けなければ意味がありませんから、一方的に運動内容を助言するのではなく、一緒に考えていければと思います。

 そして、私自身も運動を始めることにしました。これまでも時間があるときはフィットネスに通ったこともありましたが、もう何ヶ月も足を運んでいません。なかなか時間が確保できないのがその理由なのですが、これでは重要性が分かっていながら一向に運動を始めてくれない患者さんと同じです。

 なかなか時間が確保できないながらも私がおこなっている運動は、仕事から帰ってきたとき(だいたい10時半から11時半くらい)、腕立て伏せ、腹筋、ダンベルを使った筋トレなどを15分程度おこなうというものです。これを週に3~5回程度おこなっています。まだ1ヶ月半ほどしか続いていませんが、最近は負荷も上げられるようになってきて少しだけ楽しさを見出しています。

 このような運動ならほとんどの人がすぐに始められるのではないでしょうか。これからクリニックを受診される患者さんにも積極的にすすめてみたいと考えています。

注:Mさんは、当院に受診している複数の患者さんをモデルにして私がつくりあげた架空の人物です。もしももあなたに、Mさんと似たような知り合いがいたとしても、それは単なる偶然であるということをお断りしておきたいと思います。

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2013年6月13日 木曜日

2009年11月号 医師という職業のジレンマ

2009年2月のマンスリーレポート「”不況”を感じる2つの兆候」(下記参照)で、医学部受験の相談メールが増えていることについて報告しましたが、相変わらず医学部受験を考えている人たちからのメールがよく届きます。

 なぜ医学部を目指すかについて、その想いを熱く語られているメールが多く、読ませてもらう私が感動することもよくあります。2003年あたりに私の元に寄せられたメールでは、「医師は安定しているから」「高収入が期待できるから」などが目立ったのですが、最近はそういった内容のものはあまりなく、「医師になってこんなことをしたい」とか「この病気に生涯をかけて取り組みたい」といったものが増えています。

 さて、私はこれまで拙書やこのウェブサイトでのコラムを通して、「医師はとてもやりがいのある職業ですよ」ということを伝えてきたつもりですが、今回は医師であるが故に感じるジレンマについてお話したいと思います。

 そのジレンマを一言で言えば、「資本主義のなかで資本主義的でない業務を遂行しなければならないジレンマ」です。

 もう少し分かりやすく言うとこのようになります。我々医師は、営利を追求しなければ生きていけない社会のなかで営利を追求してはいけないというジレンマを抱えている・・・。

 もっと分かりやすく、そして医師の立場からのホンネで言えば、「利益を求めてはいけないのに利益をださなければ失業してしまうというジレンマ」となります。そして、このジレンマは、実際に医師になってみないと分かりません。私自身も医師となり、そしてクリニックを開業するという立場になって、このジレンマと日々闘わなくてはならない現実に直面するようになりました。

 短い文章でこのことを伝えるのはなかなかむつかしいのですが、現在医学部受験を考えている人に少しでも分かってもらえればと思います。

 まず、医師は営利活動をしてはいけません。実際、日本医師会が作成している『医の倫理要綱』の第6条に「医師は医業にあたって営利を目的としない」という条文が定められています。もちろん、営利を追求しないのは日本の医師だけでなく、これは世界中のどこの国にいっても同じことです。

 少し考えてみれば分かることですが、もしも医師が営利目的で診察をすればとんでもなく恐ろしいことになります。しなくてもいい検査をされたり、必要でない薬を処方されたりすれば、患者側にとってみれば出費がかさむだけでなく、検査や薬の副作用に苦しめられることになるかもしれません。

 ときどき、患者さんから、「なんでお金を払うって言ってるのに薬を出してくれないのですか」と言われますが、それは、我々医師は、薬は必要最小限の処方にすることが当然と考えているからです。もちろん、薬をたくさん処方する方が医療機関や医師の利益にはなるわけですが(ただし薬による利益はそれほど多くありませんが)、薬の処方と、例えば健康食品の販売などとはまったく異なるわけです。

 医師という職業は資本主義にはまったく馴染みません。私はすべての医師は公人としての自覚を持つべきだと考えています。世の中に医師と似ている職業があるとすれば、警察官や消防士、あるいは自衛官などです。

 つまり、医師とは、国民が安心して平和に暮らすことができるように困ったときに支援するような職業であるわけです。病気や事故が起こったときに、その人を治療し早く社会復帰できるように支援するのが医師の使命なのです。

 私は拙書『偏差値40からの医学部再受験』のなかで、国や社会をプロのスポーツチームに例えると、医師はチームドクターのような存在であると述べました。スポーツ選手が安心して練習や試合に打ち込めるように支え、ケガなどのトラブルが起こったときには速やかに対処して少しでも早く練習に復帰できるように支援するのがチームドクターの使命です。同じように、国民が身体の不調を訴えたときに適切な診療をして少しでも早く社会復帰できるように支援するのが医師のミッションなのです。

 警察官や消防士、自衛官は公務員であるわけですから、私は、医師は開業医を含めて全員が公務員としての扱いを受けるべきではないかと考えています。

 ところが、実際には医師は(特に開業医は)身分や収入が保障されているわけではありませんし、一般の企業と同じように医療機関は税金を納めなければなりません。

 先日、開業医の年収が平均で2,522万円であるという報道がなされました。2,522万円という数字をみると、「開業医は儲けすぎじゃないの」と感じられます。しかし、この数字にはトリックがあります。

 この2,522万円という数字は会計上の経常利益に相当する金額だと思われます。ここから借入金の返済やその他経費として認められない費用を引けば、それほど手元に残るわけではありません。いまだに世間では、「開業医は金持ちで土地や高級車を所有している」のようなイメージを持っている人がいるようですが、実際は大半の医師はそうではありません(例外もあるでしょうが)。(参考までに、私の年収はこの2,522万円という数字からはほど遠いですし、家は一応ありますが11坪しかない狭い家で、車は15年落ちの国産中古車、走行距離はとっくに10万キロを越えています・・・)

 もしも本当に開業医が多くの利益を得ており贅沢な暮らしをしているとすれば、是正されなければならないでしょう。しかし、ほとんどの医師はそうではないわけです。しかも、労働時間はかなりの長時間に及びます。(私の場合、週の労働時間を計算すると、事務仕事やカルテや画像の見直しなどを入れれば、週あたりの労働時間は少ないときでも80時間を越えますし、多いときは100時間を越えることもあります。こういうコラムを書いている時間が”ささやかな息抜き”となっているのが現状です)

 ではどうすればいいのか。究極的にはやはり開業医も含めてすべての医師を公務員にして給与を固定にするのがいいのではないかと私は考えています。しかし、ある程度の金銭的モチベーションが必要であるという意見もあります。それならば、年収の上限と下限を決めればいいのではないでしょうか。上限を決めることによって、医師は儲かると考えている勘違いした者が医学部受験することがなくなるでしょうし、また下限を決めることによって税金の支払いや借入金の返済で頭を悩ますこともなくなるわけです。

 利益を追求してはいけない一方で利益を出さなければ生きていけないというこのジレンマは、私が開業医となって強く認識するようになったことです。

 これから医学部を目指す人には、このようなことも考えていただければと思います。

参考:マンスリーレポート2009年2月号「”不況”を感じる2つの兆候」

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2013年6月13日 木曜日

2009年10月号 休日が与えてくれる感動

世間ではシルバーウィークと呼ばれている連休の間、私はNPO法人GINA(ジーナ)の関係でタイに出張に行っていました。いくつかの施設と関係者に会うことを目的とした出張でしたが、バンコク滞在の最終日には、急きょ会合がキャンセルとなり、突然何もすることがなくなってしまいました。

 会合がキャンセルとなったことは前日の夜に分かっていたため、その日起きたときには一日のスケジュールがまったく白紙の状態でした。

 今日は何もすることがない・・・。このような感覚がどれくらい久しぶりなのか、ちょっと検討もつきません。日本にいれば、クリニックの休診日にも一度はクリニックに行きますし、メールやFAXをチェックするのが普通です。

 しかし、その日はバンコクにいるわけです。ホテルの部屋にはインターネットに接続しているノートパソコンもありますが、私はあえてメールを見ないことにしました。そしてホテルの朝食を取るため1階のレストランに行くことにしました。

 今回の滞在はバンコクの同じホテルに4泊で、朝食がついているプランで申し込んでいたのですが、その前日までは朝早くから出かけていたためホテルでの朝食は一度もとっていませんでした。予定がなくなった日に初めて朝食がとれることになったというわけです。

 ホテルの1階にあるレストランに行き驚いたことはその美しさです。しかもテーブルは屋外にもあり、美しく手入れされたガーデンで朝食をとることができるのです。まるでバンコクではなくプーケットやサムイ島の高級ホテルのようです。このホテルはバンコクのオフィス街にありますが、喧騒な区域からは少し離れたところに位置しており、このレストランにいるとリゾート地に来ているような感覚に捉われます。

 実は、普段ならこのような高級ホテルには泊まらないのですが、世界同時不況の影響でバンコクのホテルも軒並みキャンペーン価格が出されており、私がとったホテルも通常価格の半値以下、日本円にして5千円程度だったのです。

 私はそのガーデンで朝食をとり部屋に戻りました。パソコンは見ないことにして、スーツケースから日本から持ってきていた本を3冊取り出して、バルコニーに出ました。さすが高級ホテルです。バルコニーも大変広く、テーブルとデッキチェアーが置かれています。ホテルの8階から見える風景はビルが多いのですが、南西の方を向けば大きな公園が見えます。私は、顔をあげれば公園の見える角度にデッキチェアーを置いて読書にふけることにしました。

 心地よい風のおかげで暑くはありません。本を読んだり、考えに耽ったり、あるいは少しうたた寝をしたりして、ゆっくりと時が流れるのを楽しみました。

 ふと気がつくと時計の針は午後1時を回っています。けれどもそれほどおなかがすいているわけではありません。私は散歩にでかけることにしました。周囲はオフィス街ですから、散歩がそれほど楽しいわけではないのですが、ここはタイですから屋台がたくさんあります。私は、オレンジジュースとマンゴー、スイカ、ザボンの3種類のフルーツを屋台で買ってホテルに戻りました。

 南国のフルーツを食べながら心地よい風にふかれて読書に浸る・・・。私にとってこれほど気持ちいいことも他に思いつきません。(季節がらドリアンがなかったのが残念でしたが・・・)

 このような雰囲気に身をおけば、普段は繁忙さから考えもつかないことにも思いを巡らせることができます。今回の出張でも、エイズを患っている人やそんな人たちをケアしている人たちと話をする機会が多かったのですが、私はふと、自分が日本でクリニックを開業していなかったら今頃何をしているだろうか、ということを考えました。もしかしたら、この国に来て他の外国人たちと一緒にエイズ患者のケアに専念していたかもしれない・・・。だとすると今頃はどこに住んでいるのだろうか、チェンマイ、パヤオ、ロッブリー、・・・。

 そんなことを考えているうちに、現実と夢が頭の中で交叉しあい、いつの間にか眠りに落ちていました。

 肌寒さで目覚めると時計の針は午後6時を少し回っていました。公園に目をやると大きな夕日が沈もうとしています。タイの夕日は本当にきれいです。田舎の方に行くともっときれいなのですが、日頃夕日など見ることのできない環境にいる私にしてみるとバンコクの夕日でも充分にきれいです。夕日を見ているだけで何だか幸せな気分になってくるから不思議です。

 空腹を感じた私は、夕食をとりにいくことにしました。このあたりのオフィス街は、日本人と何度か食事を一緒にしたことがありますし、少し遠くまで歩けば日本人街として有名なタニヤにも行けます。しかし私は、日本人や外国人が大勢集まるところを避け、現地の人が昔から生活している路地裏のようなところで食堂を探しました。

 私が入った食堂は、食堂というよりも、ガラクタのようなテーブルが4つほど置かれている倉庫といった感じで、決してきれいとは言えないところです。しかし、こういうところの方が美味しい料理がでてくることをこれまでの経験から知っています。(外れることもありますが・・・)

 その食堂は、バンコクでは珍しく魚介類が豊富に使われる南タイ料理が中心で、予想通り大変美味でした。カキのソテー、大きな海の魚(おそらくスズキ)のチリスープ煮(正式名は知りません)、イカと野菜の激辛炒め(これも正式名は分かりません)などをおなかいっぱい食べ、大満足でホテルに帰りました。

 翌朝は帰国ですから午前5時に起きて空港に行かなければなりません。ということは、その日の朝にリッチな気分でとることのできた朝食は、翌朝は食べる時間がないことになります。少し残念な気持ちを感じながら大きなベッドに横たわりました。

 ベッドの上で、この日一日がとても平和で幸せであったことを思い返してみました。たしかに、感動というのは人と人が触れ合うときにおこります。私はこの国でも、エイズという病を通して、いくつもの感動をこれまで体験してきました。

 けれども、誰とも接することをせずに誰とも話さないこんな日を体験することもまた、感動をもたらせてくれるんだということが分かったような気がしました。

 この次このような日を体験できるのはいつになるんだろう・・・。このような日をまた味わうことを目標に日本に帰ってからまた頑張ろう・・・。そんなことを考えながら私は目を閉じました。

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2013年6月13日 木曜日

2009年9月号 選挙よりも政策よりも大切なこと

2009年8月30日に実施された第45回衆議院選挙の投票率は69.28%もあったそうです。2005年の第44回選挙の投票率は67.51%で、このときも投票率の高さが世間の注目をあびましたが、今回はさらに投票率が上昇したというわけです。

 これだけ投票率が高かった最大の理由は、やはり我々国民が社会の現状に満足していないからでしょう。

 一般的に選挙の投票率は高い方がいいとされており、あまりにも低いと政治に民意が反映されないと言われることがあります。そのため各国各地域は投票率を上げるために様々な趣向を凝らしており、選挙を理由なく棄権すれば罰則を課せられる国もありますし、その逆に選挙に行った人に抽選でプレゼントが支給されるようなところもあるようです。

 しかし、投票率が高いということがそのまま民度の高さを示しているわけでもありません。例えばサダム・フセインが大統領であった頃のイラクの大統領選挙の投票率は100%、つまり選挙権のある人全員が投票していたことになります。そしてその全員がサダム・フセインを大統領に選んでいたわけです。この選挙を民度の高い選挙と呼べるはずがありません。

 また、イラクほど極端な例をもちださなくても、投票率が異常に高い国というのは不安定であるということは想像すれば容易に理解できます。例えば、ある国で革新派の政党が政権を取る勢いにあり、この政党が「政権をとればプロレタリアート革命を起こし国民の財産を没収する」というマニフェストを掲げているとすれば、おそらくほとんどの人が投票に行くでしょう。また、ある国で保守系の政党が政権を取りそうな状況で、この政党が「徴兵制復活」を謳っていれば、やはりほとんどの人が選挙に行くでしょう。

 一方、投票率が低い国というのは、政治体制がそれなりには安定しており、どこの政党が政権を取ろうともそれほど自分たちの生活が変わらない、と国民が考えているということになります。

 さて、話を戻しましょう。第45回衆議院選挙は、高い投票率の結果、民主党の圧勝となり与党であった自民党が惨敗しました。これは、おおまかに言えば、国民の多くが現状に満足しておらず、かつ民主党の掲げている公約(マニフェスト)に国民が期待していることを示していると言えるでしょう。(自民党が無能だからやむを得ず民主党に・・という声もあるようですが・・・) 

 その民主党のマニフェストをみてみると、子供手当て、出産支援、年金制度の改革、医療・介護の再生など、医療や福祉の充実が目立ちます。我々医療従事者からみても、これらは評価すべきことが多く、特に「医学部定員5割増し」は早期の現実化を望みたいと考えます。

 民主党が目指している方針は、一般的には「大きな政府」と呼ばれるものだと思われます。格差をなくし、すべての人が安心して暮らせる社会を目指しているのが民主党の基本的な考え方です。(こういう政府を目指すのであれば、その財源をどうするのだ、という問題が必ず出てきます。民主党はその財源として消費税増額を示しておらず、マニフェストは絵に描いた餅じゃないか、という意見もありますが、ここでは財政に関するこういった政治的な問題には触れないでおきます)

 前回の衆議院選挙では「郵政民営化」が争点となり、それを推進した自民党が圧勝したわけですから、国民は言わば「小さな政府」を望んだ、ということになります。今回はその反対に「大きな政府」を掲げる民主党が勝利したという構図になります。

 しかしながら、「大きな政府」が実現すれば、(財源の問題が解決したとしても)本当に我々の暮らしは豊かになるのでしょうか・・・。

 実は、私がこのように考えるようになったのは、ある”経験”があったからです。

 私は、特定の支持政党を持っていませんが、かといってノンポリというわけでもありません。政治活動をしようと思ったことはありませんが、「どういう政治やどういう社会システムが理想か」ということについてはしばしば考えます。ヨーロッパ(特に北欧型)の福祉国家が理想かもしれない、と考えたこともあります。

 しかし今は、というか今の日本では「大きな政府」は現実的でないのではないか・・・、と感じています。私がこのように感じるようになった”経験”についてお話しましょう。

 その”経験”とは、ひとりのタイ人女性との会話です。そのタイ人女性は留学で日本にやって来て、卒業後も日本の企業に就職し日本人男性と結婚しています。この女性と子育ての話をしているとき、彼女はこう言ったのです。

 「子供を生むなら日本でなくタイで生みたい。そしてタイで育てたい・・・」

 私はこの言葉に大変驚きました。たしかに日本は決して高福祉国ではなく、あえて命名するなら「中福祉国」となるでしょう。一方、タイはどのように贔屓目にみても「低福祉国」です。特に子育てについて考えてみると、まず貧困家庭に生まれれば義務教育である中学にすら行けないこともありますし、奨学金のようなものもごくわずかしかありません。日本で言う生活保護のようなものもほとんど皆無ですし、義務教育でも教科書は有料ですし(安いですが)、高校進学は最近ようやく一般的になってきましたが、大学進学となるとよほどの金持ちでないと無理です。そもそもタイの貧富の格差は、最近の日本でいう「格差社会」などとは比べ物にならないくらいの<絶対的な格差>なのです。

 私は、日本よりも高福祉を実現させている国の人に、「子供を育てるなら自国で・・・」と言われたならすぐに納得できたと思うのですが、日本よりも低福祉の国の人にこれを言われたことに驚いたのです。
 
 この女性は続けました。

 「たしかに日本は医療・年金や福祉はタイよりはるかに充実していて、教育にしても普通の生活をしていれば子供を大学まで進学させることは可能だと思います。けど、日本人は他人に対してはあまり優しくありません。タイ人は見ず知らずの人であっても困っている人がいれば助けようとします。私は、日本人は勤勉で優秀だと思いますが冷たいように感じることもあるのです。自分の子供にはタイ人が普通に持っている優しさを身につけてほしいのです」

 私はこの言葉に反論できませんでした。そしてこう考えるようになったのです。今の日本に欠けているのは政策でも有能な政治家でもない。まずは我々ひとりひとりが、本来日本人が持っていたはずの(と私は思っています)、他人を思いやる”優しさ”ではないだろうか・・・。

 私の悲観的な意見を述べれば、(民主党が与党になることとは関係なく)「大きな政府」が実現すれば、今の日本であれば、自分は働かずにいかにラクをするか、といった自分勝手なことを考える輩が続出するような気がするのです。

 もしも国民ひとりひとりが、(タイ人だけでなく)日本人が元来持っていたはずの”優しさ”を取り戻すことができれば、大きな政府などなくても、我々は安心して暮らせるのではないか・・・。今、私はそのように考えています。

 さらに、その”優しさ”が当たり前のようになれば、当たり前の結果として「大きな政府」が誕生するのではないか、と感じることもあります・・・。

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2013年6月13日 木曜日

2009年8月号 虫刺されと夏の風邪

毎年春から夏にかけてのシーズンは皮膚疾患の患者さんが増えます。水虫や湿疹・かぶれはこの季節に増えるからです。気温と湿度が上がり、汗をかきやすくなると水虫の原因のカビ(白癬菌)は増殖しやすくなりますし、かぶれが増えるのは草木に触れる機会が増えることに加え、汗により金属アレルギーが起こりやすくなるからです。

 そんな皮膚疾患のなかで、毎年のように「今年は多いな」と私が感じているのが「虫」が原因の皮膚炎です。虫による皮膚炎といってもいろんなタイプがあって、去年は「毛虫皮膚炎」と呼ばれるドクガやチャドクガが原因の皮膚炎が多かったように思います。これは、要するに毛虫の毛に”毒”があり、その毛が身体に付着することによって起こる皮膚炎です。通常、毛虫の毛は衣服のなかにも入ってきますから露出していないおなかや背中にも起こりえます。毛虫皮膚炎の痒みは尋常ではなく、市販の痒み止めなどでは対処できません。あまりにも痒みが強いために患者さんは医療機関に駆け込んできます、

 ところが、今年はなぜか太融寺町谷口医院には毛虫皮膚炎の患者さんはあまり来られません。代りに、というわけではありませんが、今年はダニによる皮膚炎が相当増えてきているような印象があります。もっとも、去年もその前年もダニによる皮膚炎は少なくはありませんでした。しかし今年は、「いったん治ったけどまた再発した」、といって再診されたり、「これまでも虫刺されはよくあったけど今年の痒みには耐えられなくて・・・」と言って受診されたりする方が多いように思われます。

 最近、私自身もダニにやられてしまいました。

 いつ、どこで刺されたのか分かりませんが、足を中心にダニの皮膚炎に特徴的な赤い小丘疹が多発しました。気づいたのは自宅にいたときだったので、とりあえず手元にあった非ステロイド系のクリームを塗ってみました。ところが、これがまったくといっていいほど効かずに、夜間も痒みで目覚めるほどでした。

 翌日クリニックに出勤し、強めのステロイドを外用すると幾分ましにはなりましたが、まだ完全には痒みがとれず診察に集中できません。そこで眠くならないタイプの抗アレルギー薬も併用しました。さらにステロイドを繰り返し外用してようやくおさまってきました。

 なぜダニによる被害が増えているのか、といった理由はともかく、毎年着実に患者さんが増えているのは間違いないでしょうから、これからも増えていくことが予想されます。さらに、今年は太融寺町谷口医院ではまだ一例も見つかっていませんが、疥癬(ヒゼンダニと呼ばれる人間の皮膚に寄生するダニがもたらす感染症)も毎年どこかで集団発生しています。

 当分の間、虫刺されには要注意というわけです。(私も防ダニシーツの購入を検討しているところです)

 皮膚疾患以外に、今年の夏に多い(それも明らかに例年以上に多い!)のは「夏風邪」です。

 「夏風邪」といってもいろいろあって、37度台の軽度の発熱と喉の痛みだけの軽症のものから、40度近い発熱に苦しめられるもの、喉ではなく下痢や嘔吐に苦しめられるもの(おなかの風邪)、熱はたいしたことがないのに咳がひどくて日常生活に影響がでているもの、といろいろです。

 また、新型インフルエンザの流行で、症状自体はそれほど重症でないものの、「もしかして新型・・・?」と感じて受診される患者さんもいます。

 なぜこんなにも風邪の患者さんが多いのか、この理由についてはよく分かりませんが、診察をしていて、けっこう無理をしているなぁ・・・、と思わずにはいられないケースが多々あります。

 特に目立つのが「仕事のかけもち」です。朝から夕方まで働いて、夕方以降にもうひとつのアルバイトをしている、という人や、ひどい(?)場合は、3つの仕事をかけもちしているような人もいます。

 つい先日も3つの仕事をしているという人が発熱と喉の痛みで受診されました。その患者さん(20代女性)は、昼間の仕事(派遣社員で事務職)が不景気の影響でほとんど残業がなくなって給与が減ったそうです。そこで、平日の夜はホステスとして働き、週末にはイベント関係のアルバイトをしていると言います。

 そんな生活が2か月ほど続いたある日、突然じんましんがでてきたそうです。そのじんましんはそれほどひどくなかったために無治療で放っておいたところ、今度は胃の痛みと下痢が出現し、それも市販の胃薬で対処できていたのですが、今度は突然の高熱と喉の痛みに苦しむようになり、ついに私のところに受診したというわけです。

 この患者さんは、幸にもインフルエンザにはかかっておらず、喉の状態を顕微鏡で調べても抗生物質が必要な状態ではありませんでした。私は一般的な感冒薬だけ処方して、薬に頼るのではなく、充分な休養をとるように言いました。

 ここまで無茶な勤務をする人は珍しいかもしれませんが、最近は仕事のかけもちをしている人が少なくないのは間違いないでしょう。いくら仕事を探してもひとつも見つからないと嘆いている人もいますが、その逆に、この患者さんのように、できそうな仕事はかたっぱしから始めるような人もいるというわけです。

 あとひとつ、虫刺されと夏の風邪の他に気になる症状があります。この夏に突然増えだしたわけではありませんが、良くない精神状態が原因となる身体症状で悩んでいるというケースが相変わらず少なくないのです。眠れない・・・、食欲がない・・・、便秘と下痢を繰り返している・・・、慢性の頭痛に悩んでいる・・・、などです。以前、『はやりの病気』で紹介した「機能性胃腸症」に悩んでいる人もこの範疇に入るでしょう。

 こういった患者さんの診察をしていると、初診時には分からなくても、何度か受診してもらっているうちに原因が見えてくることがあります。そしてその多くは、”仕事”に関係しています。「今の仕事に満足していないが辞める決心もつかない・・・」、(特に自営業の人で)「やる気はあるのに仕事が来ない・・・」、「職場の人間関係がうまくいかない・・・」、などですが、今年になって目立つのが、「そもそも就職先が見つからない・・・」、というものです。

 今月になり、日経平均株価は1万円台を維持していますが、失業率は相変わらず高く、特に関西では6月の完全失業率は5.9%にまで上がり、これは2005年3月以来の水準だそうです。

 景気が悪化すれば、精神状態に悪影響を与え、それが身体症状をもたらすことになります。また、景気の悪化は収入の減少につながり、それが無理な労働を強いることになり、その結果健康を害すこともあるわけです。

 こう考えると景気と病気には深いつながりがあるということになります。ダニに刺されたといって嘆いている私は能天気なものです・・・。

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