マンスリーレポート
2012年3月号 震災から学ぶ帰属意識
世の中不況が続いています。
新聞報道をみていると、2月14日に日銀が「中長期的な物価安定のめどを1%とする」と発表したことで株価が急上昇し、円高に歯止めがかかり、あたかも日本経済が息を吹き返したかのような印象を受けますが、診療室ではそのような景気のいい雰囲気を感じることはできません。
太融寺町谷口医院の患者さんの大半は働く世代です。電子カルテの表紙には保険証の情報が表示されますから、保険証が変更になればそれが診察を開始する前にわかります。社会保険から別の社会保険に変わっていれば転職したんだろうということがわかりますし、社会保険から国民健康保険に変わっていれば仕事を辞めたことが推測されます。なかには、国民健康保険から生活保護の保険に切り替わって、という人もいます。
患者さんたちから就職状況を聞いていると本当に大変なんだなということがよく分かります。面接までたどりつくのも苦労するという声もありますし、やっと新しい仕事が見つかったと思ったら、社員を使い捨てのコマのようにしか扱ってくれないようなところだったり、にわかには信じがたい話ですが、労働法をまったく無視して過重労働をさせたり、新人への暴言(ひどいときは暴力さえも)が日常茶飯事におこなわれているようなところもあるようです。患者さんからセクハラやパワハラの相談を受けることもあり、その結果精神症状が悪化しているような場合には精神科クリニックを受診してもらうこともあります。
比較的長期で正社員として働いている人たちも、疲れきっているというか、疲労感を常に抱えているといった感じです。まあ、そういう人たちが病気を患い医療機関に来ている、ということなのかもしれませんが。
私が最近とみに感じるのは、非正規社員の人は言うまでもなく、正社員の人たちでさえ、会社での人間関係が希薄なのでは?ということです。私が一般企業に就職した90年代初頭くらいは、まだまだ社員どうしの家族ぐるみでの付き合いというものが普通にありました。当時は社員旅行に家族を連れてくるということがごく当たり前でしたが、現在では社員旅行そのものが以前に比べて激減していると聞きます。社内の運動会などというのもほとんど聞きません。たまに、社内のクラブ活動に参加しています、などという話を聞くとなんだかほっとする感じがします。
今思えば、90年代の初期くらいまでは、生活の大半を会社に依存するような日本人の会社との付き合い方は世論やマスコミから批判されていました。あるジャーナリストは「社蓄」という言葉を唱えたほどです。終身雇用や年功序列が非難され、人々は実力主義、年俸制などを求め、会社との深い結びつきを過去の産物とみなすようになりました。
人々が日本式の会社との関係を見直しだした1992~93年あたりから、運悪く(という表現があたっていると思います)バブル後不況が本格的にやってきました。就職氷河期という言葉が使われだし、その後急激な円高に見舞われたこともあり、さらに就職状況は悪化、リストラという言葉が流行語になり、1997年には山一證券やヤオハンといった巨大企業が倒産(注1)、1998年からは年間の自殺者が3万人を超え、これは現在も続いています。
終身雇用を批判していた世論は手のひらを返したように一転し、リストラを断行する企業を非難しだしました。しかし、時すでに遅しで、安心して定年まで働くことがもはやできない時代となり、誰もがリストラのリスクがあり、さらに大企業であっても会社そのものが存続するかどうか分からない、という時代になってしまいました。
このような状況のなか、社内で濃厚なコミュニケーションをとり厚い人間関係を構築するのは相当困難なことなのかもしれません。昔に比べると、同僚や会社の先輩・後輩たちと飲みに行く、という機会も随分と減っているのでしょう。私の会社員時代を思い出してみると、多い週であればほぼ毎日のように飲みにいっていました。夜の9時10時まで仕事をして深夜まで飲んで、また早朝から仕事、といった感じです。私の場合は社外のネットワークも求めていましたし、当事は英語の勉強も毎日していましたから、寝る時間もあまりなかったのですが、それでも会社の人たちとの飲み会の席での語らいは重要なものでした。以前も述べたことがありますが、退社後の飲み会で仕事の話が盛り上がり、そこで決まったプロジェクトがいくつもあったのです。
何のために仕事をするのか、という問いに対しては、生活費を稼ぐためというのが前提としてあり、さらに自己実現や社会貢献というものがあるでしょう。しかし、仕事をする大きな目的として「仲間を得るため」ということが大きいのではないかと私は考えています(注2)。安定した関係の、つまり嘘をついたりつかれたりすることのない、ある程度心を許せる他人との関係がなければ人間は生きていくことができません。
現在は、これをネット社会で代用しようという考えがあるかもしれません。私はそれを全面的には否定しませんが、やはり顔をみない相手との関係は脆弱です。その逆に、相手のことをある程度プライベートまでよく知っており、仕事のことだけでなく何でも話せる関係を構築していれば、人間の心は安定するものです。
私はこのことを東日本大震災の被災者から再確認できたと思っています。壊滅的な状況にあるなか、いくつかの被災地では、住民が行政に依存するのではなく、自分たちで瓦礫を片付け、住宅を建て、使えるものを探してきて、力を合わせて暮らし始めました。こういった様子は住民たちがつくったウェブサイトを通して知ることができます。例えば、宮城県本吉郡南三陸町の馬場中山地区では、自分たちで復興している様子を日々ウェブサイトを通して伝えています(注3) 写真や文章から伝わってくる人々の様子は実にいきいきとしています。天災に合わず会社勤めをしているものの、人間関係に希薄な都会に住む人々とは対照的です。
震災という状況に置かれれば、住民どうしが協力するしかなく、「復興」という共通の目標があるからみんなで力をあわせて頑張れるのであって、震災というアクシデントがあったからむしろ人間らしく充実しているのだ、という見方があり、そのような考えは確かに一理あると私も思います。
では我々は、震災のような非常事態に見舞われなければ他人と協力しあうことはできないのでしょうか。
そんなことはありません。では、どうすればいいかというと、働く人にとって会社とは生活の大部分を過ごす時空間ですから、まずは経営者が「社員を守るんだ」、という意識が必要でしょう。社員からみれば、経営者が尊敬できて信頼できる人物でなければ、心を許すことができないからです。大企業の場合は一社員から経営者の顔は見えないでしょうから、部署ごとに一体感が必要になります。やはり上司は部下から信頼されていなければなりません。そして同僚どうしはコミュニケーションを密にとりチームワークを大切にすべきです。誰かがリストラされることになるかもしれないという、いわば「いすとりゲーム」のような環境に置かれれば、安心して仕事をすることができず、腹をわって話せる同僚もできません。精神的に破綻をきたすのも時間の問題となるでしょう。
ここ10年くらいの間「自己責任」という言葉が随分使われてきたような感じがします。この言葉は一見、理に適っており正しいような印象を受けますが、いきすぎると非常に生き辛い社会を生み出すことになります。このコラムの2012年1月号で、私は「昔の友達どうしで助け合う社会をつくるべき」ということを述べました。損得勘定なく付き合える昔の友達の存在は心の支えになるからです。そしてまた、現在の職場での人間関係を(昔の日本の企業がそうであったように)密にすることができれば、心の安定が得られるのではないでしょうか。社内旅行や社内のクラブ活動が復活することはないかもしれませんが、同じ部署の人たちと食事してプライベートな話をすることができれば、今よりもずっと会社の居心地がよくなることでしょう。
ウェブサイトから伝わってくる馬場中山地区の人たちの笑顔は本当に素敵です・・・。
注1:私が就職したのは1991年4月で(在阪の商社に就職しました)、就職活動は1990年の夏におこなっていたのですが、山一證券もヤオハンも共に学生にとっての人気企業でした。山一證券は当事の証券会社では上位3位くらいに位置づけされていましたし、ヤオハンは、入社時に英語ができなくても希望すれば海外勤務をさせてくれると言われており、またいち早く週休3日制を導入した企業であったことを記憶しています。(当事は人手不足が深刻化しており、「週休3日制」を売りに新入社員を募っている企業が多くあったのです)
注2:社会学や心理学に馴染みのある人なら「マズローの欲求段階説」で考えてみると分かりやすいと思います。やりたいことをする、という意味において4つめの「自我の欲求」、もっと大きな意味で自己実現をかなえる、という意味で5つめの「自己実現」を仕事に求めるという考え方がありますが、私がここで言っているのは、3つめの段階、すなわち「集団に帰属したいという欲求」です。
注3:宮城県本吉郡南三陸町の馬場中山地区の復興の様子は下記にURLで見ることができます。
http://www.babanakayama.jp
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