マンスリーレポート

2018年2月 医師が医師を非難するのはNGだけど…

 私が13年前に書いたコラムで「後医は名医」という言葉を紹介し、よほどのことがない限り医師は前医を批判してはいけない、ということを述べました。

 なぜ前医を批判してはいけないかについて、そのコラムで例をあげて医学的な観点から説明しましたから興味のある人はそちらを見てもらいたいのですが、別段医学の話でなくても、例えばライバル会社の悪口を言うセールスパーソンから物を買う気になれないというのは普通の感覚だと思います。

 実際の医療現場では、たしかに前医の診断が間違っていたということはしばしばあります。ですが、そんなときに「前医の診断は間違っている。初めからこちらを受診すれば良かったのに」と患者さんに言うことはありません。なぜなら、最初の時点ではそのように誤診しやすい事情があった可能性があるからです。このようなときは、「結果としては前の医師の診断は正しくなかったが、その状況ならそう診断するのが自然であり、決して前の医師がいい加減な医師ということではありません」と説明します。

 ときどき、こういう説明で納得しない人もいますが、先述の13年前のコラムで述べたように後から診察する方が診断の手掛かりが多く有利なのです。それに医師が互いを尊重し合わねばならないことはいくつかの医師のミッションとして定められています。「ヒポクラテスの誓い」にもそのような内容がありますし、以前のコラムで紹介した私が自分自身の「掟」としているフーフェランドの『扶氏医戒之略』にもまさにこれについて述べている文言があります。少し長いですが引用してみます。

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同業のものに対しては常に誉めるべきであり、たとえ、それができないようなときでも、外交辞令に努めるべきである。決して他の医師を批判してはならない。人の短所を言うのは聖人君子のすべきことではない。他人の過ちをあげることは小人のすることであり、一つの過ちをあげて批判することは自分自身の人格を損なうことになろう。医術にはそれぞれの医師のやり方や、自分で得られた独特の方法もあろう。みだりにこれらを批判することはよくない。とくに経験の多い医師からは教示を受けるべきである。前にかかった医師の医療について尋ねられたときは、努めてその医療の良かったところを取り上げるべきである。
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 医師になってから私はいつもこの”教え”に従うことを心がけてきました。ですが、自分が書いたものや話したことを改めて振り返ってみると、前医を批判していることもまあまああります。先日も、毎日新聞ウェブサイト版の「医療プレミア」で、毎回風邪でジェニナックを処方するという医師を”例外”のおかしな医師として痛烈に批判しています。

 また、このサイトでも、必要のない手術をおこない患者を死に至らせた奈良県のY医師、医学的にまったく意味のない臍帯血移植をおこない患者から高額な治療費を請求していた東京のS医師、わけのわからないウェブサイトをつくり金儲けをたくらんだとしか思えない元医学部教授などを批判しています。

 さらに、改めて自分の書いたものを振り返ってみると、滅菌処置をせずに器具を使いまわしている歯科医院を糾弾したり、HIV陽性というただそれだけの理由で診察を拒否した医師を批判したりしています。

 書いたものだけではありません。フーフェランドの”教え”に忠実でなければ、といつも考えているつもりですが、実際には前医を批判していることが週に何度かあります。先週は、「前医(健康診断に力を入れているクリニック)で、腫瘍マーカーとPETの検査を強く勧められた(しかもかなりの高額で!)が必要でしょうか」、とある患者さんに尋ねられて「不要です」と即答しました。(腫瘍マーカーが無意味であることは過去のコラムで説明しました。またPETががんの早期発見につながらないだけでなく大量に被曝することから安易に実施すべきでないのは世界の常識です)

 最近、父親ががんになり「オプジーボを使った”免疫療法”を勧められているがどうでしょうか」とある患者さんから尋ねられました。話を聞くと、現在通院している病院の主治医からは「標準治療」を勧められているが、知り合いの紹介で訪れたクリニックで”免疫療法”を勧められたとのことで、「数百万円もするんですがどうなのでしょう」と質問されました。

 これは先述のS医師のやり方に似ています。オプジーボという画期的な免疫チェックポイント阻害薬はメディアで何度も取り上げられ随分有名になりました。この薬が有効ながんはわずかですし、それも全員に効くわけではありません。ですが、患者さんの心理としては「とてもいいがんに効く薬があると聞いた。現在の主治医は適用がないとか言ってとりあってくれないが、別のクリニックに行けば高価だが使ってくれる」となるわけです。そこでこの患者心理につけこんで、初めから効かないことを知っておきながら勧めるのです。

 また、一部の”免疫療法”を謳っているクリニックでは、患者自身の細胞を取り出して培養して戻すという”治療”をおこなっているようです。これは数十年前に可能性が期待されたことがあったもののとっくの昔に否定されているものです。

 私はエビデンス(科学的確証)がない治療を否定しているわけではありません。例えば「ニンニク注射」と呼ばれるものは、もちろんエビデンスはありませんし、理論的に考えると到底推薦できるものではありませんが、実際は”治療”を受けると調子がいい、という人がいます。太融寺町谷口医院ではお願いされても実施しませんが、別のクリニックで注射してもらって調子がいいという人には「よかったですね」と言うこともあります。その逆に「エビデンスのない治療だからやめなさい」と言ったことは一度もありません。

 ニンニク注射なら高くてもせいぜい数千円程度でしょうが、安いからかまわないと言っているわけではありません(ただし私の金銭感覚からすればとてもこのようなものに数千円も出せません)。ニンニク注射は危険な”治療”ではありませんから気に入っている人は続けてもいいと思います。ですが、数十万円のがん早期発見を謳ったPETや数百万もする”免疫療法”となると、目の前の患者さんをそういった「悪徳医療」から守らねばなりません。

 しかし、こういった悪徳医療に手を染める医師たちはどこで道を誤ったのでしょうか。私の知る範囲ではこのような医師は一人もいません。医学部の同窓会に行っても皆無ですし、私が所属する大阪市立大学の総合診療部の医局にも、またこれまでお世話になった先輩医師や、研修医の頃一緒にがんばった同期の医師も、あるいは学会で初めて会う医師たちを振り返ってみても、こういったおかしな医師は一人もいません。もしかすると、悪徳医療に手を出す医師は精神がすでに破綻してしまっているのかもしれません。ならばそういう医師を医師ではなく”患者”とみなして手を差し伸べなければ…、そのように思わずにいられません。

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