マンスリーレポート
2014年9月号 私のリハビリ体験記~させない傘とウォーキング~
交差点まであと20メートル・・・。もう少し・・・。しかし私の左腕はいうことを聞いてくれず傘が左横にずり落ちていきます。右腕は雨に濡れだした状態をとっくに超えて半袖のTシャツの右腕の部分はもはや絞れば水がしたたりおちるほどびしょびしょになっています。ついに私は左手で傘をさすことを断念し右手に持ち替えました・・・。
前回の『マンスリーレポート』では、手術は成功したものの左腕の筋力低下はほとんど改善していない、ということをお伝えしました。『メディカル・エッセイ』では、「難病を患うということ」というタイトルで、症状が改善しないことから治らないと思い込み、私の精神状態が悪化していったこと、過去に診させてもらった脊髄損傷の患者さんやタイで出会ったすでに他界しているエイズの患者さんのことなどを思い出し頑張るしかないと認識したこと、などについて述べました。
最近はコラムの内容が自分のことばかりになり恐縮ですが、今回もその後の経過のことについて述べてみたいと思います。
冒頭で紹介したのは、8月下旬のある日、夕立のような大粒の雨が降るなか、クリニックからの帰宅途中の私の体験です。筋力低下が進行した2014年4月中旬から左手で傘を保持するのが困難になっていたのですが、手術を受けた後ですからリハビリのひとつとして左手でさしてみることにしたのです。50メートルくらい進んだところで左腕に力が入りにくくなり、それは加速度的に悪化していきました。
傘がさせない悔しさ、というのは体験してみないと分りにくいと思います。機能障害を伴う他の疾患もそうだと思いますが、今まで何の問題もなくできていたことが突然できなくなる、というのは、たとえそれが些細なことであったとしても本人からすると辛いものです。左がダメなら右で持てばいいんじゃないの?という意見もあるでしょうし、私自身もそのように考えるように努力していますが、「そっか、自分にはまだ右手が残っているんだ」、と瞬時に発想を切り替えられるような人はそれほど多くないでしょう。
しかし、時間がかかったとしても、結局のところはそのように発想を切り替えて、今ある機能を大切にし、障害がでた部分については可能であればリハビリで回復を期待するのが現実的な対策ということになります。
私の場合は、大変幸いなことに、リハビリに積極的にむかえるモチベーションがあります。退院して診療の現場に復帰すると、大勢の患者さんから励ましの声をかけていただきました。20代から70代まで、男性の患者さんも女性の患者さんも私の身体を心配してくれて、「退院できてよかったですね」とか「思っていたより元気そうで何よりです」とかいった嬉しい言葉をかけてくれるのです。(よく考えてみると、これらの言葉は本来医者が患者さんにかける言葉です・・・)
なかでも意外だったのは複数の患者さんからいただいた「おかえりなさい」という言葉です。「おかえりなさいって・・・。これが医師が患者さんからもらう言葉か・・・」と、後になってこの言葉を何度も噛みしめて嬉しさに浸ることも何度かありました。
こういった言葉を繰り返し聞いていると、頑張らなければ・・・、という思いが強くなりリハビリに励むことができます。入院中から執刀医の先生に歩くことをすすめられていて、手術の翌々日からは毎日病院の外でウォーキングをしていましたから、私は可能な限り退院後もウォーキングを続けています。
入院するまでの私は、毎朝5時に起きて、少し長めに入浴を楽しんで、それから新聞を読んで、その後メールのチェックと返信をして、6時すぎにクリニックに到着、という生活スタイルでしたが、これを少し変更して、5時起床、ウォーキング、入浴ではなく短時間のシャワー、新聞、メールは読むだけで返信はクリニックに到着してから、というかたちにかえました。クリニック到着は6時半を回ることになり、それからメールの返信をしますから時間に追われることになりますが、なんとか続けていけそうです。
ウォーキングを始めてみて意外だったのは、ウォーキングは思っていたような退屈なものではない、ということです。私は左腕の障害がでるまでは、クリニックが休診の木曜と日曜の早朝に(元気があれば)ジョギングをしていたのですが、ジョギング中にウォーキングをしている人をみると、「歩いているだけで楽しいのかな、まだ若いんだから走ればいいのに・・」などと(大変失礼なことを)感じていたのですが、ウォーキングで充分、というかむしろウォーキングの方が楽しく続けられることに気付きました。
もっとも、以前私がジョギングをしていたのは、走っているときが楽しいからではありませんでした。私にはいまだに「ランナーズ・ハイ」が訪れたことがありません。ジョガーやランナーのなかには、ランナーズ・ハイの快感がたまらず、いくらでも走り続けていたくなる、という人がいますが、私にはこの感覚はなく、走っているときに考えることは「いつ走ることをやめてこの苦しさから解放されるか」だけです。
では何のために私は走っていたのかというと、ジョギングの後のシャワー、ジュース、食事、この3つが最高に楽しめるからです。特にジョギングの後の炭酸ドリンクは私にとって至福の時間であり、生きていることを実感できるひとときなのです。(減量目的や糖尿病の治療目的でジョギングをしている人、つまり炭酸ジュースNGの人には大変失礼なコメントですが・・・)
ウォーキングではジョギングほどカロリーを消費しませんし発汗量も少ないですから、私の3つの楽しみのシャワー、ジュース、食事はそれほど楽しめません。しかし、ウォーキングの長所もあります。
一番の長所は「開始時のハードルが高くない」ということです。ジョギングの場合、やはりしんどいことですから、とっかかりにそれなりの”勇気”が必要です。実際、早朝に目覚めたのはいいものの、ジョギングがイヤになり何とか走らなくてもいい言い訳はないかと考えてしまうことがしばしばありました。激しい雨が降っていると「ラッキー、これで走らなくてもいい理由ができた!」などと考えてしまうこともありました。これでは強制されているわけでもないジョギングを何のためにしているのか分りません。
その点、ウォーキングはハードルが低く、もう少し寝ていたいな、という気持ちはありますが、とりあえず外に出て数歩も歩けば、「よし、今日もいつものコースを歩こう」、という気持ちに切り替わります。雨の日でも傘を(右手で)させばウォーキングはできますから、雨だから中止という言い訳はできません。実際、退院してから3回ほど雨が降った日がありましたが(コースは少し短くしていますが)降っていない日に比べてそれほど辛いというわけではありません。退院後に私がウォーキングを休んだのは2日だけで、その2日とは東京で開催されたアレルギー専門医セミナーに参加するため6時前に家を出た日と、やはり東京での渡航医学会の研修に参加するのに深夜特急(サンライズ瀬戸)に乗るために深夜に家を出た日です。
二番目の長所は、これは今の私にしか当てはまらないことですが、左腕をどこまで振り続けることができるか、を評価できるということです。腕をおろし普通に歩く分には困りませんが、走るときのように、あるいは競歩の選手のように腕を振って歩くと、私の左腕は冒頭で述べた傘をさしたときのように次第に力が入らなくなりだらりと垂れ下がってしまいます。退院直後のウォーキングでは、せいぜい数百メートルくらいしか腕を振り続けられなかったのですが、少しずつその距離が伸びてきています。今日は昨日より20メートル進んだけど翌日には30メートル後退して・・・、というような感じで毎日確実に伸びているわけではないのですが、長いスパンでみてみると確実に距離が伸びているのは間違いなさそうです。このように距離が伸びていることを実感できるのはリハビリの大きな励みになります。
ウォーキングの三番目の長所は、総運動量はジョギングに勝る、ということです。これも「私の場合」ということになりますが、ジョギングは毎日続けるのは困難です。左腕の障害がでる前の私は月に80~100キロメートルを走ることを目標としていましたが、実際に走れていたのはせいぜい50~60キロ程度でした。ウォーキングに切り替えてから毎日の距離は約4.8キロ(GPSの測定による)なのですが月あたりで換算すると140キロを超えます。
毎日運動することのメリットをこのサイトではさんざん紹介していますし患者さんにも薦めていますが、改めて考えてみると私自身がそれほど運動していたとは言えません。しかし、左腕が言うことを聞かなくなり手術を受けたことの”おかげで”ようやく実践できるようになりました。運動には生活習慣病の予防だけではなく精神状態にもいいということを伝えたこともありますが、実際、ウォーキングをしてから仕事に取りかかると精神的に調子がいいような感じがします。
左腕がダメでもまだ右腕があるさ・・・、とすぐに発想を切り替えられるほどには楽観的でない私も、左腕に力が入らなくなったおかげで患者さんから嬉しい言葉をかけてもらうことができてウォーキングの楽しさを発見できた、というふうに前向きに考えることができています。
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