メディカルエッセイ
2013年6月22日 土曜日
96 医師による犯罪をなくすために(後編) 2011/1/21
前回は、医師あるいは医学生になってしまえば、高い倫理観を持たねばならず、それができないなら別の道に進みなおさなければならない、ということを述べました。
現役で医学部に入学すれば18歳です。彼(女)らの多くは、中学・高校と勉強一筋できており、これまでの社会活動といえばせいぜい学校内のクラブ活動程度で、アルバイトや校外での社会活動の経験豊富な18歳の医学部一年生というのはほとんどお目にかかったことがありません。
18歳で医学部に入学し6年間で卒業し医師になったとすれば、研修医1年目の4月はまだ24歳です。それまでの人生経験によっては24歳ともなれば立派な大人になっているでしょうが、中学・高校・大学と勉強ばかりの生活では、狭い社会しか知らない24歳になるのは仕方のないことです。しかし、患者さんからみれば医者は医者ですから、24歳であっても医師として、そして社会人としてのプロ意識を持ってもらわなくては困る、ということになります。
医者患者間に生じるギャップの原因のひとつがこのあたりにあると私は感じています。医師からみると、「あの患者はどうしてこんなことが理解できないんだ。どうしてあんなに非常識な行動をとるんだ」、となり、患者サイドからみれば、「あの医者の言っていることは理解できないし、バカにされているようで質問もできない。あれが他人に接する態度か。非常識にもほどがある」、となるのです。<医者の常識は世間の非常識、世間の常識は医者の非常識>、なのです。
拙書『医学部6年間の真実』でも述べましたが、私が研修医の頃、例えば九九が言えない患者さんや漢字をほとんど書けない患者さんを「信じられない」と言っている研修医をみて呆れたことがあります。私からみれば、九九が言えないくらいで「信じられない」と言っている研修医こそが信じられませんでしたが・・・。
また、これも同書で述べましたが、怒られることに慣れていない若い医学生や研修医があまりにも多いことに驚きました。特に、年下の看護師から強い口調で注意されることが許せないという学生(男女とも)の話を何度も聞きました。そもそも、職場というところは年齢よりも立場やキャリアが重視されるべきところで(そうでなければ組織が成り立ちません)、自分よりキャリアが上の年下の人間に注意されたくらいで怒っていては、仕事になりません。
けれども、小さい頃から優秀だとあがめられ、周囲も優秀な人間ばかり(九九の言えない者は皆無)、アルバイトは家庭教師や塾講師のみ(ここでも「先生、先生」と崇められます)、クラブ活動も医学部内のみ(なぜか医学部の部活というのは医学部生だけで運営されており通常は他学部との交流はありません)では、彼(女)らの価値観というか考え方が偏ってしまうのは無理もないことです。
しかし私は、彼(女)らの”信じられない”言動を何度も体験しても、その場では否定的な感情を持ってしまうこともありますが、それでも彼(女)らに好意を持つのは(どうしても好意を持てない学生や研修医もなかにはいますが・・・)、元々持っている人間性が大変魅力的だからです。
実際、彼(女)らの多くは大変素直で、大人の言うことをよく聞きます。なかには反抗期というものをほとんど経ずに成人したような男女もいます。世の中のドロドロした部分をこんな素直な子たちに見せたくない・・・、と思うことすらあります。この子は性格がよすぎるから詐欺にひっかかってしまうんじゃないかな、とか、将来クレームを言ってくる患者さんと対面したときに上手く振舞えずに心が病んでしまうんじゃないかな、とか心配してしまうこともあります(おせっかいですが・・・)。
ありていの言葉で言えば、彼(女)らは「温室育ち」なのです。しかし、温室であろうがどこで育とうが、社会人になれば甘えは許されませんし、その社会人の中でも医師という職業に従事するには高い倫理観が要求されます。甘い言葉でせまってくる数々の誘惑に打ち勝たなくてはなりませんし、低次元の欲求に対しては厳格にコントロールしなければなりません。
では、どうすればいいのでしょうか。
私の医学部の同級生のひとり(彼は現役で合格していました)は、このまま医師になってしまえば社会のことが何も分からないから、という理由で1~2年間の休学を考えたそうです。そしてその1~2年の間に医大生ではできないような経験、例えば会社勤めとか、起業とか、語学留学とか、海外でのボランティアとか、そういったことをやってみようと考えたそうです。私はそれは名案だと思いましたし、彼の気持ちがよく理解できました。しかし、大学側の回答は、「医学部には休学制度がない。どうしてもしたければ授業料を払って留年しなさい」というもので、結局彼のプランは実現しませんでした。
もしも休学制度がある大学医学部であれば、この私の同級生が考えたように医学部を卒業する前に他の経験をしておくというのはいい方法だと思います。あるいは、医学部を卒業してから1年間から数年間、何か別のことをするというのもひとつの方法ではないかと思います。「これほどの医師不足があるなかでそんな勝手なことは許されない。医師免許を取ったのなら国民のために働け!」という厳しい意見もあるでしょうが、医師側からみたときには数年間遅れたくらいで就職に困るということはありませんから、自分のため(そして将来診ることになる患者さんのためにもなるかもしれません)にいろんな経験を積んで置くのは有意義に違いありません。
少し私の個人的な経験を話しておきますと、私が自分の人生で初めて頭を打ったと感じたのは18歳で大学(関西の私大です)に入学して数ヶ月が経過した頃でした。当時の私は第1希望の大学に現役合格できたことで有頂天になっていました。わずか2ヶ月でしたが寝食を惜しんで勉強した結果、平均偏差値40だったのにもかかわらず現役合格できたのです。しばらくは、怖いものは何もない、くらいの気持ちでいたことを覚えています。
大学入学後は勉強以外のことは何でもやってみようと考えていて、複数のサークルやクラブに顔を出し、いろんなアルバイトを始めました。そのなかで、ある旅行会社でのアルバイトの経験が私の人生に大きな影響を与えることになります。この会社にはいろんな大学の学生やフリーター(当時まだこの言葉はありませんでしたが)が集まってきており年齢もバラバラでした。当時はまだコンピュータも普及しておらず、「予約していた宿に泊まれない」「来るはずのバスが来なかった」といったクレームやトラブルが日常茶飯事でした。このようなとき、状況を的確に判断し、怒っているお客さんに納得してもらい(逆に笑いをとるつわものもいました)、さらにスタッフをまとめて的確な指示を出せる人というのは、決して高学歴の人間ではなかったのです。このような経験を何度か経て、私は偏差値の高い大学に現役合格できたことで有頂天になっていた自分を恥じました。そして、自分がいかにちっぽけな人間かを知ることになりました。
その後私はいくつかのアルバイトを経て、大学卒業後は関西のある商社に4年間勤務しました。医学部入学後もいろんなアルバイトをしましたが、私がアルバイトを選ぶ基準は、「いかに自分が学べるか」です。それまでしたことのないような経験ができて、他のスタッフや社員から学ぶことがあるか、ということを考えるようにしました。もちろん、数え切れないくらいの失敗談もありますし、とてもここには書けないような恥ずかしい体験もあります。
これまでの経験を噛み締めて、そして医師という職業を相対的に考えたとき、「職業に貴賎がない」という言葉は事実だとしても、医師には高い倫理観が求められ、さらに私生活も含めて何事に対しても誠実にならなければならない、そしてこれこそが医師の矜持である、ということがすっと腑に落ちるのです。
前回紹介したような犯罪に手を染めた医師たちも、きっと医師という職業を相対化できていれば、つまり医師という職業を客観的にみることができる程度まで人生経験や苦労を重ねていれば、倫理観に背く行動が医師の矜持に反するということが理解できたのではないかと思うのです。
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|2013年6月22日 土曜日
95 医師による犯罪をなくすために(前編) 2010/12/20
医師は社会的地位の高さからなのか、犯罪に手を染め逮捕されると実名入りで報道されることが多いと言えます。
今年(2010年)報道された医師による事件のなかで多くの人にとって印象深いのは、2009年1月に不倫相手の女性に子宮収縮剤を飲ませ流産させ、2010年5月に逮捕された東京慈恵会医科大学附属病院の30代内科医Kと、2010年5月28日に福岡県大牟田市の旅館経営者を殺害し7月に逮捕された仙台医療センターの20代研修医Iではないかと思われます。これら2つの事件はメディアで大きく取り上げられ、特に内科医Kの事件は、看護師である不倫相手の陰謀ではないかとの噂も流れ週刊誌の格好の的となりました。
これら2つの事件ほどではないにせよ、医師による事件が大きく報道されることは枚挙に暇がありません。2010年に逮捕された医師についてインターネットを使って調べてみると、実に簡単に事件の詳細と実名がでてきます。ここでは全てを記すことはできませんが、例えば薬物関連の事件を経時的にみてみると、
・済生会福岡総合病院の40代麻酔科医Hが覚醒剤使用で5月に逮捕
・埼玉県の30代開業医Iが覚醒剤使用で10月に逮捕
・国立成育医療研究センター(東京都)の30代精神科医Bが覚醒剤使用で10月に逮捕
・福岡県の40代医師Yが大麻取締法で10月に逮捕
・同僚の看護師と共に麻薬を使用していたとして横浜市立大学附属市民総合医療センターの30代麻酔科医Nが11月に逮捕
などがあげられます。
次に、ワイセツ関連の事件をみてみると、
・神奈川県の綾瀬厚生病院の50代外科医Mが、2009年2月と4月に当時高校1年の女子生徒ら2人に計5万円を渡しワイセツ行為をしたとして2月に逮捕
・市立広島市民病院の40代の救急診療部副部長のKが、5月に19歳の専門学校生のスカート内を盗撮して現行犯逮捕
・山口県の50代の開業医Uが、6月に新幹線の車内で女性を盗撮して現行犯逮捕
・鳥取大学医学部附属病院の20代研修医Aが、7月にホテルの女風呂を盗撮する目的で敷地内に侵入して現行犯逮捕
・広島市民病院の40代の内科副部長のKが、2009年11月に勤務する病院の診察室で当時8歳と11歳の姉妹の上半身を隠し撮りしたことが発覚し、7月に強制わいせつ罪で逮捕
・茨城県のひたちなか総合病院の研修医Kが、2010年2月当時中学3年生だった少女に3万円でワイセツ行為をおこない9月に逮捕
・千葉大医学部の2年生Iが女子高生のスカート内を盗撮したとして10月に現行犯逮捕
・東京都の30代の泌尿器科医Yが、2010年6月横浜市のホテルで高校1年の女子生徒に2万円でワイセツ行為をおこない11月に逮捕
などが出てきました。
名前についてはここではすべてイニシャルで表記しましたが、インターネットを使えば簡単に実名が分かります。いったんインターネット上に名前が出回ると、それを消去することはできないでしょうから、向こう何十年、あるいは百年以上も過去の汚点が大勢の人に晒されることになります。
ということは、このような事件で逮捕されると、医師として再就職というのは相当困難になります。患者さんが、自分を診てくれている医師の名前を検索すると過去に薬物やワイセツ行為で逮捕されていた、なんてことが分かると病院の存続にも影響するからです。
それにしても、医師による犯罪を調べてみると、薬物関連とワイセツ関連が多いことに驚かされます。(これら以外では、医療ミスが取り上げられることが多い傾向にあります)
こういった事件が報道されると、当然「医師なのに許せない・・・」という世論の声がでてきますが、その一方で「医師も人間なんだから実名まで報道しなくても・・・」という同情の声も少しは聞こえてきます。
特に、今年の事件で言えば、ホテルの女風呂をのぞこうとして建造物侵入罪で逮捕された鳥取大学の研修医Aは、10月に大学病院を解雇されたことも報道され、「気の毒に・・・」という声も一部から聞かれました。
たしかに、この研修医が医師ではなく他の職業についていたとしたら、そもそも建造物侵入罪で実名が大きく報道されただろうか、という疑問がありますし、解雇され、さらに少なくとも医師として再起することは絶望的ですから、同情の声がでてくるのも分からないではありません。
しかしながら、同じ医師として言わせてもらうと、やはりこの研修医は二度と医師の世界に戻るべきではありません。それは、医師は同性のみならず異性の裸も診察することがあるからです。(女性の)患者さん側からみれば、過去に女風呂をのぞこうとして逮捕された医師に自分の裸を診てもらおうとは思いません。そのような医師とは良好な医師・患者関係が確立できるはずがないのです。
というわけで、私はこの研修医Aを含めて上に述べた今年逮捕された医師の誰ひとりとして擁護するつもりは毛頭ありませんし、同情もしません。医師というのは、高い倫理観が要求される職業であり、高い倫理観を持っていること自体が医師の矜持でもあるのです。
けれども、これは詭弁に聞こえるかもしれませんが、私は、特に研修医Aに対しては、やってしまった行動を弁護するつもりはありませんが、医師になる前のA君に対しては、同情してしまいます。私は、研修医Aにも、医師になる前のA君にももちろん会ったことはありませんが、A君は医学部を卒業してから「もうお前は医師なんだから・・・」という周囲からの強い社会的プレッシャーのなかで苦しんでいたのではないかと思うのです。
先ほど、高い倫理観を持っていること自体が医師の矜持、と述べましたが、これを理屈だけでなく心底から実感できるようになるには、それなりの人生経験と苦労の体験が必要だと私は考えています。
私に高い倫理観があるとは言いませんが、少なくとも薬物やワイセツ行為をしようと思わないのは、これまでの人生経験があるからであって、品行方正な性格だからというわけでは決してありません。生まれたときから高い倫理を有している人もいるのかもしれませんが、そのような人はむしろ例外でしょう。大半の人間は、それは医師も含めて、”人間”なのです。教科書どおりの生き方ができるわけではないのです。
しかし、医師になってしまえば(あるいは医学部に入学してしまえば)、高い倫理観を持たねばならず、それが持てないなら別の道に進みなおさなければなりません。
では、どのようにして経験や苦労を積み、高い倫理観を持てばいいのか、特に18歳で医学部に入学した(してしまった)人たちはどうすればいいのでしょうか。次回はそのあたりを考えてみたいと思います。
つづく・・・
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|2013年6月22日 土曜日
第94回(2010年11月) 水ダイエットは最善のダイエット法になるか
今回はまず、人間はどれくらいのカロリーを摂取すれば、体重が維持される、すなわち「消費エネルギー=摂取エネルギー」となるかについて考えてみましょう。年齢や性別、どのような仕事をしているかにもよりますが、成人で事務職、激しい運動はしていない、と仮定すれば、だいたい男性で1,800~2,200kcal、女性で1,500~2,000kcal程度ではないかと思われます。
次に1日あたりどの程度のカロリーを摂取しているかについて考えてみましょう。モデルケースとして、朝は①トーストセット(トースト1枚、マーガリンとジャム、ホットミルク付き、サラダなし)、昼間に②スパゲッティ・ミートソース(ドリンクは水だけ、サラダなし)、おやつに③カフェオレ(砂糖なし)とシュークリーム1つ、夕食に④とんかつ定食を食べたとしましょう。これで1日の総摂取カロリーは、①690kcal+②930kcal+③210kcal+④1,270kcal=3,100kcalとなります(注1)。
例えばあなたの1日の消費カロリーが1,800kcalとすると、この食生活では1日あたり1,300kcalのエネルギー過多となります。1gは7kcalでしたから(前回の「ダイエットの第2法則」参照)、1日あたり186グラム体重が増えることになります。1ヶ月では5.58kgも太ることになってしまいます・・・。(もちろん前回述べたように、これらには小さくない個人差があります)
上にあげた①~④の食事は現代人の標準的な食事と言えるのではないでしょうか。つまり現代人の<標準的な食事>をすれば月に5kg以上も太ることになるわけです。要するにダイエットをしたければ<標準的な食事>の概念を変えるしかないのです。
ここで1つの反論が聞こえてきそうです。その反論とは、「私は食べることが好きなので今言われた①~④程度の食事はしたい。だから運動でダイエットをすればいいじゃないか」というものです。たしかに、運動をすれば消費エネルギーが増えるのは事実ですし、運動はいろんな理由から積極的にすべきです。
しかし結論から言えば、運動だけで体重を落とすことは不可能です。もう一度「ダイエットの第2法則」に戻りましょう。それは「脂肪組織1gは約7kcalのエネルギー」というものでした。その人の体格にもよりますし前回述べたように個人差が大きいのですが、例えば60分のウォーキングなら約200kcal、10kmを1時間かけて走ったならば約700kcalのエネルギーを消費します。ということは、毎日1時間のウォーキングをおこなう程度では、①~④の食生活をしていれば、1日あたり1,100kcalのエネルギー過多になり、1日で157g増え、1ヶ月で4.7kg太ることになります。毎日10kmの距離を1時間かけて走ったとしても(これはかなり大変ですし、実際に毎日おこなえばそのうち足や膝を痛めるでしょう)、1日あたり600kcalのエネルギー過多、1ヶ月では2.5kgの体重増加となります。
毎日10kmの距離を走ることのできる人は(時間確保の観点からも疲労度の観点からも)そういないでしょう。しかし、たとえ1日かかさず10kmのランニングをおこなったとしても、現代人の<標準的な食事>をしていれば月に2.5kg太ってしまうのです。
ここまでくればお分かりいただけたと思いますが、結局のところ、ダイエットをしようと思えば摂取カロリーを減らす以外に方法はないのです。
では、どのような食事をすればいいのでしょうか。次のケースを想像してみてください。朝食は⑤納豆定食、昼食に⑥山菜ソバ、おやつに⑦アイスミルクティー(ガムシロップ入り、食べ物はなし)、夕食に⑧幕の内弁当を食べるとします。⑤584kcal+⑥350kcal+⑦55kcal+⑧770kcal = 1,759kcalとなります。1,759kcal≒1,800kcalと考えると、⑤~⑧の食生活を毎日続けると、体重の変化なし、ということになります。
さらに毎日60分のウォーキングをおこなえば、200kcalx30日=6,000kcalのカロリー消費となり、これを7kcalで割ると、6,000÷7=1,108g、つまり月に1.1kgやせることになります。月に1.1kg、1年で13kgのダイエットに成功!、となるかもしれません。
しかし、あらためて考えてみると⑤~⑧の食事を継続し、毎日60分のウォーキングを前提としていることには無理があります。外食をまったくしないわけにはいかないでしょうし、お酒を飲む機会もあるでしょうし、たまにはあぶらっこいものも欲しくなるでしょう。
ここで最近話題になっている2つのダイエット法を紹介したいと思います。1つは「梅干ダイエット」で和歌山県田辺市の紀州田辺うめ振興協議会が調査したものです。同協議会によりますと、大粒の梅干2個を50日間食べた人の約7割がダイエットに成功したそうです(注2)。なぜ梅干でダイエットできたかについて、詳しくはわかりませんが、おそらく食事時に梅干を2つも食べることによって、全体のカロリー摂取量が減少したからではないかと思われます。梅干自体が体にいい食品とされていますから、この方法は一見価値があるようにみえますが、気になるのは塩分の過剰摂取です。
一般的に梅干1個あたりの塩分は約2gとされています。2つであれば4gです。一方、厚生労働省が推奨する1日あたりの塩分摂取は男性9g未満、女性7.5g未満です。例えば五目ソバ一杯で塩分は8gになりますから、気をつけていても日本人の塩分摂取は過剰になりがちです。その上、毎日梅干を2個食べるとなると、塩分のコントロールがかなりむつかしくなってしまいます。梅干好きの私としては、おすすめしたいダイエット法ではあるのですが、塩分をどうやって管理するかが難点です。
もうひとつ紹介したいのは、いわゆる「水ダイエット」です。方法はごく単純で「食前にコップ2杯程度の水を飲む」というものです。米バージニア工科大学の研究によりますと、このダイエット法により12週間で7kgの減量が認められています。
この研究を少し詳しく紹介すると、被験者を2つのグループにわけて、双方に1,200~1,500kcalの低カロリー食を食べてもらっています。片方のグループのみ1日3回食前にコップ2杯の水を飲んでもらいます。12週間後、水を飲んだ方は7kg、飲まない方が5kgの体重減少が認められ、その差は2kgということになります。
今回の研究チームのリーダーであるBrenda Davy氏は、以前、過体重および肥満の中高年を対象とした研究をおこない、「食前に水を飲むと被験者の摂取カロリーが1食につき75~90kcal,1日で300kcal少なくなる」という結果を発表しています。おそらくこの理由は、「水を飲むことによって胃が膨らみ、少ない食事で満腹感が得られるようになる」というものでしょう。
しかし、今回の研究では、水を飲まなかったグループと飲んだグループで食事量が同じですから、他にも理由があるはずです。
水ダイエットは、”やりすぎ”は危険かもしれません。水の飲みすぎは度をすぎると「水中毒」をおこし、これが進行すると生命にかかわる可能性すらあります。しかし、毎食前にコップ2杯程度の水であれば、そのような心配は不要であり、大変有用なダイエット法と言えるかもしれません。
よく「水は健康にいいから」という理由で、水のペットボトルを持ち歩いている人がいますが、これを持ち歩くのではなく、三度の食事の前にコップ2杯の水を飲むようにすれば、当初の目的の「健康にいい」も達成でき、ダイエット効果も期待できるかもしれません。
私は、「画期的なダイエット法」などという言葉を聞くと、その信憑性を疑ってかかりますが、この「水ダイエット」に関しては、少なくとも試す価値はあるのではないかと考えています。しかも、ほとんど無料で簡単に始められて、医学的な裏づけもあるのです。
高価なダイエット用品を買い求める前に、食前のコップ2杯の水を試してみればどうでしょう。ただし、ダイエットの2大法則を忘れないように・・・。
注1:本文中の①~⑧のカロリー数は、⑤以外は、『肥満解消のための外食カロリーBOOK男性版』(主婦の友社)からの引用です。⑤は吉野家の下記のURLを参照しました。
http://www.yoshinoya.com/menu/morningset/index.html
注2:本文で紹介した梅干ダイエットについては、2010年8月25日の毎日新聞の報道を参考にしています。
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|2013年6月22日 土曜日
第93回(2010年10月) ダイエットの2大法則
やせる秘訣を教えてください・・・
診察室でこのような訴えをする患者さんは、当院開院の2007年から今も絶えません。なかには、随分と遠いところから来られて「どうすればやせることができるか」という相談をされる方もいます。当院では、特に「ダイエット外来」のようなものをしているわけでもないのですが・・・。
やせ薬をください・・・。
ダイレクトにこのように話す人もいますが、原則としてこのような薬の処方はできません。では、「飲めばやせる薬」はないのか、と問われれば、ないわけではないのですが、”安全な”薬はないのです。
少し詳しく説明すると、「マジンドール」(商品名は「サノレックス」)という薬があって、日本の医療機関でも肥満外来をおこなっているところでは処方されることもあります。しかしながら、この薬は覚醒剤(アンフェタミン)に類似した物質であり、食欲を抑えることはできるものの(覚醒剤と似ているのですから当たり前です)、長期で使えば依存性が生じるため(これも覚醒剤と似ているのですから当然です)、処方には厳格な規定があります。最大処方期間は3ヶ月とされていますし、処方できるのはBMI35以上と決められています。BMIは体重(キログラム)÷身長(メートル)の2乗ですから、例えば身長160cmの人であれば、BMIが35以上となるのは、89.6キログラム以上の体重がなければなりません。
マジンドール以外ではシブトラミンという薬があり、米国を含むいくつかの国では数年前から肥満改善薬として処方されていました。ところが最近(2010年10月8日)、FDA(米食品医薬品局)が、米国内でのシブトラミンの販売を中止することを発表しました。販売元のアボット社は、米国以外にもカナダ、オーストラリアを含む他国でも販売中止することをすでに決定しているそうです。シブトラミンは、日本では、エーザイによって2007年11月29日に医薬品製造販売承認申請されていますが、2009年9月26日に取り消されています。
シブトラミンは日本では認可されていませんが、いくつかの市販のサプリメント(大半はインターネットで取引されています)などに含まれていたことが発覚し、ときどき摘発されています(下記医療ニュース参照)。 もちろん、販売中止となるくらいですから、シブトラミンは副作用が少なくなく、当院にも「”いかがわしいやせ薬”を飲んで、動悸やめまいが出現した」、と言って受診された患者さんがシブトラミンを含むサプリメントを飲んでいた、という例がいくつかありました。
また、昔からよくあるやせ薬に「甲状腺末」があり、これもやせることを謳ったサプリメントに入れられていることがあり、ときどき発覚しています(もちろん違法です)。甲状腺機能亢進症に罹患すると急速にやせますから、甲状腺末を服用すればやせるのは当然なのですが、同時に動悸や発汗、イライラといった副作用も当然出現しますから、長くは服用できませんし、短期間の服用でも大変危険です。
結局のところ、安全なやせ薬というのは存在しないと考えるべきなのです。
では、やせたいときにはどうすればいいのでしょうか。
まず、基本的なところをおさえておきたいと思います。今回お話する原理原則は2つあります。これを「ダイエットの2大法則」と勝手に命名したいと思います。まず1つめの法則、すなわち「ダイエットの第1法則」は「消費エネルギー>摂取エネルギー、となれば必ずやせる」というものです。
こう言えばすごく単純なことになりますが、厳密に言えばもう少し複雑な要因があります。「消費エネルギー」は、誰もが同じように計算できるわけではありません。例えば、先に少し述べたように甲状腺機能が亢進すれば、じっとしていてもエネルギーはどんどん消費されていきます。最近では、レプチンやグレリンといったホルモンがエネルギーの消費に関与していることもわかってきています。また、食後に汗をかきやすい人は褐色細胞と呼ばれる細胞が活発に働くからで、このタイプの人は汗をかかない人に比べるとエネルギーを消費しやすいと言えます。
ここでのポイントは、こういった「エネルギーを消費しやすいかどうかはかなりの部分で遺伝的に決まっている」、ということです。じっとしていてもエネルギーを消費しやすい人としにくい人がいるのは、大方の部分であらかじめ決まっていて、これを変えることはできないのです。したがって、じっとしているだけではエネルギーが消費されにくい人は、消費されやすい人よりも積極的に身体を動かす必要があるということになります。
ちなみに、エネルギーが消費されにくい体質の人は自らを”損”と考えるかもしれませんが、生物学的には”得”と言えます。食べ物が手に入りにくかった時代には”有利に”生きられたのです。
次に「摂取エネルギー」について考えてみましょう。「消費エネルギー」に個人差があるように、「摂取エネルギー」にも小さくない個人差があります。つまり、同じものを食べたとしても、ある人はエネルギーとして体内に取り込まれるけれども、別の人は吸収されずにエネルギーとならない、というわけです。
これは、消化管でどれだけのエネルギーが吸収されるかによると思われます。大食いでテレビに出るようなフードファイター(competitive eater)の人たちは、体型がやせ型の人が多いようですが、おそらく食べても食べても消化管でエネルギーがあまり吸収されていないのではないかと思われます。そして、この点もおそらくは遺伝でほぼ決まってしまっています。つまり、いくら食べても太らない体質の人をうらやましいと感じたとしても、そのような体質になることは不可能であり、フードファイターは努力よりも持って生まれた素質(?)によるところが大きいのです。
この場合も、食べた分の大半が吸収される人は太りやすいために自らを”損”と考えるかもしれませんが、生物学的には”得”なのです。少ない摂取量で効率よくエネルギーを蓄えることができるからです。
何をどれだけ食べれば何キロカロリーの摂取で、どれだけの運動をすれば何キロカロリー消費、といった情報は巷にあふれていますが、こういった情報(数字)は標準的なものであって、個人差が大きいという事実は知っておくべきでしょう。
では、もうひとつの原理原則にうつりましょう。「ダイエットの第2法則」は、「脂肪組織1gは7kcalのエネルギー」という事実です。これは個人差があるわけではなく、生化学的(熱力学的)に分かっていることです。
しかし、これだけではわかりにくいので、1ヶ月に2kgの体重減少を目標にすることを仮定して話をすすめていきましょう。まず、1ヶ月に2kg(2,000g)ですから、これを30で割ると、1日あたりでは67gとなります。1g7kcalですから、67gだと469kcalとなります。469kcalといえば、だいたい軽めのラーメン1杯分に相当します。ということは、毎日ラーメン1杯分くらいの摂取量を減らせばそれだけで月に2kgやせることが可能となるわけです。(先に述べたように個人差はありますが)
次回は、具体的にどのような食事をしてどのような運動をすべきなのか、さらに「ダイエットの2大法則」を踏まえた上で推薦できるダイエット方法についてお話いたします。
参考:
メディカル・エッセイ第55回(2007年8月)「「ダイエットに報奨金」の意味するもの」
医療ニュース
2009年10月26日「タイ産やせ薬で相次ぐ死」
2008年12月15日「やせ薬「ソロスリム」で体調不良」
2007年6月11日「危険な輸入健康食品」
2007年3月23日「ダイエット用食品から未承認医薬品検出」
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|2013年6月22日 土曜日
92 手術が成功しなくても代金が安くならないのはなぜか 2010/9/21
まずは次のような場面を想定してみてください。
あなたは車を購入することを考えています。A社とB社の車に興味があるあなたは、A社、B社それぞれのショールームにでかけて営業マンから話を聞くことにしました。A社の車は非常に魅力的でしたが、価格が高いのが難点です。一方、B社の車は、価格は手ごろなのですが、デザインと機能でA社の車に劣るように思われます。A社、B社ともに営業マンは熱心でしたが、最終的には、値引きはもらえなかったものの、カーステレオを無料でつけてもらえることになったこともありA社の車に決めました。あなたは新車購入の日に指定されたA社の販売店に行き、キーを受け取りました。そして、そのまま新車に乗って販売店を出ました。
ところが、赤信号のため交差点で止まろうとしたとき、ブレーキがきかないという事態に遭遇しました。このままでは前の車にぶつかってしまうと判断したあなたは、ハンドルを切ってガードレールに車をぶつけ、なんとか止めることができました。ケガはなかったものの買ったばかりの新車のブレーキが効かないことにあなたの怒りはおさまりません。すぐにA社の販売店に苦情を言いに行きました。A社の担当者は深く謝罪しました。後の調査でその車はブレーキに欠陥があることが判明しました。担当者は上司と共にあなたに謝罪に来て、新車購入代金に見舞金を上乗せした金額をあなたに返金しました。
翌週、あなたはレンタカーを借りて休日のドライブを楽しんでいました。交差点で停止していると、突然後からスポーツカーがつっこんできました。意識を失ったあなたはX病院に運ばれました。幸い命に別状はありませんでしたが、むちうちで両肩が上がらずに腕に力が入りません。半年もの間リハビリをおこないましたが一向によくならないため、医師から手術をすすめられました。外傷性の頚椎椎間板ヘルニアが原因となっているため、手術をすればよくなるかもしれない、と言われたのです。手術は簡単ではないとのことだったため、あなたはセカンドオピニオンを求めてY病院を受診しました。Y病院でもX病院と同じように、手術は簡単ではないがやってみる価値はある、とのことでした。
結局、あなたは思い切って手術を受けることにしました。しかし、その結果、手術は上手くいかずあなたの腕は上がらないままで、さらに症状が足にも現れ歩くことさえままならなくなってしまいました。
ある日のこと、あなたのもとに警察がやってきました。交差点で停止中のあなたに後ろから追突してきたスポーツカーの持ち主は逃亡して行方が分からない、と言います。警察としては全力で捜査したものの未だに手がかりがないそうです。
さて、このストーリーを「お金の動き」という観点からみてみたいと思います。
まず、A社、B社の営業マンはあなたに新車の売り込みをおこないました。両者ともあの手この手であなたに自社製品の魅力を訴えましたが、あなたはA社の車を選びました。もちろんB社の利益はゼロ(正確には営業マンの人件費がかかりますからマイナス)です。しかし、B社は「これまで説明した分のお金を払ってください」とは言いません。
A社は営業マンの人件費を使いましたが新車が1台売れましたから販売した時点では利益がでています。ところが販売後すぐに車に欠陥があることが判明し、車はすぐに廃車となりました。A社は新車の購入代金全額にいくらかの見舞金を上乗せした金額をあなたに払い戻しました。
X病院で、あなたは手術をすすめられました。簡単ではない、とは聞いていましたが、手術前より悪化するなどとは、そのような可能性もあるようなことを聞いた気もしますが、まさか自分に起こりうるとはまったく思っていませんでした。手術をして以前の状態より悪化したのにもかかわらず手術代は支払わなければなりません。また、Y病院では話を聞いただけですが、しっかりとお金を請求されました。
警察は全力であなたに追突した犯人を捜していると言いますが、手がかりすら見つけられません。しかし「捜査をしているんだから代金を払ってください」と警察があなたに言うわけではありません。また、「犯人がみつかったら捜査代金を請求します」とも言いません。
あなたはA社、B社、X病院、Y病院、警察の5者と、それぞれ(広い意味での)契約をおこなっています。しかし、A社は車に欠陥があったために全額を返金したのに対し、X病院は手術が上手くいかなかったのにもかかわらず返金がないどころか値引きもありません。これがなぜだか分かりますでしょうか。
A社のように一般の商品を消費者に販売するときの契約は「欠陥がない商品を代金と引き換えに供給する」というのが前提になっています。要するに、「不良品があればすぐに交換または返金します」、というのが通常の商品売買の契約上のルールなのです。「どれだけ頑張っても欠陥品をゼロにはできません。だから欠陥品を買うことになっても目をつぶってくださいね」、という理屈は通用しないのです。
一方、医療行為というのは、結果が保障される類のものではありません。薬には副作用がつきものですし、100%の確率で成功する手術などというのはありません。皮膚の小さなできものをとる簡単な手術でさえ、麻酔薬によるアレルギーや術後瘢痕のリスクがあります。分かりやすく言えば、医療機関に支払う代金というのは「検査や処置・手術などそのものに対する代金であって、結果は問われない」性質のものなのです。これを法的には準委託契約と言います。ただし、「結果は問われない」とは言え、診断や手術に不備や過失があった場合は当然のことながら責任が問われます。しかし、どこまでを過失とするか、というのは非常にむつかしく司法に委ねられることも少なくありません。
また、医療機関では「説明を聞くだけ」でも代金が発生します。B社の営業マンから説明を何度聞いても無料だったのに対し、Y病院では一度の説明で支払いが発生しています。
警察についてはどうでしょうか。今回のストーリーで警察は仕事をしたものの結果は何も残せていません。仕事をしていますから人件費は発生しているはずです。しかし警察からあなたに請求書が届くことはありません。警察の人件費やその他諸費用は税金で賄われているからです。
ここからは私の私見になりますが、私は医療機関とは警察と同じような性質のものだと考えています。つまり、「普段はお世話にならない方がいい。けど困ったときに頼れるべき存在が警察や医療機関」、と考えるべきだと思うのです。消防署や自衛隊なども同じカテゴリーに入るでしょう。
以前にも何度か述べたことがありますが、私は日本のすべての医療機関(病院もクリニックも含めて)は公的な機関になるべきだと考えています。そして医師や看護師は公僕(公務員)となるべきだと思うのです。そもそも、現在のように医療機関が一般の営利団体と同じように利益を出して税金を払わなければならない、というシステムには矛盾があります。
我々医師は、病気やケガの患者さんに早く社会復帰してもらえるように治療をしているのです。しかし、実際には、たくさんの検査をして手術をして薬をだして入院させた方が医療機関の利益となってしまいます。それでも我々は、そのような矛盾を感じながらも、できるだけ検査や投薬を減らそうと努力しているのです。
さらに私見を述べると、警察に相談しても無料であるのと同じように医療費も無料が理想だと考えています。しかし、そんなことは不可能ですし、医療費は年々増えています。「医療費はどのようにして削減すべきか」ということについては今回の趣旨から外れるためにここでは述べませんが、少なくとも現在のように「医療機関が患者数を増やせば増やすほど、そして検査や手術、投薬をおこなえばおこなうほど病院の利益が上がり、その結果医療費がさらに高騰する」、というシステムがおかしいということは広く社会に認識されるべきです。
同時に、一般のサービス業(A社)と医療機関(X社)では、供給されるモノの性質がまったく異なるということが広く理解されることを望みます。
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|2013年6月21日 金曜日
第91回(2010年8月) 医師はどのような患者に対しネガティブな感情を抱くか
以前、米国ジョンズ・ホプキンス大学の研究者が、医学誌『Journal of General Internal Medicine』2009年11月号で、「肥満患者は医師から丁寧に扱われていない」という研究を発表したことを紹介し、私個人の感想として、その研究結果が信じられない、ということを述べました。(メディカルエッセイ第82回(2009年11月) 「肥満患者が医師に丁寧に扱われていないというのは本当か」 )
この研究では、患者のBMI(注1)が10増加するごとに、医師の患者に対する敬意が14%減少する、としています。「敬意が14%減少する」というのはよく分かりませんが、例えば身長170cmの人2人(AさんとBさん)が受診したとして、Aさんが57.8kg(BMI 20)、Bさんが86.7kg(BMI 30)とすると、BさんはAさんに比べて医師からの扱いが14%悪くなる、とこの論文では言っているわけです。
肥満があるからといって、コミュニケーションが取りにくいわけではありませんし、医師や看護師に反抗的というわけでもありません。私には、この研究が言うように「体重で医師が患者を差別する」というようなことが到底あるようには思えないのです。
この論文が発表されてから5ヶ月後、私の感覚どおり、というか、やはりこの研究を否定する論文が発表されました。医学誌『JAMA』2010年4月7日に、米国ペンシルベニア大学のVirginia W. Chang氏らの研究が報告され、この研究結果は、「医師の肥満患者に対する医療の質は、非肥満患者に対するものと比べて劣らない」、と結論づけられています。(下記注2参照)
この研究は、メディケア(米国の高齢者向けの公的医療保険)加入の36,122人を対象とした1994~2006年の調査結果と、VHA(米国の退役軍人に対する医療保険)加入の33,550人を対象とした2003~2004年の調査結果を分析しています。
その結果、肥満患者が非肥満患者に比べて、適切な医療サービスを受けていないとするエビデンス(科学的確証)は認められなかったとされています。むしろ、血液検査のいくつかの項目では、肥満患者の方が積極的に検査されており、ここだけを取り上げればむしろ、肥満患者の方が丁寧に診察されている、と言えるかもしれません。
そうか、やっぱり私の感じていたことが正しかったんだ、一件落着・・・。といきたいところですが、この2つの論文をきっかけに、「では医師はどのような患者に対しネガティブな感情を抱くか」ということを考えてみました。
まず、肥満患者に関してもう一度よく考えてみました。おしなべて言うと、私は太っている患者さんはむしろ接しやすいように感じています。特に、「やせたいんです・・・」と真剣に訴える人に対しては、「なんとか応援したい」とポジティブな感情が芽生えます。一緒に運動や食事療法について考えて、次の外来のときに「先生、2キロ痩せましたよ!」などと言われると、「医師をしていてよかった。感動を患者さんと分かち合えた!」と感じます。
しかし、よくよく考えてみるとこの逆のパターンもあります。例えば、高血圧や高脂血症があり、薬よりも何よりもまずは体重を落とすことを優先すべき状態なのに、「今の体重が自分の標準なんや。なんで医者に、やせろ、なんて言われなあかんのや」、というようなことを実際に言う人もいます。こんなとき、私は安易に薬に頼るべきでないことを説明し、減量のメリットを何度も説明することを試みますが、初めから聞く気がない人にはまったく説得力がありません。この場合はけっこう疲れますし、ネガティブな印象を持ってしまうことは否定できません。しかし、このようなケースは例外的であり、少なくとも太融寺町谷口医院を受診される大半の患者さんは、(実際にできるかどうかは別にして)運動や食事の注意点を説明すると耳を傾けてくれます。
さて、肥満以外にはどのようなケースがあるでしょうか。
メディカルエッセイ第82回でも述べましたが、患者さんの症状とは関係のない特性で否定的な感情を持つことはありませんし、あってはならないと私は考えています。例えば、過去に犯罪歴があるとか、性的マイノリティだとか、国籍が異なるとか、そういったことでは一切の差別があってはならないのです。
私が瞬間的にネガティブな感情を持ってしまうことがあるのは、「お金を払うんだから言うこと聞いてよ」、という態度の人です。言い換えれば「医療をサービス業と誤解している人」です。これについては、以前詳しく述べたことがあるので(メディカルエッセイ第68回2008年9月 「「医療はサービス業」という誤解」 )、ここでは繰り返しませんが、典型的な例を挙げると、
・お金を払うんだから、薬を処方してくれてもいいでしょ・・・
・お金を払うんだから、点滴をしてくれてもいいでしょ・・・
・お金を払うんだから、希望する検査をしてくれてもいいでしょ・・・
といったものです。
つい最近も、ある検査をしてほしいという患者さんが来られました。問診の結果、その患者さんはその検査をする必要がないと私は判断しました。私は、なぜその検査が必要でないのかを説明し、少なくとも保険診療ではできない旨を伝えましたが、患者さんは納得されなかったようで、「検査してくれないならもういいです!」と怒って帰っていきました。私の説明にまずいところがあったとは思いますが、初めから「金を出すんだから希望の検査をしてくれ」という理屈は医療の性質に合わない、ということを理解してもらうのに苦労することがしばしばあります。
もっとひどい(と我々医師は感じます)ケースもあります。これは私が経験した事例ではなく、ある医師から聞いた話です。
あるクリニックに20代の女性患者さんが来院しました。その患者さんは、他覚的にはそれほど強い症状がないのですがいくつかの重篤な病気の可能性を考えていたそうです。そこで医師は問診と診察をおこない、それほど心配する必要はないこと、少なくとも現時点では検査や投薬も不要であることを伝えました。なかなか患者さんは納得しませんでしたが、20分以上時間をかけてようやく理解されたそうです。しかし、診察室を出て行くときに残した言葉が、「検査も薬もないんだから今日は無料ですよね」、だったそうです・・・。
たしかに、サービス業であれば、商品の説明を聞くだけなら無料であることが普通だとは思いますが、医療はサービス業ではありません。そもそも、我々医師の仕事というのは、「いかに検査や投薬を減らすか」、ということに重きを置いているのです。ときどき、勘違いしているマスコミが、「病院の利益のために不必要な検査をおこなっている」、などと書き立てますが、こんなことはあり得ません。(不必要な手術をおこない死亡させたことが発覚した奈良県大和郡山市のY病院のような例も実際にありますが、これは例外中の例外です)
また、サービス業であれば、通常クーリングオフという制度があります。商品を購入したものの、期待していたものと異なった場合、一定期間内であれば返品できるという制度です。医療行為の場合、もちろんこのようなシステムはないわけで、分かりやすい例を挙げれば、手術が成功しなかった場合でも治療費が値引きされるわけではありません。
このように医療行為というのは、医師から話を聞くだけでもお金がかかり、病気が治らなかったとしても治ったときと同じ費用がかかります。つまり、サービス業とはまったく異なるのです。しかし、この違いは確かに医療者以外には分かりにくいかもしれません。
次回はこのあたりをもう少し掘り下げてみたいと思います。
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注1:BMIとはボディ・マス・インデックスの略で、体重(キログラム)を身長(メートル)の2乗で割った数字です。体重88キログラム、身長2メートルの人なら、88÷2の2乗=88÷4=22となります。一般的には22~25くらいが標準とされています。
注2:この論文のタイトルは、「Quality of Care Among Obese Patients」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=185629
参考:メディカルエッセイ
第82回(2009年11月) 「肥満患者が医師に丁寧に扱われていないというのは本当か」
第68回(2008年9月) 「「医療はサービス業」という誤解」
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|2013年6月21日 金曜日
90 理想のワクチン政策とは・・・ 2010/7/20
前回のメディカル・エッセイ(第89回 「日本は「ワクチン後進国」の汚名を返上できるか」) で、最近、HPVワクチン(子宮頚ガンのワクチン)のみが積極的に推奨され、マスコミで報道されることに違和感を覚える、ということを述べました。これは、私がHPVワクチンの普及に反対しているわけでは決してなく、なぜ肺炎球菌ワクチンやインフルエンザ菌ワクチン(以下Hibワクチン)の公費負担を求める声がクローズアップされないのか、という問題提起をしたかったからです。
この私の問題提起を受けて・・・、というわけではありませんが、2010年7月7日、厚生労働省が、全国の市町村がどれだけ公費でワクチン接種の助成をしているか、という報告をおこないました。
同省によりますと、公費助成をおこなっている自治体(市町村)は、HPVワクチンで6.5%、Hibワクチンで11.7%、小児用肺炎球菌で0.6%、となるそうです。
Hibワクチンの方がHPVよりも高いことは高いのですが、Hibワクチンは、例えばアメリカでは1987年から定期接種に入れられている実績と安全性が確立されているワクチンで、日本での発売は2008年12月と相当遅かったわけですが、それでもすでに1年半が経過していることを考えると11.7%というのは少なすぎるように思われます。
一方、HPVワクチンは世界で初めて登場したのが2007年という新しいもので、日本で発売されてまだ半年しかたっていないのにもかかわらずすでに6.5%、しかもほとんど連日のように「○○市でHPVワクチンの公費助成が決定!」という記事がマスコミで報道されていますから、社会的関心の高さは圧倒的にHPVワクチンの方が上です。
小児用肺炎球菌ワクチンは、発売が2010年2月でHPVワクチン発売より2か月遅れています。しかしHPVワクチンが6.5%なのに対し、2か月遅れとはいえ0.6%というのは、差がありすぎるように感じます。
もちろん私が言いたいのは、HPVワクチンをこれ以上普及させるな、ということではなく、せっかく「ワクチンの公費助成」という市民にとって有益な政策を立てるなら、1つのワクチンにこだわるのではなく、他の有用なワクチンについても検討してくださいね、ということです。
このような私の思惑を受けて・・・、というわけではないのですが、7月7日におこなわれた厚生労働省主催の「第11回厚生科学審議会感染症分科会予防接種部会」では、現在予防接種法に入れられていないワクチンについて、今後定期接種に加えるべきかどうかの検討がおこなわれました。
検討の対象となったのは、インフルエンザ菌(Hib)、肺炎球菌、HPV、水痘、B型肝炎ウイルス、流行性耳下腺炎(おたふく風邪)、ポリオ、百日咳、の8つです。
少し補足をしておくと、現在「予防接種法」に組み入れられているワクチンは、麻疹(はしか)、風疹、ポリオ、日本脳炎、ジフテリア、百日咳、破傷風、結核、(高齢者の)インフルエンザです。これらは全額公費負担(要するに接種者負担がゼロ)です。ただし、年齢などに一定の条件があります。
ここで2つの疑問がでてきます。1つめは、予防接種法に組み入れられていようがいまいが、市町村が無料で接種してくれるのならどっちでもいいんじゃないの?という疑問です。もうひとつの疑問は、検討会で検討の対象とされている8つの感染症のうち、ポリオと百日咳はすでに予防接種法に入っているんだから今さら何を議論するの?というものです。
まず1つめの疑問から解決していきましょう。そのワクチンが予防接種法の下でおこなわれるか否かというのは、ワクチンで副作用(健康被害)が生じたときに意味がでてきます。つまり補償される金額がまったく異なるのです。予防接種法に入れられているワクチンは、「できる限り全員がうってください。その代わり何か問題がおこったら国が責任をもって補償いたします」という意味があります。
一方、予防接種法に入っていないワクチンで健康被害が出たときは、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)という機関が、通常の医薬品の副作用が起こったときと同じように補償してくれますが、予防接種法ほどは手厚くないのです。市町村による公費助成で接種していればPMDA以外にもその市町村が何らかの補償をしてくれることが期待できますが、予防接種法で定められている補償内容と同等におこなわれるかどうかは分かりません。
要するに、ワクチン接種で健康被害が出る可能性を考えると、国としては、どんなワクチンでも予防接種法に入れてあげますよ、とは気軽に言えないのです。 ですから、ワクチンのひとつひとつを慎重に検討するという行政の姿勢は理解できなくはありません。しかしながら、少なくとも海外で実績のあるワクチンは「ワクチン接種が普及せずその病気が蔓延したことによる被害額>>ワクチンによる健康被害の補償額」ということが実証されているわけですから、そのワクチンを予防接種法に取り入れて早急に普及させる方が行政には有益となるのです。
2つめの疑問は、ポリオと百日咳を検討する意義ですが、まず百日咳についてはここ数年間大きな流行をみせていることから、現在の接種方法で問題はないのか、成人にも接種すべきではないかという議論がおこなわれるものと思われます。ポリオについては、現在日本で接種されている「生ワクチン」から安全な「不活化ワクチン」への変更が検討されるはずです。(ポリオワクチンについては下記「医療ニュース」を参照ください)
では、理想のワクチン対策とはどのようなものでしょうか。
まず、少なくとも海外で実績のあるワクチンについては、すべて予防接種法に組み入れるべきです。現在検討会が検討している病原体以外にも、ロタウイルスとA型肝炎ウイルスは早急に加えるべきです。
次に、予防接種法に入れられたワクチンは国民の負担をゼロにすべきです。(そうしなければ接種率は上がりません) さらに、年齢制限もとっぱらうことを提案したいと思います。高齢者でなくてもインフルエンザウイルスのワクチンが無料で打てて、働き盛りの成人も麻疹(はしか)や百日咳のワクチンを無料接種できるようにすべきです。
しかしながら、一方で、どうしてもワクチンをうちたくないという人には、強制してはいけません。宗教的な理由で打ちたくないという人もいますし、一部医療者のなかにも、「ワクチンをうつべきでない」と狂信的に主張する人も実際に存在します。そのような人たちを押さえつけて注射することはできませんから、「ワクチンをうたない自由」というものも残しておかなければなりません。ただし、このような人たちにも、ワクチンをうたなかったときのリスクとワクチンの副作用のリスクのどちらが大きいかについてはよく考えてもらいたいものです。
それから、ワクチン接種をする場所については、現在のように医療機関でおこなうのではなく保健所に統一すべきだと私は考えています。これは、ただでさえ忙しいのに仕事を増やさないでほしい、という現場の医師のわがままではありません。ワクチン接種の記録を残しておくことが公衆衛生学的に有用だからです。
ワクチン接種の有無を行政に管理されるなんて、管理国家のようでイヤだ、と考える人もいるでしょう。しかし、医療の現場では、例えば、発熱と皮疹で受診した患者さんに「はしかのワクチンはうっていますか」と聞くと、「わかりません」と言われることがよくあります。このようなとき地域の保健所に(患者さん自身が)確認すればすぐに分かるというようなシステムが必要だと私は考えています。
私の提案をまとめてみると、①(少なくとも海外で実績のある)すべてのワクチンは、すべて無料とし年齢制限も撤廃する、②原則は全員接種だが「ワクチンをうたない自由」も残しておく、③健康被害がでたときは国が充分な補償をおこなう、④接種するのは保健所で接種記録を残しておく、ということになります。
改めて見直してみても<理想のワクチン政策>だと思うのですが、この提案を阻む要因があるとすればそれは何なのでしょうか・・・。
参考:
メディカル・エッセイ第89回 「日本は「ワクチン後進国」の汚名を返上できるか」
医療ニュース2010年2月22日 「神戸の9ヶ月男児がポリオを発症」
Know・VPD( http://www.know-vpd.jp/index.php )(子供のワクチン接種について詳しく紹介されています)
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|2013年6月21日 金曜日
89 日本は「ワクチン後進国」の汚名を返上できるか 2010/6/20
最近、子宮頚ガンの原因であるHPV(ヒトパピローマウイルス)のワクチン接種の費用を自治体が負担することになった、というニュースをよく耳にします。
以前このウェブサイトの「はやりの病気」(下記参照)でも述べたように、私はこのワクチンが日本でも普及すべきことを切望しますが、行政が費用を負担するということは現実的でない、と感じていました。その理由は、「はやりの病気」で述べましたのでここでは繰り返しませんが、「ワクチン後進国」と呼ばれているこの国で、歴史が新しく性交渉で感染する病原体のワクチンが急速に普及するとは到底思えなかったのです。
しかし、実際には私の予想とは逆に、行政が費用を負担して積極的にワクチン接種を推奨する地域は急速に増加しています。2009年12月に全額公費負担を発表した新潟県魚沼市を皮切りに、兵庫県明石市、栃木県大田原市、東京都杉並区などがまずは続きました。その後多くの自治体が助成を決定し、2010年6月4日現在で、全国68箇所の自治体でHPVワクチンの全額(一部)助成が決定もしくは積極的に検討されています。(2010年6月9日、日本産婦人科医会の記者懇談会で同医会の理事が発表しています)
6月4日以降も、新聞報道をみるだけでも、茨城県境町、大分県九重町、熊本県美里町、福井県坂井市、山形県大蔵村、三重県伊勢市などで、全額もしくは半額の助成が決定されています。山梨県にいたっては全市町村で全額助成が決定されたそうです。
ここまでくれば加速度的に広がることもありえそうで、この流れは確かに歓迎すべきことではありますが、私は少し違和感を覚えています。誤解を恐れずに言うならば、HPVワクチンのみがこれだけ注目されるのは予防医学全般でみたときには奇妙であり、これだけ急速に広がるのは何か目に見えない”力”が働いているのではないか、という気がするのです。
HPVは性交渉で感染します。いわゆる性感染症のひとつと言えなくもありません。実際、医療者の間でも保守派の人のなかには、「性感染症のワクチンを公費でおこなうことには抵抗がある・・・」と感じている人もいます。私自身は、性行為というのは誰もがおこなうものであり、特に危険な性交渉をした人にのみ罹患する感染症ではありませんから(このあたりの詳細については下記コラムを参照ください)、HPVが性交渉で感染するからといって公費負担をしないという考えには反対です。
しかし、私に言わせれば、HPVのワクチンがこれだけ急速に広がっている現状はバランスに欠けているのです。
例えば、場合によっては致死的な病となり後遺症を残すことも少なくない子供のインフルエンザ菌ワクチン(HIBワクチン)はどうでしょう。性交渉という主体的な行為の結果感染するHPVとは異なり、インフルエンザ菌は1歳未満の赤ちゃんを襲うこともあります。インフルエンザ菌による細菌性髄膜炎をおこすと5%は死に至り、15~20%は発達障害などの後遺症を残すと言われています。インフルエンザ菌にはすぐれたワクチンがあり、アメリカでは1987年から定期接種の1つとされていますが、日本では公費負担がおこなわれているところはほとんどありません。ワクチンの費用は4回接種で3万円程度はするのに、です。(インフルエンザ菌については下記コラムを参照ください)
肺炎球菌についてはどうでしょう。子供に肺炎球菌が感染すると、インフルエンザ菌と同様、細菌性髄膜炎をきたすこともありますし、重症の中耳炎や肺炎を起こすこともあります。また、肺炎球菌は高齢者の致死的な肺炎の原因になることがあります。昔はこの細菌に罹患したとしても、適切な抗生物質の投与で治癒する病気でしたが、ペニシリンを多用した結果、人類は「ペニシリン耐性肺炎球菌」を生み出すことになり、さらに最近では、ペニシリンだけではなく、テトラサイクリン、マクロライド、ニューキノロンといった強力な抗生物質にも耐性を獲得した「多剤耐性肺炎球菌」が地球規模で増加しています。
しかし、肺炎球菌にはすぐれたワクチンがあります。このワクチンを事前に接種して抗体をつくっておけば、「多剤耐性肺炎球菌」が体の中に侵入してきたとしても免疫力でやっつけることができるのです。繰り返しますが、「多剤耐性肺炎球菌」が子供や高齢者に感染すると致死的な状態になりかねないのです。
肺炎球菌のワクチンは子供用と大人用では少し種類が違います。子供用はだいたい4回接種で合計4万円ほど、大人用は1回接種で7~8千円程度です(5年毎に追加接種がおこなわれるのが現在では一般的になっています)
今、この国では少子化が大変な問題となっています。そして大切な子供たちがワクチンを接種していれば防げたと考えられるインフルエンザ菌や肺炎球菌に罹患して命を落としているのです。もちろん、子宮頚ガンで命を落とす若い女性の方が圧倒的に数では多いのは事実です。しかし、なぜHPVワクチンのみが公費となり、他のワクチンは費用負担がないのでしょうか。
と、このような疑問を私は抱いていたわけですが、千葉県浦安市は2010年5月28日、HPV、インフルエンザ菌、肺炎球菌の3種類のワクチンについて、費用を全額助成する方針を発表したそうです。(報道は6月1日の読売新聞)
報道では、3種のワクチンを全額助成するのは<県内初>とされていましたから、千葉県以外の都道府県では、(私の知らないだけで)同じように3種のワクチンを無料で接種できる自治体があるのかもしれませんが、決して多くはないはずです。
では、HPV、インフルエンザ菌(HIB)、肺炎球菌の3つだけでいいのかといえば、まだまだ不十分です。古くから私のコラムやエッセイを読んでくれている方には、もう聞き飽きた、と言われるかもしれませんが、B型肝炎ウイルス(以下HBV)のワクチンがそれほど普及していないということは大変嘆かわしいことです。
最近は、少しずつマスコミでもHBVのことが取り上げられるようになり、例えば日経新聞は2010年6月17日、「慢性化しやすい「欧米型」、B型肝炎の4割超に」というタイトルでHBVが国内で蔓延していることに注意を促し、「すべての人にワクチンを打つなどの対策が必要」と述べています。
また、今年(2010年)の春に流行し、死者までだしているA型肝炎ウイルス(以下HAV)は食べ物から感染する、ときに致死的となる感染症であるのにもかかわらず、ワクチン接種をしよう、という声が聞こえてこないのは不思議です。(市民団体まで結成され啓蒙活動がおこなわれているHPVワクチンとは対照的です)
さらに、安全性の高い不活化ポリオワクチンや、ときに小児の重症化する下痢の原因となるロタウイルスのワクチンは日本では入手することすら困難です。これらはアメリカでは、6歳までに接種するよう政府から推奨されているワクチンなのに、です。水痘(みずぼうそう)にも大変すぐれたワクチンがあり、これは日本で開発されたのにもかかわらず、アメリカを含む諸外国では打つのが当たり前ですが、日本では定期接種に入っていませんから接種率は高くありません。(ただし一部の自治体では公費負担があります)
このように、それぞれの感染症をよくみると日本はどのように贔屓目にみても「ワクチン後進国」と言わざるを得ないのが現状です。HPVワクチンが普及することによって、予防医学への関心が社会全体で高まり、この国が「ワクチン後進国」を卒業する日は来るのでしょうか。
参考:
はやりの病気第77回(2010年1月)「子宮頚ガンのワクチンはどこまで普及するか」
はやりの病気第76回(2009年12月)「インフルエンザ菌とそのワクチン」
トップページ「肝炎ワクチンの接種をしよう!」
GINAコラム「本当に怖いB型肝炎」
GINAコラム「子宮頚ガンとHPVワクチン」
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|2013年6月21日 金曜日
第88回(2010年5月) 素敵な老後の過ごし方
社会学者上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』がロングセラーになっています。
「おひとりさま」という言葉はちょっとした流行語にもなっているようで、老後の独り者に付随する孤独や不安といった従来のネガティブなイメージが、この言葉のおかげで変わりつつあるようにも思われます。『おひとりさま・・・』は女性向けに書かれていますが、昨年(2009年)秋には『男おひとりさま道』という、男性向けの単行本も出版されました。
私はフェミニストというわけではありませんが、医学の前には社会学を学んでいましたから、上野千鶴子さんの本はこれまでに何冊か読んでいます。社会学者が「老後」の問題を取り上げており尚且つよく売れている本ですから「当然読むべきだろう」と考えて『おひとりさま・・・』『男おひとり・・』の双方を買って読んでみました。
上野千鶴子さんは、独り身でも(むしろ独り身の方が)楽しくやっていけると主張します。しかし、誰もがこの本を読めば幸せな老後が待っているかというと、そういうわけではないでしょう。「おひとりさま」を楽しく過ごす前提として、そこそこのお金があることと、そこそこの人脈、そしてある程度の健康が必要になります。健康問題については、かなり多角的に考察されており、医学的な見地からも検討されているため、なるほど・・・、と思いましたが、それでも上野氏の主張が庶民の立場に立ったものかと言われれば、少し疑問に感じます。
ひねくれた見方をすれば、「そりゃあ、上野先生はお金もあるし、上野先生を崇拝するファンが全国にいくらでもいるから、特定のパートナーとひっそりと暮らすよりも、陽気にいろんなところにでかける老後の生活は楽しいでしょうけど、お金もない、友達も少ない、特に高齢になってからは異性の友達がゼロ、なんていう庶民はどうすればいいの……」となります。
また、上野氏は、「男性も高齢になれば特定のパートナーを持つのではなく大勢の女性の友達をつくってセックスや結婚(再婚)のことは考えるな」と主張しますが、「ハーイ。上野先生の言うとおり、性欲は封印してセックスのことは考えませんし、恋愛をしたいなどと二度と申し上げません」、などと本気で言える男性がどれだけいるでしょうか。
前置きが大変長くなってしまいました。今回のコラムでは「老後をどのように過ごすべきか」について最近の医学的見解を紹介するのが目的なのですが、そのイントロダクションとして上野千鶴子さんの書籍を紹介しました(ここでは否定的な意見を中心に述べましたが一読に値する良書です。念のため……)。
さて、老後にパートナーを持つべきか否かについては『おひとりさま・・・』に譲るとして、パートナー以外には誰と過ごすべきかについて考えてみたいと思います。
一般に、高齢になると子供は巣立ち孫ができていることが多いと言えます。昔も今もほとんどの人は(子供との関係はそれほど上手くいってなくても)孫のことはかわいいと思うでしょう。孫にお小遣いをあげたり、プレゼントを買ってあげたりすることが生きがいになっている高齢者も少なくありません。
では、高齢者は孫が入れば幸せなのでしょうか。
最近興味深い学術研究が発表されました。「Health Day News」2010年4月15日の記事「孫ではなく友達が幸せなリタイヤ生活の鍵(Friends, Not Grandkids, Key to Happy Retirement)」によると、英国心理学会の年次集会で「高齢者の生活の楽しさに大きな差をもたらすのは子や孫たちではなく、活動的な社会生活の存在である」という報告がありました。
この研究は、ウェブサイトやオンラインニュースレターで募集した定年退職者279人を対象とし、家族、友人および退職後の生活に関するアンケートをおこない、生活の満足度を測定する検査を実施しています。
その結果、子や孫たちのいる人といない人との間に生活の満足度の差は認められませんでした。一方で、<強い社会的ネットワーク>の存在が生活の楽しさに大きなプラスの影響を及ぼす傾向があり、「一緒に楽しむ活発な社会集団がある」という項目に強く同意した人では生活の満足度が高く、反対に生活を楽しんでいない人は「仕事をしていたときの人付き合いがなくて寂しい」という項目に強く同意していました。
研究者はこれらをまとめて、「(仕事ではなく)趣味などを共有できる社会集団の存在は、結束感、目的意識、熟達(技能を必要とするケース)など、数々の基本的な心理的要求を満たすものである」と述べています。
Healthy Day Newsのこの記事は、米国の学者の意見も紹介しています。その学者もまた、米国の定年退職者について、今回の英国の研究結果と同様の意見を示しています。「高齢者は自分の孫に極めて強い関心があり、孫の成功を願っているが、幸せや心理的満足感をもたらしてくれるのは実は友人であると私は考えている。老後に限らず、人生のさまざまな段階で人は同年代の友人が自分の経験を理解し、社会的に支えてくれると感じている」とその学者は述べています。
英国の研究では、<強い社会的ネットワーク>だけでなくパートナーについても調査されています。結果は、「死別、離婚した人や未婚の高齢者(おひとりさま)は、パートナーとの関係を長く続けている人に比べて生活の満足度が低い」、というものだったようです。
さらに、パートナーのいる人たちに対する調査では「パートナーも退職している人に比べ、パートナーがまだ仕事をしている退職者は生活の満足度が低い」という結果がでています。
これらをまとめて、研究者は、「パートナーが退職するまでは長期休暇の計画を立てたり、生活を大きく変えたりすることができないが、ともに退職していれば一緒に計画を立て互いの生活に合わせることができる」、としています。
ところで、年を取ると頭脳も衰えるのでしょうか。身体が老いるのは仕方がないにしても、老後を楽しく過ごすにはできるだけ頭脳はしっかりと保ちたいものです。物忘れが気になるようになったり、記憶力が低下したりするということは多くの人が体感することでしょうが、すべての能力が低下してしまうのでしょうか。
実は最近、そうではなく、むしろ年を取るにつれて能力が向上する分野があるという研究結果が発表されています。医学誌『Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS)』オンライン版2010年4月5日号に掲載された論文(下記注1参照)で、「高齢者は若者に比べて社会的対立を解決する能力に優れている」という研究結果が報告されています。
研究内容の詳細は割愛しますが、この「高齢者がすぐれている」という結果は、脳の画像検査(MRIやPET)とも一致します。高齢者は若年者に比べて記憶課題に前頭葉を多く使っていることが判ってきています。前頭葉は、理論的推理、問題解決、概論形成、複数の事案の同時処理、などをおこなうときに活動する部分です。「高齢者は他の認知能力を補うために前頭葉を多く使うようになり、それによって社会的対立についてよく理解できるようになると考えることができる」と研究者は述べています。
高齢になってから新しいことを始めたり、周囲が驚くほどの能力を発揮したりする人がいます(56歳から測量を開始し日本地図を完成させた伊能忠敬はその代表と言えるでしょう)。では、いわゆる「脳トレ」はどうなのでしょうか。「脳トレ」をおこなうことにより、脳力がアップして、社会的対立を解決する能力だけでなく他の領域でも頭脳明晰となるのでしょうか。
残念ながらそうはならないようです。科学誌『Nature』2010年4月20日号(下記注2参照)で発表された英国の研究結果では、11,430人にコンピューターゲームをおこなってもらい「脳トレ(brain training)」の効果を検証した結果、ゲームの成績は向上したものの論理的思考力や短期記憶を調べた認知テストの成績はほとんど向上しませんでした。
どのような境遇の人も、老後にパートナーと過ごすかどうか(過ごせるかどうか)は分かりませんから「おひとりさま」になる可能性もあるでしょう。「おひとりさま」になったとしてもならなかったとしても、「<強い社会的ネットワーク>を持ち「脳トレ」でない方法で脳をできるだけ使うようにして社会的対立を解決することで社会に貢献する」というのが最も素敵な老後の過ごし方、と言えるかもしれません。
参考までに、私は医師という職業を引退した後は、語学の勉強に本格的に取り組み(英語、タイ語以外に中国語かスペイン語を学ぼうと考えています)、NPO法人GINA(ジーナ)の活動を広げ、社会貢献に時間を費やしたい、と考えています。
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注1 この論文のタイトルは、「Reasoning about social conflicts improves into old age」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.pnas.org/content/107/16/7246.abstract?sid
注2 記事のタイトルは「No gain from brain training」で下記のURLで内容を読むことができます。
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|2013年6月21日 金曜日
87 医学部新設はなぜ反対されるのか 2010/4/20
最近の与党(民主党)の支持率低下は一向に止まらないようですが、その民主党が大勝した2009年8月31日の選挙で掲げたマニフェストには「医師の数を1.5倍にします」とはっきりと明記されています。
「医師不足」については、今さら詳しく説明するまでもなく多くの人が実感していると思います。大病院だけでなく大半の診療所・クリニックでも、長時間待ったあげくの3分診療は当たり前になっており、これでは患者満足度が高くなるはずがありません。
私自身は、「どのような症状でもお話ください」というスタイルを崩したくないために、少なくとも初診時においてはできるだけ時間をとって患者さんの話を聞くように努めているつもりです。「待ち時間が長い」と患者さんからお叱りを受けながらも、1日の予約の枠を他のクリニックよりも少なくしているのは、やはり1人あたりの診察にある程度の時間をかけたいからです。しかしながら、目の前の画面の受付表に目をやって10人以上の患者さんが待っていることが分かると、1人の患者さんにそう長い時間を取るわけにもいきません。
今の日本で、いつ行っても待ち時間が少なくて診察時間には充分な時間をとってもらえる医療機関など、おそらくほとんど存在しないでしょう。(完全予約制にすればこれが実現可能になりますが、そうすると今度は突然症状が現れすぐに診てもらいたいときに「予約が入らない」という問題が起こります)
一方、医師側からみても「医師不足」は歴然としており、長時間労働はもちろん、体力の限界を超えた当直勤務(そして翌朝からは通常勤務)、家に帰れたとしても夜中の呼び出しがあり、休日はほとんどなし、などが日常化してしまっています。私の知り合いの医師をみてみても、仕事が忙しすぎることが原因で家庭崩壊・・・、というケースは珍しくありません。
このように患者側からだけでなく医師側からみてみても「医師不足」は明らかなのです。民主党がマニフェストに「医師数を1.5倍」を掲げるのも当然だと言えるでしょう。そして、このマニフェストを受けてなのか、最近国内の3つの大学が医学部新設を計画していることを発表しました。報道は各マスコミが2010年2月中旬におこなっています。
当初の私の予想は、この発表をみて多くの医師がこれを歓迎する、というものでした。ところが、実際には反対意見がかなり多く、ある調査によれば医師の7割が医学部新設に反対しているというのです。
マニフェストがいつも世論の最大公約数の希望を表しているとは言いきれないかもしれませんが、おそらく患者もしくは将来患者になるかもしれない人の立場(要するに医師以外の立場)からみたときには、医師数が多く医療機関も多い社会が望ましいでしょう。また、医学部受験を考えている人は、一部の絶対合格の自信がある受験生を除けば、医学部新設のニュースを「朗報」と捉えたに違いありません。
では、なぜ7割もの医師が医学部新設に反対するのでしょうか。
新設に反対する、または医師数を増やすことに反対する立場の意見としてよくあるのが、「医学部の定員を増やすと医師の質が保てなくなる」「医学部の学生を増やせば教育者も増やさなければならないことになり(臨床医が教育に時間をとられるため)かえって医師不足が加速する」「長期的にみれば今医師数を増やせばいずれ医師過剰となる」といったものです。
しかし、よく考えてみると、これらの理由はどれも的をはずしている、もしくは対策を考えることで解決できるようなものです。
1つずつみていきましょう。まずは、「医学部の定員を増やすと医師の質が保てなくなる」という理屈ですが、これはむしろ逆でしょう。医師の数が少ないままであれば、いったん医師になってしまえば何の努力をしなくても医師であり続けることができるわけです。いえ、もっと言えば、医師になってしまえば、ではなく、医学部に入学させしてしまえば・・・、という方が正しいでしょう。
医学部に入学さえすれば・・・、という考えは「医師の質が保てなくなる」どころか、医学部受験が絶対的なものになる危険性を孕んでいます。(というより、すでにこの危険は存在していると言った方がいいでしょう)
次に「医学部の学生を増やせば教育者も増やさなければならない」という考えですが、これは比較的簡単に解決できます。インターネットを用いてe-learningをおこなえばいいのです。基礎医学も臨床医学も全国統一の学習ツールをつくるのです。担当する教員が講義をおこないそれを撮影し、インターネットを通じて全国の医学生が聴講できるようにするのです。こうすれば、教育者が実際に医学生に接して教育をおこなうのは実習の時間だけとなります。
「長期的にみれば今医師数を増やせばいずれ医師過剰となる」という意見については、たしかに医師数が増えすぎるのは問題です。現在のように、医療を他の産業と同じ様に市場主義経済のもとにおいていれば、医師が増えすぎたとき、利益確保のために無駄な検査や投薬が増える可能性が否定できません。ほとんどの医師はそのようなことは考えませんが、「今この患者に検査をしなければクリニックが倒産する・・・」となったときに、「それでも私には医師としての矜持がありますから倒産をとります!」とすべての医師が言えるかどうか・・・、という問題があります。(私個人的には、医療機関を現在のように市場主義経済下に置くことには異論があるのですが、ここではこれ以上の議論には立ち入らないでおきます)
けれども、医師が少なすぎるのもまた問題で、私個人としては「医師はこれ以上増えれば少し多いかもしれないくらい」がちょうどいいのではないかと考えています。ただし、私のこの考えにはある前提があります。それは、「医師免許を持っている者が他の職業につきやすい社会にする」というものです。さらに、現在のように、医学部に入学してしまえばほぼ全員が医師になる、という慣行を変更すべきだと考えています。
よく言われるように、そもそも18歳で将来の職業を決めろという方に無理があり、「医学部に入ってみたけど自分には向いていないことが分かった・・・」ということも実際にはあるわけです。しかし、今の社会では「せっかく医学部に入ったんだから・・・」という周囲のプレッシャーのために、本当はやりたくないのに(あるいは他にやりたいことがあるのに)医師という道を選ばざるを得ない人もいるのです。
「医学部はつぶしがきかない」と言われることがありますが、これは誤りです。そもそも「つぶしのきく学部」とはいったい何学部のことなのでしょうか。医学部を卒業していれば、少なくとも、テストで高得点をとる能力、努力を継続することができる能力、生命科学に対する深い知識、少なくとも読み書きに関しては高い英語力(学生の間から論文やテキストを英語で読まなければならない医学生は、おしなべて言えば他の学部生より語学力があります)、などがあるはずです。
他の学部卒業生と比べても、例えば、製薬会社、化粧品会社、スポーツ製品の会社などの就職には有利になるでしょう。また、マスコミに就職し医療関係の記事を担当するというのもいいでしょう。医薬品・医療機器専門のフリーの翻訳者になるとか、医療専門のジャーナリストというのもおもしろいかもしれません。
結局のところ、<高偏差値→医学部→医師>という道のりが、他の生き方とあまりにも隔たりがあるために、様々な弊害がでているわけです。医学部を卒業し医師以外の職種を選択、医師から他の業種に転職、そして(私が実際におこなったように)他学部卒業や他の職種に従事した後に医学部再受験などがスムースにおこなえるような社会になれば、医学部新設に対する反対意見は大きく減少するでしょう。
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