メディカルエッセイ
2016年5月23日 月曜日
第160回(2016年5月) 超高額の「夢の薬」に対処する2つの方法(前編)
最近、極めて高額な薬のことがよくマスコミに取り上げられています。後で詳しく述べますが、「年間3,500万円」、「一種の薬だけで年間1兆7500億円の医療費」などという言葉が一人歩きしているようにも思えます。これらは、たしかにマスコミが指摘するように喫緊の課題であり、早急に解決策を検討しなければなりません。
今回は、私が思う「超高額の薬に対する解決策」を提案してみたいのですが、その前に「高い薬」の最近の歴史を振り返っておきましょう。
私が医師になった2002年頃、高い薬としてよく話題になったのが、リウマチなどに用いる生物学的製剤です。2000年代初頭から次々と登場したこれらリウマチの新しい薬は歴史を替えるほど効果の高い薬です。しかし、費用が高くつくのが欠点であり、これが医師の間でよく議論になりました。日本では「高額療養費制度」というものがありますから、所得に応じて上限はありますが、それでも月に5万円以上は必要になります。一方、生活保護の人はまったくの無料でこの”夢の薬”の恩恵に預かれるわけで、ここに矛盾を感じる医師は多く、私もよく議論した記憶があります。(当時は、「この人、本当に生活保護を受給する資格があるのか」、と思うような、高級な衣服を身にまとい、高級車で受診するような受給者がいたのです)
抗がん剤のなかで「分子標的薬」と呼ばれる種類のものが2000年代半ばから飛躍的に開発が進み使われるようになってきました。種類にもよりますが年間の医療費が数百万円になるものもあります。日本人の2人に1人がガンになる時代です。見境なくこのような薬を使い続けると医療費が破綻することを指摘する声もでてきました。しかし、こういった薬は、あらかじめ患者の遺伝子検査をすることによって効果があるかどうかを事前に判定できることがあります。検査代も安くありませんし、すべてのケースで検査が有効なわけではありませんが、事前に薬が効くことを調べられる治療(これを「テーラーメイド治療」と呼びます)は高い薬を用いるときには理に適っており、がんに対する分子標的薬の使用を否定する医療者はほとんどいません。
次に登場したのがC型肝炎の治療薬です。これまではC型肝炎はインターフェロンでの治療が基本でしたが、副作用の強さや、また全員に著しく効くとは言えないものであり、とても難渋する感染症でした。ところが、ウイルスを直接やっつける薬が2010年代以降相次いで登場し、歴史が変わりました。うまくいけばあと数年もすればC型肝炎の大半はなくなる可能性すらあります。この薬は非常に高価であり3ヶ月で500万円以上もします。現在C型肝炎ウイルスを保有している日本人は約200万人と言われています。
もしも全員にこの治療をおこなえば単純計算で10兆円になり国が滅ぶことになります。しかし、適応を選べば、つまり放置すれば肝硬変や肝臓がんを発症するかもしれない症例だけに限定して使用すれば無制限に費用がかかるわけではありません。また、肝臓がんを発症してから必要となる医療費のことを考慮すればむしろ安くつくという声もあります。それに3ヶ月の治療で100%近い患者が「完全治癒」するわけですから、歴史を替える夢の薬とも言えるわけです。
高い薬の話になったときになぜかあまり取り上げられませんが、抗HIV薬の費用も安くありません。しかもC型肝炎とは異なり、HIVの場合は生涯飲み続けなければなりません。もしも若いときから抗HIV薬の服用を開始すれば生涯の薬剤費は1億円を軽く超えます。私は日頃の診察で比較的HIV陽性者を多く診ていますので、HIV陽性者が社会からの差別やスティグマに苦しんでいる現状を考えると、「HIV陽性者に貴重な医療費を使わせるな」という声が上がらないかということを懸念しているのですが、少なくとも日本ではそのような声は聞きません。これは、社会からのHIV陽性者に対する偏見がなくなってきたと捉えていいのでしょうか。
さて、ここ数ヶ月の間、マスコミでさかんに取り上げられている「高い薬」は、これまで述べてきたものではなく、ただ1つの薬のことを指しています。それはオプジーボ(これは商品名、一般名はニボルマブ)というがんに用いる薬(「免疫チェックポイント阻害薬」と呼ばれています。従来の抗がん剤とはメカニズムがまったく異なることから、手術、放射線、抗がん剤に続く「第4の治療」と言われることもあります)です。冒頭で述べたように「年間3,500万円」「医療費は年間1兆7500億円以上」という数字はこの薬のことを指しています。
さらに、この薬が物議を醸しているのは、先に紹介した分子標的薬のように、あらかじめ遺伝子検査をして効くかどうかを調べることができないからです。ですから、がん(今のところ保険適用があるのは一部の皮膚がんと肺がん)を患っている人が希望すれば、医師としては使わないわけにはいきません。
オプジーボが他のがん治療薬と異なる点は他にもあります。従来の抗がん剤(分子標的薬も含めて)であれば、よく言われるように完治が期待できることは(一部の悪性腫瘍を除いて)ほとんどなく、寿命がつきるまでの治療であり、その寿命が尽きる時間はそれほど長くはありません。ですから、長期間にわたり高価な薬が使用されるわけではないのです。
一方、オプジーボは完治も期待できるまさに「夢の薬」です。しかし、全員に効果があるわけではなくせいぜい全体の2割程度です。では、残りの8割には使わなければいいではないか、となるわけですが、分子標的薬のようにあらかじめ効くかどうかを調べる遺伝子検査というのはありませんし、いつやめるのか、という効果判定が極めて困難なのです。「効かなければやめればいいではないか」と考えられますが、この判定が簡単にできないのです。一部の報告では、オプジーボを使い始めると一時的にがんが大きくなりその後小さくなった、とするものもあり、そういったことを聞けば、患者心理としては、「可能性が少しでもあるなら使ってよ」となるわけです。「今はがんが大きくなって効いていないかもしれないけれど、次の検査では小さくなっているかもしれない」、と患者やその家族が考えるのは当然です。
まだあります。それは「がん罹患者は減らない」ということです。これからも国民の2人に1人ががんを発症するという傾向はまず変わりません。次々に現れるがん罹患者にこのような高額な薬を使い続けていけるはずがありません。楽観的な見方をする人は、利用者が増えれば薬価が下がると言いますが、おそらくそうなればオプジーボにとってかわる新たな薬が登場するでしょう。なにしろがん罹患者は減らないのです。こう考えると、いずれ完全になくなることも期待されているC型肝炎の薬が1錠8万円と言われても、安くすら感じられます。
オプシーボとがんについて、ここまで述べてきたことをまとめてみます。
①オプシーボはがんの完治も期待できる「夢の薬」である。
②ただし実際に効果があるのは肺がん(非小細胞がん)でいえばせいぜい2割程度。
③一部の分子標的薬のようにあらかじめ効く症例を選別できない(したがって希望すればほぼ全例に使用されることになる)。
④効果のある例でもいったんがんが大きくなることもあり、効いているのかどうかの判別が非常に困難で、一度使い始めると容易にやめられない。
⑤年間3,500万円(体重60kgの場合)、年間医療費1兆7500億円(5万人が使用した場合)。
⑥がん患者が今後大きく減少することは考えられない。
⑦オプジーボの利用者が増えれば将来薬価が大きく下がるだろうが、代わりに高い薬が登場することも考えられる。
⑧日本の医療制度には「高額療養費制度」があり個人負担は大きく抑えられる。生活保護受給者は無料である。
さて、ただひとつの薬だけで毎年1兆7500億円の医療費がかかるとなると国家予算が破綻するのは自明でしょう。これを打開するには、オプジーボの「適用」を決めるしかありません。つまり、誰に使って誰に使わないかの線引きをするのです。これには2つの方法が考えられます。1つは年齢で線を引く方法、もう1つはお金で決める、つまり自己負担を上げるという方法です。
前者を主張する声はちらほらと上がっているようです。100歳にオプジーボが使われた例があるそうで、100歳を101歳にするのに3,500万円使っていいのか、というわけです。一方、後者を指摘する声はほぼ皆無です。しかし、私はお金で決めるという選択も真剣に議論する段階に来ていると思っています。このようなことを医療者が言うと必ず非難されますから、おそらく誰も口にはしないでしょう。しかし私は少なくとも一度きちんと各自が考えて国民全体で議論すべきだと思っています。次回詳しく述べていきます。
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