はやりの病気
2025年2月11日 火曜日
第258回(2025年2月) 認知症のリスクを下げる薬
周知のように認知症自体を治す薬というのはほとんど存在しません。効果よりも費用が話題になるレカネマブ(商品名「レケンビ」)とドナネマブ(「ケサンラ」)の薬価は年間約300万円です。これらは「進行を遅らせる(かもしれない)」薬で、発症リスクを下げてくれるわけではありません。それなりの副作用のリスクも覚悟しなければなりません。
「認知症のリスクを下げる薬」として現在最も注目されているのはGLP-1受容体作動薬でしょう。これは元々糖尿病の薬として上市されましたが、実際には「やせ薬」として有名になりました。実際、かなりの確率で体重減少が起こります。そのGLP-1受容体作動薬が認知症のリスクを下げるのではないかと期待されています。
医学誌「eClinicalMedicine」2024年7月号に掲載された論文「スウェーデンの2型糖尿病の高齢者における認知症リスクに対するGLP-1受容体作動薬、DPP4阻害薬、SU薬の有効性の比較:模擬試験研究(Comparative effectiveness of glucagon-like peptide-1 agonists, dipeptidyl peptidase-4 inhibitors, and sulfonylureas on the risk of dementia in older individuals with type 2 diabetes in Sweden: an emulated trial study)」を紹介しましょう。
研究の対象者はスウェーデン在住で糖尿病の治療を受けている65歳以上の88,381人で、調査期間は2010年1月1日から2020年6月30日。対象者でGLP-1受容体作動薬を処方されていたのは12,351人、DPP4阻害薬は43,850人、SU薬は32,216人。平均追跡期間は4.3年で、この間に認知症を発症したのは4,607人でした。薬ごとにみると次のようになりました。
・GLP-1受容体作動薬:278人 (発症率は1,000人年あたり6.7)
・DPP4阻害薬:1,849人(発症率1,000人年あたり11.8)
・SU薬:2,480人(発症率1,000人年あたり13.7)
これらを計算すると、GLP-1受容体作動薬を使用すれば、DPP4阻害薬、SU薬のときに比べ、それぞれ、23%、30%認知症発症リスクが低下しています。
糖尿病の薬ではメトホルミンも認知症のリスクを下げることが指摘されています。台湾の14,558人を対象とした研究では、60歳以上の2型糖尿病患者がメトホルミンを使用すると、認知症を発症するリスクが低下することが示されました。しかも用量が多ければ多いほどリスクが低下します。下のグラフは驚くべき結果を示しています。
ただ、メトホルミンは認知症のリスクを上げるとする研究もあります。韓国の糖尿病患者70,499人を対象とした研究(2002~2017年)では、メトホルミンを使用すれば認知症発症リスクが50%増加した、とされています。糖尿病の罹患が長ければ長いほど、またうつ病を伴っていればリスクは上がりやすいようです。
他にも認知症のリスクを下げる薬を紹介しましょう。2008年から2020年に米国ニューヨーク市で診察を受けた約200万人の患者のデータを使用した研究です。認知症のリスクを下げるという結果がでたのは、ロスバスタチン(コレステロールを下げる薬)、シタロプラム及びエスシタロプラム(抗うつ薬)、オメプラゾール(胃薬)でした。意外なのがオメプラゾールです。この胃薬はPPI(プロトンポンプ阻害薬)に分類され、PPIは認知症のリスクになると言われているからです(参考:医療ニュース2019年12月28日「やはり胃薬PPIは認知症のリスクを増やすのか」)。
もうひとつ興味深い研究を紹介しましょう。1億3000万人以上の患者と100万件の認知症症例のデータを使用した14件の研究を対象とした分析によると、アルツハイマー病や認知症のリスクを増減させる薬を特定することはできなかったものの、抗菌薬、ワクチン接種、抗炎症薬はリスクを低減させることが分かりました。リスクを上げるのは、糖尿病薬、ビタミン・サプリメント、抗精神病薬です。
この研究結果に頷けるのは、抗菌薬、ワクチン接種、抗炎症薬はいずれも「炎症を軽減する薬剤」だからです。ですから、薬が認知症のリスクを下げるというよりも、感染症を予防して、感染すれば効果的な治療を速やかに開始するのが認知症予防に有効だと考えるべきでしょう。
ワクチンが認知症を予防するという報告は複数あります。
2022年に医学誌「Journal of Alzheimer’s Disease」で報告された研究では、インフルエンザのワクチン接種で認知症発症リスクが40%も低減するとされています。研究の対象者は米国の65歳以上で、インフルエンザワクチンを接種した935,887人と、未接種の同じ人数が比較されました。平均年齢73.7歳、追跡期間は46ヶ月です。この間にワクチン接種者では5.1%(47,889人)が、未接種者では8.5%(79,630人)が認知症を発症しました。
帯状疱疹ワクチンの認知症リスク低減効果も有名です。2024年7月に公表された研究では、生ワクチン、不活化ワクチン(組換えワクチン)ともに認知症発症リスクを低減させることが示されています。
2023年に医学誌「Journal of Alzheimer’s Disease」に掲載された論文では、三種混合ワクチン(正確にはTdap/Tdワクチン)、帯状疱疹ワクチン、肺炎球菌ワクチンが、それぞれ認知症のリスクをどの程度軽減するかが調べられています。結果、三種混合ワクチンでは30%、帯状疱疹ワクチンでは25%、肺炎球菌ワクチンでは27%、認知症のリスクを低下させるという結果が出ました。
最後に、「サプリメントで認知症のリスクが下がるかもしれない」夢のような研究を紹介しましょう。2023年に医学誌「Alzheimer’s & Dementia: Diagnosis, Assessment and Disease Monitoring」に掲載された「ビタミンD補給と認知症発症:性別、ApoE、ベースライン認知状態の影響(Vitamin D supplementation and incident dementia: Effects of sex, APOE, and baseline cognitive status)」です。研究の対象者は米国の12,388人です。
結果、ビタミンDを摂取する人は、しない人と比べて認知症の発症率が40%も低下することが示されました。各グループに差があり、男性よりも女性、軽度認知障害がある人よりもない人、ApoEε4保有者よりも非保有者で認知症予防効果が高いことがわかりました。しかし、それでもハイリスクグループでも予防する可能性があることが示されています。
これらをまとめると、日頃からビタミンDのサプリメントを摂取し、ワクチンを積極的に接種し、糖尿病になれば早い段階からメトホルミンとGLP-1受容体作動薬を使う、ということになるのかもしれません。
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|2025年1月19日 日曜日
第257回(2025年1月) 「超加工食品」はこんなにも危険
「超加工食品」という言葉が日本語として正しいのかどうか分かりませんが、海外メディアではここ数年「ultra-processed foods」という言葉が繰り返し登場しています。ここではとりあえず「超加工食品」という言葉を採用して、これがどれだけ魅力的か、そしてどれだけ危険かを振り返ってみたいと思います。
まずは言葉からみていきましょう。超加工食品という言葉は、2009年、ブラジルのCarlos Monteiro医師によって提唱されました。Monteiro医師はすべての食品を加工の程度によって分類することを試みました。この分類を「NOVA分類(≒新分類)」と呼びます。
NOVA分類は当初は3つのカテゴリーでした。
<グループ1>加工されていない、または最小限に加工された食品(unprocessed or minimally processed foods):野菜、米、牛乳、卵、魚など
<グループ2>加工された原材料(processed ingredients):砂糖、小麦粉など
<グループ3>超加工食品(ultra-processed food products):パン、ソーセージ、チーズ、缶詰など
2017年に4つのカテゴリーに再分類されました。
<グループ1>加工されていない、または最小限に加工された食品(unprocessed or minimally processed foods):果物、野菜、ナッツ、種子など
<グループ2>加工された料理用原材料(Processed culinary ingredients):砂糖、植物油、バター、塩など
<グループ3>加工食品(Processed foods):缶詰野菜、チーズ、できたてのパン(freshly made breads)など
<グループ4>超加工食品(Ultra-processed foods):スナック菓子、ソーダ、即席ラーメン、冷凍ピザ、大量生産のパン(mass-produced packaged breads)など
2017年分類の「グループ4=超加工食品」を毎日のように食べている人も少なくないのではないでしょうか。日本人がグループ4をどれくらい摂取しているのかを示したデータは見当たりませんが、米国では食品の約60%を占めていて、子供や10代の若者に限ればその割合はさらに高く、食べているものの約3分の2が超加工食品だとされています。
では、超加工食品を摂取すれば何が悪いのでしょうか。第二次トランプ政権で保健関連の要職につくとされているロバート・F・ケネディ(RFK)・ジュニアは「反ワクチン派」であることから科学者や医療関係者からは否定的にみられていますが、以前から超加工食品を「毒」とみなしていて、この点は世界中で評価されています。
「毒」という表現が適しているかどうかは別にして、超加工食品を否定的にみているのはRFKジュニアだけではありません。
コロンビアは2023年11月、超加工食品に課税することを発表しました。ブラジル、カナダ、ペルーなどは超加工食品の摂取を制限するよう勧告しています。
では超加工食品のいったい何が悪いのでしょうか。
まず、超加工食品の摂取割合が増えれば確実に太ります。それを示した研究もあります。
肥満でない20名の被験者(平均年齢31.2歳、BMI27)を2つのグループに分け、一方のグループには超加工食品を、もう一方のグループには未加工食を2週間食べてもらいました。食事は、カロリー、主要栄養素、糖分、ナトリウム、繊維質が一致するように設計されました。どれだけ食べるかは被験者の自由とされました。
結果、超加工食品摂取のグループは毎日500Kcal多く摂取していました。炭水化物と脂肪を多く摂っていて、蛋白質は未加工食のグループと差がありませんでした。超加工食品のグループは体重が0.9kg増え、対照的に未加工食のグループでは0.9kg減っていました。
では、なぜ我々は超加工食品をたくさん食べてしまうのでしょう。当然すぎる答えですが「美味しいから」です。超加工食品には「脂肪と糖分」「脂肪と塩分」「炭水化物と塩分」のいずれかの組み合わせが多く、これを英紙「エコノミスト」は「”超嗜好性”ミックス(”hyper-palatable” mixes)」と呼んでいます。
興味深いことに、これらの組み合わせは自然界には存在しません。そして食べやすい形と柔らかさが特徴です。超加工食品はたいてい袋をあければすぐに食べられますし、やわらかいですから食べるスピードが早くなります。早く食べてしまうと、満腹中枢が働き始めるころにはすでに後の祭り、となってしまっているわけです。
超加工食品は太るだけではありません。寿命も縮めます。米国の健康な男性の医療者39,501人と女性看護師74,563人を対象とした興味深い研究を紹介しましょう。
30年以上に渡る調査期間で死亡したのは男性18,005人と女性30,188人。超加工食品の消費量でグループを4つにわけると、最も多い1/4のグループは最も少ない1/4のグループに比べ、全死亡率が4%高くなっていました。がんと心血管疾患を除くと9%高くなっていました(つまり、意外ではありますが、超加工食品を摂取してもがんと心血管疾患の死亡は増えなかったのです)。
肉/鶏肉/魚介類(Meat/poultry/seafood)をベースにした調理済み製品(加工肉など)は、死亡率との強い関連性を一貫して示し、6~43%の死亡リスク上昇が認められました。砂糖や人工甘味料を加えた飲料では9%、乳製品ベースのデザートでは7%上昇していました。
肥満と死亡リスクの上昇以外にも様々なリスクがあります。食事中の超加工食品摂取量が多い上位10%の人は、不眠を抱えるリスクが男性で9%、女性で5%上昇するという研究があります。
不眠が生じるなら「うつ病」も起こしそうです。そしてそれを示した研究もあります。米国の42~62歳(平均52歳)の女性看護師31,712人を対象とした研究を紹介しましょう。まず、超加工食品摂取量が多ければ、BMIが高く、喫煙率が高く、糖尿病、高血圧、脂質異常症などの併存疾患の有病率が高く、定期的に運動する可能性が低いことがわかりました。そして、うつ病については、狭義のうつ病発症者は2,122人、広義では4,840人が該当しました。
超加工食品摂取量で対象者を5つのグループに分けたとき、最も摂取量の多い1/5のグループは、最も少ない1/5のグループと比較して、狭義のうつ病発症リスクが49%、広義のうつ状態の発症リスクは34%上昇していました。興味深いことに、この研究ではどのような超加工食品がうつ病のリスクとなるかも検討されています。特に顕著だったのが人工甘味料入り飲料で37%、人工甘味料も26%のリスク上昇が認められました。
超加工食品の摂取を1日3回以上減らした人は、摂取量を変えなかった人に比べてうつ病発症のリスクが16%低下していました。
超加工食品は不眠やうつ病だけでなく認知症のリスクにもなります。医学誌「Neurology」に発表された研究は米国の全国規模の2つのデータベースを解析しています。加工赤身肉の摂取量を1日あたり0.25サービング以上摂取している人は、1日あたり0.10サービング未満の人と比較して、認知症のリスクが13%高く、SCD(Subjective Cognitive Decline=主観的認知機能低下)は14%高くなっていました。SCDとは最近提唱された概念で「試験では認知症ではないが、本人が認知症かもしれないと考えている段階」のことです。サービングについては「1サービング=一皿」と考えてOKです。加工赤身肉の摂取量が多いと、全般的な認知能力の老化が加速することも分かりました。1日1サービングの増加につき1.61歳老化が加速します。言語記憶の能力(単語や文章を理解して記憶する能力)は1.69歳老化します。
興味深いことに、一日一食分の加工赤身肉をナッツ類や豆類に置き換えると、認知症のリスクが19%、SCDのリスクが21%低下することが分かりました。また、加工されていない赤身の肉であれば、認知症のリスクを上げないことも分かりました。
英国のデータベースを用いて実施された研究もあります。結果は米国のものと同じようなもので、加工肉の摂取量が1日あたり25g増えるごとに、全認知症発症リスクが44%、アルツハイマー病発症リスクが52%増加します。対照的に、未加工の赤身肉の摂取量が1日あたり50g増加すると、全認知症発症リスクが19%、アルツハイマー病発症リスクが30%低下します。加工(赤身)肉とは、ベーコン、ホットドッグ、ソーセージ、サラミ、ボローニャソーセージなどです。
どうやら心身ともに健康で長生きするには「いかに超加工食品の誘惑を断ち切るか」が鍵になりそうです。
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|2024年12月19日 木曜日
第256回(2024年12月) B型肝炎ワクチンに対する考えが変わった!
おそらくメディアでは報道されておらず、たぶんSNSでも話題になっていないと思うのですが、B型肝炎ウイルス(以下「HBV」)のワクチンに対する考え方が変わりました。
2024年11月15日、日本環境感染学会が新しいガイドラインを発表し、そのなかで私が長年モヤモヤしていたことが一気に解消されました。今回は、HBVワクチンに対する考えがどのように変わったのかを紹介し、今後のあるべき接種方法について述べたいと思います。
HBVワクチンは本来なら誰もが接種していなければならないワクチンですが、この国では接種者が驚くほど少ないのが現状です。そういう偉そうなことを言っている私自身もこのワクチンの存在を知ったのは医学部に入学した27歳のときで、それまではHBVの危険性についてよく分かっていませんでした。
私が医学部に入学した90年代の大阪は(そしてたぶん今の大阪も)HBV感染者が九州地方と並んで最も多い地域です。出処は忘れましたが、以前、「大阪府と福岡県に最も感染者が多い」と聞いたことがあります。なぜ大阪と九州に多いかというと、韓国、北朝鮮、台湾からやって来た人が多いからです。
HBVは性感染、母子感染、血液感染で広がるとされていますが、実際には「スキンシップ程度の接触」で感染することもあります。谷口医院の患者さんのなかにも、「友達を看病して感染した」「間違って友達の歯ブラシを使って感染した」あるいは「道端で倒れている人を起こしたときに傷に触れて感染した」という例もあります。
この程度の接触で感染するわけですから、ウイルス量の多い感染者と同居していれば時間の問題です。日本では父子感染もそれなりにあるという報告もあります。もちろん父親が娘(息子)に性的虐待して……、ではなく、おそらく傷の手当や食べ物の口移しなどで感染したのでしょう。
医学部に入学したての頃、HBVワクチンを無料で接種できると聞いて喜んだ私は、実は同時に”恐怖”も感じていました。「すでにかかっているかもしれない……」と思ったからです。当時27歳の私の周辺にはHBV感染者がけっこういたのです。
疫学的には「日本のHBV感染者は100万人ちょっと」と言われていて、おおまかにいえば100人に1人くらいとなるのでしょうが、私の周りにはすでに感染者が5人いました。医学部内でのワクチン接種の際に「僕の周りには5人の感染者がいます」と肝臓内科の先生に言うと、「そんなはずはない。それは多すぎる」と言われたのですが、これは事実です。
5人のうち1人(20代の男性)は、ちょうど私が医学部に入学したのと同時くらいに急性肝炎を発症して入院し、パートナーにうつしていたことが判り、ちょっと大変な状態になっていました。この男性は大学は違えどアルバイト先が同じで20~21歳くらいにはしょっちゅう一緒にいた友達です。ちなみに私は医学部入学前に会社員をしていて、その前に私立文系の大学を卒業しています。
残りの4人は、同世代の男性が2人、同世代の女性が1人、私より20歳ほど年上の男性が1人です。女性の感染ルートは最後まで不明(家庭内感染は否定され、本人が言うには性行為の経験は「ない」とのこと)で、男性は全員が性感染でした。最も重症化したのは「私より20歳ほど年上の男性」で、タイへの出張時にタイ人女性(おそらくsex worker)から感染し、帰国後に劇症肝炎を発症し、一時は意識不明となり生死を彷徨いました……。
幸いなことに、私自身は感染しておらず無事にワクチンを接種することができました。しかし、それは本当に”幸い”なことであり、知識がなく誰も教えてくれなかったので仕方がないとはいえ、それまでHBVに無関心でいたことが怖くなりました。
HBVは極めて興味深い生命体で、2本鎖のDNA型のウイルスなのにも関わらず、1本鎖RNA型のHIVと同じように逆転写酵素を持っています。そのため、いったん感染するとヒトの細胞内のDNAに割り込み、ヒトの細胞分裂が起こる度にウイルスも増幅されることになります。つまり、いったん感染すると生涯にわたり消えないのです。そして、感染力は極めて強く、(HBVの体内での状態にもよりますが)感染力はHIVの100倍とも言われています。実際、性感染を考えた場合、HIVはそう簡単には感染しませんが(とはいえ、実際には「よくその程度で感染しましたね……」という事例もありますが)、HBVは(先に述べたように)些細な接触で感染します。
しかし、HIVの場合はワクチンがなく予防にはコンドームを用いるかPrEPを実施せねばならないのに対し、HBVはワクチンを接種して抗体を形成しておけば感染することは(まず)ありません。しかも、いったん抗体が形成されれば生涯感染しないというのです。欧米諸国や豪州などではたいてい生まれて数時間以内に1回目のワクチンを全員に接種します。
谷口医院をオープンした2007年、私が真っ先に取り組みたかった1つが「HBVの危険性を広く知らしめてワクチンを普及させること」でした。そして、医院オープン直後に自分のHBVの抗体(HBs抗体)を調べてみました。医学部1回生のときに3回接種してそのときに抗体形成を確認していますから今回も「陽性」となるはずです。ところが結果はなんと「陰性」! 抗体が消えてしまっていたのです。
しかし、これはよくあることで、HBs抗体はワクチンで形成されて数年間が経過すると陰性になることがまあまああります。ただし、心配はいらないとされています。(他の感染症とは異なり)HBVの場合は抗体が消えても、それは血中に出てこないだけで免疫は維持されるとされています。実際、冒頭で紹介した新しいガイドラインの前のバージョンまでは「追加のワクチン接種や検査は不要」と書かれていました。たしかに、私の場合も追加接種を一度おこなうと再び抗体価は上昇しました。
けれども、そうは言っても血中抗体価がゼロ(陰性)というのは不安です。また、本当に血中抗体価がゼロでも感染しないと言い切れるのでしょうか。実は、「感染した」とする報告がちらほらあります。そして、冒頭で紹介した新しいガイドラインには、いわばこの「不都合な事実」が次のように記載されています。
HBs抗体が低下した場合にHBV曝露後にHBV DNAが陽性になったり、免疫抑制下においてHBV再活性化が起きるという報告もあり……
ガイドラインがこれを認めるなら、一度抗体ができただけでは不安になるのは当然です。続きを読んでみましょう。
一部の医療機関では血液体液曝露のリスクがある医療関係者に対して、免疫獲得者に対する経時的な抗体価測定や、免疫獲得者の抗体価低下にともなって追加接種を行っている。本ガイドラインは既に十分な体制が取られている医療機関でのこのような実践を否定するものではない。
要するに、「追加接種をおこなってもいいですよ」あるいは「追加接種をおこなった方がいいかもね」と、ガイドラインはそう言っているわけです。
さて、谷口医院では過去18年の歴史のなかで、少なく見積もっても2千人以上にHBVワクチンを接種してきています。これまでは(旧)ガイドラインに従い「いったん抗体が形成されたことを確認できれば追加接種は生涯不要と考えられています」と伝えてきましたが、この度の新しいガイドラインが公表された直後から「数年間経過すれば免疫がなくなるかもしれません」と説明しています。今までは自分だけが追加接種をして患者さんには不要と言い続けなければならずもどかしさがあったのですが、これですっきりしました。
私自身は今回のガイドラインの改定を歓迎しています。まあ、初めから「追加接種を検討してもいいよ」と書いておいてくれれば悩まなくて済んだのですが……。
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|2024年11月17日 日曜日
第255回(2024年11月) ビタミンDはサプリメントで摂取するしかない
以前から「問題のビタミン」として本サイトで繰り返しているビタミンDについては相変わらず多数の質問が寄せられています。その後、いくつもの研究が発表され、複雑さが増しているのですが、結論をいえば「ほとんどの日本人はビタミンD不足で、サプリメントで摂取するしかない」となります。そして「不足すれば大変なことになる」も言えそうです。今回はそれについて述べますが、まずはこれまで本サイトで紹介してきたことをまとめてみましょう。
・ビタミンDの摂取基準が以前から大幅に引き上げられている。そのため、2001年の基準(男性2.9μg/日、女性3.0μg/日)ならクリアできても、新しい基準(男女とも8.5μg/日)で考えると大半の日本人が摂取できていない
・ビタミンDが不足すると、骨量低下、免疫能低下、アレルギー疾患のリスク向上など様々な弊害がある。がんのリスクを高めるとする意見もある
・ビタミンDをサプリメントで摂取しても健康上の利点がないとする研究がある
・しかし、食事から必要なビタミンDを補給するのはかなり難しい
・ビタミンDの血中濃度は30~50ng/mLが望ましい。20~30ng/mL未満は「不足」、20ng/mL未満は「欠乏症」とされている
ビタミンDのサプリメントにうさん臭さが伴う理由のひとつは驚くほど高額で売られていることがあるからです。ある患者さんからの情報によると、コロナ後遺症で有名なそのクリニックでは「ビタミンD不足が原因だ」と言われ、月額8千円もの高価なサプリメントを(半ば強制的に)買わされたそうです。ビタミンDに月8千円とは……。ファンケル、小林製薬、大塚製薬などが扱うビタミンDのサプリメントはせいぜい月に300~400円程度です。
大勢の日本人がビタミンDが不足しているのは事実です。医学誌「Osteoporosis International」に2013年に日本人を対象とした血中ビタミンD濃度を調査した研究が公開されました。日本人の男性の70~85%、女性では約90%がビタミンDの血中濃度が基準を下回っています。
この研究はけっこう衝撃的で、谷口医院ではこの論文が発表されてから、職員健診の際に(職員全員が希望することもあり)全員のビタミンD濃度を実施しています。結果は、私自身も含めて(ビタミンDのサプリメントを飲んでいない限り)全員が毎回基準値に足りていません。約半数が20ng/mL以下、一番高いスタッフでも30ng/mLを超えていません。谷口医院では私自身も含め(ビタミンDのサプリメントを飲んでいない限り)全員が「欠乏症」または「不足」なのです。
不思議なのは、これだけ大勢の日本人がビタミンDを適正に摂取できていないのにもかかわらず、厚労省なり地域の行政がサプリメントの摂取を勧めないことです。食事または日光からの摂取が困難なことを認め、治療薬として保険診療でビタミンDを処方できるようにすべきではないでしょうか。しかし行政は消極的です。
厚労省のサイトには「ビタミンDは不足しがちな栄養素ですが、特にカプセル・錠剤形態のサプリメント類からの摂取については、過剰摂取に留意する必要があります」と記載されています。しかし、「留意する必要」と言われても何をすればいいのかまるで分かりません。例えば、厚労省がお墨付きを与えるサプリメントを紹介するとか、あるいは医薬品として処方できるようにすべきでしょう。
では、なぜ行政はそのような対策に出ないのでしょうか。おそらくビタミンDについてはよく分かっていないところが多いからだと思います。過去に医療プレミアにビタミンDについてのコラムを書いたとき、複数の伝手を頼っていろんな役人に話を聞いてみたのですが、どうも厚労省としても、不明な点が多いために明確な基準をうちだせないようです。
それは同省のサイトに掲載されている言葉からも読み取れます。ビタミンDの血中濃度の適正基準について、「一般に、30nmol/L(12ng/mL)を下回る血中濃度は骨や健康を保つには低すぎ、125nmol/L(50ng/mL)を超える血中濃度は恐らく高すぎます」という表現があります。
「恐らく高すぎる」という言葉に自信のなさが表れています。これを執筆した役人も「もしかすると50ng/mLでも問題ないかもしれない。けれども、あまり高い数値を書いてしまうと健康被害が起こったときに責任問題になるかもしれない……」と考えたのではないでしょうか。
しかし、高すぎるビタミンD血中濃度が危険なのは事実です。サプリメントマニアのなかには「自分はビタミンD濃度が高いから風邪をひかず、花粉症も治った。自分の場合は50ng/mLを超えるくらいが調子がいい」と言う人がいますがこれは危険です。最悪の場合、腎臓の機能が低下して元に戻らなくなるかもしれません。
ではどうすればいいか。「定期的に測って血中濃度が適正化どうか確認する」が最善なのですが、この検査は保険適応にならず自費で受けるしかなく、費用はそれなりにします(谷口医院の場合1,800円)。しかし、食品(と日光)からでは不十分、サプリメントは摂取過多に注意、しかしそのサプリメントで充分な量が摂れているのかは不明、となんとももどかしいのがビタミンDなのです。
しかし、ビタミンDは非常に重要な栄養素ですから、やはり自身が摂取できているかどうかは調べた方がいいでしょう。原則として谷口医院では自費検査を勧めていませんが、年に一度程度のビタミンDの検査は例外的に推奨しています。
ではビタミンDを摂取して適正な血中濃度を保てばどんないいことがあるのでしょうか。この話がまた複雑です。まず、従来ビタミンDが有用と言われていた疾患についてはことごとく否定されています。例えばビタミンDをいくら摂取しても骨折や骨粗しょう症の予防にはなりません。
参考:
はやりの病気第244回(2023年12月)「なぜ「骨」への関心は低いのか」
医療ニュース2017年10月23日「骨折予防にビタミンDやカルシウムは無効」
また、虚血性心疾患、脳血管障害、がんなどの予防にもほとんど寄与しません。
参考:医療ニュース2014年2月28日「ビタミンDのサプリメントに有益性なし」
では、ビタミンDが不足していればどのような不都合があるのでしょうか。あるいはどのような症状があればビタミンD不足を疑えばいいのでしょうか。英紙「The Telegraph」から「ビタミンD不足で起こり得る7つの症状」を紹介しましょう。尚、この記事ではビタミンD不足を20ng/mL以下としています。
#1 疲労
疲労が慢性化している場合にビタミンD不足を疑います。興味深いことに、英国でもビタミンDの血中濃度を保険診療で測定することができるのは、慢性かつ広範囲の疼痛や骨疾患などの深刻な事態がある場合のみで、日本と同様のもどかしさがあるようです。
#2 風邪をひきやすい
すでにビタミンDが急性上気道炎(風邪)の予防になることを示した研究はいくつもあります。
また、エビデンスはありませんが、「ビタミンDでコロナ後遺症は治る」は”結果としては”正しいと思います。実際、谷口医院の患者さんにもそのような人はいます。しかし、一部の反ワクチン派が主張する「コロナ後遺症になればビタミンDは不足する」は正しいわけではありません。なぜなら、上述したように国民の8~9割が初めからビタミンD不足だからです。
#3 骨が痛い
ビタミンD不足が原因で骨粗しょう症や骨軟化症などを起こしている可能性があります。興味深いことに、上述したように「ビタミンDのサプリで骨粗しょう症は防げない」という研究がある一方で、若くして骨粗鬆症を発症する人はビタミンDが欠乏していることが多いのです。
#4 筋肉が痛い
慢性疼痛患者の71%にビタミンD不足(<20ng/mL) が認められたとする研究があります。谷口医院の患者さんのなかにも線維筋痛症や慢性疲労症候群が疑われていて、ビタミンDのサプリメントで治ったケースがあります。
#5 傷の治りが遅い
傷が治るには炎症を抑えなければなりません。ビタミンDは炎症を抑えてくれます。957人の60歳以上のアイルランド人(日照時間が短いためビタミンDが不足しやすい)を対象とした調査では、ビタミンD血中濃度が10ng/mL以下であれば、炎症マーカーのCRP(C反応性蛋白)、IL-6(インターロイキン6)が上昇しやすいことがわかりました。
足に潰瘍を起こしている糖尿病患者にビタミンDを投与すると大きく改善した、という報告もあります。
#6 脱毛
48人の円形脱毛症の患者にビタミンDのクリームを外用すると、69.2%に効果があったとする報告があります。
びまん性脱毛(全体的に抜け毛が増えるタイプの脱毛)のある人はビタミンDが不足しており、その傾向は特に女性で顕著であることを示した報告があります。
#7 体重増加(糖尿病)
The Telegraphの記事ではビタミンD不足で体重増加が生じることを示したエビデンスが示されていませんが、糖尿病を予防するという研究は複数あります。
これだけの研究を提示されるとビタミンDが重要であると認めざるを得ません。しかし、摂取し過ぎは不足以上に問題です。しかし検査に保険適用はない……。なんとももどかしいのがビタミンDです。
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|2024年10月17日 木曜日
第254回(2024年10月) 認知症予防のまとめ
前回のはやりの病気「『コレステロールは下げなくていい』なんて誰が言った?」に対して、質問や感想が大勢届いています。LDLコレステロール(以下、単に「コレステロール」)は多くの人たちに馴染みがあるキーワードのようで、「コレステロールが高いことが認知症の最大のリスクだなんてショックだ」という意見がある一方で、「コレステロールを下げるだけで認知症のリスクが減るならばありがたい」というポジティブな意見まで様々です。そこで今回は認知症のリスクについて再度まとめることを試み、前回に引き続きリスク軽減には何をすべきかについて興味深い研究を紹介したいと思います。
まずリスクについて。前回のコラムでは「認知症のリスクのうち45%は生まれてから努力したり対策をとったりすることで軽減できる」と述べました。これは逆側からみると「55%はどうしようもない」ということでもあります。なんだ、努力でリスク軽減が図れるのは45%しかないのか……、と感じた人もいるようですが、ここは前向きに考えましょう。この「努力でなんとかなる」割合、2020年版では40%、2017年の論文ではわずか35%とされていたのです。つまり、ほんの7年ほど前までは「認知症になるかどうか3分の2は生まれたときから決まっている」と考えられていたところが、現在は「リスクの約半数は取り除ける」とされたわけですからこの違いはとても大きいと考えるべきです。
しかしながら55%の”壁”は小さくありません。では55%を占める「変えられないリスク因子」とは何を指すのでしょうか。年齢(高齢であるほどリスクは上昇)、性別(生物学的性が女性であればリスクが高い)などもありますが、やはり最大の原因は「遺伝」、とりわけ本サイトでも何度も紹介しているApoE遺伝子が重要になります。ApoEにはε(イプシロンと読みます)2、ε3、ε4の3つがあり2つ一組で存在します。つまり、すべての人は、ε2・ε2、ε2・ε3、ε2・ε4、ε3・ε3、ε3・ε4、ε4・ε4の6つのうちのどれかを持っていて、この組み合わせは生涯変わりません。3種のεのうち、ε4がアルツハイマーのリスクとなります。
ApoE遺伝子のε2,3,4は分子生物学的にどのような違いがあるのでしょうか。分子レベルでみれば遺伝子のアミノ酸の配置がわずかに違うだけです。科学誌「Science」2024年9月12日号の「遺伝子の重荷(The burden of a gene)」に掲載されたイラストを紹介しましょう。
アミノ酸が並んでいる部位(コドン)の112番目がε2かε3ならシステイン(Cys)で、ε4はこの部分がアルギニン(Arg)に置き換わっています。もうひとつは158番目で、ε2ならシステインで、ε3と4はアルギニンです。たったこれだけの違いでその人の”運命”が大きく変わるのです。2007年に発表された認知症のリスクに関する論文によれば、ε3・ε3の人がアルツハイマーになるリスクを1とすると、ε3・ε4なら3.2倍、ε4・ε4のリスクはなんと11.6倍にもなります。上述の「Science」にも衝撃的なグラフが掲載されていますのでここに紹介しましょう。ε4を2つ持っていれば(ホモで所有していれば)75歳で8割が、80歳で9割以上が、85歳で95%以上がアルツハイマー病を発症するのです。ε3ε4の場合でも75歳で4割が、80歳で8割が発症します。
遺伝子は変えられないわけですから、識者がメディアの取材に答えるときなどには必ず「遺伝的にリスクが高いからといって必ずしも発症するわけではない。ε4を2つ持っていても90歳を超えてしっかりしている高齢者もいる」といったコメントが採用されます。ですが、Scienceのこのグラフをみれば分かるようにε4が2つの人は90歳になればほとんど100%アルツハイマー病を発症しているわけですから、「しっかりしている高齢者」などは少なくとも数字の上では奇跡的な存在です。
しかし、そうはいっても諦めるべきではありません。発症すれば仕方がありませんが、少しでも発症を遅らせる努力は必要でしょう。そのために役立つのが前回紹介したLANCETの論文であり、合計14個のリスク回避に務めるべきです。特に中年期以降の認知症のリスクのトップ3「コレステロール」「難聴」「社会的孤立」は最重要だと認識すべきです。若年期の「低教育」も5%を占めるハイリスクですから、もしもあなたが若年期に相当するなら今からでも勉強を始めるのがいいかもしれません。
ではこれら14項目以外に気を付けるべきことはないのでしょうか。ここでは比較的新しい論文から認知症のリスク軽減に役立ちそうな情報を紹介しましょう。
まずは手っ取り早い方法としてビタミンDの摂取を考えてみましょう。血中ビタミンD(25(OH)D)濃度が75nmol/L(=30ng/mL)未満の欠乏症になれば、欠乏症でない人に比べ認知症のリスクが2倍高いという研究があります。
「ナッツを食べて認知症を防ごう!」とする研究もあります。対象は50,386人(平均年齢56.5歳、女性49.2%)の英国在住者で、平均7.1年の追跡調査の結果、ナッツをまったく食べない人と比べると、毎日ナッツを食べる人は、認知症発症リスクが12%低下したという結果が出ています。
次は「歯」です。歯の数が19本以下になると認知症のリスクが上昇するという研究があります。20本以上の歯がある人と比較して、歯の数が10~19本の人は認知症のリスクが14%増加します。1~9本なら15%、0本の場合は13%の増加です。この結果が興味深いのは、「20本以上か19本以下か」という点が重要で、19本以下になってしまえば、0本でも19本でもリスクがほとんど変わっていないことです。つまり「認知症を防げたければ最低でも20本の歯を守れ」となるわけです。
ビタミンDはサプリメントで、ナッツはアレルギーがなければ日々のおやつにすることで対策がとれそうです(ビタミンDの血中濃度の計測は自費診療になりますが)。また、歯についても早い段階で歯科医院を受診し、できるだけ「抜かない治療」を心がけることが大切です。この点は少し注意した方がいいかもしれません。どのようなときに抜歯するか、については歯科医院によって考え方が大きく異なるからです。谷口医院では、患者さんから相談されたときには「できるだけ抜かない治療」を実施してくれる歯科医院を推薦しています。
ここからは認知症のリスクであることは分かっていても回避するのがときに困難な要素を紹介しましょう。研究はともに女性に限定されたもので、認知症のリスクはPTSDとストレスです。「PTSDが中年女性の認知機能を低下させるリスク因子である」ことを示した50~71歳の12,270人の女性を対象とした研究があります。参加者のなかでPTSDの症状があった女性は67%にのぼり、フラッシュバック、悪夢を見る、重度の不安に悩まされる、悲惨な出来事を繰り返し思い出す、気分が変調する、などの症状が多くあった女性は、まったく症状がなかった女性に比べて、認知機能の変化を示すスコアの変化率が著しく悪いことが分かりました。
1968年に38歳~60歳だった1,415人の女性を35年間追跡調査して認知症のリスクを調べた研究では、中年期にストレスを繰り返し経験していた女性は、そうでない女性に比べて、認知症のリスクが65%高かったことが分かりました。特に強いストレスを経験していた女性は、認知症のリスクが2倍以上に上昇していました。
PTSDもストレスも本人の努力ではどうにもならないケースが多いでしょうが、これらが認知症の大きなリスクになることは知っておくべきでしょう。
「認知症を患わないようにする」だけが今後の人生の目標になってしまうのは行き過ぎですが、自身のリスクを把握した上で総合的な対策を立てることが大切です。ただし、ApoE遺伝子の検査については受ける前にじゅうぶんに検討を重ねてください。谷口医院ではこれから配偶者ができる可能性がある、あるいはこれから出産を考えている男女に対しては見合わせるように助言しています。他方、50代以降の男女で受ける人は年々増えています。
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|2024年9月8日 日曜日
第253回(2024年9月) 「コレステロールは下げなくていい」なんて誰が言った?
これほどインパクトがある論文もそうありません。そう思っているのは私だけなのか、世間ではあまり盛り上がっていないようですが、2024年7月31日に医学誌「THE LANCET」に公開された論文を読んで私自身は椅子から転げ落ちるくらいにビックリしました。論文のタイトルは「認知症の予防、介入、ケア:ランセット常設委員会2024年報告書(Dementia prevention, intervention, and care: 2024 report of the Lancet standing Commission)」で、要するに「認知症の後天的なリスクを分析した報告書」です。
この論文、結論から言えば「LDLコレステロール(=悪玉コレステロール、以下単に「コレステロール」)が認知症の(予防できるもので)最大のリスクになる」となります。「予防できるもので」と前置きがついてちょっと歯切れが悪くなるのは、「予防できない認知症のリスク」もあるからです。すべてを合わせた最大のリスク因子は「年齢」でこれはどうしようもありません。また「性別(生物学的性)」も変えようがありません。認知症は(生物学的な)女性の方がリスクが高いことが分かっていて、たとえ性自認(sexual identity)を男性に変更したところでリスクが減るわけではありません。
また、遺伝子、特にApoE遺伝子をどのようなタイプで持つかにより認知症のリスクは大きく異なり、過去のコラムで紹介したように、ApoE遺伝子がε3・ε3の人がアルツハイマー病になるリスクを1とすると、ε4・ε4の場合のリスクはなんと11.6倍にもなります。しかし、生まれてしまってからは自分の遺伝子を変えることはできません。
では、認知症における自身の努力で下げられるリスクと自分自身ではどうしようもないリスクの割合はどれくらいなのでしょうか。上記論文によれば、自身の努力で下げられるリスクは45%です。これを多いと考えるか少ないと思うか、ですが、日々患者さんを診ている私の意見としては「こんなにも多いのか(=よかった!)」です。なぜなら、やはり認知症の患者さんは親や親せきに認知症が多いことを思い知らされることがよくあるからです。「認知症は遺伝的に決まっている」などという話には夢も希望もありませんから、誰も語りませんし、こういうことを発言すれば強烈なバッシングをくらいますし、メディアは「〇〇をして認知症を予防しましょう」という話を好みますから「認知症は遺伝で決まる」などと言う表現は医療者の間でさえも「言ってはいけないこと」と考えられているようです。
しかし私は何事も「隠す」ことには反対ですから、若いうちから「もしも両親のどちらかが比較的早い段階で認知症になったのならばあなた自身も覚悟した方がいい。もしも両親が共に認知症ならそのリスクはさらに高くなると考えてください」と伝えています。ApoE遺伝子の測定は安易にすべきではありませんが(その理由は過去のコラムで述べた通りです)、それでも自分がどの程度のリスクがあるのかは血縁者をみれば推測できます。
ところが上記の論文によると45%は努力でリスクを下げられると言います。これはとても夢のある話です。4年前の2020年、この論文の前のバージョンが公開されました。このときは自身の努力で下げられるリスクは40%とされていました。しかし今年は45%、もちろん今年の値の方が正確です。過去4年間で様々な研究が検討され検証され、その結果が5%のアップになったのです。
では、自身の努力で下げられる認知症の最大のリスクとは何か。それがコレステロールなのです。2020年のバージョンにはコレステロールは入っていませんでした。当時はまだコレステロールが認知症の大きなリスクであることを確証するエビデンスが不充分だったのです。2020年の時点で最大のリスクとされたのは「難聴」でした。
2020年当時、この発表が最も歓迎されたのは耳鼻科の世界でした。難聴はそれまでは高齢になれば仕方がないという風潮があり、耳鼻科専門医でさえもあまり真剣に取り合っていないとすら言えました。実際、谷口医院に「耳鼻科ではたいしたことがないと言われたんですけど……」と言って難聴を気にしている患者さんが受診することもありました(今でもあります)。そういう場合、難聴に詳しい耳鼻科専門医を紹介することになりますが、毎回耳鼻科医間の”温度差”に驚かされます。
2024年バージョンでも難聴のリスクが軽減されたわけではありません。難聴はコレステロールと並んで第1位なのです。これらが7%のリスクとなるとされています。残りのリスクは下の図(上記論文に掲載されているもの)の通りなのですが、文字にもしておきます。
〇若年期:低教育 5%
〇中年期:難聴 7%
高LDLコレステロール 7%
うつ病 3%
脳の外傷 3%
運動不足 2%
糖尿病 2%
喫煙 2%
高血圧 2%
肥満 1%
過剰飲酒 1%
〇老年期 社会的孤立 5%
大気汚染 3%
視覚症状 2%
これまでコレステロールはどちらかというと「医者は薬を飲んで下げろというけれど、実際には下げなくてもいい」というのが世間の認識でした。実際、「前の医者からは飲めと言われたけど、本当に飲まないといけないんですか」という訴えで受診する患者さんは少なくありません。
たしかに、わずかに高いだけの患者さんがコレステロールを下げる薬を飲まなければいけないかどうかは簡単には決められません。よく「いくらになれば飲めばいいですか?」と聞かれますが、この問いにも答えられません。なぜなら、その答えは「その人による」だからです。コレステロールは動脈硬化の最大のリスクではありますが、他にも年齢、既往歴、喫煙歴、運動の程度、血圧、血糖値、中性脂肪の値、家族歴などを総合的に勘案して検討しなければならないのです。
コレステロールが認知症のリスクになるという話は、これまでは私自身も診察室であまり触れていませんでした。LANCETの今回の論文が発表される以前から、コレステロールが認知症のリスクになるとする研究や論文は多数あったのですが、やはりエビデンスレベルが高いとは言えず、日本の認知症のガイドラインには「高齢期における LDLコレステロールレベルと認知症発症に関しては一定の傾向を認めない」と書かれているくらいですから、わずかに基準値が高いという人に対して「認知症予防のために薬を飲みましょう」とはなかなか言い辛かったのです。
ですが、私自身は8月から(つまり上記論文を読んだ直後から)コレステロールの値が高いほぼすべての患者さんにこの論文の話をして、結果そのほとんどの人が内服を開始しています(たいていはマイルドスタチンと呼ばれる伝統的な安くて安全な薬を始めます)。なぜか医師の間ではこのような話を聞かないのですが、まず間違いなく、今後コレステロールの治療のハードルが下がります。なぜって、誰も認知症にはなりたくないからです。
今も世間には「コレステロールは本当は下げなくていい」という噂やデマがはびこっているようですが、もしもそんな人がいれば「認知症は怖くないの?」と聞いてみてください。もしも医療者から「下げなくてもいい」などと言われることがあれば「先生は7月のLANCET読んだのですか?」と聞いてみてください。
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|2024年9月5日 木曜日
第252回(2024年8月) 乳がんの遺伝子検査を安易に受けるべきでない理由
前回は、乳がんは病理学的に次の5つに分類することができ、予後の良さ(治りやすさ)は#1>#2>#3>#4>#5であると述べました。
#1 ルミナールA(+HER2陰性)の乳がん
#2 ルミナールB+HER2陰性の乳がん
#3 ルミナールB+HER2陽性の乳がん
#4 ホルモン受容体陰性でHER2陽性の乳がん
#5 トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体もHER2も陰性)
今回は、乳がんの「遺伝性」についての話をしましょう。遺伝性か遺伝性でないかという視点は、上記の病理学的なものとはまた別の分類となります。#3のトリプルネガティブに遺伝性が多いのは事実ですが、ホルモン受容体陽性乳がん(ルミナールA,B)やHER2陽性乳がんにも遺伝性のものがあります。尚、米国の乳がんの関連サイトによると、遺伝性の乳がんは乳がん全体の5~10%を占めています。
遺伝性乳がんのほとんどがBRCA1またはBRCA2という名の2つの遺伝子の変異に関連しています。同サイトからポイントをまとめてみます。
・BRCA1遺伝子に変異がある女性は70歳までに乳がんを発症するリスクが50~70%
・BRCA2遺伝子の場合は40~60%
・BRCA1またはBRCA2遺伝子の変異に関連する乳がんは、若い女性に発症する傾向があり、両側の乳房に発生しやすい
・BRCA1またはBRCA2遺伝子に変異を持つ女性は、乳がんのみならず、卵巣がん、結腸がん、膵臓がん、悪性黒色腫を発症するリスクも高い
・BRCA2遺伝子に変異を持つ男性は、80歳までに乳がんを発症するリスクが8%。これは男性全体に比べて約80倍のリスク増
・BRCA1遺伝子に変異を持つ男性は、前立腺がんになるリスクがわずかに高くなる。BRCA2 変異を持つ男性は、変異を持たない男性に比べて前立腺がんを発症する可能性が7倍高い。皮膚がんや消化管がんなどのリスクも、BRCA1またはBRCA2遺伝子に変異を持つ男性の方がわずかに高い
・小児および青年のBRCA2遺伝子の変異は、非ホジキンリンパ腫のリスクが高い可能性がある
「乳がんは検診が重要なことは分かったけれど、遺伝性のタイプに注意すべきなら、遺伝子検査を先にすればいいんじゃないの?」という質問がときどきあります。これは「がんの早期発見だけ」を考えるのならまったくその通りです。
遺伝性の乳がんのリスクがあるということは、同時に卵巣がんのリスクもあることを意味します(双方に生じるがんを「遺伝性乳がん卵巣がん(Hereditary Breast and Ovarian Cancer = HBOC)」と呼びます)。前回述べたように、乳がんには有効な検診(スクリーニング検査=マンモグラフィーか超音波検査)がありますが、卵巣がんには早期発見に適した検診がありません。
有用な検診がないということは「早期発見は困難」であることを意味します。ならば、遺伝的に乳がんと卵巣がんに罹患しやすいのか否かを、あらかじめ遺伝子検査により知っておくことは有益だと考えられます。
BRCA1またはBRCA2遺伝子の変異は常染色体優性遺伝(最近は「優性」ではなく「顕性」とされることもあります)です。つまり、父・母のいずれかに変異があれば50%の確率で子供に遺伝します。男子に遺伝した場合、乳がんを発症する可能性は女性に比べるとかなり低いのですが、その男性に娘がいればやはり乳がんや卵巣がんのリスクが高くなります。
では、BRCA遺伝子に変異がある(=乳がん・卵巣がんのリスクが高い)人はどれくらいの割合で存在するのでしょうか。これについては、だいたい人口の0.1~0.2%程度とされています。人種で偏りがあり、一部のユダヤ人(アシュケナージ系ユダヤ人)では2~2.5%に変異があり、アイスランド人、スウェーデン人、ハンガリー人にも多いとされています。
日本人は世界平均と同等、つまり0.1~0.2%程度であろうと言われていますが、家族歴がある場合(血縁者に乳がんや卵巣がんを発症した人がいる場合)は10~20%に達するとする報告もあります。ならば、血縁者に乳がん・卵巣がん患者がいる場合はもちろん、家族歴がない場合でも、将来のがんのリスクを知るために誰もが調べるべきではないか、という考えがでてきます。その考えは見方によっては正しいと思いますが、実際には日本ではほとんど普及していません。その理由のひとつは「高すぎる費用」にあります。少なく見積もってもこのような検査は20~30万円ほどします。
しかし、将来のがんのリスクを知ることができるのならこの程度なら検査を受けたいと考える人もいるでしょう。さらに、もしも陽性ならがんを発症していなくても乳房と卵巣を先に取ってしまえばいいではないか、という考えがでてきます。そして、これを実践した人のなかでおそらく最も有名なのがアンジェリーナ・ジョリーです。未発症の臓器を切除したアンジェリーナ・ジョリーのこの行動には賛同する声が多い一方で、発症するかどうか分からない臓器を摘出することには医療倫理的な問題があるとする意見もあります。
乳房を切除すれば乳房形成術が必要になり(不要とする考えもあるかもしれませんが)、これには保険適用がありません。卵巣を切除すれば女性ホルモンの分泌がなくなりますからホルモン補充療法をその後かなり長期間続けなければなりません(この費用も保険適用にならないとされています)。現時点では、20~30万円近くのお金を払って遺伝的リスクを調べるべきか否か、検査した結果BRCA遺伝子の変異がみつかればがんを発症していなくても臓器を切除すべきかどうかは個人の判断に委ねられています(ただし、日本でがん未発症の臓器摘出をしたという話は聞いたことがありません)。
この遺伝子検査が保険で受けられることもあります(その場合6万円ちょっとだったはずです)。例えば、45歳以下の乳がん、60歳以下のトリプルネガティブ、2個以上の乳がん、近親者に乳がんか卵巣がんの患者がいる、男性の乳がん、などの場合は該当します。
ただし、高額の費用を捻出できたとしても、あるいは保険適用があったとしても、この検査は安易に受けるべきではない、と当院では言い続けています。遺伝子の検査は必然的に血縁者に影響を与えます。例えば、あなたが(乳がんを発症していたとしてもしていなかったとしても)BRCA遺伝子に変異があったとしましょう。すると、その時点であなたの兄弟・姉妹も50%の確率で変異があることが決定してしまいます。
例えば、あなたに妹がいたとして、妹がそれを知れば結婚や出産をためらうことはないでしょうか。あるいはあなたにすでに子供がいる場合、子供の人生に影響が及ばないでしょうか。弟がいた場合、その弟ががんを発症する確率はそう高くありませんが、その弟に娘がいた場合、娘の将来の発がんリスクが上昇します。この検査をするときはそこまで考える必要があります。実際、当院の患者さんのなかにも「妹に不安を与えたくないので検査をしない」という選択をした乳がんの患者さんもいます。
治療の話にうつりましょう。ホルモン受容体陽性乳がん(ルミナールAまたはB)はホルモン剤が良く効きます。通常はホルモン剤で小さくしてから手術をおこないます。このタイプは他のタイプに比べて予後良好(治りやすい)とされています。HER2陽性乳がんの場合は、HER2タンパクを標的とする抗HER2薬を投与した上で手術をします。抗HER2療法が実施されるようになったのは21世紀になってからで、この治療法の登場により劇的に予後がよくなったと言えます。
一方、トリプルネガティブの場合はホルモン剤や抗HER2薬は使われずに抗がん剤が使用されます。この場合、抗がん剤がよく効くこともあればあまり効かないこともあります。
ここで話は(前回に引き続き)再び小林麻央さんに戻ります。まったくの私の推測ですが、小林麻央さんが「標準治療」を受けなかったのはトリプルネガティブであったからであり(つまりホルモン剤や抗HER薬が使えなかった)、抗がん剤の否定的なイメージから使用を躊躇したのではないでしょうか。実際、世間ではトリプルネガティブには「予後不良」というイメージがつきまとっているようで、当院の患者さんや相談メールを寄せてくる人からそのようなコメントを聞くことがしばしばあります。
ですが、トリプルネガティブに対して抗がん剤を試す価値は充分にあります。発見が早期であればあるほど抗がん剤の効果が期待できます。抗がん剤の早期使用でがんを小さくすることができれば、トリプルネガティブであったとしても手術でがんを取りきることが期待できるのです。前回も述べたように、早期発見ができていれば(≒Ⅰ期の段階で発見できれば)、トリプルネガティブの5年生存率は9割とも言われています。
乳がんも他のがんと同様、早期発見につとめることが重要であり、もし発見が遅れたとしてもその時点で最善の治療を検討すべきです。当院では(私は)がんに対する標準治療以外の治療(サプリメントや食事療法など)をすべて否定しているわけではありませんが、こと乳がんに関していえば、薬(ホルモン療法、抗HER2療法、抗がん剤)+手術(+放射線治療)を推奨します。もしも発見が遅れ「手遅れ」と言われた場合は、残りの人生をどのように過ごすべきなのかを患者さんと共に考えていくことになります。
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|2024年8月5日 月曜日
第251回(2024年7月) 乳がんに伴う2つの誤解
谷口医院の17年半の歴史のなかで、最も多数見つかったがんは子宮頸がん、そして2番目に多いのが乳がんです。子宮頸がんが最多であるのは当然といえば当然で、当院は「婦人科」を標榜していませんが(=看板を出していませんが)、2007年の開院当初から、月経困難症、子宮内膜症、子宮筋腫、更年期障害、性感染症などの診療をしていますから、視診上(内診上の所見で)がんを疑えばその場で検査をしています。また、いわゆる「がん検診」(大阪市民なら400円)で発見されることもまあまああります。
他方、当院では「乳がん検診」をしていません。その理由はマンモグラフィーという特殊なレントゲン設備がないからです。つまり実施しようと思ってもできないのです。ときどき超音波検査(エコー)で「乳がん検診をしてほしい」と依頼されますが、原則として症状のない人の超音波での検診もお断りしています。私の技術に自信がないからです。
症状がある場合(つまりしこりがある場合)は、その部位の超音波検査を実施すればがんの疑いがあるか否かは診断できますが、これは通常の「診察」です。他方、検診というのは「無症状の(つまりしこりが触れない)ときの検査」になります。私がいくら丁寧に超音波検査を実施しても、毎日何人もの乳がん検診を超音波検査で実施している乳腺外科医や放射線技師にはかなわないのです。
しかし、当院をかかりつけ医にしている女性に「乳がん検診を受けていますか」という質問はできるだけするようにしています。受けていない人には受けられる医療機関を紹介します。当然といえば当然ですが、これにより乳がんが見つかることがまあまああります。また、先述したように乳房にしこりを訴えて受診する患者さんには私自身が超音波検査を実施して乳がんが見つかることがあります。かくして、谷口医院で(+谷口医院が乳がん検診を促したことで)乳がんがみつかるケースは少なくないのです。
当院の患者さんからの声を集めると、乳がんには2つの大きな誤解があります。
ひとつは「乳がん検診は精度が低い」というものです。これは完全に誤解で、検診を受けたから早期発見できたという事例は枚挙に暇がありません。しかし「検診を受けていたのに診断がついたときには手遅れだった」という事例は少数でも目立つために、メディアに取り上げられることも多く、何かと話題になります。検診で見逃される例としては、「乳首の真下にがんができていてマンモグラフィーでも超音波でも分かりにくいとき」、「がんなのにしこりができなかったとき」、「乳房全体が腫脹してしこりとなっていないとき」などです。しかし、大半は乳房にしこりができるタイプですから、検診を受けない選択肢はありません。
もうひとつの誤解は「乳がんは治りにくい」で、こちらも完全な誤解です。しかし、この誤解が蔓延っているために、乳がんが見つかったときに手術や化学療法を拒否して民間療法で治そうとする人がいます。「乳がんは治すことのできるがんですよ」という話をすると、決まって言われるのが「小林麻央さんが治療を拒否したのは現代医療では治せないからでしょ」というものです。
私は(恥ずかしながら)小林麻央さんという人を知らなかったのですが(テレビを見ないので)、アナウンサーをされていたそうですから、医療に対してもある程度の知識はあったのではないでしょうか。また、人脈が広く医療者の知り合いもいたでしょうから、現代医療を拒否されたのには何か事情があったはずです(小林さんを知らない私が推測するのは失礼であることは承知していますが、世間の誤解を解くために意見を述べることを許していただきたいと考えています。小林さんの話は次回にも登場します)。
乳がんには(病理学的に)3つのタイプがあります。最近はインターネット上で分かりやすいサイトがいくらでもあると思いますが、ここでもそれら3つのタイプを簡単にまとめてみたいと思います。タイプは病理学的な分類(顕微鏡でどのような細胞が存在しているかに基づいた分類)です。
・ホルモン受容体陽性乳がん(乳がん全体の約70%)
・HER2(「ハーツー」と呼ばれます)陽性乳がん(乳がん全体の15~20%)
・トリプルネガティブ乳がん(乳がん全体の15~20%)
ここでややこしいのは、ホルモン受容体が陽性で、かつHER2も陽性の乳がんもあるからです。だから、単純な病理学的分類ではなく、合計が100%になるように分類すると次のようになります。
・ホルモン受容体陽性かつHER2陽性の乳がん
・ホルモン受容体陽性でHER2陰性の乳がん
・ホルモン受容体陰性でHER2陽性の乳がん
・トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体もHER2も陰性)
しかし、まだ腑に落ちないところがあります。「トリプル」ネガティブと言っておきながら、1つめがホルモン受容体、2つめがHER2なら、3つめは?という疑問がでてくるからです。実は、ホルモン受容体には2つあって、1つはエストロゲン受容体(ER)、もうひとつはプロゲステロン受容体(PgR)です。つまり、「トリプル」は、ER、PgR、そしてHER2の3つ、トリプルネガティブとは、ER、PgR、HER2のすべてが陰性という意味です。
ホルモン受容体陽性の乳がんは、ER、PgRが陽性か陰性かでルミナールAとルミナールBの2種類に分けられます(ルミナールは「ルミナル」と書かれている文献もあります)。基本的に、ルミナールAはER、PgRの双方が陽性、ルミナールBはERが陽性、PgRは陰性(ただしさらに複雑なことに例外もあります)です。尚、ERが陰性、PgRが陽性の乳がんはありません(そのはずです)。これらをまとめなおすと次の5つになります。
#1 ルミナールA+HER2陰性の乳がん
#2 ルミナールB+HER2陰性の乳がん
#3 ルミナールB+HER2陽性の乳がん
#4 ホルモン受容体陰性でHER2陽性の乳がん
#5 トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体もHER2も陰性)
ここまできてもまだすっきりしない部分が残るのは、「ルミナールA+HER陽性は?」が気になるからです。分類学上はこのタイプもあってよさそうですが、実際には(少なくとも文献上は)ほとんどありません。よって、もしもあなた(やあなたの大切な人が)が乳がんを宣告されたときには、まずこれら5つのどのタイプかを確認すればいいのです。
治りやすさ(=予後)は、おおまかにいえば、#1>#2>#3>#4>#5となります。割合としては、#1+#2で約7割、#5が約15%、#4が8%、#3が7%程度です。
さて、乳がんは治りにくいかどうかの話に戻りましょう。長々と説明してきましたが、最も予後が悪いのはトリプルネガティブであるというのは(少なくとも統計上では)事実です。では、トリプルネガティブの予後がどれくらい悪いのかというと、厚労省の資料では、トリプルネガティブの5年無再発生存率はⅠ期で90%程度、Ⅱ期で85%程度、Ⅲ期で40%程度とされています。つまり、最も予後が悪いトリプルネガティブでさえ、早期発見ができていれば(≒Ⅰ期の段階で発見できれば)、5年生存率は9割と”予後良好”とも言えるのです。検診がどれだけ重要かがよく分かるでしょう。
では、小林麻央さんをはじめ、定期的に乳がん検診を受け、早期発見ができたのにもかかわらず治療を拒否したり、あるいは治療がうまくいかなかったりするケースがあるのはなぜなのでしょうか。また、今回は乳がんの病理学的な分類についての話だけで「遺伝性」については触れていません。それらの話は次回おこないます。
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|2024年6月20日 木曜日
第250回(2024年6月) 電子タバコと加熱式タバコの違いと混乱、そして大麻
(紙)タバコは健康に悪いから、あるいは人前で吸えないから加熱式(電子タバコ)にした、という人が大勢います。しかし、加熱式タバコに替えれば健康上のリスクが減るのかについては意見が分かれていて、また「加熱式」と「電子タバコ」の言葉の混乱はいっこうにおさまらず、各自の言っていることがバラバラで、ときに会話が成り立っていないことがあります。医療者の間でもコンセンサスがなくいろんな意見が錯綜しているのが現実です。今回は、これら新しいタバコの語句を整理し、法律を確認し、そして危険性についての見解をまとめてみたいと思います。
まずは言葉の整理をしましょう。従来、タバコといえば紙タバコのことを指していました。しかし紙タバコという表現は昔は存在せず、強いて言うなら「紙巻きタバコ」と呼ばれていました。これは「葉巻(はまき)」や「キセル」「パイプ」に対して使うときの表現です。タバコの葉を細かく刻んで鼻腔に入れる嗅ぎタバコというものもあります。他に、アラブ人がよく吸っている水タバコ(シーシャ)があります。ここまでが「従来のタバコ」と言えるでしょう。これらを見渡すと、(アラブ人を除けば)ほとんどの愛煙家が吸うのが紙巻タバコでしたから、単に「タバコ」と言えば「紙巻タバコ」を指していたわけです。
現在は紙巻タバコの「巻」がとれて、「紙タバコ」と呼ばれる機会が増えています。これは単に「タバコ」であれば、現在主流になりつつある加熱式タバコや電子タバコと区別ができませんし、「紙巻」では長くなりますから「巻」を略して、紙タバコと呼ばれるようになったのではないかと私は推測しています。
「加熱式タバコ」の話をしましょう。加熱式タバコとは、紙タバコのようにタバコの葉に火をつけるのではなく、タバコの葉を加熱してエアロゾルを生成させ、そのエアロゾルを吸い込むことでニコチンを体内に吸収させます。JTが90年代後半から発売していた「エアーズ」は加熱式タバコに分類されます。同社は2013年に「プルーム」という製品を発売しましたが、さほど広がりませんでした。全国的に普及したのはフィリップモリス社が2014年に販売開始した「アイコス(iQOS)」です。
アイコスが予想以上に売れたことを受けてなのか、JTは2016年に上記プルームの後継品である「プルーム・テック (Ploom TECH) 」を発売しました。その後、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)が「グロー(glo)」を上市しました。他にもいくつかの加熱式タバコが発売されていますが、ほとんどこの3種で市場は占有されています。2020年8月31日の日経新聞によると、日本国内での「タバコ全体における加熱式タバコの市場占有率」は26%まで上昇し(残りのほとんどが紙タバコ、次いで葉巻)、加熱式タバコの内訳はアイコス7割、グロー2割、プルーム・テック1割とされています。
加熱式タバコに似たものに「電子タバコ」があります。電子タバコが加熱式タバコと異なるのはタバコの葉ではなくリキッドを使う点にあります。リキッドを蒸発させた水蒸気を吸引してニコチンを吸収します。ただし、ニコチンが含まれていないものもあり、これらは(日本では)法律上区別されます。尚、加熱式タバコと電子タバコは文脈によっては区別されずに双方が「電子タバコ」と呼ばれていることもあり、これが混乱を招いています。
ここまでをまとめてタバコを分類すると次のようになります。
〇従来のタバコ: 紙巻タバコ=紙タバコ≒タバコ
パイプ
キセル
葉巻
嗅ぎタバコ
水タバコ(シーシャ)
〇加熱式タバコ:アイコス、プルーム・テック、グロー
〇電子タバコ(ニコチンを含むもの): 米国製のKIWI Penなど
〇電子タバコ(ニコチンを含まないもの): 日本で発売されているKIWI Pen、Dr.VAPEなど
上述したように、加熱式タバコと電子タバコは文脈によっては同じように扱われることがあるのですが、厳密に区別しなければならないときがあります。それは国によっては「どちらかが合法でもう一方が違法」だからです。例えば、中国では電子タバコは合法ですが加熱式タバコは禁止されています。米国も電子タバコは合法ですが加熱式タバコは事実上違法です。フィリップモリス社の本社は米国にあり、一時アイコスが発売されましたが現在は禁止されているのです。他方、電子タバコは合法です。
一方、日本ではニコチンを含む電子タバコは違法で、加熱式は合法です。ややこしいのは同じ製品でも国によってニコチンが含まれていたりいなかったりするからです。「KIWI Pen」は米国ではニコチンを含む電子タバコですが、日本で発売されている「KIWI Pen」はニコチンフリーです。つまり、米国で買ったKIWI Penを米国で使用するのはOKで、日本に持って帰っても個人で使用するのはOKですが、たくさん購入してそれを知り合いに売るようなことをすれば違法になります。また、日本に帰国する前に米国からタイ(加熱式タバコ・電子タバコ双方が違法)を経由したとすれば、タイの空港に到着した時点で(法的には)違法です。米国からベトナムに移動しても合法ですが、そのまま陸路でカンボジア(タイと同様、双方違法)に入国すればこの時点で違法になります。
加熱式タバコ・電子タバコの双方を違法とする国は珍しくありません。有名なのがインド、タイ、カンボジア、シンガポール、ブータン、ブラジル、メキシコ、オーストラリアあたりです。このなかで、オーストラリアはニコチンを含まない電子タバコは認められていますが、他の6か国はニコチンなしの電子タバコもNGです。
興味深いのはタイでしょう。タイでは電子タバコ・加熱式タバコ共に違法で、逮捕されると10年の懲役または50万バーツの罰金が課せられます。しかし、タイに詳しい人ならよくご存知と思いますが、実際にはこれらはショップや屋台で販売されています。それどころか、周知のようにタイでは現在大麻も合法です。オフィス街に24時間営業の大麻ショップがあり、ショッピング街にはきれいな大麻カフェが多数オープンしています。カオサンロードに行けば、入居しているすべての店舗が大麻関連の店というビルもあります。しかし、この国にアイコスなどを持ち込めば逮捕されるリスクがあるのは事実です。
ちなみに、電子タバコの国ごとの規制についてはwikipediaの地図が分かりやすく役に立ちそうです。ただし、この情報が最新という保証はありませんから、渡航時にはその都度その国に確認する必要があります。加熱式タバコの国ごとの規制についてもこのような便利な地図が欲しいところですが、私が調べた限りでは残念ながら見当たりませんでした。
以上みてきたように、加熱式タバコ、電子タバコに対する考え方は国よってまったく異なり、合法化すべきかについての、あるいは有害性の認識についての世界的なコンセンサスがありません。米国は「電子タバコOK、加熱式NG」で、日本はその逆ですが、では日本人と米国人では民族的に危険性が異なるのかというとそんなはずがありません。さらに大麻を議論に加えると、国によってやっていることはバラバラです。タイ人の体質は「大麻はOKでアイコスは有害」、日本人はその逆で「アイコスならOKで大麻は危険」などと言えるはずがありません。
つまり、「加熱式は…、大麻は…、紙タバコは…」などと偉そうに言っている医師がいたとしても、それはその人物の意見に過ぎず、世界的なコンセンサスがあるわけではないのです。特に日本では「加熱式も電子タバコも(紙タバコと同様に)論外だ」と主張する専門医が少なくなく、そういう医師たちは禁煙にニコチン代替療法のパッチを勧めるわけですが、英国にはこれを覆すデータがあります。
886人の禁煙希望者を対象に実施した研究があります。医学誌「The New England Journal of Medicine」2019年1月30日号に掲載された論文「電子タバコとニコチン置換療法のランダム化比較試験(A Randomized Trial of E-Cigarettes versus Nicotine-Replacement Therapy)」です。一方のグループには電子タバコを使い、もう一方にはニコチン代替療法(パッチなど)を処方しました。結果、電子タバコのグループはニコチン代替療法のグループに比べて1年後の禁煙率が1.83倍で、これをもって「電子タバコは有用な禁煙ツール」と結論づけられています。
しかし、この研究には違和感が残らないでしょうか。なぜならこの研究での「禁煙成功」の定義は「紙タバコを吸っていなければ電子タバコは吸っていてもOK」だからです。ニコチンを紙タバコからではなく、電子タバコから吸収するのはOKとされているわけで、それをはたして「禁煙に成功した」と呼んでいいのでしょうか。注目すべきは研究の妥当性ではなく、英国人の考えです。英国人は「紙タバコでなければ喫煙ではない」と考えているわけでこの点が興味深いと言えます。
しかし、その英国も最近少し変わってきました。2024年3月、英国政府は、「使い捨て電子タバコの禁止と電子タバコ用リキッドへの新たな課税を含むタバコおよび電子タバコ法案」を導入しました。これは主に未成年に対する電子タバコの規制を強化することが目的と言われています。
と、このように国によって政策はバラバラであり、大麻も入れると議論は非常にややこしくなるわけですが、大切なのは各自がどのようなことに価値を求め、どのようなリスクをどれだけ取るつもりなのかをはっきりさせることです。その上でかかりつけ医に相談するのがいいでしょう。といっても、たいていの医師は「紙タバコはもちろん、加熱式も、電子タバコもNG。大麻など論外」と言うわけですが。しかし、そのように言う医師が、たとえば「ニコチンを含まない電子タバコ」のリスクをどれだけ考えているかは疑問ですし、いくつかの疾患や症状に対する大麻の有効性及び危険性についてきちんと説明する医師は極めて少数なのが現状です。
参考: GINAと共に
第211回(2024年1月) 大麻に手を出してはいけない「3つ目の理由」
第210回(2023年12月) 大麻について現時点で分かっている科学的知見
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|2024年5月16日 木曜日
第249回(2024年5月) 健康の最優先事項はパートナーを見つけること
谷口医院を開院した2007年にはほとんど意識していなかったのですが、「仲のいいカップルは病気をしにくく、しても予後(その病気の行方)がいい」ことを2010年代の半ばくらいには確信するようになっていました。仲睦まじいパートナーがいる人はがんが見つかったとしてもその後の経過が比較的順調なことが多く、生活習慣病もみるみる改善していくのです。禁煙成功率も高く、精神症状が出現しても比較的早期に治ります。しかしこれは当然と言えば当然です。食事療法はパートナーの協力が必要ですし、精神症状がよくなるのは言うまでもないことでしょう。
しかし、2000年代当時、「おひとりさま」という言葉が流行していて、これからは(特に女性は)ひとりで人生を楽しむ時代だ、のような風潮がありましたから、「パートナーを見つけましょう」という考えは時代遅れのように捉えられていました。ちなみに、「おひとりさま」というこの言葉、世間では上野千鶴子氏の代名詞のように言われていますが、発案したのは岩下久美子さんというジャーナリストです。岩下さんは「警視庁ストーカー問題対策研究会」委員も務めていたストーカー研究の第一人者で、不幸なことに2001年9月1日、プーケットの海でパートナーと遊泳中に高波にのまれて水死しました。ちなみにプーケットの9月から10月は観光客の溺死事故がよく起こります。
2010年、本サイトで「おひとりさま」を否定的に取り上げたコラム「素敵な老後の過ごし方」を書きました。上野千鶴子氏を批判し、さらに「おひとりさまの老後の満足度は低い」研究を紹介しました。そもそも仲の良いパートナーがいれば生活の満足度が上がるのは当然です。本サイトでは「パートナーとベッドを共にすればぐっすり眠れて長生きできる」というタイトルで海外の論文を紹介し、また別のコラムでは「ハーバード成人発達研究」から「50歳でのパートナーとの関係が良好であれば80歳で健康」という結果について取り上げました。
今回は、「パートナーがいれば幸せ」というよりも、「パートナーがおらず孤独であれば病気になりやすく短命に終わる。孤独であることはそれだけで病だ」を示した研究を紹介しましょう。
米国には「我々の孤独と孤立の蔓延2023(Our Epidemic of Loneliness and Isolation2023 )」という興味深い報告書があります。驚くべきことに、同報告書によると、「孤独」「社会的孤立」は、早期死亡(早死に)のリスクをそれぞれ26%、29%増加させ、これらは1日15 本のタバコを吸うのと同程度のリスク増加となります。「社会的孤立」とは、客観的な社会的関係がほとんどなく、社会的交流がほとんどないことを指します。一方、「孤独」は主観的な内面の状態を意味します。
報告書には何が死亡のリスクになるかが総合的に解析されたグラフも掲載され、第1位から第6位までが分かりやすく表示されています。第6位は「大気汚染」、第5位は「肥満」、第4位は「座りっぱなし」、第3位は「(大量)飲酒」、第2位は「1日15本以上の喫煙」です。そして堂々の第1位が「孤独(社会的つながりの欠如)」なのです。
同報告書から具体的な疾患をみていくと孤独のリスクは次のようになります。
・孤独は心臓病のリスクを29%増加、脳卒中のリスクを32%増加させる
・孤独な心不全患者は入院のリスクが68%増加、救急外来受診のリスクが57%増加、一般外来受診のリスクが26%増加、再入院のリスクが55%増加する
・孤独な人に対する社会的サポートを充実させれば高血圧のリスクが36%低下する
・6つ以上の多様な社会的役割 (親、配偶者、友人、家族、同僚、グループのメンバーなど)があれば、一般的な風邪ウイルスによる風邪を発症するリスクが4倍低い
・慢性的な孤独と社会的孤立は、高齢者の認知症発症リスクを約50%増加させる
・孤独を感じている人は認知能力が20%早く低下する
・孤独を頻繁に感じる人は、孤独をほとんどまたはまったく感じない人々に比べて、うつ病を発症する確率が2倍以上
・トラウマなど人生での不利な経験がある人は、他人に打ち明けることで、うつ病を発症するリスクが最大15%低下する
・男性の自殺は一人暮らしなど客観的な孤立と強く関連している
・女性の場合、孤独感が自傷行為による入院と有意に関連している
孤独が多くの疾患のリスクとなり死亡率を高めるのであれば政府が対策を立てるべきだという考えがでてきます。この問題にいち早く取り組んだ国はおそらく英国でしょう。きっかけをつくったのは2016年にテロリストの凶弾に倒れた労働党のジョー・コックス(Helen Joanne “Jo” Cox)議員でした。氏の意思を受け継いだ超党派の英国議会議員らが「ジョー・コックス委員会」を結成し、2018年に「孤独大臣(Minister for Loneliness)」が誕生しました。現在はスチュアート・アンドルー(Stuart Andrew)氏が4代目の孤独大臣を務めています(日本のWikipediaでは英国の孤独大臣が廃止されたと書かれていますが……)。
英国の次に孤独大臣が誕生したのはおそらく日本です。それほど大きく報道されたようには思えませんでしたが、2021年2月12日に初代孤独大臣(孤独・孤立対策担当大臣)が就任し、現在は4代目の加藤鮎子議員が就任しています。
では、世界中のどれくらいの人が孤独を感じているのでしょうか。米国のプライマリ・ケアの患者603人を対象とした最近の研究では65歳以上の53%が2020年4月から2021年9月までに孤独を経験したことが分かりました。英国の慈善団体「Campaign to End Loneliness」 によると、2022年には英国の成人の49.63% (2,599万人) が「孤独を(常に、しばしば、時々)感じている」と答えています。さらに、英国の人口の7.1% (383万人) が慢性的な孤独感に苛まれています。
国際比較をみてみましょう。統計のサイト「statista」に、世界29か国の孤独を感じている人の割合が掲載されています。第1位はブラジルで50%の人が「しばしば、またはいつも、またはときどき(Often/Always/Some of the times)」孤独を感じています。2位はトルコで46%、3~5位は、インド(43%)、サウジアラビア(43%)、イタリア(41%)です。世界初の孤独大臣が誕生した英国は14位で34%、意外なことに日本は第28位(下から2番目)で16%です。ただし、この調査は2021年に調査会社Ipsosにより公表されたものであり、新型コロナウイルスの影響を受けているでしょうから現在の孤独感とは違いがあるかもしれません。また、聞き取りの方法によっても回答が変わってくる可能性があります。
内閣官房孤独・孤立対策担当室が公表している日本のデータをみてみましょう。約12,000人を対象に2021年に実施された調査で、孤独が「常にある/時々ある/たまにある」と答えた人の割合は36.4%で、約11,000人を対象とした2022年の調査では40.3%と増加しています。新型コロナウイルスの脅威が去り、ロックダウンから解放されている現在では世界中の人々の孤独感が大きく変化しているはずです。しかし、日本は以前から「ひきこもり」で世界的に有名で、「Hikikomori」はすでに国際語です。2013年には、BBCが世界に向けて日本の実情を報道しています。BBCの当時の報道では日本人の引きこもりは約70万人としていますが、その後も増加し、内閣府が2022年11月に実施した調査では15歳から64歳までの年齢層の2%余りにあたる推計146万人に上ります。日本が引きこもり大国であり、かつ孤独を感じている人が多いのは間違いないでしょう。
ということは、「日本人ほど早死にのリスクを抱えた民族はいない」と言えそうです。早死にのリスクを軽減させるためによく言われるのが「食事」「運動」「適正体重」「禁煙」「節酒」などですが、これらよりも重要な最優先事項は「孤独からの脱却」だと考えるべきでしょう。
孤独から解放されるための人間関係にはいろいろとあるでしょうが、やはりパートナーに勝る存在はないでしょう。ということは、健康のために食事の内容や運動のメニューを考えたり、あるいは禁煙の計画を立てたりするよりも、孤独を感じている人はまずパートナーを探すことを最優先すべきです。これが、谷口医院で様々な患者さんを17年間診察してきた私が今感じていることです。
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