はやりの病気
第114回(2013年2月) 花粉と黄砂とPM2.5
今年(2013年春)の花粉の飛散量は去年より多いと言われており、実際昨年に比べると花粉症の患者さんの受診が早くなっているようです。ただし、マスコミでは花粉の量が2倍とか5倍とか言われていますが、患者数やひとりの患者さんの重症度が倍以上になっているわけではありません。その逆に、昨年(2012年)は花粉量が例年より少ないと言われていましたが、患者さんの人数が少なかったわけではありません。私の実感としては、花粉飛散量の予測と関係なく、毎年一定の患者さんが受診されます。
一方、1月中旬からやや目立っているのは咳を訴える患者さんです。「長引く咳」というのは太融寺町谷口医院では、以前から最も多い訴えのひとつなのですが、今年の特徴として「やっぱりPM2.5のせいですかね~」と、患者さんが言われることが目立ちます。
PM2.5、年明けに突如としてマスコミに登場し、その後連日のように報道されるこの言葉はすでに2013年の流行語とも呼べるでしょう。週刊誌やワイドショーでは特集が組まれ、巷では、「PM2.5対応のマスク」が品切れを起こしているとか・・・。
PM2.5とは何か、をまず確認しておきましょう。PMは、particulate matter、つまり「粒子状物質」の略で、要するに「大気中に浮遊する微粒子」のことです。(私はparticulate materialと思っていましたが、materialではなくmatterが正しいようです) PM2.5とは、その微粒子のなかでも直径が2.5マイクロメートル以下の、より小さいもののことです。
PM2.5がなぜ問題か、というと、粒子自体がそれだけ小さいために、呼吸をすると肺の奥にまで到達しやすくなるからです。粒子が口や鼻から喉(のど)に入ってくると、まず喉に違和感が生じます。激しい痛みまで起こすことはあまりありませんが、「イガイガする」「イガラっぽい」などと表現される不快な感覚になります。粒子がさらに奥に入ると、今度は気管(や気管支)の粘膜に刺激を与えます。そしてこの刺激によって、咳が誘発されます。
黄砂(こうさ)というものがここ数年注目を集めています。中国内陸部の砂漠や乾燥地域の砂塵が上空に巻き上げられ地上に降り注がれる気象現象のことで、春に日本にやってきます。もう少し正確に言えば、3月頃から増加しだし、ちょうどゴールデンウィークくらいから5月中旬くらいまでがピークとなります。
黄砂による症状は花粉症のものと似ています。つまり、顔面(特に目のまわり)が痒くなり、目が痛痒くなり、鼻水がでます。喉がイガイガし、咳もでます。黄砂と花粉症の関係は解明されていない点も多いのですが、花粉症がある人が黄砂の被害も受けやすい、というのは間違いありません。
黄砂によって生じる皮膚の痒みや咳が、刺激によるものか、アレルギーによるものか、ということはまだしっかりと検討されていないと思いますが、私自身は両方の可能性があると考えています。つまり、黄砂の微粒子が皮膚や粘膜を刺激することによって症状が誘発されるのと同時に、黄砂の一部を構成する金属、つまり大陸の砂漠の砂のなかに混じっている金属がアレルギーを引き起こしているのではないかという仮説です。実際、黄砂にはアレルギーを引き起こしやすい金属の代表であるコバルトが含まれているという報告もあります。
黄砂が刺激とアレルギーの両方の機序でおこっているというこの仮説を示唆する理由があります。まず黄砂による症状は花粉症などアレルギーを有している人に圧倒的に出やすいということからアレルギーのメカニズムが働いていることが考えられます。しかし、花粉症に対して有効な抗ヒスタミン薬やステロイド点鼻薬・吸入薬が黄砂に対しては効果が弱いのです。つまり花粉症と同じ治療をすることによって、黄砂のアレルギーによる症状は抑えることができても、刺激による症状にはさほど効果がない、というわけです。
黄砂が飛んだ日は喘息で入院する症例(特に小児)が増えるという報告があり、これは理解しやすいことですが、興味深いのは、黄砂により脳梗塞のリスクが上昇するという研究があることです。(詳しくは下記医療ニュースを参照ください)
黄砂には様々な微粒子が含まれますが、直径4マイクロメートルほどの微粒子が多いと言われており、このサイズであれば肺の奥の方にまで入り込みます。そしてここまでくれば毛細血管にも悪影響を与えるということです。
話は再びPM2.5に戻ります。PM2.5は黄砂よりも直径が小さいわけで、これはすなわち肺のより奥に、つまり身体のより深部に到達しやすいことを意味します。つまり、皮膚の痒み、鼻炎、結膜炎、咽頭痛、喘息といった症状のみならず、アスベストなどのじん肺と同じような機序で肺癌を含む肺障害を起こす可能性、さらに血管に入り込み心筋梗塞や脳卒中などの血管障害を黄砂以上に起こしやすい可能性もでてきます。また、微粒子の毒性により、例えば頭痛や倦怠感といった様々な症状が出現する可能性もあります。
ちょうど昭和30~40年代におこった四日市喘息を彷彿させます。多数の死者を出すこととなった四日市喘息は高度経済成長の負の側面であるわけですが、現在の中国の急激な経済発展を考えれば、ある意味ではPM2.5の大量飛散は必然と言えるのかもしれません。
対策としては、中国政府にリーダーシップをとってもらうのがいいわけですが、それほど事は簡単に運ばないでしょう。さしあたりマスクで予防、となるわけですが、よくマスコミで指摘されるように通常のマスクでは粒子が貫通してしまいます。そこで、特別なマスク、とりわけ「N95」と呼ばれるマスクが注目を集めていますが、それほど単純な話ではありません。
まずN95というのは、「0.3マイクロメートル以上の塩化ナトリウム結晶の捕集効率が95%以上」という規格で製造されたマスクのことですが、簡単に言えば、普通のマスクでは貫通してしまうような小さな結晶もブロックできますよ、というものです。最近では、新型インフルエンザが流行した2009年に世間の注目を集めました。医療現場では結核の患者さんに接するときに用いられています。
たしかにN95を用いればPM2.5の予防対策として有効でしょう。ただしそれは”適切に”使用できれば、の話です。N95を適切に使用するのは案外むつかしいのです。つまり、きちんとフィットしておらずに隙間から粉塵や微粒子が入り込んでしまっていることが多いというわけです。これを確認するのにフィットテストという方法があるのですが、テストをしてみると、医療従事者でさえうまくフィットしていないことが多いのです(注1)。N95を装着した2~3割の者しか適切に予防できていなかった、という報告もあるほどです。
また、しっかりと隙間をつくらないようにフィットさせようとしても、顔面の解剖学的な形状とマスクが合わない、ということもあります。N95というのは、米国労働安全衛生局(OSHA;Occupational Safety and Health Administration)が認定しているのですが実は何百種類もあります。様々なメーカーが製造しており、サイズや形状がそれぞれ異なるわけですが、特に顔面の小さな女性などでは、何種類を試しても合うものがなかった、という場合もあります。
自分の顔に合うN95が見つかったとして、適切にフィットさせたとしても、その状態で過ごすのはかなり苦しいことを覚悟しなければなりません。N95を装着した状態で、信号が黄色に変わりそうだから小走りで横断歩道を渡ろう、などということは到底できません。それくらい苦しいマスクを連日装着するというのは現実的でない、と私は考えています。
ではどうすればいいか、ということですが、効果が不十分であったとしても通常のサージカルマスクの2枚重ねくらいで対処するのが現実的かと思います。そして、可能な限りPM2.5飛散量が多い日(注2)には外出を控える、それでも生活に支障が出るなら、思い切ってPM2.5が飛んでこないどこか遠くに引っ越す、というのもひとつの選択肢かもしれません。これを「転地療法」と呼びますが、実際、四日市喘息のときには、きれいな空気を求めて引越しした人も大勢いたそうです。
ではまとめておきましょう。
●2013年春の花粉飛散量は例年より多くなることが予測されている。
●例年春には花粉以外に黄砂が飛散し、花粉症がある人には黄砂による症状もでやすい。
●黄砂による症状は、鼻水・鼻づまりや目の痒みだけでなく、咽頭痛や咳、喘息症状がでることも多い。
●花粉症は治療でコントロールできるが、黄砂は治療をしても効果不十分なことが多く、黄砂に触れない対策が重要となる。
●中国大陸から飛んでくるPM2.5による症状は、投薬で充分な対処ができるわけではなく、可能な限り予防することが大切。
●注目されているN95マスクは、きちんと装着できていないことが多い。適切にフィットさせれば予防効果は期待できるかもしれないが、息苦しくなるため長時間の装着は現実的でない。
究極の治療として「転地療法」を選択せざるを得ない人も今後出てくるかもしれない。
注1:youtubeでN95のフィットテストを見ることができます。興味のある方は下記を参照ください。
http://www.youtube.com/watch?v=kKHnI1piKC8&noredirect=1
注2:PM2.5を含めて大気汚染物質の飛散状況は環境省のウェブサイトで知ることができます。下記を参照ください。
黄砂については気象庁の下記サイトが参考になります。
http://www.jma.go.jp/jp/kosafcst/
また、花粉については環境省の下記サイトがよくまとまっています。
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