はやりの病気
第94回(2011年6月) 小麦依存性運動誘発性アナフィラキシー
お茶石鹸を使っているとまぶたが痒くなるようになった。そしてあるときパンを食べた後急いで出かけたら気分が悪くなって意識がなくなり救急搬送された・・・
2011年5月、(株)悠香は、重篤なアレルギー症状が多数報告されたことを受けて、ついに自社製品「悠香の石鹸(茶のしずく石鹸)」(以下「茶のしずく石鹸」)の自主回収を始めました。冒頭の症状はこの石鹸を使うことにより生じた症状です(私が直接診察した症例ではありませんが・・)。
食物依存性運動誘発性アナフィラキシー(food-dependent exercise-induced anaphylaxis、以下「FDEIA」)という名前のアレルギー疾患は以前から存在し、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にも疑い例も含めると年間5~6人は受診されます。この疾患は教科書的には「稀」とされているのですが、軽症例まで含めれば決して稀な疾患ではないと私は感じています。「茶のしずく石鹸」で有名になった小麦依存性運動誘発性アナフィラキシー(以下WDEIA)も、FDEIAのひとつではありますが、従来型のWDEIAと「茶のしずく石鹸」によるWDEIAとは少しタイプが異なります。
いろいろ話すとややこしくなりますので、まずはFDEIAについておさらいしておきましょう。
FDEIAは、特定の食べ物を食べた後に運動をすると、全身にじんましんが出たり気分が悪くなったりめまいがしたりします。重症化すると血圧が大きく下がり意識を失うこともあります。
「特定の食べ物」で多いのが、成人であれば最も多いのが小麦、次いでエビやカニなどの甲殻類です。小児にも起こりますから、例えば給食でパンを食べて5時間目の体育の時間に発症というのは典型例のひとつです。成人であれば、慌しいなかで朝食のパンを食べて電車に乗り遅れないように駅まで走って行って発症、というパターンがあります。
ただしこの病気は、小麦を食べただけでは出ませんし、小麦+運動で必ず出るかと言えばそういうわけでもありません。ですから、<純粋な>小麦アレルギーの人であれば、小麦を食べると何もしなくても(そしてそれがごく少量の小麦であったとしても)アレルギー症状が出現して危険な状態になりえますから小麦は<絶対に>食べてはいけませんが、FDEIA(WDEIA)の場合は、運動しなければ食べても症状がでません。患者さんのなかには、小麦(+運動)+寒冷(要するに寒い季節のみ出現する)や、エビ(+運動)+疲労などで発症するという人もいます。コムギ(エビ)+アスピリンなどの鎮痛剤、で症状が出現することもあります。
じんましんを訴えて受診する患者さんに対し、問診からFDEIAを疑ったときは疑わしい食物に対する抗体(IgE抗体、RASTとも呼ばれます)を測定します。重症例であれば陽性となることが多いのですが、注意すべきは小麦(WDEIA)のときです。通常の(運動に関係ない純粋な)小麦アレルギーであれば「コムギ」もしくは「グルテン」(という小麦に含まれる蛋白質)が陽性となるのですが、WDEIAの場合は、これらが両方とも陰性になることが少なくないのです。この場合は、ω5グリアジンという小麦に含まれる、より小さい蛋白質に対するIgE抗体を調べます。WDEIAであれば絶対にω5グリアジンが陽性となるわけではありませんが、この項目が保険診療で計測できるようになって随分診察がしやすくなったと私は感じています。
さて、「茶のしずく石鹸」に話を戻しましょう。この石鹸によるWDEIAは、通常のWDEIAとは症状が少し異なります。通常のWDEIAは、<小麦を食べる+運動>の後、皮膚症状が全身に出現するのに対し、この石鹸によるものは、<小麦を食べる+運動>の後、「まぶたが腫れる、顔がかゆくなる」といった顔面に限局した症状が大半で、じんましんや痒みが全身に広がった例はあまり報告されていません。しかも顔面のかゆみや赤みもごく軽度なものもあります。しかし、皮膚症状は顔だけでも一気に意識消失まで進行することもあるのです。
そして「茶のしずく石鹸」によるWDEIAが通常のWDEIAと異なるもうひとつの点は、先に述べたω5グリアジンが陽性とならないということです。コムギもグルテンも、そしてω5グリアジンもすべて陰性となってしまうことがあるのです。「それじゃあ、なんでその石鹸が犯人だと分かるの? 本当にその人のアナフィラキシーの原因は小麦なの?」という疑問がでてきます。これを証明するのには次の手順が必要になります。まず、「茶のしずく石鹸」を使い出してからWDEIAを示唆する症状が出現していることを確認し、石鹸で使われている「加水分解コムギ」で反応するかどうかを調べる検査をおこないます。「茶のしずく石鹸」によるWDEIAの人は、この「加水分解コムギ」に強く反応し、その後普通のコムギにも反応するようになることが研究で分かっています。一方、通常のWDEIAの人はこの石鹸に使われている「加水分解コムギ」では反応しない(か、反応してもごく軽度な)のです。
我々の実感としては、このようなきちんとした検査をおこなっておらず確定はできてないけれども、状況から「茶のしずく石鹸」によるWDEIAではないかと疑われる例があり、また、そもそも「茶のしずく石鹸」によるWDEIAなどという疾患は、例えば夜間当直している救急医にとってはなかなか疑えるものではありません(これを「見逃した」とするのはあまりにも酷です)。また、「茶のしずく石鹸」による皮膚のかゆみがすべてWDEIAとなるわけではありません。谷口医院にもこの石鹸が原因と思われる接触蕁麻疹(まぶたが腫れて痒い)の患者さんが過去に何人かおられましたが、WDEIAを強く疑うようなエピソードを有している人はいませんでした。しかし、このような患者さんも、そのうちWDEIAをおこさないとも限りません。ですから、我々医師は、報告されている例よりも実際ははるかに多い症例があるのではないかと感じており、販売中止が望ましいと考えていたわけです。別のところでも述べましたが、厚生労働省が危険性を公表したのは2010年10月で、自主回収したのは2011年5月です。なぜ2010年10月の時点で自主回収されなかったのかという疑問が私には払拭できません。
「茶のしずく石鹸」によるWDEIAをいったんおこしてしまうと、(加水分解コムギの含まれている)この石鹸は二度と使うことができないのは当然としても、今後小麦を絶対に食べられないのかというと、これは難しい問題です。まず、小麦摂取後の運動は危険ですからやめなければなりません。運動しないときも注意しなければなりませんが、小麦を完全に避けるというのは思いのほか大変です。主治医とよく話し合ってどの程度の小麦制限をすべきかを考えていく必要があります。小麦入り食品の代表は、パンとうどんですが、実際にはほとんどのソバにも含まれていますし、ラーメンやパスタにも入っていますから、麺類はほぼNGということになります。また、カレー、天ぷら、唐揚げ、ハンバーグ、ソーセージなどにも含まれていますから、食事から完全除去するのはかなり困難です。だからこそ、(株)悠香には早期に自主回収してほしかったのです。
WDEIAの原因となっていた「茶のしずく石鹸」に含まれていた加水分解コムギですは現在流通している石鹸(2010年12月8日以降に販売されたもの)にはすでに含まれていないそうです(しかし、それ以前に販売されたもので使われていないものが現在でも多数あると言われています)。さて、ここでひとつの疑問が出てきます。それは「加水分解コムギ」が使われているスキンケア・ヘアケア製品は他のメーカーからも多数販売されているということです(私が使っているシャンプーにも入っていました)。では、なぜ「悠香の石鹸」にだけアレルギーが発症したのでしょうか。これは推測になりますが、ひとつは、「悠香の石鹸」に含まれていた「加水分解コムギ」は分子量が大きいなど何らかのアレルギーを起こしやすい要因があったということ、もうひとつは石鹸ですから目の周りの敏感な部位をこすることによって「加水分解コムギ」が体内に侵入しやすかったこと、が考えられます。
最後に、診察室でしばしば感じるアレルギーに関する「誤解」について述べておきたいと思います。かぶれや薬疹が疑われる患者さんに対して、「化粧品(や薬)が原因の可能性がありますよ」と言うと、「そんなはずはありません。なぜならもう半年間も使っているからです」と答える人がいます。ですが、通常アレルギーというのは使い続けるうちにでてきます。「茶のしずく石鹸」によるWDEIAも患者さんの多くは数ヶ月から数年間はまったく無症状だったのです。「過去にはなかったから・・・」というのはアレルギーを否定する根拠にはなりません。スギ花粉症でも、「生まれたときから・・・」という人はおらず、たいていは成人してから、なかには80歳を超えてから発症、という人もいるのです。
スキンケア製品が原因のアレルギー疾患というのは、ときに患者さんからも医療者からも疑いにくく、疑っても証明するのがむつかしいのですが、放置すると重症化することもあります。治療もケースバイケースで、小麦などのアレルゲン完全除去が必要な場合もあれば、そうでない場合もあります。症状出現時の対処方法も様々です。ですから、医師と患者さんがよく話し合って必要な検査・治療を適宜おこなっていかなければならないのです。
************
追記(2019年12月19日):その後の経過を報告します。まず、アレルゲンは「茶のしずく石鹸」に含まれる「グルパール19S」であることが判りました。グルパール19Sを含有した「茶のしずく石鹸」は、2004年3月~2010年12月までに約4650万個が約467万人に販売されました。これは日本人の成人女性の12人に1人が使用したことになります。
グルパール19Sによる小麦アレルギーの調査が2012年4月から2014年10月まで行われました。全国270の医療施設を受診した2,111例に確定診断がつきました。グルパール19Sを含むスキンケア製品は「茶のしずく石鹸」以外にもあることが分かりました(参照:医療ニュース2011年11月16日「茶のしずく石鹸」で66人が重症」)。
(株)悠香らを訴える弁護団が全国各地で形成されました。2019年3月29日、大阪府などの20~50代の男女20人が1人当たり1000万~1500万円の損害賠償を求めていた訴訟で、大阪地裁は製造物責任(PL)法に基づき、3社に対し全員に計約4200万円を支払うよう命じました。
参考:特殊型食物アレルギーの診療の手引き2015
毎日新聞2019年3月29日「「茶のしずく」訴訟 3社に賠償命じる判決 大阪地裁」
参考:
アレルギーの検査
医療ニュース
2011年11月16日「「茶のしずく石鹸」で66人が重症」
2011年5月21日「「茶のしずく石鹸」が自主回収」
2010年10月20日「小麦入り化粧品、特に”お茶石鹸”に注意」
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