はやりの病気
第63回 日本脳炎を忘れないで! 2008/11/25
一度発症率が減少した後に再び増加し注目されるようになった感染症を「再興感染症」と呼びます。代表的なものが、結核、デング熱、狂犬病などですが、私は日本脳炎が再興感染症に加えられる日が近いのではないかと考えています。
日本脳炎は、病気の名前が示すように日本に多い感染症でした。実際、1960年代までの日本では年間千人程度の患者数が報告されています。ところが、その後予防接種が普及し、また、水田耕作法や養豚方法が近代化された結果、患者数は激減し、最近の発症は年間10例未満となっています。
しかし、これは日本国内の話です。日本脳炎はアジア全域に発症が認められます。特に中国南部からインドシナ、インドあたりで多く、毎年約5万人が発症し、約1万5千人が死亡しています。これは狂犬病に次ぐ致死的脳炎と言えます。
この日本脳炎が再び日本で増加するかもしれない・・・、という話をしたいのですが、その前にこの高い致死率に注目してみてください。年間5万人の発症に対して、1万5千人が死亡、致死率はおよそ3分の1です。
中国南部やインドシナでは医療技術が未熟じゃないの・・・、そのように考えたとすれば、それは間違いです。日本脳炎は日本で発症したとしても、致死率はおよそ3分の1です。日本脳炎には特効薬がないのです。
さらに、残り3分の2が完全に回復するわけではありません。3分の1は神経障害など重篤な後遺症が残り、ほとんど寝たきりの生活となります。元気になって元の生活に戻れるのは3分の1のみなのです!
日本脳炎は日本脳炎ウイルスに感染することで発症しますが、ここで、日本脳炎ウイルスはどのようにしてヒトに感染するのかおさらいしておきましょう。
まず、日本脳炎ウイルスはヒトからヒトへの感染はありません。コガタアカイエカという蚊に刺されることで感染します。日本脳炎ウイルスは豚に感染していることがあるのですが、感染している豚の血液をコガタアカイエカが吸い出すことによって、コガタアカイエカの体内に日本脳炎ウイルスが移動します。そして、そのコガタアカイエカが人の血液を吸うときに、血液を吸いだす前に血を固まりにくくするために唾液を分泌します。その唾液のなかに日本脳炎ウイルスが含まれており、ヒトの血中に移動するというわけです。
こう書くとかなりややこしいですが、要するに、コガタアカイエカが豚の体内に棲息している日本脳炎ウイルスをヒトの血液内に運んでいると考えれば分かりやすいかと思います。ですから、ヒトからヒトへの感染はありません。
日本での日本脳炎発症例は、現在年間10例未満ですが、実は豚の日本脳炎ウイルスの抗体保有率はかなり高いことが分かっています。地域にもよりますがおおむね50%を超えるという調査が多いようです。(「抗体を保有している」というのは、その豚が日本脳炎ウイルスに罹患しているという意味です)
豚の多くが日本脳炎ウイルスに罹患していることを考えると、日本脳炎発症者が年間10例未満というのは少なすぎるように思えます。これはなぜでしょうか。
実は、ヒトがコガタアカイエカを通して日本脳炎ウイルスに感染しても、全員が発症するわけではありません。日本脳炎を発症するのは、感染者の100人から1,000人にひとりくらいの割合と言われています。つまり、ほとんどの人は日本脳炎ウイルスに感染しても自覚症状のないまま治癒しているのです。(これを「不顕性感染」と呼びます)
ただし、その100人から1,000人のひとりに選ばれれば(別に選ばれているわけではありませんが)、大変な事態になることは先に述べた通りです。
さて、私はその日本脳炎が今後日本で増えることを危惧しています。その理由をお話します。
まず、ひとつめは、日本脳炎ウイルスに感染している豚が増えている可能性があることです。今年(2008年)の7月に三重県でおこなわれた調査では、検査した豚すべてから抗体が検出されています。8月には鹿児島県で日本脳炎ウイルスに感染した豚が基準値を超えたことにより、日本脳炎注意報が発令されました。
ふたつめの理由は、日本脳炎ウイルスのワクチン接種をおこなうのが現在むつかしくなっているということです。日本脳炎が日本で急激に減少した最大の理由はワクチンの普及ですが、そのワクチン接種が現在非常に困難な状態にあるのです。
これは、2004年に山梨県の14歳の女子が日本脳炎のワクチン接種が原因で、ADEM(急性散在性脳脊髄炎)と呼ばれる意識障害や手足が麻痺する病気になったことを受けて、2005年に厚生労働省が「現行のワクチンでの積極的推奨の差し控えの勧告」をおこなったことが原因です。「積極的推奨の差し控えの勧告」とはずいぶん分かりにくい表現ですが、要するに「日本脳炎ウイルスのワクチンはキケンかもしれないから積極的に打たないでね」と言うことです。
現行のワクチンが使えないなら、安全なワクチンを開発すればいいわけですが、ことはそう簡単には進みません。厚生労働省のワクチン差し控え勧告を受けて、国内のメーカー2社が危険性の低い新しいワクチンを開発していましたが、「接種部位が腫れる」などの副作用が出現し、追加臨床試験が必要となり現在も審査の途中です。供給開始は早くても来年度(2009年度)以降になる見通しです。
このようにワクチン接種をおこないにくい状況のなか、2008年10月には茨城県で2人の日本脳炎発症者が確認されました。先に述べたように日本脳炎を発症するのは、100人から1,000人にひとりですから、単純に計算して、茨城県では1月の間に200人から2,000人が日本脳炎ウイルスに感染したことになります。
日本脳炎には地域的な偏りがあることが分かっています。関東地方よりも中国・四国・九州地方に圧倒的に多いという特徴があります。茨城県でひと月の間に2人の発症者が出たということは、今後西日本でさらに大勢の罹患者が現れる可能性があります。
日本脳炎を危惧しなければならないのは本来ワクチンを接種すべき年齢にある小児だけではありません。実は、日本脳炎ウイルスのワクチンは生涯有効ではないのです。ですから、感染の可能性がある人は子供の頃にワクチンをうっていても抗体検査をおこない、抗体が消えていればワクチンの追加接種を検討すべきです。(実は、最近私も抗体検査をおこなったところ「陰性」でした。早速ワクチンを接種しましたがこのワクチンは厚生労働省が「差し控え勧告」をおこなっているものです)
近所に豚がいない人は日本脳炎なんて気にしなくていいんじゃないの・・・。そう思う人がいるかもしれません。その地域から離れなければたしかにそうかもしれませんが、これだけ海外旅行がさかんになると海外(というより日本脳炎に関してはアジア)での感染を考えなければなりません。そして、このことが、私が日本脳炎増加を危惧する3つめの理由です。
A型肝炎ウイルス、B型肝炎ウイルス、狂犬病などと比べると、「海外に行く前に日本脳炎のワクチンを」と言われることはあまり多くはありませんが、私はこれを不思議に思っています。
アジア全域で年間5万人が発症しているということは、単純計算で年間500万人から5,000万人がウイルスに罹患していることになります。そして、もう一度言いますが日本脳炎を発症すると回復するのは3人に1人のみなのです。
1日も早く安全性の確立した新しいワクチンが誕生することを願いたいものです・・・。
参考:
医療ニュース2008年8月29日「鹿児島で日本脳炎注意報」
医療ニュース2008年8月1日「日本脳炎の新ワクチンは2009年以降に」
医療ニュース2008年7月24日「豚が近くにいる人は日本脳炎に注意を!」
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