はやりの病気

2017年11月 私の苦い体験と残念な薬剤師

 その電話は土曜日の診察終了間際、午後8時の少し前にかかってきました。
 
 太融寺町谷口医院(当時は「すてらめいとクリニック」という名称。以下「谷口医院」)をオープンして間もない2007年のことです。他府県在住の若いカップルからの電話で、「コンドームが破れた。緊急避妊をお願いしたい」という内容でした。

 緊急避妊薬は海外では薬局で買えますが、日本では医療機関で処方しなければならないことになっています。通常、緊急避妊をおこなうのは(大きな)病院ではなく診療所/クリニックです。科としては婦人科か、谷口医院のような総合診療をおこなっているところ、それに一部の内科クリニックとなるでしょう。すべての科でおこなっているわけではありません。

 その他府県のカップルがわざわざ谷口医院に電話してきたのは、「近くに開いているクリニックがないから」です。当時の谷口医院は土曜日も午後8時まで受付をおこなっており(現在土曜は午後7時まで)、他には受診できるところがないと言います。ですが、私はその晩、所用で最終の新幹線に乗らなければなりませんでした。その電話がかかってきたときには、まだ待合室に10人以上の患者さんが診察を待っていました。そのカップルは車を飛ばしても8時には間に合わないと言います。このカップルを診察すると最終の新幹線に間に合わなくなる可能性が出てきます。少し悩んだ挙句、私は「当院では対応できない。救急病院を受診してほしい」と答えました。

 翌日、私はずっとこのカップルのことが気になっていました。いえ、今こうしてこのことを書いているくらいですから、10年が過ぎた今もこの記憶が私を苦しめています。なぜあのとき受け入れなかったのか…。私の「所用」はカップルのお願いを断るほど重要だったのか…。最終の新幹線に間に合わなかったとしても深夜バスを利用すれば済む話だったのではないか…。

 このことが頭をよぎるとき、いつも考えてしまうことがあります。日本ではなぜ薬局で薬剤師が緊急避妊薬を販売しないのでしょう。海外では当たり前のようにおこなっているのに、です。もちろん、この問題に気付いているのは私だけではありません。実際、2017年7月に開催された「第2回医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議」(通称「スイッチOTC検討会」)では、緊急避妊薬を薬局で販売できるようにすべきではないかという議題が取り上げられました。ですが、肝心の薬剤師が同意しないのです。

 はっきり言えば、薬剤師のこの考え、情けなくないでしょうか。私たち日本の薬剤師は海外の薬剤師と違ってそんな難しいことできませーん、と宣言しているようなものです。確かに緊急避妊の説明は簡単ではありません。単に理屈を覚えればいいわけではないからです。生理学、薬理学、産科学の知識に加え、心理的なケアや社会的な配慮もおこなわなければなりません。なかにはデートレイプの被害ということもあります。被害者に不適切な発言をすると「セカンドレイプ」となり余計に苦しめることになります。また緊急避妊は繰り返す人が多いですから、今後の避妊についても話をしなければなりません。ですから相応の勉強や研修が必要になります。

 もしも私が薬剤師なら、薬剤師会に申し入れをして「緊急避妊こそ薬剤師の仕事だ!」と訴えます。そもそも性行為というのは日中よりも夜間におこなわれることが多いものです。そして緊急避妊は早ければ早いほど成功率が上がるわけです。そして、都心部には深夜まで開いている薬局があります。一方、診療所/クリニックは夜遅くまで開いておらず(特に土曜日!)、また大病院の救急外来はどこもいっぱいで、受診時に症状のない緊急避妊希望者は後回しにされることが多いのです。

 もうひとつ、私が薬剤師に期待したいこと、というか、情けないと思うことがあります。それは、現在連日のようにメディアに取り上げられている「ヒルドイドを始めとするヘパリン類似物質をなぜ薬剤師が販売しないのか」ということです。

 これについては、以前にも述べました(「はやりの病気第161回(2017年1月)「保湿剤の処方制限と効果的な使用法」)。私が言いたいのは、「ヒルドイドやビーソフテンといったヘパリン類似物質は単なる保湿剤であり、わざわざ医療機関で処方するものではなく、海外では薬局で販売されているし、日本でもすでに一部のヘパリン類似物質は薬局で販売されている。ヒルドイドやビーソフテンの製薬会社が医療機関での処方に固執しているのは事実だが、なぜ薬剤師が自分たちにやらせてくれと言わないのか」ということです。

 2017年10月6日、健康保険組合連合会が公表した「政策立案に資するレセプト分析に関する調査研究III」(76-94ページ)で、ヘパリン類似物質の処方が全国で年間93億円にのぼると推計されています。これは各メディアも報道しており、「ヒルドイドやビーソフテンを治療ではなく単なるスキンケア製品として求める患者(患者ではありませんが)が多い」と言われています。

 しかし我々臨床医の立場からすると、ここはきちんと区別しなければなりません。谷口医院でもオープンした2007年から「スキンケア製品として(または化粧水として)ヒルドイドかビーソフテンを処方してほしい」という初診の患者(患者ではありませんが)が、ちょこちょこやって来ます。もちろん、そのような理由では処方できない、ということを説明しますが(そして保険診療のルールをそれなりに丁寧に説明しているつもりなのですが)、「お金払うって言ってるでしょ!」と捨てゼリフを吐いて帰る人もそれなりにいます。

 ですが、例えばアトピー性皮膚炎や他の慢性湿疹でステロイドまたはタクロリムスでの治療が奏功して炎症がまったくなくなりあとは乾燥だけとなった場合は、再び炎症を起こさないためにヘパリン類似物質を使うことはよくあります。というより、いかに「保湿」が重要であるかの説明をおこない、幾種類もある保湿剤のなかでいかにヘパリン類似物質が有効かという説明をします。ですが、ヒルドイドやビーソフテンには「処方制限」(詳しくは「保湿剤の処方制限と効果的な使用法」)があるので、薬局やネット販売のものも探してね、という話をします。

 先に述べた緊急避妊薬の場合は、心理的、社会的な背景にまで踏み込む必要があり、単に教科書的な知識だけでは対応できません。それなりのトレーニングが必要です。ですが、ヘパリン類似物質の場合は、他のスキンケア製品の販売とほとんど変わらないといっても言い過ぎではありません。実際、すでに一部のヘパリン類似物質は薬局や化粧品屋で販売されているのです。

 もしも私が薬剤師なら、薬剤師会に対して、「ヘパリン類似物質はすぐに薬局で医師の処方せんなしで薬剤師が販売できるようにすべきだ。ヒルドイドやビーソフテンの製薬会社にも訴えるべきだ!」と主張します。

 ちなみに、私がよく行く近所の薬局は夜遅い時間まで開けてくれているので助かっています。私はそこで格安のお菓子やインスタントラーメンをまとめ買いしています。品揃えの豊富さとスーパー顔負けの安さにはいつも感謝しています。

 ですが、薬剤師が声を張り上げてセール品の案内をしているのを目にすると、感謝の気持ちが残念な気持ちに変わっていきます…(注1)。

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注1:残念な薬剤師については過去のコラムでも書いたことがあります。下記を参照ください。

参考:メディカルエッセイ第154回(2015年11月)「「かかりつけ薬局」という幻想」

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