はやりの病気
第160回(2016年12月) choosing wiselyで考えるノロウイルス対策
毎年冬になると集団感染を起こすノロウイルスが今年も猛威を振るっています。連日のようにマスコミでも報道され、「集団感染」「死亡」といった文字も目にします。また、感染力が極めて強い恐怖の感染症というイメージもあるようで、太融寺町谷口医院にも「ノロだったら大変だと思ったので受診しました」という患者さんは少なくありません。
しかし、結論から言えば、健康な成人であればノロウイルスに感染したとしても水分摂取が可能なら「検査」も「治療」も必要ありません。むしろ、しんどい身体をひきずって医療機関を受診すれば、待合室でインフルエンザなど他の感染症に感染するリスクが増えます。つまり、医療機関を受診したばかりに、かえって健康から遠のいたという笑えない話も実際にあるのです。
不要な医療をおこなわないというのは「choosing wisely」の基本コンセプトです。choosing wiselyについてはこのサイトで何度も紹介していますが、もう一度どのようなものか簡単に振り返っておきたいと思います。発端は、アメリカ内科学委員会(American Board of Internal Medicine)がいくつもの学会に働きかけ「不要な医療行為」を挙げてもらい、それをリストにしたものです。現在多くの国でこのキャンペーンが実施されています。
そこで米国のchoosing wiselyのウェブサイトで「ノロウイルス」でキーワード検索をしてみました。結果は「検索数ゼロ」。実は、後で述べるようにこれは予想していたことです。では「胃腸炎」もしくは「腸炎」で検索をしてみると、1件だけヒットしました(注1)。その内容は、「小児の胃腸炎での補液はどうしても経口摂取できないときに限らなければならない」というものでした。
以前も述べたことがありますが、日本には「点滴神話」というものがあり、何かあれば点滴、と考えている人が大勢います。しかし、医学的にみて点滴が必要なケースというのはそう多くはなく、例えば「疲れているとき」「熱があるとき」「風邪の症状があるとき」などでは水分摂取が可能なら点滴は不要です。
では、胃腸炎を起こしているときはどうでしょうか。この場合も水分摂取が可能なら点滴は不要です。ただ、私の経験からいっても、小児の場合は、受診時には安定していても、しばらくすると突然嘔吐しだし、その後水分が摂れず点滴をせざるを得ないというケースがしばしばあります。
ですから、小児(及び簡単に脱水になりやすいやせた老人)については点滴の”敷居”が低くなるのは事実です。ですが米国ではchoosing wiselyのサイトで、その小児に対しても点滴は慎むように勧告しているのです。わざわざ「小児において」という注釈がついているのは、成人であれば”当然”点滴は不要だからです。欧米では、成人に対しめったなことで点滴をおこないません。
私はタイのエイズ施設でボランティアをしていた頃に、この考えを欧米の医師たちからさんざん思い知らされました。なにしろ、エイズ末期の自力で水分を摂れないような患者さんに対しても点滴はしてはいけない、と言うのです。これは日本の医療と随分異なります。最近はいわゆる「延命治療」に反対し、心臓マッサージや人工呼吸器の装着を拒否する患者さん、胃瘻を求めない患者さんが増えています。しかし、点滴まで拒否する患者さんやその家族というのはそう多くありません。一方、欧米ではこのようなケースでも点滴は原則としておこなわないのです。
もちろん、欧米でもノロウイルスに感染した成人に対し、点滴を一切おこなわないということはないはずです。嘔吐が激しく水分がとれないときには一時的に点滴をおこなうことになるでしょう。しかし、choosing wiselyに成人の点滴の記載がないのは、おそらく医師も患者も「点滴は最小限にすべき」という考えが身についているためにわざわざ文章にして警告する必要がないからだと思います。
choosing wiselyの日本版というのは現在作成中であり、現時点では充分なものではありません。であるならば、谷口医院の患者さんに合わせたものを自分でつくってしまえばいいというのが私の考えです。ノロウイルスを含む感染性胃腸炎で私が患者さんに言っているのは次のとおりです。
①軽症ならそもそも医療機関受診が不要。
②水分摂取が可能なら点滴は不要。
③ノロウイルスの迅速検査は入院を要するほどの重症でなければ不要。
④薬も特に使う必要はないが、整腸剤(プロバイオティクス)や吐き気止めは用いてもよい。
⑤高熱があれば解熱鎮痛剤はアセトアミノフェンを用いる。(ロキソニンやボルタレン、ブルフェン(イブプロフェン)といったNSAIDsは胃腸に負担がかかるから使うべきでない。市販のものでも同じ)
⑥下痢止めは原則として使わない(かえって治癒が遅れる)。
⑦最善の治療は水分を多量にとって便をたくさん出すこと。
⑧高熱、血便、激しい倦怠感、持続する嘔吐などがあれば、それがノロウイルスかどうかは別にして医療機関受診が必要。
⑨予防は、カキの生食を避け、手洗いをしっかりする。
補足しておきます。③の「検査」を希望する人がいますが、これはそもそも成人の場合は保険適用がありません。保険で調べることができるのは「3歳未満か65歳以上。または悪性腫瘍は腎不全などの基礎疾患がある場合のみ」です。なぜこのようなケースで保険適用があるかというと、このような患者さんは重症化することがあるからです。ノロウイルスには特効薬がありませんから、検査で陽性であっても陰性であっても治療に変わりがないのです。しかも迅速キットの精度は低く、陰性(感染していない)と出ても、実際には感染していることもあります。こんな検査をおこなうためにわざわざ医療機関を受診することに意味はないのです(注2)。
ノロウイルスの迅速検査をおこなう意味があるのは、重症化し入院する場合です。この場合確定診断をつける必要があります。ノロウイルスと思い込んでいて別の疾患であったということは避けなければなりませんから、陰性という結果がでても繰り返し検査をおこなうこともあります。もちろん、他の感染症の検査もおこないます。
予防の補足をしておきます。⑨にあるようにカキの生食は可能な限り避けるべきです。ちなみに私は医学部の5回生のときに「医師は生ガキを食べてはいけない」と大学病院の先生に言われ、その教えをずっと守っています。ワクチンがなく、感染力が非常に強く、カキに高率に感染しているノロウイルスから身を守るのは、「カキを食べるなら加熱する」に限るのです。
予防に関してもうひとつ補足をしておくと、手洗いには石ケンを使い、アルコールも補助的な使用を検討すべき、ということです。ノロウイルスは石ケンもアルコールも無効と言われることがありますが、これは必ずしも正しくありません。ノロウイルスはエンベロープ(注3)を持たないウイルスで石けんとの親和性はよくありませんが、まったく無効というわけではありません。アルコールは医療者のなかにも誤解している人がいますが補助的に用いるのは有効です(注4)。
************
注1:下記を参照ください。
注2:ノロウイルスの迅速検査の「感度」はせいぜい50-70%程度であろうと言われています。これは実際に感染している100人に検査をして「感染している」という結果となるのが50-70人しかいないということです。その程度の検査なのです。一方で、精度の高い検査(PCR法)などもあります。この検査は医療機関ではおこなうことができません。保健所など公衆衛生に従事する機関がおこないます。高齢者の施設やホテルなどでの集団感染の調査に必要だからです。
注3:下記を参照ください。
毎日新聞「医療プレミア」
病気を知る実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-「手洗いの”常識”ウソ・ホント」
注4:下記を参照ください。
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