はやりの病気
第97回 新しいHPVワクチンと尖圭コンジローマ 2011/9/20
待望のHPVワクチン、サーバリックスが日本で発売されたのは2009年12月のことでした。私は、「このワクチンが発売されたことは歓迎し普及につとめたいと思うが、公費負担が広がることはないだろう」、という予測を立てて、それをコラム(下記参照)で述べました。
ところが私の予想に反して、新潟県魚沼市の公費負担の発表を皮切りに全国の自治体で次々と全額負担、もしくは一部負担が発表されていき、私の予測はまったく外れてしまいました。しかし、今のところ教育現場で混乱が起こっているという話もあまり聞きません。これだけワクチン普及が上手くいっているのは学校の先生をはじめとする教育者の方々の努力の賜物だと思います。もちろん、地域の産婦人科医やプライマリケア医、行政、市民団体などの貢献も小さくありませんが、現場で生徒とその父兄にHPVワクチンの話を直接されている学校の先生方の苦労は相当なものだと思われます。
私が小学生や中学生にHPVワクチンが普及しないと考えていた理由は、まだ性交渉の経験がない女子生徒に対して、まず性交渉の説明をして、性交渉で感染する感染症があることを説明して、そのひとつがHPVであることを伝えて、さらにHPVに感染したからといってそのなかの一部の人しかガンにはならないということを話し、ワクチンを接種したとしても子宮頚ガンの定期的な検査は必要なのですよ、ということを説明し理解を得るのが相当困難であると考えていたからです(今でもそう考えています)。さらに、これを父兄にも伝えなければならないわけです。
学校の先生の説明の仕方によっては、生徒に対して悪影響を及ぼすということがなかったとしても、父兄からクレームが来ないかということを心配します。また、教育現場で性の話をすると一部の保守的な市民団体や政治団体からクレームや、ときにはあからさまないやがらせを受けることもありえますから、そういったことも気になります。
サーバリックスの発売から遅れること1年9ヶ月、もうひとつのHPVのワクチンであるガーダシルが2011年9月についに日本でも発売となりました。ガーダシルは日本ではサーバリックスに遅れをとるかたちとなりましたが、世界的にはガーダシルの方が先に市場に登場していますし、市場占有率(シェア)もガーダシルの方が上です。(サーバリックスとガーダシルのどちらを中心に扱っているかは国によって様々で、例えば英国ではサーバリックスが国の無料プログラムに取り入れられています。米国では州にもよりますがガーダシルを採用している地域の方が多いようです)
さて、日本では、ガーダシルが発売となったことで、公費負担がある地域ではどちらを選択するかという議論が出てくるでしょうし、医療の現場でもどちらをすすめるか、という課題がでてきます。
ここで簡単にサーバリックスとガーダシルの違いを確認しておきたいと思いますが、その前にHPVについておさらいしておきましょう。HPV(Human Papilloma Virus)というウイルスには100種類以上のサブタイプがあり、どのサブタイプがどのような疾患の原因になるかというのはある程度わかっています。例えば、尖圭コンジローマなら#6と#11であることが多く、子宮頚ガンなら#16と#18に多いことは知られています。しかし、#16と#18以外にも、例えば、#31、#41、#51、#52なども子宮頚ガンを起こすことがあります。子供の手指などによくできるイボ(尋常性疣贅(じんじょうせいゆうぜい)と言います)は、#2、#4、#7に多いことがわかっていますが他のサブタイプでも起こりえます。ときに尖圭コンジローマとの鑑別に悩むことのあるBowen様丘疹という性器にできるイボは悪性化することもある放置してはいけないイボですが、これは#16で起こりやすいことが分かっています。
このように多くの種類があるHPVに対し、サーバリックスは#16と#18にのみ有効です。2つのサブタイプに有効ですからサーバリックスは「2価ワクチン」と呼ばれます。一方ガーダシルは#16と#18以外にも尖圭コンジローマの原因となる#6と#11にも有効で、合計4つのサブタイプに対する効果がありますから「4価ワクチン」と呼ばれます。
では話を戻しましょう。教育現場でどちらのワクチンをすすめるか、ですが、まず価格が重要になると思われます。全額公費負担ならどちらでも接種者負担はゼロですから代わりありませんが、公費負担が部分負担である場合、あるいは医療機関で成人が接種する場合は、どちらかを選ぶ際に値段がひとつの重要な要因となるでしょう。
次に、価格が同じとき、あるいは、価格を考えずに効果だけを考える場合にはどうすればいいでしょうか。
アジュバント(adjuvant)という言葉をご存知でしょうか。これはワクチンに添加することにより、予防効果を高めることのできる物質のことです。サーバリックスとガーダシルでは異なるアジュバントが使われており、サーバリックスの発売元であるグラクソ・スミスクライン社によれば、サーバリックスのアジュバントがガーダシルのそれよりも効果があるそうです。しかし、双方のワクチンの約7年間の研究では、どちらも#16と#18に対するワクチンの効果はほぼ100%であり、現時点では臨床的に有意差があるわけではありません。
次に、ガーダシルの最大の特徴である#6と#11の効果についてみていきましょう。こちらもワクチン接種でほぼ100%防げると言われており、尖圭コンジローマが大変やっかいな感染症であることを考慮すると、サーバリックスよりもガーダシルに分がありそうに思われます。(尖圭コンジローマについては下記コラムも参照ください) しかし、ワクチンの対象となる女子生徒のお母さんと話をしている医師に聞くと、「うちの娘は性病とは無縁です! 子宮頚ガンの予防だけで充分ですからサーバリックスにします」と言われることがあるそうです。HPVも性交渉を通して感染するわけですから、このお母さんの理屈は筋が通っていないように思われるのですが、このような声が実際にあるそうです。
今後、ワクチンを接種する女子生徒の親御さんに2つのワクチンの違いを説明しなければなりません。私は、この説明の際に誤解やトラブルが生じないかということを懸念しています。尖圭コンジローマという感染症を説明するときに、「尖圭コンジローマとは性器にできるイボです」と言われてもピンとこないでしょう。写真を見せればどのような疾患か理解しやすいですが、外性器の写真を女子生徒やその親御さんに見せることに問題がないとはいえません。(私は、女子生徒も聴講するHIV関連の講演をおこなうとき、講演の主催者と話をして外性器の写真をスライドから外すことがしばしばあります) HPVと子宮頚ガンの関係ですら理解を得るのが相当困難であるところに、尖圭コンンジローマについても説明しなければならないとなると、よほど上手く話さなければ誤解を招く恐れがあります。
ところで、尖圭コンジローマという疾患は男性にも起こります。また一部の肛門ガンや陰茎ガンもHPVのハイリスク型(#16や#18)の関与が報告されています。ということは、男性からもガーダシルを接種したいという声が当然でてきます。実際、アメリカではFDA(食品医薬品局)が男性への接種を承認していますし、ガーダシルの公費接種をいち早く始めたオーストラリアでも男性への接種が普及しているそうです。
日本でもガーダシル接種を希望するという男性は多いのですが(すでに太融寺町谷口医院にも数人の男性から問い合わせが入っています)、ガーダシルの販売元であるMSD社によれば、「日本では男性については承認をとっておらず今後も申請する予定はない」そうです。海外では何の問題もなく接種できるワクチンが日本では認められないわけですから、接種を希望する男性からみれば不公平という気持ちになります。ガーダシルには保険適用がなく成人女性も自費で接種しているわけですから、「(女性と同じように)お金を払うといっているのに何で打ってくれないの?」という声がでてくるのは当然でしょう。我々医師の立場からみても、尖圭コンジローマが何度も再発し精神的にも相当しんどい思いをされた患者さんのことを考えると(注1)、男性も接種できる日が来ることを願いたいと思います。
尖圭コンジローマという厄介な疾患に対する理解が広がれば、女性からだけでなく、男性からも「副反応などがでても自己責任で接種をしたい」という声が増えていくのではないかと私は考えています。また、時間はかかるでしょうが、教育の現場でも尖圭コンジローマという感染症についての理解が広がり、生徒たちに性感染症について考えてもらえる機会が増えることを願いたいと思います。
さらに、尖圭コンジローマはコンドームをしていても感染しますから、「コンドームで性感染症がすべて防げるわけではなく、性感染症の予防で最も重要なことは、自身が誠実になりお互いが信頼しあうこと」という考えが普及することを切に願います。
参考:
メディカルエッセイ第89回(2010年6月)「日本は「ワクチン後進国」の汚名を返上できるか」
はやりの病気第77回(2010年1月)「子宮頚ガンのワクチンはどこまで普及するか」
NPO法人GINAウェブサイトより「悩ましき尖圭コンジローマ」
注1:すでに尖圭コンジローマを発症している人にワクチン接種をしたとしても、感染しているHPVを退治することができるわけではありません。しかし、臨床的に「再発」ではなく、「再感染」して尖圭コンジローマを発症していると思われる患者さんもおられますから、女性だけでなく男性からも需要があるのは当然だと思われます。
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