はやりの病気

第251回(2024年7月) 乳がんに伴う2つの誤解

 谷口医院の17年半の歴史のなかで、最も多数見つかったがんは子宮頸がん、そして2番目に多いのが乳がんです。子宮頸がんが最多であるのは当然といえば当然で、当院は「婦人科」を標榜していませんが(=看板を出していませんが)、2007年の開院当初から、月経困難症、子宮内膜症、子宮筋腫、更年期障害、性感染症などの診療をしていますから、視診上(内診上の所見で)がんを疑えばその場で検査をしています。また、いわゆる「がん検診」(大阪市民なら400円)で発見されることもまあまああります。

 他方、当院では「乳がん検診」をしていません。その理由はマンモグラフィーという特殊なレントゲン設備がないからです。つまり実施しようと思ってもできないのです。ときどき超音波検査(エコー)で「乳がん検診をしてほしい」と依頼されますが、原則として症状のない人の超音波での検診もお断りしています。私の技術に自信がないからです。

 症状がある場合(つまりしこりがある場合)は、その部位の超音波検査を実施すればがんの疑いがあるか否かは診断できますが、これは通常の「診察」です。他方、検診というのは「無症状の(つまりしこりが触れない)ときの検査」になります。私がいくら丁寧に超音波検査を実施しても、毎日何人もの乳がん検診を超音波検査で実施している乳腺外科医や放射線技師にはかなわないのです。

 しかし、当院をかかりつけ医にしている女性に「乳がん検診を受けていますか」という質問はできるだけするようにしています。受けていない人には受けられる医療機関を紹介します。当然といえば当然ですが、これにより乳がんが見つかることがまあまああります。また、先述したように乳房にしこりを訴えて受診する患者さんには私自身が超音波検査を実施して乳がんが見つかることがあります。かくして、谷口医院で(+谷口医院が乳がん検診を促したことで)乳がんがみつかるケースは少なくないのです。

 当院の患者さんからの声を集めると、乳がんには2つの大きな誤解があります。

 ひとつは「乳がん検診は精度が低い」というものです。これは完全に誤解で、検診を受けたから早期発見できたという事例は枚挙に暇がありません。しかし「検診を受けていたのに診断がついたときには手遅れだった」という事例は少数でも目立つために、メディアに取り上げられることも多く、何かと話題になります。検診で見逃される例としては、「乳首の真下にがんができていてマンモグラフィーでも超音波でも分かりにくいとき」、「がんなのにしこりができなかったとき」、「乳房全体が腫脹してしこりとなっていないとき」などです。しかし、大半は乳房にしこりができるタイプですから、検診を受けない選択肢はありません。

 もうひとつの誤解は「乳がんは治りにくい」で、こちらも完全な誤解です。しかし、この誤解が蔓延っているために、乳がんが見つかったときに手術や化学療法を拒否して民間療法で治そうとする人がいます。「乳がんは治すことのできるがんですよ」という話をすると、決まって言われるのが「小林麻央さんが治療を拒否したのは現代医療では治せないからでしょ」というものです。

 私は(恥ずかしながら)小林麻央さんという人を知らなかったのですが(テレビを見ないので)、アナウンサーをされていたそうですから、医療に対してもある程度の知識はあったのではないでしょうか。また、人脈が広く医療者の知り合いもいたでしょうから、現代医療を拒否されたのには何か事情があったはずです(小林さんを知らない私が推測するのは失礼であることは承知していますが、世間の誤解を解くために意見を述べることを許していただきたいと考えています。小林さんの話は次回にも登場します)。

 乳がんには(病理学的に)3つのタイプがあります。最近はインターネット上で分かりやすいサイトがいくらでもあると思いますが、ここでもそれら3つのタイプを簡単にまとめてみたいと思います。タイプは病理学的な分類(顕微鏡でどのような細胞が存在しているかに基づいた分類)です。

・ホルモン受容体陽性乳がん(乳がん全体の約70%)
・HER2(「ハーツー」と呼ばれます)陽性乳がん(乳がん全体の15~20%)
・トリプルネガティブ乳がん(乳がん全体の15~20%)

 ここでややこしいのは、ホルモン受容体が陽性で、かつHER2も陽性の乳がんもあるからです。だから、単純な病理学的分類ではなく、合計が100%になるように分類すると次のようになります。

・ホルモン受容体陽性かつHER2陽性の乳がん
・ホルモン受容体陽性でHER2陰性の乳がん
・ホルモン受容体陰性でHER2陽性の乳がん
・トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体もHER2も陰性)

 しかし、まだ腑に落ちないところがあります。「トリプル」ネガティブと言っておきながら、1つめがホルモン受容体、2つめがHER2なら、3つめは?という疑問がでてくるからです。実は、ホルモン受容体には2つあって、1つはエストロゲン受容体(ER)、もうひとつはプロゲステロン受容体(PgR)です。つまり、「トリプル」は、ER、PgR、そしてHER2の3つ、トリプルネガティブとは、ER、PgR、HER2のすべてが陰性という意味です。

 
ホルモン受容体陽性の乳がんは、ER、PgRが陽性か陰性かでルミナールAとルミナールBの2種類に分けられます(ルミナールは「ルミナル」と書かれている文献もあります)。基本的に、ルミナールAはER、PgRの双方が陽性、ルミナールBはERが陽性、PgRは陰性(ただしさらに複雑なことに例外もあります)です。尚、ERが陰性、PgRが陽性の乳がんはありません(そのはずです)。これらをまとめなおすと次の5つになります。

#1 ルミナールA+HER2陰性の乳がん
#2 ルミナールB+HER2陰性の乳がん
#3 ルミナールB+HER2陽性の乳がん
#4 ホルモン受容体陰性でHER2陽性の乳がん
#5 トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体もHER2も陰性)

 ここまできてもまだすっきりしない部分が残るのは、「ルミナールA+HER陽性は?」が気になるからです。分類学上はこのタイプもあってよさそうですが、実際には(少なくとも文献上は)ほとんどありません。よって、もしもあなた(やあなたの大切な人が)が乳がんを宣告されたときには、まずこれら5つのどのタイプかを確認すればいいのです。

 治りやすさ(=予後)は、おおまかにいえば、#1>#2>#3>#4>#5となります。割合としては、#1+#2で約7割、#5が約15%、#4が8%、#3が7%程度です。

 さて、乳がんは治りにくいかどうかの話に戻りましょう。長々と説明してきましたが、最も予後が悪いのはトリプルネガティブであるというのは(少なくとも統計上では)事実です。では、トリプルネガティブの予後がどれくらい悪いのかというと、厚労省の資料では、トリプルネガティブの5年無再発生存率はⅠ期で90%程度、Ⅱ期で85%程度、Ⅲ期で40%程度とされています。つまり、最も予後が悪いトリプルネガティブでさえ、早期発見ができていれば(≒Ⅰ期の段階で発見できれば)、5年生存率は9割と"予後良好"とも言えるのです。検診がどれだけ重要かがよく分かるでしょう。

 では、小林麻央さんをはじめ、定期的に乳がん検診を受け、早期発見ができたのにもかかわらず治療を拒否したり、あるいは治療がうまくいかなかったりするケースがあるのはなぜなのでしょうか。また、今回は乳がんの病理学的な分類についての話だけで「遺伝性」については触れていません。それらの話は次回おこないます。