マンスリーレポート

2013年6月13日 木曜日

2010年2月号 強いられる勉強と本来の勉強

1月はセンター試験が実施されることもあって、私の元には年末あたりから受験の相談のメールが多数寄せられています。

 以前にも述べましたが、不景気になると「資格をとりたい」と考える人が増えるからなのか、社会の「勉強熱」が上昇してくるように感じています。ちょうど1年前のこのコラム(マンスリーレポート2009年2月号「”不況”を感じる2つの兆候」)で、2008年10月頃から、じわじわと医学部受験の相談数が増えてきていることをお話しましたが、その傾向は今も続いています。

 最近送られてくるメールの特徴としては、医学部受験以外の勉強をしている方からの相談が増えています。例えば、税理士や会計士といった資格をとるための勉強をしているという人、公務員試験や教員試験を考えているという人、子供の高校(あるいは中学)受験について相談にのってほしいという人、あるいは社会人枠の大学院を考えているといった人まで、勉強の目的は様々です。

 おそらく、「勉強の仕方」というのは、それが医学部であっても中学受験であっても、あるいは教員試験であっても、その本質は何ら変わることがないと考える人が増えてきたから、相談メールを私に寄せる人が増えてきたのではないかと私は考えています。

 拙書などでも述べましたが、効果的に勉強をし「合格」という目的を達成するためにはいくつかの”秘訣”があります。

 最も大切な”秘訣”は、なぜ自分がその勉強をするのか、医学部受験の勉強ならなぜ医師になりたいのか、その目的や動機をはっきりさせることです。「なんとなく医学部に行きたい」と「将来○○をするためにどうしても医学部に行くんだ!」というのでは、動機の強さが全然違ってきます。

 もちろん医学部受験(他の資格試験もそうでしょうが)は、決して簡単なものではなく、並大抵ならぬ努力が必要です。勉強に費やす時間もそれなりに必要になりますし、勉強のために犠牲にしなければならないものも少なくありません。それだけの苦労をしてでも、本当に医学部に行きたいのかどうか、ということは勉強を開始する前に何度も自問すべきです。

 「勉強とは本来楽しいもの」ということを私はこれまで何度も述べていますが、それは「本来の勉強」であって、受験を目的とした勉強は楽しさだけでは乗り切れません。当然受験勉強にはそれ相応のストレスがかかりますし、スランプという厄介なものもほとんど誰にでも(それも何度も!)やってきます。

 ですから、受験勉強の期間、上手に自分をコントロールするには効果的なストレス対策をおこなう必要があります。私は、この点については、拙書『偏差値40からの医学部再受験』で「光と闇」という理論を用いて紹介しています。ポイントを簡単に紹介すると次のようになります。

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 受験生の勉強は<生産的>であり、会社員の仕事や農民の作物生産に相当する。仕事ばかりしていると人間はいずれ破綻するため何らかの<闇>の行動が必要となる。例えば、農民は収穫後”祝祭”という行為を通してそれまで一生懸命つくってきた貴重な農産物や酒を一気に消費(浪費、あるいは”蕩尽”とも言える)することによってバランスをとっている。会社員であれば、典型例で言えば「のむ・うつ・かう」といった<闇>の行動を適度にとることによって、ストレスのかかる日常の仕事との間にバランスをとっている。受験生も同じように、勉強という生産行為で蓄積されたストレスをうまく発散(蕩尽)させなければ長期的な「勉強ロード」を乗り切れない。

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 要するに、勉強そのものがストレスを蓄積させるような受験勉強を上手に乗り切るには、確実にやってくる苦痛やストレスをコントロールする必要があり、それには「のむ・うつ・かう」に相当するような、短時間で一気にリフレッシュできるような<闇>の時空間が必要ですよ、ということを主張したかったわけです。

 さて、受験勉強がこのようにいくらかの苦痛を伴うものに対し、勉強そのものは本来楽しいものであるはずです。勉強することにより、新たな知識が増えて物の考え方が深くなりまた広がるわけですから、勉強しないのはもったいないことです。

 ところで、勉強という言葉が私は好きではありません。「勉を強いる」と言われているわけで「やりたくないことを強制される」というイメージにつながるからです。本来の勉強は、別の言い方、例えば「知の探検」とでも呼ぶ方がずっと的を得ているように私は考えていますが、こんなことを提唱しても誰も賛同してくれないでしょうから、やはり「勉強」としておきます。

 私に勉強に関するメールをくれる人(以前からの知人も含めて)のなかで、この本来の勉強をされている人が最近少しずつ増えてきています。「(学生時代は嫌いだった)日本史を本格的に勉強しだした」「京都や奈良の寺や神社の探索を本格的におこなっている」「世界の遺跡を訪問する計画をたてている」「(仕事のためでなく)中国語の勉強を開始した」、などです。

 このようなメールをくれる人は、私と同世代の40代前半の男女に多いような印象があります。おそらく、彼(女)らも、学生時代は勉強がそれほど好きでなくて、社会人となり様々な経験を経て、本来の勉強の楽しさに気づいたのではないでしょうか。

 勉強する方法は、昔に比べれば随分と選択肢が広がりました。私が最初に大学に行っていた頃(1987~1991年)は、必要な本を探すのに図書館で半日を費やし、英語の教材も充実していませんでしたし、あっても高価なものばかりでした。現在はインターネットが普及したおかげで、昔なら入手しにくかった発行部数の少ない書物でもすぐに手に入りますし、洋書も比較的簡単に、そして(昔に比べれば)安く買えます。本を買わなくても、インターネットで入手できる情報は格段に増えています。医学誌でも最近は、要約だけでなく論文そのものが読めるようになってきています。英字新聞はどこの国のものでもほとんど無料でいくらでも読むことができます。歴史や地理などはDVDを使って勉強するのも効果的です。

 誰にも強制されず自分の好奇心の向くままにおこなう勉強の面白さに気づくと、人生の楽しさが何倍にもなります。私の場合、たまの休日に日頃の疲れを癒す目的で興味ある分野の本を読み、老後の楽しみとして本格的な語学の勉強を考えています。そしてこういった楽しさを得るために必要なコストはごくわずかなのです。

 本来の勉強とは、低コストで楽しめる<闇>にもなるというわけです。

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2013年6月13日 木曜日

2010年1月号 「仲間」と過ごす時間

2009年の年末から2010年の年始にかけて、私は国内のある地方都市でゆっくりと過ごしました。

 新型インフルエンザの勢いは少しましになったとはいえ、多くの医師が年末年始もどこかの医療機関で寝食をできないほど忙しくしているなかで、私だけが(「だけ」というわけでもないでしょうが)、仕事もせずにのんびり過ごすことには抵抗がなかったわけではありませんが、日頃は自分自身の時間がほとんどとれませんから、たまにはいいだろう、と自分のなかで言い訳をした上で今回の休暇を決めました。

 思えば、医師になってから3年前までは、年末年始はどこかの病院で働いており(そのため3年前には楽しみにしていた高校の同窓会にも参加できませんでした)、昨年と一昨年はNPO法人GINA(ジーナ)の関連でタイに出張に行っていましたから、まったく仕事をせずにのんびりできたのは随分と久しぶりでした。

 去年(2009年1月)のマンスリーレポートにも書きましたが、私は年末年始に自分自身のミッション・ステイトメントを見直し、新しい一年間の目標を立てるということを10年以上前から続けています。

 今回ミッション・ステイトメントを改訂するにあたり、私が昨年までと比べて最も重要視したことは、「仲間との時間を大切にする」というものです。

 思い起こせば、いつの頃からか私は<付き合いの悪いヤツ>になっていたと思います。いえ、もう少し正確に言うと、「思い起こせば」、というよりは、「これまでもうすうす気づいていたが気づかないようにしていた」という方が正しいでしょう。

 いつから私は<付き合いの悪いヤツ>になってしまったのでしょうか。

 高校を卒業して、私は関西学院大学の学生となり4年後に卒業しました。その後は一般企業に就職して4年間過ごしました。この間は、決して付き合いの悪いヤツではなかったと思います。友達や先輩から誘われればよほどのことがない限り断りませんでしたし、むしろパーティや飲み会などは私自身が主催することが多かったと言えます。夜中に電話がかかってきても当たり前のようにでかけていました。会社に入ってからも、他部署の人や他の会社の人ともよく食事や飲み会にでかけていました。12月にはほぼ毎日が忘年会のような年もありました。

 それが、会社を退職し医学部受験の勉強を本格的に開始しだした頃から大きく変わりました。夜中に電話がかかってきても・・・、どころか、この頃の私はまず電話に出ませんでした。受験勉強が終わり、医学部に入学してからも、私は生活の中心を「勉強」に置いていましたから友達からの誘いは断ることの方が多くなっていました。医学部の6回生の頃には医師国家試験の勉強が始まり、さすがに電話に出ないというところまではいきませんでしたが、かなり付き合いは悪かったと思います。

 医師になってからは、休日がほとんどありませんでしたし、時間ができたとしても病棟に受け持ちの患者さんをみにいったり、救急外来に自主的に行ったりしていましたから、プライベートの時間はほぼありませんでした。最初の2~3年の間は、まだ医師としては駆け出しなんだからプライベートの時間など持つべきでない、とまで考えていました。

 クリニックを開業してからも、診察時間以外は事務仕事をしているか、他の医療機関に働きに行っているか、あるいはGINAの関連の仕事に追われることもあり、やはりプライベートな時間はほとんど持てませんでした。

 2009年を振り返ると、2007年、2008年に比べると、診療に費やす時間が少し減ったように感じています。2007年の後半から2009年の頭くらいまでは、毎日のように診察が終わるのが夜の10時を回り、それからカルテの記載や画像や採血データ、症例写真の整理などをおこなうと日付が変わっているのが普通でした。ところが、2009年の1月後半あたりから、患者数が減りだし、早ければ午後8時過ぎに、遅くても午後9時を少し回る程度で診察が終了できるようになったのです。

 これは、2008年秋に始まった世界的な不況と無関係ではないでしょう。「仕事がなくなり保険証がなかったので受診できなかったんです」と答える患者さんが少なくありませんし、いつの間にか来られなくなった患者さんのなかには、いまだに保険証がない人もおられるに違いありません。これまで通り来られている患者さんからも、「薬も検査もできるだけ減らしてください」と言われることがときどきありますが、このようなことを以前は経験したことがありませんでした。

 不況、そして医療費の支払に不安を感じている患者さんがいることは大いに問題で、早急に改善されなければならないことですが、その結果として、医療機関を受診する人が減り我々医療従事者は少し時間が取れるようになってきました。

 そんななか、昨年(2009年)の中ごろあたりから、偶然にも昔の友達からの連絡が頻繁に入るようになってきて会う機会が増えだしました。例えば、昔からの友人(というか後輩)に桂三若(かつらさんじゃく)という落語家がいるのですが、私はこれまで彼の舞台をほとんど見にいったことがありませんでした。たいがいは仕事と重なるからです。
 
 11月のある日、桂三若からメールで舞台の案内を聞いていた私は劇場まで足を運び、独演会を観賞しました。15年ほど前に舞台を見たときと比べてものすごく上手くなっていることに私は感動しました。彼とは再びメールのやりとりをしています。近いうちにはプライベートで飲みにいこうと考えています。

 また、12月には高校のミニ同窓会が開催されました。卒業20年後の大きな同窓会には参加できませんでしたし、小さな集まりにもこれまでは仕事を理由に不参加ばかりだったのですが、今回は参加することができました。高校卒業以来、22年ぶりに再会した同級生もいて、大変有意義な時間を過ごすことができました。

 また、他にも昔の友達からメールが届くことがあり、いつの間にか私のメールソフトの受信箱にはプライベートなメールが増えだしてきました。そして、初めて気づいたのですが、私のメールソフトには、プライベートなメールを保存するフォルダーがありませんでした。私は、頻繁にやりとりする人からのメールはカテゴリー別のフォルダーに入れて整理しています。例えば、よく使うフォルダーには「医師(からのメール)」「GINA関連」「プライマリケア関連」「患者さん(からのメール)」「トラベル」「ショッピング」、などがあります。どこにも当てはまらないメールはそのまま「受信箱」に入れたままにしています。

 昨年秋ごろから増えてきたプライベートな知人からのメールは、これまで「受信箱」に入れたままにしていたところを、新たに「プライベート」というフォルダーを作ってここに入れるようにしています。

 さて、私は今年、「仲間との時間を大切にする」というテーマ(ミッション)を大切にするつもりです。「プライベート」と命名されたフォルダーの中身が増えるだけでなく、実際に顔を見合わせて積もり積もった話をしたいと考えています。

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2013年6月13日 木曜日

2009年12月号 スポーツ医という仕事

太融寺町谷口医院にときどき来られる40代男性の患者さん(仮に「Mさん」としておきます)がおられます。

 Mさんは最初、「健康診断で中性脂肪が高いと言われた」と言って受診されました。健康診断の結果を見せてもらうと、中性脂肪が高いといってもたいしたことはありません。この程度なら薬を飲む必要がなく、食事と運動、特に中性脂肪は効果的な運動で大きく改善する可能性があることを伝えて、薬の処方はおこないませんでした。

 その3ヵ月後、Mさんは肩が凝ると言って受診されました。最近は頭痛や頭重感も自覚することがあると言います。しびれや腕の症状はなくレントゲン撮影までは必要なさそうです。私は、またもや薬を処方することなく、運動、特に肩や背中の筋力を鍛えるような運動をおこなうよう指導しました。

 その半年後、今度は「眠れない」と言って、Mさんは受診されました。Mさんは私に睡眠薬を処方してもらうつもりで受診されたようですが、眠れない→睡眠薬、と単純に話をすすめるわけにはいきません。よく話を聞いてみると、2か月前に勤務先で部署が移動となり、新しい環境に馴染めず上司ともソリが合わないと言います。さらに問診を重ねるとうつ状態になっていることが分かりました。

 しかし、うつ→抗うつ薬、と単純に考えるわけにもいきません。よく聞くと、週末におこなっている趣味のサークル活動(詳しくは聞いていませんが何やら同人誌の発行までおこなっているようです)はこれまで通り楽しくおこなっているようです。このようなケースでは、薬の力を借りなくても状況を客観的に見直すことによってうつ状態や不眠症状がとれていくケースが少なくありません。そして、生活のなかに運動を取り入れることをすすめました。運動は、それほど重症でない気分の落ち込みやうつ状態に有効なことが多いのです。

 Mさんは別々の訴えで私の元を3回受診されましたが、私は薬の処方は一度もおこなわず、3回とも「運動」をするように助言しました。

 このように、私は薬を処方する代りに(あるいは薬の処方と同時に)運動をすすめることが多いのですが、これは私に限ったことではなく、おそらく多くの医師が同じような助言をおこなっているのではないかと思われます。

 しかしながら、私は運動を助言してそれで満足しているわけではありません。というより、実は運動の助言をおこなうときにはいつも不安を感じています。それは、いくら運動の重要性を患者さんに訴えたところで、必ずしも運動をおこなってくれるとは限らないからです。

 むしろ、「先生に言われて運動をするようになってこんなに元気になりました!」と言われたことはこれまで数えるくらいしかなく、ほとんどの患者さんは運動に取り組まれたとしても長続きしていません。私が運動の有用性を話して勧めると少しは始められるのですが、そのうち「忙しくて時間がなくて・・・」といった理由で断念してしまう患者さんが大半ですし、なかには「大切なのは分かるのですが・・・」と言って一度も運動されない方もいます。

 運動ができなかったり継続できなかったりするのは、何も患者さんだけの責任ではありません。やはり、結果として効果的な助言をできなかった私にも責任があると考えるべきでしょう。なんとか患者さんに運動をしてもらえる方法はないものか・・・。悩んだ挙句に私がだした結論は、「スポーツ医」の資格をとる、というものです。スポーツ医という資格をとったからといって患者さんに運動してもらえるわけはありませんが、まずは私自身がスポーツ医学を勉強する必要があると考えたのです。

 「日本医師会認定スポーツ医」という資格があります。一般的に「スポーツ医」と言えば、スポーツをする人々の健康管理や、スポーツ傷害に対する予防、治療等の臨床活動を行う医師のことと考えられると思いますが、スポーツ医は何もプロのスポーツ選手を専属で診る医師だけではありません。一般の患者さんに運動の指導をおこなう医師もまたスポーツ医なのです。

 というわけで、私は10月と11月の合計4日間、東京に「日本医師会認定スポーツ医」の講習を受けに行ってきました。この資格は講習を受けるだけで取得できるもので、テストや面接もありません。ラクと言えばラクな資格なのですが、一方ではこの資格があれば何か特別なことができるわけでもありません。一応資格はもらえますが、講習を受ける目的は資格取得よりもむしろ講習の内容そのものにあります。

 循環器内科、内分泌内科、整形外科、脳外科などの分野で特に運動療法やスポーツ障害を診ている専門家の講習が聞けますし、なかにはプロのアスリートを専属にみている医師の講習もあります。教科書を読むだけではなかなか分からないことも、直接講義を聞けば知ることができますから、なかなか価値のある講習なのです。

 さて、私は合計4日間の講習を終え、現在は使用したテキストとノートを中心に復習をしているところです。これからもスポーツ医という資格を維持していくためには、ときどき講習を受ける必要があるのですが、講習はそう度々あるわけではありませんから(あっても参加する時間が確保できません)、日頃は自分自身で勉強していくしかありません。

 さて、私が勉強している間も、健康のためにスポーツや運動に取り組んでいる患者さんもおられるでしょうし、これからどのように効果的な運動を始めようかと悩んでいる人もおられるでしょう。私がおこなう医師としての勉強とは少し趣が異なるかもしれませんが、患者さんの方も健康のための運動に対する情報を集め勉強なさっていることでしょう。

 運動の仕方にもいろいろあって、その人によって適切な運動の内容は違ってきます。例えば、ウォーキング中心が適切で激しい運動はすべきでない人、筋トレ中心の運動がいい人、余裕があればフルマラソンに出場してもいい人など、その人の年齢、スポーツ歴、病気の種類・重症度、日頃の活動の度合い、などによって適切な運動の種類や時間、負荷のかけ方などが変わってきます。

 当分の間、私は運動が必要と思われる患者さんを診察するときは、患者さんと一緒にどのような運動が適していて、そして実際にできるかどうかを検討してみたいと考えています。運動は続けなければ意味がありませんから、一方的に運動内容を助言するのではなく、一緒に考えていければと思います。

 そして、私自身も運動を始めることにしました。これまでも時間があるときはフィットネスに通ったこともありましたが、もう何ヶ月も足を運んでいません。なかなか時間が確保できないのがその理由なのですが、これでは重要性が分かっていながら一向に運動を始めてくれない患者さんと同じです。

 なかなか時間が確保できないながらも私がおこなっている運動は、仕事から帰ってきたとき(だいたい10時半から11時半くらい)、腕立て伏せ、腹筋、ダンベルを使った筋トレなどを15分程度おこなうというものです。これを週に3~5回程度おこなっています。まだ1ヶ月半ほどしか続いていませんが、最近は負荷も上げられるようになってきて少しだけ楽しさを見出しています。

 このような運動ならほとんどの人がすぐに始められるのではないでしょうか。これからクリニックを受診される患者さんにも積極的にすすめてみたいと考えています。

注:Mさんは、当院に受診している複数の患者さんをモデルにして私がつくりあげた架空の人物です。もしももあなたに、Mさんと似たような知り合いがいたとしても、それは単なる偶然であるということをお断りしておきたいと思います。

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2013年6月13日 木曜日

2009年11月号 医師という職業のジレンマ

2009年2月のマンスリーレポート「”不況”を感じる2つの兆候」(下記参照)で、医学部受験の相談メールが増えていることについて報告しましたが、相変わらず医学部受験を考えている人たちからのメールがよく届きます。

 なぜ医学部を目指すかについて、その想いを熱く語られているメールが多く、読ませてもらう私が感動することもよくあります。2003年あたりに私の元に寄せられたメールでは、「医師は安定しているから」「高収入が期待できるから」などが目立ったのですが、最近はそういった内容のものはあまりなく、「医師になってこんなことをしたい」とか「この病気に生涯をかけて取り組みたい」といったものが増えています。

 さて、私はこれまで拙書やこのウェブサイトでのコラムを通して、「医師はとてもやりがいのある職業ですよ」ということを伝えてきたつもりですが、今回は医師であるが故に感じるジレンマについてお話したいと思います。

 そのジレンマを一言で言えば、「資本主義のなかで資本主義的でない業務を遂行しなければならないジレンマ」です。

 もう少し分かりやすく言うとこのようになります。我々医師は、営利を追求しなければ生きていけない社会のなかで営利を追求してはいけないというジレンマを抱えている・・・。

 もっと分かりやすく、そして医師の立場からのホンネで言えば、「利益を求めてはいけないのに利益をださなければ失業してしまうというジレンマ」となります。そして、このジレンマは、実際に医師になってみないと分かりません。私自身も医師となり、そしてクリニックを開業するという立場になって、このジレンマと日々闘わなくてはならない現実に直面するようになりました。

 短い文章でこのことを伝えるのはなかなかむつかしいのですが、現在医学部受験を考えている人に少しでも分かってもらえればと思います。

 まず、医師は営利活動をしてはいけません。実際、日本医師会が作成している『医の倫理要綱』の第6条に「医師は医業にあたって営利を目的としない」という条文が定められています。もちろん、営利を追求しないのは日本の医師だけでなく、これは世界中のどこの国にいっても同じことです。

 少し考えてみれば分かることですが、もしも医師が営利目的で診察をすればとんでもなく恐ろしいことになります。しなくてもいい検査をされたり、必要でない薬を処方されたりすれば、患者側にとってみれば出費がかさむだけでなく、検査や薬の副作用に苦しめられることになるかもしれません。

 ときどき、患者さんから、「なんでお金を払うって言ってるのに薬を出してくれないのですか」と言われますが、それは、我々医師は、薬は必要最小限の処方にすることが当然と考えているからです。もちろん、薬をたくさん処方する方が医療機関や医師の利益にはなるわけですが(ただし薬による利益はそれほど多くありませんが)、薬の処方と、例えば健康食品の販売などとはまったく異なるわけです。

 医師という職業は資本主義にはまったく馴染みません。私はすべての医師は公人としての自覚を持つべきだと考えています。世の中に医師と似ている職業があるとすれば、警察官や消防士、あるいは自衛官などです。

 つまり、医師とは、国民が安心して平和に暮らすことができるように困ったときに支援するような職業であるわけです。病気や事故が起こったときに、その人を治療し早く社会復帰できるように支援するのが医師の使命なのです。

 私は拙書『偏差値40からの医学部再受験』のなかで、国や社会をプロのスポーツチームに例えると、医師はチームドクターのような存在であると述べました。スポーツ選手が安心して練習や試合に打ち込めるように支え、ケガなどのトラブルが起こったときには速やかに対処して少しでも早く練習に復帰できるように支援するのがチームドクターの使命です。同じように、国民が身体の不調を訴えたときに適切な診療をして少しでも早く社会復帰できるように支援するのが医師のミッションなのです。

 警察官や消防士、自衛官は公務員であるわけですから、私は、医師は開業医を含めて全員が公務員としての扱いを受けるべきではないかと考えています。

 ところが、実際には医師は(特に開業医は)身分や収入が保障されているわけではありませんし、一般の企業と同じように医療機関は税金を納めなければなりません。

 先日、開業医の年収が平均で2,522万円であるという報道がなされました。2,522万円という数字をみると、「開業医は儲けすぎじゃないの」と感じられます。しかし、この数字にはトリックがあります。

 この2,522万円という数字は会計上の経常利益に相当する金額だと思われます。ここから借入金の返済やその他経費として認められない費用を引けば、それほど手元に残るわけではありません。いまだに世間では、「開業医は金持ちで土地や高級車を所有している」のようなイメージを持っている人がいるようですが、実際は大半の医師はそうではありません(例外もあるでしょうが)。(参考までに、私の年収はこの2,522万円という数字からはほど遠いですし、家は一応ありますが11坪しかない狭い家で、車は15年落ちの国産中古車、走行距離はとっくに10万キロを越えています・・・)

 もしも本当に開業医が多くの利益を得ており贅沢な暮らしをしているとすれば、是正されなければならないでしょう。しかし、ほとんどの医師はそうではないわけです。しかも、労働時間はかなりの長時間に及びます。(私の場合、週の労働時間を計算すると、事務仕事やカルテや画像の見直しなどを入れれば、週あたりの労働時間は少ないときでも80時間を越えますし、多いときは100時間を越えることもあります。こういうコラムを書いている時間が”ささやかな息抜き”となっているのが現状です)

 ではどうすればいいのか。究極的にはやはり開業医も含めてすべての医師を公務員にして給与を固定にするのがいいのではないかと私は考えています。しかし、ある程度の金銭的モチベーションが必要であるという意見もあります。それならば、年収の上限と下限を決めればいいのではないでしょうか。上限を決めることによって、医師は儲かると考えている勘違いした者が医学部受験することがなくなるでしょうし、また下限を決めることによって税金の支払いや借入金の返済で頭を悩ますこともなくなるわけです。

 利益を追求してはいけない一方で利益を出さなければ生きていけないというこのジレンマは、私が開業医となって強く認識するようになったことです。

 これから医学部を目指す人には、このようなことも考えていただければと思います。

参考:マンスリーレポート2009年2月号「”不況”を感じる2つの兆候」

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2013年6月13日 木曜日

2009年10月号 休日が与えてくれる感動

世間ではシルバーウィークと呼ばれている連休の間、私はNPO法人GINA(ジーナ)の関係でタイに出張に行っていました。いくつかの施設と関係者に会うことを目的とした出張でしたが、バンコク滞在の最終日には、急きょ会合がキャンセルとなり、突然何もすることがなくなってしまいました。

 会合がキャンセルとなったことは前日の夜に分かっていたため、その日起きたときには一日のスケジュールがまったく白紙の状態でした。

 今日は何もすることがない・・・。このような感覚がどれくらい久しぶりなのか、ちょっと検討もつきません。日本にいれば、クリニックの休診日にも一度はクリニックに行きますし、メールやFAXをチェックするのが普通です。

 しかし、その日はバンコクにいるわけです。ホテルの部屋にはインターネットに接続しているノートパソコンもありますが、私はあえてメールを見ないことにしました。そしてホテルの朝食を取るため1階のレストランに行くことにしました。

 今回の滞在はバンコクの同じホテルに4泊で、朝食がついているプランで申し込んでいたのですが、その前日までは朝早くから出かけていたためホテルでの朝食は一度もとっていませんでした。予定がなくなった日に初めて朝食がとれることになったというわけです。

 ホテルの1階にあるレストランに行き驚いたことはその美しさです。しかもテーブルは屋外にもあり、美しく手入れされたガーデンで朝食をとることができるのです。まるでバンコクではなくプーケットやサムイ島の高級ホテルのようです。このホテルはバンコクのオフィス街にありますが、喧騒な区域からは少し離れたところに位置しており、このレストランにいるとリゾート地に来ているような感覚に捉われます。

 実は、普段ならこのような高級ホテルには泊まらないのですが、世界同時不況の影響でバンコクのホテルも軒並みキャンペーン価格が出されており、私がとったホテルも通常価格の半値以下、日本円にして5千円程度だったのです。

 私はそのガーデンで朝食をとり部屋に戻りました。パソコンは見ないことにして、スーツケースから日本から持ってきていた本を3冊取り出して、バルコニーに出ました。さすが高級ホテルです。バルコニーも大変広く、テーブルとデッキチェアーが置かれています。ホテルの8階から見える風景はビルが多いのですが、南西の方を向けば大きな公園が見えます。私は、顔をあげれば公園の見える角度にデッキチェアーを置いて読書にふけることにしました。

 心地よい風のおかげで暑くはありません。本を読んだり、考えに耽ったり、あるいは少しうたた寝をしたりして、ゆっくりと時が流れるのを楽しみました。

 ふと気がつくと時計の針は午後1時を回っています。けれどもそれほどおなかがすいているわけではありません。私は散歩にでかけることにしました。周囲はオフィス街ですから、散歩がそれほど楽しいわけではないのですが、ここはタイですから屋台がたくさんあります。私は、オレンジジュースとマンゴー、スイカ、ザボンの3種類のフルーツを屋台で買ってホテルに戻りました。

 南国のフルーツを食べながら心地よい風にふかれて読書に浸る・・・。私にとってこれほど気持ちいいことも他に思いつきません。(季節がらドリアンがなかったのが残念でしたが・・・)

 このような雰囲気に身をおけば、普段は繁忙さから考えもつかないことにも思いを巡らせることができます。今回の出張でも、エイズを患っている人やそんな人たちをケアしている人たちと話をする機会が多かったのですが、私はふと、自分が日本でクリニックを開業していなかったら今頃何をしているだろうか、ということを考えました。もしかしたら、この国に来て他の外国人たちと一緒にエイズ患者のケアに専念していたかもしれない・・・。だとすると今頃はどこに住んでいるのだろうか、チェンマイ、パヤオ、ロッブリー、・・・。

 そんなことを考えているうちに、現実と夢が頭の中で交叉しあい、いつの間にか眠りに落ちていました。

 肌寒さで目覚めると時計の針は午後6時を少し回っていました。公園に目をやると大きな夕日が沈もうとしています。タイの夕日は本当にきれいです。田舎の方に行くともっときれいなのですが、日頃夕日など見ることのできない環境にいる私にしてみるとバンコクの夕日でも充分にきれいです。夕日を見ているだけで何だか幸せな気分になってくるから不思議です。

 空腹を感じた私は、夕食をとりにいくことにしました。このあたりのオフィス街は、日本人と何度か食事を一緒にしたことがありますし、少し遠くまで歩けば日本人街として有名なタニヤにも行けます。しかし私は、日本人や外国人が大勢集まるところを避け、現地の人が昔から生活している路地裏のようなところで食堂を探しました。

 私が入った食堂は、食堂というよりも、ガラクタのようなテーブルが4つほど置かれている倉庫といった感じで、決してきれいとは言えないところです。しかし、こういうところの方が美味しい料理がでてくることをこれまでの経験から知っています。(外れることもありますが・・・)

 その食堂は、バンコクでは珍しく魚介類が豊富に使われる南タイ料理が中心で、予想通り大変美味でした。カキのソテー、大きな海の魚(おそらくスズキ)のチリスープ煮(正式名は知りません)、イカと野菜の激辛炒め(これも正式名は分かりません)などをおなかいっぱい食べ、大満足でホテルに帰りました。

 翌朝は帰国ですから午前5時に起きて空港に行かなければなりません。ということは、その日の朝にリッチな気分でとることのできた朝食は、翌朝は食べる時間がないことになります。少し残念な気持ちを感じながら大きなベッドに横たわりました。

 ベッドの上で、この日一日がとても平和で幸せであったことを思い返してみました。たしかに、感動というのは人と人が触れ合うときにおこります。私はこの国でも、エイズという病を通して、いくつもの感動をこれまで体験してきました。

 けれども、誰とも接することをせずに誰とも話さないこんな日を体験することもまた、感動をもたらせてくれるんだということが分かったような気がしました。

 この次このような日を体験できるのはいつになるんだろう・・・。このような日をまた味わうことを目標に日本に帰ってからまた頑張ろう・・・。そんなことを考えながら私は目を閉じました。

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2013年6月13日 木曜日

2009年9月号 選挙よりも政策よりも大切なこと

2009年8月30日に実施された第45回衆議院選挙の投票率は69.28%もあったそうです。2005年の第44回選挙の投票率は67.51%で、このときも投票率の高さが世間の注目をあびましたが、今回はさらに投票率が上昇したというわけです。

 これだけ投票率が高かった最大の理由は、やはり我々国民が社会の現状に満足していないからでしょう。

 一般的に選挙の投票率は高い方がいいとされており、あまりにも低いと政治に民意が反映されないと言われることがあります。そのため各国各地域は投票率を上げるために様々な趣向を凝らしており、選挙を理由なく棄権すれば罰則を課せられる国もありますし、その逆に選挙に行った人に抽選でプレゼントが支給されるようなところもあるようです。

 しかし、投票率が高いということがそのまま民度の高さを示しているわけでもありません。例えばサダム・フセインが大統領であった頃のイラクの大統領選挙の投票率は100%、つまり選挙権のある人全員が投票していたことになります。そしてその全員がサダム・フセインを大統領に選んでいたわけです。この選挙を民度の高い選挙と呼べるはずがありません。

 また、イラクほど極端な例をもちださなくても、投票率が異常に高い国というのは不安定であるということは想像すれば容易に理解できます。例えば、ある国で革新派の政党が政権を取る勢いにあり、この政党が「政権をとればプロレタリアート革命を起こし国民の財産を没収する」というマニフェストを掲げているとすれば、おそらくほとんどの人が投票に行くでしょう。また、ある国で保守系の政党が政権を取りそうな状況で、この政党が「徴兵制復活」を謳っていれば、やはりほとんどの人が選挙に行くでしょう。

 一方、投票率が低い国というのは、政治体制がそれなりには安定しており、どこの政党が政権を取ろうともそれほど自分たちの生活が変わらない、と国民が考えているということになります。

 さて、話を戻しましょう。第45回衆議院選挙は、高い投票率の結果、民主党の圧勝となり与党であった自民党が惨敗しました。これは、おおまかに言えば、国民の多くが現状に満足しておらず、かつ民主党の掲げている公約(マニフェスト)に国民が期待していることを示していると言えるでしょう。(自民党が無能だからやむを得ず民主党に・・という声もあるようですが・・・) 

 その民主党のマニフェストをみてみると、子供手当て、出産支援、年金制度の改革、医療・介護の再生など、医療や福祉の充実が目立ちます。我々医療従事者からみても、これらは評価すべきことが多く、特に「医学部定員5割増し」は早期の現実化を望みたいと考えます。

 民主党が目指している方針は、一般的には「大きな政府」と呼ばれるものだと思われます。格差をなくし、すべての人が安心して暮らせる社会を目指しているのが民主党の基本的な考え方です。(こういう政府を目指すのであれば、その財源をどうするのだ、という問題が必ず出てきます。民主党はその財源として消費税増額を示しておらず、マニフェストは絵に描いた餅じゃないか、という意見もありますが、ここでは財政に関するこういった政治的な問題には触れないでおきます)

 前回の衆議院選挙では「郵政民営化」が争点となり、それを推進した自民党が圧勝したわけですから、国民は言わば「小さな政府」を望んだ、ということになります。今回はその反対に「大きな政府」を掲げる民主党が勝利したという構図になります。

 しかしながら、「大きな政府」が実現すれば、(財源の問題が解決したとしても)本当に我々の暮らしは豊かになるのでしょうか・・・。

 実は、私がこのように考えるようになったのは、ある”経験”があったからです。

 私は、特定の支持政党を持っていませんが、かといってノンポリというわけでもありません。政治活動をしようと思ったことはありませんが、「どういう政治やどういう社会システムが理想か」ということについてはしばしば考えます。ヨーロッパ(特に北欧型)の福祉国家が理想かもしれない、と考えたこともあります。

 しかし今は、というか今の日本では「大きな政府」は現実的でないのではないか・・・、と感じています。私がこのように感じるようになった”経験”についてお話しましょう。

 その”経験”とは、ひとりのタイ人女性との会話です。そのタイ人女性は留学で日本にやって来て、卒業後も日本の企業に就職し日本人男性と結婚しています。この女性と子育ての話をしているとき、彼女はこう言ったのです。

 「子供を生むなら日本でなくタイで生みたい。そしてタイで育てたい・・・」

 私はこの言葉に大変驚きました。たしかに日本は決して高福祉国ではなく、あえて命名するなら「中福祉国」となるでしょう。一方、タイはどのように贔屓目にみても「低福祉国」です。特に子育てについて考えてみると、まず貧困家庭に生まれれば義務教育である中学にすら行けないこともありますし、奨学金のようなものもごくわずかしかありません。日本で言う生活保護のようなものもほとんど皆無ですし、義務教育でも教科書は有料ですし(安いですが)、高校進学は最近ようやく一般的になってきましたが、大学進学となるとよほどの金持ちでないと無理です。そもそもタイの貧富の格差は、最近の日本でいう「格差社会」などとは比べ物にならないくらいの<絶対的な格差>なのです。

 私は、日本よりも高福祉を実現させている国の人に、「子供を育てるなら自国で・・・」と言われたならすぐに納得できたと思うのですが、日本よりも低福祉の国の人にこれを言われたことに驚いたのです。
 
 この女性は続けました。

 「たしかに日本は医療・年金や福祉はタイよりはるかに充実していて、教育にしても普通の生活をしていれば子供を大学まで進学させることは可能だと思います。けど、日本人は他人に対してはあまり優しくありません。タイ人は見ず知らずの人であっても困っている人がいれば助けようとします。私は、日本人は勤勉で優秀だと思いますが冷たいように感じることもあるのです。自分の子供にはタイ人が普通に持っている優しさを身につけてほしいのです」

 私はこの言葉に反論できませんでした。そしてこう考えるようになったのです。今の日本に欠けているのは政策でも有能な政治家でもない。まずは我々ひとりひとりが、本来日本人が持っていたはずの(と私は思っています)、他人を思いやる”優しさ”ではないだろうか・・・。

 私の悲観的な意見を述べれば、(民主党が与党になることとは関係なく)「大きな政府」が実現すれば、今の日本であれば、自分は働かずにいかにラクをするか、といった自分勝手なことを考える輩が続出するような気がするのです。

 もしも国民ひとりひとりが、(タイ人だけでなく)日本人が元来持っていたはずの”優しさ”を取り戻すことができれば、大きな政府などなくても、我々は安心して暮らせるのではないか・・・。今、私はそのように考えています。

 さらに、その”優しさ”が当たり前のようになれば、当たり前の結果として「大きな政府」が誕生するのではないか、と感じることもあります・・・。

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2013年6月13日 木曜日

2009年8月号 虫刺されと夏の風邪

毎年春から夏にかけてのシーズンは皮膚疾患の患者さんが増えます。水虫や湿疹・かぶれはこの季節に増えるからです。気温と湿度が上がり、汗をかきやすくなると水虫の原因のカビ(白癬菌)は増殖しやすくなりますし、かぶれが増えるのは草木に触れる機会が増えることに加え、汗により金属アレルギーが起こりやすくなるからです。

 そんな皮膚疾患のなかで、毎年のように「今年は多いな」と私が感じているのが「虫」が原因の皮膚炎です。虫による皮膚炎といってもいろんなタイプがあって、去年は「毛虫皮膚炎」と呼ばれるドクガやチャドクガが原因の皮膚炎が多かったように思います。これは、要するに毛虫の毛に”毒”があり、その毛が身体に付着することによって起こる皮膚炎です。通常、毛虫の毛は衣服のなかにも入ってきますから露出していないおなかや背中にも起こりえます。毛虫皮膚炎の痒みは尋常ではなく、市販の痒み止めなどでは対処できません。あまりにも痒みが強いために患者さんは医療機関に駆け込んできます、

 ところが、今年はなぜか太融寺町谷口医院には毛虫皮膚炎の患者さんはあまり来られません。代りに、というわけではありませんが、今年はダニによる皮膚炎が相当増えてきているような印象があります。もっとも、去年もその前年もダニによる皮膚炎は少なくはありませんでした。しかし今年は、「いったん治ったけどまた再発した」、といって再診されたり、「これまでも虫刺されはよくあったけど今年の痒みには耐えられなくて・・・」と言って受診されたりする方が多いように思われます。

 最近、私自身もダニにやられてしまいました。

 いつ、どこで刺されたのか分かりませんが、足を中心にダニの皮膚炎に特徴的な赤い小丘疹が多発しました。気づいたのは自宅にいたときだったので、とりあえず手元にあった非ステロイド系のクリームを塗ってみました。ところが、これがまったくといっていいほど効かずに、夜間も痒みで目覚めるほどでした。

 翌日クリニックに出勤し、強めのステロイドを外用すると幾分ましにはなりましたが、まだ完全には痒みがとれず診察に集中できません。そこで眠くならないタイプの抗アレルギー薬も併用しました。さらにステロイドを繰り返し外用してようやくおさまってきました。

 なぜダニによる被害が増えているのか、といった理由はともかく、毎年着実に患者さんが増えているのは間違いないでしょうから、これからも増えていくことが予想されます。さらに、今年は太融寺町谷口医院ではまだ一例も見つかっていませんが、疥癬(ヒゼンダニと呼ばれる人間の皮膚に寄生するダニがもたらす感染症)も毎年どこかで集団発生しています。

 当分の間、虫刺されには要注意というわけです。(私も防ダニシーツの購入を検討しているところです)

 皮膚疾患以外に、今年の夏に多い(それも明らかに例年以上に多い!)のは「夏風邪」です。

 「夏風邪」といってもいろいろあって、37度台の軽度の発熱と喉の痛みだけの軽症のものから、40度近い発熱に苦しめられるもの、喉ではなく下痢や嘔吐に苦しめられるもの(おなかの風邪)、熱はたいしたことがないのに咳がひどくて日常生活に影響がでているもの、といろいろです。

 また、新型インフルエンザの流行で、症状自体はそれほど重症でないものの、「もしかして新型・・・?」と感じて受診される患者さんもいます。

 なぜこんなにも風邪の患者さんが多いのか、この理由についてはよく分かりませんが、診察をしていて、けっこう無理をしているなぁ・・・、と思わずにはいられないケースが多々あります。

 特に目立つのが「仕事のかけもち」です。朝から夕方まで働いて、夕方以降にもうひとつのアルバイトをしている、という人や、ひどい(?)場合は、3つの仕事をかけもちしているような人もいます。

 つい先日も3つの仕事をしているという人が発熱と喉の痛みで受診されました。その患者さん(20代女性)は、昼間の仕事(派遣社員で事務職)が不景気の影響でほとんど残業がなくなって給与が減ったそうです。そこで、平日の夜はホステスとして働き、週末にはイベント関係のアルバイトをしていると言います。

 そんな生活が2か月ほど続いたある日、突然じんましんがでてきたそうです。そのじんましんはそれほどひどくなかったために無治療で放っておいたところ、今度は胃の痛みと下痢が出現し、それも市販の胃薬で対処できていたのですが、今度は突然の高熱と喉の痛みに苦しむようになり、ついに私のところに受診したというわけです。

 この患者さんは、幸にもインフルエンザにはかかっておらず、喉の状態を顕微鏡で調べても抗生物質が必要な状態ではありませんでした。私は一般的な感冒薬だけ処方して、薬に頼るのではなく、充分な休養をとるように言いました。

 ここまで無茶な勤務をする人は珍しいかもしれませんが、最近は仕事のかけもちをしている人が少なくないのは間違いないでしょう。いくら仕事を探してもひとつも見つからないと嘆いている人もいますが、その逆に、この患者さんのように、できそうな仕事はかたっぱしから始めるような人もいるというわけです。

 あとひとつ、虫刺されと夏の風邪の他に気になる症状があります。この夏に突然増えだしたわけではありませんが、良くない精神状態が原因となる身体症状で悩んでいるというケースが相変わらず少なくないのです。眠れない・・・、食欲がない・・・、便秘と下痢を繰り返している・・・、慢性の頭痛に悩んでいる・・・、などです。以前、『はやりの病気』で紹介した「機能性胃腸症」に悩んでいる人もこの範疇に入るでしょう。

 こういった患者さんの診察をしていると、初診時には分からなくても、何度か受診してもらっているうちに原因が見えてくることがあります。そしてその多くは、”仕事”に関係しています。「今の仕事に満足していないが辞める決心もつかない・・・」、(特に自営業の人で)「やる気はあるのに仕事が来ない・・・」、「職場の人間関係がうまくいかない・・・」、などですが、今年になって目立つのが、「そもそも就職先が見つからない・・・」、というものです。

 今月になり、日経平均株価は1万円台を維持していますが、失業率は相変わらず高く、特に関西では6月の完全失業率は5.9%にまで上がり、これは2005年3月以来の水準だそうです。

 景気が悪化すれば、精神状態に悪影響を与え、それが身体症状をもたらすことになります。また、景気の悪化は収入の減少につながり、それが無理な労働を強いることになり、その結果健康を害すこともあるわけです。

 こう考えると景気と病気には深いつながりがあるということになります。ダニに刺されたといって嘆いている私は能天気なものです・・・。

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2013年6月13日 木曜日

2009年7月号 人を待たせる苦痛

私は待つことが大嫌いで大の苦手です。

 例えば、以前から楽しみにしていたレストランにようやく行ける時間をつくれたとします。そのレストランにせっかく足をのばしたのに、入口ではすでに行列ができている・・・。このような状況であれば、私は躊躇せずに別の店に行きます。

 知人と待ち合わせをするときは、待つのは苦痛ですが待たせるのもイヤなので、こんなときはたいてい喫茶店を待ち合わせ場所として、早めに行って本を読んで待ち時間を有効に使います。ですから、私はよほどのことがない限り、待ち合わせ場所で他人を待たせることはありません。他人を待たせるのは、自分が待つことと同様かあるいはそれ以上に私にはとても気が重いことなのです。

 ところが、現在の私は、毎日多くの人(患者さん)を長時間待たせています。多くの人の貴重な時間を無駄に費やさせているかもしれないと思うと気が滅入りそうになりますが、これが日本の医療機関の実情なのです。

 太融寺町谷口医院は、午前診(午前10時から午後1時半)は予約制です。「予約制ということは待ち時間がないということですね」、これは患者さんからときどき聞かれる質問なのですが、こう聞かれると返答に困ってしまいます。

 「予約があってもその時間に診察が開始できる保障はありません」というのが正直な答えなのです。

 では、なぜ予約があっても遅れるのか・・・。今回はこのことを考えてみたいと思います。

 まず、絶対に待ち時間がなく受診できる方法をお教えします。それは午前10時に予約を取り、なおかつ9時50分頃にクリニックに来ていただくという方法です。当院の10時の予約枠は2~3枠あります。通常2~3人の予約が入っていますから、あとの1~2人より先に来られれば確実に1番最初に診察をさせてもらうことができます。(正確に言うと、他の1~2人より早く来なければなりませんから、この方法でも10分程度はお待ちいただくことになりますが・・・)

 太融寺町谷口医院では、10時から13時30分までの間に26人分の予約枠があります(6月中旬までは29枠設けていました。3枠減らした理由は後で述べます) ただし、初診の方が続いたり、再診でもあらかじめ診察に時間がかかることが分かっていたりする場合には、その前後の予約を入れないようにしますから、実際の予約枠は20人前後となります。

 3時間半の診察時間(実際に診察が終わるまでの時間まで含めると4時間以上になりますが)でわずか20人の予約枠というのは、他のクリニックに比べると少なすぎるように思われますし、実際、「予約が入らなくて困る」というクレームもよくお聞きしますが、患者さんの話をお聞きして、必要な検査や投薬をおこない、それに対する説明をしていると、ひとりの患者さんにかかる時間はそれなりのものになります。それに、たいがいは自分がイメージしているようには進まないのです。

 医師(私)からみた実際の診察現場のイメージをご紹介しましょう。

 12時、Aさん(38歳男性)の診察が始まりました。Aさんは11時45分の予約でしたが診察がずれこんでいるため診察室にお呼びできたのは15分遅れの12時となってしまいました。Aさんは糖尿病と高血圧で3ヶ月前から通院しています。私のイメージでは生活指導を中心に5分程度で終了することになっています。ところが、Aさんは2週間前から咳が続いているといいます。問診をおこない、聴診をし、レントゲンを撮影することになりました。Aさんは、結核を心配していることが問診で分かりました。私は、現時点では結核を完全に否定できないけれども、可能性はそれほど高くないことを説明し、レントゲン撮影に同意してもらいました。ここまでで10分間経過し12時10分になりました。

 次の患者さんはBさん(26歳女性)で初診です。Bさんも11時45分の予約ですから、すでに25分遅れてしまっています。Bさんは5日前からおりもの(帯下)が増えてイヤな臭いもすると言います。問診から、過去1ヶ月以内に複数の男性と性的接触があったことが分かりました。性活動の問診というのは大変時間がかかります。患者さんも話しにくいでしょうし、医師の方も患者さんの様子を伺いながら言葉を選んでいかなければなりません。ここまでで10分が経過しています。問診の途中でAさんのレントゲン撮影をしにいきましたので1分間の中断がありました。時計の針は12時20分です。

 Bさんには内診が必要です。内診とは腟内や子宮の入口を診察する方法のことで内診台と呼ばれる女性用の診察台に上がってもらわなければなりません。これは看護師が介助をおこない、診察ができる状態になると私が看護師から呼ばれます。

 内診の準備ができるまでに12時に予約のCさん(42歳男性)を診察することになりました。Cさんは足の裏のイボで通院しています。1~2週間に一度、液体窒素療法を受けています。私はCさんの液体窒素療法には4分程度かかるだろうと見込んでいました。ところが、Cさんは診察室に入ってくるなり、手の指にもイボができたからいっしょに治療してほしいと言います(それは当然でしょう)。さらに、昨日から喉が痛いので合わせてみてほしいと言います(これも当然です)。 ひととおりの診察が終わったところで、Cさんは言いました。「先生、うちの母親が寝たきりになってしまって、担当医から胃ろう(胃に穴をあけて通す管)をすすめられているのですが、先生の意見を聞かせてください」

 このような質問を受けることはよくあります。「胃ろうにはメリット・デメリットがあって、患者さんの状態ごとに違ってきますからあなたのお母さんを診ていない僕には判断できません」くらいのことを話すのですが、それでもいろいろと聞いてこられることが多いのです。「僕に言えることは何もありません!」と冷たく突き放すわけにもいきませんから、理解してもらうにはそれなりに時間がかかります。

 この時点で時計の針は12時35分です。Aさんのレントゲンができあがったので再びAさんに診察室に入ってもらいました。レントゲンからは結核や肺炎を示唆する所見がないことを説明し、一般的な咳止めと感冒薬を処方することになりました。発熱や咽頭の強い炎症があるわけではなく、アレルギー関与の咳の可能性もあり、現時点では抗生物質は投与すべきでない、と私は判断しましたが、Aさんは抗生物質を処方してほしいといって下がりません。私はなぜ今の状態で抗生物質を使うべきでないかをAさんに理解してもらうまで説明することになりました。この時点で時計の針は12時48分です。

 電子カルテの画面に上がっている受付表をみると、12時15分の予約のDさんをもう30分以上も待たせていることに気づきました。しかし、今からすべきことはDさんの診察ではなく、Bさんの内診です。おそらくBさんの内診を終えて結果を説明するのに最低でも10分はかかるでしょう。ということはDさんをお呼びできるのは、45分遅れの13時ごろでしょうか・・・。

 とまあ、こんな具合ですが、診察以外にも患者さんからの電話対応に時間をとられることもあります。当院では多くのケースで看護師に対応してもらっていますが、例えば、薬の副作用が出たかもしれないという場合は医師である私が電話にでることもあります。また、他の医療機関から患者さんの診察依頼などがあれば、医師と医師が話をする必要がありますから、こういった場合も電話に時間がとられます。

 院内で検討した結果、もっとも患者さんをお待たせする時間が長くなっていた12時から13時の予約枠を3枠減らすことになりました。これを実施したのは先月末からですが、今のところまあまあ順調です。3枠減らしたことによって30分以上お待ちいただくことはほぼなくなりました。

 別の問題があるとすれば、3枠減らしたことによりクリニックの収益がその分下がり、午前診だけでみればほとんど利益がなくなってしまったことです。その3枠分の患者さんが午後診に来られるかというと、午後診は予約制をとっていませんから、日によっては2時間以上の待ち時間になることもあり、毎回2時間待たされるならもう受診をやめよう、と考える人もでてくるでしょう。(ただし、最近は日によっては午後診でもほとんど待ち時間がないこともありますし、以前のようにいつ来ても2時間の待ちということはなくなってきました)

 3枠減らしただけで利益の心配をしなければならない現在の医療システム(保険制度)に問題があるのかもしれませんが、そんなことは患者さんには関係のないことですから、我々としては少なくとも午前診については、待ち時間をなくす!、ということを優先したいと考えています。
 
 待つのはもちろん苦痛ですが、待たせる方も本当にしんどいのです・・・。

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2013年6月13日 木曜日

2009年6月号 医師の使命感

4月から近畿地方で急激に増えた新型インフルエンザの感染者も5月中旬以降は減少に転じ、一時は「マスクが手に入らない!」とまでなった緊急事態は落ち着いたように思われます。

 しかし、5月の連休明けの頃から、感染の疑いのある人が後を絶たず、急遽つくられた各自治体の発熱センターはパニック状態になっていました。大阪でも府や市の発熱センターは機能麻痺に近いような段階にまで達し、そのため大阪府では一般の医療機関に対し、発熱外来を実施するよう呼びかけをおこないました。

 この呼びかけに対し、一部のマスコミからは、当初「一般の医療機関では無理だろう」との声が出ていました。

 なぜ一般の医療機関では発熱外来ができないか。これにはいくつかの理由が挙げられていました。

 ひとつには、設備や体制の問題から、一般の患者さんと新型インフルエンザ疑いの患者さんをどうやって分けるのかという点があります。この問題に対処するためには、日曜日など休診の日にのみ発熱外来を設ける、表にテントなどを造設して一般の患者さんとは隔離する、一般の外来が終了した夜間のみに発熱外来をおこなう、などの方法が考えられました。

 次に、発熱外来をおこない新型インフルエンザに感染している患者さんが見つかった場合、診察した医師や看護師はしばらく診療に携われなくなる(かもしれない)、あるいはその医療機関(診療所)はしばらくの間休診としなければならない(かもしれない)、という問題があります。

 私の調べた範囲では、はっきりとは分かりませんでしたが、国内初の国内感染者が発覚した兵庫県の診療所は、数日間診療所を閉めるような措置がとられたとの報道もありました。

 また、それ以前に、危険度のよく判っていない感染症を診るには、医療者にも感染するリスクがあり、いくら医師といえども自らを危険にさらして患者さんの診療に従事できる者がどれだけいるのか、という点を指摘する声もありました。

 しかし、実際に大阪府や大阪市が一般の医療機関に発熱外来を要請したところ、5月末時点で560以上の医療機関が、「発熱外来に協力する」という意思表明をおこなったのです。

 協力すると意思表明した医療機関が予想以上に多かったのか、マスコミはこれを報道し、行政の声を紹介しています。(例えば5月22日の読売新聞では、「府の担当者は、「(多くの医療機関が発熱外来に協力するとしていることを受けて)意識の高さの表れで、とてもありがたい。1日でも早く始められるようにしたい」と話している」、と報じています)

 なぜ、これほど多くの医療機関が発熱外来協力の意思表示をしたか、というのを一言で言えば、医療機関や医療従事者の使命感にあると思われます。今回はその「医師の使命感」について論じてみたいと思いますが、まずは、発熱外来をおこなったときに、医師や医療機関はどれだけのリスクを被ることになるのか、もっと簡単に言えば、発熱外来をおこなうことによってどれだけ「損」をするのか、についてまとめてみたいと思います。

 まず、物品のコストがかかります。マスクや検査キット、薬品を大量に仕入れなければなりませんし、場合によってはテントを造設するコストもかかります。マスクはともかく、検査キットや薬品は保険請求ができるではないか、とも思われますが、最近は保険証を持っていない患者さんも珍しくありません。保険証がないからといって、発熱しインフルエンザの疑いのある患者さんを追い返すわけにはいきませんから、保険証のない患者さん、あるいは保険証はもっていても自己負担の3割を払えない患者さんが来られれば医療機関の赤字となります。(もっとも、ある程度の検査キットや治療薬は当局から支給されますが)

 コストの面でもっと問題になるのは、新型インフルエンザ陽性者がでたときに、クリニックをしばらく閉めなければならない(かもしれない)という問題です。例えば、日曜日に発熱外来をおこない陽性者がでれば、場合によっては月曜から数日間は閉めなければならない可能性があります。この場合、経営的にはかなりの損失になります。患者さんは来られませんし、かといってスタッフの人件費はかかります。それに、月曜日以降に予約を入れている患者さんに休診の連絡をしなければなりません。(ただし、この点については、政府が休業中の損失を補償することを6月9日に発表しました)

 また、陽性者がでなかったとしても、発熱外来をおこなえば人件費がかかります。仮に、発熱外来を開いたけれども患者さんが数人しか来なかった、ということになれば、(社会全体としてはもちろん患者数は少ない方が望ましいのですが)発熱外来のために出勤したスタッフの人件費は赤字となります。

 このように、一般の医療機関が発熱外来をおこなえば、たしかに経営的にはかなりのリスクが伴います。にもかかわらず多くの医療機関が協力することにしたのは、なんといっても使命感によるところが大きいのです。高熱を出して苦しんでいる患者さんが受診できる医療機関がないといった事態はなんとしても避けなければならない、という気持ちです。

 もうひとつは、公的医療機関の発熱外来に携わっている医療従事者が寝食を犠牲にして働いていることが分かるからです。同じ医療従事者がそれほどがんばっているのに自分は・・・、という気持ちが使命感を駆り立てるのです。

 別に医師という職業は尊いんだ、と言いたいわけではありませんが、この点は他の職業と少し違うかもしれない、と思うことはあります。実際、このことはほとんどの医師が感じています。

 例えば、野笛涼という医師(この名前はペンネームだと思われます)は、著書『なぜ、かくも卑屈にならなければならないのか』のなかで、次のように述べています。

 (前略)食うために医者をやっている奴はいない。みんな、医療を通して患者を救うことが目標となって仕事に就いている。だから、職場で相手に何かを頼む時に遠慮が要らない。夜だけど、休日だけど、あなたの奥さんの誕生日だけど、悪いね、という前提はいらない。

 夜に、休日に、奥さんの誕生日のときに、仕事だからといって同僚を呼び出す職種に就いている人はどれだけいるでしょうか。(誕生日の奥さんはきっとお怒りになるでしょう・・・)

 太融寺町谷口医院も、発熱外来に協力する意思表明をしています。まだ当局から依頼はありませんが、要請があればできる範囲で協力していくつもりです。(ただし、ホンネを言えば、「新型インフルエンザ、これ以上流行らないでね・・・」、という気持ちでいっぱいです・・・)

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2013年6月13日 木曜日

2009年5月号 学会に参加できないという苦痛

医師の醍醐味のひとつは「勉強したことが直接役に立つ」ということです。私はこのことを日々実感しており、著書などを通して世間に訴えたこともあります。

 別に医師が他の職業よりもすばらしいんだと言いたいわけではありませんが、この「勉強したことが直接役に立つ」ということは、医師をしていてよかった!と思える大きな理由のひとつです。

 私は医学部入学前に、ある商社で4年間ほど会社員をしていました。そのときにも、もちろん勉強はしていました。英語の勉強はほぼ毎日おこないましたし(私は入社時には英語がまったくと言っていいほどできませんでしたから英語を勉強する・しないというのは当時の私にとっては死活問題だったのです)、会社が扱っている商品の勉強もおこなわなければなりませんでした。また、ときにはマーケティングやマクロ経済の勉強もおこなったことがあります。

 しかしながら、会社員時代の私がおこなっていた勉強と医師になってから日々私がおこなっている勉強とはその本質がまったく異なるのです。

 会社員時代にやっていた勉強というのは、その勉強をすれば明日の仕事に直接役立つ、というわけではなく、長期的にみたときに自己の成長ができている、といった感じのものです。英語がより正確により早く読み書き・話す聞くができるようになれば仕事の効率が上がるといった感じです。また扱っている商品の知識を増やしていくことは勉強と言えば勉強に含まれるのかもしれませんが、例えば大学で学ぶような類のものではありません。

 それに対して、医学の勉強は学んだことが直接仕事にいきてきます。これは、新しい検査法や新しい治療法について学ぶことができるというようなものだけではありません。例えば、なかなか診断がつかなかった症例や標準的な治療でよくならなかった症例について他の医師の報告を見聞きすることも大変勉強になります。また、生理学や生化学の新しい発見などについて学ぶことは、直接日々の診察に役立つわけではありませんが、まさに「大学で学ぶような」勉強であり、大変興味深く取り組むことができます。

 医師がおこなう勉強というのは、定期的に送られてくる学会誌や教科書的な書物が中心ですが、より刺激的で楽しいのは学会や研究会への参加です。

 学会や研究会というのは、書物での勉強と異なり、医師や研究者が直接発表するのを聴くことができます。現在は「パワーポイント」という素晴らしい発表ツールがありますから、単に文字や写真だけでなく、必要に応じてビデオなども使うことができます。また、通常、演題の発表の後には質疑応答もおこなわれますから、わからないことがあればその場で質問することもできるのです。さらに、規模の小さな研究会のようなものであれば、その場がディスカッションの場となることもあります。

 学会や研究会というのは、日本全国各地でほぼ毎日のようにおこなわれています。もっと言えば、世界中のあちこちで開催されています。ですから、お金と時間に余裕があればいくらでもこの楽しい勉強会に参加できるというわけです。

 私は学会や研究会が大好きで、まだ金銭的余裕のない研修医の頃から1ヶ月に1~2度程度は、何とか時間をつくって参加するようにしていました。

 ところがです。クリニックを始めてからは、時間が思うようには捻出できず、実際に学会や研究会に参加できるのは、大きい学会だけでいえばせいぜい年に1~2回程度、小さな研究会レベルのものまで含めても年に10回にも満たないのです。

 先月(2009年4月)にも、早くから楽しみにしていた学会が2つあったのですが(ひとつは日本皮膚科学会、もうひとつは日本旅行医学会の学術大会です)、クリニックを閉めることができなかったためにどちらにも参加することができませんでした。

 日本皮膚科学会は4月24日(金)から26日(日)の3日間福岡で開催されました。金曜日は無理だとしても、25日の土曜日と26日の日曜日だけでも参加することを当初は考えていたのですが、月末の土曜日(しかもゴールデンウィーク前!)にクリニックを閉めるわけにもいかず、診察終了後カルテを書き、他の諸業務を済ませれば日付が変わるくらいの時間になりますから、それから福岡に移動することは不可能です。日曜日の早朝に大阪を出たとしても、実際に参加できるセッションや講演会はごくわずかに限られてしまいます。結局、日本皮膚科学会への今年の参加は(実は去年もその前年も)断念せざるを得ませんでした。

 日本旅行医学会は、2年前に私が入会した学会です。入会以降今年の4月で3回目の学術大会が開かれたのですが、こちらはいまだに一度も参加できていません。今年の学術大会は4月18日(土)、19日(日)の2日間に渡って東京で開催されました。直前まで参加することを検討していたのですが、最終的には断念せざるを得ませんでした。やはり、土曜日のクリニックを閉めることができないのです。土曜日は、近辺の医療機関のほとんどが休診となり、特に午後は、少し遠方からでも「空いているクリニックがなくてここまで来ました」と話される方が少なくないのです。

 年のうち何度かは、どうしても出席しなければならない学会(例えば、自分が演題発表を要請されているような場合)が土曜日にあれば、クリニックを閉めて参加せざるを得ません。したがって、どうしても休診とせざるを得ない数日を除けば、できるだけ土曜日の診察をおこなわなければならなくなってきます。(近辺に土曜日(特に午後)に診察をおこなう医療機関が増えれば、もう少し休診を増やすことができるかもしれませんが当分は無理でしょう・・・)

 先月は、ひとつだけ研究会に参加しました。この研究会は「大阪プライマリケア研究会」と言い、私が所属する医局である大阪市立大学医学部総合診療センターが主催しており、開催場所も大学内です。この研究会は木曜日に開催されますから、私としてはクリニックを閉める必要がなく参加しやすいのです。

 参考までに、医師(特に開業医)のクリニックでの診療以外の仕事は木曜日にあることが多いという特徴があります。各種研修や講習、あるいは医師会の行事などは木曜日におこなわれることが多く、私がときどき出務している産業医としての労働者に対する面談も木曜日におこなわれます。

 大阪プライマリケア研究会も木曜日、それも午後6時からの開催であり、学会・研究会のなかでは私にとってかなり参加しやすいものです。

 今回は、私も発表の場を与えられました。タイトルは「プライマリケア医が遭遇する梅毒」というもので、最近全国的に増加している梅毒について太融寺町谷口医院での診察や治療について報告したものです。

 今回のマンスリーレポートはほとんど私の”愚痴”になってしまいました。大変贅沢な悩みであるのは分かっているのですが、医師が学会や研究会をいかに大切に感じているかについてお話いたしました。 

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