マンスリーレポート
2013年6月13日 木曜日
2006年3月 天国から地獄へ
先月のマンスリーレポートで、私は、自分の不運を嘆いていたところを、患者さんの一言で立ち直り、再び前向きな気持ちで頑張り始めた、という話をしました。
この「前向きな気持ち」のおかげなのか、1月は努力してもまったく見つからなかった新しいクリニック用の物件が、2月の早々についに見つかったのです!
その物件を見つけたときの気持ちを表そうとしても、ちょっと言葉が見当たりません。その物件に「一目ぼれ」した、とでも言えばいいのでしょうか。とにかく、これだ!と感じるものがあったのです。まるで運命で結ばれている二人の出会いのように・・・。
その物件のビルは、私が(医学部でなく)以前の大学生だった頃、ときは1988年ですが、その頃にアルバイトをしていた会社のビルのすぐ前にあったのです。今度出版する『偏差値40からの医学部再受験テクニック編』の「あとがき」にも書いたように、私のアイデンティティはその頃に形成されたものと思っています。私のこれまでの人生でもっとも充実していたその当時、いわば「古き善き時代」、あるいは、私の「酒とバラの日々」とでも言えばいいのでしょうか、ともかくその頃の思い出が蘇る「私の原点の地」にその物件はあったのです。
場所だけではありません。近代的に設計されたそのビルは、外観もロビーもエレベーターも、そしてもちろんその部屋も完璧なものでした。通りに面した部分は全面ガラス張りで眺めもよく、待合室には最高です。トイレもきれいで、部屋の大きさもクリニックとしては最適。おまけに、地下鉄の駅の上にあり交通の便もよい、まさに非の打ち所のないパーフェクトな物件だったわけです。
まだあります。そのビルの別の階には、ある医療クリニックが入っていました。そのクリニックはある専門の科を掲げていましたから、そのビルでクリニックを開くと、その別の階のクリニックとも協力して患者さんの診察にあたることができるわけです。私の方が患者さんを紹介してもらうことは少ないかもしれませんが、私の方は、専門的な検査や治療が必要な患者さんを積極的に紹介できる、そしてこうすることによって患者さんに満足度の高い診察をすることができる、そのように考えました。
私は、一緒にクリニックをたちあげるマネージャーに相談もせずに、すぐに申込書にサインをしました。マネージャーもきっとここを気に入るに違いない、と確信したからです。マネージャーは私の旧友ですが、彼もまた私と同じアルバイトをしており、その物件の目の前のビルで一緒に時代を過ごしていたのです。
その日の夜、マネージャーに報告すると、予想通り彼も大喜び、ふたりでこれからの夢を語り合いました。
しかし、まだその物件を借りることができると決まったわけではありません。ビル会社の審査があるからです。私とマネージャーは必死になって企画書を作成し、これから取り組んでいきたいことを丁寧に記載していきました。
企画書を提出し、面接を受けたその結果は・・・。ビル会社も我々の意向を受け入れてくれて、「是非とも借りていただきたい」というものでした。
もう、天にも昇る気分です。目にうつるすべてのものが輝いてみえました。このビルで働けるなら、出勤すること自体が楽しみになります。どれだけ満員の電車に揺られても苦になりません。私はなんて幸せ者なのだろう・・・。このときには、先月までの沈んだ気持ちのことを完全に忘れていました。
ビル会社の担当者は最後にこう付け加えました。「別の階にもクリニックがあるので事前に挨拶をしておいてください」
これは当然のことですし、これからそのクリニックに患者さんを紹介することを考えましたから、早急に挨拶に向かうことにしました。
そして翌日、私はそのクリニックに出向きました。院長先生に自己紹介をし、「これからよろしくお願いします」と丁寧に挨拶をしました。
話し合いは順調にすすみました。少なくともある話題になるまでは・・・。
「私は大学の総合診療科に所属していて、大学とも協力して患者さんの診察をおこない、また研修医の教育にも力を入れていきたく考えています」
私がそう言った瞬間、突然その院長先生の顔色が変わり、私には信じられない言葉が飛び出しました。
「それは困る! 君とはやっていけない!」
???
私は、その言葉の意味がしばらく理解できませんでした。いや、今でも理解できていません。なぜ、私がそのクリニックと協力してやっていくことができないのでしょうか。
医療機関というのは、美容室や酒屋とは異なります。そういった業種なら、近くに同業者がやって来るとライバルになることがあるでしょうが、医療機関というのは、それぞれ担当する領域が異なりますから、ライバルにはならず、むしろ協力することによって、患者さんに、より満足度の高い診療を供給できるのです。
もしも、その場所が郊外の住宅地などで医療機関がすでに過剰なのであれば、患者さんの取り合いということがあるのかもしれません(医師過剰の地域があるとは思えませんが)。けれども、そのビルは関西を代表する繁華街にあるのです。しかも地下鉄の駅の上です。一日に何千人、あるいは何万人もの人がその場所を通るのです。圧倒的に需要が供給より多い地区なのです。
いかなる場合であっても、他の医師と喧嘩をするのは得策ではありません。私は「お時間をとっていただきありがとうございました」と言ってその場を後にしました。そして、その足で「ここをお借りすることができなくなるかもしれません」とビル会社に告げに行きました。
その数日後、ビル会社から呼び出しがありました。「別の階のクリニックが反対しているみたいだが、我々の方から交渉してみるからまだ諦めないでほしい」という内容でした。
しかしその結果は・・・。結局そのクリニックを説得できなかった、というものでした。
この絶望感をお分かりいただけるでしょうか。いったん、天にも登りつめたような気分だったのが、突然一気に地獄の底に突き落とされたような悪夢へと転化したのです。
私は、いつも起こりうる最悪のことを考えて行動するようにしています。前向きな気持ちを持つのも大切ですが、最悪のことを考えていないと、予期せぬことが起こったときの対処法を誤ることがあるからです。
車に乗るときは、子供が飛び出してくることを念頭におきますし、飛行機に乗る前には墜落することを考えます。患者さんを診察するときは、緊急性がないか、あるいは重要な病気はないか、をまず考えますし、友達にお金を貸すときは、戻ってこないことを想定して貸すようにしています。人は、たとえ自分が親友と思っている人物であったとしても、状況によっては裏切ることがあるかもしれませんし、自分の軽率な行動が悲劇を招くこともあり得ます。
私はこれまでの人生で、人に裏切られたり、結果として後悔することになる行動をとったりしたことが何度かあり、そのために、いつのまにか「最悪のことを考えて行動する」クセがついています。
しかし、そんな私でさえも、まさかその物件が借りられなくなるとは想像できなかったのです。
もう何もやる気がおこりません。仕事中は、患者さんにそんな気分が伝わらないよう必死で笑顔をつくるようにしていますが、いったん仕事を離れると動くことさえままならなくなりました。部屋は荒れ放題、毎日やらなければならない医学の勉強もおろそかになり、毎日必ず時間をとって取り組んでいた英語とタイ語の勉強もまったく手に付かなくなりました。友人からの電話にも出なくなってしまいました。
私はこれからどこへ行くのでしょうか・・・・。
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|2013年6月13日 木曜日
2006年2月号 患者さんの一言 2006/02/04
2006年2月になりました。今年もすでに一ヶ月が過ぎ去ったわけですが、私のこの一ヶ月はついてないというか、バイオリズムや運勢にならった言い方をすれば「低調期」であったように思います。
というのも、一ヶ月の間で、父親が腹痛で救急搬送されそのまま緊急手術となりましたし、自分のホームページがサーバーのトラブルで丸二日も閲覧できなくて多くの方からお叱りをいただくことになりましたし、パスポートを紛失しましたし、自分の駐車場で車をぶつけましたし、・・・と振り返るのがイヤになるくらいです。
私は4月から大阪市内にクリニックを新規開業する予定でいるのですが、その場所もまだ決まっていません。不動産屋には昨年から話をしていたのですが、年末の時点での不動産屋のアドバイスは、「いい物件がいくつもあるから年明け早々に本格的に探せば大丈夫」というものでした。
ところが、大阪では突然景気がよくなったみたいで、特に私が希望している地域では、ここ一ヶ月であっという間にいい物件がなくなってしまったそうなのです。実際この一ヶ月に何軒か物件を見に行ったのですが、魅力的なところはまだ見つかっていません。
こんなことで本当に4月から新規開業できるのか・・・、不安な気持ちになってきます。 一緒にクリニックをたちあげてくれるマネージャーのこともありますし、何よりも「4月になったら行くからね」と言ってくれている患者さんに申し訳ない気持ちになります。
先日、ある患者さんからメールをいただきました。その患者さんにも、「いい物件が見つからなくて苦労している」という話をしていたのですが、その患者さんがくれたメールはとてもシンプルなもので、最後に「がんばれ!」と書かれていました。
この「がんばれ!」という言葉が私の心に響きました。それまで、あまりにも良くないことが続いていたために憂鬱な気分にどっぷりとつかっていたのですが、この一言で何かふっきれたというか、突然元気が出てきました。
本来、医師である私が患者さんを元気にしなければならないのに、まったく逆の立場になったというわけです。
私自身もそうなのですが、何かよくないことが立て続けに起こると、イヤな気持ちが身体を支配してなかなかそこから抜け出せなくなってしまうことはないでしょうか。そうなると、物事を冷静に見ることができなくなり、ちょっとしたことでも自分の不運を嘆いたり、前向きな気持ちが持てなくなったりしてしまいます。
今回の私は、患者さんの一言のおかげで、すっかり立ち直ることができましたが、いったん元気になれば、物事は冷静に見えてくるもので、よく考えれば私が不幸と思っていたことなど取るに足らないものばかりです。私よりも不幸な境遇にいる人がどれだけいるかを考えればすぐに分かります。
例えば、ここ数日間毎日のように新聞紙上を賑わせている、ライブドアの(元)社長の堀江氏などは、どのような心境にいるのでしょう。「カネで何でも手に入る」と豪語し、何不自由のない生活をしていたところを突然の逮捕となったわけです。
私は「証券取引法」というものをよく知らず、堀江氏がどの程度重い罪を犯した(と疑われている)のかがよく分かりませんし、氏の行動について詳しく知っているわけではないので、多くを語る資格はありません。
けれども、氏が日頃から公言していたと言われている、「法律に抵触しなければ何をしても大丈夫」という考えには同意できません。以前別のところにも書いたと思いますが、私は法律というものをあまり重視していません。もちろん私自身は法律を守るつもりでいますが、本当の意味での「罪」の大きさは法律では計ることはできない、というのが私の考えです。法律ではなく、人間が本来持つべき言わば「自然の条理」に従うべき、という考えを私は持っています。「自然の条理」というのは「倫理」「道徳」、あるいは「掟」と言ってもいいかもしれません。
そういったものに反した行動を氏がとっていたならば、法的な罪の重さはともかく、「自然の条理」について考えてみてくれればと思います。
私は、堀江氏をめぐるメディアの報道をみているときに、頭の中で、氏とある人物がオーバーラップしました。
その人物とは元エジプト大統領のアヌワール・サダト氏です。
イスラエルを強く憎むように教育されていたサダト氏は、「イスラエル人と握手など絶対にしない!」と公言していました。そしてそんなサダト氏にほとんどの国民がエールを送っていました。
ところが、です。サダト氏は、後にファルーク王を倒す陰謀にかかわったため、カイロ中央刑務所の第54番独房に監禁されることになります。
しかし、サダト氏の人生はここで終わりません。その後開放された氏は地道な活動を重ね、ついにイスラエルの国会を訪問し、歴史的な和平交渉をおこなうに至りました。そしてこれが後のキャンプ・デイビッド条約につながったのです。
サダト氏のこのエピソードはいろんなところで語られていますが、例えばスティーブン・R・コビー氏の『7つの習慣』によれば、サダト氏は、独房のなかで「物やお金を獲得することではなく、自分自身に打ち勝ち、自制する力を持つことを悟った」そうです。
サダト氏は、最終的には国内の過激派に暗殺されることになるのですが、死後も彼の残した業績は忘れ去られることはありません。
サダト氏は、自叙伝のなかで「独房を離れたくない気持ちもあった」と述べているそうです。彼が辿り着いた「悟り」は、そんな気持ちにさせるほど大きな意味があったのでしょう。
いわば成金の堀江氏と歴史的人物のサダト大統領をオーバーラップさせるなどけしからん!と思われる方もおられるでしょうが、その良し悪しはさておき、人間は窮地に追い込まれて初めて「真実」に気づくということはよくあることではないでしょうか。
堀江氏はまだまだ若いですし、実力のある人物であることは間違いないでしょうから、サダト大統領のように、「物やお金を獲得することではなく、自分自身に打ち勝ち、自制する力を持つことを悟った」と後に回想するようになったとすれば、誰からも尊敬される立派な人物になられるのではないか、と私は考えています。
私はこの1ヶ月間で、数々のついてない体験から患者さんの一言で立ち直り、冷静になったところ堀江氏について思いを巡らせ、そこからサダト大統領のことまで考えることができました。
患者さんの一言には深く感謝したいと思いますし、それと同時に、ついてない体験もたまにはあった方がいいのかな、とも今では思うようになりました。
私自身も、「自分に打ち勝ち自制する力」を身につけていきたいと考えています。
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|2013年6月13日 木曜日
2006年1月号 2006/01/04
2006年がやってきました。
普段は無宗教の人でも、お正月には初詣に行くという人は大勢おられると思います。実際私も、医師になるまでは毎年どこかの神社に出かけていました。(神社に詣していたのは事実ですが、私は日本神道を信仰しているわけではありません。)
医師になってからは今年で四回目の新年を迎えますが、考えてみるとこの四年間は、初詣に行っていないばかりか、年末から正月のほとんどを病院で過ごしています。今年は特に忙しくて、12月30日の朝から1月5日の昼過ぎまで、病院から病院の移動時間を除けばすべて仕事というハードさです。
今年は正月に帰省をする予定で、年末までスケジュールを空けていたのですが、どこの病院も人手不足が深刻で、結局依頼を断れずに休みなしとなってしまいました。(医師の人手不足は本当に深刻です。医学や医療に興味のある方、医学部を目指しましょう!)
日本人というのは新年を迎えたときに「今年の抱負」というものを考える慣習があるように思います。私の正月はずっと病院内ですから、全然新年らしい雰囲気を味わっていないのですが、それでも「今年の抱負」というものを考えてしまいます。
そんな私の今年の抱負は「勉強!」です。(ちなみに去年の抱負は「奉仕」でした。)
考えてみれば、以前の大学を卒業してから、私の人生はほとんど勉強ばかりのような気がします。以前の大学ではイヤという程遊びましたが、会社員時代のときは、苦手の英語を克服するために、少なくとも最初の二年間はほとんど英語漬けの日々でしたし、後半の二年間も、ある程度はプライベートにも時間を費やしましたが、やはり日々の英語の勉強や、趣味でしていた社会学の勉強は欠かしませんでした。
退職後は医学部を目指して猛勉強し、医学部入学後はさらに勉強をして、医師になってからはさらに勉強、勉強で・・・。私を昔からよく知っている友達は、「よくそんなに勉強ばかりするなぁ・・・」と少し飽きれたように言うことがあります。
けれども、私がいろんなところで述べているように、そもそも勉強というのは楽しいものですし、自分がそれまで知らなかったことが解るようになる喜びははかりしれないわけです。医師という職業は、日々の勉強を義務付けられていますが、これは決して苦痛ではなくて、日々の治療にいかせるわけですから、患者さんの役に立つことができるわけです。
人間にはいろんな「欲求」があると思いますが、「知的好奇心の追求」というのは、飽きることのない人間の至高の欲求だと私は思っています。
これまでも勉強中心の人生を過ごしてきた私が、今年の抱負に「勉強!」を挙げるのには理由があります。医師になってから勉強して得た知識が増えれば増えるほど、自分の無知さに気づく、というか、まだまだやらなければならないことがあることを自覚するようになるというのがひとつの理由です。
毎月送られてくる医学雑誌は目を通すだけでかなりの時間がかかりますし、日進月歩で進歩している医学は頻繁に新しい教科書が出版されます。今はインターネットからでも海外の文献を引っ張ってくることができ、そこから得られる情報もかなりの量です。私の場合、英語はまだまだ得意とは言えず、日本語を読むよりも時間がかかることがあるために、日々の英語の勉強も欠かせません。それらに加え、去年からはタイ語の勉強も開始しましたから、しなければならない量は、例えば医学部を目指していた頃よりもはるかに多くなっているのです。
「勉強が楽しい」と言うと、特に受験生の方からは「それが分からない」と言われます。たしかに受験勉強は楽しいだけではありません。むしろ辛いことの方が多いでしょう。苦手分野もあるでしょうし、合格しなければならないというプレッシャーが勉強の本来の楽しさを凌いでしまいます。
けれども、受験を目標としない勉強というのは、ある程度の制約があるにしても、基本的には自分の興味のあることを自由にすればいいわけで、これは本当に楽しいのです。
もうひとつ、私が今年の抱負を「勉強!」とした理由があります。それは、今年は特に気持ちを入れて勉強しないと時間が確保できなくなるかもしれない、と感じているからです。今年は4月から新たに大阪市内でクリニックを開業する予定です。新規開業するとなると、従業員の方々と一緒に仕事をすることになるわけで、ある程度は経営のことを考えないと、クリニックが成り立たなくなります。
しかしながら、経理的なことや事務的なことに時間をとられて勉強時間が少なくなってしまえば、結果として患者さんの役に立てなくなることになるかもしれません。それではクリニックを開院する意味がありません。
そこで、私は新しいクリニックのマネージメントをすべてマネージャーに任せることにしています。仕入れ、経理、人事、PRなどをすべてマネージャーに委託(delegation)して、私は臨床と日々の勉強に専念しようという考えです。私は会社員の経験がありますから、そういった業務も嫌いではないのですが、私の出した結論は、これらの業務と臨床・勉強の両立は不可能、というものです。
ただ、それでも、ある程度はこれら業務に気をとられるでしょうし、今は予期できないような業務で頭を悩ませ時間をとられることもあるかと思います。
だからこそ、あえて今年の抱負を「勉強!」としたのです。現在の私にとって最も大切なのは「勉強!」であることをいつも自分自身で再確認していきたいのです。
さて、私の3冊目の著作である『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』(文芸社)が今月より書店に並ぶことになりました。この本の原稿を書き始めたのは去年の1月ですから、一年間かかってようやく刊行となったというわけです。
すでに本を読まれた方々から感想をお寄せいただいています。この本は、1章(タイのエイズの実情など)、2章(売春婦に恋する男たちへの取材など)、3章(日本のHIVの症例など)の三章から構成されているのですが、読まれた方によって、どの章をもっとも面白いと感じるかが人それぞれで、私の側からすれば感想を読ませていただくのが非常に楽しいのです。
みなさまも、この本に興味がおありでしたらぜひとも感想をお聞かせください。
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|2013年6月13日 木曜日
2005年12月号 2005/12/03
先月はチェンマイのホテルからレポートをお届けしましたが、今月は熊本のビジネスホテルからです。いつもお金のない私は、今日も風呂トイレ共同の安ホテルに泊まっていますが、比較的新しいホテルなので快適です。ホテルを決めるときに、初めから共同トイレや共同風呂を避ける人もいるでしょうが、小さい頃から貧困が当たり前だった私にとってはまったく気になりません。富裕層に生まれてこなくてよかったな、とつくづく感じます。
今回の熊本出張の目的は、日本エイズ学会参加です。本日が初日でしたが、興味深い発表が多く非常に有意義な時間を過ごせました。医学部を卒業して4年近くたった今、よく思うのは、やっぱり勉強は楽しいもんだ、ということです。医師という職業をしている限り、日々勉強が義務付けられていますが、日々おこなっていることは教科書や論文を読んだり(あるいは書いたり)することで、講演を聴く機会はそれほど多くありません。学会や研究会に参加すれば、著名な先生方の講義を聴くことができ、新しい知見を知ることができるので本当に楽しいのです。
最近、神戸大学の大学院生の方々に、エイズに関する話をさせていただく機会がありました。同じような講演は何度もおこなってきていますが、今回は私にとって非常に楽しいものとなりました。というのも、多くの質問や意見をいただいたからです。どこで、講演をおこなってもある程度は質問や意見をいただけるのですが、今回はどの学生さんも非常に熱心で、後日質問のメールをくれた方も何人かおられました。
さすがは大学院・・・。今回講演をさせていただいた教室には、大学を卒業してすぐに大学院に入学された方もおられますし、一度社会に出てから再び学問の世界に戻ってこられた方もおられます。どちらにしても、学問に真剣に取り組みたいから大学院に通われているわけです。就職に有利かなと思って・・・、とか、みんなが行くから・・・、とか、そんな理由で通う大学生なんかじゃなくて、学問が好きで真剣に取り組んでいる、そんな方の集団ですから、議論を交わすのは本当に楽しいのです。
自分も仕事をやめて大学院で学問に没頭してみたい・・・・、そんな考えすら頭をよぎりました。
ところで、私は現役時代(1987年)に、神戸大学を受験して不合格となっています。しかも受験した学部は教育学部・・・。教育学部を受験して不合格となった大学で、その大学院生に講演をおこなうというのは・・・、なんとも言えない複雑な気持ちでした。
話を熊本に戻しましょう。
熊本は会社員時代に出張で来たことがあります。たしか1993年だったと思いますので12年ぶりということになります。93年にはご飯やお酒がおいしい、ということ以外には特に感じるものもなかったのですが、医師になってこの土地に来てみると感慨深いものがあります。
それは、熊本には、水俣病があり、ハンセン病があり、成人性T細胞白血病があるからです。これらは、いずれも患者さんがいわれのない差別を受けていた(受けている)という事実があります。
なぜ、病気によって差別を受けなければならないのか・・・。私にはそれがまったく理解できません。
水俣病はチッソという会社が排出したメチル水銀が原因であり、罹患した患者さんにはまったく責任がないのです。しかも患者さんの多くは子供たちだったのです。
ハンセン病の歴史が差別の歴史であったことはよく知られています。あきらかにむちゃくちゃな「らい予防法」という法律が撤廃されたのは1996年で、まだ10年もたっていません。ハンセン病はよほど濃厚な接触をしない限りは他人に感染しませんし、感染したとしても有効な治療薬があります。なのに、差別は依然として残っていると言わざるをえません。数年前に、ある旅館がハンセン病の患者さんの宿泊を拒否したという事件がありましたが、現在は廃業しているその旅館は熊本にあります。
成人性T細胞白血病は、あまり有名でないかもしれませんが、HTLV-1というウイルスが原因の白血病です。白血病に罹患しなくてもこのウイルスをもっていればHAMと呼ばれる神経の病気になることもあります。このウイルスは血液、精液、母乳などに含まれているため、針刺し事故や薬物の静脈注射の使いまわし、あるいは性交渉、または授乳で感染します。ウイルスを保有している人は、日本に約120万人いると言われていますが、九州や四国、三重県南部の山間部に多いという特徴があります。それほど有名にならないのは、潜伏期間が数十年と極めて長いことと、ウイルスを保有していても必ずしも発症するわけではないことが原因かと思われます。
血液、精液、母乳にウイルスが含まれているということは、HIVとよく似ています。(ただしHTLV-1は腟分泌液には含まれていません。)HIVがいわれのない差別を受けている現実は明らかですが、HTLV-1はそれほど大きく取り上げられることはないようです。しかしながら、このウイルスを保有している人がまったく偏見を持たれていないかというと、そんなことはないでしょう。おそらく患者さんやキャリアの方は、相当な苦労をなさっているものと察します。
こういった疾患の患者さんが多い熊本では、しかしながら、これらの疾患に対する研究がどこよりも進んでいますし、差別に闘ってきた人もおられます。「ハンセン病の神様」と呼ばれる加藤清正は、熊本でハンセン病の患者さんのために半生を費やしました。イギリスのハンナ・リデル女史は熊本でハンセン病の患者さんをみて救済に立ち上がりました。
時間があれば、しばらく熊本に滞在してこれらの疾患について調査をしてみたいのですが・・・。そういうわけにもいかないので、文献をあたって勉強してみようと考えています。
日本エイズ学会は1日から3日まで開催されますが、私は2日の夕方には熊本を出なければなりません。3日と4日は小倉で日本性感染症学会が開催されるからです。どちらかが一日ずらしてくれればどちらもフル参加できるのに、重なっているために途中までしか参加できないのです。
少々グチになりますが、いつも学会に参加するとこういうフラストレーションがたまるのです。今回のように日程が重なることもありますし、ひとつの学会でも興味深い発表が同じ時間に別の会場でおこなわれることは頻繁にあります。ポスター展示や企業の製品展示もやっていることがあり、それらも興味深いのですが、きちんと見ようと思えば、どこかで時間をつくらなければならなくなり、その間は講演を聴きにいけません。
せっかく高いお金を払って参加しているんだから(学会に参加するには1から4万円程度の参加費が必要ですし、それ以外にも年会費で数万円がかかります)、メインの講演はビデオ録画して会員に配るとか、そういう工夫をしてもらいたいのですが、そういう話はほとんど聞いたことがありません。
まあ、とは言っても、これだけ貴重な研究報告や発表を直接聞くことができるというのは、幸せなことなんだと思います。お金がなくて、風呂トイレ共同のホテルにしか泊まれないといっても、それすらできない方もおられるでしょうし、所属している組織から休暇をもらえず学会に参加したくてもできない医師や看護師は大勢いるはずです。私の場合はどこかの常勤医というわけではないために、比較的自由に時間がつくれるのです。
来年の4月に大阪市内にクリニックをオープンする予定でいます。自分のクリニックをもって毎日診療をおこなえば、同じ患者さんをずっと診ることができますし、自分がいいと思った検査や薬を処方することもできますから(病院勤務だとそういうわけにはいきません。病院によってできない検査があったり、取り扱っていない薬剤も多々あるからです)、今よりも遥かに患者さんにとって満足度の高い医療に取り組めると考えているのですが、一方では今のように時間がつくれないという問題が出てきます。
やはり、あれもやりたい、これもやりたい、というのはわがままな要望なのでしょう。しかし、一方を選択したがためにもう一方がまったくできない、というのも辛いことなわけで・・・・。
まあ、とりあえずはクリニックを軌道に乗せるのが先決なのでしょう。4月からオープンするクリニックで働いてみたい看護師さんはおられませんか。興味のある方がおられましたら、一度お問い合わせください。
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|2013年6月13日 木曜日
2005年11月号 2005/11/06
11月1日です。私、谷口恭は現在チェンマイのPornping Tower Hotelの一室にいます。10月27日からタイに来ていて、バンコク、ロッブリー、チェンマイで用事を済ませ、11月4日に帰国する予定です。用事といっても、エイズ施設を訪問したり、研究の打合せをするだけですが・・・。
タイに来ると、いつも感動する出来事があるのですが、今回も心が洗われるような素晴らしい体験をしました。今日はそれをお話したいと思います。
先日、我々(友人二人と私)はバンコクから車でロッブリーに向かっていました。その路上でのことです。
一般道路の右側(追い越し車線)で、いきなり前の車が左ウインカーを出して理由もなく急停車しました。まさか急停車するなどとは思わなかった我々の車は、とっさに急ブレーキを踏みましたが接触は避けられませんでした。もともとスピードはほとんど出ておらず、車間距離も充分に取っていたために事故といえるような事故ではありませんが、それでも前の車の後ろのバンパーと、我々の車の前のバンパーは損傷を避けられませんでした。
もちろん、追い越し車線でいきなり急停車した前の方に絶対的な過失があるでしょうから、我々は事故の責任ということにおいては気楽に考えていました。前の車のドライバーは、若い女性でいかにも免許を取ったばかり、という感じで、我々に何度も何度も謝ってきました。
事故の現場は、その前の車の販売店の目の前で、ちょうど新車を買ったばかりの彼女が、路上に出たところ、いきなり急停車し、その結果事故を起こしたということが間もなく分かりました。(ちなみにタイの運転免許証を取得するにはペーパー試験だけで、実技は要らないそうです。)
彼女は免許証を取ったばかり、車を買ったばかりのドライバーで、その彼女が理由もなく急停車したわけですから、彼女の自動車保険を使ってすべて解決、我々は日本的な感覚でそのように考えていました。
ところが、です。タイの自動車事故では、追突事故の場合は、いかなる場合でも常に後ろの車が全責任を取るという慣習があるそうなのです。事故現場には、その車の販売店以外には何もないような田舎ですから、我々はその販売店のなかで、販売店のスタッフや保険会社と交渉することになりました。
我々としては、こちらには一切の過失がなく相手の保険ですべてを解決すべきだと考えました。けれども、周囲はもちろん全員タイ人、しかも販売店は、当事者のドライバーが新車を買ったところなのです。交渉するという意味で、これほど不利な状況もないでしょう。
しかし、我々としても、「こちらにすべての責任があります」などといった書類に簡単にサインをするわけにはいきません。結局、我々の保険会社の指示で、最終的にはそのサインをすることになったのですが、事故を起こしたのが午前11時、最終的に書類にサインすることになったのは午後4時半です。
この間、我々は言わば「敵地」での戦い(交渉)を強いられたわけです。販売店の従業員は、「あいつらがサインしたらすべて解決するのに、なんでしないんだろう」とでも、思っていたに違いありません。
ところが、そんななかでも一部の従業員の方は、我々に常に微笑みを向けてくれていました。(さすがは「微笑みの国タイ!」です。) ひとりの女性は、「敵」であるはずの我々に何度もコーヒーや飲料水を入れてくれるのです。それだけではありません。彼女は、昼食を取っていない我々を気遣い、ラーメンまで作ってくれたのです。「一杯20バーツね!」などと冗談も言いながら・・・。
そんな優しさに小さな感動を覚えた我々は、その後、さらに深い感動を体験することになります。
なんと、その女性が、我々の目的地であるロッブリーまで車で送ってくれると言うのです。車を修理に出す必要があるため、足を無くした我々はタクシーを呼んだのですが、そのドライバーの言い値がかなり高いのです(タイの田舎にはメータータクシーはありません)。その値段が高すぎることに同情してくれたその女性は、そのタクシードライバーを帰し、自らが送迎することを申し入れてくれたのです。彼女の自宅もロッブリーにあり、帰り道というわけではありませんが比較的近いところだから気にしないで!(マイペンライ)、と言ってくれたのです。
これには本当に感動しました。事故を起こした女性が車を買った店の従業員が、言わば交渉の「敵」である、見ず知らずの日本人男性三人を自分の車で目的地まで送ってくれる、と言うのです。
他に移動手段のなかった我々は、彼女のありがたい申し入れを受けて、ロッブリーのホテルまで送ってもらいました。彼女は、四歳の娘を運転席の横に座らせて(彼女は自分の娘を職場に連れてきていました)、我々に常に笑顔で話しかけ、丁寧に我々を送ってくれました。我々の大量の荷物の出し入れも率先して手伝ってくれました。
我々は何度も礼を言い彼女の車を見送りました。
この話はまだ終わりません。
夕食を食べているときのことです。繁華街の食堂で夕食を摂っていた我々の元に、突然一本の電話が鳴りました。保険会社からで、車のキーを翌朝早くに事故を起こした現場の前の販売店まで持ってこい、と言うのです。
我々は、本来ならばその日にパバナプ寺(エイズホスピス)を訪問する予定をしていたところに、まったく計算外の事故が起こったわけです。予定を急遽変更し、寺の訪問は翌日することにしていました。それが、早朝に車のキーを持っていくとなると、再び半日はつぶれてしまいます。
結果、もうこの方法しかない、と考えた我々は、夕方親切にホテルまで送迎してくれた販売店の女性に電話をしてみました。今からタクシーで(その女性の)家までキーを届けるから、翌朝販売店に持っていってほしい、とお願いしたのです。
すると、彼女の反応は・・・・。
なんと我々が食事をしている食堂まで、わざわざキーを取りに来てくれるというのです。再び、彼女のありがたい申し入れを受けた我々は彼女を待ちました。しばらくすると、夕方と同じように、ひとり娘を運転席の横に座らせ彼女は車でやってきてくれました。
そして、我々を再びホテルまで送ってくれたのです。
異国の人間にここまで親切にしてくれるとは・・・・・。
タイ人とはなんて暖かいんでしょう。もちろんすべてのタイ人がここまで親切ということはないでしょうが、私は今回のこの出来事を通して、ますますタイという国に魅力を感じるようになりました。何か日本人が過去に置いてきてしまったものが、タイには存在するような気がするのです。
そんなタイ人の中に、エイズという病のために社会から差別を受けているという人がいる現実・・・。
HIV/AIDSに対してこれからも、日本だけでなく世界に目を向けて行きたい、そう強く感じるタイ旅行です。
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|2013年6月13日 木曜日
2005年10月号 2005/09/30
まずは、私、谷口恭の9月の活動を報告したいと思います。
9月3日には、大阪の羽衣学園という高校で、「タイのエイズ事情」というタイトルで約1時間の講演をおこなってきました。この内容で講演をおこなうと、最後まで一生懸命に聞いてくれる方が大勢おられるのですが、いつも感じることがあります。
それは、「HIVに感染しないためには予防が大切」ということは伝わるのですが、「HIV陽性の人やエイズの患者さんに対して差別的な意識をもつのはおかしい」ということがどこまで伝わっているのかが疑問であるということです。というのも、講演の後、質疑応答をおこなうと、「エイズの深刻さが分かりました」という意見は多いのですが、「これからはHIV陽性の人達と仲良くやっていきたいです」というコメントがほとんど聞かれないのです。
私は、講演のなかで、タイのHIV感染ルートは、タトゥー、ドラッグ、セックスが多いという話をおこないます。もちろん、無防備にこのようなことをおこなうことに対する危険性を認識していただけるのは大変ありがたいのですが、私が最も主張したいことは、これらは誰もがおこなってしまう可能性のあるものであり、たった一度の過ちで社会から疎外されるのはおかしい、ということです。
現在では、エイズは「死に至る病」ではなく、適切な治療を受けることによって発症を防ぐことのできる、いわば「慢性疾患」のひとつであるわけです。他の慢性疾患が差別の対象になることはないのに、なぜエイズだけがおかしな目で見られることになるのか、これははなはだおかしいわけです。
私に言わせれば、他の慢性疾患、例えば長年のカロリーの摂り過ぎと運動不足から発症した糖尿病や、何十年にもわたる喫煙から発症した肺癌の方が、よほど本人に責任があるのです。それに対し、エイズというのはただ一度の誤った行動のみでも起こりうるわけです。しかもエイズの発症年齢は、他の慢性疾患に比べるとずっと若いのです。
さて、9月は執筆作業にずいぶんと時間を費やしました。
ひとつめは、来年初頭に発売される『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ(仮)』という本で、文芸社から出版されます。これは、タイトルどおり、私が体験したタイのエイズ事情を写真をまじえて紹介し、日本での症例も紹介し、合わせて性感染症についても述べたものです。スティグマや差別、タトゥー、ドラッグ、セックス、ボランティア、セックスワーカー(とその恋人)などにも言及し、医学的な本というよりはむしろ社会的な考察にページを割いています。この原稿を書き始めたのは、今年の初頭ですから、出版までにおよそ1年の月日を費やしたということになります。
ふたつめは、現在発売中の『医学部6年間の真実』(エール出版社)の改訂版です。
研修医制度が大きく変わり、現在の状況が初版のときと比べて随分と異なっているために、そのあたりを大幅に書き換えました。こちらは年末までには書店に並ぶと思われます。
もうひとつ、新たに本を出版することになりました。
私の処女作である『偏差値40からの医学部再受験』(エール出版社)は改訂3版を発行することになりましたが、発行を重ねるにつれて、批判を多くいただくようになりました。もっとも多い批判が、「抽象的な話が多くて、具体的に何をすれば医学部に合格できるのか分からない」というものです。
私は、もともと具体的な勉強法でなく、もっと根源的なものに触れた受験のことを伝えたいという気持ちから、自分でホームページを立ち上げて、それが結果として出版につながったわけであり、もともと具体的な勉強のテクニックを紹介するつもりはありませんでした。
ところが、私の思惑とは逆に、「根源的な勉強についての話を聞けば聞くほど具体的なテクニックも同時に伝授してほしくなる」という意見が後を絶たないのです。
そこで、読者からのご批判に応えるかたちで、『偏差値40からの医学部再受験テクニック編(仮)』という本を出版することになりました。
この本では、文字通り受験のテクニックを伝授しています。過去問の具体的な解き方、参考書・問題集の使い方、模試の活用、科目別勉強法、その他細部に至るまで具体的なテクニックを紹介しています。実際に、医学部受験を考えられている方の参考になれば幸いです。
この本の出版日はまだ未定ですが、おそらく年末か年始になると思われます。
臨床のことをお話ししましょう。
今年の2月から9月まで、私は整形外科領域におけるプライマリケアを学ぶために、尼崎の「さくらいクリニック」に、週に一度研修に行っていましたが、9月で終了となりました。
10月からは、大学病院の総合診療科のなかで、婦人科の研修を受ける予定です。婦人科は、以前勤務していた星ヶ丘厚生年金病院で、3ヶ月の間、週に一度外来の研修を受けていましたが、それだけではまだまだ心許ないために、もう一度じっくりと勉強しようと考えたわけです。
研修ですから、もちろん無給ではありますが、ただ(無料)で勉強させていただけるわけですから、やはり私は恵まれた環境にいるようです。
日本の9月での最大のイベントは衆議院選挙であったように思います。
投票率は67%にも及び、私が選挙権を得てからの期間では、もっとも盛り上がった選挙ではなかったかと思います。BBCやCNNでも、連日日本の選挙活動の模様が報道され、小泉首相やライブドアの社長の演説やインタビューが、世界中の人々の注目を集めていたようです。
私は、特定の政党を支持しているわけではありませんが、かといってまったくのノンポリ(最近この言葉をあまり耳にしませんね。ノンポリとは政治に無関心という意味です。)でもありません。選挙は行ったり行かなかったりで、あまり良き国民ではないかもしれません。(ただ選挙に行かないときは投票したい政党がないという意思表明ではあるのですが・・・)
なぜ、医療に関係のない選挙の話を持ち出したかと言うと、公務員のあり方に疑問を感じるからであります。私は「小さい政府」に賛成であるのですが、それ以前に、公務員とは「全体の奉仕者」であるべきだと考えています。この「全体の奉仕者」という表現は、マスコミからは聞いたことがありませんが、高校の(おそらく中学でも)教科書にも載っている、公務員の定義のようなものです。
「全体の奉仕者」であるはずの公務員が、モノを生産したりサービスを供給したりしている民間の会社員や自営業者の方々よりも高給であるのはおかしいと思うのですが、なぜかそういう議論はあまり出ません。
そして、私がもうひとつ疑問に感じているのは、なぜ医師の給与が、一般の会社員の方々よりも高いことが多いのかということです。
社会をプロ野球チームに例えると、医師はチームドクターに、フロントは公務員にあたると思います。そしてグランドに立つ選手が会社員や自営業者の方々となります。会社員や自営業者の方々が、頑張って利益を上げないことには国が成り立たないのと同様、プロ野球チームでも選手が頑張って相手チームを倒さない限りは、ファンもスポンサーもつかずにチームがつぶれてしまいます。
プロ野球チームで、もっとも高収入であるべきなのは誰でしょうか。もちろん、4番バッターであったり、先発ピッチャーであるべきです。4番バッターの年収が1億円で、チームドクターやフロントが年収800万円であれば誰もが納得できるでしょうが、これが逆であってはおかしいですし、そんなチームは成立しません。
同じように一般社会でも、素晴らしいモノやサービスを供給する会社員や自営業者が高収入を得るべきであって、公務員や医師の年収が高すぎるのはおかしいわけです。なぜなら、医師や公務員というのは、会社員や自営業者の方々が汗水流して働いた結果、上げることのできた利益の一部から収入を得ているからです。
私も会社員の経験がありますが、毎月給与明細を見る度に、高すぎる税金と保険料に疑問を感じていました。その高すぎる税金と保険料から公務員や医師は収入を得ているのです。公務員や医師の収入が、会社員や自営業者の方々よりも高いのはおかしいわけです。
私は今回の選挙は投票に行きましたが、もしも「政治家も含めて公務員の給料の大幅削減」というのをマニフェストに入れる政党があれば、その政党に投票したいと思います。
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|2013年6月13日 木曜日
2005年9月号 2005/08/29
9月になりましたが、まだまだ暑さが続いています。私の仕事はいつも病院内で、移動はもっぱら車ですから、それほど暑さを感じませんが、外で仕事をしている方は本当に大変だと思います。
最近の私にとってのビッグイベントは、タイ渡航でありました。7月28日から8月3日までわずか6泊だけですが、かなり実りの多い旅行となりました。
まずは、チェンマイにある「Mckean病院」についてお話したいと思います。これは、チェンマイの郊外にある、およそ200床の病院です。この病院は、リハビリセンターとしても有名ですが、最大の特徴はタイ国や一部ミャンマーのハンセン病の患者さんがたくさん収容されているということです。ハンセン病を患っていて、入院する必要のない人の多くは、社会から「いわれのない差別」を受けていることが少なくなく、地域社会に帰れない人もいます。そういった人たちは、この病院の敷地内にある「村」に住んでいます。
この病院は、もともとMckeanという名のクリスチャンが設立して、現在でも運営資金はほとんど寄付金でまかなっているそうです。世界中のキリスト教団体や、慈善団体が寄付をしており、故・笹川良一氏の日本船舶振興会もかなりの寄付をおこなっているそうです。
2003年11月に熊本県のある温泉宿泊施設が、ハンセン病の患者さんの宿泊を拒否したことが報道され、現在でも、患者さんがいわれのない差別を受けているという現実が明らかになりました。
タイでも、最近はかなり改善されたというものの、まだ差別は残存しており、そのためにこの病院の敷地内にあるような「村」が必要となっているのです。
McKean病院については、あらためて詳しくご報告したいと思います。
昨年も訪問した、エイズシェルターである「バーン・サバイ」にも行ってきました。昨年、訪問したときにおられた二人の患者さんは、すごく元気に過ごされていました。ひとりの患者さんは、一時、CD4と呼ばれる、エイズの重症度を示す値が0にまでなっていましたが(正常値は400以上)、バーン・サバイのスタッフの努力の甲斐もあり、適切に抗HIV薬を服薬することができ、現在ではすっかり元気になられていました。
1年ぶりに患者さんに再会するというのは、なんとも言えない嬉しさがあります。
ロッブリーの「パバナプ寺」にも行きました。現在はボランティア医師が誰もいない状態でしたが、近くの病院が、以前に比べると積極的に患者さんを診てくれるようになり、治療がおこないやすくなったそうです。まあ、とは言っても、相変わらず病棟には、下痢、嘔吐、痒みなどで苦しんでいる患者さんが大勢おられるのですが・・・。
私は幾分かの薬を日本から持っていきましたが、必要な薬が必要な分だけいつもあるとは限らず、薬剤の入手で苦労することが依然多いそうです。
「パバナプ寺」の、特に重症病棟に去年おられた方は、大半がお亡くなりになられており、あらためてエイズという病の深刻さを実感しました。ただ、重症病棟の何人かの患者さんは、容態が安定しており、私を覚えていてくれましたし、軽症病棟におられた患者さんの何人かは、病棟から出られる状態になり、寺のなかで作業をされている方もおられました。日本でもタイでも、患者さんが社会復帰されるのをみるのは、本当に幸せなことです。
バンコクでは、タイで公衆衛生学を学ぶ大学生と、共同研究の打合せをおこないました。これは、性に対する行動や意識を日本とタイで調査し、比較をおこなおう、というものです。その調査で使う、アンケートの質問項目について話し合ったというわけです。
調査が完成すれば、日タイの意識の違いがわかり、非常に興味深いものになるのではと考えています。調査対象は、日本とタイの大学生です。タイの分はその学生の通う大学でおこなうのですが、日本の方は、まだ決まっていません。
私に日本の大学生の友達があまりいない、というのがその理由です。これを読まれている方で協力していただけるという方がもしもおられましたら、ご連絡いただきたいと思います。
さて、今回わずか1週間の訪タイでしたが、「タイが変わりつつある・・・・」、と感じたことがふたつあります。
ひとつは、これは私の印象があたっているとすれば非常に悲しいことなのですが、それは、タイ人の体重が全体的に増加しており、スタイルが悪くなっているのではないか、ということです。
私は、2002年の3月に初めてタイに行きましたが、そのときに驚いたことのひとつが、街を歩く男女のスタイルが抜群である、ということでした。
身長は、たしかに日本人の方が平均では高いと思いますが、男女ともスタイルが素晴らしい・・・。
男性は、まるでムエタイ選手のような筋肉質の身体をした人が街にあふれていましたし、女性は、日本にいれば間違いなくモデルクラスだと思われるような人たちが、あふれるほどいるのです。そして、男女ともファッションセンスが素晴らしいのです。これには地域差もあるでしょうが、バンコクに限ってみると、男女とも艶やかなカラーとデザインの衣服を身にまとい、そんな人々が普通に会社に出勤しているのです。
それが、今回の訪タイでは・・・・。たしかにそのような人も依然大勢おられますが、平均としては、スタイルが悪くなっているのではないか・・・・、そのような印象をもったのです。
それを裏付けるような光景がふたつあります。ひとつは、郊外の公園や空き地などで、集団でエクササイズをおこなっているシーンを頻繁に目にするのです。これは日本のテレビでも何度か紹介されたことがあるようですが、50人から100人程度の若い男女が、集団で大音量で音楽をかけ、インストラクターの踊りを真似て、日本でいうところのエアロビクスをおこない、エクササイズをしているのです。その理由はもちろんダイエットのためです。つまり、意識的にダイエットをしなければならないような人たちが増えているということなのです。
もうひとつは、いわゆるファストフードの店が大量に設立されており、価格も3年前に比べて安くなっているということです。これでは、若いタイ人の男女が、伝統的な素晴らしいタイ料理ではなく、ファストフードに傾いてしまうことになりかねません。
これは、日本を含めてフィリピンなどアジア諸国で報告されている、「食物の欧米化による肥満」という問題が、タイでも起こりつつあるということに他なりません。
タイの伝統的な文化をこよなく愛する私としては、食物の西洋化は非常に悲しいことです。タイには、ソムタムを代表とする、栄養にあふれ、かつ肥満を心配しなくてよい食物がいくらでもあるのです。
これは本当に悲しい・・・。私の今回の印象が「考えすぎ」であることを祈ります。
もうひとつ、タイが変わったかな、と思うのは、HIP HOPやR&Bなどのブラックミュージックが社会に浸透してきているな、という印象です。
私は、ブラックミュージックのかかるクラブやディスコが大好きです。3年前にいくつかのディスコに行ったのですが、そのときは白人のテクノやトランス、あるいはタイポップスが主流で、ブラックミュージックはほとんど聴くことができませんでいした。もちろん、行くところに行けばブラックミュージックのかかる店もあったのでしょうが、今回、3年ぶりに行ったディスコでも、ブラックミュージックが主流とまではいかないものの、かなりかかるようになっているような印象を受けました。そして、DJのテクニックが上手くなっている、という印象も受けました。
とは言っても、タイのクラブやディスコは、おそらく人口あたりでみたときに、東京や大阪よりも多いでしょうから、私の推測が当たっているかどうかは分かりません。タイのクラブ文化に詳しい方がこれを読まれていたら、教えていただければ嬉しいです。
さてさて、9月の私にとっての大きなイベントは、9月3日に、羽衣学園(大阪の中高)で、エイズに関する講演をおこなうことです。羽衣学園では、6月に「偏差値40からの医学部受験」というタイトルで、受験に関する講演をおこないましたので、今回で同校での2回目の講演ということになります。
エイズの講演は、これまで各地で何度もおこなっていますが、今回は対象が中高生ですから、話す内容を変えた方がいいのかな・・・、と直前になってもまだ考えがまとまっていません。
これについては、次回のマンスリーレポートで報告したいと思います。
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|2013年6月13日 木曜日
2005年8月号 2005/08/02
8月になりました。(といっても、これを書いているのはまだ7月半ばを過ぎたところです。今回は7月下旬からタイに渡航するため、原稿を早めに書いているというわけです。)
私にとって、7月の最大の出来事と言えば、1日から5日まで神戸で開催されたICAAP(アジア太平洋国際エイズ会議)でした。この会議のことも含めて、AIDSのことは、「はやりの病気」の7月15日号と8月1日号で紹介していますので、ぜひともそちらもご覧いただきたいのですが、このマンスリーレポートでも、ICAAPのことを述べたいと思います。
ICAAPは、他の医学の学会と異なり、医師以外の大勢の方々が参加されていました。どのような人たちかというと、NPO法人の方や、HIV/AIDSに関連するボランティアをされている人、ILOやユニセフなど国際機関の方、同性愛者やその擁護者の方、(元)ドラッグユーザーやその研究者、セックスワーカーやその擁護者の方、社会学や他の学問を研究されている方などです。
私は、そういった普段は接することのない方々とお話させていただき、多くのことを学ぶことができました。また、国際学会だから当然だとはいうものの、何人かの外国人の方とも仲良くなることができました。
5月に京都で開催されたWONCA(国際家庭医学会)も国際会議で、こちらにも大勢の外国人が来られていましたが、参加者のほとんどが医師でしたから、ICAAPのように医師以外の方と知り合うことはありませんでした。
ICAAPでは思わぬ再会がありました。私が昨年の夏、タイのパバナプ寺でボランティアをしているときに、同じように日本からボランティアに来ていた人たちと再会したのです! これは驚いたと同時に、すごく嬉しく思いました。
私は普段多くの医療従事者と接していますが、エイズに興味のある医師や看護師というのはそれほど多くいません。最近では私自身が接する、新たにHIV感染が分かった人も増えてきていますし、もちろん日本全体でも急速に患者数が増加してきています。
にもかかわらず、関心のある医療従事者は非常に少ないのです。
そんななかで、エイズという問題に関心を持ち続けている方がおられるというのは非常に嬉しいことなのです。
ICAAPは、参加するのにおよそ4万円の費用が必要でした。私は働いていますから、4万円という金額は払えないことはありませんが、昨年パバナプ寺で出会い、今回ICAAPで再会した人のなかには、学生の方もおられます。彼ら彼女らは、もちろん自費でタイに行き、無償でボランティアをおこない(しかも私よりも長期間で)、そして、ICAAPには4万円という大金を自分で支払って参加しているのです。なかには東京から来られている人もいて、彼ら彼女らには、交通費と宿泊費もかかっているのです。
医療従事者ではない方々が、そんなにもエイズという問題について一生懸命でおられるということが、私にはとても嬉しいのです。
また、再会した人ではなく、今回始めて知り合った人たちのなかにも、エイズという問題に真剣に取り組み、奉仕の精神を発揮されている方が大勢おられました。そして、そのなかの大半の方は、どこからも報酬がでるわけではなく、いわばボランティアとして活動されているのです。
そういった方々と、新しく、あるいは再び出会えたことが、私が今回ICAAPに参加して得られた、もっとも大きな収穫であったと感じています。
私はこれから、そういった医師以外の方々とも、何らかのかたちで一緒に仕事がしたいと考えています。「奉仕の精神」をもつ人と、共に何かをやり遂げることは、「感動」につながりますし、私自身が刺激を受け、鼓舞されるからです。
さて、7月28日から8月3日まで、タイ国に渡航いたします。今回は期間が短いことから、かなりのハードスケジュールになります。この短期間で、ロッブリーの「パバナプ寺」に行き、チェンマイの「バーン・サバイ」に行き、さらに、今回はチェンマイにあるハンセン病の患者さんが収容されている施設の見学もしたいと考えています。
また、バンコクでは、タイの大学で公衆衛生学を学んでいる学生と会う予定をしています。この学生とは、日タイの共同研究について検討する予定です。共同研究は、もちろんエイズに関連するものですが、これまでにないオリジナリティのある研究をしたいと考えています。
そんなわけで、かなりのハードスケジュールになってしまいます。考えてみれば、4月以降は、丸一日休めた日がありません。ずっと働きづくしです。できればタイで丸一日の休息をとりたいなと考えていたのですが、どうやらそれは無理なようです。
けれども、私にとってタイは大好きな国ですから、タイに行くこと自体が休息になるというふうに考えようと思います。
実際、バンコクのドンムアン空港のゲートを出たときに感じられる、あの乾いた熱気と、ケンタッキーの油の匂い、それに飛び交うタイ語を聞けば、それだけでいつも私はあの国の魅力にやられてしまいます。
タクシーに乗って市街地に入れば、近代的な高層ビルと、その裏側にある昔ながらの屋台や露店が同時に視界に飛び込んできます。ファッショナブルな街行く人々の笑顔がその光景をエキサイティングなものにします。タクシーを降りれば、屋台から漂う香草の香りが鼻をくすぐり、アスファルトにだらしなく寝そべった犬をよけて歩く頃には、すっかりタイという国の居心地のよさに馴染んでいるのです。
というわけで、タイ国渡航については、次回のマンスリーレポートで報告いたします。
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|2013年6月13日 木曜日
2005年7月号 2005/07/06
7月がやってきました。
私はなぜか毎年7月になるとワクワクします。これは小学生の頃から変わってません。小学生の頃の一学期の終業式なんて、もう楽しくて楽しくて・・・。長い夏休みの幕開け・・・、この感覚が私は大好きです。この感覚は、サラリーマンをしていた頃の金曜日の午後の気分に似ているかもしれません。土日とも休めることはあんまりありませんでしたが、土日に連休がとれるようなときには、金曜日の午後には、かなりハイテンションになっていて、どれだけ嫌な仕事でもワクワクしてすることができました。
一方で、夏休み最後の日というのはかなり憂鬱だったのを記憶しています。夏休みの宿題はできていない、毎日遅くまで寝ていたので明日から朝起きられる自信がない、お昼のテレビが見られなくなる・・・、とイヤなことだらけでかなり辛かったわけです。サラリーマンのときも、日曜日の晩がとにかくイヤでイヤで・・・。
よく言われるように、日曜日の夜のテレビ番組、例えば「サザエさん」を見ていると、うつな気分に襲われる、というのは私にも当てはまります。医師としての仕事は、楽しいことの方が圧倒的に多いので、今では日曜日の夜にイヤな気持ちになることはありません。けれども、今でも条件反射のような思考回路ができていて、サザエさんの、特に終わりの音楽を聞くと、なんともいえないイヤな気分になってしまいます。
さて、そんな話はいいとして、最近の活動をご報告したいと思います。まず、先月お伝えしたように、6月は、ふたつの発表(講演)の機会がありました。ひとつは、「大阪STI研究会」という研究会での発表、もうひとつは「羽衣学園」という大阪の学校での受験についての講演でした。前者は約10分間の発表でしたから、それほど緊張もしなかったのですが、後者の受験についての講演は、さすがに緊張しました。中高生の生徒さんとその親御さんの前で話すわけで、そして私は、中高と決して優等生なんかではなく、できそこないの生徒でしたから、そんな元不良生徒が話していいのかな、と申し訳ない気持ちもありました。
どんなことを話したかというと、まあ、だいたいは私が拙書のなかで述べていることなのですが、「偏差値が低くても受験を諦める必要はない」、「勉強とは本来楽しいものであり受験は勉強のなかでもかなり特殊なひとつ」、「受験勉強はたしかに辛いものかもしれないが、短期間であって楽しむこともできる」、などといったことです。
「講演するのは楽しいですか」などと聞かれることがたまにあります。楽しいかどうかはその内容にもよるのですが、勉強や受験に関して言えば、私の考えは「多くの人が受験について誤った理解をしている。本当は偏差値が低くても諦める必要はまったくないし、やりたいことならやればいい!」というものですから、悔いのない人生を送るためにも、私の意見を参考にしてもらえればと考えています。だから、私の意見を聞いていただき、それに同意してもらったり、あるいは反論してもらって意見を交換することは本当に楽しいことなのです。
というわけで、私の本を読んだり、このホームページのエッセイなどを読まれたりして、ご意見やご質問のある方はどんどんメールをいただければと思います。
さて、7月は私にとって大きなイベントがふたつあります。
ひとつは、7月1日から4日まで神戸で開催される、「ICAAP(アジア太平洋国際エイズ会議)」です。これは、いわゆる学会のひとつなのですが、普通の学会が、その出席者の大半が医師で、看護師や薬剤師などのパラメディカルが少し、というのに対して、この学会は、医師も参加しますが、医師よりもむしろパラメディカル、あるいはNPO法人のスタッフの方が多く、さらにHIV陽性の患者さんも参加されます。そして、HIV陽性の人のみが参加できるフォーラムも開催されます。
HIVやエイズは、日本でも患者数が増えているのにもかかわらず、世間の関心はそれほど高くありません。しかしながら、この学会ではアジア中からHIVやエイズに関心のある人が集まってきます。そして各自がそれぞれの研究や活動をおこなっており、それらを発表する場であります。
私はこの学会を通して、多くのHIVやエイズに関することがらを学びたいと考えています。
もうひとつのイベントは、タイ国渡航!です。7月28日から8月3日までタイに行くことになりました。もちろん本当はもっと長期で行きたいのですが、日本での仕事もありますから、これが精一杯の日程です。この間に、チェンマイに行って「バーン・サバイ」を訪問し、ロッブリーに行って「パバナプ寺」を訪れます。それからバンコクでは、去年パバナプ寺で仲良くなった、タイで公衆衛生学を学ぶ大学生と会って、日本タイでの共同研究の打合せをする予定です。かなりのハードスケジュールです。
先日、「バーン・サバイ」の早川さんから手紙をいただきました。(「バーン・サバイ」はチェンマイにあるエイズ患者さんのシェルターです。)早川さんによると、私が昨年お会いした患者さんは、抗HIV薬がよく効いて元気に生活されているそうです。またこの患者さんにお会いできると思うと今からすごく楽しみです。
一方ロッブリーのパバナプ寺では、去年私が一ヶ月間滞在したときにいた患者さんは、特に重症病棟におられた患者さんはほとんどが亡くなられているそうです。亡くなられた患者さんについては、HIV感染がもっと早期に発見され、適切なタイミングで適切な投薬がおこなわれていれば今も元気にされていたかもしれません。このことを考えると、我々医療従事者がしなければならないことはまだまだたくさんあるように思います。
家族や地域社会から見放されてパバナプ寺で生活されている、治療が遅れたために余命いくばくもない患者さんの苦しみを取り除くことに努力するのも医師の務めですし、一方でエイズの早期発見の重要性を訴えて、検査を促進することもしなければなりませんし、また、HIV感染を予防するための正しい知識を普及させることにも努めなければなりません。
私はこれからもどんどんHIV/AIDSに、医師として様々な観点から取り組んで行きたいと考えています。
「日本タイでの共同研究」というのは、私が知り合ったタイの大学生がとても熱心な学生で、タイでのHIV/AIDSについてすごく興味をもっています。そんな学生と一緒に、「主に若い世代のHIVやエイズに対する関心」や「性感染症について、あるいはコンドームの使用についての意識」をアンケート調査をすることによって比較してみようという試みを考えています。この調査をおこなうことによって、互いの国でどういう意識が欠落しているか、とか、どういう啓蒙活動をすべきか、といったことを分析できればいいなと考えています。
次回のマンスリーレポート(8月号)は、ICAAPのことを中心に報告したいと思います。
受験生の方にとっては、ワクワクするような夏ではないかもしれませんが、それでも2005年の夏はもう二度と来ないわけですから、悔いのないシーズンにしましょう!
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|2013年6月13日 木曜日
2005年6月号 2005/06/01
6月になりました。
私の5月の最大の出来事と言えば、28日から30日まで京都の国際会議場で開催された「WONCA」という国際学会でした。
WONCAとは、World Organization of National Colleges, Academies and Academic Associations of General Practitioners/Family Physiciansの略で、簡単に言えば、「国際家庭医学会」のことです。
WONCAは、数年に一度しか開催されず、それが今回は日本で開催されたわけですから、現在の日本が、いかに、家庭医(プライマリ・ケア医/総合診療科医)の成長期であるかということが伺えるように思います。
そして、WONCAと共に、日本家庭医学会、日本プライマリ・ケア学会、日本総合診療科学会の3つの学会も同時に開催されました。私はこれら3つの学会すべてに所属しているため、まさに何があっても参加しなければならないといった感じの大会になりました。
通常、大きな学会では、著名な医師の講演や発表がたくさんあり、それらが同じ時間に異なる会場でおこなわれます。そのため、是非とも聞きたい講演や発表が同じ時間に重なれば、どれかを犠牲にしなければならず、これははがゆいものです。今回のWONCAでも、そのはがゆい思いを何度か味わいました。
それでも、今回の大会ではいくつもの興味深い講演や発表を聞くことができて、私としては非常に満足のいくものでした。家庭医という領域は、他の専門医療に比べると、扱う範疇がかなり広く、今回聞くことのできた講演や発表も、喘息、うつ、頭痛、神経痛、神経症などのプライマリ・ケアの疾患から、全人医療、疫学、電子カルテや医学教育まで、幅広いものとなりました。
大会に参加しているのは、国際学会ですから外国人も多かったですし、また学生や研修医も大勢参加していたのが印象的でした。
こういうアカデミックな学会に年に数回参加できるのは、医師の醍醐味のひとつと言えます。参加費の他、交通費や宿泊費もかかるため、金銭的にはかなりの出費になるのですが、得るものの方が圧倒的に大きく、私としては大好きなイベントのひとつです。
よく研究された講演や発表を聞いていると、書籍や日頃の臨床経験では分からないことが学べますし、今後の自分の臨床に役立てることができます。今回私は何も発表しませんでしたが、いずれ大きな学会でも何か発表できればと考えています。自分の経験したことや研究したことを多くの医師に知ってもらって臨床にいかせてもらえるというのは、このうえない幸せであるのです。そして、このような意見交流を通して、医学というのは日に日に進歩していくわけであります。
さて、6月は私にとって大きなイベントがふたつあります。
ひとつは、6月4日に開催される「大阪STI(性感染症)研究会」です。これは、国際学会であるWONCAと比べると、会員のほとんどが大阪の医師ですから非常に小さな研究会なのですが、私は前回に続いて、今回もひとつの演題を発表することになっています。
前回(2004年11月開催)は、「タイ国のエイズ事情」というタイトルで、タイのエイズホスピスやHIV/AIDSに関する社会的な考察を発表しました。今回は「HIV抗体検査の受診動機」というタイトルで発表をおこないます。前回の発表が45分間だったことを考えると、今回私に割り当てられた時間は10分間なので気楽と言えば気楽なのですが、それでも気合いが入ります。
今回の内容は、私が2004年の5月から7月まで研修に行っていた「大国診療所」に、HIV抗体検査を目的に受診した患者さんに対するアンケート調査をまとめたものです。アンケートの作成や回収は、大国診療所でおこない、私はその結果をまとめるだけです。アンケートの結果をまとめさせてもらって、発表までさせてもらえる大国先生には、感謝の気持ちで頭が上がらない思いです。
もうひとつ、私にとって大きなイベントがあります。それは6月28日に「羽衣学園」という大阪の学校で、中高生を対象におこなう講演です。講演の内容は、「受験について」です。これまで医学に関する発表は何度かおこなってきましたが、受験についての講演は初めてです。しかも講演時間は1時間もあります。拙書『偏差値40からの医学部再受験』に興味を持ってくださったある方のご好意で、今回の講演が決まったというわけです。
受験についての講演という初めての体験を想像すると、まだ一ヶ月近くも先だというのに少し緊張感を感じます。けれども、このストレスがなんとも言えない心地よいプレッシャーを与えてくれるので、私はこういうイベントが大好きです。なんとしても、成功させたいと考えています。
2つの発表/講演については、来月のマンスリーレポートでお話することにいたします。
最近、メールでの問い合わせが増えてきて、内容も受験相談から、私のエッセイの感想、病気の相談まで多岐に渡っています。できるだけ返事を書かせてもらいますので、みなさん、お気軽にメールをくださいね。
それではまた・・。
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