マンスリーレポート
2026年1月 「ドイツ型安楽死」がこれから広がる可能性
戦後ドイツ・エンターテインメント界の象徴的存在とも言われている双子の歌手、アリス・ケスラーさんとエレン・ケスラーさんが89歳で他界しました。二人とも死因は「自殺」です。
私自身はケスラー姉妹について詳しいわけではないので、報道から紹介すると、一卵性双生児の2人は1950年代に東ドイツから脱出し、国際的なスターダムにのし上がりました。フランク・シナトラ、フレッド・アステア、サミー・デイビス・ジュニアといった当時の巨匠たちと共演したこともあるようです。ドイツのみならずフランス、米国などでも活躍し、特にイタリアでは大変な人気を誇り、美しく長い脚と魅力的なダンスパフォーマンスから「国民の脚=le gambe d’Italia=the legs of the nation」と呼ばれていたそうです。
仲睦まじい二人の自殺と聞けば、日本人なら「心中」(あるいは無理心中)という言葉を思い浮かべます。実際、報道をみる限り、この自殺は「心中」と呼んでいいと思います。ただし、我々が思い浮かべる心中と異なるのは、現場には医師と弁護士がいたことです。つまり、これは「安楽死」の一種です。
ここで混乱を避けるために言葉の整理をしておきましょう。過去のコラム「私が安楽死に反対するようになった理由(前編)」でも尊厳死と安楽死の違いについて触れましたが、ここではより細かく分類してみましょう。そのコラムでは安楽死の英語をmercy killingとしましたが、今回はより専門的な用語のeuthanasiaを用います。
・尊厳死(Death with Dignity):助かる見込みのない状態で「人工呼吸器をつけない」「点滴をしない」など。日本でも一定の条件を満たせばたいていの場合合法
・消極的安楽死(Passive Euthanasia):最も分かりやすい例が「人工呼吸器を外す」。日本でもいくつかの条件を満たせば合法
・医師による自殺ほう助(Physician-Assisted Suicide = PAS):他に「Physician-Assisted Dying = PAD」、「Medically Assisted Suicide」、「Self-administered euthanasia」などの表現もある。医師の処方した薬を飲む、致死薬の点滴のスイッチを入れるなど。スイスの安楽死はこの方法
・積極的安楽死(Active euthanasia):医師が毒薬を投与する方法。オランダとカナダが有名。他には、ベルギー、ルクセンブルク、コロンビア、スペイン、ニュージーランドでも認められている
話をドイツにうつしましょう。「ドイツで安楽死」という話はあまり耳にしません。少なくとも「スイスで安楽死」の方がはるかに有名です。というより、スイス以外でこの安楽死ができる国や地域はさほど多くありません。スイス、ドイツ以外では米国のいくつかの州と地域(ハワイ、カリフォルニア、コロラド、メイン、モンタナ、ニュージャージー、ニューメキシコ、オレゴン、バーモント、ワシントン、ワシントンDC)くらいです。
スイスが有名なのは1942年から実施されているという「歴史」に加え、外国人にも門戸を開いているからです。他方、ドイツと米国ではおそらく対象者は現地で生まれ育った人に限定されているはずです。もしも限定されていなければ大勢の移民が希望することになりかねないでしょう(ドイツも米国も共に移民の多い国です)。
しかしながら、今後このタイプの安楽死が世界的に広がっていくのではないかと私は予想しています。
2022年9月、仏国の映画監督リュック・ゴダール氏がスイスで安楽死を遂げました。安楽死の理由について、当初は「特に病気がないけれど人生に疲れたから」あるいは「人生でやり残したことがないから」などと報道されましたが、実際にはこれは誤りで「multiple invalidating illnesses(複数の障害を伴う病気)に罹患していた」と、本人の弁護士により発表されました。
一方、2025年11月に二人そろって自殺したケスラー姉妹は、英紙The Independentによると、「もはや生きることを望まなかった。共に人生を終えることを選んだ」(no longer wanted to live. had chosen to end their lives together)とコメントしています(ただし正確なドイツ語の表現は不明。この英訳はThe Independentが英訳したもの)。
ゴダール監督の場合は当初は「人生に疲れたから」などと報じられていましたが、事実は「病に対する苦」でした。実際、スイスで安楽死(上記の「医師による自殺ほう助」)が認められるのは、「治る見込みのない病気があるときのみ」で「人生に疲れたから」では安楽死できないと言われています。ところが、ケスラー姉妹は正真正銘の「病気を原因としない安楽死」を遂行できたのです。
もしも日本で国民的スターの一卵性双生児がいたとして「二人で共に死ぬことにしました」といって自殺をすればどうなるでしょう。おそらく、どこかでひっそりと自殺をして後から遺書が見つかった、ということであればその二人を非難する声は上がらないでしょう。
では、医師の目の前で、医師が処方した毒薬を飲んでその2人が自殺(安楽死)をすればどうなるでしょう。おそらくその医師は強烈な批判に晒されるでしょう。
ケスラー姉妹が実行したこのタイプの安楽死はドイツではどのように捉えられているのでしょうか。私はドイツ語が読めないために情報源が限られてくるのですが、ドイツの英字新聞「DW」から抜粋してみます。
・ドイツのDGHS(German Society for Humane Dying=ドイツ人道的死の協会=Deutsche Gesellschaft für Humanes Sterben)によると、2024年にはドイツ全土で約1,200人がこのタイプの安楽死で死を遂げた
・ドイツ統計局(German Statistical Office)によると、2024年の自殺者数は10,372人で、過去10年間の平均より7.1%の増加。前年と同様、自殺は全死因の1%
・2015年に導入された刑法第271条では「自殺ほう助を行った者は最長3年の懲役刑に処せられる」と規定されていた。つまり医師による自殺ほう助は違法だった。しかし、2020年、ドイツ連邦憲法裁判所は、この刑法第271条を違憲とする歴史的判断を下し、この司法判決によりケスラー姉妹のような安楽死が認められるようになった
・しかしこの安楽死に慎重な意見もある。元保健大臣の中道左派の社会民主党のKarl Lauterbach氏は「自殺ほう助を受ける人が、意思決定能力を損なう精神疾患を患っていないという確証がない」という理由で現在のルールは倫理的に容認できないと考えている
・2023年、ドイツ連邦議会は自殺ほう助に関する規制について議論し、自殺防止強化のための決議を賛成多数で採択した。2025年、政府は自殺防止法案を提出し、現在も検討されている
つまり、現時点ではケスラー姉妹が実行したような自殺ほう助による安楽死は合法であるものの、根強い反対意見もあって今後の行方は分からない、という状況のようです。
しかし、現行ルールでは、医師が積極的に手を下す積極的安楽死を違法としながら、病気がなくても単に「人生に疲れた」というだけで医師が致死薬を処方することができ、少なくともそれに反対する大きな世論はないわけです。今後他の国や地域にもこの考えが広がる可能性はあるでしょう。
私自身は過去のコラム「私が安楽死に反対するようになった理由(後編)」で述べたように、「人間には自殺する自由がない」という考えに至りました。しかし現在のドイツでは「人間には生きる義務はなく自殺の自由も認められる」と考えられているというわけです。
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