マンスリーレポート

2018年9月10日 月曜日

2018年9月 人生を逆算するということ

 12年近く続いた「午前10時から診察開始」いう習慣が「11時から」に変わって10日ほど経過しました。幸いなことに、今のところ患者さんには理解をしてもらっていて特に大きなトラブルもなく診察ができています。前回のコラムで述べたように、私の出勤時間はこれまで通り6時45分とし、電話を取り始める午前8時までを自分の貴重な勉強時間として使っています。

 これまでは生活にまったく余裕がなく、勉強時間が捻出できないのが悩みでしたが、これからは貴重な1時間を使ってたくさんの論文を読んで(たまには書いて)有意義に過ごすつもりです。

 改めて「時間の使い方」を考えてみると、限られた残りの人生の時間をどう使うべきかという問題に直面します。診療に費やせる時間は、仮にあと10年間がんばれたとすると、だいたい月に20日診療をしていて1日平均患者数が70人とした場合、1カ月で1,400人、1年で16,800人、10年で168,000人となります。こう考えるとものすごく多いような気もしますが1年たてば1割減るわけです。月並みな言い方になりますが、一日一日を大切にし、一人一人の患者さんをじっくり診察しなければ、という気持ちになります。

 このように私は以前から、「この環境はあと〇年(△ヶ月)しか続かない。”卒業”までにしなければならないことがすべてできるか」と自分に問う「習慣」があります。この習慣は「自分を律する」という意味でとても有効なものだと思っています。そこで今回は(「余計なお世話だ」と感じる人もいるかもしれませんが)私のこの習慣を紹介します。

 ただし、最初に断っておくと、「自分を律する」を常に実践しているつもりですが、私の人生は計画通りに進んでいません。そして、50歳の誕生日を迎える前に気付いたひとつの「真実」があります。それは、「人生は思い通りにはいかない」ということです。

 人生は自分の思うようにはならずたいていは冷たいものです。そして、計画通りに事は運びません。私の人生など思い通りに進んだ試しがありません。職業にしても、過去に何度か述べたように自分が医師になるなどとは微塵も思っていませんでした。私が医師を真剣に目指しだしたのは医学部の4回生になってからです。そして、医師になった今も、この職業でよかったのか、自分に向いているのか、といったことに答えが出ていません。

 しかしながら、かといって「成り行きまかせだけの人生」には私は反対です。なぜなら、これは私見ですが「生涯を通して努力を続けなければならない」と考えているからです。「努力」というのは常にしんどさが伴います。ですが、たいていはその努力を終えた後は「やって良かった」と毎回感じるわけで、「初めから努力しなければよかった」と思うことはほとんどありません。これはその努力が結果につながらなかったときも、です。

 分かりやすい例をあげましょう。例えばあなたが「1年間勉強して医学部合格を目指す」と考えたとしましょう。その場合、基礎学力にもよりますが、医学部受験にはそれなりの努力が必要になります。そして1年間努力を続け、その結果、不合格だったとして、この努力はムダになるでしょうか。それは、努力と結果の程度によります。もしもあと一歩のところで合格に及ばず、そして翌年に合格したとすれば、もちろん(1年目の)その努力に価値があったわけです。

 では、努力したものの合格点には到底及ばず夢を諦めざるをえなくなった場合はどのように考えればいいのでしょう。この場合は、「その努力が充分であったかどうか、つまり精一杯努力したかどうか」を考えます。もしも「充分」であったなら、まず自分の実力を自分自身が客観的に評価できたという意味でやはり価値はあったのです。「努力しても到達できないことがはっきりした」ことを認識するのに意味があります。

 私自身も、過去に述べたことがあるように、研究者にはセンスも能力もないことを自覚してやめましたし、フランス語(以下仏語)にも挫折しました。私は医学の研究がしたくて医学部に入学し一生懸命に本や論文を読み、医学部のカリキュラムにある実験も積極的に取り組みました。ですが、あるときに「自分には無理」と納得せざるを得ませんでした。仏語にしても、医学部1回生のときに私が最も時間をかけて勉強した科目なのです。そして、あるとき「No Way!」(仏語ではなく英語で)と一人で大声をだして匙を投げました。医学の研究も仏語も、あっさりと諦められたのはなぜか。それはそれまで「精一杯努力をしていたから」です。もしも私の努力が中途半端なら、もっとやればできるかも……、といった甘い期待を捨てきれなかったかもしれません。

 では、努力は具体的にどのようなことをすればいいのでしょうか。これを考える上でのキーポイントが「逆算」です。今の例でいえば、私は「研究」については、医学部4回生のときまでに基礎の基礎をマスターすることを考えました。ですが、いつまでたっても劣等生のままであることに気づき「期限切れ」であることを認めました。仏語についてはほぼ1年間必死でおこないましたが、英語で言えば中1の二学期レベルくらいのあたりから伸びませんでした。私の目標は「1年で簡単な仏語の本を読む」でしたから、これでは人生500年あっても足りない、と考えて諦めました。

 逆算の「究極のかたち」は何でしょうか。それは「自分が死ぬ時からの逆算」です。そしてこのことに私が気づいた、というか教えてもらったのは、このサイトでも何度か紹介した『7つの習慣』です。同書の「第2の習慣」が書かれている章の冒頭に、自分が愛する人の葬式に行くと死んでいたのは自分自身だった、という逸話が紹介されています。これは、自分の葬式にはどんな人に来てほしいか、どんな言葉を述べてほしいかを常日頃から考える習慣を身につけなさい、というエピソードです。これを実践すると、では向こう30年間で誰とどのような時間を過ごし、どのような努力をすべきなのかをイメージすることができます。それができれば、10年後、5年後、3年後、1年後、1カ月後…、そして今日中にすべきこと、がイメージできるようになります。

 どのような葬式にするかは別にして、あなたが死んだときにあなたとの思い出をなつかしんでくれる人や、あなたが努力してきたことを認めてくれる人、さらにあなたに感謝の言葉をかけてくれるような人がいれば、あなたの人生は幸せだったと言えるのではないでしょうか。

 自身の最期までにすべきことは? 30年後に達成していたいことは? 1年後は?……、と考えれば自ずと重要なことがみえてきます。それは「時間をムダにしてはいけない」ということです。若い頃なら少々ムダな時を過ごしてもいいでしょうが、年齢を重ねるにつれて時間はとても貴重なものになってきます。年をとるほど時間がたつのを早く感じるのは万人共通でしょう。

 ただ、この「究極の人生の逆算」にはひとつ問題があります。それば「自分がいつ死ぬかが分からない」ということです。人生はいつも計画どおりに進まないのです。いつ寿命が尽きるのか、そして死因は何なのかが分かれば計画が立てやすいのに……、という考えても仕方のないことに私は今も思いを巡らすことがあるのですが結論はいつも同じです。それは「明日死ぬかもしれない。それでも後悔のない生き方をするにはどうすればいいのか。それは今日という一日をムダにしないことだ」というものです。

 こういったことを考えながら、私は毎朝7時からの1時間、勉強に勤しんでいるというわけです。

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2018年8月6日 月曜日

2018年8月 診察時間の変更と私の「終活」

 20代30代の若いうちは、本当はそうでなくても「体力だけは自信があります!」と宣言してしまうのも、「己の身体で生きていく」を実践していく上でのひとつの方法だということを先月のコラムで述べました。

 もうすぐ50歳の誕生日をむかえる今の私の立場からみても、若いうちは「体力」を武器にすべきだという考えは変わりません。そして、そのことを裏返してみると「老いれば体力は落ちる」という当たり前の事実です。

 来月(2018年9月)から太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の診察開始時刻を1時間遅らせて午前11時からとさせていただきます。「ただでさえ予約が入りにくいのに!」とお叱りの声もあると思いますが、過去数カ月間いろんな観点から熟考した上での結論です。

 なぜ診察開始時刻を遅らせるのか。最大の原因は私の体力の問題です。2007年にオープンしてから今までの間、私のスケジュールは、7時前にクリニック到着 → 7時から10時前:前日のカルテ記載およびメール相談の返答 → 10時から13時半頃:午前の診察 → 13時半から16時半:昼食、昼寝、午前診察のカルテ記載、論文や医学誌、教科書などの抄読 → 16時30分から21時30頃まで:午後の診察 → その後帰宅・就寝 → 翌朝4時45分起床、という感じです。

 数か月前まではこのスケジュールが自分に合っていたようで、睡眠時間は夜間の5時間と昼寝15分くらいでちょうどよかったのですが、最近これでは身体がもたなくなり、ついつい昼寝の時間が1時間を超えてしまう日が相次ぐようになってしまいました。しかも、昼寝タイムの後半は、熟睡しているわけではなく「起き上がって論文を読まなければ…」という気持ちがあるけど身体が動かない…、という状態で目覚めもよくありません。

 ではどうすべきなのか。最終的に出した結論が、論文などの抄読を朝の診察前に持ってきて昼休みは1時間弱くらい眠る、というものです。起床時間を遅らせるという方法も考えたのですが、私の場合長年4時45分に起きるという習慣が根付いていますし、朝は朝でやることが多くここは変えられないという結論になりました。週に4回ほどジョギングをしていて、これは5時台に走るから交通量が少なく走りやすいのであって、1時間遅らせば一気に走りにくくなります。

 ただ、自分の都合で診察開始時刻を遅らせて患者さんの不利益になることは極力避けなければなりません。そこで、午前の診察の終わりを30分ずらして14時までとすることにしました。そして予約枠を少し増やすことにしました。また、最も予約が埋まりやすい土曜日はこれまで通り午前10時から開始のままにします。こうすることで、時間変更後予約が取りにくくなったという声を最小限に抑えられるのではないかと考えています。

 予約枠を増やしたなら診察時間が短くなるのでは?、という声もあるでしょうが、案外そうでもないのでは、と考えています。というのは、最近、具体的には2~3年前から極端に時間のかかる患者さんが減ってきているからです。以前は初診なら30分以上かかるような人も日に1~2名いて、待ち時間が大幅に遅れることもあったのですが、最近こういう症例は稀です。その理由はいくつか考えられますが、おそらく最大の理由が「景気が良くなったから」ではないかというのが私の分析です。

 谷口医院は「精神科」を標榜していませんが、心の不調を訴えて受診する人がオープン以来たくさんいました。しかし最近、こういった人たちが激減しています。その理由として考えられるのが、そういった人たちが仕事を得ることができて元気になった、ということです。実際、過去にも述べたように「どんな抗うつ薬も僕には効きません。きちんと給料の出る仕事が得られればうつ病は治るんです」と診察室で主張した患者さんも何人かいました。さらに、仕事をしているということは受診するにしても、仕事が終わってから、つまり午後6時以降の受診となります。谷口医院は午前は予約制、午後は「受診された順」です。仕事がなければ午前に受診する時間がありますから、以前はそういった人達が午前の予約枠を利用していたのです。

 もちろん午前のひとりあたりの診察時間が減った理由がこれだけですべて説明できるわけではありませんが、平均診察時間が減少しているのは間違いありません。こう言うと、なんだか開始時刻を遅らせることへの「言い訳」に聞こえるような気がしますし、そもそも、「谷口医院の近くで11時から仕事が始まる。だからいつも10時に予約していたのに」という患者さんにはお詫びするしかありません。ですが、予約表上の予約枠数はほぼ変わっていないのでなんとかやっていけるのではないかと考えています。

 ところで、私は今年50歳になりますから、当然と言えば当然ですが「若く」ありません。年を取ることに抗っているわけではありませんし、いわゆる「アンチエイジング」というものにも興味がありませんが、最近あるメディアの人から「若手のために文章を書いてください」と言われて心臓が止まりそうになりました。というのは、「えっ、僕が”若手”じゃなかったの?」とまず思ったからです。

 私は別の大学と会社員を経て医学部に入学しましたから、現役で医学部に入った同級生より9歳年上です。といっても、研修医のときに30代前半ですからまだまだ「若僧」です。研修医のときもそれ以降も私は、時間さえあれば(お金は借りてでも)いろんな学会や講演会に参加していました。ちなみに今も学会参加は私の「趣味」のようなものです。学会の種類にもよりますが、たいてい参加者の平均年齢は私よりずっと上です。いい質問(かどうかは分かりませんが)をすると、年配の先生方から「君のような”若い”医師にがんばってもらいたい」という言葉をかけてもらえるわけです。また、私自身、教科書や論文の読み方、つまり勉強の仕方は研修医の頃と何ら変わっていませんから、無意識的に今も研修医(つまり若い医師)のつもりでいたのです。

 「若手のために書いてください」と言われて驚いた私が次に感じたことは、「よし、やってやろう!」ということです。このサイトでも伝えたように、私自身、数年前から「新しいことを学びたい」という気持ちを維持している一方で、「学んだことを若手に伝えていかなければ…」という思いがだんだんと強くなってきています。

 当院に来る研修医にはそれを伝えていますが、もっと広く伝えられないか、と思案していたというわけです。「若手のために…」と言ってくれたメディアの人は『日経メディカル』の編集者です。そういう経緯があって、先月(2018年7月)末から、「梅田のGPがどうしても伝えたいこと」というタイトルで私の連載が始まりました。GPとはgeneral practitionerの略で「総合診療医」という意味です。ただ、このサイトは医療者限定のものですから、一般の方は読むことができません。ちなみに、私がウィークリーで連載を担当している毎日新聞の「医療プレミア」は、2018年3月までは月に5本まで無料で読めましたが、4月以降は1日読み放題100円コースに申し込むか、月の契約をしなければ閲覧できなくなってしまいました。

 私は以前から50歳になったときにそれまでの人生を「総括」しようと思っていたのですが、どうやらそのタイミングが前倒しで来てしまったようです。体力の低下を自覚し、診察開始時刻を遅らせ、医療への取り組みは「勉強」から「伝授」に少しずつシフトしてきています。患者さんを診察できるだけの体力と知力を維持できる期間はあと10年くらいでしょうか。それとも20年くらいは頑張れるでしょうか。

 私の「終活」が今、始まっているような気がします。

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2018年7月7日 土曜日

2018年7月 己の身体で勝負するということ~その3~

 組織に頼るな、自分ひとりの力で生きていくのだ…

 私が提唱している「己の身体で勝負すること」というのは、極論するとこういうことになるかもしれません。こういう言葉には「それはできる者の言うセリフだ」「きれいごとだ」という反論があるでしょう。また、「そんなに肩肘を貼らなくても仲間と楽しくやっていけばいいんじゃないの」という声もあると思います。

 私はなにも「組織や上司と対立せよ」と言っているわけではありません。実際、私自身がこれまでの人生で上司に刃向かったことは”数えるほどしか”ありません。

 以前のコラム(「「やりたい仕事」よりも重要なこと~中編~」)で紹介した私の就職活動時の「師匠」、元リクルートのIさんは、「どんな仕事をするときも次への就職活動だと思え」と話していました。つまり、「どのような仕事からも学べることはある。そして、他社の人と会うときは、自分がその会社で使ってもらえるような人間になることを目指せ」ということです。30年近くたった今もその言葉を覚えているわけですから、私にとってIさんのこの言葉は仕事上の「原則」となっています。

 一見雑用に見える、というか雑用にしか見えない仕事からも何かしら学べることはありますし、その雑用を複数人でおこなっているなら、職場の雰囲気をよくして人間関係を構築するトレーニングにもなります。新しいジョークが通用するかどうかを試してみてもいいでしょうし、まったく笑顔を見せない同僚に積極的に声をかけて微笑みをもたらすことを試みてもいいでしょう。

 ただし、どのような仕事からも学べることがあるのは事実ですが、「多くの仕事には見切りをつけるタイミングがある」のもまた真実です。「己の身体で勝負する」を実践するには、ステップアップしていかなければなりません。40代になっているのに20代相当の知識と経験しかないのであればとても「勝負」はできません。

 では、知識と経験のない20代は「勝負」できないのかというとそういうわけではなく、若いが故に有利なことも少なくとも2つあります。そして、私自身は30代前半頃まではその2つを「武器」にしていました。

「武器」の1つは「体力」です。体力といっても強靭な肉体を有している必要はなく、フルマラソンを4時間で完走できる持久力が求められるわけでもありません。これを読んでいるのが20代30代の人で、疲労しやすい持病を持っていないのであれば、実際には自信がなくても「体力には自信があります」と宣言してしまえばいいのです。本当は自信がないのに…という気持ちがあったとしても40代50代の人たちよりは確実に体力がありますから大丈夫です。さらに一歩進めて「体力”だけ”は自信があります!」と言うと、これだけで「こいつ、おもろい奴や」と思ってくれる人もいます。女性がこれを言えば男性よりも効果があることもあります。

 そして、職場の肉体労働的なことを自ら率先してやるのです。例えばオフィスに宅配便が届いたときには真っ先に飛んで行って、配達の人に大きな声で挨拶し、荷物を(少し大げさに)運ぶのです。組織で行事やイベントがあれば面倒くさい雑用を率先してやります。これを続けていけば周囲から「あいつはできる奴や」と思われるようになります。本当はたいしたことをしていないのですが…。

 もうひとつの若者の「武器」は「コミュニケーション」です。コミュニケーションの細かい技術は年齢を重ねるほど上達しますが、若いが故に有利な点もあります。初めて会う人がいれば誰であったとしてもすっと近づいて大きな声で挨拶するのです。こういうアピールはある程度年をとった者がやると滑稽で奇妙にみえますが、若者なら問題ありません。コミュニケーションが苦手、と感じている人もいるでしょうが、誰に対しても笑顔で大きな声で挨拶を自分からおこなう、これを実践しているだけで、あなたに話をしたいと感じてくれる人が増えていくのです。

 ちなみに私は現在医師として研修医に教育をする立場にあります。積極的に教えたいと感じる研修医は、こういうタイプです。つまり「体力(だけ)はあることをアピールし、笑顔で元気がある若者」です。

 ただし、「己の身体で勝負する」を実践するにはこれだけでは不十分です。自分にしかできないこと、というのはめったにありませんが「たいていの人にはできないこと」を見つけていかねばなりません。それにはいろんなものがありますが、ここでは私の経験を話します。

 私の場合、会社員時代に海外事業部に入れられたせいで(おかげで)(このあたりはマンスリーレポート2011年10月号「私の英語勉強法」を参照ください)、英語の読み書きは少々できるようになっていました。また商社で働いているわけですから貿易実務の知識があります。そして、学生時代から(体力とコミュニケーションを武器に)築いた人間関係がありました。そこで、会社員3年目に雑貨の個人輸入をやりだしました。当時はインターネットどころか携帯電話も普及していない時代でしたから、このためにFAXを購入し知り合いを頼りに香港の貿易会社を探して、個人で輸入しそれを知り合いのいくつかの会社に販売したのです。輸入する物によっては法律がややこしく(特に食品)、一筋縄ではいきませんでしたが、やはり人脈に助けてもらい軌道に乗せることができました。(会社員がこういうことをするのは社内規定違反だと思います。四半世紀たった今だから告白できることです…)

 これは一例で、私が小銭を稼ぐためにこれまでの人生でやってきたことは実はたくさんあります。ただ、そのほとんどはお金のためにやったのではなく、おもしろいからやったというのが本音です。きれいごとに聞こえる人もいるでしょうが、昔誰かが言っていたように「お金は後からついてくる」のです(これ、誰が言い出したのでしょう…)。ただし、私の場合、以前にも述べたように、ビジネスへの興味が急激に低下し、代わりに「勉強したい」という欲求に目覚め、その後はビジネスとは無縁の人生になりました。

 今の私の立場で「己の身体で勝負する」と言っても「あんたは医師免許があるから言えるのよ」という反論があると思います。ですが、仮に医師免許を剥奪されたとしても、私には医学の「知識」と「技術」(こちらは最近自信をなくしていますが…)があります。食品会社や製薬会社なら採用してもらえると思いますし(甘いでしょうか…)、そんなことをしなくても医学知識が武器になる会社を興すことを考えます。資格に頼るつもりはありませんが、私は労働衛生コンサルタントの資格も持っていますから、これを使って会社をつくることもできます。また、英語力だけで生きていくことはできませんが、英語と医学の知識を絡めればできることがあるはずです。私はタイ語のレベルは中途半端ですが、もう一度勉強しなおしてタイ語の実力を上げれば、さらにできることが増えるでしょう。

 医師免許がなかったとしても医学の知識があるからそんなことが言えるんだ、と感じる人もいるでしょう。ならば、あなたも何かを必死で勉強すればいいのです。私の医学部の6年間の生活は9割が勉強でした。若い同級生たちの倍は勉強しました。そして、医学の勉強は今も続け、英語もほぼ毎日勉強しています。体力には自信をなくし、コミュニケーションについては新しい人脈は医師になってから医師以外はほとんど広がっていませんが、「己の身体で勝負する」という考えは、私がひとつめの大学時代に先輩たちから学んだ時からまったくかわっていません。

「己の身体で勝負する」という考え、楽しいと思いませんか。不条理な組織の理屈や学歴以外にとりえがない上司の指示に屈するような人生、面白くないと思いませんか。前回述べたように、違法タックル事件の学生をかばう意見が多いことに私は違和感を覚えるのです。

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2018年6月4日 月曜日

2018年6月 己の身体で勝負するということ~その2~

 日本大学アメリカンフットボール部の選手がおこした反則行為が連日メディアを賑わせています。私はこの事件の世間の捉え方に大きな”違和感”を覚えます。私には、なぜ怪我を負わせた日大の選手をかばうような発言をする意見が多いのかが理解できないのです。こんな私は「異端児」かもしれませんが、私のような考えを持った方が、人生が「ラク」になる、ということを示したいと思います。尚、私のひとつめの大学は関西学院大学(以下「関学」)ですが、卒業生だから関学をひいきにみているわけではないことをお断りしておきます。

 まずは事件を簡単に振り返ってみましょう。2018年5月6日、東京で開催された関学と日大のアメリカンフットボールの定期戦。パスを投げ終えたばかりで無防備の関学のクオーターバック(QB)の選手に日大のディフェンシブライン(DL)のM選手が後からタックル。M選手はその後もラフプレーを続けて退場させられました。負傷退場した関学のQBの選手は全治3週間の怪我を負いました。

 この事件を受け日大の監督とコーチが除名されることになりました。これは当然でしょうが、世間のM選手に対する「声」は軒並み”優しいもの”です。なかには、「厳しい処分をしないで」という署名も集まっているとか…。しかし、これはおかしくないでしょうか。アメリカンフットボールというスポーツは、ルールを順守していてもときに生死にかかわる重大な事故が起こりえます。詳細は述べませんが、ほとんどの関学卒業生が知っている不幸な事故の歴史もあります(注1)。M選手は問題のタックルの後もラフプレーを繰り返し退場させられているのです。

 監督やコーチの指示なら他人を怪我させてもいいという理屈は私には到底理解できません。例えば、上司と一緒に酒場にいるときに、上司から「あいつムカつくから殴ってこい」と言われて、そこにいた客を殴ればこれは有罪ではなかったでしょうか。

 日大M選手が世間からバッシングされないことから2つの「事件」を思い出しました。

 ひとつは「オリンパス巨額粉飾事件」です。巨額の損失を「飛ばし」という手の込んだ方法を使って巨額の損益を10年以上にわたり隠し続けた挙句、その負債を粉飾決算で処理した事件です。2011年に、社長に就任したイギリス人のマイケル・ウッドフォード氏は、問題を調査し、会社と株主に損害を与えたという理由で菊川剛会長と森久志副社長の引責辞任を促しました。しかし、その直後に開かれた取締役会議でウッドフォード氏は社長職を解任されることになります。

 要するに、オリンパスは「組織の理屈」を重視したわけです。よそ者のお前が正論を押し付けるな!という理屈です。最近、この事件がウッドフォード氏の語りが中心のドキュメンタリー映画となり海外で高い評価を得ています。監督は日本人の山本兵衛監督でタイトルは『サムライと愚か者─オリンパス事件の全貌─』です。外国人には日本人の意味不明の組織の理屈が興味深くみえることでしょう。

 もうひとつ私が思い出した事件は病院でおこったものです。「千葉不正告発後解雇事件」とでも命名しておきましょう。この事件が起こったのは2010年。千葉県がんセンターで相次いでいた死亡に至る医療ミスや不正麻酔を看過できないと判断したひとりの麻酔科医が同院長に内部告発した直後に退職を命じられた事件です。

 日大M選手事件、オリンパス巨額粉飾事件、千葉不正告発後解雇事件の3つに共通するもの。それは「良心が組織の理屈に負ける」ということです。M選手は「悪」に加担したのにも関わらず擁護する意見が多いのは「組織に屈するのはやむを得ない」と多くの人が考えるからに他なりません。M選手を助けるよう署名までする人は、「自分も同じ立場だったら自分の良心を犠牲にして同じことをするだろう」と考えているわけです。

 しかし、そろそろこんな考えをやめて自分の「良心」を大切にしてみればどうでしょう。つまり、組織のなかで生きていくために逆らわない、ではなく、良心に基づき「組織に頼らず生きていく」つまり「己の身体で勝負する」を実践するのです。

 私が2年前に書いたコラム「己の身体で勝負するということ」は意外にも「賛同します」という声を多数いただきました。そのコラムで私が述べたことは、魅力ある先輩たちから学ばせてもらった結果、学歴に頼るのではなく自分の力で生きていくべきことが分かった、というものです。当時18歳の私は、肩書がなければ何もできない人間にならないことを誓いました。ひとつめの大学(関学)を卒業するとき、「(大企業の)〇〇社 谷口恭」という名刺を持ちたくないという理由で、大企業への就職は一切考えませんでした。

 私のこの考えに対し「大きな組織の一員になれば組織に守ってもらえるから安心できる」と言う人がいます。しかし、果たして本当にそうでしょうか。私なら、不条理な理屈や学歴以外にとりえのない上司の命令に従わなければならないような組織に所属することは安心ではなく”不快”ですし、私の「良心」がそんなことを許しません。そんな組織はとっとと去って己の身体で生きていく方法を考えます。

 M選手に話を戻します。日本のメディアをみていると、問題のタックルを「危険なタックル」「悪質なタックル」などと表現していますが、これは「全滅」を「玉砕」と言い換えるようなものであり、例えば「The New York Times」は「違法タックル(illegal tackle)」という厳しい表現をとっています。日本の報道では監督とコーチが前面にでてきますが、同紙の報道では、まずM選手の謝罪の写真と”違法タックル”のビデオがファーストビューで見られるように構成されています。M選手がパワハラを受けたことも書かれ、監督の写真も記事の下の方に掲載されていますが、日本のメディアのようにすべて監督とコーチが悪いんだという書き方ではありません。記事の最後はM選手の「私にはアメリカンフットボールを続ける権利はなく、またそのつもりもありません」という言葉で締められています。

 この言葉がM選手の本心なら、この次同じような局面に立った時、それはスポーツ以外のことであったとしても、おそらく自分の「良心」に従って行動するでしょう。もしも、そのとき上司の信頼を失ったとしても「良心」は守ることはできます。そして「良心」に従って行動したことで結果的により多い賛同を得られるはずです。実際、世間のM選手に対する視線が”優しい”のは彼が良心を取り戻したからでしょう。

 今回の事件に関する何人かの識者のコメントを読んで、私が最も共感できたのは三浦知良選手の次のものです。

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僕も監督に言い返し、口論し、刃向かってもきた。監督と選手は五分だと思ってきた。理不尽な要求をする監督、上級生が下級生に説教をたれる上下関係。少年時代はそんなものがまかり通ることに納得ができず、外でプロの世界に身を置きたかった。(日経新聞2018年5月25日)
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 今回のこのコラムでは「己の身体で勝負」の具体的事項を述べていません。口で言うのは簡単だけど、誰もが自分の実力だけで食べていけるわけではない、という反論もあるでしょう。私が述べたことが「きれいごと」にしか聞こえない人もいるかもしれません。
 
 それに、私は当時の先輩たちの影響を受けて18歳の頃から同じことを言い続けていますが、確かにこういったことが言えるのは自分自身の身体と精神が健康であり、サポートしてくれる家族や友人がいるからです。身体に障害を負うようなことがあれば、己の身体だけでは生きていけなくなるでしょう。ですが、私ならいかなるときも組織に頼ることは考えず、可能な限り己の身体を頼りにします。

 次回は、「己の身体で勝負」にはどのような方法があるのか、その具体的な事例を私の体験を振り返り紹介したいと思います。

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注1(2018年7月7日追記):複数の人から詳細を教えてほしいとのリクエストがあったために付記しておきます。「ほとんどの関学卒業生が知っている不幸な事故の歴史」は1978年に起こりました。当時の関学アメリカンフットボールの名手であった猿木唯資選手(今回の被害者と同様QBでした)が試合中に相手チームにアタックされ脊髄損傷の大事故となり選手生命を絶たれたのです。私が関学に入学したのは1987年、事故から9年後でしたが何度かキャンパス内で聞きました。

ちなみに猿木選手が入院しリハビリを受けていたのが大阪府枚方市にある星ヶ丘厚生年金病院です。四半世紀後の2003年、私は「研修医」として同院に就職しました。同院のリハビリ病棟は非常に有名で、他にも有名なスポーツ選手が何人も治療を受けられています。尚、猿木選手は現在、車椅子の生活ながら税理士として活躍されているそうです。

関学のアメリカンフットボールの事故は比較的最近も起こっています。2016年、関学高等部の選手が試合中に相手選手と接触し頭部を損傷。硬膜外血種を起こし4日後に他界されました。

我々(OB・OGも含めた)関学の者はアメリカンフットボールの危険性を軽視できないのです。

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2018年5月11日 金曜日

2018年5月 なぜあの医師は買春をしたのか

 2017年10月、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによるセクハラ疑惑が報じられたことをきっかけに世界中に広がった「#me too」。韓国、台湾、中国などアジア諸国でもムーブメントが起こっているなか、日本では大きな動きはありませんでした。有名ジャーナリストからレイプされ、実名を公表してまで告発したジャーナリストの伊藤詩織さんの勇気にこの国もいよいよ変わるかと期待する声もありましたが、なぜかこの事件は「不起訴」となり、いつの間にかメディアもあまり報じなくなりました。

 そんななか、2018年4月、「女性問題」で二人の高い地位にある男性が職を辞することになりました。そんなことをすれば問題になるのは間違いない、と誰にでもわかることを、なぜ「高学歴+高職歴」の男たちがいとも簡単にしてしまったのでしょう。もちろん人間は誰もが聖人君子ではありません。例えば、奥さんに秘密で妾(愛人)をもつとか、身分を隠して女性を買うということはその心理が理解できなくはありません。ですが、辞職した二人の行動は一般人の理解を超越しています。今回は、なぜこんなバカげたことを地位の高い男がやってしまったのか、その理由について私見を述べたいと思います。

 女性問題で辞職したひとりは財務省の福田淳一(元)事務次官です。報道によれば、女性記者に対して「抱きしめていい?」、「おっぱい触っていい?」と言ったとか。もしも、身分を隠して、録音・録画されていないことが確実で、相手がペンを武器にするジャーナリストでないという状況であれば、こういう発言をしてやろう、と思う人もいるかもしれません。しかし、福田氏の場合、自分の立場は周知されていて、相手は報道者であるわけですから、氏の言動は狂気の沙汰にみえます。

 この異常な言動は海外にも伝わり、氏は世界中に恥をさらしました。BBCは氏の発言を”Can I give you a hug?” “Can I touch your breasts?”などと英訳して世界中に発信しました。

 では、福田氏はなぜこのようなバカなことをしたのでしょうか。高偏差値の高校から東大法学部に合格し在学中に司法試験にも受かったという経歴のある氏に、良し悪しの区別ができなかったのでしょうか。

 ですが、このようなことは世間ではよくあります。おそらくほとんどの人は「勉強はできるのに常識がない人」のひとりやふたりは知っているのではないでしょうか。では、なぜ彼らは勉強ができても常識が身につかないのでしょう。私はこの理由は2つあると思っています。ひとつは「社会化」の欠落です。人間関係のなかでも特に恋愛やセックスに関わる関係というのは、とても微妙なものでいくら教科書を読んでも理解できません。実際に経験して失敗を繰り返してその微妙なニュアンスを体得していくものです。おそらく福田氏にはこういう経験があまりないのではないでしょうか。

 もうひとつの私が考える福田氏の言動の理由は、ある種の「発達障害」があるのではないか、ということです。アスペルガー症候群という名前が一時注目された発達障害は高学歴者にも多いという特徴があります。彼(女)らは、悪気なく他人を傷つける「無神経な」発言をしてしまいます。

 高校・大学と勉強にあけくれ、その後も濃厚な人間関係を築かずに年齢を重ねる人もいますが(医師のなかにもそういうタイプは少なくありません)、そういう人たち全員が無神経かというとそういうわけでもありません。人間関係が得意でないにしても、どのようなことをすれば他人が不快に思うかは分かるわけです。福田氏にそれが理解できなかったのは発達障害があるからではないか、というのが私の見方です。(もっとも、そのような”病気”があるから福田氏に罪はないと言っているわけではありません)

 女性問題で辞職したもうひとりは新潟県(元)知事の米山隆一氏です。氏も東大出身、しかも医学部(理科III類)に現役合格しています。その後司法試験に合格、さらに新潟県知事に当選という華やかな経歴を持っています。

 報道によれば、米山氏は出会い系サイトを通じて、名門私立女子大生ほか複数の女性と知り合い1回3万円支払っていたそうです。そのうちのひとりが”彼氏”にそれを話し、その”彼氏”が週刊誌にリークしたとか。そして、その理由が「政治家が貧乏な女子学生につけこむなどということが許されるのか」と”義憤に駆られて”の行動だとか…。

 少し話がそれますが、この報道をそのまま額面通りに受け取ることは私にはできません。この”彼氏”の言葉は私には「きれいごと」に聞こえます。私が”彼氏”の立場なら、まずこの女子学生と話をつけます。二人の関係はブレイクアップするでしょうが、米山氏から金をとったり、週刊誌にリークしたりしようとは考えません。そういった行為は自分の恥をさらすこと以外の何物でもないからです。ですからこの女子大生と”彼氏”は、初めはそのつもりはなかったとしても「美人局」と言われても仕方がありません。

 さて、米山氏です。福田氏の件で述べたように、もしも地位の高い身分(知事)という立場で人に言えないことをするのならば、身分は絶対に明かさない、と考えるのが普通です。私はここで売買春の良し悪しを論じたいわけではありません。私個人としては、売春はともかく買春には強い抵抗がありますが、NPO法人GINAの活動を通して、「初めはセックスワーカーと顧客、その後交際、さらに結婚」というカップルをこれまで何十例も見てきました。残念ながらその数年後に離婚というケースも少なくないのですが…。

 注目すべきは、買春の良し悪しではなく、なぜそのようなことをすれば今回のような結末が待っていることが米山氏に予想できなかったのか、ということです。

 私は氏が「性依存症」ではないか、と考えています。性依存症という疾患自体がはっきりと認められているわけではありませんが、例えば、タイガー・ウッズ、マイケル・ダグラス、チャーリー・シーンなどは性依存症であろうと言うのが大勢の見方です。私自身は、「性が原因で日常生活に支障をきたしている人」が確実にいることから、性依存症を疾患ととらえるべきだと考えています。

 そして私は性依存症をふたつのカテゴリーに分類しています。ひとつは「セックス依存」もしくは「ポルノ依存」です。性感染症のリスクが分かっているのに買春が止められない人、あるいはポルノに耽溺し時間を無駄にし、ついには引きこもってしまうような人です。もうひとつの性依存症は「愛情依存」で、恋愛のドキドキ感を常に求める人たちです。ドキドキ感は時と共に薄れていきますから、そうなると次の”ターゲット”を探しにいきます。まるで、次々と新作ゲームにとびつく人のようです。

 米山氏は独身だそうです。独身者が買春して何が悪い、という意見もあるようですが(たしかに個人の売買春が日本で取り締まられることはほとんどありません)、私は氏が独身を通しているのは「性依存症」を患っているからではないか、とみています。そして氏の性依存症は、セックス依存と恋愛依存の双方の要素があります。恋愛依存だけなら複数の女性と「同時進行」を普通はしませんし、セックス依存だけなら自身の身分を明かして精神的な結びつきを得ようとはしないからです。

 そして性依存症も薬物依存やギャンブル依存など他の依存症と同様、周りが見えなくなっていきます。おそらく氏が件の女子学生からのLINEの通知音を聞いたときなど「至高の幸福」に浸っていたのではないでしょうか。

 最後に、福田氏、米山氏のような”事件”は誰もが犯す可能性があるかを考えてみましょう。結果的に他人を傷つける失言を一度もしたことのない人はいないでしょうし(私も頻繁に反省しています…)、依存とまでは呼べなくても周りが見えなくなるほど夢中になる趣味を持っている人も少なくないでしょう。問題は「一線」を超えるまでにブレーキがかけられるかどうかとなります。

 私は有効なブレーキは2つあると考えています。ひとつは、福田氏の件で述べたような多彩で複雑な人間関係を通して学んでいく「常識」、もうひとつはホンネで相談ができて率直な助言をしてくれる友人や家族です。辞任した二人には先述した”疾患”があることに加え、これら双方がなかったが故に「一線」を超えたのではないか、と私は考えています。

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参考:はやりの病気第37回(2006年9月) 「あなたの周りにも?!-アスペルガー症候群-」

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2018年4月13日 金曜日

2018年4月 生活保護受給者のパチンコを禁止すべきでない理由

 先月のマンスリーレポートのなかで、「生活保護にかかる費用を削減すべきでない」という自説を述べたところ、「生活保護を受給するにふさわしくない者もいるのでは?」という意見が複数届きました。たしかに、不正受給はときどき問題になりますし、受給者のなかにはパチンコで貴重な生活費を浪費している事態があるのも事実です。

 それでも全体の生活保護費は削減すべきでなく、受給者がパチンコを含むギャンブルにお金を費やすのはやむを得ない、というのが今回言いたいことです。生活保護については、過去にも擁護する意見(メディカルエッセイ第112回「生活保護に伴う誤解」及び第113回「生活保護の解決法」 )を述べましたので、今回はギャンブルに焦点をあてて論じてみたいと思います。

 2015年10月、大分県別府市は生活保護受給者がパチンコ店及び市営競輪場に出入りしていないかを調査し、立ち入り禁止の「指導」に応じない受給者には生活保護を減額する措置を取っていたことが明らかになりました。報道によれば、別府市は過去25年間にわたり同様の「指導」をおこなっていたそうです。

 この報道に対し「人権侵害だ」と批判が上がった一方で、「生活保護受給者がパチンコだなんて何を考えてるんだ! 別府市の対処は当然だ!」と、生活保護受給者(長いのでここからは「生保者」とします)を非難する意見も多かったと聞きます。前回のマンスリーレポートの流れで言えば、このように生保者をバッシングするのは「保守=右派」となります。

 この「指導」が避難を浴びたことで厚労省と大分県が協議をおこなうことになりました。結果、別府市がおこなっていた「指導」は不適切であると判断され、2016年以降はこういった調査や処分はなくなりました。

 厚労省と大分県のこの判断は当然であり、生保者を含めてすべての人にギャンブルを禁じるようなことはできません。これについて「人権」の観点から主張する人がいますが、私の立場は異なります。なぜ、ギャンブルを禁じることができないのか。それは、多くの人が「依存症」という”病”に侵されているからです。

 2011年、大王製紙の前会長、井川意高氏がカジノで借金をつくり合計106億8000万円の負債を追ったことが週刊誌に大きく報じられました。氏は大王製紙の関連会社などから不当に融資を受けていたことが社内メールなどから発覚し、会社法違反(特別背任)で執行猶予なしの実刑4年の判決を受けました。

 この事件が白日の下に晒されたとき、各週刊誌は、井川氏が毎晩高級店で芸能人と飲み明かすなど派手な生活をし、あたかも人格が破綻しているかのようなことを書いていました。週刊誌によっては、大王製紙自体も悪徳企業のような扱いをしていました。私はこういった報道に強い違和感を覚えました。

 なぜか。「バカラという運だけで勝敗が決まるようなギャンブルに大金をつぎ込むことが合理的でないことが理屈で分かっていても嵌ってしまうのが依存症だから」という点には言及せずに、単に井川氏を悪者に見立てているだけだからです。この点が、麻雀や賭け将棋は好きだけどカジノには興味がないという人たちとの違いです。麻雀や将棋は運よりも実力で決まるのに対し、バカラは運のみで勝負が決まります。ですが、バカラに嵌る人は、例えば「プレイヤー側が5回続けて勝てば、次回はバンカー側が勝つ確率が高い。だから自分はどちらかが5回連続で勝つか負けるかしなければ賭けにでない。これは合理的だ」というようなことを本気で言います。

 東大卒の井川氏が単純な確率論を理解していないはずがないのですが、バカラにのめりこみ理性を失っていったのでしょう。それが依存症の恐ろしいところです。氏は著作『熔ける』のなかで、次のように述べています。

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地獄の釜の蓋が開いた瀬戸際で味わう、ジリジリと焼け焦げるような感覚がたまらない。このヒリヒリ感がギャンブルの本当の恐ろしさなのだと思う。脳内に特別な快感物質があふれ返っているせいだろう、バカラに興じていると食欲は消え失せ、丸一日半何も食事を口にしなくても腹が減らない。
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 これは医学的にも理にかなっていて、ドーパミンやノルアドレナリンといった興奮系の神経伝達物質が脳を”麻痺”させているのでしょう。その結果、交感神経が興奮した状態が継続しますから食欲が出ないのは当然です。

 依存症が分かりにくいという人は、「井川氏は東大卒で勉強はできるとはいえ、忍耐力がなく計画が立てられないんじゃないの。自分の周りにも学歴は高いけどそういうダメな人もいるし…」と感じる人がいるかもしれません。私はそうは思いません。たしかに高学歴者が優秀とは言えませんが、井川氏は大勢の人たちと良好な人間関係を維持し、そして会社の運営に成功していたのです。私は会ったことはありませんが、おそらく数分間話せば魅力が伝わってくるタイプではないかと推測します。氏は『溶ける』の中で次のように述べています。

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一体、何が私自身を狂わせてしまったのだろうか。大王製紙に入社してからというもの、私はビジネスマンとして仕事で手を抜いたことは一度もない。経営者の立場になってからも、仕事には常に全力投球してきた。
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 これは事実だと思います。こういった「成功者」も狂わせるもの。それがギャンブル依存を含む「依存症」の正体なのです。

 話を生保者のパチンコに戻します。いずれどこかで述べたいと思いますが、日本はパチンコ店のせいで世界一の「ギャンブル王国」となっています。現在議論されているカジノ法案をさめた目で見てしまうのは私だけではないはずです。パチンコを放置したままカジノの危険性を議論するなどということは「木をみて森をみず」以外の何ものでもありません。

 井川氏はカジノを求めてマカオやシンガポールに渡航していましたが、パチンコ店はたいてい駅前にあります。パチンコ依存症の人も、パチンコをやらないという意思があったとしても、買い物などで駅前を通ることもあるでしょう。そんなときパチンコ店が視界に入ったときに抑えがたい衝動に駆られることになります。この衝動に抗える自信のある人がどれだけいるでしょうか。自分は依存症でないから分からない、という人は、ダイエット中の空腹時においしそうなすき焼きが目の前にある状況を想像してみてください。

 生活保護を受給していてもしていなくても依存症の苦しみは変わりません。そして、この苦しみに対し医療や保健サービスを含めた支援がなされなければならないことに反対する人はほとんどいないでしょう。そういった「支援」をすることなく、そして駅前のパチンコ店を放置したまま、生保者にだけパチンコを禁じるなどということは、生保者の人権侵害というよりも、生保者に対する「嫌がらせ」ではないかと私には思えます。

 生保者のパチンコがけしからん!と感じたことのある人は、パチンコ店が放置されている現状に対して一度考えてもらえればと思います。

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2018年3月12日 月曜日

2018年3月 無意味な「保守」vs「リベラル」

 尊敬する人物が「自殺」をした、という経験はあるでしょうか。最期を自死で終焉させた歴史上の人物はたくさんいますし、同級生や同僚が自殺したという人もいるでしょう。では、その人の生き方や考え方に感銘を受け、これからも学びたいと思っていた人が突然自殺を遂げたとき、あなたは何を思うでしょうか。

 2018年1月21日、評論家の西部邁氏が多摩川で入水自殺を遂げられました。

 私が初めて西部氏の著作を手にしたのは、ひとつめの大学、関西学院大学の卒業を控えた4回生の終わり、1991年を迎えたばかりの頃でした。その頃から氏は保守派の論客として広く知られていましたが、私は思想よりも、難解でありながら魅力的で何度も読み返したくなる文章に引き込まれました。西部氏の文章は、すっきり爽快に読めるわけではなく、(私の場合)一度ではきちんと理解しにくく繰り返し同じ箇所を読まねばなりません。

 政党の主張や、学生運動をしている人たちの理屈が(単純で)わかりやすいのに対して、西部氏の言論は実に複雑です。しかし、氏の主張されていることこそが世の中の真実であると感じた20代前半の私は氏の著作にのめりこんでいきました。西部氏の主張を正確にまとめられるほど私には読解力がありませんが、私が氏から学んだことのひとつを披露するとすれば、「人間は単純なようで単純でない。自分を犠牲にして他人に貢献するのも人間だが、一方で、同じ人間が醜く残虐で無慈悲になることもある。そして集団になるとさらに複雑になり、非合理的でどうしようもない愚行をおかすことがある。だから我々は歴史を振り返り、常に反省し、多角的な観点から物事を考えなければならないのだ」、というような感じです。

「リベラル」という言葉がよく使われるようになったのはおそらく21世紀になってからでしょう。それまではリベラルに相当する言葉は「革新」あるいは「左翼」「サヨク」などと呼ばれていました。リベラルに対しての言葉が「保守」。そして西部氏は保守派の急先鋒のように言われていました。西部氏自身も「保守」であることを自認し、そういう立場から言論活動をされていたのは間違いありません。

 ですが、現在世間が言うところの”保守”と、西部氏が自認する「保守」はとても一緒にすることはできない、似ても似つかないものではないか、というのが私の意見です。私の印象を述べれば、世間で言われる「保守」から連想されるものは、愛国心をもて、自衛隊を軍隊に、日米安保は維持せよ、原発賛成、生活保護削減、移民反対、同性婚反対・・・、といったところです。

 実際、「週刊ダイヤモンド」2017年11月18日号の特集「右派×左派」では、保守(右派)とリベラル(左派)の「考え」が表にまとめられていてクリアカットに二分されています。たとえば、<憲法>に対しては保守が改憲、リベラルが護憲、<社会保障>では保守が「自己責任重視」、リベラルが「福祉の充実」、<自衛隊>では、保守が「海外派遣に積極参加」、リベラルが「軍備の放棄」、といった感じです。

 ですが、こんなに単純に保守とリベラルを分類するのが現実的でしょうか。例えば、私自身は、同性婚賛成、移民受入賛成、生活保護削減反対で、これらは「リベラル」の主張とされています。しかし、自衛隊については、同誌の記事にあるような、リベラルの「軍備の放棄」に賛成できず、この点については保守派のいう「海外派遣に積極参加」に賛成です。さて、こんな私はリベラルと呼ばれてもいいのでしょうか。

 物事を極端に考えすぎ盲目的になってはいけない、というのは30年近くにわたり西部氏の著作を(すべてではありませんが)読んでいる私が学んだことです。理想を高く掲げすぎることには落とし穴があるのです。

 例えば、私が卒業したもうひとつの大学、大阪市立大学の出身で(卒業はしていませんが)有名な人物に田宮高麿(たみやたかまろ)がいます。田宮は日本航空の飛行機をハイジャックまでして「地上の楽園」を目指したわけです。さて、そこには本当に”楽園”があったのでしょうか。

 一方、「自虐史観を修正すべき」と訴える保守の人たちの主張を私はある程度理解しているつもりですが、いわゆるヘイトスピーチには辟易とさせられます。なぜかというと、そのようなスピーチをする人が、悪口を言う国の人をどれだけ知っているのか疑問だからです。イメージが先行しているが故に偏った意見を持っているとしか思えないのです。以前述べたように、どこの国にもいろんな人がいますから、自身が接した少数の人からその国すべてを嫌いになるのはおかしいのです。(参考:マンスリーレポート2016年2月「外国を嫌いにならない方法~韓国人との思い出~」2016年3月「外国を嫌いにならない方法~中国人との思い出~」2016年4月「インド人の詐欺と外国人との話のタブー」

 田宮が憧れた「地上の楽園」に対して、少なくとも拉致問題が解決するまでは私は国に対しては好意をもてませんが、かの国の国籍をもつ個人と知り合うことがあれば、先入観なく接するつもりです。

 21世紀になってから”流行”している「日本はスゴイ」という意見は多くの保守の人たちから支えられていると聞きます。しかし、こういう日本バンザイ論に嫌気がさしている人も少なくないのではないでしょうか。私もそのひとりで「日本も日本人も良くないことも多いぞ」と思ってしまいます。
 
 ですが、私は日本が嫌いかというとそうではなく、日本を誇りに思っていますし、特に海外に行ったときや外国人と話をしているときに日本に生まれて良かった…、と感じます。私は自分で自分のことを「patriot(パトリオットは和製英語。正確な発音はペイトリオットが近い)」だと思っています。そして「nationalist(ナショナリスト)」ではないとも思っています。(これらの日本語訳は簡単ではありませんが、patriotは「郷土愛」、nationalistは「排他主義」のイメージがあります)

 どこの国にもどんな地域にも「社会的弱者」は存在します。そして、その原因の多くは彼(女)らが努力をしないからでもさぼっているからでもありません。「運」や「縁」に恵まれていないだけであることも多く、努力がむくわれなかった結果ということも多々あるのです。ですから、社会には「生活保護」も「移民の支援」も必要です。むしろ、現在”勝ち組”の人は、相当の努力をされたことは事実だとしても「運」や「縁」があったと考えるべきではないでしょうか。

 外国人、特にヨーロッパの人たちと話しをすると、社会的弱者はみんなで助けなければならず、様々な価値観を受け入れなければならないという考えが(私と交流のある人達の間では)「常識」となっています。この考え方は「リベラル」と呼んでいいでしょう。ですが、彼(女)らはほぼ例外なく(私と同じように)patriotです。自国が嫌いという人などまずいません。

 一方、日本では、移民受け入れ賛成、同性婚賛成、生活保護削減反対といったリベラルの考えをもちながら、patriotであることを自認しているという私のような人はほとんど聞いたことがありません。きっとそういう人もいると思うのですが、先述した週間ダイヤモンドの記事にもあるように、日本ではリベラルと言えば、護憲、軍備の放棄がセットになっています。

 西部邁氏は、私の知る限り、移民、同性婚、生活保護などに対してはっきりとした意見を言及されていません。移民については、以前どこかで「異なる民族や国民が仲良くやっていくことは極めてむつかしい。EUなどうまくいくはずがない」といったことを書かれていましたが、移民反対とは言われていなかったと思います。

 これから残された氏のテクストを読み解いていくと同時に、改めて「死」というものを考えてみたいと思います。「自殺」を美化するつもりはありませんが、西部氏らしい最期だと私には思えます。

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2018年2月9日 金曜日

2018年2月 医師が医師を非難するのはNGだけど…

 私が13年前に書いたコラムで「後医は名医」という言葉を紹介し、よほどのことがない限り医師は前医を批判してはいけない、ということを述べました。

 なぜ前医を批判してはいけないかについて、そのコラムで例をあげて医学的な観点から説明しましたから興味のある人はそちらを見てもらいたいのですが、別段医学の話でなくても、例えばライバル会社の悪口を言うセールスパーソンから物を買う気になれないというのは普通の感覚だと思います。

 実際の医療現場では、たしかに前医の診断が間違っていたということはしばしばあります。ですが、そんなときに「前医の診断は間違っている。初めからこちらを受診すれば良かったのに」と患者さんに言うことはありません。なぜなら、最初の時点ではそのように誤診しやすい事情があった可能性があるからです。このようなときは、「結果としては前の医師の診断は正しくなかったが、その状況ならそう診断するのが自然であり、決して前の医師がいい加減な医師ということではありません」と説明します。

 ときどき、こういう説明で納得しない人もいますが、先述の13年前のコラムで述べたように後から診察する方が診断の手掛かりが多く有利なのです。それに医師が互いを尊重し合わねばならないことはいくつかの医師のミッションとして定められています。「ヒポクラテスの誓い」にもそのような内容がありますし、以前のコラムで紹介した私が自分自身の「掟」としているフーフェランドの『扶氏医戒之略』にもまさにこれについて述べている文言があります。少し長いですが引用してみます。

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同業のものに対しては常に誉めるべきであり、たとえ、それができないようなときでも、外交辞令に努めるべきである。決して他の医師を批判してはならない。人の短所を言うのは聖人君子のすべきことではない。他人の過ちをあげることは小人のすることであり、一つの過ちをあげて批判することは自分自身の人格を損なうことになろう。医術にはそれぞれの医師のやり方や、自分で得られた独特の方法もあろう。みだりにこれらを批判することはよくない。とくに経験の多い医師からは教示を受けるべきである。前にかかった医師の医療について尋ねられたときは、努めてその医療の良かったところを取り上げるべきである。
    ********

 医師になってから私はいつもこの”教え”に従うことを心がけてきました。ですが、自分が書いたものや話したことを改めて振り返ってみると、前医を批判していることもまあまああります。先日も、毎日新聞ウェブサイト版の「医療プレミア」で、毎回風邪でジェニナックを処方するという医師を”例外”のおかしな医師として痛烈に批判しています。

 また、このサイトでも、必要のない手術をおこない患者を死に至らせた奈良県のY医師、医学的にまったく意味のない臍帯血移植をおこない患者から高額な治療費を請求していた東京のS医師、わけのわからないウェブサイトをつくり金儲けをたくらんだとしか思えない元医学部教授などを批判しています。

 さらに、改めて自分の書いたものを振り返ってみると、滅菌処置をせずに器具を使いまわしている歯科医院を糾弾したり、HIV陽性というただそれだけの理由で診察を拒否した医師を批判したりしています。

 書いたものだけではありません。フーフェランドの”教え”に忠実でなければ、といつも考えているつもりですが、実際には前医を批判していることが週に何度かあります。先週は、「前医(健康診断に力を入れているクリニック)で、腫瘍マーカーとPETの検査を強く勧められた(しかもかなりの高額で!)が必要でしょうか」、とある患者さんに尋ねられて「不要です」と即答しました。(腫瘍マーカーが無意味であることは過去のコラムで説明しました。またPETががんの早期発見につながらないだけでなく大量に被曝することから安易に実施すべきでないのは世界の常識です)

 最近、父親ががんになり「オプジーボを使った”免疫療法”を勧められているがどうでしょうか」とある患者さんから尋ねられました。話を聞くと、現在通院している病院の主治医からは「標準治療」を勧められているが、知り合いの紹介で訪れたクリニックで”免疫療法”を勧められたとのことで、「数百万円もするんですがどうなのでしょう」と質問されました。

 これは先述のS医師のやり方に似ています。オプジーボという画期的な免疫チェックポイント阻害薬はメディアで何度も取り上げられ随分有名になりました。この薬が有効ながんはわずかですし、それも全員に効くわけではありません。ですが、患者さんの心理としては「とてもいいがんに効く薬があると聞いた。現在の主治医は適用がないとか言ってとりあってくれないが、別のクリニックに行けば高価だが使ってくれる」となるわけです。そこでこの患者心理につけこんで、初めから効かないことを知っておきながら勧めるのです。

 また、一部の”免疫療法”を謳っているクリニックでは、患者自身の細胞を取り出して培養して戻すという”治療”をおこなっているようです。これは数十年前に可能性が期待されたことがあったもののとっくの昔に否定されているものです。

 私はエビデンス(科学的確証)がない治療を否定しているわけではありません。例えば「ニンニク注射」と呼ばれるものは、もちろんエビデンスはありませんし、理論的に考えると到底推薦できるものではありませんが、実際は”治療”を受けると調子がいい、という人がいます。太融寺町谷口医院ではお願いされても実施しませんが、別のクリニックで注射してもらって調子がいいという人には「よかったですね」と言うこともあります。その逆に「エビデンスのない治療だからやめなさい」と言ったことは一度もありません。

 ニンニク注射なら高くてもせいぜい数千円程度でしょうが、安いからかまわないと言っているわけではありません(ただし私の金銭感覚からすればとてもこのようなものに数千円も出せません)。ニンニク注射は危険な”治療”ではありませんから気に入っている人は続けてもいいと思います。ですが、数十万円のがん早期発見を謳ったPETや数百万もする”免疫療法”となると、目の前の患者さんをそういった「悪徳医療」から守らねばなりません。

 しかし、こういった悪徳医療に手を染める医師たちはどこで道を誤ったのでしょうか。私の知る範囲ではこのような医師は一人もいません。医学部の同窓会に行っても皆無ですし、私が所属する大阪市立大学の総合診療部の医局にも、またこれまでお世話になった先輩医師や、研修医の頃一緒にがんばった同期の医師も、あるいは学会で初めて会う医師たちを振り返ってみても、こういったおかしな医師は一人もいません。もしかすると、悪徳医療に手を出す医師は精神がすでに破綻してしまっているのかもしれません。ならばそういう医師を医師ではなく”患者”とみなして手を差し伸べなければ…、そのように思わずにいられません。

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2018年1月9日 火曜日

2018年1月 かつての情熱を失くした私が今考えていること

 1月1日に必ず私がすること。それはミッションステイトメントの見直しです。過去のコラムで述べたように、私の人生で最も大きな転機はミッションステイトメントを初めて作ったときに訪れました。それは1997年の3月で、私が医学部の1回生の終わりごろ、28歳の時でした。その後、毎年1月1日を「ミッションステイトメント全面的見直しの日」としています。

 それから20年が過ぎ、2018年1月1日は21回目の見直しをすることになりました。たいていは早朝に時間をとっておこないます。今年は東南アジアのある地域で早朝のジョギングに出かけ、そのときに自己を見つめなおしミッションステイトメントの見直しにとりかかりました。

 ミッションステイトメントを見直すにはちょっとした勇気がいります。不安感や抑うつ感も伴うからです。自分の内側に深く入り込んでいくと、自分はいかなるときも「善」で行動しているか、ということを問わねばなりません。以前も少し触れたように、私は稲盛和夫さんの「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉を座右の銘にしています。何か新しいことをするときはもちろん、いかなるときもこの言葉を忘れないよう努めるのです。

 幸いにも、医師という仕事は利益を考えなくていい(考えるべきでない、考えてはいけない)職業ですから、医療行為をおこなう上で動機を「善」に保つことはそうむつかしくありません。(そういう意味で、京セラやKDDIを純粋に社会のためだけに設立し、さらにJALを再建された稲盛さんは本当に偉大な方だと思います) ですが、自分をよくみせようと振舞ったことは一度もなかったのか、他人のためと言っておきながら自分に有利になるように行動したことはないと言い切れるのか、私心は常にまったくなかったと言えるのか…、このようなことを考えるとときに胸が苦しくなることがあります。

 湧き出てくる不安感や抑うつ感にも向き合い自分を見つめなおし、心の深部に触れようとすると、これまでの人生で感じた「情熱」が蘇ります。ミッションステイトメントを見直すときに思い出す「情熱」で最も強いものは、2002年にタイで感じた「差別と闘っていかなければ!」という思いです。当時のタイでは、HIV告知は「死」を意味していました。抗HIV薬がまだ使われておらず、正確な知識が市民に伝わっておらず、そのためHIV陽性者は行き場をなくし、地域社会からも家族からも、そして病院からも追い出され途方に暮れていたのです。

 病気が原因で差別されることなどあってはならない! そう強く感じた私は、たとえどのような障壁があろうとも、周りに味方がいなくても立ち向かっていくことを誓いました。そして、当時タイのエイズ施設で出会った欧米の総合診療医達の影響を受け、患者さんを幅広い視点から診察し、心理的、社会的にもサポートしていく総合診療医を目指すことを決意したのです。

 当時のタイのHIV陽性者はエイズ施設以外に行ける医療機関がありませんでしたから、そこではどのような症状があろうがすべて総合診療医が診なければなりません。私には何でも診ることのできる彼(女)らがとても魅力的にうつりました。当時の日本では臓器ごとに担当する医師(専門医)が決まっていて、「総合診療医」という概念すらまだ確立されていなかったからです。彼(女)らによれば、欧米では総合診療が当たり前であり、患者さんは何かあれば大きな病院には行かず総合診療医であるかかりつけ医をまず受診すると言います。そして入院や手術が必要なときのみ紹介状を持参して専門医を受診するのです。

 今考えるとタイミングが私に合っていたのでしょう。ちょうどその頃、日本でも総合診療医を育成せねばならないという声が増え始め、大学病院で試みが始まっていたのです。帰国後、私は母校の大阪市立大学の総合診療部の門を叩き、大学で総合診療医を目指すことになります。そして、大学に籍を置きながら、別の病院や診療所で各科のトレーニングを受けるという生活が始まりました。

 しかし、大学病院を中心に診療している限り「何かあればすぐに相談してください」と患者さんに言えません。そこで自分でクリニックをオープンすることにしました。自分のクリニックがあれば、いつでも相談してもらえますし、患者さんから信頼を得られるようになると社会的、心理的なサポートもできるようになるはずです。また、日本でもこれから増えていくであろうHIV陽性者の力になれるだろうとも考えました。HIV陽性者も含めて、どんな背景をもつ人に対しても、そしてどのような症状であってもサポートができる医師を目指したのです。このようなクリニックは私の知る限りひとつもありません。ならば「自分が先駆者になってみせる!」と情熱に駆られました。

 そして10年以上の月日が流れ時代は変わりました。それにつれて私の情熱の”かたち”も変わっていきました。

 まずタイでのHIV事情が大きく変わりました。抗HIV薬が実質無料で供給されるようになりHIVはもはや死に至る病でなくなりました。謂れなき差別は残存していますが、かつてのように食堂に入ると皿を投げつけられ追い返される、ということはなくなりました。今はどこの病院でもHIV陽性者だからという理由で追い返されることはありません。(一方、日本ではまだそういった医療機関が少なくありませんが…)

 タイでHIVに関する活動をしていた世界中のNPOは規模を小さくし撤退するところもでてきました。かつて私が感じた心の底から湧き出てくる怒りは完全になくなったわけではありませんが、あの頃の情熱を維持しているとは言えません。もちろん今も苦しんでいるHIV陽性者の人は少なくありませんから、これからもタイでの支援は続けています。ですが、かつて感じた「差別と闘っていかなければ!」という強い情熱が自覚できなくなっているのも事実です。

 日本での診療はどうかというと、この10年で総合診療は随分とメジャーなものになってきました。かつての私と同様、臓器の専門医を目指すのではなく患者さんのあらゆる健康上の悩みに応えられる医師になりたい、と考える若い医師が増えたのです。実際、全国の総合診療医(及び総合診療医を目指す若者)が集まる「日本プライマリ・ケア連合学会」の学術大会はいつも若い医師達でいっぱいです。昨年(2017年)高松で開催されたときは、ホテルがとれず岡山に泊まらねばならなかったほどです。

 総合診療が盛り上がるにつれ、当時の私が考えた「自分が先駆者になってみせる!」という情熱の”かたち”も変わってきました。少しずつ「教育」のことを考えるべきだと思うようになってきたのです。総合診療に興味を持つ若い医師が増えたのは事実ですが、大半の若い医師たちは、医療の対象を高齢者中心の地域医療と考えています。もちろん高齢社会のなかで彼(女)らの考えは重要であり活躍できる場はたくさんあります。ですが、私が実践しているような都心部で若い世代を中心とする総合診療に興味を持っている若い医師は少数なのです。実際、「(太融寺町谷口医院のようなクリニックは)他にないから」という理由で他府県から定期的に受診している患者さんも少なくありません。

 タイのHIV陽性者が被っている惨状を目の当たりにし「差別と闘うんだ!」と感じたときの”情熱”、欧米のような総合診療医がいないなら「自分が総合診療医となってクリニックを立ち上げるんだ!」と考えたときの”情熱”は、今私のなかでどんどん小さくなってきています。

 しかし、タイでも日本でもそれ以外の国でも助けを求めている人は依然少なくなく、そのような人たちの力になっていかなければ、という気持ちは変わっていません。また、これからは患者さんへの貢献だけではなく、若い医療者を支援していかなければ、という思いが次第に強くなってきています。

 かつてのような激しく情動的な”情熱”は消え去りましたが、「貢献」という原理原則は変わっていないことを確認し、地道な努力を続けていくことを自分に誓いました。私の2018年はその誓いでスタートしました。

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2017年10月6日 金曜日

2017年10月 「何でも屋」vs「専門家」

 前回「ジェネラリストという表現は使う人によって意味するところが異なるため用いない方がいいのでは?」ということを述べ、さらに私の知人の話を引き合いに出し「一般社会でいうジェネラリストは、ルーチンワークをおこなう<一般職>」という話をしました。

 これに対し、複数の方から「そうではない。一般社会のジェネラリストとは、(前回私が述べたような)総合診療医のポジションに近く、幅広い知識を持ちどのようなことにも対応する者のことを言う。やはり医療界と同じようにスペシャリストの対極と考えられている」という指摘をいただきました。さらに、「ルーチンワークなどでは決してなく、積極的にアイデアを出し創造的なミッションをおこなう者」という声も複数ありました。

 そこで、改めて辞書を確認すべく私がよく用いる「Thesaurus.com」(これは正確には「類義語辞典」です。非常に使い勝手がよく発音もしてくれます。以前、英語の勉強についてのコラムで紹介したこともあるサイトです)をみてみると、なんとgeneralistは掲載されていません。載せられていないのはそれだけ使用頻度が少ないからです。(もちろんspecialistは多くの類義語が表示されます)

 これは面白い、と考え、ネット検索してみると、どうやら私と同じように「generalistという単語、ネイティブは使わないのでは?」という疑問を持っている人もいるようです。また、医療界と同じような意味で「ジェネラリスト」という言葉を用いて「ジェネラリストとスペシャリスト、有利なのはどちらか?」という観点から就職活動をする若者向けに書かれているコラムもありました。

 どうやらこれ以上の議論は不毛のようです。単なる言葉遊びになるからです。今回は、医療界で言う意味、つまり幅広く何でもおこなうという意味のジェネラリストとスペシャリストのどちらを目指すべきか、について考えてみたいと思います。ですが、ジェネラリストの本来の意味は、前回述べたように「多くの領域で”才能”のある人」となりますから、それを自分で言うのはこっ恥ずかしいので「何でも屋」としたいと思います。もう一方が英語であればおかしいのでスペシャリストは「専門家」としたいと思います。

 私の立場は「何でも屋」です。総合診療医(プライマリ・ケア医)ですから、風邪から精神症状まで何でも診ます。局所麻酔下の手術もおこないますが、実はここ数年間手術からは遠のいています。太融寺町谷口医院はもう手一杯で10年前のように手術時間を確保できないのです。離島や医師一人の村などでがんばっている医師たちは手術もおこないますが、数年間のブランクができてしまった私にはもう自信がありません。もう一度研修しなおして、というのも時間がとれず現実的でないので、今後私がメスを握ることはないでしょう。(そう考えると少し寂しいですが…)

 さて、私が医師として「何でも屋」を選択するようになった直接の契機は、研修医1年目のときから何度か訪れていたタイのエイズ施設でお世話になった欧米の総合診療医たちの影響です。どのような症状に対しても診察をおこない、幅広い知識を持つ彼(女)らをみて、「これが私の進む道だ!」と確信し、その後私は母校の大阪市立大学医学部の総合診療科の門を叩くことになりました。ちょうどその頃が日本でも総合診療医を養成しようという機運が高まっていた時代だったのです。

 欧米の総合診療医が直接のきっかけになったのは事実ですが、実は私には随分前から物事を全体から眺める「クセ」がありました。それは最初の大学(関西学院大学)で社会学を学んでいたからです。社会学の定義や考え方は人それぞれで異なるかもしれませんが、他の社会科学系の学問、例えば経済学、法学、商学などに比べると、社会学の研究の対象は幅広く、ほとんど世の中の事象すべてと言っていいでしょう。人間の心や霊的なこと、神話や宗教も研究の対象となります。一時は社会学者への道を目指したことのある私は、ものごとを考えるときには、まず全体を俯瞰し、一見何の関係もないようにみえるものも同時に考察すべきではないか、というふうに考えていきます。

 医師として診察するときにこの「見方」は役立ちます。患者さんのなかには複数の訴えや悩みを持っていることもあり、これらは総合的に診ていく必要があります。一見関係なさそうに思える訴えも根がつながっていることがあります。例えば、ドライアイと微熱と皮疹からシェーグレン症候群が分かるといったように、です。このケースでは、皮膚だけ、あるいは目だけを診察してもなかなか正しい診断につながりません。

 それに専門医が自分の専門の臓器だけにこだわっていると思わぬ見落としが起こります。医師なら誰でも知っているエピソードに次のようなものがあります。ある循環器内科医が当直中、明け方に胃痛を訴える患者さんが来院しました。簡単な問診をしただけで胃薬を処方して帰宅させました。その後症状が悪化し同じ病院に救急搬送されることに。原因はなんと心筋梗塞。心筋梗塞の初期症状として心臓は無痛で胃痛が起こることがあるのです。この逸話はあまりにも有名で本当にあった話かどうかは分かりませんが、自分の専門の臓器だけをみていると失敗することを示唆したストーリーです。

 もちろん医療の専門家は必要です。心臓弁膜症の手術は何百例の症例を経験しなければおこなえません。一人前になるまでに十年以上の修行期間を経てようやく専門家になれるのです。脳外科医もそうですし、膵臓を専門とする内科医は初期の膵臓がんをみつけられるほどエコーの技術を上達させるにはやはり何百例もの経験が必要になります。
 
 ですが、弁膜症の難易度の高い手術ができる医師はそう多くいなくても問題ありません。人口十万人にひとり程度で充分でしょう。てんかんの外科手術の達人は地域に一人でいいでしょうし、1ミリの膵臓がんを発見できる膵臓内科医も同じです。

 医療界以外の専門家をみてみましょう。プロで活躍できるゴールキーパーは日本全国で数十人もいればポストが埋まってしまいます。リサイタルが開けて食べていけるピアニストのポストもせいぜい数百人くらいでしょう。ピアノのあるラウンジなどでアルバイトくらいはできるかもしれませんが、それで一生やっていくのは困難です。

 そして、これは一般社会でも同様でしょう。ギリシャ語のレベルが全国30番以内だったとしてもそれだけで食べていくのは困難でしょうし、アインシュタインの相対性理論とハイゼンベルクの不確定性原理がサクサクと理解できる人(ちなみに私は双方ともほとんど理解できません…)もそれだけでやっていける人というのはごくわずかです。

 つまり、「専門家」というのはトップレベルのほんの一握りに入らない限り、それだけでは生きていけないのです。そしてほとんどすべての領域において専門家になるには努力以外の「才能」が問われます。先述した医師の例でいえば、卓越した外科医は絶対に才能が入りますし、エコーの達人になろうと思えば瞬時に三次元のイメージができるセンスと才能が必要です。スポーツや音楽の世界では言わずもがなでしょう。

 しかし、世の中のほとんどの人(もちろん私も含めて)はそのような恵まれた「ギフト」を持っていません。「夢を壊すな」と怒る人がいるかもしれませんが、私は現実に目を向けるべきだと考えています。小学生の頃、先生が「誰でもなにか得意なことがあるはず。それを伸ばせばいい」と言っていました。これは小学生にはいい教育方法かもしれませんが、例えば「ゴム跳び」がクラスで一番うまい生徒がそれだけで生きていくことはできません。

「ギフト」に恵まれた人は「専門家」を目指せばいいと思いますが、(私のように)「何でも屋」として生きるという息苦しくない道があることも知っておいた方がいいでしょう。過去にも述べたように、若い頃は目の前に与えられた課題やミッションにひたすら取り組み、「何でも屋」には必須のコミュニケーション能力を上達させれば、たとえ「これだけは誰にも負けない」というものがなかったとしても、それなりに楽しく生きていけるものです。

 今日も私は、世界中の数ある医学誌から、臓器にとらわれず精神疾患や予防医学も含めて、興味深い論文を拾い読みしていきます。「専門家」ではありませんから「この領域だけは誰にも負けられない」などというプレッシャーはまったくありません。

「何でも屋」であるが故に日ごろの勉強も楽しくて仕方がない…、というのは偽りのない本音です。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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