マンスリーレポート

2022年12月8日 木曜日

2022年12月 誰もが簡単に直ちに幸せになれる方法

 前回は「いずれ人類は絶滅する」という、たいていの人は日頃考えることを避けている「不都合な真実」について私見を述べました。今年最後のマンスリーレポートは「明るい話」で締めくくりたいと思います。

 2022年2月の本コラム「絶望から抜け出すための方法」で、「人・本・旅」に頼ってみよう、という話をしました。「人・本・旅」は私のオリジナルではなく、現在APUの学長をされている出口治明さんの名言です。出口さんは、この3つを「人間が賢くなる方法」あるいは「人生を豊かにする方法」として紹介されています。そのコラムでは、私は「人間関係には絶望しかないのだとすれば、<本>を持って<旅>に出よう」と述べました。今回は「人」の話をします。

 生まれてこの方、出会ってきたすべての人たちが素晴らしく人間関係で苦労したことがない、という人がいたら余程おめでたい人なのか、嘘を言っています。そういう人の言葉は信用しない方がいいでしょう。どれだけ運がいい人であっても、いろんな環境に身を置くにつれて、どうしようもない人と出会うことになります。

 本サイトで繰り返し主張しているように、そもそもすべての人から好かれようと思ってはいけません。まあ、思うのは自由ですが、そんなことをすれば薄っぺらい八方美人になり下がるだけで、真の友人には恵まれません。だから、これも繰り返し述べているように、つまらない承認欲求はさっさと捨て去るべきなのです。そんなものは捨ててしまって、自分の周りのかけがえのない人たちを、自分自身に対してと同じように大切にすればいいわけです。

 では、そのようなかけがえのない人たちを大切にするには何をすればいいのでしょうか。これも過去に述べたように重要なのは「誠実」と「謙虚」ですが、今回は別のことを話したいと思います。それは「感謝」です。

 そして、「感謝」の力が偉大なのは周囲の大切な人をより大切にできるからだけではありません。それほど距離が近くない人たちをも幸せにすることができるのです。さらに「感謝」した自分自身もまた幸せになれます。

 私の個人的なエピソードを紹介しましょう。

 医学部の学生だった頃、アルバイトの関係である同年代の男性と喫茶店で話をする機会がありました。彼が何を注文したのかは覚えていないのですが、ウエイトレスがドリンクをテーブルに置いたときに、男性はそのウエイトレスの方を向いて「ありがとう」と笑顔で答えたのです。たったこれだけの話です。ですが、これだけなのですが、その光景を見ていた私はなぜか幸せな気持ちになり、その気持ちはその日喫茶店を出てその男性と別れてからも続いていたのです。

 もうひとつ例を紹介しましょう。これも私が医学部の学生の頃の話です。ある日のこと、自宅近くのコンビニでレジが混雑していました。混雑の原因はアジアからやってきたと思われる若い男性のアルバイトがもたもたして要領を得ていなかったからです。おまけに日本語もたどたどしくて、早く買い物を済ませたい客は明らかに苛立っていました。

 イライラして急いでいるという態度をみせつけていた横柄な男性が店を出て行った後、私のひとつ前に並んでいた若い女性が商品のペットボトルをレジに置きました。そして、アジア人の店員がおつりと商品を女性に渡すと、彼女は丁寧に受取り「ありがとう」と言ったのです。私は彼女の表情を見ていませんが、それまでぎこちなかった店員から笑みが漏れましたから、きっと他者を幸せにするような素敵な笑顔でお礼を言ったのでしょう。

 何気ないコンビニの一シーンかもしれませんが、それから20年以上経った今も、私の記憶のなかにはそのときの光景がはっきりと残っています。その見知らぬ女性とはその後再会することもありませんでしたが、私が抱いた彼女に対するイメージがひまわりだったことから、勝手に「ひまわり娘」と名付けて、私の頭のなかでは今も笑顔を絶やしません。当時の私が見たのは後ろ姿と横顔だけなのですが。

 この2つのエピソード以外にも誰かが誰かに感謝するシーンで心が温かくなったことが何度もあります。もちろん、自分自身が他人から感謝の言葉を述べられてもうれしく感じます。ただ、私には「医師は患者さんから感謝の言葉を期待してはいけない」という持論があり、いつの間にか私生活も含めて「感謝の言葉をもらうべきでない」というおかしな感覚が身に付いてしまっています(下記コラム参照)。

 その反対に、私自身が他者に対して感謝の言葉を伝えたいと思うことはよくあります。そして、可能な範囲でそうしているのですが、これがなかなかむつかしいのです。例えば上記1つ目のエピソードの男性の真似をして、喫茶店やレストランでウエイトレスやウエイターに「ありがとうございます」と言うように心がけているのですが、その男性のようなさわやかさがまったくない私が真似をするとなんだかぎこちなくなってしまうのです。

 そのうちに「他人に感謝することは大切だけれど簡単ではない」ことが分ってきました。だからいつも、どうやって感謝の言葉を伝えるか、どのような言葉を使ってどのタイミングでどのように言うかを考えるようにしています。そして、それがうまく伝わったとき、とりわけ、日頃は恥ずかしくてそういったことを言いにくい近い関係の人に上手に気持ちを伝えられたときはとても幸せな気持ちになります。

 ここで興味深い論文を紹介しましょう。科学誌「scientific reports」2022年7月9日号に掲載された論文「パートナーに感謝の気持ちを意識的に表明すれば、一緒にいる時間が増え、CD38の変動の影響を緩和する(Implementation intentions to express gratitude increase daily time co-present with an intimate partner, and moderate effects of variation in CD38)」です。

 研究の対象は125組のカップルです。カップルを2つのグループに分け、1つのグループには2人のうちどちらかに「パートナーに感謝を感じたときにはその気持ちをはっきりと表現する」ように指示しました。このとき、その感謝を表現する者はパートナー(感謝を表現される方)に実験の趣旨を伝えないようにしました。

 すると、対象カップルと比較して、どちらかが感謝を意識的に伝えたカップルの方は、一緒に過ごす時間が1日あたり68分も増えたのです。

 感謝したときにそれを言葉にするだけでパートナーと一緒に過ごす時間が68分も増えるのです。「感謝」の効果は凄まじいと言っていいのではないでしょうか。せっかく人間はこんなに素晴らしい感謝の言葉を生み出したのにもかかわらず、使わないのはもったいなさすぎます。

 ここからは論文に書いていない私の個人的意見です。実験では被験者に対して「感謝を”感じれば”言葉で伝えるように」と指示されていました。被験者はこのミッションを聞いて「感謝できるタイミングに注意しよう」と思ったはずです。つまり、少しでも感謝できることがないかを常に考えていたはずです。その結果、パートナーと一緒に過ごす時間が増えて平和で幸せな時間を過ごせたわけです。

 これを応用しない手はありません。つまり、すべての人間関係において、感謝の気持ちが芽生える瞬間を感知するセンサーの感度を上げておくのです。上述したように、感謝の言葉を述べるのはときに気恥ずかしくて照れ臭くて、タイミングを外せば場が白けてしまうというリスクもあります。ですが、この「感謝センサー」の感度を上げておくことで、人生が充実したものになることを私は確信しているのです。

参考:日経メディカル 谷口恭の「梅田のGPがどうしても伝えたいこと」2019年4月5日
「医師は感謝を期待してはいけない」

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2022年11月11日 金曜日

2022年11月 人類はもうすぐ確実に滅ぶのだから

 私が1つ目の大学に通っていた頃、どの先生の講義だったのかはもはや記憶にないのですが、「宇宙船地球号」という言葉を学びました。

 「宇宙船地球号」とは、もともとは「地球上にある資源は限られているが故に無計画に資源を開発してはならない」という趣旨を表現した言葉だったはずです。しかし、私の記憶が正しければ、講義のなかでその先生は「我々は同じ人類であり、戦争などしている場合ではなく、仲良くしなければならない」というようなことを話されていたように記憶しています。ただ、私の記憶はいい加減ですから、その後「宇宙船地球号」というこの言葉だけが脳内を駆け巡り、私が自分の記憶に対して勝手な解釈をしているだけかもしれません。

 さて、世界史あるいは日本史を振り返り、「戦争」というものを改めて考えてみたときに、私が最も重要だと思う2つの「戦争の原則」があります。ひとつは「人類にとって、平和が正常なのではなく、むしろ戦争しているのが”自然”である」、もう1つは「敵の敵は見方」という原則です。

 そしてこの2つの原則から「地球上から戦争をなくす方法」を導くことができます。それは「地球外生命体に地球を攻撃してもらう」です。もちろんそんなことはあり得ませんが、地球外生命体を「人類を滅ぼす脅威」と置き換えれば、その「脅威」が他にないわけではありません。

 例えば「核」は「人類を滅ぼす脅威」に相当します。「核抑止力」には様々な議論がありますが、核の保持の良し悪しは別にして、「世界で核がいくつも使われれば地球が滅びる」のは事実です。だから、どれだけ非道な国家のリーダーであっても、人間を標的とした核のボタンはそう簡単には押せないわけです。

 しかし、世界のいくつかの国が核を持っているのにもかかわらず、現実世界には一向に平和が訪れません。なぜなのでしょう。それは「誰も核のボタンを押すことはないから」という暗黙の前提で世界の人々が暮らしているからです。もしも、数千発の核を持つX国が、1か月後に、世界の大都市に一斉に核ミサイルを放つことが決定したとしましょう。すると、X国以外の大国は必ず一致団結します。「マスクを外していいか」「コロナワクチンをうつべきか」などに気を使っている場合ではなくなります。

 実際には、自国以外のすべての国を亡ぼすことを考えるX国は存在しませんから、こういった心配をする必要はなく、戦うことが大好きな人類は”安心して”戦争に勤しんでいるというわけです。人間同士が仲良くなることを諦めている人たちは、街で「マスク反対!」と叫び、「反ワクチン派」と「ワクチン肯定派」はSNSで激しい言葉で罵り合っています。

 では核以外に「人類を滅ぼす脅威」はないのでしょうか。

 それはあります。というよりも、人類が滅びるのは絶対に避けられない真実です。ともすれば、我々はこの世界が未来永劫続くような錯覚に陥りがちですが、人類、そして地球がいずれ滅びるのは確実です。

 では、人類が滅びるのはいつなのでしょうか。Wikipediaによると、「楽観的な推測」として、哲学者のジョン・レスリーが「500年後に人類が存続している可能性は70パーセントという予想を出している」としています。

 楽観的な推測でこれなら、100年程度で消滅する可能性もあるのでしょうか。地球温暖化を研究するIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)の2018年の報告では、「早ければ、2040年前後までに地球は壊滅的な状態になる」とされています。The New York Timesによると、2040年までに大気が産業革命前のレベルより1.5℃上昇し、その結果、海岸線が水没し、干ばつと貧困が激化します。

 IPCCは世界中の地球温暖化を研究する第一人者からなる組織です。ただ、社会ではこの報告はあまり注目されていません。その証拠に、「死ぬまでの残りの20年をどのように過ごそうか」という声がほとんど(というよりまったく)聞こえてきません。

 では人類が滅びるのはいったいいつなのでしょうか。これを正確に予測するのが困難なのは不確定要素が多いからです。例えば、今後核を使う国がでてくるか否か、地球温暖化に効果的な対策をとることができるかどうか、世界全体での人口抑制に成功するか、といった問題に加え、医療問題も関わります。マラリアのワクチン開発は成功するか、多剤耐性結核に有効な抗菌薬は開発されるか、新型コロナウイルスのようなパンデミックが再び起こるか、耐性菌を克服できるか(2050年には薬剤耐性菌で1000万人が死亡し、世界の死因の第1位になると予測されています)などによって結果が大きく異なってきます(注)。

 1000年後には人類は滅亡しているでしょうか。『シルクロード全史』が世界的ベストセラーとなった英オックスフォード大学の歴史学教授ピーター・フランコパンが、最近、英紙The Economistに寄稿したコラム「ピーター・フランコパンが考える3022年の姿What Peter Frankopan thinks 3022 will look like)」が興味深いので紹介します。

 フランコパンによると、パリ協定で定めた気温上昇の抑制目標が達成できる可能性はわずか0.1%です。すると、海面が数十メートル上昇し、海底に沈む地域が増え、2500年までにアマゾンは不毛の土地になります。熱帯地方の居住者は住む場所を失くし、高緯度の地域へと移動せざるを得なくなると予測しています。

 そして、フランコパンはその兆候は現時点ですでに現れていると言います。2022年の世界の気象をみてみると、イギリスでは気温が40度を超え、中国では観測史上最も厳しい熱波が記録されました。パキスタンでは例年の8倍近くもの雨が降り、洪水で国土の3分の1が水没しました。南米では気温が45度を超え、南極大陸の一部の地域の気温は平均より40度近くも高くなりました。アメリカ東部のデスバレーではわずか3時間で年間平均降水量の4分の3が降りました。

 フランコパンは感染症の脅威についても言及しています。21世紀末には世界人口の90%がマラリアとデング熱のリスクにさらされるとの予測があり、森林破壊が進行すれば、未知の感染症が出現するリスクが高まることも指摘しています。

 また、フランコパンによると、核兵器が使用されれば、たとえ限定的な使用であっても、大量の煤煙が大気中に放出され、広範囲で農業ができなくなるそうです。

 すでに日本でも、毎年台風は未曾有の被害をもたらし、洪水で死亡者を出し、熱中症での死亡が珍しくなくなっています。「これらはすでに地球滅亡に向かっている証だ」と言えば言いすぎでしょうか。

 「できるだけ人類を永らえさせるべきだ」という主張は、哲学的に正しいかどうかは簡単に答えがでませんが(「生まれてこない方がよい」という考えもあります)、「子孫を残して明るい未来を築く」のは我々人間の使命ではなかったでしょうか。ならば、今この時点で人類滅亡のリスクとなるいくつもの脅威をしっかりと認識し、人類全員が”宇宙船地球号”に乗り込み、共に知恵を出し合い、全員でその脅威に立ち向かっていくべきではないでしょうか。

 そう考えると、戦争をしたり、マスクをするしないで言い合いをしたり、SNSでつまらない罵り合いをしたり、といったことに時間を費やしている暇はないはずです。

注:詳しくは下記を参照ください。
医療プレミア2019年1月6日「「あなたと家族と人類」を耐性菌から守る方法」(無料で読めます)

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2022年9月8日 木曜日

2022年9月 承認欲求を抑えられない人たち

 2022年8月13日、『患者よ、がんと闘うな』で有名な近藤誠医師(以下、「近藤医師」)が他界されました。出勤途中で体調不良を訴え、搬送先の病院で死亡されたそうです。享年73歳。死因は虚血性心疾患と報道されています。

 近藤医師は医療者であれば知らない者はおらず、医療者でなくても知っている人はかなり多いでしょう。『患者よ、がん……』以外にもベストセラーとなった著作が多数あり、たしか書籍関係の賞も受賞されことがあったはずです。

 しかし、近藤医師に対する医療者からの評判は非常に悪く、実際、死亡が報道された直後の医師の掲示板を見てみると悪口のオンパレードでした。そして、患者さんのなかにも近藤医師を否定的に言う人は少なくありません。

 ただし、一部の市民(患者)からはまるで”神”のように崇められていて、都内で開業した「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」の料金は、一律30分で3万2000円(現金のみ)だとか……。

 今回は、なぜ近藤医師が「アンチ標準医療」に走ったのか、について私見を述べてみたいと思います。結論を言えば「社会から注目される快感に抗えなかった」、つまり「強すぎる承認欲求を抑えられなかったが故に、どんどん奇を衒った”奇説”を発表していった」、となります。

 しかし、元々近藤医師はそのような医師ではありませんでした。近藤医師が一躍有名になったのは80年代後半(だったと思います)、乳がんに対する「乳房温存療法」を提唱されたときです。

 乳房温存療法とは乳がんの手術で、文字通り「乳房を残す」手術です。それまでは乳がんがみつかれば筋肉も含めたかなりの広範囲を切除するのが一般的でした。乳房温存療法を簡単に言えば、放射線照射を併用してがんを含む狭い範囲だけを切除する方法です。海外ではそれなりに普及していましたが、日本ではそうではなく、「日本でもおこなわれるようになったのは近藤医師のおかげだ」と言っても過言ではありません。

 名著『患者よ、がんと闘うな』を上梓されたのは1996年、私が医学部に入学した年です。私が医師を目指し始めたのは医学部4回生の頃で、入学当時は臨床に、つまり医療行為にほとんど興味がありませんでした。ですが、この本は同級生に勧められたこともあり読んでみました。日本の医療現場では、不要な手術、無駄な手術、さらに無意味な抗がん剤投与がたくさんおこなわれているんだ、と理解し、「近藤医師の主張は素晴らしい!」と感じました。

 ところが、医師になることを決めて臨んだ医学部5回生の実習が始まると、患者さんから直接話を聞く機会が増え、「手術や抗がん剤は不要」という考えが間違っていることに気付きました。近藤医師が指摘するように、手術がうまくいかず結果として死期が早まった事例や、抗がん剤に苦しむ人が多いのは事実です。しかし、全体でみれば「手術をしてもらって感謝している」という人の方が圧倒的に多く、また「抗がん剤のおかげでがんが小さくなったから手術ができた」というケースも多々あるのです。
 
 近藤医師の主張は月日が経つにつれ、ますますエスカレートしていきました。「すべてのがんは放置せよ」、「健診は無意味だから受けるな」、「病院に行けば殺される」、さらには「ワクチンは危険」とまで主張されるようになりました。

 ではなぜ、近藤医師は(ほとんどの)医師に嫌われることを覚悟の上で、次々と奇説を発表していったのでしょうか。医療界からはまったく「承認」されないわけですが、メディアや社会、あるいは一部の患者からは”神”のように崇められました。近藤医師からみれば、同僚よりも、メディアや世論からの「承認」の方に魅力があったのでしょう。

 では、このように同僚よりもメディア受けすることに”快感”を覚えるのは近藤医師だけかというと、どうもそうではないようです。新型コロナウイルスが流行し始めた2020年初頭、当院以外に発熱外来を実施しているところがないかを調べるため、いろんなクリニックのウェブサイトをみてみました。すると、トップページに「〇〇局の番組に出演しました」とか「△△社から取材を受けました」といったことが書かれている(しかも目立つように!)サイトがあって驚かされました。

 メディア(マスコミ)の取材を受けるのは、恥ずかしいことではありませんが、一般に医師はメディアに協力することを嫌います。その理由は「自分の主張が曲解して伝えられることがあるから」です。そもそも難しい病気の話を、短時間で(短い文章で)うまく伝えることは困難です。他方、メディアが求めるのは「分かりやすさ」です。結果、どうしても単純で分かりやすいことを言ったり書いたりすることを求められるのです。よって、まともな医師であればメディアからの取材協力依頼にはかなり慎重になります。

 2022年8月24日、稲盛和夫さんが他界されました。91歳、死因は老衰と報道されています。私は90年代から稲盛さんの大ファンで、著作は繰り返し読み、過去のコラムでも紹介したことがあります。特に「動機善なりや、私心なかりしか」は私の座右の銘のひとつです。

 実は私は過去に何度か、稲盛さんの主催する「盛和塾」に入塾することを考えたことがあります。盛和塾は経済界の人たちのものと聞いていましたから結局諦めたのですが、今思えばやはり「稲盛さんの著作から人生で大切なことをたくさん学んできました。もっと勉強させてください!」と言って飛び込めばよかったと後悔しています。ちなみに、「私心なかりしか」の「私心」を、恥ずかしながら私は「しごころ」と読んでいたのですが、あるとき盛和塾のメンバーでもあったある企業のオーナーから「それは<ししん>と読むのだ」と教えてもらったことがあります。

 話を戻しましょう。稲盛さんはDDI(現在のKDDI)を立ち上げるときに「世間に自分をよく見せたいというスタンドプレーではないか」と何度も自問されたそうです。つまり、「自分をよくみせたい(=承認欲求)」という気持ちがあるのなら「その動機は善ではない」のです。

 そういう観点から改めて近藤医師の意見を見直してみると、個別の状態や事情を考慮せず、一律に「手術、抗がん剤、健診、ワクチンのすべては無意味」とする主張は、到底患者のためのものとは思えません。奇を衒った意見の主張は、医療界以外の世間に対して「自分をよくみせたい」という低レベルの欲求のなせる技ではないでしょうか。もしも、近藤医師にまだ謙虚さが残っていれば、手術や抗がん剤、あるいはワクチンで救われた人たちからも話を傾聴し、現代医療を全否定するような発言はしなかったはずです。

 最近、楽天の三木谷浩史氏が雑誌に興味深いことを書かれていたのでここに紹介します。

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 若いアントレプレナーは往々にして、「株式上場したい」(中略)思いがひときわ強い。でも、それだけでいいのだろうか。(中略)(僕が)絶対に譲れないのは「日本を良くしたい」という純粋な思いだ。(週刊新潮2022年8月25日号)
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 おそらく三木谷氏の「日本を良くしたい」は「自分をよく見せたい」ではなく、稲盛さんの考えに通ずる「利他」の精神ではないでしょうか。

 過去のコラム「「承認されたい欲求」と「承認したくない欲求」」でも述べたように、承認されるのは自分の家族やパートナー、少数の友達だけで充分です。他者や社会に対しては「承認を求めず利他の精神をもって貢献する」ことが大切です。

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2022年8月10日 水曜日

2022年8月 元首相暗殺犯の”完全勝利”

 安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也は今、どんな心境なのでしょう。

 拘置所のなかでメディアの報道を見聞きすることはできないでしょうから、自身が世界でどのように報じられているかについては分からないでしょう。しかし、自分が成し遂げたことを冷静に考えれば、自身を否定的に論じる意見だけでなく、英雄視する声もあることを想像しているに違いありません。

 自身が逮捕された時の写真が世界中のメディアで掲載され、ネットで拡散され世界の人々に自分の存在が広く知れ渡っている様子を思い浮かべていることでしょう。山上の価値観から判定すれば、成し遂げたことは「完全勝利」と言えます。そして、おそらく自身が予想したよりも”成功”しています。

 日本の全国紙や週刊誌は、事件から1ヶ月以上が経過した今も、ほぼ毎号この事件について何らかのかたちで取り上げ、山上が恨みを抱いていた宗教団体と政治家との癒着が次々にスクープされ、さらには他の宗教と政治家とのつながりがクローズアップされています。

 海外メディアは統一教会(現・世界平和統一家庭連合。本稿では人口に膾炙している「統一教会」とする)の各国での活動や被害者の声を取り上げ、元信者にインタビューを重ね、統一教会へのバッシングが世界中で巻き起こっています。おそらく霊感商法などの被害者への返金をせよ、という社会の声が強くなり、統一教会の活動は縮小されることになるでしょう。山上にとっては、「これ以上の成功はない」というくらいの成功ではないでしょうか。

 一般的な日本人は山上のことをどのようにみているのでしょか。動機がどのようなものであれ、右寄りの思想家の安倍元首相を殺害したわけですから、一部の左翼系の思想家・活動家からは歓迎されていることでしょう。中国、韓国、北朝鮮の民族主義的な思想をもつ民衆からは英雄視扱いされているに違いありません。

 では、イデオロギーの視点からではなく、ひとりの日本人が元首相を殺害したということに対して一般の世論はどうなのでしょうか。意外なことに、イデオロギーを抜きにしても山上を支持する声が小さくありません。

 オンライン署名サイトのChang.orgに、7月中旬、ひとりの有志が「山上徹也容疑者の減刑を求める署名」を立ち上げました。これを書いている8月7日現在、すでに5,600人以上の署名が集まっています。

 このオンライン署名を立ち上げた人は、山上を減刑すべき2つの理由として「過酷な生育歴を鑑みての温情」と「本人が非常に真面目、努力家であり、更生の余地のある人間である事」を挙げています。人がどのような考えを持とうが自由ですが、私はこの2つの理由にはまったく同意できません。「過酷な成育歴」があれば人を殺しても減刑されるという理屈には納得できませんし、「真面目、努力家」が減刑されるなら「不真面目、非努力家」が差別されることになります。

 しかし、短期間ですでに5千人以上の署名が集まっていることを山上が知れば、支持する理由はともかく(この2つの理由以外の理由で減刑を望む者もいるでしょう)ほくそ笑むことになるでしょう。

 山上が”完全勝利”したといえる理由は大勢の支持者が国内外にいるからだけではありません。父と兄がすでに自殺しており、統一教会に洗脳され、もはや家族とは呼べなくなった母を除けば家族がいないことが大きいのです(注)。つまり、このような事件を犯しても”身内”が社会から追いつめられることはありません。

 この点が他の無差別事件と異なるところです。例えば、7月26日に死刑が執行された「秋葉原通り魔事件」の加藤智大は、事件や自身の生い立ちや環境の情報が大きく報道され、一部の人たちからは”神”と崇められていましたが、残された両親と弟は悲惨な経緯をたどっています。

 弟はどこに就職しても”弟”であることがそのうちに発覚してしまい、報道によれば、一時は婚約していたパートナーからも、「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」と罵られ、そして自死を選びました。取材を受けていた記者に「死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」と訴えたそうです。加藤の両親も、事件の後、世間から身を隠すように暮らしていると聞きます。

 加藤に対しては「残された家族のことを考えなかったのか?」という非難の声があるでしょうが、山上の場合にはそのような声が上がる前提としての絆がないのです。まさに「失うものは何もない(Nothing To Lose)」状態だったのです。

 山上は死刑を覚悟で暗殺を遂行した可能性がありますが、もしもこれだけ世間から”好意的に”見られていることを知れば「死にたくない」と考え直すようになるかもしれません。死刑を免れても娑婆に出られることは当分ないわけですが、それでも塀の中でいくらかの自分に関する報道を読むことができ、希望者(いくらでもいるでしょう)と面会することができ、加藤のように本を出版することもできます(加藤は合計4冊の本を出版しました)。本が出版されれば、その英訳もつくられるでしょう。さらに多言語で出版され、世界中で読まれることになるかもしれません。

 犯行の方法は「自家製の銃」ですから、ストーリー性もかなり高いと言えます。何年か後には映画にもなるかもしれません。日本最長就任期間を誇る元首相を手製の銃で暗殺し、その目的が世界にはびこる巨大な宗教組織の悪を暴くことだったわけです。ハリウッドが取り上げてもおかしくありません。山上は日本史のみならず世界史にも名を残すことになるでしょう。

 と、ここまで書くと私自身が山上を絶賛しているかのようです。考えなければならないのは、「なぜ山上がこのような犯行に至ったのか」、そして「同じような犯行を未然に防ぐには我々は何をすべきなのか」でした。

 この事件から改めて浮き彫りになったのは、「人間は失うものが何もない状態になれば恨みをもつ者を殺害することへの抵抗がなくなる」という真理です。では、この事件を未然に防ぐ方法はあったのでしょうか。

 それがあるとするならば「人とのつながり」を置いて他にはないでしょう。もしも、山上の兄が自殺をせずに生きていれば……、山上に恋愛のパートナーがいれば……、中高の同級生が連絡をとっていれば……、職場に気の置けない同僚がいれば……、山上は事件を企てたでしょうか。「あなたが(お前が・先輩が)そんなことをすれば私が(俺が・僕が)悲しい!」と言える者がひとりでもいれば、山上は犯行に及ばなかった可能性があるのではないでしょうか。

 もしも山上のように、人との「つながり」がない孤独な者がいて、その者が恨みを抱く対象がいたとすれば、同様の事件が起こり得ます。そして、安倍元首相がそうであったように、悪意がなくても他人から恨みを買うことはあります。ならば事件を防ぐには、人との「つながり」を築くことで孤独な者を救うしかありません。

 では、どのようにして「つながり」を持たない孤独な人を探せばいいのでしょうか。私自身は以前から引きこもっている患者さんや精神症状を訴える患者さん(男女ともに)に、「何でも話せる人はいますか?」と尋ねるようにしています。「いません」と言われることも少なくありません。そのようなとき、そんなに簡単な話ではありませんが、一緒に解決策を考えるようにしています。

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注:本コラムの脱稿後、山上には妹がいることを週刊誌の報道から知りました。妹はこれから身元を隠して生きていかねばならなくなるでしょう。ということは山上の”完全勝利”とは言えないかもしれません。

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2022年7月10日 日曜日

2022年7月 世界から戦争をなくす方法

 たしか20代の頃、なにかの雑誌で「世界で戦争がなかった日は〇〇日しかない」という内容のコラムを読んだ記憶があります。この出処は思い出せず、ネット検索をしても出てこないので詳しいことは分からないのですが、このコラムの著者は「人間は世界のどこかでほぼ毎日戦争をしている(愚かな生き物だ)」ということを皮肉りたかったわけです。

 シリア、イエメン、アフガニスタン、パレスチナ、イスラム国、スリランカ、ミャンマー、エチオピア、ウクライナなど、21世紀になってからも世界のどこかで戦争または内戦が繰り広げられ、21世紀になってからは「戦争がなかった日」はおそらくゼロだと思います。

 人類の歴史が始まって以来、世界のすべての地域で平和だった時代などほぼないのではないでしょうか。いわば人類の歴史は戦争の歴史でもあるわけです。ということは、人間とは「戦争が好きな生き物」、それが言い過ぎだとしても「戦争を避けられない生き物」くらいは言えるでしょう。

 しかし、私は人類が「戦争をしない生き物」になることは可能だと考えています。太古から変わらなかった「戦争を避けられない」という歴史を塗り替えることなどできるはずがない、とほとんどの人は考えるでしょうが、戦争を「過去のもの」にすることができる方法があります。今回はその考えを披露したいと思います。

 世界から戦争をなくす方法、それは「空港とLCCの拡充」です。これでは訳が分からないと思うので解説していきます。

 例えば、これから日本が韓国やアメリカと戦争を起こすことはあるでしょうか。私はないと思います。では、日本と北朝鮮ならどうでしょうか。私はあり得ると考えています。この違いはどこにあるのかというと、日本と韓国、日本とアメリカは人の動きが活発で互いに深い交流があるからです。この交流の大きさは太平洋戦争の時代とは雲泥の差です。

 90年代初頭、韓国人が日本を訪れることは容易ではありませんでした。それどころか、韓国内では日本の書籍や音楽を入手することは極めて困難で、日本の文化に触れるには大型図書館などに出向かなければなりませんでした。

 私はこの頃に来日した韓国人の若い女性と話をしたことがあります。過去のマンスリーレポート「外国を嫌いにならない方法~韓国人との思い出~」でも述べたのでここでは詳しくは繰り返しませんが、その女性は「大阪や東京というのは、ヤクザが跋扈(ばっこ)した街で、若い女性は決してひとりで歩いてはいけない。男性から声をかけられるようなことがあれば直ちに逃げないといけない」と聞かされていたと話していました。

 今やソウルやブサンに1泊2日で行く日本人もいるほどです(私も1泊で行ったことがあります)。こんなにせわしないプランで来日する韓国人は知りませんが、それでも日本と韓国はお互いに気軽に行ける国になり、友達や恋愛のパートナーが韓国人という日本人も少なくありません。過去の微妙な”歴史”の話から仲違いした日本人男性と韓国人女性のカップルの話は過去のコラム「インド人の詐欺と外国人との話のタブー」で紹介しましたが、それだけで相手のことを憎むようになるわけではありません。

 外務省によると、コロナ流行前の2018年、渡米した日本人は約350万人、韓国には約300万人が渡航しています。中国には270万人、タイは165万人です。これだけ人の行き来があると、渡航先の国で友人ができ、なかには恋愛関係に発展することも大いにあります。「アメリカの奴らは日本人と違って……」「韓国人は……」といった否定的な言葉を事前に聞いていたとしても、実際に行ってみれば「同じ人間で、仲良くできるんだ」ということが分ります。

 では、北朝鮮の人たちは日本人のことをどのように思っているでしょうか。私が90年代初頭に話をした韓国人女性のように、「日本人は冷酷で仲良くなれない」と思っている人たちが多いのではないでしょうか。

 私はウクライナにもロシアにも行ったことがありませんが、今回の戦争が始まる前、ウクライナ人とロシア人の交流はそれほどなかったのではないでしょうか。ウクライナは裕福な国ではなく、一人あたりのGDPが4千ドルに届きません。ロシアは1万ドルほどだったと思いますが今やロシアはかつての共産主義国ではなく貧富の差が大きな国です。ということは、平均的なウクライナ人と平均的なロシア人が頻繁に相手国に行き来して友達が多い、ということは考えられません。プーチン大統領が「ロシア軍はウクライナ市民を救うために戦争をしている」などというデタラメなプロパガンダをロシア国民に主張できるのも、大半のロシア人がウクライナ人を知らないからです。

 イギリスとフランスは歴史上何度も戦争をしていますが、これから起こることはないでしょう。それは、交通の発達ですでに両国を行き来して互いの国に友達や恋人がいるという人が大勢いるからです。日本と韓国は、まだまだ英仏ほどの関係には達していませんが、コロナが終わり、両国の、特に若者が互いの国を行き来する機会が増えれば、戦争が起こることはないと思います。

 ならば、世界中の、特に若者が(戦争で駆り出されるのは若者です)、全世界を飛び回って各国で友達をつくるようにすれば、国と国との戦争が起こるリスクはぐんと低くなります。そのためには、出入国の手続きを簡単にして、渡航の費用を安くする必要があります。よって、空港を拡充して、LCCの便を増やせば戦争が起こらない、というのが私の理屈です。

 日本と北朝鮮が戦争を起こすリスクを回避しようと思えば、十万人くらいの単位で学生の交換留学を促進すればいいのです。若い学生どうしが時空間を共有すれば、自然に友情や愛情が生まれます。若者どうしの交流が活発化すれば、それは上の世代にも伝播していきます。そうなれば戦争は起こり得ません。もっとも、北朝鮮トップの御仁はこのような案は即却下するでしょうが。

 人間というのは奇妙な生き物で、集団で行動すると、他の集団のメンバーと争いごとを起こす一方で、自分たちとは背景の異なる他の集団のメンバーに対して興味をもち、友情や愛情を発展させます。そして、集団どうしが対立するときには、必ず「相手が悪で自分たちが正義だ」という大義名分をつくりだします。だから、集団のリーダーは「自分らが正しいんだ」というプロパガンダをメンバーに植え付けようとするわけです。

 これに抗うには、そういうリーダーの馬鹿げたプロパガンダが広まる前に、集団の各メンバーが相手側の集団のメンバーと積極的に交わるようにすればいいのです。過去のコラムでも述べたように、我々は「〇〇国の人の性格は……」という話が好きでたいてい盛り上がります。日本人どうしの「△△県出身者は……」という話と同じです。しかし、もちろんどこの国にも地域にもいろんな人がいます。「〇〇国の人は……」という話は”ネタ”にとどめておいて、世界中の若者がいろんな地域に行って自分で確かめるようにすればきっと世界は平和になります。

 そのためにはコロナにはそろそろ大人しくしてもらって、我々人間は空港とLCCの拡充に努めるべきです。コロナの影響もあって現在世界的な不況が訪れようとしていますが、私が政治に携わる立場にいれば、自国はもちろん他国にも働きかけて旅行業界に大型投資を仕掛けます。不況から抜け出すことが期待できるだけでなく、世界中で若者の交流が活発になり国際間の友情や愛情が芽生えることにより、きっと世界に平和が訪れるからです。

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2022年6月9日 木曜日

2022年6月 「若者の命」を考えれば戦争は防げるか

 戦争ほど愚かなことはない、と当たり前のように学んできました。人類の歴史は戦争の歴史でもあるわけですが、それでも2つの原爆を落とされ、300万人以上が犠牲になった太平洋戦争を経験した日本人は二度と戦争をしないと子供の頃から言い聞かされてきました。

 戦争をしかけるのが罪だというのなら、当時日本のために頑張った日本の軍人は犯罪者なのかと問うてみると、「それは時代を考えると仕方がない」というような答えが必ず返ってきました。では、「次に戦争が起これば自衛隊員は犯罪者になるのか」という質問に対してはどうでしょう。「日本は戦争をしない……」と苦し紛れに誰かが言っていたような気がします。

 太平洋戦争の空襲や原爆のフィルムを何度か見ましたが、直接人が人を殺すシーンを見たことはありません。私の幼少時にはまだ続いていたベトナム戦争でも殺戮シーンを見たことはありません。ソ連がアフガニスタンに侵攻したアフガニスタン紛争は私が小学校5、6年生のときでしたからニュースでみた記憶はありますが、人が直接人を殺めるようなシーンは見ていません。

 1990年の湾岸戦争も空爆シーンは何度もテレビで見ましたがやはり人が人を殺すような映像はありませんでした。1994年のルワンダでのフツ族がツチ族を大量虐殺した事件は想像するのも苦痛ですが、直接現場を知っているわけではありません。

 その他、物心がついてからリアルタイムで報道されていた戦争はいくつかありますが、ある人間が目の前の人間を銃やナイフで次々と殺害するシーンは直接見たことはありませんでした。そういうシーンを想像できるのは、映画やテレビでそのようなシーンに見覚えがあるからです。

 ところが、2022年2月にロシアの一方的な侵攻で勃発したウクライナ戦争ではスマホとSNSのおかげで、死体の写真や人が人を殺害する瞬間のビデオなどが世界中に広く拡散しています。欧米の大手メディアもこのような映像を紹介していますから、殺害シーンがどうしても目に入ってしまいます。映像をみればあきらかなように、戦争の犠牲になっているのはほとんどが若者です。

 最近の米国をみてみましょう。2022年5月14日はニューヨーク州バッファローのスーパーマーケットで、その10日後の24日には米国テキサス州ユバルディの小学校で、いずれも18歳の青年による銃乱射事件が起こり、ニューヨークでは10人、テキサスでは21人(うち19人は児童)が犠牲となりました。6月1日には、医師の治療に満足できなかった男性がクラホマ州タルサでの病院の敷地内で銃を乱射し4人が死亡し自身は自殺しました。報道によると、この事件は今年(2022年)米国で起こった233番目の銃乱射事件になるそうです。

 このように戦争や無差別事件が頻繁に起こっているのが人類の歴史であることを考えると、人が人を殺すことはそう難しくないのかもしれないと思えてきます。平和な日本で育った我々は、まさか生涯のうちに自分が人を殺すことがあると考えている人は(たぶん)ほとんどいないと思いますが、状況が変わればまた我々の考え方も変わるのかもしれません。

 2022年4月のマンスリーレポート「「社会のため」なんてほとんどが偽善では?」では、あさま山荘事件を取り上げ、左翼(赤軍派と革命左派からなる連合赤軍)による集団リンチ殺人について述べました。この事件が起こったのは1972年2月で、その3か月後の5月30日にはイスラエルで「テルアビブ空港乱射事件」が起こりました。

 テルアビブ空港で起こった銃乱射事件は合計26人の命を奪いました。犯人は3人の日本人です。(後に日本赤軍となる)犯人らの目的は「革命のため」ということなのでしょうが、それにしてもイスラエルとパレスチナの紛争になぜ日本人が加担できたのか、しかも何の罪もないイスラエルの人々をなぜ無差別に殺すことができたのか私には謎です。しかも、「左翼」というのはどちらかというと武力に訴えることを避ける思想を持っていたのではなかったでしょうか。あさま山荘事件の集団リンチと同様、左翼の輩の方が右翼的な思想よりもはるかに暴力的で危険です。

 つまり、(右であろうが左であろうが)人間の社会ではいつ戦争が始まるか分からず、同じ民族であろうが、隣人であろうが平気で人を殺すことができ、銃を使って一気に見知らぬ人を犠牲にすることもできるのが人間の真実なのかもしれません。

 では、私にもそのときが来れば人を殺すことができるのでしょうか……。できません。たとえ、そのような状況になれば他人を殺すことができるのが人間の性(さが)であったとしても私にはできません。それはなぜなのか。おそらく、これまで医師として、人の、特に若い人の死をみてきたからです。病気で、事故で、若い生命を救えなかったことは日本の病院でも経験していますが、私の場合は2002年及び2004~5年にかけて赴いたタイのエイズ施設でみてきた「死」に多大な影響を受けています。当時のタイではまだ抗HIV薬が充分に使えずに、HIV感染は「死へのモラトリウム」を意味していました。そして、実際、若い命が毎日のように奪われていたのです。

 高齢者にも自分の運命を受け入れることができない患者さんがいますが、私の経験でいえば、若くしてエイズを発症し末期になった人の多くは死を受容できていませんでした。自力での水分摂取も困難となり、もうあと一日もつかどうかわからないといった段階になってもそれでもなお死を受け入れられず「助けて……」とか細い声で私の腕に触れようとする患者さんもたくさんいました。

 「命は平等」という言葉がありますが、私はそうは考えていません。私には高齢者の命よりも若者の命の方が大切に感じられます。さらに、誤解を恐れずにいえば、物心がまだついていない赤ちゃんよりも自我を認識できるようになった年齢の若者の命の方が大切です。若者の命が簡単に失われるようなことはあってはならないのです。

 だから、戦争をすることや、人が人を殺すことが人間の性(さが)だとしても、私にはまだそれを阻止する方法が残っていると信じています。その方法とは、世界中で徹底的に「若者の死」についての教育をおこなうことです。

 現在ロシアはウクライナをネオナチになぞらえて国民を洗脳していると言われています。ロシア軍はネオナチに迫害されているウクライナの民間人を救うために戦っているんだと国民に納得させれば国民の支持が得られると考えているのでしょう。戦争には大義名分が必要なのです。しかし、「戦争とは若者を容赦なく殺害すること」であることを再認識すればそのような洗脳には騙されなくならないでしょうか。

 ウクライナ側からみたときも、攻めてくるロシア兵を殺せるだけ殺すのではなく、白旗を挙げ降参している敵兵の命は守ることを考えるべきです。もしも私がロシアかウクライナで医師をしているとすれば、戦争は若者の命を奪うことであることを両国の国民に訴えかけます。私は戦争を阻止するキーパーソンは医療者ではないかと考えています。医師だけが命の大切さを知っているわけではありませんが、医師は若者の不遇な死を繰り返し経験しているからです。

 けれども、この私の主張には説得力がないかもしれません。先述したテルアビブ空港乱射事件の主犯格の奥平剛士の(戸籍上)の妻は最近刑期満了で出所した重信房子です。重信の帰国後の潜伏を手助けしていた一人は若い頃に学生運動に傾倒していた医師です。この医師は重信の秘匿の罪で医師免許を剥奪されましたが、その後再び医師免許を取得し(おそらく現在も)医療を続けています。戦時下の九大医学部の医師たちは生きた若い米兵を実験の材料にしました。満州では731部隊が捕虜の中国人やロシア人の若い男女に想像を絶するような人体実験を繰り返し、最大では3千人以上の命を奪ったと言われています。

 こういった事件を考えると、医師だから若い命の大切さを知っているなどと主張すれば噴飯ものだと言われるかもしれません。ですが、それでも「若い命は大切だ」と私は言い続けるつもりです。

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2022年5月9日 月曜日

2022年5月 「社会のため」が偽善かどうかを見抜く鍵は「順番」

 前回のマンスリーレポートで私は、あさま山荘事件、さらにはオウム真理教も引き合いに出し、「社会のため」などと宣う者は、本当は社会や他人のことを考えているわけではなく、自分自身の強すぎる承認欲求を美辞麗句でカモフラージュしている偽善者ではないか、という私見を述べました。

 さらには、そういった罪を犯した者だけではなく、「社会のため」などという言葉を気軽に口にする政治家、経営者、あるいは医師たちも、本心でないきれいごとを言っているにすぎず、大半は偽善者ではないかという意見も付記しました。

 社会のため、あるいは、世のため人のため、といった言葉に嫌悪感を抱くのは私だけでしょうか。世の中の多くの人は、そういう言葉を聞いて「この人は立派だ」と思うのでしょうか。

 幸福学研究者の前野隆司さんの生い立ちを2022年4月11日の日経新聞が記事にしています。そのまま転記します。
 
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人の役に立ちたいという気持ちは持っていました。中学1年のとき、友達に「皆の役に立つために医者になりたい」と話すと、思わぬ反応が返ってきました。きれい事を言うやつとみなされ、「偽善者」とあだ名をつけられたのです。
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 その時代の前野隆司さんを私は存じ上げませんが(お会いしたことはなく今もよく存じませんが)、前野さんが幼少時からどれだけ人格者であったとしても「皆の役に立つために医者になりたい」という表現をとれば、やはり周囲からはいいようには思われないのではないでしょうか。

 では、すべての中学1年生が「将来は医者になりたい」と言って非難されるのかといえば、そういうわけではありません。前野さんのように偽善者と言われてしまう生徒と、そうは言われず、むしろ周囲から応援される生徒にはどのような違いがあるのでしょうか。

 私は20代前半の頃から稲盛和夫さんのファンで著作はほとんどすべて読んでいます。このサイトの過去のコラム「メディカルエッセイ第86回(2010年3月)動機善なりや、私心なかりしか」でも取り上げたことがあります。

 稲盛さんは、DDI(現在のKDDI)を設立されるとき次のような自問をされました。

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 私は自分の本心を確かめるため、毎晩ベッドに入る前に、「動機善なりや、私心なかりしか」と心の中で問いかけることにした。「世間に自分をよく見せたいというスタンドプレーではないか」、(中略)毎日自問自答を繰り返した結果、世のため人のために尽くしたいという純粋な志が微動だにしないことを確かめた私は、この事業に乗り出す決心をした。(『稲盛和夫のガキの自叙伝』日経ビジネス人文庫)
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 稲盛さんが自問された「世のため人のため……」という言葉に対して「偽善者」と言う人はいないでしょう。中学生時代の前野さんとはどこが違うのでしょうか。

 もう1つ例を挙げましょう。東日本大震災が起こってしばらくしてからのある日、谷口医院をかかりつけ医にしている40代のある男性が受診しました。精神的に不安定な男性で、谷口医院を受診している理由も精神疾患が中心です。仕事には就いておらず生活保護を受給しています。その男性が言ったのが次の言葉です。

 「震災の被害者たちが困ってるのに日本政府は何もしない。僕はさっき2万円寄付してきました。こんな国には希望が持てませんからこれからも毎月2万円の寄付をします……」

 男性は少しテンションが上がって興奮気味です。いかにも「いいことをしたでしょ」と言わんばかりの勢いです。この男性、偽善者ではないでしょうし、”いいこと”をしたのは事実でしょうが、生活保護を受給しているこの男性のこの言葉を万人が賞賛するわけではないでしょう。

 では、同じように見ず知らずの人のために尽力したいと考えた稲盛さんの言葉が美しいのに対して、生活保護を受給している男性の言葉が空しく聞こえるのはどこに違いがあるのでしょうか。

 私の答えは「順番」です。稲盛さんはカネもコネもほとんどないなかで京セラを立ち上げ、大きくし、社員を守りながら(京セラが従業員を大切にするのは有名)、その上で当時電話を独占支配していたNTTに立ち向かったのです。

 一方、生活保護受給の男性の発言を我々が素直に賞賛できないのは、「国を批判する前に、生活保護をもらっている自分のことを考えたら?」という気持ちが拭えないからです。

 では、前半で紹介した前野隆司さんの場合はどう考えればいいのでしょうか。おそらく周囲の生徒たちからは、「そんな大それたことを宣う前に、両親など自分がお世話になった人たちを幸せにしろよ」と思われたのではないでしょうか。あるいは、例えばクラスに障がい者がいたのならば、「皆の役に、などと言う前に近くにいる苦しんでいる仲間を助けることを考えろよ」との思いがあったのかもしれません。

 最近、何かの熱に受かされたように「ウクライナ人を助けよう!」と言い出している人たちに私が辟易としているのも同じ理由です。ウクライナの人たちが見聞きするのに耐えられないような状況に追い込まれているのは事実ですから「力になれることは何でもしたい」と考えることは理解できます。ですが、それならば、凄惨な事態となっているミャンマーにはなぜ見向きもしないのでしょうか。行き場をなくしたロヒンギャ難民のことはどう考えているのでしょうか。

 私がヨーロッパ人だとすればミャンマーよりもウクライナ人の力になろうと考えます。しかし私は日本人ですから、ミャンマー人には何もせずにウクライナ人を助けたいとは思えないのです。

 「ミャンマー(やロヒンギャ)について、メディアではウクライナほどの報道をしないからよく分からなかった。私はウクライナ人が悲惨な状態になっていることを知って純粋な気持ちから助けたいと思っただけ」という人も少なくないでしょう。ですが、それならば、「同じアジアの自分たちを無視して欧州人を優先する日本人」をミャンマーの人たちはどう感じるかについて、改めて思いを巡らせてほしいのです。

 そろそろ私見をまとめたいと思います。まず、「社会のため」「世のため人のため」などという言葉は安易に口にすべきではありません。そういったことを考えるのは自由ですが、言葉にするならば「それを言う資格があるか」を考えるべきです。

 「社会のため」よりも大切なのは「自分の身近な人たちのため」です。自分の周囲の人を蔑ろにして、あるいは自分自身が自律(自立ではない)できていないときに「社会のため」などと言い出しても、それは偽善にしか聞こえないのです。

 こう考えれば、あさま山荘事件の革命戦士たちも、オウム真理教の幹部たちも、あるいは実績が伴っていないのに「社会のため」などと宣う政治家たちも、その主張に説得力がない理由が見えてくるのではないでしょうか。

 コロナ流行以降、私が医師に幻滅しているのも、日ごろ診ている患者さんが発熱などで苦しんでいたときに「うちでは診られないから自分で受診先を探せ」と言って見放した医者があまりにも多かったからです。そのような医者には金輪際「患者さんのため」という言葉を使ってほしくありません。

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2022年4月10日 日曜日

2022年4月 「社会のため」なんてほとんどが偽善では?

 1995年、オウム真理教が一連のおぞましい事件を起こしたとき、メディアのプレゼンテーターや知識人たちは「最初は世の中をよくしようと考えていた真面目な若者が……」という論調で語っていました。私には、その言葉に何かひっかかるものがあり、それは今も続いています。

 オウム真理教の話題でよく引き合いに出されるのが60年代から70年代にかけての左翼活動、なかでも「よど号ハイジャック事件」と共に頻繁に取り上げられるのが「あさま山荘事件」です。

 1972年2月、軽井沢にて日本の歴史に残るその凄惨たる事件が起こりました。今年の2月で事件発生から50年が経過したこともあり、この事件を振り返った記事を掲載したメディアがいくつかありました。今回のマンスリーレポートはそのあさま山荘事件を取り上げ、私見をふんだんに取り入れながら人間の心理を紐解くことに挑戦してみたいと思います。

 あさま山荘事件がどのようなものなのか、私がはっきりと把握したのは18歳、大学に入学した直後です。事件が起こったのは1972年ですから68年生まれの私にとってはまだ4歳になっていない頃で、リアルタイムでの記憶はありません。ですが、若者が仲間を殺し合うという凄まじい事件であり、機動隊が現場に踏み込むときの視聴率は90%もあったのですから、その後、繰り返し取り上げられ大勢の人が話題にしていてもおかしくありません。

 にもかかわらず、ぼんやりとしか私が理解していなかったのは、おそらく学校の先生も含めて周囲の大人たちが口を閉ざしていたからではないかと思います。単に、子供に殺人の話をするべきでないという道徳的な配慮というよりも、触れてはいけないタブーのような雰囲気があったのではないでしょうか。

 社会をよくしたいという思想を持った若者が徒党を組み、やがて集団リンチで仲間を次々と殺した、というこの事件に対し、当時18歳で大学生になったばかりの私はとても惹き付けられました。2ヶ月の間で12人もが殺されたのです。しかし、一連の学生運動についてうまくまとめられた書籍は見つからず、断片的な知識は得られるものの、結局よく理解できないまま月日が過ぎていきました。

 それから15年後の2002年、『突入せよ! あさま山荘事件』という映画が公開されました。研修医になったばかりだった私は日曜日のある日、病棟業務を終わらせてから大学病院のすぐ横にある映画館に公開されて間もないこの映画を見に行きました。映画でなら当時の時代背景も含めて全貌が理解できると考えたのです。

 結論から言えばこの映画は期待外れでした。なにしろ、主人公が警察の人間ですから、なぜ理想を抱いた若者たちが仲間殺しに向かったのかがまるで理解できないのです。事件を起こした若者たちはたしかに罪人ですが、この事件で(私にとって)大切なのは、人質を盾に籠城した犯人を追い詰める警察の奮闘ではなく、理想に燃えた若者がなぜ仲間を次々に殺していったのかを解明することです。

 そして、その6年後の2008年、ついに私が待ち望んでいたこの事件の全貌を解明した映画が公開されました。若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』です。これほど衝撃を受けた映画は私は他にはありません。ならば、生涯に観た映画トップテンに入るか、と問われればそれは答えにくく、もう一度この映画を観るには相応の勇気が必要です。

 この映画を観てからしばらくは「総括」とか「自己批判」といった言葉をたまたま見聞きすると、それだけで「思い出したくないシーン」が頭のなかに蘇り、吐き気と動悸がしたほどです。ともあれ、あさま山荘事件について何の知識もない人がいたとしても、私はこの映画を一度は観ることを強く勧めたいと思っています。

 この映画の主役、そしてこの事件そのものの最重要人物が誰になるのかは見方によって変わるでしょうが、永田洋子は外せないでしょう。「革命左派」のリーダーだった永田については過去に複数の書籍が発行されていて、私は何冊か手に取ったことがあります。永田自身が書いた書籍もあったと記憶しています。

 私がこの映画を観る前に抱いていた永田のイメージと映画の永田はほとんど一致していました。美しさからはほど遠く(実際、「美しくない」という理由で好意を持っていた左翼の男性に交際を拒絶されます)、実力者には盲目的に従う一面があり、革命左派の当時の実力者からレイプされています。

 永田は少なくとも大学生の頃には理想の社会を求め、それを追求していました。だからこそ、「自己批判」を繰り返し、さらに「相互批判」を重ねたわけです。理想を求めるが故に、美しく男性からちやほやされていた仲間の遠山美枝子に対し「革命に化粧も長い髪も必要ない」と忠告し、自分で自分の顔面を殴らせ、丸刈りにし、そして他の仲間に死ぬまで暴行を加えさせたのです。

 逮捕から10年後の1982年、永田には死刑が宣告されました。「自己顕示欲が旺盛で、感情的、攻撃的な性格とともに強い猜疑心、嫉妬心を有し、女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、その資質に幾多の問題を有していた」というのが裁判官の読み上げた言葉です。「女性特有の…」という表現は今なら大きな問題になるでしょうが、82年当時は許されていたのでしょう。

 この言葉だけを取り出すと、大柄で冷酷な犯罪者のイメージが浮かび上がるかもしれませんが、実際に永田に面会に行った人の話では(随分前に、女性のジャーナリストだったか作家だったかが、面会に行った様子をどこかに書いていたのを読んだのですが詳しいことは忘れてしまいました)、小柄で声も小さく大人しい印象しかなく、このか弱き女性があのような事件の主犯格だとは到底思えなかったそうです。

 では、最初は理想の社会をつくることに情熱をもっていた永田を変えたのは何なのか。私はこのことについて18歳の頃からもう35年も考え続けています。オウム真理教の事件が起こったときにも考えました。オウムの幹部たちは優秀な大学に入学し、社会を理想に近づけることを目指したのになぜ道を踏み外したのか。

 当時のメディアは「麻原彰晃という悪魔に洗脳されたのだ」というようなことを言っていましたが、私はそうは感じませんでした。テレビによく登場していた一部のオウム幹部は視聴者から人気がありましたが、私は上から目線のその話し方に不快なものを感じていました。
 
 その後私はいろんな経験をしました。医師になってからも「社会のため」「正義のため」に活動しているという人の話も聞きました。コロナ禍となり「社会のために……」などと宣う人たちもいます。

 永田洋子を初めとする革命左派や連合赤軍の”戦士”たち、地下鉄サリン事件など一連のオウム事件の犯人たち、さらには現在「社会のために」という言葉を口にしている人たちのいくらかが共通して持っているもの、それは「自分が正しいということを他人に認めさせたいという欲求」、一言で言えば「強すぎる承認欲求」ではないでしょうか。

 「社会のために」「社会を良くしたい」といった言葉は、一見すると正しくてきれいに聞こえます。しかし本当は、自分を認めさせたいという身勝手な欲望をこういったきれいな言葉でカモフラージュしているだけではないでしょうか。と、いつの頃からか思うようになりました。

 しかし、私のこの仮説が正しいとすると、多くの政治家は承認欲求の強い偽善者ということになってしまいますし、きれいごとを言うのが好きな経営者、さらには「患者さんのために」などと大衆の前で宣っている医師も同じ穴のムジナとなるでしょう。

 おそらく真相はもっと複雑であり、別の視点からも考えていかなくてはなりません。ですが、私がこの仮説を考えるようになってから「社会のため」という言葉を聞くと、うさん臭さを拭えなくなったというのが正直な気持ちです。スポーツ選手や何らかの努力をしているタレントがよく言う「みなさんのために頑張ります」という言葉にも嫌悪感を抱くようになりました。「社会のため、みなさんのためではなく、あんたが目立ちたいから、あるいはええかっこがしたいからそんなきれいごとを言ってるだけやろ」と思ってしまうのです。

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2022年3月10日 木曜日

2022年3月 『総合診療医がみる「性」のプライマリ・ケア』上梓にあたり

 2022年3月5日、『総合診療医がみる「性」のプライマリ・ケア』という本を上梓しました。一応、医学書というカテゴリーにはなりますが、太融寺町谷口医院をオープンして15年が経過した今、人の身体と精神を診察する上で、そして人間そのものを考える上で「性」がいかに大切かという観点からまとめた本です。

 私の文章を昔から読んでくれている人はもう聞き飽きたと思いますが、私自身が医師を目指すようになったのは医学部の4年生になってからという遅さで、医学部入学時には医師ではなく研究者を目指していました。研究したかったのは「人間の思考、行動、感情」といったもので、一言で言えば「人間とは何か」を知りたかったのです。

 私は10代の頃からこの「疑問」に取りつかれていて、高校生の頃は「人は何のために生きているのか」「自分はどこに行くべきなのか」「自分が生涯をかけてやるべきことはあるのか、あるとすればそれは何なのか」といったことを四六時中考えていました。その時に出た「とりあえずの結論」は、「ここにいてはいけない」でした。

 つまり、「こんな田舎にいても自分の人生を無駄に過ごすだけだ」と考え、都心部に出ることだけを夢見るようになったのです。高校生の頃、大学に(少なくとも偏差値の高い大学に)行けるような学力はなく、このまま卒業して地元の工場で働いて、ささやかな楽しみは車をいじることとパチンコと週末のスナック通いと……、とそんな生活を想像すると耐えられなくなったのです。

 なにしろ、ファストフードは1軒もなく(私が卒業してからマクドナルドができたようです)、喫茶店が数軒あるだけ、映画館はときどきできてもすぐにつぶれ、貸しレコード屋が1軒のみ、とそんな田舎です。高校を卒業すれば、堂々とパチンコ店に入れることと、スナックとやらに行けることくらしか娯楽は増えません。

 その数年後には「勉強が好き」になった私ですが、高校生の頃、勉強は最も嫌なもので楽しいと思ったことなど一度もありません。模擬試験の偏差値が50を超えることはほとんどなく、英語と数学のクラスは成績別でしたが、私はついに最後まで上のクラスには行けませんでした。高3の12月に返って来た河合塾の全統記述模試では総合で偏差値が40です。

 しかし後がない私は「都会に出る」ことだけを心の糧に高3の12月から猛勉強を開始しました。高3の夏休みに見学に行った関西学院大学(以下「関学」)のとても綺麗なキャンパスを思い出し、時計台の前の芝生で寝そべっている自分を想像し、勉強に嫌気がさしてくると関学のパンフレットを取り出してやる気を奮い立たせ、そして、勉強する内容は関学の赤本過去9年分のほぼ丸暗記です。

 この方法で合格できた私は、「やればできる」という感覚をつかんだような気がしました。その後、関学時代も就職してからも「やればできる」をモットーに、苦手だった英語を克服し、一見無理にみえる仕事にも取り組むようになりました。会社員時代は新しいプロジェクトを自分で提案し、キーパーソンへの根回しなど人間関係でも「やればできる」の精神で突き進みました。医学部受験も「やればできる」を信じました。

 「やればできる」は使い古された表現なので、いつしか「no pain, no gain」を口癖のようにしていました。この言葉も受け売りですが、韻を踏んでいるところが気に入ったのです。きっかけは、たしかリチャード・ブランソンの自叙伝だったと思います。

 「医学部受験など真剣になれば誰にでも可能だ」、と当時の私は言い続けていました。そして、その考えをまとめたのが『偏差値40からの医学部再受験』という本で、2002年、私が研修医1年目のときに出版しました。この本はよく売れて改訂版も3度ほど出版され、全国から多くの手紙やメールをいただきました。なかにはこの本を持って私の職場まで会いに来られた人もいました。本を持ってきて「サインをしてください」と言われるのです。

 こういうときはたいてい「何か一言書いてください」と依頼されるので、私はいつも「no pain, no gain」と書いていました。

 さて、冒頭で述べたように最近新しい本を上梓しました。現在谷口医院に勉強に来ているある医師にこの本をプレゼントしたとき「何か一言書いてください」と言われました。本にサインをするのは久しぶりだったので、以前のように「no pain, no gain」と書こうと一瞬思ったのですが、同時に心のなかから「やめておけ」という声が聞こえてきました。

 なぜか。それは現在の私がもはや「no pain, no gain」が正しいと思っていないからです。今年54歳になる今となって思うのは、「人生は努力だけではどうにもならないことがある」ということで、より正確に言えば「努力できること自体が幸運だ」となります。

 過去のコラム「『偏差値40からの医学部再受験』は間違いだった」でも述べたように、私はこれまでの人生で、不幸としかいいようのない運命の人たちに出会ってきました。もちろん、私が直接知らない人のなかにも「不幸」以外に言葉が見つからないような境遇の人は世界中にたくさんいます。ある日突然、戦争が始まり難民になることだってありますし、肌の色が原因でいきなり暴力の犠牲になったり、突然不治の病を宣告されたり、自分に責任のない交通事故の犠牲となり障害を負ったり……、とそういったことはいくらでもあります。そのような運命に遭遇した人に向かって「no pain, no gain」などと言えるわけがありません。

 その過去のコラムで述べたように、「努力ができるのも幸運に恵まれたから」であり、「ならば与えられた境遇で精一杯のことをやる」のが正しい生き方ではないかといつしか考えるようになりました。シェークスピアの名言「All the world’s a stage」が示すように「この世のすべては舞台だ」と考え、与えられた役割を演じるのです。

 私が総合診療医を目指すようになったのは、研修医の頃に訪れたタイのエイズホスピスで出会った欧米の総合診療医たちの影響です。彼(女)らは、患者さんの訴えをすべて聞き入れ、日本の専門医がよく口にする「それはうちの科じゃありません」というセリフを決して言いません。たいていの訴えはきちんと聞いて診察・治療をおこない、自身で診られない症状や疾患についても何らかの助言をおこないます。そういった診療の姿をみるにつれ、「これが医師が患者を診るべき姿だ」と直感した私は帰国後、総合診療医になることを決意しました。

 その後は決意が揺らぐことなく総合診療医の道を進んできました。どのような患者さんのどのような訴えも聞くように努めています。患者さんとの距離は近くなり、家族や親友にも話していないようなことを聞く機会もよくあります。もちろん話を聞くだけでは意味がなく、その患者さんにとって最善の治療をおこなわなければなりません。そのための知識と技術の吸収をやめることはできません。

 そういった診療を15年以上続けてきて思うことのひとつに「<性>は人間にとってとても大切なこと」があります。患者さんの訴えの”裏側”には「性」が隠れていることが多々あるのです。また、生活習慣の改善にはパートナーの協力が得られるか、パートナーのために治療に前向きになることはできるか、そもそもパートナーはいるのか、性的指向は同性か異性か、もしかすると性自認が揺らいでいるということはないか、リビドーがその人の行動に影響を与えていることはないか、といったことを考えるべきこともあります。

 医学部入学、研究者から医師への進路変更、タイでの総合診療医との出会い、帰国後の大勢の患者さんとの出会いなどの運命を通して、培ってきた経験を他人に伝え、そして与えられた”舞台”で役割を演じるのが今の自分の運命だと思っています。

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2022年2月11日 金曜日

2022年2月 「絶望」から抜け出すための方法

 前回は昨年(2021年)12月に起こった西梅田精神科クリニック放火事件を取り上げ、こういった犯罪を実行する人間は「絶望」を抱えていて、その絶望を阻止するには社会の一人一人が草の根レベルで他人を慮り信頼されるように努めることだ、という自説を紹介しました。

 今回はその後新たに生じた不幸な2つの事件を振り返り、絶望を感じそうになったときや感じてしまっているときには何をすればいいのか、について私見を述べたいと思います。

 まずは1つめの事件です。

 2022年1月15日午前8時半ごろ、東京大学近くの路上で、名古屋の17歳の高校生が、大学入学共通テストを受験しにきていた高校生2人(男子1名女子1名)及び70代の男性の合計3人を刃物で刺傷。さらに犯行現場の最寄り駅「東大前」で放火事件も起こしました。刺傷被害の高校生2人は意識があり助かりましたが70代男性は重症(その後の報道は不明)。加害者の17歳男子は「勉強していても上手くいかず、大きな事件を起こして自分も死のうと思った」と供述したそうです。

 次は2つ目の事件です。

 2022年1月27日午後9時頃、ふじみ野市在住の66歳の男、渡辺宏が44歳の男性医師を含むクリニックの関係者7人を自宅に呼びつけ、散弾銃で医師を殺害、さらに41歳の理学療法士も銃撃しました。報道によると、渡辺の母親がこのクリニックによる在宅医療を受けており事件前日に他界。医師を含むクリニックの関係者7人を弔問に呼びつけ「死んだ母を蘇生せよ」と迫りました。犯人は日頃からクリニックに不満を抱えており、過去15回に渡り医師会に苦情の電話を入れていたとのこと。さらに、複数の医療機関にも抗議しており、治療方針や病院対応に不満を感じると院内で大声を出して怒っていたことが報道されています。

 ふじみ野市のこの銃殺事件は、特に訪問医療に従事する大勢の医療関係者を震撼させました。当然のことながら、犯人の渡辺を非難する声は医療者からだけでなく一般の世論からも挙がっており、簡単に銃所持を許可した行政にも批判の矛先が向いています。

 後になってから、実情を知らない無責任な立場から「~たら、~れば」と論じるようなことは避けるべきではありますが、それでもこの事件について「私だったら」という視点で私見を述べておきます。

 医師は基本的に患者さんの立場に立ちます。疾患を抱えている場合、少々矛盾したことを言っていたとしてもあくまでも患者さんの「味方」となります。患者さんが会社や家族と争っている場合、「医学的な観点から」という条件はつきますが、できる限りのことをして患者さんを守ります。

 ただし、患者さんの味方になるのも「限度」というものがあります。「患者さんよりも大切な人たち」を守らねばならないからです。そして、その「大切な人たち」とは共に働くスタッフです。

 医師の前では腰が低いのに、看護師や受付スタッフに対しては横柄な態度をとる患者がいます。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にもたまにそういう患者がやってきます。もちろん、谷口医院のスタッフ側に問題があるような場合は別ですが、そうではなく言いがかりとしか考えられないようなとき、つまり「限度」を超えた場合には、私自身がその患者の目を見ながら「当院では診られません。二度と来ないでください」と「出入り禁止宣告」をおこないます。この「宣告」は平均すると年に1人くらい、つまり過去に十数名に対しておこなっています。

 ただ、これ以上は大切なスタッフに言葉の暴力の被害を負わせるわけにはいかないと判断して「出入り禁止宣告」をおこなうわけですが、それでも「この患者にも何らかの事情があるに違いない」とは考えます。これまでこの社会で生きてこられたわけですから、それなりの常識や節度も持っているはずです。ふじみ野市の渡辺も、報道によれば過去には銀行員として勤めていたそうですから、まったく社会に適合できないわけではないでしょう。

 では、なぜ「暴走」する患者がいるのか。それは社会や他者への怨恨などから「絶望」が取返しのつかないところまで大きく膨れ上がったからであり、その絶望を抑制するためには周囲の人間が草の根レベルで他者を慮らねばならない、というのが前回のコラムで述べたことです。

 では、運悪く周囲にそういった気遣いをしてくれる他者がいなかった場合は防ぎようがないのでしょうか。

 報道によれば、渡辺は病弱する母親のために1つ1万円もする魔除けの「塩」を2つも購入していたそうです。宗教的なパワーに期待することは決して悪いわけではありません。宗教に救われたという話は古今東西どこの社会にもいくらでもあります。では、魔除けの塩を販売した宗教には何か問題があったのでしょうか。自分がよく知らない宗教を悪く言うべきではありませんが、この宗教は困窮した人(渡辺)に対するコミュニケーションが不十分だったのではないでしょうか。

 現代日本に住む我々はもはや宗教に頼ることができないのでしょうか。その答えは簡単には出せませんが、私なら宗教よりも別のものを探し求めます。それは何かというと「人、本、旅」です。この「人、本、旅」という言葉は私のオリジナルではなくて、現在APUの学長をされている出口治明さんの名言です。出口さんは、この3つを「人間が賢くなる方法」あるいは「人生を豊かにする方法」として述べられていますが、私はもっと根源的なレベル、すなわち「人が人として絶望せずに生きていくために不可欠なもの」と捉えています。ちなみに、出口さんは私の出身高校の大先輩(ちょうど20年先輩)です。

 世の中の何もかもがイヤになり、手を差し伸べてくれる人がまったくいなければ「人、本、旅」から「人」は消えますが「本」「旅」は残ります。本は申し訳ないくらいに安く手に入るものですし、旅もさほどお金をかけずにすることもできます。もちろんお金があるに越したことはありませんが。

 本は何を読んでも救われるわけではありませんが、私の”独自調査”によると、いわゆる「古典」を数多く読んでいる人はたいてい心が安定しています。古典とは聖書など宗教に関わるものから、歴史書、シェークスピアなどの古典文学、夏目漱石や志賀直哉といった日本の名著も含めてのことです。

 旅についてはやはりお勧めは「一人旅」です。最も推薦したいのはスケジュールを決めずにバックパッカーとして海外を放浪することですが、国内1泊旅行でも自分と向き合って心を豊かにすることは可能です。ちなみに私は、コロナ前までは学会参加にかこつけて全国各地を訪れることを趣味にしていました。

 もしもこれを読まれている方が、人生に行き詰っていたり、やりたいことやすべきことが見つからなかったり、あるいは絶望を抱えているのであれば、「人、本、旅」の大切さを思い出し、周囲に適当な人がいなければ「本」をもって「旅」に出てみませんか。それだけでも心が平和になります。さらに旅先では、新たな「人」との出会いが待っているかもしれません。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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