マンスリーレポート

2023年3月11日 土曜日

2023年3月 閉院でなく「移転」は可能か?~続編~

 前回のマンスリーレポートでお伝えしたように、「完全閉院」を決め、1月4日にそれを公表したところ、あまりにも多くの患者さんから「それは困ります」と言われ、涙を流され、「やめないでください」と強く訴えかけられるにつれ、私の心は揺らいでいきました。もう一度、物件を探して新たな土地での新規開業を考えるようになりました。

 といっても、これまでの経験から判断して適当な物件がそう簡単に見つかるとは思えません。なにしろ、1年半前に新たな地を探し始めたその当時から去年の年末まで、たくさんのビルから「コロナを診るなら貸せない」と言われ続けてきたのです。首尾よく「貸せますよ」と言われても、高い階なら入居すべきではありません。

 貸主のリスク意識が高くなかったとしても、我々はビル内での感染を防がねばなりません。発熱の患者さんがエレベータに乗って、クリニックが入居している高いフロアに到着するまでに途中の階で止まり他人が乗ってくればリスクが生まれます。よって、クリニックの物件は高くても4階(現在の谷口医院は4階で、エレベータの中で咳をするおそれがある患者さんには階段を利用してもらっています)、できれば3階以下で探すべきです。

 同じフロアに事業所がいくつもあり、トイレが共用という場合も嫌がられます。あるビルからは、露骨に「患者に共用トイレを使わさんといてくれ」と言われました。こんなビルを借りればトラブルが生じるのは目に見えています。

 1階にテナント募集が出ていて、上の階は一般のマンションという物件もいくつかあったのですが、新型コロナウイルスが重症化したり、別の感染性・致死率が高い感染症が蔓延したりすれば、住人から何を言われるか分かりません。

 そうすると残る選択肢は、#1医療モールに入居する、#2ビル一棟まるごと借りる、#3ビル一棟まるごと買う、#4土地を買って建物を建てる、#5比較的小さいビルで入居者全員の理解がある、の5つのなかから考えることになります。

 #3、#4はかなり高くつきますが、この2ヶ月の「やめないでください」という多くの患者さんからの声を聞き、私は、残りの人生を現在診ている患者さんたちに捧げる覚悟を決めました。よって、全財産をなげうって、さらに可能な限りの借り入れをすればなんとかなると考えています。

 偶然にも、そのような決心をした直後、不動産業を営むある患者さんから「近くに売り物件が出ました!」と早朝に電話がかかってきました。地図で場所を確かめると、立地条件は申し分なく、広さも手ごろです。ワンフロアの面積は狭いですが5階まで使えば充分な広さです。値段はけっこうな額ですが、生涯を賭すると腹をくくるなら契約できない金額ではないでしょう。

 その患者さんは仕事が早く、「すぐにでも見に来てください」と言います。偶然にも翌日は当院が休診の木曜日。これは運命かもしれません。期待に胸を膨らませ、「明日行きます!」と即答しました。そして物件を見に行きました。予想よりもきれいで申し分ありません。1階は「発熱外来専用」にできそう。地下にはレントゲンを置いて……、とビジョンが目に浮かびます。クリニックとして充分使えます。

 ところが、この物件には”落とし穴”がありました。「検査済証」がないのです。不動産の検査済証とは、その建築物が建築基準関係の規定に違反していないことを証明する書類のことで、これがなければ医療機関を開業できない、という法律があるわけではないのですが、関係者の話によれば「医療機関が検査済証がない物件を使うのは不適切」だそうで、結局この話はなくなりました。

 この一戸建て物件の話をもらう少し前、1年半前に断られた医療モールに性懲りもなくもう一度お願いしてみました。1年半前のその当時も、医療モール自体は「歓迎します」と言ってくれていたのですが、モールに入っている一部の医療機関が「反対」しているとのことで、当院は拒否されたのです。

 反対の理由は「当院がそこに入ると競合するから」だそうです。当院としては、患者数を増やすつもりはありませんし、まして、今そこに通っている患者さんを「奪おう」などとは毛頭思っていません。というより、谷口医院は2007年のオープン時から「他で診てもらえなかった人」を中心に診ています。宣伝なども一切したことがありません。そもそも医療機関は営利団体でなく、サービス業のように「顧客確保」などは一切考えません。少なくとも私自身は谷口医院での過去16年間、「できるだけ医療機関に来なくていいように」という視点から治療をしてきました。

 そして、1年半が経過した今、やはり入居しているクリニックが反対しているという理由で断られてしまいました。もしも、私が逆の立場なら、「そうか。谷口医院は1年半探してどこも見つからず閉院しかないのか。ならば、うちに入ってもらえばいいではないか」と考えますが、こういうものの見方自体が甘いようです。

 詳細は省略しますが、1年半にわたり物件を探してよく分かったことのひとつが、医療モールでなくても「近くに医療機関がくると患者を奪われるからという理由で嫌がる医師」がそれなりにいることです。私なら近くに医療機関ができれば、何科のクリニックであっても「協力できる」と考え歓迎するのですが……。

 以前、ある医師とこの話をしたとき、「では、あなたはあなたと同じ総合診療のクリニックが近くにできてもいいのですか?」と尋ねられたことがあります。もちろん私の答えは「歓迎する」です。そもそも世間は絶対的な医師不足です。2020年は「発熱がありコロナかもしれないのにどこも診てくれない」、2021年は「コロナ後遺症なのにどこも診てくれない」、2022年は「ワクチンで後遺症がでたのにどこも診てくれない」という患者さんがどれだけいたか……。

 医療者のなかには「すでに医師は過剰、クリニックも過剰」と考える者がいますが、実際は「いいかかりつけ医が見つからずに困っている」という人はものすごくたくさんいます。「そういう人の力になりたい」といえば格好をつけたような表現に聞こえますが、私はそういう思いに抗うことができず、大学病院に籍を置きながら2007年に開業に踏み切りました。当時は医師になってまだ5年目の終わりごろでしたから、開業するには随分と早い段階でした。ですが、「どこに行っていいか分からない」「どこを受診してもイヤな思いしかなかった」という人の力になりたいという思いが私を支配して離れないのです。

 その思いをはっきりと感じたのが、研修医1年目の夏、タイのエイズホスピスにボランティアに行ったときでした。HIV陽性というだけで医療機関から受診拒否されて行き場をなくした人たちをみていると、「こんなこと絶対に許してはいけない!」という強い気持ちが心底から湧いてきました。その後も私のこの思いは変わっておらず、「医療機関から拒否された」「医師から見放された」という人たちを(おせっかいかもしれませんが)どうしても放っておけないのです。

 さて、現時点の最新情報。まだ、新しい移転先は決まっておらず、今も新しい物件を見に行っている段階ですが、「ここならやっていけるだろう」というところがチラホラ見つかっています。「どこからどうみても完璧」というところはないのですが、それでも「充分にクリニックとしてオープンできるだろう」、という物件は複数見つかりました。

 もちろん契約するまでは安心できません。2006年のコラム「天国から地獄へ」で述べたように、太融寺町谷口医院の場所を見つける前に、西区北堀江の四ツ橋筋に面した申し分のない物件をみつけ、ビルのオーナーと仮契約書まで交わしていたのに、最終的に入れなかったというとても苦い経験があります。このときも、そのビルの別のフロアに入っている医療機関から反対されて、その医師が「谷口の入居を許すな!」とビルのオーナーを説き伏せて仮契約書が破棄されてしまったのです。

 なぜ、医師は他人をこんなにも拒否するのでしょう。競合するからという理由で(私は「競合」ではなく「協力」を考えているのに)他の医師が近くで診療することを拒否し、コロナが流行れば発熱患者の診察を拒否し、後遺症もワクチン後遺症も診ないという医師があまりにも多いこの現実……。「医師はすでに過剰で患者を集める工夫をしなければならない」と考えている医師がいう「患者」とは「その医師にとって都合のいい患者」に他なりません。

 なんとか新しい開業場所をみつけ、これまでの診療を続けていくつもりです。次回のマンスリーレポートでは具体的なお知らせをしたいと考えています。メルマガではその都度最新情報をお伝えしていきます。

 しかし、それまでに振動による針刺し事故を起こしてしまえば一巻の終わりです。本日も耐えられない大きな振動が生じたため、数分間診察の中断を余儀なくされました。なんとか、6月末までは針刺し事故を起こさないようにするために、署名へのご協力をお願い致します。

 尚、大勢の方から質問をいただいている「振動問題の真犯人は誰か?」については今も分かりません。「谷口医院を追い出したいと考えるビルがボクシングジムを家賃無料で入居させ振動を起こさせている」と考える人が少なくないのですが、その確証はありません。「今も1階ホールの表札にジムの名前が入っていない。谷口医院が出て行けばジムもすぐに撤退するからだ。これが証拠だ」という意見がありますが、これだけでは証拠としては少し弱いように思えます。

 また、「第三者がビルとジムの双方に大金を払って振動を起こさせている」という説については、容疑者もその動機も皆目見当がつきません。谷口医院に、あるいは私に、そこまで恨みを持った人間や組織の存在は考えにくいのです。

 しかし、真相は依然不明なものの、当院のスタッフのみならず患者さんからも蛇蝎のごとく嫌われ続けながら振動による嫌がらせを一向にやめないこのボクシングジムに相当の「理由」があるのは間違いないでしょう。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2023年2月9日 木曜日

2023年2月 閉院でなく「移転」は可能か?

 2023年、当院が診療を開始したのは1月4日の午後でした。その日の午前にはスタッフ全員が集合し、毎年恒例の「新年会議」を開き、「これ以上針刺し事故のリスクを抱えられない。よって6月30日をもって閉院する」と発表しました。その後、本ウェブサイトでそれを公開し、その日の午後から受診するすべての患者さんに閉院を決定したことを告げました。

 私の今後の身の振りはまったく決まっていません。意外なことに、閉院を公表後、全国の病院から「うちで働きませんか」というオファーをいただきました。こういった話はとてもありがたいのですが、私自身は病院勤務は考えていません。

 大学病院の総合診療科で勤務していた頃はとても楽しかったのですが、「いつでもどんなことでも相談してくださいね」とは言えませんでした。それは大学病院を含め、病院のすることではないからです。病院の役割として「診断がつきましたから次からは近くの診療所/クリニックに行ってください」と言わねばなりません。また、総合診療科以外の病院の科はいわゆる”縦割り”になっていますから、現在おこなっているような、例えば、子宮内膜症と片頭痛と過敏性腸症候群と気管支喘息とアレルギー性鼻炎とじんましんを同時に診る、といったことはできません。

 病院だけでなく、「クリニックを引き継いでもらえませんか」という申し出を、開業している複数の医師からもらいました。これは魅力的な話なのですが、いくつか解決せねばならない問題があります。まず、その診療所が入っているビルが「発熱患者もOK」と言ってくれなければならないのですがそういうところはほとんどありません。あったとしても、再び新型コロナウイルスが強毒化したり、似たような感染症が流行したりしたときに当院の患者さんがバッシングを受けることはないかと懸念します。

 一番いいのは医療モールに入居することですが、総合診療科の当院は他の科から嫌われます。実際、ある医療モールに入居を申し込むと、モールのオーナーからは「歓迎します」と言われたのですが、そのなかに入っているクリニックから反対されてこの話はなくなりました。

 ということは、当院に残された方法は、ビル一棟をまるごと借りるとか、土地を探して建物を建てるといったものになります。しかし、このあたり(大阪市北区)では土地が高すぎてとても手が出ません。

 ここまで八方塞りになると、通常の臨床医は諦めざるを得ません。そこで、私は、通常の臨床でない医師、例えば、産業医や労働衛生コンサルタント(共に資格があります)、学校医(留学生の多い大学などを考えています)、刑務所の医師(法務省の矯正医官と呼びます)、外務省の医師(医務官と呼びます)などを考え始めました。

 あるいは、さらに選択肢を広げ、いっそのこと「医師を辞める」道も考えるようになりました。海外の大学に行く、あるいは海外を放浪する、というのもいいかな、と様々な生き方を想像するようになりました。この1ヵ月の間、将来のビジョンが日ごとに変わっているような状態です。

 診療はこれまでと同じように続けています。診察室で私の方から閉院の話をすると、ときに患者さんは涙を浮かべ、「新しいところ、なんとか見つけてください」と訴えられます。私の方ももらい泣きしそうになることもあります。なかには、「自分がなんとか見つけます」と言って物件を探してきてくれたり、知り合いの不動産屋を紹介すると言ってくれたりする人もいます。不動産関係で勤務している人は「探してみます」と言ってくれます。

 そこまで言われる人の訴えを聞いていると、閉院するということがどれほど「罪」なのかが分かってきます。閉院を伝えた後、「新しい受診先を紹介します」とは伝えますが、たしかに当院のなかには紹介先を探すのに相当苦労するだろうな、と思われる患者さんが少なくありません。

 意外なことに、単純な疾患で診ている患者さん(たとえば、喘息だけ、とか、高血圧だけ、とか、じんましんだけ、というケース)のなかにも「先生(私のこと)には何でも相談できると思っているから(当院に)来ている」という声が多くありました。私にはこれがとても意外でした。数年間、ひとつの症状だけで通院し、いつも診察時間が短時間で終わっていた患者さんからもこのようなことを言われるからです。

 そのような状況のなか、閉院を公表してから新たな受診先を見つけられた患者さんはまだ3人だけです。

 涙を見るから心が動く、という単純な話ではありませんが、「閉院は困ります」という患者さんたちからの訴えを繰り返し聞いているうちに、私の心は次第に揺れ動いてきました。いったん決意したはずの「永遠に閉院」が「なんとかならないか……」に変わってきたのです。しかし移転先はさんざん探して見つかりませんでした。

 ではどうすればいいか。現在考えているのは「少し遠くの場所で探す」という方法です。医療法上、移転は半径2km以内にしなければならないという規定があります。これにこだわるから移転先が見つからないのであって、それ以上遠くに行けばいいわけです。つまり、医療法上の狭義の「移転」ではなく、医療法を外れた”移転”をすればいいのです。

 ただし、この方法であればいったん「廃院」し、新たに別のクリニックを「新規開業」するというかたちになります。いくら詰めたとしても数か月のブランクがあきます。それに、そもそも北区に見つからないものが隣の区まで探したとしてもそう簡単に見つかるとは思えません。適切な物件というのは、一棟そのまま借りられるようなものか、土地を購入するというプランです。そう都合のいい物件はないでしょう。

 しかし、患者さんや医療者が持ってきてくれる情報から、検討できそうな物件もありそうなことが分かってきました。これからしばらくの間、休診日に物件探しに明け暮れることになります。

 ただし、新たな”新規開業”にたどり着けたとしても、相当先の話になります。早くても年明けになるでしょう。ブランクの期間は、私の知人の開業医に頼んでその分の処方をお願いしようと思っています。また、新規開業後も、初めのうちはオンライン診療のみになるかもしれません。

 この話を数人の患者さんにしてみると、全員が「それで充分ですから絶対にまた開業してください!!」と言ってくれました。もちろん、「そんなブランクができるなら、もうけっこうです。新たなクリニックを探します」という人もいるでしょう。新たな開業ができるという保証は現時点では確約できないわけですから、そうしてもらう方がいいと思います。

 実際には、このような条件を受け入れてでも「新規開業すればまた受診する」と言ってくれる患者さんが少なくなく、そういった人たちの存在を考えると、「何としても新規開業に向けて全力を尽くさなければ」、という気持ちが体の底から沸き上がってきます。

 私が発行するメルマガ(谷口恭の「その質問にホンネで答えます」)及び次回の「マンスリーレポート」で進捗状況をお伝えしたいと思います。

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2023年1月4日 水曜日

2023年1月 「閉院」を決めました

 階上のボクシングジムが作り出す振動で度々診察を妨げられるようになった2021年1月より2年間にわたり、ジムとビルに対し防振工事をするよう申し入れてきました。しかし、ジムの社長にもビルの担当者にも「壁にヒビが入るほどの振動のなかで医療行為はできません」と繰り返し訴えても、「それが何か……」という態度で初めからコミュニケーションがとれるような相手ではありませんでした。

 そこで裁判を起こしました。振動がどれだけひどいものかを証明するために一級建築士に振動の数値を計測してもらって、その結果を裁判所に提出してもらいました。しかし、裁判所が「防振工事が必要」と判断したとしても、実際にジムとビルが防振工事を開始するまでには相当の年月がかかることが判りました。

 ならば、当院が「移転」をするしかないと考え、複数の不動産会社に相談し、私自身も実際に何日間も歩いて当院の近辺の物件をかたっぱしから探し回りました。けれども、適切な移転先は見つかりませんでした。医療モールへの入居も希望し、モールの運営会社からは了承されたのですが、入居している他の医療機関から断られ、この話もなくなりました。

 この2年の間、患者さんには振動の恐怖を与え、注射や点滴での針刺し事故のリスクを背負わせています。激しい痛みや倦怠感などの苦痛を抱え、やっとの思いで受診にたどりつき、点滴治療を受けているときに大きな振動に見舞われ、治療を受けたせいで余計に苦しくなってしまった患者さんもいます。レントゲン撮影時の大きな振動で撮り直しを余儀なくされ、余計な被爆をさせてしまったこともあります。我々は幾度となく苦情を聞き大変申し訳なく思っています。苦痛であることを口にしないどころか「私は大丈夫です。先生や看護師さんが心配です」といった言葉をいただいたことも何度もあります。
 
 ひどい振動のために壁の一部にはすでにヒビが入っています。最近は、振動の頻度は大きく減ったものの(ジムの客が激減していることが予想されます)、悪質な振動を突然起こされることが増え、針刺し事故のリスクが上昇しています。これ以上、事故のリスクを抱え続け、患者さんに恐怖と苦痛を与えることはできないと結論するに至りました。

 したがって、クリニックを閉院することを決めました。針刺し事故のリスクはすぐにでもなくすべきであり、そういう意味では直ちに閉院した方がいいでしょう。ですが、突然治療を中断するわけにもいかず、また、医療機関の閉院はそれほど簡単にできるものではありません。大阪府の許可を取り、行政の手続きが完了するまでにおよそ半年がかかります。よって、診察は6月末まで続ける予定をしています。

 当院は2007年の開院時から「他のどこからも診てもらえなかった人」に受診してもらえるように努めてきました。当院の発熱外来開始は2020年1月31日と、かなり早期に立ち上げたのもそのような理由です。発熱外来一人目の患者さんは「10軒以上の医療機関から見放された中国人」でした。

 「他では診てもらえないから」という理由で、かなり遠方から新幹線を利用して長年受診している患者さんもいます。もちろん近くにお住まいの患者さんや、勤務先が近いから利用しているという患者さんも大勢います。そういった患者さんたちを裏切ることになり、お詫びの言葉もみつかりません。

 これから半年をかけて、当院を長年かかりつけ医にされていた患者さんの新たな受診先を探していきます。すぐには見つからないケースも多々あるでしょうし、おそらく半年では見つけられない場合もあると思います。よって、閉院してからも患者さんからのメール相談は続けます。少なくとも新たなかかりつけ医が見つかるまでは無期限にメールでの相談や質問を承ります。

 このサイトでは何度か、個人の「ミッション・ステイトメント」をもつ素晴らしさについて言及してきました。私が初めて自分のミッション・ステイトメントをつくったのは1997年の、たしか春頃でした。その後は、毎年1月1日にミッション・ステイトメントの改定作業をおこなっています。

 今から1年前の2022年1月1日、その日は私が好きな西日本のある町で数時間一人きりの時間をつくって自分の内面を掘り下げていきました。これから一個人として、医師として何を大切にして、何をすべきかについて考え直しました。そのときに出た自分の「答え」は、「太融寺町谷口医院の患者さんとスタッフを守る。振動に負けず司法の力を借りて振動工事をしてもらう」というものでした。

 私には「勝算」がありました。我々の主張が正しいことは自明だからです。病気や怪我で苦しんで受診している人に振動で恐怖を与えていいはずがありません。振動のせいで針刺し事故が起こって、神経損傷や院内感染が生じていいはずがありません。

 当院は「多額の慰謝料を払え」とか「ジムは出ていけ」と言っているわけではなく、「防振工事をしてください」とお願いしているだけです。それに、もしも当院が移転したとしても、こんなにひどい振動が起こるフロアを当院の後に借りる業者が現れるはずがありません。いずれにしても防振工事をする以外に選択肢はないはずです。

 裁判を進めてもらうなかで分かって来たことがあります。このビルは「鉄骨」という構造でつくられています。「鉄筋」や「RC(鉄骨鉄筋)」と呼ばれる頑丈なつくりではなく、「鉄骨」のビルは振動が生まれれば簡単に階下に伝わります。それが分かっていながら、ビル側はボクシングジムを誘致したのです。

 当院の患者さんのなかにはジムに苦情というかお願いをされた方もいます。それに、ジムに通うお客さんもそのうちに「下にクリニックがあるのはおかしい」と気づくでしょう。高齢者や辛い病状を抱える患者さんとエレベータに同乗すれば、こんなところで振動をおこせば何が起こるのかは分かります。ということは、クリニックの上でボクシングジムを経営するということは客が来なくなり、自分たちを苦しめるだけになります。

 実際、以前と比べて振動が生じる時間は大幅に減っています。これは客がまったくいない時間帯が増えていることを意味します。部屋全体が揺れるほどの振動は最近では週に2~3回に減ってきています。ですが、その1回の振動は以前よりも大きくなっており、針刺し事故のリスクはむしろ上がっているのです。

 ボクシングジムはサービス業ですからイメージが大切になるでしょう。医療機関の上に開いて患者さんを苦しめるようなことをやれば大きなイメージダウンになるはずです。にもかかわらず振動を巻き散らす理由は、「太融寺町谷口医院を追い出したいから」に他なりません。

 では、ジムはなぜそのようなことを考えるのか。ジムの関係者が私や当院のスタッフに恨みを持っている可能性もあるかもしれませんが、おそらく当院を追い出したいと考えているのはビルの方だと思います。その理由は皆目見当がつきませんが、体よく当院を追い出すのには「振動による嫌がらせ」は都合のいい方法だからです。先述したように、当院が退去してもこの振動に耐えられる業者はありませんから、当院の退去後に防振工事を始めるに違いありません。あるいは、当院が退去すればジムも撤退するのかもしれません。おそらく、「家賃を無料にするからクリニックが出ていくまで暴れまくってほしい」とビルがジムに依頼したのではないか、というのが現時点の私の推測です。

 2023年1月1日、前年とはまた別の、私が大好きな西日本のある町でミッション・ステイトメントの見直しをおこないました。大切なスタッフと患者さんを守るには「閉院以外にはない」という結論に至りました。

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2022年12月8日 木曜日

2022年12月 誰もが簡単に直ちに幸せになれる方法

 前回は「いずれ人類は絶滅する」という、たいていの人は日頃考えることを避けている「不都合な真実」について私見を述べました。今年最後のマンスリーレポートは「明るい話」で締めくくりたいと思います。

 2022年2月の本コラム「絶望から抜け出すための方法」で、「人・本・旅」に頼ってみよう、という話をしました。「人・本・旅」は私のオリジナルではなく、現在APUの学長をされている出口治明さんの名言です。出口さんは、この3つを「人間が賢くなる方法」あるいは「人生を豊かにする方法」として紹介されています。そのコラムでは、私は「人間関係には絶望しかないのだとすれば、<本>を持って<旅>に出よう」と述べました。今回は「人」の話をします。

 生まれてこの方、出会ってきたすべての人たちが素晴らしく人間関係で苦労したことがない、という人がいたら余程おめでたい人なのか、嘘を言っています。そういう人の言葉は信用しない方がいいでしょう。どれだけ運がいい人であっても、いろんな環境に身を置くにつれて、どうしようもない人と出会うことになります。

 本サイトで繰り返し主張しているように、そもそもすべての人から好かれようと思ってはいけません。まあ、思うのは自由ですが、そんなことをすれば薄っぺらい八方美人になり下がるだけで、真の友人には恵まれません。だから、これも繰り返し述べているように、つまらない承認欲求はさっさと捨て去るべきなのです。そんなものは捨ててしまって、自分の周りのかけがえのない人たちを、自分自身に対してと同じように大切にすればいいわけです。

 では、そのようなかけがえのない人たちを大切にするには何をすればいいのでしょうか。これも過去に述べたように重要なのは「誠実」と「謙虚」ですが、今回は別のことを話したいと思います。それは「感謝」です。

 そして、「感謝」の力が偉大なのは周囲の大切な人をより大切にできるからだけではありません。それほど距離が近くない人たちをも幸せにすることができるのです。さらに「感謝」した自分自身もまた幸せになれます。

 私の個人的なエピソードを紹介しましょう。

 医学部の学生だった頃、アルバイトの関係である同年代の男性と喫茶店で話をする機会がありました。彼が何を注文したのかは覚えていないのですが、ウエイトレスがドリンクをテーブルに置いたときに、男性はそのウエイトレスの方を向いて「ありがとう」と笑顔で答えたのです。たったこれだけの話です。ですが、これだけなのですが、その光景を見ていた私はなぜか幸せな気持ちになり、その気持ちはその日喫茶店を出てその男性と別れてからも続いていたのです。

 もうひとつ例を紹介しましょう。これも私が医学部の学生の頃の話です。ある日のこと、自宅近くのコンビニでレジが混雑していました。混雑の原因はアジアからやってきたと思われる若い男性のアルバイトがもたもたして要領を得ていなかったからです。おまけに日本語もたどたどしくて、早く買い物を済ませたい客は明らかに苛立っていました。

 イライラして急いでいるという態度をみせつけていた横柄な男性が店を出て行った後、私のひとつ前に並んでいた若い女性が商品のペットボトルをレジに置きました。そして、アジア人の店員がおつりと商品を女性に渡すと、彼女は丁寧に受取り「ありがとう」と言ったのです。私は彼女の表情を見ていませんが、それまでぎこちなかった店員から笑みが漏れましたから、きっと他者を幸せにするような素敵な笑顔でお礼を言ったのでしょう。

 何気ないコンビニの一シーンかもしれませんが、それから20年以上経った今も、私の記憶のなかにはそのときの光景がはっきりと残っています。その見知らぬ女性とはその後再会することもありませんでしたが、私が抱いた彼女に対するイメージがひまわりだったことから、勝手に「ひまわり娘」と名付けて、私の頭のなかでは今も笑顔を絶やしません。当時の私が見たのは後ろ姿と横顔だけなのですが。

 この2つのエピソード以外にも誰かが誰かに感謝するシーンで心が温かくなったことが何度もあります。もちろん、自分自身が他人から感謝の言葉を述べられてもうれしく感じます。ただ、私には「医師は患者さんから感謝の言葉を期待してはいけない」という持論があり、いつの間にか私生活も含めて「感謝の言葉をもらうべきでない」というおかしな感覚が身に付いてしまっています(下記コラム参照)。

 その反対に、私自身が他者に対して感謝の言葉を伝えたいと思うことはよくあります。そして、可能な範囲でそうしているのですが、これがなかなかむつかしいのです。例えば上記1つ目のエピソードの男性の真似をして、喫茶店やレストランでウエイトレスやウエイターに「ありがとうございます」と言うように心がけているのですが、その男性のようなさわやかさがまったくない私が真似をするとなんだかぎこちなくなってしまうのです。

 そのうちに「他人に感謝することは大切だけれど簡単ではない」ことが分ってきました。だからいつも、どうやって感謝の言葉を伝えるか、どのような言葉を使ってどのタイミングでどのように言うかを考えるようにしています。そして、それがうまく伝わったとき、とりわけ、日頃は恥ずかしくてそういったことを言いにくい近い関係の人に上手に気持ちを伝えられたときはとても幸せな気持ちになります。

 ここで興味深い論文を紹介しましょう。科学誌「scientific reports」2022年7月9日号に掲載された論文「パートナーに感謝の気持ちを意識的に表明すれば、一緒にいる時間が増え、CD38の変動の影響を緩和する(Implementation intentions to express gratitude increase daily time co-present with an intimate partner, and moderate effects of variation in CD38)」です。

 研究の対象は125組のカップルです。カップルを2つのグループに分け、1つのグループには2人のうちどちらかに「パートナーに感謝を感じたときにはその気持ちをはっきりと表現する」ように指示しました。このとき、その感謝を表現する者はパートナー(感謝を表現される方)に実験の趣旨を伝えないようにしました。

 すると、対象カップルと比較して、どちらかが感謝を意識的に伝えたカップルの方は、一緒に過ごす時間が1日あたり68分も増えたのです。

 感謝したときにそれを言葉にするだけでパートナーと一緒に過ごす時間が68分も増えるのです。「感謝」の効果は凄まじいと言っていいのではないでしょうか。せっかく人間はこんなに素晴らしい感謝の言葉を生み出したのにもかかわらず、使わないのはもったいなさすぎます。

 ここからは論文に書いていない私の個人的意見です。実験では被験者に対して「感謝を”感じれば”言葉で伝えるように」と指示されていました。被験者はこのミッションを聞いて「感謝できるタイミングに注意しよう」と思ったはずです。つまり、少しでも感謝できることがないかを常に考えていたはずです。その結果、パートナーと一緒に過ごす時間が増えて平和で幸せな時間を過ごせたわけです。

 これを応用しない手はありません。つまり、すべての人間関係において、感謝の気持ちが芽生える瞬間を感知するセンサーの感度を上げておくのです。上述したように、感謝の言葉を述べるのはときに気恥ずかしくて照れ臭くて、タイミングを外せば場が白けてしまうというリスクもあります。ですが、この「感謝センサー」の感度を上げておくことで、人生が充実したものになることを私は確信しているのです。

参考:日経メディカル 谷口恭の「梅田のGPがどうしても伝えたいこと」2019年4月5日
「医師は感謝を期待してはいけない」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2022年11月11日 金曜日

2022年11月 人類はもうすぐ確実に滅ぶのだから

 私が1つ目の大学に通っていた頃、どの先生の講義だったのかはもはや記憶にないのですが、「宇宙船地球号」という言葉を学びました。

 「宇宙船地球号」とは、もともとは「地球上にある資源は限られているが故に無計画に資源を開発してはならない」という趣旨を表現した言葉だったはずです。しかし、私の記憶が正しければ、講義のなかでその先生は「我々は同じ人類であり、戦争などしている場合ではなく、仲良くしなければならない」というようなことを話されていたように記憶しています。ただ、私の記憶はいい加減ですから、その後「宇宙船地球号」というこの言葉だけが脳内を駆け巡り、私が自分の記憶に対して勝手な解釈をしているだけかもしれません。

 さて、世界史あるいは日本史を振り返り、「戦争」というものを改めて考えてみたときに、私が最も重要だと思う2つの「戦争の原則」があります。ひとつは「人類にとって、平和が正常なのではなく、むしろ戦争しているのが”自然”である」、もう1つは「敵の敵は見方」という原則です。

 そしてこの2つの原則から「地球上から戦争をなくす方法」を導くことができます。それは「地球外生命体に地球を攻撃してもらう」です。もちろんそんなことはあり得ませんが、地球外生命体を「人類を滅ぼす脅威」と置き換えれば、その「脅威」が他にないわけではありません。

 例えば「核」は「人類を滅ぼす脅威」に相当します。「核抑止力」には様々な議論がありますが、核の保持の良し悪しは別にして、「世界で核がいくつも使われれば地球が滅びる」のは事実です。だから、どれだけ非道な国家のリーダーであっても、人間を標的とした核のボタンはそう簡単には押せないわけです。

 しかし、世界のいくつかの国が核を持っているのにもかかわらず、現実世界には一向に平和が訪れません。なぜなのでしょう。それは「誰も核のボタンを押すことはないから」という暗黙の前提で世界の人々が暮らしているからです。もしも、数千発の核を持つX国が、1か月後に、世界の大都市に一斉に核ミサイルを放つことが決定したとしましょう。すると、X国以外の大国は必ず一致団結します。「マスクを外していいか」「コロナワクチンをうつべきか」などに気を使っている場合ではなくなります。

 実際には、自国以外のすべての国を亡ぼすことを考えるX国は存在しませんから、こういった心配をする必要はなく、戦うことが大好きな人類は”安心して”戦争に勤しんでいるというわけです。人間同士が仲良くなることを諦めている人たちは、街で「マスク反対!」と叫び、「反ワクチン派」と「ワクチン肯定派」はSNSで激しい言葉で罵り合っています。

 では核以外に「人類を滅ぼす脅威」はないのでしょうか。

 それはあります。というよりも、人類が滅びるのは絶対に避けられない真実です。ともすれば、我々はこの世界が未来永劫続くような錯覚に陥りがちですが、人類、そして地球がいずれ滅びるのは確実です。

 では、人類が滅びるのはいつなのでしょうか。Wikipediaによると、「楽観的な推測」として、哲学者のジョン・レスリーが「500年後に人類が存続している可能性は70パーセントという予想を出している」としています。

 楽観的な推測でこれなら、100年程度で消滅する可能性もあるのでしょうか。地球温暖化を研究するIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)の2018年の報告では、「早ければ、2040年前後までに地球は壊滅的な状態になる」とされています。The New York Timesによると、2040年までに大気が産業革命前のレベルより1.5℃上昇し、その結果、海岸線が水没し、干ばつと貧困が激化します。

 IPCCは世界中の地球温暖化を研究する第一人者からなる組織です。ただ、社会ではこの報告はあまり注目されていません。その証拠に、「死ぬまでの残りの20年をどのように過ごそうか」という声がほとんど(というよりまったく)聞こえてきません。

 では人類が滅びるのはいったいいつなのでしょうか。これを正確に予測するのが困難なのは不確定要素が多いからです。例えば、今後核を使う国がでてくるか否か、地球温暖化に効果的な対策をとることができるかどうか、世界全体での人口抑制に成功するか、といった問題に加え、医療問題も関わります。マラリアのワクチン開発は成功するか、多剤耐性結核に有効な抗菌薬は開発されるか、新型コロナウイルスのようなパンデミックが再び起こるか、耐性菌を克服できるか(2050年には薬剤耐性菌で1000万人が死亡し、世界の死因の第1位になると予測されています)などによって結果が大きく異なってきます(注)。

 1000年後には人類は滅亡しているでしょうか。『シルクロード全史』が世界的ベストセラーとなった英オックスフォード大学の歴史学教授ピーター・フランコパンが、最近、英紙The Economistに寄稿したコラム「ピーター・フランコパンが考える3022年の姿What Peter Frankopan thinks 3022 will look like)」が興味深いので紹介します。

 フランコパンによると、パリ協定で定めた気温上昇の抑制目標が達成できる可能性はわずか0.1%です。すると、海面が数十メートル上昇し、海底に沈む地域が増え、2500年までにアマゾンは不毛の土地になります。熱帯地方の居住者は住む場所を失くし、高緯度の地域へと移動せざるを得なくなると予測しています。

 そして、フランコパンはその兆候は現時点ですでに現れていると言います。2022年の世界の気象をみてみると、イギリスでは気温が40度を超え、中国では観測史上最も厳しい熱波が記録されました。パキスタンでは例年の8倍近くもの雨が降り、洪水で国土の3分の1が水没しました。南米では気温が45度を超え、南極大陸の一部の地域の気温は平均より40度近くも高くなりました。アメリカ東部のデスバレーではわずか3時間で年間平均降水量の4分の3が降りました。

 フランコパンは感染症の脅威についても言及しています。21世紀末には世界人口の90%がマラリアとデング熱のリスクにさらされるとの予測があり、森林破壊が進行すれば、未知の感染症が出現するリスクが高まることも指摘しています。

 また、フランコパンによると、核兵器が使用されれば、たとえ限定的な使用であっても、大量の煤煙が大気中に放出され、広範囲で農業ができなくなるそうです。

 すでに日本でも、毎年台風は未曾有の被害をもたらし、洪水で死亡者を出し、熱中症での死亡が珍しくなくなっています。「これらはすでに地球滅亡に向かっている証だ」と言えば言いすぎでしょうか。

 「できるだけ人類を永らえさせるべきだ」という主張は、哲学的に正しいかどうかは簡単に答えがでませんが(「生まれてこない方がよい」という考えもあります)、「子孫を残して明るい未来を築く」のは我々人間の使命ではなかったでしょうか。ならば、今この時点で人類滅亡のリスクとなるいくつもの脅威をしっかりと認識し、人類全員が”宇宙船地球号”に乗り込み、共に知恵を出し合い、全員でその脅威に立ち向かっていくべきではないでしょうか。

 そう考えると、戦争をしたり、マスクをするしないで言い合いをしたり、SNSでつまらない罵り合いをしたり、といったことに時間を費やしている暇はないはずです。

注:詳しくは下記を参照ください。
医療プレミア2019年1月6日「「あなたと家族と人類」を耐性菌から守る方法」(無料で読めます)

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2022年9月8日 木曜日

2022年9月 承認欲求を抑えられない人たち

 2022年8月13日、『患者よ、がんと闘うな』で有名な近藤誠医師(以下、「近藤医師」)が他界されました。出勤途中で体調不良を訴え、搬送先の病院で死亡されたそうです。享年73歳。死因は虚血性心疾患と報道されています。

 近藤医師は医療者であれば知らない者はおらず、医療者でなくても知っている人はかなり多いでしょう。『患者よ、がん……』以外にもベストセラーとなった著作が多数あり、たしか書籍関係の賞も受賞されことがあったはずです。

 しかし、近藤医師に対する医療者からの評判は非常に悪く、実際、死亡が報道された直後の医師の掲示板を見てみると悪口のオンパレードでした。そして、患者さんのなかにも近藤医師を否定的に言う人は少なくありません。

 ただし、一部の市民(患者)からはまるで”神”のように崇められていて、都内で開業した「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」の料金は、一律30分で3万2000円(現金のみ)だとか……。

 今回は、なぜ近藤医師が「アンチ標準医療」に走ったのか、について私見を述べてみたいと思います。結論を言えば「社会から注目される快感に抗えなかった」、つまり「強すぎる承認欲求を抑えられなかったが故に、どんどん奇を衒った”奇説”を発表していった」、となります。

 しかし、元々近藤医師はそのような医師ではありませんでした。近藤医師が一躍有名になったのは80年代後半(だったと思います)、乳がんに対する「乳房温存療法」を提唱されたときです。

 乳房温存療法とは乳がんの手術で、文字通り「乳房を残す」手術です。それまでは乳がんがみつかれば筋肉も含めたかなりの広範囲を切除するのが一般的でした。乳房温存療法を簡単に言えば、放射線照射を併用してがんを含む狭い範囲だけを切除する方法です。海外ではそれなりに普及していましたが、日本ではそうではなく、「日本でもおこなわれるようになったのは近藤医師のおかげだ」と言っても過言ではありません。

 名著『患者よ、がんと闘うな』を上梓されたのは1996年、私が医学部に入学した年です。私が医師を目指し始めたのは医学部4回生の頃で、入学当時は臨床に、つまり医療行為にほとんど興味がありませんでした。ですが、この本は同級生に勧められたこともあり読んでみました。日本の医療現場では、不要な手術、無駄な手術、さらに無意味な抗がん剤投与がたくさんおこなわれているんだ、と理解し、「近藤医師の主張は素晴らしい!」と感じました。

 ところが、医師になることを決めて臨んだ医学部5回生の実習が始まると、患者さんから直接話を聞く機会が増え、「手術や抗がん剤は不要」という考えが間違っていることに気付きました。近藤医師が指摘するように、手術がうまくいかず結果として死期が早まった事例や、抗がん剤に苦しむ人が多いのは事実です。しかし、全体でみれば「手術をしてもらって感謝している」という人の方が圧倒的に多く、また「抗がん剤のおかげでがんが小さくなったから手術ができた」というケースも多々あるのです。
 
 近藤医師の主張は月日が経つにつれ、ますますエスカレートしていきました。「すべてのがんは放置せよ」、「健診は無意味だから受けるな」、「病院に行けば殺される」、さらには「ワクチンは危険」とまで主張されるようになりました。

 ではなぜ、近藤医師は(ほとんどの)医師に嫌われることを覚悟の上で、次々と奇説を発表していったのでしょうか。医療界からはまったく「承認」されないわけですが、メディアや社会、あるいは一部の患者からは”神”のように崇められました。近藤医師からみれば、同僚よりも、メディアや世論からの「承認」の方に魅力があったのでしょう。

 では、このように同僚よりもメディア受けすることに”快感”を覚えるのは近藤医師だけかというと、どうもそうではないようです。新型コロナウイルスが流行し始めた2020年初頭、当院以外に発熱外来を実施しているところがないかを調べるため、いろんなクリニックのウェブサイトをみてみました。すると、トップページに「〇〇局の番組に出演しました」とか「△△社から取材を受けました」といったことが書かれている(しかも目立つように!)サイトがあって驚かされました。

 メディア(マスコミ)の取材を受けるのは、恥ずかしいことではありませんが、一般に医師はメディアに協力することを嫌います。その理由は「自分の主張が曲解して伝えられることがあるから」です。そもそも難しい病気の話を、短時間で(短い文章で)うまく伝えることは困難です。他方、メディアが求めるのは「分かりやすさ」です。結果、どうしても単純で分かりやすいことを言ったり書いたりすることを求められるのです。よって、まともな医師であればメディアからの取材協力依頼にはかなり慎重になります。

 2022年8月24日、稲盛和夫さんが他界されました。91歳、死因は老衰と報道されています。私は90年代から稲盛さんの大ファンで、著作は繰り返し読み、過去のコラムでも紹介したことがあります。特に「動機善なりや、私心なかりしか」は私の座右の銘のひとつです。

 実は私は過去に何度か、稲盛さんの主催する「盛和塾」に入塾することを考えたことがあります。盛和塾は経済界の人たちのものと聞いていましたから結局諦めたのですが、今思えばやはり「稲盛さんの著作から人生で大切なことをたくさん学んできました。もっと勉強させてください!」と言って飛び込めばよかったと後悔しています。ちなみに、「私心なかりしか」の「私心」を、恥ずかしながら私は「しごころ」と読んでいたのですが、あるとき盛和塾のメンバーでもあったある企業のオーナーから「それは<ししん>と読むのだ」と教えてもらったことがあります。

 話を戻しましょう。稲盛さんはDDI(現在のKDDI)を立ち上げるときに「世間に自分をよく見せたいというスタンドプレーではないか」と何度も自問されたそうです。つまり、「自分をよくみせたい(=承認欲求)」という気持ちがあるのなら「その動機は善ではない」のです。

 そういう観点から改めて近藤医師の意見を見直してみると、個別の状態や事情を考慮せず、一律に「手術、抗がん剤、健診、ワクチンのすべては無意味」とする主張は、到底患者のためのものとは思えません。奇を衒った意見の主張は、医療界以外の世間に対して「自分をよくみせたい」という低レベルの欲求のなせる技ではないでしょうか。もしも、近藤医師にまだ謙虚さが残っていれば、手術や抗がん剤、あるいはワクチンで救われた人たちからも話を傾聴し、現代医療を全否定するような発言はしなかったはずです。

 最近、楽天の三木谷浩史氏が雑誌に興味深いことを書かれていたのでここに紹介します。

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 若いアントレプレナーは往々にして、「株式上場したい」(中略)思いがひときわ強い。でも、それだけでいいのだろうか。(中略)(僕が)絶対に譲れないのは「日本を良くしたい」という純粋な思いだ。(週刊新潮2022年8月25日号)
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 おそらく三木谷氏の「日本を良くしたい」は「自分をよく見せたい」ではなく、稲盛さんの考えに通ずる「利他」の精神ではないでしょうか。

 過去のコラム「「承認されたい欲求」と「承認したくない欲求」」でも述べたように、承認されるのは自分の家族やパートナー、少数の友達だけで充分です。他者や社会に対しては「承認を求めず利他の精神をもって貢献する」ことが大切です。

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2022年8月10日 水曜日

2022年8月 元首相暗殺犯の”完全勝利”

 安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也は今、どんな心境なのでしょう。

 拘置所のなかでメディアの報道を見聞きすることはできないでしょうから、自身が世界でどのように報じられているかについては分からないでしょう。しかし、自分が成し遂げたことを冷静に考えれば、自身を否定的に論じる意見だけでなく、英雄視する声もあることを想像しているに違いありません。

 自身が逮捕された時の写真が世界中のメディアで掲載され、ネットで拡散され世界の人々に自分の存在が広く知れ渡っている様子を思い浮かべていることでしょう。山上の価値観から判定すれば、成し遂げたことは「完全勝利」と言えます。そして、おそらく自身が予想したよりも”成功”しています。

 日本の全国紙や週刊誌は、事件から1ヶ月以上が経過した今も、ほぼ毎号この事件について何らかのかたちで取り上げ、山上が恨みを抱いていた宗教団体と政治家との癒着が次々にスクープされ、さらには他の宗教と政治家とのつながりがクローズアップされています。

 海外メディアは統一教会(現・世界平和統一家庭連合。本稿では人口に膾炙している「統一教会」とする)の各国での活動や被害者の声を取り上げ、元信者にインタビューを重ね、統一教会へのバッシングが世界中で巻き起こっています。おそらく霊感商法などの被害者への返金をせよ、という社会の声が強くなり、統一教会の活動は縮小されることになるでしょう。山上にとっては、「これ以上の成功はない」というくらいの成功ではないでしょうか。

 一般的な日本人は山上のことをどのようにみているのでしょか。動機がどのようなものであれ、右寄りの思想家の安倍元首相を殺害したわけですから、一部の左翼系の思想家・活動家からは歓迎されていることでしょう。中国、韓国、北朝鮮の民族主義的な思想をもつ民衆からは英雄視扱いされているに違いありません。

 では、イデオロギーの視点からではなく、ひとりの日本人が元首相を殺害したということに対して一般の世論はどうなのでしょうか。意外なことに、イデオロギーを抜きにしても山上を支持する声が小さくありません。

 オンライン署名サイトのChang.orgに、7月中旬、ひとりの有志が「山上徹也容疑者の減刑を求める署名」を立ち上げました。これを書いている8月7日現在、すでに5,600人以上の署名が集まっています。

 このオンライン署名を立ち上げた人は、山上を減刑すべき2つの理由として「過酷な生育歴を鑑みての温情」と「本人が非常に真面目、努力家であり、更生の余地のある人間である事」を挙げています。人がどのような考えを持とうが自由ですが、私はこの2つの理由にはまったく同意できません。「過酷な成育歴」があれば人を殺しても減刑されるという理屈には納得できませんし、「真面目、努力家」が減刑されるなら「不真面目、非努力家」が差別されることになります。

 しかし、短期間ですでに5千人以上の署名が集まっていることを山上が知れば、支持する理由はともかく(この2つの理由以外の理由で減刑を望む者もいるでしょう)ほくそ笑むことになるでしょう。

 山上が”完全勝利”したといえる理由は大勢の支持者が国内外にいるからだけではありません。父と兄がすでに自殺しており、統一教会に洗脳され、もはや家族とは呼べなくなった母を除けば家族がいないことが大きいのです(注)。つまり、このような事件を犯しても”身内”が社会から追いつめられることはありません。

 この点が他の無差別事件と異なるところです。例えば、7月26日に死刑が執行された「秋葉原通り魔事件」の加藤智大は、事件や自身の生い立ちや環境の情報が大きく報道され、一部の人たちからは”神”と崇められていましたが、残された両親と弟は悲惨な経緯をたどっています。

 弟はどこに就職しても”弟”であることがそのうちに発覚してしまい、報道によれば、一時は婚約していたパートナーからも、「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」と罵られ、そして自死を選びました。取材を受けていた記者に「死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」と訴えたそうです。加藤の両親も、事件の後、世間から身を隠すように暮らしていると聞きます。

 加藤に対しては「残された家族のことを考えなかったのか?」という非難の声があるでしょうが、山上の場合にはそのような声が上がる前提としての絆がないのです。まさに「失うものは何もない(Nothing To Lose)」状態だったのです。

 山上は死刑を覚悟で暗殺を遂行した可能性がありますが、もしもこれだけ世間から”好意的に”見られていることを知れば「死にたくない」と考え直すようになるかもしれません。死刑を免れても娑婆に出られることは当分ないわけですが、それでも塀の中でいくらかの自分に関する報道を読むことができ、希望者(いくらでもいるでしょう)と面会することができ、加藤のように本を出版することもできます(加藤は合計4冊の本を出版しました)。本が出版されれば、その英訳もつくられるでしょう。さらに多言語で出版され、世界中で読まれることになるかもしれません。

 犯行の方法は「自家製の銃」ですから、ストーリー性もかなり高いと言えます。何年か後には映画にもなるかもしれません。日本最長就任期間を誇る元首相を手製の銃で暗殺し、その目的が世界にはびこる巨大な宗教組織の悪を暴くことだったわけです。ハリウッドが取り上げてもおかしくありません。山上は日本史のみならず世界史にも名を残すことになるでしょう。

 と、ここまで書くと私自身が山上を絶賛しているかのようです。考えなければならないのは、「なぜ山上がこのような犯行に至ったのか」、そして「同じような犯行を未然に防ぐには我々は何をすべきなのか」でした。

 この事件から改めて浮き彫りになったのは、「人間は失うものが何もない状態になれば恨みをもつ者を殺害することへの抵抗がなくなる」という真理です。では、この事件を未然に防ぐ方法はあったのでしょうか。

 それがあるとするならば「人とのつながり」を置いて他にはないでしょう。もしも、山上の兄が自殺をせずに生きていれば……、山上に恋愛のパートナーがいれば……、中高の同級生が連絡をとっていれば……、職場に気の置けない同僚がいれば……、山上は事件を企てたでしょうか。「あなたが(お前が・先輩が)そんなことをすれば私が(俺が・僕が)悲しい!」と言える者がひとりでもいれば、山上は犯行に及ばなかった可能性があるのではないでしょうか。

 もしも山上のように、人との「つながり」がない孤独な者がいて、その者が恨みを抱く対象がいたとすれば、同様の事件が起こり得ます。そして、安倍元首相がそうであったように、悪意がなくても他人から恨みを買うことはあります。ならば事件を防ぐには、人との「つながり」を築くことで孤独な者を救うしかありません。

 では、どのようにして「つながり」を持たない孤独な人を探せばいいのでしょうか。私自身は以前から引きこもっている患者さんや精神症状を訴える患者さん(男女ともに)に、「何でも話せる人はいますか?」と尋ねるようにしています。「いません」と言われることも少なくありません。そのようなとき、そんなに簡単な話ではありませんが、一緒に解決策を考えるようにしています。

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注:本コラムの脱稿後、山上には妹がいることを週刊誌の報道から知りました。妹はこれから身元を隠して生きていかねばならなくなるでしょう。ということは山上の”完全勝利”とは言えないかもしれません。

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2022年7月10日 日曜日

2022年7月 世界から戦争をなくす方法

 たしか20代の頃、なにかの雑誌で「世界で戦争がなかった日は〇〇日しかない」という内容のコラムを読んだ記憶があります。この出処は思い出せず、ネット検索をしても出てこないので詳しいことは分からないのですが、このコラムの著者は「人間は世界のどこかでほぼ毎日戦争をしている(愚かな生き物だ)」ということを皮肉りたかったわけです。

 シリア、イエメン、アフガニスタン、パレスチナ、イスラム国、スリランカ、ミャンマー、エチオピア、ウクライナなど、21世紀になってからも世界のどこかで戦争または内戦が繰り広げられ、21世紀になってからは「戦争がなかった日」はおそらくゼロだと思います。

 人類の歴史が始まって以来、世界のすべての地域で平和だった時代などほぼないのではないでしょうか。いわば人類の歴史は戦争の歴史でもあるわけです。ということは、人間とは「戦争が好きな生き物」、それが言い過ぎだとしても「戦争を避けられない生き物」くらいは言えるでしょう。

 しかし、私は人類が「戦争をしない生き物」になることは可能だと考えています。太古から変わらなかった「戦争を避けられない」という歴史を塗り替えることなどできるはずがない、とほとんどの人は考えるでしょうが、戦争を「過去のもの」にすることができる方法があります。今回はその考えを披露したいと思います。

 世界から戦争をなくす方法、それは「空港とLCCの拡充」です。これでは訳が分からないと思うので解説していきます。

 例えば、これから日本が韓国やアメリカと戦争を起こすことはあるでしょうか。私はないと思います。では、日本と北朝鮮ならどうでしょうか。私はあり得ると考えています。この違いはどこにあるのかというと、日本と韓国、日本とアメリカは人の動きが活発で互いに深い交流があるからです。この交流の大きさは太平洋戦争の時代とは雲泥の差です。

 90年代初頭、韓国人が日本を訪れることは容易ではありませんでした。それどころか、韓国内では日本の書籍や音楽を入手することは極めて困難で、日本の文化に触れるには大型図書館などに出向かなければなりませんでした。

 私はこの頃に来日した韓国人の若い女性と話をしたことがあります。過去のマンスリーレポート「外国を嫌いにならない方法~韓国人との思い出~」でも述べたのでここでは詳しくは繰り返しませんが、その女性は「大阪や東京というのは、ヤクザが跋扈(ばっこ)した街で、若い女性は決してひとりで歩いてはいけない。男性から声をかけられるようなことがあれば直ちに逃げないといけない」と聞かされていたと話していました。

 今やソウルやブサンに1泊2日で行く日本人もいるほどです(私も1泊で行ったことがあります)。こんなにせわしないプランで来日する韓国人は知りませんが、それでも日本と韓国はお互いに気軽に行ける国になり、友達や恋愛のパートナーが韓国人という日本人も少なくありません。過去の微妙な”歴史”の話から仲違いした日本人男性と韓国人女性のカップルの話は過去のコラム「インド人の詐欺と外国人との話のタブー」で紹介しましたが、それだけで相手のことを憎むようになるわけではありません。

 外務省によると、コロナ流行前の2018年、渡米した日本人は約350万人、韓国には約300万人が渡航しています。中国には270万人、タイは165万人です。これだけ人の行き来があると、渡航先の国で友人ができ、なかには恋愛関係に発展することも大いにあります。「アメリカの奴らは日本人と違って……」「韓国人は……」といった否定的な言葉を事前に聞いていたとしても、実際に行ってみれば「同じ人間で、仲良くできるんだ」ということが分ります。

 では、北朝鮮の人たちは日本人のことをどのように思っているでしょうか。私が90年代初頭に話をした韓国人女性のように、「日本人は冷酷で仲良くなれない」と思っている人たちが多いのではないでしょうか。

 私はウクライナにもロシアにも行ったことがありませんが、今回の戦争が始まる前、ウクライナ人とロシア人の交流はそれほどなかったのではないでしょうか。ウクライナは裕福な国ではなく、一人あたりのGDPが4千ドルに届きません。ロシアは1万ドルほどだったと思いますが今やロシアはかつての共産主義国ではなく貧富の差が大きな国です。ということは、平均的なウクライナ人と平均的なロシア人が頻繁に相手国に行き来して友達が多い、ということは考えられません。プーチン大統領が「ロシア軍はウクライナ市民を救うために戦争をしている」などというデタラメなプロパガンダをロシア国民に主張できるのも、大半のロシア人がウクライナ人を知らないからです。

 イギリスとフランスは歴史上何度も戦争をしていますが、これから起こることはないでしょう。それは、交通の発達ですでに両国を行き来して互いの国に友達や恋人がいるという人が大勢いるからです。日本と韓国は、まだまだ英仏ほどの関係には達していませんが、コロナが終わり、両国の、特に若者が互いの国を行き来する機会が増えれば、戦争が起こることはないと思います。

 ならば、世界中の、特に若者が(戦争で駆り出されるのは若者です)、全世界を飛び回って各国で友達をつくるようにすれば、国と国との戦争が起こるリスクはぐんと低くなります。そのためには、出入国の手続きを簡単にして、渡航の費用を安くする必要があります。よって、空港を拡充して、LCCの便を増やせば戦争が起こらない、というのが私の理屈です。

 日本と北朝鮮が戦争を起こすリスクを回避しようと思えば、十万人くらいの単位で学生の交換留学を促進すればいいのです。若い学生どうしが時空間を共有すれば、自然に友情や愛情が生まれます。若者どうしの交流が活発化すれば、それは上の世代にも伝播していきます。そうなれば戦争は起こり得ません。もっとも、北朝鮮トップの御仁はこのような案は即却下するでしょうが。

 人間というのは奇妙な生き物で、集団で行動すると、他の集団のメンバーと争いごとを起こす一方で、自分たちとは背景の異なる他の集団のメンバーに対して興味をもち、友情や愛情を発展させます。そして、集団どうしが対立するときには、必ず「相手が悪で自分たちが正義だ」という大義名分をつくりだします。だから、集団のリーダーは「自分らが正しいんだ」というプロパガンダをメンバーに植え付けようとするわけです。

 これに抗うには、そういうリーダーの馬鹿げたプロパガンダが広まる前に、集団の各メンバーが相手側の集団のメンバーと積極的に交わるようにすればいいのです。過去のコラムでも述べたように、我々は「〇〇国の人の性格は……」という話が好きでたいてい盛り上がります。日本人どうしの「△△県出身者は……」という話と同じです。しかし、もちろんどこの国にも地域にもいろんな人がいます。「〇〇国の人は……」という話は”ネタ”にとどめておいて、世界中の若者がいろんな地域に行って自分で確かめるようにすればきっと世界は平和になります。

 そのためにはコロナにはそろそろ大人しくしてもらって、我々人間は空港とLCCの拡充に努めるべきです。コロナの影響もあって現在世界的な不況が訪れようとしていますが、私が政治に携わる立場にいれば、自国はもちろん他国にも働きかけて旅行業界に大型投資を仕掛けます。不況から抜け出すことが期待できるだけでなく、世界中で若者の交流が活発になり国際間の友情や愛情が芽生えることにより、きっと世界に平和が訪れるからです。

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2022年6月9日 木曜日

2022年6月 「若者の命」を考えれば戦争は防げるか

 戦争ほど愚かなことはない、と当たり前のように学んできました。人類の歴史は戦争の歴史でもあるわけですが、それでも2つの原爆を落とされ、300万人以上が犠牲になった太平洋戦争を経験した日本人は二度と戦争をしないと子供の頃から言い聞かされてきました。

 戦争をしかけるのが罪だというのなら、当時日本のために頑張った日本の軍人は犯罪者なのかと問うてみると、「それは時代を考えると仕方がない」というような答えが必ず返ってきました。では、「次に戦争が起これば自衛隊員は犯罪者になるのか」という質問に対してはどうでしょう。「日本は戦争をしない……」と苦し紛れに誰かが言っていたような気がします。

 太平洋戦争の空襲や原爆のフィルムを何度か見ましたが、直接人が人を殺すシーンを見たことはありません。私の幼少時にはまだ続いていたベトナム戦争でも殺戮シーンを見たことはありません。ソ連がアフガニスタンに侵攻したアフガニスタン紛争は私が小学校5、6年生のときでしたからニュースでみた記憶はありますが、人が直接人を殺めるようなシーンは見ていません。

 1990年の湾岸戦争も空爆シーンは何度もテレビで見ましたがやはり人が人を殺すような映像はありませんでした。1994年のルワンダでのフツ族がツチ族を大量虐殺した事件は想像するのも苦痛ですが、直接現場を知っているわけではありません。

 その他、物心がついてからリアルタイムで報道されていた戦争はいくつかありますが、ある人間が目の前の人間を銃やナイフで次々と殺害するシーンは直接見たことはありませんでした。そういうシーンを想像できるのは、映画やテレビでそのようなシーンに見覚えがあるからです。

 ところが、2022年2月にロシアの一方的な侵攻で勃発したウクライナ戦争ではスマホとSNSのおかげで、死体の写真や人が人を殺害する瞬間のビデオなどが世界中に広く拡散しています。欧米の大手メディアもこのような映像を紹介していますから、殺害シーンがどうしても目に入ってしまいます。映像をみればあきらかなように、戦争の犠牲になっているのはほとんどが若者です。

 最近の米国をみてみましょう。2022年5月14日はニューヨーク州バッファローのスーパーマーケットで、その10日後の24日には米国テキサス州ユバルディの小学校で、いずれも18歳の青年による銃乱射事件が起こり、ニューヨークでは10人、テキサスでは21人(うち19人は児童)が犠牲となりました。6月1日には、医師の治療に満足できなかった男性がクラホマ州タルサでの病院の敷地内で銃を乱射し4人が死亡し自身は自殺しました。報道によると、この事件は今年(2022年)米国で起こった233番目の銃乱射事件になるそうです。

 このように戦争や無差別事件が頻繁に起こっているのが人類の歴史であることを考えると、人が人を殺すことはそう難しくないのかもしれないと思えてきます。平和な日本で育った我々は、まさか生涯のうちに自分が人を殺すことがあると考えている人は(たぶん)ほとんどいないと思いますが、状況が変わればまた我々の考え方も変わるのかもしれません。

 2022年4月のマンスリーレポート「「社会のため」なんてほとんどが偽善では?」では、あさま山荘事件を取り上げ、左翼(赤軍派と革命左派からなる連合赤軍)による集団リンチ殺人について述べました。この事件が起こったのは1972年2月で、その3か月後の5月30日にはイスラエルで「テルアビブ空港乱射事件」が起こりました。

 テルアビブ空港で起こった銃乱射事件は合計26人の命を奪いました。犯人は3人の日本人です。(後に日本赤軍となる)犯人らの目的は「革命のため」ということなのでしょうが、それにしてもイスラエルとパレスチナの紛争になぜ日本人が加担できたのか、しかも何の罪もないイスラエルの人々をなぜ無差別に殺すことができたのか私には謎です。しかも、「左翼」というのはどちらかというと武力に訴えることを避ける思想を持っていたのではなかったでしょうか。あさま山荘事件の集団リンチと同様、左翼の輩の方が右翼的な思想よりもはるかに暴力的で危険です。

 つまり、(右であろうが左であろうが)人間の社会ではいつ戦争が始まるか分からず、同じ民族であろうが、隣人であろうが平気で人を殺すことができ、銃を使って一気に見知らぬ人を犠牲にすることもできるのが人間の真実なのかもしれません。

 では、私にもそのときが来れば人を殺すことができるのでしょうか……。できません。たとえ、そのような状況になれば他人を殺すことができるのが人間の性(さが)であったとしても私にはできません。それはなぜなのか。おそらく、これまで医師として、人の、特に若い人の死をみてきたからです。病気で、事故で、若い生命を救えなかったことは日本の病院でも経験していますが、私の場合は2002年及び2004~5年にかけて赴いたタイのエイズ施設でみてきた「死」に多大な影響を受けています。当時のタイではまだ抗HIV薬が充分に使えずに、HIV感染は「死へのモラトリウム」を意味していました。そして、実際、若い命が毎日のように奪われていたのです。

 高齢者にも自分の運命を受け入れることができない患者さんがいますが、私の経験でいえば、若くしてエイズを発症し末期になった人の多くは死を受容できていませんでした。自力での水分摂取も困難となり、もうあと一日もつかどうかわからないといった段階になってもそれでもなお死を受け入れられず「助けて……」とか細い声で私の腕に触れようとする患者さんもたくさんいました。

 「命は平等」という言葉がありますが、私はそうは考えていません。私には高齢者の命よりも若者の命の方が大切に感じられます。さらに、誤解を恐れずにいえば、物心がまだついていない赤ちゃんよりも自我を認識できるようになった年齢の若者の命の方が大切です。若者の命が簡単に失われるようなことはあってはならないのです。

 だから、戦争をすることや、人が人を殺すことが人間の性(さが)だとしても、私にはまだそれを阻止する方法が残っていると信じています。その方法とは、世界中で徹底的に「若者の死」についての教育をおこなうことです。

 現在ロシアはウクライナをネオナチになぞらえて国民を洗脳していると言われています。ロシア軍はネオナチに迫害されているウクライナの民間人を救うために戦っているんだと国民に納得させれば国民の支持が得られると考えているのでしょう。戦争には大義名分が必要なのです。しかし、「戦争とは若者を容赦なく殺害すること」であることを再認識すればそのような洗脳には騙されなくならないでしょうか。

 ウクライナ側からみたときも、攻めてくるロシア兵を殺せるだけ殺すのではなく、白旗を挙げ降参している敵兵の命は守ることを考えるべきです。もしも私がロシアかウクライナで医師をしているとすれば、戦争は若者の命を奪うことであることを両国の国民に訴えかけます。私は戦争を阻止するキーパーソンは医療者ではないかと考えています。医師だけが命の大切さを知っているわけではありませんが、医師は若者の不遇な死を繰り返し経験しているからです。

 けれども、この私の主張には説得力がないかもしれません。先述したテルアビブ空港乱射事件の主犯格の奥平剛士の(戸籍上)の妻は最近刑期満了で出所した重信房子です。重信の帰国後の潜伏を手助けしていた一人は若い頃に学生運動に傾倒していた医師です。この医師は重信の秘匿の罪で医師免許を剥奪されましたが、その後再び医師免許を取得し(おそらく現在も)医療を続けています。戦時下の九大医学部の医師たちは生きた若い米兵を実験の材料にしました。満州では731部隊が捕虜の中国人やロシア人の若い男女に想像を絶するような人体実験を繰り返し、最大では3千人以上の命を奪ったと言われています。

 こういった事件を考えると、医師だから若い命の大切さを知っているなどと主張すれば噴飯ものだと言われるかもしれません。ですが、それでも「若い命は大切だ」と私は言い続けるつもりです。

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2022年5月9日 月曜日

2022年5月 「社会のため」が偽善かどうかを見抜く鍵は「順番」

 前回のマンスリーレポートで私は、あさま山荘事件、さらにはオウム真理教も引き合いに出し、「社会のため」などと宣う者は、本当は社会や他人のことを考えているわけではなく、自分自身の強すぎる承認欲求を美辞麗句でカモフラージュしている偽善者ではないか、という私見を述べました。

 さらには、そういった罪を犯した者だけではなく、「社会のため」などという言葉を気軽に口にする政治家、経営者、あるいは医師たちも、本心でないきれいごとを言っているにすぎず、大半は偽善者ではないかという意見も付記しました。

 社会のため、あるいは、世のため人のため、といった言葉に嫌悪感を抱くのは私だけでしょうか。世の中の多くの人は、そういう言葉を聞いて「この人は立派だ」と思うのでしょうか。

 幸福学研究者の前野隆司さんの生い立ちを2022年4月11日の日経新聞が記事にしています。そのまま転記します。
 
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人の役に立ちたいという気持ちは持っていました。中学1年のとき、友達に「皆の役に立つために医者になりたい」と話すと、思わぬ反応が返ってきました。きれい事を言うやつとみなされ、「偽善者」とあだ名をつけられたのです。
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 その時代の前野隆司さんを私は存じ上げませんが(お会いしたことはなく今もよく存じませんが)、前野さんが幼少時からどれだけ人格者であったとしても「皆の役に立つために医者になりたい」という表現をとれば、やはり周囲からはいいようには思われないのではないでしょうか。

 では、すべての中学1年生が「将来は医者になりたい」と言って非難されるのかといえば、そういうわけではありません。前野さんのように偽善者と言われてしまう生徒と、そうは言われず、むしろ周囲から応援される生徒にはどのような違いがあるのでしょうか。

 私は20代前半の頃から稲盛和夫さんのファンで著作はほとんどすべて読んでいます。このサイトの過去のコラム「メディカルエッセイ第86回(2010年3月)動機善なりや、私心なかりしか」でも取り上げたことがあります。

 稲盛さんは、DDI(現在のKDDI)を設立されるとき次のような自問をされました。

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 私は自分の本心を確かめるため、毎晩ベッドに入る前に、「動機善なりや、私心なかりしか」と心の中で問いかけることにした。「世間に自分をよく見せたいというスタンドプレーではないか」、(中略)毎日自問自答を繰り返した結果、世のため人のために尽くしたいという純粋な志が微動だにしないことを確かめた私は、この事業に乗り出す決心をした。(『稲盛和夫のガキの自叙伝』日経ビジネス人文庫)
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 稲盛さんが自問された「世のため人のため……」という言葉に対して「偽善者」と言う人はいないでしょう。中学生時代の前野さんとはどこが違うのでしょうか。

 もう1つ例を挙げましょう。東日本大震災が起こってしばらくしてからのある日、谷口医院をかかりつけ医にしている40代のある男性が受診しました。精神的に不安定な男性で、谷口医院を受診している理由も精神疾患が中心です。仕事には就いておらず生活保護を受給しています。その男性が言ったのが次の言葉です。

 「震災の被害者たちが困ってるのに日本政府は何もしない。僕はさっき2万円寄付してきました。こんな国には希望が持てませんからこれからも毎月2万円の寄付をします……」

 男性は少しテンションが上がって興奮気味です。いかにも「いいことをしたでしょ」と言わんばかりの勢いです。この男性、偽善者ではないでしょうし、”いいこと”をしたのは事実でしょうが、生活保護を受給しているこの男性のこの言葉を万人が賞賛するわけではないでしょう。

 では、同じように見ず知らずの人のために尽力したいと考えた稲盛さんの言葉が美しいのに対して、生活保護を受給している男性の言葉が空しく聞こえるのはどこに違いがあるのでしょうか。

 私の答えは「順番」です。稲盛さんはカネもコネもほとんどないなかで京セラを立ち上げ、大きくし、社員を守りながら(京セラが従業員を大切にするのは有名)、その上で当時電話を独占支配していたNTTに立ち向かったのです。

 一方、生活保護受給の男性の発言を我々が素直に賞賛できないのは、「国を批判する前に、生活保護をもらっている自分のことを考えたら?」という気持ちが拭えないからです。

 では、前半で紹介した前野隆司さんの場合はどう考えればいいのでしょうか。おそらく周囲の生徒たちからは、「そんな大それたことを宣う前に、両親など自分がお世話になった人たちを幸せにしろよ」と思われたのではないでしょうか。あるいは、例えばクラスに障がい者がいたのならば、「皆の役に、などと言う前に近くにいる苦しんでいる仲間を助けることを考えろよ」との思いがあったのかもしれません。

 最近、何かの熱に受かされたように「ウクライナ人を助けよう!」と言い出している人たちに私が辟易としているのも同じ理由です。ウクライナの人たちが見聞きするのに耐えられないような状況に追い込まれているのは事実ですから「力になれることは何でもしたい」と考えることは理解できます。ですが、それならば、凄惨な事態となっているミャンマーにはなぜ見向きもしないのでしょうか。行き場をなくしたロヒンギャ難民のことはどう考えているのでしょうか。

 私がヨーロッパ人だとすればミャンマーよりもウクライナ人の力になろうと考えます。しかし私は日本人ですから、ミャンマー人には何もせずにウクライナ人を助けたいとは思えないのです。

 「ミャンマー(やロヒンギャ)について、メディアではウクライナほどの報道をしないからよく分からなかった。私はウクライナ人が悲惨な状態になっていることを知って純粋な気持ちから助けたいと思っただけ」という人も少なくないでしょう。ですが、それならば、「同じアジアの自分たちを無視して欧州人を優先する日本人」をミャンマーの人たちはどう感じるかについて、改めて思いを巡らせてほしいのです。

 そろそろ私見をまとめたいと思います。まず、「社会のため」「世のため人のため」などという言葉は安易に口にすべきではありません。そういったことを考えるのは自由ですが、言葉にするならば「それを言う資格があるか」を考えるべきです。

 「社会のため」よりも大切なのは「自分の身近な人たちのため」です。自分の周囲の人を蔑ろにして、あるいは自分自身が自律(自立ではない)できていないときに「社会のため」などと言い出しても、それは偽善にしか聞こえないのです。

 こう考えれば、あさま山荘事件の革命戦士たちも、オウム真理教の幹部たちも、あるいは実績が伴っていないのに「社会のため」などと宣う政治家たちも、その主張に説得力がない理由が見えてくるのではないでしょうか。

 コロナ流行以降、私が医師に幻滅しているのも、日ごろ診ている患者さんが発熱などで苦しんでいたときに「うちでは診られないから自分で受診先を探せ」と言って見放した医者があまりにも多かったからです。そのような医者には金輪際「患者さんのため」という言葉を使ってほしくありません。

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