マンスリーレポート
2013年6月14日 金曜日
2012年9月号 トイレの使い方、間違ってませんか?
このコラムで取り上げているのは基本的には「医療」のことで、それ以外では私が受験に関する書籍を上梓している関係から「勉強」のこと、さらに「自己啓発」のことなどです。社会支援やボランティアに関する話題は取り上げたことがありますが、医療に関係のない時事問題や社会問題などについてはほとんど触れたことがありません。
そしてこの方針はこれからも続けていくつもりです。しかし今回は、どうしても言っておきたいことがあるのでそれについて述べたいと思います。実は私はこのことを、いずれ大勢の方に関心を持ってもらわなければならない、と、もう10年以上前から感じていました。
これまで私がこのことをここに書かなかったのは、私がこのようなことを言う立場にはないだろうと感じていたことと、いずれこのことを話すのに適切な位置にいる人が訴える日がくるのではないかと期待していたからです。
しかし、私が大勢の人に知ってもらう必要性を感じてから10年以上経過した今でも、このことを取り上げる人は(私の知る限り)いません。
ではもったいぶらずに述べていきましょう。私が大勢の人に伝えたいこととは、「海外でのトイレの正しい使い方を本当に知っていますか」、ということです。もう少し具体的に言いましょう。私は世界中のトイレを知っているわけではありませんので、私が言いたいのはアジアのトイレについてです。結論を言えば次のようになります。
日本以外のアジアでは、ほとんどの場所でトイレットペーパーを流してはいけない。
日本人であれば、トイレットペーパーを流すのが常識ですが、これは日本以外のアジアでは「非常識」なのです。そのため、海外のホテルやレストランで日本人がトイレでトイレットペーパーを水と一緒に流して詰まらせて大変なことになった、という話がよくあります。私が改めてこのようなことを主張しなくても、アジアに旅行したことのあるほとんどの人にとってはすでに「常識」になっているでしょうが、残念ながらこの「常識」が守れていない人が少なくないようなのです。
以前台湾のあるホテルで用を足そうとロビーにあるトイレに入ったときに驚いたことがあります。「紙を流さないで!」と日本語で書かれた張り紙がいくつもトイレの壁に貼られていたのです。これはすなわち、紙を流してトラブルを起こす日本人が後を絶たないことを示しています。ちなみに、このトイレには英語の張り紙もありましたが日本語ほど派手には書かれていませんでした。おそらく紙をトイレに流すなどといった「非常識」なことをするのは欧米人ではなく圧倒的に日本人に多いということでしょう。
では、台湾では使用したトイレットペーパーをどうするのかというと、隅の方に置いてあるゴミ箱に入れます。ですから、その箱を覗くと、前の人が使用したトイレットペーパーが捨てられていて、紙には臭そうな便がびっしり付着……、ということもあります。もし、「そんな不潔なトイレで用を足せない……」と感じる人がいるなら、その人は海外(アジア)には行かない方がいいでしょう(注1)。
このようにお尻を拭いた紙を箱に捨てなければならないのはもちろん台湾だけではなく、日本以外のアジアではどこも同じです。韓国では空港や高級ホテルでは紙を流してもかまわない、という話も聞いたことがありますが(注2)、少なくともソウルの普通のレストランでは流せませんし、ファストフード店でもご法度です。しかし、このルールを知らずに(あるいは知っていても無視して)紙を詰まらせてトラブルとなるケースが少なくないそうです。
タイやマレーシア、フィリピンなどでは、少し高級なところでは便器の横に小さなシャワーのようなものがついています。用を足した後、そのミニシャワーでお尻を洗浄するのです。そして備え付けの紙でお尻を拭いて、その紙をゴミ箱に入れるようにします。
こういった地域では紙がない場合もあります。紙がなければ手でお尻を拭かなければなりません。手でお尻を拭くことには抵抗のある人もいるでしょうが、しっかりとシャワーをして便を洗い流しておけば案外簡単にできるものです。(それでも手でお尻を拭くことができない、という人は、アジア旅行はかなり制約されたものになることを覚悟しなければなりません)
このミニシャワーはいつも常備されているとは限りません。というより、ホテルや空港、高級レストランなど、限られた施設にしかこの便利なミニシャワーはありません。タイやフィリピンでの一般的な方法は、トイレの中に水を貯めている水がめのようなものがあり、そこにおかれている小さな洗面器のような容器を右手で持ち水がめから水をすくい、容器に取った水を左手で少しずつお尻にかけていきます。そしてそのまま左手でお尻をふきます。
おそらく、この方式で初めから何の戸惑いもなく用を足せる日本人はそれほど多くないでしょう。しかし、これが現地での「標準式」トイレのルールなのです。紙を持参すればいいではないか、と考える人もいるでしょうが、このようなトイレにはゴミ箱が置いてありませんから、自分のものとは言え便が付着した使用済みのトイレットペーパーを持ち歩くのはかえって大変だと思います。
私が初めてこのトイレの体験をしたのは、タイのある地方都市のデパート内でした。デパートですから、トイレにミニシャワーくらい付いているだろうと考えていたのですが、そのトイレは「標準式」トイレでした。この県で最も人が集まりそうなバスターミナル付近にあるデパートでこのトイレですから、おそらくこの地域にはミニシャワーがついているトイレは皆無でしょう。私は用を足した後、右手で容器を持ち水がめから水をすくい、恐る恐る左手でぴちゃぴちゃとお尻に水をかけてみました。しかし水は上手く肛門に命中しません。そのうちに床が水浸しになってしまい、それ以上水をかけるのをあきらめてそのまま左手でお尻を拭きました。すると、左手指の先端に伝わってきたのはぬるっとした感触で……。苦労したのに水は肛門に届いていなかったのです……。
今では私はこの「標準式」タイ式トイレに何の抵抗もなくなっています。ミニシャワーがついていればそれを使いますが、なくても苦痛にならなくなりました。しかし私はこんなことを自慢したいのではありません。問題は、「現地のトイレのルールを知らずに紙を詰まらせてしまう日本人が後を絶たない」という現実です。
先月(2012年8月)も私はタイに渡航したのですが、チェンマイのホテルの従業員と話しをしているとこの話題になりました。やはりトイレの紙でトラブルを起こすのは日本人だそうです。
けれども、紙を詰まらせた日本人の立場からすれば「そんなこと知らなかったし、今まで誰も教えてくれなかった!」となるわけです。この問題を解決するには、海外(アジア)のトイレのマナーを誰かが教えることが必要です。そう思って、いくつかの旅行会社や旅行関連の書籍を発行している出版社のウェブサイトを見てみたのですが、残念ながらトイレのルールについて解説したものはみつかりませんでした。
ならば学校で教えればどうでしょう。小学校の社会の授業で「世界のトイレのルール」というタイトルで講義をおこなうのです。実習も入れるべきでしょう。ミニシャワーまで取り付けた簡易トイレを用意するのは簡単でないかもしれませんが、きっと生徒たちは興味をもち、さらに世界に関心が持てるのではないかと思うのですが……。
それから、どなたか「世界トイレ辞典」のようなものを作ってもらえないでしょうか。例えば、中国の地方に行くと、今でも壁のないトイレが普通にありますし、ネパールの奥地では、トイレで大便をするとどこからともなくブタがやってきてすぐに便を食べてしまうそうです。このようなことも含めた「世界トイレ辞典」、出版されれば直ちにベストセラー……、とはいかないでしょうか。
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注1 日本ではなぜ紙を流せるのか、というと下水道が発達しているからです。また汲み取り式なら紙は便と一緒に捨てることができるでしょう。しかし、日本でも場所によっては紙を流してはいけません。私は以前北アルプスに建てられたある山小屋でトイレを借りたことがあるのですが、その洒落た山小屋ではトイレもたいへんきれいに掃除されていました。そしてその壁に貼られていた張り紙には「紙は流さないでください」とあり、アジアのトイレでみるのと同じようなゴミ箱が置かれていました。
注2 他にもアジアでも高級な施設では紙を流してもかまわないところがあるかもしれません。私自身はアジアではどこでも紙を流しませんが、何度か「大便をしたときに紙を流してもいいですか」とホテルの従業員などに尋ねたことがあります。しかし、これを英語で表現するのが思いのほか困難でした。流すは「flush」でいいと思うのですが、私の発音が悪いこともあってなかなか通じません。そこで「wash out」「drain」「run off」「throw away into the basin」などと言ってみるのですが、最終的にはジェスチャーが一番通じました……。
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|2013年6月14日 金曜日
2012年8月号 簡単でない守秘義務の遵守
2012年7月12日、医療者の守秘義務に対し一石を投じる興味深い判決がでました。今回は守秘義務について検討してみたいのですが、まずはこの事件について簡単に振り返っておきたいと思います。報道をまとめると以下のようになります。
この事件に関して医師が書き込みをおこなうサイトをみていると、この看護師がおかした罪は許されるべきでないという意見の他に、看護師の軽率な行動にまで医師に管理責任を求めるのは酷すぎるではないか、という意見が目立ちます。
看護師が業務上知りえたことを自分の夫に話すのは職業人として失格ですが、果たして現実の問題として、院長がここまで責任を負えるでしょうか。院長が職員全員の家族の会話を監視することなどできるわけがありません。「そんなとんでもない看護師を採用した院長が悪い」という意見もあるでしょうが、面接のときにそこまで見抜くことは現実的には不可能です。
どこの医療機関でも守秘義務については徹底しています。ちなみに太融寺町谷口医院では、ミッション・ステイトメントの第2条を「すべての受診者のプライバシー遵守を徹底し、クリニックで知り得た情報は院外に持ち出さない」と定めており、ミッション・ステイトメントは開院以来何度も全員参加の会議で見直していますが、その度に守秘義務遵守の重要性をスタッフ全員で再認識しています。
しかし、本当にスタッフ全員が「職場で知りえた情報を誰にも言わずに墓場まで持っていく」ことを保証できるものはありません。この事件の被告人の職種は看護師ですが、事務員もパートもアルバイトも同じ意識を持たねばなりません。守秘義務というのは職種によって規定されている法律(注1)が異なるのですが、患者さんの立場に立てば、医療機関に働く者がどのような立場であったとしても自分の「秘密」を他者に知らされては困るわけです。
ですから、医療機関のトップに立つ者は、職種に関係なくスタッフ全員に守秘義務の重要性を理解させる義務があるのは間違いありません。けれども、スタッフがこの義務に違反したときに院長が有罪にされるとなると問題が生じます。なぜなら、これで院長が有罪になるなら、その医療機関で働いていた者は院長をゆすることが簡単にできてしまうからです。
例えば、職場を辞める前に、ガンを患って余命の告知が済んでいない患者の情報を控えておいて、院長に「あの患者の余命をばらされたくなければ言うことを聞きなさい」と脅迫することが簡単にできます。もちろんこんなことをすれば脅迫罪に問われますが、ばらされれば守秘義務違反に問われ罰金を払わされ、報道されるリスクを考えると、このような脅迫に屈する医師もでてくるかもしれません。ばらした本人も罪になるではないか、という意見もあるでしょうが、一般事務員であれば罪に問える法律がせいぜい個人情報保護法くらいですし、有罪となったとしてもたいした罰は受けないでしょう。
この事件の最大の問題は、言うまでもなく、この看護師があまりにも非常識でプロ意識が微塵もないことです。守秘義務を守れない看護師は二度と医療の現場に戻るべきではありません。しかし、我々医療者であればこの看護師を「最悪の看護師」と瞬間的に判断しますが、果たして一般の人々からはどのように思われるのでしょう・・・。
大分の事件と離れて、次のような状況を想像してみてください。
さて、これを読んだあなたはどう感じたでしょうか。「A子がB男にC氏のことを話すのは当然でしょ」、そのように感じた人も少なくないのではないでしょうか。しかし、このケースでも守秘義務違反となります。大分の事件は余命を知らされていない難治性疾患、このケースは単なる骨折で、ことの重要性が違うようにみえるかもしれません。しかし、次のようなことがあればどうでしょう。
ここでは極端な例をつくりましたが、このようなことは起こらないとも限りません。医療機関で働く者は、職種が何であれ、職場で知りえた患者さんの情報は、それは「受診した」ということも含めて、文字通り墓場まで持っていかなければならないのです。
守秘義務を遵守するというのは実は簡単ではありません。実際、医療機関で働く者が守秘義務違反を犯していることを私は過去に何度か目の当たりにしています。例えば、私が医学生の頃、ある病院で受付をしている女性は、プロのスポーツ選手が怪我をしてその病院に受診した、という話をしました。彼女からすれば私が医学生だから話していいと思ったのかもしれませんが、これも明らかな守秘義務違反です。(ただし、例外として「公益性が守秘義務に優先する」という理由で守秘義務違反が問われないこともあります。詳しくは下記参考のコラムを参照ください)
守秘義務についてきちんと教育を受けていないと、このように有名人が受診したときに誰かに話したくなってしまうことがあります。もうひとつ守秘義務を犯しやすいのは、先のエピソードのA子のように共通の知人が受診したときです。私が何度か「しっかり守秘義務を守らなければ・・」と意識の整理をしたことがあるのは、同級生が受診したときです。久しぶりに同級生と再会した場所が診察室だったとき、その同級生は軽い気持ちで軽い症状で受診しているかもしれませんが、診察をすすめていくなかで重大な病気が見つかる可能性もないことはないわけです。ですから、私は同級生を含めて知り合いが受診したときには「あなたが受診したことは誰にも言わない、ということをこの時点でよく理解してください」と話すようにしています。
もしもこれを読んでいるあなたが医療機関で働いていて、A子の行動を「理解できる」と感じたならもう一度守秘義務について熟考すべきでしょう。
また、これを読んでいるあなたが医師や看護師を目指している、あるいは受付や医療事務も含めて医療機関で働くことを考えているならば、守秘義務を遵守できるかどうか、よく考えてみてください。
注1:守秘義務については、医師(と薬剤師)は刑法134条第1項で、看護師(と准看護師)は保健師助産師看護師法第42条の2で定められています。受付や医療事務には個人情報保護法くらいしか適用される法律はないと思います。
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|2013年6月14日 金曜日
2012年7月号 就活に失敗しても死なないで!
最近、就職活動で失敗したことを苦にして自ら命を絶つ若者が急増しているそうです。警察庁によりますと、2011年は就職活動に失敗した大学生など150人が自殺をしており、これは2007年の2.5倍になるそうです。
太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)にも「就活がうまくいかない・・・」と嘆いている患者さんは少なくありません。谷口医院を受診している若い患者さんは、皮膚疾患やアレルギー疾患が比較的多く、喘息、アトピー性皮膚炎、じんましんなどが代表的な疾患ですが、こういった疾患では、悩みがあると症状が悪化することがしばしばあります。
就活がうまくいかない、というのは当然強いストレスとなり、疾患の症状がよくならず、皮膚疾患であれば、それが見た目の印象が悪化することにつながりますから、そうなると面接自体がますます強いストレスとなってしまいます。
谷口医院の患者さんのなかには、就活に失敗して自殺、という人はいませんが(と思いますが)、就活に失敗して精神的にしんどくなってきて、抑うつ状態や不眠に悩まされる、といった人は少なくありません。そして、これは10代、20代の若者だけではなく、30代、40代、なかには50代で仕事が見つからずに精神的に苦しんでいる人もいます。
就活がいかに大変か、という話を診察室で聞いても、私自身が彼(女)らにできることは何もありません。なかには、日頃の就活の悩みを一気に話されて、「話を聞いてくれてありがとうございました。すっきりしました。明日からまたがんばります」、と言われる人もいますが、もちろんこの患者さんがやる気になったのは、私が医師としてすぐれているからではありません。
目の前の患者さんの就活を応援したい、という気持ちはありますが、医師としてできることなどほとんど何もありません。あまりに抑うつ状態が強い人や、眠れない人にはそれなりの薬を処方することがありますし、あまりにも緊張が強くて面接がうまくいかないという人(「社会不安障害」という病名がつくことが多い)には、速効性のある不安を和らげる薬を「面接の30分前に飲んでみてください」と言って処方することもありますが、そういった薬を服用した結果、合格したとしても、それは医師が就活の手伝いをした、ということにはなりません。
就活を成功させるには、結局のところ自分自身ががんばるしかないのですが、私は医師としてではなく、これまでアルバイトも含めれば数多くの「就活」をした者として助言させてもらいたい、と考えています。
これは「自慢話」と捉えないでほしいのですが、私はアルバイトも含めて就職試験や面接を受けて不合格になったことは一度もありません。しかしこれは私が優秀だからではなく当然のことです。私が関西学院大学社会学部を卒業したのは1991年で、誰もがほとんどどこにでも就職できた、いわゆる「バブル組」です。当時は、就職説明会は一流ホテルの立食パーティが当たり前で、就職が決まれば(他社に目移りしないようにする目的で)入社前に海外旅行に招待する会社や、なかには、新入社員に新車1台プレゼント、などという会社もあったくらいですから、就活で悩むなどという人はほとんど皆無だったのです。
関西学院大学在学中と大阪市立大学医学部在学中におこなったアルバイトでも面接で落とされたことは一度もありません。しかしこれも当たり前の話で、私がこれまでおこなってきたアルバイトというのは、例えば、ワゴンセールの販売員とか、旅行会社の添乗員とか、あるいは水商売や飲食店のスタッフといった「すぐに辞める人は大勢いるが簡単に採用される仕事」が大半だったからです。
医師になってからは、アルバイトも含めると10以上の医療機関で働いてきましたが、これだけ医師不足の世の中では、ほとんどの医療機関では不合格になる方がおかしいのです。
ですから、私がこれまで就活で苦労をしたことがないのは、単に「運がいい」からにすぎません。現在就活で悩んでいる人からは「そんなあんたに何がわかる?」と言われるでしょうし、何を言っても説得力がないことは分かっていますが、それでも、どうしてもひとつだけアドバイスしたいことがあります。それは「成功者の話を聞いてみてください」というものです。
もちろん私自身の場合は、単に運がよかっただけであり、私は「成功者」とは呼べません。しかし、私は10代の頃から、「成功者の話を聞く」ことが大好きでした。話を聞く、と言っても直接成功者に会いに行くわけではありません。
私が最初に成功者たちの話を聞いたのは高校1年生のときに読んだ「大学合格体験記」でした。成績はまったくダメで、志望校の関西学院大学はE判定しかでなかった私が現役で合格できたのは数多くの合格体験記を読んでいたからに他なりません。合格体験記には、周囲から到底不可能と考えられていたけれども難関大学に合格した、というサクセスストーリーが集められています。こういった話を高1のときから読んでいた私は、いつのまにか「奇跡の合格は当然のこと」と認識するようになっていたのです(注1)。
以前このコラム(下記参照)でも述べたことがありますが、私は自伝を読むのが好きです。私の毎朝の楽しみは日経新聞の最後のページに毎日連載されている「私の履歴書」を読むことで、これがたまらなく面白いのです。最近のものでいえば、2012年5月は桂三枝さん、6月は物理学者の米沢富美子先生でした。桂三枝さんは、若い頃からアイドルのような存在でしたから順調に人生が展開したのかと思いきや、苦労した浪人生活や、長期間精神状態が良好でなかった時期(それもけっこう長期間)もあり、そういった苦難の克服や落語に対する努力の話は感動を覚えます。米沢先生は、生まれながらの天才ですが、泳げないのに水泳部に入部して長距離の泳ぎに成功したこと、ガンを克服したこと、多忙極まる中で母親として立派に子育てをされたこと、物理学界という男性社会のなかで研究成果をあげいくつもの組織を作り上げたこと、などのエピソードを読めば勇気を与えられます。
テレビ番組「カンブリア宮殿」2012年6月28日は稲盛和夫氏がゲストでした。私は20年以上前から稲盛氏のファンなのですが、この日も大きな感動を与えてくれました。京セラの全社員がいつも読んでいる「京セラ・フィロソフィ」は有名ですが、JALでも「JAL・フィロソフィ」を製作し全社員に配布されたそうです。JALの全社員は「JAL・フィロソフィ」をバイブルとし、社員が一丸となり、わずか2年でいったん倒産したJALが黒字になったのです。稲盛氏がJALの会長に就任されてから、空港でのJAL職員も機内の客室乗務員も態度が変化した、と感じている人も少なくないのではないでしょうか。
夢を語ることがカッコ悪い、あるいは、どうせ夢なんかみてもかないっこないんだから<終わりなき日常>にまったり生きる方がいい、などと言われることがありますが、私はそうは思いません。些細なことでもかまわないから何歳になっても夢を語るべきではないか・・、と、そのように考えています。そのように考えていたところ、日本・中国の双方で活躍されている加藤嘉一氏が、「ダイヤモンド・オンライン」の連載コラム『だったら、お前がやれ!』のなかで<夢>について取り上げていました。加藤氏は、東京の繁華街で道行く人を呼び止めて「あなたの夢は何ですか」とインタビューをして、それを記事にまとめています。この様子はビデオでも見ることができてなかなか興味深いと思います(注2)。
加藤氏については以前このコラムで紹介したことがありますが(下記参照)、まだ20代だというのに考え方が大変魅力的です。その加藤氏なら、就活で悩んでいる若者に対し、「近くばかり見ているな。外を見ろ。自殺なんか考える前に中国に行き、生きることに必死になっている同世代を見てみろ。そしてそんな状況のなかで自分を磨け!」とアドバイスされることでしょう。
就活に失敗し続け心が病んでいるときにこのような言葉を聞いても、「自分とは別世界だ・・・」と感じる人もいるかもしれません。しかし、そのような人でも、成功者の話を聞くことはできます。例えば、100社で不合格となったけれど101回目の就活で成功した、という人もいるかもしれませんし、加藤氏のように中国の大学に行って成功した人、アルバイトから正社員になった人(吉野家の安部修仁現社長と次の社長の河村泰貴氏、ブックオフの橋本真由美社長はいずれもアルバイトから社長にまでなっています!)などの体験談は、現在就活に苦労している人たちにも勇気を与えてくれるに違いありません。
問題は、そのような体験談を誰がどうやって集めるか、ですが、どなたか「就活成功体験記」のサイトを製作・運営してくれないでしょうか・・・。きっと大勢の方に感謝されると思うのですが・・・。 だったらお前がやれ! 加藤氏にはそう言われるかもしれません・・・。
注1 もう絶版になっていると思いますが、私自身も「すべてE判定から関西学院大学に現役合格」という体験を、エール出版社の合格体験記に載せたことがあります。
注2:加藤嘉一氏の「だったら、お前がやれ!」は下記のURLで読むことができます。
http://diamond.jp/category/s-omaegayare
参考:マンスリーレポート
2010年11月号 「自伝から得る勇気」
2010年6月号 「「朝活ブーム」がブームでなくなる日はくるか」 (加藤嘉一氏について触れています)
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|2013年6月14日 金曜日
2012年6月号 酒とハーブと覚醒剤
2012年5月21日、福岡市の高島宗一郎市長は、福岡市役所の全職員約9,600人と教員を対象に、外出先での飲酒を1ヶ月間自粛するよう求める通知を出し、これが物議をかもしました。世論調査や評論家のコメントなどをみても、「発想が稚拙だ」「やりすぎだ」「単なるパフォーマンスだ」「周囲の飲食店への影響を考えているのか」など批判的な意見が多いようです。
もっとも、高島市長がこのような前代未聞の異例の処置をとったのは、福岡市で飲酒にからんだ不祥事が相次いでいたからです。2006年には市職員(当時)の飲酒運転で3人の児童が死亡するといういたましい事故があり大変な問題となったわけですが、その後も福岡市では飲酒に関連した事件が後を絶っていません。今年(2012年)に入ってからも、2月には消防士が飲酒後に盗んだ車を運転して逮捕され、4月には市立小学校教頭が酒気帯び運転で摘発されています。5月18日には酔った市職員2人が暴行と傷害容疑で捕まり、この事件で高島市長は「飲酒自粛宣言」を決意したようです。
私自身の考えを述べれば、世間の大方の見方とは異なり、高島市長の対策を支持したいと思います。たしかに、強制力をもたない通知ですし、日頃から問題を起こすことなく行儀よくお酒を楽しんでいる人からみればいい迷惑でしょう。
しかし、飲酒自粛宣言をおこない、世間の飲酒に対する関心が高まったのは事実であり、マスコミが福岡市のこの事態を報道する度に、上に述べた2006年の悲惨な事件が思い起こされることにもなり、改めてアルコールの恐ろしさを社会が認識することができるわけです。
福岡市で飲酒自粛宣言が通達された直後の2012年5月24日、小樽商科大学のアメフト部が主催する花見で飲酒を強要された19歳の男子学生が死亡したという事件が発表されました。この花見は5月7日におこなわれ、男子学生の異変に気づいた仲間が救急車を要請しましたが、救急隊の到着時にはすでに心肺停止の状態だったそうです。
この事件が報道されたとき、私は以前知人のタイ人から聞いた言葉を思い出しました。
タイ人にとって桜というのは一生に一度見ることができるかどうかという幻の花だそうです。タイには桜はありませんし、一般のタイ人からすれば日本に行くなんていうのは夢のまた夢ですから、桜は美しい日本の象徴になっているそうなのです。(桜の他には、雪を生涯一度でいいから見てみたい、というタイ人も多いようです)
さて、私の知人のそのタイ人は、日本に行く機会に恵まれ、しかも桜のシーズンに行けることになり花見を大変楽しみにしていたそうです。しかし、実際に行ってみると、桜は確かにきれいなのですが、花見にきている日本人のだらしなさに辟易としたそうです。一般のタイ人からみれば、日本人というのはまだまだ勤勉で礼儀正しいというイメージがあるそうなのですが、その光景をみて日本人に対する見方も変わったと彼女は言います。大声をだして喧嘩をしている中年男性、酔っ払って何やらわめいている若い女性、なかには嘔吐している者もいて大変驚いたそうです。
私自身も特に20代の頃は飲酒で失敗したことが多く、ここには書けないこともあるくらいで、他人に「飲酒は控えましょう」などとは言えた義理ではないことは認めますが、それでも、今の日本人のアルコールに対する甘すぎる考え方は見直さなければならないと日々痛感しています。
私の知人のタイ人のコメントを思い出しても痛烈にそれを思いますし、以前勤めていた病院の夜間の救急外来には、急性アルコール中毒で搬送されてくる患者さんも多かったのですが、飲酒に伴う醜態をたくさん見ることになりました。実際に飲酒で亡くなる事故(事件)も少なくないわけですから、われわれはアルコールの怖さを改めて考えるべきだと思います。
アルコールと同様に最近問題視されているのがいわゆる脱法ハーブです。渋谷やアメリカ村といった若者の集まる街には「ハーブあります」などという看板がかかげられていて、そのショップでは簡単に脱法ハーブが買えるそうです。「ハーブ」というと聞こえはいいですが、なかには覚醒剤と同じような成分のものもあり、大変危険です。
この脱法ハーブに伴う事故(事件)が相次いでいます。例えば今年(2012年)2月には名古屋で24歳の男性がハーブ吸入後に暴れて嘔吐物を喉につまらせて窒息死する、という事件がありました。5月には脱法ハーブを吸入した大阪の26歳の男性が危険運転をおこない二人の女性をはねる、という事件もありました。東京では今年(2012年)1月~5月の脱法ハーブでの救急搬送が2011年の20倍にもなる、という報道もあります。
脱法ハーブのというのは、違法薬物と化学構造がわずかに異なることで「違法」とされないものであり、大変危険なものもあります。幻覚をみたり、パニックに陥ったり、衝動的に自分や他人を傷つけてしまうこともあります。
私は、NPO法人GINAの関係で、覚醒剤で人生を台無しにしてしまった人たちをたくさんみてきました。きっかけは針の使いまわしでHIVに感染した人たちに話を聞きだしたことですが、その後HIV感染の有無に関係なく、日本人も含めて覚醒剤に依存している人たちの話を聞くことになりました。そこで分かったことのひとつは「日本ほど覚醒剤に寛容な国はない」ということです。タイで知り合ったある日本人の元ジャンキーは、「日本に帰ると覚醒剤に手を出してしまうから帰れない」と言っていました。日本ほど覚醒剤が簡単に手に入る国はないそうなのです。
実際、医師をしていると(老若男女問わず)覚醒剤依存症の人たちがいかに多いかを痛感させられます。若い人たちは、覚醒剤とは呼ばず、スピードとかエスとか呼び、まるでサプリメントのような感覚で吸入(もしくは内服あるいは注射)しています。そもそも日本は世界で唯一覚醒剤(ヒロポン)が合法であった国でありますが、いまだにこの悪しき慣習から抜け出せていないのです。ちなみに、サザエさんの初期に、近所の家に預けられたタラちゃんがその家のテーブルに置いてあったヒロポンを飲んでハイテンションになってしまう、という話があります(注1)。
覚醒剤には(おそらく)世界一甘い日本ですが、大麻に関しては”微妙”です。覚醒剤と同様、大麻も日本で簡単に入手できるそうですが、日本の特徴は覚醒剤と大麻の「垣根」がほとんどないということです。大麻も違法であり容易に手を出すべきではありませんが、欧米やオーストラリア、アジアの若者と話をすると、彼(女)らの多くが大麻をそれほど悪いものと考えていないことが分かります。しかし(良識のある?)彼(女)らは、覚醒剤は絶対にNG、と言います。つまり、大麻の危険性と覚醒剤のそれとがまったく異なることをよく理解しているのです。なかには、「アルコールやタバコは身体に悪いからやらない。健康のことを考えて私は大麻しかやらない」という人までいます。
一方、日本人にはこの「感覚」がほとんどありません。例えば『週刊文春』は最近女優Sが大麻に依存していたことをスクープして話題を呼んでいますが、記事を読んでみると、覚醒剤使用で2009年に逮捕された女優Sや、同じく2009年にMDMAで逮捕された俳優Oと同じような扱いで文章が書かれています。私は大麻の女優Sを擁護するつもりは一切ありませんが、これを読めば「大麻と覚醒剤は”同じように”危険なもの」という印象を読者に与えかねません。
周知のように大麻は一部の国では合法ですし、禁止の国であっても、例えばカリフォルニアでは医療機関を受診し希望すれば、実質誰でも大麻を処方してもらうことができます。また、海外では一部の難治性の病気の治療に積極的に大麻を使用することもあります。
大麻を条件付けで合法にすべき、という意見は昔からあり、これは改めて検討すべきですが、議論には相当な時間がかかるでしょう。我々が直ちにすべきことは、アルコール、脱法ハーブ、そして覚醒剤の危険性を改めて認識することです。そのときに、これらに比べて危険性の低い(注2)大麻を同列に論じると事の本質が見えにくくなる、ということもきちんと理解すべきです。
もっとはっきり言うと、脱法ハーブや覚醒剤はもちろんですが、アルコールも大麻以上に危険な薬物になり得る、ということを認識すべきなのです。
注1:この話は『サザエさん うちあけ話似たもの一家』(朝日新聞社)に掲載されています。ハイテンションになったタラちゃんをみた周りの大人たちが「そ~ら、ゆううつがふっとんだよ」と言い、タラちゃんを迎えにきたサザエさんは、「はじめてですワ。(タラちゃんが)こんなにはしゃいだこと! ありがとうございました」とお礼を言い、帰り道ではタラちゃんに「ほんとによかったネ」と言っています。
注2:「大麻はアルコールより危険性が低い」と言ってしまうのは乱暴かもしれませんが、身体依存、精神依存ともより依存性が高いのはアルコールとされていますし(異論もありますが)、例えばアメリカでは、アルコールがハードドラッグの入り口になることが多いのは事実です。下記コラムも参照ください。
参考:GINAと共に
第53回(2010年11月) 「大麻合法化を巡る米国と覚醒剤に甘すぎる日本」
第34回(2009年4月) 「カリフォルニアは大麻天国?!」
第29回(2008年11月) 「大麻の危険性とマスコミの責任」
第13回(2007年7月) 「恐怖のCM」
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|2013年6月14日 金曜日
2012年5月号 セルフ・メディケーションのすすめ~薬を減らす~
忙しくて医療機関を受診する時間がない人は、その症状が軽症であれば、薬局で薬剤師に相談して薬を使うようにしましょう。そして、それができるひとつの疾患が(軽症の)花粉症ですよ、という話を前回しました。
セルフ・メディケーションの定義については諸説ありますが、おおまかにいえば「(医療機関に頼るのではなく)自分自身で健康を管理し、可能であれば薬局の薬などで病気を治す」となると思います(注1)。
ですから、セルフ・メディケーションの主要な柱のひとつが「処方箋なしで入手できる薬(OTC)を薬局で買って有効に使う」というものです。しかしこれは、「薬に詳しくなりましょう」とか「困ったときにはまず薬剤師に尋ねましょう」と単純に言って解決するようなものではありません。
なぜなら、薬というのは「原則として使わない方がいい」からです。もちろん、必要なときには適切なタイミングで適切な量の薬を用いるべきですが、どんなときにも薬は最小限にすることを考えなければなりません。「何かあっても薬があるから安心・・」というのは安直すぎる考えです。
我々医師も薬の処方を最小限にすることを常に考えています。しかし、にもかかわらずたくさんの薬を飲んでいる患者さんが少なくないというのが現実です。というわけで、今回お話したいのは、「薬を減らしていくことを考えましょう」というものです。けれども、その話をする前に、なぜこんなにも薬の処方量が多いのか、を考えていきたいと思います。
薬の処方量が多い(多すぎる)のは医師に責任があります。たしかに、「患者さんが薬をほしがるから・・・」という理由はありますが、ほしがる薬をそのまま処方するのであれば医師がいなくても薬局があれば事足りるわけで、いかに処方を少なくするかが医師の腕のみせどころのひとつです。
では、なぜ処方薬が増えてしまうのかというと、その最大の理由は「薬を処方しないことが医療の差し控えと思われかねないから」というものです。つまり、薬を処方しなければ治療を放棄していると捉えられるのではないか、という懸念が医師の側にあるのです。実際、「今のあなたの状態に薬は必要ありません」と言うと納得されない患者さんがいます。ある医師は、「えっ? お金払うのあたしですよね」、と患者さんから言われて大変驚いたそうです。
しかし、これは患者さんとじっくり話をすることで解決できることが多いのも事実です。ですから、充分な時間をかけて患者さんと話をすれば、なぜ薬を安易に使うべきでないか、ということもほとんどの場合はわかってもらえます。「とにかく薬をください」と強く主張する患者さんも、よくよく話を聞いてみれば、それは病気に対する不安が強いためで、薬を飲めばその不安が解消できるのではないか、と考えているという場合も多いのです。ですから、私の場合は、「すぐには無理だとしても将来的には薬を減らしていきましょうね」、ということを患者さんとまずは話すようにしています。(注2)
さて、どのような薬をやめていくべきか、ですが、覚えておかなければならないのは「自分の判断で薬を減らさない」ということです。薬によっては、何があっても絶対に飲まなければならないものもあれば、調子がよければ自分の判断で減らしていいものもあります。また、自分の判断で増やしていいものもあります。私の経験上、これが理解できていない患者さんが非常に多いのです。もちろんこれは説明不足の医師の責任ですが、患者さんの側からみても、「この薬は調子がよくなっても飲まなければいけないのか、やめてもいいのか」、ということはあらかじめ確認しておくべきです。
処方箋や薬の手帳には例えば「1日2回朝夕食後」と書かれていますが、これだけで納得してはいけません。絶対に飲まなければならないのか、やめてもいいのか、の確認も必要ですし、食事を抜いてしまったときはどうするのか、無理にでも何か食べた方がいいのか、水だけで飲んでもいいのか、なども確認しておかなければなりません。頭痛もちの人なら普段飲んでいる頭痛薬との飲み合わせは大丈夫か、ということも理解していなければなりません。
減らしたい薬があれば、あるいは全体として減らしていきたければ医師に相談するようにしましょう。薬を減らしたいのは医師も同じですから、適切なアドバイスがもらえるはずです。
私が日々患者さんをみていて減らしたいなと感じる薬の代表が生活習慣病、すなわち、高血圧、高脂血症、糖尿病、高尿酸血症などの薬です。なぜ、減らす(もしくは止める)ことを考えるかというと、これらは生活習慣を改善することで不要になることもしばしばあるからです。症例によっては、「この薬は飲み始めると基本的には一生飲まなければなりません」と話して処方するものもあり、生活習慣病が遺伝的な要因が強い場合はたしかにその通りになるのですが、文字通りの”生活習慣”病であれば、運動や食事の見直しで薬が不要になることが多いのもまた事実なのです。
生活習慣病の薬以上に、減らしたい!、と思うのが精神症状に対する薬です。太融寺町谷口医院にも、不眠、不安、うつ、イライラなどで通院されている患者さんは少なくありません。こういった症状に対しても、もちろん必要であれば薬を使うべきですが、その量と飲む期間には充分注意しなければなりません。なぜなら、こういった症状に対して用いる薬のなかには依存症をつくるものも少なくないからです。例えば、ニコチン依存症の人がニコチンが切れてイライラしているときにタバコを吸うと落ち着けるのと同じように、抗不安薬がないと不安やイライラが消えないような状態になってしまうことがしばしばあります。いわば精神症状に対して用いる薬による薬物依存症ができあがってしまうのです。
2000年代になって、抗うつ薬を中心とした精神疾患に用いる薬が急激に増えているというデータがあります。これをどのように捉えるか、ですが、「これまで医療機関を受診することをためらっていた人も受診できるようになったからいいことだ」とみる向きもあります。しかし、この考えが正しいとすれば、社会からうつ病や不安神経症などの精神疾患が減少し、自殺者も減っていなければなりません。しかし実際は、言わずもがな・・・、です。
誤解を恐れずに言うならば、社会全体が精神症状に対して過敏になりすぎて、安易に薬をほしがる人と安易に薬を処方する医療機関が増えているのではないか、という見方を私はしています。たしかに、必要な場合には薬を用いるべきであり、「それくらいは気合いで乗り切れ!」などと言ってはいけません。しかし、最近の患者さんのなかには、「自分はPTSDです」「親のせいでアダルトチルドレンになりました」「ADHDだから仕事ができないんです」「自分は発達障害なのに営業職につかされている」「うつは励ましてはいけないのに上司にがんばれと言われて困っている」などと語る人があまりにも多いように思えます。また、医師の側も、「本当に薬が要るのか・・・」と思わざるを得ない処方をしていることも(正直に言えば)あります。(注3)
もちろんいくつかの症例では薬が有効となることもあるでしょう。しかし、大半のケースでは、薬ははじめから不要、あるいは少量を短期間のみ、にしておくべきです。特に、原因のはっきりしている精神症状に対しては、薬が解決してくれるわけではありません。私は、以前あるうつ病の患者さんに、「前の病院ではうつ病と診断されたけど、自分がこうなったのはリストラされて仕事がないからであって、処方された薬は何も利かなかった。仕事をもらえるならすぐに元気になる」と言われたことがありますが、これは正しいでしょう。また、別のある患者さんは、もっと率直に「(薬でなく)金をくれたらうつは治る」と言っていました。
現在薬をたくさん飲んでいる人は、いずれ量を減らしていき最終目標はゼロ、ということを改めて考えてみるべきです。医師も同じことを考えているわけですから、しっかりと話をしてみてください。
セルフ・メディケーションでは「薬を飲むこと」以上に「薬を減らすことを常に考えること」が重要なのです。
注1:セルフ・メディケーションの定義で最も普遍的なのはWHOが定めているものかと思われます。興味のある方は下記URLを参照ください。
http://apps.who.int/medicinedocs/en/d/Js2218e/1.html
注2:「医療機関はたくさん薬を処方すれば儲かるから処方するのではないか」と考えている人がいますがこれは完全な誤解です。そもそも医師の使命は(本文で述べているように)いかに薬を減らすか、ということにありますし、経営的な観点からみても薬を処方して利益がでるわけではありません。ほとんどの薬は利益が1%未満であり、例えば1錠100円(3割負担で30円)の薬があったとすれば医療機関の利益は1円未満です。在庫のリスクと仕入れの手間を考えれば赤字になることはあっても利益はでません。薬の利益がゼロでも「処方料」と「調剤料」というものが算定されますが、これらの合計は「処方箋発行料」よりも安いのです。すなわち、医療機関から経営的観点で考えれば、院内処方を中止し院外処方にして処方箋を発行するのが最も利益になるのです。そして「処方箋発行料」は薬の量が少なくても多くても同じです。ですから、結局のところ、院内処方であっても院外処方であっても「処方薬が多ければ医療機関は儲かる」ということはありえないのです。
注3:私は前医の診察を見ていないので前医を非難することはできません。ですから、「そのときにはその薬が必要だった理由がある」、とは思います。しかし、患者さんの方が薬の必要性を感じていないのに続けて薬が処方されていて、なぜ必要なのかの説明もなされていないということもしばしばあります。患者さんの側からすれば「できるだけ薬を減らしたい」と思っているのですが、医師は「わざわざ病院まで来ているんだからこの患者も薬を求めているに違いない」と思い込んでいるのかもしれません。
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|2013年6月14日 金曜日
2012年4月号 セルフ・メディケーションのすすめ~花粉症編~
どこの病院に行っても長時間待たされる・・・、医師不足は一向に解消されていないではないか・・・。これは多くの患者さんたちが感じていることだと思います。
2009年8月31日の選挙で民主党が掲げたマニフェストには「医師の数を1.5倍にします」とはっきりと明記されています。民主党はこの選挙で政権与党となったわけですが、医学部の定員は少しずつ増やされてはいるものの、医学部新設となると案は出されても煮えつまらない議論が繰り返されるだけ、といった感じです。最近は、医師の数を1.5倍、などという言葉自体をすっかり聞かなくなりました。もっとも、医学部新設が現実化したとしても、実際に臨床をおこなえる医師が増えるのにはその後何年もかかるわけですが。
いくら不景気になろうが、少子高齢化社会が進行しようが、病気が減るわけではありません。むしろ超高齢化と呼ばれる社会に突入すれば医療の需要は今後さらに増加するのは間違いありません。
病気で困っているけれど病院に行く時間がない、というのは働く世代の多くの人が感じていることでしょう。やっと時間をみつけて医療機関を受診すると、今度は長時間待たされて、診察時間はほんの数分・・・。これが現実でしょう。長い待ち時間と短い診察時間を不満に思い医療機関に苦情を言う人がいますが、医療者の立場からすれば、患者さんを待たせたいと思っている者はいませんし、患者さんの不安がなくなるまでじっくりと話を聞きたいと誰もが思っているわけです。しかし、限られた時間のなかで大勢の患者さんを診なければならない、となると、どうしても診察時間を最小限におさえる努力をしなければならないのです。
病気を治したいけれども医療機関で長時間待つことはできない、という問題を解決するひとつの方法がセルフ・メディケーションではないか、と私は考えています。つまり、その病気が軽症であれば、日頃から予防につとめ、医療機関を受診するのではなく、薬が必要であれば薬局で薬を買って対処するのです。自分で薬を選ぶことなんてできない・・・、と感じる人がいるかもしれませんが、薬局には薬剤師がいますから、まずは相談してみればいいのです。
セルフ・メディケーションに取り組みやすい疾患のひとつに「花粉症」があります。
もちろん花粉症といえども、重症化している場合は薬局ではなく医療機関に行くべきですし、他のアレルギー疾患、例えばアトピー性皮膚炎や気管支喘息が合併している場合も医療機関を受診すべきです。なぜならアトピー性皮膚炎や気管支喘息の治療薬と花粉症の治療薬は重なることが多く、これらはひとつの医療機関で総合的に治療するのが最も効率がいいからです。また、薬の飲み合わせには細心の注意が必要ですから、何か他の病気ですでに医療機関にかかっている人は、まずその主治医に花粉症の相談をすべきです。
けれども、他に何の病気にもかかっておらず、花粉症以外の症状のない健康な人で、かつその花粉症が軽症であれば、必ずしも医療機関を受診しなくてもいいのではないか、と私は考えています。そのように考えるようになった理由は、眠くならない(なりにくい)抗ヒスタミン薬が、ついに発売になったからです。
2011年10月、エスエス製薬株式会社は、従来は医療機関だけで処方されていた「アレジオン」(一般名はエピナスチン塩酸塩)という抗ヒスタミン薬を「アレジオン10」という商品名で薬局での発売を開始しました(注1)。花粉症の治療の第1選択薬は抗ヒスタミン薬ですが、古いタイプの抗ヒスタミン薬は眠くなったり、だるくなったり、集中力にかけたり、といった副作用が出るのが難点でした。このため、働いている人や学生・受験生にとっては大変使いにくいものです。医療機関では、眠くならないタイプの抗ヒスタミン薬を処方しますから、このタイプの薬を入手するために薬局ではなく医療機関を受診するという人が多いのです。
しかし、これはよく考えてみると不思議な話で、副作用の出やすいものが薬局で簡単に買える一方で、副作用が出にくい安全なものは医療機関を受診しないと入手できないのです。ですから、我々医療従事者は、より安全なタイプの抗ヒスタミン薬が医師の処方箋なしに薬局で購入できるようになることを望んでいたわけです(注2)。
さて、ではアレジオン10が薬局で「自由に」買えることになったことで軽症の花粉症の患者さんが手放しで喜べるかというと、実はそうでもありません。その理由は「価格」です。私はアレジオン10が発売となったと聞いて、これで花粉症は軽症なら医療機関を受診する必要がなくなるか、と思ったのですが、価格をみて唖然としてしまいました。
アレジオン10の価格は、6錠で1280円、12錠で1980円(1錠165円)もするのです。花粉症が12日で終わるとも思えませんから、何箱かを買わなくてはなりません。2ヶ月間(60日)飲み続けるとすると、1980円x5箱=9,900円もします。
一方、医療機関で処方される「アレジオン」の10mgは薬価が109.5円ですから、3割負担で1錠32.85円です。ただし医療機関での処方の場合、薬代以外に診察代や処方代もかかりますから単純に比較することはできません。しかし、実際の金銭負担は何倍にも(場合によっては10倍以上も)違ってきます。この内訳を説明したいと思います。
まず、程度にもよりますが、アレジオン10mgで完全に症状がとれるという人はそれほど多くなく、太融寺町谷口医院を受診する患者さんでみてみると、少なくとも20mgが必要になることが多いといえます。さらにそれを1日2錠(合計1日あたり40mg)内服してもらうことも珍しくありません。そうなるとコストがかさむではないかと思われますが、実はアレジオンにはすぐれた後発品がたくさんあります。例えば太融寺町谷口医院で処方しているアレジオンの後発品は20mgで薬価が49.9円(3割負担で14.97円)です。もしも薬局で処方箋なしで買えるアレジオン10で同じ量(1日あたり40mg)をまかなうとすると、60日分でみれば、医療機関で処方される後発品なら1,796.4円(14.97円 x 2 x 60日)なのに対し、アレジオン10なら39,600円(165円 x 4 x 60日)となります。医療機関受診の場合、診察代や処方代がかかりますが、初診であったとしてもこれらはせいぜい1,000円程度です。つまり、「医療機関受診+アレジオンの後発品1日40mgで60日分」なら2,800円程度なのに対し、「アレジオン10で同じ量を購入」だと39,600円、実に14倍以上の開きとなります(注3)
エスエス製薬がアレジオンを市販で発売することを決定したのは画期的なことであり高く評価されるべきだと思います。しかし価格が高すぎます。医療機関で処方されているアレジオン10mgの薬価は109.5円ですから、ここだけをみても高すぎます。花粉症のセルフ・メディケーションが普及するかどうかは、アレジオン10の値下げ、さらに後発品(ジェネリック薬品)のメーカーが積極的に市販化できるかが鍵を握っていると言えます。アレジオンの後発品を販売しているメーカーは約20社あります。この20社がいずれも市販薬の販売を開始し、さらに市場原理が働けば価格が大きく下がることになるでしょう。
また、アレジオン以外の先発品のメーカーも市販化を検討すべきです。アレジオンよりもさらに眠くなりにくい「アレグラ」や「クラリチン」も、海外ではすでに薬局で処方箋無しで購入することができます(注5)。このため、海外出張によく行く人のなかには、現地の薬局で買える分だけ買って帰るという人もいます。
日本の製薬会社はもっと医薬品の市販化(OTC化)に積極的になるべきだと思います。少なくとも海外では市販されているような薬品については議論を進めるべきです。医療機関は待ち時間が長いから受診したくない、という人は少なくありません。市販化できればこういった人たちの需要に応えることができて会社の増益にもつながりますし、セルフ・メディケーションが進むことにより医師不足が緩和されるかもしれないのです。
話を花粉症に再び戻します。ごく軽症な場合、例えば天気のいい日に長時間外出したときだけ鼻水が少しでる程度、つまり抗ヒスタミン薬を必要なときだけ飲んで対処できる程度の花粉症という人は、一度アレジオン10を検討してみはどうでしょうか。まずは近くの薬局の薬剤師に相談してみてください(注4)。
注1 医療機関で処方される「アレジオン」はエスエス製薬ではなくベーリンガーインゲルハイムから発売されています。そのアレジオンには10mgと20mgがありますが、エスエス製薬が薬局で発売しているアレジオン(アレジオン10)は10mgだけです。このため軽症の人をのぞけばアレジオン10だけで花粉症のセルフ・メディケーションをおこなうのは現実的でないかもしれません。詳しくは本文を参照ください。
注2 より安全なものには処方箋が必要で、副作用のでやすいものが薬局で処方箋なしで買える薬剤の他の例として「鎮痛剤」があります。胃への副作用などが比較的おこりやすい鎮痛剤が薬局で(しかも簡単に!)買えるためその弊害が出ている一方で、副作用の起こりにくい比較的新しい鎮痛剤は処方箋が必要なのです。(下記メディカルエッセイも参照ください) 尚、眠くなりにくいタイプの抗ヒスタミン薬が薬局で買えるようになったことをすべての医療者が歓迎しているかというとそうとも言い切れないようです。実際、エスエス製薬の「アレジオン10」の発売に反対する声も一部の医療者から上がったそうです。
注3 この試算は話を簡略化するためのものであり、実際はいくつか注意が必要です。まず、市販のアレジオン10で改善しなければ医療機関を受診すべきであり、自己判断で20mgに増やすべきではありませんし、まして1日40mgなどにしてはいけません。また、本文の例では医療機関を初診で受診しアレジオンの後発品1日40mgを60日処方ということにしていますが、初診で40mgを処方することは通常ありませんし、初診で60日も処方することもありません。しかし再診の場合はありえます。例えば、例年アレジオンの後発品1日40mgで安定している人が受診した場合、再診扱いで40mgを60日処方することはあります。この場合、初診代でなく再診代となりますからさらに安くなり総費用が2,350円となります。(市販のアレジオン10で同じ量を入手するには16.85倍(!)のコストがかかることになります)
注4 本文では述べていませんが、花粉症には薬が必要になることもありますが、花粉を近づけないようにするための対策をとることでかなりの予防ができますし薬を使うことよりも重要です。詳しくは 「花粉症対策2012」 を参照ください。
注5(2012年12月付記) その後「アレグラ」は2012年11月に「アレグラFX」という名称で市販薬として発売されました。
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|2013年6月14日 金曜日
2012年3月号 震災から学ぶ帰属意識
世の中不況が続いています。
新聞報道をみていると、2月14日に日銀が「中長期的な物価安定のめどを1%とする」と発表したことで株価が急上昇し、円高に歯止めがかかり、あたかも日本経済が息を吹き返したかのような印象を受けますが、診療室ではそのような景気のいい雰囲気を感じることはできません。
太融寺町谷口医院の患者さんの大半は働く世代です。電子カルテの表紙には保険証の情報が表示されますから、保険証が変更になればそれが診察を開始する前にわかります。社会保険から別の社会保険に変わっていれば転職したんだろうということがわかりますし、社会保険から国民健康保険に変わっていれば仕事を辞めたことが推測されます。なかには、国民健康保険から生活保護の保険に切り替わって、という人もいます。
患者さんたちから就職状況を聞いていると本当に大変なんだなということがよく分かります。面接までたどりつくのも苦労するという声もありますし、やっと新しい仕事が見つかったと思ったら、社員を使い捨てのコマのようにしか扱ってくれないようなところだったり、にわかには信じがたい話ですが、労働法をまったく無視して過重労働をさせたり、新人への暴言(ひどいときは暴力さえも)が日常茶飯事におこなわれているようなところもあるようです。患者さんからセクハラやパワハラの相談を受けることもあり、その結果精神症状が悪化しているような場合には精神科クリニックを受診してもらうこともあります。
比較的長期で正社員として働いている人たちも、疲れきっているというか、疲労感を常に抱えているといった感じです。まあ、そういう人たちが病気を患い医療機関に来ている、ということなのかもしれませんが。
私が最近とみに感じるのは、非正規社員の人は言うまでもなく、正社員の人たちでさえ、会社での人間関係が希薄なのでは?ということです。私が一般企業に就職した90年代初頭くらいは、まだまだ社員どうしの家族ぐるみでの付き合いというものが普通にありました。当時は社員旅行に家族を連れてくるということがごく当たり前でしたが、現在では社員旅行そのものが以前に比べて激減していると聞きます。社内の運動会などというのもほとんど聞きません。たまに、社内のクラブ活動に参加しています、などという話を聞くとなんだかほっとする感じがします。
今思えば、90年代の初期くらいまでは、生活の大半を会社に依存するような日本人の会社との付き合い方は世論やマスコミから批判されていました。あるジャーナリストは「社蓄」という言葉を唱えたほどです。終身雇用や年功序列が非難され、人々は実力主義、年俸制などを求め、会社との深い結びつきを過去の産物とみなすようになりました。
人々が日本式の会社との関係を見直しだした1992~93年あたりから、運悪く(という表現があたっていると思います)バブル後不況が本格的にやってきました。就職氷河期という言葉が使われだし、その後急激な円高に見舞われたこともあり、さらに就職状況は悪化、リストラという言葉が流行語になり、1997年には山一證券やヤオハンといった巨大企業が倒産(注1)、1998年からは年間の自殺者が3万人を超え、これは現在も続いています。
終身雇用を批判していた世論は手のひらを返したように一転し、リストラを断行する企業を非難しだしました。しかし、時すでに遅しで、安心して定年まで働くことがもはやできない時代となり、誰もがリストラのリスクがあり、さらに大企業であっても会社そのものが存続するかどうか分からない、という時代になってしまいました。
このような状況のなか、社内で濃厚なコミュニケーションをとり厚い人間関係を構築するのは相当困難なことなのかもしれません。昔に比べると、同僚や会社の先輩・後輩たちと飲みに行く、という機会も随分と減っているのでしょう。私の会社員時代を思い出してみると、多い週であればほぼ毎日のように飲みにいっていました。夜の9時10時まで仕事をして深夜まで飲んで、また早朝から仕事、といった感じです。私の場合は社外のネットワークも求めていましたし、当事は英語の勉強も毎日していましたから、寝る時間もあまりなかったのですが、それでも会社の人たちとの飲み会の席での語らいは重要なものでした。以前も述べたことがありますが、退社後の飲み会で仕事の話が盛り上がり、そこで決まったプロジェクトがいくつもあったのです。
何のために仕事をするのか、という問いに対しては、生活費を稼ぐためというのが前提としてあり、さらに自己実現や社会貢献というものがあるでしょう。しかし、仕事をする大きな目的として「仲間を得るため」ということが大きいのではないかと私は考えています(注2)。安定した関係の、つまり嘘をついたりつかれたりすることのない、ある程度心を許せる他人との関係がなければ人間は生きていくことができません。
現在は、これをネット社会で代用しようという考えがあるかもしれません。私はそれを全面的には否定しませんが、やはり顔をみない相手との関係は脆弱です。その逆に、相手のことをある程度プライベートまでよく知っており、仕事のことだけでなく何でも話せる関係を構築していれば、人間の心は安定するものです。
私はこのことを東日本大震災の被災者から再確認できたと思っています。壊滅的な状況にあるなか、いくつかの被災地では、住民が行政に依存するのではなく、自分たちで瓦礫を片付け、住宅を建て、使えるものを探してきて、力を合わせて暮らし始めました。こういった様子は住民たちがつくったウェブサイトを通して知ることができます。例えば、宮城県本吉郡南三陸町の馬場中山地区では、自分たちで復興している様子を日々ウェブサイトを通して伝えています(注3) 写真や文章から伝わってくる人々の様子は実にいきいきとしています。天災に合わず会社勤めをしているものの、人間関係に希薄な都会に住む人々とは対照的です。
震災という状況に置かれれば、住民どうしが協力するしかなく、「復興」という共通の目標があるからみんなで力をあわせて頑張れるのであって、震災というアクシデントがあったからむしろ人間らしく充実しているのだ、という見方があり、そのような考えは確かに一理あると私も思います。
では我々は、震災のような非常事態に見舞われなければ他人と協力しあうことはできないのでしょうか。
そんなことはありません。では、どうすればいいかというと、働く人にとって会社とは生活の大部分を過ごす時空間ですから、まずは経営者が「社員を守るんだ」、という意識が必要でしょう。社員からみれば、経営者が尊敬できて信頼できる人物でなければ、心を許すことができないからです。大企業の場合は一社員から経営者の顔は見えないでしょうから、部署ごとに一体感が必要になります。やはり上司は部下から信頼されていなければなりません。そして同僚どうしはコミュニケーションを密にとりチームワークを大切にすべきです。誰かがリストラされることになるかもしれないという、いわば「いすとりゲーム」のような環境に置かれれば、安心して仕事をすることができず、腹をわって話せる同僚もできません。精神的に破綻をきたすのも時間の問題となるでしょう。
ここ10年くらいの間「自己責任」という言葉が随分使われてきたような感じがします。この言葉は一見、理に適っており正しいような印象を受けますが、いきすぎると非常に生き辛い社会を生み出すことになります。このコラムの2012年1月号で、私は「昔の友達どうしで助け合う社会をつくるべき」ということを述べました。損得勘定なく付き合える昔の友達の存在は心の支えになるからです。そしてまた、現在の職場での人間関係を(昔の日本の企業がそうであったように)密にすることができれば、心の安定が得られるのではないでしょうか。社内旅行や社内のクラブ活動が復活することはないかもしれませんが、同じ部署の人たちと食事してプライベートな話をすることができれば、今よりもずっと会社の居心地がよくなることでしょう。
ウェブサイトから伝わってくる馬場中山地区の人たちの笑顔は本当に素敵です・・・。
注1:私が就職したのは1991年4月で(在阪の商社に就職しました)、就職活動は1990年の夏におこなっていたのですが、山一證券もヤオハンも共に学生にとっての人気企業でした。山一證券は当事の証券会社では上位3位くらいに位置づけされていましたし、ヤオハンは、入社時に英語ができなくても希望すれば海外勤務をさせてくれると言われており、またいち早く週休3日制を導入した企業であったことを記憶しています。(当事は人手不足が深刻化しており、「週休3日制」を売りに新入社員を募っている企業が多くあったのです)
注2:社会学や心理学に馴染みのある人なら「マズローの欲求段階説」で考えてみると分かりやすいと思います。やりたいことをする、という意味において4つめの「自我の欲求」、もっと大きな意味で自己実現をかなえる、という意味で5つめの「自己実現」を仕事に求めるという考え方がありますが、私がここで言っているのは、3つめの段階、すなわち「集団に帰属したいという欲求」です。
注3:宮城県本吉郡南三陸町の馬場中山地区の復興の様子は下記にURLで見ることができます。
http://www.babanakayama.jp
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|2013年6月14日 金曜日
2012年2月号 医学部式暗記法のすすめ
昨年(2011年)のこのコラム(マンスリー・レポート)で、勉強に関するコツのようなものを何度か紹介しました。私は勉強に関する書籍を上梓していることで、受験の相談を受けることが多いため、勉強をしている人たちの役に立つことをしたい、と考えて、一時は専用のサイトをつくるとか、勉強カフェをつくるとか、そういった計画を立てたこともあるのですが、結局どれも時間不足で(というのは言い訳ですが・・・)何もできず、せめてこのサイトの「マンスリー・レポート」を利用して勉強のアドバイスを試みようとした、というわけです。
今回のコラムもその一環で、今回は「効率よい暗記法」について紹介したいと思います。
拙書『偏差値40からの医学部再受験』で述べましたが、暗記に関して最も大切なことは「暗記の能力にはそれほど個人差があるわけではない」ということをまずは認識することです。
いきなり反論がきそうですが、これは事実です。もちろん、一度聞いたことは絶対に忘れない、という”特異な”人がいることは私も否定しませんし、「暗記が得意!」と豪語する優等生もたいていクラスにひとりくらいはいるものです。
しかし、ごくわずかな”特異な”人をのぞけば、「暗記が得意!」と豪語するほとんどの人も含めて、彼(女)らは「暗記のコツを知っているにすぎない」のです。
私はこのことを医学部の「骨学」という授業で強烈に体験しました。『偏差値40・・・』でそのエピソードを詳しく紹介したので、ここではごく簡単に述べるにとどめますが、学年でトップを争っていたような”超”のつく天才が連想法を使って骨の名前(ラテン語)を覚えていたことに私は大変驚きました。頭蓋骨を構成する骨はたくさんあり、これをすべてラテン語で覚えなければならない、というのは(私のような凡人には)とても大変なことなのですが、その同級生は、「オス・パリエターレ(頭頂骨)は人間の一番高いところに位置して、高いといえばエッフェル塔で、エッフェル塔はパリにあるからパリエターレだ!」、と覚えていたのです。
私は彼女のこの発言にどれだけ驚いたことか・・・。まるで頭頂骨を何かで殴られたような衝撃を受けました。しかし、同じ班の私以外のメンバーは、彼女のこのコメントに別段興味を示していませんでした。なぜなら彼(女)らもまた、それぞれ連想法を駆使して暗記に努めていたからです。
それまでの私は、医学部に合格するような勉強のできる人たちは、それほど努力しなくても、覚えるべきことが、スポンジが水を含むようにすぅっと頭に吸収されるものだと思っていたのです。一方、私は、(今思えばまったくばかげた考えですが)学問という神聖なものに連想法などは用いるべきではない、と思い込んでいて、何十回と紙に書く、などといった非常に効率の悪い方法で暗記に励んでいたのです。
私の暗記に対する考え方はその日を境に一転しました。天才の同級生から衝撃的なインパクトを受けた私は、その後医学部の学生のほとんどが連想法や語呂合わせを使っていることを知りました。そして、それを知った私は、その後、「これは覚えよう」と決めたものは、覚え方を自分で編み出して何でも覚えるようにしています。(自信過剰と言われるかもしれませんが)今の私は暗記が苦手ではありません。少なくとも10代の頃よりは遥かに記憶が得意、と言っていいと思います。(ただし、これは「覚えよう」と意識したもののみの話であって、例えば何年も会っていない知人と再会したときに名前を思い出せない、などといったことはよくあります)
それでは、私が実践しているその暗記法について詳しく紹介していきたいと思います。その暗記法には3つのコツがあり、医学部時代の先に述べたエピソードをきっかけにあみだしたことから「医学部式暗記法」と勝手に命名しています。
ここで、化学ででてくる元素の順番の覚え方「水平リーベ僕の船、なな曲がるシップス、クラークか」を思い出してください。H、He、Li、Be、B、C、N、O、F、Ne、Na、Mg、Al、Si、P、S、Cl、Al、K、Ca、というのは現在化学にまったく縁のないという人でも、「水平リーベ・・・」と口ずさめば比較的簡単に思い出せるのではないでしょうか。
実は、この「水平リーベ・・・」こそが、効率よい暗記法の3つの極意をすべて含んでいます。まず1つめは、「語呂合わせ」で、「水平」は水平線、「リーベ」はドイツ語でLOVE、「船」や「曲がる」などはいずれも日常の単語ですから簡単に覚えられます。もしも、例えば「すいへい」が「へいすい」であればかなり覚えにくくなるはずです。
2つめのポイントは、この語呂あわせが「シーンを連想しやすい」ということです。「大好きな水平線を眺めながら僕は自分の船に乗っている。ななめに曲がってくる船が近づいてきた。あの船にはクラークが乗っているに違いない」、という感じで、それが映画のワンシーンのように想像できます。そして、思い出すときにはこのシーンを思い浮かべると簡単に記憶が戻るのです。
もうひとつ、この語呂合わせには重要なポイントがあります。それは、リズムが、7(水平リーベ)→5(僕の船)→7(なな曲がるシップス)→5(クラークか)と、多少の字余りはあるにせよ、基本的には七五調になっているということです。日本人にはこの七五調のリズムが最も覚えやすいのではないか、と私は考えています。
私は何かを覚えようと決めたときには、この3つに留意して覚え方を考えます。例をあげましょう。私はいまだハワイに行ったことがないのですが、ハワイ好きな人は大勢いますから話にはついていきたいものです。ハワイ諸島には、観光客が簡単に行くことができる大きな島が6つあります。北西から、カウワイ島、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島、ハワイ島の順番で、これらは、それらの島が太平洋上に姿を現した順番でもあります。
これを覚えてしまいたいと考えた私は(そんなことは考えない人の方が多いかもしれませんが)、「顔もいらない、まぁハワイ」と記憶しています。 カ(カウアイ島)、オ(オハフ島)、モ(モロカイ島)、(イ)ラナイ(ラナイ島)、マ(マウイ島)、ハワイ(ハワイ島)となるわけですが、ポイントを述べていきたいと思います。
まず、ハワイに行ったことのない私でも、オハフ島、マウイ島、ハワイ島の名前は知っていました。一方、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島は聞いたことがない名前であり、覚えるのに苦労しそうです。カウアイ島と覚えるのに「カ」だけを取り出してもおそらく覚えられません。そこで「顔もいらない、まぁハワイ」以外に、「かわいいカウアイ島」という別の語呂合わせ(これは簡単でしょう)も作りました。モロカイ島を覚えるのに「モ」だけではすぐに忘れそうです。そこで、「モロ解凍」と覚えて、ハワイの大型スーパーに売っている冷凍の大きな肉の塊を外に出して”モロに”解凍しているシーンを思い浮かべます。ラナイ島はモロカイ島の最後の「イ」とあわせて「イラナイ」とすれば簡単です。「顔もいらない、まぁハワイ」とつぶやきながら、例えば、ハワイに普段着で顔にもメイクなどせずそのままの格好で行く、といった感じのイメージをすれば、もう忘れることはありません。そして、暗記法の3つ目のポイントである七五調も、7(顔もいらない)→5(まぁハワイ)、と満たしています。
もうひとつ例をあげておきましょう。必須アミノ酸の暗記で、私は「メイトと風呂、バリ」と覚えています。内訳は、メ(メチオニン)、イ(イソロシイン)、ト(トレオニン)、ト(トリプトファン)、フ(フェニルアラニン)、ロ(ロイシン)、バ(バリン)、リ(リジン)です(注)。連想は、友達(メイト)とサウナに入りながら「今度バリ島に行こうぜ」などと会話しているシーンです。リズムは、「メイト」を「メート」と発音し「ト」を「to」ではなく「t」で発音すれば、7のリズムになりリズミカルに覚えることができます。「ター(タ)タ、タタ・タタ」という感じです。(声に出せば簡単に伝えられるのですが、文章でこれを伝えるのはむつかしいです・・・)
語呂合わせ、連想しやすいシーン、七五調、この3つを考慮して独自の覚え方をあみだしていけば、かなり多くのことが覚えられ、もしかすると今後の人生まで大きく変わるかもしれません。私が医学部学生時代に考えた(というか気づかされた)この「医学部式暗記法」は是非多くの人に試してもらいたいと考えています。
注:現在必須アミノ酸は、これら8つに加えてヒスチジンを含めることが増えてきました。私は「必須(ヒッス)アミノ酸のヒ」と記憶しています。
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|2013年6月13日 木曜日
2012年1月号 古くて新しい「絆」
2011年の世相を1字で表す「今年の漢字」に「絆(きずな)」が選ばれたことが先月報道されました。これはもちろん東日本大震災を受けてのことでしょう。被災地では、震災をきっかけに地域社会のネットワークが強化されお互いの絆が改めて確認できた、という声を何度も聞きました。
また、被災者とは面識がなく東北地方にこれまで縁がなかった人たちも被災地に入りボランティアに従事しました。現地に行けなかった人も寄附金を送り、世界中から応援のメッセージが寄せられました。これらは震災をきっかけに生まれた新しい「絆」と言ってもいいかもしれません。
一方、放射線にまつわる諸問題は解決しておらず、風評被害に苦しんでいる人も少なくなく、瓦礫の受け入れをほとんどの自治体が拒否している現状を考えると、「絆」という言葉がむなしく響くようにも思われます。放射線が原因で差別的な扱いをされた人からすれば、「絆」などという言葉は偽善にしか聞こえないでしょう。
しかしながら、震災をきっかけに「絆」というものを多くの人が考えるようになったのは事実だと思います。そして、2011年の「今年の漢字」に「絆」が選ばれたわけですから、我々は改めて「絆」というものについて思いを巡らせるべきでしょう。
私は毎年、年の初めにミッションステイトメントの見直しとその年の「課題」を決めるという習慣があります。(2011年の課題は「与える」、2012年は「仲間との時間を大切にする」でした) 毎年12月になれば、来年の「課題」は何にしようかな・・、と考え出します。そんなとき「絆」という言葉を聞き、いいな・・、と感じはしたのですが、「今年の漢字」に選ばれた言葉をそのまま自分の「課題」にするのは、あまりにも安易というか、短絡的すぎるような気がしていったんは却下したのですが、結論を言えば結局私は2012年の自分の課題を「絆」にしました。
それにはふたつのエピソードがあったからですが、ふたつともフェイスブックにまつわるものです。
ひとつは私自身が参加した同窓会です。数年前から高校の同級生と集まる機会が増えていて(といっても年に1~2回程度ですが)、ここ数年間は忘年会が恒例となっています。今回もミナミのある居酒屋で忘年会が開催されたのですが、実に24年ぶりに再会した同級生もいて大変懐かしく感じました。同級生というのは不思議なもので、20年以上たっているというのに少し話をすればあの頃にすぐに戻れるような気持ちになります。そして、24年ぶりの再開のきっかけとなった忘年会の情報はフェイスブックを通して得た、という同級生もいたのです。
また今回の同窓会には参加できなかったものの、フェイスブックを通して旧知とコミュニケーションをとるようになったという同級生もいます。そして、フェイスブックのユーザーである同級生からこういったことを最近よく聞くようになりました。(尚、私自身はフェイスブックをしていません。医師はフェイスブックをすべきでないということはメディカルエッセイ第103回「僕は友達ができない」(2011年8月)で述べましたが、その最たる理由は、患者さんからの友達リクエストを承認できないから、というものです)
もうひとつのエピソードも私の友達の話です。長い間無職の状態が続いていて最近ようやく就職が決まったというその彼は、いわゆる引きこもりのような状態が2年以上も続いており、電話にも出ない状態で、気分がいいときにのみメールをする、といった感じで社会とのつながりがほとんどありませんでした。
半年ほど前からその彼から頻繁にメールが届くようになったのですが、その理由は、mixiとフェイスブックを始めたことで新しい友達が次々とでき、さらに小学校以来という旧知と連絡がとれるようになり、精神状態が随分よくなったから、と言います。そして、規模はそれほど大きくないものの将来性のある優良企業に就職が決まり、現在は責任のある重要な仕事も次々と任されているといいます。半年前までは「生きる気力もない・・・」と言っていたのが嘘のようです。
中高の同級生など旧知と再会し話をするということは、何にも変えがたい楽しみがあります。損得勘定や利害のまったくない関係というものを社会人になってから築くのは簡単ではなく、そういう意味でたとえ年に一度でも旧知に会えるということは有難いことです。
私自身が同窓会で楽しむことができて、私の友達がフェイスブックを通じて旧知とコミュニケーションをとるようになりそれが社会復帰につながったという事実を考えたとき、これが「絆」の力ではないか、と思わずにはいられません。
回顧主義が好きな人は、日本の古き善き時代には人の温かみがあったという話をよくします。まず大家族があって親戚関係があって、親族は助け合うのが当然だった、さらに近所との関係は「持ちつ持たれつ」であり、困っている人が近くにいれば皆で助けるのが当たり前で地域社会は大切なコミュニティであった。それに比べて今は・・・、という議論になります。
あるいは現在50歳以上の人たちのなかに終身雇用制の崩壊を嘆く人がいますが、これは、失われた地域社会の絆を会社というひとつの”社会”が代替していた、という考えです。高度経済成長からバブル時代くらいまでの間は、終身雇用が当然であり、新入社員は独身寮に入り、社内結婚をおこない、社宅に住み、子供をつれて会社の運動会や慰安旅行に参加していました。これは人の生活の基盤となるコミュニティそのものと言っていいでしょう。
地域社会や昔の会社がコミュニティとして機能していたというこういった考え方は間違っていませんし、私個人としても嫌いではありません。けれども、もはやそのような時代に戻るのは不可能です。都心では回覧板も公民館もなくマンションの隣に住む人の顔や名前すら知らない、ということが当たり前の時代です。どれだけ大企業に就職しようが、定年まで安泰というようなことは期待できません。
では、人間が人間として生きていくために必要だった地域社会や昔の会社がなくなってしまっている現在、我々はどのようにしてコミュニティをつくるべきなのか・・・。
私はその答えのひとつに「旧知との再開」があると思うのです。そして、再開するためのツールとしてフェイスブックなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が役立つのではないか、と考えています。
もちろんSNSで新たな友達ができる、ということもあり、それはそれでいいことだとは思います。なかにはSNSで知り合った人の紹介で就職先が見つかった、結婚相手が見つかった、などという人もいます。もちろん私はそういったことを否定しませんが、一方で顔を見ない相手との関係性が脆弱なのも事実です。
実は私が日頃診察している30~40代の男女にも、心身とも順調でない患者さんが少なくありません。彼(女)らの多くは、頼れる人がおらず安心してコミュニケーションのとれる友達がいない、と言います。しかし、彼(女)らとて、生まれたときからずっとひとりで生きてきたわけではありません。なかには、高校時代に生徒会の副会長だったとか、テニス部のキャプテンだったとか、そういった人もいるのです。
地域社会や会社でのつながりがないのであれば、昔の友達どうしで助け合う社会をつくればいいのではないか・・・、年末年始の休暇を通して私はそのような考えにいたりました。まずは私自身がこれまでの人生で知り合ってきた人のなかに、力になれる人がいないかどうかを考え、改めて「絆」というものに思いを巡らせてみたいと思います。
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|2013年6月13日 木曜日
2011年12月号 僕が震災から学んだこと
2011年もあと1ヶ月を切っていると言われてもそのような実感がなく、今年は長かったような感じがしていたのですが、終わってみれば例年以上に短かった、というのが私の現在の印象です。
2011年を振り返ってみると、やはり東日本大震災につきるように感じられます。もちろん私は四六時中震災のことを考えているわけではなく、仕事中は目の前の患者さんに集中しますし、私のプライベートな行動が直接震災に関係しているわけではありません。
医師として患者さんに接しているとき、特にその患者さんの人生に大きな影響を与えるような疾患、例えばガンやHIVの告知をおこなうときには、震災のことは頭から完全に消えていますし、もっと日常的な疾患を目の前にしたときでも「今頃被災地では・・・」などと考えているわけではありません。寝ても起きても震災のことばかりが気になって・・・、というわけではないのです。
しかしながら、改めて一年間を振り返ると、東日本大震災というものの存在は私にとっても極めて大きなものであり、これからの自分の人生に影響を与えるのではないかという気持ちになります。
これは一見不思議なことです。
そもそも私は自分自身が被災したわけではありませんし、被災者のなかに個人的な知り合いもほとんどいません。震災に関する情報の入手ルートは、一般の人と同じようにマスコミの報道が中心です。医師のメーリングリストからは情報が入ってきますが、メールでは文字だけですし、医学関連の学会や勉強会に参加したときは、直接被災地医療にかかわった(かかわっている)医師の報告が聞けて、スライド(パワーポイント)の写真をみることができますし、現地の様子が非常にわかりやすいのですが、このような機会はそれほど多いわけではありません。
一方、1995年の阪神淡路大震災のときは、私は知人の何人かを亡くしていますし、まだ医学部に入学していなかった頃で医学の知識がないとは言え、被災地の近くに住んでいましたからマスコミからは伝わってこない現地の情報がよく入ってきました。
私にとっては、今年の東日本大震災よりも1995年の阪神淡路大震災の方がずっと身近なものだったのです。けれども、私により大きなインパクトを与え、これからも与え続けるのは東日本大震災のように思えるのです。
これはなぜなのでしょうか。
ひとつには、単純に東日本大震災の方が規模が大きいというものがあるでしょうし、時間の問題もあるでしょう。阪神大震災は発生してから16年が経過しています。また、阪神大震災にはなかった「津波」、そして「放射線被害」というものの存在も大きいでしょう。
しかし、私にとって東日本大震災が阪神大震災よりも強い影響を与えている最大の理由は、おそらく地震発生直後から国内のみならず海外からも伝わってきた「支援の精神」ではないか、と感じています。インターネット(特にYou Tube)を通して世界中から被災地に数多くのメッセージが寄せられました。「Pray for Japan(日本のために祈る)」「I love Japan」といったタイトルのメッセージが次々と作成されました。私はツイッターやフェイスブックはしていませんが、これらを通しても多くのメッセージが送られたと聞きました。
あれほどの被害に合いながら秩序を保って助け合っていた被災者に感動したという声は世界中のマスコミで取り上げられ、「日本人に心を打たれた」という声が世界中で広がり、それを聞いた我々日本人はそのことを誇りに感じました。
もちろん日本国内でも多数の支援活動がおこなわれました。大勢のボランティアが被災地に赴き、直接行けない人は寄附をおこないました。巨額な寄附をおこなった著名人も少なくなく、今後得ることになる生涯の収入を全額寄附することまで約束した大企業の社長も登場しました。
私個人の周りにおこったことは、まず世界中から「お前は大丈夫か」というメールが届きました。その都度私は、大阪は東北地方から随分離れている、という説明をしなければなりませんでしたが、彼(女)らは、東北の被害というより「日本が大変なことになった」と感じたようです。クリニックでは震災の翌日から募金箱を置き、これは現在も続けています。しかし現時点でも私は直接被災地を訪問しておらず、寄附をするだけでいいのか、という葛藤は今もあり、これからも考えていくことになるでしょう。
世界中から日本の被災者の力になりたい、という声が寄せられて、それに感動し、そして我々日本人も被災者のためにできることを考えました。そして、小さな金額であったとしても寄附をおこなうことや、数日間という短い期間でも現地に訪れ被災者を支援することで我々は「支援の精神」というものに触れることになりました。
3月11日以降ずっと私はこのことについて考えてきました。世界中の人たちからメッセージが届けられたことに感動したのはなぜなのか。思えばこれまで日本人がこれほど世界から慈悲の目を向けられることはなかったのではないでしょうか。私自身が被災したわけではないのにもかかわらず世界から届けられるメッセージにこれほど感動するということが私にはある意味「意外」でした。そして、国内では多くの日本人がときには仕事を休職してでも被災地にボランティアをしに行っていることに深い感銘を覚えました。また、日頃お金がないと嘆いている人たちも精一杯の寄附をおこなっていることを知りました。こういったことにこれほどまで深い感銘を受けるのはなぜなのでしょうか。
おそらくこれは「支援の精神」を感じることが人間の心の琴線に触れるからではないでしょうか。言い換えると、見返りを求めず純粋に困っている人を助けること、支援すること、力になることが、人間の本能であり真実であることを改めて認識できたがために感動を覚えるのではないでしょうか。
残念なことに、地震が発生してから約9ヶ月がたち、美談の対極に位置づけられるようなエピソードも次第に増えてきました。例えば、被災地での窃盗やレイプをちらほら耳にするようになりましたし、全国で違法薬物約1億9千万円を売り上げ最近逮捕された密売グループの主犯は宮城県の被災者だそうです。最近は、少しでも時間をみつけてボランティアに行こう、という世間の空気は少し減ってきたように感じられますし、寄附金も以前ほどは集まっていないようです。(太融寺町谷口医院の募金箱は3月以降毎月月末で〆て日赤に寄附していますが、月ごとに額が減ってきています)
私が言わなくても大勢の人が感じていることですが、被災地が復興し被災者が元気を取り戻すのにはまだまだ時間がかかります。ですから、我々は来年になっても再来年になっても我々のできることを考えていかなければなりません。「いかなければならない」という表現をとると面倒な義務のような印象を受けてしまいますが、決してそうではありません。
支援すること、貢献すること、助け合うことは、人類にとって古今東西に存在する普遍の原理原則です。その原理原則が真実であることを東日本大震災が再認識させてくれたのではないか。今、私はそのように考えています。
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