マンスリーレポート
2024年11月 自分が幸せかどうか気にすれば不幸になる
1年ぶりにマンスリーレポートで「幸せ」を取り上げましょう。改めてこのサイトを振り返ってみると、私は「幸せ」をテーマにいくつものコラムを書いています。自分自身でも「幸せとは何か」がよく分かっていないから取り上げる機会が多くなるのでしょうが、それはたぶん私だけではなく世界の多くの人たちも同じではないでしょうか。何しろ「幸せ」は哲学の根源的なテーマなのですから。
これまで私が「幸せ」について書いたコラムを振り返ってみると、私自身はがむしゃらに働いたり金銭を稼いだりすることを求めていないことが分かります。一番分かりやすいのはおそらく2017年のコラム「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」だと思います。この中で取り上げた「タイの農夫と日本のビジネスマン」の逸話、私はタイで知り合ったある日本人に教えてもらったのですが、初めて聞いたときからとても気に入り、今でもときどき思い出しています。そして、金儲け主義の人たちを冷めた目でみています。
ところが、経済界ではこのような考えは人気がなく、2023年のコラム「『幸せはお金で買える』という衝撃の結末」で紹介したように、「幸せはお金で買える」という説がまかりとおっています。上述の2017年のコラムで紹介したように、元々はノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマンは「年収が75,000ドル(当時のレートで約900万円)を超えると、それ以上収入が増えても『感情的な幸福』は変わらない」と主張していました。
そこに異論を唱えたのが経済学者のマシュー・キリングスワースで、2021年のコラム「幸せに必要なのはお金、それとも愛?」でも紹介したように、「年収75,000ドルを超えたとしても幸せは収入に連れて上昇する」という、まるでカーネマンを挑発するかのようなタイトルの論文を発表し物議を醸しました。
そして、2023年のコラムで述べたように、カーネマンとキリングワースの2人は共同で「幸せ」を検討し直した結果、キリングワースの主張が正しかったという結論が導かれ、「お金はあればあるほど幸せ」というのが世界の経済界と定説となってしまったのです。しかも、一定の収入で幸せを感じ、それ以上収入が増えても幸せ度が上がらない人は「精神疾患を患っている変わり者」だとされたのです。
「『幸せ度』は年齢でかわってくる」という研究は2023年のコラム「幸せになりたければ自尊心を捨てればよい」で紹介しました。このコラムでは、世界では「最も不幸せな年齢は48.3歳でそれ以降は幸せに向かっていく」のだけれど、「日本人は例外で、年をとればとるほど不幸になる」ことを内閣府が発表していることを紹介しました。
ここまでをまとめると、「幸せがどのようなものかには個人差があるが、まともな人であれば収入が増えれば増えるほど幸せ度は増す。年齢でみれば、日本以外の世界では若い頃から中年にかけて低下して48.3歳で底を打ち、その後は右肩上がりに幸せ度が増していく。しかし、日本人だけは例外で、48.3歳以降もどんどん不幸になっていく」、となります。
今回は幸せについての新たな研究を紹介しましょう。結論は「自身が幸せかどうかを気にし過ぎない方がいい」となります。論文は米国心理学会(American Psychological Association)が今年発行した医学誌に掲載された「幸福の追求を紐解く: 幸福について考えるだけで、幸福を目指さなければ、否定的な感情に支配され、幸せは訪れない(Unpacking the pursuit of happiness: Being concerned about happiness but not aspiring to happiness is linked with negative meta-emotions and worse well-being.)」です。
ややこしくて分かりにくいタイトルですが、本文を読めば言わんとしていることが伝わってきます。著者によると「幸せを目指すこと(aspiring)自体には問題がない」ようです。ところが、「幸せを気にすると(being concern)、人は自分の幸福度を判断(judge)するようになり、無意識的に、本来ならポジティブな出来事をネガティブに捉えるようになり、その結果、幸せが妨げられる」と言います。
これではまだ分かりにくいので、次にこの論文を解説したカリフォルニア大学(University of California)のサイトに掲載された分かりやすいコラム「幸せについて心配するのはやめましょう(Stop worrying about being happy)」から核心となる部分を引用してみましょう。
・幸せについて心配しすぎると、実際には幸せを感じにくくなり、さらにメンタルが落ちる可能性がある
・「幸せになりたいという願望」と、「自分の幸せのレベルを気にする」という側面は分けて考える必要がある。「幸せになりたいという願望」は持っていていい。しかし、「自分の幸せのレベルを気にする」は、人生の満足度の低下や抑うつ症状の悪化など、幸福度の低下と大きく関連している
・幸せになるためのコツは、ポジティブな経験をしたときに「それ以上の幸福を感じることはないかもしれない」と受け入れること。また、ポジティブな経験をした時に「完璧ではない側面」に執着すれば、結果としてはそのポジティブな経験を台無しにしてしまう
・そもそも、幸せを感じる瞬間はあったとしてもごくわずかであり、その瞬間に自覚した幸せの感情を受け入れることで、その経験に余計な否定的感情を加えずに前進することができる
・精神的に健康な状態を維持するために、「否定的感情を自覚することは誰にでもある自然な反応である」ことを受け入れて、「自分が幸せになれると思うからという理由だけで何かをする」ことを慎んで、「社会的つながりを伴う活動に参加する」のがよい
これでかなり分かりやすくなったと思います。よく考えるとこの論文が言わんとしていることは我々が過去に繰り返しどこかで聞いていたような内容に似ていないでしょうか。例えば、老子の「足るを知る」という言葉はまさにこれらを表していると言えるでしょう。
2010年から2015年にウルグアイの大統領を務めたホセ・ムヒカ氏は在任中も大統領公邸ではなく、郊外の小さなトタン屋根の家で、妻と3本足の犬と暮らしていました。2012年のBBCの取材に対し、ムヒカ氏は次のように答えています。
「貧しい人とは、贅沢な生活を維持するために働き、常にもっともっとと欲しがる人たちです(Poor people are those who only work to try to keep an expensive lifestyle, and always want more and more)」
The New York Timesによると、現在89歳のムヒカ氏は自己免疫疾患に加え食道がんを患っています。同紙の取材に対し、氏は次のようにコメントしています。
「欲求の法則から逃れ、人生の時間を自分の望むことに費やすとき、人は自由になれます。欲しいものが増えれば増えるほど、その欲求を満たすために人生を費やすことになります(You’re free when you escape the law of necessity — when you spend the time of your life on what you desire. If your needs multiply, you spend your life covering those needs)」
老子やムヒカ元大統領の言葉をゆっくりと噛み締めると、爽快な幸福感に身を包まれるような感覚になるのは私だけでしょうか。「スマホを捨てよ」とまでは言いませんが(ちなみにムヒカ氏は4年前に携帯電話を捨てたそうです)、自慢話と誹謗中傷だらけのSNSに時間を割くのをやめて、ふと手を伸ばせば得ることができる小さな幸せをひとつひとつ味わう……。そんな生活が理想ではないでしょうか。いくら優れた経済学者の主張であろうが、「幸せはお金で買える」に私は同意しません。
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