マンスリーレポート

2005年11月号 2005/11/06

 11月1日です。私、谷口恭は現在チェンマイのPornping Tower Hotelの一室にいます。10月27日からタイに来ていて、バンコク、ロッブリー、チェンマイで用事を済ませ、11月4日に帰国する予定です。用事といっても、エイズ施設を訪問したり、研究の打合せをするだけですが・・・。

 タイに来ると、いつも感動する出来事があるのですが、今回も心が洗われるような素晴らしい体験をしました。今日はそれをお話したいと思います。

 先日、我々(友人二人と私)はバンコクから車でロッブリーに向かっていました。その路上でのことです。

 一般道路の右側(追い越し車線)で、いきなり前の車が左ウインカーを出して理由もなく急停車しました。まさか急停車するなどとは思わなかった我々の車は、とっさに急ブレーキを踏みましたが接触は避けられませんでした。もともとスピードはほとんど出ておらず、車間距離も充分に取っていたために事故といえるような事故ではありませんが、それでも前の車の後ろのバンパーと、我々の車の前のバンパーは損傷を避けられませんでした。

 もちろん、追い越し車線でいきなり急停車した前の方に絶対的な過失があるでしょうから、我々は事故の責任ということにおいては気楽に考えていました。前の車のドライバーは、若い女性でいかにも免許を取ったばかり、という感じで、我々に何度も何度も謝ってきました。

 事故の現場は、その前の車の販売店の目の前で、ちょうど新車を買ったばかりの彼女が、路上に出たところ、いきなり急停車し、その結果事故を起こしたということが間もなく分かりました。(ちなみにタイの運転免許証を取得するにはペーパー試験だけで、実技は要らないそうです。)

 彼女は免許証を取ったばかり、車を買ったばかりのドライバーで、その彼女が理由もなく急停車したわけですから、彼女の自動車保険を使ってすべて解決、我々は日本的な感覚でそのように考えていました。

 ところが、です。タイの自動車事故では、追突事故の場合は、いかなる場合でも常に後ろの車が全責任を取るという慣習があるそうなのです。事故現場には、その車の販売店以外には何もないような田舎ですから、我々はその販売店のなかで、販売店のスタッフや保険会社と交渉することになりました。

 我々としては、こちらには一切の過失がなく相手の保険ですべてを解決すべきだと考えました。けれども、周囲はもちろん全員タイ人、しかも販売店は、当事者のドライバーが新車を買ったところなのです。交渉するという意味で、これほど不利な状況もないでしょう。

 しかし、我々としても、「こちらにすべての責任があります」などといった書類に簡単にサインをするわけにはいきません。結局、我々の保険会社の指示で、最終的にはそのサインをすることになったのですが、事故を起こしたのが午前11時、最終的に書類にサインすることになったのは午後4時半です。

 この間、我々は言わば「敵地」での戦い(交渉)を強いられたわけです。販売店の従業員は、「あいつらがサインしたらすべて解決するのに、なんでしないんだろう」とでも、思っていたに違いありません。

 ところが、そんななかでも一部の従業員の方は、我々に常に微笑みを向けてくれていました。(さすがは「微笑みの国タイ!」です。) ひとりの女性は、「敵」であるはずの我々に何度もコーヒーや飲料水を入れてくれるのです。それだけではありません。彼女は、昼食を取っていない我々を気遣い、ラーメンまで作ってくれたのです。「一杯20バーツね!」などと冗談も言いながら・・・。

 そんな優しさに小さな感動を覚えた我々は、その後、さらに深い感動を体験することになります。

 なんと、その女性が、我々の目的地であるロッブリーまで車で送ってくれると言うのです。車を修理に出す必要があるため、足を無くした我々はタクシーを呼んだのですが、そのドライバーの言い値がかなり高いのです(タイの田舎にはメータータクシーはありません)。その値段が高すぎることに同情してくれたその女性は、そのタクシードライバーを帰し、自らが送迎することを申し入れてくれたのです。彼女の自宅もロッブリーにあり、帰り道というわけではありませんが比較的近いところだから気にしないで!(マイペンライ)、と言ってくれたのです。

 これには本当に感動しました。事故を起こした女性が車を買った店の従業員が、言わば交渉の「敵」である、見ず知らずの日本人男性三人を自分の車で目的地まで送ってくれる、と言うのです。

 他に移動手段のなかった我々は、彼女のありがたい申し入れを受けて、ロッブリーのホテルまで送ってもらいました。彼女は、四歳の娘を運転席の横に座らせて(彼女は自分の娘を職場に連れてきていました)、我々に常に笑顔で話しかけ、丁寧に我々を送ってくれました。我々の大量の荷物の出し入れも率先して手伝ってくれました。

 我々は何度も礼を言い彼女の車を見送りました。

 この話はまだ終わりません。

 夕食を食べているときのことです。繁華街の食堂で夕食を摂っていた我々の元に、突然一本の電話が鳴りました。保険会社からで、車のキーを翌朝早くに事故を起こした現場の前の販売店まで持ってこい、と言うのです。

 我々は、本来ならばその日にパバナプ寺(エイズホスピス)を訪問する予定をしていたところに、まったく計算外の事故が起こったわけです。予定を急遽変更し、寺の訪問は翌日することにしていました。それが、早朝に車のキーを持っていくとなると、再び半日はつぶれてしまいます。

 結果、もうこの方法しかない、と考えた我々は、夕方親切にホテルまで送迎してくれた販売店の女性に電話をしてみました。今からタクシーで(その女性の)家までキーを届けるから、翌朝販売店に持っていってほしい、とお願いしたのです。
 すると、彼女の反応は・・・・。

 なんと我々が食事をしている食堂まで、わざわざキーを取りに来てくれるというのです。再び、彼女のありがたい申し入れを受けた我々は彼女を待ちました。しばらくすると、夕方と同じように、ひとり娘を運転席の横に座らせ彼女は車でやってきてくれました。

 そして、我々を再びホテルまで送ってくれたのです。

 異国の人間にここまで親切にしてくれるとは・・・・・。

 タイ人とはなんて暖かいんでしょう。もちろんすべてのタイ人がここまで親切ということはないでしょうが、私は今回のこの出来事を通して、ますますタイという国に魅力を感じるようになりました。何か日本人が過去に置いてきてしまったものが、タイには存在するような気がするのです。
 
 そんなタイ人の中に、エイズという病のために社会から差別を受けているという人がいる現実・・・。

 HIV/AIDSに対してこれからも、日本だけでなく世界に目を向けて行きたい、そう強く感じるタイ旅行です。

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