マンスリーレポート
2022年8月 元首相暗殺犯の”完全勝利”
安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也は今、どんな心境なのでしょう。
拘置所のなかでメディアの報道を見聞きすることはできないでしょうから、自身が世界でどのように報じられているかについては分からないでしょう。しかし、自分が成し遂げたことを冷静に考えれば、自身を否定的に論じる意見だけでなく、英雄視する声もあることを想像しているに違いありません。
自身が逮捕された時の写真が世界中のメディアで掲載され、ネットで拡散され世界の人々に自分の存在が広く知れ渡っている様子を思い浮かべていることでしょう。山上の価値観から判定すれば、成し遂げたことは「完全勝利」と言えます。そして、おそらく自身が予想したよりも”成功”しています。
日本の全国紙や週刊誌は、事件から1ヶ月以上が経過した今も、ほぼ毎号この事件について何らかのかたちで取り上げ、山上が恨みを抱いていた宗教団体と政治家との癒着が次々にスクープされ、さらには他の宗教と政治家とのつながりがクローズアップされています。
海外メディアは統一教会(現・世界平和統一家庭連合。本稿では人口に膾炙している「統一教会」とする)の各国での活動や被害者の声を取り上げ、元信者にインタビューを重ね、統一教会へのバッシングが世界中で巻き起こっています。おそらく霊感商法などの被害者への返金をせよ、という社会の声が強くなり、統一教会の活動は縮小されることになるでしょう。山上にとっては、「これ以上の成功はない」というくらいの成功ではないでしょうか。
一般的な日本人は山上のことをどのようにみているのでしょか。動機がどのようなものであれ、右寄りの思想家の安倍元首相を殺害したわけですから、一部の左翼系の思想家・活動家からは歓迎されていることでしょう。中国、韓国、北朝鮮の民族主義的な思想をもつ民衆からは英雄視扱いされているに違いありません。
では、イデオロギーの視点からではなく、ひとりの日本人が元首相を殺害したということに対して一般の世論はどうなのでしょうか。意外なことに、イデオロギーを抜きにしても山上を支持する声が小さくありません。
オンライン署名サイトのChang.orgに、7月中旬、ひとりの有志が「山上徹也容疑者の減刑を求める署名」を立ち上げました。これを書いている8月7日現在、すでに5,600人以上の署名が集まっています。
このオンライン署名を立ち上げた人は、山上を減刑すべき2つの理由として「過酷な生育歴を鑑みての温情」と「本人が非常に真面目、努力家であり、更生の余地のある人間である事」を挙げています。人がどのような考えを持とうが自由ですが、私はこの2つの理由にはまったく同意できません。「過酷な成育歴」があれば人を殺しても減刑されるという理屈には納得できませんし、「真面目、努力家」が減刑されるなら「不真面目、非努力家」が差別されることになります。
しかし、短期間ですでに5千人以上の署名が集まっていることを山上が知れば、支持する理由はともかく(この2つの理由以外の理由で減刑を望む者もいるでしょう)ほくそ笑むことになるでしょう。
山上が”完全勝利”したといえる理由は大勢の支持者が国内外にいるからだけではありません。父と兄がすでに自殺しており、統一教会に洗脳され、もはや家族とは呼べなくなった母を除けば家族がいないことが大きいのです(注)。つまり、このような事件を犯しても”身内”が社会から追いつめられることはありません。
この点が他の無差別事件と異なるところです。例えば、7月26日に死刑が執行された「秋葉原通り魔事件」の加藤智大は、事件や自身の生い立ちや環境の情報が大きく報道され、一部の人たちからは”神”と崇められていましたが、残された両親と弟は悲惨な経緯をたどっています。
弟はどこに就職しても”弟”であることがそのうちに発覚してしまい、報道によれば、一時は婚約していたパートナーからも、「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」と罵られ、そして自死を選びました。取材を受けていた記者に「死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」と訴えたそうです。加藤の両親も、事件の後、世間から身を隠すように暮らしていると聞きます。
加藤に対しては「残された家族のことを考えなかったのか?」という非難の声があるでしょうが、山上の場合にはそのような声が上がる前提としての絆がないのです。まさに「失うものは何もない(Nothing To Lose)」状態だったのです。
山上は死刑を覚悟で暗殺を遂行した可能性がありますが、もしもこれだけ世間から”好意的に”見られていることを知れば「死にたくない」と考え直すようになるかもしれません。死刑を免れても娑婆に出られることは当分ないわけですが、それでも塀の中でいくらかの自分に関する報道を読むことができ、希望者(いくらでもいるでしょう)と面会することができ、加藤のように本を出版することもできます(加藤は合計4冊の本を出版しました)。本が出版されれば、その英訳もつくられるでしょう。さらに多言語で出版され、世界中で読まれることになるかもしれません。
犯行の方法は「自家製の銃」ですから、ストーリー性もかなり高いと言えます。何年か後には映画にもなるかもしれません。日本最長就任期間を誇る元首相を手製の銃で暗殺し、その目的が世界にはびこる巨大な宗教組織の悪を暴くことだったわけです。ハリウッドが取り上げてもおかしくありません。山上は日本史のみならず世界史にも名を残すことになるでしょう。
と、ここまで書くと私自身が山上を絶賛しているかのようです。考えなければならないのは、「なぜ山上がこのような犯行に至ったのか」、そして「同じような犯行を未然に防ぐには我々は何をすべきなのか」でした。
この事件から改めて浮き彫りになったのは、「人間は失うものが何もない状態になれば恨みをもつ者を殺害することへの抵抗がなくなる」という真理です。では、この事件を未然に防ぐ方法はあったのでしょうか。
それがあるとするならば「人とのつながり」を置いて他にはないでしょう。もしも、山上の兄が自殺をせずに生きていれば……、山上に恋愛のパートナーがいれば……、中高の同級生が連絡をとっていれば……、職場に気の置けない同僚がいれば……、山上は事件を企てたでしょうか。「あなたが(お前が・先輩が)そんなことをすれば私が(俺が・僕が)悲しい!」と言える者がひとりでもいれば、山上は犯行に及ばなかった可能性があるのではないでしょうか。
もしも山上のように、人との「つながり」がない孤独な者がいて、その者が恨みを抱く対象がいたとすれば、同様の事件が起こり得ます。そして、安倍元首相がそうであったように、悪意がなくても他人から恨みを買うことはあります。ならば事件を防ぐには、人との「つながり」を築くことで孤独な者を救うしかありません。
では、どのようにして「つながり」を持たない孤独な人を探せばいいのでしょうか。私自身は以前から引きこもっている患者さんや精神症状を訴える患者さん(男女ともに)に、「何でも話せる人はいますか?」と尋ねるようにしています。「いません」と言われることも少なくありません。そのようなとき、そんなに簡単な話ではありませんが、一緒に解決策を考えるようにしています。
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注:本コラムの脱稿後、山上には妹がいることを週刊誌の報道から知りました。妹はこれから身元を隠して生きていかねばならなくなるでしょう。ということは山上の”完全勝利”とは言えないかもしれません。
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