マンスリーレポート
2021年8月 「絶対悪」の基準は「ずるい行為」か否か
いつ、どこで、誰から聞いたのか、あるいは何かに書かれていたものを読んだのか、そのあたりの記憶がはっきりしないのですが、私には「人を裁いてはいけない」という言葉が20代の頃からずっと頭の片隅にあります。たしか、このような言葉は聖書にもあったはずですから、関西学院大学時代にキリスト教学の授業で聞いたのかもしれませんが、はっきりとした記憶はありません。
「人を裁いてはいけない」というこの言葉がなぜ私の頭から離れないのか。おそらく「人を裁くのはみっともないことだけれど、えてしてやってしまう可能性がある」という恐怖が私の心にあるからだと思います。
「人を裁く」という行為が実に恥ずかしく醜い行為にうつることがあります。「人間は平等だ」「人の上に人をつくらず」といったきれいごとを言いたいわけではありません。自分の価値観のみを信じ他人の意見を聞き入れない行為や、正義感に酔いしれた独りよがりの行動に遭遇したときには、思わず目を伏せたくなります。
新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)の関連で言えば、私は「マスク警察」を気取る人が愚かに思えます。「自粛警察」も自らの正義感に酔った人たちのやることだと冷めた目でみていますが、私の感覚で言えば「マスク警察」の方がみっともないのです。
なぜでしょうか。私自身は実際に「マスク警察」をしている人たちを直接見たことがないのですが、目撃者の話によると、どうも弱々しい若者や女性がマスクをしていないときに近づいていって上から目線で注意をするのが実態のようです。一方、例えば100kgを超える巨体の西洋人や黒人がマスクをしていなくても何も言わないそうです。要するに、マスク警察というのは単なる「弱い者いじめ」なわけです。
もうひとつ例を挙げましょう。「子供の教育に悪いから」という言葉を金科玉条のように掲げて、性を取り上げたテレビ番組に抗議をしたり、アダルト本を置いているコンビニに苦情を言ったりする人たちがいます。しかし、そういったテレビ番組やアダルト本は本当に子供の教育に悪いものなのでしょうか。悪いものだったとしても、子供にも自分で考える頭と行動力がありますから、そういった情報を入手しようと思えばいくらでも手に入れることができるわけです。抗議をしたり苦情を言ったりする本当の理由は、子供のことを思っているのではなく、本人が不快に思っているからに他なりません。
要するに、マスク警察は「自分の考え(マスクは全員がすべき)と異なることをやっている他人が憎いから」、アダルト番組や書籍に苦情を言う人は「そのようなものが視界に入るのが苦痛だから」正義や正論を振りかざして他人を攻撃しているだけではないのか、と私には思えるのです。しかも、弱々しい若年者や女性、テレビ局や店舗(コンビニ)など、絶対に反撃を加えてこない対象を攻撃しているのです。
さて、ここまでの私の文章を読まれて何か矛盾を感じられたでしょうか。そう、「人を裁くなと言っているお前が人を裁いているではないか」という矛盾です。では、私自身は自分の行動を棚に上げて、自分本位な理屈で好きなことを言っているだけ、つまり「同じ穴のムジナ」なのでしょうか。
この問題を検討するために、次の場面を考えてみましょう。
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小学生のA君が、B君とC君にいじめられている。そこにD君が通りかかった。D君は弱い者いじめをしているB君とC君が許せないと考えて、B君とC君に殴り掛かってやっつけた。そしてA君を助けた。
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この状況で、「D君はA君を助けたいという自分勝手な欲望でB君とC君を裁いた」と考えてD君を非難する人はいないでしょう。
では、D君の行動とマスク警察やアダルトを非難する人たちの違いはどこにあるのでしょうか。まず私が用意したい答えは「その欲望は<絶対悪>に対抗するものか」を基準にするというものです。
A君をいじめているB君とC君の行動は「絶対悪」です。マスクをしていない弱々しい若者や女性に詰め寄る行為も「絶対悪」です(私はそう思います)。「子供の教育に悪い」を言い訳にアダルト情報の苦情を言うのも「絶対悪」です(私はそう思います。理由は後述します)。
ですが「絶対悪」などというものは簡単に定義できるわけではありません。いじめが絶対悪であることには同意が得られるでしょうが、マスク警察やアダルト情報の抗議を「絶対悪」と言えば違和感を覚える人の方がずっと多いでしょう。
実はそこがポイントで、だからこそ、「絶対悪」の”認定”には慎重にならねばならないのです。自分と異なる意見を持っている人がいたとすれば、自身の価値観でその人を裁くのではなく、その人は「絶対悪」と呼べるほどの間違った主張をしているのかを見極めなければなりません。絶対悪を簡単に”認定”してしまえば、歪んだ正論や正義が生まれてしまいます。戦争はその最たるものでしょう。
コロナワクチン肯定派の人は、反対派の意見を聞くとき、その反対の根拠が「絶対悪」と呼べるようなものかを吟味しなければなりません。反対派の人も同様です。こういう視点を常に持つようにすれば、そう簡単には自分と異なる意見の人のすべてを否定できなくなるはずです。
私自身も、もしもマスク警察の人たちが、巨体の外国人や暴力団の人たちに「マスクを着けてください」と詰め寄るならむしろ応援したいと思いますし、アダルト情報に反対する人も「子供の教育に悪い」などと言わずに、「子供ではなく私が不快だから控えてください」という抗議の仕方をするのであれば支援するかもしれません。
ここまでくれば理解いただけるかと思いますが、私自身が「絶対悪」と考える基準はそれが「ずるい行為」かどうかです。いじめはもちろん、強い者には何も言えないくせに弱者にだけマスクをしろ!と強制する行為は「ずるい行為」です。「子供の教育に…」を盾にして自分の欲求を正当化するのも「ずるい行為」です。
20代の頃から私の心のなかにある「人を裁いてはいけない」についてずっと考えてきました。この命題を文字通り実践するなら、極悪人を目の前にしても何も言えず何もできなくなってしまいます。ですが、「善」「悪」「正義」などは簡単に判断することはできません。どの立場に立つかによっても異なります。しかし、「ずるい行為」なら判別は比較的容易です。もちろん、厳密に決めることはできず人によって判断がずれることもあるでしょうが、私自身にとっては「ずるい行為」を基準に考えるとたいていのことがすっきりします。
私が連載している日経メディカルのコラムで、2回連続で医師を非難しました。最初の回はわいせつ医師に対して、後の回では金儲けを企んだ悪徳医師を糾弾しました。医師が医師を非難するのはタブーという考えが根強いのですが、私がこういった医師について書くことを決めた最大の理由は、「ずるい医者を許してはいけない」という気持ちがあるからです。
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