マンスリーレポート

2014年10月号 「社会人ナース」という選択

 医学部受験を考えているんですけど・・・、という相談が私のもとにしばしば寄せられます。これは私自身が一般の大学を卒業し一般のサラリーマン生活を経た後に医学部に入学していること、そして医学部受験の本を上梓したことがあるからです。

 私のように別の大学を卒業してから医学部を受験することは一般に「再受験」と呼ばれています。私が最初に上肢した本のタイトルは『偏差値40からの医学部再受験』です。実は、出版社と本のタイトルを決めるときに当初私はこのタイトルに反対でした。その理由は、「再受験」という言葉に違和感があったことと、私自身は『あなたも医学部を目指しませんか』というタイトルにしたかったからです。しかし編集者の意見は『あなたも・・・』ではインパクトが弱すぎるし、「再受験」という言葉は充分に認知されている、というものでした。

 結局、編集者の意見に従うことにして自分の本に「再受験」という言葉を入れたのですが、私は今でもこの言葉に馴染めません。それに、私は「再受験」を考えている人だけを応援したいのではなく、現役生で勉強のスランプに陥っている人も、社会人の経験はなく医学部を何度も受験している人も、高卒で働いていて医学部受験を考えている人も、同じように応援したい、と考えています。

 いったん大学を卒業してから、あるいはいったん会社員の経験をしてから医学の道を志すのは医師だけではなく、看護師を目指す人たちも少なくありません。しかし、別の大学を卒業しているとか、社会人の経験があるとかいった人が看護学校を受験するときにはなぜか「再受験」という言葉はあまり使いません。その代わりに、このような経験がある看護師のことを「社会人ナース」と呼ぶそうです。例えば、『日経メディカル』オンライン版では2014年9月に「社会人ナース」という言葉を使って特集記事を載せています。

 一般の会社員の経験のある医師を「社会人医師」とは呼びませんし、そもそもナース(看護師)も社会人ですから「社会人ナース」などという言葉に私は違和感があるのですが、この言葉もすでに確立されているなら従うしかありません。

 もっとも、私は言葉の定義にこだわっているわけではなく、今回のコラムの主題はここからです。社会人ナースが増加しており、看護学校のなかには社会人枠を設けているところも増えてきているようで、先に挙げた『日経メディカル』によれば、なんと定員の50%が社会人枠の看護学校もあるそうです。

 私が日頃診ている患者さんのなかにも、「先生、あたし、看護学校を受験することにしました」と報告してくれる人がいます。私が再受験で医学部に入学したことを元々知っていて、元々看護師になることに興味があって、ついに決心したから報告に来た、という人もいれば、太融寺町谷口医院の看護師の仕事ぶりをみていて看護師という仕事に興味がでてきた、という人もいます。すでに看護学校を卒業して看護師として第一線でがんばっている太融寺町谷口医院の(元)患者さんも増えてきています。

 看護学校受験を考えているんですけど・・・、という相談をメールで受けることもときどきあります。彼女らの最大の悩みは、年齢がハンディキャップにならないか、ということです。そしてこの「年齢のハンディキャップ」の悩みを細かく分類すると、①入学後の勉強についていけるか、②高卒で入ってくる若い子たちと良好な人間関係がつくれるか、③実際に仕事に出たときに年下の先輩と上手くやっていけるか、④患者さんから受け入れられるか、くらいになります。

 年齢以外の悩みで多いのが、看護学校に合格できる学力がない、周囲の理解が得られない、不器用だけど大丈夫か、血をみることに抵抗がある、入学までにどれくらい貯金が必要か、などです。これらはいずれも本人にとっては深刻な悩みだとは思いますが、今回は「年齢のハンディキャップ」に絞って述べていきたいと思います。

 まず上記④の、患者さんから受け入れられるか、という点についてはまったく問題ありません。私は医師になってから社会人の経験があるということで随分と”得”をしました。まず単純に年をとっていますから(私が研修医1年目のとき33歳でした)、医師としての貫禄があるわけではありませんが、患者さんからも他の医療スタッフからも、それなりの「社会人」とみなされました。

 一方、24~25歳の若い研修医だとなめられたりすることもあるわけです。もちろん私も患者さんに挨拶するときは「研修医です」と話していましたが、たいがいは話の流れから「医学部に入る前は社会人をしていました」という会話になります。私の経験上、このことを否定的にとらえる患者さんは皆無でした。むしろ、現役や一浪で医学部に入学した研修医よりもアドバンテージがあったといっても過言ではないと思います。

 次に、①の、勉強についていけるか、ですが、これも問題ありません。ただし、看護学校に入学すれば、おそらくこれまでに体験したことのないくらいの勉強を強いられます。睡眠時間も短くなるでしょうし、アルバイトが必要な人は自由時間がほとんどなくなるかもしれません。子育てをしている人はさらに大変です。しかし、です。”たかが”学校の勉強です。社会人の経験のある人、主婦の経験がある人、子育ての経験のある人からすれば、学校の勉強よりも遙かに大変なことをこれまでさんざん経験しているはずです。その苦労を考えればたかが学校の勉強など取るに足りません。少なくとも高卒後すぐに入学した若い人たちにできることができないはずがないのです。

 ②の、若い同級生との関係、については、勉強にも実習にも、そして生きるということにも熱心な元社会人の看護学生は同級生から尊敬の眼差しを受けることになります。私の知る範囲でいえば、元社会人の看護学生は講義では前の方の席に座り、講師への質問も積極的におこない、実習ではリーダーシップを発揮します。そのような学生は他の(若い)学生から尊敬されることはあっても嫌われることはありません。たとえ何らかの理由で一時的に嫌われるようなことがあったとしても、「人」として、そして「社会人」として正しいことをしていればそのうち再び周囲に人が集まってきます。

 ③の、職場での人間関係、特に年下の先輩との関係はどうでしょうか。医師の世界ではこれらは問題にならないのですが(私にも年下の先輩医師は大勢いますが、人間関係で悩んだことはほとんどありません)、看護師の世界は少し複雑であるという話をときどき聞きます。

 先に紹介した『日経メディカル』の記事にもそれについて触れられており、せっかく社会人を経て看護師になったというのに、彼女らの「早期離職」が問題になっているそうです。ある病院の看護教育担当者によれば、「価値観が違う」「合わない」などの理由で辞めていく社会人ナースが少なくないそうです。私の経験でいえば、「価値観が違う」などの理由で辞めていくのは高卒で看護学校に入った若い看護師にむしろ多いのですが、大病院の教育担当者がコメントするくらいですから社会人ナースのなかにも少なくないのでしょう。

 しかしながら、「価値観が違う」などの理由で辞めてしまった社会人ナースも、これから社会人ナースを目指そうとしている人もまったく心配することはありません。看護師を含む医療者の醍醐味は「求められている場所はいくらでもある」ということ、そして「自分の信念を曲げることなくミッションに従事できる」ということです。

「求められている場所はいくらでもある」というのは、単に日本の看護師は慢性的な人手不足である、ということだけではありません。世界に目を向けるとまともな医療を受けることのできない人たちが大勢います。そのようなところで働いても給料はもらえませんが、看護師の知識と技術、経験があれば、生涯にわたり他人に貢献することができるのです。このことだけでも看護師がどれだけ素敵な職業かということが分かるでしょう。

「自分の信念を曲げることなくミッションに従事できる」というのは、看護師のミッションが明確であるということです。患者さんの命を救い健康に貢献する、というのが世界共通の看護師のミッションです。例えば、もしもあなたがA社に勤務しておりXという製品を担当していたとしましょう。それを顧客に販売するときに、どうしてもXを売らなければならない理由はあるでしょうか。その顧客にとってはB社製のYの方がいいかもしれないですし、そもそもXもYも必要ないものかもしれません。一方、医療者が患者さんの命を救い健康に貢献すべきというのは自明なわけです。

 文化や宗教が異なっても、命を救い健康に貢献する、という医療者のミッションは変わりません。もしもあなたの勤務先が不幸なことに金儲け主義の病院であったとすれば(実際にはマスコミなどが言うような金儲けを考えている医療機関はめったにありませんが)、さっさとそこを退職してまともな医療機関に転職すればいいだけの話です。あるいはどうしても人間関係に馴染めなければ、運が悪く縁がなかった、と考えて次を探せばいいのです。

 私が医師になってから、医療の世界と一般の会社とは違う、と感じることのひとつに「職員が退職するときの寂しさがあまりない」というものがあります。同じ医療機関で働く医師や看護師が退職するとき、もうしばらく会えない、あるいは一生会えないかもしれない、と思うと寂しい気持ちがないわけではありませんが、「同じミッションを持つ有志だからいずれどこかでまた一緒に社会貢献ができるかもしれない」という感覚があるのです。

 これは私が院長をつとめる太融寺町谷口医院でも同じです。一抹の寂しさがないわけではありませんが、長く働いた看護師が念願のやりたい仕事やボランティア、NGO活動などに専念するために退職するとき、院長の私の立場からすると「卒業生を送り出す」ような感覚になります。一般の企業であれば退職は「裏切り」と見なされることもあるでしょうが、医療機関では裏切りではなく「卒業」になるのです。

 年齢のハンディキャップなどほとんどなく、たとえ多少のハンディがあったとしても看護師の仕事の醍醐味を考えれば取るに足らないものである、ということを社会人ナースを目指している人に知ってもらいたいと思います。

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