メディカルエッセイ
第114回(2012年7月) 糖質制限食の行方
最近の医学界で最もホットな話題のひとつが「糖質制限食」の是非です。危険性を指摘する声も根強くあるものの、推奨する医師が次第に増えてきており、マスコミなどでも取り上げられる機会が増えてきました。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の患者さんからも質問を受けることが日に日に増えています。
権威ある糖尿病関連の学会でも次第に糖質制限食を支持するような流れにあります。医学誌『Diabetes Care』2012年2月号に掲載された論文(注1)では、過去10年間に糖質制限食について研究された論文を系統的に検証しており、その結論は、おおまかにいえば「糖質制限食の有効性を以前よりも認める」というものです。
2012年5月18日、横浜で開催された第55回日本糖尿病学会年次学術集会では、「糖質制限食は糖尿病の食事の選択肢のひとつとなりうる」というコンセンサスが得られました。これまで日本糖尿病学会では従来のカロリー制限食しか認めていなかったわけですから、これは画期的なことと言えます。
糖質制限を推薦する医師が着実に増えているのは間違いありませんし、これからますます糖質制限を始める患者さんが増えるのも確実でしょう。いえ、患者さんだけではなく、健康な人のなかにも取り組みたいと考える人が増えていくに違いありません。糖質制限は糖尿病の治療の有効性が指摘されているだけではなく、ダイエットにも大変有効であるとされているからです。
糖質制限は、ご飯、パン、麺類などの摂取を大きく制限されますから決して簡単ではありません。しかし最近は、糖質制限用のケーキやパン、お好み焼きなども登場してきていますから、以前に比べると少しはおこないやすくなっています。麺類が大好物という人は少なくないでしょうが、糖質制限食用にこんにゃくでできた焼きそば、ラーメン、パスタなども普及してきています。このような「糖質制限の○○○」というのは今後急速なスピードでラインナップが増えて味も向上してくるに違いありません。
けれども、では、世の中に存在するパンや麺類、お菓子の類がすべて糖質制限を考慮したものに変わっていくかと言えば、その可能性はないことはないでしょうが、少なくとも向こう数十年は起こらないでしょう。糖質制限食がどこまでの味を出せるか、にもよりますが、やはり純粋なご飯やパン、パスタにはかなわないでしょうし、果物がジュースも含めてNG、というのは相当きついと感じる人は少なくありません。実際、谷口医院に糖尿病でかかっている患者さんに聞いても、「糖質制限は試してみたけど無理だった・・・」という声は少なくありません。
ところで、谷口医院の糖尿病の患者さんは「優秀」な人が多いという印象を私は持っています。何が「優秀」かと言うと、食事療法・運動療法のみで大きく改善する人が少なくないからです。
私の勤務医時代に診てきた糖尿病の患者さんは、もちろんなかには食事療法をがんばっている人もいましたが、努力の効果が出ずにどんどん悪化していき、薬の量が増えていき、そのうちインスリンを使わざるを得なくなり・・・、というケースが多くあり、「糖尿病を生活習慣の見直しだけで改善するのはかなり困難なんだ」という印象が私にはありました。
ところが、谷口医院を始めてから私が診るようになった患者さんは、ガイドラインに従うなら直ちにインスリンを導入しなければならないような状態、例えばHbA1Cが10%を超えているような人でも、数ヶ月の内服薬のみでほぼ正常値に戻る人が少なくないのです。はじめのうちは、「この患者さんは特別がんばったんだ・・」と感じていたのですが、何人も同じように成功している患者さんをみているうちに、「かなりの努力を要することには変わりないけれど奇跡ではなくやればできるんだ」と思うようになってきました。そして、そういった患者さんたちの話を聞くと、ほとんどは糖質制限ではなくカロリー制限で成功しています。
私自身は糖質制限を否定しているわけではありませんが、現時点では2つの理由から「何が何でも糖質制限」という考え方には賛成していません。1つ目の理由は、糖質制限をおこなわずカロリー制限で成功している患者さんを身近にみているから、というもので、もう1つの理由は安全性への疑問を払拭できないから、です。
糖質制限はよほど無理をしない限りは安全で効果的という研究がある一方で、危険性を指摘する研究もあります。最近のものでは、スウェーデンの女性を対象とした大規模研究で、「糖質制限を長期間続けると、心筋梗塞や脳卒中になる危険性が高まる」というもので、ハーバード大学の研究チームが医学誌『British Medical Journal』2012年6月26日号(オンライン版)で発表しています(注2)。
この研究では、1991~1992年の時点でスウェーデンの30~49歳の女性42,396人が対象とされ、その後平均約16年間、心筋梗塞や脳卒中などの発症を追跡調査しています。1,270の発症例について、炭水化物と蛋白質の摂取量によって10段階に分けて分析されています。
その結果、炭水化物の摂取量が1段階減り、蛋白質の摂取量が1段階増えるごとに(つまり、糖質制限をよりしっかりとおこなうごとに)、心筋梗塞・脳卒中それぞれ発症の危険が4%ずつ増えているのです。低炭水化物・高蛋白質のグループ(つまりしっかりと糖質制限をおこなったグループ)では、そうでないグループに比べて危険性が最大1.6倍も高まった、というのです。
現在この論文は世界中で物議をかもしています。糖尿病というのはつきつめて言えば血管の病気です。血管に異常が生じるわけですから脳卒中も心筋梗塞も糖尿病がない人に比べてリスクが上昇します。この研究の結果が普遍的なものであるとするならば、糖質制限(低炭水化物+高蛋白質)を実践して糖尿病にはならなかったとしても、結果として脳卒中や心筋梗塞になりやすくなる、ということになります。
では、どうすればいいのでしょうか。いったい、糖質制限は有効なのでしょうか、そうでないのでしょうか・・・。
現時点では折衷案が最も理に適っていると考えるべきでしょう。つまり、「カロリー過多に気をつけながらできる範囲で糖質制限をおこなう」というものです。そして、糖質は制限ばかり考えるのでなく「その美味しさをしっかりとかみ締めながら食べる」ということを提案したいと思います。
糖質制限が理論的に説得力があるのは、炭水化物や糖類を摂らなければ血糖値は上がらないという事実があるからです。実際、空腹時に白いご飯を食べると一気に血糖値があがり、肥満のリスク、そして糖尿病のリスクになることはこれまでの多くの研究で認められています(下記医療ニュースも参照ください)。ですから、食餌療法に積極的な医療者は白米ではなく玄米をすすめます。しかし玄米は白米ほど美味しくない、と感じる人は少なくありません。
私がよく患者さんに話すのは、「白米をメインディッシュと考えてみてください」というものです。「○○があればメシ何杯でも食える」という言い方がありますが、この発想をまるっきり変えてしまうのです。つまり「少量の白メシを最後に美味しく食べるためにおかずから食べよう」と考えるのです。
もうひとつ、提案したいことがあります。それはファストフードです。ハンバーガー、フライドポテト、コーラという組み合わせは糖質制限を考えたときに最悪なことはすぐにわかりますが、これを裏付ける研究が発表されました。医学誌『Circulation』2012年7月2日(オンライン版)に発表された研究(注3)によれば、週2回のファストフード店の利用で、糖尿病発症リスク、心筋梗塞による死亡のリスクが、それぞれ27%、56%上昇するというのです。週1回でもそれぞれ17%、19%の上昇が認められるそうです。この研究の対象は中国系シンガポール人52,322人です。
ファストフードの危険性はこれまでも指摘されてきましたが、これほどの大規模調査で、しかも対象がアジア人でこの結果ですから、我々日本人も深刻に受け止めるべきでしょう。しかし、ファストフードが美味しい(私の大好物のひとつです)のは事実です。ではどのように考えるべきか、ですが、ファストフードを「月に一度の贅沢ディナー」と捉えることを提案したいと思います。
最後に現時点での効果的な食事療法に関する私の見解をまとめてみたいと思います。ただしこれは、現在糖尿病など生活習慣病に罹患しておらず、糖尿病を予防したい、あるいは太りたくない・やせたい、と感じている健常人で、晩御飯に家族や友達と美味しいものを食べるのが好き、なおかつ炭水化物が好き、という人を対象としています。すでに罹患している人は主治医に相談すべきですし、糖質制限を苦痛に感じない人は対象となりません。
・総摂取カロリーに注意する(男性で2,000~2,200Kcal、女性で1,800~2,000Kcalくらいを上限とする)
・夕食のみを豪華にして、例えば、朝は野菜ジュースとバナナ1本、昼はおにぎり1個などとしてカロリー制限をおこなう。ただし食べるものは腹持ちのいい糖質(バナナもおにぎりも糖質です)でかまわない。
・夕食は好きなものを食べる。朝・昼にカロリー制限している分しっかり食べてもOK。ただし野菜から食べ始め、炭水化物は最後に。
・ファストフードは「贅沢な食事」と認識し、月に1~2回にとどめる。
注1:この論文のタイトルは「Macronutrients, Food Groups, and Eating Patterns in the Management of Diabetes A systematic review of the literature, 2010」で、下記のURLで全文を読むことができます。
http://care.diabetesjournals.org/content/35/2/434.full
注2:この論文のタイトルは「Low carbohydrate-high protein diet and incidence of cardiovascular diseases in Swedish women: prospective cohort study」で、下記のURLで全文を読むことができます。
http://www.bmj.com/content/344/bmj.e4026
注3:この論文のタイトルは「Western-Style Fast Food Intake and Cardiometabolic Risk in an Eastern Country」で、下記のURLで全文を読むことができます。
http://circ.ahajournals.org/content/126/2/182.full?sid=309d67ec-0597-48b8-8be8-686391b53d96
参考:
メディカルエッセイ
第109回(2012年2月) 「糖質制限食はダイエットにどこまで有効か」
第94回(2010年11月) 「水ダイエットは最善のダイエット法になるか」
第93回(2010年10月) 「ダイエットの2大法則」
医療ニュース
2012年4月27日 「白米は糖尿病のリスク」
2010年11月15日 「白いご飯で糖尿病のリスク上昇」
2010年6月20日 「白米→玄米で糖尿病のリスクが低下」
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