2018年6月23日 土曜日

第185回(2018年6月) ウイルス感染への抗菌薬処方をやめさせる方法

 「待ち時間が長い」を除けば、2007年時のオープン以来、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)で最も多いクレームが「希望する診療(検査・薬・点滴など)をやってもらえなかった」です。一方、我々医療者としては、その患者さんにとって有益とならないものや、かえって害を与えるような診療はいくら頼まれてもできません。つまり、患者さんと我々医療者の認識に「差」があるわけで、この「差」をなんとかしてなくせないか、というのが谷口医院オープン以来のテーマでした。

 2010年頃から欧米のウェブサイトや医学誌に「choosing wisely」という言葉がちらほらと目立つようになってきました。直訳すると「賢く選択」となりますが、要するに「ムダな検査や薬をなくそう」という考えです。この概念が普及すれば医療者患者間の「差」がなくなるに違いない…。そうひらめいた私はなんとかしてchoosing wiselyを社会に広めたいと考えました。2015年頃からは、一部の医療者たちの間にも浸透しだしましたが、ほとんどの医師は「まず医師に広めること」を重視していて、一般市民(患者さん)に知ってもらおうと考える私のような医師は少数でした。

 ならば、とりあえず私一人でも何かしようと考え、このサイトでChoosing wiselyについて紹介することにしました。初めて紹介したのは2015年1月ですから、はや3年半ほど経過しました。同時に、医療者(主に医師)に対しても、いくつかの学会や研究会で発表をおこなってきました。

 「Choosing Wisely Japan」という団体が有志の医師たちを中心に作られ、ウェブサイトもあるのですが、一般市民に対しては今一つ普及していないように思えます。トップページの一番新しい「お知らせ」が、2017年9月であることからもそれが伺えます(2018年6月現在)。

 そんななか、私にとっては大変ショッキングな調査が発表されました。2018年6月1日、岡山で開催された第66回日本化学療法学会学術集会で報告された同学会と日本感染症学会の合同調査委員会が実施した抗菌薬処方の調査です。ウイルス性の普通の風邪「感冒」と診断した患者やその家族が抗菌薬を希望した場合、「希望通り処方する」と答えた医師が12.7%、「説明しても納得しなければ処方する」が50.4%で、なんと6割以上が「不要な」抗菌薬を処方していると言うのです。(報道は2018年6月3日の朝日新聞)

 「風邪をひいたから抗生物質をください」と訴える患者さんは非常に多く、なかには抗菌薬の種類を指定してくる人すらいて驚かされます。まるでバーで好みのカクテルを注文するような感じです。ちなみに、多くの患者さんは抗菌薬とは言わず、なぜか「抗生物質」「抗生剤」などと呼びます。抗菌薬を”魔法の薬”のように捉えていて、漢字は抗生剤ではなく「更生剤」または「校正剤」と勘違いしているのでは?と疑いたくなることもあります。

 風邪の定義を「急性の上気道炎症状(咽頭痛、咳、鼻水、痰など)」とすると、風邪の9割以上はウイルス性のもので抗菌薬は無効、というより副作用のリスクを考えるとマイナスです。医療機関を受診するのは中等症から重症の風邪になるわけですが、それでも谷口医院の例で言えば、風邪で受診するケースの8~9割はウイルス感染であり抗菌薬は不要です。また、細菌感染だからといって必ずしも抗菌薬が必要になるわけではなく、比較的軽症の場合は処方しません。

 先に述べた日本化学療法学会で発表された報告は、「ウイルス性の普通の風邪と診断したとき抗菌薬を処方するか」というもので、当然ゼロになっていなければおかしいわけです。これは医師でなくても誰でも同じように答えることになるはずです。なぜならこの質問は「ウイルス性の風邪には抗菌薬は無効です。あなたはウイルス性の風邪に抗菌薬を処方しますか。抗菌薬には多くの副作用のリスクがあり、ときに重症化することもあります」というものだからです。これで処方すると答える人がいれば話を聞いてみたいものです。

 もちろん私の周りにはこのような医師はひとりもいません。ですが、全体の6割以上の医師が処方しているとは…。俄かには信じがたいのですが「理解不能。そんな医師は狂っている」と思考を止めてしまえば何も解決しませんから、なぜこのような医師がいるのか(しかも6割!)を考えてみたいと思います。

 医療者以外の人からよくある指摘に「抗菌薬を処方すれば医療機関が儲かるのでは?」というものがあります。しかしこれはありえません。このサイトで「医療機関は営利団体ではない」という話は繰り返ししていますが、それが信じられないという人も、仕入れ値を聞けば理解できるはずです。薬の差益(薬価-仕入れ値)はほぼゼロです。例えば比較的私がよく処方する抗菌薬サワシリンは1カプセルの薬価が11.3円で仕入れ値は11円ほどです。1錠あたり1円の差益もありません。なかには1錠数百円もする高価な抗菌薬もありますが、それでもせいぜい数円ほどしか差益はないはずです。ただ、たしかに何らかの薬を処方すれば処方代620円(院内処方の場合)、処方箋発行代680円(院外処方の場合)が利益にはなります。しかし、これは抗菌薬でなく他の薬(たとえば痛み止め1錠)でも同じです。(参考:メディカルエッセイ第171回(2017年4月)「こんなにも不便な院外処方」

 不要と分かっている抗菌薬を医師が処方する理由として私が思いつくのは「患者さんから脅される」というものです。脅すとは物騒な…、と感じる人もいるでしょうが、「金払うゆうてるやろ!」とすごんでくる人は実際にいますし、淑女のようなおとなしい雰囲気の女性が「お金はらうのあたしですよね・・・」と穏やかでない雰囲気でつめよってくることもあります。もちろん私は「患者さんの利益にならないものは処方できません!」とつっぱねますが、気の弱い若い医師なら”面倒なこと”を避けるためについつい処方してしまうのかもしれません。 

 こういうシチュエーションで患者さんを怒らせてしまうと「後味の悪さ」が残ります。「議論で打ち勝って爽快!」とはなりません。患者さんはときに大声を出しますから(谷口医院は防音の扉にしていますが)他の患者さんに異様な空気を察知されるかもしれませんし、その直後はこの空気のせいでスタッフどうしの会話もぎこちなくなります。ですが、患者さんの健康のことを考えれば、そういう”面倒なこと”を避けて抗菌薬の不本意な処方をおこなうことは絶対にできないのです。

 患者さんとの「喧嘩別れ」は極力避けなければなりませんが、谷口医院でも年に1例くらいはこういうケースがあります。ただ、「喧嘩別れ」全体で言えば、谷口医院の場合「不要な薬」より「不要な検査」の方がずっと多い傾向にあります。むしろ、抗菌薬については当院を長くかかりつけ医にしている患者さんからは「良かった~。抗菌薬は不要という先生のその言葉を聞くために今日は受診したんですよ」と言われることもありますし、年々こういった患者さんが増えています。

 その理由はいくつかありますが、おそらく最大の理由はグラム染色の像を実際に患者さんに見てもらっているからだと考えています。咽頭の赤いところや喀痰を使ってグラム染色という特殊な検査をおこなうと、細菌と炎症細胞(白血球)を目で確認することができます。これで細菌感染かウイルス感染か、細菌感染ならどういった系統の細菌がどの程度増殖しているかをある程度までなら簡単に知ることができます。

 ですから、谷口医院に見学にくる医学生や研修医にはグラム染色の重要性を力説し、実際に私が患者さんに「抗菌薬不要です」と言っているシーンを見てもらっています。私の任務は「抗菌薬が不要であることをいかに患者さんに分かりやすく伝えるか」を研修医に伝授することだと認識しています。

 冒頭で述べた私のもうひとつの”任務”である「一般の人にchoosing wiselyを広めること」については、3年前のコラムで具体的事例をまとめて公開することを約束しましたが、ほとんどできていませんでした。今も完成しているとは言い難いのですが、ある程度つくったものを現在は公開しています。

 choosing wiselyの一般市民への普及。それは医師としての残りの人生で私がどうしてもやりたいことのひとつなのです。

参考:
メディカルエッセイ第144回(2015年1月)「Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(前編)」
メディカルエッセイ第145回(2015年2月)「Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(中編)」
メディカルエッセイ第146回(2015年3月)「Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(後編)」 
マンスリーレポート2016年11月「Choosing Wiselyが日本を救う!」
マンスリーレポート2016年12月「Choosing Wiselyがドクターハラスメントから身を守る!」
メディカルエッセイ第172回(2017年5月)「医師に尋ねるべき5つの質問」
はやりの病気第160回(2016年12月) 「choosing wiselyで考えるノロウイルス対策」

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2018年6月23日 土曜日

第178回(2018年6月) 「咳止めが効かない」ならどうすればいいのか 

 「長引く咳」は太融寺町谷口医院を受診する患者さんの訴えで最も多いもののひとつであり、ドクターショッピングを繰り返している人も少なくありません。「何種類もの咳止めを使ったけれども効かなくて・・・」と訴える人は大勢います。

 一方、インターネットのヘビーユーザーの中には、どこで情報を仕入れたのか「咳止めは飲んでも意味がないんですよね・・・」と診察室で話す人もいます。たしかに、この情報は1年くらい前からメディアで何度か流れたようで、「咳止めは効かない」は少しずつ人口に膾炙しているような感じがします。

 そこで今回は「咳止め」は本当に効かないのか、民間療法としてもてはやされているハチミツやチキンスープは有効なのか、咳止めが効かないなら何をすればいいのか、といったことについてまとめてみたいと思います。

 およそ1年前から「咳止めは危険」と言われだした発端は(私の見解では)2017年4月20日のFDA(米国食品医薬品局)の発表です。咳止めとしてよく使われるコデインリン酸塩及びジヒドロコデインリン酸塩(長いので以下「コデイン」とします)を含む医療用医薬品の12歳未満の小児への使用を禁忌(要するに禁止)とすることを発表しました。

 (おそらく)これを受けて、日本の厚労省は米国と同様12歳未満へのコデインの処方をおこなわないよう通知をおこないました。

 しかし、大人でも夜間の咳はつらいものですが、咳で眠れない子供をみると、薬を使って咳を鎮めてあげたいと誰もが思うはずです。ではどうすればいいか。医学誌『CHEST』2017年11月号(オンライン版)に興味深い論文が掲載されました。

 この論文では、市販の咳止めや民間療法としてのチキンスープなども含めて、咳を止める効果についてこれまで発表された論文を総合的に解析しています。その結果、「咳に効果がある」というエビデンス(科学的確証)のある治療法はひとつもない、ということが分かりました。

 風邪の民間療法というのはどこの国にもあり、米国ではチキンスープが主流のようですが、日本ではハチミツがよく使われます。この論文ではハチミツの効果も検討されています。ハチミツは、ある程度効果があるとする研究がいくつかあるようですが、強いエビデンスがある、とまでは言えないようです。

 また、この論文では、風邪によく使う痛み止め(NSAIDs)や鼻水をおさえる抗ヒスタミン薬も咳の治療として効果はない、という結論がでています。(これらは薬理学的にみても咳に効くとは思えません)

 さらに興味深いのはコデインについてです。論文の著者らはFDAの勧告の12歳ではなく、副作用のリスクから18歳未満にコデインを使うべきではないと結論づけています・

 なんだか「夢のない」研究、というか、これまで世界中でおこなわれていた咳の治療は何だったのでしょう。我々はハチミツに劣る咳止めを求めて薬局や病院を巡っているということなのでしょうか。

 ではハチミツはどの程度効果があるのでしょうか。違う研究をみてみましょう。過去にも紹介したことのある「コクラン・ライブラリー」というエビデンスを集めたサイトがあります。そのなかに「小児の急性咳嗽に対するハチミツ(Honey for acute cough in children)」というタイトルの論文があります。

 これによれば、エビデンスのレベルは高くないもののハチミツはある程度有効のようです。しかし、その効果も3日までで、それ以降は効果がありません。他の薬とも比較されていて日本でもよく使われるデキストロメトルファン(商品名は「メジコン」など)と同じ程度効果があるとされています。(ということはデキストロメトルファンも少しは有効ということになります)

 ここまでを(少し強引ですが)まとめてみたいと思います。

・咳に有効な治療:何もないとする研究もある。ハチミツは少し効果あり、デキストロメトルファンも多少効果があるとするデータもある。

・咳に効果がないもの:NSAIDs(ロキソニンやイブ、ボルタレンなど)などの鎮痛剤、ほとんどの抗ヒスタミン薬

・危険で使いにくいもの:コデイン(FDAは12歳未満、上記論文では18歳未満は使わないよう注意勧告)、デキストロメトルファン(下記参照)

 さて、では実際にはどうすればいいのでしょう。また、コデインは18歳以上なら使ってもいいのでしょうか。それを知るには「咳止めがなぜ効くか」を考えるのが適切です。デキストロメトルファン、コデインを含む”普通の”咳止めのほとんどは「中枢性鎮咳薬」といって、脳の咳中枢を抑えるものです。咳は出そうと思って出るものではなく、脳の「咳担当の部分」があなたの意思に関係なく「咳をせよ」と身体に”命令”するわけです。つまり、中枢性鎮咳薬はこの咳中枢を一時的に麻痺させるのです。では、なぜ中枢性鎮咳薬は危険なのか。大きな理由は2つあります。ひとつは「眠気」です。程度の差はありますが、中枢性鎮咳薬は多かれ少なかれ眠気がきます。部分的にとはいえ、脳を麻痺させるわけですから当然といえば当然です。

 もうひとつの問題は「依存性」です。コデインはモルヒネに似た麻薬です。またエフェドリンというやはり中枢性鎮咳薬は覚醒剤の一種です。コデインやエフェドリンを含む咳止めや風邪薬や薬局で簡単に買えますから容易に依存症をつくりだします。特にこれら2種の双方が入っているものはダウン系(コデイン)とアップ系(エフェドリン)が同時に体内に入りますから、大量摂取すれば、いわば「スピードボール」と同じように危険なものですし、簡単に依存症になってしまいます。(デキストロメトルファンには依存性がないと言われています)

 では、困った咳にはどのように対処すればいいのでしょう。当たり前ですが、その「原因」を突き止めることが重要です。百日咳やマイコプラズマ、クラミジア(クラミドフィラ)肺炎のように細菌感染が原因になっている場合は抗菌薬が有効ですし、アレルギー関与の咳であればアレルギーを抑える方法を検討すべきです。長引く咳の原因が逆流性食道炎ということは珍しくなく、この場合胃薬を使います。

 その逆に、原因を究明しないまま、漠然とコデインやデキストロメトルファンを飲むなどということは18歳以上であっても眠気やそれ以外の副作用のリスクを背負うだけです。しかし、こういった咳止めはまったくの「悪」ではなく、期間限定(長くても1週間以内)であれば、咳中枢を一時的に麻痺させてでも夜間の咳をとりぐっすり眠れるようにするのが効果的な場合もあります。また、一部の漢方薬はいくつかのタイプの咳に有効なことがあります。

 以上をまとめると、咳にとって重要なのは、①まず咳の原因をはっきりさせる、②それぞれの咳止めの特徴を理解し副作用に注意する、③自分の判断で漠然と咳止めを飲み続けない、ということになります。

参考:はやりの病気
第110回(2012年10月)「長引く咳(前編)」
第111回(2012年11月)「長引く咳(中編)」
第112回(2012年12月)「長引く咳(後編)」
第82回(2010年6月)「熱のない長引く咳は百日咳かも・・・」
第19回(2005年10月)「咳」

 

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2018年6月10日 日曜日

2018年6月10日 スマホ依存でうつ病、不安症

 スマホの便利さをいったん知ってしまうと、もはや後には戻れない、と感じている人が大半だと思います。私もそのひとりで、スマホの恩恵を被っていることを日々実感しています。

 ですが、一方では「スマホ依存症」なる疾患が確立されるようになり、一部の医療機関では「スマホ依存症専用外来」まであるとか・・・。では、スマホ依存症はどれくらい危険なのでしょう。サンフランシスコ州立大学が興味深い報告をしています。

 サンフランシスコ州立大学の135人の学生を調査した結果、スマホを使用しすぎると、「孤立感(isolated)」「寂しさ(lonely)」「抑うつ(depressed)「不安(anxious)」などが生じることが分かったそうです。こういった感情が起こるメカニズムは、他の物質乱用と同じであると同大学の研究者らは主張しています。

 しかも、研究者らによると、オピオイド(麻薬)依存が成立するのと同じような脳内の作用がゆっくりと起こっているというのです。

 もうひとつ、研究者らが指摘する興味深いポイントがあります。依存症になるのはユーザーのせいではなく、利益を追求するハイテク産業の欲望の結果であると主張しています。

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 「あっ、この人、スマホ依存症だ!」と思えるシーンにときどき遭遇します。カフェなどでスマホをテーブルの上に置いて、チャイムやバイブレーションにすぐに反応して中身をチェックする様子はまさにスマホ依存症です。私には、チャイムやバイブレーションがサンフランシスコ州立大学の研究者らがいう「ハイテク産業の欲望」そのものに感じられます。

 私自身はスマホ依存症に詳しくなく、また効果的なスマホ依存症外来を実施している医療機関もあまり知らないので、患者さんから相談されたときに困ることがあります。ですが、とりあえず患者さんにいつも助言することがあります。それは、「SNSは1日1回にする」ということです。それができないから依存症になるんだ…、という反論があるでしょうが、まずはLINEもFacebookもその他のSNSもチェックするのは通学前(通勤前)だけにする、というルールをつくるのです。

 私自身はもともとSNSは読むだけで発信することはほとんどありませんが、LINEは1日1回、Face bookは週に1回をルールにしています。ちなみに、私がスマホで最も使用頻度が多いのが「Voice of America Learning English」という英語学習のウェブサイトです。スマホ依存症の人には失礼ですが、私の場合、スマホ依存になればなるほど英語が上達するのかな、と思っています・・・。

参考:メディカルエッセイ第184回(2018年5月)「英語ができなければ本当にマズイことに」

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2018年6月10日 日曜日

2018年6月9日 「座りっぱなし」は認知症のリスクか

 「座りっぱなし」が生活習慣病やがんのリスクになるという話はこのサイトでこれまで何度もしてきました。運動で帳消しになるのでは、という声もないわけではありませんが、その逆に、「運動しても危険性は減らず」、「座りっぱなしは喫煙と同等のリスク」とする厳しい意見もあります。
 
 今回はその「座りっぱなし」が認知症のリスクになるという話です。

 医学誌『PLOS ONE』2018年4月12日号(オンライン版)に掲載された論文(注1)によると、座っている時間が長い人は内側側頭葉が薄いことがわかったと言います。

 ここは脳の解剖を整理しながらみていきましょう。脳をおおざっぱに分類すると、大脳、脳幹、小脳の3つになります。大脳と小脳があるなら中脳もあるわけですが、これは脳幹の中にあります。脳幹は、間脳、中脳、橋、延髄の4つからなります。「のうかん」の中に「かんのう」がある…、これだけでややこしくて投げ出したくなりますが、脳を理解するには、まだまだ序の口です。

 内側側頭葉は大脳の一部ですから、今回は脳幹と小脳の話はしません。大脳は外から「大脳皮質」「白質」「大脳基底核」に分類できます。つまり、大脳基底核が大脳の一番奥深い部分です。ややこしいことに、似た名前の「大脳辺縁系」と呼ばれるものがあります。これがどこかというと、部位としては、だいたい大脳基底核の外側あたりに位置するのですが、今でてきた「白質」を指すわけではなく、また、視床や視床下部と呼ばれる間脳(脳幹を構成するひとつでしたね)の一部も含みます。このあたりで脳の解剖がイヤになってくる人も多いのですが、とりあえずは大脳辺縁系というのは「解剖」よりも「機能」を重視すべきものと考えて、重要な部分に「扁桃体」と「海馬」があると覚えておけばいいと思います。扁桃体は人間の情動を司っていて、海馬は記憶に関係しています。

 ややこしい話はまだ続きます。人間の記憶は海馬だけが関連しているわけではなく、大脳皮質が委縮すると記憶力が低下します。大脳皮質は、前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉の4つに分類できます。これらのなかで記憶に最も関連があるのが側頭葉で、その内側は内側側頭葉(medial temporal lobe、以下「MTL」)と呼ばれます。ここまできてやっと最初の地点に戻ることができました。しかし、あと1点重要なことを補足しておきましょう。MTLのさらに内側に海馬があります。ですから、海馬が人間の記憶で最も重要な部位で、そのすぐ外側に海馬の次に重要なMTLがあると考えればとりあえず前に進めます。

 ようやく今回紹介したい論文のポイントにうつれます。研究の対象者は認知機能が正常な45~75歳の男女35人。「座っている時間」と「運動量」が調べられ、脳のMRIを撮影しMTLの厚さとの相関関係が検討されています。

 結果、MTLの厚さは座りっぱなしの時間と逆相関、つまり、座りっぱなしの時間が長ければ長いほどMTLが薄くなっていることが分かりました。MTLをさらに細かくみると、海馬傍回(parahippocampal)(文字通り、海馬の横に位置する)で最も強い関係があり、嗅内野(entorhinal)、皮質(cortical)、海馬台(subiculum)(海馬の下に位置する)でも薄くなっていたのです。

 興味深いことに、運動量とMTLの薄さには相関関係が認められませんでした。

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 この研究は「運動は座りっぱなしのリスクを帳消しにできない」とする説を支持することになるかもしれません。生活習慣病やがんのみならず、認知症のリスクにもなるなら、座りっぱなしの危険性はもっと注目されるべきかもしれません。ただし、だからといって、最近一部の企業が取り入れている「スタンディング・ディスク」はかえって有害だとする指摘(注2)もあります。

注1:この論文のタイトルは「Sedentary behavior associated with reduced medial temporal lobe thickness in middle-aged and older adults」で、下記URLで全文を読むことができます。

http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0195549

注2:The Washington Postに興味深い記事があります。タイトルは「Study: Standing desks could be harmful to your productivity . . . and your health」で、下記URLで閲覧できます。

https://www.washingtonpost.com/news/on-small-business/wp/2018/02/26/study-standing-desks-could-be-harmful-to-your-productivity-and-your-health/?utm_term=.38c5a6cda5dd

参考:
メディカルエッセイ第129回(2013年10月)「危険な「座りっぱなし」」
医療ニュース
2016年2月27日 「座りっぱなし」はやはり危険

医療ニュース
2015年5月29日「座りっぱなしの危険性は1時間に2分の歩行で解消?」
2014年8月22日「運動で「座りっぱなし」のリスクが減少する可能性」
2014年2月28日「高齢女性の座りっぱなし、死亡リスクが上昇」
2013年4月2日「座りっぱなしの生活がガンや糖尿病のリスク」
2015年9月5日「立ちっぱなしも健康にNG?」

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2018年6月4日 月曜日

2018年6月 己の身体で勝負するということ~その2~

 日本大学アメリカンフットボール部の選手がおこした反則行為が連日メディアを賑わせています。私はこの事件の世間の捉え方に大きな”違和感”を覚えます。私には、なぜ怪我を負わせた日大の選手をかばうような発言をする意見が多いのかが理解できないのです。こんな私は「異端児」かもしれませんが、私のような考えを持った方が、人生が「ラク」になる、ということを示したいと思います。尚、私のひとつめの大学は関西学院大学(以下「関学」)ですが、卒業生だから関学をひいきにみているわけではないことをお断りしておきます。

 まずは事件を簡単に振り返ってみましょう。2018年5月6日、東京で開催された関学と日大のアメリカンフットボールの定期戦。パスを投げ終えたばかりで無防備の関学のクオーターバック(QB)の選手に日大のディフェンシブライン(DL)のM選手が後からタックル。M選手はその後もラフプレーを続けて退場させられました。負傷退場した関学のQBの選手は全治3週間の怪我を負いました。

 この事件を受け日大の監督とコーチが除名されることになりました。これは当然でしょうが、世間のM選手に対する「声」は軒並み”優しいもの”です。なかには、「厳しい処分をしないで」という署名も集まっているとか…。しかし、これはおかしくないでしょうか。アメリカンフットボールというスポーツは、ルールを順守していてもときに生死にかかわる重大な事故が起こりえます。詳細は述べませんが、ほとんどの関学卒業生が知っている不幸な事故の歴史もあります(注1)。M選手は問題のタックルの後もラフプレーを繰り返し退場させられているのです。

 監督やコーチの指示なら他人を怪我させてもいいという理屈は私には到底理解できません。例えば、上司と一緒に酒場にいるときに、上司から「あいつムカつくから殴ってこい」と言われて、そこにいた客を殴ればこれは有罪ではなかったでしょうか。

 日大M選手が世間からバッシングされないことから2つの「事件」を思い出しました。

 ひとつは「オリンパス巨額粉飾事件」です。巨額の損失を「飛ばし」という手の込んだ方法を使って巨額の損益を10年以上にわたり隠し続けた挙句、その負債を粉飾決算で処理した事件です。2011年に、社長に就任したイギリス人のマイケル・ウッドフォード氏は、問題を調査し、会社と株主に損害を与えたという理由で菊川剛会長と森久志副社長の引責辞任を促しました。しかし、その直後に開かれた取締役会議でウッドフォード氏は社長職を解任されることになります。

 要するに、オリンパスは「組織の理屈」を重視したわけです。よそ者のお前が正論を押し付けるな!という理屈です。最近、この事件がウッドフォード氏の語りが中心のドキュメンタリー映画となり海外で高い評価を得ています。監督は日本人の山本兵衛監督でタイトルは『サムライと愚か者─オリンパス事件の全貌─』です。外国人には日本人の意味不明の組織の理屈が興味深くみえることでしょう。

 もうひとつ私が思い出した事件は病院でおこったものです。「千葉不正告発後解雇事件」とでも命名しておきましょう。この事件が起こったのは2010年。千葉県がんセンターで相次いでいた死亡に至る医療ミスや不正麻酔を看過できないと判断したひとりの麻酔科医が同院長に内部告発した直後に退職を命じられた事件です。

 日大M選手事件、オリンパス巨額粉飾事件、千葉不正告発後解雇事件の3つに共通するもの。それは「良心が組織の理屈に負ける」ということです。M選手は「悪」に加担したのにも関わらず擁護する意見が多いのは「組織に屈するのはやむを得ない」と多くの人が考えるからに他なりません。M選手を助けるよう署名までする人は、「自分も同じ立場だったら自分の良心を犠牲にして同じことをするだろう」と考えているわけです。

 しかし、そろそろこんな考えをやめて自分の「良心」を大切にしてみればどうでしょう。つまり、組織のなかで生きていくために逆らわない、ではなく、良心に基づき「組織に頼らず生きていく」つまり「己の身体で勝負する」を実践するのです。

 私が2年前に書いたコラム「己の身体で勝負するということ」は意外にも「賛同します」という声を多数いただきました。そのコラムで私が述べたことは、魅力ある先輩たちから学ばせてもらった結果、学歴に頼るのではなく自分の力で生きていくべきことが分かった、というものです。当時18歳の私は、肩書がなければ何もできない人間にならないことを誓いました。ひとつめの大学(関学)を卒業するとき、「(大企業の)〇〇社 谷口恭」という名刺を持ちたくないという理由で、大企業への就職は一切考えませんでした。

 私のこの考えに対し「大きな組織の一員になれば組織に守ってもらえるから安心できる」と言う人がいます。しかし、果たして本当にそうでしょうか。私なら、不条理な理屈や学歴以外にとりえのない上司の命令に従わなければならないような組織に所属することは安心ではなく”不快”ですし、私の「良心」がそんなことを許しません。そんな組織はとっとと去って己の身体で生きていく方法を考えます。

 M選手に話を戻します。日本のメディアをみていると、問題のタックルを「危険なタックル」「悪質なタックル」などと表現していますが、これは「全滅」を「玉砕」と言い換えるようなものであり、例えば「The New York Times」は「違法タックル(illegal tackle)」という厳しい表現をとっています。日本の報道では監督とコーチが前面にでてきますが、同紙の報道では、まずM選手の謝罪の写真と”違法タックル”のビデオがファーストビューで見られるように構成されています。M選手がパワハラを受けたことも書かれ、監督の写真も記事の下の方に掲載されていますが、日本のメディアのようにすべて監督とコーチが悪いんだという書き方ではありません。記事の最後はM選手の「私にはアメリカンフットボールを続ける権利はなく、またそのつもりもありません」という言葉で締められています。

 この言葉がM選手の本心なら、この次同じような局面に立った時、それはスポーツ以外のことであったとしても、おそらく自分の「良心」に従って行動するでしょう。もしも、そのとき上司の信頼を失ったとしても「良心」は守ることはできます。そして「良心」に従って行動したことで結果的により多い賛同を得られるはずです。実際、世間のM選手に対する視線が”優しい”のは彼が良心を取り戻したからでしょう。

 今回の事件に関する何人かの識者のコメントを読んで、私が最も共感できたのは三浦知良選手の次のものです。

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僕も監督に言い返し、口論し、刃向かってもきた。監督と選手は五分だと思ってきた。理不尽な要求をする監督、上級生が下級生に説教をたれる上下関係。少年時代はそんなものがまかり通ることに納得ができず、外でプロの世界に身を置きたかった。(日経新聞2018年5月25日)
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 今回のこのコラムでは「己の身体で勝負」の具体的事項を述べていません。口で言うのは簡単だけど、誰もが自分の実力だけで食べていけるわけではない、という反論もあるでしょう。私が述べたことが「きれいごと」にしか聞こえない人もいるかもしれません。
 
 それに、私は当時の先輩たちの影響を受けて18歳の頃から同じことを言い続けていますが、確かにこういったことが言えるのは自分自身の身体と精神が健康であり、サポートしてくれる家族や友人がいるからです。身体に障害を負うようなことがあれば、己の身体だけでは生きていけなくなるでしょう。ですが、私ならいかなるときも組織に頼ることは考えず、可能な限り己の身体を頼りにします。

 次回は、「己の身体で勝負」にはどのような方法があるのか、その具体的な事例を私の体験を振り返り紹介したいと思います。

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注1(2018年7月7日追記):複数の人から詳細を教えてほしいとのリクエストがあったために付記しておきます。「ほとんどの関学卒業生が知っている不幸な事故の歴史」は1978年に起こりました。当時の関学アメリカンフットボールの名手であった猿木唯資選手(今回の被害者と同様QBでした)が試合中に相手チームにアタックされ脊髄損傷の大事故となり選手生命を絶たれたのです。私が関学に入学したのは1987年、事故から9年後でしたが何度かキャンパス内で聞きました。

ちなみに猿木選手が入院しリハビリを受けていたのが大阪府枚方市にある星ヶ丘厚生年金病院です。四半世紀後の2003年、私は「研修医」として同院に就職しました。同院のリハビリ病棟は非常に有名で、他にも有名なスポーツ選手が何人も治療を受けられています。尚、猿木選手は現在、車椅子の生活ながら税理士として活躍されているそうです。

関学のアメリカンフットボールの事故は比較的最近も起こっています。2016年、関学高等部の選手が試合中に相手選手と接触し頭部を損傷。硬膜外血種を起こし4日後に他界されました。

我々(OB・OGも含めた)関学の者はアメリカンフットボールの危険性を軽視できないのです。

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