メディカルエッセイ
2016年11月15日 火曜日
第166回(2016年11月) ”貧乏”な者が医師に向いている理由
「うちは貧乏なんだからね!」と母親から言われ続けて育ったということを、以前、詩人の暁方ミセイさんが新聞のコラムで書かれていました。そのコラムが1年以上も印象に残っているのは私も同じ経験をしているからです。
ミセイさんの家では「うちは貧乏」という言葉をさんざん聞かされていて、弟が上履きを無くしたとき「もう買えないよ!」とひどく怒られたそうです。そんな暁方家で、その弟さんが「2千円のステーキが食べたい」とだだをこね、両親が呆れて家族で食べに行ったことがあったそうです。そのときミセイさんは「上履きを買えない家庭がステーキなんか食べられるわけがない。きっと今晩ありったけのお金を使い切って一家心中するに違いない」と思い一番安いカレーを注文したことが語られていました。
その後、ミセイさんは、たまの外食くらいで我が家が破産しないことを知り気を使いすぎていたことに気づいたそうです。そして、私もほとんど同じことを経験したことがあります。私の家も「うちは貧乏」が両親の口癖で、質素な生活をしていました。金持ちの友達がジュースを飲んでいても、私は家に帰って「砂糖水」です。料理用の溶けやすい砂糖を水道水に溶かせて飲むのです。(しかし、これはとても美味しく、私の実家は田舎なので水が美味しいということもあり、今も帰省したときはときどき飲んでいます)
私が高校を卒業し、実家を離れることになる数日前、珍しく母親が「外でご飯を食べよう」と言い出し、中華料理屋(それも大衆食堂でない)に連れていかれました。好きなものを注文するよう言われた私は、「我が家にそんなお金があるはずがない。大学の入学金も出してもらっているのにこれはおかしい。もしかして母は”最後の晩餐”のつもりなのか・・」と考えてしまい、一番安いラーメンしか注文できませんでした。
大学(関西学院大学)に入学したとき、周りに金持ちが多くて驚きましたが、さほど悲壮感は感じませんでした。ある程度予測できていたことですし、「近所のスーパーで賞味期限切れの菓子パンをまとめ買いする」、「パン屋でパンの耳が大量にはいった袋を50円で買ってマヨネーズで食べる」、「チキンラーメンは朝に3分の1程そのままバリバリと食べて、残り3分の2は夜にお湯をかけてご飯と食べる」、「空腹がひどいときは吉野家で並盛1人前をおかずにして白いご飯を食べる」というようなことを言うと、周囲の友達は面白がってくれるのです。「さすが大阪!(関学は西宮ですが) 貧乏も笑いにできるんだ!」、と味をしめた私は、貧乏も悪くない、という気持ちがでてきました。
しかし、貧乏なままで生涯を終えることはできない、という気持ちももちろんありました。就職するとそれなりの月給をもらえるようになりましたが、趣味や交際費で消えてしまい、3年目からは勉強にお金を使うようになり、医学部に入学してからは、また関学時代の貧乏生活に逆戻りです。その頃は賞味期限切れのパンを売ってくれる店はなく、パンの耳もなぜか簡単に入手できなくなり、専ら自炊となりました。米・味噌・お茶代込で1食あたり200円を超えないように自分でつくっていました。
医学部を卒業し研修医になると再びお金が入ってきました。2年目からは他の病院で当直業務などのアルバイトをおこなうようになり(研修医のアルバイトは現在禁止されています)、びっくりするくらいお金が入ってきました。そして、研修医が終わる頃には車の購入も現実のものに(10年落ちの45万円の中古車ですが)。ある日、ある病院の当直業務が終わると、「本日の給料」と言われ、現金でなんと8万円も渡されました。これで有頂天にならないはずがありません。
その日私は和食レストランの「さと」に行きました。「さと」は私の地元で高校時代から唯一存在したファミリーレストランで、「いつか「さと」で一番高いものを食べてやる!」というのが私のかねてからの”夢”だったのです。そしてその日、長年の”夢”の「「さと」で一番高い料理」を食べた私の感想は、「こんなものか・・・」というもの。期待していた感動はまるでなく、逆に「虚無感」を覚えた程です。
これまでの人生で私も(「さと」よりも遥かにグレードの高い)「高級レストラン」と呼ばれるところに行ったことがないわけではありません。しかしどこにいっても「こんなものか・・」という印象が拭えず、もう一度訪れたいと思うことがないのです。むしろ、私が昔から利用しているマクドナルドや吉野家の方がずっと美味しいと感じます。それに安い方がいいに決まっています。高級な料理は私自身が納得できたとしても、私の胃袋が”緊張”してしまい、これでは消化によくありません・・・。
少し前に、マクドナルドでスマホのクーポンを使っている30代男性を見て吐き気を催し生理的な嫌悪感を持った、とツイートした女性が話題になっていましたが、私は40代後半で同じことをやっています。ちなみに、私は吉野家でもスマホの割引クーポンを提示しています。もしもこの女性が私をみれば、吐き気どころか気絶するかもしれません・・。
さて、長々と、ある意味で”自慢”とも呼べる私の「貧乏物語」を紹介してきたのは、医師という職業は”貧乏”な者の方が向いているのではないか、と最近富みに思うようになってきたからです。私は比較的早いタイミングで自分のクリニックをオープンさせましたから、他の医師から「お金大変だったでしょ」とよく言われます。実際は、まったく大変ではなかったのですが・・。また、開業を考えているという医師から「開業資金に〇〇万円を貯めるつもり」と聞いて驚いたことがあります。私の用意した開業資金は、その医師が考えている額の10分の1にも満たなかったのです。
なぜ、私と他の医師にこれだけの開きがあるのか不思議ですが、彼(女)らからよく聞くと謎が解けます。以前紹介したことがあり、今回も先に述べたように、医師の夜間や休日の当直アルバイトは”破格”です。ですから私としては開業してからも深夜と日・祝日に他の病院でアルバイトをすればやっていけると確信していたのです。実際、私は最初の1年間はクリニックから給料を受け取らず、他の病院のアルバイトで稼いだお金から最低限の生活費を引いたお金をクリニック開業時の借入金の返済に回していました。
もうひとつ、私と他の医師が異なるのは、自分のクリニックからもらう給料の想定額が異なる、ということです。最近、それを裏付けるような調査がおこなわれました。医師のポータルサイト「ケアネット」で、2016年9月9日~12日に会員医師1,000人を対象に「医師の年収に関するアンケート」がおこなわれました。自身の業務内容・仕事量に見合うと思う年収額についての質問に対し、最も回答数が多かった年収帯はなんと2,000~2,500万円だったのです。
この調査は「(現在の)業務内容・仕事量に見合う年収」ですから、休みなく過酷な労働を続けている医師、という前提で考えると、ある程度高額を要求したくなる気持ちは分からなくはないのですが、それでも2,000万円は高すぎます。日ごろどのような患者さんを診ているかにもよるでしょうが、私は日々「お金がない。医療費は10円でも安い方がいい」、「仕事が決まらない、家賃が払えない」、「バイト代が上がらなくて・・」と言っている患者さんを多く診ていますし、私自身がこれまで”貧乏”で生きてきましたから2,000万円などというお金はどこか遠い世界の話に聞こえます。以前も述べたように(注1)、「医師の年収に上限を設けるべき」というのが私が言い続けていることです。
本当は大金が欲しいんじゃないの?と感じる人がいるかもしれませんが、私は高級車にも高級ワインにもゴルフにも愛人にも興味がなく、ぜいたく品にお金を使うなら寄付する方がずっといいと感じています。そして、このように考えるのは私だけではないはずです。2015年までウルグアイの大統領を務めたホセ・ムヒカ氏の「貧乏な人とは、少ししか持っていない人のことを指すのではなく、無限の欲があって、いくら持っても満足しない人のことだ」という言葉に共鳴した人は大勢いるのではないでしょうか。
暁方ミセイさんはコラムの中で、家族で心中することになるに違いないと考え「不安で泣き濡れた夜をどうしてくれる!」とユーモアを入れて結ばれていましたが、私はむしろ”貧乏”に育ててくれた両親に感謝しています。
注1:メディカルエッセイ第155回(2015年12月)「不正請求をなくす3つの方法」で、2つめの方法として述べています。
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|2016年10月20日 木曜日
第165回(2016年10月) セルフ・メディケーションのすすめ~ベンゾジアゼピン系をやめる~
2016年5月29日、大阪府河内長野市の観光地、滝畑ダム付近の府道を走っていたワゴン車がダム湖に転落し、運転していた20代の男性以外の同乗者5人全員が死亡しました。運転していた男性の血中から精神安定剤のエチゾラム(商品名で最も有名なのは「デパス」)が検出されました。報道によれば、この男性はこの薬を用いるような持病があったわけではなく、現在府警は薬品の入手ルートを捜査しているそうです。
この事件を受けて、というわけではないと思いますが、2016年10月14日よりエチゾラムは「麻薬及び向精神薬取締法に規定する向精神薬」に指定されました。これにより、処方日数の上限が30日となりました。
我々医療者は、このエチゾラムという薬が、なぜこれまで長期処方が認められていたのか理解に苦しんでいました。これほど依存性が強く、一度服用しだすと簡単にやめられなくなる薬がなぜ長期処方が許されるのか分からないのです。ですから、私を含めてほとんどの医師は患者さんに求められても安易に処方しません。やむを得ない場合に限り、最小限の処方しかしないのです。
しかし、ワゴン車を運転していた男性のように、入手ルートが不明、つまり医療機関で正当に処方されていない例が数多く存在するのが現実です。ただし、それだけではありません。同業者を批判することになりますが、私の率直な意見を述べれば、簡単に処方する医師がいるという印象が拭えません。例を挙げましょう。(ただし、患者さんが特定されないように若干のアレンジを加えています)
【症例1】68歳男性(Nさん)
健診で高血圧を指摘されたとの理由で、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を受診。初診時の問診で、エチゾラム0.5mgを1日3錠も内服していることが発覚。Nさんによれば、数年前から肩こりに悩み、近医(整形外科)を受診。鎮痛薬と一緒にエチゾラムを飲むように言われたとのこと。しかも数年間も・・・。診察する医師は前医を否定してはいけません。しかし、私の立場としては、少なくともNさんがエチゾラムの危険性を理解していることを確認しなければなりません。エチゾラムの説明をすると、なんと「そんな薬とはまったく知らなかった。筋肉をほぐす薬としか聞かされていない」との答えが返ってきたのです・・・。
【症例2】59歳女性(Fさん)
30代前半からうつ状態と不眠を繰り返しているとのこと。今までは近くのクリニックでエチゾラムを処方され、1日1~2錠を内服しており、それがもう20年以上も続いている。職場が近くにあることと、知人から「その薬危険なクスリじゃないの?」と言われたとのことで谷口医院を受診。直ちに危険性を説明し、減らしていくことを提言。しかし、一度依存症になった身体は簡単には元に戻りません。Fさんは今も、エチゾラム依存症に苦しんでいます。
実は、このような患者さんは少なくありません。そもそもエチゾラムは世界的には65歳以上には「禁忌」(処方してはいけない)の薬です。もちろん、若年者に処方するときも依存性には充分に注意しなければなりませんし、少なくとも「依存性が強い薬であること」は患者さんに理解してもらわねばなりません。場合によっては、65歳以上であっても、あるいは依存性のリスクを抱えてでも、エチゾラムを処方せざるを得ないこともありますが、(同業者を批判したくありませんが)やはりエチゾラムを容易に処方しすぎる医師が存在するのは事実だと思います。
依存性がある睡眠作用や抗不安作用のある薬はエチゾラムだけではもちろんありません。エチゾラムは薬のカテゴリーで言えば「ベンゾジアゼピン系」となります。ベンゾジアゼピン系の薬は多かれ少なかれ、睡眠作用、抗不安作用、筋弛緩作用(だから肩こりで使われる)などがあります。ベンゾジアゼピン系の薬すべてに「依存性」があります。
国立精神・神経医療研究センターが発表している「全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患の実態調査」(2014年版)に「乱用されていた処方薬(睡眠薬・抗不安薬)のランキング」が掲載されています(注1)。順位は下記の通りです(かっこの中は先発品の商品名)。
1位 エチゾラム(デパス)
2位 フルニトラゼパム(ロヒプノール、サイレース)
3位 トリアゾラム(ハルシオン)
4位 ゾルピデム(マイスリー)
5位 べゲタミン(べゲタミンA、べゲタミンB)
6位 ニトラゼパム(ベンザリン、ネルボン)
7位 ニメタゼパム(エリミン)
7位 ブロチゾラム(レンドルミン)
9位 アルプラゾラム(ソラナックス、コンスタン)
10位 ブロマゼパム(レキソタン)
補足しておきます。第4位のゾルピデム(マイスリー)は、記憶のないまま我が子を殺した母親の話などを以前紹介しました(注2)。この薬は「非ベンゾジアゼピン系」と呼ばれますが、ベンゾジアゼピンと同じように依存性があります。第5位のベゲタミンは、このランキングで唯一(非)ベンゾジアゼピン系ではなく、もっと依存性の強いものです。乱用されていることから今年(2016年)中に販売中止となることが決まっています。第7位のミメタゼパム(エリミン)は、通称「赤玉」と呼ばれ、裏社会で流通していたことなどが問題となり2015年に販売中止となりました。2位のフルニトラゼパムは、米国(ハワイ、グアムを含む)では持っているだけで逮捕される薬です。
こうしてみるとこのランキングはそうそうたる薬物が並んでいることが分かります。そしていろんな問題のある薬物をおさえて堂々の1位となったのがエチゾラムというわけです。まだあります。先の症例1(Nさん)のように、エチゾラムは整形外科クリニックでも相当処方されています。もちろん内科系でも、谷口医院のような総合診療(プライマリ・ケア)のクリニックでも処方されることがあります。
私は医師になってから、ベンゾジアゼピン系の処方を減らすことに継続して努めてきたつもりです。「医師の仕事は薬を処方することでなく処方を減らすこと」というのが私が言い続けているセリフです。そして、私流のセルフ・メディケーションの定義は、「患者さんが知識を増やし、薬を使わなくてもいいよう生活習慣を改め環境の見直しをすること」です。急性疾患ではこの限りではありませんが(例えば突然の事故)、ほとんどの慢性疾患はセルフ・メディケーションを実践することこそが最善の”治療”なのです。
知識を増やせなんて無責任な・・・。それを教えるのが医者の仕事だろう。そのような声もあるでしょう。たしかにそれはそうなのですが、短い診察時間で何もかもが伝えられるわけではありません。患者さん自らが学習していくことも必要なのです。
これを読んでくれた方には、「ベンゾジアゼピン系の危険性を理解し、自分自身もしくは周囲の人が、危険性を理解しているかどうかを見直すこと」を実践してもらいたいと考えています。これも立派なセルフ・メディケーションのひとつなのです。
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注1:詳しくは下記URLを参照ください。このランキングは32ページに掲載されています。
http://www.ncnp.go.jp/nimh/yakubutsu/report/pdf/J_NMHS_2014.pdf
注2:はやりの病気第124回(2013年12月)「睡眠薬の恐怖」
参考:
マンスリーレポート2012年5月号「セルフ・メディケーションのすすめ~薬を減らす~」
マンスリーレポート2012年4月号「セルフ・メディケーションのすすめ~花粉症編~ 」
メディカルエッセイ第120回(2013年1月)「セルフ・メディケーションのすすめ~抗ヒスタミン薬~」
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|2016年9月22日 木曜日
第164回(2016年9月) そんなに医者が憎いのか
2016年8月後半より、我々医師の間では、東京都足立区の病院で「準強制わいせつ」の疑いで逮捕された40歳の男性医師のことが毎日のように話題に上っています。この「事件」は、少し医療の知識があれば、報道されている内容が事実であるはずがないことが分かります。しかし、一方では精神的苦痛を受けている女性がいるのも事実であり、当局としては訴えがあった以上は「逮捕」さらに「起訴」しないわけにはいきません。私が最も問題だと思うのはメディアやジャーナリストの”姿勢”で、今回はこのことを話したいのですが、まずはこの事件を整理していきましょう。
報道によれば2016年5月、胸部の手術を終えたばかりの30代の女性が病室で40歳の執刀医からわいせつ行為を受けたとして、この医師が警視庁に逮捕されました。わいせつ行為の内容は、「術後病室に戻された患者に対し、二度にわたり着衣をめくり、手術していない左乳房の乳首をなめ、自慰行為に及んだ」そうです。
女性患者の病室は4人部屋で他にも3人の患者がいたことが分かっています。弁護人が発表した情報によれば、「二度の行為」の1回目があったとされる時間帯には、医師は手術室にいて、ごく短時間病室に行ったときは、執刀した他の医師と看護師2名もいたそうです。2回目の犯行があったとされる時間帯には、この医師は他の病室で別の患者を診ていたことが分かっています。
これだけでこの事件が「冤罪」であることは自明ですが、おそらく一般の人は「じゃあ、なんで被害者の女性は嘘を言うんだ? 医師にも何らかの過失があるんじゃないのか?」と疑いたくなるかもしれません。
この女性はある意味で”嘘”は言っていないと思います。ではなぜこのような事実でないことを言ったのか。まず間違いなく、術中の麻酔薬や鎮痛薬の影響です。こういった薬は手術が終わればすぐに体内から排出されるわけではなく、しばらくは残ります。そして、術後目が覚めてから、錯乱、幻覚、妄想などが出現し、これを「術後せん妄」と呼びます。ですから、この報道を聞いたとき、我々医療者は「術後せん妄に間違いない」ということが分かるのです。
ただ、誤解のないように言っておくと、私はこの被害者の女性を責めているわけではありませんし、相当の精神的苦痛があったことは事実だと思います。ですから、医療者側は、執刀医の男性医師をかばいすぎるあまり、この女性を糾弾するようなことがあってはなりません。また、行政としてもわいせつ行為の被害の親告があれば、逮捕するのは当然でしょうし、法律上の手続きを経て起訴するのもやむを得ません。
では、問題はどこにあるのでしょうか。私は2つあると考えています。まず1つめは、「術後せん妄」について、医療サイドでのもっと徹底した対策が必要であったのではないかということです。後からは何とでも言えますから、私がこのようなコメントをすることは、執刀医やこの病院のスタッフに失礼だとは思います。しかし、もしもこの女性が術後せん妄を起こすかもしれない、ということを予め認識していたとすればどうでしょう。術後の経過観察は必ず必要ですから、執刀医は手術創の確認をしなければなりません。もしもこのときに複数の看護師が医師の診察前から診察後しばらく一緒にいたとすれば、状況が変わったかもしれません。もちろん、このような対策を立てたとしても「術後せん妄」が収まらなかった可能性もありますし、そもそも看護師がすべての患者にこのような対策をとることはできません。
ただ、結果として「術後せん妄」が起こった以上は、それは避けられない事態であったとしても、女性患者が苦痛を追ったことは事実なわけで、あらかじめそのようなことが起こることを女性が理解するまで説明していたのか、そのリスクを最小限にする対策をとっていたのか、術後せん妄が起こったときに速やかに適切な対応が取られたのか、という点は議論すべきだと思います。
この事件で私が思うもうひとつの問題はジャーナリズムの姿勢です。この事件は、少しの知識があれば「冤罪」であることは自明です。また、そういった「知識」がなかったとしても、「本当にこのようなわいせつ事件は起こり得るのか」ということを、数人の医療者に尋ねれば分かることです。まともな人間であれば、「冤罪」である可能性が極めて高い事件であることが分かりますから、実名報道は避けるのではないでしょうか。あるいは「逮捕」「起訴」されればどのような事件であっても実名報道すべきという”協定”のようなものでもあるのでしょうか。
警察庁のデータによれば、全国での強姦は年間千件以上あります。これらを逮捕者が無罪の可能性が高い状況で実名が報道されるケースはどれくらいあるのでしょう。率直に言って、この事件の容疑者が「医師」であるという、ただそれだけの理由で実名報道をしたのではないでしょうか。大手出版社ならもしかすると「社内規約」のようなものがあるのかもしれません。ではインデペンデントのジャーナリストはどうでしょう。例えば、江川紹子氏はYahooニュースに公開された自身の記事でこの医師の実名を(しかも何度も!)書いています。
ここで最近報道された別の事件を紹介したいと思います。2016年8月27日、静岡県警焼津署は、同席していた女性の酒に薬物を混ぜ、わいせつな行為をしたとして、準強姦容疑で、焼津市立総合病院の20代の医師を逮捕しました。この医師は容疑を否認しているそうです。しかし、この「事件」は共同通信などで実名報道されています。
さて、この事件の真偽についてはどうでしょう。私はこの医師のことを知りませんから無責任な発言になりますが、これが事実である可能性は現時点では「ある」と思います。以前述べたように、医師のほとんどは「人格者」である、というのが私がこれまで医師をしていて感じていることです(注1)。しかし、なかにはとんでもない罪を犯す医師もいる、ということはこのサイトで何度もお伝えしてきたとおりです。診察室で女児を裸にして写真を撮っていた研修医、未成年を部屋に連れ込みわいせつ行為をおこなった30代の医師など、常識的にはあり得ないような事件が実際に起こっています(注2)。2010年には東京の大学病院に勤める医師が交際中の看護師が妊娠したことを知り、栄養剤と偽って点滴に子宮収縮剤を入れ故意に流産させたという事件もありました。そういう事実を勘案すると、女性の酒に薬物を混ぜ、わいせつな行為というのは、あってもおかしくないな、というのが私の率直な印象です。
ただし、この医師は容疑を否認しています。この状態で、実名を報道することに問題はないのでしょうか。この容疑者が医師でなければ果たして実名報道されたでしょうか。
では、なぜ医師は冤罪の可能性が極めて高くても、本人が罪を認めていなくても、こんなに簡単に実名報道されるのでしょうか。メディア側としては、「医師は公的な存在であるためプライバシーよりも公共性が優先される」、という政治家に対して使うような理屈を用意するかもしれません。しかし、政治家と医師は人数も役割もまったく異なります。
マスコミがこのような態度を取り続ければ、医師と患者の距離がますます乖離していきます。ただでさえ、医療不信が根強い社会ですから、このような実名報道は、医師のマスコミ嫌いを加速し、患者を含む一般の人たちは、医師を「畏怖の対象」とみなすようになります。そうなれば「得」をする人はいません。では、不利益を被るのは誰でしょうか・・・。
繰り返しますが、私の経験上、医師は高い人格を有している人が大半です。この次診察を受ける医師を、わけのわからない犯罪に手を染めるとんでもない人種とみるか、信頼できて何でも話せる頼りになる存在とみなすかはあなた次第、ではありますが。
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注1:下記を参照ください。
メディカルエッセイ第134回(2014年3月)「医師に人格者が多い理由」
注2:下記を参照ください。
メディカルエッセイ第107回(2011年12月)「医師がストレスを減らすために(前編)」
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|2016年8月22日 月曜日
第163回(2016年8月) 医師の飲酒は許されるのか
酔っ払った医師に診てもらいたいと思う人はいませんし、そもそも倫理的に許されるはずがありません。しかし、正直に告白すると、私は飲酒している状態で患者さんの診察をしたことがあります。
今、「正直に告白すると」という言葉を使いましたが、じつはこのサイトですでに公表しています(注1)。200X年のある日、東南アジアのある国への渡航時、2本目のビールをたしなみうたた寝をしているときに機内アナウンスが流れました。一度は聞こえないフリをし、「診察が上手くいかず飲酒していたことが発覚したら・・・」という気持ちが立ち上がることを抑制しました。しかし、気づけば2回目のアナウンスが終わるまでに身体が自然に立ち上がっていました。
幸い、そのときは事なきを得ましたが、それ以来、機内で飲酒することへの罪悪感が拭えなくなりました。と言っても結局2回に1回くらいはビールを注文してしまうのですが・・・。しかし、機内では美味しさを感じられなくなりましたし、量も、缶ビール1杯も飲めなくなってしまいました・・・。
最近、対馬在住の医師が犯した事件が報道され物議を醸しました。
2016年7月9日午前2時10分ごろ、対馬市の国道382号線で飲酒運転の医師(59歳男性)が現行犯逮捕されました。この日、長崎県警津島南署は飲酒検問をおこなっており、医師はその検問を振り切って逃げ、パトカーで追いかけられ逮捕に至ったそうです。
この医師が勤務する病院によれば、この医師が担当する患者が危篤状態となり病院から呼び出しがあり、この患者はその後死亡。逮捕されたのは島で唯一のがんの放射線治療ができる医師(放射線科医)だったそうです。
医師が投稿する掲示板などをみると、医師に同情する意見と非難する意見の双方が寄せられています。同情する意見で多いのは、対馬で深夜にタクシーを呼ぶのは現実的でなく、マスコミの取材でタクシー会社はその時間にも営業していたことが分かったそうですが、すぐに来るのか、という問題もありますし、そもそもこの医師は自分で運転しなければ間に合わないと判断したのでしょう。(実際、患者はその後死亡しています)
また、人の命が関わっている緊急性を要する事象なのだから、「警察は飲酒運転を見逃すべきであった」、とか、極端な意見になると、「警察がパトカーで病院まで医師を送迎すべき」とするものもありました。
一方、医師を非難する人たちは、この医師が検問を振り切って突破したことを問題とし、それで交通事故が起こればどうするんだ、と糾弾しようとしています。これはもっともな理由であり、もしも飲酒運転の医師にはねられれば、飲酒運転の理由がどのようなものであれ、「はい、そうですか」、と納得することはできません。
私が医師の意見を読んでいて不思議に思うのは、タクシーか自家用車か、ではなく、「飲酒した状態で診察・治療することを問題とした声がなぜ出てこないのか」、ということです。医師が飲酒して診察などもってのほかだ!、といった正論を言いたいわけではありません。特定の治療がおこなえる医師が対馬にひとりしかいないのであれば、これからこの医師の後を継ぐ新しい医師もまた同じ問題に直面することになります。
これはとても重要な問題だと私は以前から思っているのですが、なぜか一般のメディアも、当事者の医師もあまり問題として認識していません。日本が医師不足なのは今さら言うまでもないことです。また、多数の島を有する日本では、その島に医師がひとりだけ、ということは珍しくありませんし、離島でなくても、医師がひとりだけという山間部の過疎地域もたくさんあります。
では、そのような地域で働く場合、あるいは対馬のように少し大きな島でも、今回の事件のように他に替わる医師がいない場合、医師は飲酒してはいけないのでしょうか。あるいは、運転はともかく飲酒した上での診療については大目に見るべきなのでしょうか。
沖縄にかつて日本軍も駐屯していた南大東島という離島があります。人口1,500人ほどのこの島には医師はひとりしかいません。今年(2016年)の3月まで、私の後輩となる大阪市立大学出身の太田龍一医師が3年間ひとりでこの島の医療を担っていました(注2)。ちょうど、3年間の勤務を終え、次の勤務地(島根県だそうです)へ赴任する前に大阪に寄るとのことだったため、私は彼を食事に誘いました。
南大東島で医師ひとりでおこなう医療の話は興味深いものばかりだったのですが、私は以前から気になっていた飲酒について尋ねてみました。なんと、太田先生は3年の間一滴もお酒を飲まなかったというのです。日ごろから飲酒しない人には想像しにくいかもしれませんが、太田医師は島に赴任する前は飲酒していたそうです。実際、そのときの食事で太田先生は3年ぶりのお酒を美味しそうに飲んでいました・・・。私自身も、お酒がなければ生きていけない、というほどではありませんが、3年間一滴も飲まないということに耐えられるかどうか・・・。
私の予想どおり、太田医師は島での祭りや運動会などにも積極的に参加していたそうです。当然こういったイベントの後にはお酒がつきものです。通常の夕食時にはお酒がなくても平気であっても、ハレの日くらいは飲みたくなるものです。(私がそうです・・・)
太田医師は医学部の頃から離島を含むへき地医療に関心があり、南大東島での勤務が決まった時点で、3年間一滴も飲まないことを決意したそうです。
しかし、日本の医療全体を見据えたとき、これでいいのでしょうか。飲酒しない人からすれば、「当然じゃないか。そもそも医師は夜間に呼び出されることもある職業なんだから、医学部を卒業した時点で、飲酒禁止にすればいいだけだろ。イスラム教徒を見習え!」と感じるかもしれません。たしかに、この意見は筋が通っています。最近は医学部の人気が上昇しているそうですから、医学部を目指す飲酒嫌いの人がいれば、こういう規則ができれば喜ぶかもしれません。
飲酒して「いい立場の医師」と「してはいけない医師」をはっきりと線引きするというのもひとつの方法かもしれません。対馬の例でいえば、放射線科医の勤務枠はひとつだけであり、「対馬を希望する放射線科医は飲酒不可」と決めておくのです。ただし、こんなルールがあれば応募する医師がいなくなる可能性もあります。では、逆に放射線科医を2名雇い、夜間に呼び出される日を二日に一度にする、という方法はどうでしょう。大きな島ならできるでしょうが、おそらく対馬の規模であれば人件費がでないでしょう。また、南大東島、あるいはもっと小さな島に医師二人は無理です。
では、やはり医師の大部分は飲酒禁止とすべきなのでしょうか。もしも国民投票がおこなわれればあっさりとそう決まってしまうかもしれません。以前、厚労省保険局医療課長が、「患者さんに24時間対応する役割を果たすのが本来のかかりつけ医」と発言していますし(注3)、医師の間では有名な秋田県のK村では住民の厳しい要求に耐えられずほとんどの医師が数か月で辞めていくそうです(注4)。
私の場合、太融寺町谷口医院をスタートさせたときは24時間電話を取っていましたが、緊急性のまったくない電話が鳴りやまず、1年もたたないうちに電話を取ることを中止しました。そして今は、夜間や休日には電話にでず、自宅や外で飲酒することもありますし、美味しく飲めなくなってしまったとはいえ国際線に搭乗するときに飲酒することもあります。
医師はどのようなときに飲酒してはいけないのか。対馬で勤務する放射線科医や離島で働く医師は絶対に飲んではいけないのか。地域医療に従事する夜間にも往診することのある医師はどうなのか。一度きちんと議論して、規則をつくるべきではないでしょうか。
実は今、タイから帰国するところでこの原稿を機内で書いています。隣の席の大柄な白人男性はすでに2本目のハイネケンを開けています。私は今、目の前のオレンジジュースをビールに替えてもらうかどうか悩んでいるところです・・・。
注1:下記コラムで述べています。
はやりの病気第122回(2013年10月)「飛行機の中の病気」
注2:太田龍一医師の活躍については、毎日新聞ウェブサイト版「医療プレミア」を参照ください。
http://mainichi.jp/premier/health/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E9%BE%8D%E4%B8%80/
注3:下記を参照ください。
マンスリーレポート2014年4月号「医療費を安くする方法~後編~」
注4:下記を参照ください。
メディカルエッセイ第132回(2014年1月)「医師の労働時間の実態」
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|2016年7月21日 木曜日
第162回(2016年7月) 医療批判記事からみえてくる医師の2つの過ち
医療不信というのは古今東西どこにでもあり、それを煽る週刊誌の記事というのも「聞き飽きた」とう感じがしないでもないのですが、最近「週刊現代」がおこなった医療批判の特集は大きな波紋を読んでいるようです。
腹腔鏡での手術全体を否定するような文章が物議をかもし、これがネット上で話題となりました。取材を受けた医師やNPOなどは、発言した内容と異なることを書かれたと、「週刊現代」に抗議をおこない、こういった一連の流れを他の週刊誌が報道しています。なかでも「週刊文春」2016年7月21日号は、「『週刊現代』医療記事はねつ造だ!」というタイトルで「週刊現代」の偏った記事を大きく批判しています。
取材時に話した内容と異なる記事を書かれたという医師が必ず言うのは、「週刊誌に掲載された自分のコメントを信じて手術(服薬)を中止して、死期を早めたり、病状が悪化したりすれば誰が責任をとるんだ!」というものです。これは一見、まともな意見であり、このように言われると「そうだそうだ! 読者の興味を引くためにわざと極端な言い方をしたり奇をてらったような表現を使う週刊誌が悪い! 週刊誌はいくら売れるかという数字のことしか考えておらず、病気で困っている人たちのことは考えず、不安を煽っているだけだ!」と週刊誌(週刊現代)を糾弾したくなります。
しかし、私はこういう意見を聞いたとき、「ちょっと待って! 医師には責任はないの?」と言いたくなります。というのは、もともとマスコミとはそういうものだからです。これは皮肉をこめて言っているわけではありません。マスコミは医学の教科書に書いてあることをそのまま記事にしても売り上げは上がらないわけで「従来とは異なる意表を突いた考えや奇をてらった意見」を紹介する方が売り上げにつながるのはしごく当然のことです。
私は研修医の頃に、何度となく先輩医師から「マスコミの取材は安易に受けるべきでない。曲解して記事にされるのがオチだ」という話を聞いていました。ですから、私自身は電話取材は100%お断りしていますし、メールで質問されたときも、「発表するまでに必ず原稿を見せてほしい。その約束ができないなら初めから受けない」と答えています。ちなみに、マスコミの取材に答える医師というのはそう多くなく、どこのマスコミも協力してくれる医師を必死で探しています。病院やクリニックには当然そのような電話がたくさんかかってきますから、太融寺町谷口医院では、まずウェブサイトの該当ページを読むよう伝えています。このページを作成してから、依頼をしてくるマスコミは激減しました。こんなに面倒くさいならやめておこうと思うのでしょう。
興味深いことに「必ず原稿を見せてほしい」というと、その段階で引き下がるマスコミが少なくありません。おそらく、「初めから結論ありき」の記事を書くつもりで、信頼性を高めるために医師の名前を引き合いに出したいだけなのでしょう。
一方で、こちらの意図を理解してくれて、記事を発表する前にきちんと原稿を見せてくれるジャーナリストもいます。こういう人たちは、ほとんど例外なく勉強熱心で、我々からも学ぼうとしてくれています。読者の関心を引く内容にしなければならないことを考えつつも、最終的に読者を困惑させるのではなく読者に正しい知識を持ってもらうように努めようとしている姿勢が伺えます。
ただ、私は週刊誌の取材に安易に答えた医師たちを非難したいだけではありません。忙しい中、マスコミの取材に答えたのは、「本当のことを世の中に伝えて患者さんを救いたい」という思いが強いからです。そういう意味で、取材に答えるのは「一直線で純粋な医師」という見方もできるでしょう。それに、緊急を要するような状況のなかでは、ジャーナリストと事前にじっくりと話をして、文章を何度も校正して・・・、という作業はおこなえません。例えば、震災や原発事故などがおこれば、詳細はともかく一刻も早く伝えなければならない情報もあるわけです。そういう場合は、求められれば医師は「自分の発言が曲解されないだろうか」と考える前に、医学的に正しい情報を供給すべきです。
しかし、今回「週刊現代」がおこなった医療批判の特集は、そのような緊急性を要する内容ではありません。ですから私としては、取材に答えた医師たちに、なぜ、発売されるまでに、「自分の発言に関する箇所だけでも原稿のチェックをさせてほしい」と言わなかったのか、と言いたくなるのです。今回、自分の発言と異なる内容のコメントを載せられた医師たちは今後同じような取材を受けることはないでしょうが、(私が研修医の頃よく聞いたように)若い医師たちに「マスコミの狡猾さ」を伝えてほしいと思います。
さて、私が今回の騒動で言いたいのは医師側の問題が少なくとも2つあるということです。ひとつは、今述べた、自分の発言が記事になるまでに内容に不備はないか確認しておくべきであったということ。もうひとつは、そもそもなぜこのような医療批判特集が好まれるのか、その原因が医師側にあるのではないか、ということです。
医療批判特集がよく読まれて話題になる・・・。これはすなわち、裏を返せば、それだけ「読者の主治医が信頼されていない」ということに他なりません。「週刊誌がいい加減な記事を書いて勝手に薬をやめる患者がでてくればどうするのか」と言う医師は「自分自身が週刊誌よりも信頼されていない」とういことを堂々と認めているわけです。週刊誌を批判する前に、自分自身のふがいなさを嘆くべき、と言えば言い過ぎでしょうか。
実は私も患者さんから「テレビでコレステロールはいくら高くても問題ないって聞いたから先生に処方してもらった薬やめてるんです」と言われたことがあります。つまりその患者さんの私に対する信頼度はテレビ番組以下ということです。これは嘆かわしいことではあるのですが、信頼度を取り戻して、なぜ今の状態でコレステロールの薬が必要かを一から説明し直すしかありません。
私が医学部の学生時代、大学病院で実習を受けていた頃、ある先生から「自分は<近所のおばちゃん>や<MM>(ワイドショーのパーソナリティ)にはかなわないんや・・・」という話を聞いたことがあります。医師である自分の話は聞かないし、薬の飲み忘れも多い一方で、「<近所のおばちゃん>がええよって言うてたからグルコサミン始めたんですわ・・」、「MMさんがテレビで薬減らしたほうがええ言うてたから先生の薬やめましたわ」と平気で言う患者が多いと言います。「まあ、自分はその程度にしか思われてないということや」とその先生は自虐的に言っていましたが、おそらくほとんどの医師が同じような経験をしているはずです。
しかしここで、「患者は分かっていない」などと考えれば何も解決しません。患者さんの多くは、週刊誌やテレビ、インターネットなどを駆使していろんな医療情報を探し求めています。もちろん、患者さんが知識を増やすことはいいことですし、それを次回の診察時に持ってきてくれて「こういう情報を聞いたんですけど実際はどうなのでしょう」と質問してくれれば、これは良好な医師患者関係です。しかし、いかがわしい医療情報をうのみにして、高価なサプリメントに手を出したり、医療機関通院をやめてしまったりすれば問題です。
私が医師の経験が増えれば増えるほど感じていることのひとつがまさにこの点で、特に慢性疾患の場合は、教科書通りの処方や検査を「すること」ではなく、なぜその処方や検査が必要であるかを「理解してもらう」ことの方がはるかに重要なのです。そして患者さんに「理解してもらう」には、患者さんを「理解する」が先です。そうなのです。一般の人間関係と同じで「理解してから理解する」が医師患者関係の基本なのです。
と言えば、聞こえがいいですが、私自身がすべての患者さんをどこまで理解できているかと問われれば、ほとんど自信がなく、「限られた診療時間」という言葉を言い訳にして中途半端な診察しかできていないというのが正直なところです・・・。
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|2016年6月20日 月曜日
第161回(2016年6月) 超高額の「夢の薬」に対処する2つの方法(後編)
超高額の薬を使い続けると国家財政が破綻するのは火を見るより明らかです。いずれどこかで一定の「線引き」をする必要があります。つまり、患者Aさんには保険で診療ができるけれど、患者Bさんには適用されません、としなければ医療費はもちません。当然この「線引き」は容易でありません。
年齢を基準にすればいいではないか、という考えがありますが、そう単純な話ではありません。実際にオプジーボが100歳の症例に使われた例があるらしく、「100歳を101歳にするのに3,500万円を使うのはおかしいのでは?」、という意見は賛同が得られやすいでしょう。しかし、この例でも、元来とても健康な100歳であり、日本最高齢の記録を塗り替えるのではないか、と言われているような人であったとしたらどうでしょう。
もっと分かりやすい例を挙げましょう。例えば、オプジーボを使用する年齢基準を80歳未満と決めたとしましょう。80歳の誕生日を迎えればもう保険診療はできない、とするのです。78歳からオプジーボを使い続けてがんがほとんど消失している、という人がいたとして、「はい。80歳の誕生日が来ましたから治療は終わりです。またがんが大きくなるでしょうができることはありません」と言うことが許されるでしょうか。
「80歳未満」というのを使用時の年齢でなく「使用開始」の年齢にすれば?という意見もあるでしょう。では次の2つのケースではどうでしょうか。
患者Xは、地域医療を担う医師。その地域には医師がひとりしかおらず住民は24時間365日その医師を頼っています。引き継いでくれる医師を探していますが見つかっておらず、引退したくてもできません。そんななか自分自身に肺がんが見つかりました。しかし先月80歳の誕生日を迎えたためにオプジーボは保険適用がありません・・・。
患者Yは、強姦事件で何度も逮捕され、少なくともあと10年は刑務所を出られません。おまけに刑務所内で脳梗塞を起こし、ひとりでなんとかトイレに行ける程度の活動度です。最近は軽度の認知症もでてきました。そんななか、定期検診で肺がんが見つかりました。患者Yは現在77歳です・・・。
さて、患者Xと患者Y、あなたが医師ならオプジーボを使いたくなるのはどちらでしょうか。ここで、犯罪歴のある人には高額医療を受けられないようにすればいいではないか、ということを考えた人がいるかもしれませんが、その理屈はおそらく受け入れられないでしょう。強姦で何度も逮捕と聞くと、「そんなやつに貴重な医療費を・・・」という気持ちになる人もいるでしょうが、犯罪歴があるというだけで医療を受ける機会を奪われるのは問題です。また、認知症があればオプジーボを使えなくする、というアイデアを思いついた人がいるかもしれません。しかし、認知症かそうでないかというのは境界が非常に曖昧ですし、オプジーボを使い出してから認知症を発症すればどうすればいいのか、という問題もでてきます。
つまり、年齢でオプジーボの適応を決める、というのはそう簡単なことではないのです。
では、お金で線を引く、というのはどうでしょう。オプジーボについては高額養費制度が適応されないようにして保険適応で3割負担とするのです。この方法でも年間3,500万円の3割、すなわち1,050万円を払えるという家庭はほとんどないでしょうし、差額の2,450万円は保険が負担することになります。現在の高額療養制度はその人の収入にもよりますが、最高でも月の上限が14万円ほどです。オプジーボに限りこの上限を50万円程度にするというのもひとつの方法です。別の方法としては、これは公的保険のオプションとしてでもいいですし、民間保険でもかまいませんが「オプジーボ保険」というのをつくるというのもひとつです。
このような方法をもし採用すれば「医療はいかなる人にも平等におこなわれなければならないものであり、金持ちのみがいい治療が受けられるなどという制度は言語道断である」という意見が必ずでてきます。というより医師の大半はそう言うでしょう。私自身もそう言いたいです。ただし、国に潤沢なお金があれば、です。
多くの医師は、このような議論になったときに「国民皆保険制」がある日本の医療システムは世界一だと言います。それはその通りかもしれません。しかし、です。このような制度は日本の伝統とまでは言いがたいものです。そもそも国民皆保険制が国民健康保険法の改正により成立したのは1961年ですからまだ55年しかたっていないのです。わずか55年間しか維持していない制度を、当然のように主張するには無理があるのではないか、というのが私が感じることです。
では、なぜ国民皆保険制度がこれまで維持できたのか。これはいろんなところで議論されていますからここでは多くは語りませんが、一番のポイントは「これまではそんな高い薬が存在しなかった」ということです。(高齢化社会以前の社会では働く若い世代が多く充分な保険料と税金が集まった、というのも大きな理由です)
21世紀に入るまでに最もお金がかかっていた医療行為はおそらく「人工透析」でしょう。ひとりあたり年間約500万の医療費がかかります。これまでの日本の国民皆保険制度の歴史を振り返ってみれば、この金額くらいがおそらく限界になるでしょう。その人工透析も高齢化社会で実施すべき人が増えていますからいずれ国の財政がもたなくなるという声もあります。
人工透析が誕生した当初は、極めて高額なものでありごく一部の人しか使用できなかったはずです。米国でもそれは同様で「生と死の委員会」または「神の委員会」と揶揄された会議があります。人工透析の実用化に成功したスクリブナーという米国の医師は「医療は非営利であるべき」と唱え、人工透析の適用はお金で決めてはいけないと主張しました。そこで、どの患者に透析をおこない、どの患者を(言わば)見殺しにするか、ということを決める委員会が1961年に開かれたのです。「3人の子どもの母親と、子どものいない偉大な芸術家、どちらが透析を受けるべきか」といった問題にきちんと答えられる人はいないわけで、この委員会は今でも医療倫理を語るときによく引き合いに出されます。
それで、現在のアメリカはどうかというと、オバマ・ケアで改善されたとは言え、今も保険に加入しておらず腎臓が悪化しても人工透析を受けられない人が大勢いると聞きます。(ただし、米国の場合、低所得者はメディケアと呼ばれる保険があり、無保険者は中所得者に多いと言われています)
世界に目を広げてみると、お金がなければ治療を受けられないのはむしろ当然のことです。日本では、心臓疾患の子供が米国で移植を受けるための募金が行われますが(親御さんの気持ちを考えると理解できることではあります)、米国でお金がないが故に心臓移植を受けられない子供がいるのも事実です。もっと言えば、例えばカンボジアやラオスで同じ心臓疾患の子供がいたとして、米国渡航を考える両親はほぼ皆無なわけです。
フィリピンでは、低から中所得者の大半は無保険です。私の知人のフィリピン人は、妹が呼吸困難で食事も摂れない状態だけどお金がなくて病院に行けないと言っていました。そのうち死ぬだろうがこれがこの国では当然だと言います。タイは2001年に「30バーツ医療」という政策がおこなわれ、30バーツ(約90円)支払えばどんな医療も受けられる制度になり、現在は実質無料で治療が受けられます。しかし、この医療でできることは、基本的な治療だけで高額な検査や薬は対象になりません。(抗HIV薬は安いものは無料でもらえますが、それが効かなかったり副作用が出て使えなくなったりした場合は手がうてないのが現状です)
私が興味深いと感じるのは、フィリピンやタイでは多くの人が、庶民が高額医療を受けられないのは当然と考えていることです。おそらくオプジーボのことをフィリピン人やタイ人に話すと、彼(女)らはたとえ自分自身が肺がんを患っていても笑い飛ばすでしょう。そして「生まれ変わったら日本に生まれてそんな治療を受けてみてもいいかも」と言うかもしれません。日本人を羨ましがるどころか、そこまでして生に固執する日本人を笑う人もいるに違いありません。
さて、不気味なのは日本の厚労省です。これだけ高価な薬を承認しているわけですから、将来の医療費について何らかの説明があってもいいと思うのですが、私の知る限り何も発表していません。マスコミや有識者が、このままでは国が滅びる、と言っているのに、です。「高い薬剤を保険で認めるな」、という世論の声を待っているのでしょうか。そして、そのような声がある程度大きくなった時点で、保険診療の医療行為をバッサリと削減するつもりなのではないか。そのような穿った見方をしたくなります・・・。
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|2016年5月23日 月曜日
第160回(2016年5月) 超高額の「夢の薬」に対処する2つの方法(前編)
最近、極めて高額な薬のことがよくマスコミに取り上げられています。後で詳しく述べますが、「年間3,500万円」、「一種の薬だけで年間1兆7500億円の医療費」などという言葉が一人歩きしているようにも思えます。これらは、たしかにマスコミが指摘するように喫緊の課題であり、早急に解決策を検討しなければなりません。
今回は、私が思う「超高額の薬に対する解決策」を提案してみたいのですが、その前に「高い薬」の最近の歴史を振り返っておきましょう。
私が医師になった2002年頃、高い薬としてよく話題になったのが、リウマチなどに用いる生物学的製剤です。2000年代初頭から次々と登場したこれらリウマチの新しい薬は歴史を替えるほど効果の高い薬です。しかし、費用が高くつくのが欠点であり、これが医師の間でよく議論になりました。日本では「高額療養費制度」というものがありますから、所得に応じて上限はありますが、それでも月に5万円以上は必要になります。一方、生活保護の人はまったくの無料でこの”夢の薬”の恩恵に預かれるわけで、ここに矛盾を感じる医師は多く、私もよく議論した記憶があります。(当時は、「この人、本当に生活保護を受給する資格があるのか」、と思うような、高級な衣服を身にまとい、高級車で受診するような受給者がいたのです)
抗がん剤のなかで「分子標的薬」と呼ばれる種類のものが2000年代半ばから飛躍的に開発が進み使われるようになってきました。種類にもよりますが年間の医療費が数百万円になるものもあります。日本人の2人に1人がガンになる時代です。見境なくこのような薬を使い続けると医療費が破綻することを指摘する声もでてきました。しかし、こういった薬は、あらかじめ患者の遺伝子検査をすることによって効果があるかどうかを事前に判定できることがあります。検査代も安くありませんし、すべてのケースで検査が有効なわけではありませんが、事前に薬が効くことを調べられる治療(これを「テーラーメイド治療」と呼びます)は高い薬を用いるときには理に適っており、がんに対する分子標的薬の使用を否定する医療者はほとんどいません。
次に登場したのがC型肝炎の治療薬です。これまではC型肝炎はインターフェロンでの治療が基本でしたが、副作用の強さや、また全員に著しく効くとは言えないものであり、とても難渋する感染症でした。ところが、ウイルスを直接やっつける薬が2010年代以降相次いで登場し、歴史が変わりました。うまくいけばあと数年もすればC型肝炎の大半はなくなる可能性すらあります。この薬は非常に高価であり3ヶ月で500万円以上もします。現在C型肝炎ウイルスを保有している日本人は約200万人と言われています。
もしも全員にこの治療をおこなえば単純計算で10兆円になり国が滅ぶことになります。しかし、適応を選べば、つまり放置すれば肝硬変や肝臓がんを発症するかもしれない症例だけに限定して使用すれば無制限に費用がかかるわけではありません。また、肝臓がんを発症してから必要となる医療費のことを考慮すればむしろ安くつくという声もあります。それに3ヶ月の治療で100%近い患者が「完全治癒」するわけですから、歴史を替える夢の薬とも言えるわけです。
高い薬の話になったときになぜかあまり取り上げられませんが、抗HIV薬の費用も安くありません。しかもC型肝炎とは異なり、HIVの場合は生涯飲み続けなければなりません。もしも若いときから抗HIV薬の服用を開始すれば生涯の薬剤費は1億円を軽く超えます。私は日頃の診察で比較的HIV陽性者を多く診ていますので、HIV陽性者が社会からの差別やスティグマに苦しんでいる現状を考えると、「HIV陽性者に貴重な医療費を使わせるな」という声が上がらないかということを懸念しているのですが、少なくとも日本ではそのような声は聞きません。これは、社会からのHIV陽性者に対する偏見がなくなってきたと捉えていいのでしょうか。
さて、ここ数ヶ月の間、マスコミでさかんに取り上げられている「高い薬」は、これまで述べてきたものではなく、ただ1つの薬のことを指しています。それはオプジーボ(これは商品名、一般名はニボルマブ)というがんに用いる薬(「免疫チェックポイント阻害薬」と呼ばれています。従来の抗がん剤とはメカニズムがまったく異なることから、手術、放射線、抗がん剤に続く「第4の治療」と言われることもあります)です。冒頭で述べたように「年間3,500万円」「医療費は年間1兆7500億円以上」という数字はこの薬のことを指しています。
さらに、この薬が物議を醸しているのは、先に紹介した分子標的薬のように、あらかじめ遺伝子検査をして効くかどうかを調べることができないからです。ですから、がん(今のところ保険適用があるのは一部の皮膚がんと肺がん)を患っている人が希望すれば、医師としては使わないわけにはいきません。
オプジーボが他のがん治療薬と異なる点は他にもあります。従来の抗がん剤(分子標的薬も含めて)であれば、よく言われるように完治が期待できることは(一部の悪性腫瘍を除いて)ほとんどなく、寿命がつきるまでの治療であり、その寿命が尽きる時間はそれほど長くはありません。ですから、長期間にわたり高価な薬が使用されるわけではないのです。
一方、オプジーボは完治も期待できるまさに「夢の薬」です。しかし、全員に効果があるわけではなくせいぜい全体の2割程度です。では、残りの8割には使わなければいいではないか、となるわけですが、分子標的薬のようにあらかじめ効くかどうかを調べる遺伝子検査というのはありませんし、いつやめるのか、という効果判定が極めて困難なのです。「効かなければやめればいいではないか」と考えられますが、この判定が簡単にできないのです。一部の報告では、オプジーボを使い始めると一時的にがんが大きくなりその後小さくなった、とするものもあり、そういったことを聞けば、患者心理としては、「可能性が少しでもあるなら使ってよ」となるわけです。「今はがんが大きくなって効いていないかもしれないけれど、次の検査では小さくなっているかもしれない」、と患者やその家族が考えるのは当然です。
まだあります。それは「がん罹患者は減らない」ということです。これからも国民の2人に1人ががんを発症するという傾向はまず変わりません。次々に現れるがん罹患者にこのような高額な薬を使い続けていけるはずがありません。楽観的な見方をする人は、利用者が増えれば薬価が下がると言いますが、おそらくそうなればオプジーボにとってかわる新たな薬が登場するでしょう。なにしろがん罹患者は減らないのです。こう考えると、いずれ完全になくなることも期待されているC型肝炎の薬が1錠8万円と言われても、安くすら感じられます。
オプシーボとがんについて、ここまで述べてきたことをまとめてみます。
①オプシーボはがんの完治も期待できる「夢の薬」である。
②ただし実際に効果があるのは肺がん(非小細胞がん)でいえばせいぜい2割程度。
③一部の分子標的薬のようにあらかじめ効く症例を選別できない(したがって希望すればほぼ全例に使用されることになる)。
④効果のある例でもいったんがんが大きくなることもあり、効いているのかどうかの判別が非常に困難で、一度使い始めると容易にやめられない。
⑤年間3,500万円(体重60kgの場合)、年間医療費1兆7500億円(5万人が使用した場合)。
⑥がん患者が今後大きく減少することは考えられない。
⑦オプジーボの利用者が増えれば将来薬価が大きく下がるだろうが、代わりに高い薬が登場することも考えられる。
⑧日本の医療制度には「高額療養費制度」があり個人負担は大きく抑えられる。生活保護受給者は無料である。
さて、ただひとつの薬だけで毎年1兆7500億円の医療費がかかるとなると国家予算が破綻するのは自明でしょう。これを打開するには、オプジーボの「適用」を決めるしかありません。つまり、誰に使って誰に使わないかの線引きをするのです。これには2つの方法が考えられます。1つは年齢で線を引く方法、もう1つはお金で決める、つまり自己負担を上げるという方法です。
前者を主張する声はちらほらと上がっているようです。100歳にオプジーボが使われた例があるそうで、100歳を101歳にするのに3,500万円使っていいのか、というわけです。一方、後者を指摘する声はほぼ皆無です。しかし、私はお金で決めるという選択も真剣に議論する段階に来ていると思っています。このようなことを医療者が言うと必ず非難されますから、おそらく誰も口にはしないでしょう。しかし私は少なくとも一度きちんと各自が考えて国民全体で議論すべきだと思っています。次回詳しく述べていきます。
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|2016年4月22日 金曜日
第159回(2016年4月) 医師の不祥事と悲しきジャーナリズム
最近、医師の不祥事が立て続けに報道されています。ここ2~3ヶ月で報道されたもので主なものを並べてみます。まずはわいせつ事件から。
2016年2月10日、当時15歳の女子生徒の裸を撮影したとして、児童買春・ポルノ禁止法違反で高知県の60代男性医師が逮捕。この医師は、同じ女子生徒にわいせつ行為をおこない1月21日にも逮捕されていましたから2月は再逮捕ということになります。
2月24日、術後で抵抗できない女性の胸などを触ったとして準強制わいせつ罪で神戸市の40代男性医師が起訴。翌日の25日、女子高生2人を買春した疑いで大分市の20代医師が逮捕。
15歳の女子生徒に・・、術後の抵抗できない女性に・・、といったことは到底考えられないようなことですが、逮捕や起訴が実際におこなわれているのですからこれらは事実なのでしょう。次はわいせつ以外の事件をみていきます。
2月10日、診療報酬の架空請求で3千万円をだまし取った奈良市の50代の医師が懲役3年6ヶ月の判決。同日、女性研修医のメールのIDを不正に入手し無断でアクセス、女性研修医に成り済まして男性にメールを送り、その返信に添付された男性のみだらな写真を病院内のトイレに置いたとする名誉毀損の罪などで、北海道の32歳医師が有罪判決。
2月12日、覚醒剤取締法違反で広島県呉市の病院長50代男性が現行犯逮捕。2月17日、20代女性と女子高生の2人を連続ひき逃げし過失傷害と道交法違反で浜松市の50代医師が逮捕。2月20日、酒に酔い救急隊員を殴り公務執行妨害で大阪府枚方市の40代男性医師が逮捕。2月22日、同僚医師の金を盗み窃盗の疑いで広島市の30代男性医師が逮捕。2月26日、宮崎大学医学部の医師がインサイダー取引で懲戒処分。3月31日、中国から危険ドラッグを輸入し東京税関が東京都の60代の医師を東京地検に告発・・・。
地方紙まで検索すればまだまだ出てくるかもしれません。こういった記事を立て続けに見ると、「医師はいったい何をやってるんだ!」と憤りを感じる人も多いでしょうし、これだけ次々に出てくるなら、報道されているのは氷山の一角じゃないのか、と感じる人もいるかもしれません。しかし、実際にはこのような医師は私の周囲にはいませんし、噂としてもこういった話はめったに聞きません。信じがたいという人もいるかもしれませんが、大半の医師は高い人格を有しています。
一方で、医師に同情的というか、”たかだか”道交法違反やインサイダー取引で報道するのはいくら医師だからといって気の毒ではないかという意見もあります。「医師も人間だから・・・」という人もいます。たしかに、先に紹介した事例でいえば、一般の会社員であれば、報道されていないであろう、もしくは報道されたとしても実名までは出ないだろう、と思われるケースがほとんどです。ネット社会のこの時代、いったん実名がネット上に出回ればそれを消すことは容易ではありません。彼らが今後医師としてやっていくのは極めて困難です。
当事者の医師たちはマスコミを憎悪しているかもしれません。しかし、マスコミも善悪の判断はしているはずです。一般の会社員であれば報道しないことも、公人であれば報道するのがマスコミの使命です。先に挙げた犯罪が政治家によるものであったとすれば、間違いなく報道されるはずです。医師は政治家のような純粋な「公人」とは呼べないかもしれませんが、国民から徴収される税金と保険料が収入の元になっているわけですし、ヒポクラテスの誓いなどを持ち出すまでもなく高い倫理感を持たねばならない職種ですから、マスコミが厳しく報道することに私は異論ありません。
しかし、です。マスコミの報道が完全に「公平」かと言えば、そうではないと思います。私が感じる「過小報道」と「過大報道」について述べてみたいと思います。
まずは「過小報道」から。あえて先には述べませんでしたが、ここ数ヶ月でマスコミが最も取り上げたのが、診療報酬詐取で3月9日に逮捕された東京都の30代女性タレント医師でしょう。すべてのマスコミが厳しく報道し、ネット上でも彼女を擁護する意見は皆無と聞きます。医師専用の掲示板でも少し話題になっていましたが、軽蔑するような意見のみです。医師の間では議論する価値すらないと思われているようです。悪質犯罪者は二度と医療現場に顔を出さないでくれ、で終わりです。同情の声は一切ありません。
私が「過小報道」と考えているのはこの事例ではありません。同時期に京都で発生したとんでもない事件のことです。この事件は非常に悪質であり、しかも犯人が医師ですから、それなりには注目されたのですが、東京の女性医師に関連した報道ばかりが目立ち、結果として京都の医師はあまり取り上げられませんでした。この事件をここで振り返っておきます。
2015年末、40代の京都の男性医師が速度違反で摘発されました。この医師は運転免許証を携帯しておらず身分証明として住基カードやパスポートを提示し、そこにはこの男性医師の顔写真が貼付されていました。これらの身分証明書が偽造されたものであることが後に発覚します。なんと自分が診ている患者の名前で偽造していたのです。京都府警は2016年1月13日、この男性医師を有印私文書偽造・同行使の容疑で逮捕しました。
自分の患者の名前を使って住基カードやパスポートを偽造・・・。にわかには、というよりもどれだけ熟考しても理解できません。ある意味では、東京の女性医師の、カネとオトコに目がくらんで・・・、の方がまだ理解しやすいかもしれません。続きがまだあります。この男性医師は、偽造パスポートを用いて実際に海外に渡航したことがその後の捜査によって判明しました。偽造パスポートで海外渡航したということは、入国先で何らかの犯罪行為に手を染めるのが前提なのでしょう。
さらに、複数の患者名義で住基カードをつくり、なんと金融機関の口座を開設、しかも見つかった通帳が70点にも上ると言いますから驚きを通り越して何と言えばいいのかわかりません。この事件はもっと大きく報道し、警察の捜査では見つからなかった被害者がいないかどうかの呼びかけをマスコミに担ってほしかった、東京の女性医師の事件よりも悪質ではないのか、というのが私の意見です。
次は「過大報道」です。「報道の自由」がありますから、京都の医師のように私が「過小報道」ではないのか、と言ったところで説得力はありません。マスコミには何を報道するかを決める自由と権利があります。しかし、過大報道はどうでしょう。そのせいで、容疑者が不当に不利益を被ったとすればどうでしょうか。社会にはマスコミのいきすぎた報道のせいでその後の人生が大きく変わってしまった人は少なくありません。
2016年3月30日、京都府警は、強制わいせつの容疑で70代の男性医師を逮捕しました。この医師は自身の病気で京都市内の病院に入院しており、心電図の装置を取り付けようとしていた(ナースコールで呼び出したとする報道もあります)20代の看護師に抱きつきキスをしたそうです。
個室での強制わいせつですから、被害者からの訴えがあったのだと思われます。もちろん被害者及びその家族は大変辛い思いをしたに違いありません。ですから警察に届けるのは正当な行為ですし、被害届を受理した警察が捜査して逮捕するのは当然のことです。
しかし、です。これをマスコミが報道するのは問題があります。最初に述べた複数のわいせつ事件とどう違うのか、と思う人もいるでしょう。しかしこの事件は事の本質がまったく異なります。報道によれば、逮捕された70代の男性は、公立の大学病院の元病院長です。学歴や経歴と犯罪には関係がありませんが、この医師が「正常な思考状態」であれば、まず間違いなくこのような犯罪はおこないません。では、なぜこのような奇行に出たのか・・・。おそらく認知症があるからです。そしてその認知症は前頭側頭型認知症(FTD)と呼ばれる理性のコントロールが効かなくなるタイプのものだと思われます。報道だけでは断定できませんが、私はその可能性が極めて強いとみています。
もちろん認知症があれば何もかも許されるわけではありません。被害者もいるわけですから法律に基づいた処罰を受けねばなりません。しかし、報道はどうでしょうか。この事件は、「元病院長が強制わいせつ!被害者は20代の看護師!」で充分話題になり、ゴシップとしては面白いのでしょう。しかし、読者の興味を引くことだけを考えていればそれでいいのでしょうか。
医師は一般の会社員よりも厳しく報道されるべきだとは思います。しかし、ときには加熱しすぎていないかどうか、マスコミの方々に検討いただきたいものです。
参考:メディカルエッセイ
第107回(2011年12月)「医師がストレスを減らすために(前編)」
第95回(2010年12月)「医師による犯罪をなくすために(前編)」
第38回(2006年5月)「わいせつ医師を排除せよ!①」
第39回(2006年5月)「わいせつ医師を排除せよ!②」
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|2016年3月19日 土曜日
第158回(2016年3月) 「がん検診」の是非
がん検診を受けるべきか受けるべきでないか、というのはここ数年間よく話題になりますし、患者さんからもよく質問されることです。今回は、私なりに、この「がん検診は是か非か」についてここ10年ほどの「歴史」を振り返ってみて、ではどうすればいいのか、というところまで述べていきたいと思います。
がん検診の是非については両極端な考えがあり、患者間のみならず医療者の間でも意見がまとまっていない、というのがひとつめのポイントです。
両極端な考えの1つは近藤誠先生の「がんもどき理論」です。がんもどき理論とは、「本物のがんは検診では発見することができず発見されたときには助かる術がない。検診で見つかるのは治療不要な<がんもどき>だけ。だから検診は不要」、とするものです。
近藤誠先生の「がんもどき理論」に全面的に賛成し、この理論を広めようとしている医師を私は知りません。しかし、この理論は世間一般にある程度受け入れられています。ここが近藤先生のすごいところで、同業者の医師にこれだけ批判されながら世間では受け入れられている点は注目に値します。
がんもどき理論に対し私の見解を述べておくと、少なくとも甲状腺がんの大半についてはがんもどき理論で説明がつくと考えています。(これについては過去のコラムで述べたことがあります)。また、前立腺がんについてもその可能性があるのではないかと考えています(これについては後述します)。
しかしがんもどき理論を受け入れられないがんもあります。代表は子宮頚がんです。子宮頚がんは定期検診でほぼ100%早期発見できて、早期発見できればほぼ100%助かります。早期発見ができて早期治療をした患者さんに対して「そのがんはがんもどきだから無駄な治療をしましたね」と近藤先生は言われるのかどうか、機会があれば聞いてみたいものです。(これについても過去のコラムで述べたことがあります)
両極端な考えのもう一方は「腫瘍マーカー」に対する”信仰”です。総合診療(プライマリ・ケア)の現場では、「人間ドックでがんの値が少し高いと言われて心配になって来ました」という訴えが少なくありません。ここで患者さんが言っている「がんの値」というのが腫瘍マーカーです。腫瘍マーカーに対する誤解は過渡期に比べれば少しましになりましたが依然根強くあります。
腫瘍マーカーとはがんを早期発見できるものではありません。腫瘍マーカーを測定する目的を一言でいえば「がんを発症して治療を受けた人の再発がないかを調べること、または治療できない状態まで進んだ人の重症度を調べること」です。しかも、これらもあくまでも「参考」であり、絶対的なものではありません。そして、がんの早期発見にはまったく無意味です。もしも検診で腫瘍マーカーが高く、その原因が本当にがんであるなら、治療できない状態まで進んでおり「早期発見」とは呼べないのです。
それだけではありません。「弊害」も少なくないのです。そもそも人間ドックを受ける人というのは健康に対する関心が強く、さらに「もしもがんが見つかればどうしよう・・・」と不安を感じやすい人が多いのです。そして、腫瘍マーカーはあくまでも参考にすぎず、高い値が出てもがんになっているわけではなく(これを「偽陽性」と呼びます)、逆に正常値であったとしてもがんがないとは言えません(これを「偽陰性」と呼びます)。
不安な人が腫瘍マーカーを調べて高い値がでたとき、それは偽陽性であり心配不要ですよ、ということをいくら説明しても納得してもらえないことがあります。強くなった不安感が冷静な判断を妨げているのです。ひどい場合は、この医療機関で見つからなかったけれど別のところを受診すれば見つかるかもしれない、と考えドクターショッピングを始める人もいます。人間ドックで何気なく受けた不適切な検査がその後の生活に大きな影響を与え、無駄なお金と時間を費やすことになるのです。
ではすべての腫瘍マーカーががん検診で否定されるのかと言えば、ひとつだけ受けてもいいかもしれないものがあります。それは前立腺がんの「PSA」という腫瘍マーカーです。PSAは長い間、がんの早期発見につながる”唯一の”腫瘍マーカーと呼ばれてきました。しかし、現在ではこの見方も変わりつつあります。
きっかけは2007年9月、厚生労働省の研究班が「PSA検査は集団検診として推奨しない」とするガイドライン案を発表したことです。研究班は、推奨しないとした理由を「PSA検査による死亡率の減少効果が不明であり、さらに精密検査による合併症の危険が高いこと」としています。これに対し泌尿器科学会は反対の声明文(注1)を発表しました。
そして2012年5月、今度はUSPSTF(米国予防医療サービス対策委員会)が見解を発表しました。「PSA測定は不利益が利益を上回る」として前立腺がんの早期発見にPSA測定をおこなわないように勧告したのです。すると、日本と同じようにやはり米国泌尿器科学会がこの見解に対し反対の意見を公表しました。
つまり、日本でも米国でも前立腺がんの早期発見にPSA測定が有効か否かというのは政府と泌尿器科学会で意見が正反対ということです。なぜこのようなことが起こるかというと、厚労省やUSPSTFは「国民全体」を見ているのに対し、泌尿器科医は「目の前の患者」を見ているからです。泌尿器科医からすれば、早期発見できれば助かったのに・・・、という症例を経験すると、多くの人にPSA検診をしてほしいと思います。一方、国民全体をみている厚労省やUSPSTFは、全体として死亡率が下がっていないどころか過剰診療につながり、手術の合併症や治療の副作用に苦しむこともあるため推薦できないと考えるのです。
実際PSA検診が盛んにおこなわれた1990年代の米国では急激に前立腺がんの患者が増えています。以前から、前立腺がん以外の死因で亡くなった死体の解剖をおこなうと約半数に前立腺がんが見つかるということが指摘されています。これは、前立腺がんの多くは治療する必要がない、ということを示しています。前立腺がんは先に紹介した韓国の甲状腺がんの状況と似ていると言えます。
さらに最近PSA検診の否定につながるかもしれない研究が発表されました。医学誌『Journal of Clinical Oncology』2015年12月7日号(オンライン版)に掲載された論文(注2)によりますと、前立腺がんに対するアンドロゲン遮断療法がアルツハイマー病の発症リスクになるというのです。治療する必要のなかった前立腺がんに治療をおこない、その結果アルツハイマー病を発症することになれば目もあてられません。そもそもPSAなど測定しなければこんなことにならなかったのに・・・、と考えたくなる人もでてくるでしょう。
現在世界中で物議を醸している論文があります。医学誌『British Medical Journal』2016年1月6日号(オンライン版)に「がん検診はなぜ生存率を上げないのか」という内容の論文(注3)が掲載されました。この論文では、ほぼすべてのがん検診が結果として死亡率を減らせていないことを示しています。従来有効とされていた子宮頚がんや乳がん、胃がんでさえも検診が死亡率低下に寄与していないことをデータが示しているのです。
ではどうすればいいのでしょうか。私個人の意見を言えば、現在厚労省が推薦している検診は受けるべきです。人間ドックのようにお金をかけるのではなく、市民健診や職場の健診のオプションを利用するのがおすすめです。厚労省が推薦しているのは、大腸がんの便潜血、胃がんのX線(バリウムの検査)及び内視鏡(胃カメラ)、肺がんのX線と喀痰検査、子宮頚がんの細胞診、40歳以降の乳がん(マンモグラフィー)です(注4)。
ここで注意すべきなのは、先にも述べたように厚労省は「国民全体をみているのであってひとりひとりに注目しているわけではない」ということです。厚労省としては、全体としての費用対効果を最重視します。ごく少数のがん患者を早期発見できたとしても、莫大な費用がかかればその検査は推薦しないわけです。厚労省の推薦している検診以外に、我々ひとりひとりがどのような検査を受けるべきか、また受けるべきでないかという点については、かかりつけ医の意見を聞くのが賢明です。いきなり人間ドックに行って高額な費用を払うのではなく、日頃から目の前の患者さんの医療費を下げることを考えているかかりつけ医にまずは相談するのが一番いいというわけです(注5)。
注1:詳しくは、「「厚生労働省がん研究助成金による「がん検診の適切な方法と評価法の確立に関する研究」班(濱島班)の「有効性評価に基づく前立腺ガイドライン案(2007.9.10)」に対する声明文」を参照ください。
http://www.yokosukashi-med.or.jp/kenshin/psa.pdf
注2:この論文のタイトルは「Androgen Deprivation Therapy and Future Alzheimer’s Disease Risk」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://jco.ascopubs.org/content/34/6/566.abstract?sid=7102d39e-0583-443f-9854-937b6d10ed88
注3:この論文のタイトルは「Why cancer screening has never been shown to “save lives”–and what we can do about it」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://www.bmj.com/content/352/bmj.h6080
注4:詳しくは下記を参照ください。
注5:近い将来、がん検診が劇的に変わる可能性があります。現在注目されているのが、国立がん研究センターがすすめている「体液中マイクロRNA測定技術基盤開発」というプロジェクトです。これが実現するとわずか1滴の血液で13種のがんの早期発見が可能となり、2018年度末までに実用化すると言われています。また、ガン独特の臭いに注目した研究も期待されています。ひとつは東京医科歯科大学がおこなっている臭いを感知するセンサーを使って手のひらの臭いからガンの早期発見をおこなう方法、もうひとつは、九州大学理学部がおこなっている線虫に人の尿の臭いをかがせてがんの早期発見をおこなう方法です。これらが実現化すれば現在のがん検診は歴史的転換を迎えるかもしれません。
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|2016年2月19日 金曜日
第157回(2016年2月) 世にも奇妙な医療機関
最近、医学部教授に対する否定的な報道が増えてきているように思います。
最も目立つのが、東大医学部教授で附属病院救急部部長の矢作直樹教授でしょうか。矢作教授は著書『人は死なない』がベストセラーになり、その後「手かざし治療」や「霊感セミナー」をおこない、さらに「ヘッドギア」を販売しているとし、週刊誌から否定的な報道がおこなわれています。しかし、現在も東大大学院及び東大附属病院のウェブサイトに矢作教授の名前や写真が載っています。もしも報道が事実なのだとしたら、当然大学や大学病院から処分を受けるはずですから、報道がすべて正しいわけではなさそうです。
2014年には、岩手医大のW教授(当時)が、外国人のホステスと一緒に覚醒剤を使用していたことが『週刊文春』により報道されました。同紙の違法薬物の徹底した取材は有名で、最近では元プロ野球選手のK氏の逮捕のきっかけが同紙の報道と言われていますし、2014年に逮捕された大物デュオA氏も同紙の報道が始まりだったとされています。その『週刊文春』がスクープしたわけですからW教授も事実なのか、と思われましたが、こちらはその後の報道がありませんし、同大学のウェブサイトによれば、2015年8月に新しい教授が就任するまでは教授職にとどまっていたようですから、少なくとも大学側は週刊文春の報道を事実とはみていないということになります。
2015年12月、兵庫医大が当時医学部教授の西崎知之氏を懲戒解雇にしました。理由は、西崎氏の著書『認知症はもう怖くない』で、自身の研究を「2008年に兵庫医科大学倫理委員会の承認を得た」としていることです。実際には、大学はこの研究に何ら関与しておらず虚偽記載であることから懲戒解雇という判断が下されました。
これに対し、西崎(元)教授もウェブサイト上で反論しています。しかしその内容は「ライターが誤って書いた」とするもので説得力がありません。ライターが書いたのだとしても、自分の名前で出版する以上はきちんと校正し言葉のひとつひとつに責任を持たねばなりません。このような反論なら逆効果になるだけです。
報道というのはときに過剰になっていくものです。噂が噂を呼び大きくなっていくこともよくあります。ですから否定的な報道をされた人物に対しては、その人物の立場に立って物事を見ていく必要があります。しかし、いくらひいき目にみてもこの元教授のしていることには共感できません。効果がはっきりしないサプリメントを高額で販売する会社に与しているようであり、また件の研究に自信があるなら再度研究をやり直す、あるいは一流紙に掲載されるよう努力をする、といったことをされればいいと思うのですが、そういう記載はありません。
そして、私が最も不審に思ったのは、この元教授が関係している「世にも奇妙な医療機関」です。その医療機関の名称は「新大阪キリシタン病院大隈研究所」。ウェブサイトをみると、トップページに「兵庫医科大学西崎研究所と共に認知症の患者がより世の中で過ごしやすく、以前と変わらぬ暮らしができるように日々研究を積極的に取り組んでいます」と記載されています。つまり、認知症の治療を主目的とした、元教授が深く関わっている医療機関ということになります。
トップページの写真は明らかに医療機関の受付と待合室であり「初診」という文字も読み取れます。ページ左の目次には「看護部案内」というものもありますから、やはり医療機関なのでしょうか。(しかしこの「看護部案内」はクリックしても開きません)
所長挨拶のところには、「1902年に設立された新大阪キリシタン病院を前身とする医療施設です。理念としては、地域に愛される「良心」を基調に(中略)「良心をもって高齢者の医療を充実させ地域に愛される病院施設」を揚げ活動を行っています」と書かれています。しかし奇妙なことに、その所長の名前が記されていません。文脈からは西崎元教授が所長なのかと考えられますが、その記載はありません。また、アクセスが不明で、このサイトを隅から隅まで読んでも、この医療機関がどこにあるのかが分からず、どうやって行けばいいのかがまったく不明なのです。
さらに奇妙なのはここからです。ウェブサイトの左下に「研究員名簿」という欄があります。この「研究員」が不可解なのです。たとえば、上から三番目の「西マサミ」という名前をクリックすると「1998年1月 山口県生まれ、山口県立山梨高等学校を首席で卒業、卒業後は北九州民族大学医学部にて救命救急医として研修医生活を行う」とあります。
この時点で疑問だらけです。まず1998年生まれなら2016年現在18歳ということになります。18歳で医学部を卒業し研修医生活をおこなうことは絶対にできません。それに「北九州民族大学医学部」などというものは実在しません。まだあります。「経歴」に「2012年11月 院内ベストオブ2012を受賞」とあります。1998年生まれで2012年ということは14歳ということです。14歳で「院内ベスト」とは何を指しているのでしょう。2012年12月には、「地方雑誌「淀川サタン」に研究レポートの抜粋が転載されると予想」とあります。そのような雑誌の存在自体が疑問ですが、自身のレポートが転載されると”予想”というのはどういうことなのでしょう。また、「2013年04月 実家へ帰省」とあります。なぜ実家へ帰省することが「経歴」なのでしょう??? 分からないことだらけです。
西マサミ氏の写真も不自然です。このような疑問を感じたのは私だけではないようで、ある医師のポータルサイトに、この奇妙な医療機関についての投稿があり、そこでこの西マサミ氏の写真は「恋愛jp」というウェブサイトから転載されていることが暴かれていました。
他の「研究員」も見てみると、「安倍美織」のページには、プロフィールに「それなりの成果を上げ仲間からも認められる医師」と書かれています。それなりのってどういうことか、と言いたくなりますが、それはさておき、写真が明らかに不自然というか、ナースキャップを被った写真なのです。今どき看護師でさえナースキャップは使用しません。これが医師の写真とは到底思えません。
研究員「市川杏奈」のプロフィールには「北九州大学医学部にて精神科医の資格を習得」とありますが、そもそも北九州大学(北九州市立大学)には医学部はありません。研究員「磐田奈菜」の経歴は「私立神戸学院大学医学部に入学」とありますが、神戸学院大学にも医学部はありません。1984年生まれとされており「奈菜」という名前は女性を思わせますが、掲載されている写真は30代の女性ではなく、どうみても50代のおじさんです。
まだまだありますがこれくらいでやめておきましょう。こんなサイト、野放しにしておいていいのでしょうか。この医療機関が実際に存在しているならまともな診療をしているとは到底思えません。
あるいは、このサイトは何かの「テスト」のようなものなのでしょうか。この”医療機関”は認知症を専門にしていると書かれています。このサイトをみて、「ここで認知症を治してもらおう」と思って連絡する人は「進行した認知症」、「なんだこのサイト、うさんくさいな・・、こんなサイト相手にすべきじゃないな」と判断し、連絡をしなければ「正常」。そのような「テスト」として機能させているサイトなのでしょうか。しかし、この”医療機関”には連絡先が書いてありません・・・。
兵庫医大を懲戒免職になった西崎元教授には、自身の研究をやり直す前に、この「新大阪キリシタン病院大隈研究所」という世にも奇妙な医療機関の説明をしてもらいたいと私は思います。
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