メディカルエッセイ

2018年7月26日 木曜日

第186回(2018年7月) 裏口入学と患者連続殺人の共通点

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 過去には二十人以上の裏口入学者が出た年もありました。去年は「裏口入学の申込者が七十人くらいいて大変だ」という話を聞きました。去年の一般入試の定員は七十五人ですから、もちろん全員を受け入れたはずはないでしょうが・・・・
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 これは「週刊文春」2018年7月19日号に掲載された東京医大のあるOBのコメントです。75人の定員に裏口入学が20人以上…。これが事実なら(OBが述べているからその可能性が高いでしょう)国を挙げて捜査すべきではないでしょうか。

 裏口入学って本当にあるの? これは私が医学部に入学してから知人から何度も聞かれた質問です。その度に私は「自分の知る限りない」と答えてきました。実際、私の母校の大阪市立大学医学部では「過去も現在も一例もない」と私は今も信じています。6年間の在学中も卒業してからもそのような話は一度も聞いたことがありませんし、極端に学力が低い医学生も見たことがありません。

 ただ、私が医学生の頃から「私立の医大では裏口入学がある」という話は何度か聞いたことがあります。また、替え玉受験の噂も数回聞いたことがあります。ですが、当時も今もそのようなことを検証する気力もコネも私にはありませんし、おそらく他の医大生や医者もそうでしょう。このような「詐欺行為」はあってはならないわけですが、分かりやすい”被害者”がいるわけではありませんから、告発する人がいませんし、訴えがないなら警察や検察も動くことはありません。

 ですが、今年(2018年)に発覚した「東京医大裏口入学事件」をきっかけに不正行為の徹底調査をおこなうべきではないか、と私は思います。いえ、私だけでなくほとんどの国民がそう思うでしょう。先に「被害者はいない」と述べましたが、正確にはいます。まず、不正行為で入学した者のせいで合格点に達していたのに不合格にされた「正直者」は被害者です。また、たとえ医師国家試験に合格していたとしても、医学部に不正行為で入学した者に医療行為を受ける患者さんはどうなるのでしょう。

 医師国家試験に合格しているのだから医学部には裏口入学で入っていても別にかまわない、と思える人はどれだけいるでしょうか。そもそも医師国家試験は合格率が9割を超える”簡単な”テストです。簡単と断言するのは問題かもしれませんが、「それなりの勉強」をしていれば不合格になることはありません。「それなりの勉強」というのは、高校受験や大学受験とは異なります。

 少し話がそれますが、せっかくですから国家試験の種明かしをここでしておきましょう。例えば難関大学の受験(もちろん医学部も)や司法試験などのような合格率が低い試験というのは、他人が解けない問題を解かなければ合格はありません。ですからいわゆる「難問」にも対応せねばならず、全問ではなくても多くの受験生がむつかしいと感じる問題にも正解する必要があります。

 一方、医師国家試験のような9割以上が合格する試験の場合は、大半の受験生と同じ選択肢を選べば合格するわけです(医師国家試験はマークシート方式)。さらに医師国家試験の場合は、正解率の低い問題は「無効」とみなされるというルールもあり、合格するには「みんなと同じ答えを選ぶ」が近道になります。実際、私が医師国家試験を受けたとき、「これはよくあるひっかけ問題だな」と感じれば、ひっかからないように回答しましたが、「これはどちらの意味でも解釈できるからおそらく正解率は下がるはず」と感じた問題は不正解でもOKと判断しました。医師国家試験に不合格となる者というのは、勉強のできない学生では決してありません。普通の医学生が読まないような高度な専門書を学生のうちから読んでいて一目置かれているような学生、つまり他の誰もが分からない問題を答えることができる学生が不合格になることもあるのです。

 話を戻すと、医師国家試験に合格したから医学部に不正入学していてもかまわないという考えは完全に間違っています。「医師は公人であり公僕である」というのは私が言い続けている言葉で、これを万人に押し付けるつもりまではありませんが、医師になるための試験には「公正さ」が絶対に必要です。

 ところで、そもそも不正をしてまで医学部に入学するメリットはあるのでしょうか。「ある」からそのようなことをする者がいるということでしょう。これについては後で述べるとして、最近報道された裏口入学以上に衝撃的な事件を振り返っておきましょう。

 横浜市の病院で2016年に起こった連続殺人事件は、ひとりの女性看護師が消毒液ジアミトールを患者さんの点滴に混入させたことにより発症しました。2018年7月の逮捕後「20人以上にやった」と自供しているとか…。
 
 俄かには信じがたいこの事件、動機がよく分かりません。一部の報道では「自分が勤務のときに患者が亡くなると対応が面倒くさい」と話しているとか…。しかし、そのような理由で殺人を犯すでしょうか。これが事実だとすると精神疾患を患っていたということになるのでしょう。とすれば罪に問えなくなるのでしょうか。

 報道から判断すると「この女性は看護師になるべきではなかった」のは間違いありません。患者さんや家族とのみならず他の医療者ともコミュニケーションがとれていなかったようです。看護師には、そして医師にも「向き・不向き」が間違いなくあります。さっさとそれを自覚して、仕事を変えるべきだったのです。

 こういうと「せっかく苦労して資格をとったんだから…」という声が上がりますが、看護師免許があれば有利な仕事は他にもたくさんありますし、看護師として働くとしても患者さんとコミュニケーションをとらない仕事(例えば健診の採血など)もあります。

 医療者にとって絶対に必要なものはいろいろとありますが、私が最も重要だと思うのは「医療に対する畏敬の念」です。過去に紹介した「ヒポクラテスの誓い」やフーフェランドの「扶氏医戒之略」も「畏敬の念」がそれらの基礎にあると私は考えています。我々医療者は医療の原理原則には跪くしかないのです。だから、いかなるときも患者さんの利益にならないことはやってはいけませんし、信頼を失うような言動をおこなってはいけないのです。

 過去のコラムで私は「医師(のほとんど)は人格者だ」と述べました。私を昔から知る人達からは「お前が言うな!」と笑われるでしょうが、そんな私でも「人格者にならねばならない」と日々思い続けています。患者さんは自分の家族にも言えないようなことも医療者には話します。通常の社会生活では他人にホンネを話すことはさほど多くないでしょうが、医療者には本当に困っていること、辛いことを話します。

 我々医療者は、もちろん医師のみならず看護師や他の職種の者も、そんな患者さんの要求に答えなければなりません。それなりに辛いことがあっても、医療者としての矜持は失ってはならず、その矜持を維持するには「医療に対する畏敬の念」が必要です。不正行為が過去にあるなら「畏敬の念」を抱けるはずがありませんし、患者さんとのコミュニケーションを放棄するのならすでに医療者の「矜持」をなくしています。

 裏口入学をおこなった者は直ちに医師を辞めるべきです。それができないのであれば、少なくとも患者さんと接する仕事からは手を引くべきです。それくらいの「良心」はまだ残っていることに期待します。良心の呵責に生涯苛まれながら自身の過去を隠し通して患者さんと関わることは相当辛いに違いありません。美容外科手術で人相を変えて警察から逃げ続ける指名手配犯のようだ、と言えば言い過ぎでしょうか。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2018年6月23日 土曜日

第185回(2018年6月) ウイルス感染への抗菌薬処方をやめさせる方法

 「待ち時間が長い」を除けば、2007年時のオープン以来、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)で最も多いクレームが「希望する診療(検査・薬・点滴など)をやってもらえなかった」です。一方、我々医療者としては、その患者さんにとって有益とならないものや、かえって害を与えるような診療はいくら頼まれてもできません。つまり、患者さんと我々医療者の認識に「差」があるわけで、この「差」をなんとかしてなくせないか、というのが谷口医院オープン以来のテーマでした。

 2010年頃から欧米のウェブサイトや医学誌に「choosing wisely」という言葉がちらほらと目立つようになってきました。直訳すると「賢く選択」となりますが、要するに「ムダな検査や薬をなくそう」という考えです。この概念が普及すれば医療者患者間の「差」がなくなるに違いない…。そうひらめいた私はなんとかしてchoosing wiselyを社会に広めたいと考えました。2015年頃からは、一部の医療者たちの間にも浸透しだしましたが、ほとんどの医師は「まず医師に広めること」を重視していて、一般市民(患者さん)に知ってもらおうと考える私のような医師は少数でした。

 ならば、とりあえず私一人でも何かしようと考え、このサイトでChoosing wiselyについて紹介することにしました。初めて紹介したのは2015年1月ですから、はや3年半ほど経過しました。同時に、医療者(主に医師)に対しても、いくつかの学会や研究会で発表をおこなってきました。

 「Choosing Wisely Japan」という団体が有志の医師たちを中心に作られ、ウェブサイトもあるのですが、一般市民に対しては今一つ普及していないように思えます。トップページの一番新しい「お知らせ」が、2017年9月であることからもそれが伺えます(2018年6月現在)。

 そんななか、私にとっては大変ショッキングな調査が発表されました。2018年6月1日、岡山で開催された第66回日本化学療法学会学術集会で報告された同学会と日本感染症学会の合同調査委員会が実施した抗菌薬処方の調査です。ウイルス性の普通の風邪「感冒」と診断した患者やその家族が抗菌薬を希望した場合、「希望通り処方する」と答えた医師が12.7%、「説明しても納得しなければ処方する」が50.4%で、なんと6割以上が「不要な」抗菌薬を処方していると言うのです。(報道は2018年6月3日の朝日新聞)

 「風邪をひいたから抗生物質をください」と訴える患者さんは非常に多く、なかには抗菌薬の種類を指定してくる人すらいて驚かされます。まるでバーで好みのカクテルを注文するような感じです。ちなみに、多くの患者さんは抗菌薬とは言わず、なぜか「抗生物質」「抗生剤」などと呼びます。抗菌薬を”魔法の薬”のように捉えていて、漢字は抗生剤ではなく「更生剤」または「校正剤」と勘違いしているのでは?と疑いたくなることもあります。

 風邪の定義を「急性の上気道炎症状(咽頭痛、咳、鼻水、痰など)」とすると、風邪の9割以上はウイルス性のもので抗菌薬は無効、というより副作用のリスクを考えるとマイナスです。医療機関を受診するのは中等症から重症の風邪になるわけですが、それでも谷口医院の例で言えば、風邪で受診するケースの8~9割はウイルス感染であり抗菌薬は不要です。また、細菌感染だからといって必ずしも抗菌薬が必要になるわけではなく、比較的軽症の場合は処方しません。

 先に述べた日本化学療法学会で発表された報告は、「ウイルス性の普通の風邪と診断したとき抗菌薬を処方するか」というもので、当然ゼロになっていなければおかしいわけです。これは医師でなくても誰でも同じように答えることになるはずです。なぜならこの質問は「ウイルス性の風邪には抗菌薬は無効です。あなたはウイルス性の風邪に抗菌薬を処方しますか。抗菌薬には多くの副作用のリスクがあり、ときに重症化することもあります」というものだからです。これで処方すると答える人がいれば話を聞いてみたいものです。

 もちろん私の周りにはこのような医師はひとりもいません。ですが、全体の6割以上の医師が処方しているとは…。俄かには信じがたいのですが「理解不能。そんな医師は狂っている」と思考を止めてしまえば何も解決しませんから、なぜこのような医師がいるのか(しかも6割!)を考えてみたいと思います。

 医療者以外の人からよくある指摘に「抗菌薬を処方すれば医療機関が儲かるのでは?」というものがあります。しかしこれはありえません。このサイトで「医療機関は営利団体ではない」という話は繰り返ししていますが、それが信じられないという人も、仕入れ値を聞けば理解できるはずです。薬の差益(薬価-仕入れ値)はほぼゼロです。例えば比較的私がよく処方する抗菌薬サワシリンは1カプセルの薬価が11.3円で仕入れ値は11円ほどです。1錠あたり1円の差益もありません。なかには1錠数百円もする高価な抗菌薬もありますが、それでもせいぜい数円ほどしか差益はないはずです。ただ、たしかに何らかの薬を処方すれば処方代620円(院内処方の場合)、処方箋発行代680円(院外処方の場合)が利益にはなります。しかし、これは抗菌薬でなく他の薬(たとえば痛み止め1錠)でも同じです。(参考:メディカルエッセイ第171回(2017年4月)「こんなにも不便な院外処方」

 不要と分かっている抗菌薬を医師が処方する理由として私が思いつくのは「患者さんから脅される」というものです。脅すとは物騒な…、と感じる人もいるでしょうが、「金払うゆうてるやろ!」とすごんでくる人は実際にいますし、淑女のようなおとなしい雰囲気の女性が「お金はらうのあたしですよね・・・」と穏やかでない雰囲気でつめよってくることもあります。もちろん私は「患者さんの利益にならないものは処方できません!」とつっぱねますが、気の弱い若い医師なら”面倒なこと”を避けるためについつい処方してしまうのかもしれません。 

 こういうシチュエーションで患者さんを怒らせてしまうと「後味の悪さ」が残ります。「議論で打ち勝って爽快!」とはなりません。患者さんはときに大声を出しますから(谷口医院は防音の扉にしていますが)他の患者さんに異様な空気を察知されるかもしれませんし、その直後はこの空気のせいでスタッフどうしの会話もぎこちなくなります。ですが、患者さんの健康のことを考えれば、そういう”面倒なこと”を避けて抗菌薬の不本意な処方をおこなうことは絶対にできないのです。

 患者さんとの「喧嘩別れ」は極力避けなければなりませんが、谷口医院でも年に1例くらいはこういうケースがあります。ただ、「喧嘩別れ」全体で言えば、谷口医院の場合「不要な薬」より「不要な検査」の方がずっと多い傾向にあります。むしろ、抗菌薬については当院を長くかかりつけ医にしている患者さんからは「良かった~。抗菌薬は不要という先生のその言葉を聞くために今日は受診したんですよ」と言われることもありますし、年々こういった患者さんが増えています。

 その理由はいくつかありますが、おそらく最大の理由はグラム染色の像を実際に患者さんに見てもらっているからだと考えています。咽頭の赤いところや喀痰を使ってグラム染色という特殊な検査をおこなうと、細菌と炎症細胞(白血球)を目で確認することができます。これで細菌感染かウイルス感染か、細菌感染ならどういった系統の細菌がどの程度増殖しているかをある程度までなら簡単に知ることができます。

 ですから、谷口医院に見学にくる医学生や研修医にはグラム染色の重要性を力説し、実際に私が患者さんに「抗菌薬不要です」と言っているシーンを見てもらっています。私の任務は「抗菌薬が不要であることをいかに患者さんに分かりやすく伝えるか」を研修医に伝授することだと認識しています。

 冒頭で述べた私のもうひとつの”任務”である「一般の人にchoosing wiselyを広めること」については、3年前のコラムで具体的事例をまとめて公開することを約束しましたが、ほとんどできていませんでした。今も完成しているとは言い難いのですが、ある程度つくったものを現在は公開しています。

 choosing wiselyの一般市民への普及。それは医師としての残りの人生で私がどうしてもやりたいことのひとつなのです。

参考:
メディカルエッセイ第144回(2015年1月)「Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(前編)」
メディカルエッセイ第145回(2015年2月)「Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(中編)」
メディカルエッセイ第146回(2015年3月)「Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(後編)」 
マンスリーレポート2016年11月「Choosing Wiselyが日本を救う!」
マンスリーレポート2016年12月「Choosing Wiselyがドクターハラスメントから身を守る!」
メディカルエッセイ第172回(2017年5月)「医師に尋ねるべき5つの質問」
はやりの病気第160回(2016年12月) 「choosing wiselyで考えるノロウイルス対策」

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2018年5月21日 月曜日

第184回(2018年5月) 英語ができなければ本当にマズイことに

 英語の勉強についてのコラムを書くと感想を寄せてくれる人が多い、という話を以前しました。今回は、そういった感想を募集しているから、というわけではないのですが、どうしても再び英語の勉強について言わねばならない2つの理由ができたために、これを書くこととしました。

 ひとつめの理由は、第180回(2018年1月)「私の英語勉強法(2018年版)」で私が推薦したNHKのテレビの英語教育プログラム「ニュースで英会話」が2018年3月で終了し、さらに絶賛した同番組の会員制ウェブサイトも4月末で終わってしまったからです。私のコラムを読んだ方から「早速会員になりました」と連絡をいただいていたので、私としても責任を感じてしまいます。

 もうひとつの英語の勉強について書こうと思った理由は私のゴールデンウイークの個人的体験です。第180回で述べたように、マンツーマンのレッスンで現在最もお勧めなのはフィリピンの(超)短期留学(長期で行ける人は長期の方がいいですが)です。私自身も今年の連休を利用してセブ島に飛び、5日間のレッスンを受けてきました。

 レッスンは朝8時から5時まで、1コマ50分のレッスンが8つです。その上大量の宿題が出ますからゆっくりできる時間はほとんどありません。たかが英語だからそう疲れないだろう、と高を括っていた私は早くも2日目あたりから疲労感を自覚するようになってきました。それでもマンツーマンのレッスンは実りのあるものですから休むわけにはいきません。特に私の場合、へたくそな発音を矯正してもらえますからとても貴重な時間となりました。

 レッスンはテキストやCNNのビデオを使うものもあるのですが、たいていは事実上フリートークになります。そこで、メディアやネットからはうかがい知ることのできない話をフィリピン人の講師から聞くのが楽しみとなります。実は私が以前からフィリピン人に対して抱いていた大きな疑問があります。それは、「英語はあなたたちの母国語じゃないのになぜそんなに上手なの?」という疑問です。

 私が初めてフィリピン人と接したのは医学部入学前の会社員時代です。といってもビジネスパーソンとの会話ではなく、西日本のある地方都市に出張に行ったときにそこの支店長に連れていかれた(連れていってもらった)フィリピンパブです。そこには美しく着飾った大勢のフィリピーナ(注1)がいましたが、堪能な英語を話していた女性は皆無でした。日本人よりは少し上手な程度でした。また、その頃フィリピーナに”ハマっていた”私の知人はタガログ語の勉強を始めた、と言ってましたから、当時(90年代前半)の私のフィリピン人のイメージは「さほど英語はできない」でした。

 ところが今はまったく異なります。スーパー、コンビニ、カフェなどセブ中のどこに行っても英語がごく普通に使われています。今回の渡航中、レッスンが始まる前の早朝ランニングを日課にしていたために、一度早朝からスラム街に行ってみました。さすがに、そこで遊んでいた子供たちは英語を話していませんでしたし、英語で話しかけても英語が返ってきません。しかし、英語のレッスンをしてくれる先生(といっても20代そこそこの男女が多い)たちの英語は驚くほど上手なのです。特に発音が素晴らしくアメリカ人と何ら変わりはありません。

 英語が比較的できる国民、例えば、マレーシア人やインド人の英語はこんなに発音がうまくありませんし、公用語が英語のシンガポール人でさえ、ネイティブに近い英語とは言えません。

 フィリピン人の英語能力はスピーキングだけではありません。私の知る限り、英語がかなりできる日本人でも、映画を字幕なしでほぼ100%理解できるという人にはあまりお目にかかったことがありません。また、英語の曲を一度聞けばほぼ100%理解できるという日本人もほとんど知りません。ですが、フィリピンの彼(女)らにとっては当然のことだと言うのです。
 
 読解力も際立っています。私はリスニングとスピーキングは苦手ですが、リーディングはさほど苦痛ではありません。ですが、彼(女)らにはとうていかなわないのです。彼(女)らは、例えば雑誌「TIME」を数ページ読んで知らない単語が1つあるかどうか、というレベルです。要するに完全にバイリンガルなのです。

 ここで日本の教育者がよく言うお決まりのセリフを紹介しておきます。それは「日本人は日本人の英語をしゃべればよい。発音ではなく内容が重要だ。そして内容のある発言をするにはまず国語(日本語)が重要だ。だから英語、英語という前に日本語をしっかりと勉強しろ」というものです。

 たしかにこれは一理あると私も思います。私の塾講師や家庭教師の経験から言って、英語が苦手であっても国語が得意な生徒は、勉強のコツを教えてあげればこちらが驚くほど英語力が伸びます。そして、英語だけでなく理科系の科目も伸びます。逆に、他の科目はできるけれど国語が苦手という人は他の科目も結局あまり伸びません。ですから私自身も最も重要な科目は「国語」だと考えています。

 もうひとつ、私がこの意見にこれまで同調していたのは、「どうせネイティブのようには話せないだろう」と漠然と思い込んでいたからです。ですが、この考えは今では間違っていると認めざるをえません。2つ例をあげましょう。

 私が今回フィリピンで学んだ講師のひとりは3歳の息子をもつ母親です。私が何度注意されても上手に発音できないのに対し、その3歳の息子は完全な発音で英語を話すそうです。しかも、父親との会話は現地の言葉で、その母親(講師)も英語で話しかけるようにはするものの、きちんと教えたことはないというから驚かされます。その3歳児の「教師」は何とyoutubeだと言うのです。幼少時からスマホを眺めているだけで私の何十倍もきれいな英語を話すというのです。

 もうひとつの例は日本人です。その講師によれば「若い日本人は発音が上手い」そうです。その学校には10代後半の日本の大学生もマンツーマンのレッスンを受けにきており、若い日本人はリスニングとスピーキングに関してはかなりできるそうなのです。つまり、日本人は発音が下手と思っていたのは私の”幻想”であり、いつの間にか日本の英語教育も大きく変わっていたのです。

 しかし、このような「カルチャーショック」を受けるのは私だけではないはずです。現在20歳前後の若者が(全員でないにしても)ネイティブに近い発音で英語を話せるということを知れば、今の30代以降、あるいは20代半ば以降の多くの人も驚くのではないでしょうか。

 先述したように、日本人は日本人の英語を話せばいいのは事実です。例えば会議の場面などではそれでいいでしょう。ですが、流暢に話せず聞き取りが苦手では、仕事場を離れた場面でのコミュニケーションがうまくいかないこともあるでしょうし、自分自身が楽しめません。パーティで誰かがジョークを言ったときに自分だけが理解できず気の利いたセリフが出てこない、というのはとても辛いものです。

 さて、ここからは前向きな話をしましょう。日本人が英語を苦手とする最大の理由は(私も含めて)幼少時(もしくは10代の頃)にリスニングとスピーキングをなおざりにしてきたからです。これらは早くから実践した方がうまくなるのは事実ですが、今からでも間に合わなくはありません。そもそも「英語が苦手でやっても伸びない」という人は、本当は「やっていない」ことが多いのです。(私自身はこれまでそれなりに時間をとって勉強してきましたが、リスニングやスピーキング、特にスピーキングについては充分にやったとは言えません)

 一般に、日本語と英語のようにまったく異なる語学をマスターするのには最低でも2,400から2,800時間くらいが必要だと言われています。これだけの時間を”集中して”勉強した人がどれだけいるでしょうか。近い言語、例えばドイツ人が英語をマスターするのには400時間でOKと言われています。ですから、まずは何とかして勉強時間を確保することが大切です。

 次に、すぐれた教材を選ぶことになります。時間とお金に余裕があればフィリピン留学がお勧めですが、忙しくてもオンラインでマンツーマンのレッスンを受けることはできます。私の場合、日ごろそういう時間の捻出が困難なこともあり、少しでも時間があれば以前も推薦した「Voice of America」の「Learning English」を利用するようにしています。先述したようにNHKの「ニュースで英会話」が終了したため、私が使っているネット上の英語教材は現在9割がこれになっています。

 日本語だけでも生きていける、という意見もありそれは事実でしょう。ですが、ますます日本を訪れる外国人が増え、世界を駆け巡る重要な情報はすべて英語です。それに、全員ではないとは言え、若者がネイティブに近い英語を話すようになってきているのです。今のままのあなたの英語力ではどんどん生活が不自由になってくる、なんてこともあり得るかもしれません。

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注1:英語でフィリピン人女性はFilipina(フィリピーナ)、男性はFilipino(フィリピーノ)と言いますが、公的文書などでは女性もFilipinoと呼ばれることもあります。Filipinaは年齢に関係なく、また未婚・既婚に関係なく使われます。国を示すときはThe Philippinesとなります。つまり、Theがついて、FがPに変わりpが2つになります。この形容詞はPhilippineです。私はこのあたりを混乱していたのですが、今回の超短期留学できちんと教えてもらいました。

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2018年4月20日 金曜日

第183回(2018年4月) 「誤解」が招いた海外留学時の悲劇

 最近ある学会で繰り返し取り上げられている「悲劇」を紹介したいと思います。

 東日本のある大学に在籍していた当時20歳の女子学生。201X年、留学先の北米のある都市に滞在時、清掃ボランティア活動に参加し煙を吸い込んでしまい、その直後から体調悪化、市販の解熱鎮痛薬を飲んだものの発熱、頭痛、咳などが持続、さらに呼吸困難に。しかし救急車要請をせず、また(大きな)病院も受診せず、小さな診療所を受診。A病院に紹介されたが、すでに重症化しておりその地域で最も大きなB病院に救急搬送。集中治療がおこなわれたものの約1か月後に肺炎で死亡。

 特に持病を持っていたわけではない健康な20歳の女子学生です。どのような煙が吸い込まれたのかは判らなかったようですが、こういったことは時に起こり得ます。しかし、「医療ミス」がなかったかどうかも検討しなければなりません。女子学生の保護者もそのように考え、集中治療がおこなわれたB病院のカルテを入手し日本の医師らに検証を依頼しました。とても分厚い合計4冊のカルテを読み込んだ専門家らの判断は「医療ミスはなかった」という結論でした。

 では、健康な20歳の女子学生はなぜ死ななければならなかったのでしょうか。助かる方法はなかったのでしょうか。100%の確証を持っては言えませんが、このケースは病院の受診が早ければ救命できた可能性があります。なにしろ、煙を吸い込んだ直後から症状が出現し、しかも次第に悪化していたのにもかかわらず大きな病院に搬送されたのは7日もたってからなのです。なぜ、もっと早くに、そして小さな診療所ではなく、眠れないほど辛かったのなら、夜中にでも救急車を呼ばなかったのでしょう。そもそも女子学生は日本にいる両親に相談しなかったのでしょうか。

 実はこの女子学生、小さな診療所を受診する前にスカイプを使って母親に相談していました。当然母親は「そんなにつらいのなら救急車でもタクシーを呼んででも大きな病院へ行きなさい!」と言ったそうです。すると、なんとこの女子学生は「お母さんは知らないの?! こちらでは最初に診察したドクターの紹介が無いと病院にはかかれないのよ!!」と答えたというのです。

 これはとんでもない「誤解」です。どこの国でも救急外来(ER、英国ではA&E)はいつでも誰でも診てくれます。もちろん軽症で受診すれば数時間も待たされ、しかも数分間の診察のみで薬も処方されない、なんてことはざらにあります。しかし、重症の場合はすぐに適切な治療を受けることができます。たしかに、この女子学生が言うように、救急外来以外の専門の科を受診するには診療所からの紹介状が必要ですが、それは緊急性・重症性がないときの話です。これは海外で医療機関をかかるときの「当然の知識」と言っていいと思います。

 では、なぜその「当然の知識」がこの女子学生になかったのか。その「答え」は我々医師にとって大変ショッキングなものであり、これこそがその学会で繰り返し取り上げられている最大の理由です。なんと、その女子学生は日本の大学で実施された留学オリエンテーションで、母親にスカイプで言ったような誤った知識を大学側から”植え付けられていた”ことが後の調査で判明したのです。

 なぜ、このような「誤解」をオリエンテーションで聞かされたのか。まったくわけが分からないと感じる医師も多いのですが、私にはこういったことが起こってもおかしくないと思えます。なぜかというと、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を受診する留学希望の学生に対し、「何を言ってるの??」と感じることがあるからです。

 例を挙げましょう。留学時に海外の大学に提出する書類には、留学先の大学が求めているルールに従わなければならないのは当然です。しかしながら、私が留学先の大学の指示どおりにしましょうと言うと、「それは不要です。それについては別の検査をしてください、(日本の)大学でそう聞きました」といったことを言う学生がしばしばいるのです。元々谷口医院をかかりつけ医にしている人は私の助言(というより留学先の大学の要求)にしたがって進めることになりますが、谷口医院を初めて受診するという学生のいくらかは、日本の大学の教員の言うことを信用し、私や留学先の要求に従いません。さて、結果はどうなるでしょうか。当然といえば当然ですが海外渡航後に問題が起こります。そして、渡航してから谷口医院に「何とかしてください」と泣きついてくることになります。

 だからあれほど言ったのに!!、と言いたくなる衝動を抑えて、私から留学先の大学にメールで「その学生は日本の大学から誤ったことを言われていたのです。学生が悪いわけではありません。日本で実施しなかった必要な検査などをそちらでお願いできますでしょうか」といった交渉をすることになります。

 実はこういうトラブルの原因は日本の大学の担当者だけではありません。というより、大学はまだましな方で、より問題が多いのは海外留学の斡旋業者です。ですから、斡旋業者に失礼であることは承知していますが、留学希望の患者さん(というか志願者)が受診したときには、谷口医院では、書類をそろえたり何か準備をしたりするときに疑問点が生じれば、斡旋業者でなく直接留学先の大学に質問するよう助言しています。あるいは、志願者に代わって私が現地の大学に質問しています。

 現地に着いてから書類に不備があり、検査などをやり直すということで済めば大きな問題ではないでしょう。ですが、冒頭で紹介した20歳の女子学生のように「誤解」により起こり得る取り返しのつかない事態は絶対に避けねばなりません。

 ではどうすればいいか。やはり、留学前に日本の医師から渡航時の注意点を聞いておき、留学後も何かあればメールなどで相談すればいいのです。もしも北米で他界した女子学生が、煙を吸い込んだその日にでも日本のかかりつけ医にメールで相談していればどうなったでしょうか。医師なら(当たり前ですが)直ちに救急車を呼ぶよう指示していたはずです。母親の言うことは聞かなくても医師の助言には従ったのではないでしょうか。あるいは、「大学でそう習ったから」と言って医師の忠告を無視するでしょうか。

 もうひとつよくある海外渡航時の「誤解」を紹介しておきます。これは学生だけでなくビジネスパーソンや旅行者にも言えることです。それは、海外で身体のトラブルが起こった時にまず保険会社に電話で相談する、という考えです。これは一見保険会社が良心的にみえますし、そうすべきこともあるでしょう。問題は保険会社の「対応」です。私が見聞きした範囲で言うと、電話をとる保険会社の担当者は必ずしも医学に明るくありません。そして、お決まりのように日本人医師または日本語ができる医師がいる「小さな診療所」を受診するよう促します。

 すると、どうなるでしょう。重症であれば20歳の女子学生とまったく同じ「悲劇」が起こりかねません。海外渡航時には(地域、期間、渡航目的などにもよりますが)保険の加入はたいていの場合必要です。詳しく述べることは避けますが、海外渡航時の保険は内容を考えると決して「損」なものではありません。私は民間の医療保険を勧めることはほとんどありませんが、海外渡航時の保険については患者さんから問われればほぼ全例に勧めています。

 ですが、現地で何かあったときの電話サービスは勧めません。大切な患者さんを保険会社のミスリードで苦しめたくないからです。症状が強ければ迷わずER(A&E)に行くべきです。そこまで重症でないときは、日本のかかりつけ医にメールで相談すればいいのです。実際、谷口医院の患者さんは、よく海外の渡航先からメールで相談されています。

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2018年3月18日 日曜日

第182回(2018年3月) 時代に逆行する診療報酬制度

 世間は好景気に浮かれているようですが、日本の社会保障、なかでも医療にかかる費用は増加の一途をたどっており破綻寸前です。すでに破綻している、とみる向きもあるほどです。それに”好景気”といっても、それは株価が上昇していることと新卒の求人倍率が高いことからの判断であり(これらは素晴らしいことですが)、例えば40代以降の人が仕事を探すのは簡単ではありませんし、株を持っていない庶民は好景気と言われてもピンとこないと思います。

 実際、私が日々診ている患者さんのなかにも仕事がなく生活が苦しいと訴える人は少なくありません。そういう人達からかかった医療費の3割をいただくわけですから、医療費が上がるのは避けてほしいというのが現場を見る私の意見です。私が以前から「検査や薬は最小限に」と言い「choosing wisely」の重要性を訴えている最大の理由は、目の前の患者さんの出費を減らしたいからです。

 患者さんが3割を負担する診療報酬の細かい取り決めは2年に一度改定されます。行政側としてはできるだけ医療費の上昇を抑えたいと考える一方で、医療者側(日本医師会など)はある程度の増加を求めます。一応、私も日本医師会に加入していますが、私個人の意見としては診療報酬の増額を求めるその姿勢に疑問を持っています。

 たしかに過疎地域など人口が少ないところで医療機関を運営するのは大変ですから、人件費をきちんと確保できる程度の利益が出るような計らいは必要になります。したがって、極端に診療報酬を下げるとやっていけない医療機関が出てくるとは思います。ですが、医師全体でみたときには高い報酬をもらっている者も少なくありませんから、まずはそこにメスを入れるべきではないか、というのが私の個人的意見です。

 医師の求人サイトをみてみると、なかには年収3千万円というものもちらほらあります。診療報酬増額を求めるだと!その前にもらいすぎている医師の収入を削減させろ! と考えるのが普通の感覚ではないでしょうか。私が役人で会議に出席したとすれば、診療報酬増額を訴える日本医師会などに対し、医師の求人サイトのコピーを配って、「よくこれで増額希望などと言えますね」とまずはイヤミを言ってやりたくなります。

 膨大し続ける医療費を抑制するには医師の収入を減らすことが不可避だ、というのが私の意見ですが、その前にすべきことがあります。「診療報酬制度」の見直しです。

 そもそも診療報酬制度が複雑怪奇であるが故に、多額の人件費が使われることになり、これが患者さんの負担にもなるわけです。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の患者さんに対しても、です。谷口医院では電子カルテを使っていますが、会計時にいつも正確に医療費が算出できているとは限りません。あとからカルテを見直して、徴収したお金が20円足りなかったとか、10円もらいすぎた、ということがしばしばあります。お金のことは大切ですからこれを放置しておくわけにはいきません。ですが、わざわざ翌日に忙しい患者さんに電話をして仕事の手をとめてもらい「すみません。昨日10円もらいすぎました」と伝えるのも現実的ではありません。そこで次回受診時に差額を返金(徴収)することになります。

 なぜこのような未収(過徴収)が起こるかというと、診療報酬の内訳にはやたらと「○○加算」とか「〇〇料」いうものがあり、それが診察時には入力されていなかったり、あるいは誤入力されていたりすることがあるからです。さらに、△△加算が算定されれば□□加算は外さねばならない、などの決まりもあり、ものすごく複雑なのです。いっそのこと○○加算などややこしい項目をすべて無視(放棄)して谷口医院は他院よりも安くしようと考えたこともあるのですが、医療費は全国どこを受診しても同じというのが原則ですから、そういったことは許されず国の決めたことには従うしかありません。

 未収(過徴収)を減らすにはどうすればいいか。一番ありがたいのは診療報酬制度をシンプルなものにしてもらうことです。つまり、ルールを簡単なものにし〇〇加算などはできるだけ減らしてもらうのが一番いいのです。ところが、実情はその「逆」です。この制度は2年に1回改訂されます。そしてこの改訂がどんどん複雑になっていくのです。例をあげると、2014年の改定時にはその資料が266ページで、これでもすべて理解するのは大変です。それが、2016年時には380ページに増え、なんと今回の2018年版では492ページにも及んでいるのです。

 もちろんこのすべてを一字一句丁寧に読んでいく時間はほとんどの医師にはありませんし、たとえ目を通せたとしても内容が難関すぎて理解できません。そこで、行政側としては診療報酬改定の度に講習会を開いて、我々医師のみならず医療事務の職員も参加することになります。すると休日出勤もしくは通常の業務を犠牲にして参加しなければなりませんし、内容を理解するのに自習をしなければなりません。

 これ、かなりの時間とお金のムダではないでしょうか。行政側も医療機関側も新たな複雑怪奇な決まり事の理解のために労力を費やすことになります。新しい決まりが素晴らしいものなら納得できるかもしれませんが、実際はそうではありません。

 一例をあげると、2018年版の323ページに新たに設定される「抗菌薬適正使用支援加算」の説明があります(またもや・・・加算です)。文書にはむつかしい言葉で書かれていますが、要するに「ムダな抗菌薬投与をやめれば医療機関に加算としてのお金が入りますよ」ということです。そんなこと言われなくても我々医師は「抗生物質ください」という患者さんに「このケースは不要です」ということを日々伝えています。医師の仕事は薬を処方することではなく、いかに薬や検査を減らすかが重要なのです。このようなムダな「加算」はただでさえややこしいルールをさらに複雑にするだけですから即効廃止してもらいたいものです。

 実は、診療報酬の支払いをドラスティックに改善できる簡単な方法があります。医療機関がレセプト(医療機関が診療報酬を請求するときの請求書のようなもの)を適切に作成しているかどうかをすべてコンピュータに調べさせればいいのです。社会保険支払基金によると、少し古いデータですが、職員が4,934人、審査委員と呼ばれる医師と歯科医師からなる委員が4,500人もいます。同基金の主な業務はレセプトのチェックです。これらをすべてコンピュータにやらせれば何千億という費用が不要になるはずです。実際、韓国ではすでにコンピュータに全面的に頼り人件費が大きく削減できたと聞きます。まさか、日本では4,934人の職員の雇用確保のために古い体制を維持しているということではないと思いますが、なぜすべてコンピュータ審査に替えられないのか、私には疑問です。

 ひとつ可能性があるとするなら、コンピュータだけにやらせると医療機関の”巧妙な”不正が見抜けないということがあるのかもしれません。私自身の周囲には不正を働くような医師は見当たりませんし、ときおり報道される医師の「不正請求」というのは、過去にも述べたように医師が必要と考えておこなった医療行為が支払基金で認められなかったというもので理不尽なものが大半です。ですが、悪意のある不正請求が存在するのも事実のようです。

 ならば私が以前から主張しているように、医師の年収の上限(及び下限)を決めて、お金が好きな人は初めから他の職業を選んでください、としてしまえばいいのです。そもそも医師会の倫理要綱には「医師は医業にあたって営利を目的としない」とあります。医学部入学時に「私は営利を求めません」という宣誓文を書いてもらうのも有効でしょう。

 もっといいのは中学や高校の進路指導のときに「お金儲けをしたい人は医師を目指すな」と学校の先生に指導してもらうことです。そのときに「お金を稼ぐことよりもはるかにやりがいのある職業、それが医師です」と付け加えてもらえれば私としては他に言うことはありません。

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2018年2月18日 日曜日

第181回(2018年2月) 英語勉強法・続編~有益医療情報の無料入手法~

 このサイトではいろんな話題を取り上げていますが、英語の勉強については興味を持っている人が多いのか、コラムを書くと問い合わせが増えます。前回の「私の英語勉強法」についても、「早速、NHKの『ニュースで英会話』の会員登録をしました」というメールも届きました。

 そこで今回は英語勉強の応用編として、医学情報を入手する方法について述べたいと思います。なぜこのような話をするかというと、医学情報は日本語より英語で入手する方が断然「正確で新しい」からです。そして、英語の文献を読むことは、世間で考えられているよりも簡単であることを伝えたいからです。しかも後で詳しく述べるように、日本語では有料の同じ記事が英語なら無料で読めます。

 我々医師は日々世界中の論文を検索し新しい情報の収集に努めています。日本語のサイトを使った情報収集も一応はしますが、はっきり言うと日本語のものは良質なものが少なくあまり役に立ちません。医師向けのポータルサイトはそれなりに参考にはなりますが、内容・量とも不十分です。それに、一般の人は医師向けのサイトにアクセスすることができません。

 おそらく一般の人が医学情報を入手したいときは、グーグルやヤフーで日本語のキーワード検索をすることが多いのではないでしょうか。この方法には2つの「欠点」があります。ひとつは正確な情報が検索上位に上がってくるとは限らない、ということです。DeNA(ディー・エヌ・エー)が運営する医療系サイト「WELQ(ウェルク)」のいい加減さが問題となり廃止に追い込まれたのはまだ記憶に新しい2016年11月です。その後グーグルやヤフーは検索ランキングのアルゴリズムを修正し、有用なサイトが上位に表示されるよう工夫をしています。がんについては、2018年1月に国立がん研究センターとヤフーが連携し、検索上位に同センターの「がん情報サービス」の内容が表示されるようになりました。

 ですが、これでがんに関する有益な情報のすべてが得られるわけではありませんし、広告代を払っているサイトは今も上位に表示されます。また、がん以外の疾患については依然”質の悪い”サイトが出てくるようです。いかがわしい民間療法やサプリメントが上位に現れ、ガイドラインを重視した標準治療に関するものが必ずしも表示されるとは限りません。

 グーグルやヤフーで医療情報を検索するときのもうひとつの欠点は、正確な情報が書いてあるサイトにたどり着いたとしても、日本語だと情報量が少なく必ずしも新しくないということです。ですから、日本語のサイトをみるときにはちょっとした「コツ」がいります。そのコツとは、まず誰が書いているか、そしていつ書かれたものかを確認することです。さらに、その書いた人に連絡が取れるようになっていれば良質なサイトと言えます。医学の情報はどんどん更新されていきますから一昔前の情報だと、そのときは正しかったとしても現在は必ずしも有用とは限らないからです。また、これは私見ですが、ネット上に文章を公開する以上、執筆者は内容の責任をとる義務があると思います。というわけで、執筆者も執筆時期も分からないサイトについては参考にする程度にとどめておくのが無難です。

 さて、英語のサイトについてです。まず、日本の大手メディアと比べると、例えば、Reuter、BBC、CNNといった世界を代表するメディアの情報は新しく正確で参考になります。一部の医療者は、一流の医学誌に掲載された論文でないこういった一般のメディアは不正確と言いますが、そういう人たちも日本のメディアよりは遥かにグレードが高いことは認めています。

 私自身は毎日新聞の医療サイト「医療プレミア」に連載をもっていますから、私の立場で日本のメディアを批判するのは失礼というか非常識かもしれませんが、日本のメディアが欧米(特に米国と英国)のものより劣るのは事実です。それに、医療プレミアは内容が良質であったとしても「有料」であり、ここは欠点だと思います(ただし、月に5本程度は無料の登録だけでも読めるようです)。

 私自身が現在最も有用だと考えていてほぼ毎日閲覧しているのは「Physician’s Briefing」という医師向けのサイトです。これは、編集者が世界中の論文を検索し、良質なものをまとめて読みやすい記事にしてくれています。さらに原論文にもリンクが張られているために詳しく知りたければそちらを参照することもできます。

 このサイトは医師向けですが、同じ会社が運営している別のサイトに一般向けの「Health Day」というサイトがあり、これが非常に優れています。上記の医師用のサイトよりも(当たり前ですが)分かりやすい表現で文章が書かれていて、取り上げている論文が世間の関心を引きそうなものばかりなのです。例を挙げましょう。

 2018年1月19日、同サイトは「Flu May Be Spread By Just Breathing」(インフルエンザは呼吸するだけで感染する)というタイトルの記事を発表しました。そして、遅れること2週間の2月2日、この記事の日本語訳が「医療プレミア」に掲載されました。また、いくつかの他の日本語サイトでも同じものがやはり2週間遅れで掲載されました。それらのほとんどは医師しかログインできないサイトです(注1)。

 調べてみると、「Health Day」は日本語版もあるものの、記事をクリックすると「『ヘルスデーニュース』記事の使用は、有料でのご契約企業様のみとなっております」と表示されます。おそらく毎日新聞やその他の医療系サイトは日本語版の記事をこのサイトから「購入」して自社のサイトに掲載しているものと思われます。

 私がこの会社のビジネスに文句を言う資格はありませんが、ちょっとひどくないでしょうか。英語なら無料で読める記事の日本語版は、同社の日本語版サイトで入手できるのは「ご契約企業様」のみ、その「ご契約企業様」のサイトで記事を読もうと思うと2週間遅れ、しかも有料、もしくは医師しかログインできないのです。ちなみに「Health Day」のスペイン語版サイトは無料で読むことができます。

 最近の流行りの言葉に「健康格差」というものがあります。高学歴・高収入の者が健康で長生きできることを指したものです。最新の医学情報が入手できればそれだけで長生きできるわけではありませんが、日々発展していく医学では次々と新しい知見が生まれ、少し前まで正しいとされていたことが否定されるということも珍しくありません。

 もちろん重要な情報のなかには、日本語でも遅れてなら入手できるものもあるわけですが、日本語のものだと編集者や翻訳者の”手垢”がついていますし、あなたにとって重要なものが取り上げられるとは限りません。繰り返しますが、日本語の医療情報サイトは、いい加減なものが多く、過去に紹介したコクラン共同計画や医療プレミアなどの良質なサイトも、量が満足できるものではありません。

 ならば「Health Day」のオリジナル版(英語版)を各自が読めばいいのです。おそらくこれを読む人口が増えると、自分の訳をブログなどに公開する人も出てくるのではないでしょうか。そこで、適切な訳について意見を交わせるようになると英語の知識もアップして医学情報にも詳しくなれます。

 こんなことが無料でできるわけですから、英語に興味を持てば健康で長生きできて人生を楽しめる、とまで言えば言い過ぎでしょうか…。

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注1:「糖尿病ネットワーク」では「Health Day」の日本語の記事が無料で誰でも読むことができます。ただし、取り上げられているのは生活習慣病関連の記事だけであり、しかも英語版(オリジナル版)に比べると情報量が少なすぎるように感じられます。

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2018年1月20日 土曜日

第180回(2018年1月) 私の英語勉強法(2018年版)

 2011年に書いたコラム「私の英語勉強法」で、効果的であると私が考えている英語の勉強法を紹介したところ、たくさんの方から「参考になった」「もっと教えてほしい」といった連絡をいただきました。そのコラムで書いたように、私自身も20代前半の頃から英語の勉強は今も継続しているのですが、最近になってその方法が随分と変わってきました。そして改めて2011年当時のコラムを読み直してみると、改訂版をつくらなければ、という思いになり、今回2018年版を書くことにしました。

 まずは2011年版で紹介した勉強法をまとめてみます。

(1) 英会話学校は役に立たない
(2) CD,ラジオではなくテレビ、インターネットが有効
(3) NHKのテレビプログラムは最強の英語勉強ツール
(4) NHK(正確にはNHK world)のウェブサイトでニュースを聴く
(5) ネイティブの講師をみつけてプライベートレッスンを受ける

 この5つのなかで、今も継続して私が実践していて、そして他人に勧めているのは(4)だけです。(2)は部分的には変わっていませんが根本が異なります。そして、(1)(3)(5)は完全に撤回しなければなりません。

 2011年の時点では、私はNHKを絶賛しており、複数の英語教育番組を録画して観るべきだ、と述べました。なにしろ90年代前半から20年間にわたり私が実践してきた方法です。当時のコラムには「私はNHKの英語教育プログラムを一生見ることになる」とまで書いています。ここまで書いて撤回するのは恥ずかしいのですが、真実を隠すわけにはいきません。

 とはいえ、何もNHKの英語教育番組が劣化したわけではありません。プログラムの内容自体は素晴らしいものです。では、なぜ私がNHKから”卒業”したのか。それは現在ではもっといい方法があるからです。その方法は後で述べるとして、NHKの英語教育プログラムで1点だけ補足しておきます。「ニュースで英会話」という優れた番組があります。この番組を見たことがないという人には是非テレビも勧めたいのですが、インターネットを用いればこの番組をもっと効率よく利用することができます。番組のウェブサイトにアクセスし、会員登録をするとニュースの画像、音声、スプリクトの全てを得ることができます。しかも「音声」はゆっくりと読み上げる機能まであります。この機能が使えるとなるとテレビを見るよりも効果的な勉強ができます。

「ニュースで英会話」を私はデスクトップのパソコンを利用して勉強していますが、これはスマホでも可能です。そしてスマホこそが先に述べた私の勉強法が大きく変わってきた最大の理由に他なりません。スマホ依存症はいまや重大な疾患ですが、「スマホで英語勉強依存症」はむしろ目指してもいいかもしれません。

 元々私は電話自体が好きでありませんし、スマホが登場したときも必要とは思いませんでした。(一方でiPADは比較的早くに買いました) ところが「iPhone 6 Plus」が発売されたときに、私の考えが大きく変わりました。「これは使える!」と直感したのです。以前の私は、あの小さな携帯電話(ガラケーと呼ばれているもの)で、文字をうっている人の気持ちが分かりませんでした。そんなに細かいことしなくても家か職場でパソコンでやればいいんじゃないの?と思っていたからです。スマホが登場したときも、こんなに小さい画面で入力なんて肩がこるだけ、と思っていたのです。しかし「Plus」のサイズがでたときにはその考えが変わりました。

 スマホが英語の勉強に適しているのは「ニュースで英会話」が見られるからだけではありません。インターネットにつながるわけですからCNNでもBBCでもNHK worldでもなんでも見られます。ですが、スクリプトのでない放送をみても勉強になるとは限りません。私のおすすめは「voice of America learning English」(以下VOA)です。これについては、2011年のコラムでも紹介しましたが、英語の学習者用にゆっくりと読み上げてくれて、なおかつ一字一句正確なスクリプトが表示されます。

 ここで「英語はネイティブのスピーキングの速さについていかなければ意味がない」という意見に答えておきます。これはたしかに一理あり、意味が分からなくてもBBCやCNNのキャスターの英語を聞くような勉強もすべきです。ですが、VOAのようにゆっくりと話してくれれば「シャドーイング」ができます。シャドーイングはここ数年英語の勉強の話題になるとよく出てくるキーワードで、英語を聞き取りながらわずかに遅れて同じ英文を話すことです。2011年時点では私はシャドーイングの有効性をそれほど重視していなかったのですが、現在は極めて有効な練習法と考えています。英語はいくら読み書きができて、ある程度リスニングができたとしてもスピーキングはうまくなりません。うまくなるにはこのシャドーイングが極めて有効なのです。

 さらに、話す・聴くで有効な勉強法を紹介しましょう。2011年に私は英会話学校を否定し、自分でプライベートレッスンを受けられる講師を探すことを提案しましたが、これより遥かに有効な方法があります。それは、フィリピンの英語教師からマンツーマンのレッスンを受けるという方法です。2011年の時点で私は知りませんでしたが、ちょうどその頃からフィリピンに短期間渡航し、マンツーマンの英会話学校に入る人、さらにスマホを用いて日本にいながらプライベートレッスンを受ける人が続出しました。そして、これが信じられないくらいに安いのです。

 私も4日間の超短期間ですが、実際にフィリピンに渡航し体験してみました。学校や講師によっては勉強にならないという意見もあるようですが、そんなことはまったくなく私にはとても勉強になりました。そもそも彼(女)らの英語のレベルは少なくとも日常会話でいえばほとんどの日本人より上です。講師によっては、例えば医学で用いる単語を知らない、ということはありましたし、仮定法過去の使用がおかしい講師もいましたが、そんな講師でも発音は私とは比較にならないほど上手ですし、あまり話さない講師なら、こちらから一方的にがんがん話をして、間違っている発音を訂正してもらうという勉強もできます。私のように4日程度なら、”元”をとれないかもしれませんが、1週間以上の時間がとれるならLCCなどを利用すればかかった費用の何倍もの価値があるはずです。

 もちろん日本にいながらスマホを用いて講師の顔をみながらレッスンを受けてもかまいません。ただ、私自身はスマホのスクリーン越しに他人と話すのに慣れておらず抵抗があるので、これはおこなわずに、先述したVOAとNHK worldをメインとした勉強にしています。VOAでは、ニュース以外に「Let’s learn English」、「English in a Minute」、「News Words」、「Everyday Grammar」など、英語勉強用の1~数分のすぐれたプログラムが多数用意されています。

 スマホといえばアプリですが、私は過去数年間で30以上の様々な英語学習用アプリを試してみました。そのなかでひとつ推薦するとすれば「English Central」です。このアプリでもマンツーマンレッスンも申し込めますが、それをしなくても多数のビデオを字幕付きで見ることができます。ビデオの時間は1~数分で、内容が多岐にわたり、初心者から上級者向けまで様々なものが用意されていて無料です。これを毎日続ければ少なくともリスニングとスピーキングに関しては飛躍的に伸びると思います。

 また、読み書きなら誰でもすぐに始められる簡単な勉強法があります。まずスマホの設定を「英語」にします。これでほとんどのアプリが英語版になります。そしてLINEやFacebookやtwitter、メールを可能な限り英語で送信するのです。私はSNSは登録のみで自分から何かを発することはありませんが、たとえばtwitterではトランプ大統領のツイートがほぼ毎日入ります。(返信はしたことがありませんが、すれば読んでもらえるのでしょうか…)

 ここで私の英語勉強法2018年版をまとめておきます。

(1) スマホは最強の英語勉強ツール(もちろんPCでもOK)。アプリも充実している。
(2) NHKの英語教育番組は依然高品質だがテレビを観なければならないのが難点。
(3) NHKの「ニュースで英会話」はテレビよりスマホが効果的。スマホならゆっくり読み上げてくれる機能がある。
(4)  「Voice of America learning English」のゆっくり読み上げてくれる機能はリスニング及びシャドーイングに最適。
(5)英会話学校はマンツーマンレッスンをフィリピンで受けるのがいい。費用は驚くほど安くLCCを利用して渡航すれば1週間でも元がとれる。
 
 最後に、拙書『偏差値40からの医学部再受験』でも述べた英語学習の”特徴”を繰り返しておきます。それは、英語というのはしばらくの間はやってもやってもまったく伸びず、ある日突然理解できるようになり、また停滞して、再びできるようになり…、という感じで階段状に上達していくということです。現在行き詰っていたとしても決して諦めないでください。

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2017年12月21日 木曜日

第179回(2017年12月) これから普及する次世代検査

 人間ドックなどで実施されることがある「腫瘍マーカー」。がんの早期発見には(ごく一部のものを除けば)まったく無意味であること、しかし、いくつかの「がん検診」は有益であり、厚労省が推薦している大腸、胃、肺、子宮頸部、乳腺については検査を受けるべきであることを過去のコラム(メディカルエッセイ第158回(2016年3月)「「がん検診」の是非」)で述べました。

 そのコラムを書いてからまだ2年もたっていませんが、正確にがんの早期発見ができるかもしれない検査方法がいくつか開発され実用化に近づいています。また、がん以外の領域でも新しい画期的な検査、それは医学の教科書を大きく書き換えるかもしれない検査が開発されてきています。今回はそれらの検査を「次世代検査」と名付け、今後普及するかどうかを検討したいと思います。

 まずはがんから始めましょう。最初に紹介したいのは、何度かメディアでも報道された「線虫の嗅覚」を用いたがんの早期発見検査です。私自身もこれを初めて聞いたときには驚きました。「線虫」とは寄生虫の仲間で、糸のような体をくねくねと動かす生物です。

 九州大学を中心とした研究グループは、線虫はがん患者の尿に引き寄せられることをつきとめ、がん早期発見のツールとして開発を進めています。わずか尿1滴で検査ができますから痛みも被爆もありません。気になるのは精度と費用ですが、論文(注1)によれば、精度については感度(検査で陽性となる人数/がん患者数)がなんと95.8%。これは驚くべき数字です。ステージ0(ゼロ)でも発見できると報じられています。一方、特異度(検査で陰性となる人数/がんでない人数)は95.0%ですからこちらも高い精度と言えます。費用は数百円といいますから、実用化すれば一気に普及することになるでしょう。現時点ではこの検査はまだ市場に登場していません。

 次に紹介したいのは「マイクロRNA」です。これは血液や唾液、尿などに含まれる小さなRNAのことで、がんに伴い血液中でその種類や量が変動することが分かってきています。国立がん研究センターもこの研究を担っており、同センターのウェブサイトにプロジェクトが掲載されています。同センターのプロジェクトでは1回の採血で13種のがんが診断できるとされています。

 そして、一部のがんについてはすでに一部の検査会社が実施しています。「マイクロアレイ血液検査」と呼ばれる検査は、胃がん、大腸がん、膵臓がん、胆道がんの4つのがんの超早期発見ができます。精度については、感度98.5%、特異度92.9%、と感度では線虫検査を上回ります。ただ、特異度が線虫検査よりも低く1,000人のがんでない人の検査をすると「がんでない」という正確な結果がでるのは929人。つまり71人はがんでないのに「がんの疑い」と言われてしまいます。しかし、特異度92.9%というのは極めて良好な数字です。(腫瘍マーカーは感度・特異度とも著しく低いと言われていますが、それを分析して数字を出した論文は私の知る限り見当たりません。おそらく健診で腫瘍マーカーを調べる国や地域がそう多くないからだと思われます。そういう意味で日本は”特殊な”国なのかもしれません)

 これら4つのがんのうち、胃がんと大腸がんは内視鏡(胃カメラ、大腸カメラ)でも早期発見が可能です。また、胃がんについてはヘリコバクター・ピロリの有無や抗体を調べることでリスク評価ができます。ペプシノーゲンという血液検査で調べる検査もある程度リスク評価ができます。内視鏡などの普及により胃がんと大腸がんは早期発見が可能となっているのです。

 ですが、膵臓がんと胆道がんは早期発見が極めて困難ながんです。98.5%という感度は俄かには信じられないほどで、今後普及するのは間違いないと私はみています。特異度が100%でありませんから、がんでないのにがんの疑いと言われる人がでてきますが、その場合も他の検査、エコーやMRI、MRCPなどを定期的におこなうことで安心することができます。

 この検査の欠点は費用が高くつくことです。今後普及していけば値段は下がってくるでしょうが、現時点では最低でも10万円程度かかります。

 マイクロRNAを測定することで早期発見できるようになってきたがんに「乳がん」があります。乳がんは早期発見できるがんとされていますが、実際には、毎年乳がん検診を受けていたのに発見されたときには手遅れだった、というケースもあります。マイクロRNAの解析をおこなうことで従来の乳がん検診よりも早期発見できる可能性が高くなったのです。乳がんは頻度が多いがんであること、若年者に多いがんであることから、今後普及していくものと思われます。

 遺伝子の話になると最近よく取り上げられるのは「テロメア」です。テロメアとは遺伝子の断片に存在する部分で、生まれつき長さに個人差があり、年をとるにつれてだんだんと短くなっていきます。そして、ギリギリまで短かくなるともはや細胞増殖ができなくなり、細胞の寿命が尽きます。ということはテロメアの長さを測定することによりどの程度長生きできるかが推測できるわけです。そして、このテロメアの長さの測定計測に成功したのが広島大学発のスタートアップ企業「株式会社ミルテル」です。この検査も今後普及していくことが予想されます。

 次に紹介したいのはアルツハイマー型認知症です。アルツハイマーのリスク低減には、地中海食、運動、禁煙(ただし喫煙がリスクを下げるという報告もあります)、社会性、勤勉性、外国語習得などいろいろと言われますが、どれも決定的なものではありません。現在分かっていることで最も確実なのが「ApoE遺伝子」という遺伝子検査です。ヒトが持つApoE遺伝子のタイプはε(イプシロンと読みます)2、ε3、ε4の3つで、2つ一組で存在します。つまり、すべての人は、①ε2・ε2、②ε2・ε3、③ε2・ε4、④ε3・ε3、⑤ε3・ε4、⑥ε4・ε4の6つのうちのどれかを持っていて、この組み合わせは生涯変わりません。3種のεのうち、ε4がアルツハイマーのリスクとなります。ε3・ε3の人がアルツハイマーになるリスクを1とすると、ε4・ε4の場合リスクはなんと11.6倍にもなります。ε3・ε4なら3.2倍です(注2)。

 この検査の”怖い”ところは、「遺伝子は変えられない」、ということです。例えば、あなたが結婚間近だとして、婚約者と共にこの検査を受けたとしましょう。あなたが、あるいは婚約者が上記ε4・ε4だったとしたらあなたはどう思うでしょうか。あるいは、あなたの親御さんはε4・ε4をもつあなたの婚約者をどう思うでしょうか。

 一方、アルツハイマーには「MCIスクリーニング」という検査が開発されました。これはアルツハイマーに”なりつつあるか”を調べる検査で、遺伝子には関係ありません。もしもこの検査で”なりつつある”という判定がでれば、食生活を改め運動を積極的におこなうなどで改善させることができます。実際に、この検査で”なりつつある”と出てから、生活を改め1年後の検査で「異常なし」となることも多いそうです。

 もうひとつ、最近広がってきている検査を紹介しましょう。それは「腸内フローラ」の検査です。フローラは元々「お花畑」という意味で様々な花が共存しているようなイメージです。どのような細菌がどの程度いるかを調べることができる検査です。健康な状態のフローラでなければ、食生活を改める、プロバイオティクス/プレバイオティクスを摂取するなどの対策を立てることができます。

 その他の次世代検査としては、BRCA遺伝子(乳がんの遺伝子検査)、次世代シーケンサーと呼ばれているゲノム配列を調べる検査、SNPs(遺伝子検査の1種)、メチレーション(遺伝子に結合するメチル基の検査)など多数あります。実用化には程遠いものやエビデンス(科学的確証度)が確立しているとはいえないものもありますが今後の展開に注意したいと思います(注3)。

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注1:この論文のタイトルは「A Highly Accurate Inclusive Cancer Screening Test Using Caenorhabditis elegans Scent Detection」で、下記URLで全文を読めます。

http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0118699

注2:これは医学誌『Alzheimer’s & Dementia』2007年10月号(オンライン版)に掲載された論文「Genetics and dementia: Risk factors, diagnosis, and management」に記されています。この論文は下記URLで概要を読むことができます。(ただし概要ではこれらのリスクの数値についての記載はありません)

http://www.alzheimersanddementia.com/article/S1552-5260(07)00549-3/abstract

注3:今回取り上げた次世代検査のなかで当院で実施する予定なのが、「マイクロアレイ」「ミアテスト」「テロメア」「ApoE遺伝子」「MCIスクリーニング」「腸内フローラ」です。詳しくは該当ページを参照ください。

 

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2017年11月17日 金曜日

第178回(2017年11月) 論文を持参すると医師に嫌われるのはなぜか

「インターネットをみてこういう治療を考えているんですけど…」、と言って受診する人が次第に増えています。一昔前までは、「テレビのパーソナリティが言ってたから」、の方が多かったのですが、最近は、「ネットに書いてあったから」が上回ります。大阪では、かつては「近所のおばちゃんが言ってたから」、というのが頻繁にありましたが、最近は大阪でも「近所のおばちゃん」はネットに負けています。

 この手の話を医師どうしでしたときに、こういう患者さんを否定的にみる意見が多くでます。初めから特定の考えに凝り固まっていると、それをニュートラルな状態に戻すのに時間がかかるからです。ときには、これはマインドコントロールを解くようなものかもしれない、と感じることもあります。

 そんな「〇〇を見て聞いて…」のなかで、おそらく医師が最も嫌がるのが「論文に書いてあった」というもので、その論文(多くは英語)を持参する患者さんもときどきいます。後述するように、私自身はこういう患者さんがどちらかというとイヤではなく、むしろ好感を持ってしまうことが多いのですが、勘弁してほしい…、と感じる医師は大勢います。今回は、なぜそのような患者さんが嫌がられるのかを解説したいと思います。まず、実際にあった症例を紹介します。(ただし、本人特定ができないように細部に変更を加えています)

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【症例】50代男性 A氏 商社勤務

 胃炎があり、近くのXクリニックで胃薬のプロトンポンプ阻害薬(以下「PPI」)を処方してもらい半年になります。ネット上でたまたま見つけたブログにPPIが脳梗塞のリスクになるという話が書いてあり、そこから原著の論文にまでたどりつきました。イギリス駐在経験もあるA氏は英語の論文を読むことにそう抵抗はありません。1週間かけてすべて読み込み9割以上は理解しました。

 やはり、PPIは脳梗塞のリスクになると確信したAさんはその論文を印刷しXクリニックに持参しX医師に話をしました。すると、医師の対応はつれないもので、その論文を読もうともしません…。

X医師:「そういう意見もあるという程度です。気にする必要はありません」

Aさん:「でもこの論文にこう書いてあるんですよ。先生はこの論文を読まれたのですか」

X医師:「読む必要があるとは考えていません。そんなに飲みたくないらやめますか」

Aさん:「なぜ読む必要がないと言い切れるんですか! もういいです!!」
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 X医師といわば喧嘩別れしたAさんは、翌週、職場の近くの太融寺町谷口医院にやってきました。私は、Aさんに「あなたの疑問はもっともだと思います」と答えながら、一方ではX医師の気持ちもよく分かりました。その理由を述べます。

 まず、Aさんが持参した論文が掲載されている医学誌は、一流のものではなく、比較的小規模の研究や症例報告でも採用されるものです。もちろん、そういった論文にもすぐれたものは多数あるのですが、その論文を金科玉条のように考えているAさんにX医師は抵抗を持ってしまったのでしょう。

 次にこの研究は「後ろ向き研究」でした。つまり、脳梗塞を起こした人のいくらかが過去にPPIを飲んでいることを報告したものだったのです。統計学的に「後ろ向き研究」はエビデンスレベル(科学的確証度)が高くありません(注1)。Aさんによると、X医師はAさんが持参したその論文に見向きもしなかったということですが、もしかすると最初のページの「概要」の部分にはさっと目を通し、それが後ろ向き研究であることに気付いたのかもしれません。

 その一方、私はAさんの気持ちもよく分かります。私にも同じような経験があるからです。医学部の1回生の頃、英語の論文をまだ読み慣れていない私はひとつの論文を最後まで読むのにそれなりに苦労しました。読み終えると充実感が得られ、そこに書いてあることが”絶対的な真実”のように思えるのです。おそらく、せっかく頑張って読んだのだから価値のある論文に違いない、と思いたくなるのでしょう。

 ですが、医学をきちんと学ぶとこの「危険性」が理解できるようになります。一般の方の希望を壊すようですが、論文をいくら拾い読みしても医学に精通することはできません。知識レベルで医師と対等になることはほとんど不可能というのが私の意見です。よく「医師と患者は対等に」と言われ、そこから「患者様」と呼べ、という意見もありますが、私は反対です。医師がエラそうにするのはもちろんNGですが、対等になることは無理です。

 医学部に入学しなければ医師と対等になれない、とまでは言いません。ですが、少なくとも教科書を理解していない人がいくら論文を読んでも、まず100%正確には読めないでしょうし、その論文が医学全体のなかでどのような位置づけで、エビデンスレベルはどの程度なのかということは理解できないのです。

 我々医師は最新の医学情報に追いついていかねばなりませんから日々の勉強は欠かせません。ほとんどの医師は、複数の一流の医学誌(もちろんすべて英語です)の目次程度には定期的に目を通しています。ですが、それだけでは医師として失格です。なぜなら、教科書の内容にもキャッチアップしていかねばならず、むしろこちらの方が重要だからです。

 もちろん私自身も複数の教科書を定期的に読むようにしています。私の場合、内科領域で言えば『Harrison’s Principles of Internal Medicine』(以下「ハリソン」)という世界的に有名な教科書の19th editionを読んでいます。これはかなり高価なもので学生の頃は買えず私は図書館で読んでいました。現在私が読んでいるのはKindle版で割安ですがそれでも24,000円もします。

 教科書は最重要なのですが、臨床には直接役に立たないことが多々あります。実際に患者さんの診察をおこなうにはもっと臨床に即したテキストが必要です。私が高頻度に用いているのは『UpToDate』というオンライン上のテキストです。これは文字通り最新の知識、それもエビデンスレベルの高い知識が効率的に得られます。価格は3年間で1,200ドル(約15万円)もしますが、内容を考えるとまったく高くありません。

 私の場合、複数の教科書と『UpToDate』を基本とした上で、日々発表される新しい論文を読んでいます。そして、どのような論文にも同じ価値があるとはみなしておらず、一流の医学誌(注2)に掲載されているものを優先して読みます。

 一般の人は、おそらく24,000円も出して「ハリソン」を買おうと思わないでしょうし、またたとえ入手したとしてもスラスラ読めるものではありません。読みこなそうと思えば、基礎的な解剖学や生理学、生化学の知識が必要であり、それらから勉強してみようとは考えないでしょう。15万円も出して『UpToDate』にアクセスしようと思う人もいないでしょう。

 では、一般の人は、正確で新しい医学情報にアクセスできないのかというとそういうわけではありません。例えば、健康食品やサプリメントでいえば国立健康・栄養研究所が作成している「「健康食品」の安全性・有効性情報」というページは有用なサイトです。また、「コクラン(Cochrane)」というエビデンスレベルの高い医療情報を集めたサイトは分かりやすく私は患者さんにしばしば推薦しています。これらを読みこなせば、ある程度正確で偏りのない知識が得られると思います。

 ですが、限界があります。やはり一番いいのは、「かかりつけ医から学ぶ」という姿勢です。偉そうに言うな、と反発する人もいるかもしれませんが、目の前の患者さんに正確で最新の医療情報を提供するのはかかりつけ医の使命なのです。最後に、日本医師会が定めている「かかりつけ医の定義」を紹介しておきます。

「なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」

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注1:後ろ向き研究に対し「前向き研究」と呼ばれるものがあります。PPIと脳梗塞を例にとるなら、ある時点で2つのグループに分けて、一方にはPPIを、もう一方には偽薬を飲んでもらい、それぞれのグループが脳梗塞をどの程度起こすか観察する方法です。この方法だと信頼度がぐっと上がります。
 
注2:誰もが認める一流の医学誌となると、『British Medical Journal』、『New England Journal of Medicine』、『The Lancet』、『Journal of the American Medical Association』、『Annals of Internal Medicine』あたりが挙げられると思います。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2017年10月16日 月曜日

第177回(2017年10月) 日本人が障がい者に冷たいのはなぜか

 私がひとつめの大学に在籍していた80年代後半から90年代初頭にかけて、日本はバブル経済真っ盛りであり、世界からは「金持ちの国」と思われていました。1985年のプラザ合意以降、急激な円高が進んだにもかかわらず、自動車や電化製品を中心とする日本製品は当時流行していた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉を想起させ、世界一高品質の評価を得ていました。

 しかしながら、当時の日本人が世界から好かれていたかというと、残念ながらそのようなことはなかったと思います。お金を持っていてもその使い方に品がないとよく批判されていました。今でも語り継がれているのが、安田海上火災のゴッホ「ひまわり」4千万ドルでの落札、三菱地所のロックフェラーセンター買収、ソニーのコロンビア・ピクチャーズ・エンターテインメント買収などです。大企業だけではありません。日本人が一斉に海外旅行にでかけるようになり、ハワイやパリでは高級ブランド店の商品買い占めが問題になりました。これを思えばここ数年の中国人の「爆買い」などかわいいものです。

 このようなお金の使い方をする日本人が世界から尊敬されるはずがありません。では、以前から日本人の良き特徴と言われていた「勤勉」についてはどうでしょうか。残念ながら、家族や余暇などの私生活を犠牲にし、会社にひたらすら奉公する姿は尊敬どころかむしろ「嘲笑」の対象でさえありました。日本人自身もこのような仕事に対する態度を蔑むこともあり「社畜」という言葉も生まれました。

 バブル経済崩壊後は、企業の不祥事が相次いで発覚、倒産する企業も続出し、リストラという言葉が一般化し自殺者が急増します。90年代には日本を称賛する声は国内からも国外からもほとんどなく「日本は終わった」と考えられるようになりました。日本人の性格や考え方は依然世界水準からズレていることが指摘され、たしか90年代後半には「ここがヘンだよ日本人」というテレビ番組もありました。

 ところが、2000年代中頃からこの流れが一転します。ネット社会を中心に、東アジア諸国を蔑むような意見が増えだしたと同時に日本人や日本文化をほめたたえる風潮が出てきました。また、日本人を絶賛するものや、外国人が日本人をうらやましく思っていることを取り上げる書籍なども現れるようになり、ネット住民から知識人まで「日本人礼賛」の大合唱が起こりだしました。

 極めつけは東日本大震災でしょう。家屋が破壊され街が崩壊しても住民たちは取り乱すことなくきちんと列をつくり他人を尊重しました。暴力やレイプがまったく起こらなかったわけではありませんが、これほどまで静かに落ち着き地域住民を助け合う姿は外国ではありえないだろうと言われ、この様子が世界に伝えられると日本人を絶賛する声が集まり、また日本人もこれを誇りに感じました。

 その後「おもてなし」という言葉が流行し、コンビニやコーヒーショップまでもが、これでもか、というような笑顔いっぱいの過剰とも呼べる接客サービスをおこない始めます。「おもてなし」が日本の伝統や文化であると感じている若い人も少なくないのではないでしょうか。

 さて、ここで疑問を呈したいと思います。日本人は本当に「思いやり」があるのでしょうか。もちろんどこの国にもいい人もいれば悪い人もいて、個人によるのは事実ですが、国民全体をおしなべてみたときに日本人は思いやりがあると言えるのか。私の答えは「そうは言えない」です。理由を述べます。

 私が研修医の頃、勤務していた病院は脊髄損傷の患者さんをたくさん診ているところで専門病棟もありました。担当の患者さんが複数いたこともあり、私は頻繁にその病棟に行き患者さんから話を聞きました。家族や友達が見舞いに来ているときは、そういった人たちからも話を聞かせてもらい、また長年その病棟で勤務している看護師や薬剤師からもいろんなことを学びました。

 そこで私が気づいたことは「日本人は障がい者に優しくない」ということです。彼(女)らは車椅子で外に出るのにとても苦労すると言います。技術大国の日本は、車いすに乗ったまま運転できる自動車を開発しており、おそらく技術は世界一でしょう。また、最近はバリアフリーの駅やビルがたくさんつくられています。ですが”肝心の”人が優しくないのです。例えば、バリアフリーでないビルの前で呆然としているとき、声をかけてくれる人はほとんどいないそうです。海外ではこのようなことは考えにくく(注1)、これは日本の「悪しき慣習」と言えるのではないか、と私は考えています。

 また、日本を訪れる外国人からも「日本人は冷たい」というセリフを何度も聞いたことがあります。例えば、60代の米国人女性は、駅で重い荷物を運んでいるときに誰も手を差し伸べてくれなかった、と嘆いていました。20代のタイ人女性は妊娠中でバスのステップを上がるのが困難なのに誰も手を貸してくれず、また荷物を棚に上げる手伝いもしてもらえなかったと寂しそうに話していました。彼女らは共に「母国ではこんなこと考えられない」と言います。

 私自身の経験も紹介しておきましょう。2014年8月、頸椎症の手術を受けた数日後、リハビリの一環で病院付近を散歩していた私は自動販売機でジュースを買おうとコインを入れました。ところが首に大きなカラーを付けていた上に腕も自由に動かないためにジュースを取り出すことができません。そのときフランス人の家族づれが近くにいたのですが、両親に促されたわけでもないのに7歳くらいの男の子が私に駆け寄り「May I help you?」と英語で声をかけてくれたのです。さっきまで両親とフランス語を話していたのに、です。おそらくフランス人は、困っている人がいればすぐに近づき手を差し伸べることが「習慣」となっているのでしょう。しかも瞬間的に母国語から英語に切り替えることができるわけです。まだ小学1年生くらいの男の子が、です。ちなみに、このとき日本人の通行人は何人もいましたが私に気を留める人はひとりもいませんでした。

 ただ、日本人をひいき目にみると、他人に手を差し伸べたときに「余計なお世話です。かまわないでください」と言われるのを恐れているのかな、という気がしないでもありません。例えば、電車のなかで高齢者に席を譲ろうと声をかけると、ムッとされて「結構です!」と冷たくあしらわれたという話を何度か聞いたことがあります。私には同じ経験はありませんが、以前東京の山手線で高齢のご婦人に席を譲ると、なんでそこまで…、と思わずにいられないほど深くお辞儀をされ、さらに横にいたご主人にも何度もお礼を言われました。しかも私が電車を降りるときに、再びご夫婦でお辞儀をしてくれたのです。ちなみに、大阪では「おおきに!」と言われてそれで終わりです。

 もしかすると東京では「可能な限り他人と関わらない」が流儀なのかもしれません。ですが、先述した車椅子の話や、米国人とタイ人の話は大阪での話です。地域によって多少の差はあるかもしれませんが、日本全体でみても、海外諸国と比べて日本人が他人に「無関心」なのは間違いなさそうです。

 そして、穿った見方をすると、東日本大震災で被災者の人たちがきちんと列をつくり静かにしていたのも「他人と関わりたくない」ということの裏返しなのかもしれない…、と思えてきます。他人とぶつかることを避け、大人しく目立たないようにすることが習慣化しているから、結果として整然とした列ができたのではないか、他人に迷惑をかけてはいけないという気持ちが強すぎて他人と関わることに恐怖を覚えているのではないか、という気がするのです。

 米国の文化人類学者ルース・ベネディクトは、1946年に上梓した『菊と刀』で日本を「恥の文化」と命名しました。この考えは今も賛否両論ありますが、私個人としては日本人の性質をよく現わしていると考えています。障がい者や困っている人に対する支援という観点でみれば、「恥の文化」があるから車椅子の人を見ても目立つことはしたくないと考え、一方、障がい者の方は、障がいを抱えて迷惑をかけることを一種の「恥」と考えてしまい、たとえ声をかけてくれる人がいたとしても遠慮してしまうのではないでしょうか。

 では、どうすればいいか。日本人のいいところはそのままおいておきながら、困っている人にだけは積極的に関わるようにすればどうでしょう。アメリカ人のように、初対面なのにまるで以前からの友達のように気軽に話しかける必要はありません。私が主張したいのは「障がい者や困っている人がいれば何かを考える前にまず駆け寄る」ということです。

 私は医師という立場上、こういったことをしないわけにはいかない、というか、いつのまにか身体が勝手に動くようになっていましたが、ぜひこれを読まれているすべての人に勧めたいと思います。特に海外でこういう行動をとると「日本人も捨てたものじゃないな」と思われるようになるでしょう。

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注1:最近、乙武洋匡氏がこのことについて興味深いコラムを書いています。ロンドンの駅で立ち往生したとき、通行人が集まって来て車椅子を運んでくれたというのです。是非下記を参照ください。

『クーリエジャポン』2017年10月2日号「乙武洋匡・世界へ行く|ロンドンで感じた心のバリアフリー」
 

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL