マンスリーレポート
2019年10月8日 火曜日
2019年10月 「医療はサービス業」という誤解~その2~
職業に貴賤がないのは事実だとしても、医療者の仕事に対する考え方については他の職種と大きく異なる点がいくつかあります。一方、共通する点もあるわけで、私自身は医師になる前から、この「医師と他職種の共通点と相違点」について考えてきました。
誰かに指示されたわけでもないのに、どうしてこのような(考えても仕方がないことかもしれない)ことを考え始めたかというと、きっかけは医学部入学前から繰り返し読んでいた稲盛和夫氏の著書の影響です。稲盛氏が言う「利他の精神」は、我々医療者が患者さんに対して考えていることと共通する部分があります。
もしも「会社は誰のためのものか」という問いに「株主の利益のため」とか「社長と役員が(あるいは社員が)金を稼ぐため」と返されればすっきりします。「医療機関の目的とはまったく異なります」と言えるからです。そして、実際に「金儲けのために起業する」という人も少なくないでしょう。
ところが稲盛氏のように「世のため、人のため」をモットーとし「利他の精神」を追求される姿勢は我々医療者のミッションと似ています。さらに、過去のコラム「動機善なりや、私心なかりしか」で取り上げた稲盛氏のこの言葉は私の座右の銘のひとつであり、何かを決断するときはいつもこの言葉を反芻してきました。そして、「動機善なりや、私心なかりしか」はこれからも私の行動の規範であり続けるでしょう。
では、稲盛氏の考えと医療者に全く違いはないのかというとそういうわけではありません。稲盛氏は京セラの次に第二電電(現KDDI)を設立され、その後もグループ会社を増やし、従業員を増やし、利益を伸ばしています。稲盛氏の視点から言えば、この利益は私欲によるものではなく社会によい製品やサービスを届けているわけで、それは「利他的」なのでしょう。そして自社の社員の経済的地位や満足度も向上させていて、これも「利他的」と呼んでいいと思います。稲盛氏は不況のときも従業員を解雇しなかったことを自著で述べています。
医療の世界はどうでしょうか。医療者全員とは言えないかもしれませんが、私自身のことでいえば、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を大きくしようと考えたことは一度もありません。谷口医院がまだ2~3年目の頃、何軒かのコンサルタント会社から「分院をつくりましょう」という営業が来ました。「これだけ患者数が増えて待ち時間が長いのだから、先生(私のこと)のコンセプトを広げて社会貢献しましょうよ」などともっともらしいことを言うわけです。なかには薬局も運営しているある会社から「全額負担するから分院をつくってほしい」と言われたこともあります。
私はすべてのオファーを断りました。医師不足のなか(そうでないとする意見もありますが私の実感としてはまだまだ医師不足です)、簡単に分院をまかせられる医師が見つかるとも思えません。今でこそようやく「総合診療」という言葉が少しずつ普及してきましたが、当時はまだまだ「縦割り」の医療が通常であり、私のように幅広い領域を診るつもりで研修を受けてきた医師はそう多くなかったのです。そのような状態で分院をつくれば、患者さんにもスタッフにも迷惑がかかるだけです。それに、今診ている患者さんに割く時間が減ることを避けねばなりません。谷口医院を大きくすることはまったく考えず、現在の患者さんの診察やスタッフの教育に時間をもっと取りたい、というのが私の考えで、この考えは今も変わっていません。稲盛氏は「良き製品やサービスを社会に供給して”大勢の人の”生活向上に貢献したい」と思われているでしょうから、この点が私の考えとは異なります。
次に異なるのは、少なくとも谷口医院では「検査や処方を最小限とし、今後受診しなくてもいいような診療をおこなう」という方針を開院以来取っていることで、これを極限すると「患者数ゼロが究極の目標」ということになります。実際、過去にあるメディアの取材を受けたときに「究極の目標は「失業」」と答えたことがあります(参照:「私が総合診療医を選んだ理由 ・後編」)。
このサイトで何度も紹介している「choosing wisely」も、おそらく稲盛氏の考えとは異なるでしょう。choosing wiselyは残念ながらまだまだ世間に普及しているとは言えませんが、私は草の根レベルで他の医療者や患者さんに話をするようにしています(興味がある方は当院ウェブサイトの該当ページを参照ください)。choosing wiselyでは無駄な医療を減らすために検査や処方をいつも最小限とすることを心がけています。一般の方にchoosing wiselyについて話すと、きまって「それでは医療機関が儲からないではないか」と言われますが、医療機関はそもそも営利団体ではないわけです。このサイトで何度も指摘しているように日本医師会の「医師の倫理要綱」の第6条は「医師は医業にあたって営利を目的としない」です(参照:「医師に人格者が多い理由」)。
このサイトで「「医療はサービス業」という誤解」というタイトルのコラムを書いたのは2008年の9月、今から11年以上前です。書くきっかけとなったのは患者さんからの数々のクレームでした。当時、開業して1年が経過した頃から「待ち時間が長い」というクレームが相次ぎ、その挙句に「待たされたんだから希望する薬を処方してほしい」と言われることが何度もあり「それは違いますよ」と言わねばならない機会が増えたのが執筆のきっかけのひとつでした。また、待ち時間とは関係なく、「お金を払うんだから……」とか「検査を希望したのになんでできないんだ……」という声も連続して聞かれるようになり、いつの間にか谷口医院は「クレームの絶えないクリニック」になってしまいました。
そのときに私が気づいたのが「患者さんは医療機関をサービス業と思っているからこのようなことを要求するんだ!」ということです。そして、そのコラムを書いてから10年以上が過ぎました。患者さんの目の前で「医療はサービス業ではありません!」と強い口調で言うようなことは余程のことがない限りしませんが(そこまで言うときは「もう帰ってください」いう私の意思表示です)、「医療機関では検査や薬を最小限にすることをいつも考えているんですよ」と多くの患者さんに伝えています。私の言い方が上達したのかどうかは不明ですが、怒り出す患者さんは次第に減ってきています。むしろ、好意的に受け取ってくれる人が年々増えています。初診時から「他院で処方されている薬を減らしたい」「デパス依存症を治したい」などと言って、先にこのサイトを読んでから受診される人も増えてきています。
ですがその一方で、「なんで希望する検査をしてくれへんの!?」と声を荒げる人が今もいるのも事実です。
最近私が懸念している社会現象があります。それは医師の開業を支援するコンサルタント会社がおかしな方向を向いていることです。こういう会社は医師の名簿をどこかで入手して一斉にダイレクトメールを送信しますから、すでに開業している私のところにも頻繁にメールが届きます。その内容をみてみると「集患アップ」とか「患者を増やすには」とか、もっとひどい場合は「他院の患者を奪うには」という表現すら見受けられるのです。
コンサル会社は医療のニーズをまったくわかっていないようです。どれだけ多くの人が自身の健康のことを相談できるかかりつけ医をもっておらず、サプリメントや健康食品、あるいは民間療法にすがっているか知らないのでしょう。また、(これは医療者側に責任があるのですが)いいところがみつからないといってドクターショッピングを繰り返している人がどれだけ多いのかも知らないのでしょう。もしもコンサル会社が今のように「集患アップ」(そもそも「患い」を「集める」という言葉がよくありません)などと謳っていると、これから医師を目指す若い人たちにも「医療もサービス業なんだ」と誤った認識を持たせてしまうかもしれません。
医療はサービス業ではありません。これを認識することが健康になる最大の秘訣と言ってもいいと思います。なぜなら、気になることがあれば、サービス業をしていない、つまり検査・薬を最小限として患者さんにお金と時間を使わせないように努めているかかりつけ医に相談することが、結果的に費用と時間を最小限とし早く元気になれるからです。そして(反論したくなる人もいるかもしれませんが)「検査・薬は最小限」を基本としている医療機関は少なくありません。Choosing Wiselyに関心を持つ医師が増えてきているのも事実です。かかりつけ医からは、治療よりもむしろ「予防」について学び、医療機関受診を最小限とする努力をすることが大切なのです。
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|2019年9月11日 水曜日
2019年9月 ”副腎疲労症候群”にかかる人たち
「えっ、先生、”ふくじんひろうしょうこうぐん”を知らないんですか?」
これは太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)をオープンして間もない頃、20代女性の患者さんから言われたセリフです。「副腎疲労症候群」、そんな病名、聞いたことがありません。医学の教科書に記載されている病気で私の知らない病気はまったくない、とまではいいませんが、患者さんが「よくある病気」と思っていて、医師が知らないものというのはまず存在しません。それに私は自分の性格上、知ったかぶりをするのが嫌いなので、正直に「知りません」と答えました。
するとこの患者さんは「そんなことも知らないんですか?」と呆れた口調で私を軽蔑するような態度に変わりました。「そのような病気はありません」と答えるのは上からの態度になりますし、「きちんとした医学では認められていません」と言うのも相手をいい気分にはさせませんから、「その”病気”のことはさておき、どのような症状でお困りか話してもらえますか?」と質問してみました。
分かったことは、何年も前から疲れが取れないこと、しかし仕事には積極的で休日出勤も多く、一方では旅行が趣味で頻繁に海外に出かけていること、健康診断で異常はなく体重は変わらないこと、これまで数件の医療機関に行ったけどマトモなところはなかったこと、谷口医院なら何でも相談できると思ったから受診したこと、などです。しかし、彼女が「副腎疲労症候群」という言葉を口にする度に私が不甲斐ない返事をしたからなのか、不満げな表情を浮かべて「もういいです!」と捨てゼリフを吐いて帰っていきました。
その後、年に2~3人から「副腎疲労症候群だと思うんです……」という訴えを聞くようになりました。しかし、まともな医師ならこんな疾患が存在しないことは病名からすぐに分かります。慢性疲労症候群という疾患は存在しますし、言葉もおかしくありません。これは「慢性に疲労を感じる病態」です。一方、「副腎」という臓器が「疲労」することはあり得ません。臓器が疲労を自覚することはできません。
先述した20代女性に対する私の対応は失敗と言わざるを得ませんが、その逆に、そんな病気は存在しないということを説明して理解を得られたこともあります。ですが、理解してもらえるのは何度か受診されている患者さんです。「副腎疲労症候群の検査と治療をしてくれないのであれば受診する意味がない」と頑なに信じている初診の人を説得するのは困難です。
そんなある日、ついに「これは放っておけない」と考えなければならない女性がやって来ました。30代のその女性、なにやらクリエイティブな仕事をされているようで東京在住ながら全世界を飛び回っていると言います。訴えは「副腎疲労症候群でコートリルを飲んでいるのだが切れてしまった。2週間後には東京に戻るのでそれまでの処方をしてほしい」というものでした。
コートリルというのは内服ステロイドの商品名です。私は当初、この女性は「副腎疲労症候群」ではなく「副腎皮質機能低下症」があるのかと思いました。副腎皮質機能低下症というのは体内のステロイドをつくりだす副腎機能が低下しており、外から(つまり薬を飲むことで)ステロイドを補わなければなりません。この場合、コートリル(ステロイド)を切らせば大変なことになりますから処方しなければなりません。しかし、その前に問診が必要です。
医師(私):副腎の機能が低下する病気があるということですね。当院は初診になりますから少し話を聞かせてください。まず、診断がついたのはいつですか。
患者:半年くらい前です。専門のクリニックで言われました。
私:ということは生まれつきではないのですね。副腎の機能が低下する原因は何なのですか?(注1)
患者:金属と食べ物と腸内細菌が原因です。
私:……
絶句してしまいました。これは副腎皮質機能低下症ではありません。このとき私は「副腎疲労症候群」の”正体”が分かりました。メディアや世論が勝手に作り出す病名というのは他にもあります。有名なのは「新型うつ」や「アダルトチルドレン」でしょうか。これらにも様々な問題がありますが、こういう診断がついたからといって危険な薬を処方されることはあまりないと思います。ですが、この女性の「副腎疲労症候群」の場合、ステロイドが処方されているわけですからこれを見逃すわけにはいきません。
私の予想通り、副腎機能を示す検査(例えば、コルチゾールやACTH)は測定されていないと言います。その代わり(?)に、毛髪からの金属と”遅延型食物アレルギー”の有無を調べたことがあるそうです。遅延型食物アレルギーというのは過去に指摘したように、存在しないもので多くの被害者が出ています(参照:医療ニュース2014年12月25日 「遅延型食物アレルギー」に騙されないで!)。こういうタイプの患者さんに説明するのはものすごく困難ですが放っておくわけにはいきません。
私:副腎疲労症候群という病気は認められていません。副腎の病気でコートリルが必要な人はたしかにいますが、それは副腎皮質機能低下症という特殊な病気にかかった人で、定期的に体内のステロイドホルモンの数値を調べなければなりません。
患者:先生は副腎疲労症候群を知らないんですね。(東京の)私のクリニックの先生は「この病気は多くの医師が知らない」と言っていました。コートリルを飲めば疲れがなくなるんです。私の先生が正しいんです!
私:……
結局、この患者さんとも良好な関係を築けませんでした。ステロイドを飲めば疲労感が一時的に取れて元気になるのは当たり前です。徹夜もできるでしょう。スポーツ選手なら記録が向上するでしょう(ドーピングになりますが)。しかし、その反動は必ず来ますし長期的なリスクが多数あります。こんなことを続けていると確実に寿命が短くなります。この女性がステロイド内服の危険性に気づき、副腎疲労症候群などという病気が存在しないことに気づくのはいつでしょうか。それにしても東京にはこのような”治療”をしているクリニックがあることに驚かされます。
この件があってから論文を調べてみました。どうやら「副腎疲労症候群」という”病気”で不安を煽られているのは日本人だけではないようです。科学誌『BMC Endocrine Disorders』2016年8月24日号(オンライン版)に「副腎疲労症候群は存在しない~系統的検討から~(Adrenal fatigue does not exist: a systematic review)」という論文が掲載されています。この研究では、これまでに副腎と疲労感や消耗感などの関係が研究された3,470件の論文から、研究の基準に値する58件を選び出し、それらが系統的に検討されています。解析の結果として、研究者らは「副腎疲労は依然として”神話”である(Therefore, adrenal fatigue is still a myth.)」と結論付けています。
現在も年に数回はこの「神話」について患者さんから質問されます。そして、興味深いことにこういう質問をするほとんどの人が先述した「遅延型食物アレルギー」にも関心をもっていて、「リーキーガット症候群が……」(注2)とか「カゼインアレルギーが……」と言います。すでに「コムギとカゼインは一切摂っていない」(注3)という人もいます。不思議なことにそれだけ健康に気を使っている一方で、何人かは「大麻に関心がある」(注4)と言います。そして、さらに不思議なのがこういう”病気”に興味を持っている人の多くが、知的レベルが高く、英語を使いこなす仕事をしていたり、自身で事業をしていたりする人も少なくないことです。
エビデンス(科学的確証)がすべてではありませんが、我々のようにエビデンスに基づいた医療を基本とする、という考えはこういった人たちには受け入れられないのかもしれません。それだけ医療者が信用されていない、ということなのでしょう……。
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注1:副腎皮質機能低下症には先天性と後天性があります。先天性には先天性副腎皮質低形成、副腎皮質刺激ホルモン不応症、副腎白質ジストロフィーなどがあり、後天性はアジソン病と呼ばれる自己免疫疾患や結核で発症するものが有名です。他には、副腎への癌転移、薬剤性などがあります。
注2:ただし私自身は「リーキーガット症候群」という概念を否定していません(参照:はやりの病気第172回(2017年12月)「リーキーガット症候群」は存在するか?)。私がそういう医師だから副腎疲労症候群に関心があるという患者さんが谷口医院を受診されるのかもしれません。
注3:コムギの遅延型アレルギーというものは存在しませんが、コムギを避けると体調がよくなるという人はたくさんいますし、私の方から「コムギ製品を控えてみては?」と患者さんに助言することもあります(参照:はやりの病気第158回(2016年10月)「コムギ/グルテン過敏症」という病は存在するか)。
注4:2013年にウルグアイが大麻を嗜好大麻も含めて合法化したことに続き、2018年夏にはカナダも合法化されました。米国でも嗜好大麻を合法とする州と地域は10以上あります(2019年9月現在)し、ヨーロッパや中南米でも個人的使用なら合法の国が増えてきています。たしかに医療用大麻は有用とする意見も多く、日本でも重症のてんかんには近いうちに許可される可能性があります。ですが大麻には有害性があるのもまた事実であり、本文に述べたような人たちはその有害性にはあまり目を向けていないような印象があります。
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|2019年8月8日 木曜日
2019年8月 ”怒り”があるからこそできること
ここ数年「アンガー・マネージメント」がブームです。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の勉強会でも講師に来てもらってスタッフ全員で勉強したことがあります。アンガー・マネージメントを実践している人はますます増えていると聞きます。たしかに瞬発的に怒りを表明すると結果的に後悔することが多いのは事実ですし、怒りが蔓延しているような職場で働きたいと思う人はいないでしょう。
ですが、怒りにはネガティブなことしかないのでしょうか。実は、私は以前から「怒りを遠ざける」という考えに疑問を持っています。「日本アンガー・マネージメント協会」のトップぺージには「ちょっとした習慣・考え方を身につけるだけで、不要なイライラや怒りとは無縁の生活を送れます!」と書かれています。あるビジネス系のポータルサイトでは「「アンガー・マネジメント」とは?怒りを抑える3つのテクニック」という記事が紹介されていました。つまり、アンガー・マネージメントは常に「いかに怒りを抑制するか」という観点から語られるのです。けれども、人は本当に怒りと「無縁」の生活をし、いかに怒りを「抑制」するかを考え続けなければならないのでしょうか。
アンガー・マネージメントがブームにあるなか、「怒りを表明せよ」などと言うのは奇をてらった意見に思われるでしょうが、私はいつも”怒り”と共に生きているような気がしています。怒りがあるから頑張る気になり努力ができているのです。つまり私にとっての怒りは行動の原動力ともいえるのです。数年前から、こういうことをどこかで発言してみたいけど相手にされないだろうな、と思っていたところ、先日ノンフィクション作家の河合香織さんが日経新聞のコラムで興味深いことを書かれていました。
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翻って考えれば、私にとっては原稿が書けないことはいいことかもしれない。書くことがないということは、心が平穏な証左だからだ。ノンフィクションを書く動機の奥底には、人生の不条理に対する悲しみがある。そろそろ落ちついて怒りから解放された晴れやかな文章を書きたいとも思っているが、まだまだ怒りの玉を手放すことができない。(日経新聞2019年6月13日夕刊)
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つまり、「怒りがあるから文章を書かねばならなくなる。書くことがないときは心が平穏で怒りがない」ということを言われているわけです。私は川合氏のこの言葉がふっと腑に落ちました。
私は作家ではありませんが、本を上梓したこともありますし、このサイトも含めて複数のサイトでコラムを書いています。そして、その原動力の源は怒りであることが多いのです。
私が初めて自分の文章を世間に発表したのは1987年、高校を卒業した直後です。偏差値が40しかなくても2カ月の勉強で志望校(関西学院大学)に合格できたことをある本で発表しました。これは自慢がしたかったわけではなくて怒りが源です。その文章には、「お前の行ける大学はない」と言われた教師に対する怒りや、私よりも成績がいいのに教師の忠告に従って本当は望んでいない大学に行くことに決めた同級生に対するもどかしさが刻まれています。
次に文章を公表したのも受験勉強のことで、医学部入学時の1996年に書きました。さらに怒りを表明したいと考えた私は、医学部を卒業してから2002年に出版社に原稿を送り『偏差値40からの医学部再受験』を上梓しました。この本のオリジナルの原稿には、いかに高校教師が生徒をダメにしているか、そしてその教師の言いなりになってはいけないかを延々と書いたのですが、残念ながらその大部分は編集で大幅にカットされてしまいました。
その次に書いたのは『医学部6年間の真実』という本で、これはやる気のない医学生や既存の医療体制の問題点を指摘しています。これを書こうと思ったのもやはり、そういったものに対する怒りです。特に、医学部の試験でカンニングをする学生に対する怒りがおさえられなかったことが執筆動機のひとつです。
『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』という本を書いたのは2006年頃で、これはタイで見てきたHIV/AIDSに関する怒りを表明したかったというのがきっかけです。この本を書く前からNPO法人のGINAでいくつかのコラムを書いていました。書こうと思った動機は、HIVに感染したことで食堂から追い払われたり、乗ろうとしたバスから引きずり降ろされたり、住民から石を投げられたり…、ということが当時のタイでは頻繁にあり、さらには病院でも門前払いされ、行き場をなくしている人たちがいたことです。こんなこと許されていいはずがありません。ちなみに、現在のタイではHIVに関連する問題がすべて解消されたわけではありませんが、かつてのようなひどい状況にはありません。現在は日本の方がはるかにHIV陽性者に対する差別が根強いことは間違いありません。
谷口医院のサイトでもコラムを書き、さらにメール相談を随時受け付けているのは、きちんと治療すれば治るのに誤ったことを教えられて悪化させているような人(例えば悪徳な民間療法)や、きちんと説明を受けておらず無益なドクターショッピングを繰り返している人たち(前医を安易に批判してはいけないのですが、前医が別の言い方をしていれば患者さんはこんなに悩まなくても済んだのに…、という例は決して少なくありません)の力になりたいという思いがあり、これも一種の怒りがベースになっています。
2015年7月から毎日新聞の「医療プレミア」で連載を持たせてもらっています。総合診療医の私が感染症を取り上げているのは、感染症はほんのわずかな知識で完全に防ぐことができるのに(コラムのタイトルは「実践!感染症講義 -命を救う5分の知識-」です)、きちんと教育されていない、あるいはネットなどからウソやインチキの情報をつかまされて不幸になる人が少なくないことなどから、本当のことを伝えたい!という強い気持ちがあるからで、これもやはり一種の怒りが原動力です。
2018年7月から始めた「日経メディカル」での連載コラムは医療者向けのものです。そして、ここでも現在の医療体制の問題や、ときには他の医療機関や医療者の悪口を怒りに身をまかせて書いています。
このように改めて自分が書いているものを振り返ってみると、多くの文章の執筆動機が怒りです。そして、その怒りの強度が強ければ強いほど文章は一気に書けます。ときどき、よくそんなにたくさんの文章が書けますね、と言われますが、これは私に文章を書く能力があるからではなく、怒りに身を任せると書かずにはいられない気持ちになる、というのが正直なところで、文章を書くことで私の怒りが整理できているのです。ならば、私は文章を書くことによってストレス発散ができてその怒りが解消されるのかというと、そういうわけではまったくありません。むしろその怒りが鮮明になり増強されることの方が多いのが事実です。
今この文章を書いているのも既存の「アンガー・マネージメント」に対する一種の怒りがあるからと言えなくもありません。ただし、アンガー・マネージメントに完全に反対しているわけでもありません。私が言いたいのは、怒りを「抑制」するのではなく、怒りと「無縁」の生活を望むのでもなく、自然にわきでてくる”怒り”を原動力に行動してもいいのでは、ということです。
それが私流の”アンガー・マネージメント”(怒りの管理)というわけです。
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|2019年7月8日 月曜日
2019年7月 医師にメール相談をしよう
過去にも述べたように、13年前に太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)をオープンさせるとき、「ウェブサイトはつくらない方がいいよ」と助言してくれた医師が何人かいました。その理由は「ネットで医療機関を探す患者は、ドクターショッピングを繰り返していることが多く診察に時間がかかるから」というものでした。そして、私の答えは「だからこそつくるんです!」でした。これまで医療機関でイヤな思いをしたという人にこそ受診してもらいたいと考えていたのです。
大学(大阪市立大学)の総合診療科の医師たちはこの私の考えに賛成してくれて、私のやろうとしている総合診療をウェブサイトで社会に知ってもらうべきだ、と励ましてくれました。ですが、「メール相談を無料でおこなう」という私の意見に賛成してくれた医師は(ほぼ)ゼロでした。そして、今も私は「メール無料相談を始めようよ」と他の医師に促すのですが、同意してくれる医師は少数です。つい最近開業した大学の総合診療科の若い先生もウェブサイトはつくっていますが、そのサイトからメール相談はできません。
メール無料相談は患者側だけでなく医師側からみてもとても有用なものであることを私は確信しています。ですから、残りの医師としての人生をかけてでも、私と同じようなメール無料相談をする医師を増やしていきたいと考えています。
今回はメール相談にはどのようなものが多いかについて紹介していきたいと思います。しかしその前に、このようなメール無料相談をしている医師は私だけではないということを紹介しておきたいと思います。
過去のコラムで報告したように、私は自身が患者として2014年に脊椎の手術を受けました。その病院を受診する前、私はその病院のウェブサイトから医師に直接メールを書きました。驚いたのは同日に返事をいただいたことです。そして、その返事が励みとなり疾患に向き合う気持ちになり、その医師に手術をしていただきました。その後、私は医師として、自分が診ている患者さんが重度の脊椎疾患があればその医師に相談させてもらっていますが、翌日には返信メールが届きます。かなり多忙な医師なのにもかかわらず、です。
もうひとつ、私の身内の話をします。あるがんの末期で、大学病院で「手術不能で余命数ヶ月」と言われたのですが、ある病院の医師にその病院のウェブサイトからメールをしたところ同日に返答がとどき、とんとん拍子に話が進み、手術を受けられることになりました。それから数年が経ちますが、今も元気で再発がありません。この話はまさに”奇跡”で、もちろんその医師の技術が極めて高度だったからでありますが、メールがきっかけで手術が受けられるようになったのは事実です。
このようにメール相談を受け付けているのは決して私だけではないのですが「メール無料相談などやるべきでない」と考えている医師の方がずっと多いのが実情です。その理由として、「メールだと不正確な情報しか分からないからきちんとしたことが言えない」「誤ったことを伝えて後で訴えられたらどうするのだ」「長文メールが何通も届くと対応できない」などとよく言われて、それはそれで正しくはあるのですが、私からすれば「どこに行っていいか分からず苦しんでいる人はどうするんだ!」となるわけです。今、紹介した二人の医師は(私とは異なり)全国的に有名で多忙な医師です。その医師たちが患者からのメール相談を受けて、実際救われている患者(私も含めて)がいるのですから、他の医師にもやってもらいたいと私は言い続けているのです。
過去12年半の間に谷口医院に寄せられたメール相談は約9千です。メールが1通もこない日はほとんどなくて、多い日は10通近くが届くこともあります。そのひとつひとつに回答しているわけですから平均すると毎日1時間程度はメールの返信に費やしていることになります。メールを分類してみましょう。
〇当院を受診したことのある患者さん
「予想より早くよくなったから薬を中止してもいいか」「薬疹が出たかもしれない」「いったんよくなったけど再発したみたい」といった内容が多く、皮膚疾患の場合は写真を添付されることもあります。診察中は私は電話に出られませんし、夜間も(現在は)電話に出ませんから、このようなメールでの質問は非常に効果的です。患者さんは受診しなくてすみますし、私からみても受診不要な患者さんの見極めができれば、その分の時間を他の患者さんにあてることができるからです。
家族のことで相談される人も少なくありません。その家族は未受診であっても、メールをされている患者さんのことは分かっていますから(顔を思い浮かべて返信できますから)、ある程度詳しいことまで伝えることができます。受診してもらうこともありますが、「受診する必要はありません。悪化すればまた教えてください」で済ませられることも多々あります。
このように再診の方であれば、本人のことはもちろん、家族でも、あるいは友達のことでもメール相談はたいていスムーズにうまくいきます。
〇当院未受診の患者さん(どこも受診していない場合)
「健診で異常が出たが受診すべきか」「1か月前から〇〇の症状がある」「(私がメディアに書いた記事などを読んで)△△という病気が怖くなった」など、質問の種類は多岐に渡ります。顔を見たことのない人からの相談の場合、その人のキャラクターが分かりませんから、あまりつっこんだことまでは言えず、どうしても一般的なことのみの説明に限定されてしまいます。これでは答えになってないな、という場合も多いのですが、意外なことに「ようやく受診する決心がつきました。ありがとうございます」といったお礼のメールをいただくこともしばしばあります。このタイプのメールは遠方からも届きます。
〇当院未受診の患者さん(他院でイヤな思いをした場合)
長文メールが多いと言えます。医師やその病院の悪口を延々と書いてあるものもあります。ですが、たいていの場合よく読むと、その医師の人格を否定しているのではなく、「きちんと診てもらえなくて不安が強い」というのが本音であることが分かります。こういうケースでは、そのように思われたのも無理はないということを伝え、そして同時に「医療不信にならないで」ということを訴えます。その後も何度もメールが届くことが多いのですが、根気よく対応していると(途中で無視することはありません)、たいていは最終的には受診できる医療機関が見つかったとの連絡が来ます。このタイプは過半数が他府県(文字通り北海道から沖縄まで)です。
〇その他メール
私は受験や勉強の本を出版していることもあり「医学部受験や看護学校の受験を考えている」「資格を取ろうと思っている」というメールがときどき来ます。私が書いたり取材を受けたりしたメディアの記事を読んで感想を送ってくれる人もいます。また、「医師の彼氏に二股をかけられていた。復讐したい」とか「主治医に恋してしまった」というような相談(?)もときどきあります(なんで私に相談されるのか不明ですが…)。
過去のコラム(マンスリーレポート2019年5月「教科書を読めない人」はそんなに多いのか)で述べたように、2019年1月31日で谷口医院のスマホサイトを閉鎖したところ、メール相談が一気に減りました。そのコラムで述べたように、PCでなくスマホしか見ない人にも再びメールを活用してもらおうと考え結局スマホサイトを復活させることになりました。ウェブサイト作成会社からは「いったん閉鎖すると再びアクセス数が増えるまでに時間がかかる」と聞いていますが、メール相談の数は少しずつ再び増加してきています。
以前にも述べたように、当院未受診でメール相談をされる人が実際に谷口医院を受診するのは5%未満ですから、医療機関を運営(経営)の観点からみると「費用対効果が悪すぎる」と指摘されるのですが、そもそも医療機関は営利団体ではありませんし、メールだけで済ませることができれば他の患者さんに時間を取れますから双方にとって有益なわけです。「メール相談は医師のノブレス・オブリージュ」というのが私の考えです。
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|2019年6月9日 日曜日
2019年6月 競争しない、という生き方~その2~
このことは生涯誰にも話さず棺桶まで持っていこう……。そう思ったのは1991年3月、翌月に就職する会社のオリエンテーションのときです。そのときの情景が私にはとてもショッキングであり、「これは誰にも言ってはいけない」と言い聞かせてきました。それから30年近くたちますが、今もときどきそのシーンが蘇ります。その時は(その人の名誉のために)「棺桶まで持っていく」と誓ったのですが、これだけ時間が経てば個人を特定できないでしょうからそろそろ他言してもいいのではないか、と最近になって考えるようになりました。今回はその話をします。
そのオリエンテーションは一泊二日で会社の保養所でおこなわれました。同期の者どうし酒を飲み議論を交わし深夜まで楽しく過ごしたことを覚えています。ようやくみんなが就寝する頃、私は眠れずにその保養所のキッチンにひとりでタバコを吸いにいくことにしました(当時の私は喫煙者でした)。
ポケットにタバコがあることを確認しながら廊下を歩いていると、ある部屋からシクシクと泣き声が聞こえてきます。「なにやら聞いてはいけないものを聞いてしまったようだ。そうっと引き返そう……」、と今なら思うかもしれませんが、当時22歳のバカな私は「これは面白い!」と不謹慎なことを考え、ドアの隙間から部屋の中の様子を伺うことにしました。
泣き声の主は同期の者ではなくその会社の男性社員でした。しかも30代半ばの中堅社員で、このような場で涙を見せるような人ではありません。もうひとりその部屋にいたのがその上司で、どうやら中堅社員が上司に泣きながら何かを訴えているようなのです。そして、その社員が次の言葉を放ったとき、私の身体は凍り付きました。その言葉とは、「なんで僕は出世できないんですか」というものだったのです……。
過去のコラム「競争しない、という生き方」で、私の初任給が他の同期の者より2千円少なかったことで、私の上司が怒り出したことを紹介しました。実はこのコラムを書いたときも、この中堅社員が泣き出した話も書くことを考えたのですが、そのときは”封印”しておくべきだという結論になりました。しかし、「競争しないこと」をいろんな人に勧めている立場の私としては、この「競争をしらけさせるエピソード」をやはり伝えておくべきだ(もう個人の特定はされないだろう)、と考えるようになりました。
過去のコラム「己の身体で勝負するということ」で述べたように、私は大学名や家柄といった「肩書」には何の意味もないことを大学生時代に当時の先輩たちから学びました。この頃は「出世」というものを深く考えていませんでしたが、出世とは昇進して課長とか部長といった肩書がつくことですから、先輩たちから真実を学んでいた私からすれば、この中堅社員が涙を流して訴えるシーンがただただ馬鹿馬鹿しく、とても愚かなものに見えたのです。
果たして人は、上司に涙を流しながら訴えるようなことまでして出世しなければならないのでしょうか。出世すれば給料が上がるのでしょうが、出世しなかったときと比べてそんなに大きな差がつくのでしょうか。むしろ出世して管理職になって残業代がつかずに給与が下がった、という話もよく効きます。出世すれば尊敬されるのでしょうか。そうかもしれませんが、出世に価値を見出さない者は私だけではないでしょうし、私も出世を蔑むようなことまではしませんが、いい歳をした大人が涙を流して訴えるシーンを見てしまうと、私のような性格の者は「そんな出世ならいらない」と考えてしまいます。
そもそも出世というのは、その会社のなかだけのものであり、取引先の人からはそれなりに評価されることもあるかもしれませんが、その会社に縁もゆかりもない人からは何の興味ももたれません。私が就職したような小さな会社ではなく、大企業の課長さんなどであれば「すごいですね~」と言われるのかもしれませんが、私のように大企業がすごいと思わない者も一定数はいるはずです。
出世する人は人間的に魅力のある人なのでしょうか。これは私の「課題」として長い間考えてきましたが、今年51歳になる現在の私がたどり着いた結論は「そんなものは関係がない」です。
学歴や職歴を”無視”して「己の身体で勝負する」を金科玉条としている私は、あえて「出世」や「肩書」を拒否してきました。それでこれまで困ったことは一度もありませんし、冒頭で述べた中堅社員のエピソードを思い出すと、出世を目指すことがつまらないことにしか思えません。
そして、私のこの考えにさらに拍車がかかったのが、NPO法人GINAの関連で、タイでいろんな人にインタビューをしていたときの経験です。2004~2006年頃、繰り返しタイに渡航していた私は、現地で長期間滞在(多くはいわゆる”沈没組”)している日本人の声を集めていました。買春や違法薬物に手を染めている人たちにインタビューすることが主目的でしたが、結果として”健全な”日本人とも知り合いました。
興味深いことに、そのような人たちのいくらかは高学歴で大企業勤務の経験があります。なかには官公庁に務めていた人や、進学校の元教師という人もいました。そして、こういった人たちにもいろんなタイプがいて、「ああ、この人のコミュニケーションの取り方は誤解を招くだろうな…」と感じる人もいれば、「この人は話もおもしろくて器が大きい生徒会長タイプなのにどうして…」と思う人もいました。
何人かにインタビューをして私が感じたことは、(買春や違法薬物はNGですが)一年に一度日本に帰国してアルバイトでそれなりのお金を稼ぎ、タイにやってきてのんびりと過ごしたり、難解な書物を読み解くことに一日を費やしたりしている人は少なくとも”不幸せ”には見えない、ということです。
タイに滞在しているときは、出世など初めから求めず楽しそうにしているタイ人が気になります。過去のコラム「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」で紹介した「タイの農民と日本のビジネスマン」の逸話からもわかるように、彼らの多くはあまり働きません。
私自身の場合も、出世を求めたことは一度もなく、医師になり研修医を終えてから、しばらく日本でHIVについて学び、その後タイに渡航しエイズ施設でボランティアをおこないました。そこで知り合った欧米の総合診療医達に感化された私は帰国後、母校の大阪市立大学総合診療部の門を叩きました。しかし常勤ではなく他の医療機関にも学びに行くことを選択しました。つまり好きなことをさせてもらっていたのです。出世など頭の片隅にさえない私は周りからみれば気楽な人生を送っているように見えるでしょうが、これはその通りで、「出生しない」「他人と競争しない」と割り切ってライバルをつくらなければ不要なストレスを避けることができ、嫉妬心に悩まされることもありません。
私自身の人生が他人から羨ましがられることはないでしょうが、出世や肩書を捨ててタイで楽しく過ごしている日本人や、あまり働かないタイ人と比べ、「出世」に躍起している人たちは幸せなのでしょうか。そこに幸せがあると考えるから涙を見せてまで上司に訴えるのでしょうか。
ちなみに、若い頃の私に「己の身体で勝負せよ」と教えてくれた魅力的な先輩たちも、大企業で役職をもつような「出世」はされずに(一部大企業の幹部になっている人もいますが)、魅力的な仕事を持ち幸せな生活をされています。冒頭で紹介した涙で出世を訴えていた中堅社員の行方は知りません。
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|2019年5月16日 木曜日
2019年5月 「教科書を読めない人」はそんなに多いのか
前回のマンスリーレポートでお伝えしたように、2019年1月31日をもって太融寺町谷口医院のスマホサイトを閉鎖したところ、その影響は予想以上に大きいものとなりました。スマホサイト閉鎖で変わったこととして次のようなものが挙げられます。
#1 「なんで閉鎖したんですか」という意見(クレーム?)が予想以上に多く寄せられた。
#2 スマホサイトからの「メール問い合わせ」がなくなったことにより、相談メールが激減(半分から3分の1に)した。
#3 新患患者数も同様に大きく減少した。当然のことながら、スマホサイト閉鎖以降の初診の患者さんは、谷口医院に通院している人の家族か知り合い、またはPCサイトを初めから読んでくれている人がほとんどとなった。
これらで意外だったのは#1です。なかには「私の会社で前のよりももっときれいなのを作りますよ」と言ってくれたウェブ作成会社に勤めている人や、「知り合いのウェブデザイナーにお願いしますよ」と申し出てくれる人もいました。もちろん、単に「自分はPCを見ないんでスマホサイトを復活させてください」という人もいました。当初我々は「スマホでPCサイトを見ればそれでいいのでは?」と考えていたのですが、谷口医院のPCサイト(このサイト)は古いタイプの形式のようで、(何でも率直に物を言ってくれる)ある患者さんに言わせれば「読みにくい。どうしても知りたい情報がある人はそれでも読むだろうけど、気軽に情報収集したい人からは避けられる」そうです。
この意見に対し「谷口医院のPCサイトは読みたい人だけ読めばいい」と言ってしまうのは「上からの目線」だと思います。3ヶ月ほどかけて私の友人知人に”リサーチ”をしてみました。その結果、大半の人は「いまどき旧式のPCサイトだけなんて、時代遅れも甚だしい」という意見で、逆に「PCサイトだけでもいい」と答えた人はゼロでした。
どうやら私の「ITリテラシー」は相当遅れているようです。私自身もスマホは持ち歩いていますが、例えば国内外のニュースや医療情報などをスマホで調べた経験はほとんどなく、こういった情報は、移動中にはiPAD、自宅か職場にいるときはPCを使っています。ちなみに、私はツイッターやフェイスブックなどのSNSもほとんど利用した経験がありません。
SNSやスマホが今ほど普及していなかった頃、おそらく2010年代前半頃までは、全員ではないにせよ多くの人がPCを見ていたのではないでしょうか。スマホが急速に使いやすくなったことで、大半の人が「PCはなくてもやっていける」ことに気付いたのではないかと思うのです。我々のように物を書く機会の多い職業に従事していればPCなしの生活は考えられませんが、一般企業勤務のホワイトカラーの人たちでも「報告書は自宅で書く」という人を除けば(最近はこういうことも禁じられていると聞きます)、スマホだけで事足りるのかもしれません。意外だったのは、ある企業のCEOでかつては会社のPCサイトにブログを書いていた人までもが「今はスマホしか見ない」と言っていたことでした。
私の知人へのリサーチを通してもうひとつ学んだことがあります。それは、「文章を読めない人が増えていることがPC離れを加速させている」ということです。最初にこの話を聞いたときに「この人は何を言っているの?」と思ったのですが、ある会社で人事をしている人に聞くと、入職時の試験で小論文を書かせると、学歴は高いのにほとんど文章が書けない若者が少なくなく、さらに新聞を読めない者も増えているというのです。
そんなとき、ある書評で高評価を得ていた数学者新井紀子氏の『AI vs.教科書が読めない子どもたち』を読んでみました。この本には興味深いことがいくつも書かれているのですが、特に衝撃的なのは「多くの中高生たちが教科書を理解できない」ことを証明していることです。ここでいう「教科書の理解」というのは国語の難問である「作者はどのようなことが言いたかったのか」が解けるかという意味ではなく、単に各教科の教科書に書かれている平易な記述を理解できない子供たちが多いということです。著書には理解度を問う設問の例が挙げられています。素直に日本語を読めば分かるだろうという設問に、中学生の4割、高校生(しかも対象は進学率が100%の高校)の3割が正解できていないのです。ちなみにこの問題は作者らが開発した試験問題を解くロボット「東ロボくん」は正解しています。著者の新井氏は「中学生の半数は、中学校の教科書が読めていない状況」と断言されています。
さて、教科書レベルの日本語が読めないのは中高生だけでしょうか。同書では大学生や社会人でさえも簡単な日本語が理解できていないことを独自の調査で明らかにしています。本当に教科書が読めない中学生が増えているならこれは当然のことで、日本の中学生がある時突然読めなくなったわけではないでしょう。おそらく少しずつ日本人の読解力(中学の教科書を読むレベルの読解力)が低下してきているのでしょう。
だとすると、教科書を読めない人は自分の健康のことで困ったことがあったとしても、わざわざ文字数が多く読みにくいPCサイトを探さないことが予想できます。前回のコラムで、スマホサイトを見ての電話問い合わせで苦労するエピソードを紹介しましたが、おそらく「長い文章は読みたくない。文字が必要ならSNSでやり取りされる程度の簡単なものがいい」と考えている人は少なくないのでしょう。
興味深いことに、太融寺町谷口医院にはその正反対というか、例えば大量の論文のコピーを持参するような患者さんもいます。彼(女)らは日本語のみならず英語で難度の高い文章をインターネットで入手して読みこなしているのです。「格差社会」という言葉はすっかり人口に膾炙していますが、たいていは収入や資産のことを指しています。ですが、この「文章を読む力」の格差も相当大きく、もしかすると収入や資産以上に広がっているかもしれません。
ただ、私自身はそういう社会を必ずしも是正しなければならないとは考えていません。「いろんな人がいる」のが社会です。収入や資産の格差社会がいいとは言いませんが、海外に比べると日本の格差などたかがしれています。読解力にしても格差が少ないのが理想かもしれませんが、よく考えてみると日本人の識字率はほぼ100%であり、世界的にみれば最優秀のレベルです。私がタイでボランティアをしていたとき、母国語のタイ語がほとんど読めない患者さんもそれなりにいましたし、小学校にすら行かせてもらっていない子供たちも珍しくありませんでした。新井紀子氏がされている日本人の読解力を向上させる活動に私は賛同しますが、同時に「文章が読めない人もいての社会」を受け入れるべきだとも考えています。
ロヒンギャ難民が深刻な状態にあることを毎日新聞「医療プレミア」で紹介しました(「少数民族ロヒンギャの命を奪うジフテリア」)。そのコラムでは難民を受け入れない日本を非難し、ロヒンギャからの難民は館林市にしかいないことを指摘しましたが、最近神戸にもやってくるようになりました。彼(女)らを支援している人に話を聞くと「無文字社会のロヒンギャとどうやってコミュニケーションをすればいいかが問題」とのことでした。
結論を述べます。前回も述べたように、そもそも私が「病院勤務ではなく自分でクリニックを立ち上げなければ」と考えたのは、他の医療機関でイヤな思いをした人や、どこに相談していいか分からないと考えている人たちの力になりたかったからであり、そういう人のなかには「効率よく情報収集できない人」、つまり「スマホは見るがPCはほとんど見ない人」も少なくないでしょう。それから、これも過去に述べたように(「身体の底から湧き出てくる抑えがたい感情」)医療機関を受診できないと考えている外国人がますます増えています。彼(女)らは短期から長期の旅行者が多く、情報収集はPCでなくスマホでおこないます。
ならばスマホサイトを持つべきなのではないか。結局、そのような考えにたどり着きました。現在、スマホサイト復活の準備を開始し、さらにもっと見やすくて誰もが気軽にメール相談しやすいような工夫を検討しているところです。
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|2019年4月4日 木曜日
2019年4月 当院がスマホサイトを閉鎖した理由
太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を開院した2007年当時は、まだウェブサイトを持たないクリニックもそれなりにありました。谷口医院をオープンするとき、ある医療者から「ウェブサイトを見て受診する患者は時間のかかることが多いからつくらない方がいいよ」というアドバイスをもらったこともあります。
それを聞いた私は「だからこそつくるんです!」と言いました。これまでいろんなところで述べているように、私が開業を早くしたかったのは、まさにそんな人たち、つまり、「他院でイヤな思いをした」「どこの医療機関を受診したらいいか分からない」「それはうちじゃないから他に行ってくれ、と言われた」「複数の症状がありいくつもの医療機関を受診するのは面倒」「日本語ができず断られた」「セクシャルマイノリティが理由で差別を受けた」「HIV陽性者は診られない、と言われた」…、といった人たちに「ちょっと待って! 病院嫌いになる前にうちに来て!」と言いたかったからです。そのメッセージを伝えるためにウェブサイトが絶対に必要だと考えたのです。
そして、「健康のことで悩みがあるけど医療機関受診は敷居が高いし、過去に受診したときはイヤな思いをしたし……」という人が少なくないことを知っていたが故に、「無料メール相談」を開始しました。
「未受診の人からの相談にも答えるのは大変じゃないの?」というのはよくある質問です。たしかに、毎日毎日、回答にはそれなりに時間を費やしますから負担がないわけではないのですが、それで患者さんの不安がとれたり元気になってくれたりするのであればお安い御用です。メール相談をされる人で実際に谷口医院を受診するのは全体の5%未満ですから、医療機関を経済(経営)的にみると「不効率極まりない」あるいは「費用対効果が悪すぎる」となるのでしょうが、そもそも医療機関は営利団体ではありません。相談に対する回答についても、私が長年言い続けているように「検査や薬は最小限」が基本です。
それは2013年でした。ウェブサイトを私自身が編集しやすくするために、ある会社の申し入れによりホームページをリニューアルしました。その際に(同社の推薦もあって)スマホサイトを作成しました。同社によると、「最近はスマホで何でも済ませる人が多くて従来のPCサイトはあまり見られない」とのことでした。そのときは、そんなものかぁ、と考え、当院を知るきっかけがスマホサイトでもいいか、と思ったのですが、年を重ねるにつれて、PC派とスマホ派に「違い」があることに気が付きました。
それは、一言で言えば、スマホサイトから電話をしてくる人は当院のPCサイトを読まれておらず(当然と言えば当然ですが)、「誤解」があるのです。例えば、こんな感じです。
患者さん:「アレルギー検査っていくらですか?」
当院:「検査には様々なものがあり、診察を受けられていない状態でお答えすることは難しいんです」
患者さん:「なんか、セットになった検査があるって聞いたんですけど……」
当院:「そもそも検査が必要かどうかは診察時に検討されることになりますから、この時点ではなんとも言えないんです」
患者さん:(このあたりから気分を害され)「値段だけでも教えてくれてもいいでしょ!」
当院:「と言われましても……」
これが、当院のPCサイトを詳しく読まれている方なら「検査は必要最小限にすべき」「セット検査は精度が劣る」「検査はあくまでも参考であり問診の方が重要」と言ったことを事前に理解してくれていることが多く、診察もすごくスムースに進みます。
ですが、私はスマホサイトを見て電話をしてきた患者さんを非難しているわけでは決してありません。むしろ気持ちはよく分かります。おそらくこの患者さんは、どこかで「検査をすれば何にアレルギーがあるかが分かる。だからそれを避けるような生活をすればいい」と聞かれたのでしょう。「原因となるものを避ける」というのは基本的な予防のコンセプトですから、このように考えられたことはまったく間違っていません。
ですが、「どのような検査が必要になるか(あるいはまったく不要か)は診察時に検討されるべき」ということを電話で伝えることはときに非常に困難なのです。
一方、あらかじめPCサイトを見られた人たちは、電話にしてもメールにしてもスムースに事が運びます。軽症の方もおられますが、ちょうど先に述べた私が早く開業して診たいと考えていたような患者さん、すなわち「他院で診断がつかなかった」「うちには来ないでくれ、と言われた」というような内容のものもあります。「複数の医療機関でたくさんの薬が処方されているが減らしてもらえないでしょうか」「前医で長年にわたりデパスを処方されているが減らしたい」といった、おそらく私が書いたコラムを読んで相談してくる人も少なくありません。
スマホサイトのトップページには「詳しくはPCサイトを参照してください」と書いてあるのですが、それならば初めからスマホサイトがなければこういった問題は起こらないわけです。それに、患者数をもう少し減らしたいというのもありました。これは私を含めたスタッフがしんどいというよりも(それもありますが)、患者さんの待ち時間を減らしたいというのも理由のひとつです。「医療機関なんだから2時間くらいは待ってください」というのはこちら側の理屈であり、症状を訴えやって来た患者さんを長時間待たすのは我々も辛いのです。
そして、2019年1月31日をもって谷口医院のスマホサイトを閉鎖しました。やはり効果はあるようで、谷口医院を受診したことがない人からのメールでの問い合わせが大きく減り、新患の人数も減りました。これまでは新患(当院を初めて受診する患者さん)がだいたい日に10人くらいいましたが、最近は少ない日は2人ということもあります。しかも、新患の大半の人は、元々谷口医院にかかっている人の家族や知り合いか、PCサイトから相談してきた人の一部です。
何人かの患者さんからは「スマホサイトなくなったんですね」と言われました。そういう人たちは、スマホサイトに表示される待ち時間を見て受診するかどうかを決めているとのことでした。また、「(谷口医院に)何かあったのですか?」と心配してくれる人もいました。PCサイトにも待ち時間情報を載せていることを伝え、これまで通り(これまで以上にしっかりと)診察をおこなうことを約束し安心してもらいました。
ただ、スマホサイトを閉鎖した弊害がないわけではありません。「日ごろの情報収集のツールはスマホのみでパソコンを見ない」という人は、谷口医院の情報に触れる機会がほとんどなくなったわけです。我々にできることは限られていますし、必ずしも満足してもらえるわけではありませんが、それでも「他で診てもらえなかった」という人たちにできることを考えていきたいと思っています。
そういう意味で、スマホサイトを復活させるべきなのかもしれない……。実は現在も悩んでいます。
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|2019年3月11日 月曜日
2019年3月 そんなに医者が憎いのか・続編
本サイトの過去のコラム(メディカルエッセイ第164回(2016年9月)「そんなに医者が憎いのか」)で紹介した「事件」は当初の私の予想を大きく外れる展開となっています。まずは事件の経過を振り返ってみましょう。
2016年5月、東京のある病院。胸部の手術直後の30代の女性が病室で40歳の執刀医からわいせつ行為を受けたとして、この医師が警視庁に逮捕されました。わいせつ行為の内容は、「術後病室に戻された患者に対し、二度にわたり着衣をめくり、手術していない左乳房の乳首をなめ、自慰行為に及んだ」そうです。女性患者の病室は4人部屋で他にも3人の患者がいました。
先述のコラムで述べたように、この女性は”真実”を述べていると思われますが「術後せん妄」と呼ばれる状態にあり幻覚が生じていたことは自明であり、まさか本当に起訴されるなどとは私は微塵も思っていませんでした。しかし、実際に裁判がおこなわれたのです。
2016年11月30日、第1回の公判で検察は「手術後で抗拒不能状態にあり、ベッドに横たわる女性患者A氏に対して、診察の一環として誤信させ、着衣をめくって左乳房を露出させた上で、その左乳首を舐めるなどのわいせつ行為をした」と述べました(参考:m3.com「乳腺外科医裁判、2月20日の判決迫る」)。
2018年9月11日、第3回公判でA氏は「男性外科医は左胸の衣服をめくった。頭の上から変な息遣いが聞こえた。左手で衣服をめくり、右手をズボンの中に入れて出口を見ながら自慰行為をしていた」と証言しました(先述の参考記事参照)。
検察に有利な証言をする医療者が出てくることはあり得ないと考えられていましたが、予期せぬことが起こりました。
2018年9月27日、第7回公判で(なんと)A氏を擁護する精神科医が登場したのです!この医師は「術後せん妄でなく事実があった」と証言しました(参考:m3.com『精神科医「術後せん妄で説明する必要はない」』)。しかし、この医師はせん妄に詳しくないことが判り、2019年1月におこなわれた検察側の論告求刑ではこの医師の証言は引用されていません(これは「異例の扱い」だそうです)。
意外なことに、A氏を擁護する医師がもう一人現れました。2018年10月30日、第10回公判で検察側・弁護側の双方が麻酔科医を証人とし、検察側の麻酔科医が「術後せん妄の可能性は低い」と述べたのです。
2018年11月1日の第11回公判ではA氏の胸に付着したという唾液に関するDNAやアミラーゼ反応について尋問が行われました。この尋問で、科捜研(警視庁科学捜査研究所)の職員が試料を残しておらず、検査自体がかなりずさんであったことが明らかとなりました。我々医療者(というよりすべての科学者)のルールに則れば、試料が残っておらず再現性が担保できないのであれば、こんなものはもはや「科学」ではありません。司法の世界でも、このような信ぴょう性のない「捜査」に説得力はないでしょう。
ところが、2019年1月8日の第13回公判で、検察側は「徹底した矯正教育を施すことが必要不可欠」として被告の医師に懲役3年を求刑したのです。
そして多くの医療者が注目するなか、2019年2月20日、東京地裁の判決が言い渡されました。もちろん「無罪」です。
しかしながら、東京地裁のまともな判断に安堵したのも束の間、2019年3月5日、東京地検は東京地裁判決を不服として控訴しました。
もう一度、「事件」のあった状況を考えてみましょう。場所は4人部屋。一応カーテンはありますが、他に3人の患者がいて、看護師など他の医療者や入院患者の家族がいつ入ってくるか分からない状況です。そんななか、自分が手術をした患者さんの胸を舐めて自慰行為をすることができるでしょうか。
現在の私は手術(執刀)をしていませんが、研修医の頃からクリニックを開業して1年くらいまでは皮膚の手術はおこなっていて、自分が執刀したのは約100件、研修医の頃に助手として手術に関わった症例も加えれば数百件になります。手術の後、患者さんを診に行くときはいつも緊張します。縫合が上手くいったかどうか、出血や腫脹、感染徴候がないかなどに注意しなければならないからです。そんな状況で患者さんの胸を舐めて自慰行為などできるはずがありません。
ただし、残念なことに世の中にはわいせつ行為をする医師はいます。定期的に新聞や週刊誌に恥ずべき事件が報道されていることからもそれが分かります。入院中の女児にいたずらをした香川の小児科医、乳癌検診を受けにきた女性の裸をスマホで撮影した大阪の医師、患者や看護師のスカートの中を院内で盗撮した福島の内科医。最近では、女性に睡眠作用のある薬を飲ませて自宅に連れ込み性的暴行をはたらいた東京の二人の男性医師が逮捕されました。15歳の女子中学生にわいせつ行為をした北九州の50代医師も逮捕されました。
ですから、私はこの乳腺外科医の事件に対して「高い人格を持つ医師がそんなことをするはずがない」と言っているわけではありません。また「悪意で虚言を吐く患者を許すな」と言いたいわけでもありません。この事件で重要なのは「術後せん妄でそういったことがあり得る」ということをまず関係者全員が認識し、そして社会に伝えることです。
報道によるとA氏は次のような発言をしています。
「(事件のあった)病院は私に対してセカンドレイプをした。病院が守るべきは医師ではなく、患者ではないか。(男性医師の名字)さん、あなたは性犯罪者です。今まであなたが楽しんだ分の長い長い実刑を望みます」(参照:m3.com「被害女性「医師免許剥奪、長い長い実刑を」)
私は2014年に患者として手術を受けたことがあります。そのときにメインに使われていた麻酔薬はA氏と同じプロポフォールでした。術後の記憶はあいまいで、後から聞いた話では、一応辻褄の合う会話をしていたそうですが、その会話の内容を覚えておらず、夢と現実をいったりきたりしていた感じでした。
A氏が”嘘”を言っていないのは事実だと思います。医療者から「術後せん妄だ」と言われても、警察や検察、そして自身の弁護士らからは「事件はあった。医師を許してはいけない」と言われ続け、無罪判決が出た後も東京地検はすぐに控訴したわけですから、おそらくA氏は自分が”真実”を述べていると確信しているでしょう。ここまでくると、「もはや自分のためだけではない。”正義”のためにも戦わなくては!」とさえ感じているのではないでしょうか。
検察が控訴しても東京高裁は無罪判決を出すでしょうし、検察が上告することはないと思います。しかし、すでに”一線”を超えてしまっています。A氏が「やっぱり術後せん妄だったんですね」と思い直す可能性はほとんどないでしょうし、先述したように医師のなかにさえ「事件はあった」と証言する者がいるのですから。
ちなみに、私はこの事件の話をこれまで医療者以外の知人何十人かに話してみました。誰一人「事件はあったのでは?」と答えず、全員が「あるはずがない。お前(私のこと)の言う通りだ」と言います。もちろん、私の周りの医療者は一人の例外もなく全員が「冤罪であり起訴などあり得ない」と言っています。
「常識」とはとても脆いものではありますが、それでもこの「事件」に関しては、常識的に考えて冤罪以外の何ものでもないのです。
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|2019年2月14日 木曜日
2019年2月 身体の底から湧き出てくる抑えがたい感情
医学部入学時には医師になるつもりのなかった私が、少しずつ医師への道を考え出したきっかけのひとつが病気で困っている人たちからの声を聞き始めたことでした。
「医師になる気はない」と事あるごとに言っていても、世間はそうはみなしません。そして世間の人からは医師も医学生も変わりがないと思われるのでしょう。医学部入学当初から、知り合いの知り合いといった人たちから「病気の相談に乗ってほしい」という依頼がよく来ました。
まだ医学を学び始めたばかりの者にそんな相談をされてもまともな答えができるはずがありません。まして私は「医師になる気はない」と言っているのです。「知り合いの知り合い」ですから会ったこともない人たちであり、無責任なことは言えませんからやんわりと断るようにしていました。ですが、知り合い(必ずしも親しいわけではない)から「話だけでも聞いてやってほしい」としつこく言われ、渋々と話を聞くという機会が何度かありました。
彼(女)らは口をそろえて「医者はまともに話を聞いてくれない」と言います。医学部で実習が始まるのは5回生からで、このとき私はまだ臨床の現場をほとんど知りません。初めて会う人たちから医師の悪口を聞かされてもどうしていいか分かりません。そもそも他人を悪くいう話を聞くときは、できるだけ客観的な立場に立ち、相手(この場合は医療者)からも話を聞くべきです。ですが、そういったことを差し引いたとしても私には彼(女)らの気持ちが分かるような気がしました。もう少し正確に言うと「医者側にも言い分があるだろうが、受診してこのような絶望的な気持ちになってしまっている人がいることをきちんと受け止めなければならない」と感じたのです。
仏語の勉強で挫折し、実験にセンスがないことを認めざるを得なくなり、入学時に考えていた研究の道を諦めかけていたところに、こういった話を頻繁に聞くようになり、私の心は次第に臨床へと傾いていきました(参考:マンスリーレポート2017年8月「やりたい仕事」よりも重要なこと~後編~)。自分が医師になったなら患者さんにこういう気持ちを持たせたくない、と考えるようになったのです。
そのうち私はあることに気づきました。私に「医者はまともに話を聞いてくれない」と言うとき、本当に言いたいことは医師の傲慢さや非人間性についてではなく、「医療者から見放されればどうしていいか分からない…」という”絶望感”だということに。そして、「いかなる人にもこの”絶望感”を持たせてはいけない」と思ったのです。
その後私は医療者や医療機関に不満をもつ多くの人と話す機会を持ちました。いわゆる「たらい回し」をされた人、セクシャルマイノリティであることを知られて差別的な言葉を言われたという人、セックスワークをしていることを思い切って医師に話すとひどいことを言われたという人、民間療法の話をすると医師にキレられたという人…。医師になってからはHIV陽性の人から話を聞く機会も増えてきました。医療者や医療機関に不満をもつ彼(女)らはたしかに軽症例も多いのですが、受診が必要、少なくとも医療者からの適切な助言が必要な人たちです。
こういった人たちのことを考えると、身体の奥から「抑えられない感情」が湧き出てきます。この感情は奥底からジワジワと湧き出てくるもので、私の身体を支配し、ときに思考を停止させます。病気の人を放っておいてはいけないというのは正しいことですが、正しいから実践するのではなく、私にとってはこの感情が文字通り「抑えられない」が故に行動せざるを得ないのです。初めてタイのエイズ施設を訪問し、他の医療機関で門前払いをされたという患者さんの話を聞いたときには抑制できない”怒り”がこみ上げてきました。
太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)には「他の医療機関で診てもらえなかった」といって何軒も渡り歩いてようやくたどり着いた、という患者さんが少なくありません。そういった症例は軽症である場合も多く、そもそも医療機関受診が客観的には不要というケースも多いのですが、そうでない場合もときにあります。
そのような「他院で診てもらえなかった」という症例で、数年前から増加しているのが「外国人」です。
外国人の患者さんの多くは、たとえ日本語か英語ができたとしてもそれなりに時間がかかります。また、英語は医師なら少なくとも読み書きはできますが、受付スタッフや看護師となるとコミュニケーションをとるのが困難という場合も少なくありません。これは大きな病院でも(というより、大きな病院の方が)融通が利かず、患者さんが電話しても話が通じず切られ、直接受診しても追い返され、ということがしばしばあります。
谷口医院を受診するまでにすでに5、6軒の医療機関を受診したという外国人も珍しくありません。こういう話を聞くと身体の奥から湧き出てくる感情が抑えられなくなってくるのです。医療は平等、とかそういったきれいごとを言いたいわけではありません。理屈の上で正しいからといった正論を述べたいわけでもありません。そのような理想を語りたいのではなく、もっと根源的で個人的な「感情」に抗うことができないのです。
海外で困った事態となったときや、突然の病気や怪我が起こったときに、現地の人たちに優しくしてもらった経験がある人は少なくないでしょう。キリスト教では聖書の「ヘブル人への手紙」のなかで「旅人をもてなすことを忘れてはならない」と書かれています(参考:「ヘブル人への手紙」)。イスラム教ではコーランの中に「旅人を助けよ」という教えがあると聞きます。仏教では私の知る限り「旅人」という言葉は見当たりませんが「利他」が基本的な教えであることは言うまでもありません(注1)。
日本に興味がありはるばる異国の地からやってきて、そこで予期せぬ病気に罹患してしまった。こんなとき、我々日本人はその外国人を助ける義務があると言えば言い過ぎでしょうか。谷口医院のミッション・ステイトメント第3条は「年齢・性別(sex,gender)・国籍・宗教・職業などに関わらず全ての受診者に対し平等に接する」です。逆差別もしないことを原則としていますが、複数の医療機関でイヤな思いをしてきたという外国人には少々優先的に働きかけるべきではないかとさえ最近は思っています。
ですから、メールでの問い合わせがあったとき、(内容にもよりますが)英語での外国人からの問い合わせを優先して返答するようにしています(もちろん日本人の患者さんからのメールもルール通り翌朝には返信しています)。谷口医院は総合診療のクリニックですから小児から高齢者までたいていの疾患は治療しており外国人の場合も95%は谷口医院で完結させるか、または帰国直後に母国の医療機関を受診できるように紹介状を作成します。ですが、残りの5%は日本国内での入院や専門医の治療が必要となり、このときに紹介先が見つからずに苦労することが多々あります。
そのようないきさつから、昨年(2018年)7月に「関西の外国人医療を考える会」という任意団体を立ち上げました。先日(2019年1月27日)は第2回の集会を開いて外国人医療に関心のある医療者と意見交換をおこないました。来阪する外国人は増加し続けているのにもかかわらず英語で対応してくれる医療者や医療機関が今もとても少ないのです。
残された医師としての時間のなかで、外国人が医療を受けるのに苦労しない社会を必ずつくる! これが現在の私が最も力をいれているミッションのひとつです。
************
注1:『大乗起信論』(岩波文庫)によれば、「五門」の第一の布施門のなかに次のような記載があります。
「もし人が厄難に遭い、恐怖し、また、危険が切迫しているのを見た場合には、己れに可能な(堪任)度合に応じて、その人に無畏を与えよ」
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|2019年1月12日 土曜日
2019年1月 「妊婦加算」の是非
この通達は”異例”と言っていいでしょう。
2018年12月28日、厚生労働省は全国の関係者に対し「妊婦加算の取扱い」というタイトルの通達をおこない、2019年1月1日より「妊婦加算を算定してはいけない」ことを決めました。
妊婦加算は2018年4月から開始となった新しい制度です。妊婦加算の是非を考える前に、まずはこの制度をおさらいしておきましょう。
妊娠中は非妊娠時に比べ注意点の説明などに診察に時間がかかるからという理由で(おそらく)、2018年4月1日より妊婦加算が導入されました。初診なら220~230円(3割負担の場合)、再診時には110円(同上)の別料金が必要になります。
導入時には医療機関からは特に反対意見は上がっていませんでした。また、患者側からも特に問題視する意見は聞かれませんでした。しかしそれは当然で、患者サイドとしてはこういった情報を知る術がないからです。
医療機関から疑問の声が出なかったのはそれなりの理由があるからです。その理由とは「妊娠している患者さんの診察には時間がかかるから」です。もちろん、症例によってまちまちですが、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の例でいえば、妊娠に無関係の女性に比べて、妊娠時には2~3倍くらいの時間がかかることもあります。
まず体調の変化やもともとの持病が悪化していないかといったことを聞かねばなりませんし、処方する薬が妊娠に影響するかどうか、するとすればどの程度かといったことを理解してもらわねばなりません。さらに、たいていは妊娠中の注意点についての質問を受けます。感染症対策を聞かれることもしばしばあり、特にインフルエンザワクチンの有用性、危険性については毎年何人もの妊娠している女性から質問を受けます。
ここ数年間、妊娠中にかかってはいけない感染症として風疹がよく取り上げられ、たしかに妊娠前には風疹の説明をすることが多いのですが(ただし風疹だけが重要なのではない)、むしろ妊娠してからは、リンゴ病(伝染性紅斑)、サイトメガロウイルス感染症、トキソプラズマ感染症などについて尋ねられることが多いといえます。トキソプラズマについては「ネコに気を付ける」ことは把握されている場合が多いのですが、肉のタタキなどについてきちんと理解していない人が珍しくありません(参照:はやりの病気第174回(2018年2月)「トキソプラズマ・前編~猫と妊娠とエイズ~」)。
妊娠中に初めて出現する疾患や症状もあります。蛋白尿や高血圧は産科での定期健診でもチェックされていますが(それでも谷口医院で診療することも多い)、皮疹(湿疹が多い)や便秘などは産科でなく、たいていはこれまでと同様谷口医院で相談されることになります。
妊娠以外のことで受診されたときに「妊娠しているかもしれません」と言われることもあります。この場合、最終月経や性行為について質問し必要あれば妊娠反応を確認することになります。なぜなら、もしも妊娠していた場合には使えない薬が多数あるからです。そして、妊娠していた場合、診察にはそれなりに時間がかかります。特に、「3日前に風邪薬を飲んでしまった…」といった場合にはかなり時間をとって説明しなければなりません。
また、患者さんは気づいていなくても妊娠していることがあります。便秘や腹部膨満感の原因が妊娠であった、ということがあり、その場合は妊娠していることを理解してもらい、これからどうするのか(こういう場合「望まない妊娠」であることが多い)について相当長い時間をとって話し合わねばなりません。
このように妊娠している女性の診察には、場合によってはかなり時間がかかるのは事実です。ですから妊婦加算はそれなりに合理的なものではあります。
一方、妊婦加算が「合理的でない」理由もあります。
まず、妊娠している女性に時間がかかるのは上に述べた通りですが、実は「”妊娠前”の女性」の方がむしろ時間がかかることが多いのも事実です。
「妊娠前の女性で時間がかかる場合」を3つにわけてみましょう。
1つめは「(避妊をやめて)妊娠を検討している」です。この場合、先述したように、感染症の説明は必須です。ワクチンの説明と接種(風疹以外にも重要なものがいくつかあります)にはそれなりに時間がかかりますが、ワクチンで防げない感染症の説明にはもっと時間をとられます。食事にはどのような注意が必要か、サプリメント(特に葉酸と鉄)はどうすればいいのか、といったことも説明が必要になります。
2つめは「妊娠を希望しているがなかなかできない」です。なかには40代半ばで相談されることもあります。こういうケースは「不妊治療を実施している医療機関を受診してください」が結論になるわけですが、「不妊治療にはどんなものがあるか」から始まり「危険性は?」「費用は?」「成功する確率は?」「補助制度は?」など、聞かれることも多く、「お勧めのクリニックを紹介してください」と言われることもあります。
3つめは「望まない妊娠をしてしまったかもしれない」で、これもそれなりに時間がかかります。月経周期から考えてまず妊娠はまずないだろうと思われる場合も、「100%間違いないですか」と問われると、返答に迷うこともあります。「では産婦人科を紹介しましょうか」と言うと躊躇しだす女性も多く、たいていは「いつも診てもらっている医師に大丈夫と言ってもらいたい」というのがホンネのことがあります。
もちろん、状況によってはすぐに緊急避妊が必要なことがあり、この場合は一刻も早い方がいいわけですから谷口医院で対応します。もっとも、緊急避妊が必要になるときは保険適用にならず診察代も自費になり、妊婦加算とは関係のない話ですが。
緊急避妊を実施するにしてもしないにしても、薬を処方して終わり、というわけにはいきません。谷口医院の経験上、緊急避妊で受診する人は初回でない、つまり何度も繰り返していることが多いのです。この場合、(嫌がられず説得力のある方法を模索しながら)「同じことを避けるにはどうすればいいか」、という話をせねばなりませんが、それ以前に「緊急避妊に頼ってはいけない」ことから始めなければなりません。「キケンかもしれないことがあってもアフターピルがあれば安心!」と考えている女性が多いことに驚かされます。
なかにはレイプの被害ということもあります。この場合「セカンドレイプ」にならないようにひとつひとつの言葉を慎重に選ばなければなりません。
話を戻しましょう。妊婦の診察に時間がかかるのは事実であり「妊婦加算」にはある程度の合理性はあると思います。ですが、ときに”妊娠前”の方がはるかに時間のかかる場合もあります。もっと言えば、不定愁訴や精神疾患にもそれなりに時間がかかりますし、がんの告知をするときも短時間で終わらせるわけにはいきません。
ならば「不定愁訴加算」「がん告知加算」なども設けるべきでは?という考えもでてきます。また、加算を算定するクリニックとしないクリニックがあれば患者さんは混乱するでしょうし不公平になります。これらを考えると、すべての医療機関で「~加算」をすべて廃止し「どんなことを相談しても診察代は同じ」がいいのではないか、というのが私の考えです。
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