マンスリーレポート

2015年9月11日 金曜日

2015年9月 お金に困らない生き方~4つの秘訣~(後編)

 今回は「お金に困らない生き方」の最終回として3つめと4つめの秘訣を述べたいと思います。前々回、前回に引き続き、今回も私がタイで見聞きしたエピソードが中心となります。「もうタイの話は聞き飽きた」という人も今しばらくおつきあいください。

 3つめの秘訣は「情けは人の為ならず」です。このことわざ、以前私はあまり好きでなかったのですが、最近はどうもこれは世の中の”真実”であるのではないかという気持ちになってきています。
 
 説明していきたいと思いますが、その前にこのことわざの意味をはき違えている人が少なくないという新聞記事を以前読んだことがあるので、念のため正しい意味の確認からしていきたいと思います。その記事によると「情けは人の為ならず」を「他人に情をかけることはその人の為にならない。だから他人に同情するな!」という意味と思っている人が少なくないそうです。

 もちろん正しくはまったく逆で「誰にでも親切にしなさい。そうすると、いずれ自分が困ったときに助けてくれるものですよ。だから情をかけるのは<他人>のためでなく<自分>のためなんですよ」という意味です。(「国語学者」からみると幾分ずれているかもしれませんが、私の解釈で大意は合っているはずです)

 では本題に入ります。以前私がなぜこのことわざを好きでなかったかというと、なんとなくエゴイスティックなイメージがあったからです。あとで見返りを期待して他人に親切にすると言っているように聞こえて、「あ~、なんか打算的でイヤな考え」と思っていたのです。

 しかし「情けは人の為ならず」を社会の構成員全員が実践していたとすればどうでしょう。そして、それがタイなのです。誤解のないように言っておくと、私はタイがパラダイスと言っているわけでは決してありません。タイ人と仕事をしたことがある人には同意してもらえると思いますが、あの「いい加減さ」についていける日本人はあまりいません。これからタイ人の優しさについて述べていきますが、一方で平気で仲間を裏切るタイ人は少なくありませんし(裏切られた方もいつのまにか許しているのがタイ人の魅力のひとつかもしれませんが)、彼(女)らは借りたものは返しませんし、嘘をよくつきますし、義理・人情というものがあるのかないのかよく分かりません。

 タイ人は男性でも女性でも、仲良くなるとすぐに「家に遊びに来い」とか「親戚が来るから一緒にご飯を食べよう」とかいいます。そして一緒に食事をすると、だいたい日本人が全額払わされることになります。経済格差がありますから、これは当然と言えば当然かもしれません。我々日本人が理解しがたいのは、彼(女)らがお礼を言わないことです。(このような機会でお礼を言われたとすれば、そのタイ人は日本文化を知っていると考えるべきです)

 タイ人の感覚は「お金は持っている者が払うもの」というものです。では、私に(日本人に)おごってもらう人たちはいつも他人の善意に頼っているのかというとそうではありません。彼(女)からみて困っている人に対しては手を差し伸べるのです。

 深夜、バンコクの繁華街では、男性なら薬物のディーラーかジャンキー、女性ならセックスワークをしているだろうと思われる不良タイ人にイヤでも遭遇します。そんな彼(女)らが悪人かといえばそうは思えません。彼(女)らがホームレスに果物やご飯を恵んでいる光景をしばしば目にするからです。

「タイでホームレスや障害者からお金を求められても無視するように」と言う日本人がいます。しかし、実際にホームレスや障害者をしばらく観察していると、タイ人、それもスーツを着た富裕層ではなく、低い層と思われる男女がそのような社会的弱者にお金をあげているシーンを目にします。

 では、ホームレスや障害者の人たちは恵んでもらうだけかというと、そうではないのです。彼(女)らは野良犬にご飯をあげています。つまり、タイでは社会を構成するすべての階層のひとたちが、困っている人(犬)たちに何らかの手を差し伸べているのです。

 そして、以前は自分よりお金を持っていた人が何らかの理由で転落したときには、今度はその人を助けようとします。これは、私の印象でいえば、日本人が感じる「恩返し」とは少し異なります。「恩を返す」あるいは「借りを返す」というものではなく、あたかもそれが「当然」という感じなのです。

 東日本大震災が起こったとき、バンコクではBTS(モノレール)の主要な駅周辺に募金箱が置かれました。BTSの料金は冷房なしのバスの何倍もしますからある程度の富裕層しか使わない乗り物です。このとき、庶民的なタイ人たちはBTSを利用するわけでもないのに駅まで来て募金をしてくれたのです。「困っている人は放っておけない」という感覚が自然に身についているのかもしれません。

 タイは特に地方に行けば日本よりもはるかに貧しく、また格差はすさまじいものがあり日本の比ではありません。生活保護などの公的扶助は日本とは比較にならないほど貧弱です(ただし医療費は無料です)。しかし、自殺する人は非常に少ないですし、最近よく聞く「孤独死」もおそらくほぼ皆無でしょう。

「情けは人の為ならず」をただひとり実践したとしても社会は変わらないかもしれません。しかし、良貨は悪貨を駆逐します。(これは私があえて「誤用」している言葉で、正しいことわざは「悪貨は良貨を駆逐する」です。念のため) 私はタイの文化をみて「情けは人の為ならず」が「非現実的な理想」ではなく「真実」であると考えています。真実であるならば、少しずつ草の根レベルで他人に広めていけばいいのです。つまり「情けは人の為ならず」を実践し続けることでそれが真実であることに気づく人が増え、結果として「お金に困らない」=「お金がないときも他人に頼れる」社会になると思うのです。

「お金に困らない」4つめの秘訣は「健康」です。健康を損なえばお金に困ることがあります。またまたタイの話で恐縮ですが、北タイ在住のある日本人男性の話をしたいと思います。この男性に私は会ったことはありませんが、チェンマイでは有名のようで、作家の下川裕治氏はこの男性を実名をだして著書で紹介しています(注1)。沖縄出身で東京で飲み屋をやっていたこの男性はチェンマイが気に入り移住したそうです。しかし持病の腎臓病が悪化し人工透析が必要になってしまいました。

 人工透析はかなりの高額が必要になり、日本で治療を受けた場合、実際は保険や公的扶助で自己負担はあまりありませんが、透析の費用だけで月あたり40~50万円程度かかります。タイで透析を受けるとなると自費診療となりますから10万円以上は必要になります。このような高額な費用を払い続けることはできません。下川氏によると、この男性は月額7万円の年金で楽しく暮らしていたそうです。前回も述べたように月7万円もあれば贅沢しなければ北タイでは充分に暮らしていけます。しかし透析代が必要となるとすぐに破産してしまいます。下川氏は「乞食をやってもチェンマイにいる」とこの男性に言われ、言葉をなくしたそうです。

 タイを含むアジア諸国で老後をまったり過ごす予定だったけれども、現地で病気を患って帰国せざるを得なくなった。あるいは、海外に旅立つ前に持病が悪化し夢を諦めなければならなくなった、という話はそう珍しくありません。

 比較的よくある疾患が、生活習慣病(特に糖尿病)や悪性腫瘍です。HIV感染も珍しくありません。ちなみに抗HIV薬はタイでは日本よりも格段に安く入手できますが、それでも(円安の影響もあり)月に1万円以上はします。しかも、この安い薬剤が副作用で使えなくなったり、他の病気を併発したりすると、日本に帰国せざるをえなくなってきます。

 さて、3回にわたり、私が思う「お金に困らない秘訣」を述べてきました。「年金」「倹約」「情けは人の為ならず」「健康」がその4つです。振り返ってまとめてみると、「日頃から健康に気をつけ、倹約に努め、年金は遅滞なく支払い、困っている人がいれば手を差し伸べる」となります。

 どこかで聞いたことがあるようなないような・・・。もしかすると小学校の道徳の時間に習ったようなことかもしれません。つまり、「道徳的に生きること」が結局のところ「お金に困らない生き方」につながる。それが私の考えです。

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注1:私の記憶はいい加減ではありますが、下川裕治氏は確実にこの男性を著作で紹介しています。けれども、私はこのコラムを書くにあたり、本棚をひっくり返し下川氏の10冊以上の本を手にとってみたのですが結局見つかりませんでした・・・。どこか海外のホテルにでも忘れてきたのでしょうか・・・。ただ、この日本人のことを自身のブログで書かれていました。下記URLを参照ください。

http://odyssey.namjai.cc/e25942.html

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2015年8月7日 金曜日

2015年8月 お金に困らない生き方~4つの秘訣~(中編)

 お金に困らない生き方として、前回は「タイで幸せをつかんだ日本人の高齢者」の話をしました。この男性は、年金の受取ができるようになり、ホームレス同然の生活から一気にお金持ちになったのです。しかし一方で、前回も述べたように、月額12万円の年金を受給していた東京都の男性は新幹線の中で焼身自殺を図っています。タイで幸せになった男性の年金額は分かりませんが、定年前にタイに渡航しているようですから受給額は東京都の男性とそう変わらないと思われます。

 同じような受給額でこれほどの差が出るのは興味深いといえます。新幹線で自殺した男性は12万円を生活できないレベルと考え、タイで幸せになった男性はリッチな生活をしているのです。(ただし、前回述べたように若い女性と結婚して家を建てたというのは未確認情報で私の「推測」にすぎませんが・・)

 ここで疑問が出てくると思います。「月収12万円でタイに渡ったとして誰もが幸せになれるわけじゃないのでは?」というものです。もちろん、持病を抱えていたり介護しなければならない家族がいたり、といった理由で海外に出ることができない人も大勢いるでしょう。しかし、報道によればこの男性は身寄りもなく一人で生きていたようですし、海外渡航が制限されるような持病を持っていたわけでもないようです。

 では、健康で日本に居続けなければならない理由が特にない場合、誰もがタイで生きていくことができるのでしょうか。私はこの問いに対して条件付きで「イエス」と答えたいと思います。

 条件付きというのは、ぜいたくしなければ、つまり「倹約」すれば、というものです。タイだけではありませんが日本よりも物価が安い国にせっかく旅行しているのに、外国人が泊まるホテルを利用し、外国人用のレストランばかりに行く人が少なくなく、これは短期旅行であればいいでしょうが、長期で過ごすにはもったいないと言わざるを得ません。つまり、現地の人たちと同じような生活をすれば滞在費は半分どころではなく、5分の1から10分の1くらいに減らすことができます。

 この私の考えには反対意見が多いでしょう。ロングステイを考えている人が読む雑誌やウェブサイトには、長期滞在するにはある程度のお金が必要(つまり貧乏人はロングステイできない)といったことが書かれています。海外移住に詳しいある作家によれば、「日本人が現地の料理で生活することは絶対にできない」そうです。

 太融寺町谷口医院では、海外渡航する人、あるいは海外から帰国した人の健康の悩みをしばしば聞きます。ときどき驚かされるのが、例えばジャカルタやバンコクに数年間駐在していたという人が一度も屋台でご飯を食べたことがない、ということです。なかには会社から「現地滞在中は現地人が行くような食堂には行かないこと」と言われているという人もいます。

 たしかに現地の人が利用する食堂や屋台では食中毒のリスクがありますから、会社としては大切な社員をそのようなリスクに晒すわけにはいかないのでしょう(注1)。これは各企業の考え方ですから私がどうのこうの文句を言う立場にはありません。

 しかし、生活費を低く抑えたいという観点からみれば、現地の人たちと同じご飯を食べればいいのです。タイでは最近少し物価が上がり、また円安の影響で以前ほど安くなくなりましたが、それでも一食あたり100円程度で外食(といっても屋台ですが)ができます。しかも、そういうところの料理の方が美味しいこともよくあるのです。ちなみに私がタイに渡航するときは、だいたい現地の人と行動を共にしているという理由もありますが、外国人が利用するようなレストランにはめったに行きません。
 
 食事だけではありません。我々日本人が当たり前と思っているホットシャワーもアジアの田舎に行けば贅沢品です。というより、シャワー自体が高級品です。おけに貯めた雨水を洗面器を使って頭と身体を洗うのがタイの田舎では一般的です。トイレで用を足すときはもちろん紙など使わずお尻は手で拭きます。石鹸は贅沢品で日常的には使いません。衣服など局所を隠せればそれでいいと考えればほとんどお金がかかりません。ただし、誤解のないように言っておくと、アジアでは貧しい地域に行ってもそれなりの美学があり、特に女性はお金はさほどかけていないもののファッショナブルな衣服に身をまとっています。

 ここで私が以前北タイで知り合った日本人男性を紹介したいと思います。その男性は30代前半に日本での仕事をやめいくらかの貯金を持ってタイに渡航、貯金が尽きかけた頃に現地の女性と恋に落ち結婚することになりました。奥さんの紹介で小さな旅行会社に仕事を見つけることができたそうです。しかし月給は1万バーツ、日本円で3万円ほどです。ただし、タイでは大卒の初任給がそれくらいですらタイ人の感覚からいえば悪い給料ではありません(注2)。

 この男性は、生活はもちろんラクではないし、日本人の観光客が行くようなレストランには到底行けないと言いますが、さほど苦痛ではないと言います。その男性と一緒に食べた屋台のパッカパオ・ムー(豚挽肉の野菜炒めをご飯にかけて食べるタイ料理)がすごく美味しくて私はそれ以来この料理の虜になっています。ちなみに値段は50円程度でした。

 タイでは屋台で料理を注文してもこのような値段ですし、市場で野菜や果物を買うとあまりにも安い値段に驚かされます。市場の値段はバンコクでもさほど変わりません。日本でマンゴーは高級品ですが、タイでは子供が気軽に食べているおやつです。

 スイーツはどうでしょう。私はバンコクを訪問したとき、時間があれば立ち寄るケーキ屋があり、そこでバタークリームのケーキを買います。これは理解されない人の方が多いと思いますが、現在の私は生クリームよりもバタークリームの方が好きなのです。私が小学生の頃はケーキといえばバタークリームが普通でした。私が生まれて初めて生クリームのケーキを食べたのは小学校6年生のとき、お金持ちの友達の誕生日パーティに行ったときです。生クリームを初めて口にしたあの衝撃・・・。あまりの美味しさに言葉をなくした程です。それ以来私の舌はバタークリームを拒絶するようになりました。

 しかし不思議なものでそれから20年以上たってから妙にバタークリームが恋しくなりだしたのです。けれども、現代の日本にバタークリームのケーキなどすでに存在しません。諦めかけていたそんなときにふと立ち寄ったのがバンコク郊外のケーキ屋だったのです。けばけばしい色をしたバタークリームのケーキが1つなんと7バーツ(20~30円程度)です。およそ四半世紀ぶりに口にしたバタークリームは、美味い!というよりは懐かしい!でした。今も私は生クリームも好きですが、好んで食べたいのはバタークリームです。

 話を戻します。北タイで私が知り合った日本人男性は月給3万円(1万バーツ)で幸せな生活をしていました。年金で幸せになった高齢男性と比べて収入は4分の1程度でしょう。タイ人と比較するとこの年金男性は大卒の初任給の4倍もの月収があるのです。

 貧乏人は海外にロングステイできないという人たちに私は堂々と反論したいと思います。海外滞在に向いているのは、高い円を持って行って贅沢をしたいと考えている金持ちだけではないのです。倹約の精神をもってすれば衣・食・住に必要なお金は随分と少なくて済むのです。

 ただし、私は日本でも倹約の精神を遵守すれば月12万円もあれば生活できると思うのですが、これは甘い考えでしょうか。タイのように新鮮な野菜や果物を安く入手することはできないでしょうが、12万円もあれば風呂なしの安いアパートを利用すれば食べていけると思うのですがどうなのでしょう。少なくとも私が大学生の頃は、これよりも少ない収入でやりくりしていましたが(というかやりくりするしかなかったのですが)、自殺した男性はどのように考えていたのでしょうか。

 お金に困らない秘訣の1つめは前回述べたように「年金」で、引退後働かなくても生涯にわたり受け取ることのできる年金というものは大変貴重です。ちなみに私は医学生時代に貧困からどうしても年金を払えなかった期間があり、そのため将来の受給額が少なくなってしまいました。今思えば借金をしてでも払っておけばよかったと後悔しています。

 そして秘訣の2つめが今回述べた「倹約」です。倹約はお金持ちの家庭に育った人にはむつかしいかもしれません。おそらく、先に紹介した私が小学6年生のときの金持ちの友達は今もケーキは生クリームしか食べられないでしょう。そういう意味では、私のように貧しい家庭で育った者の方が倹約するには有利であり、これは”自慢話”になるのかもしれません。

 次回はお金に困らない生き方の秘訣の3つめと4つめについて述べたいと思います。

注1:たとえばA型肝炎はアジアでは多くの人が幼少児に感染しすでに抗体を持っているために屋台のものを食べても平気です。一方、日本人はワクチンを接種していなければ抗体を持っている人はほとんどいません。ただし、日本でもまだ衛生的でなかった時代に子供時代を過ごした世代、具体的には現在60代以上の人であれば抗体を持っている人も大勢います。

注2:タイでは物価上昇の影響で現在の大卒の初任給は12,000バーツといわれています。円安もあるために日本円でいえば42,000円程度になり、本文で述べた時代と比べると少し生活しにくいといえるかもしれません。しかし、初任給が42,000円の社会で年金受給額が12万円あればやっていけないはずがありません。

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2015年7月10日 金曜日

2015年7月 お金に困らない生き方~4つの秘訣~(前編)

 以前このサイトの「医療ニュース」で、最大のストレスは「お金がないこと」とする米国心理学会(American Psychological Association, APA)の研究結果を紹介したことがあります(注1)。

 3千人以上の米国人を調査した結果、ストレス源の第1位が「金銭上の悩み」であったというのがその研究の最大のポイントです。私はその「医療ニュース」で、以前タイで知り合った日本人男性のことを述べました。

 その日本人男性は私が知り合った当時は40代半ばで、リストラで職を失い、就職活動がうまくいかないことから不眠と抑うつ感が強くなり、知人のすすめで精神科を受診したそうです。いくつもの薬を試したけれど不眠が多少改善されるだけで抑うつ感や不安感は払拭できなかった、とその男性は話していました。

 住み込みで働けるタイのあるエイズ施設にやってきて、抑うつ感はかなり解消されたけれど将来のことを考えると絶望的な不安感を感じる・・・、と話していました。この男性の言った次の言葉を私は忘れることができません。

「一生食べていける大金をもらえるか、安定した仕事に就けるなら、僕のうつ病はすぐに治ります。世の中のうつ病の大半は単にお金がないことが原因なんですよ・・・」

 うつ病の原因は医学的にもよく分かっていないところもありますが、様々な要因があり、これは極端な考えです。しかし、私はこの男性のこのコメントに反論できませんでした。日頃みているうつ病を発症した患者さんのことを思い出してみると、職場のストレスがきっかけ(この男性と異なり昇進したことがきっかけでうつ病を発症する人も少なくありません)、離婚がきっかけ、病気(特に悪性腫瘍)がきっかけ、ペットの他界がきっかけ、というケースもありますし、まったく要因が分からないということも少なくありません。

 しかし、どのような境遇のうつ状態であれ、どのようなことがきっかけであれ、もしも一生食べていけるだけの大金が与えられればうつ状態が改善する人は多いかもしれない、と私はこの男性の言葉を聞いて感じたのです。

 現在の私はタイに渡航できるのはせいぜい年に一度で、それほどタイに詳しいわけではありません。しかし、いろんな方面から情報が入ってきて、日本ではあまりお目にかかれないような変わったタイ在住の日本人の話をしばしば聞きます。

 今からお話するのは、60歳前後の落ちぶれた日本人男性の話です。私はこの男性の名前や出身地、日本で過去に何をしていたかなどの正確な情報を持っていません。この男性についての情報は多数あり、バンコクの食堂の屋根裏に住まわせてもらっていた、とか、イサーン地方(東北地方)で野宿をして暮らしていた、とか、そういう話がいくつかあり、つくり話なのかもしれませんし、あるいは同じような境遇の人が複数いるのかもしれません。

 まったくの一文無しだとビザが更新できないという問題もありますから、この話は架空の「都市伝説」みたいなものかと考えたこともあるのですが、タイ在住の日本人が読む新聞や雑誌にも、「タイ人に食事を恵んでもらい生き延びる哀れな日本人」のような感じでこの男性のことが取り上げられたことがあるという情報もあり、結論を言えば、私はこの話は実話だと思っています。

 それはこの話の結末が、さもありなん、と思えるものだからです。この男性の転帰はとてもドラマティックで、一文無しから一気に金持ちになります。この理由が分かるでしょうか。宝くじに当たったわけでもありませんし、金持ちの奥さんを見つけたわけでもありません。もったいぶらずにその理由をお伝えしましょう。

 それは「年金が支給されだした」というものです。この男性はタイで放浪する前には日本でまともな暮らしをしており年金を払っていたのです。年金が支給されだしてからは金回りがよくなり、イサーン地方で家を建てた、という情報もあります。

 いくら何でも年金だけで家が立つはずがない、と感じる人もいるでしょうが、私はまんざら嘘でもないのでは、と思っています。バンコクでは到底無理ですが、以前私の知人のタイ人がイサーン地方のある県で、1ライ(ライとはタイの土地の単位で1ライで40メートル四方です)を5万バーツ(約15万円)で買って家を建てると言っていました。

 家屋を建てるのにお金がいるのでは?と尋ねると、1万バーツ(約3万円)で建てられると言っていました。村の若者がみんなで手伝ってくれるので、タイルや木材、セメントなどの材料費と彼らにふるまう料理と酒代だけで済むというのです。

 タイでは日本人を含めて外国人は土地を買うことはできません。しかし土地を買って家を建てる方法がないわけではありません。どうするかというと、タイ人と結婚するのです。「少し前までホームレスだった60代の日本人男性と誰が結婚してくれるの?」と思う人もいるでしょうが、60代であろうが70代であろうが日本人の高齢の男性がタイ人の若い女性と結婚したという話はいくらでもあります。

 そのなかの多くは、若い女性がお金目的であることに気付かず、いつのまにか全財産をタイ人の若い奥さんと親戚にむしり取られて一文無しとなり日本に帰国せざるをえない、という人たちです。しかし「真実の愛」を育み仲睦まじく過ごしているカップルがいるのも事実です。この男性が今も幸せに暮らしていることを祈りたいと思います。(土地を買ったというのも噂の域を超えませんし、タイ人の奥さんがいるというのは私の勝手な憶測に過ぎませんが・・・)

 話を戻しましょう。実は私はこの「タイで突然金持ちになった日本人男性」の話を最近日本で起こったある事件を聞いて思い出しました。

 2015年6月30日、東京都杉並区在住の71歳の男性が新幹線の中で焼身自殺を図りました。他人も死に至らしめたこの事件を許すわけにはいきませんが、私が一連の報道をみていて最も気になったのが、7月1日の日経新聞夕刊で報じられた「35年間払っているのに(年金を)24万円しかもらえない。税金や光熱費を引くとほとんど残らない」という容疑者が話していたという言葉です。年金は2ヶ月毎に支払われますから1月あたり12万円ということになります。

 おそらくタイで突然金持ちになった日本人男性も月あたりの収入は同じくらいだったと思われます。同程度の年金による収入だったのにもかかわらず、ひとりは悲観して新幹線で焼身自殺、ひとりは若い奥さん(私の想像ですが)と一戸建てのマイホーム暮らし(これも勝手な想像ですが)ではあまりにも違いすぎます。

 紙面が尽きてきたので、そろそろ今回のまとめに入ります。お金がないことが大きなストレスになることはほぼ間違いなく、抑うつ状態の人の何割かはもしも大金が手元にあれば苦しみから解放される可能性があります。

 人生の価値はお金で決まらない、は真実ですが、お金がないと精神衛生上よくなくて抑うつ状態、さらには自殺につながることもある、というのも事実です。

 ではお金に困らないように生きるにはどうすればいいのでしょうか。私はこのコラムで4つの秘訣を提案したいと思います。その1つは、タイで突然金持ちになった日本人のエピソードからわかるように「年金」です。

 しかし、同じように年金をもらっていた杉並区の男性は自殺を選んでいます。この差はどこにあるのでしょうか。次回はそこから述べていきます。

注1:下記を参照ください。
医療ニュース2015年3月13日「最大のストレスは「お金がないこと」」

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2015年6月10日 水曜日

2015年6月号 医療機関での暴言と暴力~2つの重要なこと~

「ハード・クレーマー」という言葉が一般化したのはいつからでしょうか。レストランやショップなどで客が店員に理不尽な要求をしたり、些細なことで土下座まで要求したり、といったことがときどき報道されていますが、このようなことが頻繁に起こりだしたのは2000年代に入ってからでしょう。ちなみに「ハード・クレーマー」という表現は完全に和製英語で日本人にしか通用しません。

「モンスター・ペアレント」という言葉も和製英語で、私自身はこの表現に抵抗がありますが、おそらく理不尽な要求を学校に突きつける親が急増したのは2000年代になってからではないでしょうか。

「モンスター・ペイシェント」という言葉が生まれたのは、おそらく「モンスター・ペアレント」という表現が一般化してからでしょう。もちろん、これも和製英語で私自身は好まない表現なのですが、医療現場ではすでに一般化しており、医療者どうしの日常の会話でもしばしば登場します。

 些細なことでクレームをつける輩が昔に比べて増えているということは多くの人が感じているに違いありません。また、その逆にレストランやショップ側は丁寧すぎる応対をしていると感じているのも私だけではないでしょう。「おもてなし」もけっこうですが、あまりにも丁寧な対応はこちらが”ひいて”しまいます。

 すべての顧客に対し、まず目を見て両肘を少し外に突き出すかたちで両手をおなかの前で合わせ「かしこまりました」と丁寧にお辞儀をする店員が増えましたが、このような対応は五つ星クラスのホテルではさまになるでしょうが、コンビニやチェーン店のコーヒーショップの店員にされてもかえって不自然で気持ち悪い、と感じます。

 先日タクシーに乗ったとき、ドライバーが「最近横柄な態度の客が増えて困っているんですよ」と言っていましたが、私に言わせれば、丁寧すぎる対応をするドライバーにも原因があります。いちいちタクシーを降りて乗客のために後部座席のドアを開けるサービスなどやめてしまえばいいと思うのは私だけでしょうか。私に言わせれば、自動でドアが開くサービス自体がすでに過剰なものであり、タクシーのドアは乗客が開けるようにすべきだと思います。

 話をすすめましょう。今回お話したいのは医療機関での患者の暴言・暴力についてです。先日「m3.com」という医療系のポータルサイトに「8割が患者・家族から暴力や暴言」というタイトルの記事が掲載されました。同サイトの調査によると、患者から「暴言のみを受けたことがある」医師が61.3%、「暴力のみ受けたことがある」0.6%、「暴言と暴力の両方を受けたことがある」16.6%で、合計78.59%の医師が患者から暴言・暴力を受けたことがあると答えていることになります。

 こう聞かされると、これから医師を目指している人は、常に暴言や暴力に怯えながら仕事をしなくてはいけないのか・・・、と医師になるのを躊躇してしまうかもしれないので、私の経験を通して実態を説明したいと思います。

 まず、この数字、つまり約8割が患者からの暴言・暴力の経験があるということについて補足しておくと、どこからが「暴言」で「暴力」かという定義にもよりますが、何らかの暴言・暴力を受けたことがある医師は、例えば大阪の夜間救急外来をしている病院での勤務経験があればほぼ100%になります。

 大阪人が暴力的だとは言いませんが、おとなしい人ばかりでは決してありません。私はこれまでに10以上の大阪の医療機関で夜間の救急外来での勤務経験がありますが、どんな症例でも積極的に受け入れる病院では、急性アルコール中毒、けんかでの外傷、自殺未遂などが次々とやってきます。

「わしは酔ってないんや!」と叫びながら救急車で搬送されてくる酩酊した中年男性、外傷を負ったためにやむなく病院に来たけれどもけんかの怒りがおさまらない若い男性、睡眠薬を多量に飲んだ後リストカットをおこない家族に救急車を呼ばれ目が覚めると「なんで助けたんや!」と泣きわめく若い女性・・・。日によってはこのような症例のオンパレードになることもあり、救急治療室の中では老若男女の罵詈雑言が飛び交い、スタッフに暴力をふるおうとする患者は人手を使っておさえこまなければなりません。ときには警察を呼ぶこともあります。

 ただ、このようなケースの多くはあらかじめ暴言・暴力を前提として我々は対処しますし、翌日になれば自分が暴言・暴力をはたらいたことをまったく覚えておらず、シュンとして深々と頭を下げて帰って行く患者さんも少なくありません。こういうケースではさほどストレスになりません。

 一方、日頃の外来や病棟での暴言・暴力は、それなりに対策を講じる必要があります。よくあるのが、治療が上手くいかなかったときです。医療機関にかかればすべての病気が治るわけではありません。しかし、一部の患者は「医療機関では100%治せて当たり前」と思っています。例えば、手術をしたが機能が回復しなかったとき、検査入院をおこなったが診断がつかなかったとき、などに小さなクレームが暴言に移行することがあります。いつのまにか「親戚」を名乗る反社会性を帯びたような人たちがやってきて「胸ぐらをつかむ」くらいの脅しが始まることもあります。「訴える!」とすごむ人もいれば、「ここまで来たタクシー代を出せ」、「仕事を休んで来たのだから給料保証をしろ」、とかそういう無茶なことを言う人もなかにはいます。

 いつも患者さんの立場に立ち誠実な対応をしているつもりでも、運が悪ければこのように患者からの暴言・暴力に悩まされることもあります。こういったときどうしていいか分からない・・・、という若い医師から相談を受けたときに私が伝えていることは次の2つです。

 ひとつは「最優先事項は自分の身を守ること」ということです。暴力に屈してはいけませんが暴力の犠牲になるのはもっといけません。身の危険を感じれば、逃げる、大声を出すなどを躊躇なくすべきです。そして、他のスタッフや上司に直ちに報告しなければなりません。もしも暴力を受けたなら警察を呼んだり、法的手段に訴えたりするということを患者か家族に宣言してもいいと思います。

 実は、私は医師になりたての頃は、「どんなに怒り心頭の患者さんでも誠意を持って話しをすれば理解してもらえる」という考えを持っていました。しかし、なかには話の通じない人も少数ではありますが存在することを知るようになりました。世の中には、わずかではありますが、良心を持たない人が存在するのです。そのような人には何を言ってもムダです。
 
 もしも患者から暴言・暴力を受けるかもしれないという空気を察したときは「最優先事項は自分の身を守ること」というルールを思い出すのです。日頃から誠実に一生懸命やっていれば、職場のスタッフのみならず、社会全体があなたを応援してくれます。

 患者の暴言・暴力で忘れてはならないもうひとつは、「医師よりも看護師や他の医療スタッフの方が暴言の被害に合い、暴力の危険に晒されている」ということです。先に紹介した夜間の救急外来でわめく人たちは、誰が医師で誰が看護師で、ということを考えていませんが、日中に外来や病棟でクレームをつけてくる患者や家族は人物をみています。

 気の弱いクレーマーほど立場の弱い者をターゲットにします。医師には言えない文句を看護師に言い、看護師にも言えないことは受付にぶつけるのです。ですから、患者からの暴言や暴力のリスクに晒されているのは、医師よりも看護師、看護師よりも受付なのです。そして人の良い看護師や受付スタッフほど、多忙な医師を気遣ってそれを報告せずにいるのです。医師は患者さんの健康に貢献するために存在していますが、ある意味で患者さん以上に大切なのは共に働いている看護師や他のスタッフといった同僚です。

 ですから、もしもあなたが医師で、患者からの暴力・暴言の危険を感じたなら、一度他のスタッフにも相談してみるべきです。他のスタッフからの意見も聞いて上司にも相談し、みんなで対策を立てればいいのです。

 そして、もしもあなたが看護師や受付スタッフなどの医療従事者であれば、一番大切なのは「最優先事項は自分の身を守ること」であること、次に大事なのが「自分ひとりでかかえずに他のスタッフに相談すること」であることを覚えてもらいたいと思います。

 さらに、これからすべきこととして私が提案したいのは「過剰なおもてなし文化の見直し」です。今の日本は顧客へのおもてなしがいき過ぎており、その結果ハード・クレーマーが増えている、という私の仮説にあなたが同意されるなら、日常でできることを考えてみてください。

 タクシー乗車時にドライバーがわざわざ車から降りて後部座席のドアを開けようとしたとき、私はそれを制して「自分で開けます」と言っています。

 

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2015年5月11日 月曜日

2015年5月号 「医療否定本」はなぜ問題か(後編)

  前回紹介した近藤誠先生の『医者に殺されない47の心得』には到底及ばないものの、医師が書いたそれなりに売れている「医療否定本」が何冊かあるようです。そのうちの何冊かを実際に読んでみたのですが、私が最後まで読みすすめることができた本はほとんどありませんでした。

 こういった「医療否定本」のほとんどは、根拠がない、とまでは言えないにしても根拠が脆弱な理屈を持ち出して、現代の標準的な医療を否定しています。私が最後まで読むことができないのは、そのいい加減な理屈に辟易としてくるからです。

 ここに書くのも馬鹿らしい気がしますが、ひどいものになると、すべてのワクチンを否定しているものすらあります。この本を書いたのも医師ですから、現在もどこかで診療をしているのでしょう。医師であれば院内感染のリスクを知っているはずで、この医師も医学部の学生のときにB型肝炎ウイルスのワクチンを接種しているはずです。B型肝炎は針刺しで簡単に感染しますし、血液でなくとも、唾液、汗、尿などから感染することもあります。

  ワクチンを接種しているから安心して医療がおこなえているわけで、ワクチンに感謝しなければならないはずなのに、すべてのワクチンを否定しているというのは明らかな矛盾です。

 ワクチンでもうひとつ例をあげると、この医師が海外で犬に噛まれたときには狂犬病ワクチンを拒否するのでしょうか。狂犬病は犬に噛まれた後でも速やかにワクチン接種をすれば助かります。しかしワクチンをうたずに発症すれば100%死亡します。この医師も医師ですからそういった知識はあるはずです。それを知っていて、すべてのワクチンを接種するな、と読者に呼びかけるのは犯罪でさえあると私は思います。

 ここまでひどいのは極端だとしても、化学療法の一切を否定したり、生活習慣病の薬を使うな、と主張したりしているものもあります。すべてを否定とまでいかなくても、例えばある医師の文章には「降圧薬を3種以上出す医師はNG」といったことが書かれていました。

 この医師のこの主張に呆れるのは、どんな医師も薬を最小限にすることを考えている、という基本的な常識を無視しているからです。おそらく、この医師がみた患者さんで3種の降圧剤を服用している人がいて、自分ならもっと減らすのに、と考えたことが、こういった主張をするきっかけになっているのでしょう。

 しかしこれは完全な「思い上がり」です。この患者さんを以前に診ていた医師も薬を最小限にすることを考えていたはずです。それで試行錯誤を繰り返しながら3種でようやく血圧が安定したのでしょう。「降圧薬を3種以上出す医師はNG」などと叫んでいる医師は前医の処方のおかげで血圧が安定した患者さんをみて、このような馬鹿げた主張をしているにすぎません。

 医師や薬剤師の仕事というのは、いかに薬を減らすか、にあります。「ポリファーマシー」という言葉がありますが、これは「ひとりの患者がたくさんの薬を飲みすぎていること」で、できるだけ減らしていくことを考えなければなりません。最近私が参加したある研究会では、医師と薬剤師が合同でこの「ポリファーマシー」について検討しました。多くの実りのある意見がでましたが、医師も薬剤師もそれぞれの立場からいかに薬を減らしていくべきかという考えを披露し合いました。

 おそらく「降圧剤を3種以上出す医師は・・」などと頓珍漢なことを言う医師は、職場でも孤立しているのではないでしょうか。ほとんどの医師や薬剤師がいかに薬を減らすかに尽力していることを知らないから、ひとりよがりのこのようなことを言い出すのではないかと私は考えています。

 このように、ワクチン接種や薬剤処方を含む治療方針について他の医師の悪口を言うことも理解に苦しみますが、「医療否定本」にはこれ以上に看過できないことがあります。それは、他の医師の人格を否定するような表現があるということです。

 最も目立つのは、「〇〇をおこなうような医師は金儲けのためにやっている」といった内容です。実際にこの世界で働いてみれば分かりますが、医療行為を金儲けの手段と考えている医療者は”ほとんど”いません。

“ほとんど”という副詞をつけなければならないのは確かに一部に例外があるからです。例えば2009年に逮捕された奈良県大和郡山市のY病院のY医師は、生活保護受給者の診療報酬を不正受給し、必要のない手術をおこない患者を死に至らしめ(しかもY医師にこの手術の経験がほとんどなかった)、カルテを改ざんしていたことが報道され、我々医療者を驚かせました。

 一部のマスコミはこの事件を「氷山の一角」と捉えているようですが、私はこのような医師は例外中の例外であると考えています。他にも同じような医療機関がないと断言することまではできませんが、医療の常識からすると考えられないのです。

 先に私は「実際にこの世界で働いてみればわかりますが」という表現を使いましたが、このような理論の持っていき方は議論をおこなう上では卑怯であり、本当は使ってはいけない表現です。なぜなら、医師でない人が医師として働くことはできないからです。一般に「あんたは立場が違うから分からないだろうが・・・」という言い方はすべきではありません。

 しかしあえて私がこのような表現を用いたのには理由があります。それは実際に医師にならなくても、目の前に病気の苦痛を抱えた患者さんがあなた自身を頼って来たことを想像することは難くないからです。病気で苦悩を抱え、貧困にあえぎ、生活保護を受給しなければならない人を目の前にして、「この患者からいくらひっぱれるかな?」などと考えることのできる人間はほとんどいません。いるとすれば初めから精神が破綻している病人です。つまり、私は大和郡山市のこのY医師は「病気」であったとみています。

 このような現象はどの職業にもあると思います。例えば、幼女趣味の小学校の男性教師が生徒の着替えを盗撮して逮捕されるといった事件がときどき報道されます。この男性が教師を続けてはいけないのは自明ですが、同時にこの「病気」を治すことも考えなければなりません。(治るかどうかは別にして)

 話を戻しましょう。金儲けという点だけでなく、医師が他の医療者の人格を批判するなどということは、普通に研修を受けて医師として働き出せば到底考えられないことであり、実際にはその「逆」です。私が感じている医師という仕事の醍醐味のひとつとして、他の医師や医療者の献身的な態度に感銘を受ける、ということが挙げられます。優秀な医師であれば「目の前の患者さんのために自分は存在している」といった雰囲気がにじみ出ています。そしてこれはベテランの医師だけではなく、なかには研修医から感動させられることもあります。多くの医師は高い人格を持っているのです(注1)。

 医師だけではありません。看護師も薬剤師も理学療法士もその他の医療従事者も、目の前の患者さんに対して誠心誠意の貢献をおこなおうとします。私はこれまでアルバイトも含めれば20以上の会社やショップ、レストランなどでの仕事の経験がありますが、医療機関ほど日々感動させられる職場というのはありません。

 たしかに医師は他の職業に比べてうつ病罹患率や自殺率が高いことが指摘されますし、セクハラやパワハラは日常茶飯事だと言われます。しかしながら、そういった苦痛を差し引いたとしても、医療機関ほど他人に貢献できて、日々学ぶことのできる職場というのは私の知る限りありません。

 先輩医師のみならず、研修医からも他の医療従事者からも感動させられることに私は感謝の気持ちを持っています。非人間的なとんでもない医療者がいることは否定しませんが、自らの本のなかで「〇〇する医師はNG」などという表現を安易に用いる医師がいることが私には理解できません。こういった本を読んで適切な治療が受けられなくなった患者さんの責任はいったい誰がとるのでしょうか。

 非難されるべき医師は、「実際に診療の現場をみたわけでもないのに他の医師を非難する医師」、つまり「医療否定本を書く医師」だと私は考えています。

注1:下記コラムも参照ください。
メディカルエッセイ第134回(2014年3月)「医師に人格者が多い理由」

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2015年4月10日 金曜日

2015年4月号 「医療否定本」はなぜ問題か(前編)

  ここ数年でいわゆる「医療否定本」という言葉を頻繁に聞くようになってきました。現代医療を否定する本は以前からありますが、一昔前までは、宗教者が書いたものであったり、自社製品を売りたいがために健康食品の会社が出版したものであったりと、そういうものが大半だったのですが、ここ数年は医師による医療否定本がブームになっています。

 なかでも、元・慶應義塾大学医学部講師の近藤誠先生の『医者に殺されない47の心得』という本が飛び抜けて売れているそうです。最近、患者さんからも「どう思いますか」と聞かれることが増えてきたこともあり私も読んでみました。

 近藤先生に批判的な意見が多いのは以前から知っていましたが、私自身は近藤先生の書籍は医学部の学生の頃に何冊か読んでおり、先生の残された功績は素晴らしいものと考えています。最も尊敬に値するのは、今では標準的治療とも呼べる乳癌に対する「乳房温存術」を日本で広められたことです。それまでは、ハルステッド法といって乳房のみならず大胸筋までごっそりと取ってしまう手術が主流だったのです。乳房温存術では可能な限り取り除く部位を最小限にするために、術後、胸のかたちに悩まされることがなくなるのです。

 また、異論はあるものの近藤先生の「がんもどき」という考え方は興味深いものです。これは、ガンには2種類あり、ひとつは「本物のガン」、もうひとつがにせもののガン、つまり「がんもどき」という考えです。本物のガンは検診では発見することができず発見されたときには助かる術がない。だから何もすべきでない。一方、「がんもどき」は悪化しないからもともと何もする必要がない、とするものです。ここからガン検診は不要でありすべてのガンは「放置」すべき、という理論に発展します。

 すべてのガンは検診すべきでなく見つかっても放置すべき、などという理論に賛成するわけにはいきませんし、すべて「放置」するなら、以前は近藤先生自身が推奨されていた乳ガンに対する「乳房温存術」すらすべきでない、ということになり自身の主張が矛盾することになります。

 ただ「がんもどき」という考えがまったく間違いかというとそうではなく、ひとつ例をあげれば、私は甲状腺ガンの大半が「がんもどき」ではないかと思っています。甲状腺ガンの発症世界一は韓国で、1999年には年間2,866人しか診断されなかった甲状腺ガンが2013年にはなんと53,737人に診断がついています。この間でおよそ19倍も増加しているのです。現在韓国では人口10万人あたり97人が甲状腺癌の診断を受けていることになり、これはダントツで世界一位、世界平均の10倍以上になります。では、韓国で甲状腺ガンによる死亡数が減っているのかというと、これがまったく減っていないのです。

 なぜ韓国でこれだけ甲状腺ガンがみつかるかというと、超音波検査を健康診断でほぼ全員に実施するようになったからです。余計な検査をしたせいで「がんもどき」が見つかり、見つかれば手術で甲状腺を摘出することになります。おまけに手術をするとその後は一生涯甲状腺ホルモンを飲み続けなければなりません。患者さんの負担は相当なものになりますし、医療費を圧迫することにもなります。

 しかし、甲状腺ガンによる死亡数が減っていないということは、助からないガンは助からないわけで、検診にも意味がないということになります。このことだけを取り上げると近藤先生の「がんもどき」理論は正しいように思えます。

 では他のガンはどうなのでしょうか。近藤先生は「がんもどき」理論をすべてのガンに広げ「ガン検診は一切不要」と主張します。しかしこれはあまりにも極論です。ひとつ例をあげると子宮頚ガンは定期的に検診をおこなうとほぼ100%早期発見が可能です。もしも「放置」をすると早期発見の機会が失われ助かる命が助からなくなります。

 子宮頚ガンは比較的多いガンで有名人が罹患したことがしばしば報道されます。最近ではシーナ&ロケッツのシーナさんが、発見が遅れたために61歳で死亡されました。ZARDのヴォーカリストであった坂井泉水さんは、直接の死因は階段からの転落死ですが、子宮頚ガンの発見が遅れ肺に転移も認められていたことが報道されています。ガンの肺転移が見つかっていたということは、この不幸な転落事故がなかったとしても命は長くなかったことが予想されます。

 我々医療者がこのような報道を聞くと、「有名人でなかなか検診を受ける機会がなかったのだろうが、検査を受けてさえいれば・・・」という気持ちを拭えません。しかし近藤先生は「二人の子宮頚ガンはがんもどきでなく本物のガンだったのだから検診を受けていても無駄だった」と言われるのでしょうか・・・。

 子宮頚ガンは早期で発見できれば、円錐切除術といってごく一部を取り除く手術、もしくは放射線療法でも完全治癒が期待できます。(他にも治療方法がありますがここでの言及は避けます) しかしある程度発見が遅れると子宮をすべて摘出する必要があります。このタイミングを逃すと(坂井泉水さんのように)肺など他臓器に転移し助からなくなります。

 ガンの発見が遅れたものの、子宮全摘をすることによって命が助かり現在も活躍されている有名人に森昌子さんがいます。現在は政治家の三原じゅん子さんも子宮頚ガンで子宮全摘をされています。近藤先生はこの二人に対しても「今生きているということはがんもどきだったのだから子宮を取るべきではなかった」と言われるのでしょうか・・・。

 私が医学部の学生の頃に読んでいた近藤先生の著作はガンに関するものばかりだったのですが、『医者に殺されない47の心得』には他の疾患についても意見を述べられており、これらには同意できるものもあるのですが、問題だと言わざるを得ないものも目立ちます。

 例えば同書のなかで「インフルエンザワクチンを打ってはいけない」と断言されています。結論から言えばこれは間違いでインフルエンザのワクチンは有用です。ただ、ワクチンに対していろんな意見があってもいいとは思いますし、それを自身の本で主張することは「表現の自由」だと思います。(私自身も子宮頚ガンのワクチンを定期化して中学1年生の女子全員に接種するという考えには反対です) ただし、近藤先生が言っているその理屈が卑怯であり、故意に読者をミスリードしようとする意図が感じられます。

 インフルエンザワクチンを打ってはいけないその理由として、近藤先生は「WHO(世界保健機関)も厚生労働省も、ホームページ上で、インフルエンザワクチンで、感染を抑える働きは保証されていない、と表明しています」と書いています。これだけを読めば、WHOも厚労省も「推薦していない」ワクチンをすすめる医療機関は悪徳商法ではないのか!と読者をミスリードすることになりかねません。

 この書き方が卑怯なのは、あたかもWHOや厚労省がインフルエンザワクチンをすすめていないような表現をとっていることです。実際は、もちろんWHOも厚労省もインフルエンザワクチンが重要であることを訴えています。感染抑制効果については年により異なり、たしかに2014年終わりから2015年の初めにかけて流行したインフルエンザにはワクチンの発症抑制効果は期待はずれでした。これはWHOがこのシーズンに流行ると予想していた型と別の型のウイルスが流行したためです。しかし、この場合でも重症化を防ぐことができ、他人への感染リスクを下げることができます。

 仮に、重症化を防ぐことや他人への感染リスクを減少させる効果も期待していたほどではなかった、という新しい事実が将来判明したとしましょう。それでも、現在WHOも厚労省もインフルエンザワクチンを推薦しているのは事実であり、あたかもこの事実がないような誘導をするのは問題です。

 もうひとつ例を挙げましょう。同書のなかで近藤先生は「ERCPで急性膵炎が生じることは決して少なくなく、本当に死亡する場合もあるのでおすすめできません」と書いています。ERCPというのは内視鏡的逆行性胆道膵管造影のことで、十二指腸まで内視鏡を入れて胆道と膵管の造影剤を注入する検査です。ERCPは急性膵炎が生じることがあり、死亡例があるのも事実です。ここまでは間違ったことは言っていません。しかし、この箇所を素直に読むと「胆管と膵臓の検査自体が無用だから受けるべきではなかった」と解釈できます。

 現在は胆管や膵臓の検査にはERCPではなくMRCPを用います。MRCPであれば急性膵炎が起こらずに安全に検査ができるからです。MRCPをあえて避けてERCPを実施することなどほとんどないはずです。そして近藤先生はそれを知らないはずがありません。MRCPの存在を知っていてERCPの危険性だけを主張するのは悪意あるミスリードではないでしょうか。

 医師が書く「医療否定本」で最も問題だと思うことを今回述べる予定でしたが、近藤誠先生の『医者に殺されない47の心得』の批判で予定の文字数を越えてしまいました。次回はその「最も問題なこと」について述べたいと思います。

参考:
『患者よ、がんと闘うな』文春文庫
『医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法』アスコム
『「治るがん」と「治らないがん」 医者が隠している「がん治療」の現実』講談社+α文庫
『よくない治療、ダメな医者から逃れるヒント』講談社+α文庫

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2015年3月10日 火曜日

2015年3月号 競争しない、という生き方

 日頃温厚な人が突然怒り出すと驚かされますし、自分が何か悪いことをしたのだろうか・・・、と反省させられます。そしてこのような経験をすると記憶からなかなか消えないものです・・・。

 私は大学(医学部ではなく関西学院大学社会学部)を卒業した後、大阪に本社がある中堅の商社に就職しました。1991年4月25日(だったと思います)は、私が生まれて初めて給料をもらった日です。学生の頃にアルバイトはしていましたが、それほど稼いでいたわけではなく初めて「大金」を手にした日です。もちろん「大金」といっても20万円ほどですが、それでもまとめてこのようなお金を手に入れたことはありませんでしたから嬉しいものです。

 初めての給料日には同期で飲みにいきました。そこで給与明細の見せ合いをしたときに、その席にいた同期の二人よりも私の基本給が低いことがわかりました。たしか2千円くらいの差で、私はそれほど気にならなかったのですが、この出来事を翌日の昼休みに上司に話すと、普段は温厚なその上司が突然怒り出したのです。そして、「総務部に抗議しにいってくる!」と言って部屋を飛び出しました。

 基本給の差の原因は年齢にありました。給与明細を比べた二人は一浪で大学に入っていたために、私よりも実年齢が1つ上だったのです。その会社ではキャリアよりも年齢をベースに給与を算出していたのです。総務部でこの説明を聞き、その上司も納得して戻ってきました。私自身は、まだ仕事らしい仕事が何一つできていない自分が給料をもらうこと自体に後ろめたさも感じていましたから、同期より低くても全然問題はなかったのですが、その上司の行動には驚かされました。

 平成不況が深刻化した1997年から1999年にかけて、私と同年代のサラリーマンは自主退職もしくはリストラの危機にさらされるようになりました。1968年生まれの私と同世代の大卒は「バブル組」と呼ばれ、希望すればどこにでも就職できた恵まれた世代です。しかし平成不況が長引くと、自社にとどまるのがむつかしく退職すれば仕事がない、という悪夢のような時代へと移っていきました。

 その後、いったん持ち直したかのようにみえた日本経済はリーマンショックで再び奈落の底へ落ちていきました。大卒でも就職できない若者がクローズアップされたためにあまり目立ちませんでしたが「バブル組」たちのリストラは一層過酷なものとなっていました。

 私と同世代のある男性は「次は自分かもしれないと思うと、同僚がみんなライバルにみえて本音で話せない」と言っていました。また、別の男性は「人事部の自分は、これまで仲良くやってきた同期の人間も解雇しないといけなくて辛い・・・」と話していました。結局この男性は良心の呵責に耐えきれずに自ら辞表を提出したそうです。「今になって思えば、自分から退職を申し出ることを会社は予測していたに違いない」と言っていました。

 資本主義は競争社会と言われることがあります。ライバルの同僚が会社に残れば自分はクビになる・・・。他人を蹴落とさなければ出世できない・・・。会社に残るためには勝ち続けなければならない・・・。これらはたしかに見方によっては「事実」かもしれません。けれど、こんなことばかり考えていればて生きていくのがイヤになってこないでしょうか。

 いっそのこと競争社会からおりてみればどうでしょう。あるいは、初めから競争社会に入らない、という選択肢はどうでしょう。

 実は私自身は、それを初めから意識していたわけではないのですが、競争とは縁のない人生を送っています。先に述べた新卒で入社した会社は、当時全従業員が800人程度の会社で決して大企業ではありませんでした。希望すればほとんどの大企業に内定がもらえたあの時代に私はあえて大企業を避けました。その理由はいくつかありますが、「大企業の中での競争がしんどそう」というものと「全体を見渡せるようになりたい」というのが大きなものです。

 大きくない企業なら会社全体を把握しやすく、いろんな勉強ができると考えたのです。また、大きくない企業なら同じ部署内での競争もあまりないだろうと考えました。私は海外事業部に配属されましたが、同期は女性一人のみ。その女性は外国語大学出身で入社時からすでに英語を話せていましたから、まったく英語のできない私は競争相手にすらならなかったのです。

 結局、勉強させてもらうだけさせてもらい、会社にほとんど貢献することなく退職することになった私は、その会社や当時の先輩社員には今も頭が上がりません。いろんな意味で私を成長させてくれたその会社は、今も安定した実績を維持しており平成不況のなかでもリストラをしなかったと聞いています。

 私が就職活動をしているとき、同級生のなかに、「電通と伊藤忠と住友銀行とNTTを受ける」と言っていた者がいましたが、私にはいったい何をやりたいのかが分からないこういう考えが理解できません。とはいえ、当時はこのような「ブランド志向」の若者が大勢いましたし、おそらく今もこのような者はいるでしょう。

 会社を辞めた私は医学部受験に専念することになります。医学部受験も競争、という意見があるでしょう。しかし、私が言っている「競争社会からおりる」とは意味が全然違います。私は、努力を放棄せよ、と言っているわけでは決してありません。むしろその反対で、人間は生涯に渡り努力をし続けなければならない、という考えをもっています。私が避けるべきと考えている「競争」とは、「身近な人との競争」です。

 医学部受験では自分が合格すれば誰かが不合格になります。しかし合格した者はその不合格の者の顔を知りませんし、不合格の者も合格した者の顔が分かるわけではありません。同じクラス全員が同じ医学部受験をすればそういうことが起こるでしょうが、もしもこのようなことがあるとすれば、むしろ一致団結し、顔の見えない他校の生徒に勝つことを考えるはずです。

 TOEICを私が初めて受けたのは会社に入って間もない頃ですが、このときの点数は500点に満たないものでした。それから、努力を開始し、もちろん身近な人に勝つためではなく自分の英語力を高めるためですが、毎回受ける度にちょうど50点ずつくらい面白いように上がっていきました。会社を辞める直前に受けたときの点数が、たしか896点で、これが私の生涯の最高得点です。それからは医学部時代に一度だけ受けましたがこのスコアを超えませんでした。今も受けたいのですが、試験を受ける時間がないという言い訳をしてさぼっています。次回は医師をリタイヤしてから受けるつもりです。

 社員全員がTOEIC受験を義務づけられ下位10%がリストラの対象になる、とされればどうなるでしょう。もしもこのようなことが起こると職場はギスギスしたものになり、例えば過去問が手に入ったとしても、同僚に秘密にするかもしれません。つまり、このような社内での競争はすべきでないのです。

 もしも会社が社員の英語力を上げたければ、部署ごとの平均点を出して、前年よりも平均点が高くなればプレゼントを贈る、というような方式にすべきです。こうすれば全員が努力するようになりますし、英語の得意な者は苦手な者に率先して教えることをするはずです。コミュニケーションが潤滑になり団結力が向上します。

 私のもうひとつの母校である大阪市立大学医学部にはキャンパス内に「グループ学習室」という素晴らしい部屋があります。この部屋に気の合ったグループが集まり、分からない問題を提示してグループ全員で考えたり、当番の者が事前に勉強してきたことを披露したりするのです。もちろんグループ学習をしようと思えば、自分ひとりだけ分からない、ということがあれば進行の妨げになりますから、グループ学習に備えて独りで勉強する時間も確保します。

 医師の世界を競争社会と思っている人もいるようですが、実際はそうではありません。教授選のときはそうなんじゃないの?という人もいますが、そもそも医学部の教授を目指す人自体があまりいませんし、多くの医師は「ポスト」というものを重視しません。役職がつけばかえって余計な仕事が増えますから出世を嫌う医師も少なくないのです。私自身もそうです。純粋に医療をおこなうのが医師の醍醐味なのです。

 私自身は現在クリニックの院長という立場ですが、医療機関どうしの競争というものも存在しません。これが例えばコンビニなら、1位はどこで利益が前年比いくらアップで・・・、という話になりますが、医療機関はそもそも営利団体ではありませんし、患者数が多すぎるのも困りますし、目の前の患者さんの健康に貢献できればそれでOKなのです。

 身近な人と競争しなければならない・・・。これほどしんどいこともないのではないでしょうか。たしかにこのような境遇に身を置かねばならない人もいます。代表はスポーツ選手や芸能人でしょうが、政治家、官僚なども該当するでしょう。大企業の社員もそうなのかもしれません。競争大好き!という人はそれでもいいでしょうが、私のようにそういうのをストレスと感じる人も少なくないはずです。

 勉強でも仕事でも努力を怠らない。身近な人とは競争するのではなく協力してグループ全員が能力を高める。こうすれば努力が苦痛でなくなります。

 冒頭で述べた初任給の出来事について、私はそのとき口には出しませんでしたが上司に対して内心このように思っていました。「僕のために行動してくれたことは感謝します。しかし今自分には給与をもらう価値はありません。これから努力を重ね給与を上回る仕事をします。そのときには給与が少なければ自分自身で総務部に抗議にいきます。ただし、同期と比べてではなく、そのときの自分の能力と比べてです・・・」

 結局、能力はさほど上がらずに、先に述べたようにほとんど何も貢献できないまま退職してしまいましたが・・・。

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2015年2月10日 火曜日

2015年2月号 神戸の貴婦人と小さな幸せ

 たしか阪神大震災から半年くらい過ぎた頃だと思うので1995年の夏頃でしょうか。新聞か雑誌のコラムで被災したひとりの女性のことが取り上げられていました。

 その女性は、たしか40代か50代で、裕福な家庭に育ったものの身内の不幸が相次ぎ独りで暮らしていたそうです。そこに震災が起こり自宅まで失ってしまいます。その女性をひとりの記者が取材をしてコラムを書いていたのです。

 その記者によると、震災前に家族をなくし震災で家までなくしたその女性は、悲しい顔を一切見せず、それどころか澄んだ瞳で「家は全壊したけれどあたしはこのとおり元気よ。神様に感謝しなくちゃ」とこのようなことを言ったそうなのです。そして始終笑顔で被災者の人たちのケアをしているというのです。被災者の人たちに何ができるだろうか、と考えて被災地に乗り込んだこのジャーナリストが被災者であるこの女性に逆に元気づけられた、といったようなことが書かれていました。

 私はこの記事を読んだとき、それなりには感動したと思うのですが、何度も反芻したわけではなく、しばらくするとすっかり忘れ去っていました。

 2005年のある秋の日、ある病院の当直室。時間は深夜0時頃のことです。その頃私は極度の疲労感を引きずっていました。当時の私は、タイのエイズ施設に関わっており、数ヶ月に一度はタイに渡航しボランティア活動をおこなっていました。一方、日本では大学の総合診療部の医局に所属し、文字通り休日ゼロで仕事をしていました。「仕事」といっても当時の私はまだまだ勉強しなければならないことが多く、複数の医療機関で無給の修行をさせてもらっていた、というのが実情です。

 しかし、完全に「無給・無休」では生活ができませんし、タイの施設に支援もできません。そこで、週に何日かは短時間の外来のアルバイトや病院の当直のアルバイトをおこなっていました。その秋の日は、午前中は大学病院で自分の外来をおこない、午後は他の先生の外来を見学させてもらい夕方は会議に出席していました。その後、大阪の郊外のある病院で当直のアルバイトをおこなっていたのです。

 アルバイトとはいえ、その日のその病院の当直医は私ひとりです。夜間の救急外来にやってくる患者さんはすべてひとりで診なければなりませんし、入院中の患者さんが急変したときにもひとりで対処しなければなりません。結果として軽症であったとしても何かあれば患者さんは看護師経由で医師を呼びますから当直室でゆっくりすることはできません。

 その日の私は疲労がピークに達していました。夜間に外来にやってきた捻挫の患者さんに対する処置を終え当直室に戻ると、何もする気が起こらず床にしゃがみこんでしまいました。元気のある時なら、かばんの中に入っている医学の教科書を取り出すのですが、どうしてもそのような気にはなれません。

 ふと棚に目をやると昔なつかしい紅茶のパックが置かれていることに気付きました。その横にはお湯の沸いたポットがあります。私は紅茶よりもコーヒーが好きなので、この病院でポットを利用するのはインスタントコーヒーを飲むときとカップラーメンをつくるときだけです。紅茶のパックは私がいつも飲んでいるインスタントコーヒーのすぐ横に置かれていたのですが、このときまで存在に気付いていませんでした。

 たまには気分をかえて紅茶を飲んでみよう。そう思った私は紅茶のパックをカップに入れお湯を注ぎ、スティックの砂糖を入れてかきまぜました。このとき私の鼻腔にふわっと広がった温かく清涼感にあふれた香り・・・。がむしゃらに走り続けようとする私はこの香りに呼び止められたような気がしました。そして、冒頭で述べた被災地の女性のことをなぜか思い出したのです。

 たった一杯の紅茶、それも高級品ではなく、私が小学生の頃に自宅にあったのと同じ紅茶です。子どもの頃何気なく飲んでいた紅茶がこんなにも心を落ち着かせてくれるとは・・・。一杯の紅茶を味わって飲むと、現在の私自身が非常に恵まれていることに気付きます。まず健康であり、日々勉強することができて、患者さんから感謝の言葉をもらい、そしてタイにいるエイズに苦しむ人たちにほんの少しではありますが貢献しています。貯金はほぼゼロで、それどころか奨学金の返済も随分と残っていましたが、若いうちはお金などなくてもなんとでもなります。

 きっと、あの被災地の女性も同じようなことを思ったのではないだろうか・・・。そのとき私はそう感じたのです。家族を亡くし、自宅が全壊し、着るものもなくなった。けど自分は生きている、身体も動く、自分より困っている人に少しとはいえケアをすることさえできる。だから自分は幸せなんだ・・・。その女性はそう感じたのではないかと思えてきたのです。

 それ以降私はこの女性のことを「神戸の貴婦人」と勝手に名付けています。いくら私の記憶がいい加減でも、この記事自体のことを私の脳が作り上げたとは思えませんから、ジャーナリストがこの記事を書き、取材をうけたこの女性が実在したのは間違いないと思います。阪神大震災から今年(2015年)で20年が経過しますから「神戸の貴婦人」は今60~70代くらいでしょうか。

 病院の当直室での一杯の紅茶のこの出来事があってから、私は辛いことがあると「神戸の貴婦人」を思い出すようにしています。そして辛いことがあると、一杯の紅茶のような「小さな幸せ」を探すようにしています。

 私が日々診ている患者さんのなかには「生きていても何もいいことがない・・・」と言う人がいます。うつ病がある程度進行している人の場合は、まず休養をとり、場合によっては抗うつ薬や専門のカウンセリングが必要になりますが、軽症の人であれば、「日々の生活のなかで少しでも幸せなものを見つけてみませんか」とアドバイスすることがあります。

 ある患者さんは、いつも行くコンビニで店員さんにこちらから「おはようございます」と声をかけると笑顔で「おはようございます」と返してくれたんです、と言って喜んでいました。ある患者さんは、朝の散歩できれいな朝日をみてその日一日気分が良かったと話していました。

 反論もあるでしょうが、私自身は「人生は辛いことが大半であり、幸せなことはわずかしかない」と考えています。こんな私は悲観論者になるのかもしれませんが、それが故に「小さな幸せ」が心を落ち着かせてくれることを知っているのです。

 私は2014年1月から左腕が不自由になり、2014年8月に手術を受けました。現在は少しずつ回復していて、手術直後は茶碗を持つことすら覚束なかったのが、現在は手は震えるものの「吉野家」の牛丼並盛りの丼が持てるようになってきました。少しの時間でも左手で丼を持てることがどれだけ嬉しいことか・・・。これも「小さな幸せ」です。

 私がよく利用する吉野家では2014年11月から3ヶ月間、カードにスタンプを貯めれば吉野家特製の茶碗がもらえるというキャンペーンがおこなわれていました。なんとしてもスタンプを貯めて茶碗をもらいたい、と考えた私は11月からちょこちょこと吉野家を利用するようにして、ついに1月末に7つのスタンプが貯まり念願の特製茶碗を手に入れました。ただ、私は牛丼を頼んだときに出てくる丼鉢そのものがもらえると勘違いしていて、実際にもらったのはミニサイズの茶碗でした。しかしそれでもあの模様が入った茶碗を手に入れた幸せ感はもしかすると「小さな幸せ」以上のものかもしれません。

 なんだか最後は自慢話みたいになってしまいました・・・。一杯の紅茶で小さな幸せを見つけたことから、昔新聞か雑誌で読んだ「神戸の貴婦人」のことを思い出し、その後は辛くなると「小さな幸せ」を探すようにしている、ということが今回言いたかったことです。

 日常を振り返ってみると「小さな幸せ」はいろんなところに転がっています。普段はなかなか気付きませんし気付いたとしても照れくさくて口には出せませんが、家族がいる人は家族の笑顔を見ることも幸せなことです。日頃、家族と離れて暮らしている人や家族がいない人でも、何気ない日常を見渡してみると意外なところに「小さな幸せ」がきっと埋もれているはずです・・・。

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2015年1月13日 火曜日

2015年1月号 「総合」なるものの魅力(後編)

  1987年の夏。それは私が関西学院大学理学部に入学できたものの、勉強に興味が持てなくて、というより授業についていけなくて、退学することを考えていた頃です。以前別のところで述べましたが、同じ大学の社会学部の先輩に、ひょんなことから集団力学というものについて話を聞いたことがきっかけで、私は社会学という学問に興味を持つことになりました。

 その後社会学部への編入を考え、そして実行することになるのですが、編入学試験を受けるために社会学の勉強を独学で開始しました。集団力学というのは、集団における人間の行動を研究する学問ですが、私にとっては人間そのものを研究対象にするというのが斬新でした。私が在籍していた理学部では、わけのわからない実験をやらされたり、意味不明な数式を解かされたりしていたわけで、いったい何の役に立つものかがわかりません。人間そのものを研究する学問がとても魅力的にうつったのです。

 社会学の勉強を開始しだしてまず驚いたのは、学問の対象としている領域があまりにも広いということです。社会学で取り上げているのは、法律、経済、宗教、政治、心理、家族、歴史、マスコミ、福祉、・・・、などなんでもかんでも研究対象にしています。これらは法社会学、経済社会学、宗教社会学、家族社会学、などと〇〇社会学と命名された比較的大きなサブグループがあり、また、社会心理学、社会人類学、・・、など社会〇〇学と命名されたものもあります。また、このようなサブグループとしては確立していないものの、社会学が取り上げる領域は、差別、同性愛、賭博、祝祭、犯罪・・・、など人間に関することならなんでもあり、という感じです。

 これは面白い!、と直感した私は社会学に関する本をどんどんと読んでいきました。そして、社会学関連の本を読み進むにつれて、ものごとを多角的に考えるようなクセがついていきました。例えば経済を考えるときには、経済学の教科書には載っていないこと、例えば、人間の欲望や嫉妬心といった心理的な要因、あるいは宗教や政治といった社会的な要因も考察に加えるのです。関西学院大学の経済学部の知人たちは、卒論に、例えばケインズだけを深くとりあげた研究とか、ミクロ経済のある特定の領域を取り上げた研究などをしていましたが、社会学から経済をみると、視点はより幅広いものになるのです。

 前回のコラムで、「総合診療医」は専門医か専門医の対極なのかという議論になるとき、私はある<懐かしい記憶>を思い出した、ということを述べましたが、この<懐かしい記憶>とは、私が社会学部に編入学を考えていたときの記憶なのです。私が考える「総合診療」とは、臓器を診るのではなく、その人のすべてを診て、必要あれば心理・社会背景にまで踏み込み、さらに場合によっては職場や家族での人間関係も考慮する医療のことをいいます。こういうと、それは「全人医療」ですか、と聞かれることがあるのですが、「全人医療」という言葉は手垢がついているというか、これまで様々な場面で使われてきた言葉なので私自身はあまり使っていません。まあ、言葉というのは定義によりますからあまりこだわらない方がいいのかもしれませんが。

 また、「総合診療医」は専門医か専門医の対極なのかという議論になるとき、専門医は「理系」的であり、総合診療医は「文系」的である、という人がいます。後で述べるように、今はこの考え方に同意していますが、理系・文系という分類については、もともと私自身はあまり好きではなく、安易にそのような分類をすべきではない、と思っています。

 ところで、なぜ人は学問に魅せられるのでしょうか・・・。勉強なんかに魅せられるわけがない!と感じる人がいるかもしれませんが、それは学問の面白くないところばかりを強要されるからであって、本来学問とは人間にとって大変魅力的なものです。なぜなら、学問とは「真実」を知るための手段だからです。多くの高校生からみたときには(私の高校時代を含めて)、教科書に書いてあることなんてムダなことばかり、と感じますが、これはつまらないことばかりが書かれているからです。

 しかし、もしも高校時代に先生からこのように言われればどうでしょう。「人間とはいったい何なのでしょう。人はどこから来てどこへ向かおうとしているのでしょうか。いったい世の中の何が正しくて何が間違っているのでしょうか。真実とは何なのでしょうか。それを知るために学問があるのですよ。もちろん教科書に書いていないことで正しいこともたくさんあります。しかし、教科書に書かれていない正しいことを理解するためにも、まずは目の前のある学問に取り組みませんか・・・」

 人生経験のない高校生のこのようなことを話しても理解されることはないかもしれません。私自身も自分が高校生のときにこのようなことを聞いても分からなかったと思います。しかし今なら分かります。そしてこれは私だけではないはずです。「歴史に学ぶ」ことの重要性に気付いて中高年になってから歴史の教科書を読み直す人や、高校時代に挫折した物理の入門書を読み出す人は少なくありません。

 で、私が何を言いたかったのかというと、「真実を知る」ための手段が学問であり、初めから文系と理系を区別するのはナンセンスである、ということです。

 しかし、最近ある新聞のコラムをみて、頑なに「文系・理系を区別すべきでない」とする私の考えも柔軟性を持たせなくてはいけないのかな、と考えるようになりました。

 そのコラムとは、池上彰氏が日経新聞の月曜日に連載されているもので2014年12月8日の内容です。池上氏は東京工業大学の講義で、国内総生産(GDP)の2014年7~9月期の速報値が悪かったことを取り上げ、その原因として民間企業の在庫が減ったことを挙げ、GDPの数字は悪化したが、在庫減少はひょっとすると景気回復のサインかもしれない、という話をされたそうです。すると、学生から「在庫減少がGDPにどのように反映するか、その計算式を教えてください」という質問を受けたそうです。池上氏は「そこが気になったのか!」と、びっくりしたと書かれています。

 私なら、そして多くの”文系”の人たちは、「GDPの悪化が景気悪化を意味するのか、あるいは回復の可能性があるのかを知るために、まずは他のファクターを取り入れて考えてみよう。そして、政治家、経済人、学者、外国のマスコミなど様々な視点からの意見を聞いてみよう」といった発想になると思います。しかし、「理系」である東工大の学生はまずは「在庫とGDPの計算式」なのです。

 池上氏のこのコラムをみて、私が以前から主張している「文系・理系を区別すべきでない」という考えを変えるまでには至りませんが、「理系的な発想」が存在するのは認めざるを得ない、と思うようになりました。

 そして、この「理系的な発想」がまさに、前回のコラムで紹介した「何でも診るということは結局何も診ないことと同じ」と主張する専門医の考え方だと思うのです。専門医というのは特定の臓器の、さらに特定の領域だけを診ます。多くの領域で治療が複雑化していますからこのように一つの小さな領域に特化した医師というのは絶対に必要ではあります。しかし、このような専門医だけでは医療が回りません。

 最近私が経験した患者さんを紹介したいと思います。この患者さんは数年前から風邪、胃腸炎、湿疹、など様々なことで受診されていました。先日、ある2つの皮膚症状を話され、どちらも場合によっては入院しての高度な治療が必要と判断した私は、ある病院の皮膚科に紹介状を書きました。すると、返ってきた返事が「それら2つの皮膚症状は別々のものだから同じ医師が診ることはできない。別々に紹介状を書いてくれ」というものだったのです。患者さんからすれば、同じ皮膚なのになんで分けて受診しなければならないの?となるわけですが、一方医師から診たときには「専門医は専門分野しか診ない」というのも理解できることです。

 文系・理系を区別すべきでない、という考えは変わりませんが、総合診療に取り組んでいる私は「文系的な発想」をしていることになるのかもしれません。そして、これからもこのように多角的な観点から物事を考えるクセは変わらないと思います。私は医学部に入学したときは、研究者として分子生物学を極めて真実にたどり着きたい、と考えていましたが、それを諦めた理由の一つが、分子レベルのミクロの世界の研究よりも人間全体を多角的な観点からみるのが好きということに気付いた(あるいは、思い出した)、というものです。そういう意味で、社会学に魅せられて編入学したことと、医学部でミクロの研究を断念し総合診療を志すようになったことは共通しているのではないかと考えています。

 

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2014年12月12日 金曜日

2014年12月号 「総合」なるものの魅力(中編)

  前回は、私が研修医1年目のときに訪れたタイのエイズホスピスで、ボランティアに来ていたGP(総合診療医)のベルギー人医師から「総合診療」の魅力を感じ取ったこと、研修期間を終えてから再びエイズホスピスに訪問し、そのときにボランティアをしていたアメリカ人のGP(総合診療医)からも多くのことを学んだこと、帰国後に大学の総合診療科の門を叩き、複数の医療機関の複数の科で勉強させてもらうようになったこと、などを述べました。

 その後自分はどのような道を歩むべきなのかについては随分と悩みました。流れに身をまかせるなら、そのまま大学病院に勤務するという道になりますが、この選択肢は比較的早い段階で消しました。

 というのは、大学の総合診療科の外来には、たしかに「どこの科に行っていいか分からない・・・」とか「これまでいくつもの病院を受診したけど診断がつかなくて・・・」といった患者さんも来られ、このような患者さんの診察に私はやりがいを感じますが、多くは診断がつけばそれで終わりになり「この次からは近くの診療所を受診してください」となります。これが大学病院のあるべき姿ですから仕方がないのですが、私としては「気になることがあればまたいつでも相談してくださいね」という医師でありたいのです。

 再びタイに渡航してタイのエイズホスピスでボランティアを続ける、という選択肢も現実的でないという気持ちが強くなってきました。ボランティアを続けるにはどこかでお金を稼がなければなりません。例えば、日本の病院で何ヶ月か働いて、お金が貯まれば再びタイに、という方法はできなくはありませんが、こういう働き方であれば深夜や土日の救急外来のアルバイトや健康診断のアルバイトで稼ぐことになり、このようなことだけをやっていると自分の勉強にはあまりならずに医師として成長できません。医師としてまだまだ勉強しなければならないことがあるのに、このような働き方をしてしまうと結果として患者さんに貢献できなくなります。

 そこで私が最終的に下した結論は、大学に籍を置きながら自分自身のクリニックを開設する、という方法です。この方法なら継続して患者さんを診ることができて「気になることがあればいつでも相談してくださいね」という医療を実践することができます。国内(外)の学会や研究会に参加することもできますし、大学での仕事も続けられますし、研修医や学生をクリニックに招いて研修を受けてもらうこともできます。タイのエイズ患者さんの支援については、年に1回はタイに渡航し、患者さんの直接支援は困難になりますが、エイズ孤児やHIV陽性の人たちをケアしている組織や施設、地域社会を支援することならできます。

 今の私の生活は丸1日休める日は年に10日程度しかありませんし、朝7時前にはクリニックで仕事を開始し、クリニックを出ることができるのは午後9時前後、遅ければ10時を回ります。昼休みもカルテ記載などで休憩時間は食事の時間を入れて20分程度しかありません。労働時間だけをみると明らかに「過重労働」で、身体的にも精神的にもストレスを感じているのは事実ですが、それでも「やりがい」を感じることができています。医学生や研修医から「プライマリ・ケア(総合診療)の醍醐味は何ですか?」と聞かれると、「患者さんからどんなことでも相談を受ける、患者さんから最も近い医者であること」と答えています。

 総合診療が好きでないという医師からよく聞くセリフに「何でも診るということは結局何も診ないことと同じ」というものがあります。たしかに総合診療医は、大きな手術はしませんし、心臓カテーテル検査もおこないません。分娩をおこなうこともありませんし、虫歯の治療もしなければコンタクトレンズの処方もしません。

 では「何も診ていない」のかと言えばもちろんそんなわけはなくて、受診された患者さんの95%くらいは治療をおこなうことができます。この数字は世界どこでも共通しているようで、現在太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を受診する患者さんに対して、専門病院を受診するよう助言し紹介状を作成するのは全体の5%未満です。しかも紹介状を書けばそれで終わり、というわけではなく専門的な検査や治療が終われば大半の患者さんは再び戻ってこられます。

 ただし、コモンディジーズ(よくある病気)については、可能な限り自分が診るべきだ、という考えはありますから、谷口医院(当時は「すてらめいとクリニック」)を開院した当時は、簡単な皮膚の手術はしていましたし、時間をとったカウンセリングもおこなっていました。また、結局実施することはありませんでしたが、関節疾患に対する関節内注射や骨折に対するギプス固定、小児のアレルギー検査などもおこなう予定をしていました。(さすがに分娩や中絶手術は初めから考えていませんでした。しかし、離島や僻地などでは総合診療医がこれらもおこなっています)

 ところが、実際にクリニックを始めてみて「現実」を思い知ることになります。最も問題となったのは「時間」です。ギプス固定や手術、カウンセリングなどはそれなりに時間がかかり、また看護師や他のスタッフの人手も必要になります。結局、医師ひとりのクリニックでできることは限られているという現実を思い知らされ、次第に診療内容を狭めていくことになりました。

 ただ、よく考えてみると、普段当院を受診している人が明らかな骨折をすればまず当院を受診するよりも初めから救急対応をしてくれる医療機関を受診した方が早いですし、谷口医院のように都心部に位置したクリニックであれば周囲に専門機関がありますから、例えばカウンセリングが必要な症例はそちらにお願いするのが現実的です。手術については、皮膚のできものを取る程度のものや巻き爪の手術は開院当初は実施していましたが、そのうちにすべての手術症例を近くの外科対応してくれる病院にお願いするようになりました。

 現在の谷口医院は「どんなことでも相談してください」というスタンスは崩していませんが、受診される患者さんの層にはいくらかの特徴があります。大半の患者さんは働く若い世代であり、小児や高齢者はあまり多くありません。総合診療医の多くは在宅医療や看取りまでしていますが、谷口医院ではこれらに対応していません。

 谷口医院で多い疾患は、まず風邪や胃腸炎、膀胱炎などの急性感染症、ついで喘息やアトピー性皮膚炎、花粉症などのアレルギー疾患、その次が生活習慣病になるでしょうか。ただし、「高血圧などの生活習慣病があって、それに花粉症もあって、そられは落ち着いているけど今日は風邪で受診」といった人が多く、むしろ何かひとつの疾患単独で受診している人の方が少ないと言えます。長引く倦怠感、原因不明の熱、不眠や不安、抑うつ状態といったことで受診される患者さんは開院以来常に多く、HIVを含む性感染症の治療や感染したかもしれないので相談に来た、という人も少なくありません。

 総合診療医の対局にあるのが「専門医」であり、現在の医療はより専門的な知識や技術が要求されますから専門医は絶対に必要です。例えば、私はこの夏(2014年8月)に自身の変形性頚椎症に対して手術(全身麻酔下観血的後方除圧及び椎弓形成術)を受けましたが、これは極めて高度な手術であり、執刀してくれた先生はこの道一筋の名医です。椎弓形成に必要な人工骨を自ら開発されているような先生ですから専門医のなかの専門医です。

 総合診療医と専門医は対極の関係にあるということができます。しかし、総合診療医は総合診療の「専門医」という考え方もあり、この考え方も間違ってはいないと思います。実際、2017年から始まる新しい専門医制度では「総合診療専門医」というものをつくることが決まっています。

 この話を聞いたとき、つまり、総合診療医は専門医か専門医の対極なのかという議論になるとき、私はある<懐かしい記憶>を思い出しました。そしてもうひとつ。総合診療医のように「どんなことも診るべき」と考える医師と、「専門分野だけを診たい」と考える医師がいるのがなぜなのかについて、私は最近新聞に掲載されたあるコラムをみて、なるほど、と思いました。次回はそのあたりについてお話いたします。(<懐かしい記憶>については今回述べる予定でしたが、字数がオーバーしてしまいましたので次回に回すことにしました)

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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