メディカルエッセイ

2016年1月22日 金曜日

第156回(2016年1月) 頑張れ 化血研! 東芝も

 今、日本で最もイメージの悪い、「悪徳企業の代名詞」といわれても仕方のない企業が「化学及血清療法研究所」(以下「化血研」)ではないでしょうか。

 少し前までは、粉飾決済が白日の下にさらされ世界的に信用をなくした東芝が最も悪印象の企業だったと思いますが、現在は化血研にその”座”を奪われています。

 2016年1月8日、厚労省が化血研に下した行政処分はなんと「110日間の業務停止命令」。これは医薬品医療機器法(旧薬事法)に基づく過去最長記録となるようです。報道によれば、1990年頃から、血液製剤を安定化させるために、承認されていない方法で製品を製造し、実際の製造記録の他に、国の定期調査に備えた「偽の記録」もつくっていたそうです。しかも、最近作った書類を古く見せるために、紙に紫外線を照射して劣化させていたとする報道もあり、これが事実なら組織の「膿」は相当根深く広がっていると言わざるをえません。

 現在、化血研は医療界、行政、マスコミのいずれからも激しいバッシングを受けており、化血研出身の公明党の代議士も窮地に立たされているとか・・・。おそらく化血研の従業員の家族は相当辛い思いをしていることでしょう。逆に、化血研にエールを送る声は一切ありません。ならば、私が微力ながらこのサイトで応援しよう、と考えてこれを書くことにしました。

 私が化血研の社員と初めて会ったのは2013年の初頭でした。当時、A型肝炎ウイルス(以下HAV)のワクチンの供給が止まったままで、必要な人に接種できない状態が続いており、これをなんとかしてほしいと販売会社を通してお願いしたところ、わざわざ熊本から担当の方が来てくれました。HAVワクチンが供給不足となったのは何も化血研の責任ではありませんから、私としてはそのような対応を求めていたわけではなかったのですが、その社員の方は、とても丁寧な対応をしてくださり、こちらが恐縮してしまうほどでした。当院としてもHAVワクチンは必要度の高い人だけに限定していることを説明し、その後はワクチンが必要な人の状況を伝えて供給してもらうことになりました。

 ここで少し脱線します。現在私が使っているノートパソコンは東芝の「ダイナブック」で、これは2台目です。実は、最初に使っていたダイナブックで、ネットにつながらないというトラブルがあり、結果としてこのトラブルが私を「東芝ファン」にさせました。

 西日本のある地方都市に私のお気に入りのホテルがあります。そのホテルに泊まりたいという理由だけでその土地に行きたくなることもあるくらい気に入っているホテルです。ある日のこと、そのホテルでインターネットにつなぐために、ダイナブックをLANケーブルに接続したところ一向につながりません。それまで私はそのホテルで別のメーカーのノートパソコンを使ったことがありましたがこのようなトラブルは一度もありませんでした。ホテルのメンテナンスのスタッフに来てもらい見てもらいましたがホテル側に異常はないと言います。

 そこで私は東芝のサービス部門に電話することにしました。電話に出た東芝の女性スタッフは大変丁寧な対応をされ親身になって解決法を考えてくれました。結局あれこれ試した後もネット接続はできず諦めざるを得ませんでした。その女性が言うにはダイナブック自体に問題はないそうです。実際その後もそのホテル以外ではつながるのです。しかしそのホテルでは接続できません。「”相性”といった安易な言葉は使いたくないのですが・・・」と、電話口の女性は申し訳なさそうに話されます。

 私は電話の向こうのこの女性の対応に胸を打たれました。ひとつひとつの言葉、話し方、間の置き方などすべてが大変あたたかいことに驚いたのです。そのとき私は、東芝というこの企業は、電話対応をしているこの部署は、そしてこの女性は、どんな理念やミッションを持っているのだろう、と感じました。そして、そのときに誓いました。次にノートパソコンを買うときも東芝にしよう、と。

 現在の私の最新のノートパソコンはダイナブックです。その後もその地方都市に行くときは、そのお気に入りのホテルを利用しています。そしてこの土地に行くときだけは、昔使っていた使い勝手の悪い別のメーカーのものを持って行きます。そこまでするほど私は東芝ファンになったのです。

 閑話休題。話を化血研に戻します。この時点で誤解のないようにしておきたいと思います。私がこれからも東芝製品を買い続けると決めているのは、ひとりの女性スタッフの応対に感動したからですが、化血研を応援したいのは初めて会った社員の方が真摯な対応をとってくれたからではありません。

 いくら丁寧な対応をされても、製品を承認されていない方法で製造し、それを長年にわたり組織ぐるみで隠蔽していた、ということは許されることではありません。これは血液製剤やワクチンを使っている患者さんの立場になれば当然の感情です。一方、東芝の粉飾決済は株主や製品購入者を裏切ったとする意見があり、然るべき処置がとられなければなりませんが、私個人としては化血研の方が罪ははるかに重いと考えています。

 私が化血研にエールを送りたい理由は、化血研に信頼を取り戻してもらい、日本一ではなく世界一のリーディング・カンパニーになってほしいからです。

 今も熊本に本部を置く化血研は1945年に熊本医科大学(当時)の実験医学研究所を母体として誕生しました。日本のワクチンや血液製剤をリードする企業として長い歴史があります。薬害エイズ事件で提訴されたことなどもありますが、現在まで数多くのすぐれた製品を供給し続けています。狂犬病ワクチンやA型肝炎ウイルスワクチンなどは、日本で製造できるのは化血研の他にありません。

 家電やIT領域などの製品では、日本は諸外国に追いつかれるどころか、とっくに後塵を拝しています。実はこれは医薬品の領域でもそうなのです。iPS細胞では世界の最先端を進んでいると言えますが、予防医学、特にワクチンでは日本は大きく遅れをとっています。ここ10年くらいは、「なんで海外でうてるワクチンが日本ではうてないんだ」という声が大きく、この問題は次第に解消されるようになってきました。

 しかしワクチンの製造は完全に日本は遅れています。ここ10年くらいで日本で承認されたワクチンをみてみると、HPVワクチンはGSK社製のサーバリックス、MSD社製ガーダシル、ロタウイルスはGSK社製ロタリックス、MSD社製ロタテック、肺炎球菌結合型ワクチンはファイザー社製プレベナー、MSD社製ニューモバックス、髄膜炎菌ワクチンはサノフィ社製メナクトラ、ポリオ不活化ワクチンはサノフィ社製イモバックス・・・、とこんな感じでこれらはすべて外資系の製薬会社です。現在世界的に注目されており、メキシコ、ブラジル、フィリピンなどで承認されたデング熱ウイルスのワクチンもサノフィ社製です。

 日本はワクチン開発が昔から苦手だったというわけではありません。ひとつ例を挙げると、水痘(みずぼうそう)ワクチンは日本人が開発し、現在世界中で多くの子供たちを救っています。皮肉なことに、多くの海外諸国ではとうの昔に定期接種に入っているのに、本家本元の日本で定期接種になったのはつい最近、2014年10月ですが・・・。

 化血研のワクチンも高品質で(海外製のものより値段が高いという欠点はありますが)、A型肝炎ワクチンや狂犬病ワクチンはとても優れたものです。製造に時間がかかるために供給が追いついていないのです。一時、狂犬病ワクチンは海外メーカーのものも承認すべきという議論があったのですが、最近この話題は聞かなくなりました。化血研と同じ水準の高品質のワクチンが海外製には存在しないからではないか、と私はみています。

 現在生命科学に興味を持っていて将来はその方面に進みたいと考えている若い人も大勢いるでしょう。そのような若い人たちが今回の化血研の報道をみてどのように思うでしょうか。東芝以上に徹底的に組織の”膿”を洗い流し、もう一度企業のミッションを見直し、研究者を目指す若い人たちの「理想の企業」となってほしい・・・。それが私の化血研に対する願いです。

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2015年12月21日 月曜日

第155回(2015年12月) 不正請求をなくす3つの方法

 2015年11月6日、警視庁は診療報酬(療養費)の不正請求をおこなった詐欺容疑として、暴力団組長や柔道整復師ら16人を逮捕し、マスコミで大きく報じられました。これがどのような詐欺なのかというと、まず普通の接骨院を装い患者を集めます。「患者」といっても本当の患者ではなく、肩や腰をもんでもらいたい人たちが保険証を提示し無料でマッサージを受けて、その上お金までもらっていたそうです。

 つまり「患者」を装った「アルバイト」なのです。マッサージをしてもらってお小遣いまでもらえるわけですから罪の意識がなければいくらでも「アルバイト」は集まるでしょう。報道によりますと、芸人ら数百人が加担し、さらに(私は聞いたことがない名前でしたが)有名なタレント女医までこの事件に絡んでいたとされています。

 この事件を受けてマスコミやジャーナリストが事件を解説するような記事を書いています。よくあるのが、接骨院だけでなく医師・歯科医師も含めて「不正請求が横行している」と強調しているものです。

 今回は不正請求をなくすための3つの方法を述べたいと思います。私はこの3つの方法を実践することで、柔道整復師のことはよく分かりませんが、少なくとも医療での不正請求の大部分がなくなると思っています。後で詳しく述べるように3つのうち1つはすぐには実現困難ですが、あとの2つはやろうと思えばすぐにでもできることであり、そのうち1つはこれを読んでいるあなたにもやってもらいたいことです。

 不正請求をなくす方法について詳しくは後で述べるとして、先に「不正請求」の誤解を解いておきたいと思います。よくマスコミが言うのは、「厚生労働省が医療機関に返還を求めた診療報酬が〇〇億円」というもので、たとえば2013年度で言えばその額は約146億円になります。マスコミはこの額を不正請求と言うわけですが、これは事実ではなくトリックがあります。

 医療機関に返還を求めた診療報酬の大半は「医療機関は必要と判断して実施した検査や投薬が、支払い側に認められなかったもの」です。ですからこのようなことはどこの医療機関でもあるのです。太融寺町谷口医院での例をあげると、体重が多い人であれば薬がたくさん必要ですから多めに処方するとこれが認められなかったり、呼吸困難を訴える患者さんに酸素飽和度を測定するとなぜか認められなかったり、B型肝炎ウイルスに感染している患者さんの血中ウイルス量を測定すると却下されたり・・・、と理由に納得できない「返還」がたくさんあるのです。これは私だけでなくほとんどの医師が感じていることです。

 では、医療機関で悪意のある診療報酬不正請求はまったくないのかというと残念なことにゼロではありません。実際2010年に逮捕された奈良県大和郡山市のY病院では悪質な不正請求が横行しており、報道によれば約860万円もの大金を詐取していたそうです。一部のマスコミはこの事件を「氷山の一角」としていますが、私自身は、これはやはり稀なケースであると信じています。しかし、同じような医療機関が今後出てこないとも限りません。

 ここからは不正を防ぐ3つの方法を紹介したいと思います。

 ひとつめは、医療者は営利を求めてはいけないことを国民全体に周知してもらうことです。これは我々からみれば当たり前なのですが、これを当たり前だと思っていない人が非常に多いのです。「そんなの当たり前じゃないか!」と思う人も、心のどこかで「医師=金持ち」のような印象があるのではないでしょうか。

 以前にも述べたことがありますが(注1)、日本医師会が作成した「医師の倫理要綱」第6条に「医師は医業にあたって営利を目的としない」という文章があります。我々医師はこの倫理要綱には逆らえませんから、まともな医師であれば「営利」のことは考えません。

 しかし世間に「医師=金持ち」のイメージがあれば医師を目指す若者が誤解してしまうかもしれません。そこで私が提案したいのは、将来の進路を決めるときや、医学部受験のとき、医学部入学式のとき、医師国家試験を受ける時、研修医として病院に採用されるとき、医師会に入会するとき、などの節目ごとに、この「医師は医業にあたって営利を目的としない」という文言を宣誓してもらう、あるいは署名してもらうようにすればいいと思うのです。

 もしも、医学に興味があって医学部に入学したけれど、大学生活を通してお金に興味が出てきた、将来は金儲けがしたい、と思い直す学生が出てくればその時点で医学部を退学すればいいのです。

 不正を防ぐ2つめの方法は、「医師の収入の上限を設ける」というものです。過去にも述べたことがありますが(注2)、私はこれが国民の誤解を解くのに最も手っ取り早い方法だと考えています。上限があれば「金儲けしたい」と考える輩は初めから医師になることを考えなくなります。先に述べた奈良県のY病院の院長は、当時の週刊誌の報道によれば「豪奢な自宅の敷地内にハーレーダビッドソンやBMWといった高級大型バイク、新型のフェアレディZやGT-Rなど高級国産車が常時止められていた」そうです。収入の上限があれば、こんな趣味がある人は初めから医師など考えないはずです。

 不正を防ぐ3つめの方法は、誤解を恐れずに言えば「患者さんは医師に感謝する」ということです。もちろん感謝したくてもできない場合もあるでしょうし、感謝どころか「こんな病院二度と受診したくない!」と思うような経験のある人もいるでしょう。もちろんそんな場合は、そのような病院に金輪際行かなければいいわけですし、場合によっては訴訟を考えてもいいでしょう。

 しかし、病気やケガを治療してもらって心底感謝しているという患者さんや、医師の言葉に救われたという経験のある人も少なくないでしょう。そんなときは医師に感謝の言葉をかけることを勧めたいと思います。長時間勤務でどれだけ疲れていても、患者さんからの感謝の言葉で医師は頑張れるのです。ここで誤解のないように言っておくと「感謝」というのは「お金」や「物」であってはいけません。特にお金はその場で固辞するのに大変なエネルギーを使いますし、その場でどうしても断れずに受け取ってしまうとそれを送り返すのに多大な労力を強いられます。以前述べたように(注3)、感謝の気持ちは「言葉」が一番嬉しいのです。

 不正請求の議論になったときに必ず出てくる言葉が「性善説」です。性善説に頼っていると不正は防げない、というような意見です。私は「性善説」という言葉で議論することが不毛だと思っています。そもそも人間には「生まれたときから完全な善人」などおらず、同じように完全な悪人もいません。すべての人がいいところもあれば悪いところもあるのです。ある状況で「善い」行動をとるか「悪い」行動をとるか、それが決まる最も大きな要因はその人の「期待のされ方」です。

 以前述べたように(注4)医師の大半は人格者です。(私自身は高い人格を持っているわけではありませんが、それでも過去の自分に比べると「人格者的」ではあると思います) なぜ医師が人格者になれるのかというと、ひとつは「ヒポクラテスの誓い」、先にも述べた日本医師会の「医師の倫理要綱」、以前紹介したフーフェランドの『扶氏医戒之略』(注5)といったわかりやすいミッション・ステイトメントがあること、そしてもうひとつは患者さんから受け取る「感謝の言葉」です。

「感謝の言葉」を聞けば聞くほど、医師は期待されていることを自覚し高い人格を維持しようとします。このような状態で「不正請求」などというものは考えることさえできないものなのです。ですから、我々医師が、報道などで「不正請求」という文字を目にしたときに最初に思うことは「誤報に違いない」というものです。(残念ながら、誤報でない、という場合もありますが‥)

 以上述べてきた不正請求をなくす3つの方法をまとめてみると、まず①医師を目指す者に「医師=金持ち」という幻想を捨ててもらい、②実際に収入の上限を設け、③医師は日頃から高い人格を目指すと同時に患者さんが医師に感謝の気持ちを感じたときはその気持ちを言葉に表す(もちろん感じなければ不要です)、となります。これで、不正請求は消失するはず、というのが私の考えです。

注1:下記コラムで詳しく述べています。

メディカルエッセイ第134回(2014年3月)「医師に人格者が多い理由」

注2:下記2つのコラムで述べています。

メディカルエッセイ第106回(2011年11月)「「開業医は儲かる」のカラクリ」
メディカルエッセイ第131回(2013年12月)「不可解な公表された医師の収入」

注3:下記を参照ください

メディカルエッセイ第31回(2006年1月)「正しい医師への謝礼の仕方、教えます!」

注4、注5:上記注1で紹介したコラムで述べています。

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2015年11月20日 金曜日

第154回(2015年11月) 「かかりつけ薬局」という幻想

 2015年11月2日、医薬品やドラッグストアなど健康関連の企業で構成する「一般財団法人日本ヘルスケア協会」が発足され、代表理事にマツモトキヨシHDの松本会長が就任しました。協会には発足時点で約500社が加盟したそうです。

 この協会設立のきっかけになったのは、2015年10月23日、医療費の抑制に向けて厚生労働省が発表した「患者のための薬局ビジョン」です(注1)。厚労省のこのビジョンでは「かかりつけ薬局」という言葉が用いられています。「かかりつけ薬剤師・薬局の推進を図り、患者・住民から真に評価される医薬分業の速やかな実現を目指して参ります」と記載されています。

 また、10月29日には日本薬剤師会の山本信夫会長が記者会見で、かかりつけ薬局に対し「5年後くらいまでには何らかのメドは示したい」との考えを示したと報じられています。

 かかりつけ薬局という構想は私個人としては大変素晴らしいものだと思っています。もしも、国民全員が健康のことで困ったことがあれば、医療機関ではなく近くの薬局を訪れて薬剤師に相談することができればどれだけ有益でしょう。たとえば、風邪症状で薬局に相談したとき、その症状に応じて適切な風邪薬を選んでくれて、場合によっては医療機関受診をすすめてくれるかもしれません。「かかりつけ医を持っていないなら、この時間なら〇〇クリニックがすいていますよ」などといった情報を教えてくれるかもしれません。また、「この程度なら薬に頼るのではなく暖かくして早く寝なさい」といった助言がもらえるかもしれません。

 ありがたいのは風邪をひいた患者さんだけではありません。医療機関の側からみても、わざわざ医療機関を受診する必要のない風邪を薬局で治療してもらえるなら、その分の時間をより時間をかけて診察する必要のある重症例に使うことができます。薬局が「ゲートキーパー」の機能を担ってくれるなら大変ありがたいことです。

 薬剤師も仕事の満足度が上がるはずです。薬剤師の本来の任務は「いかに薬を飲んでもらうか」ではありません。「いかに薬を最小限にするか」を考え、「正しい薬の使い方を伝える」のが正しいミッションです。そして薬剤師が本来のミッションを遂行することができれば、患者さんからも喜ばれ感謝の言葉を聞くことになります。これが薬剤師のやりがいとなり、ますます勉強を重ね、地域のために貢献しようという気持ちが強くなるでしょう。

 つまり、もしもすべての国民が「かかりつけ薬局」を持つことができれば、患者・薬剤師・医師の三者が幸せになり、さらに無駄な通院が減るでしょうから医療費も抑制されることになり、行政にも喜ばれ、その分のお金(税金)が他の必要な領域に使われることになるでしょうから、病気には縁が無く薬局にも病院にも行かないという人にも利益がもたらされることになります。

 こんな素晴らしい構想はそうありません。では、国民のみなさん、さっそく「かかりつけ薬局」を決めましょう・・・、と言いたいところですが、現実はそう甘いものではありません。

 私は現在の日本の薬局をみていると「かかりつけ薬局」など夢のまた夢で、到底実現不可能だろうと感じています。まず、街を歩いて探してみても「薬局らしい薬局」がありません。商店街や大通りには確かに”薬局”がたくさんあります。日本ヘルスケア協会の代表が経営する「マツモトキヨシ」はそのような薬局の代表といえるでしょう。「マツモトキヨシ」は関西にはそれほど店舗が多くありませんが、同じような薬局がたくさんあります。

 そしてこういった薬局では薬以外のものが多数売られています。お菓子やジュースが店頭に大量に並べられ、一般のスーパーよりも安い値段が表示されています。ワゴンには化粧品が大量に陳列され、大量のサンプルが配られ、ときには販売員が大きな声をだしてパフォーマンスがおこなわれています。「タイムセール」と書かれた看板を手に持って大声を出している店員がいることもあります。

 さて、あなたはこのような薬局に健康の相談をしに行きたいと思うでしょうか。実は私もこういったマツモトキヨシ型薬局はしばしば利用しています。安い商品というのは大変ありがたいですから、お菓子やジュース、またコンタクトレンズの洗浄液や入浴剤を大量に買って帰ります。こういった商品は安いに超したことはないので、私はこれからも利用させてもらうつもりです。

 しかし、です。これは「余計なお世話」だとは思いますが、私はレジを打っている薬剤師の人たちが気の毒になることがあります。両手をへそのあたりで合わせて深々とお辞儀をし、レジを打ちながらも「毎月〇日は全品5%割引キャンペーンをおこなっておりま~す。是非ご利用くださ~い」、といった丸暗記した宣伝文句を声に出し、サンプルを袋に入れ、再び深く頭を下げています。

 職業に貴賎はない、のは事実ですが、これが本来の薬剤師のするべき仕事でしょうか。そして、このような薬局を自分の「かかりつけ薬局」にして、健康のことで困ったことがあれば何でも相談しよう、と思える人がどれだけいるでしょうか。

 ここで私の個人的な体験を話したいと思います。研修医を終えてタイのある施設でボランティアをしていた頃の話です。その施設に向かうためにレンタルバイクを運転していたある日、交差点に猛スピードでつっこんできたトラックにバイクごと倒された私は足にケガを負いました(注2)。病院に行くべきかどうか迷いましたが、骨折はないだろうと判断し、近くにあった薬局に行きました。私が医師であることは伏せて、薬剤師に状況を説明すると、その薬剤師は丁寧に問診をしてくれて、必要な薬とガーゼ、包帯などを用意してくれました。私が「骨折はないと思う」と言うと「私もそう思う。病院は行く必要がない」と答えてくれました。

 それ以来私は、海外で(タイだけでなく他の国々でも)健康上のことで何かあると医療機関ではなく薬局を訪れるようにしています。といっても必要な薬(鎮痛剤や胃薬)は日本から持って行きますから、薬局のお世話になるのはそういった薬を紛失したときくらいですが。ただ、時間があれば薬局を覗くことはしばしばあります。どのような薬が置いているかに興味があるからです。医師であることをカムアウトして世間話をすることもありますが、客のフリをして薬剤師と話すこともあります。どのようなことを尋ねてくるのかが興味深いからです。

 なぜ私の個人的な海外での話をしたかというと、こういった薬局であれば文字通りの「かかりつけ薬局」となるからです。実際私は多くの海外旅行に行く患者さんに、軽症なら医療機関でなく薬局にまず相談するように助言しています。それだけ薬剤師が頼りになるのです。

 海外の薬剤師は頼りになるが日本の薬剤師には頼れない、ということはないはずです。ですから日本も海外と同じように、街にたくさんの小さな薬局をつくり、そこで患者さんの悩みを聞くようにすればいいのです。しかし、この私の考えに同意する薬剤師がいたとしても、薬局をオープンさせることは困難でしょう。

 ではどうすればいいのか。マツモトキヨシ型大型薬局のなかに「健康相談ブース」を設ければどうでしょうか。小さな個室がいくつかあり、プライバシーに配慮した部屋の中には体温計や自動血圧計を準備しておきます。そして薬剤師が健康上の悩みを聞くのです。医師の診察に近いことをすれば医師法違反となるのかもしれませんが、悩みを聞き、生活習慣の助言をおこなうくらいは問題ないでしょう。必要あれば適切な医療機関の受診を促し、受診が必要なければ薬局に置いてある薬を使ってもらうようにすればいいのです。場合によっては、何もせずに自宅で休んでいなさいという助言が最適ということもあるでしょう。

 薬剤師の助言も含めて医療行為というのは営利目的であってはなりません。タイムセールや毎月〇日のお得日といったものを盛んに宣伝されれば、この薬局儲けたいだけじゃないの?と思われても仕方がありません。それを挽回するためにも健康相談の個室を設けるのはひとつのアイデアだと思うのですがどうでしょうか。

「かかりつけ薬局」、現在の大型薬局のあり方が変わらない限りは「幻想」に過ぎない。それが私の意見です。

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注1:厚労省のこのビジョンは下記URLで詳細を知ることができます。

http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11121000-Iyakushokuhinkyoku-Soumuka/gaiyou_1.pdf

注2:ちなみにこのときこのトラックはそのまま猛スピードで逃げて行きました。その日に警察に行くと、「担当者がいないから明日に来てくれ」と言われ、しぶしぶ納得した私は翌日に再び警察に行きました。すると「そんな話を聞いた職員はいないからわからない」と言われ、どの職員もまともに対応しようとしないので、これがタイの警察か、と納得しそのまま警察を後にしました。

それからしばらくして、バンコクである日本人にホテルまで車で送ってもらう機会がありました。このとき我々は道に迷い、一方通行を逆走してしまい運悪く警察に止められました。パスポートの提示を求められたとき、この日本人は500バーツ紙幣(約1,500円)をパスポートにはさんで警官に手渡し、警官はパスポートの中身を確認することなく500バーツを受け取りそのまま我々は解放されました。この日本人によると、このようなことはこの国では日常茶飯事だと言います。

ちなみに、タイの警察や司法がいい加減なのは有名な話で、最近の出来事でいえば、2010年に16歳の少女が無免許で高速道路を運転し交通事故を起こし大学生ら9人が死亡するという痛ましい事故がありました。この16歳の少女は「ナ・アユタヤー」という王室関係の姓であることが報道され注目を浴びました。なかなか起訴されず、「王室関係者だから許されるのか」、という世論のバッシングなどを受けて最終的には起訴されましたが、裁判所の判決はなんと執行猶予4年付きの懲役2年です。9人の命を奪ったのにもかかわらず、です。4年間の保護観察中に、1年あたり48時間の社会奉仕活動が命じられていますが、勉学に忙しいという理由で全くしていないことも報じられています。

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2015年10月20日 火曜日

第153回(2015年10月) iPS細胞の未来

 今年(2015年)のノーベル賞は日本人が二人も受賞したこともあり大きく取り上げられました。ニュートリノが質量を持つことを発見した東大の梶田隆章博士の功績は科学史を書き換えるほどのものですし、イベルメクチンという寄生虫の薬を開発しノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智は、我々医師からみると、世界で初めて抗菌薬を発見・開発したフレミングに匹敵するくらいの偉大な科学者です。

 ノーベル生理学・医学賞といえば2012年には京都大学の山中伸弥先生がiPS細胞の発見で受賞されました。3年前のこの時期、日本中はiPS細胞フィーバーで盛り上がりました。山中先生は私の母校である大阪市立大学医学部で講師をされていた時期もありましたから(私も医学部3年生のときに講義を受けていました)、私の周りではしばらく山中先生とiPS細胞の話が耐えませんでした。

 今回お話したいのは、タイトルのとおり「iPS細胞の未来」ですが、その前に、大村先生のイベルメクチンと山中先生のiPS細胞では、同じノーベル生理学・医学賞を受賞された偉大な功績であっても方向性がまったく異なる、ということを確認したいと思います。

 大村先生が開発したイベルメクチンという薬は、世界中の寄生虫疾患で苦しむ大勢の人を救っています。現在では年間に3億人もの人がイベルメクチンを服用しており、それまでは有用な治療がなかったフィラリア症やオンコセルカ症が治癒する病気になりました。こういった感染症はアフリカで多く日本人にはあまりなじみがありませんが、イベルメクチンは疥癬というやっかいな感染症にもよく効き、これは日本でもおこりうる感染症です(これについては「はやりの病気2015年10月号」で取り上げています)。これほど有用な薬を開発した大村先生がノーベル賞を受賞されるのは当然ですし、これからも世界の多くの人々がイベルメクチンで命を救われることになります。

 一方、山中先生のiPS細胞は”現時点では”多くの人を救っていません。しかし、これからの展開を考えると、iPS細胞はとてつもない可能性を持っています。イベルメクチンで命が助かった人数の何倍、何十倍もの人を救うことができるかもしれません。また、誤った方向に開発されたとすると、(私はキリスト教徒ではありませんが)神を冒涜するような結果となるかもしれません。

 具体的に説明しましょう。iPS細胞とはどんな細胞か。一言でいえば、どんな細胞にもなれる細胞です。つまり、自分のiPS細胞があれば、それを筋肉細胞にすることも、神経細胞にすることも、皮膚の細胞にすることも可能なのです。これがどれだけ素晴らしい、またある意味では”恐ろしい”ことか分かりますでしょうか。

 加齢黄斑変性症という放っておくと失明することもある目の病気があります。この病気、高齢化と共に患者数が急増しており、現在日本には約70万人の患者がいると考えられています。治療法はないわけではありませんが、何をしても失明が避けられないということもあります。しかし現在この疾患に悩む人には「希望」があります。iPS細胞を応用した治療が開始されだしたからです。

 現時点では研究レベルの治療ですが、2014年9月、世界初のiPS細胞から作った網膜細胞を加齢黄斑変性の患者さんに移植する手術がおこなわれました。この手術を一言でいえば「患者さん自身の皮膚の細胞などからiPS細胞をつくり、そのiPS細胞を網膜細胞に分化させ、その細胞をダメになった古い網膜と取り替える」というものです。私が聞いたところによると、この手術を受けた患者さんは術後1年が経過した現在、経過は非常に良好だそうです。

 現段階では実際に患者さんに移植手術をした疾患は加齢黄斑変性症だけです。しかしいくつかの疾患ではかなり研究が進んでおり、実用化が見えてきています。しかもそれら研究中の疾患は、これまでは有効な治療法がなかったものです。

 パーキンソン病という脳内の神経がやられる細胞があります。パーキンソン病の薬はありますが、ずっと飲み続けなければなりませんし、その薬の副作用もあります。iPS細胞を用いて正常な神経細胞を作り直すことができれば完全に治すことも夢ではありません。そして実際にiPS細胞を用いたパーキンソン病の治療の研究はかなり進んできています。ただ、網膜とは異なり、脳全体を交換するわけにはいきませんから、脳内にiPS細胞由来の正常な神経細胞をどのように定着させるかが、おそらく課題になるであろうと思われます。

 パーキンソン病を含む神経内科の疾患というのは大変興味深いのですが、今ひとつ医学生から人気がなく神経内科専門医を目指すという研修医はそれほど多くありません。その最大の理由は「有効な治療法がない」からではないかと私には思えます。純粋な学問としては神経内科の疾患というのは非常に興味深いのです。しかし疾患の多くはいくらか進行を食い止めることができたとしてもやがて進行していきます。

 そんな難治性の代表性疾患がALS(筋萎縮性側索硬化症)です。病名に馴染みがないという人も宇宙物理学者のホーキング博士の病気と言われれば分かるのではないでしょうか。あるいは(現在40代以上の人であれば)「クイズダービー」の篠沢教授の病気を思い出されるかもしれません。パーキンソン病の場合は、まだ症状を緩和させる薬がありますが、ALSについてはほとんど何もありません。実際の治療にはまだ相当の時間がかかるでしょうが、iPS細胞を用いた治療の研究がすでに開始され注目されています。

 病気というよりは怪我ですが、交通事故やスポーツ外傷などで脊髄が損傷し車椅子の生活を強いられることがあります。「脊髄損傷」通称「せきそん」は若い人が苦しむことが多く何十年も車椅子、あるいは寝たきりの生活になります。本人の精神状態はかなり苦しくなることもあり家族のケアも大変です。もしも脊髄の神経細胞が再生できたら・・・、というのはこの病気に携わる医療者の長年の夢でしたが、iPS細胞を用いれば完全治癒も期待できるのです。

「夢の若返り」と聞いてSTAP細胞で世間を騒がせた小保方晴子氏のことを思い出す人もいるのではないでしょうか。私も小保方氏の記者会見をテレビで見た時にこの言葉を聞いた記憶があります。その後のSTAP細胞を巡る流れのなかで、この言葉もいつの間にか世間から忘れ去られていますが、iPS細胞を用いれば「若返り」は可能です。しかも、先に述べた神経内科の病気や脊髄損傷の治療よりもおそらくずっと簡単です。

 治療希望者の血液や皮膚の一部を使ってiPS細胞をつくり、それを皮膚に分化させ、加齢でしわとしみだらけになった皮膚を交換することができますし、AGA(男性型脱毛症)で禿げ上がった頭皮を10代の頃のようなフサフサの状態にすることもできます。どこまで実用化に近づいているかはわかりませんが、やろうと思えばそうむつかしくはないと思います。

 若返りは美容だけではありません。心臓は休みなく働き続けやがて動かなくなります。どのような心臓も永遠に拍動することはありません。しかし古くなった時点でiPS細胞から新しい心臓がつくれるとすればどうでしょう。また、脳細胞が古くなり認知症の可能性がでてくれば、iPS細胞からつくった新しい脳細胞を注入できるとすればどうでしょう。心臓と脳を定期的に入れ替えることができるとすれば、永遠に死なない身体を手に入れることも可能ということになります。筋肉も皮膚も必要に応じて新しくしていくことはそうむつかしくはないはずです。あるいは、完全なクローン人間をつくることも理論的には不可能ではありません。

 私が主張したい問題はここからです。現在iPS細胞については京都大学iPS細胞研究所(CiRA)が特許を取得しています。しかし、ライセンスを取得すれば研究をおこなうことができますし、ライセンスを取得している企業からiPS細胞を購入することも可能です。そもそも、特許があるからといってiPS細胞を用いた治療がすべて日本の企業主導となると考えるのは甘すぎます。

 iPS細胞をつくろうと思えば、人の血液や皮膚の一部に「山中ファクター」と呼ばれる物質を振りかければそれでできてしまうのです。それからどのような細胞に分化させたいかによって手順が変わり、必要な薬剤もかわるわけですが、原理自体は、もはやそれほどむつかしいものではないのです。

 これまで治療法がなかった疾患のみならず、美容や、不死身の身体、さらにクローン人間までつくることができる可能性があるとすると、これを放っておかない人間は世界中に存在します。そしてこのようなことを考える人間は善人ばかりではありません。例えばCiRAの研究員をカネやイロで懐柔しようとする者もでてくるかもしれません。これ以上は小説や映画の世界のような話になりますが、私はiPS細胞が悪用される可能性を否定できないと考えています。

 そして最後に、現在日本がお金をつぎこむべき分野がiPS細胞であることを行政がどれだけ理解しているかが疑問であるということを指摘しておきたいと思います。iPS細胞の研究には莫大なお金がかかります。「一億総活躍」する必要はありませんが、iPS細胞に関心のある若い人たちに研究の場と予算を割り当てられるように国を挙げて取り組んでいく必要があるのではないか、それがiPS細胞に対する私の考えです。

参考:マンスリーレポート2012年10月号「山中先生から学んだこととこれからも学びたいこと」

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2015年9月20日 日曜日

第152回(2015年9月) 医師とMRの「齟齬」~薬を減らすということ~

 たしか2年ほど前のある休診日のことです。その日は複数の製薬会社のMR(「医薬情報担当者」という表現が正しいとされていますが、簡単に言えば「営業職」のことです)との面談をおこなう日でした。

 医師とMRはあまり近づきすぎない方がいいのですが、私としては製品に対する複雑な質問があるときや、新製品についてプレゼンテーションをおこなってもらうときなどに太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)に来てもらっています。

 その日、あるMRにこのようなことを言われました。「〇〇(薬の名前)は、この地域で先生(私のこと)の処方量が一番多いんです」。そのときのそのMRは満面の笑みを浮かべいかにも嬉しそうでした。私はこの言葉を聞いたとき、心の奥からある種の不快感がこみ上げてきたのですが、その感情を奥に押しやってMRの立場になって考えてみました。

 おそらくこのMRの言いたいことは、「ありがとうございます。先生(私のこと)のおかげで売り上げも伸びて私も社内で鼻が高いです。これはいい製品ですので、これからもどんどん処方していってください」、とこのようなことだったと思います。

 これはMRの立場になれば分からないことはありません。私も自分がMRであれば同じようなことを考えると思うからです。製薬会社は資本主義の中に存在するひとつの企業ですから売り上げを伸ばさなければ存続できませんし、新しい薬の開発もできません。ですから”ある程度は”<売り上げ重視>になるのはやむを得ません。

 しかし我々医師は違います。私がそのMRに言われて「不快感」を覚えたのはその点にあります。私はこのように感じたのです。「私の処方量が多いということは、他の医療機関では、薬を使わずに生活指導がうまくいっているのではないか・・・。私は薬に頼りすぎているのではないか・・・」

 医師のミッションは「薬を処方すること」ではなく、「いかに薬を減らすか、あるいは初めから薬を使わない」であり、MRとは向いている方向が正反対なのです。(もしもこのようにMRに褒められていい気分になる医師がいるとすれば、その医師は直ちに医師を辞めて製薬会社に転職すべきです)

 薬というのはどのようなものでも使わない方がいいに決まっています。ただ、ここを「決まっています」で終わらせると一種の「感情論」になってしまいますので、少し詳しくみておきます。

 メディカルエッセイ第129回(2013年10月号)「危険な「座りっぱなし」」(注1)で、「生死にかかわる疾患」の分類をおこないました。ここでもう一度振り返ってみたいと思います。

生死にかかわる疾患 = ①感染症 + ②生活習慣に関連する疾患(脳卒中、心疾患、悪性腫瘍など) + ③一部の遺伝的疾患 + ④一部のアレルギー疾患・自己免疫疾患 + ⑤外傷・事故 + ⑥自殺・他殺 + ⑦その他

 これは「生死にかかわる疾患」です。この分類を元に「すべての疾患」をまとめなおすと⑦「その他」の割合が増えることになります。そして⑦「その他」には、頭痛、めまい、便秘・下痢、胃炎、じんましんなどの慢性疾患やうつ病、不安神経症、統合失調症、薬物依存症などの精神疾患が多くを占めます。

 また「すべての疾患」は「生死にかかわる疾患」と比べると⑦「その他」以外にも割合が増えるものがあります。「生死にかかわる疾患」では、①「感染症」と②「生活習慣の関連する疾患」でほとんどを占め、他は無視できるほど低頻度です。一方、「すべての疾患」では、①②も多いのですが、さらに④(喘息やアトピー性皮膚炎などの)「アレルギー疾患」、⑦「その他」も高い割合を占めます。

 では、「すべての疾患」で多いもの(①②④⑦)で薬を使うべきかどうかについてみていきましょう。

 ①「感染症」では、たとえば結核やHIV、マラリアなどでは薬が必ず必要になります。(ただしこれらの疾患は感染後の薬を考えるのではなく「予防」をしっかりおこなうことが重要です) しかし、これら一部を除く多くの感染症では薬は必須ではありません。よく言われるように、ウイルス性の感染症には抗菌薬は無効(というよりも有害)ですし、細菌性のものであっても必ずしも抗菌薬が必要になるわけではありません。実際私は、健康な方の急性感染症の場合、程度がさほど深刻でなければ、細菌性を疑っても、それが咽頭炎でも腸炎でも膀胱炎/尿道炎でも、抗菌薬の処方をせずに治す方法を考えます。

 ②「生活習慣に関連する疾患」についてはどうでしょう。これら疾患は、具体的には、糖尿病や高血圧、高脂血症といった生活習慣病が大半を占めます。谷口医院は大阪市北区という都心部に位置していることもあり、転勤などで新しい患者さんがよく来られます。そのときにこれまで内服していた薬を聞くことになりますが、たくさんの薬を飲んでいる人には「1つでも薬を減らす努力をしましょうね」という話をします。初めからこういう考えに好意を持ってくれている人が谷口医院に集まるということかもしれませんが、私のこの提案はほとんどの患者さんが受け入れてくれます。

 そして実際に多くの人が薬を減らすこと、あるいは完全にやめることに成功しています。また、元々谷口医院で診ていた患者さんで、生活習慣病の薬が必要になった場合でも、日々の食事や運動をしっかりおこなってもらうことで薬の中止に成功したケースも多数あります。

 ④「アレルギー疾患」については、禁煙や規則正しい生活といった生活習慣の見直しに加え、「生活環境」の見直しをおこなうことにより大きく薬を減らすことができます。ペットとの共存における工夫、ダニやハウスダストの対策、汗対策、職場での環境対策などをおこなうことで劇的に薬が減る人も少なくありません。⑦「その他」の慢性疾患も同様で、規則正しい生活を徹底するだけで薬がゼロになる人もいます。

 ここで、私の考えを後押ししてくれそうなデータを2つ紹介したいと思います。ひとつめは薬剤費です。厚生労働省の資料によりますと、年間の薬剤費は約8.5兆円(2012年度)にも上ります。日本の人口を1億2千万人とすると、ひとりあたり、実に年間70,800円ものお金を使っていることになります。これは薬代だけです。医療費全体で考えると年間の医療費は40兆円に迫る勢いですから、減らすことができる薬剤があるなら当然減らすべきです。

 もうひとつは、日本薬剤師会が発表しているショッキングな数字です。同会によると、75歳以上の在宅患者の残薬(処方されたが飲まなかった薬)はなんと年間475億円にも上るそうです。475億円というこの金額は保険料や税金から捻出されているのです。しかもこの数字には75歳未満の在宅患者や、全年齢の通院患者の分は含まれていません。

 私はこれまでこのサイトで「セルフ・メディケーション」と「Choosing wisely」(不要な医療をやめる)という2つのキーワードについて述べ、これらの重要性をウェブサイトを通して伝えていくことを今年(2015年)の目標にしました(注2)。しかし、2015年も残りわずかとなってしまっているのにまだ準備段階の域を抜け出せていません・・(注3)。

 先日患者さんに対してある薬の説明をしているとき、冒頭で述べたMRの言葉を思い出しました。私がそのMRに”褒められた”原因の薬がその薬だったからです。私はそのとき患者さんに次のように言いました。「今はこの薬が必要ですが、近い将来中止できるように日常生活でできることをやっていきましょう・・・」 

 この私の言葉は私自身への戒めでもあったのです・・・。
 
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注1:メディカルエッセイ第129回(2013年10月)「危険な「座りっぱなし」」を参照ください。

注2:「開業9年目に向けて(2015年1月)」を参照ください。

注3:これについては未完成のものでもなんとか年内に公開したいと考えています。

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2015年8月21日 金曜日

第151回(2015年8月) 二人の医師が死亡したトライアスロン

 マラソンやトライアスロンのブームは加速し続けているような印象があります。そして、あまり報道はされませんが、大きなマラソン大会やトライアスロンの大会には事故が少なくありません。しかも心肺停止に至るものも珍しくはなく、なかには死に至ることもあります。

 2015年7月19日、鳥取県米子市皆生(かいけ)で開催された「第35回全日本トライアスロン皆生大会」に参加した愛知県一宮市の医師、則武克彦さん(56歳)がスイム中に意識を失い死亡しました。同日に山形県鶴岡市鼠ケ関(ねずがせき)で開催された「温海トライアスロン大会」では、同市の開業医、今野拓さん(48歳)がやはりスイム中に意識を失い死亡しました。

 マラソンやトライアスロンでの死亡事故はあまり報じられませんが、今回一般紙で二人の死亡が報道されたのは、職業が医師だからでしょうか。つまり、自分の健康管理ができている(と思われている)医師が死亡したために取り上げるべきとマスコミが判断したのかもしれません。

 ここでこういったスポーツがどれだけ危険なものかを考えてみたいと思います。トライアスロンの方がマラソンよりも死亡事故率が高いのはほぼ間違いないでしょうが、トライアスロンについてはきちんとしたデータがないこともあり、競技人口の多いマラソンでまずは考えてみたいと思います。

 フルマラソンでは、だいたい10万人に1人程度の割合でレース中に心肺停止が起こると言われています。日本でマラソンが急激に普及したのは2007年に第1回が開催された東京マラソンがきっかけとなったと思われます。その後全国で一般市民が参加できるマラソン大会が相次いで開催されるようになりました。

 私の知る限り、マラソンブームが起こった2007年以降、大きな大会での死亡事故というのはあまりなく、全国紙レベルで報道されたのは、2015年4月に長野県飯田市で開催された「天竜峡温泉健康マラソン大会」で60代の男性が死亡した事故くらいではないかと思います。

 しかし「死亡」にまではいたらなくても「心肺停止」になりその後医療者が蘇生をおこなったというケースはけっこうあります。最も有名なのは、2009年の東京マラソンで心筋梗塞を起こし致死的な不整脈がでたものの救護班の迅速な対応で一命を取り留めたタレントの松村邦洋さんだと思いますが、有名人でなく一般人が心肺停止を起こす事故は報道されないだけであって珍しくはありません。(そういった情報は医療者から伝わってきます)

 ランニングの場合、危険なのは初心者ではなく中堅からベテランのランナーです。そして危険なのは30km、とりわけ35kmを過ぎてからです。1980年代以降、日本での死亡例は数件程度ですが、心肺停止ではおそらく平均すると1つ大会があれば1件程度は起こっているのではないかと思われます。

 私は一度大阪マラソンの救護班に参加したことがあります。大会では5kmごとに班が設置され、そこにはAED(心肺停止時に電気ショックを与える器械)を置いていますがそれだけではありません。自転車にAEDを積んで、実際にコースを巡回する医師もいます。また、救急車はいつでも発動できるように待機しています。これだけの準備をしますから、レース中に突然倒れ心肺停止が起こっても助かる可能性が高いのです。

 日頃私が診察している患者さんのなかにも、フルマラソンを趣味にしている人、トライアスロンに果敢に挑む人、なかには100kmのウルトラマラソンを目標にしている人もいます。健康のために運動をおこなうことは非常にいいことなのですが、度を超えると危険性が増します。

 運動が健康にいいのは自明であり、「運動が身体に悪い」と考えている医療者も一部いるようですが、”適度な”運動が健康に有用であるということは世界中の研究で明らかになっています。体重が落ちなくても運動を続けることで生活習慣病のリスクが低減できることも判ってきています(注1)。

 しかし、運動のやりすぎが健康を害するどころか危険なのもまた自明です(注2)。毎日トライアスロンに参加することを想像してみれば明らかでしょう。では、どの程度の運動が理想なのでしょうか。これについては年齢、性別、元々の運動能力や持っている疾患によって変わってきますから一概には言うことはできずかなりの個人差があります。

 トライアスロンの他の競技をみてみましょう。同日に別の大会で二人の医師を死にいたらしめた「スイム」が危険なのは明らかです。とはいえ、私は「水泳」を否定したいわけではありません。プールで自分のペースで泳ぐのはすぐれた有酸素運動ですし、肩周囲や大腿の筋肉も鍛えられますから同時に筋トレもできるわけで、ランニングよりもむしろ有効な運動ともいえます。(ランニングでは上半身の筋肉強化はほとんどできません)

 膝の痛みや腰痛がありジョギングができないという人も、プールで自分のペースで歩くという方法ならおこなえます。フィットネスクラブでは、水泳教室の他にも、水中でのダンスやエアロビクスのコースもあります。プールでの運動は(ある程度のお金は必要でしょうが)是非ともすすめたいものです。

 しかしながら、トライアスロンのスイムはそう勧められるものではありません。まず海での水泳の危険性はプールとは比較になりません。それに、トライアスロンでは、少しでも前に行こうとする人が少なくなく、そのため押し合いへしあい、というかもっと言うと殴る蹴るといった格闘技に近いことも実際にあります。意図的ではなかったとしても、たとえばキックした足が他人の頭にあたり脳震盪を起こすということもあり得るのです。

 トライアスロンのバイク(自転車)を考えてみましょう。バイクでは私の知る限り、日本の大会での死亡事故はないと思います。しかし、骨折を伴う事故は珍しくはありません。また、大会では自動車との交通事故はないでしょうが、当然のことながら練習中には自動車との接触に注意しなければなりません。実際、練習中に交通事故で死亡している人は稀ではありません。なかには駐車中の車に激突して即死したような例もあります。

 マラソンやトライアスロンの大会に出ようと思っているんです・・・。患者さんからそのような相談をされたとき、返答に困ることがあります。特に負けず嫌いで頑張り屋の性格の人の場合、何と助言しようか躊躇することがあります。こういった大会はゴールしたときの感動が大きいですし、大会を励みに練習すれば健康の向上にも寄与するのは事実です。

 しかしながら、同時に危険性も理解してもらわねばなりません。心肺停止のリスク以外にも熱中症や外傷、低体温のリスクなどもあります。ハーフマラソン程度なら走行中の水分補給すら絶対必要というわけではありませんが、フルマラソンになってくると水分補給は必須ですし塩分の補給も考える必要がでてきます。そのため、練習はもちろん、大会中の身体の管理も簡単ではないのです。

 私が中2のとき、フルマラソンの距離42.195kmは「必ずテストに出すから覚えておけ」と先生に言われ、何度も口ずさんで記憶しました。42.195というこの数字について、最近ある患者さんから興味深い覚え方を教えてもらいました。

 死(4)に(2)行く(19)カクゴ(5)と覚えるそうです。

注1 1つ研究を紹介しておきます。医学誌『Hepatology』2015年2月17日号(オンライン版)に掲載された論文です。たとえ体重が落ちなくても運動が脂肪肝を改善するとしたもので、タイトルは「Moderate to vigorous physical activity volume is an important factor for managing nonalcoholic fatty liver disease: a retrospective study.」で下記のURLで概要を読むことができます。

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/hep.27544/abstract

注2:運動のやりすぎが危険とする研究についても紹介しておきます。医学誌『Mayo Clinic Proceedings』2012年6月号(オンライン版)に掲載された論文でタイトルは「Potential Adverse Cardiovascular Effects From Excessive Endurance Exercise」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://www.mayoclinicproceedings.org/article/S0025-6196%2812%2900473-9/abstract

医学誌『Heart Disease』2014年3月4月号(オンライン版)では、「Study finds that long-term participation in marathon training/racing is paradoxically associated with increased coronary plaque volume」というタイトルで、運動のしすぎが心疾患を引き起こす可能性があることを述べています。下記URLを参照ください。

http://www.medhelp.org/heart-disease/articles/Study-Finds-Male-Marathon-Runners-Have-Increased-Coronary-Plaque-Buildup/1174?page=2

また、『The Wall Street Journal』紙2013年5月24日号(オンライン版)では、「The Exercise Equivalent of a Cheeseburger?」(運動はチーズバーガーと同じ?)というタイトルで過度な運動の危険性を報じています。

http://www.wsj.com/articles/SB10001424127887323975004578501150442565788

参考:はやりの病気第123回(2013年11月)「マラソンに伴う健康被害と利点」

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2015年7月21日 火曜日

第150回(2015年7月) スマホで健康管理

 家でも血圧を測って記録したものを毎回持ってきて下さいね。

 これは私が高血圧の患者さんに言っていることです。きちんと測定結果を手帳に記載して持ってきてくれる人は全体の2割くらいでしょうか。なかには、エクセルを駆使してきれいな表にして持ってきてくれる人もいて驚かされますが、「書くのがめんどうくさい」と言って記録をしない人の方が多いのが現実です。

 きちんと記録しないとダメですよ、と私は一度も言ったことがありません。朝晩2回の記録というのは慣れればできないことはないでしょうが、やはりそれをできる人が優秀なのであって、できないから劣っているというわけではなく、むしろそれが普通でしょう。私自身も、毎朝毎晩自分の血圧を記録しなさい、と言われてもおこなえる自信がありません。

 しかし、スマホを用いて血圧の管理がおこなえるシステムがあります。広告や特集記事などを私自身は見たことがないのですが、これは間違いなく普及すると私はみています。一種の「医療革命」と言ってさえいいと私は思っています。

 早速私自身も血圧計を購入し、アプリをダウンロードして記録を開始してみました。こんなにも便利なのか・・・、と驚いています。自動血圧計ですから、自分でマンシェットを上腕に巻くことができます。マンシェットがとても工夫されていてすごく簡単に巻けることにも驚きました。そしてボタンを押せば血圧と脈拍数が測定され画面に表示されます。次にスマホのアプリを立ち上げて「データ転送」を押すだけです。これで日々のデータが記録されグラフにもなります。

 これからは、医療機関を受診時にスマホを見せるだけでよくなり、面倒な血圧の記録は必要なくなります。このようなスマホ連動型の血圧計は少し値段が高いかもしれませんが従来のものとそれほど変わるわけではありません。

 スマホを用いた健康管理は血圧だけではありません。今回はそれを述べたいのですが、少し脱線してみましょう。

 スマホ(スマートフォン)が登場したのは2000年代の頭くらいでしょうか。私は携帯電話を90年代半ばから持ってはいましたが、元々電話があまり好きでないこともあってほとんど発信用としてしか使っていませんでした。携帯メールというものも私はほとんど利用したことがありませんでした。パソコンの方が文字をうちやすいですし、わざわざ携帯を使ってメールしなければならないような緊急性の高い用があるのであれば電話をすべきだからです。

 スマホが登場したときも興味がまったく沸かず、自分には関係ないものだと思っていました。ただ、タブレットが出てからは出張時、旅行時には必ず持参するようになり、それまで必ず持参していたノートパソコンが不要になりました。学会出席時には、以前はノートをとり、ホテルに戻ってからノートパソコンに記載していたのですが、タブレット(iPAD)を持つようになってからはその場でiPADでメモを取ります。そしてその場でパソコンに転送します。これで随分と時間が節約できます。

 それだけではありません。英語の講演を聞くときに単語が分からないことがあります。そんなときは直ちにタブレットにいれてある英語辞典や英英辞典のアプリを参照します。日本語の講演でも難解な専門用語について知識があやふやなことがあります。そんなとき、その場でインターネットを用いて調べることができます。

 学会に参加しているときは、空き時間に新聞や雑誌を読んだり、自分が発表する資料や原稿を作成したりもしますが、これらもタブレット1台でできます。移動の飛行機や新幹線のなかではkindleを立ち上げて本を読むこともできます。「真の本好き」の人たちは、本は電子書籍でなくて従来の紙の本で読むべき、と言いますが、私はスペースを取らないという理由でkindleを支持しています。本好きの人には失礼ですが、私は既存の本の大半は電子化してしまって紙の本は最小限にすべき、と思っています(注1)。

 長い間私はスマホを持たずに従来の携帯電話とタブレットの2つを持っていましたが、外出先でパソコンのメールを簡単に参照できるのは便利と考えiPhone 6を購入しました。そしてiPhone 6 Plusが出たときに「これだ!」と思って飛びつきました。iPhone 6では小さすぎて文字を打つのが困難でしたが、iPhone 6 Plusのサイズなら入力できます。

 さて、少しずつ話を健康のことに戻していきます。スマホはポケットに入るサイズでありながら地図を表示することができます。従来の地図はいったん立ち止まり広げなければなりませんが、スマホなら(歩きながらは危ないですが)一瞬で地図を見ることができて、しかも現在自分がどこにいるかが瞬時にわかります。

 これがなぜ健康と関係があるかというと、ウォーキングやジョギングのときに道に迷わなくなるからです。旅行先で、早朝の街を歩いて(走って)みたいと思う人は少なくないでしょう。こんなとき方向音痴の人は躊躇するでしょうし、ある程度自信のある人でも、斜めに走った道やカーブの多い道が続くとホテルまで戻るのが困難になることもあるでしょう。また、海外であれば標識が不充分であったり、英語表記でなく現地の言語でしか表示されていないこともあったりします。そういった場合でもスマホがあれば道に迷わなくなります。つまりどれだけ方向音痴の人であっても、初めての土地で、それが海外であったとしても、ウォーキングやジョギングが楽しめるのです(注2、注3)。

 冒頭で血圧をスマホで管理すれば便利という話をしました。しかし健康に関する数値を血圧だけに限定するのはもったいない話です。自分が毎日どれくらいのエネルギーを消費しているのか、つまり消費エネルギーを知りたい、と考えている人は大勢いると思います。摂取カロリーは、ある程度の栄養学の知識があれば概算できるでしょうが、消費エネルギーを計算するのは簡単ではありません。

 そこで便利なのが「活動量計」です。これをポケットに入れておくと日々の消費カロリーが分かります。よくできた器種になってくると「消費カロリー」や「歩数」以外にも「早歩きの歩数」や「階段上がり歩数」なども表示されます。もちろん活動量計はスマホにデータ転送します。

 体重も管理できます。さすがに体重計を出張先に持っていくことはできませんが、自宅にいるときは毎日測定しそれをスマホにデータ転送すると瞬時にグラフがでてきます。記録ダイエット(レコーディングダイエット)というのは毎日食べたものを記録していく方法だそうですが、スマホで体重を管理するだけでもダイエットができるという人もいます。

 血圧、体重、消費カロリーが1つのアプリで管理できるのは大変便利です。これからの時代、このデータを定期的に医師に送ることで診察を済ませることができるかもしれません。あるいは、まだ薬を飲んでいない段階であれば、コンピュータがデータからその人にあったアドバイスができる時代になるかもしれません。いえ、これはやろうと思えばすぐにでもできるでしょう。

 おそらく次に登場するのは、睡眠中の酸素飽和度の測定器だと私はみています。睡眠中の酸素飽和度を知ることで、睡眠時無呼吸症候群の危険性を知ることができます。現在、睡眠時無呼吸症候群の検査は、1泊入院しておこなうのが一般的です。自宅でおこなえるものもあるのですが、まずは医療機関を受診しなければなりませんし、いろいろと手間がかかります。数年以内に、睡眠中の酸素飽和度を測定することができて、睡眠時無呼吸症候群のリスク判定までできる器械が登場すると私はみています。

 心電図の管理もできるに違いないと考えていたところ、こちらはなんとすでに開発されていました。2015年6月にブリュッセルで開催された「IMEC Technology Forum 2015 Brussels」というフォーラムで、心電図が測定できるTシャツが披露されたそうです。データはもちろんスマホで管理できるようです。

 この他では、詳細な脳波までは測定できませんが、睡眠の程度を測定することができる器械があります。また、いちいちスマホをかざすのが面倒でしょうが、食べるものをうつすことで摂取カロリーが計算されるような技術も登場してくるでしょう。まだ実用化されていませんが、針を刺さずに血糖値を計測する技術が現在開発中と聞きます。これに成功すればいずれスマホで血糖値の管理ができるようになるでしょう。

 さらに、すでに登場しているスマホのウェラブル型が進化すると、ただ装着しているだけで、血圧、脈拍数、消費カロリー、酸素飽和度、血糖値、睡眠の深さなどがすべて管理できるようになるかもしれません。ここまでくれば誰もが「医療革命」という言葉に納得するでしょう。

 繰り返しになりますが、血圧、体重、消費カロリーはすでに簡単にスマホで管理できる時代に入っています。興味のある人は試してみませんか。

注1:ただし例外はあります。教科書的なものは紙媒体を残すべきでしょうし、電子書籍では書き込みができないという問題があります。電子書籍の欠点を私が痛烈に感じるのは、『Lonely Planet』や『地球の歩き方』といった旅行ガイドです。これらをタブレットで参照するのは非常に困難です。電子書籍が有用なのは「最初から最後まで通して読むことのできる本」であり、何度もあちこちを参照するタイプの本には適しません。

注2:話がそれるので本文では述べませんでしたが、スマホを海外に持っていくと便利なことはたくさんあります。例えば、為替情報のアプリはとても有用で、現地の価格を入れると瞬時に日本円の価格が表示されます。搭乗前に現地の気温や天候を調べることができるのもありがたい機能です。国内線であればスマホをかざすだけでチェックインできますし、国際便でもいまやスマホの画面を見せるだけで手続きをしてくれます。現地ではスマホのアプリの懐中電灯が役に立つこともしばしばあります。また、当院の患者さんのなかには、海外で体調が悪くなったときに、当院にメールで知らせてくれる人がいます。メールで助言できることは限られているのですが、海外で困っているときに日本語の助言が届くと少しは安心できるからなのか、何度も丁寧なお礼の言葉をいただき恐縮することがしばしばあります。

注3:登山をする人にとって地図は必携品です。ビギナーからベテランの登山家まで『山と高原地図』を利用する人が多いと思いますが、これが現在はアプリになっています。私は初めてこれを使ったときに、あまりの便利さに感動し、スマホを持つ手が震えた程です。ただし、山の上では電波が入りにくく、また一気にバッテリーを消耗するという欠点もあります。

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2015年6月19日 金曜日

第149回(2015年6月) 世界で最も恐ろしい生物とは?

 マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツは『gatesnotes』というタイトルのブログを運営しています。そのブログの2014年4月25日に「The Deadliest Animal in the World」というタイトルで、人間を死に至らしめる動物のランキングが掲載されています(注1)。

 このブログが公表されたとき、いくつかのマスコミにも取り上げられましたからこの話はすでに有名になっているのかもしれませんが、まだ聞いたことがないという人は、答えを聞く前に自身で考えてみて下さい。

「The Deadliest Animal」、つまり、「人を殺す動物」ですが、ビル・ゲイツのこのランキングでは、年間に何人の人間が殺されたかを基準にしています。トップをいきなり紹介するよりもランキングを下からみていきましょう。

 第14位は「サメ」と「オオカミ」で年間死亡者は各10人、12位は「ライオン」と「象」で死亡者は各100人ずつです。ライオンはともかく象は意外な気がしないでもないですが、たとえばタイでは「象に踏まれて死亡」という記事が現地の新聞にときどき載っています。

 第11位は「カバ」で年間死亡者は500人、10位は「ワニ」で1,000人です。9位が死亡者数は2,000人で動物の名称は英語でtapewormとされています。英語が得意な方はtapewormと聞くと「サナダムシ」を思い出すと思うのですが、ここでいうtapewormはサナダムシのことを指しているのではなく生物学でいう「条虫」全体のことを指しています。条虫には人間にあまり有害性のないものから治療法のない死に至る病まで様々なものがあります。サナダムシは正式には「無鉤条虫」という名称で、昔の日本人の腸のなかにはよくいましたし、今でも自らサナダムシを飲み込んで腸内で”飼育”しダイエットをおこなうという変わった人もいます。

 最近ブタの生食が危険であることが頻繁に指摘されるようになり、今月(2015年6月)からブタの生肉の飲食店の提供が法律で禁止されることになりました。この原因はE型肝炎ウイルスの感染が急増しているからですが、有鉤条虫という条虫の一種に感染することもあり日本のブタからの感染報告は多くはありませんが死に至ることもあります。

 第8位は「回虫」(蛔虫)で年間死亡者は2,500人です。回虫はヒトの糞便を口にする機会がなければ感染しませんから、上水道がきれいで肥料に糞便を使わなければ感染はなくなるはずです。実際日本では衛生状態がよくなってからはほとんど消失しました。しかし水がきれいな国というのはあまりありませんから、今も世界では数億人のヒトが回虫に感染しています。また、日本でも有機栽培のブームが原因で感染者の報告も散見されます。

 第7位は「住血吸虫」で年間死亡者は10,000人です。医学部で勉強しない限り「住血吸虫」などという生物の名前を聞くことはほとんどないと思いますが、住血吸虫のなかには「日本住血吸虫」というものもあり、文字通りかつての日本で多い感染症だったのです。住血吸虫は川で水浴びをしたときなどに皮膚から浸入してきます。症状としては感染してしばらくすると発熱や下痢を生じ、その後肝硬変をきたすこともあります。

 現在の日本では心配することはないと思いますが、世界では熱帯地方の川には様々な住血吸虫がいます。たとえばメコン川流域にはメコン住血吸虫がいますし、南米やアフリカにはマンソン住血吸虫がいます。川の水には充分に注意しなければならないのです。また日本住血吸虫は現在の日本にはまず存在しませんがフィリピンにはいます。

 さてここからがトップ5の発表です。6位がないのは5位が2つあるからです。ひとつめの第5位は「サシガメ」で年間死亡者数は10,000人です。サシガメといわれてもピンとこないと思いますが、これは南米に生息するカメムシです。カメムシ(サシガメ)自体に毒があるのではなく、このカメムシに寄生しているクルーズ・トリパノソーマと呼ばれる原虫が原因です。この原虫が体内に入ると発熱や倦怠感をきたしますが、この時点で診断がつくことはあまりありません。その後10年以上経た後に心臓、消化管、脳などに症状が出現します。この病名を「シャーガス病」と呼びます。長い潜伏期間を経たのちに致死的な状態になることから南米では「もうひとつのエイズ」と呼ばれることもあるそうです。

 もうひとつの第5位は「ツェツェバエ」と呼ばれるサシバエの1種でこちらは南米ではなくアフリカに存在します。トリパノソーマと呼ばれる原虫がツェツェバエに寄生し、ツェツェバエに刺されたときにその原虫が人の体内に侵入します。この病気は「アフリカ睡眠病」と呼ばれ、文字通り傾眠状態から昏睡に至ります。

 5位のふたつは似ていますので整理してみましょう。どちらも昆虫に寄生しているトリパノソーマという種類の「原虫」が真の病原体であり、一方は刺すカメムシの「サシガメ」、もう一方は刺すハエの「サシバエ」、一方は南米でもう一方はアフリカ大陸です。症状はどちらも緩徐に進行し死に至る病です。日本でカメムシやハエに遭遇しても怖くはありませんが、こういった地域では死に至る病がすぐ身近にあるということです。

 第4位は「イヌ」で年間死亡者数は25,000人です。アジアなどではときどきイヌに噛み殺された幼児の記事がでていますがそのような例はさほど多くありません。ここで言っている「イヌ」は狂犬病のことです。狂犬病は過去に詳しく述べたことがあるので(注2)ここでは繰り返しませんが、発症すると100%死に至る病であることと、ワクチンで完全に防ぐことができることを繰り返しておきたいと思います。

 第3位は「ヘビ」で年間死亡者数は50,000人です。私はこのビル・ゲイツのブログをみたときに知人何人かに「世界で最も恐ろしい生物は?」と尋ねてみたのですがヘビをあげた人が何人かいました。今も奄美諸島や沖縄ではハブは恐怖の生物ですし、マレーシア、カンボジアあたりのジャングルなどにはキングコブラがいます。私は経験したことがありませんが、突然何メートルもの巨大なコブラが首をあげたまま襲ってくるシーンは想像するだけで身の毛がよだちます。もろに咬まれると死を逃れることはできないでしょう。

 私は現在大阪に住んでいますが、高校までは三重県伊賀市(当時は上野市)に住んでいました。中学生になってからはあまり草むらにはいきませんでしたが、小学生時代は草木の生い茂った野山で遊ぶことが多く、大人からは「マムシだけには気をつけろ」と言われていました。アオダイショウなどの普通の(害のない)ヘビとマムシはまったく異なります。マムシは人に出会っても(私が子供だからなのかもしれませんが)逃げることはありません。むしろ立ち向かってこようとします。咬まれたことはありませんが、私には今もマムシの恐怖心が消えません。それに現在の日本でも毎年数人はマムシに咬まれて死んでいます。

 第1位と第2位は3位以下とは死亡者数の桁が違います。第2位の生物には年間475,000人もの人命が奪われています。そして第1位の生物にはなんと年間725,000人もが殺されているのです。

 さてその第2位ですが、これは私の知人に尋ねたところ最も多かった回答で、シニカルな人ほど世界で最も危険な生物としてこの生物を選びました。その生物とは「ヒト」です。大規模な戦争などはなくとも、民族紛争、テロなどで50万人近くの尊いヒトの命が奪われていることに注目すべきでしょう。

 さて、そのヒトを差し置いて第1位となった生物は何かわかりますでしょうか。答えは「蚊」です。ダントツの1位が「蚊」ということを意外に感じた人は少なくないのではないでしょうか。私は自分が考える前にランキングの表を先に見てしまったのですが、このようなクイズを出されて蚊とは答えられなかったと思います。

 実際、ビル・ゲイツのこのブログの文章も、いかに蚊対策が重要かということばかりが述べられており、蚊の重要性を言いたいがためにこのようなランキングをつくったのだと思われます。

 さて、蚊に刺されて死ぬのは蚊そのものに有害性があるわけではなく、蚊に寄生している病原体が原因です。最も多いのはもちろん「マラリア」ですが、デング熱(デング出血熱)やチクングニア熱でも死亡することはあります。

 日本脳炎も現在の日本にはほとんど存在しませんが、アジア諸国では死に至ることのある病です(注3)。フィラリアについても、現在の日本国内での発生はほとんどありませんが、熱帯地方では今でも年間1億人以上が感染し死亡することもあります。ブラジルでワールドカップが開催されたときに話題になった黄熱もネッタイシマカが媒介しますし、米国でときどき報告のあるウエストナイル熱も蚊が媒介するウイルス感染です。

 海外の論文を読んだり、熱帯医学の情報収集をしたりしていると、いかに日本人が蚊に無頓着でいるか、逆に言うと、蚊の心配がほとんど不要な日本とは何といい国か、ということを思い知らされます。しかし、日本でも過去には九州地方を中心にフィラリアで命を落とした人が少なくありませんでしたし、日本脳炎は今も日本に渡航する外国人からは恐れられていると聞きます。

 現代の日本人にとって、海外旅行が身近なものになり、帰国後のデング熱やマラリア感染も増加傾向にあります。昨年(2014年)国内で150人以上が感染したデング熱のことを忘れないようにして、これからは国内外で蚊の対策を各自がおこなう必要があるでしょう(注4)

 
注1:このサイトは下記URLで読むことができます。

http://www.gatesnotes.com/Health/Most-Lethal-Animal-Mosquito-Week

注2 狂犬病については下記も参照ください。
はやりの病気第130回(2014年6月)「渡航者は狂犬病のワクチンを」

注3 日本脳炎については下記も参照ください。
はやりの病気第63回(2008年11月)「日本脳炎を忘れないで!」

注4 蚊の具体的な対策については下記を参照ください。
トップページ「旅行医学・英文診断書など」のなかの「その他蚊対策など」
はやりの病気第141回(2015年5月)「マラリアで死んだ僕らのヒーロー」

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2015年5月22日 金曜日

第148回(2015年5月) 高齢の研修医はなぜ嫌われるのか

 一般のマスコミではあまり取り上げられていませんが、医師が見るインターネットのニュースサイトでは、今年(2015年)医師国家試験に合格し、現在青森県の病院で研修を受けている60歳の研修医が話題となっています。

 この手のサイトでは、ニュースを閲覧したユーザーが意見を投稿できます。他の医師の意見を見てみようかな、と思って私がまず驚いたのは投稿の多さです。あるサイトではこのニュースが公開されてから1週間もたたないうちに200件以上の医師からのコメントが寄せられていました。それだけ「高齢の研修医」は医師から注目されているということです。

 次に驚いたのは大半の医師の意見が辛辣であることです。つまり、多くの医師は「高齢の研修医」に否定的なのです。代表的な意見を紹介したいと思いますが、過去に同じようなテーマでコラムを書いたことがあり(「メディカルエッセイ」第19回(2005年7月)「「年齢が理由で医学部不合格」は妥当か」)、このときにまとめたものと今回のニュースに投稿を寄せた医師たちの意見もほぼ同じものであり、このことにも驚かされました。

 そのコラムでも紹介した高齢研修医(高齢医学部生)に対する否定的な意見は下記の4つに分類できます。

①高齢者が医学部合格を果たして卒業したとしても、一人前の医師として働ける期間は長くない。これは税金の無駄遣いである。

②医師は他の職業よりも体力と知力が要求される。体力が衰えて記憶力の鈍った高齢者に適切な医療はできない。

③高齢の研修医は、年下の指導医や看護師などが指導をおこないにくく迷惑である。

④高齢者が医学部に入学することによって、若い受験生がひとり不合格になる。この若い受験生が気の毒である。

 これらひとつひとつがいかに的を外した馬鹿げた意見かということを、そのときのコラムで述べました。その意見を述べたのは2005年ですから今から10年前になりますが、興味深いことに、今回の青森県の研修医に対する辛辣な医師のコメントも、またそういったコメントに対する私の反論もまったく同じです。

 まったく同じなら、今回のコラムを書く意味もないかと初めは考えたのですが、前回書いてから10年が経過していることと、もしも現役医師の否定的な意見を聞いて、医学部受験を躊躇する高齢の(何歳からが高齢かはわかりませんが)受験生がでてきたり、高齢の研修医が自分たちを否定的に感じるようなことがあったりしてはならないと考えたことから、今回のコラムを書くことにしました。

 まず医学部というところは医学を学ぶところであり、将来医師になり国民に貢献することを入学時点で義務づけられているわけではありません。防衛医大や自治医大は卒業後一定の年数は与えられた職務に従事しなければなりませんがこれらは例外的な学校です。

「学問の自由」は憲法で保証されている国民の権利です。ちなみに私は医学部入学時には医師になる気持ちはなく、自分の取り組みたい研究をするのに医学の知識が必要と考えていたというのが医学部志望動機です。面接の際、これを話しましたが、それで落とされるということはありませんでした。

 高齢研修医否定派の医師がよくいうセリフに「税金の無駄遣い」というのがあります(上記①参照)。医師のなかには、いったん医師になってから他の道を選択する者も数は少ないですがいないわけではありません。高齢研修医否定派の医師たちは、そのような医師以外の道を進む者にも同じように「税金の無駄使い」と言うのでしょうか。そもそも、高齢研修医否定派の医師は、自分は税金を無駄遣いしないために日々の医療をおこなっている、と本気で考えているのでしょうか。

「税金の無駄遣い」という理由は、私には「とってつけたつまらない正論」を振りかざしているだけにみえます。

 ③について述べましょう。以前コラムを書いたのは2005年で、当時の私は自分より年下の指導医に教えてもらう立場でした。私は「年下の先輩」と接しにくいと感じたことは一度もありませんし、「年下の先輩」が私に教えにくいと感じていたこともないと思います。(これは私が鈍感で気付いていなかっただけかもしれませんが・・・)

 それから10年がたち、私が自分より年上の研修医と接する機会が何度かありました。また私より年上で経験の少ない看護師はたくさんいます。(マンスリーレポート2014年10月号「「社会人ナース」という選択」参照)

 私がそういった自分より年上の研修医や看護師にどのように接するかというと、現役で入学した研修医や看護師とまったく同じです。医療の現場ですから、あまり乱暴な言葉は使わず、基本的には丁寧語を使うようにしていますが、これは年下の研修医や看護師に対しても私は原則として丁寧語を用いるようにしていますから言葉使いも変わるわけではありません。

 以前のコラムに書きましたが、私は19歳から20歳の頃アルバイトでいわゆる水商売をしていたことがあります。今は分かりませんが昭和時代の水商売というのは大変厳しいもので、先輩からは蹴られたり物を投げられたりということが日常茶飯事でした。中学を出て間もない17歳の少年(とはいえこの世界で頭角を現す者は立派な成人にみえます)が、うだつのあがらない(失礼!)30代の”おじさん”をぼろくそに言い、蹴り倒すような場面もあるわけです。

 水商売は極端だとしても、大人の世界では年齢ではなくキャリア、そして実力が重要なわけです。これは賭けてもいいですが、年上の研修医を指導しにくいと言う医師は、アルバイトなどを含めて社会経験の乏しい医師に違いありません。

 高齢の医学部生、高齢の研修医が「有利」なことをいくつか述べたいと思います。

 まず、高齢の医学生は勉強に専念できます。これはおそらくどこの医学部・看護学校でも同じだと思いますが、いったん社会に出てから勉強しにきた学生は前の方に座り熱心に講義を聴きます。そして、若者特有の”悩み”に煩わされることもありません。

 例えば、人生の目的や意味が分からなくなり勉強に疑問を持つとか、周りが見えなくなり学校がどうでもよくなるほど恋愛に深く溺れるとか、そういったことはないわけです。もっとも、そういった経験は若いうちにはやっておいた方がいいわけで、このような経験は医師になってからも役立ちます。ですから、そういった経験を経ている(とは限らないかもしれませんが)高齢の医学部生の方が勉強に専念できるだけでなく、将来役に立つかもしれない豊富な人生経験があるという意味で有利なのです。

 研修医となると、社会人経験がある方が有利なのは明らかです。現役で医学部に入学しそのまま医師になった研修医は、患者さんとのコミュニケーションにしばしば苦労します。その点、社会人を経験していれば、患者さんが、医療不信を持っている人であろうが、九九が言えないような勉強とは縁がない人であろうが、やたら偉そうにする官僚や大企業の重役であろうが、あるいは反社会的な人物や反社会的な組織の構成員であろうが、患者さんがどのような人であったとしても、少なくとも社会経験のない若い医師よりはコミュニケーションを取ることに抵抗はないはずです。(とはいえ、そういう私自身も反社会勢力の人と話すのは好きではありませんが・・・)

 最後に、高齢の研修医が「不利」なことを述べます。それは、これまで述べてきたように高齢の研修医を否定的に捉えている医師の方が残念ながら多く指導が不充分となる可能性があるということです。しかし、これまでの社会経験のなかにはそんなことよりも遙かに大変なことや理不尽なことがいくらでもあったはずです。

 高齢の研修医に否定的な「年下の先輩医師」に遭遇したときは、その医師の人生観を変えるほど影響を与えられるような立派な医師になることを目標とすればいいのです。

参考:
メディカルエッセイ第19回(2005年7月)「「年齢が理由で医学部不合格」は妥当か」
メディカルエッセイ第5回(2004年6月)「66歳の研修医」
マンスリーレポート2014年10月号「「社会人ナース」という選択」

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2015年4月20日 月曜日

第147回(2015年4月) 無謀な手術をする医師たち

  このところ、無謀な手術をおこない複数の患者を死亡させた、という報道が目立ちます。群馬大学医学部附属病院第二外科で起こった事件がマスコミで報道され、一部の週刊誌はこの外科医の名前と写真を公開しました。

 すると、2014年夏頃に報道されていた「千葉県がんセンター腹腔鏡手術死亡問題」が再び取り上げられるようになり、不安を煽るのが好きなマスコミは、どこの病院が危ない、とか、危ない医師の見分け方、のような特集をくみ出しました。

 手術は100%成功するものではありません。そのため手術をした患者さんが亡くなったからといって、それだけではその執刀医に過失があったとは断定できません。名医には難易度の高い症例が集まってきますから、名医であればあるほど手術が成功しない可能性があるとも言うことができます。ですから、我々医師からすれば「手術で死亡した例が多い」と聞いただけでは、その医師の過失があるのかどうかを判断することはできません。

 ただし、これら2つの事件については、マスコミの詳細にわたる報道や医師の掲示板での情報から判断して、医師に過失があったのは間違いなく、さらに過失だけではなく、医師としての「適正」がなかった、もっと言えば「人格」に問題があったのではないかと思わずにはいられません。

 今回は、なぜこのような医師が存在するのか、こういった事態を防ぐにはどうすればいいのか、ということを考えていきたいと思います。まずは2つの事件を簡単に振り返りたいと思いますが、腹腔鏡事件の医療事故といえば、これら2つよりも先におこった有名な事件がありますので、まずはそちらを紹介しておきましょう。尚、これら3つの事件はいずれも「腹腔鏡」を用いた手術です。腹腔鏡を用いた手術は従来の開腹手術に比べて、術後の傷跡が小さくて済むという利点はありますが、手術が困難になるという欠点があります。

 2002年11月、東京慈恵会医科大学附属青戸病院の医師3人が、前立腺ガンに対する腹腔鏡下手術をおこないました。腹腔鏡を用いた止血がうまくいかず大量出血をおこし、結果として当患者は死亡しました。

 この事件で驚かされるのは、なんと執刀した医師の3人全員が腹腔鏡下での執刀経験がなかったということです。1人は助手として2回は立ち会った経験があったものの(2回だけです!)、あとの2人は、なんと見学すらしたことがなかったということが判明しました。この事件は刑事事件となり3人とも有罪が確定しました。

 次に「千葉県がんセンター腹腔鏡手術死亡問題」を振り返りたいと思います。元々この事件が発覚したのは同センターに勤務するひとりの麻酔科医の内部告発がきっかけでした。麻酔科医であれば執刀医の未熟さがわかりますから、無謀な手術であることに気付き良心の呵責に耐えられなくなり、自身の地位が失われることを覚悟して内部告発に踏み切ったのでしょう。

 しかし厚生労働省に内部告発したのにもかかわらず同省は何もしなかったそうです。それが2014年に入ってからマスコミが取り上げるようになり、次第に世論に知られるようになってきました。そして後に述べる群馬大学の事件が大きく報道された後に、再度改めてマスコミで取り上げられ出しました。
 
 千葉県がんセンターでは、2008年から2014年の間に、腹腔鏡を用いた肝臓や膵臓の手術を受けた患者11人が死亡しています。その11名のうち7名は同じ執刀医が手術をおこなったそうです。この事件を検証するために千葉県は「第三者検証委員会」を設立しました。委員会の調査の結果、11例のうち10例で、対応に問題があったとする最終報告書を千葉県に提出しています。

 群馬大学病院の事件も簡単にみておきましょう。2010年から2014年の間、腹腔鏡を用いた肝臓切除術を受けた患者8人が相次いで死亡しました。いずれも同じ医師が執刀しており、同大学病院の最終調査報告書では、8症例全例で医師の過失があったことを認めています。さらに、この医師が執刀した開腹手術でも合計10人の患者が術後に死亡していたことが判ったそうです。

 一般の人がこのような事件を聞くと、「とんでもない医者もいるんだな。自分や自分の身内が必要なときはどこに相談すればいいんだろう」、というふうに感じると思います。つまり、医師のなかには「マッド・サイエンスト」のような者がいて、そのような医師に”殺される”ことがあってはならない・・・、とこのように考えるのではないでしょうか。

 私自身はそれだけでは腑に落ちません。無謀な手術をする医師で分からないことが私には3つあります。1つめは、自分が診た患者さんを亡くすことほど辛いことはないわけですが、彼らはこの辛さを感じなかったのか、ということです。担当していた患者さんが亡くなると、それは自分の過失がなかったとしてもですが、これは相当辛いものなのです。実際、私が診察し不本意な死を遂げた患者さんのことは一生忘れることはありません。そのような患者さんは今も私の脳裏に突然よぎることがあります(注1)。

 自分の手術が未熟かどうかは他人から指摘されなくてもわかるはずです。よしんばそれがわからないとしても、自分が担当する症例が他の医師よりも死亡例が多いのは自明なわけですから、そこで問題がないのかを省みることはするはずです。無謀な手術を続ける医師はなぜそこで踏みとどまらなかったのでしょう。自分のせいで新たな”犠牲者”がでることに良心の呵責を感じなかったのでしょうか。

 分からないことの2つめは、周囲はいったい何をしていたのか、ということです。千葉県がんセンターの麻酔科医は内部告発に踏み切りましたが、麻酔科医の立場からすると、どの外科医が手術が上手くてどの外科医が未熟かということが簡単に分かります。私が麻酔科で研修を受けているとき、麻酔科の指導医の先生は私に、「今日の執刀医は経験の少ない医師だから時間がかかるだろうし、途中から指導医に執刀が替わる可能性もあるから時間を長めにみておいた方がいい」といったことを話されていました。

 もしも無謀な手術で患者さんが死に至ることがあれば、麻酔科医には法的な責任はないにしても、道義的な責任というか、何らかの良心の呵責を感じるはずです。そして、無謀な手術かどうか、医師に技術があるかどうかを判別できるのは麻酔科医だけではありません。手術の介助をする看護師にも分かるはずですし、事件が発覚した3つの病院はいずれも研修医を養成する医療機関ですから研修医も見学していたはずです。研修医レベルでも同じ執刀医の症例が相次いで亡くなればおかしいことに気付くはずです。

 ここで私が言いたいのは、なぜ周囲は黙っていたのか、ということだけではありません。無謀な手術をおこなう医師たちは、自分の技術が未熟であることに周囲が気付いていたことを知っていたはずです。

 分からないことの3つめはこの点です。私自身はどちらかというとプライドは高くない方だと思っています。少なくとも医師の平均よりはかなり低いと感じています。そのプライドが(医師にしては)高くない私でさえ、このような状況には耐えられません。つまり、周囲から未熟だと思われているのに無謀な手術に手を出して結果的に患者さんを死に至らしめるということに耐えられないのです。私はどちらかというと他人が自分のことをどのように感じていても噂をされても気にならない方ですが、「あいつはできもしない手術をやって患者さんを殺している」などと噂されれば精神が破綻してしまいます。

 無謀な手術をおこなう医師に対する3つの疑問点を述べてみました。①患者さんが亡くなるのをみて良心の呵責を感じなかったのか、②周囲は道義的な責任を感じなかったのか、そして、③周囲から未熟で無謀と思われることにプライドが傷つかなかったのか、ということです。

 ①については、例えば731部隊の人体実験(注2)やタスキギー梅毒人体実験(注3)からも分かるように「マッド・サイエンティスト」が特殊な状況のなかで誕生することを歴史が物語っていますから理解できなくはありません。②については内部告発に踏み切れば辞職に追いやられる可能性があるわけで、まったく理解できなくはありません。

 しかし③だけは今の私にはどうしても理解できません。医師あるいは医学部の学生が(良くも悪くも)相当プライドが高い人たちであることを私は医学部入学後に何度も目のあたりにしてきました。例えば、見学や研修で自分より年の若い看護師に注意されただけで長期間不満を言い続ける男女を何人も見てきました。このようなつまらない不満を言わない医師たちも、手術が下手、などと陰で言われることには耐えられないはずです。

 もしかすると、「医師はプライドが高い」という私の認識は誤りで、本当は、「一部の医師は他人からどのように思われるかにまったく関心がない」が正解なのでしょうか。だとすると、医学部入学時点でこのような性質を見抜かなくてはならないことになります。

注1:1つの例をコラムに書いたことがあります。
メディカルエッセイ第13回(2005年4月)「病苦から自ら命を絶った男」

注2:731部隊の人体実験については、実際に関与していた元日本軍兵士の証言があることや、その中心的人物であった石井四郎が生前に残したノートも見つかっていることなどから、今も「なかった」とする意見があるものの、「存在した」とする意見の方が優勢です。

注3:1932年から40年間にわたり、約600人の黒人が梅毒に人為的に感染させられどのような経過をとるかが調べられた実験。米国政府は正式に認め、1997年に当時の大統領クリントンが謝罪しました。

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