メディカルエッセイ
第13回(2005年4月) 病苦から自ら命を絶った男性
ここ数年間、日本では毎年3万人以上が自殺しています。人口当たりの自殺者(いわゆる自殺率)を国際比較すると、日本は先進国のなかではトップです。全世界でみると第10位ですが、9位までは先進国とは呼べない旧ソビエト連邦の国や東欧諸国ばかりですから、先進国に限れば日本が第1位となります。
メディアでは「リストラを苦に自殺」、「生活苦からの死」などといった報道が多いのですが、実は自殺の原因でもっとも多いのは「病苦」(健康問題)です。日本の自殺の特徴は「病気を苦にして自殺する人が多い」なのです。
救急医療の現場にいると、自殺未遂の患者さんがよく搬送されてきます。自殺の方法はリストカット、薬物の大量服用、飛び降り、など様々です。なかには、本当は死にたくなくて他人(関係がうまくいっていないパートナーなど)の気をひきたいだけ、というものもなくはありません。
しかしながら、本当に死を決意して自殺を図り、運よく(?)助けられたという症例もあります。また、そのときは救命されたけれども、再び自殺を図り完遂した、という人もいます。今回は、私が診察しその後自殺したある患者さんの話をしたいと思います。この男性は、若くして糖尿病を発症しました。生活習慣病の代表である糖尿病は、生活の不摂生からおこることが多いのですが、なかにはウイルス感染などをきっかけに、生活習慣とは関係なく発症するタイプのものもあります(これを「Ⅰ型糖尿病」と呼びます。生活習慣からくるタイプは「Ⅱ型糖尿病」です)。
医療従事者と話をしても、「不治の病、要するに、治療方法がない病気もあるのだから、Ⅰ型糖尿病のようにインスリン自己注射という効果的な治療法がある病気はそれほど重病じゃない」と考えている人は少なくありません。しかし、本当にそうでしょうか。Ⅱ型糖尿病のように、自分の生活態度がもたらした病気であれば、「自業自得」の要素はあるかもしれません。けれども、Ⅰ型糖尿病は本人の態度とはまったく関係なく発症するわけです。そして、いったん発症すると、一生インスリンの注射を打たなければなりません。「注射だけ打っていれば命が助かるならたいしたことないじゃないか」、そのように思う人もいるかもしれません。
しかしながら、実際はそんなに単純な話ではありません。注射といっても、一日一回いつでも好きな時間に打てばいい、というわけではないのです。インスリンは、毎日欠かさず、1日に2回もしくは3回も決まった時間に決められた量を打たなければなりません。それだけではありません。日に三度の食事も、ある程度決められた量を決められた時間に摂らなければならないのです。激しい運動も制限されます。そして、これらの制限に従わなかった場合、低血糖発作を起こし(血糖値は下がりすぎると非常に危険です)、意識を失い、救急搬送されることになるのです。
私がある救急病院で当直の仕事をしているとき、救急車で28歳の男性の患者さんが搬送されてきました。男性の持病はⅠ型糖尿病。自殺目的でインスリンを大量に注射して意識をなくし、部屋を訪れた友人に発見されたのです。
意識消失の原因が低血糖発作の場合、ブドウ糖を静脈注射すればすぐに意識が戻ります。この男性も注射後1分程度で意識が戻りました。そして、自分が病院にいることに気付くと、男性は我々医療従事者に暴言を吐きました。「なんで死なせてくれへんねん!」、そのような言葉を何度も叫びました。
それでもしばらくすると落ち着きを取りもどし、やがてまともに話をしてくれるようになりました。Ⅰ型糖尿病を発症したのは18歳。その現実をしばらく受け入れられなかったことを教えてくれました。
18歳と言えばいろんなこと新しいことをやりたい年齢であり、街に遊びに出掛けたり旅行に行ったりすれば、眠らずに夜通し起きていたいこともあるわけです。ところが、Ⅰ型糖尿病がありインスリンで血糖コントロールしなければならなくなれば、規則正しい生活を余儀なくされ、決まった時間に食事を摂り、インスリンを自己注射しなければなりません。もちろん暴飲暴食などできません。友達と話が盛り上がっていたとしても、徹夜で遊ぶなどということはできず、夜中に食事をしようという流れになっても彼だけはできないわけです。そういったことを18歳の青年に強いるのはかなり酷なことです。案の定、徹夜で遊んでエネルギーを過剰に消費し、その結果低血糖発作を起こしたことも何度もあったそうです。
やがてそんな彼にも彼女ができました。病気のことを理解してくれて、お互いに心から愛し合っていたそうです。数年後には結婚の話もでました。
ところが、彼女の両親に挨拶に行くと「結婚など絶対に反対だ」と言って彼の話を聞いてくれなかったのです。両親から「病気をもった障害者とうちの大切な娘を結婚させるわけにはいかない」と言われたというのです。結局、彼女の両親の反対でふたりは別れることになりました。
自分は何も悪くないのにⅠ型糖尿病という病気になって、最愛の女性の両親からは障害者と呼ばれ、そして別れなければならなくなったのです。これほど辛いことがあるでしょうか。この頃から彼の精神状態は再び悪化し、精神安定剤がなければ眠ることもできなくなりました。
社会からほとんど交流を断つような生活を数年続けた後、やがて社会復帰しました。仕事もみつけ、まともな暮らしをするようになったそうです。そんなとき、新たに彼女ができました。
ところが、新しい彼女は、以前のパートナーとは異なり、なかなか病気のことを理解してくれなかったと言います。以前の女性が彼の病気をそのまま受け止め、悲しみも苦しみも分かち合ってくれたのに対し、新しい彼女は「病気なんか気にしないで前向きに生きていけばいい」ということばかり言います。女性のこういった励ましの言葉は分からないでもないのですが、彼が必要としていたのは悲しみを共に感じてくれる以前のパートナーのような存在でした。
結局、その新しいパートナーの考えにはついていけず、しばらくして別れることになりました。そして、再び社会から距離を取るようになったのです。
救急搬送され私が投与したブドウ糖のおかげで(のせいで)意識が戻った彼は、もう何もかもが嫌になった、と言いました。仕事を見つけても「病気のことで何かと差別的な扱いを受けることが多い」と言います。
「先生、朝がくるのがどれだけ辛いことか分かりますか!」
この言葉が私にとって最も印象的でした。毎晩眠れない夜を迎え、大量のアルコールと睡眠剤を頼りになんとか寝るようにはするのですが、朝起きたときに痛烈な苦痛がやってくると言います。「朝がくるのが辛い……」、言葉の意味は分かりますが、私には真の意味で共感することができるとは言えません。私が経験したことのない苦しみなのです。
幸いこの日は救急外来を受診する患者さんがそれほど多くなく、私は時間がとれれば彼の病室に足を運び話を聞くようにしました。けれども、なんとか生きる希望を与えたいのですが、どんな言葉をかけていいかが分かりません。ひたすら黙って話を聞くことしか私にはできませんでした。
やがて、彼は言いました。「今まで多くの精神科の先生にみてもらって、ひとりだけよくしてくれた先生がいた。明日その先生のところに行ってみる」、私はこの言葉を聞いたとき心底ほっとしました。もう一度「生」に向かって進んでくれるんだ、そう感じました。
少しだけ嬉しくなった私は彼の病室を後にしました。その後、その病院を出る朝7時頃にもう一度病室を覗いてみたときには彼はぐっすりと眠っていました。「あとはその精神科の先生に任せよう」、そう思って病院を出ました。
悲劇はその直後に起こりました。
彼は私が病院を出たおよそ30分後、病室のカーテンを首に巻いて自殺を図ったのです。そして、今度の試みの結果は……、最悪のかたちでした。
彼のこの死の話を聞いたのはその1ヵ月後でした。救急搬送されたときに同乗していた友人がたまたま夜間の救急外来にやって来て、たまたまその夜にその病院で当直業務をしていた私に出会ったために教えてもらえたのです。
私は自己嫌悪に陥りました。彼が「精神科の先生のところに行く」と言ったのは、単に私を安心させるためだったのです。私が彼を死に追いやったのではないのか……。今もその思いは拭えません。
この事件以来、私はⅠ型糖尿病の患者さんを診ると必ず彼のことが頭に浮かびます。私にとって特別の思い入れのある病気が、Ⅰ型糖尿病なのです。
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