メディカルエッセイ

第79回(2009年8月) ”掟”に背いた医師

 奈良県大和郡山市の病院が生活保護受給者の診療報酬を不正受給していた事件は我々医療従事者に大きな衝撃を与えました。

 報道によりますと、この病院は2005年から2008年に生活保護を受けていた複数の患者に対し、心臓カテーテル手術をしたように書類(カルテなど)を捏造し、合計約860万円もの大金を詐取したとされています。

 これら以外にも、実際には必要のない患者に心臓カテーテル手術を施した、との報道もあります。一部には、この病院の医師らが患者に対し、「手術しないと死ぬよ」と話していたとも伝えられています。

 マスコミの報道は、どうしても病院や医師を悪者として取り扱う傾向にあります。それは、マスコミの使命として仕方がないのかもしれませんが、実際にはそのあたりの偏った見方を取り除いて事の本質を見極めなければなりません。

 私はこの事件を初めて聞いたとき、「解釈の仕方によっては、診療報酬請求が不正ととられかねない」程度であろうと思っていました。

 例えば、一部のマスコミの報道にあった「手術をしないと死ぬよ」と医師が患者に話していたという点については、おそらく次のような会話があったのではないかと考えました。

患者「先生、やっぱり手術が必要になるんですかね」
医師「そうですね、今手術をしておかないと、この前みたいに突然胸が痛くなって意識を失う可能性がありますよ。この前はたまたま近くにいた人が救急車を呼んでくれたから奇跡的に助かったけど、今度同じようなことがあれば命にかかわるかもしれませんよ・・・」

 心臓の手術の説明をおこなうとき、このような会話がおこなわれることはよくあります。これを患者側が過剰な解釈をすれば、医師に「手術をしないと死ぬよ」と言われた、となる可能性があります。

 ですから、私は当初は悪意をもったマスコミが、権力(この場合は病院)を叩くために、大げさな報道をしているのではないかと思っていたのです。

 ところが、その後、実際には手術をしていないのに手術をしたかのようにみせかけた偽りのカルテが発覚し、それを職員が認め、最終的には院長や理事長も認めた、との報道がおこなわれました。

 実情がここまで明らかになると、私の解釈が誤りであり、マスコミの報道が正しいことを認めざるを得ません。こんな病院があり、こんな医師が存在しているということが同じ医師としてにわかには信じがたいのですが、いったいなぜこんなことが起こってしまったのでしょう。

 「不正請求」という言葉は、しばしばマスコミに登場しますから、一般の方からみれば、他の医療機関でもこのような悪いことがおこなわれているのではないかと感じられるかもしれません。

 しかし、「不正請求」の大半は、悪意がない、というか、保険請求のシステムの関係で「不正」とされているだけです。例をあげましょう。

 最近喉が渇いて夜中にトイレに行く回数が増えたという45歳の男性が初診で受診されたとしましょう。この人がメタボリックシンドロームを示唆するような体型をしていれば我々医師はこの症状から糖尿病を疑います。糖尿病を疑っているわけですから、病名を「糖尿病の疑い」として、血糖値を測定します。検査をするにはそれに応じた「病名」を付けなければならない決まりになっているのです。

 さて、ここまではいいのですが、「HbA1C」という糖尿病の状態をより正確に示す項目も検査すべきだと考えることがあります。しかし、「HbA1C」は「糖尿病の疑い」という病名では認められず、「糖尿病」という病名が必要になります。このとき医師はどうするか。まだこの時点では糖尿病という診断が確定していないわけですから「糖尿病」という病名を付けることには抵抗がありますし、これ自体が不正な記載になると感じられます。そこで「糖尿病の疑い」という病名のままでHbA1Cを測定することになるのですが、こうすると「不正請求」とみなされて診療報酬が支払われなくなることがあるのです。(実際、太融寺町谷口医院でもこの理由で「不正請求」と見なされ支払いを拒否されたことがあります)

 このような例は他にもいくらでもあります。そして、「不正請求」の大半が、このように、少なくとも悪意はなく患者さんのためになる(と医師が考える)ものであり、病院の利益を目的としたような不正請求というのは、ほとんどの医師からすれば考えられないことなのです。ですから、今回の大和郡山市の病院の行為は、我々医師からみても許せるものではないのですが、それ以上に、信じられない・・・、というのが正直な感想なのです。

 なぜなら、病院がこのようなことをすれば、医療という社会システムそのものが崩壊の危機にさらされることになるからです。

 少し古い話になりますが、2005年に千葉県の1級建築士が、地震などに対する安全性の計算を記した構造計算書を偽造していた、いわゆる「耐震偽装問題」が報道されました。この事件は、一般市民を不安にさせただけではなく、ほとんどの建築関係者を落胆させたに違いありません。1級建築士も人間ですから、生涯を通して品行方正に暮らしているわけではないでしょうが、構造計算書を偽造、というのは何があっても、(端的に言えば命を差し出しても)してはいけないことではなかったでしょうか。つまり、この1級建築士は職業人としての”掟”に背いているわけです。

 大和郡山市の病院も同じことです。何があっても絶対にしてはいけないこと(「タブー」と言ってもいいかもしれません)をこの医師は犯しているのです。これは法律で裁かれる以上に、”掟”に背いた責任をとるべきであると私は考えています。

 個人的な話になりますが、私自身としては法律というものをあまり重要視していません。法律よりも大切なものが”掟”であり、それぞれの職業には職業人としての”掟”があると考えています。

 以前、ジャーナリストが取材源を露呈してしまうのは(それが故意でなかったとしても)”掟”に反する行為である、ということを述べました(下記コラム参照)。他にも、例えば、学校の先生が未成年の生徒に性的関係を強要したり、警察官が闇組織に情報を流したり、政治家が脱税していたり・・・、といった事件は、職業人としての”掟”に背くことになります。

 おそらく大和郡山市の病院の医師も、医師になりたての頃は、このようなことは思いもつかなかったでしょう。何かがきっかけとなり医師としての矜持を捨ててしまったのでしょうか。それとも、この医師の人格がもともと破綻していたのでしょうか。

 いずれにせよ、”掟”に背いた職業人が社会から許されることはないでしょう・・・。

参考:
メディカルエッセィ第64回(2008年5月)「職業人としての”掟”」